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(1)

ツーリズム史に関する若干問題の考察 : ツーリズ ム進展のとらえ方をめぐって

その他のタイトル Some Teoretical Issues in Tourism Histories:

What Do the Histories Tell Us?

著者 大橋 昭一

雑誌名 關西大學商學論集

巻 55

号 6

ページ 41‑60

発行年 2011‑02‑25

URL http://hdl.handle.net/10112/4844

(2)

関西大学商学論集 第

55

巻第

6

(2011

2

月 )

41 

ツーリズム史に関する若干問題の考察

ーツーリズム進展のとらえ方をめぐって一

大 橋 昭 一

I.

序一人間の旅のはじまり

人間の旅は,いつごろから始まったものであろうか。そもそも人類は

400

万年ほど前にアフ リカで出現したアウストラロピテクス(猿人)を元とし,

180

万年ほど以前に生まれたホモ・エ レクトゥス(原人)が始まりで,それが世界各地に移動して,現在のような泄界共通的なヒト 属ヒト種のものになったといわれる。これから考えると,移動,つまり旅は,人類の始まりか

らあったと考えられる。

通常,人間は労働によって他の動物から分かれ,人間つまりヒト種になったといわれるが,

歴史的にみれば,人間が人間(ヒト種)となったのは,このような旅によってではないであろ うか。人間が労働によって頭脳・手足等を発達させ,理性をもつ存在となったことは否定でき ないとしても,それは旅のなかで,端的には異なった環境へ移動する過程で行われ,強化され たのであって,その結果,理性ある存在として育ってきたものであると思う。

そうしたヒト種,つまり人間として存在するようになってからの旅ないし旅行の記録のなか で,現在明らかになっている最も古いものの

1

つとして,まず,紀元前

4000

年ごろメソポタミ ヤ地方に現れたシュメール人

(Sumerians)

のそれがある。シュメール人は, くさび形文字を考 案し,貨幣を発明して取引で用いていた。さらに日常の交通や輸送のうえでは車

(wheel)

を発 明し,旅行案内のガイド的な者もいた。交通・輸送・宿泊が代価(貨幣もしくは現物)の支払い で行われていた。

ちなみに,ツーリズム史研究の世界的専門家の一人であるウォルトン

(Walton,J.K.

)は,

2009

年の論考で,ツーリズム史研究の重要性を強調し,「すべての旅

(trip)

には歴史的次元がある

ことの認識を持つこと」が重要であると述べている

(y,p.115)

。ここでは,ウォルトンの指摘に 触発されて,ツーリズム史研究に関連する若干の問題について考察することを課題とするが,

最初にまず,前記シュメール人によるツーリズム発祥的事情に続くツーリズムの歴史について,

ここでは主として

R.A

.クック

(Cook,R.A.)

/イェール

(Yale,L.J.)

/マークワ

(Marqua,J.J.

)の見

解に依拠し

(c,pp.1013)

,ヨーロッパ地域を中心に以下のように時期区分して概観しておきたい。

(3)

42 

関西大学商学論集 第

55

巻第

6

(2011

2

月 )

なお,参照文献は末尾に一括して掲載し,典拠個所は文献記号による文中で示した。

II. 

ヨ ー ロ ッ パ に お け る ツ ー リ ズ ム 史 の 概 観

(1)

古代王朝・帝国の時代

(theempire era) 

ここで古代王朝・帝国の時代というのは,主としてエジプト諸王朝時代,ギリシャ都市国家 時代およびローマ帝国時代をいうが(概ね 5 世紀末ごろまで), これらの時期・地域ではなんらか の中央政府がそれなりに整備され,行政機能を発揮していたこともあり,中央政府所在地から 主要地域には幹線道路が設けられ,付随的に宿泊施設や馬の乗り継ぎ制度等も整っていたとこ ろもあった。とりわけローマ帝国時代にはその整備が進み.約

10

キロごとに宿泊・乗り継ぎの 施設があるものもあった。そうした施設がないものも含めると,地方に通じる幹線道路的なも のはおよそ

85,000

キロにも及んでいたといわれる。中東でも紀元前

2000

年ごろにはキャラバン 用の中継宿営地であるキャラバンサライ

(caravansary)

ができている。

(2)

中世およびルネサンスの時代

(theMiddle Ages and the Renaissance era) 

ここで中世とは概ねローマ帝国崩壊

(476

年)からルネサンスの興隆期

(15

世紀ごろ)までをい うが,封建制の定着とともに各地域は分立度の高いものとなって,交通施設や貨幣制度も分散 化して,ツーリズムは困難なものとして衰退した。当時は,例えば王の旅でも行路について厳 しい事前チェックが行われた

(s,p.29)

。人の移動としては

1096

年〜

1291

年十字軍の遠征があり,

1275

年〜

1295

年にはマルコ・ポーロがアジア各地に至る旅行をするなどの事績はあったが,古 代時代のようなツーリズムの盛行は.ルネサンス(概ね

14

世紀〜

16

世紀)のころまで待たねばな

らなかった。

ルネサンス時代で何よりも注目されるのはいわゆる大航海時代の到来である。例えば,

1492

年にはコロンブスによる 新大陸発見 があり,

1497

年バスコ・ダ・ガマが喜望峰を回ってイ

ンド航路を確立した。

1522

年にはマジェランの部下船員らが世界一周を成し遂げている。地球 儀が作られたのも

1492

年で, ドイツの地理学者ベハイムのものが最初といわれる。

( 3 ) グランド・ツアーの時代

(TheGrand Tour era) 

グランド・ツアーは,主としては

1678

年にゲイルハード

(Gailhard,J.

