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(1)

    交通における資本と生産

      ︱特に一分析視角を中心にして1

       岡   田    清

      一 序    論

 本稿は交通における資本と生産の関係について︑特にわが国の最近の変化を対象としながら論ずることを意図

するものである︒

 最近のわが国の交通事情は一方においては大きな進歩をみながら︑他方においては交通難を一層醸成している

ような状態である︒このような一見背反的な現象は経済の均衡化作用として説明するならば︑むしろ当然な現象

であって異とするに足らないが︑一つの大きな特徴は交通構造が大きな胎動を示しながら変化していることであ

る︒ 交通は交通用具と交通施設が一体となって一つの交通機関を形成し︑各種交通機関が特徴的に交通サービスを

223一一一一

研究ノート

(2)

提供しているのであって︑交通を国民経済的に経済の一部門として考察するならば︑各種交通機関は包括的な部

門でしかない︒経済がその成長を促進し︑それ自らの構造を変化させている場合︑同様のことが交通という一部

門の内部においても生起しているのである︒したがって︑交通構造の変化は各種交通機関の特性が異なれば︑そ

れに応じて交通資本のもつ意味内容が自ら異なってくるのは当然である︒

 交通資本を国民経済的視点から考察するならば︑国民経済の活動を円滑かつ経済的に完結せしめることに本来

の意義が認められなければならない︒したがって︑経済活動に伴なって発生する交通需要はその供給によって充

足されることが経済活動を円滑に完結せしめるための条件である︒われわれの意図することはこのような供給側

の条件について考察することである︒すなわち︑交通生産量と交通資本の関係について考察することに主たる目

標がある︒これは経済学上の生産関数の推定と関連する問題であり︑経済の一部門としての交通についてそれを

行なうことは決して不可能でもなければ意味のないものでもないことは述べるまでもないが︑それに長期間にわ

たる安定性を期待することはできないと共に単純な分析用具を用いることも決して意味がないとはいえないであ

ろう︒このような観点から交通における資本・産出高比率を戦略的分析用具としながら交通における資本と産出

高の関係について論ずることとする︒

 資本・産出高比率は経済理論なかんずく経済成長理論の中においては中心的な分析用具として使用されてきた

ことは周知の通りであり︑その中において意図されていたことは資本・産出高比率の硬直性の仮説であった︒い

いかえれば資本・産出高比率は産出量の変化に対応する資本量の変化が一次同次の関係をもつことを前提するも

のであった︒しかし︑この比率が硬直的でないことはむしろ常識的見解として一般に認められているばかりでな

'224 一一‑

(3)

く︑技術変化によって生産量の単位当り必要資本量が変化することは少くとも長期的視点に立つかぎり当然のこ

とであって︑これを産業別にみた場合には各産業のおのおのの事情を反映して異なった様相を呈することはいう

までもない︒交通のように﹁交通サービス﹂と呼ばれる範躊での同質性は各種交通機関に分けた場合︑もはや異

質的となり︑したがってそれぞれの資本と産出量の間には類似性の中にもまたかなり顕著な異質性を帯びてくる

のである︒

 次にわれわれはまず︑交通資本として共通にもっている特質を列拳し︑続いて交通機関別の資本と産出量の関

係について考察することとする︒

       二 交通費本の特質

 交通における資本・産出高比率の推定に当って先づ問題となるのは交通における資本とはいかなるものを指

し︑これはいかなる特徴をもっているかということである︒ここにいう資本とは土地を除く有形固定資産として

直接または間接に生産に貢献するもののみを推しており︑普通プラントおよびエクィップメントと呼ばれるもの

を指すことに限定して考える︒

 資本を以上のように限定して考えるならば他の諸産業におけるそれとはいくつかの異なった特質を備えてお

り︑次のような特質を列拳することができるであろう︒

 特質日 プラントとユクィップメントの分離

‑一一一一225‑一一

(4)

