• 検索結果がありません。

『オセロー』における結婚:「家庭悲劇」との比較から考える

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "『オセロー』における結婚:「家庭悲劇」との比較から考える"

Copied!
18
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

『オセロー』における結婚:「家庭悲劇」との比較から考える

西原 幹子 Mikiko Nishihara Marriage in Othello  :

A Comparative Study of Othello and Domestic Tragedies

(2)
(3)

Abstract

This paper examines the main factor that causes Othello's marital collapse by comparing Othello to some of the plays called domestic tragedies, popular plays that might have infl uenced Shakespeare. Domestic tragedy is a genre which dramatizes domestic crimes that actually occurred in London.

Othello is unique among Shakespeare's tragedies in that its denouement takes place in a bedroom where the tragic hero murders his wife and then commits suicide after recognizing his fault. Unlike other tragedies, no one dedicates a funeral speech for Othello to recall his public achievements, nor does his death undermine the social structure in Venice. In this respect, the play has sometimes been called a domestic tragedy. The word domestic here, however, is used to indicate that the tragedy of Othello focuses on private rather than political issues. Although Othello should not be categorized as domestic tragedy, it is worth comparing Othello to the plays in terms of their depictions of marital problems.

Since the main characters in domestic tragedies are native English people from the newly rising gentry class, their marriages are often motivated by class consciousness, and the tragedies usually result from class aspiration. On the other hand, Othello is a foreigner brought up as a cosmopolitan soldier outside the hierarchical society of Venice, and his marriage to Desdemona is not motivated by class consciousness. However, Othello's marriage to a Venetian woman of nobility thrusts him into Venice's highly stratifi ed society. Class aspiration is represented by Iago who fi nds a perverse pleasure in mocking everything he fails to acquire. Iago leads Othello into Venetian society, while Othello as an outsider is susceptible to Iago's deception. Struggles for social status and reputation generate grudges and jealousies in human relationships. Entrapped in a contest for social positions in Venice, Othello could not discern the most valuable thing, Desdemona's love.

1.はじめに

シェイクスピアの『オセロー』Othello (1602-3) は、シェイクスピア悲劇作品のなかで特異 な位置を占めている。主人公オセローによるデズデモーナ殺害からオセローの自殺に至るま でのクライマックス・シーンは「寝室」を舞台にしておこり、死体の横たわったベッドに カーテンが引かれることによって劇そのものも終わりを迎える。最終幕における主人公オセ ローの死がヴェニスの政治や社会に変化をもたらすこともなければ、彼の死を悼む厳粛な弔 辞も語られないまま幕引きとなる。このような特徴を持つことから、『オセロー』はしばし domestic tragedyと称されてきた。

ただし、ここでdomesticという表現は、「国家の政治的問題ではなく家庭のプライベー トな問題を扱っている」という広義で用いられることが多く、いわゆるジャンルとしての

domestic tragedy(以下「家庭悲劇」と訳す)に『オセロー』が含まれるか否かという論点

から言えば、含まれないという前提で論じられるのが一般的である。「家庭悲劇」に分類さ

(4)

れる作品群、たとえば、作者不詳の『ファヴァシャムのアーデン』Arden of Faversham (1592) や、同じく作者不詳の『美しき女たちへの戒め』A Warning for Fair Women (1599), トマス・ヘ イウッド作の『優しさで殺された女』Women Killed with Kindness (1602-3) などと『オセロー』

との間に、部分的な類似を指摘する向きはあるものの、両者に共通する主題やコンベンショ ンという面での影響関係については、これまであまり関心が払われてこなかった。『オセロー』

を「家庭悲劇」に分類しない主な理由としては、『オセロー』がイギリス国内を物語の舞台 としていないこと、この劇が家庭だけを扱っているわけではなく、ヴェニス対トルコ戦とい

public”な問題を背景に展開されていること、さらに道徳劇との類似性がないこと、な

どが挙げられている。また、芸術的完成度という点から見ても、「家庭悲劇」の作品群と『オ セロー』との間に埋めがたい隔たりがあることから、『オセロー』を、サブジャンルとして の「家庭悲劇」とは別個の「正統な悲劇」として論じる傾向にあるといえる。しかし、通常、

喜劇で扱われるはずの「結婚」や「家庭」をめぐる問題を中心テーマに据えた悲劇であると いう点で、『オセロー』と「家庭悲劇」は共通している。そこで本稿では、『オセロー』は「家 庭悲劇」に分類されないというオーソドックスな立場に立ちつつも、「結婚」がどのように してオセローに悲劇をもたらしているのかという点について、「家庭悲劇」との比較により 考察してみたい。

2.「家庭悲劇」の定義

まず、「家庭悲劇」というジャンルの定義について、主にヴィヴィアナ・コメンソーリ(Viviana

Comensoli) やアンドルー・クラーク (Andrew Clark) による解説に依拠しながら、これまでの

批評家たちによる見解を確認し、批評史の流れを概観する。

およそ1500年から1610年にかけて、ある特徴を持った新種の劇が流行する。それらは、自 分たちの劇が王侯貴族を主人公にした古典的悲劇とは異なる種類の悲劇であることを、プロ ローグやエピローグで意識的に主張し、実際にイギリス国内で起こった殺人事件を題材とし て扱い、教訓色が濃いという点で共通していた。1

