東
寺
長
者
孜
-九
・
十
世
紀
を
中
心
と
し
て
-(上)
武
内
孝
善
は じ め に 従 来 、 空 海 閉 眼 後 の 真 言 宗 は 、 承 和 三 年 (八 三 六) 五 月 十 日 に 任 ぜ ら れ た 実 恵 を 嗜 矢 と す る 東 寺 長 者 を 中 心 と し て 維 持 ・ 運 営 さ れ て き た と 、 ﹁ 東 寺 長 者 補 任 ﹂ 類 に 何 の 疑 問 も 呈 す る こ と な く 、 理 解 し て き た よ う に 思 わ れ る 。 筆 者 自 身 も 、 か つ て 東 寺 に 別 当 職 ( 正 し く は 造 東 寺 別 当) が 置 か れ て い た の は 空 海 の 在 世 中 ま で で 、 空 海 が 入 定 し た 承 和 二 年 (八 三 五) (1) 以 後 は 新 た に 置 か れ た 東 寺 長 者 職 が 別 当 職 の 職 掌 等 を ひ き つ い だ も の と 考 え る 。 と 記 し た こ と が あ っ た け れ ど も 、 通 説 を 鵜 呑 み に し た 、 き わ め て 浅 薄 な 認 識 で あ っ た と 反 省 す る こ と し き り で あ る 。 な ぜ 、 従 来 の 考 え 方 に 疑 義 を い だ く よ う に な っ た の か と 言 え ば 、 ﹃ 遺 告 二 十 五 ヶ 条 ﹄ ( 以 下 、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ と 略 称 す) を 精 読 す る こ と を は じ め た 最 初 に 遭 遇 し た の が 、 こ の 東 寺 長 者 の 問 題 で あ っ た 。 す な わ ち 、 ﹃ 御 遺 告 ﹂ 縁 起 第 二 に 、 一 、 実 恵 大 徳 を 以 っ て 吾 が 滅 度 の 後 、 諸 の 弟 子 の 依 師 長 者 と 為 す べ き 縁 起 第 二 東 寺 長 者 孜 -九 ・ 十 世 紀 を 中 心 と し て -(上)密 教 文 化 お も ん み こ れ 夫 れ 以 れ ば 、 吾 が 道 の 興 然 た る こ と 、 専 ら 此 の 大 徳 の 信 力 な り 。 薙 に 因 っ て 示 し 告 ぐ る 所 な り 。 真 言 を 以 っ し す か れ が ん せ い も と ゐ や く て 本 宗 と 為 、 顕 教 を 以 っ て 辺 教 と 為 。 他 に 眼 青 有 り て 自 在 に 融 通 す 。 人 師 国 宝 の 本 、 宣 に 此 の 大 徳 に 益 あ ら ん ( 2 ) や 。 ( 以 下 略 、 原 漢 文 、 傍 線 筆 者) と あ っ て 、 こ の ﹃ 御 遺 告 ﹄ に も と つ い て 、 古 来 、 実 恵 が 最 初 の 東 寺 長 者 に 就 任 し た と 考 え ら れ て き た ふ し が あ る 。 し ( 3 ) か し 、 今 日 、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ は 空 海 作 に あ ら ず 、 と の 説 が ほ ぼ 定 説 と な っ て い る 。 ほ か に 確 実 な 史 料 が あ れ ば 別 で あ る が 、 こ の 縁 起 第 二 だ け を も っ て 、 実 恵 を 初 代 の 東 寺 長 者 と み な し て よ い か 否 か 、 の 問 題 が 出 来 し た の で あ る 。 こ の こ と を 発 端 と し て 、 そ も そ も ﹁ 東 寺 長 者 と は 何 か ﹂ が 解 明 さ れ な け れ ば な ら な い 、 と の 思 い に 立 ち 至 っ た 。 そ こ で 調 べ 始 め る と 、 い く つ も 課 題 が 出 て き た 。 た と え ば 、 ア 、 確 実 視 で き る 東 寺 長 者 の 最 古 の 史 料 は い つ ま で 遡 り う る の か 。 イ 、 そ も そ も 東 寺 長 者 の 制 度 は い つ で き た の か 。 ウ 、 東 寺 長 者 は い か な る 手 続 き で 任 命 さ れ た の か 。 勅 命 に よ る と み な す 説 も あ る け れ ど も 、 は た し て 朝 廷 か ら 公 的 に 認 め ら れ て い た の か 。 認 め ら れ て い た と す れ ば 、 い つ か ら な の か 。 エ 、 東 寺 長 者 の 職 掌 は 何 か 。 オ 、 真 言 宗 に お け る 東 寺 長 者 の 位 置 づ け は ど う な っ て い た の か 。 な ど で あ る 。 ど れ を と っ て も 、 ま だ 十 全 の 答 え を 見 出 だ す こ と は で き な い 。 そ こ で 本 稿 で は 、 い ま だ 中 間 発 表 の 域 を で な い け れ ど も 、 ( 一) 従 来 、 実 恵 が 初 代 の 東 寺 長 者 に 補 任 さ れ た と み な す 際 の 根 本 史 料 で あ る ﹃ 御 遺 告 ﹄ 、 ( 二) 歴 代 の 東 寺 長 者 を 記 す 現 存 最 古 の 史 料 で あ る 寛 信 撰 ﹃ 東 寺 長 者 次 第 ﹄ ( 以 下 、
﹃ 長 者 次 第 ﹄ と 略 称 す) 、 ( 三) 六 国 史 に み ら れ る 長 者 歴 任 者 の 経 歴 、 ( 四) 太 政 官 符 類 に み ら れ る 長 者 歴 任 者 の 肩 書 、 ( 五) 東 寺 長 者 を 明 記 す る 最 古 の 史 料 ﹃ 醍 醐 天 皇 御 記 ﹄ ﹃ 三 十 帖 策 子 勘 文 ﹄ な ど の 記 述 を 分 析 し 、 問 題 点 を 指 摘 し て お き た い 。 一 、 先 行 研 究 の 検 討 は じ め に 、 こ れ ま で 東 寺 長 者 に つ い て 、 ど の よ う に 考 え ら れ て き た か を み て お き た い 。 こ こ に 紹 介 す る の は 、 つ ぎ の 八 つ で あ る 。 (4 ) 1 、 果 宝 ﹃ 東 宝 記 ﹄ 第 七 ﹁ 四 人 長 者 始 ﹂ の 項 、 十 四 世 紀 後 半 の 成 立 ( 5 ) 2 、 亮 快 ﹃ 顕 密 威 儀 便 覧 ﹄ 巻 下 ﹁ 東 寺 長 者 ﹂ の 項 、 元 文 五 年 ( 一 七 四 〇) 刊 ( 6 ) 3 、 ﹃ 密 教 大 辞 典 ﹄ ﹁ 長 者 ﹂ の 項 、 一 九 三 一 年 九 月 ( 7 ) 4 、 ﹃ 望 月 仏 教 大 辞 典 ﹄ ﹁ 長 者 ﹂ の 項 、 一 九 三 六 年 十 一 月 ( 8 ) 5 、 ﹃ 国 史 大 辞 典 ﹄ ﹁ 長 者 ﹂ の 項 (戸 田 芳 実 稿) 、 一 九 八 八 年 九 月 ( 9 ) 6 、 ﹃ 群 書 解 題 ﹄ ﹁ 東 寺 長 者 補 任 ﹂ の 項 ( 久 保 田 収 稿) 、 一 九 六 三 年 二 月 (10) 7 、 湯 浅 吉 美 ﹁ 東 寺 観 智 院 金 剛 蔵 本 ﹃東 寺 長 者 補 任 ﹄ の 書 誌 学 的 報 告 ﹂ 一 九 九 七 年 三 月 (11) 8 、 真 木 隆 行 ﹁ 中 世 東 寺 長 者 の 成 立-真 言 宗 僧 団 の 構 造 転 換 1 ﹂ 二 〇 〇 一 年 四 月 ま ず 、 具 体 的 に そ れ ぞ れ の 文 章 を あ げ 、 そ の あ と に(1) 何 を も っ て 東 寺 長 者 と み な す か 、(2) 初 代 の 東 寺 長 者 を 誰 と み 東 寺 長 者 孜 ー 九 ・ 十 世 紀 を 中 心 と し て-(上)
密 教 文 化 な す か 、(3) 東 寺 長 者 の 職 掌 は 何 か 、(4) 選 任 の 方 法 、 の 四 項 目 に 分 け て 、 整 理 す る こ と に し た い 。 第 一 は 、 東 寺 三 宝 の ひ と り 果 宝 の 撰 に な る ﹃ 東 宝 記 ﹄ 第 七 所 収 の ﹁ 四 人 長 者 始 ﹂ の 項 で あ る 。 ま ず 、 ﹁ 一 長 者 始 ﹂ と し 、 弘 法 大 師 ︿ 淳 和 天 皇 の 御 宇 、 天 長 元 年 六 月 十 六 日 に 宣 下 あ り 。 同 廿 六 日 到 来 す 。 時 に 権 少 僧 都 。 官 符 案 は 左 の 如 (12) し 。 ﹀ (原 漢 文 、 ︿ ﹀ は 二 行 割 註 、 以 下 同 じ) と 記 し て 、 空 海 が 造 東 寺 所 別 当 に 補 任 さ れ た と き の 太 政 官 符 を あ げ る 。 つ い で 、 天 長 元 年 ( 八 二 四) 、 神 泉 苑 で 修 し た 祈 雨 法 の 霊 験 に よ っ て 少 僧 都 に 任 ぜ ら れ 、 あ わ せ て 造 東 寺 所 別 当 に 補 任 さ れ た と し 、 最 後 に ﹁ 此 れ 東 寺 長 者 の 始 め な り ﹂ と 記 す 、 成 尊 撰 ﹃ 小 野 纂 要 抄 ﹄ を あ げ る 。 さ ら に 、 二 か ら 四 の 長 者 の 始 め を 二 長 者 始 、 真 済 ︿ 仁 明 天 皇 の 御 宇 、 承 和 十 一 年 十 一 月 九 日 之 に 任 ず 。 同 日 権 律 師 に 任 ぜ ら る 。 ﹀ 三 長 者 始 、 峯 籔 ︿ 醍 醐 天 皇 の 御 宇 、 昌 泰 元 年 月 日 之 に 任 ず 。 時 に 権 律 師 な り 。 ﹀ 四 長 者 始 、 寛 忠 ︿ 冷 泉 院 の 御 宇 、 安 和 二 年 壬 五 月 十 日 之 に 任 ず 。 時 に 権 律 師 な り 。 ﹀ (13) 以 上 、 末 の 長 者 三 人 、 始 め て 置 か る る と き の 官 符 案 、 追 っ て 之 を 書 き 載 す べ し 。 と す る 。 後 世 、 東 寺 長 者 を 論 じ る と き 、 こ の ﹃ 東 宝 記 ﹄ が よ く 参 照 さ れ る け れ ど も 、 少 な か ら ず 問 題 が 残 る 説 明 で あ る と い え る 。 第 一 に 、 何 を も っ て 東 寺 長 者 と す る の か が 明 ら か で な い 。 空 海 は 造 東 寺 所 別 当 に 補 任 さ れ た と き を も っ て 東 寺 長 者 と い い 、 真 済 は 僧 綱 に 任 ぜ ら れ た 日 時 を も っ て し 、 峯 籔 と 寛 忠 と は 僧 綱 に 任 ぜ ら れ た あ と で 長 者 と な っ て い る 。 (14) ま た 、 第 四 の 長 者 の 初 例 を 寛 忠 と み な す 点 も 疑 わ し い 。 こ の よ う に 、 ﹃ 東 宝 記 ﹄ の 記 述 か ら は 東 寺 長 者 を 明 確 に イ メ ー
