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智山學報 第56 - 035三好 英樹「中世根来寺伽藍の成立 : 高野山大伝法院から根来寺大伝法院へ」

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(1)

1

 

 

 

中世根 来寺伽藍の成立 好)

  根 来

( 和 歌 山 県 岩 出 市 ) は 、

時 代 後

に 興 教 大 師 覚 鑁 ( 以 下 覚 鑁 と 略 称 ) に よ っ て 開 か れ た 寺 院 で あ る 。 戦 国 期 に は 、 勢 力 圏 を 紀

・ 和

内 の 三 ヶ 国 に ま で 及 ぼ し 、 一 つ の 政 治 的 ・ 軍

的 権 力 と し て

臨 し た 。 天 下 統 一 を 目 指

織 田 信 長 や 豊 臣 秀

に と っ て 無 視 し え な い 存

で あ っ た 。   こ の 根

は 、 大 治 五

( 一 一 三 〇 ) 、

法 二 会 ( 修 学 会 ・ 練 行 会 ) の

興 を 目

し た

が 、 鳥 羽 上 皇 の

願 寺 と し て 高 野 山 上 に 創

し た

法 院 に

を 持 つ 。

鑁 は 鳥 羽 上 皇 の

大 な 帰 依 を 受 け 、 長 承 元 年 (

三 二 ) に は 規 模 を 拡 大 し た 大 伝

院 を

立 、

の 住 坊 と な る 密 厳 院 も

立 し た 。 ま た 石 手 ・

田 ・ 山

・ 弘 田 ・ 山

. 相

荘 な ど

伊 国 内 の 荘 園 の 寄 進 を

け 、

伝 法 院 の

済 基 盤 を

立 し た 。 そ し て 長 承 三 年 (

三 四 ) 、 覚

法 院 座 主 だ け で な く 、 金

座 主 を も

任 す る よ

に な っ た 。   し か し こ の 大 伝

方 の 急 速 な 台 頭 は 、 金 剛

寺 方 の 反 発 を か い 、 武 力 衝

に ま で 発 展 し て い

こ と と な っ た 。

(2)

NII-Electronic Library Service 智 山学 報第五 十六輯 そ の た め 覚 鑁 は

延 六 年 ( 一 一 四 〇 ) 、 大 伝 法 院

で あ る 弘 田 荘 の 北 辺 、

山 脈 南

の 根 来 の 地 に あ っ た 豊 福

へ 大

法 院 方 の

と と も に 離 山 、 康 治 二 年 ( 一 一 四 三 ) 閏 二 月 に は 、 豊 福

に 円 明 寺 と 神 宮 寺 を 建 立 し た 。 そ し て 同

十 二

鑁 は こ の 地 で 没 し た 。  

鑁 の 没 後 、

法 院 方 と 金 剛 峰 寺 方 と の 間 に 和

が 成 立 し 、 大 伝 法 院 は

山 へ と 帰 山 す る こ と と な っ た 。 し か し そ の 後 も

立 は 続 き

衝 突 を 幾 度 と な く 繰 り 返 し た 。 そ の た め つ い に 弘 安 九 年 ( 一 二 八 六 ) 頃 、 大

院 方 は 学 頭 頼 瑜 の と き に 高 野 山 を 離 れ 根 来 の 地 へ と 下 山 し た の で あ る 。 根 来

と は 、 大 伝 法 院 を 中 心 と し た 、 根

                                      ( 1 ) の 地 に あ る 諸

を 含 め た 総

で あ る と

え る が 、 も と も と は

来 の 地 に あ る

法 院 方 の

寺 ( 豊 福 寺 ・ 円 明 寺 ・ 神 宮 寺 な ど ) と い

の 意 味 で あ る た め 、

稿

で は コ 咼 野 山 大 伝 法 院 」 の

と し て の 根 来 寺 を 「 根 来

」 と

し 、 中 世 後 期 に 大 伽 藍 を 形 成

る 「 根 来

大 伝 法 院 」 を 中 心 と し た

来 寺 と は 一 応 の 区 別 を す る 。   中 世 後 期 、

北 ・ 泉

を 中 心 と し て 一 大 地 域

力 と な る

。 そ し て そ の 発 展 の 大 き な 要 因 と な っ た で あ ろ う 、 根 来 の 地 へ の 大 伝 法 院

の 下 山 。 従 来 か ら 、 大 伝 法 院

の 高 野 山 下 山 ( 根 来 移 転 ) 年 に つ い て の 議 論 は 活

                                        ( 2 ) に な さ れ て お

、 現 在 で は 弘

九 年 と さ れ て い る 。 し か し 、 大

法 院 方 が 「

」 へ 下 山 し て 以 降 の 伽 藍 整 備 な ど に つ い て は あ ま り 深 く 掘 り 下 げ ら れ る こ と が な か っ た よ

に 思 わ れ る 。   本

稿

で は 、 大

法 院

野 山 下 山 か ら 三 十 年 程 経 た 元 応 元

( 一 三 一 九 ) に

さ れ た 『 根 来 要 書 』 の 成 立 要 囚 を 見 る こ と に よ り 、 大 伝

院 方 の 根 来 「 移 転 」 や 、 下 山 後 の

伽 藍

に つ い て

察 し て い き た い 。 一

590

 一 N工工一Eleotronlo  Llbrary  

(3)

中世 根来伽 藍の成 立 (三好) 一

 

』 一

 

』 と は   『 根 来 要

』 と は 、 長 久 二

二 〇 四 こ か ら

( 一 二 四 七 )

で の

野 山 上 大 伝 法 院 関 連 文

百 八 十 一 通                                     ( 3 ) を 集

し 、 三 冊 に

録 し た も の で あ る 。

は 二 つ 存 し 、 元 応 元 年 (

二 九 ) に 「 都 維 那 仏

房 」 の 誂 え に よ っ て 「

」 が

記 し た 旨 の 本

と 、 応

三 十 四

( 一 四 二 七 ) の

と が 記 さ れ て い る 。 表 紙 に は 、 た だ 「 要 書 」 と の み 書 か れ て い る だ け で

る が 、 大 伝 法 院 関 連 の 重 要 な 文

( 覚 鑁 に よ る 伝 法 院 の 創 建 、 同 院 領 荘 園 の 形 成 ・ 経 営 、 金 剛 峯 寺 方 と の 対 立、 な ど に 関 わ る 文 書 ) が

め ら れ て い る こ と か ら 、 現

一 般 に 『

』 と

ば れ て い る 。   こ の 『 根 来 要 書 』 の 成 立 に つ い て 、 橋 本 初 子 氏 は 、 「 鎌 倉 時 代 の 中 頃 、 覚 鑁 草 創 の

