●2011年度 第1回研究会 <特別講演>
図書館員 を 編集 する
松岡 正剛
編集工学研究所所長・イシス編集学校校長はじめに
今日は、各地各大学の図書館員のみなさんと一緒 に編集について考えてみようと思います。
図書館は、現在、電子書籍化、ネットワーク・ア クセス化の波を受けて非常に難しい時代にさしか かっています。一方で若者たちは、2000年以降に生 まれたゼロ世代、ゼロ年代が増えており、海外の世 代も含めて、大きく意識が変化してきています。若 い世代だけでなく、様々な変化が社会の中で起きて いる。
出版科学研究所の調査では、出版業界の推定販売 金額が2年連続して2兆円を割っています。その一 方で、電子書籍化が進み、学生の本の読み方も変化 しています。さらに、国立大学すらコンプライアン スをもとにマネジメントしなければいけない時代と なり、学術や出版を取り囲む業界全体に、非常に大 きな変化が起こっています。
おまけに大学入試の○×方式と受験勉強の悪循 環が何十年も続いた影響とウェブ検索社会の拡大と が、このところ重なって、本気の読書力に翳りが出 てきました。
つまり、現代は、知がバラバラになっている時代 なのです。そこで、今日は共に読む「共読社会」と いうことを提案したい。また、本を軸にして世界を 見ていく「ブックウェア」というコンセプトを申し 上げたいと思います。また、世界の知を階層型の目
次で示す試みである「目次録」も紹介いたします。
私自身が、青春の日々や仕事を通して、自分の好 きなものと本とを結びつけたらどうなるのだろうと 模索してきましたが、実のところ、私が好きな映画 も演劇も、俳句も、つまり人生は、全部本と結びつ いているわけです。私がこれまでやってきたこと、
最近考えていることなど紹介しながら、変化のただ 中にある大学の図書館の参考にしていただけたらと 思います。
1 .本の世界で生きる
1.1 学級文庫にときめく
京都の修徳小学校4年生のときに、担任の吉見昭 一先生が学級文庫をつくってくれました。これは、
近くの本屋さんに行くと、生徒の好きな本を先生 の名前で買える仕組みになっていました。私は、お おいにこれを利用した。吉見先生は、私に大変な影 響を与えてくれた方で、のちに有名なキノコ学者に なった方です。
その学級文庫は、ガラスの扉が付いた書棚に収め られていました。ガラス越しに本を見て、子ども心 に、朝明るい日差しの中で見る本と夕陽に染まった 本の雰囲気の違い、扉を開けるときのギッという怪 しい音、誰が借りたのだろうということも含めて、
そこに秘密が閉じ込められているようで、書棚がと ても謎めいたものに見えました。
小学校5年生になって学校の図書係になった当時 は、閲覧カードが不思議でしようがないものでした。
あれを覗くと、"13.5.26"(昭和13年5月26日)など と記入してある。本のうしろに付いているカード が、その本につながった生徒との歴史を語っていま した。同時に、図書館には普通の単行書だけでなく 百科事典や全集があるということに気づいて、とき めきを覚えたものでした。図書館は本という夢の世 界へ私を誘ってくれたのです。
1.2 人生を編集する
大学4年の春、父が借金を残して亡くなります。
手持ちのお金がなくなり、さらに借金を返さなけれ ばならなくなりました。借金を返すのに5年くらい かかるという状況です。一転して、好きな本が買え なくなってしまったわけでした。それで、今度は町 の図書館通いをしようと思い、新宿区立図書館、四 谷図書館、都立中央図書館などに近いところにア パートを借りる日々を送っていました。
幸いなんとか借金を返し終えて、自分のしたい仕 事をしようと、1971年、池袋の喫茶店「ろば」の2 階にあった木造の事務所で工作舎という出版社を 立ちあげました。そこで雑誌『遊; Object Magazine Yu』(工作舎発行、1971~1982)を創刊しました。
雑誌をつくるときも、頭の中は本の夢想だらけでし た。本は動くものである、待っているものである、
攻撃をしかけるものである、墜落するものである、
そういうふうに本をとらえた雑誌をつくりたかった のです。到底、自分が読んだ本では足りないので、
都内の開架式の公共図書館で、片っ端から読んでい くという日々を過ごしました。