(15) ジ す る こ と は 難 し い と い わ ね ば な ら な い 。 第 二 は 、 江 戸 中 期 の 亮 快 の 撰 に な る ﹃ 顕 密 威 儀 便 覧 ﹄ 巻 下 所 収 の ﹁ 東 寺 長 者 ﹂ の 項 で あ る 。 そ の 前 半 部 を あ げ る と 、 ﹃ 大 師 行 状 記 ﹄ ﹃ 東 宝 記 ﹄ な ど を 引 い て 、 ス 密 宗 ノ 長 、 詔 シ テ 東 寺 ノ 長 者 ト 為 。 大 師 行 状 記 二 、 淳 和 帝 、 天 長 元 年 六 月 、 重 テ 師 資 相 承 ノ 官 符 ヲ 賜 フ 。 此 レ フ カ ウ 長 者 補 任 ノ 始 ナ リ 。 東 寳 記 二 日 く 、 一 ノ 長 者 は 大 師 、 ニ ノ 長 者 は 真 済 、 三 ノ 長 者 は 峰 籔 、 四 ノ 長 者 は 寛 忠 な り 。 ノ ヘミ 蓋 シ 古 へ 四 人 ナ リ 。 今 マ 一 ノ 長 者 、 ニ ノ 長 者 耳 。 井 二 門 主 院 家 二 出 ツ 。 若 シ 一 ノ 長 者 二 補 セ ラ ル 寸 、 則 ち 三 箇 (16) ト 云 者 有 リ 、 拝 堂 ト 云 者 有 リ 。 倶 二 必 ス 行 フ 。 ( 以 下 略 。 傍 線 筆 者) と 記 す 。 こ れ を 要 約 す る と 、 つ ぎ の 四 つ と な ろ う 。(1) 東 寺 長 者 と は 密 宗 の 長 を い い (傍 線 部 ア) 、(2) そ の 初 代 を 天 長 元 年 六 月 に 太 政 官 符 を た ま わ っ て 造 東 寺 所 別 当 に 補 任 さ れ た 空 海 と す る ( 同 イ) 。(3) 古 く は 四 の 長 者 ま で 置 か れ て い た 。 (4) 今 は 二 の 長 者 ま で し か な く 、 そ れ ら は す べ て 門 主 ・ 院 家 か ら 選 任 さ れ 、 一 の 長 者 に 補 任 さ れ る と 、 必 ず 三 箇 と 拝 堂 を 行 う 、 の 四 つ で あ る 。 選 任 の 方 法 は 、 詔 に よ る と す る ( 同 ア) 。 き わ め て 簡 略 な も の で あ り 、 長 者 の 職 掌 に つ い て は 明 記 さ れ て い な い 。 第 三 は 、 ﹃ 密 教 大 辞 典 ﹂ ﹁ 長 者 ﹂ の 項 で あ る 。 重 要 と 思 わ れ る と こ ろ だ け を 抽 出 す る と 、 . 真 言 宗 総 本 山 東 寺 の 上 首 に し て 一 宗 の 依 止 師 な り 。 ( 中 略) ︻ 起 源 ︼, 東 寺 別 当 を 以 て 東 寺 長 者 と 解 す れ ば 、 そ の 初 例 は 弘 仁 十 四 年 正 月 大 師 へ 東 寺 勅 賜 の 時 に あ り と 云 ふ べ し 。 ( 中 略) 何 れ に せ よ 東 寺 第 一 世 長 者 は 大 師 な り 。 ︻ 沿 革 ︼(1) 大 師 御 入 定 の 翌 年 承 和 三 年 五 月 十 日 、 上 足 実 慧 大 徳 は 東 寺 第 二 世 長 者 に 補 せ ら れ 、 爾 来 真 済 ・ 真 雅 ・ 東 寺 長 者 孜 -九 ・ 十 世 紀 を 中 心 と し て-(上)
密 教 文 化 宗 叡 ・ 真 然 と 次 第 し 、 一 宗 の 碩 徳 連 綿 相 続 し て 現 在 に 至 る 。(2) 長 者 は 初 め 一 人 な り し が 、 後 に 一 ノ 長 者 ・ ニ ノ 長 者 ・ 三 ノ 長 者 ・ 四 ノ 長 者 の 四 人 と な る 。 ( 中 略) こ れ よ り 東 寺 に は 四 長 者 あ り て 寺 務 を 執 る 。(3) 後 世 仁 和 寺 ・ 大 覚 寺 ・ 三 宝 院 ・ 勧 修 寺 等 の 諸 門 跡 よ り 、 戒 膓 高 き 者 を 選 抜 し て 、 長 者 に 補 す る 例 と な れ り 。 (17) ︻ 選 任 ︼ 一 二 三 四 の. 長 者 共 に 勅 任 に し て 、 そ の 選 器 補 任 法 は ﹃ 東 宝 記 ﹄ 七 に 委 細 な り 。 ( 傍 線 筆 者) と な る 。 こ こ に は 、 東 寺 長 者 と は 東 寺 の 上 首 に し て 一 宗 の 依 止 師 で あ り 、 東 寺 別 当 を も っ て 長 者 と 解 し 、 そ の 初 代 を 空 海 と す る (傍 線 部 ア ・ イ) 。 ま た 、 一 か ら 四 長 者 ま で す べ て 勅 任 で あ っ た と み な す (同 ウ) 。 こ れ ら の 当 否 に つ い て は 、 後 述 す る こ と と な ろ う 。 第 四 は 、 ﹃ 望 月 仏 教 大 辞 典 ﹄ ﹁ 長 者 ﹂ の 項 で あ る 。 本 文 を あ げ る と 、 富 豪 又 は 年 令 徳 行 の 長 ぜ る 者 を 云 ふ 。 (中 略) 本 邦 に 於 い て も 亦 長 老 老 目 宿 の 意 に 用 ひ ら れ 、 藤 原 氏 の 長 者 、 源 氏 の 長 者 等 の 称 あ り 。 さ れ ど (1) 僧 中 に は 特 に. 東 寺 座 主 の 称 と し て 之 を 用 ひ 、 空 海 の ﹃ 御 遺 告 ﹄ に 東 寺 に 長 者 を 立 つ べ き こ と を 記 し 、 イ 副 稠 三 年 五 月 其 の 弟 子 実 恵 始 め て 之 に 補 せ ら れ 、 爾 後 真 済 、 真 雅 、 宗 叡 、 真 然 等 相 次 い で 其 の 職 を 承 け 、 (2) 後 に 仁 和 寺 、 大 覚 寺 、 三 宝 院 、 勧 修 寺 の 四 門 中 よ り 戒 膓 の 次 第 に よ り 、. 代 々 勅 旨 を 以 て 補 任 せ ら る る 例 と な れ り 。 (中 略) (3) 又 貞 観 十 四 年 三 月 長 者 真 雅 正 法 務 に 補 せ ら れ し よ り 、. 長 者 は 必 ず 正 法 務 を 兼 ぬ る こ と と な り 、 (4) 又 延 喜 十 九 年 九 月 ( 一 説 二 十 一 年) 、 長 者 観 賢 金 剛 峯 寺 座 主 職 に 兼 補 せ ら れ し 以 来 、 一 長 者 は 金 剛 峯 寺 座 主 職 (18) を 兼 摂 す る こ と と な れ り 。 ( 以 下 略 、 傍 線 筆 者)
と あ る 。 こ こ で は 、 東 寺 座 主 を 長 者 と い い ( 傍 線 部 ア) 、 そ の 初 代 を 実 恵 と す る ( 同 イ) 。 そ の 職 掌 の 一 つ と し て 、 一 長 者 甘 正 法 務 を 兼 ね (同 工) 、 金 剛 峯 寺 座 主 職 を 兼 摂 す る と い う ( 同 オ) 。 ま た 、 そ の 補 任 は 勅 旨 を も っ て な さ れ た と す る ( 同 ウ) 。 第 五 は 、 ﹃ 国 史 大 辞 典 ﹄ ﹁ 長 者 ﹂ の 項 で あ る 。 主 と し て 歴 史 学 上 に お け る ﹁ 長 者 ﹂ を 論 じ る た あ 、 仏 教 界 に お け る そ れ は 、 き わ め て 簡 略 に 記 さ れ る だ け で あ る 。 す な わ ち 、 お さ ヶ と く に ん 一 群 の 人 々 の う ち で 、 か し ら 立 っ た 者 、 ﹁ 長 ﹂ と な る 者 を い い 、 ま た 有 徳 人 ・ 富 裕 者 を 一 般 に 長 者 と 称 し て い る 。 (19) (中 略) 僧 職 で は 東 寺 一 山 の 管 長 を 長 者 と 称 し た 。 ( 以 下 略 、 傍 線 筆 者) と 、 東 寺 一 山 の 管 長 を 長 者 と 称 し た と 記 す に す ぎ な い 。 第 六 は 、 ﹃ 群 書 解 題 ﹄ ﹁ 東 寺 長 者 補 任 ﹂ の 項 で あ る 。 ﹃ 法 華 玄 賛 ﹄ に も と つ い て 、 長 者 の 概 念 か ら 説 明 を は じ め 、 ︹書 名 ︺ 長 者 と い う の は 、 も と も と 法 華 玄 賛 に ﹁ 心 平 性 直 、 語 実 行 致 、 歯 遭 財 盈 、 名 為 二 長 者 一﹂ と あ る よ う に 、 . 財 を 積 み 徳 を 具 え た も の を 称 し た の で あ る が 、 そ れ が 転 じ て 、, と く に 東 寺 で そ の 上 に 当 た る も の に 修 学 に 秀 で た も の を 挙 げ て こ れ を 長 者 と 称 し た 東 寺 長 者 と か あ る い は 順 位 を 附 け て 一 長 者 ・ 二 長 者 な ど と 呼 ん で き た 。 ︹内 容 ︺ ( 中 略) . 公 式 に 東 寺 長 者 と い わ れ る よ う に な っ た の は 、 承 和 三 年 ( 八 三 六) 五 月 実 恵 が 権 律 師 に 任 ぜ ら (20) れ 長 者 に 補 せ ら れ て か ら で あ る べ く 、 ( 以 下 略 、 傍 線 筆 者) と 記 す 。 こ こ で は 、 東 寺 長 者 と は 徳 を 具 え た も の の 上 首 で 修 学 に 秀 で た も の で あ り (傍 線 部 ア ・ イ) 、 そ の 初 代 を 実 恵 と す る ( 同 ウ) 。 東 寺 長 者 孜 -九 ・ 十 世 紀 を 中 心 と し て-(上)
