[連載]アラブの春から4年・・・
混迷する中東・北アフリカ諸国
-第4回 安定に向けて模索を続けるサウジアラビア-
2010年末にチュニジアから始まったアラブ諸国の民主化運動「アラブの春」の影響を受けて、君主国 家サウジアラビアでも2011年2月、3月に東部州シーア派地区で小規模ながらデモが続いた。一方、ス ンナ派住民の間でも、2月27日にサウジアラビア自由青年同盟という組織がインターネットの交流サイ トで3月11日金曜日を「怒りの日」として、首都リヤードを中心に大規模な民主化デモを行うことを呼 びかけた。交流サイトのページでは数千人がこれに応えていた。この動きに対し、当日の11日、リヤー ド周辺の主要なモスクを中心に治安部隊が配置され、警戒に当たっていた。宗教界からは、3月7日、アー ル・シャイフ最高法官がデモ禁止を明言し、「事を成就する合法的な手段は、誠実な助言である」と述べ、
国民に冷静な対応を求めた。結果的に「怒りの日」デモは不発に終わった。翌週金曜日の3月18日、ア ブドッラー国王はテレビで演説を行い、デモに参加しなった国民の忠誠に喜びを表し、治安部隊や宗教 者たちの行動を高く評価し、謝意を表明した。そして、2月に打ち出した1,212億リヤール(350億ドル)
規模の予算の社会福祉政策に続いて、総額5,000億リヤールの社会福祉政策を発表した。その主な内容は、
公務員の昇給、最低賃金 3,000 リヤール(9 万 3,000 円。1SAR
=31円換算)の確定、住宅ロー ン拡充などである。
「怒りの日」デモの不発は政府 の対策が功を奏した結果である が、そこには政府と国民の特殊 な信頼関係がある。それは、統 治基本法43条に「国王ならびに 皇太子のマジュリス(会合)はす べての国民ならびに不平 ・不満 のある人々に開放されており、
各人には、陳情する権利がある」
と記されていることからも明ら かである。このマジュリスは、
他の王族の者にも開かれ、広く 国民の声に耳を傾けている。
また度々、民主化を求めて「嘆 願書」を国王に提出している改 革論者たちにしてもデモに参加 しなかったのは、現状の安定し た生活を守りながら、政治改革 を望んでいるからである。さら に、デモを起こしている者たち
はじめに
サウジアラビアの位置とサウジアラビアの州 図1
出所:JOGMEC 作成
イラン イラク イラン
イラク シリア
シリア
キプロス キプロス レバノン レバノン イスラエル イスラエル
ジブチ ジブチ
アラブ首長国連邦 アラブ首長国連邦 ヨルダン
ヨルダン
カタール カタール バーレーン バーレーン クウェート
クウェート
エジプト エジプト
スーダン スーダン
エリトリア エリトリア
エチオピア エチオピア
ソマリア ソマリア イエメン イエメン
オマーン オマーン
サウジアラビア サウジアラビア
東 部 東 部 リヤード
リヤード
ナジュラーン ナジュラーン ジーザーン ジーザーン
リヤド リヤド
アスィール アスィール バーハ
バーハ マッカ マッカ マディーナ マディーナ
カスィーム カスィーム ハーイル ハーイル
北部国境 ジャウフ 北部国境
ジャウフ
タブーク タブーク
アラビア海 アラビア海 紅海
紅海
ペルシャ湾 ペルシャ湾
2011 年から翌年にかけて同国では王族の有力な 2 人 が死去した。1 人はスルターン皇太子である。2011 年 10月20日のことである。アブドッラー国王は同月27日 に、同皇太子の死を受け、ナーイフ内相兼副首相を皇太 子に任命した。それから8カ月後、2012年6月16日にナー イフ皇太子が死去した。その 2 日後の 18 日、後任に、
サルマーン国防航空相が指名され、皇太子に就任した。
皇太子としてナーイフ、次いでサルマーンが任命された ことは、それぞれの経歴と王族内での影響力を考えれば 順当であり、内外の情報筋で臆測されていたとおりと なった。
同年 2 月 1 日には、勅令によって、アブドッラー国王 の顧問兼特使を務めるムクリン(アブドルアジーズ国王 の 35 番目男子。1945 年生まれ)が第 2 副首相に任命さ れた。ムクリンは初代国王の息子たち(第2世代)36人 の生存者のうちで最若年である。第2副首相の役割は首 相、第 1 副首相の補佐の役割をすることにある。特に 2 人ともに国外に出る場合には、首相の代理を務めること にもなる。ムクリン第2副首相は英国で学んだ開明的な 考え方の持ち主と言われており、アブドッラー国王が進 める改革を受け継ぐと見られている。
王位継承で問題になっているのは、王位をいつ第2世
代(息子たち)から第3代世代(孫たち)へ移行するかであ る。ムクリンを第 2 副首相に据えたのは、第 3 世代への 移行のための準備として考えているのではないか。
2012 年から、世代交代としての人事が見られる。例え えば、2012 年 11 月 5 日、死去したナーイフ元内相の息 子であるムハンマドが内相に任命された。マディーナ州 知事にはサルマーン第1副首相の息子であるファイサル が2013年1月14日に任命された。同2月14日には、バ ンダル(アブドルアジーズ国王の8番目の息子)の息子で あるハーリドがリヤード州知事に、アブドッラー国王の 息子であるトルキーがリヤード州副知事に任命された。
さらに、2014年5月14日にトルキーはリヤード州知事に、
ハーリドは 6 月 30 日に総合情報庁長官に異動が命じら れた。
このように第3世代を要職に起用する動きが出てきた のは王族が世代交代を考えているからと見るべきであろ う。それは 5,000 人近くの王族をいかにまとめていくか という難題に取り組むことでもある。サウジアラビア王 国の安定は王家内の安定にあり、第2世代においては初 代国王の建国理念を継承して王族の団結が揺らぐことは なかったが、今後は、建国過程を経験していない第3世 代の王族内部の団結が問われる時期でもある。
1. 王族の世代交代
はシーア派住民の一部であり、スンナ派住民にとっては他人事という意識が非常に強く作用していた。
現在、アブドッラー国王は女性の社会進出などに取り組み、開明的な政策を推進しているが、イスラー ム的伝統をも重視しており、バランスの取れた施策を目指している。本稿では、「アラブの春」以降、サ ウジアラビア政府が取り組んだ諸課題のなかから、国内問題として、王族の世代交代、民主化問題、シー ア派対策を取り上げ、対外政策として、湾岸諸国の団結強化策、対イラン政策、対シリア政策、対テロ 政策などを取り上げた。どれもが同国の安定にとって重要な課題である。
「アラブの春」の影響によって後押しされた形となっ て、地方選挙がやっと 6 年ぶりに行われた。規定では 2 年前に行われるはずであったが延びていた。2012 年 4 月から有権者登録が始まり、9月22日に投票が行われた。
女性の選挙権については、前回に引き続き、今回の選
挙でも見送られた。このことに関して女性住民から不満 の声が上がるのは明らかであったが、その事態を事前に 収拾するかのように、アブドッラー国王は第2回地方選 挙実施直前の2011年9月25日に、女性の政治参加に関 して二つの重要な決定を下した。一つは 2013 年から諮
2. 民主化問題:選挙制度の改革と女性の社会進出
