明
治
以
降
野
峯
高
僧
傳
水
原
発
榮
四 面 高 峻 人 躍 膜 絶 ち た る 飴 藏 の 峯 の 中 に は 金 剛 の 塔 餐 え、 金 剛 の 塔 の 内 に は 爾 部 の 諸 奪 不 二 を 示 し て 日 本 精 紳 の 表 徴 と な も、 指 導 原 理 を 啓 示 せ る 眞 言 密 教 の 根 本 道 場 と し て、 開 山 以 來 一 千 百 除 年 の 歴 史 を 有 す る 高 野 両 も、 隆 替 興 亡 幾 春 秋、 彼 理 提 督 浦 賀 濁 頭 に 黒 船 を 浄 べ て 通 商 互 市 の 交 渉 に 泰 不 の 夢 破 れ、 物 情 騒 然 天 下 憂 動 し て、 王 政 復 古 庶 政 御 維 新 の 御 代 と な り し 未 曾 有 の 鍵 革 に、 山 上 も 鯨 波 を 蒙 り 開 山 以 來 の 攣 動 が 思 は ざ る 金 剛 峯 寺 復 興 の 因 と な つ た の も 奇 し き 縁 と い は ね ば な ら ね。 い ふ と こ ろ の 山 上 の 鍵 革 と は、 慶 慮 三 年、 鷲 尾 侍 從 諸 藩 の 侍 士 数 百 人 を 引 峯 し て 登 山 せ る に 端 を 登 し、 同 年 二 月 二 十 三 日、 學 侶 行 人 聖 三 派 の 諸 帳 簿 記 録 類 一 切 の 引 渡 と な り、 同 四 年 三 月 一 日、 興 山 寺 に て 南 光 坊 隠 居 宥 智 一 山 寺 務 総 職 を 拝 戴、 九 月 青 山品 寺 を 以 て 金 剛 峯 寺 と 改 構、 明 治 四 年 四 月 大 徳 院 ・青 山品 寺 ・ 興 山 寺 の 三 ヶ 寺 磨 止 の 令 と 共 に、 學 ・ 行 ・ 聖 三 派 々 號 壌 止 一 山 協 和 の 事 と な り、 四 月 二 十 六 日 に は 宥 智 明 光 院、 引 退、 聖 方 大 徳 院 を 以 て 一 山 講 學 所、 興 山 寺 を 以 て 総 宰 臆 と し て 一 山 の 役 所 と な し、 明 治 二 年 四 月 二 十 入 日 よ り 光 輪 院 明 範 定 光 院 前 官 (宥 明) 金 剛 三 昧 院 前 官 (宥 明) 三 役 と だ り て 一 山 を 支 明 治 以 降 野 峯 高 僧 傳 二 二 七明 治 以 降 野 峯 高、 侮 傳 二 二 八 配、 明 治 三 年 三 月 三 H、 二 萬 千 石 の 御 朱 印 ぱ 屡 せ ら れ て 経 濟 的 に は 全 く 行 き 詰 り の 状 態 と な つ た の で あ る 。 (光 輪 院 知 事 過 去 帳、 金 剛 三 昧 院 藏 滲 照) ヒ ロ 斯 る 希 代 の 墾 革 に、 僧 侶 の 蹄 俗 す る も の 績 出 し て 法 城 を 護 る も の な く、 弘 法 大 師 雲 廟 は 其 筋 よ り 弘 ノ リ 法 大 明 神 と し て 祭 祀 を 強 ゆ ら る、 あ り、 寺 門 の 荒 頽 そ の 極 に 達 し て 鯛 目 皆 非、 秘 密 の 壇 上 は 磨 嘘 と 同 然、 法 門 の 紹 隆 は 望 ま れ ざ る か と あ や ぶ ま れ る 悲 惨 事 を 現 出 し た の で あ る。 加 之 祝 融 子 の 災 に 罹 る こ と 屡、 に て 一 膚 の 什 寳 文 献 等 荻 儘 に 露. せ る も の 幾 許 な る か を 知 ら す、 つぐ の 尤 も 悲 惨 荒 涼 た る も の あ り し は 明 治 二 十 一 年 奮 二 月 十 一 十 二 爾 日 に 亘 り て の 一 心 院 ・ 五 之 室 ・ 千 手 院 ・ 往 生 院 ・ 南 谷 各 院 の 大 火 で あ つ た。 こ れ よ り さ き 明 治 三 年 四 月 西 院 谷 如 意 輪 寺 火 に 罹 る あ り、 同 年 冬 南 谷 南 院 の 焼 失 あ り、 明 治 十 二 年 奮 十 一 月 十 五 日 夜 に は、 千 手 院 谷 寂 静 院 (A、 の 小 田 原 天 神 肚 境 内) よ り 失 火、 金 剛 頂 院 (今 の 普 賢 院 前 町 家 の 庭) 普 賢 院 の 三 ケ 院 の 焼 失 あ り、 明 治 十 五 年 中 門 前 自 性 院 よ り 失 火 大 聖 院 ニ ケ 院 の 焼 失 あ り、 再 建 未 だ 成 就 せ ざ る う ち に、 谷 上 蓮 金 院 の 焼 失 あ り。 