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― 万 葉 ・ 古 今 ・ 新 古 今 の 比 較 に よ る 造 語 力 の 検 討 ―

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(1)

﹁道のうた﹂管見 

︱万葉・古今・新古今の比較による造語力の検討︱

q9

14 1

   君我由久道心奈我昼乎久里多々祢也警保旨煮散牟

   安米満鼻毛孟母      ︵一五−三七二四︶

 ﹃万葉集﹄巻一五にみる狭野茅上娘子のこの歌は︑越前の国に流

調の身となった恋人中臣朝臣宅守との一連の贈答歌の中の一首であ

るが︑今︑この歌の第二句﹁道の長手﹂という語句に注目したい︒

恋人の辿る道そのものをリボンのように手繰り寄せて焼き棄ててし

まいたいという発想の大胆さに︑この歌の迫力のすべてがかかって

いると思われるが︑その中心として一首を支えているのは﹁道の長

手﹂という柔軟な表現法である︒延々と続く道のりを抱えこむ﹁道

の長手﹂という語句は︑今もなお衝撃力を持つ︒﹃万葉集﹄には他

に︑巻四−五三六・七八一番︑巻五−八八四・八八八番と計四例を

見出し︑合計五例が用いられているが︑この表現法一造語法といい

かえてもよい一は︑現代の我々が失なったものの一つであろう︒﹁道

の長手﹂は︑﹁長い道﹂﹁長途﹂﹁道の長さ﹂などのいずれとも違い︑

そのどれよりも総合力・包括力の強い表現で︑事柄を一概念として

総括する表現である︒こういう語句を造語する力は︑﹃万葉集﹄以

腸 鋼

降︑どの時代ぐらいまで引き継がれているのだろうか︒

 造語力という面からは﹃万葉集﹄には目につく表現が他にもある︒

   信濃道者 伊麻能波里美知 可里婆祢ホ 安思布麻苧牟奈

   久都欝気和我世      ︵一四−三三九九︶

 信濃国歌として巻一四の東歌の中にみられるこの一首は︑七=二

年に開通した信濃道をうたったものであろうが︑開墾したばかりで

切り株の残る新道を往く夫を気づかう妻の歌である︒第二句の﹁波

里美知﹂は︑三四四七番の﹁草陰の安努な行かむと波里之美知安平       ハまユソは行かずて蟹草立ちぬ﹂の﹁波里之美知﹂と同じく﹁料り道﹂ ﹁墾

りし道﹂と解する︒新しく荒野をひらいて通した道は︑その開墾の

労苦とともに︑新しい世界への通路として人々の想いをそそり︑う

たわれるに足る対象だったのであろう︒今︑我々は新しく開通する

道路をいう時︑どういう語を用いるだろうか︒道路は次々に新しく

広くなり津々浦々に及んで︑﹁〜新道﹂﹁〜バイパス﹂の名が地図に

記入される︒難工事をいわれた海底トンネル︵燧道の語は生活用語

としては定着しなかったのか衰えたのか現今では活きているとはい

い難いだろう︶︑海峡を跨ぐ大橋梁︑高速自動車道などなど︑話題

(2)

になるが︑その道を作った人︑使う人の息づかいの聞こえてくるよ

うなことばをみることはできない︒造語力の問題は︑敏感に時代の

趨勢を反映すると考えてよいであろう︒

        二

 日本語における造語力を問題にする時︑一般に︑﹁やまとことば

が造語性に乏しいため漢語の極めて旺盛な造語能力を借りて新しい

事物の表現に対応してきた﹂というように認識されている︒明治初

期︑西欧語の流入に対して和語で翻訳することができず︑漢語によ

る訳語に頼って西洋文明の吸収に成功した事実は︑まさしく漢語の

造語能力に依存した例といえる︒しかし︑昨今のいわゆるカタカナ

外来語の氾濫︑カタカナ外来語をとりこんだ混種語の増加などから

考えて︑日本語の造語力については︑単に造語力の衰弱した和語︑

それにかわる漢語という単純な図式では考えられなくなっている︒

造語力の問題について根幹のところがら見直すべく︑今︑手がかり

として﹁道﹂という語をとりあげて考えてみたい︒

 小稿は紙幅の都合もあり︑右の問題に関する考察の手はじめとし      て︑﹃万葉集﹄﹃古今集﹄﹃新古今集﹄の三歌集の中で︑道にかかわ       る語を抽出し︑その派生・複合の実態を確かめ︑道にかかわる語を

