中
世
高
野
山
の
僧
侶
集
会
制
度
和
多
昭
夫
一 中 世 以 来、 東 大 寺、 興 福 寺、 東 寺、 石 清 水 八 幡 宮、 観 心 寺、 金 剛 寺、 高 野 山 等 の 諸 大 寺 に 於 て、 僧 侶 集 会 評 定 が 盛 に 行 は れ た が、 就 中、 中 世 高 野 山 の 僧 侶 集 会 評 定 は 種 類 も 多 く 制 度 と し て 最 も 整 つ て い た。 古 代 律 令 制 下 の 寺 院、 僧 尼 は 国 家 の 特 別 の 監 督 を 受 け て 来 た。 即 ち、 中 央 の 僧 綱 に 対 し て、 諸 大 寺 に 於 て は、 寺 官 と し て の 上 座、 寺 主、 都 維 那 の 所 謂 三 綱 ( 所 司 ) に よ つ て 統 制 さ ( 1 ) れ て 来 た。 三 綱 は 僧 侶 の 統 制、 処 罰 や 寺 務 処 理 の 権 限 を 附 与 さ れ て い た が、 一 方 で は、 こ れ ら 三 綱 を 中 心 と す る 寺 内 の 自 治 も 或 程 度 認 め ら れ て い た。 僧 綱 及 び 三 綱 の 選 任 方 法 に つ い て 見 る と、 僧 綱 は 必 ず 徳 行 よ く 徒 衆 を 伏 し、 道 俗 欽 仰 し、 法 務 を 綱 維 す る に 足 る 僧 を 徒 ( 2 ) 衆 が 選 挙 し た 後 勅 任 さ れ、 三 綱 の 場 合 は、 諸 国 定 額 寺 で は 檀 越 衆 僧 の 請 に よ り 国 司 覆 勘 し て こ れ を 補 任 し、 諸 大 寺 で は 五 師 大 衆 が 能 治 廉 節 の 僧 を 簡 び、 別 当 ・ 三 綱 連 署 し、 更 に 僧 綱 が 検 討 を 加 え、 玄 蕃 寮 ・ 治 部 省 を 経 て 太 政 官 に 申 請 し、 太 政 ( 3 ) 官 が こ れ に 基 い て 任 命 し た。 こ の 選 挙 の 方 法 を 具 体 的 に 明 ら か に す る 事 は 出 来 な い が、 中 世 の 僧 侶 集 会 評 定 と 同 じ 意 味 の も の で は な い と し て も、 五 師 大 衆 等 に よ つ て 僧 綱 な り 三 綱 が 選 出 さ れ て い た と 云 う 事 実 は、 寺 院 内 部 に 於 て 或 程 度 の 自 治 集 会 が 実 際 に 行 は れ て い た 事 を 二 小 し て お り、 律 令 制 の 衰 退 と 共 に 斯 様 な 出 治 集 会 は 次 第 に 活 濃 化 し て 来 る。 文 献 上、 僧 侶 集 会 評 定 は 平 安 時 代 初 期 か ら 現 れ て い る が、 中 世 高 野 山 の 僧 侶 集 会 制 度-17-密 教 文 化 制 度 と し て 確 立 す る の は 平 安 時 代 末 期 で あ る。 而 し て、 従 来 の 三 綱 の 制 度 は 中 世 に 入 つ て も 依 然 と し て 存 続 し て い る け れ ど も、 寺 務 の 主 導 権 は 僧 侶 集 会 の 幹 事 と し て 登 場 し て 来 た 年 ( 4 ) 預 の 掌 握 す る と こ ろ と な つ た。 年 預 は、 寛 平 元 年 ( 八 八 九 ) 七 月 二 十 五 日 の 太 政 官 符 に、 ﹁ ( 前 ﹂略 ) 又 此 寺 ( 円 成 寺 ) 預 二 定 額 一。 不 レ 為 二 僧 綱 講 読 師 所一 レ 摂。 門 徒 之 中。 年 歯 長 大。 慈 ( 5 ) 悲 平 等。 護 法 勝 者。 r 以 レ 之 為 レ 首。 互 為 二 年 預 一令 レ 勾 二 当 雑 務 こ と あ る の が 最 も 古 く、 各 寺 院 夫 々 の 条 件 に よ つ て 多 少 そ の 成 立 年 代 を 異 に し て い る が、 そ れ が 一 般 化 す る の は 大 体 平 安 時 代 末 期 で あ る。 斯 様 に 平 安 時 代 末 期 は 僧 侶 集 会 制 度 の 発 達、 即 ち、 寺 院 法 の 発 達 を 意 味 す る 点 で 寺 院 法 制 史、 教 団 史 上 極 め て 重 要 な 時 代 で あ る。 僧 侶 集 会 評 定 の 成 立 の 原 因 に つ い て は、 法 会 の 盛 行 と 寺 領 の 増 加、 或 は 貴 族 の 仏 教 界 進 出 に 対 す る 大 衆 の 階 級 的 反 抗 等 に 求 め る 種 々 の 説 が あ る が、 寺 領 荘 園 の 治 外 法 権 化 ( 不 輪 不 入 ) が 僧 侶 集 会 制 度 の 発 達 を 促 し た 最 大 の 原 因 で あ ろ う。 従 来 の 公 法 的 な 寺 官 で あ る 三 綱 に よ つ て 統 制 さ れ て 来 た 寺 院 が、 三 綱 に 代 る 私 法 的 な 年 預 の 登 場 に よ つ て、 自 ら 寺 務 の 処 理、 僧 侶 の 統 制、 庄 園 対 策 に 関 し て 僧 侶 集 会 評 定 に よ つ て 律 法 を 制 定 し 運 営 す る と 云 う 治 外 法 権 的 地 位 を 獲 得 す る に 至 つ た の は、 律 令 制 の 崩 壊 に 伴 う 国 家 の 監 督 の 弛 緩、 庄 園 制 の 発 達、 寺 院 経 済 の 発 展 と 寺 院 の 俗 的 権 威 の 増 大、 及 び 僧 兵 の 強 力 化 等 の 一 連 の 古 代 末 期 の 政 治 的、 経 済 的、 社 会 的 変 動 を 背 景 と す る 必 然 的 現 象 で あ る と 云 は ね ば な ら な い。 こ の 様 な 歴 史 的 背 景 の も と に 成 立 し た 僧 侶 集 会 評 定 は、 中 世 に 於 て 最 も 活 渡 な 様 相 を 呈 す る の で あ る が、 織 豊 両 氏 の 寺 院 圧 迫、 更 に 徳 川 幕 府 の 成 立 と そ の 寺 院 対 策 の 結 果、 全 く 異 質 的 な 変 貌 を 遂 げ る の で あ る。 註 ( 1 ) 我 が 国 に 初 め て 僧 官 が 置 か れ た の は 日 本 書 紀 に よ れ ば 推 古 天 皇 三 十 二 年 ( 六 二 四 ) で、 僧 正、 僧 都、 法 頭 の 三 官 を 置 い て 僧 尼 を 統 領 せ し め た。 こ の 中、 法 頭 の み は 俗 人 を 以 て あ て ら れ た。 天 武 天 皇 十 一 年 ( 六 八 四 ) 三 月 三 日 僧 正、 僧 都、 律 師 を 置 か れ た。 扶 桑 略 記 に よ れ ば 天 武 天 皇 元 年 十 二 月 二 十 七 日、 僧 義 成 を 少 僧 都 道 光 を 律 師、 同 年 三 月 智 蔵 を 僧 正 に 任 じ た と あ る。 こ の 様 に 僧 官 は 早 く か ら 置 か れ て い た が、 文 武 天 皇 の 大 宝 令 制 定 に よ り 僧 尼 令 が 定 め ら れ 国 家 の 寺 院、 僧 尼 に 対 す る 統 制 が 完 成 さ れ た。 僧 官 と し て 中 央 に 僧 正、 僧 都、 律 師 の 僧 綱 が あ つ て 全 国 の 僧 尼 を 統 領 し 法 務 を 綱 持 し た の に 対 し、 諸 大 寺 に 三 綱 ( 所 司 ) が あ つ て 寺 中 の 僧 を 取 締 り 寺 務 を 掌 つ て い た。 日 本 書 記 の 孝 徳 天 皇、 大 化 元 年 ( 六 四 五 ) の 条 に、 ﹁ 以 二 恵 明 法 師 一 為 二 百 済 寺 寺 主 こ、 同 天 武 天 皇、
朱 鳥 元 年 ( 六 八 六 ) の 条 に、 ﹁ 庚 戌、 請 三 二 綱 律 師 及 大 官 大 寺 智 事 佐 官 井 九 僧 一 以 二俗 養 一養 レ 之 ﹂ と あ る の が 最 も 古 い。 ( 2 ) 僧 尼 令 第 十 四 条 ﹁ 凡 任 二僧 綱 一謂 一律 師 以 上 一 必 須レ 用 下 徳 行 能 伏 二徒 衆 一道 俗 欽 仰 綱 二 維 法 務 一 者 上 所 挙 徒 衆 皆 連 署 牒 レ 官 云 々 ﹂ ( 3 ) 延 喜 式 玄 蕃 寮 式 ﹁ 凡 諸 大 寺 別 当 三 綱 有 闘 者。 須下 五 師 大 衆 簡二 定 能 治 廉 節 之 僧 一。 別 当 三 綱。 共 置 申 送 上。 僧 綱 覆 審 具 レ 状 牒 二 送 寮 一寮 申 レ 省。 省 申 レ 官。 然 後 補 任。 若 薦 挙 不 実 科 二 責 挙 者 一。 云 々 ﹂ 又、 別 当 当 は 天 平 勝 宝 四 年 ( 七 五 二 ) 五 月、 僧 良 弁 を 東 大 寺 別 当 に 補 し た の を 初 例 と す る。 玄 蕃 式 に ﹁ 凡 諸 寺 以 二別 当 一為 二 長 官 一 以 二 三 綱 一為 二 任 用 一 ﹂ と あ り、 別 当 の 職 が 出 来 て か ら 三 綱 の 任 期 は 四 年 と な り、 三 綱 は 別 当 の 下 に 属 し 権 限 も 弱 く な つ た。 ( 4 ) 年 預 の 出 現 は 直 ち に 三 綱 の 廃 止 を 意 味 す る も の で は な い。 過 渡 期 に 於 て は 三 綱、 年 預 共 同 で 寺 務 を 担 当 し て お り、 又 中 世 を 通 じ て 寺 院 法 の 担 当 者 で も あ つ た。 即 ち 東 大 寺、 東 寺、 東 福 寺 の 所 司 集 会 は 特 に 重 要 で な い 寺 務 は 慣 例 に よ り 裁 決 し た。 後 に は 別 当 そ の 他 が 加 え ら れ た。 又 鎌 倉 時 代 の 金 剛 寺 の 評 定 衆 集 会 は 衆 徒 の 意 向 を 容 れ る 方 法 と し て、 応 長 元 年 ( 二 一二 一 ) に 院 主、 三 綱 の 他 に 公 文 及 び 己 灌 頂 の 僧 各 五 入 を 加 え た 十 入 評 定 衆、 興 国 元 年 ( 一 三 四 〇 ) に は 三 綱、 公 文 四 人、 学 頭 以 下 十 一 人 よ り 成 る 評 定 衆 を 組 織 し て 立 法 裁 判 等 を 評 議 す る 機 関 と し た。 ( 5 ) 類 従 三 代 格 巻 二 新 訂 増 補 国 史 大 系 本 六 十 二 頁 二 高 野 山 に 於 け る 年 預 の 成 立 に つ い て 細 川 亀 市 氏 は、 少 く と も 高 野 山 に 関 す る 限 り、 平 治 元 年 ( 一 一 五 九 ) よ り 古 く は 見 え な い 様 で あ り、 恐 ら く 平 治 元 年 に 初 め て 設 置 さ れ た 様 で あ ( 1 ) ( 2 ) る と 述 べ て お ら れ る が、 又 続 宝 簡 集 の 高 野 山 下 文 に よ る と、 院 主 丼 沙 汰 人 任 此 旨 宜 被 令 承 知 之 状 如 件 天 治 元 年 七 月 日 預 大 法 師 ( 花 押 ) 年 預 大 法 師 ( 花 押 ) 行 事 大 法 師 ( 花 押 ) と あ り、 天 治 元 年 ( 一 一 二 四 ) に は 既 に 存 在 し て い た 事 が 明 白 で あ り、 大 治 四 年 ( 一 一 一九 ) 正 月 十 九 日 の 官 省 符 庄 住 人 ( 3 ) 等 愁 状 の 署 名 に も そ の 名 が 認 め ら れ、 こ の 当 時、 既 に 年 預 と 云 う 制 度 が 確 立 さ れ て お り、 或 は 更 に 若 干 遡 る 事 も 可 能 で あ ろ う と 考 え ら れ る。 そ し て こ の 頃 は 丁 度 高 野 山 の 復 興 運 動 の 成 果 を 挙 げ 始 め た 時 機 に 当 る。 そ の 例 と し て 寺 領 庄 園 獲 得 の ( 4 ) 経 過 を 辿 つ て 見 る と、 弘 仁 官 符、 承 和 縁 起 な る も の を 除 け ば 貞 観 十 八 年 ( 八 七 六 ) 政 所 寺 田 三 十 八 町 が 不 輸 租 田 と な る。 中 世 高 野 山 の 僧 侶 集 会 制 度