 ここにプラントというのは一般に交通施設あるいは基礎施設といわれるものであり︑他方エクィップメントと

は交通用具あるいは可動施設といわれるものを推している︒そしてその分離というのは種々の意味に理解される

のであるが︑ここにおいては地域性︑管理主体性等の分離は考慮外として狭く理解し︑他の諸産業のように技術

的にプラントとエクィップメントの稼働の調和性を比較的要求されないか︑もしくはその認識が比較的意識され

ないことを推している︒このようなプラントとニクィップメントの分離がいかなる理由によって発生するかとい

う疑問に答えるには技術上の理由︑経営上の理由等いくつか考えられるがこれに答えることがわれわれの直接の

目的ではない︒いずれにしても基礎施設と可動施設の調和はその必要性にもかかわらず︑十分に認識されている

とはいえないといってよいように思われる︒勿論︑われわれはこの点が全く閑却されていることを主張しようと

するのではなく︑他産業に比して︑両者の能力関係についての評価が十分に行なわれていないことだけを指摘し

たいのである︒このことを指摘する理由は両者の調和に基ずく評価の上に交通資本を理解し︑評価するのでなけ

れば︑その産出量との比較が意味をもたないと考えるからにほかならない︒その意味で︑われわれは基礎施設の

適正なる調和が輸送需要とも関連させながら︑交通機関別に︑また地域別に考慮されうるのではないか︑いいか

えれば︑﹁適正輸送施設単位﹂と名付けうるような適当な設備間の調和が単位として把握いうるのではないかと

思うのである︒勿論長期的に考えた場合には両者の関係は適正輸送施設単位を中心に大きく乖離することはあり

えないかもしれないが︑経済成長過程において両者の乖離を過少評価することは交通に関しては誤りを犯しやす

いように思われるのである︒

 特質図 資本の不可分性

‑226‑

(5)

 交通における資本の不可分性は広く認められている事実であ︒て︑資本量が一定の単位を形成するまではこの

産出能力を発揮しないということを推している︒したがって︑もし投資が連続的に多量に上る場合には︑その多

くが特に資本拡張capitalwideningの占める割合の多寡に応じて︑資本の産出能力を適正に評価することが

できなくなる危険性をはらんでいるといえる︒特に鉄道の新線建設の場合にみられるごとく︑年々の投資額は多

額に上っていても︑それが産出能力を発揮するまでにはなお数年を必要とする︒この例にみられるごとく︑資本

量と産出量は年々の対応を示さなくなる可能性をもっているという事実が交通資本の場合には大きな事実として

現在していることが注意されねばならない︒投資のかなりの部分が施設の近代化等の資本深化capitaldeep‑

enning現象である現実の投資への場合には資本の不可分性の作用は必らずしも大きいとはいえないであろう︒

資本の不可分性から生ずる影響は資本評価に当って十分に考慮されねばならない︒

 特質日 耐用年数の長期性

 交通資本の第三の特質はそれが長期間にわたる耐用年数をもつことである︒一度投資された交通資本は例えば

トンネル︑道路関係施設のごとく長期にわたって使用され︑その維持・補修に要する費用は初期投資額に比して

僅少であるということである︒耐用年数が長期にわたることから生ずる問題は資本価値の変動が適正に評価され

ないということである︒会計的処理で資本価値を評価するのであればその場合に適用される減価償却方法によっ

て現実の能力価値と評価価値の関係が異なってくる︒この点は資本評価に関連して特に重要な問題である︒この

ことはプラントとエクィップメントの両者に妥当することであるが︑両者の耐用年数が異なることから︑それら

の適正なる調和が維持されない可能性をもっている︒このような資本の能力差が耐用年数が長いことから常に生

一227

(6)