こうした作品群に注目したのが19世紀の批評家コリア― (J. P. Collier) で、「イギリス国 内で同時代に起こった殺人事件を扱っている」という意味で これらの作品群を“domestic

tragedy”と総称した。これをきっかけに、イギリス国内の犯罪事件をジャーナリスティック

に描いた劇として、「家庭悲劇」作品群に注目が集まるようになる。その後、20世紀になると、

これらの作品群が「イギリス国内のありふれた日常生活をリアルに描いている」という点に 批評的関心が集まるようになり、「家庭生活」の描写、さらには「結婚生活における夫婦の問題」

を扱っている点が注目されるようになる。その後、アダムズ (H. H. Adams) の本格的な研究 をきっかけに、「家庭悲劇」は貴族でなく「一般人」common man”を主人公にした「教訓 劇」である、との見方が広まり、この分野の研究に大きな影響を及ぼすようになった。こう してアダムズ以降、「家庭悲劇」といえば、公衆劇場の観客を教化する目的で書かれた教訓 劇であるとの見方が主流となり、中世の道徳劇との連続性が強く印象付けられるようになる。

(5)

一方で、アダムズにたいして、「教訓性」を強調しすぎることへの批判も現れる。たとえば ピーター・ユア (Peter Ure) の主張によれば、教訓的構造が用いられるのは、それが破られる ことによって生じる悲劇を可能にするためである、とされる。また、コメンソーリ (Viviana

Comensoli) の主張に見られるように、エリザベス朝当時、public”とprivate”がアナロジー

の関係にあったことを重視し、両者を切り離して捉えるべきではないとする論考も多く現れ てくる。いずれにしても、「家庭悲劇」を扱った批評においてアダムズの影響が依然として 根強いことに変わりはないといえる。

こうした流れのなかで、アダムズによる定義に修正を試みる批評家の一人として、シーン・

ベンソン (Sean Benson) がいる。ベンソンは「家庭悲劇」は「単なるcommon manではなく、

new manを主人公にした劇」であるとの見方を新たに示している。new manとはつまり、ジェ

ントリー階級に新たに参入した新興中産階級のことを指している。ベンソンは特に『ファヴァ シャムのアーデン』の主人公トマス・アーデンの社会的地位が、実在のアーデンよりも高く 設定されていることに注目し、劇作家の関心がnew manに向けられていたと論じている。

それまで悲劇の主人公になりうるのは貴族のみであるとされていた時代に、「家庭悲劇」は その伝統を意識的に打ち破り、悲劇の対象を新興中産階級にまで押し広げようとした。シェ イクスピアもこうした「家庭悲劇」の動きに敏感に反応したはずであり、悲劇の主人公の社 会的地位の問題に意識的になったにちがいない、とベンソンは指摘する。 (Benson, 18) 本稿 では、「家庭悲劇」における「結婚」の問題が、同時に「階級意識」の問題を孕んでいると いう点に注目しながら、『オセロー』と「家庭悲劇」との表現の違いについて考えていきたい。

3.「家庭悲劇」に描かれる新興中産階級の「結婚」

OthelloのArden版の編者ホニグマン (E. A. J. Honigman) は、イントロダクションのなか で、『オセロー』と「家庭悲劇」の関連性について触れている。ホニグマンによれば、シェ イクスピアが『オセロー』以前に上演されたArden of Feversham やA Warning for Fair Women,

Woman Killed with Kindnessからいくつかのアイディアやヒントを得た可能性は大いにありう

るとし、その具体例をいくつか挙げている。たとえば、妻の不貞をきっかけにした殺人とい うプロット、偶然による展開、最終幕における罪の露呈と犯人による懺悔、殺されたはずの 犠牲者が一瞬息を吹き返す奇跡、通常喜劇で扱われるジェラシーのテーマが悲劇に取り入れ られている点、などであるが、そのなかに、「登場人物の階級意識」という点も挙がっている。

ホニグマンは短く触れるのみで、それ以上深くは掘り下げていないが、この点について詳 細に論じているのが先ほども紹介したベンソンである。ベンソンはシェイクスピアの『オセ ロー』が様々な文学ジャンルを複合的に取り入れていることを認めながらも、とりわけ「家 庭悲劇」の枠組みを意識的に用いていると主張している。特にベンソンが強調している点は、

次の二点に絞られる。まず一つ目は結婚における裏切りと殺人をテーマにしている点、二つ 目は、社会的地位の不安定なnew man”を主人公にしている点である。このような解釈の 妥当性について、本稿では『オセロー』以前に書かれた「家庭悲劇」の中でも特にArden of

(6)

FevershamA Woman Killed with Kindness を比較の対象としながら、『オセロー』における結 婚と階級意識の問題について探っていく。

まず、「家庭悲劇」では、寝室や居間といった家庭の室内が舞台となるが、なかでも「ベッド」

は家庭秩序の安定、さらにいえば、社会的身分の維持または継承を象徴している。たとえば、

Arden of Fevershamの主人公トマス・アーデンは、自分よりも身分の高い女性を妻にするこ

とで、自らの社会的地位を有利なものにしているが、妻のアリスとその愛人モズビーとの不 倫関係にうすうす気付きながらも真相を突き止めることができず、嫉妬に苦しみながら、妻 の愛人モズビーをベッドの上で引き裂くという幻想を抱いている。アーデンが感じている嫉 妬は、自らの夫としての地位がモズビーに奪われることに対する恥辱から来ている。したがっ てこの場合、「ベッド」は、所有と支配をめぐる男性同士の競争の場となっている。

また、A Woman Killed with Kindness においても中心を占めるのは寝室である。主人公のフ ランクフォードは妻のアンと友人のウェンドルの密会現場を押さえようと、外泊を装って深 夜に帰宅し、あらかじめ用意しておいた合鍵で寝室へと忍び込み、疑いが事実であったこと を知る。フランクフォードが屋敷の部屋の鍵を一つ一つ開けながら、最も奥に位置している 寝室のドアへと息を殺して近付いていく様子は、フランクフォードを精神的に支えている核 心部分へと足を踏み入れていくような緊迫感を与えている。

 This is the key that opes my outward gate,

 This is the hall door, this my withdrawing chamber.

