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アジアの民間信仰と文化交渉

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Academic year: 2021

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アジアの民間信仰と文化交渉

著者 二階堂 善弘

発行年 2012‑08‑31

URL http://hdl.handle.net/10112/00017122

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アジアの民間信仰と文化交渉

二 階 堂 善 弘

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【本書は関西大学研究成果出版補助金規程による刊行】

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目   次

前 言   1

第一部 日本の寺院における渡来神と文化交渉

第一章 日中の五山における伽藍神と文化交渉   7 第二章 黄檗の伽藍神と文化交渉   75 第三章 妙見神と真武神における文化交渉   117 第四章 日中の地蔵菩薩の差異と文化交渉   133

第二部 アジアにおける神々の往来と文化交渉

第一章 台湾・シンガポールの閩粤系諸廟と文化交渉   165 第二章 長崎・沖縄の渡来神と文化交渉   213

結 語   241

後 記   243

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前 言

 本書は、文化交渉学の手法によって、幾つかの華人系の廟及び祭神を論じ たものである。分析の対象となるものは、幾つかの道教・仏教・民間信仰の 神々や菩薩などであるが、ほぼすべてが大陸中国以外に伝わって祀られたか、

或いは他地域から伝来し変容していったものに限られる。

 第一部「日本の寺院における渡来神と文化交渉」では、日本に伝来した神 仏を中心に考察を行った。

 第一章の「日中の五山における伽藍神と文化交渉」で対象とした招宝 七郎・祠山 張 大帝などの伽藍神は、鎌倉時代に南宋から伝来し、その後日 本の五山寺院に祀られたものである。これらの神々は、その後中国ではかえ って信仰が衰亡してしまった。

 第二章の「黄檗の伽藍神と文化交渉」で取りあげた華光大帝は、江戸時代 初期に黄檗宗と共に日本に伝来したものである。その後日本の各地で神像が 作られたが、その由来が忘れられることになってしまった。また中国におい ても華光は清代には信仰が衰えていった。

 第三章「妙見神と真武神における文化交渉」では、古代の玄武から変化し た道教の真武大帝が、日本において妙見菩薩と混淆されて信仰される状況に ついて分析した。

 第四章「日中の地蔵菩薩の差異と文化交渉」においては、地蔵菩薩が日本 と中国でかなり異なったイメージをもって祭祀される状況について分析を行 った。さらに現在中国の地蔵信仰の中心となっている九華山の現状について 報告した。

 第二部「アジアにおける神々の往来と文化交渉」においては、中華圏の神々 が中国大陸以外の地域に伝播し、アジアの各地で祭祀されることになった状 況について論じた。

 第一章「台湾・シンガポールの閩粤系諸廟と文化交渉」では、現在におけ る台湾・シンガポールの廟の状況に基づいて、そこで祭祀される神々の源流

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である閩粤地域の状況も含めて考察した。取りあげたのは、保生大帝・開 漳 聖王・広沢尊王などの神である。

 第二章「長崎・沖縄の渡来神と文化交渉」では、長崎の唐寺や那覇の至聖 廟などの現在も残る華人系の廟について分析を行った。

 これらの神々については、これまでもむろん研究の蓄積はあった。本書は これまでの様々な研究を踏まえて書かれたものである。しかし、文化交渉学 の視点を用いることで、より一層の研究の深化が成し遂げられたと考えられ る。

 例えば、第一部第一章で対象とした招宝七郎神がある。この神は宋から元 にかけて浙江地域において盛んに祀られ、鎌倉期に五山文化と共に日本に伝 来した。その後中国においては信仰が衰えていき、現在ではほとんど廟で祭 祀が見られないものになってしまった。そのため、道教や民間信仰の分野で は研究されることはなかった。研究がなされたのは、日本の禅宗研究、或い は美術史研究、さらに日中交流史においてであった。また招宝七郎神につい ての文献資料は、中国の通俗文学に記載があり、それを踏まえて中国文学の 分野からの指摘もあった。いずれにせよ、複数の分野で個別に研究がなされ ていたものである。このような性格を持つ招宝七郎神について分析を行うに は、幾つかの研究分野をまたがった文化交渉学の視点が必要であると考える。

 筆者個人としては、文化交渉学の特色は文献資料研究と現地調査の複合的 な性格を持つものであると考えている。再び招宝七郎の例を取りあげるが、

招宝七郎については、文献資料がほとんど存在しないという問題がある。残 っているのは、日本の禅宗寺院に残された像、それに中国の寺廟に残存する 痕跡のみである。また時には寺院の僧侶ですら像と招宝七郎神と認識してい ない場合があった。そのため、筆者は実際にこれらの寺院を訪ね、その像を 確認する必要があったのである。幸いにも寧波の阿育王寺には招宝七郎の像 がちゃんと残っていた。もっともこれは誤って阿育王の像と認識されていた ものであった。このように、現地調査と文献資料をマッチさせることが、文 化交渉学の重要な手法の一つであると考える。

 さらに、筆者個人は文化交渉学には電子ツールの活用が欠かせないと感じ

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3

前 言

ている。先にも書いた通り、文化交渉学は分野横断的な調査が必要になるが、

対象とする分野が多岐にわたれば、おのずから扱う文献の量も膨大になる。

また、自分の専門領域以外の文献を博捜することは、なかなか難しい作業で ある。この欠を補うには、短時間で大量の文献を検索可能な電子ツールの活 用が必要となるのである。またも招宝七郎の例であるが、宋代の文人の文集 に記載があることが関西大学所蔵の『中国基本古籍庫』を検索することによ って判明した。これは電子ツールを使用しなければ、発見すること自体不可 能であったろう。むろん、単純に検索するだけの活用では、問題が生ずるこ とは明らかであるので、当然ながら注意が必要である。本書の考察において は、電子ツールの利用が不可欠であり、各所で電子ツールによる検索の提示 を行っている。

参照

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