ラ・アルプの「革命語」批判
辻 部 大 介*
言語の「刷新」
フランス革命が、市民による王権の奪取という政治上の事件にとどまること なく、それ以後「旧体制」と呼ばれることになるレジームの総体と決別し、社 会と文化のさまざまな領域での刷新(rgnration)を企てる運動へと成長 していった過程において、言語もまた例外ではなかった。1794年1月、喫緊 の課題となっていたフランス全土の言語的統一のための施策を提示するさい、
バレールは、「人間と市民の権利を初めて確立した、ヨーロッパの最も美しい 言語」が、いまや「社会のある階級」の専有から解き放たれたことを言祝きな がら、こう述べる。
長い間、それ〔フランス語〕は奴隷でした。王にへつらい、宮廷を腐敗 させ、民衆を隷属させました。長い間それは、学校では名誉を汚され、公 の教育の書物の中では嘘にまみれておりました。法廷では悪賢く、寺院で は狂信的で、免許状の中では無情、詩人たちによって柔弱にされ、舞台の 上では邪であったそれは、もっとましな運命を待って、いやむしろ欲して いるように思われました。
*福岡大学人文学部准教授
さらに、「1789年の革命以前に迫害という栄誉にあった、何人かの哲学者の筆 の下で、力強さと理性と自由をとりもどした」にもかかわらず、フランス語は 依然貴族への敬意と結びついており、「あたかも一つの国民の中に複数の国民 があるようだった」との見解に続けて、
これは、何らかの教育施設に入るためには貴族であるという証明が求め られた、君主政体においては、存在して当然のものでした。上流社会と呼・・・・
ばれるものの一員となるにはある種のさえずりが必要で、しかるべき人間・・・・・
となるためにはある特別なやり方で言葉を口笛で吹かねばならなかった国 においては。
こうした幼稚な差別は、笑うべき宮廷人の顰め面、堕落した宮廷の玩具 とともに、消え去りました。どれだけ純粋で響きのよい発音で話すかとい う高慢すらも、もはや存在しません、共和国のあらゆる地域から集まった 市民たちが、国民議会において、自由への祈念を、共同の立法への考えを、
表明してからというものは。かつては、さまざまな色合いで輝く奴隷たち が、流行と言葉の首位の座を奪い合っておりました。自由な人間は、皆た がいに似ており、自由と平等の力強いアクセントは、同一であります1。
ここでバレールは、われわれに二つのことを教えてくれている。第一に、革 命の推進者たち、より正確には、この演説が読みあげられた時期に権力を掌握 していた山岳派の人々によって、フランス語という言語が、王や貴族という特 権階級から奪い取るべき富の一つととらえられていたこと(そして、この簒奪
1
Bar re, Rapportetproj etded cretpr sent s,aunom duComi t deSal utPubl i c,
surl esi di omes trangersetl ' ensei gnementdel al anguefran ai se ( 8pl uvi se,l ' an
II) ,dansB.Baczko( pr sent par) , Une ducati onpourl ad mocrati e.Textesetproj ets
del ' poquer vol uti onnai re ,Gen ve,Droz,2000,pp.429-430. (阪上孝編訳『フランス
革命期の公教育論』、岩波文庫、2002 年所収の邦訳がある。)
は、すでに実現したものと考えられている)。第二に、この言語という富は、
王権の下では、たとえば発音の美しさといった基準を介して、人と人のあいだ に序列を生み出す機能を帯びていたが、市民の手にわたることによってそうし た機能が解消された、という考え方である。市民の言語は、選別・差異化では なく、平等を原理とするというこの理念は、バレールの数週後に同じ演壇に立っ たアベ・グレゴワールの提言の中でも、より具体的に、文法と語彙を簡素化す ることでフランス語を「革命化するrvolutionner」構想として表現されてい る2。
ところで、今日、革命を外側から眺める者の目から見ると、上の二つの論点 は、バレールにとってそうであるほどには、すんなりと接合するもののように は思えない。革命の最初期に起草された『人権宣言』を綴っている「ヨーロッ パの最も美しい言語」とは、この文書とともに出現した新しい言語ではなく、
王権の下でその美質を獲得してきた十八世紀のフランス語にほかならなかった。
フランス語という富 この言語が、革命開始の時点において、外交用語とし て、また教養ある人士の共通語として、かつてのラテン語に代わるヨーロッパ の普遍言語としての地位を獲得していたことをここで想起すべきであろう の奪取が実現したとして、その富が、王の宮廷が作りあげた社交の習慣を基盤 とするがゆえに富であるのだとしたら3、奪取それじたいの結果として、富は 富としての価値を減じてしまうことになりはしまいか。言いかえるなら、言語 の民主化は、必然的に言語の内実の劣化をともなうのではないか。
ここにおいて、バレールらの掲げる革命の理想は、一つの大きな困難に直面 していると考えなくてはならない。ここで問われているのは、言語の刷新とい
2
Ibi d. ,p.428.
