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戦後 日本資本主義の歩みと転機

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(1)

経営 と経済

8 4

巻 第

4

2 0 05

3 月

《研究 ノー ト》

戦後 日本資本主義の歩みと転機

1 3 9

立 山 柵 彦

Abst ract

Af t e rWo r l dWa r Ⅱ ,J a pa ne s ec a pi t a l i s mpur s ue dt hec o ur s eo fhe a v y a ndc he mi c a li ndus t r i e sunde rado ubl ebi nd,t ha ti st os a ya c c o mpl i s h一 me nto far o l eunde rt heAme r i c a nCo l dWa rSys t e m a ndc o nq ue s to f ba c kwa r dc ha r ac ht e r i s t i c so fJ a pa ne s epr e wa rc a pi t a l i s m c e nt e r i ngo n l i ghti ndus t r i e s ,t husc r e a t i ngpr e c o ndi t i o nso fhi gl rgr o wt hec o no my.

J a pa ne s ec a pi t a l i s m pa s s e dt hr o ughhi gh‑ gr o wt he c o no myt wi c e,a nd e s t a bl i s he dt hes e c t i o npr oduc i ngme a nso fpr oduc t i o na ndo nepr o duc ‑ i ngc ons ume rgoodswhi c hi nc l ude ddur a bl ec ons ume rones ,t hus ac hi e vi ngo ve r whe l mi ngi nt e r na t i ona lc o mpe t i vepo we r .Ho we ve r

,

J a pa ne s ec a pi t a l i s m ha ds t r u c t ur a ll i mi t a t i o nsna me l yt ha ti tc o ul dno t butbede pe nde nto no ut s i dema r ke t s ,ma i nl yt heUSA,O ngo ve r nme nt s pe ndi ngs uc ha spubl i cwo r kspr o j e c t se t c. , a ndo npl a nta nde qul pme nt i nve s t me nto fpr i va t ee nt e r pr l S e SO nt hede ma nds i de,whi l ei te s t a b‑

l i s he dar e pr o duc t i o ns t r uc t ur e.

Thec ondi t i onss uppor t i ngJ a pane s epos t wa rc api t a l i s m gr e a t l y c ha nge dduet oma nypr e s s ur e spl a c e do nJ a pa nbyt heUSAi nt hel a s t pr o c e s so fbr e a ki ngupo ft heAme r i c a nCo l dWa rSys t e m a f t e rt he

̀ ̀ pl a z aAgr e e me nt "t ha tc a mei nt obe i ngi n1 9 8 5unde rc i r c ums t a nc e s

o ft hee c o no mi cde c l i neo ft heUSA. TheJ a pa ne s ee c o no myunde r we nt

t he" bubbl e"gr o wt hpe r i o da f t e rt hehi gh‑ ye nr e pr e s s i o na ndt hec o l ‑

l a ps e,a ndt he nf a l li nt ot hel o nga ndgr e a tde pr e s s i o n, J a pa ne s ec a pi t a l ‑

i s m e nt e r e dac r i t i c a lpha s e.Ont hepr od uc t i o na nde mpl o yme nts i de

,

bi gbus i ne s s e sha vebe e nmul t i na t i o na l i s i ngt hr o ught r a ns f e r i ngma ny

pr o duc t i o nba s e st oo ve r s e a sc o unt r i e si na sEas tAs i aa nds oon,whi l e

me di um a nds ma l lbus i ne s s e sha vebe e nde c l i ni ng,a ndi ndus t r i e sa nd

(2)

e mpl o yme ntha sbee nho l l o wl ngO uti nt hec o unt r y,

Atpr e s e nti ti ss a i dt ha tt heJ a pa ne s ee c o no myi si nt he" bus i ne s s I I

r e c o ve r y pe r i o d.Thi si st meo fbi gbus i ne s s e sc e nt e r i ngo no ne smul ‑ t i na t i o na l i s i ng.Ho we ve r ,t her e a ls t a t eo fa f f a i r si st ha tt hef o r me ri s po l a r i s e dwi t hme di uma nds ma l lbus i ne s s e s/r e gi o ns/ge ne r a lpe o pl e /wo r ke r si nas e ve r es i t ua t i o n.

Thi spa pe ri sapr e pa r a t o r ys t ud yno t ef o ri nq ul r l ngi nt ot hes t r uc t ur e a ndmo ve me nto ft hepr e s e nts t a geo fJ a pa ne s ec a pi t a l i s m c o nf r o nt e d wi t hat ur ni ngpo i ntwhi l ee xa mi ni ngt hec o ur s eo fJ a pa ne s epo s t wa r c a pi t a l i s m.

Keywords:

・ br e a ki ngupo ft heAme r i c a nCo l dWa rSys t e m

・ ma nypr e s s ur e spl a c e do nJ a pa nbyt heUSAs i nc e" t hePl a z aAgr e e ・ me nt "

・ al o nga ndgr e a tde pr e s s i o n

・ mul t i na t i na l i s i ngo fbi gbus i ne s s e sa ndho l l o wi ngo uto fi ndus t r i e s/

e mpl o yme nt

Ⅰ は じ め に

第二次大戦後, 日本資本主義は,米国の冷戦体制下 における役割の遂行 と 軽工業中心の戦前 日本資本主義の後進性の克服 とい う二重の要請か ら重化学 工業化の道を歩み,高度成長の前提条件を創出した。 日本資本主義は,二度 の高度経済成長 を経て,生産手段生産部門 とともに,耐久消費財をも含む消 費財生産部門を確立 し,圧倒的な国際競争力を持つに至 った。 しかし, 日本 資本主義は,新たな再生産構造 を確立 しつつも,需要面では米国を中心 とす る対外市場,財政支出に よる公共事業な ど,そ して民間企業の設備投資に大 き く依存せざるをえない とい う構造的制約を有 していた。米国の経済的衰退 の下

,1 9 8 5

年のプラザ合意後,冷戦体制解体の最終過程 において,米国によ る数多の対 日圧力を受け,戦後 日本資本主義経済を支 え続けて きた諸条件が

(3)

戦後 日本資本主義の歩み と転機 1 41

大 き く変化することとなった。 日本経済は,円高不況後のバブル経済 とその 崩壊を経て

,9 0

年代以降長期大不況 に陥 り (この間 も小循環の景気回復 ・不 況の波 はある),与党 ・政府の経済 ・財政政策な どの誤 りもあ り,混沌 とし た状況 に陥 った。生産 ・雇用面では,生産拠点の東アジアな どへの移動 によ り,大企業の多国籍化の進展は著 し く,一方中小企業 ・地域は衰退 し,産業 ・ 雇用の 「空洞化」が生 じて きた。危機的局面 に置 かれた戦後 日本資本主義は, 転機 を迎 えている。今 日, 日本経済 は 「景気回復期」にあると言われている が,それは多国籍化 された企業 を中心 とする大企業 についてであ り,実態は 厳 しい状況 に置かれている中小企業 ・地域,一般 国民 ・労働者 との二極分化 である。

