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世界に奉仕する人材の育成 : 星一のケース

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Academic year: 2021

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(1)

世界に奉仕する人材の育成 : 星一のケース

著者 安士 昌一郎

出版者 法政大学イノベーション・マネジメント研究センタ ー

雑誌名 法政大学イノベーション・マネジメント研究センタ ー ワーキングペーパーシリーズ

巻 180

ページ 1‑25

発行年 2017‑05‑17

URL http://hdl.handle.net/10114/13207

(2)

WORKING PAPER SERIES

安士 昌一郎

世界に奉仕する人材の育成

- 星一のケース -

2017/05/17

No. 180

(3)

WORKING PAPER SERIES

Shoichiro Yasushi

Human Resource Development for Global Business Activity:

The Case of Hajime Hoshi

May 17, 2017

No. 180

(4)

世 界 に 奉 仕 す る 人 材 の 育 成 世 界 に 奉 仕 す る 人 材 の 育 成 世 界 に 奉 仕 す る 人 材 の 育 成 世 界 に 奉 仕 す る 人 材 の 育 成

― ―

― 星 一 の ケ ー ス 星 一 の ケ ー ス 星 一 の ケ ー ス 星 一 の ケ ー ス ― ― ― ―

Human Resource Development for Global Business Activity Human Resource Development for Global Business Activity Human Resource Development for Global Business Activity Human Resource Development for Global Business Activity

:::: The The The Case of Hajime Hoshi The Case of Hajime Hoshi Case of Hajime Hoshi Case of Hajime Hoshi

安 士 昌 一 郎

要 旨要 旨 要 旨要 旨

本 論 文 で は 、 企 業 経 営 に お け る 教 育 事 業 の 持 つ 意 義 を 考 察 す る 為 、 売 薬 ( 市 販 薬 ) 市 場 に 着 目 し て そ の 製 造 と 販 売 を 試 み 、 日 本 全 国 に チ ェ ー ン ス ト ア を 展 開 し た 星 製 薬 株 式 会 社 と そ の 創 業 者 で あ る 星 一 の 事 例 を 分 析 し た 。 分 析 手 法 と し て は 、 星 薬 科 大 学 の 大 学 史 、 星 一 に 関 す る 評 伝 、 言 語 録 な ど を 用 い た 。 教 員 時 代 に 西 洋 の 文 化 、 文 明 に 感 銘 を 受 け た 星 は 若 く し て 東 京 へ 遊 学 し た 後 米 国 へ 渡 っ た 。 そ し て 大 学 で 学 ぶ た め の 学 費 を 調 達 す る 傍 ら 中 流 家 庭 の 需 要 調 査 を 行 い 、 出 版 社 経 営 か ら 広 告 の 重 要 性 を 認 識 し た 。

帰 国 後 は 滞 米 中 の 健 康 維 持 に 頻 用 し た 売 薬 を 事 業 の 中 心 に 据 え た 星 製 薬 所 を 創 業 し 、 後 に 自 社 を 株 式 会 社 へ と 改 組 し て 発 展 さ せ た 。販 売 に お い て は 広 告 宣 伝 に 多 額 の 資 金 を 投 入 し 、「 ク ス リ は ホ シ 」 の キ ャ ッ チ コ ピ ー で 消 費 者 の 耳 目 を 集 め た 。 そ し て 販 売 網 を 築 く に あ た り 、 啓 蒙 教 育 活 動 の 要 素 を 取 り 入 れ た 。

星 の 教 育 事 業 は 、 長 期 間 を 要 す る 人 材 育 成 を 優 先 す る と い う 考 え の 下 に 推 進 さ れ た 。 こ れ が 販 売 網 の 拡 大 に お い て 大 き な 役 割 を 果 た し 、 同 時 に 企 業 成 長 の 一 因 と な っ た こ と を 示 し た 。

キ ー ワ ー ド : 製 薬 事 業 、 教 育 事 業 、 企 業 家 活 動 、 チ ェ ー ン ス ト ア

Abstract

This article discusses importance of corporate education in business management. It focuses over-the-counter drugs market. It deals with the case of Hoshi Pharmaceutical Corporation which produced and distributed products into the market from 1906 to 1933. The company developed nation-wide chain store in Japan. This article also focuses on Hajime Hoshi who founded that company. Analysis method is mainly based on Hoshi University’s history, his critical biography and his analects. Hajime Hoshi founded that university.

He was inspired by western culture and civilization in his young age while he worked as a primary school teacher. Under the influence of western culture and civilization, he moved to Tokyo where the center of Japanese culture and civilization was. After Hoshi graduated Tokyo Commercial School, he moved to the United States. In the U.S. Hoshi worked as a house keeper in the middle class families to earn academic

(5)

fees. He also learned the demanding of them. Meanwhile, he recognized the importance of advertising through managing publishing companies.