密 教 文 化 第 七 は 、 湯 浅 吉 美 ﹁ 東 寺 観 智 院 金 剛 蔵 本 ﹃ 東 寺 長 者 補 任 ﹄ の 書 誌 学 的 報 告 ﹂ で あ る 。 い く つ か 注 目 す べ き 記 述 が み ら れ る の で 、 長 文 で は あ る が 、 煩 を お そ れ ず に あ げ て み よ う 。 私 に(1)-(7) に 分 か っ て 引 用 す る 。 (1) 東 寺 長 者 と は 文 字 通 り 東 寺 ( 教 王 護 国 寺) の 長 官 を い う 。 (2) か の 寺 が 歴 史 的 に 真 言 宗 総 本 山 で あ っ た が ゆ え に 、 一 宗 の 上 首 で も あ る 。 (3) 承 和 三 年 ( 八 三 六) 五 月 に 空 海 の 弟 子 実 恵 が 補 せ ら れ た こ と を 以 て 創 始 と す る 。 そ の 後 、 同 八 年 に 二 長 者 ( 真 済) 、 昌 泰 元 年 ( 八 九 八) に 三 長 者 (峯 載) が 増 置 さ れ 、 さ ら に 安 和 二 年 (九 六 九) 、 寛 忠 が 四 長 者 と な る に 及 ん で 四 人 長 者 の 例 が 開 か れ た 。 ( 中 略) (4) な お 、 起 原 を ﹃ 御 遺 告 ﹄ の 文 言 に 求 あ る こ と も ﹃ 御 遺 告 ﹄ 自 体 の 成 立 過 程 と 関 連 し て 再 検 孟 を 要 す る も の と 見 な け れ ば な ら な い 。 (5) 因 に 。 実 恵 に つ き ﹃ 東 寺 長 者 補 任 ﹂ 諸 本 に 一 致 し て 揚 げ る 承 和 三 年 五 月 十 日 と い う 補 任 日 付 も ﹃ 続 日 本 後 紀 ﹄ 当 日 条 に は ﹁ 以 伝 燈 大 法 師 位 実 恵 為 律 師 ﹂ と の み あ っ て 、 長 者 の 件 は 見 え な い 。 (6) 彼 は こ の と き 初 め て 僧 綱 入 り し た わ け で 如 何 に 空 海 の 一 番 弟 子 と は 言 え 朝 廷 か ら 見 れ は 数 多 の 中 の 一 僧 に 過 ぎ ず 、 前 例 の 無 い 長 者 な る 役 職 を 新 設 し て 、 こ れ に 補 す る 理 由 は 、 官 の 側 に は あ ろ う は ず も 無 い 。 ﹃ 補 任 ﹄ の 一 本 が ﹁ 任 律 師 、 出 国 史 、 井 補 長 者 ﹂ と 記 す の は 示 唆 的 で あ る ( 後 掲 の D 本) 。 (21) (7) キ 長 者 の こ と は 官 の 与 り 知 ら ぬ と こ ろ だ っ た の で は あ る ま い か 。 (傍 線 筆 者) こ の な か 、 も っ と も 注 目 す べ き は 、(7) の ﹁ 長 者 の こ と は 官 の 与 り 知 ら ぬ と こ ろ だ っ た の で は あ る ま い か 。 ﹂ と の 指 摘 で あ る 。 後 述 す る よ う に 、 少 な く と も 九 ・ 十 世 紀 に お い て は 、 公 的 記 録 に ﹁ 東 寺 長 者 ﹂ を 見 出 す こ と が で き な い こ と
か ら 、 筆 者 も 見 解 を 同 じ く す る も の で あ る 。 そ れ は さ て お き 、 湯 浅 氏 は 、 東 寺 長 者 と は 東 寺 の 長 官 で 、 か つ 真 言 宗 の 上 首 で も あ っ た と い い ( 傍 線 部 ア ・ イ) 、 そ の 初 代 を 実 恵 と み な さ れ る ( 同 ウ) 。 第 八 は 、 真 木 隆 行 ﹁ 中 世 東 寺 長 者 の 成 立 -真 言 宗 僧 団 の 構 造 転 換-﹂ で あ る 。 こ の 論 考 は 、 中 世 の 東 寺 長 者 を 論 じ る の が 主 た る 目 的 で あ る た め 、 本 稿 で 取 り 扱 う 初 期 の 東 寺 長 者 に 関 し て は 、 そ の 概 要 を 記 す だ け で あ る け れ ど も 、 き わ あ て 注 目 す べ き 指 摘 が な さ れ て い る 。 ま ず 、 ﹁ 長 者 ﹂ の 呼 称 が 定 着 す る 時 期 に つ い て 、 真 言 宗 の 貫 首 呼 称 が ﹁ 長 者 ﹂ に 定 着 す る の も 、 ま さ に 十 世 紀 初 頭 で あ っ た 。 そ れ 以 前 の 九 世 紀 段 階 で は 、 確 実 な 史 料 中 に そ の 語 を 確 認 で き な い 。 そ の 初 見 史 料 は 、 三 十 帖 策 子 の 問 題 に 決 着 を つ け た 、 延 喜 十 九 年 ( 九 一 九) の 東 (22) 寺 宛 官 宣 旨 で あ る 。 そ れ は 、 三 十 帖 策 子 を 東 寺 経 蔵 に 安 置 さ せ 、 ﹁ 宗 長 者 ﹂ に よ る 守 護 を 命 じ た も の で あ っ た 。 と 、 ﹁ 長 者 ﹂ の 初 見 史 料 を 延 喜 十 九 年 の 官 宣 旨 と し 、 十 世 紀 初 頭 と み な さ れ た 。 さ ら に 、 か か る. 東 寺 定 額 僧 を 統 率 し 、 東 寺 別 当 と し て 、 僧 団 の 極 小 部 分 を 管 轄 し た の が 真 言 宗 僧 侶 中 の 最 高 僧 官 在 任 者 (十 一 世 紀-散 位 も 可 と な る) た る 長 者 で あ っ た 。 長 者 が 複 数 の 場 合 に は 、 僧 位 僧 官 の 最 上 位 者 が 一 長 者 と し て 主 導 権 を 握 る こ と と な る 。 彼 ら こ そ が 、 本 節 で 明 ら か に し た よ う に 、 イ 大 阿 闇 梨 と し て 一 宗 の 基 幹 { 礼 の 執 行 権 を 独 占 的 に 掌 握 し 、 東 寺 定 額 僧 を 中 核 と し た 真 言 宗 僧 団 を 糸 率 し た 。 更 に 真 言 宗 僧 の 昇 進 に 関 し て も 、. 東 寺 定 (23) 額 僧 や 阿 闊 梨 の 推 挙 権 を 通 じ て そ の 鍵 を 掌 握 し て い た 。 ( 傍 線 筆 者) と い い 、 東 寺 長 者 と は 、 東 寺 別 当 と し て 東 寺 定 額 僧 を 統 率 し 、 僧 団 の 極 小 部 分 を 管 轄 し 、 真 言 宗 僧 侶 中 の 最 高 僧 官 在 任 者 を い う と さ れ た (傍 線 部 ア) 。 ま た そ の 職 掌 を 、(1) 大 阿 閣 梨 と し て 一 宗 の 基 幹 儀 礼 の 執 行 権 を 独 占 す る と と も に (同 イ) 、(2) 東 寺 定 額 僧 や 阿 闊 梨 の 推 挙 権 を 掌 握 し て い た と い わ れ る ( 同 ウ) 。 き わ め て 示 唆 に 富 ん だ 指 摘 で あ る が 、 東 寺 長 者 孜 -九 ・ 十 世 紀 を 中 心 と し て-(上)
密 教 文 化 こ れ ら の 事 が ら は 十 一 世 紀 以 降 の こ と で あ り 、 初 期 の 東 寺 長 者 に つ い て は い ま だ 多 く の 課 題 が 残 さ れ て い る と 考 え る 。 (24) 以 上 、 八 つ の 先 行 研 究 を み て き た 。 こ れ ら を 整 理 す る と 、 表 1 の よ う に な る 。 表 1 、 先 行 研 究 の 整 理
真 木 氏 の 論 考 に よ っ て 、 い く ら か 具 体 的 に な っ た と は い え 、 表 I を す べ て 綜 合 し て も 、 東 寺 長 者 に 関 し て は 、 い ま だ 漠 然 と し た イ メ ー ジ し か 持 ち 得 な い の で は な か ろ う か 。 解 明 す べ き こ と は 多 岐 に わ た っ て お り 、 東 寺 長 者 に 関 す る (補注1) 研 究 は そ の 緒 に つ い た ば か り と い え よ う 。 ひ と ま ず 、 本 稿 で は 、 時 代 を 観 賢 の 活 躍 し た 十 世 紀 前 半 ま で に し ぼ り 、(1) 東 寺 長 者 の 職 は い つ ご ろ 成 立 し た の か 、 (2) そ の 職 掌 は 何 か 、(3) 初 期 の 東 寺 長 者 は は た し て 公 的 に 認 め ら れ た 職 で あ っ た の か 、 と い っ た 点 に つ い て 、 以 下 、 論 を 進 め て い き た い 。 二 、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ に み ら れ る 東 寺 長 者 さ き に 紹 介 し た よ う に 、 古 来 有 力 視 さ れ て き た の は 、 初 代 の 東 寺 長 者 は 承 和 三 年 五 月 に 任 ぜ ら れ た 実 恵 で あ り 、 そ の 根 拠 は ﹃ 御 遺 告 ﹄ に も と つ く と 考 え ら れ た 。 そ こ で 最 初 に 、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ で は 、 い か な る 意 味 ・ 概 念 を も っ て ﹁ 東 寺 長 者 ﹂ が 語 ら れ て い る か を 分 析 ・ 検 討 し て お き た い 。 な お 、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ の 成 立 年 代 は 、 い ま だ 確 定 し て い な い け れ ど も 、 平 成 十 九 年 ( 二 〇 〇 七) 三 月 、 国 の 重 要 文 化 財 に 指 定 さ れ た 金 剛 寺 蔵 本 の 奥 書 に 、 安 和 二 年 七 月 五 日 以 有 縁 本 書 写 暦 能 (別 筆 朱 書) ﹁ 萬 壽 二 年 六 月 十 六 日 於 車 宿 自 僧 都 御 口 習 承 已 了 東 寺 長 者 孜 -九 ・ 十 世 紀 を 中 心 と し て-(上)
密 教 文 化 □ 求 法 沙 門 畳 源 ﹂ (又 別 筆) ( 25) ﹁ 宮 僧 正 覧 源 御 書 也 云 々 傳 領 成 賢 ﹂ と あ る 。 こ こ に 、 暦 能 が 安 和 二 年 ( 九 六 九) 七 月 五 日 に 有 縁 の 本 を も っ て 書 写 し た と あ る こ と か ら 、 少 な く と も 安 和 二 年 七 月 に は 原 本 が で き あ が っ て い た こ と は 間 違 い な い 。 で は 、 内 容 の 分 析 に 移 ろ う 。 二 十 五 ヶ 条 か ら な る ﹃ 御 遺 告 ﹄ の う ち 、 何 を も っ て ﹁ 東 寺 長 者 ﹂ と い う の か 、 ま た ﹁ 東 寺 長 者 ﹂ の 職 掌 に 関 す る 記 述 が み ら れ る の は 、 つ ぎ の 十 条 で あ る 。 第 二 条 実 恵 大 徳 を 以 っ て 吾 が 滅 度 の 後 、 諸 の 弟 子 の 依 師 長 者 と 為 す べ き 縁 起 第 二 第 三 条 弘 福 寺 を 以 っ て 真 雅 法 師 に 属 す べ き 縁 起 第 三 第 六 条 東 寺 灌 頂 院 は 宗 徒 の 長 者 ・ 大 阿 闇 梨 検 校 を 加 ふ べ き 縁 起 第 六 第 十 条 東 寺 に 長 者 を 立 つ べ き 縁 起 第 十 第 十 一 条 諸 の 弟 子 等 、 井 び に 後 生 末 世 の 弟 子 と な ら ん 者 、 東 寺 長 者 を 敬 ふ べ き 縁 起 第 十 一 第 十 六 条 宗 家 の 年 分 を 試 度 す べ き 縁 起 第 十 六 第 十 七 条 後 世 の 末 世 の 弟 子 、 祖 師 の 恩 を 報 進 す べ き 縁 起 第 十 七 第 二 〇 条 神 護 寺 を し て 、 宗 家 の 門 徒 長 者 阿 閣 梨 に 口 入 せ し む べ き 縁 起 第 二 十 第 二 一 条 金 剛 峯 寺 を 東 寺 に 加 え て 、 宗 家 の 大 阿 閣 梨 春 務 す べ き 縁 起 第 二 十 一