3十八世紀末にいたるフランス語の文化史において、こうした見方を全面的に展開してい るのが、マルク・フュマロリである。M.Fumarol
i , Leg ni edel al anguefran ai se , dansP.Nora( di r. ) , LesLi euxdem moi re ,Quarto3,Pari s,Gal l i mard,1997,pp.
4625-4685.
うものが、どこまで可能であるのか、またどこまで許されているのか、という、
文化の定義に関わる問題である。本稿では、二十一世紀の人間にとっても過去 に属するものとは言い切れないであろうこの問題について考える一つの手だて として、革命の直中に身を置きながら、言葉の専門家という立場から革命家た ちの用いるフランス語を観察した、一人の文学者の議論に耳を傾けてみたい。
革命の全期間を通じて、フランス語の体系が、度量衡や暦の場合のような根本 的な変革の対象となった事実はみとめられない。にもかかわらず、「刷新」を 合い言葉とした精神が、言葉の使用そのものに作用し、未曾有の刷新が現に行 われていたという見方もありうる。それを証するのが、これから読解を試みる ラ・アルプ(1739-1803)のパンフレット、『革命語における狂信について4』 なのである。
「革命語」
この文書は、1797年2月、すなわち、テルミドール9日のクーデタ(1794 年7月27日)、共和暦三年憲法の発効(1795年8月22日)、総裁政府成立
(同10月26日)を経て、恐怖政治への反動をバネとした共和国の政治的安定 が模索される一方で、ヴァンデミエールの蜂起やバブーフ逮捕事件に顕在化す る左右両派の策動が、この安定を阻んでいた時期に出版された。本文は168ペー ジ5。著者ラ・アルプの主張の過半を、すでに題名が明かしている。それは、
もはやフランス語(lalanguefranaise)とは認めえない、「革命語lalangue
4
LaHarpe, Du fanati smedansl al anguer vol uti onnai re,ou del apers cuti on susci t eparl esBarbaresdudi x-hui ti mesi cl e,contrel arel i gi onchr ti enneetses mi ni stres ,Pari s,Mi gneret,an5 - 1797. 以下、この著作からの引用箇所は、(I,1 )の ごとく章番号とページ番号によって示す(原書の注からの引用は、n. の符号とともに注番 号を記す)。
5
本稿で参照する初版本(パリ国立図書館の電子図書館 Gal l i ca で閲読可能)は、印刷の
誤りにより、p.81 から p.96 が重複しているため、最終ページのページ番号は「152 」と
なっている。
rvolutionnaire」なるものが存在する、というテーゼである。また、副題
「十八世紀の野蛮人たちによって引き起こされた、キリスト教とその司祭たち に対する迫害について」が示すとおり、キリスト教擁護の立場から革命の推移 を断罪するという明確な意図をもって書かれている。
ラ・アルプが一貫して問題にするのは、言葉の誤った用法が、フランス国民 の惨禍と彼のみなす一連の過程を可能にしているという事態である。その仮借 ない批判の筆は、革命下に行われたさまざまな蛮行を暴き出すのだが、著者の 関心は、それらの行為そのものにもまして、それをうながした言葉がどのよう なものであったかに向けられる。そもそもここでとりあげる『革命語における 狂信について』(以下、『狂信』と略記する)というパンフレットは、著者によ れば、目下準備中の、はるかに大きな規模をもった著作のごく一部であるとい う。
私の計画は、革命の性格を、その第一の道具、革命の用いたあらゆる道具 のうちで最も驚くべき道具であった、その言語を検討することによって描 き出し、この言語の定着と、法によるその公認とを、唯一無二の出来事、
全世界に前例のない、神の下した罰としか説明のしようのない言語道断の事態ス キ ャ ン ダ ル として示すことである。(II,13,n.1)