)がイギリスの貴族子弟 に 対 し ℃

ompleteGentleman"

となるために 3年間にわたる欧州大陸研修旅行を提唱したの がきっかけである。主たる滞在地はフランス,なかでもパリで.次いでローマ, ミラノ,ベニ スなどのイタリア諸都市とし,帰途にドイツ,オランダあるいはスイスなどにも訪れるもので あった

(h,p.51)

。一説によると,その数は,多い年では

40,000

人も数えたといわれる

(q,p.34)

グランド・ツアーは,産業革命の始まる

1760

年代ごろまで続いたが,

1700

年代になると参加

者層が変わって期間も短くなり,性格もかなり変化した。それまでは貴族子弟中心で,期間も

原則として 3 年間であったが.

18

世紀になると新興ブルジョアジ一層が中心となって,年長者

(4)

ツーリズム史に関する若干問題の考察(大橋)

43 

も増え,期間も短くなって, 目的も教育・教養から見物や楽しみ

(sightseeingand pleasure)

中 心のものとなった。グランド・ツアーは,確かにツーリズムが

1

つのステイタス・シンボルで あった典型的なものであったが,

18

世紀には通俗化し

(popularized)

,今日のマスツーリズムに 似た性格のものとなった

(s,p.29;h,p.51)

。なお,現在でも

grandtour

という言葉は一般的に使わ れることがあるが,

TheGrand Tour

という言葉は,本来はこの

17

世紀〜

18

世紀の大規模大陸 研修巡遊旅行をいうものである。

(4)

モビリティ一時代

(themobility era) 

ここでモビリテイ一時代とは,概ね

1800

年から

1944

年までをいい,産業革命によって資本主 義体制が確立し,発展し始めたころから,第二次世界大戦終了時までをいう。この時代がモビ リティー(移動,流動化)といわれるのは,一言でいえば,資本主義の進展により労働者層を中 心に一般大衆がなんらかの形で旅行・ツーリズムに参加し,ツーリズムの一般化・大衆化が進 んだ時期であるからである。中世的封建制の終わりを告げるエンクロージャー(土地囲い込み,

農民解放)がイギリスなどで盛んに行われたのは, ( 第

1

次エンクロージャーとしては)

1760

年代〜

1800

年代であった。資本主義体制確立の契機となった産業革命は,

1781

年にワットの複動式蒸 気機関の発明があって,イギリスでは本格的に進行し,旅客輸送鉄道も

1830

年リバプール〜マ

ンチェスター間で開業した。産業革命は

1830

年代末ごろまでには終了したといわれる。

この時期におけるツーリズム史上特筆されるべきこととしては, トーマス・クック

(Cook,Thomas: 

18081892)

が開業間もない鉄道を使い,最初のパッケージ・ツアーを試みたことである。そ れは

1841

7

5

日,イギリスのレスターとロフボロウとの間

12

マイルについてミッドランド・

カウンティズ鉄道会社

(MidlandCounties Railway Company)

のチャーター便を使ったものである。

一人あたり往復料金は

1

シリングで,参加者は禁酒運動大会参加者

570

人であった。

トーマス・クックはもともと印刷業者であったが,バプティスト派の伝道師でもあって,禁 酒運動家の一人であった。禁酒運動大会参加者が団体で大会に参加できるようチャーター便で 一括輸送することを考え,当時高価であった鉄道を割安で乗れるようにしたものであった。ト ーマス・クックはその後

1848

年にはスコットランドヘのツアー旅行を催行し,

1872

年には世界 一周ツアー旅行も実現している。かれの事業には

1866

年息子のジョン

(John)

が加わり,

1871

年息子たちとともにトーマス・クック・アンド・サン社を立ち上げたが,事業の経営面では息 子のジョンと衝突することもあった。トーマスは利他主義的精神の持ち主であったが,息子の

ジョンはビジネス精神が旺盛な方であったからである。

トーマス・クック社の大量人員輸送技術の優秀さがさらに広く知られるようになったのは.

