翻訳 ニュッサのグレゴリオス
『聖マクリナの生涯』
海老原晴香
【訳者による付記】
本稿は、 4 世紀に現在のトルコ共和国の一地域にあたるカッパドキ ア地方ニュッサの司教を務めた、ギリシア教父グレゴリオス(c.330- c.395)の著作『聖マクリナの生涯』前半部分の翻訳である。
ニュッサのグレゴリオスは、共住型の修道生活の創設者とされてい る兄のバシレイオス(c.328-c.379)や、甘美な詩作品などで名高い友 人のナジアンゾスのグレゴリオス(c.329-c.389)とならんで、教父学 や教義学の分野で「カッパドキア三教父」と敬意をもって称される人 物である。数々の著作を残しており、とりわけ20世紀以降になって、
組織神学、実践神学、神秘主義思想などさまざまな立場からの文献研 究がほどこされるようになってきている。
ここに試訳を提示する『聖マクリナの生涯』は、グレゴリオスの姉 であるマクリナと兄バシレイオスの死後、歴史的にはコンスタンティ ノポリス公会議後(年代にして381年以降)に執筆されたものである。
タイトルからマクリナについての伝記であることがうかがえるが、実 際、キリスト者女性の伝記としては現存する最も初期のものの一つで あるともいわれている〔V.W.Callahan,The Fathers of the Church, A New Translation, Saint Gregory of Nyssa Ascetical Works,
(Washington,D.C.,1967),161-162〕。前半部分でマクリナを中心とし たグレゴリオスの家族の歴史が語られ、後半の大部分にはマクリナの 危篤を知ったグレゴリオスがマクリナの暮らす共同体へと駆けつける
場面からマクリナの死と葬儀に至るまでが描かれている。この作品に は、姉マクリナについてだけではなく、祖父母や両親、兄バシレイオ スなどグレゴリオス一家の歴史や、マクリナの創設した女性共同体の 様子、そして彼らの兄弟が家庭を座として、あるいはまた、街を離れ て実践した修道生活などについても描写されており、当時のキリスト 者たちの信仰生活のありさまをうかがい知ることのできる貴重な資料 の一つである。
ここでは翻訳の底本として、Gregorii Nysseni Opera Ascetica Vol Ⅲ-I, Leiden,editedbyW.Jaeger,J.CavarnosandV.W.Callahan(Leiden:
Brill,1952),347-414およびVie de Sainte Macrine,SourcesChrétiennes No.178,edited.byP.Maraval(Paris:Cerf,1971)のギリシア語原典部 分を用いた。また必要に応じて仏訳(SourcesChrétiennes版の対訳部 分)と、英訳(既述のCallahan,The Fathers of the Church, 161-162およ びA.M.Silvas,Macrina the Younger, Philosopher of God, Medieval women:textsandcontexts;v.22(Turnhout:Brepols,2008),109-148)
を参照した。
*翻訳中の[ ]は訳者による補足である。
*小見出しはSourcesChrétiennes版のMaravalによるものに従った。改行は適 宜、訳者が行った。
【翻訳】
Ⅰ.序
タイトルの形式から1、本著作は書簡であると思われるかもしれない。
しかしながら、内容豊かにして書簡の域を超え、長大な物語に及ぶこ ととなった。あなたが私に執筆するよう促した主題は、書簡の域をは
るかに凌ぐものであったのだと弁明せざるを得ない。
