戦時体制下における仙台市教育研究所の研究活動の展開に関する一考察†
‑1937
年か ら
1942年の廃止 にいたるまで‑
冨士原 紀絵 * お茶 の水女子大学文教育学部
本研究 は戦前 日本 の市設教育研究所 と して独 自な存在 であ った仙台市教育研究所 の
1937年 か ら
1942年 の廃止 にいた るまでの事業内容 を解 明す ることを 目的 と している.
1936年創 設時の主 た る目的 は,仙台市 の実情 と子 どもの発達 の科学 的研究 に基づ いて教育計画 を立 案す ることにあ った.初代所長 であ る及川平治 は,就任以来,
1939年 に亡 くな るまで この 目的の実現 に努 め,地方 の特色 を無視 した国 の教育計画 と対峠 していた.一方,二代 目所 長 の津 田信雄 は国の進 め る国民学校体制 の実現 と,戦時統制が強 まる中での愛国心 の育成 とに重点 を置 いた研究活動 を行 っていた.即 ち,及川 と津 田 とを境 に,研究所 は市 の教育 内容 にかかわ る事項 を調査研究 し,地域 に立脚 した教育 を指導す る機関か ら,文部省 の国 民学校 の伝達講習的機関へ と性格が変 わ ったのであ り, それが研究所廃止 の原因の一端 と な ったのであ る.
キー ワー ド :地方教育研究所,仙台市教育研究所,及川平治,津 田信雄,教員研修
は じめに
本稿 は,地域 に応 じた教育 内容 と方法 の研究 を行 うことを 目的 と して設置 され,戦前 の 日本 において 独 自な存在であ った仙台市教育研究所 の,設置初年 度以後,廃止 に至 るまでの活動 内容 の展開を明 らか にす ることを 目的 と して いる.
既 に別稿 「 戦時体制下 にお ける仙台市教育研究所 設置 の意義 に関す る一考察一創設 の経緯 と初年度 の 活動 内容 を中心 に‑」 において,研究所設置 の経緯 と,創設初年度 の活動 内容 を検討 した. そ の中 で, 研究所 は当時 の仙台市市長 であ った渋谷徳三郎 の一 存 によ ってその設置が決定 された こと,研究所 の機 能 は, 当時 の 日本 の市設児童教育研究所 に一般的で あ った精神 ・身体的 に問題 を抱 えた児童 の診断 ・相 談業務 とはその 目的を異 に し,欧米 の教育研究所 を 範 と して,地域 の実情 と児童 の発達 の科学 的調査研
2003
年
1月
22日受理
TAStudyontheDevelopmentofResearchActivities oftheSendaiEducationalResearchInstitutedur‑ ingtheWaryearsfrom1937to1942
*
KieFUJIWARA,FacultyofLettersandEducation,
OchanomizuU
niverslty,Tokyo(2002
年
9月まで,秋田大学勤務)
第25号 2003年究 に基づ いた教育計画 を立案す ることにあったこと, それが初代所長 で ある及川平治 によ って,設置初年 度 の
1936年 か ら着 手 され て いた ことを明 らか に し た
1.そ こで本稿で は
1937年 か ら及川が亡 くな る
38年 ま での研究所 の事業 内容 と,彼 の死後,新所長 を迎 え て,国民学校制度 が整 い戦時体制が強 まってゆ く中 で
,42年 の廃止 に至 るまで展開 された事業 内容 とを 明 らか に し,別稿 と合 わせて,戦前 にお けるその存 在意義 につ いて検討 を加 え ることとす る.
1.
及川平治所長 時代 の
1937‑38年 の事業 内容
(1) 1937年度 の事業計画
仙台市教育研究所初代所長 で あ る及 川 に よ って,
1936年 に研究所 の方針 が科学 的諸調査 に基づ く小学 校教育 の改善事業 と固め られた ことによ り,翌年以 降 もその方針 に沿 って事業 は押 し進め られていった.
1937
年
5月
15日 『 仙台市公報』 ( 以下,『公報』 と 略す.) には 「 本年度 の事業計画」 が ま とめ られ て いる
2. この年 の事 業 内容計 画 は市 内学 校長 か ら研 究所 の調査研究 と して望 む内容 につ いて ア ンケー ト を採 り, その回答 に基づ いて立案 したとされている.
153
及川が一方的に事業内容を決定 していた前年度 とそ・
の方法を変更 した理 由 として,彼 自身,学校現場が 実践上抱 え る悩 みに対処 したいと望んだ ことも推察 され るが,前年度 の市議会上で研究所 の存在意義が 問われた ことで,研究所が市民 の教育活動 に直接資 す る施設であることを示す必要 に迫 られていた こと
も少 なか らず影響 した と考え られ る.
このア ンケー トは 「 ( ‑)学校幼稚 園 に関す る事 項 ( 二)児童保護 に関す る事項 ( ≡)社会教化 に関 す る事項」 とい った側面か ら行われ, その結果 「 最
カリキュウム
も多 いのは教科課程 に関す るもの,成績考査の合理 化 に関す るもの,体育保健 に関す るもの,郷土家庭 の調査,職業指導 に関す るもの等で其 の次 は不良児 善導,虚弱児精神薄弱児教育,児童 の読物参考書, 学校学級経営,低学年 の生活教育,合科教育 に関す
るもの」 とい う回答を得 て い る
3. 及川 は, いずれ も重要 な問題で はあるものの , 「一, 算術 中心生活 単位 の教科案 ( 尋常一学年前期) 二, 身体検査 の 利用法 三,郷土教育経済生活教科案 四,体力 テ ス ト 玉,家庭状態 の科学的測定法 六,進学職業 指導 七,健康状態観察法」の七つのテーマに絞 っ たとし, それ らの選択理 由を説 明 して い る
4. そ し て, これ らの研究内容の具体的な進行 を以下 のよ う に計画 している
5.四月 算術中心生活単位 の教科案 尋常科第一 学年前期分完成
五月 身体検査の利用法
六月 算術中心生活単位 の教科案 尋常科第一 学年後期分着手
七月 郷土教育 一経済生活教科案着手
八月 算術中心生活単位 の教科案 尋常科第一 学年後期分完成
九月 体力 テス ト作成
十月 家庭状態の科学的測定法
十一月 算術中心生活単位 の教科案 尋常科第二 学年前期分着手
十二月 郷土教育 一経済生活教科案完成 一月 進学定職指導案
二月 算術中心生活単位 の教科案 尋常二学年 前期分完成
三月 健康状態観察法
所長 の視察指導 ・学校別講義 は前年 に引 き続 き行 われ ることとされ
,37年度 は更 に, 「研究員 を中心 とした研究授業 を行 ひ,学校教育, 児童保護 ( 特 に
乳幼児)に関す るパ ンフレッ トを時 々発行 して参考 に供す る予定」 も掲 げ られている.
