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日清戦後期から第一次大戦期における 地主資産家の所得構造

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Academic year: 2021

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(1)

1.はじめに

本稿の課題は、地主資産家である熊谷藤五郎家の地主経営を検討する一環 として(1)、その所得構成の変遷と斯かる変化をもたらした所得源泉(資産と 家業)の変化を瞥見しておくことにある。さて、熊谷家は遅くとも化政期に なると地主経営と並んで製

"

業と酒造経営を家業としていたものと思われ(2) 近世後期における同家の蓄積基盤は地主・製

"

・酒造の三つから構成されて

(1)熊谷藤五郎は近代になって様々な公職を歴任し、さらに後述の如く地域の諸 企業への投資にも積極的であることからして、同家を単なる地主としてではな く、所謂「名望家」として把握することを最終的な課題としたいが、本稿では 差し当たり藤五郎の多面的な活動を支えた所得のありようについて、所得額が 資料的に確認出来る日清戦後期から、彼の死去に至る期間を検討の対象にする ことにしたい。ところで、地方名望家に関する研究は、最近夙に盛んであるが、

個別地主名望家(資産家)の所得動向を検討した成果として、上野山学「明治 期における地方名望家の役割と経営−滋賀県

!

島郡福井弥平家を事例とし て−」『経済学論叢』(同志社大学)第53巻第4号)20頁以下、を挙げること ができる。尚、本稿で使用した「熊谷文書」は全て福岡県地域史研究所所蔵資 料である。

日清戦後期から第一次大戦期における 地主資産家の所得構造

−福岡県朝倉郡松末村熊谷藤五郎の事例−

永 江 眞 夫

福岡大学経済学部

−41−

( 1 )

(2)

いたものと考えられる(3)。そこで、この様な近世的蓄積構造が近代に入って どの様な変化を見せたのかを検討することが本稿の課題となるわけであるが、

既に、第一次大戦期から地方地主の株式投資が活発化することは多くの指摘 があることから、ここでも、近代的土地所有権に基づく地主経営=小作料収 入(土地貸付所得)と株式投資による配当収入の2本建ての所得構成を資産 所得に依拠する近代寄生地主的所得構成と考えて、両者の内容的変化を稍詳 しく見ることによって、同家における所得構成の近代化如何を検証していく ことにしたい。又、それを通じて、福岡県の近代地主制史研究において個別 経営分析が手薄である現状に多少なりとも新たな知見を付け加えることが出 来ればと考える次第である(4)

さて、ここで日清戦後期、即ち15(明治28)年から第一次大戦期にかけ

(2)熊谷家の地主経営がいつ頃から本格化したのかは不明であるが、熊谷文書に 残されている資料から判断する限りにおいて、同家は18世紀初頭の享和期には 土地集積を開始し(拝松 勘助・忠八「拙者抱田地売渡ニ付証文之事」享和3 亥(13)年、熊谷文書31)、文政期には既に地主経営を展開していたと思 われるし「下作高上納一式帳」文政3(10)年、熊谷文書29)、同じく文政 年間には酒造道具一式を購入し「酒造諸道具譲帳」文政8(15)年、熊谷文 書63)、酒造営業を開始した(「酒蔵入目一切」文政8年11月、熊谷文書32)

と思われる。又、同家には文化6(19)年以降の櫨関係帳簿(熊谷文書1以 下)が残されていることから、同家は遅くとも文化年間には製

!

業を営んでい たものと考えられる。尚、明治初期における同家の製

!

業経営に関しては、後 藤正明「明治前期における製

!

業者の一断面」『福岡県史 近代研究編各論

(二)』所収)、同「近代における木

!

業の発展過程−明治期の福岡県木

!

業を 中心にして−」『福岡県地域史研究』第20号所収)69〜72頁参照。

(3)地主・製

!