院 と 、 金

と の 問 に

訟 が 繰 り 返 さ れ た 時 、 訴 状 に

申 す る た め に 、 大

院 側 に お い て

積 さ れ た

書 」 で あ ろ

と し 、 さ ら に 、 応

写 本 の 表 紙 に 墨 書 さ れ た 「 中 性 院 」 に 着 目 す る こ と で 、 「 頼 瑜 」 が こ の 文

・ 編 集 の 主

で あ ろ           ( 4 ) う 、 と

る 。   ま た

氏 は 「 金 剛

と 対 立 し た 根 来

の 離 山 と 帰 住 を め ぐ る 訴 訟 」 に 際 し て 編 集 さ れ た 「 具 書 集 」 で は な か ろ

測 し

』 所 収 文 書 の

的 な 下 限 が 宝 治 元 年 で あ る こ と か ら 本 書 は 宝 治 二 年 か ら

に あ る 元 応 元

ま で の 間 に 成 立 し た の で あ ろ

、 と し て い る 。 そ し て

本 氏 の 、 頼

が 編

る 説 に 対 し て は 、 「 応 永 三 十 四

に 書 写 さ れ た

書 の

紙 に あ る 「

院 」 を た だ ち に

本 の 記 述 で あ る と し 、 「

(4)

NII-Electronic Library Service 智山学報 第五十六輯

中 性 院 」 で あ る と 判 断 す る こ と は 困 難 」 で あ り 、 「

の 本 書 へ の 関 わ り と い

蓋 然

は 捨 て き れ な い も の の 、                                                     ( 5 )

紙 の 「

性 院 」 か ら こ の

説 を

の は 難 し い 」 と し て い る 。   こ の よ

に 本 書 は 、

倉 中 期 に お け る 大 伝 法 院 と 金 剛

と の 争 い の

で 成 立 し た

書 集 、 と み な さ れ て い る 。 し か し 、 頼 瑜 の 没 ( 一 三 〇 四 ) 後 で あ る 元 応 元

に お け る 本 書 の 作 成 要 因 や 、 執

に 関 わ っ た 人 物 、 そ の

属 す る 寺 院 な ど 不 明 な 点

く 、

来 の 地 へ 移 転 す る 以

、 さ ら に は 移 転 後 の 大 伝

院 ( 根 来 寺 ) に つ い て の

で あ る 本

に つ い て 、

だ 考

地 が 残 さ れ て い る と 思 わ れ る 。   と は い う も の の 、

者 に 『 根 来 要 書 』 の 集 積 ・ 編 集 主

な ど を は じ め と す る 本

の 性 格 を 全 面 的 に 検 討

る だ け の 用 意 は な い 。 ま た 成 立

に 関 し て も 、 本 奥 書 に あ る 元 応 元

に 成 立 し た の か 、

二 年 か ら 元 応 元 年 ま で の 間 に 成 立 し た も の を 元 応 元 年 に 書 写 し た の か 、 現 在 の と こ ろ

断 を つ け か ね る 。 そ の な か で ま ず 本 章 で は 、 元 応 元 年 に 『

来 要 書 』 を

成 し た 人 物 に つ い て

討 し 、 次 章 に お い て 、 こ の

に 本 書 が

成 さ れ た 要 因 に つ い て

察 し て い き た い ( 以 下 本 稿 で の 『 根 来 要 書 』 と は 元 応 元 年 に 作 成 さ れ た も の を 指 す ) 。 二

 

』 の

「 根 来

』 の 本

. に は 、 「

云 、 于 時 元

六 月

、 為

在 京 之 刻 、 依 都 維 那 畆

於 洛 陽 四

坊 門 万 里 小 路 之 宿 所 、 拭

眼 而 馳

 

  禎 紹 」 と 書 か れ 、 「 元 応 元 年 」 に 「 都 維 那 仏

院 定 俊 房 」 の

え に よ り 、 「 禎

」 に よ っ て 「

大 訴 」 の た め 筆 記 さ れ た

が 記 さ れ て い る 。   本 節 で は 、 元 応 元

に 本

を 作 成 し た 「 都

那 仏

俊 房 」 と 「 禎

」 、 こ の 二 人 の 人

に つ い て

し て い き た い 。   ま ず 本 書 を 誂 え た 「 都

院 定 俊 房 」 か ら 見 て い

592

N工工一Eleotronlo  Llbrary  

(5)

中 世伽 藍の成 立 (三好)  

倉 時

末 か ら 南 北

に か け て 在 世 し 、

院 の

務 め た 蓮 華 院 頼 豪 に よ っ て

・ 編 纂 さ れ た     ( 7 ) 「 束 草

』 に は 、 「 仏 寂 院 院 務 三 十 五 日 諷

文 」 が 収 め ら れ て い る 。 そ こ に は 「 元

 

遺 弟 等 敬 白 」 「 仏                                  

 

 

 

 

                    ( 8 ) 寂 院 先 務 道 経

忌 日 、 依

房 誂 、

之 」 と 記 さ れ て お り 、 元

六 年 に 遺 弟 ら に よ っ て 「 仏 寂 院 先 務

定 俊

」 の 三 十 五 日 追 善 供

が 行 わ れ た こ と が わ か る 。

期 の 面 か ら

て 元 応 元

か ら そ う 離 れ て お ら ず 、 『 根 来 要 書 』 を 誂 え た

那 仏

は 、 こ の 『

草 集 』 に あ ら わ れ た 仏

院 道 経

房 で あ る と 考 え ら れ る 。   次 に 、 筆 記 し た 「 禎

」 に つ い て で あ る 。   元 弘 三 年 ( = 二 三 三 ) 十 一 月 、 大

法 院 は

天 皇 に 対 し て 金

に よ る 相

・ 志

田 両

の 停 止 を 求 め た 。 そ の

状 で あ る 「 高 野 山 旧 領 沙 汰 時 奏 状 」 ( 『 束 草 集 』 ) は 、 差 出 が 「 高 野 山 大 伝 法 院

」 で あ り 、 日

の う し ろ に は 「 先

両 庄 沙 汰 之

京 都 寺 僧 幀 紹 信 教 ・ 善 快 成 教 ・ 実

淳 浄 ・

道 円

其 外 、 京 都

仁 間 合 、 大 概

」 と

さ れ て い る 。 こ の こ と か ら 「 寺 僧

信 教 」 は 大

法 院

の 僧 と い え る 。 し か し 、 こ                 ( 9 )           ( 10 > の 「

紹 」 は 、 「

紹 」 や 「 積 紹 」 と も 翻 刻 さ れ 、

の 誤 り に よ る と 思 わ れ る が 、 翻 刻 が

疋 し て い な い 。 そ こ で 『 続 真 言 宗 全 書 』 や 『 校 刊

料 』 が 底 本 と し た

永 八 年 ( 一 六 三 一 ) の 版

よ り も

い 、 天

( 一 五 三                                  

 

 

 

 

  〔 11 ) 九 ) に

写 さ れ た 総

山 智 積 院 智 山

庫 所 蔵 『

』 の 「 高 野 山 旧

時 奏 状 」 に よ る と 、 「

紹 簔 」 と 書 写 さ れ て い る 。 こ ち ら も

期 的 に

て 、 『

来 要

』 を 筆 記 し た 禎 紹 と 、 こ の 大

法 院 方 の 僧 侶 で あ る 「 寺 僧

( 碵 )

