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経済史研究における定性的史料活用の可能性

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著者 日向 祥子

雑誌名 静岡大学経済研究

巻 15

号 4

ページ 31‑48

発行年 2011‑02‑28

出版者 静岡大学人文学部

URL http://doi.org/10.14945/00005734

(2)

論 説

経済史研究における定性的史料活用の可能性

1

日 向 祥 子

₁.問題の所在

 本稿は,経済史研究における定性的史料の活用につき,次の二点から論じるものである。第一に,

定性的史料を有効に活用するとはいかなることであるか。第二に,「定性的史料の活用」というこ とが,いかなる具体的操作を意味しうるか。第一の論点を第₂章,第二の論点を第₃章で,それぞ れ論じる。

 経済史研究を含む歴史研究は,研究者自身の歴史観(ないし一定程度長期的なパースペクティブ)

と個別実証成果との相互作用として進められる。一方では,前者が後者にかかる問題意識や評価の 在り方を規定し,他方では,後者が前者の基盤となり,あるいは・また,前者の漸進的修正を要求 していく。こうした両者の緊張関係は,それら双方の研究史上における位置を規定する。

 実践的にいえば,後者の実証研究2は,それぞれに完結したケーススタディーを積み重ねつつ,

一定範囲のそれらを統一的視角の下に再評価する不断の取り組みによって進められる3のが常であ ろう。このことを利用史料の観点から考えるとき,定性的史料の活用には固有の難しさが付随する ように思われる。ここで「固有の難しさ」というのは,定量的アプローチになじむ計数的な史料と 対比してのことである。

 計数的な史料は,データの集計方法さえ共通であれば,通時的にも・ケース横断的にも比較可能 であるから,個別の諸ケーススタディーを統合するうえで大変便宜といえる。換言すれば,生産高 や従業員数,利益額,資産額といった計数的史料は操作可能性が高く,長期的な趨勢の把握や構造

1 本稿は,平成21年度静岡大学人文学部若手研究者奨励費(被採択者名:河村祥子,採択課題名「組織管理ツール としての情報――明治後期三菱合資会社の事例――」)による研究成果の一部である。

2 本稿で論じる「実証研究」のイメージは,JohnGerring,Case Study Research; Principles and Practices, Cambridge UniversityPress,2007.を参考としたものである。同書は,社会科学分野一般におけるケーススタディーアプロ ーチの高まりを前提に,その方法論上の十分な合意が存在しないことを問題として,「ケーススタディー」なる ものの要件や諸概念規定,優れたケーススタディーに求められる手法などを提示したものである。

3 分析対象とするケースを選択する過程では,それが諸ケース全体のうちに占める相対的位置が考慮されねばなら ない(Gerring,case study research,pp.12-13.)。

(3)

変化の抽出,異ケース間の特徴導出に供することが容易なのである。

 これに対し文書史料に代表される定性的史料は,特定の文脈においてこそ固有の意味をもつがゆ えに,そうした背景から切り離して用いることが難しい。作成時期や作成主体の異なる定性的史料 は,例えば同一の語句が常に同義で用いられていることを必ずしも保証しないし,表面的に「関連し そうな事柄」を論じているように思われても,作成された各時点・各状況におけるそうした事柄が,

真に対応関係にあることを保証しない。定性的史料はまた,それがもつ情報の濃密さゆえに,通時 的にしろ・ケース横断的にしろ,比較に供するためには情報の希釈化(コード化)を不可避とする4 このため第一に,そこには一定程度,分析者の恣意が介在せざるをえず,反証可能性を意識した慎 重な分析姿勢が要求されるし,第二に,この希釈化=コード化プロセス自体が「情報の濃密さ」と いう定性的史料のメリットとの間にトレードオフの問題を惹き起す5。つまり,定性的史料は一般 に操作可能性が低く,他方でこの問題を克服しようとするならば,史料自体のポジティブな持ち味 を,いくぶんなりとも犠牲にせねばならない性格のものである。

 恐らくはこうした理由もあって,経済史・経営史研究における定性的史料の活用は,計数的史料 から引き出される仮説を支持する傍証として為されることが多いようである。このとき,仮説に都 合の良い文言を,文脈から遊離したかたちで抜粋する不誠実な姿勢が固く戒められることは言を俟 たない。従って,たとえ補助的であるにせよ定性的史料を用いる際には,厳しい史料批判と反証可 能性の担保が重要であり,そこには相応の労力が要求される。定性的史料を計数的史料による仮説 の吟味に用いるのであればこそ,仮説――それは単、 、 、 、 、なる仮説に過ぎない――の側に容易には引きず られない慎重さが求められるのである。