この小論 は,戦後 日本資本主義の歩みを踏 まえつつ,転機 を迎 えている日 本資本主義の現段階の構造 と動態を把握するための準備的な研究 ノー トであ

る。 この研究 ノー トは,井村喜代子氏 ・二瓶敏氏 ・増 田毒氏お よびその他の 諸氏の著書 ・論文 に依拠 している。 ここでは個 々のデータを提示 しない場合 も少な くないが,行論の展開に当た っては,各 々の著書 ・論文 で使用 されて いるデータを前提 としている。 この小論は,第

〜Ⅸ節では主 として戦後 か

1 9 9 0

年代 までを主たる考察の対象 としている。「景気回復の二極分化 感なき景気回復」の下,今 日において も日本経済の長期的 ・構造的な停滞基 調は続 いている。上記の中小企業 ・地域や一般国民 ・労働者の経済実態を前 提 とすれば,基本的には長期不況を完全に脱却で きていない状況にある と考 え られる。第 Ⅹ節むすぴでは, こうした観点か ら近年の 「景気回復」の実態 にも簡単に触れる。(1)

戦後冷戦体制の構築

第二次大戦後,社会主義世界体制の成立,多 くの発展途上国の政治的独立 による植民地体制の崩壊,さらには先進資本主義諸国をも含め,戦争の惨害

(4)

と経済的破局による国民の不満の爆発 に基づ く労働運動や反体制運動の台頭 という体制的危機の下,資本主義体制 と社会主義体制 との対抗が主要矛盾 と なった。超大国米国が,資本主義体制の盟主 として,その他の先進資本主義 諸国を糾合するとともに,発展途上諸国を傘下に組入れ,ソ連を中心 とする 社会主義体制に対崎する,冷戦構造が形成された。米国を主柱 とする戦後冷 戦体制は,政治 ・軍事的対立を意味するのみな らず,政治 ・軍事的要因に規 定された資本主義経済の世界的再編を包含 してお り,戦後資本主義経済に と

り単なる外的要因に とどまらず,経済内部にビル トインされ,経済構造を内 側から作替えるもの として機能 した。(2)

第二次大戦後の冷戦体制下における世界 レベルでの資本主義経済再編の待 徴は,長期的には大まかに以下の(1

)〜 ( 4)

にあると考 えられる(3) :

(1) ドル横軸の

IM F

体制下で,圧倒的軍事力 ・経済力を有す米国を主軸 とし (世界の公的金保有額の

7 3 %

,資本主義世界の鉱工業生産の

5 3 %

,鉄鋼 生産の

5 4 %

を占めた(4)),米国の財政支出 とドルの国際的散布 (米国の対外 軍事支出,軍事 ・経済援助)を原動力 として,グローバルな政治 ・軍事イン フレ的蓄積が展開された。 これにより実現された長期の経済成長 と雇用 ・賃 金 ・生活の保障が,先進諸国労働運動の体制内封 じ込め,冷戦体制内部の階 級対抗の沈静化の主要国であった。

他方,長年の政治 ・軍事 インフレ的蓄積は,過剰生産能力を累積 させ,そ の後の長期不況 と国際競争の激化を準備するとともに, ドル減価 ・ドル危機 を通 じて

1 9 71

年の金 ・ドル交換停止 (戦後

IMF

体制崩壊)とインフレ昂進, な らびに国際的な過剰貨幣資本の累積 と投機的金融活動の跳梁を準備 した。

その後のカジノ資本主義 ・マネーゲームの展開の前提条件が創出されていっ

た 。

( 2 )

冷戦体制中心国の米国では,在来重化学工業の基礎上に巨大規模の軍 事先端産業 (核 ・ミサイル ・エレク トロニクス関連)が創出され,再生産構 造の機軸 となった。 この先端産業の育成は膨大な軍事的支出をもた らし,こ

(5)

戦後 日本資本主義の歩 み と転機 1 43

の負担が米国経済の地盤沈下 と冷戦体制解体推進の主要因の一つ となった。

( 3 )

第二次大戦で大打撃を受けた欧 ・日は冷戦体制下で高蓄積を展開 し, とくに西独 ・日本は,高テンポの成長 と新鋭技術の導入により米国の在来重 化学工業に脅威を与 えた。 この不均等発展は,米国の経済的衰退 と冷戦体制 解体の促進要因 となった。

( 4 )

冷戦体制下で,米国 ・他の資本主義国か ら第三世界, とくに冷戦対抗 の前線である東アジア諸国に対 して経済 ・軍事援助が注入された。米国の要 請下, 日本はこの地域の経済開発の拠点 として東アジア諸国に対 して多大な 経済 ・技術援助を行 った。アジア

N IES や ASEAN

の経済的発展がもた らされるが,その発展構造には,国際資金の流れな ど大 きな問題があったこ とが,後の通貨金融危機および これに伴 う経済危機の発生によって明 らか と なった。

以下では,以上の第二次大戦後の米国を中心 とする冷戦体制下における世 界 レベルの長期的な資本主義経済再編の特質を踏 まえつつ,まず 日本におけ

る高度成長 と重化学工業確立の問題を取上げる。

1

期高度成長 と重化学工業の確立

日本資本主義は,敗戦によって壊滅的な打撃を被 った後, 日本をアジアに おける冷戦体制構築の拠点 と位置づける米国の戦略に規定され,戦前の軽工 業基軸の構成か ら新鋭技術を装備 した重化学工業を基軸 とする新たな再生産 構造を創出 した。(5)日本政府は,米国のアジア戦略 ・対 日政策 に対応すると

ともに,これを最大限に利用 しつつ,すべてに優先 して重要産業の育成,国 際競争力の強化を図るためきわめて強力な国家政策を遂行 していった0(6)

1

朝鮮戦争後の 「合理化投資」

高度経済成長のメカニズムの問題 を論 じる前に,その前提条件を構築 した

(6)

朝鮮戦争ブーム後の,電力 ・鉄鋼業 ・造船海運業な どの重点産業を中心に実 現 された,戦後初めての本格的な生産技術改良のための設備投資である 「 理化投資」について簡単に見ておきたい。なお,「合理化投資

以前に,復 興金融金庫による重要産業への巨額な資金供給,重要産業に対する補給金支 袷,米国の対 日援助を柱 とする 「経済復興政策」が実施された。(

7 ) 1 9 4 9

8

2 9

日のソ連の原爆実験の成功,同年

1 0

1

日の中華人民共和国の成立

,5 0

6

2 5

日の朝鮮戦争勃発により,米国に とっての 日本の重要性は格段 と高

まった.朝鮮戦争ブームは, 日本資本主義経済の復興の足掛か り,経済発展 の跳躍台 となったが,一方 日本経済の脆弱さ,生産技術の著 しい遅れを明る みに出した。 これは,米国および 日本政府 ・財界に対 して, 日本産業強化の 必要性を強 く認識 させた。朝鮮戦争ブームで獲得 した外貨 と企業利潤を基に 重化学工業の近代化 ・合理化が総力をあげて遂行 された。前記の重点産業で は,主に外国の設備 ・技術の導入によって 「合理化投資」が行われた。重点 産業以外では,石油精製業が 日本をアジアの拠点 とする米国の戦略 と国際石 油資本の進 出 とに よって新 たな発展 を始 めた こ とが注 目され る