After he returned to Japan, Hoshi founded pharmaceutical company which focused on producing over-the-counter drugs based on his experiences in the United States. Hoshi made it a stock company afterward. He spent many assets on advertising and spread the catch copy “Kusuri ha Hoshi (Hoshi’s drugs are the best)” that attracted people’s attention. He adopted enlightening education program for accelerating the growth of sales network to improve his firm’s performance.

Hoshi’s education process was propelled under the concept that prioritizing development of human resources which takes long time and costs many assets. This effort played a major role in expanding sales network which drove growth of the firm.

Key wordsPharmaceutical business, Corporate education, Entrepreneurs, Chain store

1 1 1 1 序 序 序 序

1 . 1 1 . 1 1 . 1

1 . 1 は じ め に は じ め に は じ め に は じ め に

組 織 を 維 持 、 発 展 さ せ る 上 で 不 可 欠 と な る の が コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン の 充 実 で あ る 。 経 営 者 は 従 業 員 や 顧 客 に 情 報 を 伝 達 し 、 自 ら の ビ ジ ョ ン を 利 害 関 係 者 と 共 有 す る こ と で 事 業 経 営 を 成 功 さ せ る 。 特 に 明 治 か ら 大 正 期 の 医 薬 品 販 売 業 に お い て は 、 従 業 員 、 顧 客 共 に 医 薬 品 に 関 す る 知 識 が 充 分 と は 言 え ず 、 彼 ら に 商 品 の 持 つ 価 値 を 理 解 さ せ る こ と が 重 要 だ っ た 。

本 稿 で は 、 主 と し て 大 正 期 に 活 躍 し た 星 製 薬 株 式 会 社 と そ の 創 業 者 星 一 の 事 例 研 究 を 行 い 、 教 育 事 業 を 企 業 成 長 の 重 要 な 一 因 と な し た 企 業 家 活 動 を 明 ら か に す る 。

本 稿 の 構 成 は 以 下 の 通 り で あ る 。ま ず

2

章 で 星 の 活 動 背 景 、彼 の 出 生 か ら 教 員 時 代 、 東 京 遊 学 、 米 国 留 学 を 経 て 企 業 家 を 志 す ま で を 述 べ 、

3

章 で は 製 薬 事 業 を 設 立 し 、 株 式 会 社 化 し て 規 模 を 拡 大 さ せ て い っ た 過 程 を 述 べ る 。 そ し て

4

章 で 明 ら か と な っ た 事 実 を 検 討 し 、 星 の 企 業 家 活 動 と そ の 行 動 原 理 を 考 察 す る 。

1 . 2 1 . 2 1 . 2

1 . 2 先 行 研 究 先 行 研 究 と 本 稿 で の 分 析 内 容 先 行 研 究 先 行 研 究 と 本 稿 で の 分 析 内 容 と 本 稿 で の 分 析 内 容 と 本 稿 で の 分 析 内 容

星 一 と 星 製 薬 に 関 す る 先 行 研 究 と し て は 、神 保(

2008

2010

)が 存 在 す る 。と も に 社 報 、 営 業 報 告 書 を 元 に し て 星 製 薬 の 先 駆 的 な マ ー ケ テ ィ ン グ 活 動 、 お よ び 同 社 が 採 用 し た チ ェ ー ン ス ト ア 方 式 の 規 模 と 発 展 に つ い て 論 じ た 内 容 で あ る 。 神 保 (

2008

) で は 星 製 薬 の 販 売 組 織 が 、 製 造 業 者 と 小 売 商 の 直 接 取 引 か ら 元 売 捌 所 を 介 入 さ せ た 形 態 へ と 再 編 成 さ れ た こ と 、 日 本 で は 主 と し て 高 度 経 済 成 長 期 か ら 行 わ れ る よ う に な っ た メ ー カ ー の 流 通 系 列 化 に 相 当 す る 活 動 を 、 星 製 薬 が そ の 販 売 組 織 に お い て 大 正 期 に 行

(6)

っ て い た こ と を 明 ら か に し て い る 。 神 保 (

2010

) は 、 星 製 薬 の マ ー ケ テ ィ ン グ が 創 業 者 で あ る 星 一 個 人 の パ フ ォ ー マ ン ス に よ る と こ ろ が 大 き か っ た こ と と 、 そ の 現 代 的 意 義 に つ い て 言 及 し て お り 、 当 時 の 、 あ る い は そ の 後 の 産 業 界 に 有 益 な 示 唆 を 与 え た と 論 じ て い る 。

ま た 三 澤

(1988

1989

1992)

で は 言 語 録 の 形 で 星 一 自 身 の 発 言 や 記 述 が 紹 介 さ れ て お り 、彼 が 経 営 や 教 育 に 関 し て ど の よ う に 考 え て い た か を 知 る 上 で の 基 礎 資 料 と な る 。 星 一 の 教 育 者 、思 想 家 と し て の 側 面 に 注 目 し 、彼 が 自 ら 創 案 し た 座 右 の 銘「 親 切 第 一 」、 星 薬 科 大 学 建 学 の 精 神 に つ い て の 言 葉 か ら 星 一 の 哲 学 を 読 み 解 い て い る 。