・酒造の3経営がどの様な関係に立ちながら同家の蓄積基盤を構 成していたのかは、今のところ不明である。

(4)福岡県における近代地主制については、福岡県農地改革史編纂委員会『福岡 県農地改革史 上』及び農林省農業総合研究所九州支所『福岡県の農業』を参 照。

−42−

( 2 )

(3)

ての熊谷家の所得動向を瞥見しておけば、以下の如くである(5)。先ず、後掲 表1によって全体的な動向を確認したい。利子配当を含めた所得総額は、

5、96年には千円台であったものが10年代前半には5千円台から6千円 台へと急増している。さらに、00年代後半に入るると8〜9千円台へと増加 し、13(大正2)年になって1万円台を記録するに至たり、10(大正 9)年には一挙に4万円を超す水準に達している。ところで、この様な所得

(5)所得を示す資料は各種存在する。ここで、その概要について述べておきたい。

基本となる資料は、15年から98年までは「所得金高届」(熊谷文書29、16、

8、10)と呼ばれる資料が基本となっており、記載内容は土地関係所得以 外にも、公債利子、株式配当、酒造関係所得(商業所得)、絞

!

関係所得(工 業所得)等に及んでおり、所得の内容を比較的詳細に知ることが出来る。99年 から12年までは〔所得金額納税通知書〕(同11、13、14、18)とい う資料が基本になっており、利子・配当所得が記載されていない。ここまでの 資料は罫紙に書かれており、税務当局へ提出した資料の控えと思われる資料で ある。13、04年は「所得調(書)(同17、10)という資料を使用したが、

これは長帳形式の資料であり、当局へ提出する資料を作成するために内部で 作った覚書の様なものである。記載内容は02年までの〔所得金額納税通知書〕 と ほ ぼ 同 様 で あ る。15年 か ら09年 ま で は「所 得 申 告 書」(同17、18、

9、19、10)と呼ばれるもので、記載内容は製

!

業関係所得の記載がな くなるが、これも、当局へ提出した資料の控えと思われる。さらに、10年か ら20年までは「第三種所得金額申告書」(同11〜71、55)という資料であ るが、これは14年を境にして記載内容が大きく異なるという特徴を有してい る。即ち、10年から13年までは、土地関係所得に関して、それまで記載されて いた土地の所在地別・地目別の所得金額の記載がなくなり、極めて簡略化され た記載形式となる。14年以降は、それが復活し、さらに絞

!

関係所得や山林所 得が毎年記載される。又、10年以降の資料も当局へ提出した資料の控えと思 われる。要するに、15年から13年にかけての所得関係史料の記載内容が極め て不充分ということになるのである。その不十分さを補填してくれるのが、〔所 得調〕(同16)と仮に呼ばれる資料である。同資料は手帳に記された16年 から13年にかけての所得内訳で、土地の所在地別・地目別の所得金額の他に、

!

所得、山林所得等が記載されており、14年以降の資料とほぼ同様の記載内 容を有する資料である。ただこの資料は手帳に記載されていることから推測さ れることであるが、提出用の資料を作成するための覚えと見てよい。

日清戦後期から第一次大戦期における地主資産家の所得構造(永江) −43−

( 3 )

(4)

の内訳を見ると、土地貸付に係る所得と株式配当が二大源泉となっているこ とが判る。そこで、この両者の推移を多少詳細に検討していくことにしたい。

先ず両者の関係であるが、表1に示した様に、19年までは土地貸付所得が 配当所得を上回っているが、その後は配当所得の方が多少大きいもののほぼ 拮抗した推移を辿っている。その後、18年以降は17年を例外として土地 貸付所得が配当所得を一貫して上回るという動向を示している。この様に同 家の所得においては、既に日清戦後期から株式配当所得が土地貸付所得と並 んで二本柱の一方を構成しており、その意味では同家の所得構成は明治中期 頃において早くも近代地主的特徴を備えていたと推測出来るのであるが、以 下、この様な所得構成が形成された過程とそれを可能にした条件とを若干立 ち入って検討していこう。

2.土地貸付所得

土地貸付所得の総額は表1に示した通りである。15年には1千3百円台 であったものが、98年には2千5百円台になり、日露戦後期(10年代後 半)には4千円台を記録して、14年には7千円を超すピークを形成し、そ の後、一時減少するが19年に9千円、20年には1万円を超す水準に急増して いることが判る。そして、その大部分は田貸付による所得であり、畑貸付に