 しかしながら,定性的史料がこのようにし、 、か利用しえないもので、 、 、ないことは,人文学などの領域 における豊かな諸研究の存在からも明らかであろう。文書史料に依拠して様々な言質を積み重ね,

ひと筋の論理を導き出す6ことは,実際に可能である。経済学の理論的ツールを主要な基盤とする 経済史研究においても,定性的史料の「定性的な性格」をいかに豊かに・有効に活用するかという ことは,しばしば「生きる人間の体温」から乖離しがちな経済学の議論を「人間の側に引き戻す」

うえで,重要な問題であると思われる。本稿の拠って立つ問題意識はここにある。ここでは,定性

4 定性的な観察事象をコード化することで,定量的な変数として扱うことが可能になる(Gerring,case study research,p.68.)。つまり,ケース横断的な比較分析に適用可能な形式となる。

5 この点に関連して,ワイク(KarlE.Weick)は,社会行動に関する理論が「普遍・精確・簡潔」の₃要素すべ てを同時には追求できないことを,各要素を時計の文字盤上でそれぞれ「12時・₄時・₈時」の位置に見立てて 説明している(カール・E・ワイク著,遠田雄志訳『組織化の社会心理学(第₂版)』文眞堂,1997年,pp.46- 55。なお,ここに括弧付きで用いた訳語は遠田によるものである)。「精確」な記述に寄与しうる定性的な史料を,

「普遍」的な視角から評価する比較分析は,「簡潔」を追求しようとする限り,「精確」の点において妥協を余儀 なくさせるものである。

6 この場合には,主張の客観性如何が争点となりうるが,この問題を克服するために計数的史料が支柱を与えるこ とも少なくない。

(4)

的史料を,計数的史料の補助具として以上に,一層積極的に活用する可能性を探りたい。より具体 的には,定性的史料そ、 、 、 、れ自体を相互に比較可能な形式に変換し,その操作可能性を高める方法につ いて,試論的に提起したいと考えている。

 なお,本稿は専ら経済史研究を念頭に置くものであるため,「しりょう」の表記には「史料」の 語を充てている。

₂.定性的史料を有効に活用するということ

 前章で提起した定性的史料利用に付随する問題を改めて整理するならば,次のようになる。①史 料の操作可能性を高める努力が求められる。②他方で,史料の「定性的な性格」を可能な限り保持 するよう努めねばならない。③操作可能性向上の試みにあたっては,反証可能性の担保に意を尽く さねばならない。④固有の文脈から遊離した史料利用を慎重に避けねばならない。

 これらを前提とするとき,定性的史料の有効活用ということに関して,いくつかの条件を指摘し うる。直接的には,⑴史料の操作可能性を高めること,⑵史料の「定性的な性格」を可能なかぎり 保持すること,これら₂条件が与えられ,間接的には,⑶史料を包括的に利用することが重要な条 件となる。

 ⑴ 史料の操作可能性を高めること

 史料の操作可能性を高めること(既述の①に対応。以下同様)は,次の理由から重要である。第 一に,定性的史料がもつ情報の濃密さに論旨を埋没させないため7。第二に,通時的・ケース横断 的比較に供するため8

 但し,この取り組みにあたっては,情報のコード化に際して反証可能性の担保に留意せねばなら ない(③)。また,操作可能な要素によって分析の及ぶ範囲を,可能なかぎり広げる努力も重要であ る。ごく限られた範囲において比較可能な要素を列挙することは容易であるが,そこから引き出さ れる含意が一般性をもつことは期待しにくいからである。この問題は条件⑶と関連する。

 ⑵ 史料の「定性的な性格」を可能なかぎり保持すること

 史料の「定性的な性格(定性 - 性)」の保持(②)は,当該史料自体の価値を最大限享受すること と同義であり,⑴の条件を満たしつつ,これを一定程度達成することが望まれる。定性 - 性の保持 は,情報の解釈に際して文脈に固有の意義に配慮すること(④)と関連するから,情報のコード化

7 ワイク(遠田訳)のいう「精確」を期するあまり「簡潔」を損なわないため。本文注₅を参照。

8 ワイク(遠田訳)のいう「精確」を期するあまり「普遍」を損なわないため。本文注₅を参照。

(5)