本 稿 で は 、 マ ー ケ テ ィ ン グ 活 動 や チ ェ ー ン ス ト ア 方 式 、 そ し て 教 育 事 業 推 進 の 背 景 と な っ た 星 一 の 行 動 原 理 が い か に し て 形 成 さ れ た か に 焦 点 を 当 て る 。 そ れ に よ っ て 推 進 さ れ た 企 業 家 活 動 を 評 伝 や 星 薬 科 大 学 の 大 学 史 、 星 製 薬 株 式 会 社 社 報 お よ び 彼 自 身 や 彼 の 支 援 者 の 著 書 な ど か ら 分 析 し 考 察 す る 。

2 2 2

2 星 一 の 軌 跡 星 一 の 軌 跡 星 一 の 軌 跡 星 一 の 軌 跡 ― 企 業 家 を 志 す ま で ― ― 企 業 家 を 志 す ま で ― ― 企 業 家 を 志 す ま で ― ― 企 業 家 を 志 す ま で ―

2 . 1 2 . 1 2 . 1

2 . 1 明 治 ・ 大 正 期 の 医 薬 品 業 界 明 治 ・ 大 正 期 の 医 薬 品 業 界 明 治 ・ 大 正 期 の 医 薬 品 業 界 明 治 ・ 大 正 期 の 医 薬 品 業 界

星 一 の ケ ー ス に つ い て 論 ず る 前 に 、 明 治 ・ 大 正 期 に 大 き く 変 革 し た 医 薬 品 業 界 に つ い て 概 観 し 、 星 製 薬 が 成 長 し た 時 代 背 景 を 述 べ る 。

政 府 が 西 洋 医 学 の 本 格 的 な 導 入 を 決 定 し 、

1874

( 明 治

7

) 年 に 医 療 制 度 や 衛 生 行 政 に 関 す る 各 種 規 定 を 定 め た 「 医 制 」 を 発 布 し 、 医 療 用 医 薬 品 に 西 洋 医 薬 ( 洋 薬 ) が 用 い ら れ る よ う に な っ た 。 国 内 に お い て 洋 薬 生 産 は 行 わ れ て い な か っ た の で 、 当 初 は 輸 入 に よ っ て の み 洋 薬 需 要 を 賄 っ て い た 。 小 規 模 な 製 薬 業 者 が 国 産 化 を 試 み た も の の 、 粗 悪 品 や 不 良 品 が 大 半 で あ り 、輸 入 品 の 優 位 を 覆 す こ と は 出 来 な か っ た 。政 府 は

1883

年 、 半 官 半 民 の 大 日 本 製 薬 会 社 を 設 立 し て 国 産 医 薬 品 の 信 頼 性 を 向 上 さ せ よ う と し た が 、 明 治 末 年 に な っ て も 尚 、 国 産 品 の 品 質 は 外 国 製 品 の 水 準 に 達 す る 事 無 く 、 輸 入 品 に 依 存 す る 状 況 が 続 い て い た 。

一 方 、

1909

( 明 治

42

)年 、明 治 政 府 は 、あ ら か じ め 製 造・調 合 さ れ て 市 販 さ れ て い る 薬 、売 薬 に 関 す る 方 針 を 転 換 し た 。以 前 は 無 効 か つ 無 害 と 見 做 し て い た が 、「 今 後 は 効 果 な き 売 薬 を 免 許 せ ざ る の 件 」 と い う 衛 生 局 長 通 知 を 出 し 、 有 効 無 害 な 製 品 の み を 販 売 す る よ う 定 め た 。 更 に

1914

( 大 正

3

) 年 に 成 立 し た 「 売 薬 法 」 で は 売 薬 業 者 の 資 格 を 定 め 、 誇 大 広 告 の 禁 止 や 品 質 検 査 の 義 務 化 な ど が 徹 底 さ れ た 。

無 害 な だ け で 認 可 さ れ て い た 売 薬 が 、 品 質 が 保 証 さ れ た 有 効 な 製 品 で な け れ ば 販 売 を 許 さ れ な く な っ た こ と は 、 製 造 者 側 の コ ス ト 増 を 招 い た 。 し か し 同 時 に 、 売 薬 の 効 能 を 期 待 す る 消 費 者 か ら の 需 要 増 も 見 込 め る よ う に な っ た の で あ る 。 政 府 の 方 針 転 換 と そ れ に 続 く 売 薬 法 の 制 定 は 、 売 薬 の 製 造 販 売 を 始 め て 間 も な い 星 製 薬 に 事 業 機 会 を も た ら し た と 考 え ら れ る 。

(7)