-19-密 教 文 化 天 慶 四 年 ( 九 四 一 ) 阿 且 河 庄 ( 花 薗 庄 ) 開 発。 正 暦 五 年 ( 九 九 四 ) 伊 都 郡 六 箇 七 郷。 治 安 三 年 ( 一 〇 二 三 ) 政 所 河 南。 永 承 三 年 ( 一 〇 四 八 ) 政 所 河 北。 同 四 年 ( 一 〇 四 九 ) 官 省 符 庄。 寛 治 五 年 ( 一 〇 九 一 ) 安 芸 国 能 美 庄。 嘉 承 元 年 ( 一 一 〇 六 ) 那 賀 郡 河 北 名 手 村。 大 治 二 年 ( 一 一 一七 ) 安 芸 国 可 部 庄。 長 承 元 年 ( 一 一 三 二 ) 同 沼 庄。 同 年 石 手、 弘 田、 山 東、 岡 田、 相 賀、 山 崎、 志 富 田 の 七 ケ 庄。 久 安 四 年 ( 一 一 四 八 ) 紀 伊 国 浜 中 庄。 平 治 元 年 ( 一 一 五 九 ) 同 荒 川 庄。 等、 以 上 が 平 治 元 年 迄 の 主 要 な 庄 園 で あ る が、 寛 仁 四 年 ( 一 〇 二 〇 ) 祈 親 上 人 の 登 山 を 契 機 と し て 行 明、 興 胤、 維 範 等 の 所 謂 復 興 運 動 と 相 侯 つ て、 相 継 ぐ 皇 族、 貴 紳 の 登 山、 尊 信 に よ り 次 々 に 寺 領 の 寄 進 を 受 け る と 共 に、 一 方 で は 十 一 世 紀 後 半 以 来 の 寺 領 拡 張 運 動 等 に ょ り 俄 か に 彪 大 な 庄 園 を 擁 す る 様 に な つ た。 こ れ は 我 が 国 の 庄 園 発 達 の 線 に 沿 つ た 現 象 で 異 と す べ き 程 の 事 は な い が、 丁 度 こ の 様 な 時 期 に 高 野 山 に 於 て も 年 預 が 出 現 し た と 言 う 事 は、 年 預 の 本 質 を 暗 示 す る も の と し て 誠 に 瞳 味 深 い も の が あ る。 勿 論、 高 野 山 に 於 て も、 年 預 の 出 現 と 共 に 三 綱 が 姿 を 消 し て し ま つ た わ け で は な い。 建 保 六 年 ( 一 二 一 八 ) 三 月 の 高 野 ( 5 ) 山 所 司 愁 状 案 に は、 一 山 三 千 の 衆 徒 を 代 表 し て 都 維 那 法 師 俊 禅、 寺 主 大 法 師 実 俊、 上 座 大 法 師 源 実 の 署 名 が 見 ら れ、 又 弘 ( 6 ) 安 三 年 ( 一 一八〇 ) 八 月 の 小 河 柴 目 両 村 和 与 状 案 に も 三 綱 の 署 名 が あ り、 そ れ 以 後 に も 見 ら れ る が、 既 に 本 来 の 機 能 を 失 し 中 世 的 自 治 機 関 の 一 翼 を 担 う 様 に 変 貌 し た が、 年 預 の 権 限 に 比 肩 し 得 べ ぎ も の で は な か つ た。 天 治 元 年 七 月 の 高 野 山 下 文 に は、 預 大 法 師、 年 預 大 法 師、 行 事 大 法 師 の 三 名 の 署 名 が あ る。 こ の 預 ・ 行 事 ・ 年 預 を 三 沙 汰 人、 又 は 三 人 の 沙 汰 入 と 称 し、 こ の 三 入 が 僧 侶 集 会 評 定 の 幹 事 と し て 一 山 の 自 治 上 重 要 な 役 割 を 果 す の で あ る。 高 野 春 秋 編 年 輯 録 に よ れ ば、 嘉 応 元 年 ︹ 仁 安 四 年 ︺ ( 一 一 六 九 ) 三 月 十 七 日、 後 白 河 法 皇 御 幸 山 の 条 に、 ﹁ 此 時、 被 レ 定 二 学 侶 位 階 干 五 等 一 了。 所 謂 検 校、 山 籠、 入 寺、 三 昧、 大 法 師 也。 ﹂ と 註 記 さ れ て お り、 又 承 久 三 年 ( 一 二 二 一 ) 十 月 晦 日
( 7 ) の 権 大 僧 都 静 遍 奉 書 に は、 ﹁ 一 山 禅 侶 之 中、 有 六 重 階 位、 所 謂 阿 闇 梨、 山 籠、 入 寺、 三 昧、 久 住 者、 衆 分 也。 ﹂ と あ る。 両 者 に 若 干 の 相 違 は あ る が、 後 者 に 云 う 衆 分 と は 大 法 師 の 事 で 学 侶 と し て は 最 下 位 に 属 す る。 天 治 元 年 下 文 の 署 名 に は 三 沙 汰 人 と も 何 れ も 大 法 師 と の み 書 か れ て い る が、 大 治 四 年 の 文 書 に 行 事 入 寺 大 法 師、 年 預 山 籠 大 法 師 と あ る と こ ろ か ら 見 れ ば、 山 籠 な り 入 寺 の 階 位 を 書 か な か つ た だ け で、 衆 分 と し て の 大 法 師 で あ つ た と は 到 底 考 え ら れ ず、 恐 ら く 天 治 元 年 当 時 も 年 預 は 山 籠 位、 行 事 は 入 寺 位 の 僧 が 選 ば れ て い た も の と 思 は れ る。 従 つ て、 年 預 は 大 体 平 安 時 代 末 期 の 天 治 元 年 以 来 鎌 倉 時 代 末 期 の 正 応 頃 迄 は 山 籠 位 の 者 が 占 め、 同 じ く 嘉 元 頃 か ら 南 北 朝 時 代 初 期 の 康 永 頃 迄 は 入 寺 位 で、 そ の 後 山 籠 位 が 若 干 見 ら れ る が、 正 平 十 九 年 頃 か ら 以 後 は 南 北 朝 時 代 末 期、 室 町 時 代 を 通 じ て 近 世 に 至 る 迄 阿 閣 梨 位 の 僧 が 選 任 さ れ て い た。 こ れ に 対 し て、 行 事 は 時 に 山 籠 位 も あ る が、 大 体 入 寺 位 が 当 り、 預 に は 平 安 時 代 末 期 迄 三 昧 位 の 者 が 任 に 当 り、 以 後 中 世 を 通 じ て 大 法 師 位 ( 衆 分 ) の 僧 が 任 ぜ ら れ て い た 様 で あ る。 従 つ て、 年 預 は 三 沙 汰 人 中 首 席 の 地 位 に あ つ た。 こ の 年 預、 行 事、 預 が ど の 様 な 方 法 で 選 ば れ て い た か を 明 ら か に す る 事 は 出 来 な い が、 そ の 中、 年 預 は、 新 年 預 選 任 の 例 ( 後 述 ) か ら 推 し て 山 籠、 入 寺、 阿 闇 梨 と 時 代 に よ つ て 変 遷 が あ る が、 夫 々 の 階 位 の 中、 特 定 の 繭 次 の 僧 が そ の 任 に 当 る 事 に 定 め ら れ て い た も の と 考 え ら れ る。 年 預 は 集 会 評 定 の 幹 事 で あ る。 従 つ て、 年 預 の 最 も 重 要 な 役 目 は 集 会 の 開 催、 決 議 事 項 の 記 録 及 び そ の 沙 汰 で あ る。 評 定 の 決 議 事 項 は 年 預 等 三 沙 汰 の 署 名 に よ り ﹁ 法 令 ﹂ ﹁ 憲 法 ﹂ と し て 発 効 す る。 又 年 預 は 文 書、 宝 物 の 管 理 に も 重 要 な 役 割 を も つ て い た。 高 野 山 の 所 有 す る 宝 物、 文 書 の 類 は 御 影 堂 の 宝 庫 に 収 納 さ れ て い た が、 こ の 宝 庫 は ﹁ 凡 錐 一 長 者、 錐 検 校 預、 独 身 任 意 不 得 開 ( 8 ) 關 ﹂ と あ る 如 ぎ 厳 重 さ で、 文 書 等 の 出 し 入 れ に 当 つ て は、 年 預 等 沙 汰 人 の 外、 執 行 代、 御 影 堂 宝 庫 預 等 の 立 合 い の も と に 行 は れ、 借 出 し の 際 は 必 ず 年 預 宛. の 借 用 証 が 提 出 さ れ、 返 納 の 際 は 返 納 状 が 出 さ れ た。 又 文 書、 宝 物 の 点 検 校 合、 目 録 の 作 成 も 年 預 の 手 に よ つ て な さ れ た。 斯 様 に 三 綱 に と つ て 代 つ た 年 預 は 徐 々 に そ の 権 限 も 強 化 拡 大 さ れ、 そ れ に つ れ て、 対 外 的 に は、 上 は 朝 廷、 幕 府、 六 波 中 世 高 野 山 の 僧 侶 集 会 制 度