。49

年 ,

GHQ

の措置により外国石油資本は 日本企業 と技術提携 ・委託精製提携 ・委 託販売提携の形で進出し,外資法制定後 には資本提携に進み,ほ とんどの場 合は,原油供給 ・技術援助 と引換えに外資が

5 0 %

以上の株式を取得 し,経営 参加 した。

また, この時期,以下の ように,重化学工業の生産力発展 ・資本蓄積推進 のための国内経済政策の体系的整備が行われた。長期設備資金の供給体制 と

しては,米国の対 日援助見返資金に加え(8), 日本開発銀行 ・日本輸出入銀行 が設立 され,財政投融資機構が登場するとともに,民間関係では 日本長期信 用銀行の設立 と日本興業銀行の再編成が行われた。 この他,資本蓄積促進の ための多 くの租税特別措置が とられた

。1 9 4 6

年制定 された独禁法は早 くも

3

年後に改訂 され,株式の法人所有が認め られるようにな り(9),さらに

5 3

年の 大改訂によって,不況カルテルの拡大,合理化カルテルが容認 されるととも

(7)

戦後 日本資本主義の歩み と転機 1 4 5

に,株式保有 ・役員兼任 ・合併の制限の緩和が実施された。また, 日本の対 外取引関係を規制する外為法 ・外資法が制定 された。(10)さらに, この時期, 世界情勢の大 きな変化が米国の占領政策を 日本経済復興重視へ と転換させて い くなかで,独禁政策 と並び,財閥解体 ・経済力集中排除法な どの経済民主 化 も見直されるようになる。ちなみに,排除法に より当初

3 2 5

社 が分割の対 象 とされたが,実際に分割されたのは

1 1

社に とどまった。(ll)

合理化投資」期以降,国内産業の育成 ・強化のための 日本の国家政策は, 他の資本主義国よりも徹底 した もの となる。 しかし,社会保障 ・公的サービ スについては,戦後 日本の国家政策の特徴は,その拡充 という課題を欠いた ままであった。(12)

2

1

期高度成長

( 1 9 5 5 ‑1 9 6 2

年)

経済 白書 ‑

S31( 1 9 5 6 )

年版』は

,

「もはや 「戦後」ではない」 として, 新 しい時代を 「技術革新 (イノベーシ ョン)」と 「近代化 (トランスフ ォー メーシ ョン)」 によって特徴づけた。(13)

1

期高度成長 により日本資本主義 の戦後再編が一応達成 される。 この項では,第

1

期高度成長の内的 メカニズ ムを中心に見てみよう。なお

,1 9 5 5

年以後の高度成長は必ずしも間断な く順 調に持続 したわけではない。

[ 1 ]

民間設備投資の一挙導入 と独 占的大企業間の競争激化

( 1 )

独 占的大企業 による外 国か らの新技術 ・新産業の導入競争は(14),氏 間設備投資の一挙導入をもた らした.外国技術の導入競争が 日本の独占的大 企業間競争を激化 させた。外国為替管理の下で,早急に国際競争力をつける ために,機会均等主義が とられた。新産業は新工場 として建設 されたため, 新技術や新産業は工場設備に とどま らず,財政投融資資金による土地造成 ・ 運輸港湾 ・道路 ・鉄道 ・電信電話 ・用水な どの産業基盤投資が膨大な需要を 発生させた。(15)もちろん,戦前 ・戦中の経験 に基づいた 日本企業 による外国 技術の消化 ・改良 と応用新製品の開発 という日本的特徴 も無視 しえない。(16)

(8)

新鋭重化学工業の一挙確立」が もた らされるが,その背景 としては,吹

2

点 も忘れてはな らない :

( i

)戦後

IMF

体制下の固定 レー ト制の下では, 加盟 国は為替相場 を平価 (日本は

1 ドル ‑3 6 0

円)の上下

1%

の枠内に維持 することを義務づけ られていたため,国際競争力強化 による貿易収支 ・国際 収支の均衡化 が不可欠であった ;(ii)日本の政府 ・経営者は,貿易 ・為替お よび資本取引の制限が容認 されている間に, これを十二分に活用 して外国技 術導入に基づ き急速な国産化を推進す ることを緊急課題 としていた。また, 外為管理 による産業の保護 ・育成が行われてお り, 日本政府は外貨割当制を 活用 し,一方では革新的な外国技術導入や重要な機械 ・原料の輸入に対 して は希少な外貨を優先的 に割当て,他方では外国技術 に基づ き国産化を推進 し てい る産業 に対 しては外貨割当ての制限 に よ り競合製品の輸入 を遮断 し保 護 ・育成 した。(17)

( 2 ) 1 9 4 5

1

1月の財閥解体や

4 7

1 2

月の過度経済力集中排除法 による旧財 閥の解体再編,旧 日鉄の解体な どが,独 占的大企業問の競争 を激化 させた。

財閥の企業集団 としての再編 (旧三大財閥 と銀行系 との間には再編の方法 ・ 時期 に相違)が行われた。産業構造の変化や需要拡大の下で生産連関の強い 集団 としての一貫化や多角化の追求に より,各企業集団の新産業への進出が 促進 され,集団間の競争が激化 した。新鋭重化学工業の産業 トラス トによる 生産連関の一貫化 と多角化の追求は,独 占的大企業間競争を激化 させ,各部 門での巨大な設備投資競争をもた らした。鉄鋼 ・化学 ・機械な どの第 Ⅰ部門 の設備投資競争,耐久消費財な どの第 Ⅱ部門の設備投資の活発化 が第 Ⅰ部門 への巨大な投資需要を生み出し, これがさらに第 Ⅰ部門に新たな設備投資を 呼び起 こし,それがまた労働者の雇用拡大 ・賃金上昇を通 じて消費需要を喚 起 し,第 Ⅱ部門の拡大 を促進 した。 こうして

,

投資が投資 を呼ぶ」 とい う 急速な拡大再生産が促進 されることとなった。(18)

朝鮮戦争ブームによる証券市場活発化のなかで,旧財閥系 (とくに旧三大 財閥)の主要企業の社長たちは企業乗取 りや株式買 占めに危機感を持ち,旧

(9)

戦後 日本資本主義の歩み と転機 1 4 7

財閥系企業間の戦前か らの結合を利用 して,株式の相互持合を進め (荊述の 独禁法改訂がその前提),企業防衛 と安定株主工作 に取組み始めた。その後,

1 9 6 0

年代前半の貿易 ・為替の 自由化 に続 き,後半 には資本取引の 自由化が進 め られ,米国企業を中心、とする外資 による企業乗取 りの危険を感 じた 日本企 業が安定株主工作 として同一系列企業の株式相互持合 に弾みをつけた。 こう

して企業集団が形成 されていった。(19)