アンティオキアの市中で偶然にもあなたと私が出会ったときのこと を覚えているだろうか。そのとき私は、生前主が滞在したエルサレム の足跡をたどり、祈りをささげるために備えていた。私たちの間で議 論された、さまざまに異なる話題全てのことについても思い起こすこ とだろう。あなたの知性は数多の話題へと駆りたてたので、私たちの 集いが沈黙に陥るようなことは起こりそうもなかったのだから。
そうした折にしばしば起こることだが、私たちの対話はよどみなく 流れ、非常に尊敬を受けたとある人物の生涯を回想するに至った。そ の物語の主題は一人の女性であった──実にもし、彼女が「女性」で あったならば、であるが。というのも、女性をはるかに超えた本性の 持ち主であった彼女をそのように明示することが適切であるのか、私 にはわからなかったからである2。
私たちの物語は他者からの聞き伝えによるものではなく、経験その ものが語らせることを詳細に繰り返し話したものなので、信用に値し た。そのため、他者による証言の必要もなかった。思い起こされたお とめは我が家族にとって、他者からその驚異に満ちた不思議な出来事 を学ばねばならないような見知らぬ人物などではなかった。否、彼女 は我が兄弟姉妹と同じ両親から、あたかも奉納の賜物のごとく、母胎 からの初穂として生まれた。
そこで、彼女の気高い特性について語ることは助けとなるであろう とあなたは確信した。なぜなら、そうすることで時間の経過とともに 彼女の生涯が忘れ去られることはなくなるからである。また、愛智3に よって人間の徳の頂へと自らを高めた彼女が無益に葬り去られ、沈黙 のうちに隠されることがなくなるからである。それゆえ、私は喜んで あなたに従うことにした。手短に、ありのままの簡素な語りにおいて、
彼女の物語を精一杯述べたいと思う。
II.誕生
そのおとめの名はマクリナといった4。我らが両親は、家族の中でも 高名な先代のマクリナにちなんで我が子に命名した。先代のマクリナ は父親の母親にあたり、迫害時にはキリストへの信仰告白のため果敢 に闘った人物であった。マクリナ、が[そのおとめの]公の名であっ た──彼女を知る人々はこの名で呼んだ──が、彼女には、母親の苦 しみを経て生まれいづる直前のとある顕現から、別の名を密かに与え られていた。
というのも、彼女の母親も大変徳の高い人物であったので、神聖な 意思に導かれてとりわけ純粋清廉な生涯へ引き寄せられていた。その ため、彼女[母親]自身の選択の自由が及ぶ限りにおいては、結婚す ることを望んではいなかった。
しかし、彼女は、両親いずれに対しても孤児の立場であったこと、
彼女の肉体が美の最初の花盛りにあったこと、彼女の美しさに関する 名声が多くの求婚者たちを惹きつけていたことから、もし誰かの妻と なる選択をしなければ望まぬ暴力を被るかもしれない状況にあった。
彼女の美しさによって欲望をあおられた輩が、彼女を力づくで連れ去 ろうとしていたからである。こうした理由で、彼女は品位あることで 知られていた人物を選び出し、彼女自身の生涯の保護者を得たのであっ た。
早速、最初の妊娠で彼女はマクリナの母となった。生みの苦しみか ら解き放たれる予定日がおとずれると、彼女は眠りに落ちた。彼女は、
未だ彼女の子宮内に収まっているはずの我が子を両手に抱きかかえて いるようであった。
すると、人間を超えた威厳ある姿のある者が現れ、彼女が抱く子ど もを「テクラ」の名で呼んだ──おとめたちの間で大変に著名な、あ
のテクラである5。三度呼んだ後、その者は彼女の視覚から消え去り、
彼女の陣痛を和らげたので、目覚めるとすぐに彼女は夢が実現したこ とを悟った。マクリナの秘密の名は、こうした次第で与えられた。し かし、この顕現は母親の命名を導くために語られたものというよりも、
少女の生涯を予言し、名を同じくすることが生涯の選びをも共にする ことを示すために語られたものである、と私には思われる。
Ⅲ.教育