手続きに一定の根拠を与え,反証可能性を担保すること(③)にも繋がるであろう。

 ⑶ 史料を包括的に利用すること

 ④の条件を満たすためには,すなわち,定性的史料の含意を,その文脈から遊離したかたちで抜 粋する失敗を犯さないためには,当該史料を,断片的にではなく,包括的に利用することが望まし いといえよう。包括的に用いてこそ,個別の情報を文脈に即して内在的に理解することが可能とな るからである。この姿勢はまた,史料の定性 - 性の保持(②)や,論者が自身の主張に対する反証 可能性を自ら積極的に担保する努力(③)をも同時に意味するであろう。

 ⑷ 「書かれていないこと」に注意すること

 最後に,定性的史料の利用に際し普遍的な重要性をもつ条件として,「書かれていないこと」に 注意すべきである点を付記する。社内規則や業務日誌,書簡,業界誌のような定性的史料に「書か れていないこと」は,論理的には,「存在しないこと」のみならず,「(存在するが)叙述者が認識 していないこと」,さらには「(存在もしており・叙述者が認識してもいるが)同時代的に当事者間 において当然のごとく共有されていること」でもありうる。「生きるために必須のものは何である か」と問われて「信頼」と答える者が「酸素」を必要としないわけではない。あまりにも当然のこ とは,しばしば敢えて記述されない。このことは,叙述者と分析者が異なるパラダイムの下にある とき,とりわけ注意すべき問題である。共時的にいえば,例えば北国で活動する叙述者の記録に「暖 房」の重要性が記されていないとしても,南国で活動する分析者は彼の直面する条件に敏感でなけ ればならない。通時的にいえば,ある一時点で「重要と判断されたこと」が記録に残る一方で,そ れが数年後においても「重要」であるか否か,当の叙述者には知られないことであるし,逆に「重 要でないと判断されたこと」・「意識にすら上っていなかったこと」に関しても同様である。

 これに関連して,「史料の叙述者当人にとって重要なこと」と「分析者にとって重要なこと」と を決して混同すべきでないことも言を俟たない。入魂の工芸品を作り上げることを至上目的とする 者に対して単位時間あたりの生産性が低いことを指摘し,あるいは,平等な分配を至上目的とする 者に対して競争を介したインセンティブの欠如を指摘し,それらの行動を「合理的でない」と評価 することは,控えめに言っても「暴論」である9。経済学の議論が「生きる人間の体温」から乖離 することを避けようとするならば,分析対象に向けられる眼差しは,多様性への理解を前提とした

「当事者の論理」に基づくものでなければならない。「書かれていないこと」には,しばしばこうし

9 もちろん,分析者が分析対象者と異なる問題意識をもつことは認められるべきであるし,そのことによって潜在 的な問題点が炙り出される可能性が大いにありうることを否定するものではない。しかしながら,両者が価値観 を共有しない状態で,あるいは少なくとも分析者が分析対象者の直面する条件を斟酌せぬままに提起される議論 は,単なる「実験室での含意」にすぎないような,非現実的なものとなりかねない危険性を有するであろう。

(6)

た「行動規範」のようなものが含まれる。

 以上の論点を模式的に示せば図₁のようになる。定性的史料の利用において,操作可能性の向上 と定性 - 性の保持とは,いずれも重視されるべき条件である。前者は論旨の明快さや比較可能性,

主張の一般性を与える基盤となり,後者は引用情報がもつ「文脈に固有の意義」との対応関係,反 証可能性を担保する基盤となる。両者の追求は本質的にトレードオフの関係にあるが,その反面,

上に列挙したメリットを同時に一定程度達成させるうえで補完的な関係にあるとも理解しうる。こ うした補完的な効果の発揮を支えるのが,第一に史料の包括的な利用であり,第二に(とりわけ操 作可能性の追求によって忘れられがちな)「書かれていないこと」への配慮である。

₃.定性的史料活用の具体的含意――史料「三菱合資会社『本社日誌』」を例として――

 前章における問題提起を踏まえ,本章では,実際の史料操作を通じて定性的史料の活用例を提起 する。すなわち,定性的史料の包括的なコード化を試み,それがどのような分析に供しうるか考察 してゆく。ここでは史料「三菱合資会社『本社日誌』」を用い,企業内コミュニケーションの構造 に接近する方法を考えていきたい。

(7)