明 治 十 七 年 の 春 を 迎 へ て、 弘 法 大 師 一 千 五 十 年 の 御 忌 を 奉 修 せ る も、 世 情 不 況 の 飴 波 を 蒙 り て 渤 募 意 の 如 く な ら す、 伽 藍 壇 上 堂 塔 の 結 構 整 は す、 天 保 四 年 焼 失 の 根 本 大 塔 造 管、 斯 の 機 を 秩 し て ぱ 成 就 畳 束 な し と、 十 方 の 檀 信 に 傲 し て 勧 募 是 れ 筋 め 皆 入 遍 照 金 剛 の 教 風 宣 揚 に 死 力 を 鑑 し た る も 数 果 墨 ら す、 伽 藍 壇 上 に 大 塔 の 礎 石 の み 雨 露 に 晒 さ れ て、 参 詣 の 善 男 善 女 を し て 世 の 非 情 を 卿 た し め つ、 あ り し 秋 も 時、 斯 の 大 火 に 罹 り て は 愈 々 末 法 澆 季 を 思 は し め
た の で あ る 。 奮 二 月 十 ﹁ 日 正 午 比 } 心 院 南 院 よ り 失 火、 無 量 光 院 ・ 上 藏 院 ・ 高 粗 院 ・ 本 王 院 ・ 圓 満 院 ・ 康 徳 院 ・ 普 門 院 ・ 常 住 院 ・ 正 塔 院 ・ 一 乗 院 ・ 和 合 院 ・ 束 室 院・ 光 輪 院 ・ 六 町 院 ・ 愛 染 院・ 嘱 智 院 ・ 如 意 輪 寺 ・ 蓮 花 院 ・ 金 藏 院 ・ 寳 積 院 ・ 安 養 院 ・ 正 畳 院 ・ 巴 陵 院 ・ 悉 地 院 ・ 高 室 院 ・ 本 豊 院 ・ 報 恩 院 ・ 西 方 院 ・ 普 賢 院 ・ 定 光 院 ・ 明 泉 院 ・ 興 山 寺 ・ 安 樂 院 の 三 十 四 箇 院、 十 二 日 に は 蓮 花 谷 恵 光 院 暇 本 堂 よ り 失 火・ 恵 光 院 ・光 明 院 ・ 五 大 院 ・ 熊 谷 寺 ・ 東 根 院 ・ 蓮 華 三 昧 院 ・ 岩 本 院 ・ 成 就 院 ・ 大 明 王 院 ・ 千 藏 院 ・ 萬 藏 院 ・ 増 輻 院 ・ 東 之 坊 ・ 角 之 坊 ・ 奥 之 坊 ・ 北 之 坊 の 十 六 箇 院、 都 合 五 十 箇 院、 町 家 爾 日 蔓 旦 り て 百 二 三 十 軒 と い ふ 希 有 の 大 火 に、 山 上 の 過 宇 は 嶢 野 ケ 原 と 化 し て 磨 嘘 と な り、 莞 草 寒 煙 境 域 を 閉 し、 狐 伏 験 栖、 法 燈 將 に 滅 し な ん と す る 光 景 を 呈 し た の で あ る。 斯 の 希 有。 の 災 厄 に 堂 塔 院 宇 五 十 の 焼 失 は、 珍 什 希 籍 諸 有 の 文 化 的 資 料 を 烏 有 に 鶴 せ し め し に も 拘 ら す、 引 き 績 き 明 治 末 年 に は、 谷 上 長 旛 院 ・ 南 谷 徳 善 院 ・ 千 手 院 谷 龍 泉 院 の 焼 失 あ り、 大 正 九 年 に は 恵 光 院 ・ 大 正 十 二 年 に は 西 谷 敏 學 院 ・ 清 浄 心 院 谷 寳 善 院 ・ 同 大 圓 院 ・ 谷 上 正 智 院 の 焼 失 あ り、 昭 和 元 年 に は 伽 藍 壇 上、 金 堂 ・ 孔 雀 堂 ・ 六 角 経 藏 ・ 納 経 所 の 焼 失 あ り て 災 害 の 糟 出 は、 さ な く と も 明 治 以 來 山 上 各 院 は、 経 濟 的 機 構 組 織 の 崩 潰 に よ り て 珍 什 希 籍 を 日 常 生 計 の 資 糧 の 代 と し て、 二 束 三 文 に 醤 ぎ て 散 秩 し つ、 あ る に 鳩 て、 加 へ て 回 祓 の 災 厄 綾 出 し、 各 院 に 於 け る 資 料 が 浬 滅 に 蹄 し て、 現 今 徴 す べ き 史 料 の 残 存 す る も の 鮮 少 な る は 文 化 開 明 の 聖 代 に 於 け る 山 上 の 痛 恨 事 で あ る.) 明 治 以 降 野 峯 高 俗 傳 二 二 九
明 治 以 降 野 峯 高 侮 傳 二 三 〇 明 治 維 新 て ふ 希 代 の 攣 革 に 逢 ひ て、 山 僧 が そ の 居 住 に す ら 迷 ひ て の 周 章 狼 狽 さ は、 山 史 上 の 根 基 た る 弘 法 大 師 よ り 以 來 嫡 々 相 承 せ る 山 主、 次 纂 の、 槍 校 帳 も 総 本 山 金 剛 峯 寺 に、 明 治 以 來 槍 校 法 印 六 十 名 を 算 す る も 略 傳 す ら 整 は す、 十 巻 本 槍 稜 帳 築 十 巻 は 室 し く 白 紙 の 儘 に、 紙 魚 の た は む る に 委 せ て 又 顧 み る も の も な し、 ま し て や 昨 日 今 日 の 歴 史 を さ へ 記 録 せ る 文 書 記 録 の 備 へ 更 に な し、 金 剛 峯 寺 が 既 に 如 是、 ま し て や 経 濟 的 に 困 窮 せ る 各 院 に 於 て は、 先 師 代 々 の 過 去 帳 に 傳 記 す ら 略 載 せ ら れ す、 甚 だ し き に 至 つ て は、 先 師 遷 化 の 年 月 日 す ら 過 去 名 簿 に 記 さ れ ざ る あ さ ま し さ に、 (住 職 交 替 甚 だ し く 師 資 相 稟 で な く 種 々 の 事 情 に よ る な ら ん も) 山 僧 が 文 化 問 題 に 關 し、 如 何 に 無 頓 着 な る か を 如 實 に 物 語 つ て ゐ る も の で あ る 。 