問評議会(全議員、国王による勅選)に女性議員を参加さ せること、もう一つは次回 2015 年の地方選挙では女性 の参政権を確立させることである(2014 年 7 月 21 日の 閣議で同内容の法案承認)。女性の社会進出については アブドッラー国王の改革路線上のことであったが、「アラ ブの春」の影響を受けて加速したことは事実である。それ は、決定どおりに、2013年1月11日にアブドッラー国王 の勅令によって、諮問評議会法が改定され、諮問評議会 議員150人のうち女性が20%以上とすることとなった。
それによって、150人のうち30人の女性議員が選ばれ た。そのうちの2人が王族であった。勅令は女性のために、
議会場の座席、出入り口、事務室、礼拝室などを改築す ることも命じていた。また、女性議員にはヒジャーブ(ス カーフ)を被かぶることが求められている。女性の政治活動が 制限されてきた同国において、諮問評議会議員に、勅選 とはいえ、女性が30人も選ばれることは革新的な第一歩 である。2013 年 2 月24日、女性議員が出席した最初の 諮問評議会会議が開催された。
このように、国王の改革によって、徐々にではあるが、
女性の社会進出が実現しつつある。他にも例を挙げれば、
2012 年 1 月から女性専用衣料店での女性の就労が認め られるようになった。さらに、2012年8月のロンドン・
オリンピックには、肌と髪を隠すという条件付きであっ たが、サウジアラビアから初の女性参加が認められた。
また、2013年10月には、女性弁護士4人が初めて誕生し、
2014年1月には、その1人がジェッダに法律事務所を開
設し、注目を集めている。
一方で、女性の社会進出で常に問われるのが、自動車 運転問題である。「アラブの春」以降、やはり同国国内で も活動的な女性が車の運転禁止に抗議する運動を起こし ていた。その運動に参加して自動車を運転し、警官に捕 まり二度と運転しないことを誓約させられた女性もい た。2011 年 9 月下旬には裁判所が自動車を運転した女 性 1 人に対して 10 回の鞭むち打ちの刑を言い渡したが、こ れに対してはアブドッラー国王が翌日、その判決を取り 消した。この刑の執行を認めたならば、国内に民主化運 動が激化するばかりではなく、さまざまな波紋を広げ、
国王自らが進める改革の妨げになると判断してのことで ある。
女性の自動車運転問題は 2012 年 6 月になってさらに 活発になり、運転許可を要請するオンライン建白書で 600人以上の署名が集まり、アブドッラー国王に送られ た。2013 年 10 月 26 日、運転解禁を求めて自動車運転 を行い、動画サイトに投稿された。1 年後の 2014 年 10 月にもオンラインで同様の権利要求があり、2,400 人の 署名が集まっていた。これに対して、内務省はオンライ ンの呼びかけに応じて公道で女性が運転をしないように 警告した。ビン・バーズ師(1999年没)のファトワー(イ スラーム法的見解)「女性の自動車運転は許されない。
なぜなら、女性の運転は多くの堕だ落らくと不健全な結果を招 くことになる」はまだ生きており、女性の運転が解禁さ れるのは先のことになりそうである。
諮問評議会での女性議員の活躍を報じるリヤード紙
(2013 年 4 月 16 日付)
写1
出所:http://www.alriyadh.com/826496
東部州のシーア派住民は180万人ほどである。東部州 ではサウジアラビア建国以来、シーア派住民の宗教的自 由や環境改善を求めて暴動が起こっていたが、1993 年 に東部州のシーア派指導者とは既に和解が成立してい た。和解以来、シーア派住民からは過激な暴動などは起 こっていなかったが、先に示したように、2011年になっ てデモ騒動が東部州で始まり、特に、同年 10 月 4 日に デモ隊と警察官が衝突して、警察官9人が負傷、住民側 にも4人の負傷者が出た。この事件から、双方が過敏に なり、11 月にも治安部隊とシーア派住民の衝突、銃撃 戦が起き、双方に死傷者が出た。その後も散発的に衝突 事件が起こっていた。2012年に入っても、衝突が続き、
5 月以降、ほぼ毎月のように死者が出る状況であった。
7 月に入り、政府は過激な発言を繰り返していたシーア 派指導者ニムル師を逮捕した。さらに東部州の警備を強 化するために国家警備隊を増強し、国内の暴動に対して は断固たる処分をする態度を示した。
アブドッラー国王は2012年8月14、15日に開催され たイスラーム連携緊急首脳会議で、リヤードに「宗派学
派間対話のためのセンター」を設立することを発表した。
国王は同センター設立によってイスラーム世界全体のス ンナ派・シーア派の対話を目指したのであるが、即座に 反応したのが、国内の東部州にあるシーア派地区カ ティーフ在住のシーア派ウラマー(イスラームの諸学問 の学者たちの総称)であった。シーア派ウラマー 7人が 同センター設立を歓迎する内容の声明を発表した。彼ら はシーア派社会の人々にも、いかなる形であろうが暴力 を拒否することを強く求め、イスラーム共同体、国家内 における行動はすべて平和的手段を採るべきであると強 調した。これは、同じシーア派教徒であるが、逮捕され たニムル師の過激な抗議行動を非難してのことである。
シーア派ウラマーが国王の提案に即座に同意を示したの は、これまでに構築したサウジアラビア政府との良好な 関係が民主化運動の激化によって崩れることを懸念した ためであるが、同時にサウジアラビア政府が治安対策で 厳しい処罰を緩めることはないことも経験上熟知してい るからである。同様に、2014年3月7日に内務省がテロ リスト・リストを発表した時も、2 日後にシーア派ウラ
3. 東部州シーア派への対応
(上段右から)
アブドッラー・アルフナイズィー師、アッサイイド・アリー・アンナーセル師、
カーミル・アルハサン師、ユースフ・アルマハディー師、アブドルカリーム・アルフバイル師
(下段右から)
ハサン・アルバィヤート師、ハサン・アッサッファール師、フサイン・アルアーイシュ師、
ジャアファル・アッリブフ師、アーデル・ブーハムスィーン師
署名した 10 人のシーア派ウラマー 図2
出所:http://www.alriyadh.com/916791
マー 10 人が内務省発表を支持す る声明を出し、そのなかで、テロ を拒否し、国家に対して武力を用 いることはないと宣言した。シー ア派ウラマーのなかにはニムル師 のように過激な発言をする者もい るが、ここに署名したシーア派ウ ラマーは 1993 年に成立したサウ ジアラビア政府との和解を重視す る人々である。ワッハーブ主義の サウジアラビア社会で、シーア派 社会の安全を確保していく穏健な シーア派ウラマーの姿がそこには ある。
逮捕されていたニムル師に対し て、2014 年 10 月 15 日、 同 国 の 司法はテロリスト逃走の幇ほう助じょ、デ モ扇動などの罪によって死刑判決
を下した。東部州のシーア派住民に対する警告の一つと して、死刑判決を出したのであろう。これに対して東部 州のシーア派住民の間で抗議デモが発生した。さらに、
即日、イランの宗教学者数人(クム在住のアーヤトッ ラー・ジャアファル・スブハーニー他)が「ニムル師は政 府や指導者に助言を与えただけに過ぎない」と彼を弁明