」 は 同 一 人 物 と 考 え ら れ る 。   ま た 「 寺 僧 禎 紹

」 は 、 元 徳 二

( 一 三 三 〇 ) 六

二 日 の 「 蓮

印 実

四 十 九 日 願 文 」 ( 『 束 草 集 』 ) に 、 「 四 十 九 日 七 僧 供

師 西

院 信 教

也 、

分 義

分 ニ テ 、 不 歴 重 職 ヲ 可 カ ト

云 々 」 と も 記 さ れ て い る 。 こ の 「 禎 治 」 を 禎 紹 の く

し 字 の 誤 写 で

る と

え る な ら 、 禎

は 「

身 別 所 分 」 の 「

」 で あ る 「 西 光 院 信 教 房

」 と 判 断 で き る 。

(6)

NII-Electronic Library Service 智山学報 第五 十 六   既 に 禎 紹 が 大 伝 法 院 方 の

侶 で あ る こ と は 見 て き た が 、 こ こ で も

こ の 禎 紹 の 「 西 光 院 」 と 、 定 俊 房 の 「 仏 寂 院 」 と が 所 属 す る

院 に つ い て

認 し て み た い 。 『 束 草 集 』 で は 、 根 来 山 内 の

院 で 無 い 場 合 、 「 泉 州

達 庄 金 熊

」 や 「 紀 州 和 田 庄 海 龍 王

」 な ど 、 地

を 寺 院

に 冠 し て い る 。 し か し 、 西 光 院 も 仏 寂 院 も 、 と も に 院

の 上 に

も 冠 し て は い な い 。 こ の こ と か ら 両 院 は

来 山

の 子 院 と い え る で あ ろ

。 さ ら に

俊 房 の 「 都

那 」 と 禎 紹 の                                           ( 12 ) 「 別 所 分 」 が 、 「

野 山 大 伝

院 本 願 霊 瑞 并

家 縁

」 の 「

僧 化

事 」 に 、 「 三 綱 上 座 寺 主 都 維 那 師 寺 僧 中 以 器 量 補 来 之 例 也 」 や 「 別 所 分 衆 蹠 儲 拙 塚 驪 遁 駐 則 持 焔 鰰 甜 瞞 熄 抔 鵄 鮫 衆 」 と 記 さ れ て い る こ と か ら 、 両

と も 大

法 院 に 所

す る

と 考 え ら れ る 。   以 上 の こ と か ら 、 元 応 元

に 成 立 し た 『 根 来 要 書 』 は 、 当 時 の 大 伝 法 院 都 維 那 で あ る 仏

俊 房 道

の 誂 え に よ っ て 、 大

法 院 別 所 分 衆 の

僧 で あ る 西 光 院

教 房

紹 が 「 帰

大 訴 」 の た め に

記 、

成 し た も の と い え る 。 二

 

一 594 一

N工工一Eleotronlo  Llbrary  Servloe

 

に お い て 、 『 根 来 要 書 』 は 大 伝 法 院 方 の

侶 に よ っ て 「 帰 住 大

」 の た め

記 さ れ た も の で あ る こ と を み て き た 。 本 章 で は 、 こ の 「 帰

大 訴 」 に よ り 大 伝 法 院 方 が 帰

め た 場 所 と 、 元 応 元 年 ( 一 三 一 九 ) に

書 が

成 さ れ 「 帰 住 大

」 が な さ れ た 要 因 に つ い て

察 し て い き た い 。   『 根 来 要

』 を 作 成 す る 契 機 と な っ た 「 帰 住

訴 」 の 具 体 的 な 内 容 は 、 史 料 的 な 制 約 か ら

細 を 述 べ る こ と は で き な い 。 し か し 大 伝 法 院 方 が 、 覚 鑁 没 後 に

野 山 へ と 戻 る も の の 、 仁 安 三 年 (

六 八 ) ・ 貞 永 元 年 ( 一 二 三 二 ) ・ 仁

(7)

中世 根来 寺伽 藍の成立 好)                                                                             ( 13 )

二 ・ 三 年 ( 一 二 四 一 、 一 二 四 二 ) な ど 金 剛

と 幾 度 と な く 武 力 衝

や 訴 訟 を

り 返 し 、 そ し て つ い に 弘 安 九 年                                                                                   ( 14 > ( 一 二 八 六 ) の 大 湯 屋 騒

を 発 端 と し て 高 野 山 を お

来 の 地 へ 移 転 し た と さ れ て い る こ と か ら 、 『 根 来 要 書 』 は                 ( 15 )

が 指 摘

る よ

に 、

野 山 へ の 帰 住 を

め て

え た 際 に 作 成 さ れ た も の で

と 推

で き る 。   で は 、 弘

の 高 野 山 下 山 か ら 三 十 年 以 上 も 経 た 元 応 元 年 時 点 で 、

野 山 へ の

山 を 企 て る 要 因 が あ っ た の で あ ろ

か 。 以 下 十 四 世 紀 前

に お け る 大 伝

方 の

野 山 に 対 す る 意 識 を み る こ と に よ り

え た い 。   高 野 山 離 山 に つ い て 、

応 三

( 一 三 五 二 ) の 「

円 明 寺 知

文 」 ( 『 束 草 集 』 ) に は 「 離 山 以 後 六 十 七

」 、 正 平 十

( 一 三 五 五 ) の 「 当 寺 菩 提 院 拝 殿 知 識 文 」 ( 『 束 草 集 』 ) に は 「

離 本 山

七 十 二 年 」 と

さ れ て い る 。 前 者 な ら 高 野 離 山 は 弘 安 八 年 ( 一 二 八 五 ) 、

者 な ら 弘

( 一 二 八 三 ) と 認 識 さ れ て い た こ と と な る 。 離 山 の 時 期 に つ                         ( 16 ) い て は 、 「 中

院 法 印

資 記 」 に お い て 中

院 頼 瑜 は

ま で

野 山 上 で 活 動 し て い る

の の 、 弘

は 弘 安 十 一

ま で 記 録 が 飛 び 、 以 降 高 野 山 で の 活 動 記 録 が な く な る と と も に 「 根 来 寺 」 に お け る 活

が 大 半 を

め て い く こ と や 、

安 十

に は 根 来 の 円 明

に お い て 、 そ れ ま で 高 野 山 上 で 行 わ れ て い た

法 大

が と り 行 わ         ( 17 ) れ て い る こ と 、 さ ら に 、 大 伝

院 方 が 根

の 地 へ 下 山

す ぐ 周 辺 の

領 荘 園 内 に 拠 点 と な る

院 の

を 開 始 し た                 ( 18 ) こ と が 指 摘 さ れ て い る こ と な ど か ら 、 先

に よ っ て 明 ら か に さ れ て い る よ

に 、 弘 安 の 大 湯 屋 騒 動 以 降 、 根 来 の 地 が 大 伝 法 院

の 活

の 拠 点 と な る の は

で あ る 。   し か し 、 大 須 真

寺 所 蔵 『 野 金 口 決 抄 』 に は 、 「 於 紀

野 山 大

院 之

寺 根 来

中 性 院 、

師 主

之                                       ( 19 )

本 書 写 交

了 而 已

 

金 剛 仏 子 実 応 春 秋 三 十 一 」 と い う 嘉 元 元 年 ( 一 三 〇 三 V の 書 写

が 存 し て い る 。

写 し た                           ( 20 )