1884

年のことである。当時行われていたイギリス軍隊によるハルツーム(現スーダン共和国首都)

攻略戦の際イギリス軍隊の後退輸送を請け負い,見事やってのけた。こうしたこともあり,

ト ー マ ス ・ ク ッ ク 社 の し た こ と は , 要 す る に , 「 イ ギ リ ス 帝 国 の 商 業 的 拡 大

(commercial extension of the British Empire)

に尽くしたものではないかという声もある

(y,p.118)

(5)

44 

関西大学商学論集 第

55

巻第

6

(20ll

2

月 )

一方,海上交通をみると,蒸気船による大西洋横断航海が初めて実現したのは

1840

年のこと で,それまでは木造の帆船によるものであった。こうしたこともあり,ツーリズム史上では

1840

年あたりが画期的な時期といわれ,ツーリズムの民主化

(democratizing)

の始まりの時と いわれたり

(y,p.117)

, リース

(Reece.W.S.)

のように,ツーリズムは

1840

年までは基本的には貴 族などの富裕層のものであったが,この時

(1840

年)から急速に「多くの社会諸階層的大衆の

ものになった」と言うものもある

(q.p.35)

一方,ツーリズムの一般化・大衆化のためには,ツーリズムの需要側でそれを可能にする条 件の整備つまり労働者を中心にした一般大衆において所得向上と自由時間増加のあることが 必要であるが,それが少しずつ具体的な形で現われてきたのは概ね第一次世界大戦ごろからで ある。まず,労働時間でみると,欧米では

1920

年代までには週

48

時間労働制がかなり普及して いる。休暇制度についても,例えば当時

(19091913

年)のアメリカ大統領タフトは労働者に対 する休暇の付与・拡大を提唱しており,

1913

年アメリカのウエスティングハウス社は有給休暇 制を実施している。第二次世界大戦後イギリスでは

1969

年フルタイム・プルーカラー労働者の

97

%は

2

週間の有給休暇制であったが,

1988

年には

99

%が

4

週間になっている

(s.p.220)

所得の面をみると,アメリカの場合,一人あたり GDP は

1840

年約

1,600

ドルであったが,

1930

年には約

6,000

ドルになっている

(q,p.36)

。アメリカの国内旅行進展の点では,

1914

年フォ ード社が一律規格・低価格の

T

型車についてベルトコンベヤーによる本格的生産を始め,自動 車旅行普及の大きなきっかけになったことが注目される。

ツーリストの受け入れ側であるツーリズム目的地の動向をみると,ゴ ( G o ,F . M . ) らは,地域 プランド

(placebranding)

理論の立場から,都市などがツーリスト用に地域の整備的活動を始 めたのは,すでに

1850

年からであると指摘している

(g.p.xxii)

以上のように,この時期は,確かにモビリティー進展の時代ではあるが,

R.A.

クックらのよ うにこの時期をツーリズムについて「モビリティ一時代」と名づけるのには異論があるものが あるであろう。というのは,「モビリティー」という言葉は,近年の大量的車社会の到来をは じめ人・物・情報等の移動・流動化を指す用語としてかなり一般化しているからである(参照 文献 a 第

10

章)。本稿筆者としては,この時代は,例えば「現代ツーリズムの定着の時代」

(the tourism popularization era)

と名づけるのがより適切であると考える。

ただし,

R.A

クックの試みでは, この時代が(少なくとも欧米の場合)

1800

年代から始まるもの

とされていることに充分注意されるべきである。すなわちこの時代は,資本主義体制が確立し

大いに進展した時代であり,

R.A

.クックらの特徴づけは,今日的なツーリズムが資本主義体制

の確立•発展とともに進んできたことをいうもの以外の何物でもない。この点からいえば,今

日の現代的ツーリズムは,それをどのように特徴づけるにせよ,その歴史的本質が資本主義の

産物であるところにあることは否定できない事実である。そして,その実体は何よりもマスツ

ーリズムの進展にある。この点は,後述のように,次の第二次世界大戦終了以降の時代につい

(6)

ツーリズム史に関する若干問題の考察(大橋)

45 

てさらに強くあてはまる。

(5)

現代

(themodern era) 

この時代は.第二次世界大戦終了の時から今日までを指すが.この時期でまず注目されるこ とは.

1950

年代(終戦後) 〜

1970

年代に世界的にツーリストが急増したことである(図表

1

参 照 ) 。

1967

年は国連指定の国際観光年

(InternationalTourist Year) 

であった。ヨーロッパでは地中海沿岸地帯を中心に現代マ スツーリズムが盛んに行われ,後述のように現在も続く大 きな論議の的となってきた

(o,p.2)

。こうしたマスツーリズ ムの盛行の事由としては,戦争中の禁欲や緊張からの解放 感が大きかったことや.戦争中に訪ねた地域ヘツーリスト として再訪してみたい欲求などが爆発的に表面化したこと などが挙げられているが

(c,pp.1213)

,大衆的マスツーリズ ムを容易にし促進したいくつかのビジネス上の要因があっ たことも看過されてはならない。例えば,

1950

年ダイナー ズ・クラプがクレジット・カード制を始めている。これに よりツーリストは現金を持ち歩く必要がなく,通貨交換の わずらわしさからも解放された。輸送力の点では

1952

年ジ ェット旅客機がロンドン〜ヨハネスプルク間で就航したの

図表 1 国際ツーリスト数 年 ツーリスト数 増加率

(百万人) (%) 