(2)1937
年度の具体的研究内容
( 9 学校保健 。衛生面の課題
1937
年度 に予定 された個 々の研究テーマを見 ると, カリキュウム 要望 の最 も多か った 「 教科課程」 に関す るものが算 術科中心生活単位案 と郷土教育経済生活教科案 の二 点 しか見 られない一方で,身体検査 ・体力テス ト等, 児童 の保健体育 に関す る課題 は三点盛 り込 まれてい
る. これは同
37年
1月
27日の 「学校身体検査規程 」 公布 に伴 い,現場か ら従来の 「 学校生徒児童身体検 査規程」の変化 にいかに対処すべ きか とい う要望が 出されていた ことによるもの とみ られ る.
37年 に公 布 された身体検査規程 の特色 の一 つ は, 第一条 に
「 学校 に於ては学校生徒児童 の身体 の養護鍛 錬 を適 切 に し体位 の向上 と健康の増進 とを図 るために本令 に依 り身体検査 を施行すべ し」 とい う新 たな条文が 加え られた ことにあ るとされて い る
7. それ まで の 身体検査 は児童生徒 の体格 の実態把握を目的 とした, いわば 「 測定 のための測定」検査 とい うべ きもので あ った. しか し, それに止 まることな く,学校教育 で測定結果 を事後 に積極的 に活用すべ きものである と明示 され, さらに 「 健康」 の診査が重視 され るこ とによ り, その基本 的性格 が変 わ ったので あ る
8.さ らに,第七条で 「 身体検査を施行 したるときは学 校長 は其 の結果を本人又 は其 の保護者に通知すべ し, 授業免除,就学猶予,休学又 は治療,保護,矯正等 を要す る者 あるときは本人又 は其 の保護者 に注意 を 与 え適切 なる処置を講ぜ しむべ し,学校 に於 いて必 要 ある時 は健康相談,予防措置,其 の他適当なる保 健養護 の施設を講ずべ し」 と規定 されたことにより, 身体検査の結果 に基づいて,家庭 を も巻 き込 んで, 学校が発育 に問題 ある児童 に対 してよ り踏 み込んだ 保健養護施策を とることを促す もので もあ った
9.及川 もこれ らの点 を念頭 に置 き, 「二, 身体検査 の利用法」を事業課題 に設定 した理 由 と して, この 新 たな 「 規程」 を実際の教育上利 用 す るため に は,
「 先ず,仙台市児童 の年齢別 『ノル ム』 を作 り之 に
よって各 自の体位 を定 め,体力体育等 に応ず る体育
課程」 を作成す る必要があること, さ らに 「 各種疾
病の予防 と救済 に努 め,特 に養護学級 に編入すべ き
児童を決定す る基準た らしめん とす る」必要が出て
きた ことを挙 げている
10.「 七,健康状態観察法」 を
取 り上 げる理 由につ いて も
,「 年 一 回, 二 回 の身 体 検査で は体格体質 は解 るが 日常 の影響 よ り来 る刻 々 の健康状態 は解 り難 い.依 って観察項 目と観察法 と を示 して学校 の養護施設 の参考 に供す るものである.
家庭 と連絡 して之 を行 うべ きは勿論 で ある」 と述べ てお り,彼が学校 にお ける 「児童 の健康 の増進」 と い う新 たな 「 規程」 の意図を十分汲 み取 って いるこ とが分か る
11.「四,体力 テス トの作成」 は身体検 査 に直接対応 した もので はない ものの, や は り当時 の 児童 の体位 向上 をめ ぐる国 の施策 の流 れ に沿 った も の といえよ う
.カ リ キ ュ ウ ム
② 「 教科課程」 の課題 カリキュウム 次 に,教師の要望 が最 も多か った 「 教科課程」 に 関す る課題 の採用理 由を見 て行 きたい.及川 は 「 一, 算術科 中心生活単位 の教科案」 を設定 した理 由 と し ( ママ ) て,「現行各 科教 育 が生 活 指導 に適 せ な い」 こ と, 国民学校実施 に向 け文部省 内で も 「低学年 に総合科 を採用せん と している」 こと, さ らに 「 今回改正 さ れた師範学校令教育科 に於 いて も総合的取扱 の研究 を促 して いる」 ことを挙 げ, 当時 の教育情勢 か らみ て 「 生活単位教科案 の作成 は一種 の新 しい教科書編 纂 とも云ふべ き難事業」 であ るが,敢 えて取 り組 む のが必定であ ると して いる
12.「 郷土教育経済生活単位教科案」 に着手 す る理 由 と して は
,「 尋常小学校 に於 て は郷 土 生 活 を理 解 せ しめ高等小学校 に於 て は一層其 の理屈 を深 む ると同 時 に郷土 の経済問題 を解決す る能力 と経済生活 の水 準 を高 めん とす る意気 を養 ほん とす る」 ことが 目的 であ る ものの
,「 此 の教科案 と国定 教 科 書 との関係 を如何 に定 むべ きか は,大 いに攻究 を要す る問題 で ある」 と述 べている
13. この こ とか ら, 及 川 は仙 台 市 とい う 「 郷土生活」上 における経済 の抱 え る課題 と国定教科書 に示 され る 「国家」 の経済振興 に関す る記述 内容 が, そ う単純 に結 びつかない ことを見抜 いていた ことが分か る.
ところで,先 の ア ンケー トで二番 目に掲 げ られて いた成績考査 に関す る要望 が取 り立 てて課題 にされ て いないのは, それが及川 の意図す るカ リキ ュラム 改造 にとって, その内 に含 まざるを得 ない性格 の課 題 であ るためであ ると考 え られ る.