じやすいことが指摘されなければならない︒

 特質辨 地域的分散

 資本が地域的に分散して存在することによって︑資本の効率に差を生ずるという特質を無視することはできな

いであろう︒特にプラントの地域的定着性に対応してエクィップメントの流動性が存在するため︑現存資本量︑

投資のいずれの点からみても︑その資本効率あるいは投資効率は異なるはずであり︑地域性を無視した資本評価

はその能力評価を誤まる危除性をもっているといわねばならない︒

 以上︑われわれは交通資本の特質を四つだけ指摘し︑その特質に関連して資本評価を行なう場合の問題点を考

察してきた︒現実に︑交通資本を評価する場合にはなお多くの問題が考慮さるべく残されている︒しかし︑本質

的にはどれだけの資本量がどれだけの産出量と対応しているのか︑いいかえれば一定の産出量を生産するに要す

る資本量はどれだけかという観点に立って資本評価が行なわれるのでなければならない︒しかし︑このような物

的資本生産性の問題は主として以上に述べた交通資本の特質から︑多くの複雑さと困難によってその評価を曖昧

にしているのである︒われわれの以下に述べる資本・産出高比率の推定も当然これらの問題を解決されないまま

に残しているのであって︑これはさらに統計資料の整備にまたなければならない︒

       三 交通における資本と産出高

 われわれは前節において︑交通資本の特質を考察し︑その評価が決して容易でないことを指摘してきた︒この

‑一一一一228‑一一‑

(7)

ことは交通の産出高にっいても同様な妥当性をもっている︒すなわち︑交通の産出高はいかなる指標によって把

握すべきかということである︒交通の産出高は本質的には重量と距離の二元的次元を一体として表現されるはず

のものであるから︑この二面性を表現するものでなければならない︒その指標は貨物においてはトン・キロ︑旅

客においては人・キロであることはあえて述べるまでもないが︑同一トン・キロあるいは人・キロでもその指標

の事実上の内容は異なっているはずのものである︒たとえば︑一〇〇トン・キロの意味するものは一○○トン一

キロあるいは一トン一○○キロを両極端としてその中間形態の種々相が存することは述べるまでもない︒もしそ

うであるならばそれぞれの場合に同一の指標で表示されている産出量に対応してそれぞれ異なった資本量を予想

することとなる︒その意味で︑同一の産出量に対応する資本量が指標の選択によって異ってくる︒このことから

もしトン・キロあるいは人・キロを産出量の指標として採用するならばこれらは比較上︑重量と距離の関係がほ

ぼ類似的分布を示しているという前提が黙認されなければならない︒この前提は現実には必らずしも容認しえな

いものではないといえるであろう︒

 交通の産出高の指標選択についてはこの点以外になお問題が存する︒それは貨物と旅客の結合指標に関する問

題である︒前述のようにもし物理的産出量を対象とするならば︑トン・キロと人・キロが結合されることが必要

となる︒そうでなければ少くとも同一資本によって生産される産出量はそれぞれに対する資本の貢献度を考慮す

るため︑何らかのウェイトを附加することによって結合されるのでなければならない︒そのウェイトをつけると

すればいかなるものが適当であるかという出題が生起する︒このウェイトをつけること自体︑十分な厳密性を問

わないとすれば必らずしも困難ではない︒例えば︑費用関数における推定結果を利用することもできるであろ

229 一一

(8)

う︒しかし︑輸送量を統一指標によって表現することによって︑その厳密なる正確性を期待することはできない

であろう︒またたとえ厳密に正確な産出量の推計値が得られても︑他方の資本量が正確なる物理的生産力を示す

指標で表現されているのでなければ産出量のみの正確性によって精度の高い資本・産出高比率を推定することは

できない︒この点からも前述の﹁適正輸送施設単位﹂の物理的規準評価の確立が期待されるのである︒

 現段階においては産出高にしても︑資本量にしてもその正確なる指標は得られないのが実状であるが︑これを

貨幣タームで考察することは可能である︒しかし︑この場合でも決して難点が存しないというのではない︒むし

ろ︑種々の理由からその精度は決して高いとはいえない︒まず資本量については第二節において論及したような

多くの難点が存するばかりでなく︑評価の規準によって大きな誤差を生ずることは指摘するまでもない︒次に産

出量についてはその指標を運賃収入に求めることとなるが︑この場合には物理的輸送量変化と運賃収入が一次同

次の変化をすることが暗黙の想定となる︒しかし︑現実には運賃率の変化によって︑また物価の変動によってそ

の受ける影響は決して小さいとはいえないであろう︒その意味で貨幣タームで示された産出量はこれらの変化率

によって修正される必要がある︒

 以上のような前提に立脚して推定された︑最近のわが国における陸上交通機関の平均資本・産出高比率は表に

示されているごとくである︒表から明らかなことは一つには交通機関別に資本・産出高比率の大きさにかなり明

確なる差が存在することである︒二つには私鉄を除く交通機関において︑考察期間わずか六年間にかなりの低下

を示していることである︒

 まず第一の特徴についてみるならば︑各種交通機関の比率が異なっている理由はいくつか考えられるのである

−一一230 −一一‑

(9)