こうして、その子どもは養育されることとなった。彼女には乳母が いたが、ほとんど彼女の母親自身の腕の中で育まれた。幼少期を過ぎ るや否や、彼女は素早く子ども向けの教えを修得した。両親が教え導 くあらゆる教えにおいて、少女の本性は輝いた。
彼女の母親は我が子の教育に最大の関心を持っていたが、学習初期 の大部分を詩によって指導する、慣例に倣った世俗の学習課程による 教育6を施さなかった。というのも、柔軟で感受性の強い本性に悲惨な 情念を教えることは恥ずかしいこと、全く不適切なこと、と考えたか らであった。それらは女性たちの情念で、詩人たちに出発点と主題を、
あるいは喜劇のみだらさを、あるいはまたトロイに降りかかった苦難 の要因をもたらし、女性たちに関する下劣な話を通じて品位を貶めて しまいかねないものであった。
その代わりに、幼少期には、より容易に学ぶことができそうな神に 息吹かれた書[聖書]の断片を用いて、子どもは教育された。とりわ けソロモンの知恵の書が、また加えて道徳的生活に資するあらゆる断 片が用いられた。
実に、詩編で彼女の知らない箇所はどこにもなかった。聖歌の各所 を適した時に暗唱していたからであった。起床時、勉強に取り掛かる
時や作業を離れて休息する時、あるいは食事のため席に着く時や席を 立つ時、そして、床に就く時にも祈りのため起床する時にも、彼女は どこへ行くにも聖歌を絶やさなかった。それはまるで聖歌が、いつで も彼女を決して置き去りにしない善い旅の伴侶であるかのようであっ た。
Ⅳ.結婚の計画
こうした実践の中で育まれ、とりわけ毛糸の刺繡といった手仕事の 訓練を受けて、彼女は12歳に達し、まさに女盛りの様相を呈するよう になった。
そして、少女の美しさが隠されていたにもかかわらず、衆目を集め ることとなったのは驚きに値する。彼女の美しさと魅力に敵う驚異は、
故郷のどこにも見当たらなかったようである。画家の腕を持ってして も、彼女の光をとらえることはできなかったほどである。そうなのだ。
幾重にも多彩で最も偉大な主題に挑み、壮大なイメージをも再現し精 巧に作りあげるほどの技巧でさえ、彼女の造形美を正確に再現するこ とができなかったのだ。こうしたわけで、彼女の両親の周りには求婚 者たちの大群が押し寄せた。
しかし彼女の父親は、善い決断を下すことにかけて実に賢明で慎重 であった。彼は、信望が厚く謹厳実直で知られる人物を親族の中から 選びだした。その人物は学業を修めたばかりだったが、父親は娘が適 齢に達したら彼と婚約させることを決めた。
その間、その若い青年はますます期待に応え、とりわけ喜ばしい結 婚祝いを送るがごとく、弁論における自身の名声を少女の父親へとさ さげた。というのも、彼は過ちを犯した人々の代理として、法廷弁論 の場において自身の雄弁さを示したからであった。
しかし、悪意が突如こうした期待を阻んだ。青年は痛ましいほどの 若さで急逝したのであった。
Ⅴ.おとめの決意
今や、マクリナは父親の思惑に対して無知ではなかった。それゆえ、
彼女のための決断が若い青年の死によって断たれた時、彼女は父によ る決断が既に結婚の成就であったのだと指摘し、以降独身に留まるこ とを決心した。実に彼女の決意は、その年代としては想定される以上 の断固たるものであった。
というのも、両親が彼女のもとに結婚の申込を持ってくると──こ れはよく起こることであった、美の評判ゆえ彼女の手を熱烈に求める 者はたくさんいたから──父親によって一度公認された結婚に忠誠を 示さず、別の誰かのことを思え、との圧力に屈することは、不適切で 人の道理に反する、と彼女は言ったものだった。誕生と死が一度ずつ であるように、本来、結婚とは一回きりのものなのであるから、と。
両親の決定によって彼女と結ばれたかの青年は死んではおらず、復 活の希望を通じ神によって生きている、彼は旅に出ているのであって、
外国へ行ってしまった花婿を信頼しないことは道理に反することであ る、と彼女は主張したのであった。