③ 進学 ・職業指導 に関す る課題
① ・② で取 り上 げた以外 の課題であ る 「 五,家庭 状態 の科学 的測定法」 は,及川が明石女子 師範学校 附属小学校在職 中,既 に
1927年 の訓令第二十号 に対
第25号 2003年
応 して取 り組 んでいた内容であ る.彼 が仙台で もこ の課題 に着手す る理 由 と して, 明石附小時代 に示 し ていた利用 目的 と同様 に 「 学級学校経営の基本資料」
とす ることに加 え
,「各学級児童 の家庭 水 準 (レベ ル) と題材 との適応 を図 り,進学指導,職業指導 に 便せん とす る」 ことを掲 げている
14.これ は 「 児童 の材能,性格, 体 格 体 質 を調 査 し, 児童 の個性 を明 らか に し,児童 は如何 な る種類 の学 校 に進 を適 当 とす るか,又,如何 な る種類 の職業 に 就 くべ きかの適性 を認 めて指導」 す ることを課題 と す る 「 六,進学適職指導」 と合 わせ て 1 5 , 当時, 小 学校卒業児童 をめ ぐって社会問題化 されていた中等 学校入学選抜 や職 業 指 導 の適 性 化 に, 「社 会 教化 」 機関 と しての立場 も有す る研究所 と して対応せ ざる を得 なか った ことによる もの と考 え られ る.
例 えば
6月
1日付 『 公報』 で は,及川 が東京文理 科大学教育相談所,東京帝国大学 医学部附属脳研究 室 内児童研究所,横浜市児童研究所,東京府少年職 業紹介所,東京市知識階級職業紹介所 を視察 した報 告 が まとめ られてお り, この中で 「 最 も得 るところ の多か った」 のは東京府少年職業紹介所であ った と 紹介 して いる
16. これ は仙台市 教 育 研 究所 が社 会教 化,乳幼児児童保護事業 も行 うことにな っているこ とか ら,及川 が他府県 のそれ らの先例施設であ る教 育相談所,職業紹介所 の実情 を知 るとい う目的で行 われた ものであ った. 明石附小時代 の及川 に十分 な 経験 や蓄積 が無 い上 に,時局柄急務 の一つであ った 職業指導 は,彼 に とって大 きな課題 であ った ことが 伺 え る. しか し, この報告以後,職業指導 に踏 み込 んだ言及 が され ることはなか った.
(3) 1937
年度 の研究経過 と研究成果
1937
年度 の研究経過報告 と して, 『公報
』6月
15日号 には,
5月
19日に一通 り終 えた研究課題 「 算術 中心生活単位案尋‑前期分」 の成果 の一部 と して及 川が研究所員 に向 けた講義 「 算術 中心生活単位 の測 定 に就 て」, 同
7月
15日号 には 「競技 精 神 の測定 に 就 て」, さ らに
8月1
5日号 には研 究 所 の事 業 内容 そ の もので はない ものの,及川が所長 と して参観 出席
した世界教育会議
(7thWorldConferenceofEdu‑ cation,
8月
2日
‑ 7日に東 京帝 国大学 にて開催 ) の報告 が掲載 されてい る.前年 に比 して活動報告 が 多 いのは,研究所 を市民 に開かれた もの とす る必要 に迫 られて いた ことによるとみ ることが出来 る.
155
その後,及川 は翌年 に開催予定であ った 「 東北振 興博覧会」準備のため研究所 の活動 に専念 出来 ず, 事業が
10月 まで滞 ったとい う理 由で年内には具体的 な活動報告 を行 っていない ものの ( 結局 「博覧会
」は中止 された)
17,翌
38年 の 『 公報
』1月
15日号 には 前年
12月 までの 「 教育研究所 の事業進程」報告が掲 載 されている.
報告 は 「 一,研究所組織 の拡張」 と 「二, 研究所 の事業進程」 ,「 三,釆学年度 の予定」
,「四,指導 に ついて」か らな っている.「 ‑」 で は, 研究題 目に 応 じて,規程 の研究員 の外 に関係教員を加えて合同 研究 を重ね ることに したとい うことが 「 組織の拡張」
の意味す るところであるとされている
18.「 二」で は 第一 に 「 算術中心生活単位 の教科案」の 「 理論の部
」を完成 して市内小学校 に配布 した こと (これは
1937年 カリ
1キュラ
0月 に仙 台市教育会 か ら 『算術 中心生活単位 の ム 教科案』 と して厚生闇 よ り出版 されて い る), 尋常 一学年 の算術科生活単位 の具体案 を配布す る予定が あること,第二 に 「 身体検査 の利用案」が近 日中に 完成す ること,第三 に,年度当初 の研究題 目には無 か った 「 身長,体重,胸囲,座高の年齢別,性別標 準」作成 に着手 し,
3月末 までには完成す る見込 み であること,第四に 「 競技精神 の測定」法 を作成 し 各学校 に配布 した こと,第五 に 「 家庭状態の科学的 測定」調査基準をまとめ近 日中に各学校 に配布す る ことが挙 げ られてお り, その他,年度始 めに予定 さ れていた 「 児童 の健康状態観察法」,「 算術中心生活 単位教科具体案」 の尋常二学年 用, 「体 力 テス ト」
もやがて完成す ると予告 されている
19.この中で も, 当初予定 になか った 「身長, 体重, 胸囲,座高 の年齢別,性別標準」作成 に着手 した理 由に注 目 してお きたい.及川 は文部省 の 「 発育概評 決定標準表」 に示 されている指標が地方 の実態 に合 わない点を指摘 し
,「 地方の気候風土, 食物, 生活 様式が身体発育に影響するか ら先ず地方別標準によっ て測定 し,体力不足者 には其 の地方 に適 す る食物, 運動,生活方法を指導せねばな らぬ‑ ( 中略)‑文 部省で定 めた全国児童 の平均身長体重等 は之 を教育 上 に利用 し難 い ものである‑ ( 中略)・ ‑標準 は文部 省 の統計 とは全 く別 の手続 きによって作成せねばな らぬ」 と述べている
20. これは, 彼 が翌年, 文部省 が東北地方 の後進性 を補 い, その振興 を期すべ く東 北六県 の児童生徒 に無償配付 した教科書 『 東北読本』
について,「 全国」 の視点か ら 「東北地方」 を‑纏
めに扱 い, それぞれの具体的な地域 に根 ざ していな いことを批判 している点 と合 わせ て鑑 み ると2 1 , 研 究所が渋谷 の期待す る 「 仙台市」 に限定 された具体 的な地域 の児童 の実態を対象 とす るとい うことは, 挙国一致体制 の強 まる中,国 によって標準化 された 児童 の身体や教育内容 と対峠せざるを得 ないことを 意味 していたのである.