But this, that door that's bawd unto my shame, Fountain and spring of all my bleeding thoughts, Where the most hallowed order and true knot Of nuptial sanctity hath been profan'd.

It leads to my polluted bedchamber,

Once my terrestrial heaven, now my earth's hell, The place where sins in all their ripeness dwell.

But I forget myself; now to my gate. (4.4.8-17)2

 これが玄関の鍵だ、

 これは大広間のドア、これは客間のだ。

 だがこれ、そのドアによって導かれる奥には、恥辱、

 そして私の血を吐くような思いのすべてを生み出す源泉がある。

 その場所で、もっとも神聖な誓いと  結婚の真実の絆が冒涜されたのだ。

 それは私の汚された寝室へと続くドア。

 かつてはこの世の天国、いまや地上の地獄と成り果てた場所、

(7)

 爛熟した罪が巣食う場所だ。

 いや、つい我を忘れてしまった。さ、玄関に入ろう。

フランクフォードにとって、寝室は「夫婦の誓い」を象徴する神聖な場所であると同時に、

フランクフォードの内面の比喩にもなっている。「かつてはこの世の天国、今では地上の地 獄」、というのは、妻の不貞の疑惑が生まれる前と後のフランクフォードの心理状態をも表 している。

このWoman Killed with Kindness には、Arden of Fevershamに見られるような男性間の熾烈な 階級闘争は描かれていないが、ジェントルマンという身分維持に伴う不安が描かれていると 考えられる。というのも、劇はダブルプロットで構成されているが、サブプロットでは、マ ウントフォードというジェントルマン階級の男が、賭け事で喧嘩騒ぎを起こし、相手方の部 下を感情に任せて殺してしまったために投獄され、保釈金を支払うために財産を失ったあげ く、借金地獄に陥り、再び投獄され、身を滅ぼしていくという話が描かれる。メインプロッ トと交差して展開される場面では、マウントフォードの落ちぶれていく様子が、ジェントル マンらしい恰好から、貧しい身なりの農夫、ついには獄中の囚人の姿へと段階的に示され、

階級的身分を示す物理的な要素が次々と失われていく。つまり、このマウントフォードのた どる運命の変転によって、社会的身分の不安定性が具体的に示されるとともに、身分を維持 するために必要な条件とは何かが問われているのである。一方、メインプロットにおいて、

新婚の幸福感に浸るときのフランクフォードは、書斎で一人くつろぎながら、ジェントルマ ンにふさわしい条件を自らが備えていることを、一つ一つ数え上げて確認している。

 How happy am I amongst other men, That in my mean estate embrace content.

I am a gentleman, and by my birth Companion with a king; a king's no more.

I am possess'd of many fair revenues, Suffi cient to maintain a gentleman.

Touching my mind, I am studied in all arts, The riches of my thoughts, and of my time Have been a good profi cient. But the chief Of all the sweet felicities on earth, I have a fair, a chaste, and loving wife,

Perfection all, all truth, all ornament. (2.1.1-12)

 他の者たちに比べて、私はなんと幸せ者だろう。

 満足できるささやかな財産もある。

(8)

 私はジェントルマンだ。この家柄のおかげで、

 国王ともお近づきになれる。だが国王の身分とも引き換えたくはない。

 私はかなりの収入を得ているので、

 ジェントルマンの身分を維持するには十分だ。

 心の面から言っても、私はあらゆる学芸に通じ、

 思想は豊かだし、時間も

 実り豊かに使ってきた。だがそのうえ、

 この世の幸福の極致ともいえるものを

 美しく貞淑で愛情細やかな妻を、私は得ている、

 あらゆる点で完璧、真実、私の誇りである妻を。

ここで妻アンは、フランクフォードの身分を保証する装飾品の一つのように扱われている。

フランクフォードが「ささやかな財産」でも満足している様子であることから、彼にとって 重要なことは財産の大きさではなく、身分の安定的維持であり、そのために「寝室」は最も 重要な意味を持つと考えられる。したがって、不貞の事実が発覚した後、アンは本宅から別 宅へと隔離され、夫との面会を一切拒否される。アンは、一切の飲食を絶つことで自らの罪 を懺悔し、後悔の念に苦しみながら衰弱していく。最終幕では、変わり果てた姿になったア ンの「臨終のベッド」を家族や召使いたちが取り巻くなか、フランクフォードが許しの印と して最後のキスを妻に与え、物語が終わる。Arden of Favershamでは主人であるアーデンが