雑誌を編集する前には、東販の出版科学研究所 でアルバイトをして読書の傾向などを調べていまし た。そのとき研究所が集めたデータを見ていて、人 が読書という行為を交換していないことに気づい たのです。みんな、ひとりぼっちで本を買い、図書 館でこっそり読み、そして頭の中にしまいこむ。今 はブログやツイッターもありますが、当時は本当に 日記やノートになるぐらいで、読み終えて頭の中に 入ったものをどうするのだろうと感じたのです。
私が初めて作家の書庫に入ったのは、武田泰淳の 家の書庫です。赤坂のマンションの中でした。本当 にドキドキしながら入れてもらって、蔵書を見てい くと、赤い鉛筆でところどころ線が引っ張ってある。
「武田泰淳がこの本のここに赤い線を入れているこ とは、この作家を読むこと以上に大事じゃないか。
これを読者に知らせるべきだ」と思ったのですが、
そういうことが本の業界では、ほとんど語られてい なかったのです。
1980年、『遊』をようやく月刊にしたとき、大学 教授や作家たちに依頼して、誰がどの本を買ったか という欄をつくり、それを連載にしました。大好評 でした。みなさん、お互いの家にどういう本が置い てあるか、あまり知らないと思うのです。しかも本 は、自分の中の柔らかい、あるいはフラジャイルな、
あるいはちょっと隠したいような、そういう感情を 表現していると思われるのです。本棚は「もうひと つの自分」のプロフィールなのですね。
1.3 身体は本である
本は、私の印象ではたくさんの人が実はこっそり 読んでいて、その正体が分からないものになってい ると思えます。そういう社会になってきてしまって いるのです。けれども本は、本来、ときめいていて、
そこに人々が活き活きとライブでいるものだと私は 考えているのです。
言い換えると、読書は、ダンスのように身体で読 むものです。ダンサーはたいてい読書家です。本を 持つ、開く、読む、という行為を全部ダンスにして きた。同様に、みなさんには、この身体がかつては 本だったことを思い出してほしい。今は本という形 になりましたが、それ以前、私たちは身体をもって 自然界とか、天体とか、虫だとか母親だとか動物と つきあってきたのです。ですから、私たちのパフォー マンスの中に、実は本を開いたり、読んだり、食べ たり、しゃべったりという行為が残っているはずで す。
私たちは読書をするとき、たいてい黙読をしてい ます。音読をしている人はあまりみかけません。し かしヨーロッパでは15、16世紀まで、日本の場合 は明治15、6年まで、みんな声を出して読書をして いた。音読があたりまえだったのです。したがって、
今でも音読をしている図などが残っています。遺跡 の一部にもそういうのがあるのですが、中世の図書 館にはキャレルといいまして、ブースが付いている。
まだ写本時代で、大きな写本された本をそこへ持っ てきて、司書が鍵をかけて持って帰れないように した。書見台も、大きな本だから衝立てが付いてい て、ブツブツお経を唱えるようにみんな声を出して 読む。だからそれが聞こえないように、あっちこっ ちで、衝立て越しにブツブツ言うわけです。
こんなふうに読書に音読と黙読があるように、私 たちがふだん使うことばも2種類あります。ひとつ は話し言葉、もうひとつは書き言葉です。このふた つは、ぜんぜん違うものです。話し言葉には構文が 省かれることが多いし、“、(テン)”とか“。(マル)”
とか“『 』(カギカッコ)”とかは付いていない。主 語、述語も明確ではない。一方、書き言葉は、口語 とは違うランゲージになっていて、しかも黙読して います。話し言葉は声を出して読んでいる。このリ
ズムの違いが、読書という行為を社会化するときの 壁になっているわけです。聴覚の回路を使った読書 と、黙読する読書とはぜんぜん違うわけです。
図書館で本の未来を考えるとき、あるいは電子書 籍化で図書館がどうなるかを考えるときに、音読し ていた二千年間の歴史が今、数百年ずっと黙読に なっていることに気がつくべきです。今後、電子書 籍に音声技術が加わったならば、たちまち社会が変 わると思うのですが、残念ながらこのあたりのこと はまだ議論されていません。ですから、私たちは、
音読と黙読、話し言葉と書き言葉、という私たちの 知識をとりまく環境も含めて、読書をとらえ、考え ていなければならないのです。
2 .共読する空間
2.1 ネットで本を語る
20世紀の後半に入ると、活字が電子化され、個 人がコンピュータを使うようになり、それらが つながってインターネットの時代になりました。
Wikipediaが出てくる直前、『インターネットストラ
テジー―遊牧する経済圏』(松岡正剛・金子郁容・