するとともに、その判決を非難した。だが、実際のとこ ろ、サウジアラビア政府はシーア派住民に対して警告し ただけであり、実施することはないであろうとの臆測も 流れている。死刑を実施すれば、東部州の治安状況もイ ランとの関係もさらに悪化することは目に見えているか らである。
4. 湾岸諸国の団結強化策
「アラブの春」の影響やイランとの緊張関係が高まるな か、サウジアラビアは湾岸諸国の団結強化を模索する動 きを見せている。一つは湾岸諸国 6 カ国だけではなく、
ヨルダン、モロッコの両王国に呼びかけ、王制連合を結 成しようと働きかけていた。その狙いは、共和国の民主 化の動きが王制国家に波及してくるのを阻止することに あった。ヨルダンは経済的効果を考えて前向きな姿勢を 示したが、モロッコはアフリカ連合へのこだわりがあり、
慎重な態度を示していた。この王制連合の考えは 2011 年5月の湾岸協力会議(GCC:Gulf Cooperation Council)
首脳会議で提案され、9月の外相会議でヨルダンとモロッ コの外相が参加して具体的協議が行われた。しかし、
GCC諸国内の調整がつかず、連合結成までには至らな かった。
王制連合案は却下されたが、アブドッラー国王は次な
る新たな提案をした。それは湾岸諸国連合設立案である。
湾岸を取り巻く情勢の変化や脅威に鑑かんがみて、それまでの
「協力」の段階から「統合」の段階へと移行する時期に来て いる、というのがアブドッラー国王の主張であった。
2012年5月14日にリヤードで開催されたGCC首脳会議 で、サウジアラビアは湾岸諸国連合案について合意を取 り付ける意気込みであったが、合意を見ることはできな かった。一方、オマーンは湾岸諸国連合に否定的な態度 を示し、アラブ首長国連邦(UAE)は湾岸諸国の連合を成 功させるためにも時間をかける必要があると主張した。
バハレーンはこの連合に積極的であったが、その背景 として、国内で反体制シーア派のデモ活動が 2012 年に なって活発化し、状況が不安定化していたことがある。
既にバハレーンは安全保障の面でサウジアラビアに支援 を求め、湾岸軍としてサウジアラビアから軍を派遣して
逮捕されたニムル師 写2
出所:http://www.middle-east-online.com/?id=186167
もらった経緯がある。サウジアラビアもバハレーンの現 政権が反政府的シーア派によって転覆させられることに なれば、当然、バハレーンでのイランの影響(後述)が大 きくなり、次に打撃を受けるのはサウジアラビアの東部 州ということになる。このため、バハレーンでのシーア 派の動きを抑えなければならないとの思惑があった。そ こで、サウジアラビアはバハレーンの現政権を軍事的に 支援するためにも、独自に軍を派遣することができるよ
うに、両国だけでも連合を組む必要があると考えたよう だ。一応、湾岸諸国連合案は棚上げとなったが、バハレー ンとしては、捨て切れない思いがあり、2014年7月16日、
同国のハリーファ首相がジェッダでサルマーン皇太子と 会談を行った際に、地域の安全保障問題について話し合 い湾岸諸国連合案を進めることを互いに確認した。
一方、GCC内では対テロ政策に関連してカタール問 題が浮上してくる。
5. 対イラン政策
イランが「アラブの春」の混乱に乗じて、バハレーンへ の介入や、シリアへの支援、米軍撤退後のイラクへの接 近などを図っていることに、サウジアラビアは警戒心を 高めていた。2011年10月になってサウジアラビア・イ ラン関係をさらに悪化させる事件がアメリカから報告さ れていた。その事件とは「イラン政府の指示で進められ ていたテロ計画」であり、アメリカ司法当局が同年10月 11 日、そのテロ計画を阻止したと発表した。テロ計画 には駐米サウジアラビア大使暗殺のほか、在米イスラエ ル大使館への攻撃も含まれていたとされる。しかし、同 計画に対しては、イランにとって国益が考えられないな どと懐疑的な反応も多く出ていた。
サウジアラビア政府は当然、「国際条約に違反し、人道 に悖もとる卑劣な行為だ」としてイランを激しく非難した。ヒ ラリー・クリントン・アメリカ国務長官(当時)は「こうし た行為は国際的に許されない。国際社会が団結してイラ ンをさらに孤立化させる必要がある」と述べ、イランへの 圧力を強める姿勢を強調した。これに対して、イラン政 府は「それはアメリカによって、でっちあげられたシナリ オである」と、その発表を否定した。この暗殺計画の真相 は明らかになっていないが、対イラン政策でアメリカ、
サウジアラビアがより連携を強化する結果となった。
サウジアラビアは特に、イランの核開発問題について 神経質になっていたが、2013 年 11 月 24 日、イランが 欧米などとウラン濃縮の制限や経済制裁の一部緩和で合 意したことを受け、サウジアラビアはイランが核開発を 簡単に放棄するとは見ていないが、一応、その合意を評 価する旨の声明を発表した。同国としては、イランと地 域の覇権争いなどせずに、地域の安定を築けるのが望ま しいと考えている。
ゆえに、穏健派のロウハーニーが大統領に就任した時
も、対話の可能性を探るためにマッカ巡礼(2013年10月)
に招待している。ロウハーニー大統領は一時、招待を受 け入れると発表したが、結果的に、日程の調整がつかな いとのことであった。実際は保守強行派の反対を警戒し て巡礼に行かなかったと見られている。これに対して、
サウジアラビア外務省が巡礼招待を呼びかけてはいない と発表して、国家の体面を保っていた。また、サウジア ラビアとイランがオマーンの仲介によって、オマーンの 首都マスカットで秘密交渉の会談を行ったことが 2014 年2月26日に報じられている。それによれば、両者間の 関係改善をはじめとして、シリアの危機や核問題につい て話し合いが持たれ、今後も交渉を続けたいとのことで あった。
まず、サウジアラビアは2014年6月18日から行われ るイスラーム協力機構外相会議にイランのザリーフ外相 を招待したが、ザリーフ外相は日程調整がつかず、出席 できなかった。しかし、この直前の 6 月 12 日にスィー スィー・エジプト大統領就任式において、イランのアブ ドルヤヒヤーン外務次官とサルマーン皇太子が短時間で はあるが会談を行っていた。その時点ではまだ欠席の意 向は伝えられておらず、双方ともに建設的な話が持たれ たようだ。ザリーフ外相の訪問は容易に実現しそうにも ないが、8月12日にアブドルヤヒヤーン外務次官がサウ ジアラビアのジェッダでサウード外相と会談し、イラク の過激派やイスラエルのパレスチナ攻撃などについて建 設的で前向きな話し合いができたと述べている。
イランとサウジアラビアの関係改善に向けて、イラン のロウハーニー大統領も前向きの姿勢を示していると言 われているが、イランの最高指導者ハメネイ師の同意が 得られないこともあり、またサウジアラビア国内でも王 族の保守派の一部がイランとの関係改善に否定的である
ことから、今後、両国の関係改善交渉が継続するかは不 明である。両国の関係改善には双方の保守派の存在が大 きな壁となっている。さらに、先に挙げたニムル師の死 刑判決と後述するイエメンの「ホウスィー派勢力」問題が