「居間」で殺害され、現場に集まったのは町の役人たちであったことと比較すると、フラン クフォードの場合は、結婚の誓いを破った妻が寝室において罪を悔いて死を迎える。家族に 取り囲まれたベッドは、家族の絆を回復する場として象徴的意味を増しているといえる。

以上のように、結婚と階級意識のテーマがどのように扱われているのかについて、「家庭 悲劇」とされる二作品を例にとってみてきたが、次に、このテーマが『オセロー』において どのように扱われているのかを見ていく。

4.『オセロー』における「結婚」と「階級意識」

A Woman Killed with Kindness のフランクフォードとアンとの結婚が、それぞれの家庭から

祝福され、家柄や名誉を重視した「釣り合いの取れた」ものだったのに対し、オセローとデ ズデモーナは親の同意を得ずにお互いの人柄に惹かれ合って結婚しているという点で、大き く異なっている。

シェイクスピアが『オセロー』の種本として用いたとされるGiraldi Cinthio (ジラルディ・

チンティオ)のHecatommithi 『百物語』(1565) は、全編を通して、主に結婚生活における男 女の争いをテーマにした短編物語集で、イントロダクションと10巻から成り、各巻で10の物 語が収められている。イントロダクションでは、はたして結婚において夫婦の調和は可能か という問題について議論が交わされ、結婚するときはあらかじめ相手の人格を見定めるべき

(9)

だと説く。『オセロー』のもとになった話は、夫または妻による不貞を扱った第三巻の7番目 に該当する。

『オセロー』の劇冒頭のヴェニス対トルコ戦のくだりはシェイクスピアによって付け加え られたものであるが、この場面を通して、デズデモーナとの結婚に至るまでにオセローがど のような人生を送ってきたかが観客に伝えられる仕組みになっている。まずは、主人公オセ ローにとって「結婚」の持つ意味について考察する。

A. D. ナットール (A. D. Nuttall) によれば、『オセロー』の悲劇は、もともと世界各地を遍

歴し武勇を誇ってきた英雄オセローが、戦場という大舞台を去り、彼に適していない家庭と いう世界に入ってしまったことによって生じている、と述べている。トルコ軍撃退を命じら れ、ヴェニス本国から嵐の荒波を潜り抜けてキプロス島に降り立ったオセローは、先に到着 していたデズデモーナの腕の中に迎えられ、次のように心境を語っている。

 It gives me wonder great as my content To see you here before me! O my soul's joy If after every tempest come such calms

May the winds blow till they have wakened death, And let the laboring bark climb hills of seas, Olympus-high, and duck again as low As hell's from heaven. If it were now to die 'Twere now to be most happy, for I fear My soul hath her content so absolute That not another comfort like to this Succeeds in unknown fate. (2.1.181-91) 3

 驚きと満足感が同時にやってくる。

 おまえがここで待っていてくれるとは!ああ、私の魂の喜び、

 もしあらゆる嵐のあとに、このような安らぎが訪れるならば、

 嵐よ、死人の目を覚ますまで吹きまくるがいい!

 怒涛にもてあそばれる船が

 オリンポスの山より高く登りつめたあと  たちまち地獄の底まで落ちてもかまわない。

 もし今死ぬとしても、今が一番幸せだ、

 私の魂は彼女の中身と完全に一致しているので、

 この先の人生において今以上の幸せが  訪れるとは思えないのだ。

(10)

このときすでに、敵軍トルコ艦隊は嵐によって壊滅しており、オセローが闘うべき場は失わ れている。上に引用した台詞のなかで、荒れ狂う大自然のなかを進む一艘の小舟laboring bark”は、これまで数々の危険を乗り越えてきたオセロー自身の姿を現しており、嵐の後に 訪れる心の安らぎは、オセローが戦場から家庭へと住む世界を移したことを比喩的に表して いる。敵のいなくなったキプロス島で待つデズデモーナは、オセローという船を迎え入れる 港として捉えられている。この少し前の場面で、オセローはイアーゴーに向かって次のよう に語っている。

 But that I love the gentle Desdemona I would not my unhoused free condition Put into circumscription and confi ne For the sea's worth. (1.2.25-8)

 あのやさしいデズデモーナを愛していなければ、

 どうしてこのおれが放浪の自由な境遇を捨てて  束縛の檻の中に閉じこもったりするものか、

 たとえあらゆる海の宝と引き換えにしても。

ここで「結婚」は、広大な大自然とは対照的に、囲い込まれた狭い空間としてイメージされ ているが、デズデモーナの存在ゆえに、それまで慣れ親しんできた生活と自由を手放してで も、つまりある程度の犠牲を払う覚悟で選び取られたものであるとされている。

では、ベンソンが言うように、オセローを他の「家庭悲劇」に登場する主人公のような

new man”として位置づけることができるだろうか。ベンソンによれば、オセローは社会

的に高い地位に登りつめた人物であるが、それは彼が期待するほど安定しているわけではな い、なぜなら彼は常に世間からの尊敬を得られない立場に立っているからだ、と述べてい