対比的に考察した結果を報告する︒韻律の制約があるとはいえ︑人      々がうたう道は︑その表現に工夫が凝らされ︑各々の時代の造語力

が発揮されているものと考えられるからである︒

 ことばが時代と共にかわることは誰しもが感じていることである   が︑道のように古くから人間の生活の中に存在し続けている対象を       めぐって︑その表現はどのようにかわっていくのだろうか︒﹁道﹂ という語は︑現実世界の物理的な往来の場所そのものも指すし︑又そこから展開した比喩的な意味として抽象的な観念世界の筋道を指すこともできる︒この二つの語義はそれぞれ複雑に派生展開して実に雑多な用法をみせているが︑そのいずれもすでに上代において発       バド ね       生していると考えてよい︒ 道という語は︑道そのものが人間社会の始まりと共に生まれたのと同じく︑言語の発生と共に生まれた古い語であると考えられ︑現在に至るまで語義の大半を変えぬままに       ハ ヨ 用いられ続けている基礎語の一つである︒      今︑﹁道﹂の語源を詮義することは目的ではないが︑各種の語源説を引くまでもなく︑ω﹁東路﹂﹁大和路﹂など﹁〜路﹂という語が今も普通に作れること︑②方角や場所を表わす接辞として﹁遠︵をち︶﹂︑﹁こち﹂などの﹁ち﹂が考えられること︑などから古く道の意を持っていた﹁ち﹂を語意として接頭辞﹁み﹂がついて成立した語を考えるのが妥当と思われる︒﹁ち︵ぢ︶﹂は単独で用いられることはないが︑今もなお派生語を作り得る活力のある語基である︒ しかし︑﹁みち﹂を﹁み一ち﹂と分離的に考えることは︑すでに

﹃万葉集﹄の時代から一般的であったとは考えられないので︑小稿

においては﹁みち﹂自体を語呂と考え︑﹁みち﹂を語基として派生

・複合する状況を調査する︒

 ﹁道﹂の用例は︑今試みに︑宮島達夫氏の﹃古典対照語い表﹄を

参照すれば︑どの時代の作品においても大むね言語量に比例する用

      ハまるり       例数を見出すことができる︒この点から考えても︑﹁道﹂という語

を例として造語力の問題を考察する妥当性が裏付けられる︒

(3)

3

        三

 対象三歌集から︑﹁道﹂にかかわる語句を持つ歌を抽出する︒調

査のテキストはいずれも﹃日本古典文学大系本﹄︵岩波書店︶を使

用した︒引用にあたっては︑万葉集︵万︶・古今和歌集︵古︶・新

古今和歌集︵新︶の︑それぞれ︵︶内の略号と歌番号で示す︒又︑

次のような事例︑いずれも一首と数える︒

ω一首の中に複数の用例を持つもの︒

  ・岡崎の廻みたる道を人な通ひそありつつも君が来まさむ避き   道にせむ      ︵万=i二三六三︶

  ・大野道は繁道丁丁繁くとも君し通はば道は広げむ

       ︵万一六一三八八一︶       ロ バまら ②題詞︵左注︶と歌の両方に用例を持つもの︒

  ・  五日平旦に道に上る︒よりて国司の次官己下の諸僚三共

     に視送る︒時に射水郡大領一一君広島の門前の林中に予

     め饒饅の宴を設けたり︒ここに大帳使大伴宿禰家持︑内

     一一美吉縄麻呂の蓋を捧ぐる歌に和ふる一首

   玉桿の道に出で立ち行く我は君が事跡を負ひてし行かむ

       ︵万一九−四二五一︶       げ  ㈹題詞︵左注︶だけに用例を持つもの

  ・  新羅に遣はさるる使人等︑別れを悲しびて贈答し︑また

     海路に情を働ましめて思ひを陳べ︑井せて所に当たりて

     講ふ古歌

   武庫の海の入江の渚鳥羽ぐくもる君を離れて恋に死ぬべし

       ︵万一五−三五七八︶

 対象になる歌は︑万葉集全四五一六首中二〇九首︑古今十全= 一一首中一三二首︑新古今集一九七九首中九二首である︒巻毎の分布は大きな意味はないが︑各歌集共に二〇巻を有し︑部立と用例分布の相関性もあわせ考察したいので︑告別の数値で示す︒万葉集の部立は他の二歌集ほど整然としたものではないが︑雑歌・相聞・挽歌の三分類は明確であるし︑各巻内部での年代順・地域順などの秩序も保たれていると考えられる︒

1

雄題9倉 90       9白       1  1

9

訳内

歌短

198118811338251369714247

歌歴454333   2     13  136221

52

数歌

5141214131411358251319910410578

位部         歌        挽     年代順    聞  聞   歌    相  相   喩  歌        讐  係撒 難朧鷺

     ・秋・秋   ・ 羅一遇聞歌聞歌歌歌夏歌夏聞聞歌歌新歌歌歌歌歌雑相引相雑雑雑春雑春相相雑東遣雑雑雑雑雑

1234567891011121314151617181920

(4)

訳内 雄題り4      1

3

31112141   4432213

33

数歌

31112143   4432214

36

三部       歌      凍      歌      遊      袖      歌      御上下  上下  歌歌歌歌12345歌上下三所       別旅名歌歌歌歌重傷歌歌  歌謡春夏秋秋冬賀離賭物恋恋恋恋恋哀雑雑雑大