両国にとって厄介な問題となりそうである。いずれにし ろ、たとえサウジアラビアが水面下で関係改善に向けた 秘密交渉を行っていたとしても、現実問題としてはイラ ンに対して警戒心を緩めることはない。
6. 対エジプト政策
エジプトは中東世界で軍事的にも政治的にも大国であ る。紅海を挟んで対たい峙じするサウジアラビアは、エジプト とは政治体制が違っても友好関係を築いていくことで、
紅海地域の安全保障を確保していた。エジプトの安定は サウジアラビアの安定にも大きく影響していた。そのエ ジプトのムバーラク大統領が 2011 年 2 月に辞任に追い 込まれた。サウジアラビアはアメリカがムバーラク大統 領を見放したと考え、アメリカを非難した。エジプトの 安定が崩れることを放置していたと見なしたからであ る。エジプトでは、もろもろの政治プロセスを経て、
2012 年 7 月にムスリム同胞団系のムルスィー氏が大統 領に選出され、ムルスィー政権が成立した。
サウジアラビアはこのムルスィー政権に対しても友好 的な態度を示した。ムルスィー大統領がサウジアラビア を訪問しアブドッラー国王と会談を行った後に、サウジ アラビアはエジプトへの経済的支援を表明した。サウジ アラビアには、ムスリム同胞団が過激派を抑え込み、安 定した政権を築くであろうとの期待があったと思われ る。しかし、ムルスィー政権はエジプトをまとめるだけ の政治力がなく、わずか1年後の2013年7月3日、軍の クーデターによって崩壊した。軍の指揮下で暫定政権が 成立することになったが、ムルスィー政権支持派のムス リム同胞団が各地で抗議デモを行い、治安部隊との衝突 によって、双方に多くの死傷者が出る事態となった。ア ブドッラー国王はムスリム同胞団の抗議行動をテロ行為 と見なし、8月16日、「テロと戦うエジプトを支援する」
との声明を出して、軍クーデター後の暫定政権を支持す る旨を表明した。
一方、欧米諸国は軍クーデターを非難して、エジプト への支援停止を検討することを表明した。それに対して、
サウジアラビアのサウード外相は欧米からの援助が止め られた場合、自国などアラブ諸国が代わりに援助を続け ると表明して、暫定政権を支持した。この一連のサウジ
アラビアの行動は、エジプトが安定した政権になるので あれば、支援するという態度であった。結果的に、サウ ジアラビアは同胞団系のムルスィー政権を見限り、暫定 政権に肩入れすることになり、ムスリム同胞団とは対決 姿勢を示すことになる。
2014 年 5 月末に行われた大統領選挙の結果、スィー スィー前国防相が大統領に選出された。アブドッラー国 王は当選発表当日6月3日に「エジプトにとって歴史的な 日である」とスィースィー大統領を祝する声明を発表す るとともに、「エジプト支援国会議」の開催を呼びかけた。
アブドッラー国王は6日、スィースィー大統領に電話で、
エジプトの経済発展のために支援することを約束した。
8 日、スィースィー大統領の就任宣言式が行われ、サウ ジアラビアからはサルマーン皇太子が出席した。
20 日、アブドッラー国王は療養先のモロッコからの 帰路、カイロ空港に立ち寄り、スィースィー大統領と機 内で1時間ほど対談した。90歳の国王が国外で首脳会談 に臨むのは異例のことであり、スィースィー大統領への 期待が窺うかがえる。ムバーラク時代のように、イスラエルま でを視野に入れた、紅海周辺の安全保障をエジプトに任 せたいということであろう。これに対し、8月10日、スィー スィー大統領がサウジアラビアを訪問して、アブドッ ラー国王と会談、両国の協力方法やイスラーム・アラブ 諸国の問題など、特にテロ問題について話し合った。双 方に安心できる状態を築いていくということであろう。
翌 9 月 8 日、エジプトのアズハル大学はアブドッラー 国王にイスラーム、ムスリム、エジプトに貢献した功績 によって名誉博士号を授与し、授与式にはサウード外相 が国王代理として出席した。エジプトは官民ともにサウ ジアラビアへの謝意を表現したことになる。アブドッ ラー国王はその返礼として、アズハル・モスクの修復を 支援することを明らかにした。
7. 対シリア政策
2011 年以降、シリアではアサド政権とスンナ派を中 心とする反体制派の武力対立が続き、内戦状態となって いる。当初、サウジアラビアをはじめとして、アラブ諸 国はシリアのアサド大統領が反体制派を抑え込み、シリ アの安定を維持することを願っていたが、長引く軍事的 弾圧にアサド政権への態度を決めざるを得なくなった。
そこで、同年8月に、アブドッラー国王は「サウジアラ ビアはシリアで起こっていることを宗教的にも、倫理的 にも到底受け入れることはできない。……殺さつりく戮マシーン を停止し、流血事態を終わらせることを求める……」と の人道的見地からの声明を発表して現体制との完全な断 絶を示し、反シリア体制の立場を明確にした。アサド政 権が調停案を履行せず強気の姿勢を示す背景には、ロシ ア、イランからの側面支援があるからと見られている。
これに対抗する形で、サウジアラビアやカタールが 中心となり、シリアの反体制派への武器支援などを行っ ていた。サウジアラビアは反体制派支援でバンダル総 合情報庁長官(スルターン元皇太子の息子)が中心と なって、それに当たっていた。バンダル長官は 22 年間 にわたって駐アメリカ大使を務めていた人物で、2012 年に長官に就任してからシリアの反体制派への支援に 積極的に関わり始めた。バンダル長官はアサド政権打 倒のためにシリア国内で戦っている反体制派に武器や 訓練を供与した。
サウジアラビアがシリアの反体制派を支援する大義名 分は国王の言葉に表されているが、当然その真意は中東
におけるイランの影響力拡大の阻止である。一時、反体 制派が一部の地方都市を掌握していたが、シリア軍はロ シア、イランからの支援を得て、反体制派武装勢力に反 撃し、占拠された地方都市を奪還していった。反体制派 が苦戦するなかで、2013 年 3 月、シリア政府軍による 化学兵器使用の疑惑が持ち上がり、サウジアラビアは国 連が厳しい態度(シリア攻撃)を取るべきだと主張した が、結果的に、ロシアの「シリアの化学兵器を国際的な 管理のもとで廃棄。シリアの化学兵器禁止条約加盟」提 案によって、9月27日、国連安保理はシリアに化学兵器 廃棄を求める決議を全会一致で採択した。
アサド政権がこの決議を受け入れる姿勢を示したこと から、シリアへの攻撃はなくなった。これに対して、サ ウジアラビアは不満の意を表した。先のエジプトへのア メリカの対応とも合わせて、その不満は「安保理の非常 任理事国辞退」として国際社会を驚かせる形で表された。
一方、シリア国内では内戦が続いている状況下、2014 年 6月3日に大統領選が実施され、現職のアサド大統領 が89 %近くの票を獲得して、3期目続投となった。だが 実際に選挙が行われたのは政府が制圧している地域だけ で、反体制派勢力が掌握する北・東部の大部分では投票 が実施されなかった。反体制派、欧米諸国、サウジアラ ビアをはじめとしてアラブ諸国は選挙に正当性はないと 主張している。だが、後述する「イスラーム国」(IS:
Islamic State)への対策を根拠に、サウジアラビアや欧米 諸国はアサド政権への対応を一応棚上げすることになる。