る。(Benson, 105) 確かに、ヴェニス社会においては、外国人のオセローにたいして偏見の入

り混じった発言がしばしば投げかけられていることから、オセローの社会的身分が不安定で あるという点は理解できる。しかし、「家庭悲劇」の主人公たちの場合、土地財産を継承し ていくことによって得られる社会的身分へのこだわりが共通して見られ、彼らの不安定性や 葛藤は、階層秩序のなかで限られたポストをめぐってしのぎを削っていることに由来するも のである。そのようななかでこそ、「家」や「結婚」の持つ意味も重要になってくると言え る。たとえば先に引用したWoman Killed with Kindness のフランクフォードが結婚に見出す満 足感と、オセローのそれとを比べると、その違いがよくわかるだろう。こうした点からみる と、オセローの地位の不安定性は、「家庭悲劇」に登場する主人公たちとは明らかに性質の 異なるものであり、オセローをnew man”として捉えるには、もう少し慎重になる必要が あるように思われる。

(11)

一幕三場でオセローは、元老院議員たちの前で自らの生い立ちについて語るなかで、「7 歳のときから9か月前まで」戦争のために両腕を使ってきたため、それ以外のことについて はほとんど世間知らずだと述べている: For since these arms of mine had seven years' pith / Till now some nine moons wasted, they have used / Their dearest action in the tented fi eld (1.3.84-6) このような台詞からわかることは、オセローは、土地を代々受け継ぐことによって保証され る社会的身分という概念とは無縁の世界で生きてきたということである。

もっとも、オセローが自身の家柄について言及する箇所が一つある。一幕二場で、イアー ゴーがオセローに向かって、デズデモーナとの結婚について次のように尋ねる場面である。

Are you fast married? Be assured of this, That the magnifi co is much beloved And hath in his effect a voice potential As double as the duke's: he will divorce you Or put upon you what restraint or grievance The law, with all his might to enforce it on, Will give him cable. (1.2.11-17)

 将軍、結婚は無事お済ませでしょうか?お気をつけください、

 あの元老院議員閣下(デズデモーナの父)は、人望も厚く、

 議決に際しては公爵にもおとらぬ発言権を  持っているとか。おそらくはお二人の  仲を裂こうとし、法律の許す限り  全力を尽くして、将軍に圧迫を加え、

 苦しめようとするでしょう。

これに対する返答のなかで、オセローは次のように述べている:Tis yet to know / Which, when I know that boasting is an honour, / I shall promulgateI fetch my life and being / From men of royal siege (1.2.19-22)「まだ隠してあるが―いずれ自慢しても名誉になるときがくれば公表 もしようが―おれはこう見えてももとは王族の出だ」。この点について、この後再び言及さ れることはないので、真偽のほどは明らかにならない。しかしここで重要な点は、オセロー がデズデモーナとの結婚をヴェニスの権威ある人々に認めてもらう必要性を感じた段階で、

この発言がなされているということである。

オセローは軍人としての実力を備え、功績を積んできた人物であり、高い地位に置かれて いるとはいえ、ヴェニス政府の要請があれば、それにその都度応えるという、いわばヴェニ ス社会にとっては外部の存在であったと考えられる。ところが、ヴェニス女性との結婚とな ると、オセローはヴェニス社会の内部に組み込まれることになる。オセローにとって結婚と

(12)

は、コスモポリタンとしての自由の身を捨て、ヴェニス社会の一員となることを意味してい る。ヴェニス社会において結婚を承認してもらうためには、家柄や身分という条件を求めら れるがゆえに、オセローはあえて「王族の出である」という話を持ち出したのだと解釈する ことが可能である。

階級を上昇させようとする野心は、主人公オセローよりも、むしろイアーゴーのほうに強 く屈折したかたちで現れている。イアーゴーの悪意の動機について、種本となったチンティ オでは、彼がデズデモーナに対して一方的に思いを寄せ、自分の気持ちをデズデモーナに気 付かせようとしたが、全く気付いてもらえなかったためだとされている。イアーゴーはきっ

と彼女がcorporal「伍長」:キャシオーに該当する人物)に夢中になっているのだと考え、

やがてデズデモーナへの片思いが憎しみへと変わり、彼女と伍長との関係を夫であるオセ ローにばらしてやろうと考えるようになる。シェイクスピア劇ではこれが大きく改変され、

イアーゴーの恨みは、副官の地位を得られなかったことに起因している。劇冒頭において、

イアーゴーはロダリーゴーとの会話のなかで次のように愚痴をこぼしている。

 Three great ones of the city,

In personal suit to make me his lieutenant, Off-capped to him, and by the faith of man I know my price, I am worth no worse a place.

But he, as loving his own pride and purposes, Evades them, with a bombast circumstance Horribly stuffed with epithets of war, And in conclusion

Nonsuits my mediators. (1.1.7-15)

 この町のお偉方が三人も

 あいつのところにやってきて、おれを副官にと  頭を下げて頼んでくれた。誓って言うが、

 おれは自分の値打ちはわかる。その地位はおれに十分ふさわしいはずだ。

 ところがあいつ(オセロー)は、自分のプライドと目的ばかり大事にして、

 その三人をはぐらかした。大げさなもったいぶった言い方で、

 軍隊用語をやたら詰め込んでな。

 結局のところ、

 おれを押してくれた彼らの嘆願を却下したんだ。

ここでイアーゴーは、自分の能力が正当に評価されなかったことに対して、激しい不満を抱 いている。さらに、自分の代わりに副官に抜擢されたキャシオーのことを、戦場での経験不

(13)