第 二 四 条 東 寺 座 主 大 阿 閣 梨 、 如 意 宝 珠 を 護 持 す べ き 縁 起 第 二 十 四 こ れ を 整 理 す る と 、 ( 一) 何 を も っ て ﹁ 東 寺 長 者 ﹂ と い う の か を 記 す 条 ⋮ ⋮ 第 十 ・ 十 一 ・ 六 ・ 三 ・ 十 六 条 ( 二) 実 恵 を 初 代 の 長 者 と す る 条⋮⋮ 第 二 条 ( 三) 東 寺 長 者 の 職 掌 に ふ れ る 条⋮⋮ 第 二 ・ 六 ・ 三 ・ 十 六 ・ 十 七 ・ 二 十 ・ 二 一 ・ 二 四 条 の 三 つ に 大 別 で き よ う 。 以 下 、 ( 1) の 何 を も っ て ﹁ 東 寺 長 者 ﹂ と い う の か を 記 す 第 十 条 か ら 具 体 的 に み て み よ う 。 第 一 は 、 東 寺 に 長 者 を 立 つ べ き 縁 起 第 十 、 で あ る 。 標 目 か ら も 知 ら れ る よ う に 、 本 条 は 東 寺 に 長 者 を 置 く べ き こ と を 規 定 し て お り 、 東 寺 長 者 を 考 え る 上 で の 根 本 史 料 と な る も の で あ る 。 は じ め に 、 本 文 を 三 段 に 分 か っ て あ げ て み よ う 。 お も ん み (1) 夫 れ 以 れ ば 、. 吾 が 弟 子 と な ら ん 者 の 末 世 後 生 の 弟 子 の 内 に 僧 綱 に 成 立 せ し 者 は 、 上 下 の 膓 次 を 求 め ず 、 最 初 に 成 り 出 つ る 者 を 以 っ て 東 寺 の 長 者 と な す べ し 。 (2) 長 者 は 既 に 是 れ 座 主 な り 。 唐 の 法 に 准 じ て 座 主 の 号 を 奏 聞 せ ん と 欲 す 。 先 々 よ り 思 ふ と 錐 も 、 山 に 入 る の 間 、 既 に 忘 脱 せ し め て 未 だ こ の 事 を 遂 げ ず 。 し か は か り ご と (3) 須 く 諸 の 弟 子 等 、 必 ず こ の 事 を 遂 ぐ べ し 。 皆 是 れ 不 要 の 言 あ る に あ ら ず 。 併 し な が ら 、 令 法 久 住 の 謀 の み 。 (26) 我 が 後 の 資 、 こ れ を 難 ず る こ と な か れ 。 ( 原 漢 文 、 以 下 同 じ 、 傍 線 筆 者) こ こ に は 、 い か に 解 す べ き か 、 判 断 が 難 し い 箇 所 が い く つ か あ る 。 た と え ば 、 ﹁ 吾 が 弟 子 と な ら ん 者 の 末 世 後 生 の 弟 子 の 内 に 僧 綱 に 成 立 せ し 者 ﹂ の 傍 線 部 、 お よ び ﹁ 最 初 に 成 り 出 つ る 者 ﹂ な ど で あ る 。 ほ ぼ 同 様 の 表 現 が 、 第 三 条 に 東 寺 長 者 孜 ー 九 ・ 十 世 紀 を 中 心 と し て-(上)
密 教 文 化 も さ き ま た も っ ぱ ら 諸 の 弟 子 の 中 に 在 っ て 前 に 出 身 せ ん 者 、 東 寺 を 掌 る べ し 。 年 膓 の 次 第 を 求 む べ か ら ず 。 亦 門 徒 の 間 に 一 成 り 立 な (27) む を 以 っ て 長 者 と 為 す べ し 。 と 見 え る こ と か ら 、 そ の 解 釈 に は 慎 重 を 期 さ ね ば な ら な い で あ ろ う 。 と も あ れ 、 こ の 第 十 条 の 文 を ﹁ 僧 綱 に 補 任 さ れ た 者 ﹂ ﹁ 最 初 に 僧 綱 に 補 任 さ れ た 者 ﹂ と 解 す る と 、 全 体 は つ ぎ の よ う に 要 約 で き よ う 。 (1) 僧 綱 に 補 任 さ れ た 者 の う ち 、 膓 次 に は 関 係 な く 、 最 初 に 補 任 さ れ た 者 を 東 寺 長 者 と し な さ い 。 (2) 長 者 は こ れ 座 主 で あ る 。 唐 の 法 に 准 じ て 座 主 の 号 を 奏 上 し 勅 許 を え た い と 考 え て い た 。 し か し 、 高 野 山 へ 隠 棲 す る こ と ば か り 考 え て い た の で 、 い ま だ 上 奏 す る に い た っ て い な い 。 (3) つ い て は 、 令 法 久 住 の た め で あ る か ら 、 諸 弟 子 ら は 必 ず 上 奏 し 勅 許 を え な さ い 。 こ こ で 、 三 つ の こ と に 留 意 し て お き た い 。 第 一 は 、 膓 次 に 関 係 な く 、 最 初 に 僧 綱 に 補 任 さ れ た も の を 東 寺 長 者 と す る 、 と の(1) の 箇 所 で あ る 。 第 二 は 、 長 者 は 座 主 で あ る 、 と の (2) の 箇 所 で あ る 。 第 三 は 、 唐 の 法 に 准 じ て 、 座 主 の 号 を 上 奏 し 勅 許 を え た い と 考 え て い た が 、 隠 棲 の こ と に 忙 殺 さ れ 、 い ま だ そ の 手 続 き を 終 え て い な い の で 、 必 ず 勅 許 を え な さ い 、 と の(2)(3) の 箇 所 で あ る 。 こ れ ら は 、 一 体 、 何 を 意 味 す る の で あ ろ う か 。 ま た 、 ど こ ま で 史 実 を 伝 え て い る の ( 28 ) で あ ろ う か 。 詳 細 は 後 日 を 期 さ ざ る を え な い 。 第 二 は 、 諸 の 弟 子 等 、 井 び に 後 生 末 世 の 弟 子 と な ら ん 者 、 東 寺 長 者 を 敬 ふ べ き 縁 起 第 十 一 、 で あ る 。 本 条 で は 、 標 目 に も あ る よ う に 、 後 世 の 弟 子 た ち は 何 が あ ろ う と も 東 寺 長 者 を 敬 い 尊 重 し な さ い と 規 定 す る 。 ま ず 、 本 文 を 三 段 に 分 か っ て あ げ よ う 。
(1) 夫 れ 以 れ ば 、 大 唐 の 法 は 、 青 龍 寺 の 例 の 如 し 。 然 る 所 以 は 、 彼 の 寺 に は 元 来 、 他 の 類 あ る こ と な し 。 僧 数 千 な ぞ か ま び す り と 錐 も 、 皆 他 の 徒 に あ ら ず 。 蕨 の 中 に も 一 人 不 和 の 者 あ ら ば 、 諸 衆 共 に 情 操 を 和 調 し て 傲 し き 事 な か ら し い か い は し め よ 。 何 に 況 ん や 、 疵 を 分 ち て 俗 家 に 及 ぼ さ ん 。 こ い ね が わ た と ひ た が ひ (2) 方 に 今 、 翼 く は 一 家 の 徒 ら 、 仮 使 数 千 万 な り と も 各 互 に 譲 り 、 惜 し ん で 他 家 に 出 だ す こ と な か れ 。 心 を 一 に そ し た が ひ ま た し 念 を 専 ら に し て 、 ま さ に 座 主 官 長 を 敬 尊 す べ し 。 彼 を 誹 り て 相 互 に 怨 む こ と な か れ 。 亦 我 が 師 、 人 の 師 、 限 別 を な す こ と な か れ 。 ま た (3) 亦 慈 春 を 分 つ に 、 我 が 資 、 人 の 資 を 簡 ぶ こ と な か れ 。 但 し 処 風 に 随 は ず 、 宗 の 意 に 叶 は ず 、 放 逸 邪 見 な ら ば 、 (29) 更 に 共 に す る こ と を 得 ざ れ 。 都 て 吾 が 末 資 に あ ら ず 。 一 を 得 て 千 を 知 れ 。 ( 傍 線 筆 者) 要 約 す る と 、 つ ぎ の よ う に な ろ う 。 (1) 大 唐 の 法 と は 、 青 龍 寺 の 例 を い う の で あ る 。 そ の 理 由 は 、 青 龍 寺 は 元 来 、 数 千 人 の 僧 が い る け れ ど も 、 す べ て 密 教 僧 で あ る 。 た と え 、 そ の な か に 調 和 を 乱 す 者 が 一 人 い た と し て も 、 諸 衆 で 情 操 教 育 を お こ な い 、 大 騒 動 に は し て こ な か っ た 。 ま し て や 、 僧 の 過 失 ・ 争 い を 俗 家 に ま で 及 ぼ す こ と は な か っ た 。 (2) 真 言 一 宗 の 門 徒 た ち は 、 た と え そ の 数 が 数 千 万 人 に な ろ う と も 、 た が い に 護 り あ っ て 他 宗 に 走 る よ う な こ と の な き よ う に 努 あ な さ い 。 心 を 一 つ に し 護 法 の 念 を も っ て ま さ に 座 主 官 長 を 敬 い 尊 重 し な さ い 。 た が い に 誹 諺 し 怨 む こ と の な き よ う に 。 ま た 、 わ が 師 、 他 の 師 と い っ て 弁 別 す る こ と の な き よ う に 。 (3) さ ら に 、 弟 子 を 育 成 す る 上 で 、 目 分 の 弟 子 、 他 人 の 弟 子 な ど と 差 別 し て は な ら な い 。 た だ し 、 規 律 に し た が わ ず 、 真 言 宗 の 本 意 に た が い 、 勝 手 気 ま ま に 行 動 し 邪 見 を も つ も の が い た な ら ば 、 ( そ の も の と は) と も に 生 活 す 東 寺 長 者 孜 -九 ・ 十 世 紀 を 中 心 と し て-(上)