1234567891011121314151617181920

訳内 雄題1       り乙 1  1五

5

413  16227145147418755

87

数歌

413  16227155147439855

92

頚部       歌歌歌12345上中下層歌上下  上下  歌傷別旅亭歌歌歌歌歌歌歌砥教三春夏秋秋冬賀旧離罵恋恋恋恋口回雑雑神釈

1234567891011121314151617181920

       四 語構成の面から語を分類すると︑一般には次のように考える︒

証叩︵単証胆︶︷引証畿 讐難

 単純語として︑語基一個で成立する語として﹁みち﹂を考え︑そ

れを中心に複合・派生する語︵単語︶を対象として考察をすすめる︒  又道にかかわる語の造語力を問題にする場合︑﹁一路︵ぢ︶﹂という

形の多くの語が存在する︒﹁ち︵ぢ︶﹂は単独で用いられこそしない

が︑現在も生命力を持つ接辞であるから︑﹁ち︵ぢ︶﹂を接辞として

派生・複合されている語も検討の対象とする︒但し︑﹁ち﹂を接頭

辞とする派生語は︑﹁ちまた﹂﹁ちわき﹂﹁ちがえし﹂など上代語を

博捜しても限られたものしかない上に︑小稿の対象とする三歌集に      おいては︑﹁ちまた﹂のみが︑﹃万葉集﹄に四例︵用字は衝・街︑他

にやちまたほ八千が二例ある︶見出されるだけである︒この点を考

慮して︑本稿においては﹁ち﹂を上接の接辞とする派生語は対象と

しない︒ 又︑小稿は︑和語の造語力を主たる考察対象とするため︑﹃万葉

集﹄詞書・左注に三例を見出した︑漢語﹁道﹂を語基とする﹁道路﹂

﹁得道﹂﹁一道﹂も又︑対象語から除外する︒        造語力を問題にする時︑普通は語︵単語︶のレベルで考える︒し

かし小稿においては︑﹁道の長手﹂の如き︑ 一語性の強い連語も対

象にしたい︒表現力という面を考察するための造語力を検討する場

合は︑この形式の連語の持つ意味が大きいと考えるからである︒

 以上のような立場から︑対象として取り上げる﹁道﹂にかかわる

語句は︑次の三種六類型となる︒

(5)

5

   ω﹁道﹂の単独例

   ②﹁道の一﹂の形式の連語

   ㈹﹁−の道﹂の形式の連語   ω﹁道1﹂の形の合成語   ㈲﹁1道﹂の形の合成語

   ㈲﹁1ち︵ぢ︶﹂

 まずO単純語︑ω複合語︑

表皿に示す︒﹃万葉集﹄においては︑

如く︑明示した︒

}単レ黶E

︸合成語・

        の形の派生語−派生語⇔

      ⇔派生語の三種に対象語句を分類し︑

      前項の表I11でも明らかな

長歌に用例が目立って多いので︑長歌・短歌の区別を子中に

78  −4  %り乙   ︵

40 i

99 i

雄題

3

2

置生派歌短

74

福U

13

Q︒6

40

歌長

15

雄題

3

1

語合複歌短

17

励2U  ・210︵

2

㊦00  ・σ

11

kq

弓長

6

即題

10

6

7

語純単歌短

84

9㊧η観

18

ソ⑯

39

弓長

35

18

籠 糠巨万今古今古新         五 次に︑前項にあげた六類型の各々について実態を検討しよう︒ω﹁道﹂の単独例 この単純語については︑小稿の目的とする造語力に関しては特に言及する必要はない︒ただし︑造語力の基盤となす描写の傾向とか表現の特性とかに関しては︑勿論︑単純語﹁道﹂にかかる形容詞的修飾語の状況﹁道﹂をうける述語の状況の検討が有意性を持つ︒事実︑特に﹃万葉集﹄の中には次のような興味ある表現を見る︒  ・春の園紅にほふ桃の脚下照る道に出で立つ娘子       ︵万一九−四=二九︶  ・新治の今作る道さやかにも聞きてけるかも妹が上のことを       ︵万一二一二八五五︶  ・紅の裾引く道を中に置きて我や通はむ君か来まさむ       ︵万一一−二六五五︶ 前出の巻一一−二三六三番にみる﹁築き道﹂なども注目すべきであろう︒しかしこれらは形容詞的修飾語の問題であって﹁道﹂にかかわる造語力としてとらえることはできないので対象としない︒又  ・夏の夜は干たつたつし舟に乗り川の瀬ごとに樟さし上れ       ︵万一八一四〇六二︶  ・家人は道もしみみに通へども我が待つ妹が使ひ来ぬかも       ︵万一一−二五二九︶の如き述部の表現も︑右のように特色あるものだけでなく︑﹁道行く﹂﹁道来る﹂﹁道あり﹂﹁辱なし﹂のようなごく当然の表現も︑ど