如 是 現 状 ゆ へ、 明 治 以 降 の 住 傳 を 編 す る 又 容 易 の 業 で は な い。 予 ぱ 鐸 徐 の 閑、 金 剛 峯 寺 を 始 め 各 院 に つ き て 尋 討 索 訪 こ れ 努 め、 或 は 古 老 に 聴 き、 又 は 諸 書 よ り 散 見 し て 得 た る 乏 し き 見 聞 に 依 り、 検 校 六 十 名 の 上 に、 我 が 山 と し て 股 録 し う る 名 僧 四 十 員 を 計 必、 合 計 百 檜 と な し、 之 を 野 峯 高 僧 傳 (明 治 以 降) と し て 世 に 紹 介 せ ん と す る も の で あ る。 (密 引教 研 究 誌 上 與 へ ら れ 瘡 ろ 紙 侃銀 局 り あ り、 依 つ て、 明 治 以 降 槍 校 次 第 系 譜 と 四 五 の 欝 傳 か 記 し 歪 る に す ぎ ぬ、 何 れ も 草 藁 で 他 日 改 訂 補 正 の 考 へ で あ る。 )
義
塞
二 四 六 〇 二 五 二 八義 塞 和 尚 字 は ミ 等 房、 紀 伊 國 海 士 郡 日 方 浦 に 寛 政 十 二 年 を 以 て 生 れ た。 俗 姓 は 畑 出 氏、 文 化 五 年 多、 九 歳 に し て 登 山、 同 六 年 畳 道 法 印 を 戒 師 に 仰 ぎ 薙 染 し て 郎 日 } 乗 院 に 入 室、 義 天 師 に 師 事 し て 勉 學 す る と こ ろ が あ つ た。 後 ち 大 善 院 に 住 し て 寺 役 た る 學 衆 を 順 次 に 勤 修 し つ、 事 教 二 相 の 4ひ縄 奥 を 究 め た の で あ る。 安 政 六 年 清 拠 の 附 囑 を 受 け て 一 乗 院 に 移 り 榮 泉 院 を も 兼 ね た。 慶 癒 三 年 十 一 月 萬 次 に 任 せ て 寺 務 槍 校 執 行 法 印 に 晋 ん だ、 同 年 十 二 月 十 二 日 鷲 尾 侍 從 諸 藩 士 数 百 人 を 引 率 登 山、 行 人 方 幅 生 院 に 入 り、 翌 日 使 を 以 て 故 有 り 來 山 せ る 所 以 を 尋 問 せ ら れ た。 癒 接 詑 つ て 宿 坊 を 金 光 院 に 韓 じ て 本 陣 と 爲 し、 又 使 者 某 等 三 人 年 預 坊 に 來 り、 御 維 新 の 形 勢 は 南 方 鎭 撫 の 内 命 の 旨 を 蒙 つ て 來 山 せ る こ と を 演 述 し た の で あ る。 同 四 年 正 月 三 日 城 洲 伏 見 に 於 て 兵 端 の 事 を 開 く あ り、 六 日 大 坂 落 城、 二 月 二 十 三 日 天 下 昌 李 萬 民 安 堵 御 所 念 の 給 旨 を 寺 務 青 巖 寺 衆 徒 中 に 賜 ひ し を、 逼 照 光 院 澄 辮 奉 載 守 護 し て 本 山 に 鶴 着 し、 二 月 二 十 入 日 よ り 三 月 十 九 日 に 至 る 三 七 箇 日 間、 書 夜 仁 王 大 會 を 御 願 堂 に て 不 断 修 行 の 導 師 を 勤 修 し て ゐ る。 然 る に 會、 行 人 の 衆 徒 好 計 を 以 て 朝 吏 を 欺 き、 一 山 寺 務 総 職 を 興 山 寺 に せ ん こ と を 願 ひ、 途 に 四 月 九 日 勅 語 を 奉 戴 し て 山 に 登 る に 及 び、 閨 衆 驚 愕 曉 嘆 法 滅 目 前 に 在 り と 叫 び、 忽 ち に 明 王 院 大 樂 院 雨 寳 院 等 総 代 と 爲 つ て 大 政 官 に 訴 必、 上 は 朝 恩 に 報 ひ、 法 燈 を 龍 徳 三 曾 の 曉 に 挑 げ ん と、 闊 衆 不 惜 身 命 の 思 ひ に 住 し て、 諸 尊 の 秘 法 を 修 し 佛 天 の 本 誓 に 鎚 る。 妓 験 慧 み あ り、 九 月 十 九 日 三 派 の 名 字 を 壌 し、 學 侶 の 定 則 を 守 り 青 巖 寺 の 號 を 易 へ て、 金 剛 峯 寺 の 奮 號 に 復 し、 一 山 寺 務 総 職 を 改 め 明 治 以 降 野 峯 高 曾 傳 二 三一