吉村伸著、ダイヤモンド社、1995)という本をつく り、電子化された知が今後どうなっていくのかを考 えました。
そこで、2000年1月に、「編集の国」というサイ トをつくって、仮想空間で、知を相互編集しようと 考えました。2000年2月23日には、編集の国で「千 夜千冊」の連載を開始しました。毎日一冊、本につ いて書こうとしたのです。書評ではなくあくまで読 書ナビゲーションをするということを決めて、今年 で12年目になります。
同じ年の6月にイシス編集学校を開校しました。
本や音楽や映画の編集だけが編集ではない、人々が 本を読んだり、考えたり、しゃべったり、書き言葉 を話し言葉に変えたり、話し言葉を書き言葉に変え ることが編集なのだ、ということをやろうと考えた わけです。
2.2 共読したくなる書店
その後、本棚だけでできている「図書街」を構想 したり、ウェブの「千夜千冊」を8冊の大部の全集 にしたり、いろいろ本に関する実験をしてきました。
「図書街」はいまは国立国会図書館を仕切られてい る長尾真さんがおもしろがって、当時、理事長をさ
れていたNICT(情報通信研究機構)で電子化を試
みました。
そこへ丸善さんから声がかかったので、丸の内の 丸善本店の4階に「松丸本舗」というこれまでにな かった書店をつくってみました。「千夜千冊」の中 から1,400冊を選び、そのキーブックを基にさらに 全体を約2万冊ぐらいに膨らませたものが、松丸本 舗の真ん中に迷宮のようにつくり上げてあります。
そこでは、私たちが共読したくなるようなズレある いは重なりを起こすよう本棚が設計されています。
オープンは、2009年10月23日でした。
実際にご覧いただくと分かりますが、ブックライ ン・レッドという、書棚を横にまたがり、つなげて いく本棚があります。普通、本棚は縦に割れてしま うのですが、横に本がつながる。実はこれは全国で 初めての本棚なのですね。側板よりも棚板の方が3 センチ程度前に出ているのです。さらに違い棚のよ うな段差をつけたり、袋棚や引き出し盆もつけた。
したがって、普通は棚板が側板で区切られるのが、
縦にも横にも本が動きつながっていけるのです。
松丸本舗を頼まれたときに、ものすごく考えま した。こういうふうになっている理由のひとつはス ペースにあります。丸の内のオアゾビル1階から3 階まで、丸善の店舗が蔵書量と売上力を誇っていた ところへ、私が与えられたスペースは4階のたった 65坪なのです。だからこそ、実験の場として共読し たくなる空間ができたとも言えます。
2.3 心が本の形になる
松丸本舗の試みは、本の分類と本のサービスと本 の活用に加え、本の堪能をおこす要素をいろいろ混 ぜたものと言い換えることができます。あるいは、
世界知と共同知と個人知を切り分けず、これらが連 続的につながっていくような場が本の世界に必要だ ということを示そうとしたのです。さらに、言い換 えると、本と人と場、これらを重ねて考えられる仕 組みです。
元になった考え方は、アフォーダンス理論です。
アフォーダンスというのはひとことで言いますと、
たとえばこの絵画は、我々を見るようにしているわ けです。我々が見ているわけではない。このピアノ は私たちに弾かせようとしている。そのためにこの 鍵盤の並びがある。このコップは私の手に取られよ うとしている。だから私がこのコップを取る前に、
私の手がここにあってコップがここにあるだけでは
なくて、この手に近づくときにコップの形になる。
これがアフォーダンスですね。
本もそうでしょう。本に近づいたときに心がア フォードされる。心が本の形になろうとする。その ように考えて、松丸本舗では本と人のあいだの関係 を拡張しようとしたのです。本棚が横につながって いるとか、そこに袋戸があるとか、本が横に積んで あって奥が見えない状態は、ある種の不便さをつく りだします。それでも手に取りたいという葛藤を起 こさせるような実験をしているのです。
2.4 思いをパッケージに
松丸本舗では、様々な企画によって、本と人を結 びつけ、その関係を拡張しようとしています。その いくつかをビデオをご覧いただきながら紹介しま す。
○本家
これは本家(ほんけ)の棚と呼んでいまして、学 者や女優、建築家に頼んで、「あなたの家の蔵書を 松丸本舗で飾りたい、売りたい」と誘っています。
福原義春、山口智子、町田康、杉本博司、高山宏、
隈研吾さんたちが参加してくれている。もちろん蔵 書を持ってくるのではなく、それにあたるものを丸 善が仕入れ、棚を提供します。誰も断らないので、