表 1 : 売 薬 業 界 推 移

年 売 薬 印 紙 税 額( 円 ) 売 薬 営 業 者 数 1 9 0 1 ( 明 治3 4 ) 1 , 2 1 1 , 6 3 0 N/A 1 9 0 2 ( 明 治3 5 ) 1 , 2 3 1 , 2 2 0 N/A 1 9 0 3 ( 明 治3 6 ) 1 , 2 3 6 , 1 5 8 N/A 1 9 0 4 ( 明 治3 7 ) 1 , 1 8 9 , 4 1 4 N/A 1 9 0 5 ( 明 治3 8 ) 1 , 3 7 1 , 3 3 3 N/A 1 9 0 6 ( 明 治3 9 ) 1 , 4 5 4 , 5 6 7 N/A 1 9 0 7 ( 明 治4 0 ) 1 , 6 9 4 , 5 1 7 N/A 1 9 0 8 ( 明 治4 1 ) 1 , 7 9 7 , 2 1 6 N/A 1 9 0 9 ( 明 治4 2 ) 1 , 8 1 3 , 8 5 6 N/A 1 9 1 0 ( 明 治4 3 ) 2 , 0 2 8 , 7 8 9 3 5 , 2 5 5 1 9 1 1 ( 明 治4 4 ) 2 , 1 2 4 , 4 7 0 3 6 , 8 5 9 1 9 1 2 ( 明 治 4 5 / 大 正 元 ) 2 , 2 3 9 , 3 7 9 3 8 , 4 9 5 1 9 1 3 ( 大 正2 ) 2 , 3 1 8 , 8 9 1 4 0 , 0 4 1 1 9 1 4 ( 大 正3 ) 2 , 3 5 3 , 6 8 2 4 0 , 9 5 0 1 9 1 5 ( 大 正4 ) 2 , 3 6 7 , 0 5 9 3 7 , 5 6 5 1 9 1 6 ( 大 正5 ) 2 , 7 3 7 , 8 6 0 3 5 , 9 3 2 1 9 1 7 ( 大 正6 ) 3 , 3 6 1 , 2 9 0 3 5 , 2 4 3 1 9 1 8 ( 大 正7 ) 4 , 4 8 9 , 8 6 0 3 5 , 3 8 5 1 9 1 9 ( 大 正8 ) 6 , 5 9 1 , 9 4 3 3 5 , 2 0 1 1 9 2 0 ( 大 正9 ) 7 , 9 6 4 , 1 5 1 3 4 , 5 5 2 1 9 2 1 ( 大 正1 0 ) 8 , 7 9 5 , 5 8 8 3 4 , 4 9 1 1 9 2 2 ( 大 正1 1 ) 7 , 0 8 1 , 9 2 3 3 0 , 2 0 9 1 9 2 3 ( 大 正1 2 ) 9 , 6 9 1 , 2 1 9 3 7 , 3 3 3 1 9 2 4 ( 大 正1 3 ) 1 0 , 4 4 9 , 1 3 1 3 7 , 6 5 5 注 : デ ー タ が 得 ら れ な か っ た 部 分 に つ い て はN/Aと 表 記 し た 。 出 所 : 内 務 省 衛 生 局 編(1901~24)よ り 作 成 。

表 1 に 売 薬 印 紙 税 額1)と 売 薬 営 業 者 数 の 推 移 を 示 す 。営 業 者 数 に 関 し て は 第 一 次 世 界 大 戦 に お け る 医 薬 品 相 場 の 乱 れ や 戦 後 恐 慌 な ど に よ っ て と こ ろ ど こ ろ 減 少 が 見 ら れ る も の の 、売 薬 印 紙 税 額 の 増 加 を 見 れ ば 、全 体 と し て 順 調 に 伸 び て い る こ と が 分 か る 。 ま た 、

1914

( 大 正

4

) 年 に 勃 発 し た 第 一 次 世 界 大 戦 は ド イ ツ か ら の 医 薬 品 輸 入 を 途 絶 さ せ 、 薬 価 の 急 騰 と 医 薬 品 欠 乏 を 招 き 、 市 場 は 大 混 乱 に 陥 っ た 。

1781

( 天 明 元 ) 年 か ら 道 修 町 で 活 動 し て い た 薬 種 問 屋 、 武 田 長 兵 衛 商 店 の 社 史 に も 当 時 の 様 子 が 記 さ れ

(8)

て お り 、「 開 戦

6

日 後 の

8

3

日 の 付 新 値 表 に よ る と

7

1

日 の そ れ に 対 し , 次 硝 酸 蒼 鉛 ・ サ ン ト ニ ン ほ か , 大 部 分 の 薬 品 は

20%

30%

高 を 示 し , 石 炭 酸 ・ ホ ル マ リ ン は 大 き く

2

倍 に 跳 ね 上 が っ て い る

.