密 教 文 化 る こ と は で き な い し 、 わ が 弟 子 で も な い 。 こ の 条 を 一 読 す る と 、 真 言 教 団 内 は ま と ま り を 欠 く 状 態 で あ っ た と の 印 象 を 強 く う け る の は 私 だ け で あ ろ う か 。 そ の な か で 、 東 寺 長 者 を 中 心 と し て 建 て な お し を 計 ろ う と し て い る と も 受 け と れ る 文 面 で あ る 。 こ の 条 が い か な る 時 代 を 背 景 と し て 書 か れ て い る か に つ い て は 、 後 考 を 埃 つ こ と に し た い 。 第 三 は 、 実 恵 大 徳 を 以 っ て 吾 が 滅 度 の 後 、 諸 の 弟 子 の 依 師 長 者 と 為 す べ き 縁 起 第 二 、 で あ る 。 本 条 は 、 先 述 し た よ う に 、 実 恵 の 徳 を 讃 え て 、 初 代 の 東 寺 長 者 と す べ き こ と を 定 め た も の と 解 さ れ て き た 。 本 文 を 二 段 に 分 か っ て あ げ る と 、 お も ん み こ れ (1) 夫 れ 以 れ ば 、 吾 が 道 の 興 然 た る こ と 、 専 ら 此 の 大 徳 の 信 力 な り 。 藪 に 因 っ て 示 し 告 ぐ る 所 な り 。 真 言 を 以 っ し す か れ が ん せ い も と ゐ や く て 本 宗 と 為 、 顕 教 を 以 っ て 辺 教 と 為 。 他 に 眼 青 有 り て 自 在 に 融 通 す 。 人 師 国 宝 の 本 、 豊 に 此 の 大 徳 に 益 あ ら ん や 。 (2) 価 っ て 大 経 蔵 の 事 、 一 向 に 此 の 大 徳 に 預 く 。 但 し 若 し 実 恵 大 徳 不 幸 の 後 は 、 真 雅 法 師 を 以 っ て 処 分 せ し め 封 納 な か し 開 合 せ よ 。 之 に 依 り て 未 だ 情 を 知 ら ざ ら む 弟 子 等 に 封 開 せ し む る こ と 勿 れ 。 愚 か な る 情 を も っ て 師 師 の 長 短 (30) 深 浅 、 必 ず 他 家 に 語 ら ん か 。 慎 む べ し 。 慎 む べ し 。 ( 以 下 略) と な る 。(1) で は 、 真 言 宗 が 盛 ん に な っ た の は 、 ひ と り 実 恵 大 徳 の 信 力 に よ る と し て 、 実 恵 を 東 寺 長 者 と す る こ と を こ こ に 告 示 す る と い う 。(2) で は 、 大 経 蔵 に 関 す る 一 切 の こ と を 実 恵 大 徳 に 預 け る と し 、 実 恵 没 後 は そ の 役 目 を 真 雅 に 託 す と す る 。 こ れ よ り 、 東 寺 長 者 の 職 掌 の 一 つ に 、 東 寺 大 経 蔵 の 管 理 を あ げ る こ と が で き よ う 。 第 四 は 、 東 寺 灌 頂 院 は 宗 徒 の 長 者 大 阿 閣 梨 、 検 校 を 加 ふ べ き 縁 起 第 六 、 で あ る 。 本 条 で は 、 一 つ に 実 恵 に 東 寺 灌 頂
院 を 完 成 さ せ る べ き こ と を 、 二 つ に 東 寺 長 者 が 御 願 の 灌 頂 会 の 阿 閣 梨 を 勤 め る べ き こ と を 命 じ た も の で あ る 。 さ っ そ く 、 本 文 を 四 段 に わ か っ て あ げ て み よ う 。 か つ が つ (1) 右 の 院 は 、 未 だ 造 り 畢 ら ず と 錐 も 、 且 伝 燈 の 志 を 始 む 。 (2) 此 の 間 、 思 う 所 千 廻 な り と 錐 も 、 早 々 に 山 に 入 り て 此 の 志 を 遂 ぐ る に あ ら ず 。 ま た (3) 然 れ ば 則 ち 、 実 恵 大 徳 、 一 向 に 造 功 を 畢 る べ し 。 亦 諸 の 荘 厳 は 、 先 々 に 語 る が 如 く す べ し 。 (4) 恒 例 の 灌 頂 の 阿 閣 梨 は 、. 門 徒 の 内 、 最 初 に 成 り 立 た ん 者 を 以 っ て 御 願 を 修 せ し む べ し 。 若 し 殊 に 病 い の 妨 げ 有 ら ば 、 次 の 人 を 以 っ て 之 を 請 用 す べ し 。 若 し 是 れ 辞 退 せ ば 、 永 く 吾 が 後 生 の 弟 子 ・ 門 徒 に あ ら ず 。 宜 し く 応 (31) に 信 奉 す べ し 。 ( 傍 線 筆 者) (4) の 傍 線 部 ア の ﹁ 最 初 に 成 り 立 た ん 者 ﹂ は 、 さ き に 問 題 と し た 第 十 条 の ﹁ 最 初 に 成 り 出 つ る 者 ﹂ と ほ ぼ 同 じ 語 句 で あ る の で 、 同 じ 意 味 に 解 し て お く 。 と も あ れ 、 本 文 を 要 約 す る と 、 大 略 つ ぎ の よ う に な ろ う 。 標 目 は ﹁ 東 寺 灌 頂 院 は 真 言 宗 徒 の 長 者 で あ る 大 阿 閣 梨 が 管 理 ・ 運 営 す べ き こ と ﹂ と な り 、 本 文 は 、 (1) 東 寺 灌 頂 院 は 、 未 だ 完 成 し て い な い け れ ど も 、 密 教 の 法 燈 を 後 世 に 伝 え る た め に 計 画 し た も の で あ る 。 (2) こ の 間 、 種 々 思 い を 廻 ら し て い た け れ ど も 、 早 々 に 高 野 山 に 隠 棲 し た の で 、 そ れ ら の 計 画 を 成 し 遂 げ る こ と は で き な か っ た 。 (3) そ こ で 、 実 恵 大 徳 は ひ た す ら 灌 頂 院 の 完 成 に 努 め て ほ し い 。 ま た 諸 々 の 荘 厳 に つ い て は 、 前 々 か ら 語 っ て き た よ う に し て ほ し い 。 (4) 恒 例 の 灌 頂 の 阿 閣 梨 は 、 真 言 宗 門 徒 の な か 、 最 初 に 僧 綱 に 任 ぜ ら れ た も の ( 伝 法 者 と 成 っ た も の) に よ っ て 、 御 東 寺 長 者 孜 ー 九 ・ 十 世 紀 を 中 心 と し て-(上)
密 教 文 化 願 の 務 め を 行 な い な さ い 。 も し こ の 者 が 病 な ど で 行 な え な い と き は 、 次 の 伝 法 者 を も っ て 起 用 し な さ い 。 こ れ を 辞 退 す る こ と が あ れ ば 、 ( そ の も の は) 私 の 弟 子 で も 門 徒 で も な い 。 こ の こ と を よ く 信 じ 大 切 に 守 り な さ い 。 と な ろ う 。 こ れ よ り 、 東 寺 長 者 の 職 掌 の 一 つ と し て 、 東 寺 灌 頂 院 に お け る 恒 例 の 灌 頂 (結 縁 灌 頂 で あ ろ う) の 大 阿 閣 梨 (32) が あ っ た こ と を 指 摘 で き よ う 。 注 目 す べ き は 、 標 目 か ら 東 寺 長 者 目 大 阿 閣 梨 の 図 式 が 導 き だ さ れ る こ と で あ る 。 第 五 は 、 弘 福 寺 を 以 っ て 真 雅 法 師 に 属 す べ き 縁 起 第 三 、 で あ る 。 第 二 条 で 、 実 恵 の 示 寂 後 は 真 雅 に 大 経 蔵 の こ と を 任 せ る べ き こ と が 記 さ れ て い た が 、 本 条 で は そ の 真 雅 に 弘 福 寺 を 付 属 す べ き こ と が 定 め ら れ て い る 。 四 段 に 分 か っ て 本 文 を あ げ る 。 (1) 右 の 寺 は 、 是 れ 飛 鳥 浄 三 原 の 宮 の 御 宇 、 天 武 天 皇 の 御 願 な り 。 く だ ひ た す ら お も ん み (2) 而 る に 天 長 の 聖 主 、 勅 を 垂 し て 永 常 に 東 寺 に 加 へ て 修 治 す べ き の 由 畢 ん ぬ 。 伏 し て 惟 れ ば 、 聖 恩 は 是 れ 少 僧 ま く の み が 高 野 に 通 ひ 詣 つ る に 依 っ て 給 ふ 所 の 宿 処 な り 、 而 已 。 之 に 依 っ て 、 少 僧 永 く. 師 々 相 伝 し て 修 治 す べ き 者 な り 。 (3) 真 雅 法 師 一 期 の 後 は 、 、 諸 の 弟 子 の 中 に 在 っ て 前 に 出 身 せ ん 者 、 東 寺 を 掌 る べ し 。. 年 膓 の 次 第 を 求 む べ か ら ず 。 も っ ゆま ら な た ら な つ . 亦 門 徒 の 間 に 一 成 り立 む を 以 っ て 長 者 と 為 す べ し 。 長 者 為 む 者 、 弘 福 寺 を 加 へ 掌 る べ し 。 仏 陀 宮 と 称 く 。 す る の み い つ く はか り ご と す お (4) 己 れ が 宿 所 と 為 に あ ら ず 。 仏 の 修 治 を 厳 し く せ ん こ と を 、 オ 宗 の 計 と 為 る な り 。 ( 傍 線 筆 者) さ き に 第 十 条 を 紹 介 し た と き 、 解 釈 す る 上 で 問 題 が 残 る と し て 指 摘 し た 表 記 が み ら れ た の が(3) の 箇 所 で あ る 。 な か も っ ぱ ら で も 、 傍 線 部 イ の ﹁ 諸 の 弟 子 の 中 に 在 っ て 前 に 出 身 せ ん 者 、 東 寺 を 掌 る べ し ﹂ 、 エ の ﹁ 門 徒 の 間 に 一 成 り 立 む を 以 っ な て 長 者 と 為 す べ し ﹂ の 解 釈 が 問 題 と な る 。 と も あ れ 、 全 文 を 要 約 す る と 、 つ ぎ の よ う に な ろ う 。
(1) 弘 福 寺 は 、 飛 鳥 浄 三 原 の 宮 を 都 と し て い た 天 武 天 皇 の 御 願 に よ っ て 建 立 さ れ た 寺 で あ る 。 (2) 天 長 の 聖 主-淳 和 天 皇 は 、 勅 を 下 さ れ て 、 末 永 く 弘 福 寺 を 東 寺 管 轄 下 の 寺 と し て 経 営 す べ き こ と を 命 ぜ ら れ た 。 そ の 真 意 は 、 少 僧 (空 海) が 京 都 と 高 野 山 と を 往 還 す る 際 の 宿 所 と す る よ う に 、 と の お ぼ し め し で あ っ た 。 そ こ で 、 私 は 永 く 師 資 相 伝 し て 経 営 す る こ と に し た 。 (3) た だ し 、 真 雅 が 示 寂 し た あ と は 、 諸 弟 子 の な か で 、 先 に 僧 綱 に 任 ぜ ら れ た も の を も っ て 、 東 寺 を 管 理 ・ 運 営 さ せ な さ い 。 年 膓 に よ る べ き で な く 、 門 徒 の な か 、 も っ ぱ ら 僧 綱 に 任 ぜ ら れ た も の を 東 寺 長 者 と し な さ い 。 そ の 長 者 は 、 弘 福 寺 を 併 せ て 管 理 ・ 運 営 し な さ い 。 ま た 、 弘 福 寺 を 仏 陀 宮 と 称 す る 。 (4) 私 の 宿 所 と す る だ け で な く 、 仏 寺 と し て の 威 厳 を 保 持 す る こ と を 、 宗 是 と す る 。 つ ま り 、 弘 福 寺 は わ た く し 空 海 が 淳 和 天 皇 か ら 京 都 と 高 野 山 と の 往 還 の 宿 所 と し て 賜 わ っ た も の で あ り 、 い ま 真 雅 に 付 属 す る け れ ど も 、 真 雅 が 示 寂 し た あ と は 東 寺 長 者 が 東 寺 と と も に 管 理 ・ 運 営 し な さ い 、 と の 趣 旨 で あ る 。 ﹃ 金 剛 峯 寺 建 立 修 行 縁 起 ﹄ ( 以 下 、 ﹃ 建 立 縁 起 ﹄ と 略 称 す) に よ る と 、 じ ち え 同 九 年 十 一 月 十 二 日 を 以 っ て 、 深 く 穀 味 を 厭 い 、 専 ら 坐 禅 を 好 む 。 東 寺 を 以 っ て 実 恵 僧 都 に 付 し 、 神 護 寺 を 以 っ (34) て 真 済 僧 正 に 付 し 、 真 言 院 を 以 っ て 真 雅 僧 正 に 付 し 、 高 雄 の 旧 居 を 去 っ て 南 山 に 移 り 入 る 、 と 云 々 。 と あ り 、 空 海 は 天 長 九 年 (八 三 二) 十 一 月 に 高 野 山 に 隠 棲 し 、 穀 類 を 食 べ る こ と を や め 、 も っ ぱ ら 坐 禅 を 行 な っ た 。 そ れ に 先 だ ち 、 空 海 が 管 掌 し て い た 寺 々 を 諸 弟 子 に 付 属 し た と し 、 実 恵 に は 東 寺 を 、 真 済 に 神 護 寺 を 、 真 雅 に 真 言 院 を 委 ね た と す る 。 こ の ﹃ 建 立 縁 起 ﹄ の 記 述 は 、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ の 第 一 条 の 吾 れ 、 去 じ 天 長 九 年 十 一 月 十 二 日 自 り 、 深 く 穀 味 を 厭 い て 、 専 ら 坐 禅 を 好 む 。 皆 是 れ 令 法 久 住 の 勝 計 な り 。 井 び 東 寺 長 者 孜 -九 ・ 十 世 紀 を 中 心 と し て-(上)