足で実力もない「空論化」a great arithmetician (1.1.18) だと罵っている。「おれは見た目の おれとは違う」I am not what I am. (1.1.64) というイアーゴーの台詞は、通常解釈されてい るような、表と裏を使い分ける悪党を気取った発言というよりも、本来の自分の価値は「旗 持ち」という身分に収まりきらないはずだという、本来の能力を発揮できないことへの苛立 ちと、低い身分に縛られ続けることへの屈辱感を含んでいる。副官の地位に選ばれなかった ことによって、イアーゴーは、どれほど実績を積んでもそれに見合う報酬は与えてもらえな いのだ、という幻滅を世間一般にたいして抱き、地位を獲得した者に対して嫉妬と恨みを 募らせている。このようなイアーゴーの心理について、キャロル・トマス・ニーリー(Carol

Thomas Neely) は次のように分析している。すなわち、イアーゴーはキャシオーの地位やオ

セローの人柄に憧れ、オセローのようにデズデモーナに愛されたいと強く望みながら願いを 叶えることができない。こうした感情との葛藤から逃れるために、イアーゴーは切望する対 象にたいして、軽蔑と憎悪の感情を激化させているのだ、というのである。

こうしたイアーゴーの嫉妬は、妻を寝取られたかもしれないという妄想を生んでいる。イ アーゴーは妻のエミリアがオセローやキャシオーと怪しい関係になっていると、根拠のな い疑いを密かに抱き、彼らへの憎悪を深めていく。この点を解釈するのに有益な論として、

『オセロー』における階級と女性観の関係性について論じたピーター・ストリブラス (Peter

Stallybrass) の論考がある。それによると、初期近代イングランドにおいて、階級間の格差を

強調しようとするエリート層は、女性にも差異を設けようとしたという。一方、階級の低い 層は、エリートの特権を攻撃するために、女性全般をまとめて格下げしようとしたため、女 性蔑視的な言動を取る傾向があった。この結果、女性のイメージは、貞淑で従順というイメー ジと、男性を誘惑する娼婦のイメージに二極化したという。ここで階級的不満を抱いている イアーゴーは、女性全般を蔑視しているだけでなく、オセローへの人種的偏見や、キャシオー の都会的な身のこなしに対する侮蔑を深めている。このように、シェイクスピアはイアーゴー を、階級的恨みを屈折させた人物に作り替えているといえる。

5.「家庭悲劇」から見た『オセロー』の特異性

『ファヴァシャムのアーデン』に登場する愛人モズビーも、イアーゴーと同様、社会的地 位を上昇させようと野心を抱きつつも、なかなか能力を認めてもらえないことに不満を抱く 人物である。モズビーは、古着の仕立て職人の身分を脱して、貴族の屋敷の執事にまで地位 を上昇させ、やがては土地を手に入れようとしているが、アーデンからいつまでも「アイロ ン」呼ばわりされ、仕立て職人というかつての地位に格下げされる。こうしたなかでモズビー は、アーデンの妻アリスと愛人関係を結ぶことによって、アーデンの優越的な立場に攻撃を 仕掛けている。とはいえ、モズビーの場合は、アリスを利用してやろうという考えと、アリ スを愛する気持ちとが交錯しており、利己的な目的だけに支配されているわけではない。こ れに比べるとイアーゴーの復讐の方法はさらに陰湿であり、誠意や愛といった善意にたいし てさえも、攻撃性を向けていく。それはたとえば、デズデモーナが他人の不幸を放っておけ

(14)

ない誠実な人柄であることを熟知したうえで、あえてそれを利用して罠にかけようとするイ アーゴーの行為に見て取れる。

社会的地位を奪ったり奪われたりする階層秩序に依存しているという点では、副官キャシ オーも同様である。酒に酔った勢いで喧嘩騒ぎを起こしたために副官の地位を奪われるキャ シオーは、A Woman Killed with Kindness のサブプロットに登場するマウントフォードに似て いる。キャシオーは、地位を外された状態が長引けば自分の存在が忘れられてしまうと恐れ るあまり、デズデモーナに復職の取りなしを何度もせがみ、運悪くそれがオセローからの疑 惑をさらに強める結果を招く。このように、階級意識にとらわれているのは、主人公オセロー というよりもむしろ、ヴェニス社会の内部の男性たちであることがわかる。

先述したように、オセローはデズデモーナとの結婚を機に、ヴェニス社会の一員として自 らを位置付ける必要に迫られ、ヴェニス市民が共有する価値観や一般常識をオセローも共有 せざるをえなくなったと解釈することができる。ここでオセローにとって、イアーゴーを道 案内役として信頼してしまったことが命取りとなったといえる。アラン・シンフィールド

(Alan Sinfi eld) は、『オセロー』について論じた章において、この劇では複数の物語が「本当

らしさ」をめぐって勝敗を争っている、と解釈し、ある物語が「真実」と認められるには「あ りそうなこと」plausibilityが必要であり、イアーゴーはこのplausibility”をあやつること によって、オセローを支配している、と述べている。(Sinfi eld, 51)

たとえばイアーゴーは、オセローの知らないヴェニス人の常識として、ヴェニス女性の気 質について次のように語る:“…look to it. / I know our country disposition well/ In Venice they do let God see the pranks / They dare not show their husbands (3.3.203-6)「お気を付けなさい、

私は同国人の気質がよくわかっています、ヴェニス女は、不埒な行為を神様には平気で見せ ても、亭主には隠します」。さらにそれを裏付ける事実として、デズデモーナが父親の目を あざむいてオセローと結婚したことを思い出させ、ヴェニス女性らしい行為のあらわれであ るとオセローに信じ込ませることに成功する。同時に、一般的なヴェニス女性の目には、オ セローの姿がこう見えるだろう、という固定観点を植えつけようとする。こうして、イアー ゴーの目を通して自分を眺めはじめるオセローは、次のように語る。