 ⑴ 参考とした先行研究

 一般に企業の経営資源としてヒト・モノ・カネ・情報の重要性が指摘される。これらのうち情報 を積極的に扱うことに関しては,経営学研究の分野が先行しているようであり,安田・鳥山の論考10 は,その一例といえる。同論文は「我が国のコンサルティング企業A社の電子メールデータベース から,当該企業におけるコミュニケーションネットワークを抽出し,ハイパフォーマーの特徴的使 用言語及びネットワークにおける関係特性,そして管理職のメール行動と部門業績の関連を検討」11 したものである。論文の主題自体は独自の重要性をもつものであるが,そこで採用される分析手法 からは一般的な示唆が得られるであろう。

 安田・鳥山は,「業務用電子メールログに残る文章内容をテキストマイニング技術により絞り込 むことで,メールを規定する『局面』を特定し,その『局面』で成立するメール受発信者のネット ワーク構造を抽出」12した。彼らによれば「電子メールログは,組織における情報流通の量や構成 員間のコミュニケーションフローを把握するためには最適なデータ」13であり,「メールの受発信に より形成される組織構成員のネットワーク構造は,その組織及び構成員の業務遂行のありかたや企 業文化を理解させてくれる」14ものである。そこでは,①2005年のある₃ヶ月間におけるメール約 37万通からランダムに3.7万通あまり(10%)を抽出し,分析目的に即してデータをさらに絞り込 んだうえで,②そこに頻出する単語をピックアップし,③それぞれのキーワードが各職位間をいか に媒介しているか示す一方,④職位階層ごとに送信先の構成比を割り出して,コミュニケーション パターンの相違を検出し,⑤売上に関わる業績が高い層と低い層のそれぞれにつき,頻出単語や送 信先の比較を行う,といった作業が行われている。

 同論考には手法上の限界に関わる微妙な問題がいくつかあるが,そのうち主要なものを列挙する。

第一に,分析対象期間中における全メールの10%のみを分析対象とした根拠は,テキストマイニン グツールの性能に帰せられている。第二に,引用返信部分はデータマイニング上,重複というノイ ズになるため,文頭に引用符(>)があるものを機械的に除去する措置がとられたが,これにより,

コミュニケーションの文脈が不明になる問題15があったという。第三に,「局面」抽出に用いる単 語の選択によって,炙り出されるコミュニケーション構造が全く異なることが付言されている。い ずれも,データマイニングという手法の利点と引き換えに突き付けられる問題点といえよう。

 第一の問題点については,少なくとも分析の目的によっては全数調査を行うことが望ましい場合

10安田雪・鳥山正博「電子メールログからの企業内コミュニケーション構造の抽出」『組織科学』40巻₃号,2007 年₃月,pp.18-32頁。

11前掲安田・鳥山,p.18。

12前掲安田・鳥山,p.19。

13前掲安田・鳥山,p.20。

14本文注13に同じ。

15「以下の件,了解」などの場合,何に関するコミュニケーションか判明不能となる(前掲安田・鳥山,p.29)。

(8)

が大いにありうる16。第二の問題点は,前章に述べた「引用情報がもつ文脈に固有の意義」を損な うものである。第三の問題点に関しては,著者自身が「用語の選択には分析者の主観が排除できな いが,分析目的に鑑み,慎重かつ適正な選択が望まれる」と述べている17が,用語それ自体を分類 指標として機械的に用いるよりは,情報全体を通読したうえで,その性格を吟味して分類ラベルを 与える方法を用いたほうが,構造を見誤る危険を多少なりとも回避しやすいように思われる。

 ⑵ 史料「三菱合資会社『本社日誌』」

 三菱合資会社は,現在の三菱グループの源流上に位置付く企業である。同社は,その開業時点(1894

=明治27年₁月)において,前身たる三菱社から継承した炭坑・金属鉱山・造船所を営む多角経営 企業であった。それら事業単位を図₂に示す。

16そもそも情報に季節性がありうることを考えれば,₃ヶ月という範囲の絞り込みにも問題がありうる。

17前掲安田・鳥山,p.30。

(9)

 史料『本社日誌』は,同社開業から約₄ヶ月のち,1894年₄月17日に作成が決定された18一群の 本社業務日誌である19。本稿ではこのうち,最初の₁年分(1894年分20)を分析対象とする。

 同史料は業務日誌であるから,例えば「一月廿六日,下之関支店ヘ取扱石炭手数料壱屯ニ付金七 銭宛徴収ノ儀承引ノ旨申送ル21」というように,叙述的な体裁をもつ定性的な史料といえる。通常 の場合,他の史料に拠って接近しつつある不明な事項につき,時期の見当をつけて本史料を参照し 何らかの手掛かりを得るというのが,その主な使途であろう。すなわち史料の断片的利用である。