サウジアラビア外務省は 2013 年 10 月 18 日、前日の 10 月 17 日に国連総会で選任された安全保障理事会の非 常任理事国ポストを辞退するとの声明を発表した。
声明では、安保理について「行動の仕組みや二重基準 の存在で、世界平和と安全保障のための責務を果すこと が困難になっている」などと批判し、「安保理が改革され て機能するようになるまで理事国を受諾しない」と宣言 した。
その真意は、やはりシリア内戦へのアメリカの対応や 最近のイランへの融和的な態度に対するアメリカへの不
満であろう。そのことは、2013 年 10 月 22 日の報道に よれば、バンダル長官が欧州外交筋との会合で、「サウ ジアラビアはアメリカの対シリア、対イランの立場を非 難して、アメリカとの関係を制限するであろう」と、ア メリカに対するサウジアラビアの怒りを明らかにしたこ とで理解できる。そして、サウジアラビアの国家として のプライドの問題がある。同国がシリア内戦問題に関わ るようになったのは先にも述べたように、アサド政権に よる非道な武力弾圧に苦しめられているシリア民衆を救 うためである。そのためにはアサド大統領を排除する必
8. 安保理の非常任理事国辞退
9. 「対テロ法」
要があったが、それがアメリカの方向転換によって実現 する見込みがなくなったのである。
シリア民衆を救うためという大義名分はサウジアラビ ア国民にも知れわたっていることであり、そのための反 体制派への支援であった。そして、国民には常にシリア の同胞を救うために寄付が求められていた。そのシリア 対策が頓挫してしまったのであるから、その責任の所在 を明らかにする必要があった。それによってサウジアラ ビアの立場の正当性が保たれると見ることができる。
ケリー・アメリカ国務長官は 2013 年 11 月 4 日、サウ ジアラビアの首都リヤードでアブドッラー国王並びにサ ウード外相と会談して、事態の収拾を図ったが、「辞退」
騒動はアメリカに対してもサウジアラビアの不満の真剣 度を伝えるには大きな効果があったと言える。そして、
サウジアラビアはシリア対策の失敗を自覚するととも
に、その反動に対する影響に対処し始めた。それが「対 テロ法」である。
このシリア政策の失敗は、バンダル長官の解任にまで つながったとの臆測報道も流れていた。バンダルはアブ ドッラー国王にアサド大統領の失脚を約束したが、それ を果たせなかったばかりか、サウジアラビアと米国の関 係を悪化させた責任を取らされたとも言われていた。公 式には、バンダルは4月15日に「健康上の理由」で総合 情報庁長官の職を辞することになった。後任には同庁副 長官のユースフ・ビン・アリー・イドリーシーが就任し た。それは一時的措置であり、その後、6月30日、バン ダルは国王の特別顧問となり、総合情報庁長官には「王 族の世代交代」で先述したハーリドが任命された。これ は先の臆測報道を一応、否定することになり、王族の結 束の固さを内外に示したことにもなった。
アブドッラー国王は 2014 年 2 月 2 日、「対テロ法」を 勅令によって発布した。同法は、国家や社会の安定を脅 かす行動はすべてがテロと見なされ、処罰されることを 明らかにした。刑罰として、国外で戦闘行為に参加した 者、戦闘を扇動した者、戦闘に協力した者、テロ組織や 過激なイデオロギー集団や宗教集団に加わった者や支援 した者たちに対して懲役 3 年から 20 年の刑が科され、
それが軍関連の人物であった場合には懲役 5 年から 30 年の刑が科される。一方で、内務省内に逮捕者に対する 教育とカウンセリングを行う局が設置されることになっ た。また、アブドッラー国王は、内務省、外務省、イス ラーム問題省、司法省、苦情処理庁、捜査・検察庁によ る委員会を設置し、過激組織やテロ組織のリストを作成 することを命じた。
今回の「対テロ法」が発布されたのは、サウジアラビア が 1990 年代にアフガニスタンから帰還した戦闘員や、
2000 年代に入ってからはイラクからの帰還者たちの対 応に苦慮した経験から出たものである。ゆえに、2013 年頃から、同国はシリアやイラクでの状況が悪化するな かで、国民に、過激な思想に傾倒しないように、さらに 若者にシリアの戦闘に参加しないように警告してきた。
2014 年現在、シリアで反体制派として戦闘に参加して いるサウジアラビア人若者の数は正確ではないが、西側
外交筋では 4,000 人と推定されている。サウジアラビア 人戦闘員たちはシリアで内乱が発生した当初から参加し ており、シリアで戦っている諸外国人戦闘員のうちでも 数が多く、影響力が強くなっていると見られている。サ ウジアラビアは、本国人の戦闘員がシリアで戦闘してい る間に、スンナ派の過激組織「アルカーイダ」「ナスラ戦 線」「イラク・シャームのイスラーム国」などに影響を受 けて、それらの組織の細胞一員となってサウジアラビア に帰還することを懸念している。戦闘員の帰還とともに、
懸念されるのが、「アラブの春」以後、アラブ諸国の混乱 に乗じて、国境を越えて武器弾薬の流入が容易になって きたことである。「対テロ法」によって危険なヒトとモノ の流入を防ごうというのである。
「対テロ法」はアサド政権打倒のために反体制派への支 援を行ってきた政策から、自国の治安維持政策へと主軸 を転換したことを示している。そして、政策の転換は 2014年3月3日の閣議にも表れている。ホウジャ情報相 がサウジアラビア国営通信で閣議決定を伝えており、そ のなかで、改めて対テロの姿勢を強調し、シリア国民に 対する政府のテロ行為を非難し、非人道的行為の責任を 追及して国際司法裁判に提訴することを求めた。さらに、
シリアから外国人戦闘員の撤退を訴えていた。
10. テロ組織リストの公表
テロ対策の仕上げとして、サウジアラビア政府はテロ 組織のリストを公表した。内務省は 2014 年 3 月 7 日に テロ組織のリストを公表して、「それらの組織の主張に 共鳴し、メディアやソーシャル・ネットワーク・サービ スなどを通じて、その主張を拡散する者やそれらの組織 の活動を扇動し財政的支援を行う者などには厳罰を処 す」ことを示し、国民および在住者にそれらの組織との 接触を一切禁じた。内務省が指定したテロ組織は、「ア ルカーイダ」「アラビア半島のアルカーイダ」「イエメン のアルカーイダ」「イラクのアルカーイダ」「イラク・
シャームのイスラーム国」(イラクとシリアで活動する サラフィー・ジハード主義組織)、「ヌスラ戦線」(シリ アで活動するサラフィー・ジハード主義の反政府武装組 織)、「サウジアラビア国内のヒズブッラー」「ホウスィー 集団」(イエメン北部のシーア派〈の一派、ザイド派〉原 理主義の反政府組織)、「ムスリム同胞団」である。先に 挙げた8集団は周辺地域で活動している過激組織として 知られているが、最後に挙げた「ムスリム同胞団」は 2013 年 12 月 25 日にエジプト暫定政権がムスリム同胞 団をテロ組織と指定したことによる。これでサウジアラ
ビアはムスリム同胞団と対決姿勢を宣言したことになる。
エジプト政府はこのサウジアラビアの発表を喜んで受 け入れ、他の諸国にも同様の措置を取るように求めた。