応 は 中 性 院 頼 瑜 の 潅 頂

で あ る 。 高 野 山 か ら 大 伝

方 が 下 山 し た 際 の 学 頭 で あ る 頼 瑜 の 弟 子 で

っ て も 、 「 高 野 山 大 伝 法 院 之 末

根 来

」 と 記 す よ

に 、 十 四 世 紀 に 入 っ て も

だ 「 根

寺 」 は 「

野 山 大 伝

院 」 の 末 寺 と い

識 で あ っ た こ と が 判 明 す る 。

(8)

NII-Electronic Library Service 智山報第五 十 六                                                                           ( 21 )   ま た 、 建 武 三

一 六 ) 十 二 月 十 七 日

足 利 尊 氏 御 判 御 教 書 に は 「 高 野 伝 法 院 領 」 、 康 永 元 年 ( 一 三 四 二 ) 六                                                 〔 22 ) 月 二 十 三 日

足 利 直 義 御 判 御 教 書 案 に は 「 高 野 山

領 」 、 前

た 元 弘 三 年 ( 一 三 三 三 ) 十 一 月 日 付 「

野 山 旧 領

汰 時

状 」 で は 「 高 野 山 大 伝 法 院

誠 惶 誠

謹 言 」 と 記 さ れ て い る 。 中 央 権

か ら 出 さ れ た 御 判 御 教

に も 、 寺 僧 か ら 提 出 さ れ た

状 に も 、 「 高 野 ( 山 大 ) 伝

院 」 と 記 さ れ て い る こ と か ら 、 南 北

期 に お い て も

だ                                                               ( 23 ) 公 私 共 に 高 野 山 か ら 完 全 に 離 山 ・ 移 転 し た と 言

認 識 は な か っ た と い え る 。   こ こ で 大 伝 法 院

の 高 野 山 離 山 意 識 を

え る た め 、

出 の 離 山 年 を 記 し た 「 当 寺

提 院 拝

殿

知 識 文 」 を 見 て み た い 。 そ こ に は 「 然 我 等 離

山 而 七 十 二 年 」 に 続 い て 、 「

重 開 両 院 之 玉 殿 、

末 寺 而 多 少 之 日 、 何 日 再 拝 三 尊 之 金 容 、 倩 思 此 事 、 千 行 涙 両

無 晴 、 九 廻 腸 風 湖 不 静 」 「 正 平 十 年 十 一 月 日

 

依 報 恩 講 衆 請 、 草 之 」 と 書 か れ て い る 。 本 山 を 離 れ て 七 十 二

れ の 年 に か 両 院 、 つ ま り 高 野 山 上 大

法 院 と 密

院 の 玉 殿 の 扉 を 重 ね て 開 き 、 今 は 末 寺 で あ る 「 根 来

」 に 留 ま り

少 の 日 を 送 っ て は い る が 、

れ の 日 に か 三 尊 、 つ ま り

野 山 上 大 伝 法 院 に 安 置 さ れ る 三

の 金 容 を 再 び 拝 し た い 、 と 「 根 来 寺 」

恩 講

が 述 べ て い る の で あ る 。 高 野 山 離 山 か ら 七 十 二 年 も 経 て い る に も か か わ ら ず 、 「

」 の 報 恩 講

に は 高 野 山 こ そ が 本 山 で あ り 、 「 根 来

」 は 高 野 山 上 大 伝

院 の 末 寺 で あ る と い

認 識 が 存 在 し 、 い つ か

び 高 野 山 上 大

法 院 ・ 密 厳 院 へ 戻 り た い と い

望 み を 持 ち つ づ け て い た と 考 え ら れ る 。 こ の

容 が 菩 提 院 拝 殿 造 営 の

用 を 広 く 人 々 か ら

進 す る た め の

識 文 に 記 述 さ れ て い る こ と か ら 、

恩 講

の み が 抱 い て い た 認 識 で は な く 、 十 四 世 紀 半 ば に お い て 、 大

法 院 方

徒 ら に 共 通

る 意 識 で あ っ た と 推 測 で き る 。 二

 

』 の

次 に 、 「

住 大

」 が こ の 年 に

わ れ た 要 因 に つ い て 見 て い き た い 。                                         ( 24 ) 元 応 元 年 時 の 大 伝

院 座 主 は 、 仁 和

院 禅

で あ っ た 。 訴 訟 が 行 わ れ た

因 の 一 つ と し て 、 こ の 座 主 禅 助 の 一 596 N工工一Eleotronlo  Llbrary  

(9)

中世根来寺伽藍の成 立 (三好) 存 在 が あ る と

え る 。   ( 25 )   禅 助 は

源 通 成 の 息 で 、

長 二 年 ( ] 二 六 二 ) に 一 度 、 文

十 年

2

二 七 三 ) か ら 正 応 六

( 一 二 九 三 ) ま で                                               ( 26 ) の 間 に 一 度 と 、 既 に 大 伝

院 座 主 に 二 度 補 任 さ れ て お

、 永 仁 二

( 一 二 九 四 ) に は 東 寺 一 長 者 と な っ て い る 。 さ ら に 徳

三 年 ( 一 三 〇 八 ∀ 、 後

院 に 潅 頂 し 、 以 後 、

教 興 隆 政 策 を 積 極

に 推 し 進 め た

多 院 の

            ( 27 ) を 得 る 人 物 で あ る 。   文 保 元

( 一 三 一 七 ) 、 文 保 の 和

が 成 立 し 翌 二

二 八 ) 二

に は

醍 醐 天 皇 が 践 祚 、 後 宇

院 政 が 再 開 さ れ た 。 そ の た め で あ ろ

同 年 九

二 十 八 日 、

助 は 三

目 の 大 伝 法 院 座 主 に 補

さ れ る こ と と な る 。 そ し て 翌

の 元 応 元

六 月 一 日 に 、 『 根 来

書 』 が 大

院 方 に よ っ て

記 さ れ る の で

る 。 こ の こ と か ら 、 元 応 元

院 の

が 大 伝

院 座 主 に 還 補 さ れ た

後 で あ り 、 座 主 禅 助 の

威 を 頼 っ て 高 野 山 へ の 「

住 大 訴 」 が 大

法 院

に よ っ て な さ れ た と 考 え ら れ る 。 そ し て 、 そ の 具

と し て 『 根 来 要 書 』 が 作 成 さ れ た の で あ ろ

。   以 上 、

で は 、 大

法 院 方 の

野 山 離 山

識 を み る こ と に よ り 、 元 応 元

の 『

来 要

』 成 立

因 を

討 し て き た 。 弘

九 年 頃 に 大

法 院 方 勢

は 高 野 山 か ら 下 山 は し た が 、 し か し 、 十 四 世 紀

ば に 至 っ て も

来 の 地 へ

全 に 「 移 転 」 し た と い

識 は 無 く 、 あ く ま で

野 山

院 」 で あ り 、 高 野 山 こ そ が 本 山 で あ る と い

意 識 が 存

し 、

山 の 願 い を

い て い た 。 そ の た め 下 山 か ら 三 十 年 を

た 元 応 元

に お い て も 高 野 山 上 大

院 へ の 帰

を 訴 え 、

法 院 方 の

侶 に よ っ て 『

来 要

』 が

成 さ れ た の で あ る 。 根 来 寺 成 立 の 最 も 重 要 な

因 の 一 つ で あ る 根 来 の 地 へ の 「 移 転 」 に つ い て 『 根 来 要 書 』 に は 関 連 文

め ら れ て い な い が 、 こ れ は 本

「 移 転 」 と 言

識 が な か っ た た め と も 考

ら れ る 。

(10)