密 教 文 化 (35) に 末 世 後 生 の 弟 子 ・ 門 徒 等 が 為 な り 。 と 第 二 条 ・ 第 三 条 な ど を 典 拠 と し て 書 か れ た も の と 考 え ら れ る が 、 真 雅 に 付 属 し た の が 弘 福 寺 で は な く 、 真 言 院 と す (36) る と こ ろ が 問 題 と し て 残 る 。 な ぜ な ら 、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ に 真 言 院 は 見 あ た ら な い か ら で あ る 。 第 六 は 、 宗 家 の 年 分 を 試 度 す べ き 縁 起 第 十 六 、 で あ る 。 本 条 で は 、 二 つ の こ と 、 す な わ ち 一 つ は 年 分 度 者 の 課 試 と 得 度 を 金 剛 峯 寺 で 行 な う べ き こ と 、 二 つ 目 は そ の 課 試 と 得 度 を 東 寺 長 者 が 責 任 を も っ て 行 な う べ き こ と を 定 め て い る 。 本 文 を あ げ る と 、 (1) 夫 れ 以 れ ば 、 件 の 宗 分 度 者 は 須 く 初 め に 思 う が 如 く 東 寺 に て 試 度 す べ し 。 然 れ ど も 山 家 を 荒 さ じ め ざ ら ん と 欲 ひ う て 、 更 に 改 め て 奏 し て 官 符 を 金 剛 峯 寺 に 申 し 下 さ ん と 欲 ふ も の な り 。 敢 え て 東 寺 を 厭 ひ て 南 嶽 を 汲 か ん や 。 ア 今 、 須 く 東 寺 の 座 主 大 阿 閣 梨 耶 執 事 し て こ れ を 改 め 直 さ ん こ と を 欲 ふ 。 ま た (2) 亦 諸 の 定 額 の 僧 の 中 の 能 才 の 童 子 等 を 簡 び 定 め て 、 山 家 に 於 い て 試 度 し て 、 即 ち 東 大 寺 の 戒 壇 に 於 い て 具 足 戒 を 受 け し め よ 。 受 戒 の 後 、 山 家 に 於 い て 三 箇 年 練 行 し 、 蕨 の 後 、 各 々 師 に 随 ひ て 密 教 を 受 学 せ よ 。 具 に は 先 の 文 に 在 り 。 (3) 但 し, 座 主 大 阿 閣 梨 と 日 ふ は 即 ち 東 寺 の 大 別 当 の 号 な り 。 門 徒 の 間 に 修 学 し て 最 初 に 成 り 出 で て 長 者 た ら ん を (37) 言 ふ な り 。 膓 次 を 求 む べ か ら ず 。 修 学 を 先 と な し て 、. 最 初 に 成 立 せ る を 長 者 と せ よ 。 ( 傍 線 筆 者) と な る 。 内 容 を 要 約 し て み よ う 。 (1) 真 言 宗 の 年 分 度 者 は 、 最 初 、 東 寺 で 試 度 す る つ も り で あ っ た 。 し か る に 、 高 野 山 が 興 廃 す る の を 慮 り 、 再 度 上 奏 し て 太 政 官 符 を 金 剛 峯 寺 に 下 す よ う お ね が い し て ほ し い 。 必 ず し も 、 東 寺 を 嫌 い 南 嶽= 高 野 山 を 好 ま し く 思
う か ら で は な い 。. 東 寺 の 座 主 大 阿 闊 梨 耶 は 寺 務 を と り し き り 、 こ の よ う に 改 あ て ほ し い 。 (2) も ろ も ろ の 定 額 僧 の 童 子 の う ち 、 才 能 あ る も の が い れ ば 選 び 出 し て 、 山 家 目 金 剛 峯 寺 で 試 度 し 、 東 大 寺 戒 壇 院 に て 具 足 戒 を 受 け さ せ 、 受 戒 後 は 三 ヵ 年 に わ た り 金 剛 峯 寺 で 修 練 さ せ 、 こ れ ら が 終 わ っ た 後 、 も と の 師 か ら 密 教 を 受 学 さ せ な さ い 。 な (3) , こ こ に い う 座 主 大 阿 闇 梨 耶 と は 東 寺 の 大 別 当 の 号 で あ る 。 真 言 宗 の 門 徒 の う ち 、 真 言 法 を 最 初 に 成 就 し 、 長 者 に 相 応 し い 者 を ( 大 別 当 と) い う の で あ る 。 膓 次 で は な く 、 修 学 を 優 先 さ せ な さ い 。. 最 初 に 真 言 法 の 奥 旨 を 成 就 し た も の を 長 者 と し な さ い 。 一 見 す る と 、(1)(2) と(3) と は 関 係 な い か の よ う に 見 う け ら れ る が 、 つ ぎ の よ う に 解 し て お き た い 。 す な わ ち 、 東 寺 定 額 僧 の 童 子 の な か 、 優 秀 な 者 を 選 ん で 年 分 度 者 と し て の 課 試 と 得 度 を 金 剛 峯 寺 で お こ な い 、 東 大 寺 戒 壇 院 で 受 戒 さ せ (38) た の ち 、 三 ヵ 年 の 籠 山 行 を 課 し な さ い 。 そ の 課 試 と 得 度 を 東 寺 長 者 が 中 心 と な っ て 行 な い な さ い 、 と 。 こ こ で 留 意 す べ き は 、 東 寺 長 者 の 概 念 を 記 し た と 思 わ れ る(3) の 部 分 で あ る 。 そ こ に は 、 第 十 条 ・ 第 三 条 と 略 同 じ 内 容 と 思 わ れ る 文 章 が 見 ら れ る か ら で あ る 。 三 つ の 本 文 を 併 記 す る と 、 十 条 ⋮ ⋮ ⋮. 吾 が 弟 子 と な ら ん 者 の 末 世 後 生 の 弟 子 の 内 に 僧 綱 に 成 立 せ し 者 は 、 イ 上 下 の 膓 次 を 求 め ず 、. 最 初 に 成 り 出 つ る 者 を 以 っ て 東 寺 の 長 者 と な す べ し 。 三 条 ⋮ ⋮ ⋮ 真 雅 法 師 一 期 の 後 は 、. 諸 の 弟 子 の 中 に 在 っ て 前 に 出 身 せ ん 者 、 東 寺 を 掌 る べ し 。 イ 年 膓 の 次 第 を 求 む べ も っ ま ら な か ら ず 。 亦. 門 徒 の 間 に 一 成 り 立 む を 以 っ て 長 者 と 為 す べ し 。 十 六 条 ⋮ ⋮ 但 し 座 主 大 阿 閣 梨 と 日 ふ は 即 ち 東 寺 の 大 別 当 の 号 な り 。. 門 徒 の 間 に 修 学 し て 最 初 に 成 り 出 で て 長 者 た 東 寺 長 者 孜-九 ・ 十 世 紀 を 中 心 と し て-(上)
密 教 文 化 ら ん を 言 ふ な り 。, 膓 次 を 求 む べ か ら ず 。 修 学 を 先 と な し て 、 最 初 に 成 立 せ る を 長 者 と せ よ 。 と な る 。 ま ず 気 づ く こ と は 、 三 つ と も 文 章 の 構 造 が 同 じ で あ る こ と で あ る 。 ま た 、 三 つ に は 類 似 し た 表 現 も み ら れ る こ と か ら 、 同 一 の 内 容 を 別 の こ と ば で 表 し た に 過 ぎ な い と も 考 え ら れ る 。 こ の よ う な 解 釈 に も と つ い て 要 約 し た の が 、 右 の 現 代 語 訳 で あ る 。 詳 細 は 後 日 、 改 め て 検 討 す る こ と に し た い が 、 こ れ ら か ら は 、 東 寺 長 者= 座 主 大 阿 閣 梨 ほ 東 寺 大 別 当 と い た 図 式 を 導 き 出 す こ と が で き よ う 。 第 七 は 、 後 生 ・ 末 世 の 弟 子 、 祖 師 の 恩 を 報 進 す べ き 縁 起 第 十 七 、 で あ る 。 こ の 標 目 は 、 後 生 ・ 末 世 の 弟 子 は 、 祖 師 の ご 恩 に 報 い つ つ 精 進 す べ し 、 と 解 さ れ る が 、 内 容 的 に は 今 一 つ 明 確 に し え な い 。 な ぜ な ら 、 前 半 で は 弥 勒 菩 薩 と と も に 下 生 す る の で 、 こ の 間 怠 り な く 信 仰 す る よ う に と い い 、 後 半 に は 真 言 宗 で は 囲 碁 ・ 双 六 を 一 切 禁 止 す べ き こ と が 説 か れ る か ら で あ る 。 と も あ れ 、 本 文 を 七 段 に わ か っ て あ げ て み よ う 。 (1) 夫 れ 以 れ ば 、 東 寺 の 座 主 大 阿 闇 梨 耶 は 、 吾 が 末 世 ・ 後 生 の 弟 子 な り 。 吾 が 滅 度 の 以 後 に 、 弟 子 数 千 万 あ ら む の 問 の 長 者 な り 。 門 徒 数 千 万 な り と 錐 も 、 併 し な が ら 吾 が 後 生 の 弟 子 な り 。 (2) 祖 師 吾 が 顔 を 見 ず と い え ど も 、 心 有 ら ん 者 は 、 必 ず 吾 が 名 号 を 聞 き て 、 恩 徳 の 由 を 知 れ 。 い た わ り お も は か り ご と (3) 是 れ 吾 が 白 屍 の 上 に 、 更 に 人 の 労 を 欲 ふ に あ ら ず 。 密 教 の 寿 命 を 護 り 継 い て 龍 華 三 庭 に 開 か し む べ き 謀 な り 。 は ん べ (4) 吾 れ 閉 眼 の 後 に は 、 必 ず 方 に 兜 卒 陀 天 に 往 生 し て 弥 勒 慈 尊 の 御 前 に 侍 る べ し 。 五 十 六 億 余 の 後 に 、 必 ず 慈 尊 と ま た か つ が つ 御 共 に 下 生 し 、 祇 候 し て 吾 が 先 跡 を 問 ふ べ し 。 亦 且 未 だ 下 ら ざ る の 間 に も 、 微 雲 管 よ り 見 て 、 信 否 を 察 す べ