一方, 日本資本主義の戦後再編 において,独 占的大企業は必要資金の多 く を銀行融資に依存 し,その過程でメインバンクを中核 とする企業間結合が強 化 された。財閥解体 ・経済力集中排除法 によ り事実上 ほ とん どその影響を被 ることがなかった強大な銀行や金融機関は,独 占的大企業へ資金供給 を行 う ことにより,企業集団の中枢 としてその形成を加速 させた。戦後の企業集団 は,資本蓄積基盤が脆弱で, 日銀のバ ックア ップによる間接金融への依存を 不可欠 とした独 占的大企業の,相互防衛の体制であった。(20)この間接金融方 式は, 日本の きわめて高い個人の貯蓄性向によって支 え られて きた。(21)

[ 2 ]

「日本的経営」

独 占的大企業間競争 は,同時にこれ らによる豊富 ・低廉 ・良質な労働力 と 広範な中小零細企業の利用を も必要 とした。

戦後 日本資本主義の構造的特質 に基づいて,日本の大企業は 「日本的経営」

と呼ばれ る独特 な組織 ・慣行 とそれに応 じた蓄積様式 を作 出 した。「日本的 経営」の下で, 日本的労資関係が形成 され,中小零細企業に対す る下請系列 支配が行 われた。

( 1 )

日本的労資関係は,大企業の基幹労働力を対象 とする,高度成長の持 続 と経営者による労組支配を前提 した労資問の制度慣行である。基幹労働力 に対 しては,長期雇用の保障がなされ (下請 ・臨時工 ・社外工な どは景気変 動 に伴 うバ ッフ ァー としての位置付 け),賃金格差構造の下で相対的な高賃 金が給付 された。個 々の労働者の昇進 ・昇給は年功 ・人事考課 (態度 ・思想 まで評価対象 となる) によって決定 された。 日本的労使関係は,格差構造の

(10)

頂点において,相対的に恵まれた経済的条件の保障 と見返 りに労働者の人権 を抑圧 し,彼 らを共同体に全人格的に統合する機構である。 これは,中小零 細企業を含む 日本の労働者階級全体に対する支配の要である。(22)

日本の大企業の基幹労働力に固有な年功制 ・終身雇用の下で,最低賃金労 働者 (単身者)である若年新卒労働者の著 しい集中的雇用が発生 した。独占 的大企業は技術革新の下での低賃金労働力利用のシステムを作出したのであ 。(23)

( 2 )

日本の独 占的大企業は,格差構造に基づ き,多 くの中小零細企業を下 請系列の形態で支配 してきた。 日本の下請制は朝鮮戦争ブーム

合理化投 資」期において再編成 されていった。下請関係は,原理的には独 占的支配力 をもった元方企業による 「対等ではない外注関係」であ り,独 占的支配の 日 本的一形態である。元方企業が独 占的支配力により,競争的な中小企業に対

して低廉な部品生産または原料加工 を押付けるとともに,製造技術 ・品質 ・ 納入の一方的指示,不況下での契約の一方的変更や手形の長期化 を押付け,

これ らにより中小企業を収奪する (中小企業利潤の犠牲や労働者の低賃金) 関係である。中小企業の多 くはより小規模で競争的な企業を再下請 として利 用 して,収奪の一部を転嫁 していき,下請関係は重層的 となっている。

元方企業における技術革新 ・量産体制の確立は,下請中小企業に対 しても 技術改良設備 ・大量生産体制 と経営の合理化 ・近代化を要求 した。 日本の独

占的大企業が優秀な生産設備 ・技術 と低廉な労働者を持 った多数の下請中小 企業を利用 ・収奪できる体制を整えたことは,輸出競争力強化の重要な基礎 であると同時に,外国企業の直接進 出を阻止するうえで も重要な役割を演 じ ることとなる。(24)

「日本的経営」の構成要素 として,その他,企業集団が挙げ られる場合が 少な くないが,これについてはこれまで一定程度言及 しているのでここでは 取上げない。

なお,二瓶敏氏は,戦後 日本資本主義の構造的特質 として,対米依存,

(11)

戦後 日本資本主義の歩み と転機 1 4 9

「日本的経営」 とともに,三層格差構造」 を挙 げている。 これは,上記

「日本的経営」の問題 とも深 く関連 し,これに農業問題をも含め,独 占的大 企業 (重化学工業中心),中小零細企業 (重化学工業 ・軽工業),零細農耕の 間に,

1

人当た り付加価値 と賃金 ・所得の深い格差があ り,構造的な断層が 形成されていることを示 した概念である。同氏は,対米依存 と 「三層格差構 造」を統一的 に把握 しなければな らない としてい る。その詳細 については

[註]を参照されたい。(25)

[ 3 ]

第 1期高度成長の達成による設備過剰の構造的深化

1 9 6 2 ‑6 5

年は構造的不況に見舞われた。新鋭重化学工業中心の設備投資競 争を軸 に展開された高度成長は,大衆の個人消費拡大を基礎 に発展 した もの ではな く,第 Ⅰ部門 ・第 Ⅱ部門の設備投資が第

1

部門への一方的な大量需要 をもた らし, これがさらに第 Ⅰ部門での設備投資を促進するとい う,第 Ⅰ部 門の 自立的発展 を中軸 として展開された発展であ った。(26)しか し, この時 期の高度成長 において も第 Ⅱ部門における新鋭重化学工業が 「消費革命

」 (

27)

を惹起 し,耐久消費財な どを急速に普及 させていったことも忘れてはな らな

。 (28)

1 9 61

年下半期の国際収支悪化による金融引締めを直接の契機 として,設備 投資は鈍化 した。これ以降の深刻な不況 (一時的回復を挟む)か らの回復は, 金融緩和政策か ら赤字国債発行による大型財政政策への転換 とベ トナム戦争

に全面的に依存す る輸 出の拡大 に よって,は じめて可能 とな った。「この

1 9 6 2 ‑6 5

年の不況は重化学工業の本格的確立による国内体制 としての過剰化 の定着 として位置づけ られる

」(29)

[ 4 ]

重化学工業確立の意義

以上の設備投資競争を主軸 とする高度成長は,戦前 ・戦中 ・敗戦直後 とは まった く異なった新 しい再生産構造を形成 させ, 日本に初めて重化学工業を 定着させた。その特質 として,以下の

6

点を指摘することができるが,以上 の展開か らもほぼ明 らかであろう :

(12)

( 1 )

日本においては じめて国内体制 としての再生産が可能になった。主要 な生産手段の国内生産が可能にな り,重化学工業の設備投資が第 Ⅰ部門の内 部循環 により発展 し, これが第 Ⅱ部門の発展をも促進 した。新鋭新設工場の 一挙創 出は,第 Ⅰ部門の内部循環 による発展をより急速にし,成長のスピー ドを加速 した

。1 9 61( S3 6 )

年版 『経済 白書』(30)

,5 5

年 以降の経済成長 を

設備投資を軸 とした経済成長」 と規定 し

,

投資が投資を呼ぶ効果」を強 調するとともに,投資 と消費の不均等成長」にも言及 している。

( 2 )