さ ら に

1

週 間 後 の

8

9

日 付 新 相 場 で は ,平 均

50

60%

高 で , 特 に 当 時 戦 争 と い え ば す ぐ に 思 惑 の 対 象 と な り , そ の 相 場 が 最 も 敏 感 に 反

応 す る と い わ れ て い た 爆 薬 の 材 料 グ リ セ リ ン は ,

2

週 間 ほ ど の 間 に

158

% 高 と な り , ま た 重 曹 も

150%

に 急 騰 し た

.

日 時 の 経 過 と と も に ア ス ピ リ ン 等 も

1

20

30

銭 か ら

40

円 に も な り 、他 の 薬 品 で も 高 い も の は

30

40

倍 に な っ た 」( 武 田 二 百 年 史 編 纂 委 員

会 編 ,

1983

p.223

) と あ る 。

こ の 事 態 を 受 け た 政 府 は ま ず 「 戦 時 医 薬 品 輸 出 取 締 令 」 を 緊 急 発 令 し て 医 薬 品 の 国 外 流 出 を 防 い だ 。 同 時 に 医 薬 品 の 製 造 を 奨 励 す る 為 、 衛 生 試 験 所 に 臨 時 製 薬 部 を 設 け て 医 薬 品 の 試 作 と そ の 成 果 を 官 報 に よ っ て 公 表 し 、 国 内 製 薬 業 者 へ の 指 導 を 行 っ た 。

1915

年 に は 、ア セ ト ア ニ リ ド 、石 炭 酸 、サ リ チ ル 酸 、ア ル カ ロ イ ド な ど「 製 薬 指 定 医

薬 品 」 を 製 造 す る 企 業 に 対 す る 損 失 補 償 と 、 払 込 株 金 の

8%

ま で の 利 益 配 当 保 証 を

10

年 間 供 与 す る こ と で 、 大 戦 終 結 に 伴 う 経 済 的 反 動 の 危 機 を 補 償 し て 製 薬 企 業 設 立 を 容 易 に す る 「 染 料 医 薬 品 製 造 奨 励 法 」 を 制 定 し た 。 更 に

1917

年 に は 交 戦 国 で あ る ド イ ツ の 所 有 す る 特 許 権 の 制 約 を 解 除 す る 「 工 業 所 有 権 戦 時 法 」 を 公 布 し た 。

表 2 : 化 学 工 場 製 産 品 ( 医 薬 ・ 売 薬 ・ 医 療 材 料 ) 生 産 額 推 移

年 医 薬 売 薬 医 薬 + 売 薬 医 療 材 料

1909(明 治42)年 N/A N/A 7,166 398

1914(大 正3)年 N/A N/A 19,902 1,424

1919(大 正8)年 15,809 23,566 39,375 3,207

1920(大 正9)年 20,007 31,219 51,226 4,262

注 : デ ー タ が 得 ら れ な か っ た 部 分 に つ い て はN/Aと 表 記 し た 。 出 所 : 農 商 務 大 臣 官 房 統 計 課 (1922) よ り 作 成 。

2

か ら も 分 か る 通 り 、 第 一 次 世 界 大 戦 期 に お い て 、 医 薬 品 、 医 療 材 料 の 生 産 額 が 急 増 し た 。 こ の 第 一 次 世 界 大 戦 に よ る 市 場 の 混 乱 と 医 薬 品 勧 奨 政 策 も ま た 、 星 製 薬 に は 追 い 風 と な っ た と 言 え る 。

2 . 2 2 . 2 2 . 2

2 . 2 生 い 立 ち 生 い 立 ち 生 い 立 ち 生 い 立 ち

星 一 は

1873

年 ( 明 治

6

) 年

12

25

日 、 福 島 県 磐 城 郡 錦 村 江 栗 に 生 ま れ た 。 幼 名 は 佐 吉 で あ り 、

1893

年 、

20

歳 の 時 に 一 と 改 名 し て い る が 、 本 論 文 で は 星 一 の 表 記 を

「 星 」に 統 一 す る 。家 族 構 成 に つ い て は 、星 薬 科 大 学 史 編 纂 委 員 会 編

(1991)

、大 山

(1949)

、 三 澤

(1992)

に は 兄 弟 姉 妹 の 記 述 は な い が 、 彼 の 長 男 で あ る 星 親 一 が 著 し た 小 説 形 式 の 伝 記 『 明 治 ・ 父 ・ ア メ リ カ 』 に よ れ ば 妹 と 弟 が い る と さ れ て い る 。 た だ し 、 後 述 す る 星 の 活 動 か ら は 妹 と 弟 の 存 在 が 全 く 読 み 取 れ な い 。 な お 細 菌 学 者 の 野 口 英 世 も

1876

(9)