1950  25 

1960  69  176  1970  166  141  1980  288  73  1990  456  58  2000  688  51  2001  682  ‑0.8  2002  702  2003  691  ‑2  2004  762  10  2005  802  2006  847  2007  901  2008  920  2009  880  ‑4 

出所:2000年まではh,p.27:それ以後はアジア 太平洋観光交流センター「2008年国際観光概 9頁。いずれもUNWTO資料による。

を手始めに.本格的なジェット旅客機ボーイング

707

1958

年登場し.さらに

1970

年には収容 席数

352

を数えるジャンボジェット機が就航し,一躍ジェット機による大量輸送の時代になっ た。受け入れホテル側の整備も.アメリカでは.特に

1957

年ウィルソン

(Wilson,K.

)が

Holiday Inn Motel Chain"

としてこれを推進し.安心できるツーリスト用ホテルの整備に尽力した。

今日でも.善かれ悪しかれマスツーリズムの代表のようにいわれる地中海沿岸地帯のそれな どについてはさらに人々.特にヨーロッパ北部の人々における健康観.健康美感において変 化が起きていたことも大きな要因の

1

つである。もともとヨーロッパでは中世のころから海水 浴療法の考えがあり, 日本における温泉浴と同様.海水を浴びることは健康に良いという信仰 のようなものがあり(詳しくは a ,

52.192

頁),特に夏季に海水浴に出かける慣習があった。このう え第一次世界大戦後には.とりわけヨーロッパ北部では夏季に太陽光線を浴びて日焼けするこ とが望ましいという傾向が行き渡り始めた。それまでは特に上流階層の婦人では階層的シン ボルとして白い肌

(palecomplexion)

が絶対的条件であり, 日焼け肌などは避けられるべきもの であったがそれが変わった。上層.下層を問わず日焼け肌は健康美の象徴となった。すでに

1920

年代.例えばフランスの地中海沿岸部ではこうした日焼け肌希求的旅行客が多く押しかけ ていた

(s,p.218)

。第二次世界大戦後はそれがさらに広く一般化したのであった。こうした傾向は.

健康美における平準化傾向でもある。

(7)

46 

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2

月 )

第二次世界大戦終了以降現在に至る時期は,このような健康美の平準化を含めて人々の大衆 化・一般化が進行した時期であり,それがツーリズムにも強く現れている。マスツーリズムで も,後段で述べるような「さらに一般化・平準化したマスツーリズム」の時代を生み出してい る。その先駆的現象が当時から続く地中海沿岸地帯のマスツーリズムであった。

この時期の特徴について,シャープレー

(Sharpley.R.)

は,最も端的には,外国旅行・国際 的ツーリズムが,富裕的特権的少数のものから,一般大衆にも可能な余暇活動になったところ にあるとして,この時期の特徴を「ツーリズムが,

1

つの社会的現象として,社会に内部化

(internalized)

されたところにある」と規定している

(s,p.221)

。このこと,すなわち「ツーリズ ムの社会内部化」は,一般的には,いうまでもなく,国内旅行の大衆化をも入れて考えるべき ものであり,そうとするならば,

R.A

.クックらのように今日を「現代」とのみ特徴づけること からさらに一歩進めて,この時代はシャープレーにならって,「現代ツーリズムの内部化」

(the tourism internalization)

と表現した方が適切であると考える。

いずれにしろ,この時代の,つまり現代的ツーリズムの実体的特徴は,一言でいえば,上記 の「さらに一般化した平準化したマスツーリズム」にあるが,それは具体的にどのような特徴 をもつものであるか。この点は,後段で論じることとし,そのまえに,次項では,以上のツー リズム史の概観のうえにたって,現在におけるツーリズム史研究において問題となる理論的論 点はどこにあるかについて,ウォルトンのいうところにより考察しておきたい。

III.

ツ ー リ ズ ム 史 研 究 の い く つ か の 論 点

ウォルトンの出発点になっていることは,ツーリズムにおいて歴史を知ることは現在や将来 の状況の認識のうえで不可欠なことであるが,それが必ずしも充分にはなされていないという ことである。ツーリズムでは歴史は特に重要である。というのは,ツーリズムは歴史(的遺産)

に依存する度合いが大きいからである。確かに歴史(的遺産)を守ることと社会的革新(例えば 近代化)を進めることとは両立しないことがある。しかし,歴史を知ることによって知りうる

ことは多くあるし,歴史からしか知りえないことも多くある。このような問題意識にたってウ ォルトンは,現在におけるツーリズム史研究上で論点になるべきものをいくつか挙げているが,

ここでは次の諸点に焦点を絞って論述しておきたい。

1.