どんどんゲストが増えています。
○著者一族の棚
これは「情報LiFE日本」の特集棚の一部で、有 吉佐和子と有吉玉青、森鴎外と森茉莉など、一族で 作家となった人たちの本を集めたものです。つまり
○○家という本棚をつくったわけです。
○くすくす贈りマス
欧米にはブッククラブがあって、本を贈り合う文 化がありますが、日本にはありません。そこで、松 丸本舗は俳優やデザイナーに依頼して「あなたが選 んだ本をクリスマスプレゼントにしたい。ただし、
本以外になにか一品入れてください」という企画を 立てました。日本には再版制度があって、本を高く も安くも売れない。本に贈り主の思いを加えてそこ に新たな一品、二品を加えてパッケージすることで、
新たな価値を創造しようとしたものです。
○本の福袋
これも書店の歴史始まって以来だと思いますが、
デザイナーや写真家と組み、「本の福袋」をつくり まして、これは正月2日の9時に売り出したところ、
あっというまに完売しました。美輪明宏、ヨウジヤ マモト、いとうせいこうなどが参加してくれました。
本屋さんが、まだまだやっていないことが、いっぱ いあるのですね。
○from-to BOOX(フロム トゥ ブークス)
今年5月に発表したのが「from-to BOOX(フロ ム トゥ ブークス)」という、ボックスとブックをか けたものです。本の重箱を考えまして、中に3段 に重箱がつくってあって、まず私のものでスタート を切ったのですが、いろいろなゲストがこれから加 わっていくと思います。
3 .知を編集する
3.1 本の分類とサービスと活用
ところであるとき、私は、本の分類と本のサービ スと本の活用、本来つながっているべきこの三つが 切れてしまっているのではないか、と気づきました。
出版というのは著者・編集者・印刷所があって、取 次があり、書店があって読者がある。図書館は最後 にできあがった本を所蔵して貸し出しているのです が、それだけでは読書という行為が見えてこない。
しかも出版社は独自の分類をもちい、図書館は日本 十進分類法に基づいて図書を分類し、蔵書としてい る。一方、大学は、学問を学科によってカテゴライ ズしています。出版社と図書館と大学は全部別のこ とをやっていると言ってもいいのです。
本の分類とサービスと活用が、バラバラになって いる。それをなんとかしなければいけないと感じた のです。そこでまず世界中の本はどのように分類と サービスと活用によって律せられているかを、調べ ました。するとヘレニズムの時代のアレクサンドリ ア図書館では、カリマコスが『ピナケス』というす ごい目録をつくっていたわけです。よく見ると、ア レクサンドリア図書館は、一神教や多神教の世界を 反映していて、全知全能の神がそこにいて、それが 今降りてきたというようなデザインをしている。目 録もそうつくってある。神の人々への行為によって 本が生まれ、本の分類と本のサービスがあり、それ をありがたいと思って本を活用する人々とがいて、
当時はこの三つが一致していたわけです。それが18 世紀に『百科全書』や『四庫全書』が編まれるなど、
啓蒙やフランス革命のような下からの知が出てくる にしたがって、少しずつ変化してきました。
日本で言うと、1906年(明治39年)、狩野亨吉と いう蔵書家が京都帝国大学文科大学の初代学長にな りまして、内藤湖南や幸田露伴を招き、夏目漱石も 呼ぼうとした時代までは、本の分類とサービスと活 用が一致していました。ところが漱石の『三四郎』
の中にいろいろな本が出てくるように、それがだん だんだんだん食い違ってきてしまったわけです。そ のうちさらにテレビが出現し、大学が変化するにし たがって、出版社、書店、図書館とが、いつの間に か切れてしまったのです。
なんとかしなければいけないと思い、1980年2月、
雑誌『遊』1011号で、「国家論インデックス」とい う知のマザーのような分類を発表しました。ただ、
これは自分がとりあえずつくったものなので、それ を将来使うことになるとは夢にも思っていませんで した。
3.2 世界を情報としてとらえる
30年前の「国家論インデックス」をイシス編集学 校で5年間テストしてみて、これなら行けるという ところまで達したので、これを新たに「目次録」と いう名前にして、今それを著者、出版社、印刷会社 から書店、図書館、読者までを巻き込んで“知のマ ザー”として大きくしていこうという試みに取り組 んでいます。