国内のウラマーからも今回のテロ集団リスト公表につい て、コメントが出されている。両聖地問題長官アブドッ ラフマーン・スデイス師は「内務省の発表は混乱の火元 を消し、国家の安定と安寧を守ることになる」とリスト 公表を称賛し、勧善懲悪委員会委員長アブドッラティー フ・アールシェイフ師はその発表の効果に期待できると しながらも、「リスト公表」を必要とするイスラーム社会 が問題であり、それを正すべくウラマーの責務とその怠 慢を指摘した。
先に説明したように、東部州のシーア派のウラマーも内 務省の発表を支持する声明を3月9日に発表している。「対 テロ法」の施行で、東部州のシーア派住民に被害が及ぶこ とのないよう先手を打って、サウジアラビア政府に忠誠の 意を示したことになる。サウジアラビア当局は5月26日、
ムスリム同胞団員であるとの容疑で9人の大学教授を逮捕 した。そのうち7人が近隣アラブ諸国の者、2人がサウジ アラビア人であった。徹底した同胞団狩りである。
11. 駐カタール大使の召還
サウジアラビアのムスリム同胞団に対する警戒心は
「駐カタール大使の召還」までも決意させることになる。
サウジアラビアとUAE、バハレーンの3カ国は 2014 年3月5日、共同声明を出し、カタールの「内政干渉」に関 する合意を履行しないことを理由に同国に駐在する大使 を召還すると発表した。3 カ国とカタールはいずれも GCCの加盟国であるが、加盟国間で緊張が高まっていた。
共同声明によれば、GCC加盟 6 カ国は 2013 年 11 月 23 日、リヤードで外相会議を開催して、加盟国間の安 定と治安のために「リヤード合意」を締結した。その内容 は「加盟諸国間の互いの内政問題には直接的であれ間接 的であれ干渉しないこと」、さらに「直接的、間接的、ま た個人、組織を問わず、加盟国の安定と治安を脅かす直 接的行為をする者や政治的影響力を行使する者を支持し ないこと、また敵対的なメディアを支持しないこと」で あった。サウジアラビア、UAE、バハレーンはカター
ルに合意履行を再三求めた。しかし、カタールはその要 請に全く応えなかった。
バハレーンと UAEを率いてサウジアラビアが具体的 にカタールに求めたことは、ムスリム同胞団への支援停 止とムスリム同胞団の同国からの追放である。特に、カ タール在住のムスリム同胞団のイデオローグで、重鎮で あるユースフ・カラダーウィー師である。ムルスィー政 権崩壊後、同師はサウジアラビアが軍クーデターを認め、
暫定政権を支援していることに対し、即座に支援を停止 することを呼び掛けている。「エジプト軍はサウジアラ ビアの資金を使って、罪のない市民を殺害している。サ ウジアラビア政府は抑圧者を排除し、被抑圧者を助ける べきである。抑圧者である軍はイスラーム法を遵じゅん守しゅしよ うとしていない。サウジアラビア政府よ、アッラーを畏おそ れよ」と、強烈な批判をサウジアラビアに浴びせていた。
サウジアラビアの存立基盤はイスラーム法を施行してい
ることにある。そのイスラーム法をもって非難攻撃して きたのであるから、カラダーウィー師の非難は、サウジ アラビアにとって許しがたいものであった。
また、カタールはサウジアラビアからの執拗な要求に 対して、「カタールは建国以来、われわれに助けを求め てくる者を受け入れてきた。今後も彼らを追い出すこと はない。すべての国家に主権があり、それぞれの外交政 策がある」と強気な発言をしていた。
同国はまた「アラブの春」後、独裁政権の打倒を目指す 反体制派イスラーム勢力に肩入れし、リビアの反カダ フィー勢力、シリアの反アサド勢力、イエメンのホウ スィー勢力、レバノンのシーア派組織ヒズブッラーを支 援してきた。その後、2012年6月にエジプトのムルスィー 政権が成立した時には80億ドルの支援を約した。さらに、
2013 年 7 月にムルスィー政権崩壊の後には、カタール 資本の衛星テレビ局アルジャジーラがムルスィー政権の 正当性を訴え、ムルスィー政権の母体であるムスリム同 胞団の主張発信の場となった。
サウジアラビアと UAEは、ムルスィー政権崩壊後の 暫定政権に120億ドルの支援を表明した。カタールの支 援外交に対抗するものでもあった。つまり、「大使召還」
は「小国」カタールの独自路線に対する「大国」サウジアラ ビアからの「勝手な行動を取るな」との強烈なメッセージ であった。2014年3月25日、26日の2日間にわたりクウェー トで開催されたアラブ諸国首脳会議においても、カター
ルと湾岸諸国との不和は解消されなかった。しかし、カ タールに変化が現れ始め、3月31日、同国でムスリム同 胞団員を国外追放する動きが出てきたと報じられた。カ タールにしてもこれ以上に湾岸の大国サウジアラビアと 対立するのは得策ではないと判断したようである。
その上、タミーム首長が 7 月 22 日にサウジアラビア を訪問し、アブドッラー国王と会談し、アラブ情勢につ いて話し合った。一方、サウジアラビアからも積極的な 動きが出ている。8 月 5 日には、同国の国家警備隊担当 大臣ムトイブ (アブドッラー国王の息子)がカタールを 訪問し、タミーム首長と両国の協力関係などについて会 談した。8月27日、サウジアラビアのサウード外相、ハー リド総合情報庁長官、ムハンマド内相の3人はカタール を訪問してタミーム首長と会談、その日のうちにバハ レーンを訪問しハマド国王と会談した。翌日、アブダビ でムハンマド皇太子と会談した。8 月 30 日、GCC外相 会議がジェッダで開催され、周辺諸国の緊迫した情勢に 対処するために、GCC諸国の結束維持が必要であるこ となどが協議された。その結果、サウジアラビアは既に 動いていたが、カタールとの関係調整に乗り出すことが 確認された。外相会議後に、オマーンのユースフ外相が
「3 カ国とカタールの問題は完全に解決したので、大使 たちはドーハに戻るであろう」と語った。イラク、シリ アで勢力を拡大する過激派組織「イスラーム国」の存在が 和解を早めたと言える。
12. 過激派集団「イスラーム国」への対応
サウジアラビアのテロリスト・リストに挙がっていた
「イラク・シャームのイスラーム国(ISIS)」はイラク戦争 中に設立された「イラクのアルカーイダ」が前身とされ る。2013 年 4 月に ISISに名称変更し、隣国のシリア内 戦にも反政府勢力として参戦していた。シリア東部から イラク西部にまたがり、広範囲にその支配地域を拡大し ている。ISIS が 2014 年 6 月にイラク第 2 の都市モスル を制圧した後、ISISの最高指導者であるアブーバクル・
アルバグダーディーがイスラーム世界の新たなカリフ
(預言者ムハンマドの後継者)となり、シャリーア(イス ラーム法)に基づく「イスラーム国」の樹立を宣言して、
名称を現在の「イスラーム国」(IS)とした。アルバグダー ディーは新たなカリフとして世界のイスラーム教徒に忠 誠を求め、さらに ISはバグダードへと南下する勢いを
見せている。
カリフと領土とシャリーア施行の宣言は、イスラーム 世界の人々に衝撃を与え、かつて西洋列強によって人為 的に国境が定められた現在の国民国家のあり方に問題意 識を持つイスラーム教徒たちから支持を得ることもあり 得る主張であった。イスラーム世界はそのカリフ宣言に 驚きと戸惑いを見せながらも、地域の安全を揺るがす脅 威と捉え、ISの存在を危険視した。国際社会も新たな 形の過激派集団の出現に危機感を募らせた。