以上のことから、所得関係資料は年代によって記載内容に精粗があり、出来 るだけ豊富な記載内容のものを採用しようとすれば(本稿ではそうしたのであ るが)、作成段階が異なる資料を使用せざるを得なくなる。さらに、提出資料 の作成のための覚えはもとより、当局に提出した資料の控えにも多数の訂正が 入っており、その結果と思われるのであるが、訂正後の各費目の金額を合計す ると原資料の合計金額と一致しない場合が少なくない。従って、資料の記載内 容の信憑性に稍欠ける憾みがあるが、合計金額の不一致にしても極端な事例が なかったことから、検討材料として不適当とは言えないと考えてよいように思 われるのである。

−44−

( 4 )

(5)

表1熊谷家所得金額単位:円 08 ,229.700 ,033.200 15.000 38.500 74.500 46.900 ,912.000 ,664.234 ,576.234 190613年は「〔所得調査〕」による 37.7 31.1 所得金高届」、「所得金額納税通知書〕」、所得調(書)」、所得申告書」、「所得調査〕」、第三種所得金額申告書」による

07 ,510.000 ,400.000 80.000 30.000 42.000 10.520 ,348.770 ,943.060 ,291.830 30.3 35.5 総計 10,037.796 10,545.481 ,576.550 98.851 34,544.300 ,436.014 ,063.914 16,159.939 46.000 86,340.028 25,964.967 43.1 34.1

06 ,972.000 ,850.000 85.000 37.000 84.000 14.700 ,954.440 ,046.280 ,000.720 37.1 38.1 20 13,633.000 12,971.000 58.000 82.000 23,600.000 15.000 39,099.000 ,323.120 48,422.120 28.2 19.3

05 ,945.940 ,767.170 14.770 37.000 ,055.940 ,314.821 ,370.761 1895〜9年の申告合計は原表の申告合計から利子、配当を引いた額 46.2 52.0 19 ,134.000 ,649.000 41.000 72.000 97.000 21.000 11,087.000 ,435.207 16,522.207 55.3 32.9

04 ,189.120 ,782.880 14.460 36.780 ,189.120 ,325.470 ,514.590 49.0 51.0 18 ,580.000 ,233.000 25.000 90.000 96.000 17.000 ,618.000 ,049.930 12,667.930 44.0 39.9

03 ,817.617 ,425.907 11.200 31.510 13.000 ,817.617 36.500 ,168.200 ,022.317 46.8 52.6 17 ,620.000 ,330.000 20.000 87.000 60.000 96.000 ,028.000 ,850.930 10,878.930 42.5 44.6

02 ,172.770 ,015.071 12.855 31.844 36.000 ,167.700 ,019.027 ,186.727 35.1 48.8 16 ,211.030 ,907.030 26.000 37.000 40.000 10.270 ,324.620 ,896.490 11,221.110 46.4 43.6

01 ,263.196 ,132.639 10.221 23.936 45.000 ,386.196 40.000 ,005.423 ,431.619 41.7 55.3 15 ,570.200 ,175.920 34.470 46.810 ,974.000 56.000 ,962.120 ,885.900 13,848.020 47.4 35.3

1900 ,446.765 ,273.836 14.070 16.624 16.000 ,762.765 80.000 ,545.045 ,387.810 45.4 47.2 14 ,108.590 ,608.500 43.410 66.680 ,575.000 53.060 11,116.450 ,719.280 15,835.730 44.9 29.8

99 ,363.263 ,153.727 14.155 24.337 ,441.263 80.000 ,193.545 ,714.808 63.6 32.1 13(大正2) ,074.000 ,675.000 34.000 51.000 11.820 ,610.740 ,155.100 10,765.840 47.1 38.6

98 ,509.844 ,966.021 14.823 61.386 ,337.148 65.000 ,868.625 ,270.773 47.6 35.5 12 ,592.000 ,312.000 24.000 35.000 45.200 92.000 ,863.790 ,077.150 ,940.940 51.4 34.4

97 ,799.700 ,658.617 14.084 58.428 ,666.946 65.000 ,422.550 ,154.496 43.3 34.2 11 ,426.000 ,156.000 23.000 35.000 10.600 84.000 ,140.780 ,668.200 ,808.980 56.7 34.2