私は、世界のあらゆる現象―宇宙も物質も、環 境も法則も、あるいは生活も、歴史も事件も―を 情報として見ています。それをどうしたら編集でき るかということを考えてきました。私たちは、脳の 中のブラックボックスを通して情報を見ています。
たとえば「木」を見るとブラックボックスを通し て、うしろに「木′」という情報が生じる。どちら も世界だけれども、片方は“世界′”になっている わけです。つまり、私たちの学習行為は、ブラック ボックスをあいだに置いて、その前後でイン、アウ トの行為をすることです。しかし、入ってくるとき の知のインターフェースと出るときの知のインター フェースが違っている。認知科学的にいえば、人間 の記憶の仕組みと想起の仕組みが別々なのです。そ れを連続化させる仕組みを「編集工学」と呼んでい るのですが、一方ではその基になる知のアーキテク
チャーも必要だろうというので、“知のマザー”と しての「目次録」をつくったわけです。
私たちは、日本語を使ってしゃべっています。今 しゃべった日本語は、この空間にあるわけではなく て、すでに私の脳に入っている。これを脳から取り 出しながらしゃべって、人と情報を交換している。
それがもっと見やすい状態になったものが「本」で あるわけです。本にはすでに著者がいて、いろいろ なコンテンツが存在する。ここに生身の私がいて、
同時に「本」の世界にも私が存在しているのです。
この組み合わせをうまく応用すると、知の状態は取 り出しやすいものになるのではないかと思ったわけ です。
3.3 図書分類を超える知の仕組み
知の状態をコードにする作業を始めた理由のひと つは、図書分類に極めて限界を感じたためです。も ちろん図書分類があるのは構いません。しかし、あ のような組み立てで、私たちは今日21世紀のネット 社会と共に読書ができるか、図書館利用ができるだ ろうか、と思うわけです。たしかに在庫とレファレ ンスと貸出と収納に関しては便利かもしれない。け れども、紙の時代の図書分類がそのままIT化され ているのは、意味がないのではないか。IT化され たマザーコードは、まったく図書分類と別のもので あっていいのではないかと考えたわけです。
これから電子教科書時代が始まると、小学生や中 学生がテキストを電子的に読むようになります。そ してその学習も、一部の大学で始めているようなイ ンタラクティブなものになります。大学でやってい る教育が、もっと下の年齢から始まる。そうなって きたときに、図書館の利用は今のままでは恐竜のよ うなものになってしまいます。だからみなさんラー ニングコモンズなど、いろいろな試みを始められて いるわけですが、その基礎になる分類が変わらない ままでいいんだろうかと思うのです。
先ほど本の分類とサービスと活用がバラバラに なっていると言いましたが、そこに「目次録」が 役に立てればと思いついたわけです。「目次録」で は、親コードから孫コードまでが、3階層になって います。大分類は20弱、中分類が15から35、小分 類は15から35に分かれています。その小分類ひとつ ずつに5冊ずつのキーブックが付いていまして、こ のキーブックにさらに10冊とか100冊とかが付いて、
結局数百万冊の本にたどりつけるというものを考え
たわけです。「目次録」とは、“目次の目次の目次”
であるとともに、知の状態がそこへ行くたびに切り 替わるナビゲーションのしくみなのです。
「目次録」では、図書分類と違って文脈を持ちな がら、ひとつひとつを大きな流れにしてあります。
しかも、それが親・子・孫とゲートをまたいで、階 層性を持ち、連想力をそこに含みながら分類ができ るような方法を取っているのです。
ある子コード「時間と空間」のところでは、孫コー ドが出てくると、インドの数学や、中国の淮南子(前 漢の武帝の頃の思想書)などが出てきます。普通の 物理学や天文学の分類では出会えない知の仕組みを つくってみたのです。
3.4 成長するインターフェースとして
現在「目次録」は、イシス編集学校で、テスト版 をつくりまして、これをもとに大日本印刷やTRC と共同で「共読プラットホーム」にしようと開発を 進めています。グーグルやアマゾンの検索でアクセ ス数に応じてリコメンデーションが出てくるのでは なくて、文脈的に出てくるような、しかも自己学習 ができる、さらにシステムもだんだん成長できるよ うなものをつくろうしています。
たとえば「グーテンベルグの夢」という項目のと ころを引くと、写本の時代、声の文字、耳の記号、