 []Haply for I am black

 And have not those soft parts of conversation  That chamberers have, or for I am declined  Into the vale of yearsyet that's not much  She's gone, I am abused, and my relief  Must be to loathe her. O curse of marriage  That we can call these delicate creatures ours  And not their appetites! (3.3.267-74)

(15)

 おそらく肌の色が黒く、

 宮廷人のような優雅な物腰を

 もちあわせていないために、あるいは年がそろそろ  峠を越えたために―たいして超えてはいないのだが―

 あの女は離れていった。俺は欺かれた。おれの救いは

 あの女を憎むことにしかない。ああ、結婚とはなんと呪わしいものか、

 かわいい女を自分のものとよびながら、

 その心をものにすることはできぬのだ!

こうしてイアーゴーの視点を内面化させたオセローは、目の前のデズデモーナではなく、ス テレオタイプ化された「ヴェニス女性」を見る。

『オセロー』と「家庭悲劇」との最も大きな違いは、デズデモーナへの不貞疑惑が全くの 妄想であるという点にある。シェイクスピアは、「家庭悲劇」において描かれる「妻の不貞 に苦しむ夫」というモチーフを、「妻の不貞の妄想に取りつかれる夫」に書き換え、そうす ることによって、結婚生活における夫婦間の不和の責任を妻のほうではなく、夫のほうへ向 けている。オセローはデズデモーナの愛を手にしていながら、それを信じることができなかっ た。目の前のデズデモーナではなく、イアーゴーの忠言を選び取った。それは嫉妬の怪物イ アーゴーが生み出した偏見、さらにはヴェニス社会全体が共有しているとされる作られた価 値観を信じ込み、内面化してしまった結果であるといえる。

6.まとめ

以上のように、『オセロー』と「家庭悲劇」を「結婚」と「階級意識」という点から比較 しながら、その表現の違いについて考察してきた。再び論点をまとめると次のようになる。

オセローは、結婚を機に、冒険の世界から、日常の生活に移ったことによって、ヴェニス市 民の一員として自らを位置付けなければならなかった。軍人として活躍しているあいだは、

ヴェニス政府の外部に立ち、社会的慣習に縛られないある程度の自由を享受することができ ていたが、結婚によって、ヴェニス社会の内部に組み込まれることになると、外国人である オセローは、イアーゴーの目を通して自分を見ることを余儀なくされ、イアーゴーの罠から 逃れることが難しい状況に立たされる。オセローを迎え入れるヴェニス社会は、階級秩序の 網の目によってオセローを絡めとる。「家庭悲劇」で中心的テーマとなる「階級意識」は、

主人公オセローではなく、むしろヴェニス人の側において根深く共有されており、イアーゴー において最も強く現れている。したがって、オセローは「家庭悲劇」の主人公として登場す

るようなnew man”とは異なる。「家庭悲劇」の主人公にとって「結婚」はほとんどの場合、

社会的身分の維持や獲得という目的を伴っているが、『オセロー』におけるオセローとデズ デモーナの結婚は、むしろそうしたものを拒否した形で始まっている。にもかかわらず、ヴェ ニス社会の底辺にくすぶる嫉妬と憎悪は、オセローの目を曇らせ、デズデモーナの真実の愛

(16)

をありのままに認識する力を奪っていくのである。シェイクスピアは、主人公を社会的身分 の維持や獲得にとらわれているnew man”ではなく、冒険の世界からやってきたムーア人 オセローにすることによって、もともと社会的地位や家柄などと関わりなく生きてきた男性 が、階層化されたヴェニス市民社会に参入したことによって、大切なものを犠牲にしてしま うという悲劇を描こうとしたのではないだろうか。

<注>

1.たとえばArden of Favershamのエピローグではthis naked tragedy / Wherein no fi led points

are foisted in「この裸の悲劇には洗練された飾りは一切加えられておらず」simple truth

「飾らない真実」を扱っているのだとされ、実際に起こったことをありのままに表現して いることを強調している。ただし、この条件は「家庭悲劇」に分類される作品すべてに 当てはまるわけではない。たとえば Thomas Heywood のA Woman Killed with Kindness は全 くの創作であるが、主人公が貴族出身ではないという点、妻の不貞という家庭の問題が テーマになっている点、教訓色が強いという点において、「家庭悲劇」に分類されている。

教訓的であるという点については、作品によってその度合いは異なっており、Avarice Lust などの寓意的登場人物が出てくる作品(Two Lamentable TragediesやA Warning for Fair

Women)もあれば、神の見えざる手を暗示するような奇跡や予兆が現れるにとどまってい

る作品もある。

2.A Woman Killed with Kindness およびArden of Faversham からの引用はすべてKeith Sturgess, ed., Three Elizabethan Domestic Tragedies からのものであり、本文中カッコ内に幕、場、行 数を記す。なお、日本語訳は拙訳による。

3.Othello からの引用はすべてE. A. J. Honigman, ed., Othello, The Arden Shakespeare からの ものであり、本文中カッコ内に幕、場、行数を記す。日本語訳は小田島雄志訳『オセロー』

(白水社)を参考にした。

<参考文献>

Adams, Henry Hitch. English Domestic or Homiletic Tragedy 1575-1642. New York: B.Blom, 1965 (originally published 1943).