在価値をもつ自動車台数が存在する保証のないことは述べるまでもないし︑それがたとえ近似的であっても偶然

の結果以外何ものでもないことは述べるまでもない︒このことから︑以上の前提が棄却されればそれだけ自動車

に関して得られた結果の信頼度も稀薄となるのは当然である︒

 他方において︑国鉄︑私鉄においては︑それらの産出高として運賃収入を算定の基礎としているため︑運賃変

化によって産出高が高くなるという結果を生ずる︒したがって︑運賃変化によって産出高の修正を試みるべきで が︑最大の理由は使用した資料の不備によるものであろう︒すなわち︑自動車については自動車関係資本として道路資産のにみ立脚しているばかりでなく︑産出高は営業用車による運賃収人のみを算定の基礎にしていることである︒したがって︑自動車についての算定結果が何らかの正確性を保持しうるためには︑資本面における自動車の現在価値と産出における自家用自動車の運送価値が各年ごとに表に得られている結果と同率であることが前提されなければならない︒しかし︑現実に自家用自動車の運送価値の四ないし五倍の現

一一231一一

(10)

あるが︑中でも私鉄についてこれを行なうことは必らずしも容易ではない︒その意味から︑われわれはそれを卸

売物価指数による修正によって代用することとしたのである︒

 以上のような統計資料の面から生ずる制約を考慮した上で結果を評価しなければならないけれども︑国鉄︑私

鉄の差はかなり大きく資料による差だけと判定することはできない︒この点はむしろ国鉄の全国的経営と企業体

の性格の二つの側面から私鉄より高い比率︑いいかえれば資本生産性が低くなっていると断定すべきであろう︒

この点に関連して︑私鉄においては比較的収益率の高い旅客輸送が大きな部分を占めていることから︑高い資本

生産性を示していることも無視することはできない︒

 表から得られる第二の特徴は私鉄を除く国鉄︑自動車のいずれにおいても比率の低下がみられることである

が︑統計資料の欠陥を無視するならば︑自動車においては昭和二八年から三三年の間には二九¥の比率低下を示

し︑国鉄においては同期間に二四%の低下となっている︒このような資本・産出高比率の低下は三つの可能性の

結果である︒第一には産出量の増大︑第二には資本の減少︑そして最後には以上の二つの現象の複合結果である︒

そして︑一般的には第三の現象が多く︑特に経済の成長過程において妥当する現象であるけれども︑短期的には

第一︑第二の現象も生じうることは述べるまでもない︒表における自動車︑国鉄における比率低下も第三の現象

であることは容易に推測されるけれども︑このいずれの場合にもかなりの低下を示したのは産出高変化に対して

資本量の変化が対応しえなかったことに主たる理由があることも容易に首肯されろところであろう︒しかし︑こ

のことから︑国鉄︑自動車における資本蓄積が不足していると結論することは︑現実の交通現象からは明らかな

事実であっても︑分析的論理過程からは容認されないのは勿論である︒これは資本・産出高比率の適正値が与え

232 一一一一

(11)

る性

け産お生

に値業価道加鉄付

びとよ率お備業装

造働製労 られてはじめて得られる結論だからである︒そして︑この最適値を与えるものは交通企業自体でなければならない︒長期的には技術変化による比率変化が大きいけれども︑短期的には適正なる比率の維持を支えるものは企業家精神もしくは管理方式である︒ 私鉄においては国鉄︑自動車に比して︑その比率は大きな変化を示さないで︑特に昭和二九年一三三年の五年