-21-密 教 文 化 羅、 東 寺 長 者、 下 は 寺 領 内 の 庄 官、 百 姓 に 対 す る 交 渉、 取 締 り、 訴 訟 問 題 の 処 理 等、 内 で は 高 野 山 一 山 の 寺 院 僧 侶 の 統 制 も 当 然 年 預 の 役 目 と な り、 検 校 に も 匹 敵 す る 程 の 地 位 を 占 め る に 至 つ た。 即 ち、 東 寺 の 長 者 に 対 し て、 高 野 山 に は 雅 真 以 来 一 山 宗 治 法 儀 の 棟 梁 と し て 検 校 職 が 置 か れ て い た が、 世 間 出 世 間 に わ た る 宗 務 の 大 半 が 自 治 機 関 と し て 成 長 し て 来 た 年 預 の 手 に 移 つ た 観 が あ る。 年 預 の 任 期 に つ い て は、 平 治 元 年 ( 一 一 五 九 ) か ら 正 徳 五 年 ( 一 七 一 五 ) 十 一 月 迄 の 年 預 の 名 と 任 期 を 記 し た ﹁ 正 年 預 ( 9 ) 入 名 輯 録 ﹂ に よ る と、 寛 正 五 年 ( 一 四 六 四 ) 以 後 は 五 月 晦 日 と 十 一 月 晦 日 の 半 年 交 替 制 が と ら れ て い る。 寛 正 以 前 に 於 て も そ の 様 な 形 跡 が 若 干 認 め ら れ る が、 年 預 < と し あ ず か り > な る 名 称 は 本 来 任 期 一 箇 年 を 以 て 発 足 し た も の で あ る 事 は 疑 ( 10 ) う 余 地 が な い。 半 年 交 替 制 が と ら れ る 様 に な つ て か ら、 二 入 の 年 預 を 夏 年 預、 冬 年 預 と 呼 び 別 け て い る。 年 預 に 対 し て 行 事、 預 の 任 期 は 必 ず し も 一 定 し て お ら ず、 数 年 間 に わ た つ て い る の が 通 例 の 様 で あ る。 年 預 の 得 分 に 関 す る 充 分 な 資 料 は も つ て い な い が、 建 長 六 ( 11 ) 年 ( 一 一五 四 ) 九 月 九 日 の 荒 川 庄 供 料 相 折 帳 に は、 ﹁ 検 校 執 行 御 分 参 拾 鱗、 預 所 分 拾 五 鱗、 年 預 供 料 拾 壱 斜 ﹂ と あ り、 又 ( 12 ) 延 元 二 年 (一 三 一二 七 ) 九 月 三 日 の 官 省 符 在 家 支 配 帳 に、 ﹁ 年 預 免 一 宇、 行 事 免 一 宇、 大 倉 預 免 一 宇 ﹂ 等 と あ る 如 く、 か な り 優 遇 さ れ、 新 年 預 成 立 後 は 新 年 預 の 得 分 を 若 干 上 廻 る 程 度 の も の で あ つ た と 考 え ら れ る。 ( 13 ) 又 延 慶 三 年 ( 一 三 一 〇 ) 修 正 餅 支 配 注 進 状 に は、 ﹁ 検 校 御 房 廿 枚、 有 職 分 各 二 枚 大、 入 寺 三 昧 各 二 枚、 衆 分 各 一 枚、 沙 汰 人 四 人 各 二 枚。 ﹂ と あ り、 翌 年 に は 沙 汰 人 四 入 に 対 し 各 五 枚 に 増 加 し て い る が、 大 体 そ の 時 代 々 々 の 年 預 の 階 位 相 当 以 上 の 待 遇 を 受 け て い お り、 こ れ ら 得 分 の 外 に 年 預 等 沙 汰 人 は 夫 々 の 階 位 に 応 じ た 供 料 が あ り、 そ れ ら を 綜 合 す る と 頗 る 優 遇 さ れ て い た 事 が 推 察 出 来 る。 こ の 年 預 の 他 に 年 預 代、 新 年 預、 学 侶 年 預、 行 入 年 預、 長 床 年 預 等 種 々 の 名 称 が 見 ら れ る。 年 預 代 は 長 寛 二 年 ( 一 一 六 四 ) 七 月 の 高 野 山 検 校 以 下 在 家 ( 41 ) 田 地 支 配 状 に そ の 署 名 が あ る の が 最 も 古 く、 恐 ら く 年 預 と 略 同 時 に 設 置 さ れ た も の と 考 え ら れ る。 正 年 預 人 名 輯 録 写 に は 中 世 に 於 け る 年 預 代 の 記 録 は 少 い が、 延 慶 頃 の 修 正 檀 供 支 配
(15 ) 注 進 状 に 沙 汰 四 人、 沙 汰 入 五 人 等 と あ る の は 年 預 代 又 は 行 事 代 を 含 め た 人 数 で あ ろ う。 年 預 代 は 名 称 の 如 く 年 預 の 下 に 雑 務 を 掌 る 役 目 で あ る が、 年 預 の 背 後 に 隠 れ て そ の 性 格 を 明 白 に な し 得 る 資 料 は 見 当 ら な い。 建 武 二 年 ( 一 三 三 五 ) 閏 十 月 二 十 六 日 の 御 手 印 縁 起 安 置 記 ( 16 ) 出 庫 状 に よ る と、 御 手 印 縁 起 安 置 記 一 巻 を 御 影 堂 か ら 取 出 す 際 の 立 会 人 と し て、 年 預 日 秀 の 他 に、 新 年 預 宗 淳、 預 心 慶、 執 行 代 賢 救、 他 に 阿 闇 梨 三 名、 入 寺 二 名 の 署 名 が 見 ら れ る。 従 つ て、 こ の 当 時 既 に 新 年 預 と 云 う 職 務 が 成 立 し て い た こ と ( 17 ) が わ か る が、 暦 応 四 年 ( 二 二 四 一 ) の 新 年 預 置 文 に よ る と、 定 置 新 年 預 問 事 条 々 一、 以 入 寺 末 三 十 人 之 一 璃。 可 定 新 年 預。 自 今 年 八 月 一 日 至 明 年 七 月 晦 日 者。 設 依 閾 過 三 十 入。 不 可 有 改 易。 若 其 身 違 目 出 来 者。 其 時 三 十 人 一 薦 可 有 勤 仕 事。 一、 於 供 料 者。 至 新 庄 大 検 注 之 期 者。 以 新 庄 段 米。 入 立 本 相 節。 三 供 不 足 之 分。 可 満 十 石 八 斗 事。 一、 於 新 年 預 勤 仕 之 輩 者。 本 年 預 役 可 被 免 之 事。 右 以 前 条 々。 依 諸 衆 一 同 之 評 義。 所 定 置 也。 若 錐 為 一 事。 令 違 犯 者。 云 々。 暦 応 四 年 辛 巳 七 月 二 十 五 日 預 大 法 師 宗 遍 行 事 入 寺 頼 澄 年 預 入 寺 経 助 と あ り、 従 来 の 年 預、 即 ち、 本 年 預 に 対 し て、 新 年 預 は 入 寺 末 三 十 入 中 の 一 鶉、 任 期 は 八 月 一 日 か ら 一 箇 年 間 で 違 目 の な い 限 り 改 易 は 許 さ れ ず、 供 料 は 十 石 八 斗 で、 新 年 預 に な つ た 者 に 対 し て は 本 年 預 役 が 免 除 さ れ た。 新 年 預 成 立 の 原 因 や、 本 年 預 と の 関 係、 権 限 の 相 違 に つ い て は 明 白 で は な い が、 こ の 当 時、 璃 次 に 差 は あ つ て も 新 本 両 年 預 共 入 寺 位 の も の で あ つ た 事 は、 形 式 上 は と も か く、 実 質 上 両 者 の 問 に そ れ 程 大 き な 権 限 の 相 違 は な く、 寧 ろ 同 等 に 近 い も の で あ つ た と 考 え ら れ、 そ う し た 重 複 性 が 十 五 世 紀 中 葉 に 至 つ て 年 預 の 半 年 交 替 制 と 言 う 現 象 を 生 ず る 原 因 の 一 つ で あ つ た の で は な か ろ う か。 ( 18 ) 学 侶 年 預 と 云 う 名 称 が 使 用 さ れ る の は 近 世 に 入 つ て か ら で、 そ れ は 行 入 年 預 が 行 人 の 勢 力 擾 頭 と 共 に 学 侶 年 預 に 匹 敵 し 得 る 程 成 長 し て 来 た 事 を 示 す も の に ほ か な ら な い。 正 長 二 年 ( 一 四 二 九 ) 八 月 二 十 五 日 の 靹 淵 庄 長 床 年 預 等 請 (19 ) 文 案 に は、 長 床 年 預 二 人 龍 行 良 性 ﹂ の 署 名 が 見 ら れ る が、 弘 長 三 年 中 世 高 野 山 の 僧 侶 集 会 制 度
-23-密 教 文 化 (20 ) ( 一 二 六 三 ) の 長 床 衆 下 女 案 に 署 名 し て い る 年 預 も 長 床 年 預 と 考 え ら れ る。 長 床 衆 は 山 伏、 即 ち、 行 人 で、 学 侶 の 年 預 に 対 し て 鎌 倉 時 代 中 期 に 既 に 存 在 し て い た が、 学 侶 の 年 預 を 真 似 た も の で あ る 事 は 疑 い な い と し て も、 果 し て ど の 様 な も の で あ つ た か そ の 実 態 を 明 ら か に し 得 な い。 こ の 他 に 年 預 の 例 と し て、 天 正 九 年 ( 一 五 八 一 ) 九 月 二 十 ( 21 ) 三 日 の 中 院 学 侶 評 定 に 於 て、 中 院 綱 麻 年 預 に つ い て 三 箇 条 が 定 め ら れ て い る。 こ れ と 同 じ 頃 の 文 書 と 思 は れ る 中 院 綱 麻 年 ( 22 ) 預 触 状 に は、 水 損 旱 損 に も 綱 麻 を 免 ぜ ず と あ り、 ﹁ 中 院 綱 麻 年 預 龍 -﹂ の 署 名 が あ る が、 こ れ は 応 永 三 年 ( 一 三 九 六 ) ( 23 ) の 金 堂 大 集 会 に 中 院 綱 麻 納 所 に 関 す る 評 定 が 行 は れ て い る 事 か ら 考 え る と、 中 世 末 期 に は 綱 麻 納 所 を 綱 麻 年 預 と 呼 ぶ 様 に な つ た も の と 思 は れ る。 (24 ) 又、 文 明 五 年 ( 一 四 七 三 ) の 千 手 院 々 主 渡 日 記 に は、 ﹁ 舎 利 講 衆 之 年 預 ﹂ と 言 う 名 称 が 見 ら れ る が、 こ れ は 舎 利 講 の 幹 事 を 意 味 す る も の で あ ろ う。 こ の 様 に 平 安 時 代 末 期 に 成 立 し た 高 野 山 の 年 預 は、 従 来 の 三 綱 に 代 る も の と し て、 鎌 倉 時 代 に は あ た か も 検 校 に 匹 敵 す る 程 の 権 根 を 持 っ に 至 つ た。 又 鎌 倉 時 代 中 期 に は 学 侶 に 対 す る 行 入 ( 長 床 ) 年 預 が 成 立 し た。 南 北 朝 時 代 に 入 る と 同 時 に 新 年 預 制 度 が 成 立 し た の は、 内 乱 期 に 於 け る 社 会 情 勢 に 対 処 す る 為 に、 教 団 の 統 制 は 勿 論、 対 外 政 策、 殊 に 庄 園 対 策 等 の 強 化 の 必 要 上 に 原 因 が あ る と 思 は れ る が、 新 本 二 入 の 年 預 に よ る 実 務 の 分 担 は、 室 町 時 代 中 期 に 至 つ て 年 預 の 半 年 交 替 制 と 云 う 形 を と つ た と 考 え ら れ、 又 室 町 時 代 に 入 る と 年 預 と 云 う 名 称 が 一 般 化 し て、 鎌 倉 時 代 中 期 か ら あ る 長 床 年 預 の 他 に、 各 ナ ー ク ル 毎 に 舎 利 講 衆 年 預 と か 末 期 に は 中 院 綱 麻 年 預 が 出 現 し た。 近 世 に 入 つ て 教 団 が 幕 府 の 厳 重 な る 統 制 下 に 置 か れ た 結 果、 中 世 の 僧 侶 集 会 評 定 の 生 命 で あ る 治 外 法 権 的 自 治 は 失 は れ、 そ れ と 共 に 年 預 も 中 世 と は 質 を 異 に す る 性 格 を 呈 す る に 至 つ た。 註 ( 1 ) 日 本 中 世 寺 院 法 総 論 こ の 書 は 本 稿 を 書 く に 当 つ て 非 常 に 参 考 と な つ た。 ( 2 ) 大 日 本 古 文 書 高 野 山 文 書 7 一 六 三 四、 以 下 単 に 高 野 山 文 書 と 書 き 高 野 山 史 編 纂 所 編 の 高 野 山 文 書 引 用 の 際 は 別 に 註 記 す る。 ( 3 ) 高 野 山 文 書 7 一 六 二 九 ﹁ 道 理 顕 然 之 上 小 別 当 並 所 司 等 判 行 明 白 也。 傍 山 上 加 署 判 矣。 行 事 入 寺 大 法 師 ( 花 押 ) 年 預 山 籠 大 法 師 ( 花 押 )