「 三」で は,「 ( 1 ) 東北読本を中心 とす る東北振興 具体案 ,( 2) 東北特 に仙台市 の実情 に基 く教科案 ,( 3) 進学適職指導の教科案 ,( 4) 身体欠陥矯正体操 ,( 5) 読 方中心生活単位 の教科案」が挙 げ られてお り ,( 3) 以 外 はその設定意 図 が ご く簡単 に述 べ られて い る
22.この中で( 1 ) と
(2)が筆頭 に掲 げ られて い る ことか ら, 及川が同年発行予定 の 『 東北読本』 に強 く関心 を寄 ●●●
せていた ことが伺 われ る.彼 はそれが仙台市 の学校 現場で どのよ うに扱われ るべ きか,具体的 に示す こ とを, よ り差 し迫 った重要 な課題であると判断 して いたのである.
前年か ら引 き続 き, いずれの研究成果 もあ くまで
「 原案」 に過 ぎず,漸次改訂すべ き もので あ るとい う補足を している点 は,教育内容 ・方法を固定化 し た もの と捉 え るのではない,及川のカ リキュラム観 が反映 されている.
「四」 は
1937年度 の活動報告 と言 うよりは,来年 度 の抱負の面が強 い.
1937年度 は前年度に引き続 き, 所長が出向いての学校 ・教師への実地指導活動 を積 極的 に行 った とされているが
,1938年度 にはこの活 動 に加 えて 「 教育講座」を設 けること,教育パ ンフ
レッ ト発行 の数 を増やす こと,市内各学校長が研究 部長 として それ ぞれ担 当 して い る教科 につ いての
「 研究熱」 を高めたい ことが抱負 と して挙 げ られて いる2 3 .学校や教師 自身 による 「研究」 活動 の推奨 は,教師 と して研究活動 を進 めなが ら自らの力量向 上 に努 め続 けていた及川 自身が最 も切望 した課題で あ ったに違 いない.
38年
3月
15日付 『 公報』 の 「 教 育研究所 の研究 と指導 とに就て 昭和
12年度 の回顧 と所感」 において も 「 一,研究員への指導」として, 来年度 は所長 による講話内容 として 「教育実験 法」
を加 えて,講話 に基づ く実地研究を研究員 自身 に行 わせたい としているの もその一端 で あ る2 4 . また同
「四」で は 「 研究所 の指導すべ き方面 は多 いが始 め
か ら或 る種教育法を画一的に指示せずに各校 の現状
を見て之 に即 した指導 に努 めたのである.‑斯 る指
導法 はなまぬるい様であるが,学校 によって其の環
境,児童 の性質能力が違ふか ら学校 の事情 に適す る 教育 を漸次生長 させて画一 に堕せず,教育 の混乱 に 陥 らぬや うに したのである. もと教育 の改善 は教師 の修養 と教育者全体 の空気 に頼 る ものであるか ら之 が為 に講習会,授業研究会開催の回数を大に増加 し, 一方女教員 の研究 を促進 して大 に仙台市教育 の振興 をはか りたいと思 う.学校別連続講話,所長 の実地 授業,教育座談会 の回数 を増 したい」 と述べている
ことか ら,及川 は多様 な研修 の機会の提供を通 して, 教育研究 の方法論 を彼 の一方的な指導伝達 に終 わ ら せず,学校や児童 のおかれている実情 に応 じて, そ の学校 ・教師 自身が適切 な 「 研究」 を開発す るため の力量 の育成 を図 ろうとして いたことが分か る
25.ここで特 に注 目すべ きなのは,及川 は教育 の研究 法を画一化す ることの方が, よ り教師に混乱 を もた らす結果 になると述べている点である. ある時点で 確実 に実績 の挙が るとされている定型化 した研究法 を与え る方が,教師 自身戸惑 うことな く取 り組む こ
とがで きるとも考え られ るであろ う.及川 は, それ まで 「 研究」 に馴染んでいなか った教 師 に対 して, 所長 として彼 らへの研究指導活動 の重要性 を 自覚 し ている. しか し,教師がいっ まで も指導 された内容 を固守す るので はな く, 目前 の児童 や社会 の変化 に 応 じて,やがて彼 ら自身で適切 と判断す る研究方法 を編 み出す ことの方がよ り実践 を容易 にす るのだ と い う観点 に立 って,研究法 の一方的な押 しつ けを退 けているのである.
なお,同
3月
15日の 『 公報』で は,
1月
29日に文 部省令第二号 の 「 小学校令施行規則中改正」 によ り 学籍簿 の様式が大幅 に変更 した ことに触 れ,従来 の 戸籍簿的性格か ら教育資料的性格 を もたされた新 た な学籍簿で は,「 科学的技術」 に基 づ く調 査方 法 と
「 調査 のための調査 に終 らず に之 を十 分 に解釈 して 活用」す る知見が要求 され るとし,設立以来教育 の 科学的研究 を掲 げて きた研究所 の研究成果がそれに 十分応え るものであると指摘 して い る2 6 . 同年
3月
29日発行 『昭和
12年度仙台市教育研究所事業報告』
( 以下,『 事業報告』 と略す.) の 「巻頭 の辞」 にお いて も,市長 の渋谷 は学籍簿 の改訂 に触 れて お り,
「 本報告 の家庭調査身体検査の利 用法 は昨年度報告 の知能検査 公民 の習慣態度 の測定 と併せ用 ひて省 令改正 の趣 旨に副ふ様 に努 め られたい」 と述べ, そ の活用 を促 している2 7 .前年 の市議会 で は, 研究 内 容 に不満が寄せ られ,存在意義 まで礼 されていた研
第25号 2003年
究所が, あたか も省令 を先取 りしたかのような研究 成果を挙 げでいた ことで,市長 も及川 も面 目躍如 と い う感 を抱 いたであろうことは想像 に難 くない.