ここで言及されている、革命の言語の全貌を明らかにする著作は、結局公にさ れることはなかったのだが、『狂信』の中では、「狂信」以外にもさまざまな語 や表現が「革命語」の例として検討の対象となっており、この言語に関する著 者の見解は十分に把握することができる。それらの語句のうち、主なものをあ らかじめ列挙しておくなら、「(1790年の聖職者市民法施行にさいして)宣誓 を拒否したrfracteur」、「陰謀家conspirateur」、「宣誓serment」、「忍耐 patience」、「反動raction」、「王党派royalisme」、などである。
『狂信』の議論を辿るに先立って、ラ・アルプが批判を向ける対象として、
三つのグループが区別されていることを確認しておかねばならない。第一の、
最大の標的は、ロベスピエールとともに革命の表舞台から去った「山岳」ある いは「ジャコバン」と呼ばれる指導者たちである。彼らこそが「革命語」を駆 使して、この言語を跋扈させる主役であった。そのかぎりにおいて、『狂信』
の「革命語」批判は、過去に対する審問である。しかし「革命語」は、この第 一の勢力とともに一掃されたわけではない。かくして、依然「革命語」に毒さ れている、執筆当時の代議士たち、ジャーナリストたちが、第二の標的となる。
さらに第三のグループとして、「フィロゾーフ」たちがある。ラ・アルプの
(そしてまた革命家たち自身の)認識によれば、啓蒙の哲学者たち(トゥッサ ン、エルヴェシウス、ディドロがその代表である)が革命の精神的師父であり、
彼らの用いた言語が、「革命語」そのものではないにせよ、その淵源となった。
彼らを論破することが、「革命語」の復活を未然に防ぐためには不可欠なので ある。これは、第二のグループが、「ジャコバン」とは断絶しつつも、「哲学」
への親和性を顕わにしていた(XIII,60)だけに、なおさら火急の課題と考え られた。
それでは、「革命語」とはどのような言語なのか。それは何よりもまず、フ ランス語の単語を、本来の語義から外れた、それもはなはだしく外れた意味で 用いるという特性をもつ。
革命6語の特質は、既知の語を用いることに、しかしつねにあべこべの意
・・
味で用いることにある。これには一つの例外もない。(VII,35,n.1)
6
引用原文のイタリックは、訳語に傍点を付して示す。なお、『狂信』中のイタリックは、
ほぼもれなく「革命語」の標識として用いられている。
『狂信』冒頭においてさっそく、全編の主題である「狂信fanatisme」の語に ついて、その本来の語義が(おそらくはヴォルテール『哲学辞典』の記述を踏 まえて)解説される。
狂信の本来の意味は、盲目的で度を過した宗教的熱情である。(I,1)
この定義は、やはり宗教上の逸脱を表す語である「神がかりenthousiasme」、
「迷信superstition」、また「幻視者illumins」の空想との対比によって、よ り明確に輪郭づけられる。つづいて、「狂信」が人間的な錯誤であることが、
自由意志に関する「健全な哲学」の見解に基づいて確認され、この錯誤が容認 されうる場合(=個人の内面にとどまる場合)と、法的手段によって禁圧せね ばならない場合(=宣教をともなう場合)とが弁別される。さらに、宗教戦争 の事例を引いて、狂信が忌むべき結果を引き起こしうると指摘することも忘れ られてはいない。
これに対して、革命語では、「狂信」の語にどのような語義が与えられてい るか。その用例からラ・アルプが帰納する定義(この定義が、数々の事例に裏 付けられた、端々にいたるまで正確なものであることを、ラ・アルプは疑わな い)は、以下のようになる。
「狂信とは、何であれ一つの宗教を信じること、父祖の信仰への愛着、公 の礼拝が必要であるとの信念をもち、その儀式を遵守し、その象徴を重ん じること。要するに、文明に浴したあらゆる民族が共有し、あらゆる場所 で、それぞれの民族に、宗教の外的なしるしを冒涜せぬよう命じている、
あの互いへの敬意。これが狂信である。誰であれ、これに罹患した者は、