阿 闇 梨 大 法 師 ( 五 名 ) 検 校 阿 闇 梨 大 法 師 ( 花 押 ) ( 4 ) 江 顕 恒 治 著、 高 野 山 領 荘 園 の 研 究 二 四 六 頁 以 下 参 照 ( 5 ) 高 野 山 文 書、 8 一 七 七 一 ( 6 ) 同 7 一 六 二 六 ( 7 ) 安 貞 二 年 ( 一 二 二 八 ) 四 月 の 高 野 山 衆 徒 置 文 ( 7 一 五 八 四 ) に は ﹁ 依 大 衆 仰、 沙 汰 人 等 加 判 ﹂ と あ つ て 預、 行 事、 年 預 が 置 名 し て い る。 三 入 沙 汰 人 ( 2 一 六 五、 4 一 九 五、 8 一 八 六 二 ) そ の 他、 四 人 沙 汰 人 ( 4 一 〇 〇、 一 〇 一 )、 五 人 沙 汰 人 ( 4 一 〇 二 ) ( 8 ) 高 野 山 文 書 1 一 一 六 九 ( 9 ) 同 2 二 ( 10 ) 同 4 一 一 〇 ( 11 ) 年 預 ( ネ ン ニ ヨ ) は ﹁ と し あ ず か り ﹂ と 読 む の が 正 し く、 且 つ 本 来 の 性 格 を 表 現 し て い る。 即 ち、 年 預 の 租 型 と お ぼ し き も の に 民 間 の 頭 屋 制 度 が あ る。 専 門 の 神 職 と は 異 り、 氏 子 又 は 宮 座 の 衆 中 よ り 一 定 の 方 法 で 選 ば れ た 頭 屋 は、 そ の 期 間 中、 主 と し て 一 ケ 年 間、 氏 子 を 代 表 し て 神 事 一 切 を 掌 る。 就 中、 美 保 神 社 の 一 年 神 主 が 著 名 で あ る。 こ う し た 民 間 の 頭 屋 の 慣 行 が 自 然 採 用 さ れ た も の で あ ろ う。 ( 12 ) 高 野 山 文 書 7 一 五 三 三 ( 13 ) 同 7 一 六 三 五 応 永 三 年 八 月 の 官 省 符 在 家 支 配 帳 ( 5 七 二 八 ) に は ﹁ 年 預 免 一 宇 三 百 借 二、 行 事 兎 一 宇 二 百 七 十 二、 大 蔵 預 免 一 宇 五 + 六 ﹂ と あ る。 ( 14 ) 同 4 一 〇 〇 以 下 参 照 ( 15 ) 同 8 一 九 一 九 ( 16 ) 同 4 一 〇 〇 乃 至 一 〇 九 ( 17 ) 同 2 一 二、 4 一 九 六 ( 歴 応 元 年 ) ( 18 ) 同 8 一 七 〇 七 ( 19 ) 同 1 五 〇 三、 天 正 十 五 年 頃 と 思 は れ る こ の 文 書 は 学 侶 年 預 房 宛 と な つ て い る。 ( 20 ) 同 4 七 〇 ( 21 ) 同 7 一 五 八 八 ( 22 ) 同 5 六 八 三 ( 23 ) 同 5 六 八 五 ( 24 ) 同 6 二 三 一 一 ( 25 ) 同 3 三 九 二 三 寺 院 の 治 外 法 権 が 一 応 達 成 さ れ た 結 果、 寺 務 宗 務、 僧 尼 に 関 す る 規 制 の 他 に、 庄 園 に 於 け る 庄 官、 庄 民 に 対 す る 支 配 管 理 の 必 要 上 多 く の 寺 院 法 の 成 立 を 見 た。 中 世 に は 公 家 ・ 本 所 ・ 武 家 の 三 法 系 が 鼎 立 し、 慣 習 法 が 各 法 系 の 主 要 部 分 を 構 成 し て い た。 寺 院 法 の 中 に は 武 家 法 の 如 く 若 干 の 刑 法 も 存 在 し て い る が、 そ の 中 寺 院 法 と 最 も 密 接 な 関 係 に あ る の は 本 所 法 で あ る。 平 安 時 代 後 期 に 律 令 法 の 後 身 た る 公 家 法 と 並 ん で 成 立 し た 本 所 法 は、 元 来 一 方 で は 家 司 及 び 寺 院 の 裁 判 権 に、 他 方 で は 庄 園 の 不 入 権 に 由 来 し 両 々 相 侯 つ て 成 立 し た と 云 は れ 中 世 高 野 山 の 僧 侶 集 会 制 度
-25-密 教 文 化 て い る。 従 つ て 寺 院 法 の 中、 庄 園 の 支 配 管 理 に 関 す る も の は 本 質 を上 本 所 法 に 属 し、 寧 ろ 庄 園 法 と も 言 う べ き で、 厳 密 な 意 味 で の 寺 院 法 は 寺 院、 僧 尼 に 対 す る 規 制 に 求 め る べ ぎ で あ る。 然 し 乍 ら、 実 際 問 題 と し て 僧 侶 集 会 の 課 題 の 一 は 寺 院 経 済 の 維 持 に あ る。 従 つ て 評 定 の 内 容 も 必 然 的 に 寺 領 庄 園 に 関 す る も の が 多 く、 且 重 要 な 位 置 を 占 め て お り、 寺 院 法 を 述 べ る 上 に 無 視 出 来 な い も の を も つ て い る が、 今 こ こ で そ の 内 容 を 詳 細 に 述 べ る 事 は 控 え て お く 事 に す る。 こ れ に 対 し て、 厳 密 な 意 味 で の 寺 院 法 と し て の 衆 中 契 約 に 於 て は、 一 山 寺 院 内 の 寺 務 及 び 僧 侶 の 統 制、 具 体 的 に 高 野 山 の 例 を 挙 げ る と、 集 会 に 関 す る 制 条 を 始 と し て、 法 会、 祈 祷、 学 道 論 義、 講 等 の 儀 式 に 関 す る 問 題、 交 衆 の 出 入 り、 補 任、 供 料 得 分、 罰 則、 日 常 生 活 の 服 装、 応 待、 遊 戯、 売 買、 湯 等 に 至 る 僧 侶 の 統 制、 行 人、 聖 に 対 す る 取 締 り、 寺 院 諸 堂 の 建 築、 修 理、 勧 進、 又 は 奥 院 墓 地 外 来 者、 宿 坊 対 策 等 そ の 内 容 は あ ら ゆ る 面 に わ た つ て い る。 但 し、 こ れ ら は 何 れ も 其 の 都 度 の 問 題 に 対 処 し て 定 め ら れ た 関 係 上、 頗 る 雑 然 と し て 統 一 的 で な い が、 こ れ も 寺 院 法 の 特 徴 の 一 で あ る。 斯 様 な 評 定 の 内 容 に つ い て は 別 の 機 会 に 述 べ る 事 と し て、 次 に 集 会 の 種 類 と そ の 規 制 に つ い て 見 て 行 こ う。 中 世 高 野 山 の 僧 侶 集 会 評 定 を 分 類 す る と、 一、 全 山 大 衆 集 会 評 定 二、 大 集 会 評 定、 小 集 会 評 定 三、 学 侶 集 会 評 定 1、 学 侶 集 会 評 定 2、 三 十 入 集 会 評 定 3、 三 所 ( 両 所 ) 十 聴 衆 集 会 評 定 4、 会 衆 集 会 評 定 5、 新 本 二 会 衆 集 会 評 定 6、 + 問 衆 集 会 評 定 7、 修 正 衆 集 会 評 定 8、 読 書 衆 ( 領 解 衆 ) 論 義 衆 集 会 評 定 四、 五 番 衆 集 会 評 定 五、 行 人 集 会 評 定 六 番 [衆 集 今 云 評 定 六、 各 院 内 集 会 評 定 1、 谷 上 院 内 各 種 評 定 2、 千 手 院 々 内 評 定
3、 西 院 々 内 評 定 4、 中 院 々 内 評 定 そ の 他 七、 ' 供 僧 集 会 評 定 西 塔 供 僧 評 定、 天 野 供 僧 評 定、 相 賀 三 供 僧 評 定、 靹 淵 供 僧 評 定、 隅 田 三 供 僧 評 定、 荒 川 分 田 衆 評 定 ( 荒 川 三 十 人 衆 評 定 ) 八、 奉 行 衆 評 定 奥 院 奉 行 衆 評 定、 鐘 楼 奉 行 衆 評 定、 天 野 社 修 造 奉 行 衆 評 定 等 で あ る が、 こ の 中、 中 世 に お い て 最 も 重 要 な 役 割 を 果 す の は 全 山 大 衆 集 会、 大 集 会、 小 集 会、 学 侶 集 会、 三 所 ( 両 所 ) 十 聴 衆 集 会、 会 衆 集 会、 五 番 衆 集 会 の 各 評 定 で あ る。 一、 全 山 大 衆 集 会 評 定 全 山 大 衆 集 会 評 定 は 一 山 の 大 事 件、 即 ち、 朝 廷、 幕 府 へ の 敷 訴 や 他 寺 と の 紛 争 に 際 し て、 比 叡 山 の 三 千 衆 徒 の 大 会 の 如 く、 文 字 通 り の 満 山 大 衆 に よ る 集 会 評 定 で あ る。 各 集 会 中、 資 料 と し て も 最 も 古 く か ら あ り、 平 治 元 年 ( 一 一 五 九 ) 九 月 の ( 1 ) 金 剛 峯 寺 政 所 下 文 に よ る と、 荒 川 庄 官 等 の 非 法 を 停 止 せ し め ん が 為 に、 ﹁執 行 検 校 阿 闇 梨 大 衆 議 定 如 斯、 庄 官 等 宜 承 知、 敢 不 可 違 失 ﹂ と 云 う 大 衆 の 議 定、 或 は、 ﹁ 二 千 余 人 同 心 所 令 ( 2 ) ( 3 ) ( 4 ) 言 上 候 也 ﹂、 ﹁ 満 山 諸 衆 一 味 同 心 ﹂、 ﹁ 満 山 三 千 余 入 衆 徒 ﹂、 ( 5 ) ( 6 ) 二 山 止 住 三 千 浄 侶 ﹂、 ﹁ 傍 一 山 評 定 之 趣 ﹂、 等 と 云 う 表 現 に も 見 ら れ る 如 く、 学 侶、 行 入、 聖 の 三 派 を 含 む 集 会 で、 従 つ て こ の 集 会 は 一 山 の 総 意 を 表 現 す る 意 味 で 最 も 強 力 な も の で あ つ た。 ( 7 ) 延 応 元 年 ( 一 一三 九 ) 六 月 の 宗 家 八 ケ 条 と 云 は れ る 禁 制 に は、 二、 可 停 止 大 衆 蜂 起 井 深 更 衆 会 事 右 衆 徒 之 蜂 起 者。 諸 寺 之 所 好 也。 然 而。 於 当 山 者。 霊 異 無 隻 之 地。 喩 伽 入 定 之 場 也。 不 可 准 他 所。 不 可 企 悪 行。 寺 中 衆 議 日 中 可 足。 何 強 可 好 深 更 群 集 干 御 社 哉。 自 今 以 後。 一 切 停 止 ﹂ と あ る の は、 恐 ら く 嘉 禄 二 年 ( 一 一 二 六 ) の 高 野 吉 野 境 相 論 に 際 し て の 高 野 山 衆 徒 の 離 山 閉 門 運 動 以 後、 一 連 の 紛 争 に 刺 戟 さ れ た 結 果 斯 か る 禁 制 が 出 さ れ た も の で あ ろ う。 満 山 大 衆 集 会 は こ の 様 に 時 に は 離 山 閉 門 に 迄 発 展 す る 傾 向 が あ つ た が、 こ の 場 合 で も 暴 徒 の 集 合 と は 異 る 一 定 の 秩 序 が 保 た れ た 事 は 言 う 迄 も な い。 然 し 乍 ら、 満 山 大 衆 集 会 は ど こ 迄 も 非 常 中 世 高 野 山 の 僧 侶 集 会 制 度