Ⅵ.マクリナと母親
こういった議論により、彼女は彼女を説得しようとする者を皆、退 けた。そして気高い決意のため、ある予防線を張ることを決心した。
それは、ただの一瞬も母親から離れないことであった。結果、彼女の 母親はしばしば次のように言及することとなった。他の子どもたちの
ことは一定期間子宮の中で養ったけれど、マクリナのことはずっと自 身の内に抱いている、ある意味ではいつまでも子宮内に守っているよ うなものだ、と。
とはいえ、母親にとって娘が一緒にいることは負担でも無益でもな かった。娘から得られた配慮は大勢の使用人からのものに値し、相互 に恩恵があったと言えたからであった。というのも、母親は少女の魂 の世話をしたが、彼女は母親の身体を世話し、他のあらゆる点におけ る必要な奉仕を行い、自らの手で母親のために頻繁にパンを準備しさ えした。
これが彼女にとっての主要な仕事であったわけではない。しかし、
儀礼を行う際に──こうした事柄への熱意は彼女の生涯の目的にふさ わしいものだと彼女は考えていた──彼女は自ら精を出して母親のた めに、残り物から食事を用意したのであった。
それだけではなかった。彼女は母親の差し迫った責務全ての管理を 手助けした。一家には 4 人の息子と 5 人の娘がおり、資産は多くの州 に散在していて、 3 つの総督に税金を納めていた。その頃までに彼女 の父親がこの世を去っていたため、母親は責務によってさまざまに当 惑していたのであった。こうした全ての事態において、彼女は母親の 苦労を共有し、責務を分かち合い、そして悲哀の重荷を軽減させた。
同時に、母親の保護のおかげで彼女は汚れない生活を保った。彼女 はあらゆる事柄において母親のまなざしのもとで導かれ、一方で彼女 の生活は母親に同じ目的へと向かうにあたって素晴らしい刺激を与え た──すなわち、愛智の目的のことである──少しずつ、彼女は母親 を霊的で困難のない生涯へと引き込んでいった。
Ⅶ.バシレイオス
母親が、ここで話題にしている人物[マクリナ]の姉妹ら各々にふ さわしくこうした手配をなした頃、その人物の弟の一人である卓越し たバシレイオスが、修辞学の長期訓練を行っていた学校から戻って来 た。
彼は当時、自身の修辞学への思いによって甚だしく慢心し、地元の 高官らを軽蔑していた。自身の思いあがった見解では、彼は主要な権 威者たち全てにまさっていたからであった。
しかしながら、マクリナは彼を世話して素早く愛智の目的へと惹き つけたので、彼はこの世的な見栄から退き、修辞学を通じて得られた であろう称賛をひどく嫌い、そして自発的に自ら苦労しつつ進む生活 へと身を転じた。かくして、彼は独力で、完全な自制を通じて妨げな く徳へと導かれる生活を備えていったのであった。
しかし実に、この世のあらゆる場所で有名になった彼の生活と後の 働き、そして、それらに対する評価が徳の点で著名な全ての人々を凌 ぐことについては、長い物語となってしまうので時間を要する。とい うわけで、約束されたことへと話を戻そう。
Ⅷ.家庭から修道的生活への変容
今や、一層世俗的な生活を送ることへの理由が全て彼女らから取り 払われたので、マクリナは母親を説得し、慣れ親しんだ生活、派手な 物腰、長らく習慣としていた使用人による奉仕をやめさせ、多くの人々 と同じ水準に身を置くよう意識させ、彼女のもとにいた奴隷の女性た ちや使用人たちと対等な姉妹にならせて、おとめとしての共同生活に 参加させた。
しかし私はここで短い挿話をはさみたい。このおとめ[マクリナ]
の高遠な性質をさらに明らかに示す出来事を、語り忘れないようにす るために。
Ⅸ.ナウクラティオスの生涯
4 人兄弟の 2 番目、偉大なバシレイオスの次に生まれたのがナウク ラティオスであった。彼は本性の資質において、肉体の美しさの点で、