NII-Electronic Library Service 智山学報 第五十六輯

 

 

 

で は 、 十 四 世 紀 前 半 に お い て

法 院

は 高 野 山 を

全 に 離 山 、 ま た は 根 来 へ 移 転 し た と い

意 識 を 抱 い て い な か っ た 、 と い

こ と を 見 て き た 。

章 で は 、 そ の よ

な 意 識 の な か 、

伝 法 院 方 が い つ か ら

来 寺 と し て 、 こ の

来 の 地 に 本 格 的 に 仏

法 要 や 寺

織 等 の 整 備 を 開 始 し 、 大 伝 法 院 や

厳 院 な ど の 中 心 的 伽 藍 の 造

を 始 め て い っ た の か を

察 し て い き た い 。   ま

本 節 で は 、 高 野 山 下 山

の 仏

要 の

と 、

の 根 来 に お け る 発 展 に つ い て み て い

。  

の 大

法 院 方 下 山 以 前 に

来 の 地 で 行 わ れ て い た 仏

の 全 体 像 に つ い て は

ら か で は な い が 、

鑁 が 止 住 し た 円 明 寺 で の 伝 法 潅 頂 や 、 覚 鑁 の 荼 毘 処 で あ る

提 院 で の

講 ・ 尊 勝 陀 羅 尼 供 養 な ど 、 少 数 の 行

の み が 行 わ れ             ( 28 > て い た よ

で あ る 。   そ こ に 高 野 山 下 山 後 、 大 伝 法 院 方 は 新 た な 仏

を 加 え 始 め た 。 「

像 並 仏

知 識 文 」 ( 『 束 草 集 』 ) に は 、 「 是 非 以

之 勤 、

首 勝 宝 院 之 時 被 始 行 也 、

之 時 、 竪 義 ・

潅 頂 ・

法 、 三 箇 之 大 善

、 先

難 有 興 隆 之 貫 首 也 」 と あ り 、

首 勝 宝 院 の 時 に

・ 結 縁 潅 頂 ・ 不 断 行

の 三

の 大

が 始 め ら れ た と す る 。

首                       ( 29 ) 勝

院 は 仁 和 寺 勝

院 道 耀 で あ

政 大 臣 西 園 寺 実 氏 の

で 、 東

者 を 務 め 、 大

院 座 主 に は 永 仁 四 年                                          

 

 

 

 

  ( 30 ) ( . 二 九 六 ) か ら 正

( 一 三 〇 一 ) の あ い だ 補 せ ら れ て い た 。 こ の 三

の 大 善 根 の

ち 、

に 竪 義 に つ い て は 、 「 永 仁 七

貫 首

宝 院 道 耀 之

始 行 竪

十 一 月 二 十 六 日

元 正

云 云 、 竪

者 十 二 月 二 十 六 日

行 之 問

元 一

598

一 N工工一Eleotronlo  Llbrary  

(11)

中世根来寺伽藍の立 (三好)

行 也 」 ( 『 束 草 集 』 ) と 、 正

( 永 仁 七 年 ) の 始 行 が 記 さ れ て い る 。 正

か ら 始 め ら れ た 竪 義 と 、 結 縁 潅

・ 不 断

、 こ の 三 箇 の 仏

が 高 野 山 下 山 か ら 十 年 ほ ど し か

て い な い 永 仁 四 年 か ら 正

三 年 の 間 に 成 立 し た の で あ る 。   続 い て 応 長 元

( 一 三

) 、

に お い て

勝 仏

と 仏 具 こ の 二 つ の 新 造 が

さ れ 、

が 行 わ れ た ( 「 当 寺 尊 勝 像 并 仏 具 知 識 文 」 ) 。 従 来 こ の 時 に 造 像 さ れ た 尊

仏 頂 像 は 、 大

な ど 根 来

に お け る 中 心 的 本

、 も し く は

野 山 上

院 ( 大 日 如 来 ・ 金 剛 薩 堙 ・ 尊 勝 仏 頂 の 三 尊 が 本 尊 と し て 安 置 さ れ て い た ) か ら 移 し た

の                             ( 31 )

理 、 と

釈 さ れ る こ と が

っ た 。 し か し 果 た し て そ

で あ ろ

か 。  

野 山 上 大

院 の 三

に つ い て は 、 応 永 四

( 一 三 九 七 ) に 大

院 衆 徒

が 高 野 山 上 大

鐘 の 返 還                           〔 32 ) を

め た

院 衆 徒

に 、 「 離 於

野 建 立

寺 萩 胡 根 之 刻 、 三 尊 霊

併 一 口 之 梵 鐘 、 同

高 野 衆

、 無 理 令

留 之 問 、

意 」 と あ る 。 応 永 四

に お い て も

野 山 上 か ら 三

来 へ と 移

こ と が で き て い な か っ た

子 か ら 、 高 野

上 か ら 三

が 根 来 の 地 へ 来 る こ と は な か っ た と

え ら れ る 。 で は 応 長 元

に 造 ら れ た 尊

仏 頂 像 は 、

の た め の

で あ っ た の か 。   「

并 仏 具

識 文 」 に は 、 ま ず 、 「 金 剛 仏

某 敬 白

 

諸 衆

成 欲 遂 両

願 望 状 」 と し て 、 諸 衆 の 助 成 に よ っ て 二 つ の 願 い を

た い と し 、 「 大 神 宮 寺 不 断

、 非 往 代 之 勤 行 、 為 当 時 之 恵 業 、 雖 然 於 当 寺 、 長

之 行

、 連 日 相 続 之

、 独

此 行

者 歟 」 と 、 大 神

行 法 の み が 根 来 寺 に お け る 長 日 不

の 行 法 ・ 連 日

続 の 練 修 で あ る こ と を

調 す る 。 そ し て

勝 仏 頂 の 功

を 説

、 続 け て 「 就 中 此

者 鳥 羽 上

、 密 厳 聖 霊

念 尊 也 、 本 堂 三 尊 随 一 、 誠 有 深 意 歟 」 と し 尊 勝 仏 頂 は 鳥 羽 上 皇 の 本

で 覚

念 尊 、 高 野 山 上 大 伝

院 本

の 随 一 で

る と 述 べ 、 「

進 老

之 助 成 、 欲 造 尊 勝 之 形

」 「 是 一 」 と 、 老 若 の 助 成 を 勧

し て

勝 仏 頂 の

を 求 め 、 こ れ を 一 つ

の 願 い と

る 。

(12)