のように活かされているか検討することは︑造語力の背景として必

要なことであろう︒しかしこれも直接造語力そのものの問題ではな

(6)

いので考察の対象とはしない︒②﹁道の一﹂の形式の連語

●  ●道ののかかる体言万葉古今新古今

1神たち

1

1柴︵芝︶草

2

1

1冬草

1

1山風

1

1露けさ

1

一長手

5

1長道︵ち︶i空︵路︶ 1︵空路︶ 1

︵空1︶

1八十隈

2

一三

2

1三廻

2

一八衝

1

i果て

1

一奥

1

1間

1

1中

1

1後

1

1辺

10

4

一行き逢ひ

1

一往き来

1

31

0

12

 ﹁道の﹂のかかる体言

を上記のように整理し︑

三歌集対照の形で示す︒

 この形式の連語は︑三

歌集を通して合計四三例

の用例を見出すことがで

きた︒表の中の数字は用

例数である︒

 ﹃万葉集﹄に異なり語

数計一四︐三一例を見出す﹁道の一﹂の形の連

語は︑﹃古今集﹄に一例

もなく︑﹃新古今集﹄に

おいて計一二例をみる︒

このうち︑﹃万葉﹄﹃古今﹄

に共通するのは︑﹁道の

辺﹂の各一〇︑四例以外

では︑﹁柴草﹂と︑﹁空︵路︶﹂

の二語だけである︒﹁道

の長手﹂という形で連語

を作り︑表現の幅を広げ

ることは︑﹃万葉集﹄に

おいて展開し︑後代にひ きつがれなかった技法のようである︒このことは︑連体助詞の﹁の﹂の機能の問題と深いかかわりがあるだろう︒助詞の﹁の﹂は本来自由な発想で二語を連接できるものだったのであろう︒ちなみに︑﹁道の辺﹂はすでに一語化する傾向が強くなっていたとも考えられる︒㈹﹁一の道﹂の形式の連語 この形式の連語は︑少数ながら﹃古今集﹄にも用例が見出せる︒前項と同様に三歌集対照して次ページ上段に表示する︒ この表にあきらかな如く︑この形式の連語は︑三歌集︑語彙として全く重ならない︒歌語という限定があるにしても︑指示語を伴う

﹁この道﹂でさえ﹃万葉﹄と﹃新古今﹄に重複するだけで︑それ以

外の共通のものとしては︑﹁玉桿の﹂という枕詞だけである︒この

枕詞は﹃万葉集﹄︑特にその長歌に頻用され︑﹃万葉集﹄においては︑

この形式の連語の用例の半数を占めている︒﹃新古今集﹄において

はそれほどの比率を示さないが五例を見出し︑用例の少ない﹃古今

集﹄の全四例のうちの一例がこの枕詞である︒

 ・玉桿の道はつねにもまどはなむ人をとふとも我かを思はむ

      ︵題しらず因香朝臣古一四−七三八︶

 ・夏草は茂りにけりなたまぽこの道ゆき人も結ぶばかりに

       ︵藤原元真︑新三−一八八︶

 ・たまぽこの道ゆき人のことっても絶えてほどふる五月雨の空

        ︵五月雨の心を︑藤原定家朝臣︑新三−二三八︶

 ・見てだにもあかぬ心をたまぽこの道の奥まで人のゆくらん

     ︵陸奥国に下り侍りける人に︑紀貫之︑新九−八六一︶

 ・たまぼこの道の山風寒からば形見がてらに着なんとそ思ふ

        ︵陸奥国に下りける人に装束贈るとてよみ侍りけ

(7)