公衆の敵であり、皆殺しにしなくてはならない。」(I,9)
すなわちそこでは、宗教上の逸脱の一形態である狂信が、あろうことか宗教そ のものと混同されているのである。
同じ箇所ではまた、狂信と宗教との、この誤った同一視を導きうるものとし て、もう一つの言葉の誤用が指摘されている。フィロゾーフたちは、狂信がも たらした災厄を根拠として、こうした「濫用abus」を生み出す宗教それ自体 が害悪なのだと主張した。しかし濫用という語は、もともと価値があるとみな されている物事について、それが悪い使われ方をした場合にこそ用いられるも のだ。濫用ゆえにもとの事柄を貶めることが許されるのなら、放縦は自由の濫 用だから自由は悪いもの、決闘は名誉の濫用だから名誉は悪いもの、というこ とになってしまう(I,4-5)。これもまた、語の acception(I,4)、すなわ ち慣用によって広く受け入れられた意味に対する「無知」なくしてはありえな い言葉の使い方である。
語の本来の意味をないがしろにすることは、ただちに、事物をそれにふさわ しくない名前で呼ぶことに通じる(宗教を狂信と呼ぶように)。そしてこれは、
革命語が大がかりに行うところである。例えば、「祭日・・fte」という宗教行事 に固有の呼び名を、宗教とは何の関係もない、十日目ごとの旬日や、革命史上 のあれこれの事件(そのほとんどは、ラ・アルプによれば、殺人、殺戮なのだ が)の記念日に適用したり(XIII)、「神様lebonDieu」の同義語にほかなら ない「至高の存在・・・・・l'Etresuprme」を、神以外の何ものか(だがそれは何か?)
を指して用いたり(XII,58)。「あの宣誓病という不治の病」(XV,71)という 現状認識とともに言及される「宣誓serment」もまた、定義上、宗教的行為 である(それは語源からも、「宣誓の神聖lareligionduserment」といった 慣用表現からも確かめられる)にもかかわらず、宗教性を剥奪されているため に、それが本来指すものとは別の何物かを指す語となってしまっているという 意味で、革命語の中に数え入れることができるだろう。神を否定した宣誓者た ちは、宣誓のさいに神の名を引くことができない。では彼らは何に誓うのか。
良心にか。だが、
良心はみずからに誓うことなどできない。誓う主体とみなされているのが 良心なのだ。「私は私に誓った」と言いうるのは、いと高き神のみである。
(XV,72)
語とその指示対象のあいだに不適合が起こるのは、名詞の場合にかぎらない。
パンフレットの後半、弁論術の伝統にしたがい、それまでに展開した議論への 予想される反論を、著者が逐一論破していく部分で、「愛するaimer」という 動詞の使い方が問題となる箇所がある。架空の反論者(革命語を使う人間であ る)は、まず、司祭たちには「革命を愛する」ことはできない(だから司祭た・・・・・・
ちの迫害はやむをえない)、と主張し、 人が愛することができるのは自分 に善をもたらすものだけである、だから、ジャコバン、山岳の輩以外の誰にこ の革命を愛せるはずがあろうか、と論駁されると、「革命を愛する」とは、こ こでは「自由、憲法、共和国を愛する」という意味だ、と言いつのる。しかし、・・ ・・ ・・・・・・・
ラ・アルプは答えて言う、自由とはそれじたいすばらしいものであるし、憲法 も共和国も、自由をもたらす度合に応じて、よいものということができる。だ が、これらのものは、「思弁においては吟味の、実践においては義務の」対象 であり、法的次元で「愛」の対象と定められることはありえない。・
法は情に関知しない。法が関知するのは行為だけである。(XX,98)
誰でも知っていていいはずのこのありふれた真理が、不思議なことに見過ごさ れている。そしてそれゆえの言葉の誤用は、行為について非難の余地のない相 手を、情の欠如を理由に訴追することを可能ならしめるのだ。
さらに、実体を欠いた名辞が流通するという現象に、ラ・アルプは目を留め