NII-Electronic Library Service 智山学報第五十六   次 に 、 「 密 厳

仏 具 者 聖 霊 在 世 之 付 物 、

家 末

之 重 宝 也 、 而 今 以 往 古 薫 修 之 重 宝 、 為 長 日 行 法 仏 具 」 「 不 如

新 仏 具 安 於 金

秘 古 付 物 納 宝 蔵 矣 」 「 是 二 」 と し 、

野 山 上

厳 院 で 使 わ れ て い た 仏 具 は

世 の 付 物 で

の 重 宝 で あ る の に 、 今 現

そ の 重 宝 を 長 日 不 断 行

の 仏 具 と し て

使

っ て い る た め 、

た に 仏 具 を 鋳 造 し 、 古 の

物 は 宝 蔵 へ 秘 す の が よ い と し て 、 こ れ を 二 つ 目 の 願 い と す る 。 そ の 結 果 、 「 無 程 勧 進 成 就 、 両 ケ 大 願 終

功 」

、 尊 勝 仏 頂 像 と 仏 具 の

造 を 成 し 遂 げ て い る 。                                                                                 ハ マ マ リ   そ し て 続 け て 、 こ の 大 神 宮

と は 「 此 行 法 元 於 神

東 廂 被 行 也 、 艮 角 間 壇 所

理 、 懸

荼 羅

也 」 と 記 さ れ て い る こ と か ら 、 も と は 神 宮 寺 の

廂 に お い て

曼 荼 羅 を

け て 行

仏 事 で あ っ た こ と が わ か る 。   こ れ ら の こ と か ら 、 応 長 元 年 に

進 ・ 造 像 さ れ た 尊 勝 仏 頂 像 は 、 高 野 山 上 大 伝 法

か ら 根 来 の 地 に 移 し た

頂 像 の 修 理 で も 、 根 来

大 伝 法 院 の

勝 仏 頂 像 の

造 で も な く 、 大 神 宮 寺 長 日 不 断

に 用 い る

羅 に か わ る 本

と し て の

た な 像 の 造 立 で あ っ た と 考 え ら れ る 。

宮 寺 は 、 覚 鑁 に よ っ て 建 立 さ れ た 、 弘

の 下 山 以 前 か ら

来 の 地 に 存

る 建

で あ る 。 ま た 不 断 行 法 は

に 見 た よ う に

主 仁

寺 勝 宝 院

耀

に よ っ て 始

さ れ た も の で あ る 。 よ っ て こ の 尊 勝 仏 頂 像 は 、 あ

ま で も 大 神

に お け る 仏

の た め の 本

で あ っ て 、 大 伝 法 院 の 本

で は な い 。 そ の た め こ の 造 像 を も っ て 、 根

寺 に お い て 中 心 的 な

教 施 設 の 造

や 仏 の 造 像 が

ま っ た と は い え な い 。 し か し 、 こ の 尊 勝 仏 頂 像 も 新 造 し た 仏 具 も 、 と も に 大

宮 寺 長 日 不 断 行 法 に 用 い る た め の も の で あ る こ と か ら こ の

期 、 根

の 地 に お け る 仏 事

要 の

備 に 力 を 入 れ

め た

子 を

う こ と が で き る 。   さ ら に こ の 尊 勝 仏 頂 の 造 像 に 際 し 、 「

名 字 造 籠 御

縁 」 む と も 記 さ れ て お り 、

に 応 じ た 人 々 の 交 名 を 像

に 籠 め 、 結 縁 を 行 っ て い る 。 大 伝 法 院

の 僧 侶 に よ る

進 活 動 に つ い て は 『

草 集 』 に 、 「

寿

院 鐘

識 文 」 「 紀 州 粟 村 一 郷 無 量 寿 院

識 文 」 「

州 弘 田 庄 龍 華

知 識 文 」 「 泉 州 大 井 庄 関 社

」 な ど が 収 録 さ れ て い る こ と か ら 周 辺

院 の 造 営 ・

造 の た め の 勧 進 活 動 や 結 縁

を 媒

と し て 、 同 時

、 在 地 と

600

一 N工工一Eleotronlo  Llbrary  

(13)

中世根来寺伽藍の立 (三好)

を 結 び 関 係 を

め て い っ た と

測 で き る 。   中

の 根

で は

出 の 三

の 仏

の 他 に も

の 仏

法 要 が

わ れ て い た 。 中 世 末

の 根

寺 に お          

 

 

 

 

                ( 33 ) け る

と そ の

に つ い て 記 し た 『 塵

』 を 見 て み る と 、 豊 臣 秀

に よ る

き 討 ち 直

の 根 来 寺 に お い て 、 菩

院 の

恩 講 、 下 院 の 春 ・

春 日

、 大 伝

院 の 春

、 御 社 ( 神 宮 寺 ) の 鎮 守 講 、 密 厳 院 ・

皇 院 ・ 五

の 法 華 八 講 、

性 院 ・ 惣 持 院 の 問 答 講 、 御 社 の 竪

、 な ど が 主 要 な 論

と し て

わ れ て い る こ と が わ か る 。   こ の 『 塵

』 に 記 さ れ た 論 義 の

ち い

つ か は 、 す で に 康

三 年 ( = 二 四 四 ) 十 月 の 「

恩 講 衆 進 貫

申 状 」 ( 『 束 草 集 』 ) に 「

年 二

百 日 大 会 、

秋 時 正

心 院 談

月 十 六 日

屋 社 問

講 、 十 一 月

十 ニ ケ 日 閏 月 三 日

講 、 同

下 院 八

本 願 上 人 報 恩

答 講 、

報 恩 円 明

論 匠 、 同 報 恩 十 二 月 中 十 七 ケ 日 菩 提 院 報 恩 講 、 同 十 六 日

竪 義 、 此 外

請 雨

等 祈

報 賽 之

論 、 悉 勤

之 」 と 記 述 さ れ 、

年 二

日 大

や 御 屋 社 鎮

講 な ど が

り 行 な わ れ て い る こ と が わ か る 。 ま た

応 三

( 一 三 五 二 ) の 「 当

円 明

識 文 」 に は 「 就

、 離 山 以

六 十 七 年 、 二

法 大 会 、

院 覚 皇 院

心 院

正 、

皇 院 菩 提 心 院 曼 荼 羅 供 、 十 月 十 四 日

縁 潅 頂 、

月 十 二 日 理 趣 三

紕 獸 、 十 一 月 十 二 日 論 匠 同 騨 、 十 二 月 十 二 日 佛 経 供 養 鯛 鑼 鰓 測 類 、 此

大 仏

、 一

之 」 と あ り 、 高 野 山 上 大

法 院 ・

厳 院 ・ 覚 皇 院 ・

提 心 院 で 行 わ れ て い た 仏

来 の 地 に

さ れ 、 円 明

に て 執 行 さ れ て い る 。 こ の 他 に も 「 清

金 剛 院 報

講 」 「 中 性 院 竪 義 」 「 十 二

十 二 日

聖 霊 御 仏

」 な ど が 行 わ れ て い た こ と が 『 束 草

』 か ら わ か る 。   こ の よ

に 、 最 盛 期 の

寺 で

わ れ て い た 論

や 、 そ の も と と な る で あ ろ

仏 事 が 、

で に 十 四 世 紀 初 頭 か ら

ば に か け て 、

に お い て

わ れ て い た

子 が 窺 え る 。   ま た 寺

に つ い て も 、 仏

備 と そ れ を

行 す る

僧 組 織 な ど の 整 備 は 一

の も の で あ ろ

か ら 、 同

(14)