さ い わ ひ え ゆ め ゆ め す し 。 是 の 時 に 勤 め 有 ら ん も の は 祐 を 得 、 不 信 の 者 は 不 幸 な ら ん 。 努 力 努 力 後 に 疎 か に 為 る こ と 勿 れ 。 ま た こ き む い へ り (5) 亦 僧 尼 令 を 案 ず る に 曰 く 。 碁 ・ 琴 は 制 の 限 り に 有 る こ と あ ら ず 、 と 者 。 然 れ ど も 霧 に 密 教 の 心 を 案 ず る に 、 此 の 家 に は 此 の 事 無 か ら し む べ し 。 ゆ へ ゆ る と が (6) 然 る 所 以 は 、 若 し 未 練 の 僧 、 井 び に 童 子 等 有 っ て 、 此 の 遊 び を 放 さ れ ば 、 必 ず 後 代 の 過 有 ら ん 。 何 に 況 ん や 囲 碁 ・ 雌 又 六 を や 。 一 切 停 止 す べ し 。 あ な が ち を む (7) 若 し 強 に 此 の 事 を 好 む 者 は 、 都 て 吾 が 末 世 の 資 に あ ら ず 。 刹 利 種 性 ・ 蔭 子 孫 を 論 ぜ ず 。 併 せ て 悉 く 追 放 せ よ 。 (39) 一 切 に 寛 宥 す る こ と を 得 る こ と 勿 れ 、 と 云 々 。 こ れ を 要 約 す る と 、 (1) 考 え て み る に 、 東 寺 の 座 主 大 阿 閣 梨 耶 は 、 私 の 末 世 後 生 の 弟 子 で あ り 、 私 が 示 寂 し た あ と 、 数 千 万 人 に お よ ぶ 弟 子 の な か の 長 者 で あ る 。 数 千 万 の 門 徒 も 、 同 じ く 私 の 後 生 の 弟 子 で あ る 。 (2) 祖 師 た る 私 の 顔 を 見 た こ と が な い と い え ど も 、 心 あ る 者 は 必 ず 私 の 名 を 聞 い て 、 恩 徳 が ど て に あ る か を 知 り な さ い 。 (3) こ の こ と は 、 私 が 示 寂 し た あ と 、 こ れ ま で 以 上 に 大 切 に 取 り 扱 っ て く れ る こ と を 望 ん で い る の で は な い 。 た だ 、 密 教 の 寿 命 を 護 り つ い で 、 五 十 六 億 七 千 万 年 後 の 龍 華 三 庭 ま で も 存 続 さ せ た い と の 計 略 で あ る 。 (4) 私 は 閉 眼 の の ち 、 必 ず 弥 勒 菩 薩 の 浄 土 で あ る 兜 卒 陀 天 に 往 き 、 弥 勒 菩 薩 の 御 前 に 祇 候 し よ う 。 そ う し て 、 五 十 ゆ か り 六 億 余 の 後 に は 必 ず 慈 尊 と と も に こ の 世 に 下 生 し 、 わ が 縁 の 地 を 訪 ね る で あ ろ う 。 ま た 、 兜 卒 陀 天 に い る あ い だ は 、 つ ね に 雲 間 よ り 信 ・ 不 信 を 観 察 し て い よ う 。 こ の 時 、 一 心 に 励 ん で い る 者 は 幸 い を え 、 一 方 、 不 信 の 者 東 寺 長 者 孜 -九 ・ 十 世 紀 を 中 心 と し て-(上)
密 教 文 化 は 不 幸 と な ろ う 。 だ か ら 、 必 ず 努 め 励 み な さ い 。 (5) つ ぎ に 、 ﹁ 僧 尼 令 ﹂ を み る と 、 出 家 者 の 碁 ・ 琴 は 制 限 さ れ て い な い 。 し か し 、 心 し て 密 教 の 精 髄 を 考 え て み る に 、 碁 ・ 琴 は な い 方 が よ い 。 (6) そ の 理 由 は 、 も し 未 熟 な る 僧 ・ 童 子 な ど が い て 、 こ の 遊 び を 放 任 し て い る と 、 必 ず 後 代 に 過 失 を 招 く で あ ろ う 。 ま し て 囲 碁 ・ 双 六 は な お さ ら で あ る 。 一 切 停 止 す べ き で あ る 。 (7) も し こ の 事 を よ し と し な い 者 は 、 す べ て 私 の 弟 子 と は い え な い 。 王 族 ・ 武 士 (刹 利) 、 貴 族 な ど 出 自 に 関 係 な く 、 悉 く 追 放 し な さ い 。 一 切 寛 大 な る 処 分 を し て は い け な い 。 と な ろ う 。 こ の 十 七 条 で 留 意 す べ き こ と が 二 つ あ る 。 第 一 は 、(1) で 東 寺 の 座 主 大 阿 閣 梨 耶= 長 者 と 解 さ れ る 文 章 が み ら れ る こ と で あ る 。 こ の 東 寺 の 座 主 大 阿 閣 梨 耶 誓 長 者 の 構 図 は 、 縁 起 第 十 六 に つ づ く も の で あ り 、 ﹁ 座 主 大 阿 閨 梨 耶 ﹂ ﹁ 座 主 阿 れ 閣 梨 耶 ﹂ な る 語 句 が ﹃ 御 遺 告 ﹄ に 多 出 す る こ と と あ い ま っ て 、 注 目 さ れ る の で あ る 。 第 二 は 、 五 十 六 億 余 年 の の ち 、 弥 勒 菩 薩 が 下 生 さ れ る 際 、 空 海 も と も に 下 生 す る と の(4) の 記 述 で あ る 。 こ の 説 は 、 空 海 の 入 定 留 身 信 仰 に 相 反 す る も の で あ り 、 入 定 信 仰 の 成 立 過 程 を 考 え る と き 、 重 要 と な ろ う 。 さ て こ の 条 は 、(1) の 東 寺 の 座 主 大 阿 閣 梨 耶= 長 者 、(2)-(4) の 弥 勒 下 生 に 関 す る 話 、 そ し て(5)-(7) 囲 碁 な ど を 禁 止 す べ き 話 と 三 つ の 部 分 か ら な り 、 一 見 し て 連 関 な き よ う に 思 わ れ る 。 と は い え 、 囲 碁 ・ 双 六 ・ 琴 な ど の 娯 楽 に 手 を 出 す も の を 取 り 締 ま る よ う に と の 、 東 寺 長 者 の 職 掌 の 一 つ を 説 い た も の と 解 し て お く 。 第 八 は 、 神 護 寺 を し て 宗 家 の 門 徒 長 者 大 阿 闇 梨 に 口 入 せ し む べ き 縁 起 第 二 十 、 で あ る 。 こ の 標 目 は 、 神 護 寺 の 管 理 ・
運 営 に 長 者 が 助 言 し な さ い 、 と の 意 で あ る 。 ま ず 、 本 文 を 三 段 に 分 か っ て あ げ る と 、 つ ぎ の よ う に な る 。 の (1) 夫 れ 以 れ ば 、 神 護 寺 は 是 れ 和 気 氏 の 建 立 、 八 幡 大 菩 薩 の 主 託 の 庭 な り 。 而 る を 真 綱 大 夫 達 の 言 ぶ る 所 に 依 り て 、 と し こ ろ 余 頃 年 修 住 す 。 ち ぎ り か ん (2) 愛 に 真 綱 大 夫 達 、 建 立 密 教 の 言 に 於 い て 、 朝 夕 に 宛 も 護 法 の 相 を 示 す が 如 し 。 藪 に 因 っ て 師 檀 の 期 篤 き こ と 肝 し う 舳 に 在 り 。 し か の み な ら ず こ こ ろ か ま び す (3) 加 以 寺 院 を 永 代 に 付 属 し て 、 敢 え て 内 外 の 汗 無 し 。 然 れ ど も 後 代 に 必 ず 争 い 傲 し き こ と 有 ら ん 。 吾 が 資 は つ う ま く の み む 末 羽 等 、 状 に 随 っ て 進 退 せ よ 、 而 已 。 一 を 得 て 万 を 知 れ 、 と 云 々 。 い ま 一 つ 意 味 が と り が た い 箇 所 も あ る が 、 理 解 し た と こ ろ を あ げ て み よ う 。 (1) 考 え て み る に 、 神 護 寺 は 和 気 氏 が 八 幡 大 菩 薩 の 主 託 に よ っ て 建 立 し た 寺 で あ る 。 し か る に 、 和 気 真 綱 ら の 申 し 出 に よ り 、 こ の と こ ろ 、 私 が 修 住 し て い る 。 (2) 真 綱 ら は 、 密 教 を 建 立 せ ん と し て 、 常 に あ た か も 護 法 の よ う に 尽 さ れ た 。 そ こ で 、 師 檀 の 契 り を 結 ん だ 。 (3) そ れ ば か り で な く 、 神 護 寺 を 永 代 に 付 属 さ れ 、 私 の も の で あ る と か ・ な い と か を 離 れ ら れ た 。 し か し な が ら 、 (42) 後 代 、 必 ず そ の 所 有 を め ぐ っ て 紛 争 が 出 来 し よ う 。 わ が 末 資 ら は 、 状 況 に し た が っ て 管 理 ・ 運 営 し な さ い 。 こ れ が 書 か れ る 背 景 と し て 、 神 護 寺 と の あ い だ に 軋 礫 が 生 じ て い た こ と が 考 え ら れ よ う 。 と も あ れ 、 本 条 は 長 者 の 職 掌 の 一 つ と し て 、 神 護 寺 の 管 理 ・ 運 営 に も 配 意 す べ し 、 と の 意 で あ る と 解 し て お き た い 。 第 九 は 、 金 剛 峯 寺 を 東 寺 に 加 え て 、 宗 家 の 大 阿 闇 梨 春 務 す べ き 縁 起 第 二 十 一 、 で あ る 。 本 条 は 、 金 剛 峯 寺 を 東 寺 長 者 が 兼 摂 す べ き こ と を 定 め て い る 。 本 文 を あ げ る と 、 東 寺 長 者 孜 -九 ・ 十 世 紀 を 中 心 と し て-(上)