る。「宣誓拒否司祭・・・・・・rfracteur」という言い方は、このカテゴリーを生み出し た法律(1790年の聖職者市民法)がとうに失効したからには、もはや用いら れる理由がないのに、依然聖職者弾圧のために用いられ続けている(II,12)。
「王党派/王政主義・・・ ・・・・royalisme」という呼称は、党派か世論のどちらかを指す はずだが、現在のフランスにはどちらも存在している形跡はない。「告訴すべ き亡霊を必要としている人々」(XXVIII,139)の口にのぼるだけなのだ。こ うした名辞は、その意味するところについて明確な規定を受けることなく、もっ ぱら中傷の道具として、革命語の中に居場所を得ている。
ただの一つでもいいから、立法議会(元老会議を除いて)で発言された、
理にかなった意見のうちで、反革命、あるいは王党派、あるいは連邦主義・・・ ・・・ ・・・・
者、等々であるとして、つまり、この八年間われわれを支配してきた、まっ
・
たくもって意味を欠いた、これらの名称のどれか一つをもって、攻撃され ることのなかったものを、私にあげてみせることができるだろうか。
(XX,97,n.1)
「反革命」、「王党派」やそれに類する名辞に実体が具わっていないことは、こ れらの語が、同一人によって相反する立場の相手にひとしく差し向けられると いうような、明らかな非合理をも可能にする。憲法下で憲法に矛盾する法律が 作られるという国民公会の悪弊が今なお改められずにいることを指弾する箇所 で、ルーヴェら五百人会議のメンバーに帰せられる言説は、次のごとくだ。
「われわれの憲法を受け入れるのにわずかなりとも躊躇する者は誰であれ、
王党派、ふくろう党、陰謀家でしかありえない。だが、誰であれ、憲法は
・・・ ・・・・・ ・・・
それにしたがうために作られたなどと主張する者は、やはり王党派、陰謀・・・ ・・
家、ふくろう党だ。」(XXV,70,n.1)
・ ・・・・・
このような「常軌を逸するにもほどがある」ロジックを成り立たせている革命 語は、ここで「ヒエログリフ」に譬えられている。
言葉の正しい使い方に対する配慮の欠如に由来する、いま一つの革命語の性 質として、本来並び立たない語の結合という現象を指摘することができる。そ の例を提供するのが、「狂信者fanatique」と「忍耐patience」の二つの語の 場合である。問題となっているのは、共和暦四年霜月(1796年12月)の日付 をもつ、『総裁行政府により国家委員に宛てた訓令』と題された文書で、そこ に 読 ま れ る 「彼 ら〔 = 狂 信 者 た ち 〕の 忍 耐 を 荒 廃 さ せ よ Dsolezleur patience7」の一句に、ラ・アルプはとりわけ憤激する。「あらゆる情念のうち で最も激しい」狂信と、「徳のうちで最も穏やかなもの」である忍耐とが、ど うやって結びつけられうるのか。
忍耐とは、罪なき者の力、義なる者の徳である。(XV,82)
匿名の書き手(「フィロゾーフ」)は、彼が虐げる者の側にあり、彼がここで狂・・・・・・
信者と呼ぶ司祭たちが虐げられる者にほかならないことを、その無意識の言葉 遣いによって、みずから暴露しているのである。
しかし、この同じ箇所では、何よりも動詞「荒廃させるdsoler」の用法が、
言語道断の事態
ス キ ャ ン ダ ル
としての革命語の性格を際立たせている。ローマの暴君たちは、
殉教者たちの堅忍不抜を前にして、手を休める拷問吏たちにこう叫んだかもし れない、責め苦に責め苦を重ねて、彼らの忍耐を尽きさせよ(puisezleur patience)、と。これは屈辱を受けた傲慢の、やりこめられたと感じた激怒の 叫びだ。少なくともこれは、一時的な激怒、一瞬の叫びだ。
だが、彼らの忍耐を荒廃させよ、〔…〕は、習慣化した激怒、毎日、毎時、
7原文はスモール・キャピタル。
毎秒の激怒であり、これまでのところ、これを想像できる場所は、地獄の ほかにはない。(XV,81)
ここにいたって、革命語は、非合理性のみならず、非人間的という性質をまとっ て現れることになる。「人間の正義は、その同類を、打つこと、罰することは 命じても、苛むこと、荒廃させることを命じはしない」(XV,81)からだ。