NII-Electronic Library Service 智山学報第五

に 整 い つ つ あ っ た と 考 え ら れ る 。 こ の こ と は 、 応 長 元

は 「 寺 家 評 定 」 ( 「 当 寺 尊 勝 像 并 仏 具 知 識 文 」 ) に よ っ て 承

の 罪 科 が 決 め ら れ て い た り 、 観 応 元 年 に は

宿

老 の

合 に よ っ て 「 寺 家 法 式

」 ( 『 束 草 集 』 ) が

め ら れ 三 綱 と                                                                                           ( 34 )

等 の 職 の

望 に よ る 賄 賂 の 停 止 が 決 め ら れ て い た り 、 さ ら に 正 平 十 二

( 一 三 五 七 〉 に は 「

条 目 」 が 制                                                         ( 35 )

さ れ 、 客 僧 に 対 し て も 「 客 僧 置 文

」 が 定 め ら れ て い る こ と か ら も 推 測 で き る 。   以 上 か ら 、

来 寺 に お け る 仏 事 法 要 は 、 高 野 山 上 か ら 移 し た 仏 事 を 根 来 の 地 で 行

と と も に 、 新 た な 仏 事 を

る な ど し て 、 十 四 世

半 ば ま で に ほ ぼ 基 礎 が

さ れ た と い え る 。 ま た 、

内 の

も 同 時 期 に

い つ つ あ っ た と

え ら れ る 。 二

 

藍 の

 

節 で は 、

来 の 地 に お け る 仏

要 や 寺

の 拡 充 が 一 四 世 紀 半 ば ま で に 行 わ れ た こ と を み て き た 。 本 節 で は 、 高 野 山 下 山 後 の 根

の 地 に お け る 伽 藍 整

に つ い て

し て い く 。   も と も と 根

の 地 に は 豊 福

や 覚 鑁 に よ っ て

さ れ た 円 明

・ 神 宮

鑁 の

毘 所 で あ る 菩

な ど が 建 っ て い た 。 高 野 山 下 山 に と も な い 、 僧 侶 た ち が

む た め に も 仏

た め に も 必 要 で あ る 坊 院 が

成 立 し 、 『 束 草

』 に は 蓮 華 院 ・ 宝 積 院 ・ 花 王 院 ・ 弥 勒 院 ・

・ 仏

院 な ど 、 こ の ほ か に も 根

山 内 の 子 院 と

え ら れ る 院 名 が

数 あ ら わ れ る 。   し か し 『 朿

』 を 筆 記 し た 頼

が 延 慶 二 年 ( 一 三 〇 九 ∀ に 構 え た 小 亭 は ( 「 小 亭 記 」 『 束 草 集 』 ) 、 南 に 庭 が あ り 、 山 を 築 き 川 を 流 し 、 石 を 立 て 、

を 落 と し て は い る も の の 、 小

そ れ 自 体 は 「 東 西 一 丈 餘 、

北 二 間 半 、 其

比 燕 雀

」 と い う 小 さ な 建 物 で あ っ た 。 そ の

は 一 室 で あ り 、 南 を

客 の 座 と な し 、 西 南 に 仏 像 を 安 じ 東 北 に 資 具 を

め 、 北 に

を 置 き 西 に

を 構 え 東 の 机 に は

巻 ・ 書 籍 を

い て い る と い

よ う な 設 一

602

一 N工工一Eleotronlo  Llbrary  

(15)

中世 根 来寺伽 藍の 成立 (三好) え で あ っ た 。 こ の 小

が 当 時 の 一 般

な 坊 院 の 様 子 を 表 し て い る の で あ れ ば 、

頭 ま で 務 め た 頼

の 住 坊 で す ら こ の

度 の 規 模 で あ り 、 戦 国 期 に は 「

ら の

院 な り 屋

は 、 日 本 の 仏 僧 ( の 寺 院 ) の 中 、 き わ め て

金 に 包                                     ( 36V ま れ

華 な 点 に お い て 抜 群 に 優 れ て い る 」 と 記 さ れ て い る こ と に 比 べ る と 、 こ の 時 期 の

院 は 未 だ 小 規

な 建

で あ っ た と い え る 。   ま た 、 前 節 で 見 た よ

に 、

野 山 上 大 伝

院 や 密 厳 院 な ど か ら 移 し て き た 主 要 な 仏

が 、 観 応 三

( 一 三 五 二 ) 時

で 、 下 山 以 前 か ら 根 来 の 地 に あ っ た 円 明

わ れ て い る こ と か ら ( 「 当 寺 円 明 寺 知 識 文 」 ) 、 こ の 時 ま で に 大 伝 法

の 中 心 的 宗 教

設 が 「

来 寺 」 に 移 転 や 新 造 さ れ た と は 考 え ら れ な い 。 十 四 世 紀 半 ば 、 「

来 寺 大 伝 法 院 」 を

心 と す る 根 来 寺 伽 藍 の 整

は 未 だ 手 つ か

で あ っ た と い え る 。   で は 、 大 伝 法 院 方 の 中 心 的

造 物 で あ る 大

法 院 と 密 厳

が い つ か ら

来 の 地 に 建 立 さ れ は じ め た の で あ ろ

か 。 大

院 を 根 来 の 地 に 建 て る と い

こ と は 、

野 山 か ら 離 れ 、 実 質 的 な 自 立 を 成 し 遂 げ た と み な し う る と

え る 。 高 野 山 上 の 仏 事 を 根 来 に 移 せ た よ う に

や 人 は 移 動 す る こ と が で き る が 、

規 模 な 建 造 物 は そ う

単 に は い か な い 。 伽 藍 を 整 え る と い う こ と は 、 そ の 地 に

点 を

え る こ と に な る 。 既 に 整

さ れ つ つ あ っ た 仏 事

要 と

内 の 組

に 加 え 、 根 来 の 地 に お け る

院 な ど の 主 要 伽 藍 の 建 立 を も っ て 、 「 根 来

大 伝 法 院 」 を

心 と し た 根 来 寺 の

立 と い え よ

。  

鑁 の 住

で あ っ た

院 の 造 営 に つ い て

て い

。   大 須 真

蔵 『 地 鎮 祭 文

白 神 分 私

』 の 奥 書 に は 、 「 観 応 元

寅 五 月 二 十 一 日 、

厳 院 地 鎮 行 之

白 ( 37 ) 也 」 と あ

、 観 応 元 年 ( 一 三 五 〇 ) 五 月 二 十 一 日 に

院 の た め の 地 鎮 が 行 わ れ た こ と が わ か る 。 根 来 に お い て 密 厳

造 が 開 始 さ れ た と い え る 。 そ し て 二

応 三

に は 、 「 近 日 号 密 厳 院 新 造 道 場

功 、 依 之 密 厳 院 勤

」 ( 「 当 寺 円 明 寺 知 識 文 」 ) と

り 、 高 野 下 山 し て か ら 六 十

以 上 も 経 て 、 は じ め て

来 の 地 に 密 厳 院 が 建 立

(16)

NII-Electronic Library Service 智山学報第五 十 六 さ れ た の で あ る 。 そ の 際 、 円 明 寺 で 執 行 さ れ て い た 高 野 山 上 密