これに対し本稿では,前節にみた安田・鳥山の手法上の限界も踏まえ,本史料を包括的に分析する という観点から,次のような処理を試みた。

 ① 各記載事項につき,それが主体と客体を媒介するものとして主−客のラベリングを行う。

     後にみるように,『本社日誌』記載事項は,その殆ど全てが,本社−事業単位間,ある いは本社−社外プレイヤー間での,何らかの意味における「取引」である。従って,それ ら取引の提起者を「主」,その対象者を「客」として,記載内容を翻訳することが可能で ある22

 ② 各記載事項につき,その内容に即して数次のラベリングを行う。

     例えば本社が主となる取引は,対象者への「指示」・「送付」・「認許」・「照会」などに一 次分類可能である。さらに,例えば「指示」の内容は「手当支給」・「鉱物輸送・販売調整」・

「事業単位が締結する取引・契約」などに二次分類できる一方,例えば「認許」のうちにも

「事業単位が締結する取引・契約」と二次分類されるものが存在する。このように数次の ラベリングを施すことで,記載内容の抽象度に段階的な高低をもたせた数パターンのカテ ゴリー化23が可能となり,分析目的に応じた情報フィルタリング方法のバリエーションが 広がって24,史料の操作可能性が高まる。

 なお,上記の処理を施すにあたっては,以下のような指針に依拠した。

18『庶務室日誌』明治27年中(三菱史料館所蔵番号MA-2243),107-108丁。但し同史料は1894(明治27)年元日に 遡って記述されているほか,同社設立関係の記事については前年12月から収録されている。

19財団法人三菱経済研究所付属三菱史料館において『本社日誌』・『庶務日誌』などの名称で1908(明治41)年分ま で保存されている。

20前掲『庶務室日誌』明治27年中(MA-2243)。以下,同史料名を単に『庶務室日誌』とよぶ。

21前掲『庶務室日誌』,54丁。

22上述の₁月26日記事の例でいえば,「承引ノ旨申送ル」主体は本社,その対象は下関支店であるから,「主=本社

/客=下関支店」ということになる。

23史料を概括的に把握する場合には低次のラベル,より具体的な内容へと踏み込む場合には高次のラベルによって データをフィルタリングすることになる。

24一次ラベルでフィルタリングすることも,二次ラベルでフィルタリングすることも,潜在的には可能となる。

(10)

 ① 他所(各事業単位ないし社外)からの受信と,それに対する本社の返信ないし対応が一文で 記録されている場合,両者をそれぞれ独立の通信と看做す25

 ② 記事中に「…送越ニ對シ…」・「返送26」などのように,当該記事が他所へのリアクションで あることを明確に窺わせる語が含、 、 、 、 、まれないときには,仮に他所からの事前の通信が強く類推 される場合27であっても,本社から相手への一方通行の通信として処理する。

 ③ 一文中に,同一ペア間における複数の取引内容が記載されている場合,それぞれ独立の通信 として処理する。複数の書類を送付するような場合も,書類点数分の複数取引として28カウ ントする。但し物品については,明らかにセットとなるべき付属品29あるいはパッケージと なるべきもの30はひと纏めとして扱う。

 ④ 複数対象への一斉送信は,それぞれ独立の通信として処理する。

 ⑤ 事業単位Aが事業単位B−本社間を仲介している(B−A−本社という関係が生じている)

場合31,A−B間の通信を問題とせず,またB−本社間の通信は存在しないものとして,A

−本社間の通信のみカウントする。

 以上の指針に拠り1894年『本社日誌』記載情報を処理した結果,総数1,631件中1,587件(97%)

の取引につき主−客ペアを特定した。主−客ペアを特定できなかった44件の記事を表₁に示す。

 このなかでも,網掛けの記事は複数対象の存在が示唆され,従って,この分だけ上記の取引総数 が過少となっている点には注意が必要である。

 主−客ペアを特定しえた1,587件の取引は,本社ないし社長を発信源(主)とするもの1,194件,本

25例えば上述の₁月26日記事の例は,体裁上は本社から下関支店への働きかけを叙述したものとなっているが,「承 引」という語の存在により,「下関支店からの伺出」と「本社の認許」とが一文に纏められたものとして理解で きるから,この₁記事は「下関支店[伺出]本社」と「本社[認許]下関支店」の₂件の通信として分割処理する。