その重化学工業は,以下の ような

3

系列か ら構成 された :(i)金属か ら機械へ と流れる原材料か ら加工への系列 ;(ii)石油精製 ・化学 ・繊維およ び化学加工への系列 ;

( i i

i

)

金属か ら窯業土石 ・建設へ と連なる系列。 (i

)G i i )

系列のいずれ も大 きく固定資本形成に連なっている。 日本の再生産構造にお いて,個人消費に比 して,国内民間固定資本形成をきわめて肥大化 させ,坐 産力 ・設備過剰の問題 をより深刻化 させた。

( 3 )

大量生産体制による乗用車 ・カラーテレビな ど耐久消費財が広範に普 及 し,これ らは次期以降 リーディングインダス トリーへ と成長する。

( 4 )

日本の貿易構造 において も重化学工業製品の比重が増大 した

( 1 9 5 5

3 8. 0 %‑6 0

4 3. 7 %‑6 5

6 2. 0 %)

。その中心は鉄鋼 ・機械 (とくに電気機 械 と造船の輸送機械)であった。 しかし,輸出の本格的な展開は構造不況期 以後であった。第 1期の高度成長期の主軸は,あ くまで国内市場の拡大が基 礎であった。

( 5 )

本格的な重化学工業の確立にもかかわ らず,対米依存体質は維持 され た。独 自の技術的蓄積は脆弱であ り,以上の重化学工業化は米国よりの技術 導入に拠 った。戦後の米国を支える生産力基盤は原子力 ・航空 ・宇宙 ・電子 という超新鋭重化学工業にあ り,これ らの産業は 「冷戦体制」の下での軍事 と密接 につながってお り,膨大な開発費 と軍事予算 によってはじめて可能な 産業であった。 日本ではこれ らの技術開発は不可能であ り,米国か ら輸入せ ざるをえなかった。 日本の重化学工業は米国においては十分成熟 した産業で

(13)

戦後 日本資本主義の歩み と転機 1 51

あ り,米国企業 に とって も特許料な どを取得することによ り採算が合 う産業 であった。

日本の輸 出入構造 において,米国の位置は決定的であ った。重化学工業製 品の最大の輸出先は米国であった。 日本が輸入す る石油の大部分は米国メジ

ャーが支配 してお り,さらに農産物 も米国より大量 に輸入 された

(3

1 ) 0

( 6 ) 国家 が年 々大規模な産業基盤投資を通 じで 恒常的に第 1 部門に対する 巨額の需要 を構成 してお り,社会的再生産 におけ る国家の占める地位が きわ めて高 くなっている

。(32)

2

期高度成長 と輸 出依存体質 ,および戦後

IM F

制崩壊の始ま り

1 第 2 期高度成長 ( 1 9 6 6 ‑1 9 7 3 年)

日本の重化学工業の独 占的大企業は,ベ トナム戦争拡大による輸 出増大の 見通 しによって ,1 9 6 6 年 中葉以降大型設備投資 に踏切 っていった。 この設備 投資は

,

「開放体制

へ移行 し資本 自由化を前 にした 日本の独 占的大企業が, 拡大す る大規模輸 出市場の確保 を計画に入れ さ らにいっそ うの機械設備 ・ 装置の大型化,省力化,石油転換 によって生産能力の拡大 とコス トダウンを 徹底的に追求 しようとした ものである。 ここにおいて も国家は非常 に重要な 役割を果た した

。(33)

政府 は資本 自由化 に対 し慎重な対策 を講 じ, とくに重要新産業の コン ピ ューター ・原子力産業 に対 しては きわめて手厚 い保護 ・育成政策 を実施する とともに,前者の貿易 ・資本の 自由化を引延ば した。 コンピューター技術は 各種産業を革新する とともに,情報処理 ・情報管理システムを生 出すので, 各企業集団内の各種独 占的大企業は集団内のコンピューター ・メーカーの発 展を強 く要望 し,企業集団はそのために協力 した

。(34)

2

期高度成長の特徴点は以下の とお りである :

(14)

( 1 )

第 1期 と同様 に,独占的大企業間の新技術 ・新産業導入競争 による民 間設備投資の急拡大が行われた。 この期の技術導入は主 として米国か らの超 新鋭のコンピューター ・原子力である。また,同期 には,自動車 ・カラーテ

レビな どの大型耐久消費財の爆発的普及が耐久消費財部門を中心 とする巨額 の設備投資競争を促進 した。具体的には次の とお りである :

(i) 鉄鋼業では,コンピュー ター ・コン トロールによる次の 4巨大製鉄 所が造 られた

:NKK

福山製鉄所

( 1 9 6 6 )

/川鉄水島製鉄所

( 1 9 6 7 )

/新 日鉄君津製鉄所

( 1 9 6 8 )

/住友金属鹿島製鉄所

( 1 9 7

1)。 この結果,粗鋼 生産は

,1 9 6 5

年の

4, 1 0 0

万 トン

‑7 0

年の

9, 3 0 0

万 トン と,飛躍的に拡大 した ;

( i i ) 1 9 5 5

年 日米原子力協定を出発点 とす る原子力発電では,米国が開発 した軽水炉型発電を,三菱グループがウエスティングハウス と,東芝 ・日 立が

GE

と各々技術提携 した ;

( i i i )

自動車工業では,大衆車時代の個人需要 に対応する乗用車生産が急 拡大 した。家電では,カラーテレビ ・テープレコーダーの爆発的普及によ

り,設備投資が急拡大 した。トランジスタに代わ り

IC

が導入され シャー プの

IC

電卓が実用化され,電卓で 日本は世界的制覇を遂げた。

大型化 ・量産化による大量設備投資は,第

1

期高度成長以上の第 Ⅰ部門の 内部循環 による拡大を促進 した。(35)しかし,独 占的大企業による 「消費革命」

と就業構造の変化 ・就業者総数の増大 と結合 した新 しい国内消費市場の創 出,および大型設備投資の群生 と国内消費市場 との相互促進的拡大を,見落

としてはな らない。(36)

( 2 )

設備投資の急拡大 とな らび,輸出がきわめて重要な地位を占めるよう になった。鉱工業生産 に対す る最終需要寄与率の推移は次の とお りであっ た :第 1期高度成長期

( 1 9 5 8 ‑61

年)の民間設備投資

41. 3 %/

輸 出

1 1. 0 %

1 9 6 6 ‑69

年のそれは各 々

3 6. 7 %/21. 3 %

。大幅な輸 出拡大は,以下のように 貿易構造 を決定的に変化 させた。貿易収支は

,1 9 6 0

年の

2. 7

‑6 5

年の

1 9

‑7 0

年の

3 9. 6

億 ドル と,赤字基調か ら大幅な黒字基調へ と転換 した。輸出急

(15)

戦後 日本資本主義の歩み と転機 1 5 3

増についてはベ トナム戦争の影響が大 きかった。ベ トナム戦争は米国の軍事 支出 ・対外援助を増大 させ,アジアへの膨大な輸出を可能にする とともに, 米国の軍需拡大による対米輸出の拡大をも可能にした。(37)