96 ,647.100 ,516.259 13.841 10.000 52.487 ,559.468 65.000 19.130 ,821.598 58.4 .0 10 ,419.000 ,126.000 25.000 38.000 74.000 ,207.330 ,665.840 ,873.170 56.1 33.9

1895(明治28 ,364.871 ,291.734 64.901 61.064 34.613 ,246.816 33.500 41.000 ,321.316 58.8 .8 09 ,438.090 ,134.970 26.290 35.830 64.000 54.680 ,255.920 ,858.471 ,114.391 48.7 31.4

土地貸付 田貸付 畑貸付 宅地貸付 山林 ! 酒造 申告合計 公債利子 株式配当 総計 土地貸付比率(%) 株式配当比率(%) 土地貸付 田貸付 畑貸付 宅地貸付 山林 ! 酒造 申告合計 公債利子 株式配当 総計 土地貸付比率(%) 株式配当比率(%)

日清戦後期から第一次大戦期における地主資産家の所得構造(永江) −45−

( 5 )

(6)

よる所得は極めて限られた比率を示すに過ぎない。さて、この様な土地貸付 所得を生み出している貸付地所有状況を簡単に見ておこう。熊谷家の貸付地

(小作地)所有状況を示したのが後掲表2である。先ず、同表によって貸付 地面積の推移を確認しておくと(6)、貸付地全体の反別は15年時点では26町 余であったものが、18年には30町歩を超え、さらに日露戦後期になると4 町歩を超えて14年には46町6反のピークに達する。その後、15、16年には 多少減少するが17年には再び46町3反に達した後、20年には44町4反に減少 するのである。これを、田と畑に分けてみると、日清戦後期までは田の反別 動向と全体のピーク形成動向が並行しているが、日露戦後期以降になると畑 の反別のピークが全体のそれと並行しているという特徴が看取される。とも あれ、第一次大戦期には、同家は50町歩近い貸付地を有する大地主へと貸付 地面積を増加させていたのである(7)

これを田畑別にもう少し詳細に見ておくと、田反別は15年の21町歩から 8年には25町歩、13年には30町歩となっており、この10年弱の間に10町歩 近い増加を見せている。しかし、その後の増加は緩やかであり、15年に3

(6)ここで面積というのは貸付地(小作地)の面積であって、同家の土地所有全 体を示すものではないということに注意しなければならない。即ち、所有地で あるにもかかわらず小作に出していない耕地やその他山林等の面積や地価は含 まれていないということである。所得申告書に基づいて所有土地を確定しよう としても、そこに記された土地面積は「所得を生ずる所」の面積であり、所有 地全体の面積ではないということである。従って、表に記載された土地の面積 はあくまでも所得を得ることの出来た貸付地の面積であるということになるの である。但し、資料によって同一年に関しても貸付地面積が異なる場合がある。

これは、当該資料の作成時点や性質によるものと思われる。つまり、当該資料 が所得税の申告書であるか、或いは、それ以前の申告書を作成するためのメモ であるか、というような相違によるところがあるということである。どちらが 実態に近いのかは俄に判断し難いが、資料が連続的に使用出来る範囲に限って は、その連続性を一応評価しておき、他の資料の数値を参考として掲げておく ことにしたい。

−46−

( 6 )

(7)

町1反でピークに達した後、20年の32町7反まで減少している。それに対し て、畑反別は15年に3町4反であったものが99年に6町6反のピークを形 成し、その後、13年の5町3反まで減少する。そこから再び増加して、0 年には9町1反まで急増する。ところが翌09年には7町1反に急減している かの様である(8)。その後、13、14年と急増し11町8反のピークを迎え、そ れ以降、20年の11町歩まで減少するという推移を辿っている。即ち、15年 と10年を比較した際の増加率では畑が田を上回っているが、前者の動向は 後者のそれと比べると不安定であることが判る。土地貸付所得を見た際に述 べた様に、田に比べれば畑からの所得は圧倒的に少なく、所得を得るという 観点からすれば畑を小作に出すインセンティブは田に比べて極めて限られる ということになるので、貸付地面積が畑の場合には不安定になるという結果 になったのであろう。