1
月
15日付 『 公報』で は年度内にかな りの研究結 果をまとめ る予定が掲 げ られていたが,実際の 『 事 業報告
』「 一,調査研究 の部」 には
,「 今猶研究中に 属 し未完の ものはここに収録 しない」 と し,
「(‑) 算術中心生活単位 の教科案 ( 尋‑後期), ( 二)家庭 の経済的社会的教化状態の測定, ( ≡) 児童 の家庭 生活 の調査法, ( 四)身体検査 の結果 と其 の活用法, ( 五)競技精神の測定」が掲載 されている. ( ‑)か
ら ( ≡)以外 の,及川が仙台 に来てか ら初 めて成果 を得 た項 目は 『 公報』上 に既報である.彼が明石時 代 よ り既 に研究 に取 り組んでいた ( 二)については, 単 に測定方法を紹介す るだけでな く, よ り仙台市 の 家庭 に即 した調 査 と して の実証性 を高 め るため に
「 (
1) 都市 に於 ける最良家庭 を代 表 す る学校
(2)普通 の家庭 を代表す る学校 ( 3) 普通以下 の家庭 を代表す る学校 ( 4) 農村地域 の学校」 とい った特色 を持つ市 内の五つの小学校 を抽 出 し, それ らを実際 に調査 し た手続 きを示 しなが ら,調査方法 とその解釈 の仕方 を合わせて説明 している2 8 .
『 事業報告
』「 二,指導 の部」 の項 目は前年度 の
『 報告書』 と同様であるものの, 前年 よ りも個 々の 項 目の内容が多少詳 しく紹介 されている. なお,所 長 による学校別 の連続講義 について, 「講義 申込 が 極 めて多 く一 々応 じ兼 ね る程であ った」 とされてい ることか ら,研究所 の存在意義が市内の教育関係者 の間で周知 されて きた ことが伺 え る
29.(4) 1938
年度の事業計画 とその経過
1938
年度 の研究所 の事業予定 は同年
6月
15日 『 公 報』上 に示 されている.研究内容 は前年度 に完成 し なか った問題 に加 え,前年度 と同様,
4月 に市 内の 各学校 にア ンケー トを実施 し, その中か ら選定 した とされている. その内容 は,昨年度 に成果をまとめ られなか った 「 六,進学適職指導法,七,尋二算術 単位案,年齢別身長体重胸囲座高統 計 法」 に加 え, 新 たに 「 一,健康状態観察法,二,体力の測定,≡, 東北読本の使用法, 四,営業成績考査法,性行観察 法,環境観察法,五,保健教科案」が挙 げ られてい る
30.これまで と同様,体位 向上 に関す る研究 が 目 立っ.
この中で も 「 三」 は,既 に指摘 した,文部省発行
157
の 『 東北読本』が
6月頃に配布 されると見込んでの 研究である.「四」 は,前年 までの知能検査や家庭 状況の調査等児童の 「 教育的科学探求法」を補完す るもので,改正学籍簿の記載 に対応 させ るため 「 本 省の趣意に依 って作成するつ もり」であるとされて・
いる
31.「 六」の課題 は,教育研究所設置当初か ら重要な 任務の一つに掲げ られ続 けたものであり,漸 く具体 的に着手す ることを表明 した ものであ る. 及川 は
「 我が国では職業指導を騒いでいるけれ ども適切 な る職業教科案の著書 は一冊 もない,是れ教科構成学 の知識が普及 しないためである」 とし,当時の 「 職 業指導」 と言 われ るものが, 「職業紹介所 の仕事」
である 「 就職斡旋
」に成 り果てて しまっている現状 を批判 している.彼 は本来学校で行 うべ き職業指導 とは 「 各種職業の理解,職業的習慣養成」であると し,研究所では 「 職業教科案」を作成することが重 要であると述べている
32.実際の研究状況の進展 は,前年度 には 『 公報』誌 上に度々研究所の活動報告が為 されていたのに対 し, その後掲載 されているのは
10月
1日に 「 東北読本の 使用法に就て」 という論考のみである.
この背景 として,及川が同年の秋から病床に着き, 翌
39年
1月
1日に亡 くなったという経緯がある.
『 昭和十三年度 仙台市教育研究所事業報告』の渋 谷の 「 巻頭の辞
」では,本報告書が 「 初等教育を以 て終始 した及川君最後の報告
」であると述べ られて いるお .「 一,調査研究の部」 には
「( ‑)東北振興 の生活教科案につ きて ( 二)東北読本の使用法 ( ≡) 幼学年の数概念 ( 四)保健カ リキュラムとスケール ( 五)健康状態の観察要点 ( 六)姿勢検査」 が掲載 されている.( 二) は
10月
1日 『公報』 の再録 であ り, この 『 報告書』を見 る限 りにおいては,年度当 初の研究予定の半分 しか遂 げられていない.「 第二, 指導之部」 はほぼ例年通 りで
「( ‑)研究員会 ( 二) 調査研究物につ さての指導 ( ≡)視察指導 ( 四)学 校別連続講義 ( 五)講習会 ( 六) 所長 の実地授業
( 七)印刷物の配布 ( 八)其の他」である3 4 .
前年 と異なるの は ( 二) で, 「東北読本 の取扱, 児童健康状態の観察法,算術中心生活単位の教科案, 新学籍簿の記入法及取扱等につ きては殊 に関係職員 を集めて指導せ り」 とされていることか ら,文部省 の施策に早急に対応する事業 にも力を注いでいたこ
とが分かる3 5 .研究所長 としての及川 は, 臨機応変
に現場の教師に要請 される研究指導 も優先 して行 っ ていたのである.
2.
津田信雄所長時代一研究所廃止にいたるまでの 事業内容
( 1 ) 新所長就任の経緯
及川の死後,僅か数 ヶ月の間に研究所の方針 は大 きく変更することとなった.
1939
年
1月
15日付 『 公報』 には,仙台市教育主事 兼視学であった二階堂清毒が 「 仙台市教育研究所長 事務取扱」 に命ぜ られたと掲載 されている3 6 . 二階 堂 は新たな専任の所長が決定す るまでの,単に繋 ぎ という役割に過 ぎなか った ものの,彼が もた らした 研究所の性格の変化 は大 きか った.同年
5月
15日付
『 公報』には 「 基本的教育方法 の確立へ 本市教育 研究所の今年度計画成 る」 として,新たな研究所体 制がまとめ られている3 7 .その方針 は,「 文化的な一 面,時局的教育の必要か ら出発 し,市立初等教育の 動力 と新方針を編み出さう」 とするものであり,研 究内容 として 「 ◇既成研究事項の活用に関する件
◇学級教授 と個別指導 との調節融合 ◇健児教育法 に武道を採 り入れる件並 にこれか実施方法 ◇映画 ラヂオ教育実施に関す る件 ◇青年学校義務施行に 関する件」の五部門が設定 され,各々研究委員長代 表が設定 されている3 8 .それ まで及川が教員か ら実 践上で直面 している問題を募 り,それに応えた研究 課題を設定 してきたのに対 し, これ らの研究内容が どのように決め られたのかは明 らかにされていない.