これは,第

1

期高度成長 と異な り,国内市場の第 Ⅰ部門の内部循環だけで は既 に高度成長が不可能であることを示 してお り,国内での恒常的な生産 力 ・設備過剰基調定着の下,当初か ら輸出の継続的な拡大が不可欠であった ことを示 している

。1 9 7 0

年代以降の 日本経済は需要面では対外関係抜 きに論 ずることができな くなったのであ り,大幅な輸出拡大が保障されねば直ちに 過剰が発現せざるをえない局面に入 った。(38)

( 3)

この期は,国内での独 占体制が最終的に輸出競争力を有する体制 とし て確立する段階である。高度成長第

2

期での大型財政支出を背景 とした設備 投資競争 と輸出の両輪 に支えられた生産 ・設備投資の拡大は,在来重化学工 業をコンピューター ・コン トロールの超新鋭装備を有する超新鋭重化学工業 に転換 させた。在来型重化学工業の超新鋭装備化は,国内生産設備の恒常的 過剰の下での,対外膨張への対応であった。(39)

( 4 )

主要資本主義国を巻 き込む第

3

次企業集中運動

( 1 9 6 0

年代後半から

7 0

年代初)のさなか,日本においても,資本 自由化を前に,政府の意向の下に, 鉄鋼 ・造船 ・自動車な どの独 占的大企業の合併 ・業務提携が急速に進め られ

た。また単独企業による大型設備投資が困難なために実施された合併 も進ん だ。 これ とともに,企業集団の活動 もさらに活発化 した。(40)

2

戦後

IM F

体制の崩壊 と世界資本主義の危機

第二次大戦後,米国は,冷戦体制の盟主 として

IMF

‑ドル体制の下で多 額の海外軍事支出 ・海外援助を行 って きた。戦後

IMF

体制は,米国の圧倒 的な生産力 と金保有をバ ックに, ドルを金に リンクし,他国通貨を ドル と固 定相場制で結んだ国際通貨体制であ り,この体制は米国の国際収支が健全で ある限 り機能する体制であった。 しかし,米国の軍事支出 ・海外援助の恒常

(16)

化,西欧 ・日本の経済復興 による生産力格差の縮小 (先端的軍事産業 におけ る米国の圧倒的優位 にもかかわ らず)は,米国の国際収支を悪化 させ, ドル 危機が進 んだ

。1 9 6 5

年以降のベ トナム戦争への米国の直接介入は これを決定 的にさせた。(41)さらに,戦後の復興 を果た した ヨーロッパ各国は,対米輸 出 で得た ドルを金 と交換 し始め

,7 1

年 アメリカの金保有量は大戦直後に比べ半 分以下 にまで落込んだ。(42)

1 9 71

年 ,米国の国際収支危機 は極限状態 に陥 った。金保有

1 0 2

億 ドル に対 し対外短期債務は

6 7 7

億 ドル とな り,貿易収支 も赤字転落 した。ニクソン大 統領は

,7 1

8

1 5

日,金 ドル交換停止 と

1 0 %

の輸入課徴金の実施,賃金 ・ 物価の

9 0

日間の凍結を骨子 とす る ドル防衛政策を発表 し,戦後

IMF

体制は 崩壊す る。同年末,金 ・ドル交換を欠いたまま,金

1

オンス

‑3 5

ドルか ら

3 8

ドルへの ドル切下げ,黒字国の対 ドル レー ト切上げ (

1 6. 8 8 %/

西独マル

1 3. 5 8 %/

英ポン ド ・仏フラン

8. 5 7 %)

,為替変動許容幅の拡大 (上下各

1

%か ら

2. 2 5 %

へ)を内容 とす るス ミソニアン体制が発足 した。 しかし,米国 が高率の通貨供給増加を続け,インフレが再燃 し,国際収支赤字 を放置 した ため,インフレは他の資本主義諸国に波及 し, ドル不信が再び激化 し,同体 制は持続せず

,7 3

3

月, 日欧諸国は全面的に変動相場制へ移行 した。(43) 界資本主義は全 く歯止めのない世界 インフレの加速化へ突入 した。 ドルの金 交換停止 によ り,戦後

IMF

体制の一定の国際収支均衡化 ・為替安定化の機 鰭 ,お よび通貨 ・信用膨 張 への歯 止 め, イン フ レへの歯止 め がな くな っ

。(44)

先進国のインフレ加速化は一次産品価格 との格差 を生 じさせ,

OPEC

これに対抗 して

,1 9 7 3

1

0月の第

4

次中東戦争勃発 を契機 に石油価格の一挙

4

倍値上げに踏切 り,第 1次オイルシ ョックが発生 した。

また,米国は金 ・ドルの交換上やむな く行 って きた対外投融資規制を

1 9 7 4

年 1月に撤廃 し,国内外 の金融 自由化 を推進するこ とによ り,国内産業低迷 の下で米国の国際的金融証券市場を活性化 し国際資本取引におけ る米国の金

(17)

戦後 日本資本主義の歩み と転機 1 5 5

融覇権を強化 しようとした。国際資本取引の膨大化,および国際的投機的取 引の膨大化 と恒常化へ道を開いた。(45)

軍事面では,世界最高の軍事力を誇 り,民族解放運動への唯一の対抗力た る米国がベ トナム戦争 に敗北 したことは (最終的には

1 9 7 5

4

月),力による 政策の限界をはっき り示 した。 これにより,第三世界の発言力が急速に強化

され 米国の世界戦略の大転換 (米中接近 ・デタン ト)が必至 となった。(46)

なお,前述のように,

IMF

体制の下での冷戦体制を維持するための ドル 散布による世界的高蓄積が,世界的な規模で過剰生産能力を堆積 させていっ たことも押 さえてお く必要があろう。

3 スタグフレーシ ョンと日本の対応

資本主義諸国ではそれまでに通貨膨張 ・赤字財政拡大による景気刺激策に より価格上昇が見 られたが,第 1次石油シ ョック後,さらに急激な価格上昇 が進み,その抑制のため総需要抑制政策を余儀な くされ,これを契機に

1 9 7 4

7 5

年世界的大不況が出現 した。 この大不況では,大戦後初めて資本主義諸国 が同時に実質マイナス成長を記録 した。そ して,これはいわゆるスタグフレー シ ョン という内容を もって長期化 した。(47)

日本 も,ス ミソニアン協定後,石油シ ョックに先立ち二桁 インフレが生 じ, 住宅地 までが投機的取引の対象 とな り住宅地価が高騰するとい う異常な事態 が生 じた。それは,円切上げにもかかわ らず輸出の拡大 ・貿易収支黒字の拡 大が継続 したことに加え, ドル不信の増大によって短期資金が 日欧へ流入 し た結果,国内通貨過剰が生 じたためである。(48)石油シ ョックによる日本の物 価高騰は,先進諸国中ではもっとも早 くもっとも高率であった。 これは,そ れ以前 に膨大な流動性が累積 していた うえ,金融引締め政策への転換が遅れ 原油価格高騰が生 じ,さらに石油企業の独占的値上げ と広範な便乗値上げが 活発に行われたことによる。(49)