ツーリズムの発展をどのようにとらえるか

ここでウォルトンがまず主張とすることは,ツーリズムの発展は要するに二律背反的命題の

もとにあるということである。ツーリズムの発展・振興のためには,一方では観光地の文化や

風物などについて独自性・歴史性を保守すべき必要があるが,他方では観光客の来訪によって

そうした独自性・歴史性が薄れ,均質化あるいはグローバル化する傾向が生まれる。これをど

(8)

ツーリズム史に関する若干間題の考察(大橋)

47 

のようにとらえたらいいかという問題である。

これは,ツーリズム史としては,ツーリズムのこれまでの大衆化・マス化,すなわちマスツ ーリズムの進展をどのようにとらえるかという問題であるが,こうした観点からも,これまで のツーリズム史上の出来事のなかで,さしあたり注 H されるべき事象として,ウォルトンは次 の

3

者を挙げている

(y,pp.116117)

。①1

6

世紀〜1

7

枇紀のグランド・ツアー,②1840 年代に始ま るトーマス・クックの試みに代表されるパッケージ・ツアー,③第二次世界大戦後に大盛況を 迎えた地中海沿岸地帯を中心にしたいわゆる現代マスツーリズムである。

ここにおいてウォルトンが反論せんとするところは,これら

3

者の出来事についての旧来の とらえ方には次のような特徴があったという点に対してである。すなわちそれは,まず,

tra veler

tourist

とを区別するものである。

traveler

は先駆者的旅行者で自主的行動を旨とする。

これに対し

tourist

は,パッケージ・ツアー客に代表されるもので,集団的存在で受動的である が故にかえって自己中心的なものとなって,快楽追求に走り,社会的規範を無視したりするこ とがあるものである。パッケージ・ツアーなどのマスツーリズムは,こうした

tourist

の集まり である。これまでの一般的な考え方はこうしたものであったから,旧来のツーリズム,ツーリ ストの歴史については,これを快楽追求的なマスツーリズムの隆盛傾向としてとらえ,そして それが今日のようなジェット航空機時代まで続いてきたものとされるのであった。

これに対して,ウォルトンは, こうした特徴づけは当を失したものであると批判する。それ は,これまでのツーリズムの歴史を一面的に単純化し,歪曲し

(distortion)

, ミスリーデイング する以外の何物でもないというのである。ただしウォルトンは,これまでのツーリズム,特に 大衆的なマスツーリズムにおいで

l

央楽追求的な面がなかったというのではない。古代のギリシ ャやローマの時代から旅やツーリズムにはそうしだ

l

央楽追求面があったことは否定できないの であり,いわゆるマスツーリズムについてだけそれを一面的に指摘し糾弾するのは,歴史的事 実からいっても不当であり妥当性がないというのである。

このことに関連してウォルトンは 日本の宗教的巡礼の場合にも言及し,

1832

年の記録によ ると,温泉旅行を伴った巡礼旅行のような場合には7

0

%が快楽

(pleasure),30

%が偏仰

(faith)

であったとされていることを引用している。

さらに「ツーリズムの発展をどのようにとらえるか」という問題には,重要な

1

分野として

「国家政策とツーリズムとの関連」という問題がある。これは要するにこれまでのツーリズ ム論で主要な一角を占めてきた「中枢

(center,core)

と周辺

(periphery)

」の問題,すなわち「帝 国主義,植民地,植民地独立後

(postcolonial)

」の問題である(詳しくは a ,

28

頁 ) 。

ウォルトンによれば,それはさしあたり未知の場所や文化に目を向けるもの

(touristgaze) 

であり,西欧人からいえば,端的には「オリエンタリズム」

(orientalism)

といわれるものであ

るが, しかしそれは,実際にはツーリストのために原住民の住居を移転させたり地域の文化

をツーリスト川に演出したりして「変更」を行い,ツーリストの実質的支配・コントロールの

(9)

4 8   関西大学商学論集 第

55

巻 第

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(2011

2

月 )

もとにおく問題である。

しかし他方,現在では,先進国でも自国民のアイデンテイティの強化・高揚が大きな課題と なっている。自国内旅行を勧め,いわゆる「自分の国の良さを知ること」によって「ナショナ ル・アイデンテイティ」を形成することが重要課題となっており,ツーリズムはそうしたアイ デンテイティ形成に役立つものとされている。ドイツで l : ' . トラ一時代に歓喜力行団

(Kraft

<lurch Freude)

によって推進されたツーリズムを中心にした余暇運動や(参照文献

a.r),  1930

年代

1940

年代アルゼンチンでレジャー・ツーリズムヘの「全員民主的参加」

(shareddemocratic  access)

の運動として行われた「社会的ツーリズム」

(socialtourism)

などはそうしたものである

と位置づけられている。

こうした角度からみると,前記のトーマス・クック社によるイギリス軍隊協力の問題は,イ ギリス帝国拡大の一翼を担ったものであった。近年では旧東欧社会主義国の崩壊後,同地域へ l : ' . ルトン・ホテル等が真っ先に進出していったのは,アメリカのツーリズム政策の一環といっ て い い も の で あ り , ア メ リ カ 的 生 活 様 式 , す な わ ち 「 マ ッ ク デ イ ズ ニ フ ィ ケ ー シ ョ ン 」

(McDisneyfication)

の浸透・普及の有力な手段たるものであった。ウォルトンに言わせると,そ れは「国際的資本主義」

(internationalcapitalism)

の進展そのものであった。

他方,国際的ツーリズムの進展が,先進国でも国の体制変化をもたらすことがある。例えば

1975

年スペインでフランコ政権が退陣に追い込まれたのは,

1960

年代〜

1970

年代に進展した同 国へのツーリズムの隆盛によるところが大であるといわれる。国がツーリズムを通してナショ ナル・アイデンテイティ強化を呼びかけるゆえんである。

以上は,ツーリズムにおける歴史研究の理論的意義を論じたものであるが,次に歴史研究に 内在する理論的問題を考察する。

2.