年 、 福 島 県 に て 出 生 し て お り 、 野 口 と は 後 述 す る 米 国 滞 在 中 に 出 会 う こ と と な る 。 星 家 は

3

人 か ら

4

人 の 使 用 人 を 雇 う 裕 福 な 農 家 で 、 父 喜 三 太 は 後 年 村 長 、 郡 会 議 長 、 県 会 議 員 な ど 公 職 に 推 さ れ る 人 物 だ っ た 。 喜 三 太 は 厳 格 で 、 か つ 長 男 で あ る 星 の 将 来 に 多 大 な 期 待 を か け て い た 。 彼 は 星 に 自 ら の 後 を 継 が せ 、 政 治 の 道 に 進 ま せ る こ と を 希 望 し て お り 、 そ の 熱 意 は

1881

年 に 発 布 さ れ た 国 会 開 設 の 詔 を 暗 記 さ せ た こ と か ら も 窺 え る 。 そ し て 、 詔 を 暗 記 し た 星 は 自 身 が 通 学 し て い た 小 学 校 の 教 員 か ら 読 み 方 を 訊 ね ら れ る 体 験 を し て い る 。 一 方 母 親 の 留 は 父 親 と 全 く 違 う 教 育 方 針 を 持 っ て お り 、 東 京 遊 学 、 ア メ リ カ 留 学 の 時 も 星 を 支 持 し た 。

2 . 2 .

2 . 2 . 3 3 3 3 教 員 時 代 と 米 国 へ の 憧 れ 教 員 時 代 と 米 国 へ の 憧 れ 教 員 時 代 と 米 国 へ の 憧 れ 教 員 時 代 と 米 国 へ の 憧 れ

4

年 制 の 錦 村 立 大 倉 小 学 校 を 卒 業 し た 星 は 、 父 喜 三 太 の 指 示 に よ っ て 小 学 校 の 教 員

を 養 成 す る 平 町 授 業 生 養 成 所 に 入 学 し た 。そ の

6

ヶ 月 後 、

40

名 中

3

番 目 の 成 績 で 卒 業 し 、

1886

( 明 治

19

) 年 、

13

歳 で 平 町 小 学 校 の 教 員 と な っ た 。 こ の 時 の 星 は 師 範 学 校 を 卒 業 し て い な い 授 業 生 で あ り 、 数 の 少 な い 師 範 学 校 卒 業 者 を 補 う た め の 無 資 格 教 員 と し て 採 用 さ れ て い た 。 な お 星 の よ う な 授 業 生 や 、 雇 教 員 と 呼 ば れ て い た 無 資 格 教 員 は 、

1900

( 明 治

33

)年 に 改 正 さ れ た 小 学 校 令 に お い て 、代 用 教 員 と い う 制 度 的 根 拠 を 有 し た 教 員 区 分 に 属 す る こ と と な る 。

13

歳 に 小 学 生 の 教 育 指 導 が 務 ま る か と い う 点 に つ い て は 疑 問 の 余 地 を 残 す と こ ろ だ が 、 学 校 教 育 制 度 の 面 か ら 星 が 教 員 に 就 任 し た 時 期 を 見 る と 、

1879

年 に 発 布 さ れ 、

1880

年 、

1885

年 に 改 正 さ れ た 教 育 令 に よ っ て 初 等 教 育 の 環 境 が 整 備 さ れ 始 め て い る 。

改 正 さ れ た 教 育 令 は 各 町 村 に 小 学 校 、 も し く は そ れ に 準 じ る 小 学 教 場 を 設 置 す る こ と が 定 め ら れ て お り 、 こ れ に よ っ て 生 ま れ る 多 く の 教 育 現 場 へ 、 多 数 の 人 材 を 短 期 間 で 投 入 し な け れ ば な ら な い と い う 事 情 が あ っ た 。こ う し た 状 況 の 中 で 、

13

歳 の 小 学 校 教 師 が 存 在 し 得 た と 考 え ら れ る 。

こ の よ う に 、

2.1

で 述 べ た よ う な 、物 事 を 教 示 す る 側 の 教 員 に 文 書 の 読 み 方 を 教 え る と い う 体 験 に 加 え 、 少 年 期 に 小 学 校 教 員 を 務 め た と い う 就 業 経 験 が 、 後 に 推 進 す る 啓 蒙 教 育 活 動 の 原 点 と な っ た 可 能 性 が あ る 。

2

年 間 の 教 員 生 活 で 星 が 用 い た 教 科 書 は 、 そ の 多 く が ア メ リ カ の 教 科 書 の 翻 訳 だ っ

た 。 ア メ リ カ の 教 科 書 が 小 学 校 教 育 の 教 材 に 採 用 さ れ た 理 由 と し て は 、 教 育 令 制 定 を 主 導 し た 当 時 の 文 部 大 輔 、田 中 不 二 麻 呂 の 影 響 に よ る と こ ろ が 大 き い 。田 中 は