26単なる「送付」との記述は,それが他所へのリアクションであることを保証しないと看做す。

27例えば,₅月29日に「大坂支店ヘ左之委任状ヲ送附ス,神戸地所賣買委任状,訂正之廉ヘ捺印之分」という記事 がある(前掲『庶務室日誌』,130丁,下線引用者)一方,₆月22日には「大坂支店ヨリ送附相成タル中ノ島地處 登記委任状弐通訂正ノ廉ヘ調印之上仝店ヘ向送附ス」との記事がある(同144丁,下線引用者)。いずれも訂正押 印とあるが,前者は大阪支店からの事前送付に言及が無く,また「返付」などの表現も用いられていない。この ため,前者は「本社[送付]大阪支店」の₁件限りの取引として,後者は「大阪支店[送付]本社」と「本社[送 付]大阪支店」との₂件の取引として,それぞれ処理した。

28₄月11日「尾去沢ヘ地所建物譲渡証謄本,委任状等ヲ送ル」という取引があるが(前掲『庶務室日誌』,104丁),

「委任状等」がいかなる他の書類を含むか判断できないため,この場合は「等」を無視し,[送付]₂件(謄本,委 任状)として処理した。

29例えば,₄月11日「硫化鉱鎔解法ニ関スルオースチン氏専賣特許要求書同附属圖面,竝ニ同法研究ニ関シ堀田連 太郎氏報告書ヲ吉岡,槙峯及尾去沢ニ送ル」(前掲『庶務室日誌』,104-105丁)について,専売特許要求書と付 属図面はセットと看做した。

30例えば,₄月16日「昨日向嶋小梅ニ火災アリ朝田代理店手代柴田正直氏類焼ニ付石炭賣店ヨリ見舞トシテ左記ノ 品ヲ贈ル,一.糸織一反 代七円五拾五銭也,一.花色絹壱反 代参円五拾四銭也,計金拾壱円〇九銭也」(前掲

『庶務室日誌』,107丁)は₁セットの贈与品と看做した。

31例えば₇月18日「長崎支店ヲ經テ申出左ノ件ヲ認許ス,新入炭坑伺第四十一号従来ノ嘱託医辞任ニ付更ニ月手當 金貳拾円ヲ以テ田中方正ニ後任嘱託之件」(前掲『庶務室日誌』,156-157丁)は,新入炭坑がその伺出事項を長 崎支店に伝え,同支店が本社へ代理伺出をしたものであるが,このような場合には長崎支店−本社間の取引とし て処理する。

(11)

社を受信対象(客)とするもの393件に分かれた。紙幅の都合上,本稿では本社ないし社長を発信 源(主)とする取引(1,194/1,587=75%)を対象として,データ処理の可能性を検討する。

(12)

 ⑶ 本社(社長)からのアクション――その量的側面――

 本社ないし社長を発信源(主)とする取引,すなわち本社(社長)からのアクション1,194件に ついて,まずはその対象ごとにアクション件数をカウントした。この結果を表₂に一覧表示する。

(13)

 当然のことながら各事業単位宛のアクションが圧倒的な比重(1,053件・88%)を占めているが,

そのなかでも長崎支店・新潟事務所・大阪支店が中心的地位にあることが知られる。総じてみれば,

①支店・事務所タイプの事業単位が,鉱山・炭坑・造船所といった事業単位に比し,②鉱山が炭坑 に比し,それぞれ本社発のアクションをより多く受けていると判断できそうである。このことは,

1894年当時の三菱合資会社における事業単位管理の構造を示すものとして理解でき,従って,別の 年を分析対象とした場合に異なる特徴が検出されれば,その間に事業単位の管理方法が(意図的に せよ・結果的にせよ)変化したと評価できることになる。これも史料の包括的利用による潜在的な メリットといえよう。

 社内に向けられるアクションのうち,個人を対象とするものはごく少ない。なかでも山脇₂件・

寺西₂件・徳弘₂件・荘田₁件(計₇件)は,彼らが個人名義で他社の株主となることに関わるも のである。当時の三菱合資会社では,重役が他社の株主あるいは重役となることが,同社の重役と しての地位に規定されたものと捉えられ,配当収入や報酬,それに付随する所得税も,同社に帰属 するものとして扱われていた。