人倫の基礎としての言語
ここまで見てきた、ごく限られた例によっても、ラ・アルプの目に映る革命 語の特性、さらには、革命語がどのようにして革命そのものの「第一の道具」
たりえているか、そのメカニズムの一端を、明らかにすることができたように 思う。同時にまた、ここで批判を行っているラ・アルプ自身の立脚点、言語と いうものに対する彼の考え方も、透けて見えてきたのではないだろうか。革命 語は、広く受け入れられた言葉の使い方から離反することによって、これを用 いる者を合理性から背馳させ、さらには人間性からも解離させることになった。
裏返して言えば、既存の言語には、十分な合理性や人間性が具わっている。ラ・
アルプが位置しているのは、つまるところ、既存の言語への信頼にもとづく、
「良識bonsens」の立場、と言い表せるような場所である。革命語がフランス 語という言語への重大な違犯ととらえられるのは、「本来の語義」という、広 く受け入れられた決まりごとに背いているからだけではない。この決まりごと に背くことが、フランス語がそれを正しく用いる者に保証している、理にかなっ たふるまいの公準を失わせるがゆえにこそ、革命語は斥けられねばならないの だ。初めに引いた、パンフレット冒頭でのラ・アルプ自身による「狂信」の本 義 の 説 明 は 、「 良 識 の 言 語 、 今 日 に い た る ま で 、 道 理 を わ き ま え た
(raisonnable)人間すべてがそう考え、口にしてきたところのもの」(I,9)に したがうものとされている。この、「良識の言語」を使う「道理をわきまえた
人間」の総体が、ラ・アルプの革命語批判を支える土台なのである。
ここで言われている「良識」や「道理」は、特定の民族や時代に限定される ものではない。じじつ、革命語とそれが引き起こす現象の異常さを指摘するさ いに、ラ・アルプはしばしば、諸民族の、あるいは後世の審判を仰いだり、過 去の歴史の中に前例がないことを強調する。「全世界の笑い者」(I,5)、「人間 の法廷の審判」(IV,23)、「末代の目にあなた方が呈するであろうおぞましい 絵図」(V,21)、「人類がかつて呈した、最も卑しむべき、最も憎むべき」(VI, 37)、「比較するものとてない、世界が見た最も驚くべき」(XVIII,18,n.2)、
……。ラ・アルプにとっての「良識」は、「人類l'espcehumaine」の過去と 未来を貫く、不変の価値につらなる何ものかである。
「良識の言語」たるフランス語は、また、キリスト教の教義に根ざす発想を、
その語彙と語義のあちこちに浸透させている。これは、ごく最近まで、王を筆 頭に、その成員のほぼすべてがキリスト教徒でありつづけた国の言葉として、
当然のことと言わねばならない。そして、みずからも信者であるラ・アルプは、
『狂信』の中で、フランス国内において今なお多数者であるはずのキリスト教 徒たちの代弁者として、そして時には神の代弁者としてふるまう。彼の依拠す る言語が、このように宗教と親しく結ばれていることは、この言語が道理にか なったものであることを妨げはしない。それどころか、宗教は、この言葉を用 いる人々が口にのぼす何げない言い回しの中にさえ、隠れた理法を宿らせてい る。王政下、悪事をはたらいた者が罰を免れている状況を指してよく使われた、
ある決まり文句について、ラ・アルプは次のような見解を示す。
かつて、「君主の信義が掠めとられた (On asurprislareligion du prince.)」と言う慣習があったのは、理解できる。これは、それが洗練さ れた言い回しだったからだけではない。そこには真実の響きがあったのだ。
人々は、 それは正しい前提なのだが 、統治者たる王は、悪を望む
ことに彼個人の利害を見出すことなどありえず、したがって、悪が行われ るのを放置しているとすれば、それは彼が欺かれているためだ、という前 提に立っていた。彼の過失が、彼の信義・・religionに対する掠めとり行為 と呼ばれたのは、国家の宗教・・・・・religiondel'Etat、すなわち、当時君主の 宗教であった、そして今もいっさいの正義の原理である宗教が、あったか らなのだ。(XV,71,n.1)