特に、サウジアラビアはイラクと800㎞にわたって国 境を接していることもあり、その危機感は大きなものが ある。イスラーム世界の盟主を自認しているサウジアラ ビアは、自称カリフや ISの主張を単なる過激派のイス ラームから逸脱した言動に過ぎないと位置づけ(アール・
シェイク最高法官の 2014 年 8 月 19 日公式声明)、拡大 する過激派集団に立ち向かう態度を示した。
アブドッラー国王は2014年6月26日に国家安全保障 会議を開き、国境警備など過激派対策の強化を指示した。
サウジアラビアはイラク政府軍が国境地帯から撤収した 後に、イラクとの国境地帯に3万人のサウジアラビア部 隊を配置した。国境地帯には 2008 年頃に既に 1,000 ㎞ にわたって土塁が築かれていたが、新たにハイテクの昼 夜監視カメラやレーダーを備えたフェンスおよび監視塔 を設置する計画が 2014 年 9 月に始まった。一方で、国 民の意識も対テロで統一するために、アブドッラー国王 は2014年6月28日、ラマダーン開始の挨拶で、「イスラー ムの衣をまとったテロリストたちを決して許すことはな い」と対テロの姿勢を表明し、テロとの戦いを宣言した。
サウジアラビアは、イラクのマーリキ政権に対して米 軍の完全撤退以来、特にシーア派優先の政治が進められ てきたことが、過激派の勢力を拡大させる要因になった と非難し、宗派・民族を取り込んだ政策を採るように要 請し続けていた。一方、イラクからは、過激派勢力拡大 の要因はサウジアラビアからの過激派への支援によるも のと反論していた。双方からの批判合戦となった。サウ ジアラビアが支援していたのはシリアの反体制派組織で あり、ISなどの過激派ではないのでイラクからの非難 は的を射ていない。しかし、反体制派組織のなかに過激 派が入り込んでいる可能性があるので、武器などが過激 派へ流出したことは否めない。また、一部の篤志家たち が反シーア派ということを根拠に過激派を支援している との指摘もあるが、その実態は不明である。
イラクのマーリキ政権に対する批判は湾岸諸国からば かりではなく、アメリカからも政策の転換を求められて いた。ケリー国務長官は 2014 年 6 月 25 日、訪問先のブ リュッセルで記者会見し、イラクのためにも「新政府の 樹立が急務だ」と語り、暗にマーリキ首相の退陣を促す 形となった。同国務長官は26日、パリでサウジアラビア、
UAE、ヨルダンの外相と会談し、続く 27 日、サウジア ラビアのジェッダを訪問、アブドッラー国王らとイラク 情勢について協議した。また、同日、ジェッダで、シリ ア反体制派主要組織「シリア国民連合」のジャルバ議長と 会談した。国務長官は、シリア、イラク両国での ISの 勢力拡大を抑えるため、反体制派支援が重要だと強調し た。オバマ米大統領は6月26日、反体制派に対する5億 ドル(約508億円)規模の追加支援の承認を議会に求めた。
アメリカは ISに対して軍事介入に慎重になっていた が、最終的に、アメリカ国民の保護と人道的目的を掲げ て 8 月 8 日に空爆を限定的に開始した。空爆の直後、8 月11日にイラクのマアスーム大統領がシーア派のアバー ディー国民議会副議長を次期首相候補に指名した。つま り、空爆はマーリキ政権の交代が前提となっていたと言 える。アメリカ、イラン、サウジアラビア、トルコなど はアバーディー氏の支持を表明し、ISの脅威に対処す るために、イラクに挙国一致の新体制ができることを期 待した。アバーディー首相は 9 月 8 日、スンナ派やクル ド人の有力政治家を含む新政権を発足させた。同日、オ バマ大統領と電話で会談し、イラク国内の各勢力や地域、
国際社会と協力して、ISと戦うための能力を強化する と表明した。
13. サウジアラビアの有志連合参加
アメリカはイラクの新政権発足に合わせて、ISに対 抗する有志連合を結成した。限定的であった空爆が1カ 月を経過し、空爆範囲が拡大した。9月22日、アメリカ は複数の有志連合国軍とともにシリア国内の ISを標的 にした空爆を始めた。シリア国内の空爆ではサウジアラ ビア、UAE、ヨルダン、バハレーン、カタールの5カ国 が参加した。アメリカは有志連合にアラブ諸国が参加し たことによって、「アメリカ対 ISとの対決」とのイメー ジを払ふっ拭しょくし、「世界対 IS」つまり、テロとの戦いである ことを国際社会に明確にした。アメリカは、シリア国内 での空爆についてアサド政権からの要請がない場合には
国際法違反との指摘を受けていたが、結局のところ、同 国のジャアファリー国連大使は攻撃について9月22日朝、
事前に通告があったことを明らかにした。アサド大統領 も事実上、シリア国内の空爆を容認していたことになる。
有志連合に参加した5カ国のアラブ諸国は「アラブの 春」の嵐をどうにか切り抜けた君主制国家である。自称 カリフを擁するISは過激で極端なサラフィー主義(イス ラーム復古主義)*1であり、厳格にシャリーア(イスラー ム法)* 2を実行していると主張し、自分たちと異なる思 想は受け入れることなく、シーア派教徒やヤズィーディ 教徒などを排除している。これに対し、これら君主制国
家は自称カリフの存在を否定するとともに、危険な思想 を同じくする過激派が ISに集結することに、さらにそ れら過激派がアラブ世界に拡散することに非常な危機感 を抱いている。そこで、過激派に対してとはいえ、同じ イスラーム教徒に対して攻撃することにイスラーム世界 の一部から非難が出ることも覚悟の上で、この特殊な過 激派集団壊滅のために有志連合に参加した。
アブドッラー国王は既に、6月11日、ケリー国務長官 との会談で、シリア国内での空爆に全面的な協力を約束 し、アメリカの攻撃に対して、積極的な姿勢を示した。
その一つとして、サウジアラビアはテロとの戦いのため に1億ドルの寄付を国連に拠出した。それほどにISの存 在がサウジアラビアにとって脅威となっている。ISが シリア、イラクの次にはサウジアラビア攻撃を視野に入 れていると言われているからである。次いで、サウジア ラビアはアメリカの要請によって、シリア反体制派集団 の訓練をサウジアラビア国内で実施することに合意し た。攻撃に参画する一方で、サウジアラビアはテロに苦 しむ同胞に対して支援を行い、イスラームの盟主の役割 として人道的活動をアピールしている。例えば、2014 年 7 月 1 日、アブドッラー国王は人道的支援として、イ ラク国民に 5 億ドルの援助を表明し、7 月 14 日には、2 億リヤール(5,300万ドル)のパレスチナへの寄付を明ら かにした。
ISとの戦いは最終的にシリアのアサド政権を利する ことになるが、サウジアラビアにとっては、アサド政権 よりも ISが現実的な脅威として迫ってきているのであ る。また、ISの壊滅を目指して、イランとも協力関係 を築くことが求められている。アメリカにしても IS壊 滅に向けてサウジアラビアと同様にイランとの協調を迫 られている面がある。IS壊滅に向けて、これまでの国 際関係に変化が生じてきている。この変化の真偽は IS 壊滅後まで待つことになる。
有志連合は、今後、広範囲に拡大する ISを壊滅する ために2年、3年と長期的な対応を迫られることになる、
と見られている。また、ISを壊滅させることができた