-27-密 教 文 化 手 段 で あ り、 こ れ に よ つ て 永 久 的 規 制 が 生 じ な か つ た 点 で 他 の 集 会 と は 自 ら 異 る も の で あ つ た と 云 え よ う。 二、 大 集 会 評 定、 小 集 会 評 定 紀 伊 続 風 土 記 に よ れ ば、 ﹁ 元 亨 の 頃 よ り は 大 集 会、 小 集 会 と 云 う 職 寺 あ り、 山 上 山 下 の 政 事 を 評 量 し て 三 沙 汰 人 是 を 奉 ( 8 ) 行 し ﹂ た と あ る 如 く、 山 上 山 下 の 重 要 事 項 全 般 に わ た つ て 議 定 し、 一 山 の 総 意 を 最 終 的 に 決 定 す る 各 集 会 中 最 も 権 威 あ る 集 会 評 定 で あ つ た。 大 集 会、 小 集 会 成 立 の 時 期 を 決 定 す る 資 料 は な く、 文 書 に 現 は れ る 最 も 古 い 例 は、 徳 治 三 年 ( 二 二 〇 八 ) の 学 侶 評 定 事 ( 9 ) 書 案 で あ る。 こ の 文 書 に は 大 小 両 集 会 開 催 の 期 日、 出 欠、 評 定 席 に 於 け る 態 度、 三 沙 汰 人 と の 関 係 等 が 詳 細 に 規 定 さ れ、 又 小 集 会 は 大 集 会 の 統 制 下 に あ る べ き 事 が 明 記 さ れ て い る。 こ の 大 小 両 集 会 は 他 の 集 会 の 成 立 状 況 等 と 比 較 し て、 特 に 小 集 会 と 頗 る 密 接 な 関 係 に あ る 五 番 衆 集 会 が 十 三 世 紀 後 半 に 活 躍 し て い る 点 等 に よ り、 恐 ら く 十 三 世 紀 中 葉 に は 既 に 成 立 し て い た に 相 違 な い。 徳 治 三 年 の 事 書 に よ れ ば、 大 集 会 衆 が 可 成 り 多 入 数 の 僧 侶 を 擁 し て い た 事 が 容 易 に 推 測 出 来 る が、 そ の 組 織 に つ い て 述 べ て、 い な い 為、 学 侶 集 会 と の 関 連 等 判 然 と し な い が、 初 期 に 於 て は、 恐 ら く 学 侶 の 中 の 地 位 も 高 く 故 実 に 明 る い 様 な 特 定 の メ ソ バ ー に よ つ て 構 成 さ れ て い た も の と 考 え ら れ る。 大 集 会、 小 集 会 は 学 徒 の 中 非 学 衆 の 寺 を 世 々 職 寺 と し た と 云 は れ て い る が、 大 小 両 集 会 が 職 寺 制 度 と 云 う 完 全 な 形 態 を も つ に 至 る の は、 南 北 朝 内 乱 の 前 提 と し て の 鎌 倉 時 代 の 政 治 的、 経 済 的、 社 会 的 変 動 に 対 処 し て、 高 野 山 と 云 う 教 団 を そ う し た 混 乱 か ら 護 り、 よ り 強 力 に、 且 つ 合 理 的 に 統 制 し 運 営 し よ う と す る 一 種 の 機 構 整 備 で あ つ た と 考 え ら れ、 職 寺 制 度 確 立 の 意 図 が か か る 点 に あ る と す れ ば、 両 集 会 衆 の 資 格 と し (10 ) て 世 俗 的 系 譜、 特 に 武 力 的 背 景 が 必 要 条 件 と さ れ た 事 も 容 易 に 理 解 さ れ る。 大 小 両 集 会 衆 に 関 す る 資 料 は 乏 し い が、 あ る 限 り の 資 料 を 挙 げ て 職 寺 の 変 遷 を 見 て 行 ぎ た い。 ( 11 ) 正 平 十 七 年 ( 一 三 六 三 ) の 学 侶 小 集 会 評 定 置 文 に は、 三 沙 汰 入 の 他 に 阿 闇 梨 十 三 名、 入 寺 六 名、 大 法 師 八 名、 計 二 十 七 名 が 署 名 し て い る。 こ れ が 南 北 朝 時 代 中 期 の 小 集 会 を 構 成 す る 実 人 員 で あ ろ う。 高 野 春 秋 に よ れ ば、 永 徳 三 年 ( 一 三 八 三 ) の 条 に、 ﹁ 此 節
大 集 会 衆 寺、 蓮 上 院、 三 宝 院、 花 王 院、 智 荘 厳 院 等 之 住 持 職 者、 当 国 豪 英 廿 七 将 家 子 息 之 外 不 レ 用 二 許 之 二。 此 次 有 二 小 集 会 四 ケ 院 一。 是 亦 雄 勇 之 子 孫 也。 ﹂ と あ る が、 こ の 典 拠 は 蓮 上 院 文 書 ( 註 10 参 照 ) に あ る と 思 わ れ る が、 こ の 文 書 は、 そ の 儘 信 ず る に は 柳 か 躊 躇 せ ざ る を 得 な い。 ( 21 ) 次 に 文 安 四 年 ( 一 四 四 七 ) の 高 野 山 大 湯 屋 釜 鋳 目 録 に よ る と 一、 奉 行 衆 事、 任 番 帳 被 参 勤 小 集 会 衆 一 番 蓮 上 院 勧 学 院 深 栄 房 善 宥 房 二 番 十 輪 院 修 禅 院 良 鏡 房 善 性 房 三 番 智 荘 厳 院 常 光 院 定 千 房 行 眼 房 四 番 大 光 明 院 三 宝 院 深 泉 房 深 誉 房 と あ り、 奉 行 衆 と し て 小 集 会 衆 八 ケ 院 の 名 が 挙 げ ら れ て い る が、 こ の 中、 蓮 上 院、 智 荘 厳 院、 三 宝 院 は 高 野 春 秋 に よ れ ば 南 北 朝 時 代 末 に は 大 集 会 衆 寺 と さ れ て い る も の で あ る。 又、 寛 正 四 年 ( 西 六 三 ) の 年 預 坊 小 集 会 評 定 軸 釧 謬 は、 三 沙 汰 入 の 他 に、 三 宝 院 ( 興 敏 )、 蓮 上 院 ( 仙 呆 )、 十 輪 院 ( 隆 範 )、 持 明 院 ( 行 厳 )、 常 光 院 ( 雄 範 )、 花 王 院 ( 恵 宗 )、 惣 持 院 ( 行 敏 )、 大 光 明 院 ( 貞 範 )、 智 荘 厳 院 ( 長 宣 )、 浄 菩 提 院 ( 成 雅 )、 修 禅 院 ( 深 有 )、 勧 学 院 ( 快 恵 ) の 十 ニ ケ 院 の 署 名 が 認 め ら れ る。 文 安 四 年 の 小 集 会 衆 が 職 寺 の 全 部 を 挙 げ た も の か 否 か 疑 問 の 余 地 も 存 す る が、 纏 か 十 六 年 間 に 於 い て 小 集 会 衆 寺 院 の 変 遷 著 し い も の が あ る 事 が 知 ら れ る。 ( 14 ) と こ ろ が 高 野 春 秋 に よ る と、 ﹁ 天 正 検 地 已 前、 一 山 法 令 出 レ 自 二 集 会 衆 十 入 刷、 所 謂 大 集 会 五 人、 小 集 会 五 入、 大 日 花 王 院、 三 宝 院、 智 荘 厳 院、 南 蓮 上 院、 北 蓮 上 院 也。 小 日 持 明 院、 修 禅 院、 十 輪 院、 定 光 院、 大 光 明 院 也。 ﹂ と あ る 如 く、 中 世 末 期 に な る に 及 ん で 大 小 職 寺 は 不 変 の も の と し て 確 定 し た ら し い 〇 そ し て こ の 中 世 末 期 の 大 小 両 集 会 衆 寺 院 は 若 干 の 相 違 が あ る が そ の 全 部 が 十 五 世 紀 中 葉 に 於 て 小 集 会 衆 寺 院 に 属 し て い た。 紀 伊 続 風 土 記 は 寛 正 四 年 の 文 書 の 署 名 が 大 小 集 会 座 順 に 連 署 し た も の で あ ろ う と 評 し て い る が、 そ れ は 高 野 春 秋 の 説 の み に 拠 つ た 解 釈 で、 文 安 四 年 の 側 か ら 考 え る と 明 ら か に 小 集 会 衆 寺 院 で あ り、 十 五 世 期 中 葉 の 小 集 会 衆 寺 院 が 八 ケ 院 乃 至 十 二 ケ 院 に よ つ て 構 成 さ れ て い た 事 は 略 疑 い な い。 こ れ ら 小 集 会 衆 寺 と し て 固 定 し た 理 由 に つ い て は、 目 下 の と こ ろ 推 測 の 域 を 脱 し な い が、 一 方 で は 十 五 世 紀 初 頃 か ら 学 侶 の 最 高 指 導 者 で あ る 三 所 十 聴 衆 集 会 が 活 躍 し、 又 一 方 で は 学 侶 全 体 の 輿 論 を 決 定 す る 強 力 な 学 侶 集 会 の 影 響 に よ り、 同 じ 学 侶 中 世 高 野 山 の 僧 侶 集 会 制 度