ラ・アルプが、宗教の中に、信義と公正にもとづいて人々を結びつけるはたら きを見ていることが、上の引用から読みとれるだろう。このような判断を導き 出す理性が、キリスト教を不合理なものとして斥けるフィロゾーフたちの理性 とはまったく異なる種類のものであることは言うまでもない。そしてこの判断 は、religionという語の使われ方に、言葉を使う者たちの健全な物の見方 が反映しているという認識と結び合っている。
ラ・アルプの「良識」の立場を一瞥したわれわれは、ここで、本稿の初めに 提示した「刷新」の問題と、再び出会っているといえよう。革命がめざしたも のとは、まさしく、過去との断絶ではなかったか。「われわれまでの世界が見 てきたことの正反対を行うことが、われわれの定めではないか」とのロベスピ エールの呼びかけは、ラ・アルプが最大限の嫌悪とともに認めるとおり、たし かに革命の「一大公理」であった(IX,44)。であるならば、「良識」の言語、
人類の過去の経験に多くを負う言語を武器として革命に対峙するラ・アルプは、
端的に「反革命」の側にある人物であると結論づけられるべきなのか。ここで 忘れてならないのは、フランス語が、「革命rvolution」の語をも、その体系 の中にしかるべく位置づけているということ、そして、革命家たちによって用 いられた「革命」の語は、語の本来の意味から外れた、革命語の語彙の一つと 認定されているということである。それゆえ、ラ・アルプが革命語における意 味での「革命」に反対している事実をもって彼を「反革命」と呼ぶことは、み・・
ずから革命語の使用者となることを意味するだろう。「良識」に即した意味で の革命に対しては、彼は(道理をわきまえた人間の誰もがそうであってしかる べきように)反対でも賛成でもないからである。
革命とは、国家に生じた「政体の変化changementd'tat8」のことであり、
それ以上でも以下でもない。革命が、圧政をともなわない場合(ローマ共和政 の樹立やスイス、オランダ、アメリカの独立革命)はもとより、圧政をともなっ た場合(クロムウェルのイングランド)でも、革命の結果として以前よりもよ い状態がもたらされたのであれば、それはその国家の成員にとってよいもので ありうる(XX,94-95bis9)。だが、逆に悪い結果がもたらされたなら、それは 悪い革命であろう。そして、『狂信』の一巻が読者に共有を呼びかけているの は、1789年の革命は、聖職者や敬虔な一般信徒が、市民の安全を脅かす行為 を何らはたらいていないにもかかわらず、生命そのものや生活の糧を奪われる という結果を招いたのだから、悪い革命である、という判断なのである。
革命語は、「よい統治」をもたらすための手段にすぎないと考えるべきであ るこの「革命」の語に、それが本来もっていない価値を付与する。
著者10にとって革命と自由が同義語なのは明らかだ。(XXVI,134,n.1・・ ・・ )
8この定義は、1795年頃の執筆と推察される(cf.J.
-P.Sermai n, ' Lesformesonti ci uneval eur':l aposi ti onsi ngul i redeLaHarpe ,dansE.N greletJ. -P.Sermai n ( ed. ) , Uneexp ri encerh tori que.L' l oquencedel aR vol uti on,SVEC ,2000: 02,p.
251.
)、『狂信』と関連の深い別のテクスト、「革命の精神」(L' Espri tdel aR vol uti on, ouCommenai rehi stori quesurl al anguer vol uti onnai re
)の本編冒頭に見出される。LaHarpe, Lyc eoucoursdel i tt ratureanci enneetmoderne ,t.14,Pari s,Depel afol , 1825,p.438.