明 治 以 降 野 峯 高 僧 傳 二 三 二 て 當 住 に 委 任 す る の 勅 詔 を 賜 ふ た の で あ る。 総 代 櫻 池 院 大 樂 院 法 明 院 雨 寳 院 奉 戴 守 護 し て 金 剛 峯 寺 に 蹄 着 し た の で、 山 徒 は 三 寳 の 盤 戚 室 し か ら ざ る を 喜 ん だ の で あ る。 期 年 の 問 天 下 の 墾 動 一 山 の 古 復 再 三 勅 詔 を 賜 ひ し も 希 代 禾 曾 有 の 大 攣 革 却 つ て 金 剛 峯 寺 の 復 興 と な つ た も の で あ る。 嘉 永 二 年 春 に は 中 院 増 慮 師 を 請 じ て 卒 等 院 の 遭 場 に 庭 儀 の 密 灌 に 入 り、 法 印 昇 供 の 朝 よ り 退 職 の 夕 べ に 至 る 間 眞 俗 の 事 鞍 掌 せ ざ る な き 有 様 で あ つ た。 明 治 元 年 十 一 月 初 め 病 に 罹 り し も 出 仕 を 闘 さ す、 同 二 十 二 日 奄 然 と し て 閉 眼 滅 を 取 つ た、 壽 七 十 一 歳。 義 室 前 官 は、 我 が 山、 明 治 初 頭 の 法 印 で 御 維 新 の 墾 革 の 籐 波 を 蒙 り、 三 派 々 號 の 磨 止、 一 山 の 融 合 協 和、 山 僧 庶 政 一 新 の 未 曾 有 の 攣 革 に 庭 し て 心 身 を 勢 せ ら れ、 能 く 山 上 面 目 の 保 持 に 努 め ら れ た る 功 績 は 没 す る 能 は ざ る と こ ろ で あ る。 (十 巻 本 検 校 帳 巻 九)
○
宥
明
二 四 七 〇 二 五 四 三 宥 明 字 は 慈 性 房、 讃 岐 國 豊 田 郡 姫 濱 に 文 化 七 年 を 以 て 生 る。 俗 姓 は 合 田 氏、 年 甫 め 十 歳 に し て 同 郷 満 願 寺 宥 寂 阿 闇 梨 の 室 に 入 つ て 剃 髪 染 衣、 十 五 歳 に し て 高 野 山 に 登 り 金 剛 三 昧 院 に 入 衆、 十 有 八 歳 に し て 持 寳 院 等 賢 阿 闊 梨 の 遺 託 に よ つ て 彼 の 院 に 移 住、 以 來 最 勝 勘 學 の 會 場 序 を 追 つ て 修 學 昇 進、 圓 通 寺 隆 鎭 和 省 よ り 小 野 の 精 華 を 摘 み、 廠 澤 の 淵 底 を 捜 り、 天 保 四 年 増 琢 遮 梨 の 付 囑 に 遇 ふ て 彌 勒 院 に 徒 り、弘 化 こ 年 資 城 院 道 場 に 於 て 庭 儀 灌 頂 に 入 壇 受 法、. 嘉 永 四 年 金 剛 三 昧 院 に 住 し、 安 政 二 年 集 議 席 に 進 み 一 次 で 碩 學 に 擢 ん で ら れ た の で あ る。 萬 延 元 年 春 寳 性 院 門 首 海 雄、 事 に 座 し て 蓮 金 院 に 遜 く 壽 門 士 増 癒 兼 職 六 旬、 寳 性 院 を 督 す る あ り。 明 治 元 年 冬 義 室 前 官 に 替 つ て 金 剛 峯 寺 槍 稜 に 補 せ ら れ、 治 山 三 年 に 及 ん だ。 明 治 十 四 年 一 月 二 十 日 金 剛 三 昧 院 に 還 り て 寂 す、 世 壽 七 十 有 二 歳。 (十 巷 本 検 校 帳 第 九、 折 負 輯、 金 剛 三 昧 院 過 去 帳)
○
研
暢
二 四 五 九 二 五 三 五 研 暢 字 は 巖 亮 房、 俗 姓 は 前 谷 氏 伊 豫 國 宇 摩 郡 三 島 の 人、 寛 政 十 一 年 に 生 る。 性 頴 敏 澹 泊 超 凡、 幼 に し て 南 山 に 墓 踏 し、 寺 務 法 印 唯 仁 和 術 に 師 事 す、 和 爾 一 見 し て、 其 聰 明 絶 倫 な る を 奇 し み、 鐘 愛 最 も 深 く 依 て 以 て 侍 董 と 爲 す、 正 月 三 日 の 門 徒 に 出 仕 し て 薙 染 し、 唯 圓 遮 梨 に 随 つ て 四 度 加 行 を 修 し、 爾 部 灌 頂 に 入 壇 す、 孜 々 と し て 雌 勉、 灘 徐 に は 外 典 の 英 華 を 摘 み、 傍 ら 詩 文 和 歌 を 愛 し、 後 ち 唯 仁 唯 圓 快 般 の 三 哲 に 随 つ て 寒 暑 倦 ま す、 事 相 の 衆 流 を 酌 み、 敏 義 の 論 鼓 を 叩 き、 特 に 南 山 の 學 風 を 實 践 し て 後 進 の 誘 導 に 協 め た の で あ る。 