活力の点で、またあらゆる任務にかけての速さと器用さの点で、他者 にまさった。22歳になり、彼が公の集いにおいて自身の学修成果を証 すると、現場の聴衆全てが心動かされたものであったが、彼はある種 神聖な洞察力によって既に手中にあったこれらすべての事柄を嫌い、
またある種の偉大な思惟のひらめきによって自発的な清貧、独居生活 を始めた。
彼は身一つであったが、使用人の一人であったクリュサフィオスと いう名の者がつき従った。というのもクリュサフィオスはナウクラティ オスに仕えることに慣れ親しんでおり、また同じ生活の選択を彼も決 心したからであった。
そうして、ナウクラティオスはイリス川7のほとりに見つけた場所で、
静修の独居生活を行った。現在、イリス川はアルメニア地方を起点と してポントス地方を横断し、私たちの居住地域を経由して最終的に黒 海に流れ込む川である。ナウクラティオスはこの川のそばに、深い森 に覆われ、張り出す山の尾根に隠されたとあるくぼみを見つけた。街 の喧騒と、軍や法廷における美辞麗句による乱心から離れて、彼はそ の場所に落ち着いた。
このようにして彼は、通例人間生活を襲う騒音から自身を自由にし、
貧困と虚弱のうちに共に暮らしていた老人らの世話を自らの手でした
ものだった。こうした任務に責任を負うことが彼の生き方であると考 えたからであった。あらゆる狩猟技術に熟練した彼は、老人たちに食 糧を用意するため狩りに出かけ、同時にこうした実践によって研鑽を 積んだ。
しかし彼はまた、母親から何か請われればいつでも喜んでその願い を心に留めた。こうした二つの仕方で彼は自身の生活を正しく歩み、
母親のための骨の折れる仕事によって青年期を自己制御し、神聖な戒 めを通じて神への素晴らしい前進を歩むこととなった。
Ⅹ.ナウクラティオスの死
彼は 5 年の間このように、愛智を思索し、また母親を非常に幸福に しながら生きた。自らの生活を節制によって秩序づけ、そしてまた、
生んでくれた母親の願いのために全力を尽くすことによって。
その頃、耐えがたく実に悲劇的な大惨事が母親を襲った──敵の罠 だった、と私は思う──この事件が、家族全体に不幸と悲痛をもたら した。彼は突如この世での生命を奪われた。この青年に死をもたらし たのは、ありふれた、よく知られている病などではなかった。
老人たちへの必需品を備えるために狩猟へ出た彼は、生活を共にし ていたクリュサフィオスと一緒に、遺体となって戻って来たのだった。
しかしながら彼の母親は、この事件から遠く離れた場所、丸 3 日か かる距離の所にいた。徳に関する点で彼女は完璧であったにもかかわ らず、ある者がこの大惨事について彼女に知らせに来ると、やはりあ りのままの状態がまさった。彼女の魂は不安定によろめき、突然彼女 は息もできず言葉を失い、理性は情念に屈した。不吉な知らせの襲撃 によって彼女はその場に崩れ落ちた。気高いアスリートが不意の一撃 に倒れるようであった。
Ⅺ.試練の中でのマクリナと母親の姿
今や、偉大なマクリナの徳が明らかに示されるときだった。情念に 理性を対峙させ、彼女は母親が崩壊してしまうことを防ぎ、また同時 に母親の弱さの支えとなり、悲嘆のどん底から再び引き上げた。彼女 は持ち前の堅固さと不屈の精神によって、母親の魂を鼓舞した。
その結果、彼女の母親は大惨事によって破滅することなく、災難を 泣き叫ぶといった恥ずべき女々しいふるまいに屈することもなく、あ るいはまた悲嘆に暮れて悲しげな調べの哀悼歌をかきたてるようなこ ともなかった。
それどころか母親は、落ち着いて本性の衝動に耐え、理性によって 受け流した。それは母親自身のものと、また苦痛の癒しとして娘から 示されたものとによって可能になったことであった。
かのおとめ[マクリナ]の高遠で気高い魂は、これまでになかった ほど明らかであった。なぜなら、彼女の内に、本性は特別な苦難の場 を設けていたからであった。というのも、こうした形で突如命が奪わ れたのは、中でも最愛の弟であったのだ。