1871

( 明 治

4

) 年 、 岩 倉 使 節 団 に 理 事 官 と し て 随 行 し 、 後 に 同 志 社 英 学 校 を 創 立 す る 新 島 襄 と 共 に 欧 米 の 教 育 制 度 を 調 査 し 、 中 で も ア メ リ カ 合 衆 国 の 行 政 と 教 育 に 着 目 し て 、 再 度 の 渡 米 で 各 州 の 教 育 を 更 に 詳 し く 視 察 し た 。 田 中 は そ の 後 、 自 由 主 義 が 色 濃 く 反 映 さ れ た ア メ リ カ の 教 育 制 度 を 取 り 入 れ る こ と で 日 本 の 画 一 的 な 教 育 の 改 善 を 唱 え 、 教 育 の 権 限 を 地 方 へ 大 幅 に 委 ね た ア メ リ カ の 制 度 を 参 照 し 、 上 記 の 教 育 令 を 起 草 し た 。 こ の 教 育 令 自 体 は 改 正 を 重 ね る ご と に 中 央 集 権 的 な 性 格 を 強 め て い っ た が 、 教 育 内 容 に

(10)

つ い て は ア メ リ カ 式 が 堅 持 さ れ た と 考 え ら れ る 。 こ れ が 米 国 流 の 考 え 方 を 人 々 に 理 解 さ せ る 基 礎 を 作 り 、 星 が 後 年 行 っ た 啓 蒙 教 育 活 動 を 円 滑 に 進 め る こ と が 出 来 た 一 因 と 推 測 で き る 。

こ の 時 、 星 は 授 業 で 使 用 し た 教 科 書 に よ っ て 「 何 々 す べ か ら ず 式 の 漢 學 的 教 養 の 眼 か ら 、 初 め て 西 歐 の 人 道 主 義 的 な 物 の 見 方 考 え 方 に 接 し 」( 大 山 ,

1949

p.21

)、 感 銘 を 受 け た 。 特 に 教 師 用 の 参 考 書 に あ っ た 、 我 が 身 を 犠 牲 に し て 友 人 を 救 う エ ピ ソ ー ド に 心 打 た れ 、 西 洋 か ら 入 っ て き た 新 し い 文 化 へ の 憧 れ を 募 ら せ る 事 と な っ た 。 教 員 と な っ て 約

2

ヶ 月 後 、 郡 長 か ら 師 範 学 校 へ の 入 学 を 勧 め ら れ た 。 師 範 学 校 を 卒 業 す れ ば 正 式 な 資 格 を 持 っ た 教 員 に な る こ と が 出 来 、 代 用 教 員 以 上 の 地 位 と 収 入 を 得 ら れ る 。 父 喜 三 太 も そ う な る こ と を 望 ん で い た 。 星 家 は 元 々 名 の 知 れ た 裕 福 な 農 家 で あ る 。 そ の 上 、 地 域 の 小 学 校 に 勤 務 す る 正 式 な 教 師 と な れ ば 住 民 か ら も 敬 意 を 払 わ れ る の で 、 星 が 選 挙 で 立 候 補 す る 際 有 利 に 働 く と 考 え た と 思 わ れ る 。

し か し 星 は 東 京 へ の 遊 学 を 希 望 し た 。 そ の 理 由 に つ い て 明 確 に 記 し た 資 料 は 得 ら れ な か っ た が 、 欧 米 か ら 輸 入 さ れ る 新 た な 文 明 や 文 化 に 触 発 さ れ 、 そ れ ら に 少 し で も 近 づ く 為 、 首 都 で 学 問 を 学 ん で み た い と い う 欲 求 に 駆 ら れ た と 推 測 さ れ る 。 ま ず 遊 学 の 為 の 資 金 を 貯 め る こ と に し た 星 は 郡 長 に 事 情 を 打 ち 明 け 、 現 在 勤 務 し て い る 平 町 小 学 校 か ら 下 宿 の 必 要 が な い 山 田 小 学 校 に 転 任 し 、

2

年 掛 け て 遊 学 資 金

100

2)を 貯 め た 。 そ し て 師 範 学 校 へ の 入 学 を 望 ん で い た 父 に 預 金 通 帳 を 見 せ 、 自 ら の 決 定 に 責 任 を 果 た す と い う 態 度 を 示 し た 上 に 、 母 親 か ら の 口 添 え も あ っ て 遊 学 が 叶 っ た 。 厳 格 で あ り 、 星 の 将 来 設 計 に 明 確 な 方 針 を 持 っ て い た 喜 三 太 が 東 京 遊 学 を 認 め た の は 、 東 京 で の 勉 学 が 師 範 学 校 へ 入 学 す る 際 に 役 立 つ こ と 、 か つ 、 政 治 の 中 心 地 で 様 々 な 事 物 を 見 聞 き す る こ と は 将 来 議 員 に な る 上 で も 有 意 義 な 体 験 に な る と い う こ と を 考 え た か ら で あ ろ う 。

2 . 2 . 2 .