狂乱物価高騰 に対 して政府は総需要抑制政策の再強化を余儀な くされ,こ

(18)

れを契機 として

1 9 7 4

年 日本経済は大不況に陥 った。 この大不況の深刻 さは, 前述の ような,ベ トナム戦争下 におけ る大規模輸出を前提 とした大規模設備 投資,徹底 した原燃料の石油転換,加 えてニクソン新政策 に対応 した 日本政 府の強力な景気刺激政策 による72年末以降の,化学 ・鉄鋼 ・アル ミ ・石油精 製な どの設備投資の直後 に石油シ ョックが生 じ,総需要抑制政策が とられた ところにある。(50)

7 4

年実質成長率は戦後初めてマ イナス

0. 8 %

を記録 した。

国内総支 出に占める民間設備投資の比率は

,7 0

21. 0 %‑7 5

1 6. 4 %‑7 8

1 3. 7 %

と急落 し,膨大な設備投資 によ り第 Ⅰ部門の内部循環 を推進 して きた 鉄鋼業な どの素材産業 と造船業は巨額の過剰設備を抱 え,以降構造不況業種

となっていった。(5

1

)

1 9 6 5

年 に始 まった国債発行は

, 71

年度補正予算以降大膨張 していたが

, 7 4

7 5

年大不況においてさらに規模を拡大するとともに,赤字国債の大量発行が 始まった。不況脱 出の

7 7

年度以降にも国債の大量発行が恒常化 した

07 5

年 に 1兆円の大台を超 え

,8 0

5

3, 0 0 0

億 円の規模まで膨張 した。 このような大 規模な財政支出によって も設備投資が拡大 しない とい うほど,恒常的な過剰 設備が定着する。(52)

しか しその後, 日本は,世界的激動 のなか,世界的スタグフレーシ ョン ・ 経済停滞の下で,例外的に経済回復 を示 し,輸出依存的成長の基礎固めが行

われた。以下,その要因について見てみ よう。

(1) 「減量経営

」:

減量経営」による人減 らし,労働 コス トの圧縮,省力 ・ 省エネルギー投資 による徹底 した省力化 (労働配置の変更 ・設備導入を伴

う),下請 ・系列 に対す る極限 までの単価切下げが行われた。労働 コス トの 圧縮な どについては,独 占的大企業の労組は賃上げの 自粛を行い,政府 ・日 経連な どによる 「所得政策」達成 に寄与 した。独 占的大企業は,生産のいっ そうの効率化を図るため

1 9 6 0

年代か ら始め られていた

QC

活動

・ZD

活動を 強化 しつつ, 日経連の提唱 した 「全員参画経営」を推進 した。一方,金融費 用の削減が追求 され, 自己資本比率の上昇 ・余裕資金の株式運用な どが進め

(19)

戦後 日本資本主義の歩み と転機 i l 里 R i

られた。(53)

( 2 ) I

C関連技術 の導入 と応用 :国内外 の厳 しい状況下 で内外市場 の拡 大 ・利潤増大を実現するために,政府 ・産業界が一体 とな り,ICとコンピ ューターを軸 とした生産技術改良 とそれ らの各種応用 を徹底的に追求 した。

ただ し,M E (マ イクロエ レク トロニクス)化 として本格的 に推進 されるの

1 9 7 0

年代末以降であ り,次節で取上げる

。7 0

年以降設備投資 を軸 とした高 度成長 が期待できないなかで,通産省では,将来注 目すべ き知識集約型産業 の中核 と見なされ,産業育成政策の中心 となったのが IC関連産業 ・コンピ

ューター産業であった。 これ らについては,前述の とお り,既 に強力な保護 育成政策が とられ,資本 自由化 もで きるだけ延期 されて きた。資本 自由化

(I

Cは

7 4

1 2

1 0 0 %

;コンピューターは

7 4

8

5 0 %,7 5

1 2

1 0 0 %)

に備 えて,強力な政策が とられた。ICの多 くは当初は米国か らの輸入に依 存 していたが

,7 0

年代中葉以降量産技術 と品質改善を進め,国内生産 を急激 に拡大 した。M PU ・マイクロコンピュー ターの技術 もいち早 く導入 し,輿 造技術 改良 ・新製品開発 と種 々の部面へのその応用 を急いだ。 コン ピ ュー ターは

,75

年頃以降,国産機 が各種産業や官庁 に対 し市場 を急速 に拡大 し

。(54)

日本経済は,上記

( 1 ) ( 2 )

に基づ き,輸 出の大幅な増大 (集中豪雨的輸 出)を 軸 として,世界的大不況を乗切 り例外的回復 を遂げた

。1 9 7 6

年以降の輸 出拡 大は驚異的であったが,それは一部品 目の集中豪雨的な輸 出の激増 によるも のであ った。それ らは,カラーTV ・VTR ・ラジオ (自動車用/ テープレ コーダー付)などの民生用電機製品,

IC

・電卓 ・乗用車 ・自動二輪車 ・科 学光学機器

・N

C工作機械 ・クォーツ時計な どである

。1 9 7 0 ‑8 0

年 における 輸 出の品 目別推移 を見 ると,輸 出総額 に占める重化学工業品の比率は

7 2. 4 %

‑8 4. 4 %

と上昇 しているが, とりわけ機械機器の比率は

4 6. 3 %‑6 2. 8 %

と上 昇著 しい。輸 出先 としては,米国を中心 とした先進資本主義諸 国に対 して乗 用車 と電子関連機器の輸 出が急増 した。 また

,7 0

年代中葉以降急速 に発展を

(20)

遂 げたア ジア

N IES

に対 し,設備投資関連機械 を中心 に輸 出が急増 し

。(55)

以上の結果 として

,1 9 7 0

年代中葉 を境 に 日米貿易摩擦が深刻化 した。

V M E 技術革新 と日本資本主義の対外膨張および戦後冷 戦体制の崩壊

1

我が国への

M E

技術革新の導入

1 9 8 0

年代の 日本経済は

ME

(マイクロエレク トロニクス)技術の本格的な 展開によって特徴づけ られる

。7 0

年代半ば以降,集積回路

IC

の集積度の上 昇による大規模集積回路

LSI

や超

LSI

の登場 とコンピューターの中央演 算装置を半導体基盤 に組 み込んだ

MPU

によって

ME

革命 と呼ばれる新 しい 技術革新 が起 きた。 これ らにより生産工程の制御や情報 ・通信技術な どを一 大変革 し,各種製造業の生産過程 ・流通過程 か ら金融 ・情報通信 ・サービス に至 るまで大 きな影響を与 えていった。社会全体に大 きな変革 を もた らす こ

とになる。我が国の

ME

技術革新の特徴点は以下の とお りである :

(1)