目の装飾、さっき言いました音読社会から黙読社会 という小項目が出てきます。これにキーブックが 付いていって、そこにまた10冊、100冊が出てくる。
これを上手く使ってもらいながら、TRC MARCの 書誌とマッチングして目次録に組み合わさってくる ようなインターフェースをテストしつつあります。
全体を「Book meets Books」というキャッチフレー ズで考えていまして、今年中にはプロトタイプが固 まってきてインターフェースのデザインも終わると 思います。
4 .本を堪能する
4.1 読書はスポーツである
今日のひとつの結論としてみなさんにお伝えした いのは、「読書も編集だ」ということです。読者も 本を読むことによって編集しているのです。本をつ くっている人も書店も編集しています。
本は静かに読む、ひとりぼっちで黙って読むと思 われがちです。でも、ウォッカのようにノドの奥で
読むべき本もあれば、点字のように指で触りたくな るような、いつくしむような読書もあっていいわけ です。ところがそういう感覚が起こらない。そうし た共感覚が起こるような空間や、刺激や、起こるよ うなメディア化が、まだできていないのです。本を もうすこし別の官能、セクシャルなもの、スポー ティーなもの、アスリートのようなもの、あるいは、
丹念なもの、寂しいものというように、多様なもの にしていかないとダメだろうと思います。
私は書物、本、読書を、つながりのあるもの、共 読できるものにしたいと思いつづけてきました。自 分の内側にも外側にもあるものが本によって結びつ けられる。本を軸にして世界を見て、感じる。そう ありたいと思っています。これを私は「ブックウェ ア」と呼んでいます。簡単に言うと、服を着たり、
脱いだり、履いたり、洗ったり、乾かしたりするよ うに本と接するようにすることです。そうして、読 書をファッションやスポーツと匹敵するものにすべ きだろうと考えているのです。
4.2 書物がもつ永遠のフォーマット
書物というのは表紙・裏表紙・背があって、そこ に何枚もページが綴じてあるものです。そのページ はほかのページと結びついて、星座のようにコンス テレーションされています。開けたページは、必ず ダブルページ(見開き)になっています。このフォー マットは永遠だと思っています。
人は、このフォーマットで何千年と学習してきた わけです。きっと非常に強いフォーマット力を持っ ているのだろうと思います。ダブルページの中に、
ワード、フレーズ、センテンス、パラグラフがあり、
ページが連続してチャプターというまとまりになっ ています。
今、電子が、このフォーマットを食べようとして います。パラグラフもワードもセンテンスもフレー ズも含めて真似しようとしている。しかし私が見て いる限り、まだまだ出来栄えはよくありません。た だダブルページを電子書籍にすればよいというもの でもないでしょう。電子書籍の中に本のメタファー を入れている限り、絶対にリアルな本が先行するは ずなのです。
しかし、そのリアルな本を持っている図書館員や 書店員やエディターが、その本の可能性を、スポー ツやラーメンや、あるいはダイエットや登山のよう に語っていないのです。これが大問題なのですね。
本は静かに書架にあって、静かに読むものとは限ら ないのです。もう電子がそこを破っています。
4.3 装い楽しみながら共読する
去年からブックパーティーという企画を始めまし た。年に2回、人々が集まってパーティーをしよう。
かっこいい格好をして本や著者や本の職人たちと楽 しんでくださいという企画です。五木寛之、佐藤優、
コシノジュンコ、川上未映子、講談社の野間さんや 岩波の山口社長など、いろいろな人が来ます。とに かく本について、いろいろ装いをして楽しもうじゃ ないかというものです。前回は5月28日にやったの で、次は11月12日に東京で予定しています。
それから一昨日、大阪、その前は東京で、本を共 読する会「参座」(さんざ)を始めています。この ように、私は私でいろいろなことをやってみている のですが、みなさんが所属されている大学には大き なホールを持たれている、すばらしい装置を持たれ ているところに、今日紹介したような「目次録」、ブッ クパーティー、BOOX、いろいろなものを加えてい きながら、本と読書と人がつながりのあるものに少 しずつ変えていただきたいと思いますし、みなさん も変える気になっていただきたいと思います。
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(まつおか せいごう)