ツーリズム史研究上の若干の理論的問題

ここでウォルトンが問題として提起する第

1

のものは.「歴史的事実の統計的数値などはど れほど正確なものか」という点である。この点に関する論述の冒頭でかれは「

1970

年代以降 の資料についてぱ注意深く収集し記録されているものと認められるが.それ以前の時期につい ては,統計数値.例えばツーリズム客や旅行客の数,一人あたりの消費量などの統計数値はき わめて疑わしいもの

(extremelydubious)

ばかりである」と明記し,時代を遡れば遡るほど疑わ しさは増すと述べている

(y,p.120)

。この問題は

2

点に分けて考えられる。

1

つは.古い時代に は正確な統計的把握が困難で.事実が伝聞などにより過大に(あるいは過小に)とらえられてい たという点である。今

1

つは,現在時点を含めてツーリズム等では実際数値の把握が難しいと いう点である。

前者の歴史的事実についての統計的把握の困難性は,改めて論じるまでもないことであるが,

後述のように,

2009

年の論考(参照文献 j) で,ギュイチャード・アンギィス

(GuichardAnguis,S.) 

(10)

ツーリズム史に関する若干問題の考察(大橋)

49 

は , 日本では江戸時代における旅行者数について,当時の歩くことが基本であり,従って道路 もそれほど広いものではなかった旅行条件からいって,過大に評価されていると批判している が本稿筆者の見解においても,日本の歴史で挙げられる,例えば合戦時の軍勢の数値などは,

当時の道路や資材輸送力等からいって過大ではないかと思われるものが実に多い。

歴史的事実についても特にツーリズムに関しては数値の把握が不正確になり易いという難 点がある。この点は次の問題と重なるが,データの集め方や記録の仕方などにおいて確実な方 法をとることが難しく,例えば移動者数や旅行者数なども多くが見積もりや推定による場合が 多いからである。ウォルトンは「歴史家たちは公的な全国的ないしは地域的なツーリズム統計 や交通量センサス,あるいは宿泊・遊興税統計などから数量的把握に努めてきたが,その信頼 性と比較可能性は今日でも疑間があるものである」とし

(y,p.120)

,このことから生まれる「歴 史(的数値)についての懐疑主義」は計り知れないものがあると評している。

2

の,ツーリズムでは実際数値の把握が困難なことは,ひとつには,ツーリズム関係の仕 事が,全く個人営業や家業的形態でなされることが多いことに関連している。観光地の案内な どは全く無料で,ないしは好意的配慮でなされることが多いし,宿泊・飲食・交通等にしても,

個人的または家業的になされることが多いから,そうした場合には正確な統計的把握は実に難 しい。さらにツーリズムでは,女性労働の果たす割合が大きいがその正しい統計的把握は困 難な場合が多い。特に宿泊・飲食業では実際上主婦が果たしている役割は,今 H でもかなり大 きいが,正しく把握されているのはごく少数である。というのは,統計上などではそれは家業 として夫の仕事とされることが多いからである。特にツーリズムではジェンダーの問題は避け て通ることができないが,その実態掌握は歴史研究の大きなテーマである。

この問題は,もとより民族・人種問題にもありうるものであり,一般的にいえばツーリズ ムは安価な労働力に依存しているものではないかという問題につきあたる。その意味でいえば,

ツーリズム,特に安価が売り物の大衆的なマスツーリズムでは,楽しさ

(enjoyment)

と搾取

(exploittation)

とが同居しておりそのバランスをどのように図るかという問題がある。その実 際的姿は歴史研究によって可能になるところが大きい。

それ故,ウォルトンによれば,ツーリズムにおける歴史研究の大きな役割は,ツーリズムと いう外観上は実に単純な事実が,複雑な意味をもつゆえんを明らかにするところにあり

(y,p.118),

それは個別的なケーススタデイの積み重ねによって成し遂げられる。ツーリズムにおいても全 く新しいと思われることが,ルーツを探ると,案外過去に遡るものであることが結構ある。ッ ーリズムが単なる孤立的現象としてではなく,多くの複雑な要因・要素から成っているもので あることなども,歴史研究によって明解になることが多いと,ウォルトンは結んでいる。

ウォルトンの所説は以上とし,次に,ウォルトンの所論でも言及されている, 日本のこれま

での旅・旅行の特徴について分析を試みている,前記で一言したギュイチャード・アンギィス

の所論についてレビューする。

(11)

50 

関j ) ̲ l j 大学 沼学論集

l

第55 巻 第

6

(2011

2

月 )

w. 