としても、その戦闘員たちは各地に拡散することになる。
サウジアラビアからISにだけでも2,500人が参加してい るとの情報も流れている。彼らは逃げ場を失えば、イラ クから国境を越えて侵入してくるであろう。たとえ保安 フェンスを国境に設置したとしても、800㎞を管理する のは不可能に近い。ISに参加した戦闘員たちは ISの指 導者アブーバクル・アルバグダーディーの金曜説教(2014 年7月4日)にも示されたシャリーアの理念の体現を求め て集まったとしたならば、その理念が空爆によって破壊 されることはない。特に、サウジアラビアからの戦闘員 は国内のワッハーブ主義(純粋な唯一神信仰と厳格な シャリーア実践の主張)の源流の教えを思い出すことが できるからである。かつてはサウジアラビアもワッハー ブ主義の理念を掲げて領土を拡大していたが、1920 年 代の国際的秩序の壁にぶつかり、同国北部のイラク国境 でそれは停止することになった。
当時のワッハーブ主義戦闘員たちはワッハーブ主義の 理念を掲げ、イスラームの地を拡大することが制される ことに不条理を感じて、アブドルアジーズ初代国王と闘 うことになった苦い歴史がある。今回のサウジアラビア 人戦闘員にしても、シャリーアの完全なる実施を理念に 掲げているISの領土拡大の戦いに参加したとしたならば、
それを阻む有志連合の仲間であるサウジアラビアは敵対 する何者でもなくなる。今後、同国はこのような戦闘員 への対応に悩まされることになる。
サウジアラビアはテロ対策として国内の取り締まりを 厳しくしていくと同時に、過激派の主張に惑わされるこ とのないように国内の若者たちを教育していくことにな る。例えば、9月10日に南部のジーザーンで「アルカー イダとダーイシュ(ISISのアラビア語表現)からジーザー ンの若者を守る集会」がイスラーム問題省によって開催 された。2001 年の 9・11 事件における実行犯 19 人のう ち 13 人がサウジアラビア人であり、そのうちの 5 人が 南部地域のアスィール出身であった。そのことからも、
この地域に対する警戒が強くなっている。
14. イエメン国境の警戒
サウジアラビアとイエメンの国境地帯では 2004 年か ら国境警備のためのフェンスを建築しており、2013 年 の報道では1,000マイル(1,609㎞)以上のフェンスが完
成しているとのことである。イエメンとの国境地帯では、
このようにサウジアラビア治安当局が国境管理を強化し ている。
一方、イエメンの内政から見ると、同国では 2012 年 2月、「アラブの春」の民主化運動を受けてサーレハ前大 統領が退陣して、副大統領だったハーディ氏が暫定大統 領に就いた。しかし、依然として、イエメンの直面する 問題は変わらず、イスラーム過激派「アラビア半島のアル カーイダ(AQAP:Al Qaeda in the Arabian Peninsula)」
などによるテロ問題、北部を拠点とするシーア派原理主 義勢力「ホウスィー派」の反政府活動、南部の独立を主張 する南部独立運動がある。とりわけ、アルカーイダに関 してはイエメンでは 2002 年頃から米軍がアルカーイダ の掃討作戦を続けており、治安能力が低いイエメン政府 も作戦を容認している。アメリカは、2013年7月末以来、
イエメンでの無人機を投入した過激派掃討作戦を強化 し、同年8月8日、AQAPメンバーと見られる12人がア メリカの無人機攻撃で殺害された。無人機攻撃にはサウ ジアラビアも基地を提供する形で参画している。
ハーディー政権は 2014 年 2 月、地方の独立志向を踏 まえて、連邦制の導入を決めたが、ホウスィー派や南部 の独立主義者は、政府が提示した国土の6分割案に反対 し、政府軍との衝突が起きている。ホウスィー派は8月 中旬以降、内閣の交代や燃料価格の値下げを訴え、首都 サヌアで大規模なデモを開始した。さらにホウスィー派 武装勢力が 9 月 21 日、サヌアにある首相府や国営テレ ビ局など主要政府庁舎を占拠した。ホウスィー派を異端 視するスンナ派過激派やスンナ派の部族勢力からホウ スィー派に対する攻撃も相次いで起こり、サヌア中心部 で10月9日、ホウスィー派勢力を狙った自爆テロがあり、
少なくとも 47 人が死亡、75 人が負傷した。東部ハドラ マウト県の軍検問所でも、自爆テロで兵士 20 人が死亡 した。旧南イエメンでは分離主義者たちが独立を主張し て活動を活発化しており、イエメンは混乱状態となって いる。GCC諸国はイエメンが破綻国家になることを受 け入れないと表明しているが、なんら効果ある手だてを
打つことができないでいる。
サウジアラビアが最も懸念しているのは、ホウスィー 派武装勢力がサウジアラビアの南部地域のアスィール州 などをホウスィー派のもともとの領土であると主張し、
越境攻撃を仕掛けてくることである。また、サウジアラ ビアはホウスィー派とイランの関係に神経をとがらせて いる。ホウスィー派がサヌアを掌握した時に、イラン政 府の要人(革命防衛隊イスラーム法学指導顧問)が「イエ メンのイスラーム共和国が勝利した」などと言い、さらに
「この勝利はサウジアラビアの(解放への)門を開くであろ う」と述べた。たとえ、一要人の言葉であったとしても、
不用意な言葉であり、それはサウジアラビアにとってホ ウスィー派とイランとの関係を確信するのに十分であっ た。ハーディー大統領にしてもイランに対してイエメン への内政干渉をやめるべきだ、とたびたび非難している。
サウジアラビアの安定にとって、隣国の安定は重要で あるので、ハーディー政権が2012年に成立した時に32 億5,000万ドル(2012年5月23日、イエメン・フレンズ 閣僚会合にて決定)を拠出し、今回のホウスィー派の侵 攻に対してもハーディー政権に財政的支援(7 月 10 日、
ハーディー大統領・アブドッラー国王会談で 30 億ドル の支援を約束)をしてきた。さらに、サウジアラビアは 国際的な支援システムとしてのイエメン・フレンズ閣僚 会合(第8回、2014年9月24日ニューヨーク)にも毎回 出席して、イエメンの安定に貢献する意を示している。
サウジアラビアがもう一つ懸念することは、国際的な実 効性のある介入によってハーディー政権の回復ができな ければ、ホウスィー派の政権となり得るということであ る。それは確実にイランの影響力の強い政権となり、中 東全体におけるシーア派とスンナ派のバランスを崩すこ とになる。その上、ホウスィー派の政権はアルカーイダ などの過激派の攻撃の対象となり、サウジアラビアに とっても不安材料が増えることになる。
さいごに
「アラブの春」以後、サウジアラビアとアメリカに不和 が生じていたが、その関係修復のため、オバマ大統領は 2014 年 3 月 28 日、リヤードを訪問し、アブドッラー国 王と会談した。会談でオバマ大統領は、同国との強固な 関係はアメリカにとって最も重要であると強調し、両国 はシリア危機の解決、イランの核保有阻止、テロ対策、
中東和平に取り組むことを相互に確認した。その後、サ ウジアラビアは、「イスラーム国」壊滅へ向けて、また「ホ ウスィー派勢力」による混乱したイエメンの安定化に向 けて、アメリカとの協力態勢を取ることで信頼関係を復 活している。
サウジアラビアの政策は王家の安定を基盤として、内