ところで、先述した様に土地貸付所得の大部分は貸付田地から生じていた。

そこで、貸付田地の所在地を所得の面から見ておけば、熊谷家の所在地であっ

(7)10年2月調べでの所有耕地反別50町歩以上地主は、朝倉郡内では古林三五 郎(59町6反)を数えるのみである「五十町歩以上の地主 大正九年二月調」

渋谷隆一『都道府県別資産家地主総覧 福岡県1』所収)。所有耕地という基 準で見れば、熊谷家はこれに次ぐ郡内屈指の大地主ということになろう。因み に、熊谷家当主の藤五郎の甥である愛三の所有貸付地面積は11年で10町4反、

3年で7町3反あるから、これを合わせると50町歩を超えている可能性も充分 に考えられる。

(8)「申告書」からは19年から13年までの所在地別の貸付地面積が不明である ので、この間の貸付地面積の増減に関しての詳細は判明しない。一方、16年 から13年までの所在地別貸付地面積が判明する別の資料〔所得調査〕)では、

6年から09年までの畑貸付地面積が申告書記載のそれと大きく異なる。即ち、

当該面積は06年には、前年の申告書記載面積に比して一挙に4町歩近く増加し て9町3反となり、08年には8町4反、10年には7町3反へと減少して、13年 には9町歩へと再び増加するという推移をたどるのである。両者の相違の原因 は不明だが、少なくとも00年代半ばに畑小作面積が一度増大し、00年代後半に かけて減少、さらに10年代に入って増加するという傾向は看取出来よう。

日清戦後期から第一次大戦期における地主資産家の所得構造(永江) −47−

( 7 )

(8)

表2熊谷家貸付土地所有単位:反・円 .8 .4 .8 .1 ,2.2 ,0.8 ,3.7 .2 .2 .9 .5 ,2.7 ,0.9 ,3.6 表1に同じ

.6 .4 .6 .7 ,9.8 ,0.8 ,1.6 .2 .2 .9 .5 ,2.7 ,0.9 ,3.6 .7 .6 .8 .2 ,7.4 ,2.7 ,1.7

.6 .4 .6 .7 ,9.8 ,0.8 ,1.6 .7 .2 .9 .0 ,6.7 ,0.9 ,8.2 .0 .3 .6 .0 ,1.9 ,2.0 ,7.0

.4 .4 .6 .5 ,4.2 ,0.8 ,6.0 .8 .6 .6 .2 ,4.8 ,0.9 ,6.3 .9 .8 .5 .3 ,2.8 ,3.8 ,8.9

.5 .6 .6 .4 .2 ,8.5 ,1.2 ,6.5 地価改定 .8 .6 .6 .2 ,2.8 ,1.5 ,5.0 .1 .8 .4 .3 ,2.7 ,3.8 ,8.9

.7 .2 .6 .7 ,3.4 ,0.4 ,3.3 畑反別は畑・ 宅地反別、地 価も同様 .7 .6 .8 .2 ,2.0 ,0.6 ,4.6 .7 .8 .8 .4 ,2.4 ,0.8 ,9.9

.8 .2 .6 .7 ,4.3 ,0.4 ,4.2 畑反別は畑・ 宅地反別、地 価も同様 .8 .0 .6 .4 ,2.9 .6 ,3.5 .7 .8 .8 .4 ,2.4 ,0.8 ,9.9

.5 .2 .6 .5 ,4.2 ,0.4 ,3.1 畑反別は畑・ 宅地反別、地 価も同様 .0 .0 .6 .6 ,1.2 .6 ,2.8 .4 .9 .2 .7 ,1.5 ,0.7 ,4.4

5(明治 .8 .1 .6 .7 ,1.1 .6 ,6.2 畑反別は畑・ 宅地反別、地 価も同様 .0 .4 .6 .1 ,2.2 ,0.5 ,4.6 3(大正2) .4 .9 .3 .8 ,0.3 ,0.7 ,7.6

貸付田反別 貸付畑反別 貸付宅地反別 手作田反別 反別合計 貸付田地価 貸付畑地価 地価合計 貸付田反別 貸付畑反別 貸付宅地反別 手作田反別 反別合計 貸付田地価 貸付畑地価 地価合計 貸付田反別 貸付畑反別 貸付宅地反別 手作田反別 反別合計 貸付田地価 貸付畑地価 地価合計

−48−

( 8 )

参照

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