しか し,新たな研究内容 は,及川が所長時代に実施 したアンケー トには全 く見 られない内容であり,覗 場の要望に応 じるよりも,時局の要請に応えるとい う色合いが強い. また,研究所の組織 は,それまで の中堅教員か ら,全市立小中学校長を研究委員長 と
し,その下 に各校訓導一名を研究員 とお くものとさ れ,五っの各研究課題 は,市役所内に設置された研 究所ではな く,各研究委員長の所属する学校 におい て調査審議を進めるものと変更 された
39.市 内各学 校長を研究組織の中核に据えることで研究所の 「 権 威」が高 まり,それによって研究内容を一般の教員 に普及 させる力を もたせることが目的であったので はないだろうか.
その後の研究所の具体的活動 は不明であるが,ll 月
15日付 け 『公報』 上, 11月
7日付 けで二階堂が
「 所長事務取扱」の任を解かれ, 津 田信雄が及川 と
同様 の地位である教育主事兼視学,仙台市教育研究 所長 に命ぜ られれている
40.津 田が所長 に選 ばれた経緯 を示す資料 は,現時点 では見 あた らない ものの,渋谷 との接点 を見出す こ
とはで きる.
彼 は
1896年 に東京府尋常師範学校を卒業後,東京 市 日本橋区有馬小学校訓導 を皮切 りに,静岡県師範 学校附属小学校主事や京都府 の
2つの高等女学校校 長等を経て
,1921年 に東京 に戻 り,麹町高等小学校 校長 を二年間勤 めた後
,23年か ら
37年
4月 まで麹町 区富士見尋常小学校校長 として在職 して いた
41. 津 田が東京 に戻 って来た時期 は,渋谷が東京市 の学務 課長 と麹町区長 を歴任 した時期 と重 な ってお り,彼 らは渋谷 の麹町区長時代 に知 己を得 た もの と考 え ら れ る.
それに して も,渋谷 は何故津 田を選んだのか.莱 の ところ,及川 と津 田には,小学校 の教員を経験 し ている以外 に も共通点があ り,渋谷 はその点 に注 目
した とみ ることがで きる.
その共通点 の第一 は,二人 とも欧米教育視察 を経 験 しているとい う点である.津 田は東京市 よ り欧米 出張を命ぜ られ,富士小学校校長上沼久之丞 らと同 行 して
,1926年
7月か ら八 ケ月間, アメ リカ, ドイ ツ, フランス, イギ リス, スイスの教育視察 を行 っ ている
42.視察時期 も,訪 れ た国 々 まで も及川 と酷 似 している.渋谷 は,海外 の新教育運動 の動向を実 際に経験 した上で, その欧米 の動 向の中に今後 の 日 本の新教育 の進 むべ き方途 を指 し示す ことの出来 る 人物を選んだ と見 ることが出来 る.
ただ し,視察報告の類によれば,及) 旧ま視察によっ て教育 の科学的研究の必要性 を強 く受 け止 めて きた の に対 し4 3 , 津 田が最 も感銘 を受 け た の は各 国 の
「 愛国 の精神」発露 の諸形態で あ った点 が大 き く異 な っている.例 えば
,1929年
4月 よ り発行 されてい る 『 富士見小学校学報』 ( 不定期刊 ) の第二号 (同 年
10月)か ら第四号 ( 同年
12月) の巻頭 には 「 愛国 の情 は一つ」 とい う題 目で津 田の欧米視察記が連載 されてお り, その中で彼が取 り上 げているのは教育 に関わ ることで はな く, フランスの無 名戦士 の墓, イギ リスのウェス トミンスター寺院や 「 忠魂碑」 の 類, アメ リカについては リンカー ンの誕生 日を祝 う 国民 の様子, さ らにイギ リス ・ドイツ ・アメ リカ国 民 の 「 愛国心 の発露 の‑ として憲法 に対す る尊重心 の表現」行動等 を紹介 してい る4 4 . 教育 に関す る事
第25号 2003年
柄 について は, ベル リンのオ ッ トー ・シュー レと各 国のプ レスクール ( 幼稚園) を紹介す るに留 まって いる
45. こうした津 田 と及川 の方針 の違 い は, 帰 国 後 それぞれの小学校で展開 され る実践研究 に影響 を 及ぼ しただけでな く,研究所 における研究 の方向性
に も反映 され ることになった.
第二点 目は,当時,二人 とも客観的 には新教育 の 継承者 として
,「 教科課程」 の改造 に取 り組 んで い ると評価 を受 けている点である.及川 も津 田 も, と もに欧米教育視察後 に, 日本の従来の 「 教科課程 の 改造」 に全校 を挙 げて取 り組んでいる.及川 の場合 はそれを 「カ リキュラム改造」 と称 し,理想 として は学校 の全教育内容 を,児童の生活経験 と実社会生 活を教育 の基底 に据 えた 「 生活単位」 を中心 とすべ く,従来 の 「 教科 目」 に基づ く 「 教科課程」 の抜本 的改革 を指向 していた
46.‑万,津 田の富士見小 の場合,教育信条を 「日本 精神の体得 と其 の発展」 とし, 「真 に我 が民族精 神 に立脚せ る教育,即 ち皇国愛 の教育 を建設 すべ く, 之がためには普通教科 ( 第一類教科) に於 いて,之
に意 を用ふ るは勿論,特 に第二類教科 として時間を 特設す るの必要」 を認 め,「昭和 改元 の初頭」 か ら 研究を始 めている
47.「 第一頬教科」 は従来 の教科 目 をそのまま尊重 して 「 教科書 を中心 とした間接経験 であ り,分化的 に して認識的,論理的」 な特徴 を持 つ もので,「 第二類教科」 とは 「生活 その ものを単 位 とし‑,直接経験 を主 とした揮‑的全人的な, そ して具体的な生活であ り作業的郷土的な生活 を重ん じる」 ことが特徴 で あ った4 8 . 「第二類教科」 は,
「 例えば国家的,国民的行事を一 つ の生活題材 と し て指導 して行 く時,本当の実践的道徳生活や国家生 活や社会生活への強 い意識や態度はそこで養われる」
もの とされ, 「 ‑,国体精神体得 を主 とせ る教育活 動 二,直接児童 に対す る教育 勅語 の取扱 ひ 三, 富士見小学校児童 日の丸会 四,児童礼法」 といっ た行事的内容をその中心 とした
49,いわば ェキ ス ト ラ ・カ リキュラムその ものであ った.即 ち,富士見 小 は,従来 の教科課程 に加 えて 「 第二類教科」 を新 たに設定 した ことを,従来 の教科課程 に対す る 「 改 造」 と位置づ けていたのである. これ は,従来の教 科 を温存 しつつ, 新 たな教科 目を設 置 す る ことを
「カ リキュラム」 の抜本的改造 とは認 めない及川 の 方針 とは異 な った ものであ った. しか し
,1936年
3月号 の 『 新教育研究』 で は, 「津 田 さん の編著 ‑,
159
これは我が実践界の出色の研究であ らう.富士小学 校がその永い間の此の方面の研究を整理 しつつあり, 浅草小学校 は 『 生活科』の建設を進め,明石師の附 小, 自由学園,田島小学校,浦島小学校,其他がそ れぞれの立場か ら既に堂々たる新カ リキュラムを並 施中であ り
‑」 と紹介 されている一文があることか ら5 0 ,当時,富士見小学校 も明石附小 と同様, 一般 には 「カ リキュラム」改造 に取 り組んでいる学校 と 周知 されていたといえる.