7

連 語万葉古今新古今連 語万葉古今新古今

この道

5

1

山辺の道

1

その道

3

周辺の道

1

かの道

1

山田の道

1

ほかの道

1

百隈の道

1

恋の道

1

直越えの道

1

歌の道

1

麓の道

1

遊びの道

1

深山の道

1

世の中の道

2

活道の道

1

義夫の道

1

軽の道

1

四方の道

1

可倣流廻の道

1

六の道

1

東路の道

2

まことの道

1

法の道

1

玉桿の道

33

1

5

極楽の道

1

犬じもの道

1

人やりの道

1

下の帯の道雪消えの道

1

1

61

4

19

潮︐干の道

1

夏野の草の道

1

去年のしをりの道

1

海原の道

2

川瀬の道

1

城上の道

1

      る︑紀貫之︑新九ー八五七︶

 ・玉ぼこの道ははるかにあらねどもうたて雲居にまどふころかな

︵女御の下に侍りけるに遣はしける︑朱雀院御歌︑新一四ー一二四八︶

 枕詞という修辞そのものが上代に見せたほどの活力を中古・中世

には持たなかったものであるが︑作者を一覧しても︑擬古的な素養

の中に生まれたものであることがうかがえよう︒ω﹁道1﹂の形の合成語㈲﹁ー道﹂の形の合成語

 この二項は︑ともに用例数も少なく︑いずれも対象三歌集の語彙

は重なり合わない︒両項を通じて︑﹃万葉集﹄と﹃新古今集﹄に︑﹁道

行き人﹂が重なるだけである︒あわせ示す︒

合成語万葉古今古A合成語万葉古今古A

道ゆき人

5

2

山道

6

道ゆきつと

1

夜道

2

道ゆき占

1

一道

1

道ゆきぶり

1

中道

1

道守

1

下道

1

道芝

5

懸け道

1

道中

1

古道

1

道辺

1

茂道

1

道すがら

1

墾り道

1

9

1

9

11

2

2

 ﹃新古今集﹄の﹁道ゆき人﹂二例の用例は︑前項で示した︑﹁玉

桿の﹂の枕詞を持つ︑元真と定家の歌である︒見るとおり︑﹃万葉

(8)

集﹄においてある程度の広がりを見せる複合語は︑﹃古今集﹄﹃新古

今集﹄に継承されていない︒又︑﹁道すがら﹂の﹁すがら﹂は単独

で用いられることのない接辞であるから︑この語だけが先に述べた

派生語である︒しかし︑﹁みち一﹂﹁1みち﹂の形の派生語は三

歌集を通じてこの一例であったので項目を合成語として︑この項に

加えた︒あるいは︑﹁道ゆきぶり﹂のぶりも単独用法を持たぬ点で︑

これも派生語とみなすべきかもしれぬが︑小稿はその分別が目的で

はないので特に問題にしない︒

㈲﹁一ち︵ぢ︶﹂の形の派生語

 この項目では三歌集を通して延べ語数計一四七語を得た︒異なり

語の広がりも︑この項目がもっとも幅がある︒接辞﹁ち︵ぢ︶にあ

       てる漢字は︑道・路・途などが用いられている︒テキストの用字を

中心に慣用に従って必らずしも統一せずに表示する︒又︑接辞に上

接する語が地名など固有名詞の場合は︑特に﹃万葉集﹄に用例が多

く︑特徴的な用例分布を示すので︑別表にして掲げる︒

ρO l a

万葉古今新古今万葉古今新古今

山路

16

2

12

下道

1

海︵つ︶路

7

大路

2

川路

2

長途

1

1

潮路

1

直道

1

1

波路天路

3

1

繁道あ ゆ年魚道11

雲路

3

下道

2

家道⁝

一⁝⁝〜〜〜毛毛〜〜〜毛一〜〜〜〜︑〜一⁝〜︸︑〜〜︑一〜 9別路

3

宮路

都路

市道

駅路

夢路

闇路 語   万葉  古今 新古今

4 1 1 1

4

  恋路

  幽き道

  罷り道

  通ひ路

2  行きかひ路 万葉

1 1

2  ㈲計

55

古今 新古今

    1

3 1

5 11

31

㈲1㈲

万葉古今新古今

万葉古今新古今

紀︵伊︶路

3

豊艶瀬道

1

竜田道奈良路12久米路︵み︶越路

3

︵思越路︶ 1 12

大和路

3

人間道

1

佐保道

2

相模道

1

難波道

1

信濃道

1

近江道

3

東道

2

5

若狭道

1

松浦道

1

丹波道

1

筑紫道

2

土佐道

1

巨勢道

2

早道︵山︶

3

三宅道

1

神路︵山︶

2

山背道志雄道11㈲計

39

1

10

大野道

1

㈲+㈲総計

94

12

41

(9)

9

 この項でも三歌集の語彙はほとんど重ならない︒㈲で三歌集共有

なのは﹁山道﹂一語だけである︒㈲では﹁越路﹂が﹁み越路﹂︐︵万

葉︶﹁思ひ越し﹂﹁越路﹂の懸詞︵古今︶も同語と考えて︑この一語

だけであを鰭︐その他︑二歌集の共通語彙は次のとおりである︒ 万葉と古今の共通語一直道㈲︑

 古今と新古今の共通語ーー夢路㈲︑通ひ路㈲︑

 万葉と新古今の共通語一長途㈲︑東道㈲︑

        六

 前項までに対象三歌集を比較しつつ︑﹁道﹂にかかわる語彙を検

討した︒当然ながら各歌集の総理数が大きく異なるため︑用例は単

純に素数で比較することはできない︒次に百分比に換算して出現率

その他を表皿に示す︒

今古新99792溺1胡   4

匠∂ 1  ﹂俵90ひ £U  1  9白4  1  4 1 り白112 2● OJ119.9田・2鋤  4.4141 3.31L 3

P0

今古11  4U36麗

U0

V。

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葉万鵬0963︐ 9自  .4   472 5324砿n37≠PS2 ︐ ハ00ゾ  ・3