ME

技術革新の基本技術はすべて米国が開発 し,その開発 ・製造はも っぱ ら先端軍事技術開発 ・宇宙開発のために行われた。 日本は米国か ら導入 した

ME

基本技術を民生用 ・産業用分野で徹底的に活用 していった

。8 0

年代 の初めに汎用 メモ リー

DRAM

の生産 で米国を抜 き世界一 になった。 これを 基礎 に

VTR

・パ ソコン ・ワープロ

・CD

と同プレーヤー

・VD

と同プレー ヤーな どが開発 された。産業用 としては個別機械 にマイクロコンピューター を組込 む こ とに よ り,工場 レベル で は

CNC

工作機械 ・マシニングセン ター ・産業用 ロボ ッ トが登場 し,

CAD/CAM

,

CNC

と産業用 ロボ ット を組み合わせての

FMS

が導入 され,企業 ・企業間では,金融ネ ッ トワーク, コンピューター結合生産 である

CIM

,

POS

,

CALS

な どへ と展開 して きている。

(21)

戦後 日本資本主義の歩み と転機 1 5 9

( 2 ) ME

技術革新によって我が国の機械産業は他国に対 して破壊的競争力 を身につけ,集中豪雨的な輸出拡大に至 った。

輸 出総額 に占める機械機器の割合は

,1 9 8 0

年の

6 2. 8 %‑9 0

年の

7 4. 9 %

と, 急拡大 した。その圧倒的部分は

ME

関連機器 と

ME

化を世界に先駆けて実施 し性能向上 を図った 自動車であった。 日本の貿易収支の黒字は

,8 5

年の

5 6 0

億 ドル

‑9 0

年の

6 3 5

億 ドル と,一挙 に拡大 した。集中的な輸出の拡大が,吹 の ように,米国に集中 した ことが問題 を深刻 に した :対米輸 出は

,80

年の

31 4

億 ドル

‑8 5

年の

6 53

億 ドル と,激増 した。その製品のほ とんどは

ME

関連 製品 と乗用車であった。米国の中枢産業をめ ぐって 日米貿易摩擦はより深刻 化 し,最終的には

8 5

年のプラザ合意 に至 る。(56)

2

戦後冷戦体制の崩壊

1 9 8 5

年は,次の二つの点で世界 ・日本に とって大 きな歴史的転換点 となっ た :(i)戦後冷戦体制 を リー ドして きた米国が

1, 1 0 7

億 ドルの債務をかかえる 債務国へ転落 し, 日本が海外純資産

1, 2 9 8

億 ドル と英 ・西独を抜 き

1

位 に躍 り出た ;(ii)先進

5

カ国蔵相 ・中央銀行総裁会議

G 5

によるプラザ合意 によ り,人為的通貨調整に基づ く世界全体の巨大な産業構造調整が開始された0 戦後冷戦体制 とその経済的基盤 としての

IMF

体制は

1 9 71

年米国の貿易収 支の赤字転落 とニクソンシ ョックにより第一の解体過程 に入ったが

,8 5

年 に は米国の冷戦体制解体の第二 ラウン ドが開始 された

。71

年か ら始 まる第一の 崩壊過程 は,石油危機 とスタグフレーシ ョンに よ り先進諸国に決定的なダ メージを与えた。 この過程での大 きな変化は,米国の衰退 と日本 ・アジア

N

IES

の台頭であった。先進資本主義各国はスタグフレーシ ョンに対応する ために,従来のケインズ政策を放棄 し,レーガノミックス ・サ ッチ ャリズム とい う新 自由主義 (新保守主義)路線 に転換 した。 これ らの政権はスタグフ レーシ ョンの克服 と経済の再生を課題 に次の ような政策を実行 した :マネタ リズムに依拠 したインフレ抑制,小 さな政府の実現,大幅減税をも含む税制

(22)

改革,民営化 ・規制緩和,労使関係政策,軍事力強化,公共の秩序のための 警察力の強化な ど。(57)

この政策の実行過程で市場 自由主義が台頭 し,政府のコン トロールによる 管理経済は著 しく後退する。その結果 として,世界経済は次の ように変化 し た :

( i )

インフレは,強力な金融引締め と石油価格の下落,国際競争の激 化 により鎮静化 した。 しかし,経済再生には程遠 く停滞化傾向はより 深刻化 した ;

( i i )

米国の双子の赤字はレーガノミックスによりよりいっそう進行 し,

8 5

年,米国は債務国へ転落 した ;

(iii)

G 5

後の ドル低落 と金融 自由化のなか,各国資本は為替差益 ・金 利差益 ・証券売買差益を 目指 して投機的性格 を強め,「カジノ資本主 バブル経済」が現出した。

戦後冷戦体制は,米国の核を中心 とする軍事力 と圧倒的な経済力を以て初 めて維持 され うる。 しかし,米国の貿易収支は

1 9 71

年か ら赤字を計上 し,投 資収益 も

8 2

年から減少 し始め,経常収支は

8 2

年から赤字に転 じた

。81

年に戦 後最高の

1, 4 0 9

億 ドルの対外純資産を記録 してか らわずか

4

年で純債務国に 転落 した。(58)さらに, レーガン政権 の下で財政赤字は急拡大 し,83年 には

2, 0 0 0

億 ドルを超 えたが,その主要原因は国防費増大 にある。(59)米国は冷戦 体制のためのコス ト負担に絶えられな くなった。(60)

次いで,レーガン政権の ドル高政策 と米国国内経済について簡単に見てお こう。ニ クソン ・シ ョック以来,米国は ドル安政策を基調 として きたが,

1 9 7 0

年代後半のスタグフレーシ ョンの下,過度の ドル安に対する懸念が強ま り,カーター政権は78年 「ドル防衛政策」を発表 し各国通貨当局 とも連携 し, 大規模な ドル買市場介入を行 った

。81

年誕生 したレーガン政権は 「強い ドル」

を掲げ,インフレ沈静の狙いもあ り,金融引締め ・高金利政策を とり,為替 相場は ドル高に動いた

。8 0

1 2

月外為法改正により海外投資が原則 自由とな

参照

関連したドキュメント

(出所)FRB, Financial Accounts of the U.S., F.223, L.223, R.101, R104 ; Bureau of Economic Analysis, National Income and Product Accounts Table1.1.. 術基盤としての第

このようにみてくると、侘美氏が「IMF体制」を、「アメリカを中心とする軍事を含む政治経済的な世界資本主義の再編体制」だとよぶ場合の内実が、結局は政治的、経済的、軍事的観点に立ったアメリカによ

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というのも-後に立入って考察することにな るが-,現代の資本主義が,その成立の事情

「土地取り上げ」は,小作地収得競争を巡る経済的メカニズムや小作料未納に

まず第1に,須その「基本展開」こそが全体の基礎をなす。そこで1つ目とし て(イ)

日本の経済発展・技術進歩と労働資源、政策

第 56 巻第 5・6 号、2008 年 3 月)、「戦後日本のサービス業の利潤率格差」(『関西大学経済論集』第 58 巻第 1 号、2008 年