青 雲 僥 永 壽 院 知 足 院 慈 光 院 心 王 院 南 院 の 六 刹 に 各 一 代 と し て、 維 持 保 存 に 努 カ す る あ り し が 明 治 三 年 冬 南 院 一 宇 罹 災 烏 有 に 蹄 せ し め た 時 に、 菩 提 親 だ る 河 内 國 天 見 村 相 宅 家 へ 封 し て 實 に 相 濟 ま ぬ と い ふ 意 味 の 書 簡 を 寄 せ て ゐ る と の こ と で あ る。 明 治 四 年 寺 務 槍 校 に 昇 供、 明 治 以 降 野 峯 高 曾 傳 二 三 三明 治 以 降 野 峯 高 檜 傳 二 三 四 次 で 金 剛 峯 寺 住 職 と な つ た。 同 年 四 月 二 十 入 日 椹 少 教 正 に 補 せ ら れ、 同 十 月 十 入 日 樺 大 教 正 に 補 せ ら れ、 本 宗 管 長 に 昇 縛 し 亜 で 大 教 正 と な つ た。 入 年 奮 入 月 七 日 焚 香 静 座 結 縛 諦 究 し て 圓 寂、 時 に 春 秋 七 十 七。 南 院 は 明 治 二 十 一 年 叉 々 罹 災 し て 何 等 徴 す べ さ、、 文 獄 な く、 其 の 上 に 同 院 は 範 近 住 職 の 遷 化 交 替 頻 繁 な る た め と、 師 資 相 承 の 血 賑 に あ ら ざ る と に 依 り、 先 師 の 事 蹟 を 傳 聞 す る に 由 な く、 漸 く、 研 暢 和 術 の 菩 提 親 た り し と い ふ 大 阪 府 南 河 内 郡 天 見 村 相 宅 宰 藏 氏 よ り の 傳 聞 と、 槍 校 帳 十 憲 本 第 十 巻 に よ り て こ の 傳 を 綴 つ た も の で あ る 。
○
宥
永
二 四 六 四 二 五 四 三宥
永
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命 に 依. り て 碩 學 に 擢 ん で ら れ、 明 治 六 年 ミ 月 大 講 義 に 補 せ ら れ、 入 年 三 月 寺 務 職 に 昇 進 同 年 十 二 月 槽 少 毅 正、 岡 十 一 年 一 月 寳 裡 陽 門 主 に 韓 住、 十 三 年 中 毅 正 に、 伺 年 五 月 門 主. を 僻 し て 清 浄 心 院 に 蹄 住、 十 六 年 一 月 六 口 風 疾 に 罹 り て 匙 居 常 な ら す、 同 十 目 安 然 と し て 化 す、 時 に 世 壽 入 十 一、 法 強 七 十。 中 敏 正、 性 嚴 正 實 直 に し て、 人 に 交 る 貴 賎 茸 卑 を 問 は す、 又 巧 言 を 交 A、 す、 世 輿 を 甘 せ す、 專 ら 事 教 の 深 意 を 樂 欲 し、 志 學 よ り 知 命 に 至 る ま で 倦 ま す 僥 ま す し て、 快 般 隆 鎭 培 琢 の 諸 明 匠 に 随 つ て、 野 澤 の 諸 流 並 に 神 遊 の 悪 奥 を 究 濫 し、 後 進 の 爲 に 事 教 及 び 論 通 を 教 育 誘 導 せ る 者、 幾 何 な る か そ の 敷 を 知 ら す、 閣 山 の 推 重 を 見 た も の で あ つ た。 (清 浄 心 院 々 講、 検 校 権 十 巻 本 第 十)
○
榮
嚴
二 四 七 四. 二 五 六 〇 榮 嚴 大 和 爾、 誰 ぱ 泰 圓 天 察 又 は 一 不 遣 人 と 號 す、 兵 庫 縣 淡 路 國 津 名 郡 相 河 村 の 人、 姓 は 上 撫 氏 母 は 藍 氏 文 化 十 一 年 甲 戌 正 月 三 日 誕 生、 幼 に し て 出 塵 の 志 あ る も 悲 母、 聴 か す、 慈 父 そ の 意 の 強 き を 視 て 敢 て 拒 ま す、 途 に 年 甫 め 十 二 青 蓮 寺 教 榮 の 室 に 入 つ て 薙 染、 文 政 十 丁 亥 年 十 入 道 及 金 胎 爾 部 乃 至 護 摩 加 行 を 三 百 有 籐 日 に 一旦 り 修 行 し て 成 満 す、 交 政 十 一 年 戌 子 年 二 十 三 歳 の 春 高 野 山 に 登 り 西 南 院 隆 快 上 綱 に 從 つ て 爾 部 の 灌 頂 を う く、 二 十 九 歳 の 天 保 甲 午 五 年 高 野 山 に 交 衆 し て、 義. 