院 の 仏 事 が 、 こ の 新 造 さ れ た 密 厳 院 へ と 移 さ れ て い る ( 「 当 寺 円 明 寺 知 識 文 」 ) 。   次 に 大 伝 法 院 の 造 営 時 期 に つ い て で あ る 。   大 伝 法 院 の 建 立 年 に つ い て は

見 の 限

料 を 見 い 出 せ

、 明 ら か に し え な い 。 し か し 、 正 平 十 九

( 一 三 六                                                                 ( 38 ) 四 ) の 大 須

蔵 『 護 摩 聞

に は 「

来 寺 伝 法 院 之 内 小 谷 」 、 貞 治 五

( 正 平 二 十 一 年 ) の 同

                                                      ( 39V 『 十 住 心

毛 抄 』 の 奥 書 に は 「

根 来

伝 法 院 別 院

室 院 宿 坊 」 と 記 さ れ て い る 。

来 の 地 に

院 が 存 在 し て い な け れ ば 「

来 寺 伝

院 」 と い う

現 を す る と は

え ら れ な い 。 こ の た め 、 正 平 十 九

ま で に は

に ( 大 )

法 院 が 建 立 さ れ て い た と い え る 。 ま た 前 述 の よ

に 、

応 三

点 で 高 野 山 上

伝 法 院 の 二

会 が 円 明 寺 で 行 わ れ て い る こ と か ら

大 伝

院 は 観 応 三

か ら 正 平 十 九

ま で の 十

間 に

造 さ れ た と

え ら れ る 。   以 上 の こ と を ふ ま え 、 高 野 山 下 山 以 降 の 根 来 の 地 に お け る 建 築

の 建 立

や 仏

の 造 像 年 を 並 べ て み る と 、 弘

九 年

 

( 一 二 八 六 ∀ 観 応 元 年

 

( 一 三 五

Q

∀ 観 応 三 年   ( = 二 五 二 ) 正 平 十 年   ( = 二 五 五 ) 正 平 十 六

2

三 六 こ 正 平 十 九

( 一 三 六 四 ) 嘉 慶 元 年

 

( = 二 八 七 ) 明 徳 二 年

 

( = 二 九 こ 応 永 四 年   二 三 九 七 ) こ の 頃 高 野 山 離 山 密 厳 院 地

、 建 立 開 始 密 厳 院 完 成 菩 提 院 拝 殿 拡 大 の た め の

進 開 始 菩 提 院 拝 殿

成 こ の 頃 ま で に 根 来

大 伝

完 成 こ の 頃 か ら

伝 法 堂 三 尊 造 立 開 始 御 影 堂 ・ 弘

大 師

完 成 大 伝

堂 三

成 ( 『 地 鎮 際 文 并 表 自 神 分 私 記 』 奥 書 )                   ( 『 束 草 集 』 )                   ( 『 束 草 集 』 )                   ( 『 束 草 集 』 )             ( 『 護 摩 聞 書 』 奥 書 )                         ( 40 )               ( 金 剛 薩 唾 像 内 銘 )                         ( 41 ) ( 弘 法 大 師 像 内 木 札 ・ 貼 紙 墨 書 銘 )         ( 大 伝 法 院 衆 徒 等 言 上 案 ) 一

604

一 N工工一Eleotronlo  Llbrary  

(17)

中世根来寺伽藍の成立 (三好)                                                                                   ( 42 >     応

十 一

( 一 四 〇 四 )

 

堂 三

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大 日 如 来 像 内 銘 ・ 金 剛 薩 堙 像 内 銘 )     応

十 二

( 一 四 〇 五 )

 

堂 三

、 開 眼

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

( 金 剛 薩 堙 像 内 銘 )     正

二 年

 

二 四 二 九 )

 

大 塔

立 開

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

( 『 国 宝 大 伝 法 院 多 宝 塔 修 理 工 事 報 告 書 』 ) と い う よ

に 、 十 四 世 紀

ば 以 降 、 立 て 続 け に 中 心 的 伽 藍 の 造

、 本 尊 の 造 像 が

わ れ て い る こ と が み て と れ る 。   こ の 時

は 、 『 大 疏 百

三 重 』 や 『

百 条

三 重 』 な ど を 著 し 、 大 伝

院 学 頭 に も な っ た 新

教 学 の 大 成

                                                            ( 43 ) と さ れ る 中

四 世 聖 憲 ( 一 三 〇 七 〜 一 三 九 二 ) の 活 動

期 と 一

る 。 聖

が 伽 藍 整

の 中 心 人 物 で あ っ た

性 が

え ら れ る 。 こ の こ と は 、 成 立

不 明 の

と み な し

る 、 応 安 四

( 一 三 七 ] ) の 年 紀 を 持 つ

性 院 聖

                  ( 44 ) 差 出

来 寺

工 職 補 任 状 が 生 み 出 さ れ た こ と か ら も

え る 。 従 来 か ら 、 聖

の 活 動

と 大

堂 三 尊 の 造 像

が 一

る こ と よ り 、 三

造 像 に お け る 聖 憲 の 関

が 推 測 さ れ て い る が 、 こ こ で は 、 三

造 像 に 加 え 、 伽 藍

般 に わ た る 聖 憲 の 尽 力 を 想 定 し た い 。   で は 、 何

十 四 世 紀

か ら

伽 藍 の 大 造

が 始 ま っ た の で あ ろ

か 。  

章 で 見 た よ う に 、

は 高 野 山 へ の 帰

を 望 み 、 元 応 元 年 ( 一 三 ] 九 ) 『

要 書 』 を

成 し 訴 え た 。 し か し 、 正 中 元

( 一 三 二 四 ) に

上 皇 が 、 元 徳 二

( 一 三 三 〇 ) に は 禅 助 が 没 し 、 さ ら に 元 弘 三

( 一 三 三 三 ) に は 建

政 を

始 し た 後 醍 醐 天 皇 の

入 れ に よ っ て

院 方 の 所

部 分 が 金

わ れ る ( コ 兀 弘 勅 裁 」 ) な ど の

態 が 続 き 、 結 果 的 に

野 山 へ の

山 は か な わ な か っ た 。   そ の よ

な 中 、 十 三 世

か ら 根 来 に お け る 仏

要 を

え る と と

に 、 周 辺 地 域 の

配 を 強 化 し た こ と や 、

三 年 ( 一 三 三 六 ) に

法 院 座 主 が 足 利 尊 氏 の

持 僧 で あ る 三 宝 院

俊 と な っ た こ と 、 さ ら に

応 元

( 一 三 五 〇 ) に は 座 主 職 が 三 宝

と な っ た こ と 、 建 武 四

( 一 三 三 七 ) に 足 利 尊 氏 に よ っ て 和 泉 国 信 達 荘 の 寄

け 新 た な 経

的 基 盤 を 獲

し た こ と 、 な ど に よ っ て 、 こ の 根 来 の 地 に 一 四 世

半 ば か ら 、

心 的 伽 藍 を 本 格

に 造

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一高 龍司 主な担当科目 現 職 税法.

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高村 ゆかり 名古屋大学大学院環境学研究科 教授 寺島 紘士 笹川平和財団 海洋政策研究所長 西本 健太郎 東北大学大学院法学研究科 准教授 三浦 大介 神奈川大学 法学部長.

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