-29-密 教 文 化 と 云 う 地 盤 に 立 脚 し た 大 集 会 が 実 質 上 有 名 無 実 化 し、 却 つ て 山 上 山 下 の 治 安 統 制 に 権 力 を も つ 小 集 会 が、 よ り 一 層 そ の 職 業 的 機 能 を 発 揮 す る 事 に ょ つ て 大 集 会 衆 を 凌 ぐ 様 に な つ た 為 ( 15 ) で は あ る ま い か。 慶 長 六 年 ( 一 六 〇 一 ) 六 月 の 学 侶 訴 状 に ﹁ 文 殊 院 ( 勢 誉 ) は 行 入 に し て、 衆 徒 の 沙 汰 い た す へ き 仁 に あ ら す、 ( 中 略 ) 山 に お ひ て は 衆 徒 に 対 し て 逆 心 を く わ た て、 小 集 会 衆 或 は 中 方 預 り と 申 も の を 打 果、 彼 職 を う は ひ と る 等 之 強 儀 の 沙 汰 を ﹂ し た と 訴 え て い る 如 く、 学 侶 を 代 表 し て 一 山 統 制 の 実 力 が 大 集 会 衆 よ り も 小 集 会 衆 に 移 つ て い た 事 を 示 唆 し て い る。 又 中 世 に 於 け る 大 集 会 衆 寺 に 関 す る 具 体 的 資 料 は 高 野 春 秋 以 外 に 見 当 ら ぬ 為 明 示 す る 事 は 出 来 な い。 斯 様 に 中 世 に 於 て 一 山 の 重 要 事 項 を 評 定 す る 機 関 と し て そ の 権 威 を 振 つ た 大 小 両 集 会 評 定 も、 木 食 応 其、 文 殊 院 勢 誉 等 行 人 一 派 の 台 頭 の 前 に そ の 職 寺 は 停 ぬ ら れ、 天 正 十 六 年 ( 一 五 八 八 ) の 高 野 山 領 検 地 を 境 と し て 中 世 的 治 外 法 権 下 の 集 会 制 度 は 完 全 に 崩 壊 し、 翌 十 七 年 七 月、 そ れ に 代 る も の と し て ( 16 ) 学 徒 の 中、 憲 法 の 仁 十 六 輩 の 構 成 す る 集 議 衆 が 木 食 応 其 の 手 に ょ つ て 誕 生 す る に 至 る の で あ る。 大 集 会 評 定 は 原 則 と し て、 毎 月 十 日、 二 十 日、 二 十 八 日 の 三 回 開 か れ る 定 で あ つ た が、 臨 時 に 開 催 さ れ る 場 合 も 多 く、 時 に は 連 日 評 議 を 続 け る 事 も あ つ た。 集 会 評 定 の 場 所 は 主 に 金 堂、 食 堂 が 用 い ら れ た が、 こ れ は 小 集 会 に 比 し て 大 集 会 の 構 成 人 員 が 遙 か に 多 か つ た 為 で あ ろ う。 大 集 会 評 定 の 一 例 を 挙 げ る と、 例 え ば、 正 平 十 六 年 ( 一 三 ( 17 ) 五 九 ) の 評 定 で は、 勧 学 院 の 学 道 供 灯 料 と 承 仕 供 料 が 有 名 無 実 の 為、 法 談 の 続 行 不 可 能 と 云 う 学 道 衆 の 訴 え に 対 し、 新 庄 検 注 の 際 便 宜 の 地 を 以 て 供 灯 料、 供 料 に 充 て る 事 を 決 定 し て い る。 こ の 様 に 大 集 会 評 定 は 一 般 に 年 貢、 供 料 等 の 経 済 的 問 題 を 主 と し て 処 理 し て い る 様 で あ る。 こ れ ら 年 貢、 供 料 等 の 経 済 上 の 権 益 は 何 れ も 職 に 附 随 し た も の で あ り、 大 集 会 評 定 の 権 限 が こ う し た 職 の 任 免 に あ つ た 事 に 由 来 す る も の で あ ろ う。 小 集 会 評 定 は 年 預 坊 で 開 催 さ れ、 そ の 問 題 と す る と こ ろ は 山 上 山 下 に わ た る が、 特 に 山 上 の 法 制 に 関 し て は 興 味 深 い も の が あ る。 ( 18 ) 例 え ば、 正 平 十 七 年 ( 一 三 六 〇 ) 八 月 十 七 日 の 小 集 会 評 定 に 於 て は、 預 と 承 仕 と の 確 執 に つ い て、 (串 之 由 力 ) 一 就 出 銭 取 手 事。 預 与 承 仕 令 確 執 □ □ □ 有 其 聞。 為 事 実 者。
為 寺 家。 就 惣 別 為 □ □。 所 詮 預 承 仕 両 方 共。 為 主 人 計。 厳 重 可 被 加 柄 識。 其 上 尚 無 承 引 者。 速 出 坊 中。 不 可 被 召 仕 之 (署 ) 由。 可 有 御 連 暑 事。 一 今 度 就 此 事。 不 拘 主 入 制 法。 令 出 坊 於 預 承 仕 等 者。 専 為 寺 敵 之 上 者。 於 院 内 別 所。 不 可 加 入 居 扶 持。 其 上 扶 持 令 露 顕 者。 懸 住 坊 可 有 罪 科 事。 一 預 承 仕 等。 不 及 是 非 糺 明。 止 諸 堂 開 閑。 閾 番 役 之 条。 自 由 至 極 也。 若 令 閾 如 者。 両 方 共 永 放 山 上 山 下。 井 不 可 免 還 住 事。 一 如 此 及 厳 密 沙 汰 之 処。 両 方 不 令 承 引。 於 令 引 出 喧 嘩 方 者。 罪 科 同 前。 就 是 非 可 被 絶 後 訴。 其 外 令 下 知 干 諸 庄。 懸 六 親 可 被 追 放 事。 一 就 此 事。 預 承 仕 等。 属 縁 者。 錐 相 語 山 下 之 族。 全 不 依 親 類 骨 肉。 不 可 見 継。 若 見 継 之 輩 出 来 者。 准 悪 党 永 可 令 追 放 庄 内 之 由。 可 有 下 知 諸 庄。 将 又 於 寺 辺 及 合 戦 者。 五 番 衆 以 下 召 上 諸 庄 々 官。 即 時 可 被 加 退 治 事。 右 以 前 条 々。 全 不 致 預 等 方 入。 不 依 承 仕 秘 計。 偏 存 寺 門 静 誼 之 法 令。 深 為 止 諸 院 喧 嘩 之 闘 諄。 所 定 置 也。 云 々 ﹂ と あ る が。 こ れ は 山 上 山 下 に 於 い て 寺 法 を 破 り 秩 序 を 乱 す も の に 対 す る 小 集 会 衆 の と つ た 態 度 と し て 典 型 的 な 例 で あ り、 こ の 例 に 小 集 会 衆 の 武 力 的 背 景、 小 集 会 衆 と 五 番 衆 と の 連 り が 如 実 に 見 ら れ る の で あ る。 学 道 に 関 す る 事 柄 で さ え も 寺 院 法 に 抵 触 す る 場 合、 小 集 会 衆 の 統 制 を 免 が れ る 事 は 出 来 な か つ た が、 学 道 に 関 す る 限 り そ の 最 高 指 導 者 で あ る 両 所 十 聴 衆 に 対 し て 善 処 を 要 望 す る と ( 19 ) 云 う 形 で そ の 最 終 的 決 定 を 委 ね る 場 合 が 多 い。 こ れ は 他 の 集 会 と の 問 に 於 て も 同 様 な 現 象 で あ る。 ( 20 ) 又、 永 享 四 年 ( 一 四 三 二 ) 五 月 廿 六 日 の 小 集 会 評 定 に 於 て 一、 於 傍 示 之 内 者。 任 先 規。 預 夏 衆 堅 可 守 之 事。 一、 於 向 後 者。 罪 過 人。 任 法 可 有 罪 過 事。 と 云 う 様 な 決 議 を 行 つ て い る。 元 来、 学 侶 は 勢 力 争 い も あ つ て 行 人 対 策 に は 手 を 焼 い て い る が、 そ の 矢 面 に 立 つ て 実 行 を 行 使 し た の が 五 番 衆 で、 そ の 指 揮 者 が 小 集 会 衆 で あ つ た。 中 世 も 極 く 末 期 に な る と 小 集 会 評 定 と 大 集 会 評 定 の 聞 の 権 限 の 相 違 は 稀 薄 に な る が、 一 般 に 小 集 会 評 定 は 山 上 山 下 の 治 安 関 係 が 多 数 を 占 め て お り、 こ の 点 に 両 者 の 権 限 上 の 根 本 的 な 特 徴 が 見 出 さ れ る。 三、 学 侶 集 会 評 定 中 世 高 野 山 の 僧 侶 集 会 制 度
-31-密 教 文 化 学 侶 と は 行 入、 聖 に 対 し、 普 通 に 衆 徒 と 会 も 呼 び、 新 本 二 衆、 学 道 衆、 三 所 御 談 義 衆 及 び 学 侶 同 心 衆 等、 論 義 法 談 の 慧 学 ( 21 ) や 修 法 観 法 に 専 心 す る 者 を 通 じ て 言 う 名 称 で あ る。 学 侶 の 中、 法 談 論 義 の 履 修 の 有 無 に よ り 学 侶 と 非 学 衆 に 分 た れ る 如 く、 学 侶 集 会 評 定 も 狭 広 二 種 あ る。 今 こ こ で は 学 衆、 非 学 衆 を 含 む 広 義 の も の を 学 侶 集 会 評 定 と 呼 び、 狭 義 の 学 衆 の み に よ る 学 侶 集 会 評 定 は 夫 々 の 名 称 に 従 つ て 呼 ぶ 事 に す る。 1、 学 侶 集 会 評 定 学 侶 集 会 評 定 は 諸 衆 集 会 の 名 で 各 集 会 中 最 も 早 く か ら 行 わ れ て い る。 例 え ば、 治 承 三 年 ( 一 一 七 九 ) 五 月 の 金 剛 峯 寺 下 ( 22 ) 文 案 に は ﹁ 検 校 丼 諸 衆 の 仰 に 依 つ て ﹂ と あ り、 十 二 世 紀 に 入 つ て か ら 学 侶 集 会 の 活 躍 が 俄 然 目 立 つ て く る 様 に な る。 中 世 に 於 け る 学 侶 集 会 評 定 の 参 加 人 員 は、 鎌 倉 時 代 初 頭 の ( 23 ) 文 治 二 年 ( 一 一 八 六 ) の 高 野 山 住 僧 等 解 状 に よ る と、 検 校 の 他 に 阿 闇 梨 九、 山 籠 四 〇、 入 寺 五 二、 三 昧 一 一、 大 法 師 一 六 〇、 計 二 七 三 名 が 署 名 し て お り、 鎌 倉 時 代 末 期 に な る と、 か な り 増 加 し て、 嘉 元 二 年 ( 一 三 〇 四 ) 四 月 の 金 剛 峯 寺 衆 徒 一 ( 24 ) 味 契 状 に は、 権 律 師 良 薗、 法 橋 覚 禅 及 び 三 沙 汰 人 の 他 に、 阿 闇 梨 八 五、 三 昧 六、 入 寺 七 二、 大 法 師 二 四 七、 計 四 一 〇 名 と (25 ) な り、 同 年 の 他 の 文 書 に は 大 法 師 の 数 は こ れ よ り も 若 干 多 い。 南 北 朝 時 代 に 入 る と、 例 え ば 観 応 二 年 ( 一 二 五 一 ) 二 月 の ( 26 ) 範 淵 庄 下 司 百 姓 和 談 起 請 置 文 に よ る と、 ﹁ 右 以 前 条 々、 為 諸 衆 一 同 評 定、 及 置 文 連 暑 上 者 難 為 二 争、 敢 以 不 可 令 違 失 ﹂ と あ つ て、 三 沙 汰 入、 検 校 泰 助、 検 少 僧 都 法 眼 能 賢、 権 律 師 経 満 法 橋 信 海 の 他 に、 阿 闇 梨 八 六、 三 昧 六、 入 寺 七 七、 大 法 師 三 四 二、 計 五 〇 七 名 と 相 変 ら ず の 数 を 見 せ、 室 町 時 代、 応 永 三 ( 27 ) 十 一 年 ( 一 四 二 四 ) の 衆 徒 一 味 契 状 に は 三 沙 汰 人、 検 校 定 秀 権 少 僧 都 法 眼 慶 恵、 権 律 師 快 誉、 法 橋 良 芸 の 他 に 阿 閣 梨 八 五 三 昧 二、 入 寺 七 五、 大 法 師 二 〇 九、 計 三 七 一 名 と 減 少 す る 傾 向 を 示 し て い る。 こ の 様 に 阿 闇 梨 ( 山 籠 を 含 む )、 三 昧、 入 寺 の 数 は 中 世 を 通 じ て 大 体 一 定 し て お り、 大 法 師 の 数 が 全 体 の 増 減 と な つ て 現 れ て お り、 以 上 が 文 書 の 署 名 に 見 ら れ る 中 世 の 学 侶 集 会 評 定 に 参 加 す る 人 員 で あ る が、 そ の 時 代 に よ る 増 減 は 高 野 山 と 言 う 教 団 を 支 え る 各 時 代 の 財 政 経 済 や 学 道 の 盛 衰 と 無 関 係 で は な い 点 で、 か な り 正 確 な 学 侶 の 総 数 を 示 し て い る も の と 推 定 さ れ、 学 侶 集 会 は 全 山 大 集 会 を 除 く 最 大 の 集 会 評 定 で あ つ