學 の 研 鐙 に 年 あ り、 後 郷 里 に 蹄 も 天 保 戊 戊 九 歳 の 夏、 殺 榮 和 上 の 跡 を 織 で 青 蓮 寺 に 住 持 た 6 し も 幾 何 な ら す し て 青 蓮 寺 を 僻 し て 明 治 以 降 野 峯 高 俗 傳 二 三 五明 治 以 降 野 峯 高 曾 傳 二 三 六 高 野 山 に 登 り、 眞 別 庭 隆 鎭 大 和 爾 に 師 事 し、 毎 に 阿 字 観 に 耽 り、 野 澤 十 二 流 七 十 鯨 方 の 悪 奥 一 と し て 究 馨 せ ざ る な し、 文 久 壬 戌 夏 眞 別 庭 律 藏 院 の 梵 席 を 董 督 し て 信 堂 を 建 て、 毎 年 衆 僧 を し て 結 夏 安 居 せ し め 傍 ら 律 部 の 講 辮 に 口助 め た の で あ る。 於 是 乎 律 風 大 に 興 り 具 足 戒 を 受 く る も の 一 千 有 除 人 求 寂 戒 を う く る も の 二 千 数 百 員、 菩 薩 戒 を う く る 出 家 及 居 士 善 男 善 女 幾 萬 人 と い ふ を 知 ら す、 就 中 明 治 十 二 年 冬 大 和 國 長 谷 寺 に 於 で、 伏 見 宮 文 秀 女 王 丼 に 近 衡 尼 公 に 受 戒 す、 得 戒 の 好 相 實 に 粛 然 だ る も の が あ つ だ 。 明 治 十 一 戌 寅 年 の 六 十 五 巌 の 春、 山 階 宮 二 品 親 王 殿 下 よ b 晋 山 を 山 科 勧 修 寺 に 渤 請 せ ら れ て よ り 化 盆 盆 々 盛 ん で あ つ た。 傳 法 灌 頂 付 法 の 者 無 慮 一 千 五 百 蝕 名 と い は れ る、 明 治 十 三 年 六 十 七 巌 の 春 大 教 正 に 任 ぜ ら れ、 明 治 十 六 年 再 興 せ ら れ た る 後 七 日 御 修 法 に 特 に 選 せ ら れ て 大 阿 閣 梨 耶 を 勤 修 し て ゐ る 。 抑 も 宮 中 後 七 日 御 修 法 は、 弘 法 大 師 承 和 元 年 上 奏 し て 官 符 を 賜 ひ、 詔 を 奉 つ て 同 二 年 正 月 入 日 よ り 十 四 日 に 至 る ま で 宮 中 眞 言 院 に 於 て 奉 爲 玉 膿 安 隠 鎭 國 安 民 に 精 勤 し て 一 千 有 鯨 年 連 綿 相 績 し 來 つ た も の で あ つ た が、 明 治 四 年 九 月 二 日 突 如 と し て、 後 七 日 御 修 法 磨 止 せ ら れ た の で あ る。 薙 に 依 り 屡 恢 復 を 懇 願 し た る 結 果、 途 に 再 興 の 恩 許 を 蒙 り し を 以 て、 明 治 十 六 年 一 月 入 日 を 以 て 東 寺 灌 頂 院 に 於 て、 御 修 法 修 行 一 七 箇 日 間 精 修 結 願 せ ら れ た の で あ る。 十 六 日 大 阿 闇 梨 東 上 二 十 日 参 内、 唐 櫃 御 衣 御 守 御 加 持 香 水 等 を 戯 じ 奉 つ て、 次 で 從 一 位 九 條 溢 孝 公 の 懇 請 に 癒 じ て 加 持 庸 念 し、 十 善 戒 を 授 け た の
で
あ
つ
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明
治
十
七
年
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年
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仁
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十
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七
月
に
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東
寺
長
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と
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ら
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年
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十
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眞
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千
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千
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一