 代理店はいずれも石炭販売を担うものである。当時,同社内の石炭販売機関としては長崎支店・

下関支店・若松支店・東京売炭店が存在したが,横浜や神戸のほか,函館や海外での石炭販売は,

社外代理店に委託されていた。同社はこの後,神戸(1895年)・漢口(1902年)・上海(1906年)・

香港(1906年)などのように支店・出張所を漸次開設していくから,直売体制の充実に伴って,当 カテゴリーのアクションにも変化が生じるであろう。

 次節では,本社(社長)発のアクションにおいて圧倒的な比重を占める事業単位宛のアクション

(1,053件)につき,その内容に踏み込んで,本社と事業単位との間に存在し・かつそれを記録する ことが有意と判断されたコミュニケーションの構造を描出していく。

 ⑷ 本社(社長)からのアクション――その内容――

 本社(社長)から各事業単位へ向けられた1,053件のアクションに対して「指示」・「認否回答」・

「照会」・「報告」・「送付」・「送金」・「譴責」という₇タイプの一次分類を施し,それらカテゴリー ごとに二次分類を行った。これを表₃に示す。なお,表₃最下段の「総計(A)」行は,表₂の各 事業単位宛アクション件数に一致している。

 紙幅の都合上,詳細な注釈を付しての分析は他日を期すものとせざるをえないが,例えば「送付」

中「₁月中の各地売炭表」などは,「書かれていないこと」への注意を要する代表的なものである。

これは₄月₉日付で「九州支店及各炭坑ヘ一月中各地賣炭表ヲ送ル」32とされた記載事項であるが,

32前掲『庶務室日誌』,101丁。

(14)

このようなデータが各事業単位の営業成績を確定させるうえで重要な情報であることを踏まえれば,

翌月以降も同様のデータがそれら事業単位へ送付されたことが類推される。実際の分析にあたって は,このようなケースの処理方法や,そうした処理の説明責任に関して,分析者自身が十分な配慮 を尽くさねばならない。

(15)

 表₃に示した各カテゴリーのうち,「送付」・「指示」・「認否回答33」が合計982件と,全体の93%

を占めているのであるが,これら₃カテゴリーのアクションを宛先別に図示すれば,図₃のように なる。

33「認否回答」175件中,不認許は₃件と,例外的なアクションであった。事業単位の側で構想し・本社へ伺いを立 てる案件に関して,一方では,本社は原則了承し,他方では,それにも拘わらず,それら案件が事業単位側の専 横事項ではなかった,ということが示唆される。これは通時的な視角を盛り込んだ場合,権限委譲の進展という トピックに関わる問題であり,「認否回答」の対象となるテーマの定性的推移も含め,非常に興味深い材料を提 供するものである。

(16)

 支店・事務所タイプの事業単位が本社発のアクションをより多く受けていることは既述の通りで あるが,そのなかでも「指示」は相対的に均整のとれた形状を示すのに対し,「認否回答」・「送付」

は事業単位ごとの差異が非常に大きい。「送付」分布に偏りが大きいことは,支店・事務所タイプ の事業単位が,その業務内容において大きな非−均質性を内包していること34を示唆している。「認 否回答」については,それが「回答」であるということから,本社に対し「提案型」の関わりをも つ事業単位に多く現れるはずである。「指示」の授受という一方的な関係ではなく,現場の判断を 積極的に本社へ伝達し・「回答」を得るという双方向的な関係が,そこには形成されている。この 意味で,1894年時点における長崎支店の地位は,組織管理の文脈上で際立っているといえる。仮に 同社がよりフラットな組織へと変質していけば,「認否回答」の分布には事業単位ごとの差が小さ くなっていくであろう。あるいは,より分権的な組織へと変質が進めば,①本社が最終的な判断の 権限を保持しようとする場合には「指示」のグラフより「認否回答」のグラフのほうが一層大きく,

②本社が事業単位に対して判断を一任する領域が広がる場合には「認否回答」のグラフがより小さ

34この点については,日向祥子「明治後期三菱合資会社における阪神支店の機能実態」(財団法人三菱経済研究所

『三菱史料館論集』第11号,2010年₃月)を参照のこと。

(17)

く,それぞれ変化していくことが想定される。②のように「認否回答」のグラフが小さくなってい くという現象それだけでは,①とは逆に集権化が進んだと判断される可能性も存するので,「認否 回答」に一次分類される項目の内容(二次ラベルの数および内容)に立ち返って評価を行うことが 求められる。いずれにせよ,本史料を包括的に用いることにより,通時的な分析に供するメリット は非常に大きなものとなる。