日本の旅の文化論について

ギュイチャード・アンギィスが問題意識とするところは(参照文献

j)

. 日本人はそもそも旅行 好きで.早期マスツーリズムといっていいものがすでに

17

世紀におきているが.それは西欧の 場合よりも.歴史的にみても.かつ社会経済的事情(例えば産業依命)から考えても.早期のも のであるばかりか現在でも旅・旅行になんらかの「旅の心」といった精神的なもの,あるいは 文化的なものを求める性向があって.この点においても注目すべき存在であるが,それはどの ような歴史的あるいは文化的な背景・基盤のうえに生まれ.かつ存続されてきたものであるか を解明しようとするところにある。

そこでかれは.まず.そもそも日本の旅・旅行はもともとどのような特色をもつものであっ たかを究明し.そのうえにたって. H 本的な旅・旅行の文化的あるいは心情的なシンボルとも いえる旅館(日本式・和風のもの)の.西洋式ホテルと異なる特徴を究明しようとする。以下本項 は.欧米人からみた日本のいわゆる旅・旅行の特色はどこにあるかに焦点をおいたものである。

1. 

日本のこれまでの旅・旅行の特色

ギュイチャード・アンギィスは. 日本人の心情では「旅」と「旅行」とが区別されていることか ら出発する。現在においても日本人の旅・旅行で精神的ないし文化的なエッセンスとなってい るものは.全般的にいえば.近代化以前.すなわち明治時代以前の.古代ないし中枇の時代か ら培われてきたところの.「旅行」とは異なる「旅」の文化的エッセンスである。旅は今日でも.

例えば平安時代末期の西行法師や江戸時代の芭蕉などと同様な境地において.「自分を見出す」

(discover oneself)

ものとされている。

これに対していえば.「旅行」は.明治時代以降.鉄道や自動車が輸入され使用されるように なってから生まれたものであり,そうした文明の利器を前提にした概念である。ちなみに英語 圏でも概ね

19

世紀後半ごろから使用されるようになった

tourism

の概念が. 日本でも使用され るようになったのはおおよそ大正時代からであるが.これは日本では一般に「旅行を楽しむ」

(traveling and enjoying oneself)

という意味をもつ概念とされているものと論じている。

旅は.このように単なる旅行やツーリズムとは異なって.かなり精神的な意味をもつ言薬・

概念として.今日でも日本人の心のなかで定着しているものと措定されるが,こうした旅の基 盤となった.明治時代までの日本の旅は. どのようなものであったか。それは.ギュイチャー

ド・アンギィスによれば何よりも次の

2

点を特徴とするものである。

1

の特徴は.旅は,少なくとも明治時代以前のものは.何よりも「歩くこと」

(walking)

で あったところにある。明治時代までは.ほとんどすべての者にとって. どこかへ行くことは.

遠いところでも近いところでも.すべて歩くことであった。駕龍で行くことも.馬に乗って行

(12)

ツーリズム史に関する若干問題の考察(大橋)

51 

くことも基本的には歩くことである。これに対し, ヨーロッパでは西暦紀元前4000 年ごろシュ メール人において車が発明され.人を運ぶこともされていた。いわゆる馬車

(coach)

自体は

15

世紀ハンガリーで考案されたといわれるが

(h,p.55),1605

年にはロンドンで辻馬車的な

hackney coach

が始まっている。どこかへ行くこと.つまり旅は.必ずしも歩くことではなかった。

旅は歩くことであるところに. 日本の旅概念の原点がある。歩くことである旅は.歩くこと を必ずしも前提にしないヨーロッパの旅行とくらべて,肉体的に負担の重いものであり,それ に耐える精神の強さを必要とするものであった。もとより日本でも牛車があって,狭い範囲で 人を運んだ時代もあった。それが消えてからは人の移動は歩くことだけになった。

日本では車が旅の用具にならなかったのは,いうまでもなく, 日本の道路事情, とりわけ地 理上の理由からきたものである。山地が多く平野部の少ない日本では.当時の土木技術では(な んらかの人を運べる)車が通れるよう道路を作ることは不可能であった。ゲルドナー

(Goeldner.C. R.)

/リッチー

(Ritchie,J.R.B.)

は.人間の歩行者や動物だけが通るようなところでは.人間

1

2

人が通れるような小道

(track)

で充分であるが.車の乗り物

(vehicle)

には道路

(road)

が 必要であるといっているが

(h,p.43)

,明治時代までの日本の道は多くが,ゲルドナー/リッチ ーのいう小道であって,道路ではなかったのである。

車が通る(ヨーロッパなどでいう)道路では.早くから車道

(carriageway)

と歩道

(footpath)

と いう概念があり.必要に応じて.道路は

2

つの部分に分けて設置されていた。その端的な例は.