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二 四 九 四 二 五 六 六 金 剛 峯 寺 三 百 入 十 四 代、 東 寺 二 百 五 十 四 代 の 長 者、 龍 光 院 五 十 入 代 の 心 猛 ぱ、 天 保 五 年 十 月 二 十 入 日 出 雲 國 出 雲 郡 學 頭 村 に 生 れ、 俗 姓 は 原 氏 郷 の 名 族 で あ る。 其 の 生 る や 奇 瑞 あ り、 相 者 之 を 親 て 曰 く、 こ の 子 骨 相 不 凡 な る 必 す 士 と な ら ん 然 ら す ば 則 ち 檜 と な ら ん と、 年 甫 め 入 歳 に し て 洲 の 高 野 寺 恵 深 師 に 從 ひ て 剃 髪 し、 名 を 恵 猛 字 を 英 仁 房 と 構 し 後 ち 心 猛 と 改 稻 す。 弘 化 四 年 洲 の 岩 屋 寺 宣 明 師 に 從 明 治 以 降 野 峯 高 俗 傳 二 三 七明 治 以 降 野 峯 高 曾 傳 二 三 八 ふ て 四 度 加 行 を 修 す。 年 十 九 歳 の 嘉 永 五 年 高 野 山 に 登 り 普 賢 院 這 場 に て 實 賢 阿 閣 梨 に 随 ひ て 傳 法 灌 頂 に 入 壇 す。 二 十 一 歳 の 安 政 元 年 に は 豊 後 に 祇 り、 鴻 儒 廣 瀬 淡 窓 に 就 き て 儒 典 文 章 を 問 ひ、 高 野 山 に 蹄 り て 教 相 を 良 基 溢 雄 詳 道 の 三 師 に、 事 相 と 律 部 を 塘 慮 龍 善 榮 嚴 恭 本 四 師 に、 悉 曇 撃 明 を 心 南 院 恵 晃 師 に、 論 議 を 快 猛 師 に 學 び 皆 そ の 悪 奥 を 究 め た の で あ る。 年 三 十 の 文 久 三 年 に は 雲 洲 岩 倉 寺 に 餓 住、 慶 慮 元 年 三 十 二 歳 又 々 高 野 血 に 登 り 鏡 意 進 修 し て 勘 學 院 學 道 新 衆 出 仕 の 撰 を 待 ち し も、 機 い ま だ 至 ら ざ る か 翌 年 に 至 る も 入 撰 の 報 に 接 せ す 氣 を 腐 ら し、 大 師 明 神 の 冥 護 に 預 ら ざ る も の と 親 念 し、 將 に 雲 洲 岩 倉 寺 に 館 ら ろ と す、 出 登 に 先 き 立 つ こ と 一 日 月 輪 院 主 諦 仁 師 に 龍 光 院 門 前 に て 邊 遁 し 將 に 雲 洲 に 蹄 ら ん と す る こ と を 告 ぐ、 諦 仁 師 驚 異 し て 掴 ー、 然 る か 吾 れ 師 に 告 ぐ る 事 あ り 途 上 に て は 説 き 難 し 請 ふ 吾 が 院 に 來 れ と 師 に 從 ひ て 至 る 一。 室 に 延. き 入 れ て 曰 く、 昨 夜 夢 に 戸 外 麩 々 に 吾 が 名 を 呼 ぶ も の あ り、 出 で、 之 を 見 れ ば 一 僧 二 弟 子 を 從 へ て 在 り、 其 歌 貌 凡 な ら す 恵 猛 房 將 に 住 地 に 蹄 ら ん と す 汝 そ れ 之 を 留 よ と、 其 の 語 甚 だ 働 な り、 吾 聴 伏 し 絡 り て 之 を 門 外 に 追 跡 す る に 復 人 影 な し、 吾 れ 深 く つ〆、 の 奇 異 を 威 ぜ し が、 今 師 の 途 に 蹄 ら ん と す る を 聞 知 し て 盆 々 其 の 事 の 常 な ら ざ る を 知 る、 師 夫 れ 臨 行 を 止 め よ と。 語 甚 だ 切 な 6 師 之 に 從 ひ て 居 る こ と 数 日、 新 衆 出 仕 員 を 訣 く に 會 ふ て 師 出 仕 す る こ と を 得 た り。 明 治 四 年 年 三 十 入、 大 畳 寺 門 跡 の 薦 を 坦 て 雲 洲 の 千 手 院 に 昇 住 し て 本 宗 諸 寺 の 鰯 頭 を 勤 む る 時 に、 會 々 隠 州 に 斥 佛 を 唱 ふ る も の あ り て 伽 藍 を 殿 ち 僧 尼 に 追 り て 還 俗 せ し め、 之 を 肯 ぜ ざ る 時 は 國 外