Balixet, Ariane M. Blood and Home in Early Modern Drama: Domestic Identity on the Renaissance Stage. New York: Routledge, 2014.

Bartels, Emily C. Othello and the Moor. Early Modern English Drama: A Critical Companion.

Carrett A. Sullivan, Jr., Patrick Cheney and Andrew Hadfi eld eds. Oxford: Oxford University Press, 2006.

Benson, Sean. Shakespeare, Othello and Domestic Tragedy. London: Bloomsbury, 2013.

Boose, Lynda. Othello's Handkerchief: The Recognizance and Pledge of Love.”’ Critical Essays on Shakespeare’s Othello. Barthelemy, Anthony Gerald, ed. New York: G.K. Hall, 1994.

(17)

Bradley, A.C. The Peculiarity of Othello. Shakespearean Tragedy. New York: St. Martin's Press:

1985, 142-68.

Callaghan, Dympna. Woman and Gender in Renaissance Tragedy. Harvester Wheatsheaf, 1989. Cannon, Charles D., ed. A Warning for Fair Women. The Hague, Paris: Mouton, 1975.

Clark, Andrew. Domestic Drama: A Survey of the Origins, Antecedents and Nature of the Domestic Play in England, 1500-1640. 2 vols. Salzburg: Universität Salzburg, 1975.

Comensoli, Vivian. ‘Household Business’: Domestic Plays of Early Modern England. Toronto:

University of Toronto Press, 1999.

Dolan, Frances E. Dangerous Familiars: Representations of Domestic Crime in England 1550-1700.

New York: Cornell University Press, 1994.

Farley-Hills, David. Shakespeare and the Rival Playwrights 1600-1606. London: Routledge, 1990. Honigman, E.A.J. Social Questioning in Elizabethan and Jacobean Plays, with Special Reference to

Othello. Salzburg Studies in English Literature. Jacobean Drama Studies 101. James Hogg, ed.

New York: The Edwin Mellen Press, 1994.

Lieblein, Leanore. The context of murder in English Domestic Plays, 1590-1610. SEL 1500-1900, 23(1983), 177-96.

Neely, Carol Thomas, Women and Men in Othello. Critical Essays on Shakespeare’s Othello.

Barthelemy, Anthony Gerald, ed. New York: G.K. Hall, 1994.

Nuttall, A.D. A New Mimesis: Shakespeare and the Representation of Reality. New Haven and London: Yale University Press, 1983.

Orlin, Lena Cowen, ed. Othello: The State of Play. London: Bloomsbury, 2014.

Orlin, Lena Cowen. Private Matters and Public Culture in Post-Reformation England. London:

Cornell University Press, 1994.

Richardson, Catherine. Domestic Life and Domestic Tragedy in Early Modern England. Manchester:

Manchester University Press, 1988.

Shaffer, Brian W. ‘“To Manage Private and Domestic Quarrels: Shakespeare's Othello and the Genre of Elizabethan Domestic Tragedy. Iowa State Journal of Research 62 (1988): 453-7.

Shakespeare, William. Othello. E.A.J. Honigmann, ed. The Arden Shakespeare. 3rd edition. London:

Arden, 1996.

――. Othello. E.A.J. Honigmann, ed. The Arden Shakespeare Third series. Revised edition with a new introduction by Ayanna Thompson. London: Bloomsbury, 2016.

シェイクスピア、ウィリアム著 小田島雄志訳『オセロー』 白水社、1983年。

Sinfi eld, Alan. Cultural Materialism, Othello and the Politics of Plausibility. Lena Cowen Orlin, ed.

New Casebooks Othello. New York: Palgrave MacMillan, 2004.

Stallybrass, Peter. Patriarchal Territories: The Body Enclosed. Rewriting the Renaissance. M.W.

Ferguson and others eds. Chicago: The University of Chicago Press, 1986.

(18)

Sturgess, Keith, ed. Three Elizabethan Domestic Tragedies: Arden of Faversham, A Yorkshire Tragedy, A Woman Killed With Kindness. London: Penguin Books, 1969.

Ure, Peter. Marriage and the Domestic Drama in Heywood and Ford. English Studies 32 (1951):

200-16.

Yarington, Robert. Chiaki Hanabusa ed. Two Lamentable Tragedies. Malone Society Reprints, vol.180. 2013.

参照

関連したドキュメント

式目おいて「清十即ついぜん」は伝統的な流れの中にあり、その ㈲

婚・子育て世代が将来にわたる展望を描ける 環境をつくる」、「多様化する子育て家庭の

Standard domino tableaux have already been considered by many authors [33], [6], [34], [8], [1], but, to the best of our knowledge, the expression of the

An example of a database state in the lextensive category of finite sets, for the EA sketch of our school data specification is provided by any database which models the

We find the criteria for the solvability of the operator equation AX − XB = C, where A, B , and C are unbounded operators, and use the result to show existence and regularity

We present sufficient conditions for the existence of solutions to Neu- mann and periodic boundary-value problems for some class of quasilinear ordinary differential equations.. We

【参考 【 参考】 】試験凍結における 試験凍結における 凍結管と 凍結管 と測温管 測温管との離隔 との離隔.. 2.3

 ファミリーホームとは家庭に問題がある子ど