11

i

 3・ Fσ霞﹂ 9白 2 14. O﹂ 00 3 8︒ OJり0  5 1

歌るわか00か刈に旦A数﹂率歌道現総﹁出語oooooo樋監置塾かか語法語に純三生﹂単複羊脂 比率飼

講︒・﹂刈一H一Dの㈹道率﹁比緻︒・1遡ひの﹂織上

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ABC DEFG HI JK LM NO PQ RS TU

 ﹁道﹂にかかわる歌の出現率︵C︶︑﹁道﹂にかかわる語の語構成にかかわる各々の比率︵E・F・G︶︑いずれも大異はないとみなしてよい数値であろう︒﹁道﹂をうたうこと︑﹁道﹂にかかわる語を使うこと︑いずれも︑﹃万葉集﹄﹃古今集﹄﹃新古今集﹄それぞれ時代を代表する歌集において量的には安定している︒        七 以上︑対象三歌集における﹁道﹂およびその合成語の用例を一覧      した︒この三歌集の﹁道のうた﹂の傾向と道に関する造語力の方向を考察してみたい︒ ﹁道のうた﹂の準歌数に対する比率はいずれも大差ない︒﹃万葉集﹄﹃新古今集﹄は完全に同率といってよく︑﹃古今集﹄がやや下廻       るが極端な差とはいえない︒当然ながら道にかかわる語彙に関してもその使用率に大きな差はない︒﹃古今集﹄において単純語の比率が高く﹃新古今回﹄において低い︒そのことは複合語・派生語において﹃新古今上﹄の比率が高いということにもなる︒﹃古今集﹄で

道は単純語として用いられ︑複合・派生すること少ない︒﹃古今亭﹄

では﹁道の一﹂﹁一の道﹂という形の連語の比率も低いので︑

こういう名詞形へは造語力が働いていないことがわかる︒単独の形

で修飾語を伴うか述語にかかるかの形で用いられる表現が多いとい

うことになる︒それに対して﹃万葉集﹄﹃新古言置﹄では名詞形へ

の造語の傾向が強いといえよう︒︐対象三歌集に語彙的な重なりが少ないことは各項で概観したとお

りである︒検討した範囲で三歌集に共通するのは︑枕詞を伴う﹁玉

容の道﹂﹁越路﹂﹁山路﹂の三語のみである︒﹁玉桿の道﹂﹁越路﹂に

(10)

ついては前項で言及した︒ここで﹁山路﹂について考察する︒

 ﹁山路﹂は﹃万葉﹄に一六例︑﹃古今﹄に二例︑﹃新古今﹄に一二      例を数え︑三歌集に共通にうたわれている殆んど唯一こ組質的な道       ハま りと考えてもいい︒三歌集の﹁山路のうた﹂にはどのような差違が︑