ノ シ セ テ グ に 逐 放 す る あ り、 師 乃 ち 本 山 に 請 ひ 往 ひ て 之 を 抑 止 す、 舟 中 詩 を 賦 し て 曰 く 絶 域 孤 邦 海 雨 隙 朔 風 含 毫 7 ツ ヲ シ テ だ ノ ト ン バ ラ ニ 浪 穿 レ巖 縦 令 死 作 邊 陸 鬼 ネ レ 至 一新 晴 蝋不 レ 返 レ帆 と、 既 に 至 り て 大 に 其 の 謬 惑 を 論 じ 事 途 に 止 む を 得 た の で ン ハ ン ノ サ ン テ ( 一 書 に 修 理 不 レ分 焉 返 レ帆) あ る。 六 年 毅 導 職 試 補 よ り 進 み て 大 講 義 に 補 せ ら る あ り。 入 年 山 に 還 り 金 剛 峯 寺 の 命 を 受 け て 大 敢 院 庶 務 課 長 と な り、 十 三 年 出 張 所 庶 務 課 長 兼 監 督 と な り、 出 で、 東 京 湯 島 根 生 院 に 起 居 せ ら れ た の で あ る。 権 少 数 正 に 補 せ ら れ 庶 務 課 長 夕 二僻 す、 明 治 十 七 年 弘 法 大 師 一 千 五 十 年 御 忌 の 奉 修 に 際 し て は 推 さ れ て 総 裁 と な り、 次 で 龍 光 院 住 職 に 晋 み 櫻 池 院 を 兼 ね、 明 治 十 九 年 椹 中 僧 正 に 昇 み 法 務 所 課 長 に 就 職 す、 二 十 二 年 中 僧 正 に 補 任 せ ら れ て 金 剛 峯 寺 座 主 と な り て 大 學 林 総 理 を 兼 ね、 二 十 三 年 大 櫓 正 に 昇 補 せ ら れ た。 次 い で 眞 言 宗 長 者 に 補 せ ら れ 教 王 護 國 寺 住 職 と な り 金 剛 峯 寺 座 主 職 を 兼 ぬ る に 至 つ た。 往 昔 槻 賢 僧 正 東 寺 の 長 者 に し て 金 剛 案 寺 座 主 職 を 兼 ね た る 以 來 の 出 來 事 で あ る。 明 治 三 十 二 年 再 び 東 寺 長 者 第 二 百 五 十 世 と 爲 り、 三 十 三 年 官 允 を 得 九 る 寺 法 宗 制 宗 規 の 更 定 に 依 り て 高 野 派 管 長 と 爲 り、 途 に 推 さ れ て 高 野 御 室 醍 醐 大 昼 四 派 聯 合 総 裁 と 爲 り、 次 で 東 寺 泉 涌 拗 修 随 心 を 併 せ て 入 派 聯 合 総 裁 と 爲 り、 新 に 聯 合 宗 會 の 制 を 設 け た の で あ る。 明 治 三 十 七 年 露 國 と 干 を 交 ゆ る に 常 り、 七 十 一 歳 の 老 躯 を 携 げ て 師 團 要 塞 軍 港 を 歴 訪 之 れ 莇 め た の で あ る、 小 悲 あ る を 視 て 侍 者 の 之 を 止 む る に 際 し て 日 く、 吾 不 敏 に し て 一 宗 の 重 寄 を 負 ふ 何 ぞ 微 躯 を 顧 る に 暇 あ ら ん 武 夫 は 戦 に 死 し 信 は 法 に 難 る 固 よ り 其 の 分 な り と て、 途 に 錫 を 振 ひ て 起 ち、 畿 内 中 國 九 州 を 経 て 還 る 日 を 経 る こ と 四 旬 鯨、 程 を 渉 る こ と 数 百 里、 明 治 以 降 野 峯 高 俗 傳 二 三 九
明 治 以 降 野 峯 高 曾 傳 二 四 〇 疾 を カ め て 第 二 聯 合 宗 會 に 臨 む も 病 勢 彌 々 募 る も の あ り、 途 に 明 治 三 十 入 年 管 長 の 職 を 僻 し、 龍 光 院 に 養 ふ、 三 十 九 年 五 月 六 日 上 午 龍 光 院 の 浄 室 に 跣 坐 し て 寂 を 示 す 時 に 世 壽 七 十 有 三 法 萬 六 十 有 六。 奥 院 の 塑 域 に 窪 る。 寂 す る に 臨 み 題 し て ロ ー、 阿 字 の 身 が 阿 の 眞 言 を 唱 へ つ、 阿 字 大 室 の 位 に ぞ 住 む と。 師 爲 人 性 謹 嚴 に し 澹 泊 嗜 好 す る と こ ろ な し、 夙 に 心 を 眞 言 の 敏 の 興 隆 に 潜 め、 棘 儒 二 道 に 通 じ、 法 海 波 瀾 多 難 の 教 海 に 宗 務 を 統 綜 し て、 門 弟 を 薫 陶 し、 本 宗 の 基 礎 を 固 く せ る の 功 蹟 は 没 す べ か ら ざ る も の あ り。 (龍 光 院 譜) 寺 務 検 校 執 行 法 印 大 和 尚 位 系 譜
明 治 以 降 野 峯 高 信 傳 二 四 一
明 治 以 降 野 峯 高 偲 傳 二 四 二
明 治 以 降 野 峯 高 信 傳 二 四 三
明 治 以 降 野 峯 高 曾 傳 二 四 四
明 治 以 降 野 峯 高 曾 傳 二 四 五
明 治 以 降 野 峯 高 侮 傳 二 四 六
明 治 以 降 野 峯 高 俗 傳 二 四 七
明 治 以 降 野 峯 高 曾 傳 二 四 入 大 學 林 の 盛 大 を 祝 し て 越 中 轡 田 哲 龍 千 歳 ふ る 高 野 の 山 の 櫻 花 色 も 匂 も か わ ら さ り け り (同 學 一 明 治 二 十 六 年 五 月 二 十 一 日)