間においては二前後でかなり硬直的である︒このことからいえることは適正なる比率が何であるかということを

別とするならば︑産出高変化に対応する資本維持が考慮されていたということである︒しかし︑もし設備投資効

率が高ければ︑その比率はさらに増大していたであろう︒その意味で︑私鉄の資本維持が比較的安定的に遂行さ

れていたという結論も資本生産性の増大によって支えられていたものとはいえないように思われる︒いいかえれ

ば︑最小限の資本維持にすぎなかったというべきである︒この点を間接に表現するものが次に示す匿である︒図

における縦軸は労働の附加価値生産性︵附加価値額・一・労働

者数︶をとり︑横軸には労働装備率︵固定資産・一・額労働者数︶

をとったのであり︑昭和三一年上半期から三五年下半期ま

で順次︑製造業と鉄道業︵民営︶についてプロットしたも

のである︒この図において製造業と鉄道業を比較して結論

しうることは次の三つのことである︒第一には同一の労働

装備率における両産業の労働生産性は鉄道業より製造業の

方がかなり高いことである︒いいかえれば一定の労働生産

233

(12)

性を維持するのに必要とする労働者一人当り固定設備量は鉄道の方が製造業におけるよりもかなり大である︒

 第二には︑同一期間における労働装備率の増加量はほぼ同一であったということである︒この増加量が相互に

適切であったかどうかは異種産業間比較ができないため︑何らの結論もえられないことは述べるまでもない︒

 われわれが図から得ることのできる最後の結論は労働装備率の増加によって得られる労働の附加価値生産性は

鉄道業におけるよりも製造業の方がかなり高いということである︒このことは図における同一期間の両産業の曲

線の傾斜は製造業がかなり大きいことから明らかであるが︑鉄道業だけをみるならば労働装備率の増大と附加価

値生産性の増大はほぼ同一歩調をたどっていることが注目されなければならない︒何故ならば︑このことは前述

の資本・産出高比率をほぼ同一水準に維持せしめた原因になっていたと考えられるからである︒しかし︑労働装

備率の増大と附加価値生産性の増大が鉄道だけについてみれば︑以上のごとくであったとしても︑製造業のそれ

に比較すればかなり上昇率が低いということは鉄道業のうけている種々の制約によるものであって︑その資本の

性質上︑労働装備率が製造業と同一の増加量しか示さなかったところに問題が潜んでいるものといわねばならな

い︒鉄道の労働装備率について︑このように解釈することが許されるならば︑あるいは労働装備率自体をさらに

増大させることによって︑附加価値生産性も高められるべきではなかったかと思われるのである︒すなわち︑図

の曲線の傾斜は同一であっても︑狸点がy点と平行な水準になるまで北東の方向にシフトすることが望ましかっ

たのではないかと思われるのである︒勿論︑このような表現の背後にはいくつかの満足されねばならない前提条

件がある︒第一には輸送需要は以上のことを可能にするための制限条件とはならない程度に増大すること︑第二

には労働装備率の増大は決して附加価値生産性の増大テンポに影響しないこと等である︒この場合︑少くとも経

一一234一一

(13)