た。 集 会 の 場 所 は 主 に 全 堂、 山 王 院、 御 影 堂 等 で あ る が、 こ れ は 便 宜 上 法 会 の 前 後 に 行 わ れ る 事 が 多 か つ た 為 で あ ろ う。 そ の 他 成 福 院、 遍 明 院、 正 福 院 等 の 名 前 が 見 ら れ る が、 こ れ ら 各 院 は そ の 年 々 の 年 預 坊 で あ つ た と 思 わ れ る。 集 会 評 定 の 内 容 は 学 侶 の 本 分 で あ る 学 道、 法 談 論 義、 法 会 等 の 儀 式 を 始 と し て、 学 侶 の 補 任、 昇 進、 追 放 等 の 人 事 処 罰、 供 料 等 の 経 済 的 問 題 に 至 る 迄、 凡 そ 学 侶 に 関 係 あ る 問 題 は 山 上 山 下 を 問 わ ず 全 般 的 に 論 ぜ ら れ て い る。 特 に 論 義 と か 法 会 等 の 学 侶 の 年 中 行 事 に 属 す る も の に 関 す る 規 定 は 厳 重 詳 細 を ( 28 ) 極 め て い る。 学 侶 集 会 と 他 の 諸 集 と の 交 渉 は 小 集 会 と 三 所 ( 両 所 ) 十 聴 衆 集 会 以 下 狭 義 の 学 侶 集 会 の 聞 に 著 し い。 2、 三 十 人 集 会 評 定 三 十 人 と は 衆 分 の 中、 上 席 三 十 入 の 事 で、 高 野 春 秋 応 永 十 三 年 ( 一 四 〇 六 ) 条 に、 ﹁ 定 二 毎 歳 七 月 七 昼 夜 金 堂 不 断 経 中 法 制 一、 令 下 三 十 入 衆 中 為 中 之 監 護 上 也 ﹂ と あ る 如 く、 こ の 三 十 入 を 謂 口 役 と も 云 い、 世 間 出 世 間 に わ た る 一 山 の 行 事 を 監 視 し、 違 法 あ る 場 合 は 調 査 し て 評 定 席 に 言 上 す る 役 目 の も の で あ る。 謂 わ ば 寺 院 法 の 監 視 役 で、 例 え ば、 弘 治 三 年 ( 一 五 五 七 ) ( 29 ) の 学 侶 評 定 事 書 に ﹁ 里 寺 僧 登 山 之 時 者、 年 預 坊 事 者 不 申 及、 三 十 人 一 稿 二 繭 住 坊 江 可 有 出 仕 之 事 ﹂ と 定 め ら れ て い た 様 に 衆 徒 の 統 制 に も 一 役 買 つ て い た 様 で あ る。 三 十 入 集 会 評 定 の 内 容 は 殆 ん ど 三 十 人 の 年 貢、 供 料、 公 事 ( 30 ) 銭、 月 預 の 得 分 等 三 十 人 自 身 の 経 済 上 の 問 題 が 主 で、 寺 院 法 制 定 の 権 限 は 無 か つ た。 集 会 の 場 所 は 金 堂 に 定 つ て い た 様 で あ る。 3、 三 (両 ) 所 十 聴 衆 集 会 評 定 三 所 と は 両 所、 即 ち、 左 右 両 学 頭 に 検 校 を 加 え た も の で、 三 所 と 十 聴 衆 の 他 に 二 読 書 ( 領 解 衆 ) が 加 わ る 事 も あ り、 こ の 十 五 名 は 所 謂 能 化 と し て 学 会 の 最 高 指 導 者 で あ る。 十 聴 衆 が 参 加 す る 御 最 勝 講 は 宮 中 清 涼 殿 の 最 勝 講 を 模 し た も の で、 後 白 河 法 皇 の 御 願 に よ り、 承 安 三 年 ( 一 一 七 三 ) 六 月 六 日 に 初 め て 山 王 院 に 於 て 行 わ れ た。 こ の 御 最 勝 講 が 問 答 論 義 の 格 を も つ 様 に な つ た の は 文 永 十 一 年 ( 一 二 七 四 ) の 事 で あ つ た ( 31 ) ら し い。 又 一 方、 蓮 花 乗 院 が 法 談 所 と し て そ の 機 能 を 発 揮 す る に 至 る の は 承 久 の 乱 後 の 貞 永 元 年 ( 一 二 三 二 ) 頃 か ら で あ る と 考 え ら れ、 三 ( 両 ) 所 十 聴 衆 は 十 三 世 紀 に 入 つ て 学 道 の 中 世 高 野 山 の 僧 侶 集 会 制 度
-33-密 教 文 化 最 高 権 威 者 と し て 指 導 力 を 発 揮 す る 様 に な る が、 そ れ が 名 実 共 に 活 躍 す る の は 丁 度 高 野 山 の 学 道 復 興 期 に 当 る 室 町 時 代 に な つ て か ら で、 資 料 と し て も 亦 室 町 時 代 以 後 の も の が 圧 倒 的 に 多 い の は こ の 様 な 理 由 に 拠 る も の で あ る。 評 定 の 内 容 は 二 種 に 大 別 さ れ る。 即 ち 大 伝 法 会、 御 最 勝 講、 沙 汰 所 談 義、 竪 精、 天 野 八 講 等 の 法 談 論 義、 学 頭、 十 聴 衆、 読 書 衆、 竪 者 の 昇 進 等 学 道 プ ロ パ ー の も の と、 学 道 に 附 随 す る 諸 料 足 等 の 経 済 的 問 題 主 と し て 蓮 花 乗 院 領 志 富 田 庄、 南 部 庄、 隅 田 庄、 相 賀 庄 等 の 年 貢、 公 事 銭 の 訴 訟 等 を 扱 つ て い る。 例 え ば、 文 安 二 年 ( 一 四 四 五 ) 五 月 二 十 三 日 の 三 所 十 聴 衆 ( 32 ) 集 会 で は 一 前 講 々 師 自 竪 者 上 璃 々 次 可 被 申 指 事。 中 略 一 於 読 書 昇 進 之 仁 者。 自 今 已 後。 無 学 道 三 年 勲 仕 者 不 可 挙 之 事。 一 於 聴 衆 者。 去 年 之 自 次。 二 入 宛 可 被 指 事。 等 と、 竪 義 前 講 ( 本 講、 後 講 に 対 す ) の 講 師 や 読 書、 聴 衆 昇 進 の 評 定 が 行 わ れ て い る。 又 学 頭 の 任 免 は 十 聴 衆 の 権 限 で あ つ た と 見 え て、 応 永 二 十 七 年 ( 一 四 二 〇 ) に は 三 所 の 加 わ ら ぬ 十 聴 衆 の み で ﹁ 学 頭 昇 進 之 事、 於 向 後 者、 十 聴 衆 已 灌 頂 衆 之 内 不 論 器 非 器、 任 稿 次 ( 33 ) 可 有 昇 進 ﹂ と の 決 議 を 行 つ て い る が、 こ の 評 定 は 学 頭 昇 進 に 関 し て 十 聴 衆、 読 書 衆 が 連 日 に わ た つ て 評 議 し た が 決 着 し な か つ た 為、 こ の 問 題 を 会 衆 集 会 に は か つ た と こ ろ、 学 頭 昇 進 ( 34 ) の 件 は 沙 汰 所 十 聴 衆 の 沙 汰 た る べ し と の 返 答 に よ つ て 改 め て 行 つ た も の で あ る。 こ の 例 か ら も わ か る 様 に 純 学 道 論 義 に 関 し て は 三 ( 両 ) 所 十 聴 衆 が 最 高 の 決 定 権 を 行 使 し て い た。 こ れ に 対 し 学 道 に 附 随 す る 経 済 上 の 問 題 に つ い て は、 三 所 十 聴 衆 が 直 接 取 上 げ た も の、 及 び、 会 衆 集 会 評 定 等 の 学 侶 集 会 か ら の 訴 訟 に よ る も の と を 問 わ ず、 裁 き 得 る も の は 自 ら の 手 で 裁 き、 そ の 他 能 力 以 上、 又 は 権 限 外 の 問 題 は 更 に 小 集 会 衆 に 訴 訟 し て 裁 き を 依 ( 35 ) 頼 し て い る の が 通 例 で あ る。 集 会 の 場 所 は 大 体 沙 汰 所 が 主 で、 そ の 他 御 影 堂 及 び 無 量 寿 院、 宝 性 院、 如 意 輪 寺 等 何 れ も 教 学 上 重 要 な 地 位 に あ る 寺 院 が 利 用 さ れ て い る。 4、 会 衆 集 会 評 定 会 衆 集 会 評 定 と は 蓮 花 乗 院 本 会 衆 の 集 会 評 定 で あ る。 蓮 花
乗 院 は 承 安 五 年、 即 ち、 安 元 元 年 ( 一 一 七 五 ) に 五 辻 斉 院 頒 子 内 親 王 が 鳥 羽 院 追 薦 の 為 東 別 所 上 乗 院 内 に 建 立 さ れ、 仏 聖 ( 餉 ) 燈 油 入 供 の 料 所 と し て 南 部 庄 内 山 内 村 の 田 十 町 を 寄 進 ( 36 ) さ れ た。 治 承 元 年 ( 一 一 七 七 ) 壇 上 に 移 建 さ れ、 建 久 五 年 ( 一 一 九 四 ) に は 親 王 家 か ら 親 王 一 期 の 後 南 部 庄 を 蓮 花 乗 院 ( 37 ) 供 料 と す べ き 旨 の 寄 進 状 を 賜 り、 承 元 二 年 ( 一 一〇 八 )、 前 斉 院 が 莞 ぜ ら れ る と 共 に 寺 家 一 円 の 進 止 と な つ た。 蓮 花 乗 院 の 談 義 は 蓮 花 乗 院 が 東 別 所 か ら 壇 上 に 移 さ れ た 治 承 元 年 に 始 る。 即 ち、 こ の 時 本 寺 ( 金 剛 峯 寺 方 ) と 末 院 ( 伝 法 院 方 ) の 和 談 が 成 立 し た 結 果、 本 寺 僧 百 口 馬 末 院 の 僧 八 十 口 出 仕 の も と に 談 義 が 行 わ れ る 事 に な つ た が、 建 久 五 年 に は 本 末 の 確 執 が 再 燃 し て 末 院 僧 の 出 仕 が な く な つ た 為、 本 寺 僧 百 口 の 上 更 に 二 十 口 を 加 え、 百 二 十 口 の 僧 に よ つ て 談 義 が 行 わ れ る 様 に な つ た。 こ の 蓮 花 乗 院 の 談 義 に は 平 素 の 稽 古 談 義 で あ る 長 日 談 義 と、 晴 れ の 出 仕 談 義 で あ る 伝 法 大 会 と が あ る。 毎 年 五 月 十 一 日 か ら 五 十 日 間 に わ た つ て 行 わ れ る 伝 法 大 会 を 本 会 と 云 い、 こ れ に 出 仕 す る 学 侶 が 会 衆 で あ る。 江 戸 時 代 の 規 定 に よ れ ば、 勧 学 会 初 年 目 以 上 の 者 が 会 衆 に 選 ば れ、 三 石 の 供 料 が あ つ た。 