又共通点があるのだろうか︒

 ・草陰の荒藺の崎の笠島を見つつか君が山路越ゆらむ︵万一ニー

三一九二︶の歌に代表されるように﹃万葉集﹄の﹁山路﹂は一六例

中六例までが﹁君﹂﹁越ゆ﹂と共に用いられている︒︵万九−一六六

六︐一夕ー三一四九︐三一九三︐一五一三七二三︐一九−四二二五︶︒

﹁行く﹂﹁来﹂などの往来動詞に加えて︑﹁知らぬ﹂﹁迷ふ﹂をあげ

れば︑長歌二首︵万一−四五︐三−四六六︶を除く一四首までが同

様の発想でうたわれていることに気づく︒そこでは︑誰かが不案内

な難路を越えてゆく︑具体的な道中が詠まれるのであって︑山路に

立ちこめて更に人を行きなずませる霧︵万九−一六六六︐一ニー三

一九三︶︑霞︵万一ニー三一五〇︶雪︵万一i四五︐一〇⁝二三一五︶

が共にうたわれている︒

 ﹃古今集﹄の二首は一二ー五九七︵貫之︶一八一九五五︵物部吉

名︶の歌である

 ・わが恋は知らぬ山路にあらなくに迷ふ心ぞわびしかりける

 ・世の憂きめ見えぬ山路に入らむには思ふ人こそほだしなりけれ       二首ともに比喩的に用いられる﹁山路﹂であって歩かれてはいない︒

 この傾向は︑﹃新古今集﹄に至って更に強くなり︑同じく﹁知ら

ぬ山路にひとりまどふ﹂︵新八−八一四︶という表現が用いられて

も死出の山路を指すようになる︒次の西行の歌︵新九−八八七︶は

そのままの詞でうたう︒  ・さりともとなほ云ふことを頼むかな死出の山路を越えぬ別れは

﹁山路﹂は仏道と深く結びつき︑共に歌われるのは涙を象徴するが

如き露︵新一〇1九二四︐九四九︐一七−一六六二︐一六六四︶にか

わり︑﹃万葉﹄に多くみられた︑実際の山路で人を悩ますと思われ       る霧は一例もみない︒雪︵新一〇1九二八︐一七1=ハ六五︶白雲

(一Z1九五〇︶が見られるだけである︒墨黒の次の歌︵一七i一

六六二︶ ・いっかわれ苔の挟に露置きて知らぬ山路の月を見るべき         のように︑山路は来世へ向かって修行のために人が越えてゆくもの

に変質した︒        同じ山路という派生語を用いてうたっても右のような偏向が見ら

れる︒各歌集に特有の語彙はどのような傾向を示しているだろうか︒

 ﹁1の道﹂については︑﹃万葉﹄では︑海原・山辺・川瀬など

具体的な地勢を示す語に続く道︑すなわち道路そのものを指す傾向

が強いのに対して︑﹃古今﹄では用例そのものは少ないが人やりの

道・下の帯の道のような表現に工夫のある語がある︒﹃新古今﹄で

は抽象的な観念世界の道︑歌の道・恋の道や神君・釈教の巻を持つ      歌集にふさわしく法の道・極楽の道など︑宗教世界での道がうたわ

れている︒具体的な道路を指す時は︑夏野の草の道・去年のしをり

の道などの形があらわれる︒この傾向は﹁道の一﹂の場合も同じい︒

 ﹁道1﹂﹁1道﹂については﹃万葉﹄に圧倒的に多い︒﹃万葉﹄で

は山道など具体的な道路を示す例が多いが︑注目すべきは﹁道行き﹂

が更に複合・派生を起こし﹁1人﹂﹁1つと﹂などと造語されてい

ることである︒その他では﹃新古今﹄の﹁道芝﹂五例が目につく程

度である︒﹁道芝の露﹂︵八−七九四 慈円・一三−二八七 賀茂成

(11)

11

助︑=ニー二八八左大将朝光︑一八一一七八七 清特質︶という形

が四例までを占め︑残る一例は俊成女の﹁通ひ来し宿の道芝枯れ枯

れに跡なき霜のむすぼほれつつ﹂︵一四1=三二五︶で︑山路の項

       で見たど同じく﹃新古今﹄では道ははかないものの代名詞として露  や霜とともにうたわれている︒右の歌の作者は︑朝光を除き中世の

歌人であることにも注意しておきたい︒

 ﹁1ぢ﹂の形の派生語には上述の傾向が更に顕著に表われる︒﹃万

葉﹄においては︑異なり語数が圧倒的に多いが︑海・川・山などの

自然︑家・宮・駅など到着すべき目的地︑大路・繁路など道の様子︑

年魚道など通るもの︑避き道・罷り道などそれへの人間のかかわり

かたなど︑変化に富む上冷語に一路︵ぢ︶と下接して派生させ︑具

体的なかつ豊富な道をうたう︒この具体性は地名︵固有名詞︶を上

接する派生法において一層明確で︑﹃万葉﹄においては﹁地名十路﹂

の形の派生語が異なり語数二四︑延べ語数三九を数え︑一五.八%

に及ぶのに対し︑派生語自体の比率ではより高い﹃新古今﹄におい

ては﹁地名+路﹂の率は一〇.一%と低下する︒しかも異なり語数

わずかに四︑東路が用例の半ばを占めるという生産力のない実態を

示す︒代わりに夢路・闇路・恋路の如き観念世界を表現する語が造

語される︒具体的なものが上接する場合も雲路如き︑現実の道路と

はいい難いものである︒又︑通ひ路と具体性のある行動をあらわす

語を上接する場合も︑誰が通路︵一三一一四〇八業平︶︑波の通路

(一

l1=三三二雅経︑一九−一九〇八後鳥羽院︶夢の通路︵一四

一=二一五雅経︶︑宿の通路︵一ニー=二八前大納言忠良︶で具

       体的な道は業平の一首だけで︑ある︒忠良の宿の通路は具体的な道で

はあるが︑﹃伊勢物語﹄九六段に本歌を持つ歌であることを考えれ ば︑﹃新古今﹄においては通路も人が実際に通うのではなく︑人の       想いが通う観念の道であったといえる︒夢の通路・夢路という表現は﹃古今﹄以来のもので︑夢路は﹃古今﹄に四例︑通路三例のうち

一例は夢の通路︵一壷ー五四九繁之︶である︒他の二例はわが通ひ圃︵一挙ー六三二業平︶︑雲の通ひ路︵一七−八七二良琴宗貞︶で    ある︒道は﹃古今﹄を経て﹃新古今﹄に至り︑具体的に人の行きか

う道ではなく︑想念・理念の通路ととらえられるようになった︒       以上に考察した各歌集における道の造語力の傾向についてまとめ      てみる︒﹃万葉﹄の道は苦労して開きA地点からB地点へ人を通わ

すものである︒開墾の苦労・そこを往く人々の労苦と不安が印象さ      れ︑苦労と危険の多い山道がうたわれることが多く︑変化に富んだ       造語がなされている︒﹃古今﹄では道はうたわれること自体が少な   い︒道は人々の生活の中で既存の普通のものとして定着し歌の対象