 いま,長崎支店が本社に対し「提案型」の関わりをもっていたこと,それが1894年時点の三菱合 資会社における同支店の卓越した地位を示唆していることを指摘したが,この点につき,やや立ち 入った言及をしておこう。

 本社が長崎支店に対して行った「認否回答」のなかには,他の事業単位からの伺出事項を長崎支 店が集約したものに対するリアクションが多く含まれている。すなわち,事業単位Xから長崎支店 を介して本社へ寄せられる伺出事項に対し,本社が長崎支店を介して回答を為すものが多く存する のである。これを「指示」や「送付」と対照のうえ,表₄に示す。

 同表の「合計(=名目値)」行は,表₃中「長崎支店」列の各カテゴリー合計値に一致している。

すなわち,長崎支店宛とされたアクションの,カテゴリーごとの総数を表している。

 「指示35」および「送付」が,原則として対象となる各事業単位へ直接宛てられるアクションで あったのに対し,「認否回答」のなかには,九州所在の諸事業単位に対するアクションを長崎支店

35表₄には新入炭坑・鯰田炭坑に対し長崎支店を介して為された「指示」各₁件が示されているが,これは,各炭 坑から同支店を経て提起された伺出に対し,単純な認否回答を超えた指示が与えられたものである。従って,こ れらも「認否回答」と類似の性格を有するといえる。

(18)

が媒介したものが多く含まれていたことが知られる36。その内容は表₅の通りである。

 紙幅の都合上,詳述を避けるが,長崎支店を媒、 、 、 、 、介せずにこれら事業単位へ直接宛てられた「認否 回答」(表₄中の「参考」列に相当)21件のうち,11件は11月₁日以降に為されたものである。九 州所在の各支店・炭坑は同日を以て本社直属とされた37のであるが,その結果,従来長崎支店に媒 介されていた表₅のような事項が本社との間で直接処理されるようになったのである38。要するに,

直感的にも容易に推察できることではあるが,本社の事業単位に対する管理ルール如何によって,

本社−事業単位間の情報フローの在り方は変化し,それは『庶務室日誌』の記載に端的に反映され ることとなる。逆に『庶務室日誌』の記載事項を追跡することで,社内管理様式の変化を追跡する ことが可能なのである。

36ちなみに,この年の記載内容に関するかぎり,他の支店や事業単位がこうした中継・媒介機能を有した事例は存 在しない。

37前掲『庶務室日誌』224-225丁。

38同年10月末までに為された残余10件のうち₈件は,ルーティンに属さない事項または各事業単位独自の管掌事項 に属するものであった。あとの₂件は「人事・労務管理関係事項」・「設備投資」であるため,日誌記載時に長崎 支店宛の返信と記述すべきところに遺漏が生じたものと理解しうる。

(19)

₄.おわりに

 ここまで,経済史研究における定性的史料の有効な活用方法につき,史料「三菱合資会社『本社 日誌』」を素材として試論的な提起を行ってきた。紙幅の都合により,データベースの具体的な利 用方法を詳細に論じることは叶わなかったが,表₃に示したラベル名称は,その活用方法を,ある 程度まで示唆するものであろう。また,本稿で示すことのできなかった本社宛アクションは,取引 先からの代金領収(石炭代金,銅代金,船舶修繕代金)や,各事業単位から本社への伺出事項39 どを示すものとなっており,もちろんこれらの通時的な推移を追跡することも可能である。定性的 史料を,その内容の濃密さに溺れることなく操作可能な型に変換し・包括的に利用することが実際 に可能であることを,ここに示しえたと考える。

 本稿で示した方法は,安田・鳥山が依拠したテキストマイニングの手法以上に「労働集約的」な ものであるが,集権−分権という問題を例に挙げても,それを組織図のみに依拠して「判断する」

ことに比し,実質的重要性という面で遥かに上回る含意を提供するものでもある。異なる時点につ いて同様の作業を行うことにより,構造変化を抽出することも可能であろう。この点については,

筆者自身の今後の課題としたい。

39こうした伺出事項は,事業単位側から具体的な内容を示してその実行可否を問うもの(伺出[可否]型)と,事 業単位側が本社の指示を仰ぐもの(伺出[如何]型)とに分かれる。前者は主たる判断を事業単位側が行って,

その妥当性を本社に問うものであるのに対し,後者は判断自体を本社に委ねるものであるから,両者の比重はル ーティンと非−ルーティンの境界,ひいては本社−事業単位間の権限境界を示唆するものと解釈することも可能 であろう。

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