済成長過程においては第一の条件は満足されやすいけれども︑第二の条件は必らずしも満されるとはいえない︒

これはむしろ鉄道業の内的事情のみならず外部事情によるところがかなり大きいものと考えられるからである︒

 以上のように私鉄の資本効率が決して高くないということから︑前述のように安定的な資本維推が行なわれて

いても決して十分であったわけではなく︑附加価値生産性がさらに高く維持されえたならば︑資本装備率も自ら

高くなっていたと考えられるのである︒このような観点からするならば︑資本・産出高比率も少しは高くなって

いたと推論しうるであろう︒何故ならば︑産出高増大によって附加価値生産性が増大し︑附加価値生産性の増大

によって︑労働装備率がさらに高い上昇率をもって増大するであろうということが鉄道資本のもつ特質から推論

しうるからである︒

 以上のような推論がみとめられるならば︑鉄道の資本・産出高比率は運賃水準が現状ままであるならば︑国鉄

の比率はまだ低下の余地を残しており︑一方︑私鉄の比率より少し高い水準に落着く可能性が大であるといいう

るであろう︒この点はアメリカの鉄道業の比率が約二・五ないし三前後に位していることとほぼ対応するものと

考えられ句

 自動車については︑以上のような鉄道にはみられない諸問題が存在していて単純に結論を下すことは許されな

い︒まず第一に問題となるのは鉄道におけるようなプラントとエクィツプメントの分離化傾向は一層重要な問題

として横たわっていることである︒単に技術上の交通資本に固有な分離化傾向が存するというだけでなく︑プラ

ントとエクィットプメントの管理主体が異なっているため︑両者が調和を維持することは鉄道における問題に比

すべくもないほど重要な問題である︒道路においてはこの点が一次的な問題であることは述べるまでもないが︑

一一235

(14)

       四 結    論

 われわれは以上において︑わが国陸上交通機関における資本と生産について︑資本・産出高比率を手がかりに

して考察してきた︒

 そこでまず︑交通資本の特質として︑田交通資本におけるプラントとエクィップメントの分離 閣資本の不可

分性 卯耐用年数の長期性 ㈲資本の地域分散の四つを列拳し︑このような特質から交通資本の現在価値とその

生産力の評価が非常に困難であることを指摘した︒ 道路輸送を統一的に鉄道輸送と対比するのであれば︑さらに国民経済的視点から︑特に資源の最適配分の観点から考察せんとするならば単にプラントとエクィップメントの調和以上の問題が伏在しており︑同様の観点からする交通調整論の問題として︑その姿を変えてゆくものである︒われわれは自動車あって道路が存すると解するよりも︑それ以前に交通機関としての道路輸送を評価し︑その評価に立脚した道路と自動車の調和的関係を考察する方がより一層総合的交通政策への示唆を与えるものであると考えるのである︒

一一236 ‑一一

(15)

 続いて︑以上のような特殊性からくる評価の困難性を認識した上で︑一応便宜的に資本ストックと産出量の貨

幣価値額に基ずく資本・産出高比率を算定し︑この比率の特徴を指摘した︒しかし︑このような資本・産出高比

率の推定から直ちにわが国の交通資本はいくら蓄積されねばならないかという問題には何の解答も与えるもので

はない︒これに何らかの結論を与えるためには︑国民経済の成長・発展にともなって輸送需要がどれだけ変化す

るか︑それはどの程度の国民経済的意義を有するものであるかということがまず解決されていなければならな

い︒このような輸送需要の推定に立脚して︑交通の必要資本量が資本・産出高比率から明らかになるものである︒

したがって︑もしわれわれが経済成長と交通資本の関係を考察することが目的であるならば︑以上のような二段

階的論理構造によって分析するのでなければならない︒交通が経済活動の外部経済を創出することを目的とする

かぎりこのような論理過程を経て︑交通資本と産出高の関係を明らかにすることが必要となってくるのである︒

しかし︑現実には分析的には非常に単純な資本・産出高比率の推定という作業も︑統計資料の不備あるいは十分

に信頼できない等のため︑多くの困難に直面せざるを得ないのである︒しかし︑われわれが以上において考察し

たことはこのような困難性よりもむしろ︑交通資本あるいは交通産出高の本来的特徴からうける制約の方がより

一層作業を困難ならしめているという観点に立脚したものであった︒そこで︑われわれは線路容量︑あるいは道

路容量︑また輸送密度等も考慮して︑交通における固定設備量と産出高のそれぞれに適合した﹁適正輸送施設単

位﹂といいうるような個別単位評価を地域別に試みることによって︑資本・産出高比率推定上の諸困難は回避し

うるのではないかと考えているのである︒この考え方はわれわれのような立場からではなく︑資材管理の立場か

ら既に外国において試みられているものであって︑これはわれわれの考え方から到達したものとは本質的に類似

237

(16)

性をもっているものと考えるのである︒われわれは資料の整備と併せて︑この方面からの分析的進歩に期待しな

いわけにはゆかない︒このような分析的方向と綜合的交通政策の樹立とは相互補完的関係に立つものと考えるの

である︒

238

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