及川 と津田には実質では大 きな相違はあるものの, 渋谷 としては,名 目上ではともに新教育の流れを継 承 し,仙台市の状況に応 じて新たな教育改革を推進 す るための実践的な力量を備えた人物を選定するこ
とにこだわっていたのである.
(2)
津田信雄の研究所運営方針
新たに二代 目の所長 となった津田信雄 は
1940年
1月 1日 『 公報』で 「 研究指標」 として,渋谷 と及川
によって方向付 けられた研究所 の趣 旨を汲 みつつ, 彼 自身の所長 としての 「 覚悟」 として,
‑,吾々は 「 教育科学の認識,尊重,愛好」 とい ふ事が,此の目的実現に大なる基礎をなるもの であるといふ事を強 く意識 して進みたい.
二,吾々は, 「 郷土 の偉人先覚者 の思想 や生活」
の裡 に大なる教育的示唆の存在する事を忘れて はな らぬ.そ して此の事が, 目的達成に重大な る関係を有する事を,深 く考慮 して進みたい.
三,吾々は,理論 と実際 との相関に向か って,各 自その所長 に応 じ,率先 して之が実現に努め範 を垂 るるの覚悟を以て進みたい.
と表明 し , 「 現時調査 しつつある問題」 と して 「教 員の研究的態度 に関する調査研究」の経過を載せて いる
51.津田はこの問題を研究課題 と して設定 した 理由として,「 教育研究所で研究調査 した事 やその 他諸研究会,講習会,講演会,管外視察等か ら得た る結果が, どの位実際に具現 されるか,又 自然的環 境や,物質的設備が如何に利用 され活用されるかは, 詮ず るところ,実地教育者の研究的態度の如何に依 拠する.若 し実際教育者の研究精神が旺盛でなかっ たな らば,折角の研究 も,設備 も,環境 も利用 され ず,活用 されず,或 はその価値を充分発揮する事が 出来 ないで終 るであ らう」 と し, 差 し当 た って,
「 『自覚の下に実際教育 に対する心構へ』 という程の 意味」で,調査を進めるとしている52. 「 研究的な実
践家」を求める点では, まさに津田自身がそ うであ り,及川 とも共通 した理想の教師像を持 っていたと いえる. また,津田はこの調査を通 して,それまで の研究所の研究成果がどれだけ実践に影響力を及ぼ していたのかを明 らかに し,それに基づ き,今後津 田なりの研究所の方向性を打ち出そうとしていたと も考え られる.実際の調査内容 としては以下の
7点 を予定 している.
( 1) 校長其の他の人々か らの観察意見所感等を集 むること
(2)
研究的機関の調査・ ‑公的,私的,共同的,個 人的
( 3) 教員の読書傾向の調査・ ・ ・ 個々人 につ き,図書 館につ き
( 4) 学校備付の書籍の調査‑特に教育に関するもの
(5)
学校内の研究及個人研究の調査‑・ 研究せる問 題,印刷物等を集むること
(6)
教員の研究奨励方法の調査 ( 7) 学級経営案 に関する調査 を予定 しているお .
その後,津田は 『 公報』誌上 に, 「仙台市 の第一 印象」を
40年
1月か ら
3月にかけて
5回にわたって 連載 している.その内容 は必ず しも教育に限定 され てはいないものの,特 に市内の小学校を視察 した印 象 として,「 共同訓練の見事な錬成」 と 「愛国少年 会の武道訓練,図画手工展覧会 の大 なる進歩発展」
を褒めている
54.その一方で,「不思議 に思ふ のは, 全体的の共同訓練が非常によく錬成 されているのに 反 し,此の教室内に於 ける学習訓練が之に伴 はない と見える」 として,児童の 「 学習態度 に発動的傾向 乏 し」 い点 を批判 している
55. その理 由につ いて, 共同訓練の学習活動への影響や東北人の気質,中等 学校入学試験の存在等
10点を指摘 してお り, 「恐 ら
く前及川所長 も,かかる点 については特に注意を払 ほれた事であ らうし,又教科案の問題 も単に理論上 の事でな く, この児童の学習態度 と分離 されない内 部的連関を もっている事を も十分指摘 されたのであ らうといふ事 はその業績功程の上 にも明になってい るや うである」 として,及川のカ リキュラム改造が 児童の自発的学習 と不可分であ った と解釈 してい
る5 6 .
(3) 1939
年
〜40年度の事業計画 とその成果
その後,及川の所長時代のように,研究所の研究
経過が 『 公報』誌上 に掲載 され ることはな く,津 田 が就任 してか らの研究所の異体的な研究活動成果 は
『昭和
14年度 仙台市教育研究所事業報告』 と 『昭 和
15年度 仙台市教育研究所事業報告』 に, それぞ れまとめ られている.