しかし彼女は超然として、理性によって自分自身と合わせて母親を も鼓舞し、情念を超え、自ら模範となりながら、母親を確固たる勇敢 な姿へと導いた。彼女の生活は徳を通じていつも高い段階を保ってい たが、こうしたことがさらに、母親を、亡くなった者のことで落胆す るのではなく、むしろ目の前の恩恵を喜ぶようにさせた。
Ⅻ.アニサ
8での修道的な生活子どもたちを養育する責任と、彼らに教育を施して生活を安定させ ることに対する心配が止み、より世俗的な生活にとって重要であるこ
とのほとんどが子どもたちに分け与えられると、先にも述べたように、
母親にとってかのおとめ[マクリナ]の生活は、愛智を深め霊的に生 きる生活への導きとなった。
彼女は、母親を慣れ親しんできたもの全てから引き離し、彼女自身 の謙遜な規範へと導き、おとめの集い全体といかに対等な立場で生き ていけばよいかを示した。すなわち、一つの食卓、同様の寝床を共に 用い、生活必需品全てを平等にし、生活からことごとく身分格差を取 り除く、ということだった。
彼女たちの生活はこうした調子で、日夜を過ごしていくにあたって 愛智と生き方の尊さという点で大変気高く、言葉での描写を超えるも のであった。というのも、肉体の死から自由になった魂が同時にこの 世の懸念からも自由になるように、彼女たちの生活もこうした事柄か ら遠く引き離され、この世の虚しさ全てと絶縁し、天使的な生活のま ねびに調和していた。
彼女たちには、激しい癇癪も、嫉妬も、敵意も、横柄さも、そういっ たこと全てが見当たらなかった。名誉や栄光に対する空虚な願望全て、
うぬぼれ、尊大さ、そういったものを脱ぎ捨てたからであった。彼女 たちにとっての贅沢とは自己制御にあり、無名であることが栄光であっ た。富は所有しないことの内に、また、物質的に余分なもの全てを身 体から埃をはらうがごとく振るい落とすことの内にあった。
彼女たちはこの世の生活に従事していなかった、というよりもむし ろ、心奪われていなかった。彼女たちは専ら、神聖な事柄の観想と継 続的な祈り、また絶え間ない讃美の歌唱に従事した。それは昼夜を問 わず全ての時間にわたってむらなく繰り広げられたので、彼女たちに とって仕事でもあり、また仕事からの休息でもあった。
眼前のこうした生活を、人間のどのような言葉によって思い起こさ せることができるというのだろうか。彼女たちの生活は、人間と霊的
本性の境界にあった。なぜなら、感情に影響を受けやすい面から本性 が自由である点については人間の条件を超えていたが、一方で、肉体 を持って形をまとい、感覚器官と共に生きている点については天使的 霊的本性に達していなかったからである。
おそらく、その違いは彼女たちにとって何ら不便をもたらさなかっ たとさえ言う者もいるだろう。彼女たちは霊的な権限を持つ者に似た 者たちとして肉体を持って生活したので、身体に引きずられて貶めら れることはなかった。それゆえ彼女たちの生活は、天上高く天国の権 限と共に高みにあったのであった。
彼女たちがこうした生活を送った期間は短くなく、時間の経過と共 に成果は増していった。彼女たちの愛智が、見出した善をどんどん増 していくことで、絶えずより偉大な清らかさへと促していったのであっ た。
XⅢ.弟ペトロス
マクリナは、生涯の偉大な目的に向かっていくにあたり、大部分を 同じ母胎から生まれた弟ペトロスによって助けられた。彼は我が両親 にとって最後の子どもであり、彼によって母親の生みの苦しみは終え られた。この世の光を受けた時に父親がこの世での生涯を閉じたので、
彼は、「息子」と「孤児」という 2 つの呼び名を同時に受けることと なった。