密 教 文 化 ひ そ か (1) 右 、 件 の 寺 は 、 是 れ 少 僧 が 私 に 建 立 す る と こ ろ な り 。 然 れ ど も 官 に 進 あ て 御 願 の 庭 と せ る も の な り 。 宜 し く 是 の 心 を 知 る べ し 。 (2) 吾 が 弟 子 等 の 中 に 、 先 に 成 立 せ ん 長 者 東 寺 の 座 主 阿 闇 梨 耶 、 一 向 に 応 に 管 摂 す べ し 。 遺 告 を 誤 る こ と 勿 れ 。 (43) 一 を 得 て 万 を 知 れ 、 と 云 々 。 (傍 線 筆 者) と あ る 。 つ ま り 、 (1) 金 剛 峯 寺 は 私 に 建 立 す る と こ ろ で あ っ た が 、 お 願 い し て 御 願 寺 と し て い た だ い た 。 こ の こ と を 肝 に 銘 じ る べ き で あ る 。 (2) わ が 弟 子 た ち の な か 、 ア さ き に 真 言 の 精 髄 を 我 が も の と し 、 (東 寺) 長 者 で 座 主 阿 閣 梨 耶 た る も の は 、 一 心 に ま さ し く 金 剛 峯 寺 を 管 理 ・ 維 持 し な さ い 。 こ の 遺 告 を 誤 る こ と の な き よ う に 。 と い っ た 内 容 と な ろ う 。 こ こ で 、 内 容 を 確 認 し て お き た い 。 第 一 は 、 ﹁ 官 に 進 め て 御 願 の 庭 と せ る も の ﹂ で あ る 。 こ れ は 、 承 和 二 年 (八 三 五) (44) 二 月 三 十 日 に 金 剛 峯 寺 が 定 額 寺 と な っ た こ と を 指 す の で あ ろ う 。 第 二 は 、 東 寺 長 者 が 金 剛 峯 寺 を 兼 摂 す べ き こ と を 規 定 し た ﹁ 吾 が 弟 子 等 の 中 に 、 先 に 成 立 せ ん 長 者 東 寺 の 座 主 阿 閣 梨 耶 、 一 向 に ま さ に 管 摂 す べ し ﹂ で あ る 。 東 寺 長 者 が 金 剛 峯 寺 を 兼 摂 す る よ う に な っ た 端 緒 は 、 古 来 、 東 寺 一 長 者 で あ っ た 観 賢 が 、 延 喜 十 九 年 (九 一 九) 九 月 十 九 日 、 金 剛 (45) 峯 寺 座 主 職 を 兼 帯 し て か ら で あ る と 、 考 え ら れ て き た 。 こ の う ち 、 前 者 は 、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ が 書 か れ た 日 付 を 承 和 二 年 三 月 十 五 日 と す る こ と か ら 、 時 間 的 に は 矛 盾 し な い 。 し か し 、 後 者 は 大 き く 齪 齢 を き た す 。 こ の 第 二 十 二 条 か ら は 、 ﹃ 御 遺 告 ﹂ の 成 立 は 少 な く と も 延 喜 十 九 年 以 降 と い う こ と に な ろ う 。
と も あ れ 、 東 寺 長 者 の 職 掌 の 一 つ と し て 金 剛 峯 寺 の 管 理 ・ 運 営 を あ げ る こ と が で き る 。 第 十 は 、 東 寺 座 主 大 阿 閣 梨 、 如 意 宝 珠 を 護 持 す べ き 縁 起 第 二 十 四 、 で あ る 。 本 条 に は 、 ま ず 、 如 意 宝 珠 の 作 り 方 が 詳 細 に 説 か れ 、 つ い で そ の 功 徳 が 甚 深 で あ る こ と 、 お よ び み だ り に 披 見 す べ き で な い こ と を 縷 々 の べ る 。 そ う し て 、 こ の 如 意 宝 珠 を 東 寺 の 座 主 長 者 と な る 人 に 授 く べ き こ と が 説 か れ る 。 こ こ に は 、 煩 珀 と な る の で 、 東 寺 長 者 に 授 く べ き こ と を 記 す 部 分 だ け を あ げ て み よ う 。 代 々 の 座 主 阿 闇 梨 耶 、 若 し は 自 門 の 弟 子 、 若 し は 同 門 の 内 の 相 弟 子 、 井 び に 諸 の 門 徒 衆 等 の 中 に 堪 能 な ら ん 者 を 看 定 あ て 、 怨 親 平 等 の 観 行 を 以 て 預 け 護 ら し む べ し 。 若 し 付 法 弟 子 等 の 中 の 者 を 簡 び て 枝 枝 に 渉 ら ば 、 大 阿 閣 梨 あ わ き み ち こ れ 耶 の 手 に 留 ら ず し て 、 門 門 に 移 っ て 以 て 不 信 の 者 に 披 露 せ ら れ ん 。 遂 に 淡 道 と 為 っ て 、 自 然 に 隠 没 す べ し 。 弦 ま さ も し ょ く に 因 っ て 密 教 将 に 滅 せ ん と す 。 然 れ ば 則 ち 、 猶 東 寺 の 座 主 長 者 為 ら む 人 に 必 ず 応 に 付 属 す べ し 。 彼 れ 付 属 せ む と 擬 す る の 日 は 、 三 箇 日 洗 浴 し て 、 両 部 の 諸 尊 を 観 念 す べ し 。 亦 普 天 の 下 、 卒 土 の 上 の 冥 官 の 衆 を 観 じ 驚 か せ 、 四 (46) 無 量 観 を 発 起 し て 付 属 せ よ 。 ( 傍 線 筆 者) こ こ で は 、 如 意 宝 珠 を 弟 子 の な か で も 枝 葉 末 節 の も の が 相 承 す れ ば 、 や が て は し も じ も の 不 信 者 の 手 に わ た り 披 露 さ れ る に お よ ぶ と 、 真 言 の 教 え は 隠 没 し 滅 亡 す る で あ ろ う か ら 、 東 寺 の 座 主 長 者 と な る 人 に 授 く べ き で あ る と い う 。 如 意 宝 珠 の 信 仰 は 、 舎 利 信 仰 の 一 種 と 考 え ら れ 、 後 七 日 御 修 法 に お い て 、 空 海 請 来 の 舎 利 を 大 壇 上 に 安 置 し 、 東 寺 長 者 を 大 阿 闇 梨 と し て 供 養 法 が 修 さ れ る こ と と 無 関 係 で は な い と 考 え る 。 と は い え 、 こ の 如 意 宝 珠 の 問 題 は 、 種 々 な る (47) 問 題 を 含 ん で い る の で 、 別 稿 で 検 討 す る こ と に し た い 。 な お 、 こ の 条 の 標 目 お よ び 本 文 か ら も 、 東 寺 座 主 大 阿 闊 梨= 東 寺 座 主 長 者 の 図 式 を 画 く こ と が で き よ う 。 東 寺 長 者 孜 -九 ・ 十 世 紀 を 中 心 と し て -(上)
密 教 文 化 以 上 の 考 察 を ふ ま え て 、 ( 1) 東 寺 長 者 と は 何 か 、 ( 2) 初 代 の 東 寺 長 者 は 誰 か 、 ( 3) 東 寺 長 者 の 職 掌 は 何 か 、 を 整 理 す る と 、 つ ぎ の よ う に な ろ う 。 ま ず 、 ( 2) の 初 代 の 東 寺 長 者 は 誰 か で あ る が 、 第 二 条 に 、 実 恵 の 徳 を 讃 え て 、 初 代 の 東 寺 長 者 と す べ き こ と が 定 め ら れ て い た 。 つ い で 、 ( 1) の 東 寺 長 者 と は 何 か で あ る が 、 第 十 ・ 十 一 ・ 六 ・ 三 ・ 十 六 条 に い く つ か の 概 念 規 定 が み ら れ た 。 そ の な か 、 注 目 さ れ た の が 同 じ 文 章 構 造 を も つ 第 十 ・ 三 ・ 十 六 条 の つ ぎ の も の で あ っ た 。 す な わ ち 、 十 条 ⋮ ⋮ ⋮ 吾 が 弟 子 と な ら ん 者 の 末 世 後 生 の 弟 子 の 内 に 僧 綱 に 成 立 せ し 者 は 、, 上 下 の 膓 次 を 求 め ず 、 最 初 に 成 り 出 つ る 者 を 以 っ て 東 寺 の 長 者 と な す べ し 。 三 条 ⋮ ⋮ ⋮ 真 雅 法 師 一 期 の 後 は 、 諸 の 弟 子 の 中 に 在 っ て 前 に 出 身 せ ん 者 、 東 寺 を 掌 る べ し 。 年 膓 の 次 第 を 求 む も っ ま ら な べ か ら ず 。 亦 門 徒 の 間 に 一 成 り 立 む を 以 っ て 長 者 と 為 す べ し 。 十 六 条 ⋮ ⋮ 但 し 座 主 大 阿 閣 梨 と 日 ふ は 即 ち 東 寺 の 大 別 当 の 号 な り 。 門 徒 の 間 に 修 学 し て. 最 初 に 成 り 出 で て 長 者 た ら ん を 言 ふ な り 。, 膓 次 を 求 む べ か ら ず 。 修 学 を 先 と な し て 、 最 初 に 成 立 せ る を 長 者 と せ よ 。 傍 線 部 ア と ウ を い か に 解 す る か が 問 題 で あ り 、 か つ 十 分 に 理 解 で き な い 箇 所 で も あ る 。 同 様 の 表 記 が 、 第 六 条 に ﹁ 門 徒 の 内 、 最 初 に 成 り 立 た ん 者 ﹂ 、 第 二 十 二 条 に ﹁ 先 に 成 立 せ ん 長 者 東 寺 の 座 主 阿 閣 梨 耶 ﹂ と み ら れ た 。 こ れ ら の な か 、 意 味 す る と こ ろ が も っ と も 明 確 に 把 握 で き る の は 第 十 条 で あ り 、 僧 綱 に 補 任 さ れ た 者 の う ち 、 膓 次 に は 関 係 な く 、 最 初 に 補 任 さ れ た 者 を 東 寺 長 者 と し な さ い 。 と 解 し た 。 ま た ﹃ 御 遺 告 ﹄ に は 、 東 寺 長 者= 座 主 大 阿 閣 梨 耶= 座 主 大 別 当 と 解 さ れ る 文 章 が 散 見 さ れ た 。 別 に 第 十 条
に は ﹁ 長 者 は 座 主 で あ る ﹂ 、 第 十 一 条 に ﹁ 座 主 官 長 を 敬 い 尊 重 し な さ い ﹂ と 解 さ れ る 文 章 が あ り 、 長 者 ・ 大 阿 閣 梨 ・ (48) 座 主 ・ 別 当 と い っ た 様 々 な こ と ば で も っ て 表 現 さ れ て い る と こ ろ に 、 判 り に く さ が あ っ た 。 こ れ ら を い か に 解 す る か の 詳 細 は 、 後 日 を 期 す こ と に し た い 。 最 後 に 、 ( 3) の 東 寺 長 者 の 職 掌 は 何 か で あ る が 、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ に は 七 つ の 職 掌 が み ら れ た 。 そ れ ら を 列 挙 す る と 、 (1) 東 寺 大 経 蔵 の 管 理 (第 二 条) 、 (2) 御 願 の 灌 頂 会 の 大 阿 闇 梨 を 勤 め る こ と (第 六 条) 、 (3) 弘 福 寺 の 管 理 ・ 運 営 (第 三 条) 、 (4) 年 分 度 者 の 課 試 と 得 度 (第 十 六 条) 、 (5) 神 護 寺 の 管 理 ・ 運 営 ( 第 二 十 条) 、 (6) 金 剛 峯 寺 の 管 理 ・ 運 営 (第 二 十 二 条) 、 (7) 真 言 宗 僧 団 規 律 の 堅 持 ( 第 十 七 条) (49) と な る 。 東 寺 長 者 孜-九 ・ 十 世 紀 を 中 心 と し て-(上)