『昭和
14年度 事業報告』 の 「 一,調査研究の部」
は,二階堂が掲 げた
5項 目の内容 と,津 田が着任 し て設定 した 「 仙台市立小学校教員 の研究的態度 に関 す る調査研究」 , さ らに,津 田が 「目下各学校別 に 連続講話中」 の 「国民学校案 に関す る研究」 の計
7項 目か ら構成 されている.「 仙 台市立小学校教員 の 研究的態度 に関す る調査研究」 には,彼が 1 月 1日 付 『 公報
』に掲 げていた具体的な調査内容 の全てを 実施 した結果が掲載 されてお り,例 えば,調査項 目 に挙 げ られていた市内全小学校長 の 自校 の教員 に対 す る意見や,小学校教員の所有 している書籍等が公 にされている
57.津 田はそれ らに基 づ いて, 仙 台市 の教員 の研究態度 に分析 を加 え,彼 らの研究的態度 は 「 積極的な りとは,断 じ難 い」, 「旧弊 を打 破 し, 進みて,新法を試 みん とす る勇者が少 い」等,厳 し
い評価 を下 している5 8 . さ らに, 研究所 の成果 を実 践 に活か しているか とい う知見か らの調査について, 大方が効果 を及ぼ しているものの,及川が力を注 い でいた 「 『 教科案 の研究』や 『 知能検 査 の研究』 等 の成果が,意外 に実践上 に活用 されて いないの は, 寧 ろ不思議 に堪 えない」 とし
,「研究所 に於 て, 研 究せ る事項 を,早 く且つ各員 に,報告す る事 は,莱 践促進上,最 も重要 な事である」 と指摘 す る
59. そ して,今後 その実施 を促すための研究所 の改革が必 要であ り
,「 一,報告発表会を毎学 期一 回開催 す る 辛.二,報告書 を少 な くとも‑学期一回発行 し,各 教員 に配付す ること.≡,研究室 を設 くる事. 四, 専属研究員 を設 くる事.五,研究員 の管外視察を行
は しむ る事.
」を緊急 に実施すべ き 「要 目」 と して 掲 げている
60.及川 も研究所 の研究 内容 を普 及 す る ための活動 にかな りの精力を注 いでいた ことは既 に 指摘 して きた.津 田の場合 は 「 報告発表会」 を義務 づ けるなど,研究所 による教師の研修活動 の強制 を 企図 していた といえ る.
また,津 田が着任以来の僅かな期間で最 も精力を 注 いだ 「 国民学校 に関す る研究」 は, 「第一, 国民 学校案 と 『 皇国の道』及 『日本精神
』」「 二,国民学 校案 と学校生活 の新 しい観方」
,「 三,国民学校案 と
『 児童 の生活 ( 学習)態度
』」か ら構成 されている
61.第25号 2003年
「 二」 と 「 三」で は,教科課程 の改造 に一定 の理解 のある津 田な りに,新 たに示 された国民学校 の教科 の枠組 みに沿 って,実践 に直結す る内容 を示す こと
も可能であ った と考 え られ るが,「二」 で は 「皇民 生活 の本質」
,「 三」で は 「 学校 は皇国的経験 の生活 体」 といった国民学校 の理念, 目的の解説 に紙幅が 取 られている. 「二, 指導研究 の部」 につ いて は, 津田が上述 の国民学校 に関す る講話を行 ったとす る 活動が書かれている以外 の詳細 な活動報告 はなされ ていない
.『昭和
15年度 事業報告
』は,渋谷が巻頭で 「 我 が教育研究所 の,十五年度 に於 け る事業 の重点 は, 国民学校案 に対す る理論的及実践的の研究にあった」
と述べていることに表れているよ うに6 2 , その内容 は
,「 一,国民学校 に於 ける教育活動 と して の 『生 活形態』 の地位及要 目編成 ( 所謂 『 儀式的行事』 の 組織化研究) 二,国民学校教育 と学校 期以前 の幼 児生活 との関係 につ さての研究 三,国民学校への 転移期 に於 る各教科 の実践重点 四,大政翼賛運動 と国民学校教育 との関係 につ さての考察,五,国語 の道具性及形式性 につ さての研究 六,国民学校 に 対す る仙台市 に於 ける準備活動」か ら構成 されてい
る.
この うち
,「 六」で は,仙台市 の教 員 が国民学校 に対応 してゆ くまでの研究所 の取 り組 みの過程 が,
「 第一期 基礎理論的研究期‑十 四年度第三学期一 十五年度第一学期初,第二期 要綱全般的研究期‑
十五年度第一学期,第三期 各学校準備実施期‑十 五年度第二学期,第四期 全期継続及細案設定期‑
十五年度第三学期」 に分 けてまとめ られている
63.この冒頭で,津 田は及川の取 り組 み
,「 殊 に , 『 教
科問題』 を採 り入れた調査 の如 き」 を, 自然 に 「 立 派 な国民学校 の準備」 とな ってお り,新 たな教科案 を受 け入れ る準備 は 「内面的 に出来ていた或 は芽 ぐ んでいた」 と跡付 けている6 4 . その上 で, 新 たな国 民学校案が教員 の 「 意識 の上 に明瞭 に上が った もの か ら考え る」 と,第一期 に相 当す るのが 「 十四年末, 東高師主催 の講習会等が開かれた頃」 か らで, 「 之 を聴講 して きた当市教員が帰校後熱心 な伝講 を開始 した事 は特筆 す べ き こと」 と して注 目 して い る6 5 . 教員が進んで文部省の方針 を 「 受講伝講」 し,積極 的に国民学校案の受 け入れを促進 した状況 は,次 に 示す研究所 の事業 と相 まって一層加速 したといえる.
即 ち , 『昭和
15年度 事業報告』 の 「 指導研究の部」
161
には, それ まで,及川の時代を通 して も見 られなか っ た 「 五,講習受講及伝講」 とい う項 目があり ,「( ‑) 文部省講習受講.及伝講
(5月
24日
‑30日)所長及 指導員 ( 二)東京女子高等師範学校講習受講
(6月
9日
‑12日)亘理視学引率,市訓導研究員其他計参 拾八名 ( ≡) 東 京 高等 師範学 校 講 習受 講. 及 伝 講
(12月
25日
‑29日)所長.事項 『移行学 年 に於 け る 実践重点.』 ( 報告書所載
)」が活 動 内容 と して報 告
されている6 6 . また, それ まで研 究所 が外部 の講 師 を招 いた講習会 に乗 じた ことは無か ったに も関わ ら ず, 「四,講習会開催」 で は 「 ( ‑)綜合教授講習会
(4
月
28日
‑30日)講師東京高 等 師範 訓 導 川 島次 郎氏 ( 市教育会主 催 ) ( 二 ) 夏 期 講 習会
(8月
5,
6