となるだけの感動を誘わない如くである︒修飾語をとりこんで一語

化する造語の傾向が少ない︒﹃新古今﹄の場合︑具体的な道路とし

      てよりも抽象的な観念世界の道がうたわれ︑人の生きる道のはかな       さが︑複合語・派生語の生み出し方にもうかがえる︒道は具体性を

       失ない︑東道のような本来具体的な道も僻遠の地という観念の表現

になりおおせているようである︒

 右にみたとおり︑三歌集の﹁道のうた﹂にはそれぞれの時代性を       も反映しているかに見える特徴がうかがえた︒しかし道にかかわる

造語力の問題としては︑﹃万葉﹄以降︑語構成として新しい形のも         のは見られない︒道のような古い基礎語は︑語基として活力ある造      語力を持ち得ないもののようである︒道の造語力は﹃万葉﹄におい       て最大発揮され︑それは五道の存在そのものの文化的な衝撃力とも

(12)

相関するようである︒

2 1

O

3.       注 動詞連用形が名詞に上接し︑複合語の要素として語基になることは大半の動詞に共通し︑﹁建て物﹂のように現代語の中でも普通に用いられる︒この造語法自体が﹃万葉集﹄に独特という指摘をしているわけではない︒ 試みに﹃日本国語大辞典﹄︵小学館︶の﹁道﹂の項をみれば︑この二つの語義のそれぞれに六項目ずつ︑計一二項目の語義を分出している︒そのうちe16の初出例が﹃平家物語﹄⇔16の初出例が現代の用例であるほかは︑すべて上代・中古の用例が初出である︒ この﹁基礎語﹂という用語は︑この場合︑語彙論上の厳密な術語として用

いているものではない︒﹁日本語の中で古くから︑語形・意味の変化もなく

使い続けられてきた語で︑日本語の語彙の基礎的な部分に位置する語﹂とい

うような一般的な意味で用いる︒林四郎﹁語彙調査と基本語彙﹂︵﹃電子計算

機による国語研究職﹄国研報告39︶︵秀英出版︑一九七一年︶による分類︑

5 4 7 6

O

ω基礎語彙︑②基本語彙︑㈹基準語彙︑ω基調語彙︑㈲基幹語彙によれば︑⑤基幹語彙にもっとも近い概念である︒ 複合語・派生語を除き︑単純語﹁みち﹂の各作品における用例数を示せば次のとおりである︒作品の内容によって勿論出入りはあるが︑大むね︑作品の言語量に比例する用例数を示す数値と判断できる︒

蜻枕

8

 歌と左注に用例を見出す例は︑歌と題詞の例ほど多くはないが︑巻六一九

六六︑巻一五一三七七〇などを見出すことができる︒

 他には題詞のみに用例を見出すもの︑巻六一九六四︑巻一五一三七一八︐

三七二二︑巻一九−四一五九など︑又︑左注のみに用例を見出すもの︒三六

一九四九︑巻一六−三八六九など︒

 ﹁越路﹂︵万−一九−四二二〇︶の他に︑﹁み越路﹂︵万一五−三七七〇︑万

九−一七八六︶も含めて﹃万葉集﹄に三例︒﹃古今集﹄の一例は︑﹁君をのみ

思ひこしちの白山はいっかは雪の消ゆる時ある﹂︵返し︑宗岳大頼︑古一一

八−九七八︶で︑﹁宗岳大頼が越よりまうで来たりける時に雪の降りけるを

見て﹁おのが思ひはこの雪のごとくなむ積れる﹂と言ひける折によめる︑君

が思ひ雪と積らば頼まれず春よりのちはあらじと思へばしという躬恒の歌に

対する返歌である︒又︑﹃新古今時﹄の二例は共に﹁題知らず﹂の歌︒新九

i八五八︵伊勢︶︑新一〇1九一四︵御形宣旨︶といずれも平安歌人の歌で

あることに注目したい︒

 ﹁山路﹂の各歌集の用例を一括して示す︒﹃万葉集﹄一一四五︐ニー二〇八︐

二一二︐二一五︐三−四六六︐七1一二五〇︐九一一六六六︐一〇i二三一五︐一

二一三一四九︐三一五〇︐三一九二︐三一九三︐=ニー三三三八︐一四一三三五

六︐一五−三七二三︐一九一四二二五の計十六首︒﹃古今集﹄一ニー五九七︐一

八一九五五の計二首︒﹃新古今集﹄八−八一四︐九一八八七︐一〇一九二四︐九

二八︐九五〇︐九八二︐一四1=二一七︐一七−一六三二︐一六六二︐一六六四︐

一六六五の計十二首︒山の道に関しての歌いぶり自体の検討であれば︑山辺

(13)

の道・山道・深山の道なども合わせ考える必要があるが︑

語形が考察の対象である︒ 小稿は山路という

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参照

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