ところで、彼が生まれてやっと乳離れするかどうかという頃、私た ちの物語の主題である長姉[マクリナ]は彼を乳母から引き取り、自 身で養育した。彼女は、あらゆる高遠な文化へと彼を導き、幼少時か ら聖なる学びを教え、こうして彼の魂が虚しいものへ向かわないよう にした。これにより、彼女は少年にとって全てのもの──父親、教師、
保護者、母親、あらゆる善の助言者となった。
彼女がこのように彼を導いたので、彼は少年期を過ぎるよりも前、
未だ幼さが残っている時期に、愛智の高遠な目的へと挙げられた9ので あった。
生来の恵まれた資質により、彼はあらゆる種類の手仕事にたけてい た。多くの者が時間と手間を費やしてようやく習得する技能を、彼は 詳細を訓練されずして獲得した。彼は世俗的な文学研究に打ち込むこ とを辞退し、本性の内にあらゆる教えについての十分な教訓を持ち、
そしていつも姉を見てあらゆる善の模範と仰いだので、卓越した徳の 内にある偉大なバシレイオスにも全く劣らぬほどの徳の域に達した。
こうしたことは後年の彼に当てはまることであったが、当時彼は、
何よりもまず姉や母と共に暮らすことを望み、かの天使的な生活へと 協働したのであった。
ある時、厳しい飢饉が起こり、彼らの寛容さを聞きつけて、彼らが 暮らしていた静修の地へと四方から群衆が押し寄せてきた。彼が思慮 分別によって有り余るほどの食糧を人々に提供したのはその時であっ た。あまりにも多くの群衆が訪れたので、その砂漠の地はまるで街の ようになった。
XⅣ.母親の死
母親が老齢に達し、これら 2 人の子どもたち[マクリナとペトロス]
の腕の中で神の御許に召され、この世を去ったのは、おおよそこの頃 のことであった。
彼女が子どもたちに授けた祝福の言葉は記録に値する。その場にふ さわしく、彼女は不在の子どもたちの誰も祝福を分かち合わない者が いないことに言及し、そしてとりわけ、彼女と共にいた 2 人への祝福
を祈りの内に神に委ねた。子どもたち 2 人は彼女の寝床の両側に座っ ていたのであったが、彼女は 2 人の手を取り、次のような最期の言葉 を神に述べ伝えた。
「おお神さま、あなたに私の最初と10番目の生みの果実をささげま す。こちらの私の初子こそ最初の果実であり、また最後に出産したこ ちらは10番目の子です。彼ら両者共に律法によってあなたにささげら れる奉納の贈りものです。それゆえどうか、この私の最初と10番目の 子らが聖別されますように。」
これらの言葉によって、彼女は明確に娘と息子のことに言及した。
そして祝福を終えると同時に、彼女は生涯を閉じた。彼女は子どもた ちに、自身の遺体を父親の墓へ納めるよう命じていた。
子どもたちは母親の指示を遂行し、一層高遠な決意によって愛智を 深めた。彼らはつき従う者たちと共にいつも自身の生活において奮闘 し、それまでに成し遂げてきたことを凌いでいったのであった。
XV.ペトロスの叙階とバシレイオスの死
聖人の中でも卓越したバシレイオスが偉大なカエサレイア教会の司 教に指名されたのは、おおよそこの頃のことであった。彼は弟[ペト ロス]を司祭職に推し、彼自身の手で秘儀典礼において叙階を授けた。
こうして彼らの生活は一層の尊さと敬虔さを持って前進し、今や聖職 者としての働きによって彼らの愛智は増したのであった。
その 8 年後、 9 年目の年に、世全体に名を馳せたバシレイオスは人 間の世界を離れて神と共に生きる者となった。彼の祖国と世全体が等 しく悲嘆に暮れた。
さて、マクリナは遠方でこの災難を伝え聞き、魂における大きな喪 失を被った。真理に反した敵どもでさえ[バシレイオスの死に]嘆い
たというのに、彼女がこの惨事に影響されないことなどあろうか。
しかしよく言われるように、金は幾度も炉の中で試され、もし最初 の精錬作業で不純物が残った場合には 2 回目にまわされ、最後の一つ、
全ての不純物の混合物が取り除かれるまで作業が繰り返される。これ 以上不純物を除けない程に精錬を経たものこそ、最も信頼できる純金 なのである。マクリナの中でもこれに類似したことが起こっていた。