中 世 に 於 け る 学 道 の 隆 盛 に 伴 つ て 蓮 花 乗 院 の 地 位 は 頗 る 高 く、 そ の 勢 力 も 強 か つ た 為、 往 々 に し て 会 衆 即 学 侶 の 観 を 呈 す る 傾 向 が 見 ら れ る 程 で あ つ た。 ( 38 ) 会 衆 集 会 評 定 の 内 容 は 伝 法 大 会、 沙 汰 所 談 義 等 の 学 道 の 問 題、 伝 法 大 会 料 と し て の 南 部、 志 富 田 両 庄 の 検 注、 年 貢 や 会 衆 供 料 等 主 に 会 衆 に 直 接 関 係 あ る も の に 限 ら れ て い る。 会 衆 に と つ て 世 俗 的 な も の は 勿 論 の 事、 学 道 上 の 重 要 な 問 題 に 関 し て は 三 ( 両 ) 所 十 聴 衆 集 会、 或 は 小 集 会 の 席 に 訴 訟 し て そ ( 39 ) れ ら の 議 決 に 従 う と 云 う 形 を と つ て い る。 こ の 様 に 会 衆 集 会 評 定 は 学 道 世 俗 の 両 面 共、 三 ( 両 ) 所 十 聴 衆 集 会、 小 集 会 評 定 の 完 全 な 統 制 下 に 置 か れ て い た。 会 衆 集 会 の 幹 事 は 会 行 事 で 集 会 の 場 所 は 蓮 花 乗 院 に 定 め ら れ て い た。 5、 新 本 二 会 衆 集 会 評 定 建 武 元 年 ( 一 三 三 四 ) 四 月、 後 醍 醐 天 皇 の 勅 願 に よ り 愛 染 堂 が 建 立 さ れ、 供 僧 七 十 二 口、 学 侶 百 二 十 入 を 以 て 不 断 愛 染 護 摩 供 井 び に 長 日 談 義 が 勤 修 さ れ る 事 に な つ た。 こ の 愛 染 堂 を 新 学 堂 と も 云 い、 蓮 花 乗 院 の 本 会 に 対 し て 新 会 ( 談 義 ) と 云 う。 新 本 二 会 衆、 即 ち、 新 会 談 義 の 勤 仕 衆、 本 会 の 会 衆 は ( 40 ) 勧 学 会 の 学 道 衆 の 中 か ら 器 量 に よ つ て 補 さ れ た。 中 世 高 野 山 の 僧 侶 集 会 制 度
-35-密 教 文 化 こ の 新 本 二 会 衆 も 三 ( 両 ) 所 十 聴 集 二 読 書 の 所 謂 能 化 の 統 制 下 に あ つ た 事 は 勿 論 で あ る。 評 容 の 内 容 は 新 本 二 会 の 談 義 に 関 す る も の、 新 本 二 会 衆 の 供 料 及 び 法 度 等 に 限 ら れ て い た。 集 会 の 場 所 は 金 堂 東 座、 西 座 が 用 い ら れ て い る。 寛 正 二 年 ( 一 四 六 一 ) 八 月 十 九 日 の 新 杢 一会 衆 集 会 評 定 (41 ) に 於 て、 会 行 事 発 光 院 と 鏡 円 房、 良 深 房、 円 勝 房 を 新 会 の 法 度 に 背 く も の と し て 永 代 学 衆 追 放 を 決 議 し、 後 任 に は 両 所 の 承 認 を 得 て 定 め る 事 と し て、 会 衆 で は 長 仙 房 を 推 挙 し て い る。 こ の 評 定 は 二 日 前 の 十 七 日 に、 学 侶 若 衆 一 同 が 会 行 事 他 三 名 の 違 法 行 為 を 無 勿 躰 至 極、 粁 謀 之 至 極、 大 盗 人 之 至 極 と し て、 そ の 証 拠 が ﹁ 歴 然 之 上 者、 先 会 行 事、 可 為 大 犯 三 ヶ 条 之 重 科、 然 上 者、 如 大 法 可 有 沙 汰 旨、 新 本 二 会 衆、 有 一 味 同 心 而、 為 後 代 之 興 隆、 堅 小 集 会 丼 五 番 衆 方 奇 有 訴 訟 (42 ) ﹂ と 決 議 し 薪 本 二 会 衆 に 申 入 れ た 結 果 行 わ れ た も の で あ る。 こ れ に よ つ て 学 侶 集 会、 新 本 二 会 衆 集 会 と 三 所、 及 び 小 集 会、 五 番 衆 集 会 の 各 集 会 の 機 能 と 夫 々 の 関 係 が か な り 明 白 に 表 現 さ れ て い る。 新 本 二 会 衆 の 中、 会 衆 を 除 く 新 学 衆 の み の 集 会 も 開 か れ た。 例 兄 ば、 文 明 九 年 ( 一 四 七 七 ) に、 一 年 中 登 山 な き 不 参 の 者 に 対 し て は 新 学 と し て の 供 料 を 剥 奪 す る と 云 う 新 学 衆 の (43 ) み の 法 議 が 行 わ れ て い る が、 こ の 様 な 例 は 極 く 少 い。 6、 十 間 衆 集 会 評 定 十 間 衆 は 学 道 論 義 の 際 の 問 者 と 思 わ れ る が 詳 細 は 不 明 で あ る。 永 享 七 年 ( 一 四 三 五 ) 六 月 の 両 所 十 聴 衆 集 会 に ﹁ 於 同 十 (44 ) 文 衆 者、 ( 御 集 会 し 無 出 在 暑、 当 年 之 十 文 於 可 被 押 留 ﹂ と あ る 十 文 衆 も 十 間 衆 の 事 で あ ろ う。 十 問 衆 評 定 の 資 料 は 唯 一 例 に 過 ぎ な い。 即 ち、 応 永 廿 六 年 ( 一 四 一 九 ) 七 月 二 十 三 日 の 評 定 (45 ) で、 大 会 の 規 制 と 十 聴 衆 集 会 評 定 置 文 と の 矛 盾 を 批 判 し て、 会 行 事 を 通 じ て 訴 訟 し、 非 例 を 改 め ぬ 限 り 十 間 衆 以 下 の 出 仕 を 停 止 す る 事 を 決 議 し て い る が、 学 道 集 会 中 で も 特 殊 な 集 会 で あ る。 7、 読 書 衆 ( 領 解 衆 ) 論 義 衆 集 会 評 定 読 書 衆 と は 直 接 学 衆 を 提 衡 し、 経 論 の 訓 読 法 と 義 趣 を 教 示 す る 役 目 の も の で、 勧 学 院 学 道、 蓮 花 乗 院 大 会 で ﹁ 四 重 附 ﹂ の 論 義 の 際、 最 後 に 読 書 役 が 所 説 の 批 判、 決 裁 ( 領 解 ) を す る 事 か ら 領 解 衆 と も 云 い、 現 行 内 談 義 の 御 首 尾 に あ た る。 こ れ に 対 し 論 義 衆 と は 伝 法 大 会 等 に 於 て 実 際 に 論 義 す る 者 の 事 で あ る。
こ の 集 会 は 会 堂 ( 蓮 花 乗 院 ) や 金 堂 で 行 わ れ て お り、 評 定 の 内 容 も 沙 汰 所 談 義 に 限 ら れ て い る。 従 つ て 会 衆 と 共 に 開 か ( 46 ) れ る 場 合 も あ り、 又 論 義 衆 の み の 場 合 も あ る。 又 読 書 役 は 三 ( 両 ) 所 十 聴 衆 の 集 会 に 加 る 事 も あ り、 従 つ て 学 道 衆、 新 本 二 会 衆、 三 所 十 聴 衆 と の 関 係 は 密 接 で、 こ れ ら の 集 会 に 対 す ( 47 ) る 訴 訟 と 云 う 形 で 現 れ る の が 通 例 で あ る。 8、 修 正 衆 集 会 評 定 修 正 衆 と は 修 正 会 出 仕 の 学 侶 の 事 で、 こ の 集 会 評 定 の 中 世 に 於 け る 資 料 は 見 当 ら ぬ の で 別 の 機 会 に 述 べ る 事 に す る。 四、 五 番 衆 集 会 評 定 高 野 山 文 書 に 屡 々 四 番 衆、 五 番 衆、 六 番 衆 と 云 う 名 称 が 見 ら れ る。 こ の 名 称 は 大 湯 屋 入 湯 の 次 第 に 由 来 す る も の と 云 わ れ ( 48 ) て い る。 即 ち 高 野 真 俗 興 廃 記 に よ れ ば メ ノ シ ノ ニ ク ソ ノ カ ミ 惣 一 山 之 住 侶 上 下 階 級 不 レ 出 二 六 番 一、 但 古 老 伝 日 元 初 毎 ア リ ト ニ ニ ハ 月 一 日 浴 室 之 法 式 也 云 々、 第 一 番 寺 務 井 左 右 学 頭 執 行 代 或 ニ ノ 種 族 可 レ然 児 等、 第 二 番 阿 闇 梨、 第 三 番 入 寺 僧、 第 四 番 衆 ニ ハ シ ヨ ウ 分 若 僧 等、 第 五 番 御 影 堂 衆 或 族 姓 如 レ 戒 之 電 従 法 師 等 惣 名 二 モ 五 番 衆 一也、 六 番 魑 従 僕 童 之 内 土 民 之 子 孫 下 法 師 等 也 今 時 行 ト ノ ミ 入 方 ヲ ハ 又 名 二 世 間 者 一、 都 合 六 階 也、 就 レ其 六 番 衆 法 師 原 昔 ス ト 号 二 承 仕 方 一 ( 以 下 略 ) と あ り、 四 番 衆 は 所 謂 学 侶 六 重 階 位 の 最 下 位 に 当 る 衆 分 若 僧 ( 大 法 師 ) を 指 し、 六 番 衆 が 承 仕 方、 所 謂 行 人 で あ る 事 は 明 白 で あ る。 こ の 四 番 衆 と 六 番 衆 の 中 間 に 存 在 す る 五 番 衆 と は 一 体 如 何 な る 性 格 の も の で あ ろ う か。 真 俗 興 廃 記 は 御 影 堂 衆 或 族 姓 如 レ戒 之 麗 従 法 師 等 を 惣 じ て 五 番 衆 と 名 く と 規 定 し て い る。 紀 伊 続 風 土 記 に よ れ ば 行 人 承 仕 ( 49 ) の 寺 院 を 捻 じ て 堂 衆 と 号 す と あ り、 堂 衆 が 行 入 で あ る 事 は 疑 い な い 事 実 で あ る。 と こ ろ が、 観 応 三 年 ( 二 二 五 二 ) の 高 野 ( 50 ) 山 五 番 衆 一 味 契 状 に は 三 沙 汰 入 の 他 に 大 法 師 と し て 百 四 名 が 署 名 し て い る。 こ の 五 番 衆 の 署 名 を 一 々 検 討 し て 見 る と、 そ ( 51 ) れ ら 五 番 衆 の 名 が 前 年 の 範 淵 庄 下 司 百 姓 和 談 起 請 置 文 の 署 名 の 中 に 含 ま れ て お り、 又、 正 平 二 十 二 年 ( 二 二 六 七 ) の 高 野 ( 52 ) 山 衆 徒 一 味 契 状 の 署 名 者 の 中 の 大 法 師 に 同 じ 五 番 衆 の 名 が 認 ( 53 ) め ら れ、 更 に、 元 中 元 年 ( 一 二 八 四 ) の 官 省 符 庄 年 貢 契 状 の 署 名 と 比 較 す れ ば 観 応 三 年 の 五 番 衆 で 阿 闇 梨、 入 寺 に 昇 進 し た も の が 一 見 し た だ け で 二 十 数 名 あ り、 又 そ の 儘 大 法 師 に 留 つ て 名 を 連 ね て い る 者 も あ る。 ( 54 ) こ の 事 は 明 徳 三 年 ( 一 三 九 二 ) の 五 番 衆 一 味 契 状 ( 三 沙 汰 中 世 高 野 山 の 僧 侶 集 会 制 度