9注
5
で記した理由により二つ存在しているp. 94-95
の、二つ目の方であることを、「bis」 をつけて表す。10『メルキュール・フランセ』(共和暦五年第九号)の一記事でラ・アルプを揶揄した匿名 の著者を指している。
自明の価値である自由と同一視された革命は、もはや自由を実現する手段では なく、それじたいが追い求めるべきもの、あるいは、すでにそれが得られたと したら、二度と手放さぬよう努めるべきものとなる。じっさい、定義上、「変 化changement」、すなわち完了した時点で初めてそう呼ばれるべきものであ るはずの革命が、革命語にあっては、継続の相のもとにとらえられる。さきに ふれた「革命を愛する」という表現もまた、この錯誤に由来するものだ。かく して、「ジャコバン」、「山岳派」たちは、革命を「愛」し、それを「永久に存・・・・・ ・・・ ・ 続させるperptuer」ことを望む(XX,94bis)。革命が愛の対象であるならば、
その永続を望むのは理の当然だが、これはもちろん倒錯した論理にほかならな い。
以上のようなラ・アルプの立場は、しかし、1789年の革命がその出発点に おいて鼓吹したさまざまな価値を否定することをけっして意味しない。『狂信』
の最後の章は、それまでの議論と、ラ・アルプ自身がキリスト教徒であるとい う事実との関係が、どうとらえられるべきであるかを説いた、弁論全体の成否 をにぎる鍵とも言うべき部分である。そこで彼はこう述べている。
虐げられた者を擁護するためには、キリスト教徒でなくてはならないだろ うか。これは信仰の問題だろうか。些かも。ここで問題なのは、普遍の正 義、生得の権利、市民の自由、要するに、あらゆる民族、あらゆる国に共 通することがらなのだ。(XXX,149)
「普遍の正義」、「生得の権利」、「市民の自由」といった諸価値を、「良識の言 語」はとうにみずからのものとしている。『人権宣言』は、それらの諸価値を、
ただちに、十全に実現すべきものとして工程表にのせたのであり、革命の役割 は、それらを実現しうる体制を作り出すことにつきていた。言葉を正しく使う ことと、『人権宣言』のプログラムとは、何ら矛盾しない。『人権宣言』に照ら
すかぎり、ラ・アルプは革命の側にいると断じなければならない。
再び冒頭の問題提起に立ち戻るなら、フランス語という富を、特定の階級に よる独占から解放し、民に等しく分け与える、というビジョンは、そこから
「階級」の文字を取り去れば、この富をいまだ自分のものとしていない者がそ れに与ること、と言いかえることができる。これは、出自や能力の差異に関わ らない人類の共同性の紐帯であるような言語に価値を見出す者にとって、共通 の理想でありうるはずである。しかも、物質的な財は、分配すれば一人一人の 取り分は小さくなるほかないが、言葉はそうではない。ラ・アルプの「革命」
批判が、言葉の誤った使用の摘発、という形をとっているのは、彼が言葉の番 人を自任する(リセ、すなわち教養ある成人男女を対象とした、今日の市民大 学に類する施設で、古典古代から現代までの文芸史を講じ、アカデミー・フラ ンセーズの元会員でもあったラ・アルプには、その資格があった)からである よりは、言葉の価値を信じる者の倫理、という点に、関わるのではあるまいか。
誰にも、とりわけ哲学者には、宗教と狂信ほどに基本的で重要な二つの語、・・ ・・
一方は万人にとって神聖であり、他方は万人にとってまさしく憎むべきも のである語の意味を完全に変えてしまい、教育のない大衆を欺くことは、
許されていない。(XVIII,81bis)
「教育のない大衆multitudepeuinstruite」とここで呼ばれている人々が、
教育のある大衆に変わるには、まずそのための機会が与えられねばならない。
だから、革命と、その公教育の構想には、まぎれもない意義があったのだ。し かし、大衆の教化は、つまるところ教育そのものによってしか果たされえない。
そしてそのさいにどのような手法がとられるにせよ、また、その実現にどれだ けの時間がかかるにせよ、教育の過程が、誤りを共有することだけではありえ
ないとの確信が、ラ・アルプの批判の筆をつき動かしているように思われる。