この時さまざまな悲しみによって彼女の高遠な知性が試され、彼女の 魂の純粋さと高貴さがあらゆる面で明らかになった──第一に別の弟
[ナウクラティオス]との別れによって、その後には母親との告別に よって、そして 3 番目に、一家全員にとって栄光であったバシレイオ スが人間の生涯から取り去られた際に。それでも彼女は、あたかも無 敵のアスリートであるかのごとく堅固な姿を保ち、不運の攻撃にも決 して屈服することはなかった。
訳注
1 本作には写本が数編存在しており、具体的な人物に宛てた書簡であること を示すタイトルとなっているものもある(司教エウプレピオス、司教エウ トロピアス、ヒエリオス、オリュンピアス、といった名が伝えられてい る)。宛名も写本により複数伝えられているため、ここでは訳出せずにと どめた。写本の版について簡潔にまとめられたものとして、A.M.Silvas, Macrina the Younger, Philosopher of God, Medievalwomen:textsand contexts;v.22(Turnhout:Brepols,2008),93-99を参照。
2 創世記 1:26-27の描写に従い、キリスト教では伝統的に人間が「神の像」
として創造されたことを伝えているが、これをめぐってニュッサのグレゴ リオスは、神はまず性別のない「神の像」としての人間を創造し、後に子 孫を残すために男女を区別した、と解釈した。グレゴリオスはこの創世記 箇所を度々、キリストに結ばれた神の子たる人間の在り方について記した ガラテヤ 3:28「そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も 自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリス
ト・イエスにおいて一つだからです」と合わせて解釈しており、人間が霊 性を深め、神に近付いていくことは、性別のない「神の像」になりゆくこ とである、との人間理解を展開する。この主題について、グレゴリオスは
『人間創造論』(DeHominisOpificio,Patrologia Graeca,editedbyJ.P.
Migne(Paris,1857-1866)44,123-256)を執筆している。
3 「愛智」と訳出したϕιλοσοϕίαとは「知恵を愛すること」であり、ギリシ ア哲学における知恵・真理探究を意味する一方で、キリスト教の文脈では キリストに従い、神へと向かう生き方の態度を示している。また教父の聖 書解釈においては、テキストのうちにキリストとの出会いを求めていくこ とをも表す。『雅歌講話』(大森正樹他訳)新世社、1997年、25、注 3 を 参照。
4 ルカ 1 :27「そのおとめの名はマリアといった。」ここでグレゴリオスは、
マクリナと聖母とを重ねて記述している。
5 新約聖書外典『パウロとテクラの行伝』の主人公であり、女性使徒、最初 の殉教者として、グレゴリオスが生きた当時も崇敬されていたことがうか がわれる。原典邦訳として「パウロ行伝(パウロとテクラの行伝)」『聖書 外典偽典』 7 巻『新約外典』Ⅱ(青野太潮訳)、教文館、1976年を参照。
古代末期におけるテクラ伝承の受容については、足立広明「聖テクラ伝承 の起源と変容─伊仙古代末期キリスト教における女性の伝統」『西洋史学』
173号、1994年、17-33を参照。
6 ホメロスの叙事詩に始まり、戯曲作品の内容を学んでいく当時のギリシア 的初等教育のことを示している。
7 現トルコを流れるイェシルウルマック川(Yeşilırmak)。
8 現トルコ、黒海にほど近く、イリス川のほとりにあった街。
9 ペトロスが十代までに受洗し、姉マクリナや母親に倣った生活を選び、純 潔を決意したことが示唆されている。