今日でも.ポンペイの遺跡に残っている。この観点からいえば.日本では比較的近代まで.道 路には車道と歩道があるという観念がなかったのである。日本の道路も.今日では.ほとんど すべてが舗装されているが.歩道のある道路は.依然として例外的存在である。

日本の旅の精神に戻ると.ギュイチャード・アンギィスは, 日本の旅では精神性が強調され るが.実際には快楽追求が大きな不可欠な要素をなしてきたことを第

2

の特徴として指摘し ている。ヨーロッパ人の旅行でも既述のようにそうした面がなかったのではない。しかしギュ イチャード・アンギィスが述べているところによれば.巡礼旅行の場合.有名なスペインのサ ンチャゴ巡礼道では.快楽追求が付き物といった考え方や概念はなく.従ってそうした施設も なかった。かれによれば.「ヨーロッパの巡礼では快楽追求という観念がない点において.(日 本の)旅の概念とは全く異なる」ものである。この点でいえば. 日本の旅は(巡礼などの宗教的な 旅を含めて)遊興

(play)

と信仰

(pray)

とが共存するものであって.それは「他国ではそれほど 通常というものではない」

(j,p.8)

そのうえで.ギュイチャード・アンギィスは,井原西鶴の作品などを読むと. 日本では「巡 礼に出ることは, 日常生活から離れて楽しみ ( f u n ) を追求することの単なる方便であり」.従 って「江戸時代の巡礼はすべてが信仰心の篤い人々であると範疇づけるようなことはできない」

とし.これに対して, ヨーロッパ的意味での巡礼は「信仰の義務を注意深く達成しようとし,

巡礼という旅行の主要な目的と関係ないことは.これを避けようとしたものであった」と述べ

(13)

52 

関西大学商学論集 第5

5

巻第

6

(2011

2

月 )

ている

(j,p.10)

ギュィチャード・アンギィスのこの点での結論的主張は, 日本では「旅の心」は「自己の発 見」などといわれるがその旅は要するに

2

つの特徴を持つものであるとするところにある。

その

1

つは「他国ではあまり見かけないような通俗的方法で快楽を追求すること」であり,今

1

つは「歩くこと」(あるいはその精神)においてなされるものであることである ( j , p . 5 ) 。

以上のように,ギュイチャード・アンギィスは, 日本人のいう「旅の心」といったものに対 しかなり批判的な見解をとっている。ただし,宗教的ツーリズムについては,欧米でも,スミ ス

(Smith,V.)

に代表される次のような見解もある。すなわち,スミスによると,ごく一般的に いえば,巡礼などの宗教的ツーリズムでも,信仰志向と世俗志向

(secular)

との組み合わせは 決して一義的なものではなく,時と所によりどちらかに重点をおくものとなることが多い。こ れをまとめてシャープレーは次のように言っている。「宗教的ツーリズムでも,信仰志向と世 俗志向という

2

つの極点の間において,その組み合わせは,それぞれの者のそれぞれの宗教的 もしくは文化的ニーズにより無数の形のものになる」(参照文献

v;cited in t,p.238;

同趣旨の記述は

b,p.443

にもある)。アジアの論者では

2009

年シン

(Singh,S.)

/シン

(Singh,T.V.

)は「宗教的巡礼は宗教 的喜びと現世的

l

央楽とをはっきり見える形で統合したものである」と述べている

(u,p.137)

では,ギュイチャード・アンギィスは, 日本の旅館(和風旅館)に対してはどのような見解 をとっているであろうか。次に,本稿筆者により若干の補足をしたうえで,ギュイチャード・

アンギィスの日本旅館論をレビューする(参照文献 k ) 。

2. 

日本旅館論

ここで旅館というのは, 日本の営業用宿泊施設のなかでもホテルといわれるものとは別種の ものである。日本の「旅館業法」および「同法施行令」によると,宿泊施設はホテル,旅館,簡易 宿所,下宿に分けられている。ホテルというのは「設備・施設等が主として洋風のもので,一 客室の面積が

9

平方メートル以上で,

10

室以上の客室があるもの」である。これに対し旅館は「設 備・施設等が主として和風のもので,ー客室の面積が 7平方メートル以上で, 5 室以上の客室 があるもの」をいう(参照文献

Z,140

頁以下参照)。

この定義は,どちらかといえば最低規模の違いに着目するものであるが,大規模旅館では妥 当しない面が多くあるし,設備や施設でも洋風か和風かでは律しえないものが多く現れている。

ホテルと旅館の区別は明確なものではない。それ故それは歴史的由来の違いから生まれてき た側面がかなりあると考えるのが相当と思われる。また,規模の大小とも関連するが,ホテル では純粋の企業として,例えば会社形態をとっているものが比較的多いが,旅館では企業とい

うよりは家業というべきもので,個人営業形態で運営しているものが結構ある。

日本で純洋式のホテルができたのは

1862(文久2)

年のヨコハマ・ホテルといわれる。それ

までは日本の宿泊施設はいうまでもなくすべてが旅館であった。ただしそのなかには,江戸時

参照

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