2 . 4 4 4 4 東 京 へ の 遊 学 東 京 へ の 遊 学 東 京 へ の 遊 学 東 京 へ の 遊 学

100

円 の 貯 金 と 共 に 東 京 へ や っ て き た 星 は

1891

( 明 治

24

) 年 、 東 京 学 園 高 等 学 校

の 前 身 で あ る 神 田 の 私 立 東 京 商 業 学 校 の 夜 学 に 入 学 し た 。 星 は 郷 里 に 居 る 間 、 東 京 に あ っ た 様 々 な 学 校 の 規 則 集 を 取 り 寄 せ て「 少 な い 学 資 と 短 い 期 間 で 卒 業 出 来 る 」「 学 ん だ も の が 直 ぐ 役 立 つ 」「 各 方 面 と 接 触 で き る 高 名 な 教 員 が い る 」と い う

3

つ の 条 件 を 満 た す 教 育 機 関 が な い か 調 査 し た 結 果 、 同 校 が そ の

3

条 件 に 合 致 し て い た の で あ る 。

私 立 東 京 商 業 学 校 は

1889

( 明 治

22

) 年 、 当 時 の 内 閣 官 報 局 と 一 橋 大 学 の 前 身 で あ る 高 等 商 業 学 校 の 教 授 な ど が 設 立 に 関 与 し た 商 業 学 校 で あ る 。「 高 き に 過 ぎ ず 、低 さ に 失 し な い 中 等 程 度 の 商 業 教 育 を 施 し 社 会 の 要 請 に 応 じ る 人 材 を 育 成 す る 」( 東 京 学 園 高 等 学 校 ホ ー ム ペ ー ジ よ り 抜 粋 ) と い う 設 立 趣 旨 を 掲 げ て お り 、 こ れ は 単 な る 業 務 の 研 修 に 留 ま ら ず 、 と い っ て 実 業 か ら か け 離 れ る 事 も な い と い う 点 で 、 星 製 薬 商 業 学 校 や そ の 前 身 で あ る 星 薬 業 講 習 会 に 通 じ る と こ ろ が あ る 。

(11)

当 時 の 校 長 は 元 曾 我 野 藩 士 で 官 報 局 長 を 務 め た 高 橋 健 三 だ っ た 。 高 橋 は 後 に 内 閣 書 記 官 長 、大 阪 朝 日 新 聞 の 論 説 委 員 を 歴 任 し た 人 物 で 、星 と の 師 弟 関 係 は 長 く 続 い た 。ま た 、 後 に 台 湾 総 督 府 民 政 長 官 と な っ た 内 田 嘉 吉 も 教 員 の

1

人 で あ る 。

入 学 し て 間 も な く 、 星 は 「 將 來 何 人 に も 頭 を 壓 え ら れ な い 事 業 家 に な ら う 」( 大 山 ,

1949

p.23

)と 考 え る よ う に な り 、そ れ を 実 現 す る 手 段 と し て「 先 進 國 の 米 国 に 渡 り 、

ア メ リ カ の 大 學 を 卒 業 し 度 い 」( 大 山 ,

1949

p.23

)と ア メ リ カ 留 学 を 希 望 す る よ う に な っ た 。起 業 へ の 志 向 は 私 立 東 京 商 業 学 校 で の 教 育 に よ っ て 触 発 さ れ た と 考 え ら れ る 。 ま た 、少 年 期 の 自 身 に 感 銘 を 与 え た 教 科 書 が 生 み 出 さ れ た 場 で 学 び た い と い う 思 い が 、 渡 米 へ 駆 り 立 て た と 推 測 さ れ る 。そ の 頃 、裸 一 貫 で 貨 物 船 の 船 倉 に 潜 り 込 ん で 密 航 し 、 苦 学 の 末 ア メ リ カ の 大 学 を 卒 業 し て 帰 国 し た 人 物 の 話 が 新 聞 に 掲 載 さ れ た 事 も あ り 、 星 の 渡 米 熱 に 拍 車 が 掛 か っ た 。

ま た 、 米 国 留 学 が 可 能 で あ る と 判 断 し た 背 景 に 、 商 業 学 校 在 学 中 の 成 田 山 詣 で が あ る 。当 初 は 友 人 と 物 見 遊 山 に 出 か け る 計 画 だ っ た が 、全 て の 費 用 を

15

銭 で 賄 う と い う 無 謀 な 計 画 に 友 人 が 尻 込 み し 、結 局 星 1 人 で 出 発 し 、計 画 を 完 遂 し た 。星 は 後 年 、「 勇 氣 は 曾 て 爲 せ し よ り 來 る 」( 大 山 ,

1949

p.28

)と 語 り 、ど れ ほ ど 小 さ な 出 来 事 に お い て も 、 ま ず 成 功 を 収 め る こ と に よ っ て 次 の 事 業 を 推 進 す る 自 信 が 生 ま れ る こ と を 強 調 し て い る 。 そ の 意 味 で は 、 こ の 無 謀 で 一 見 無 価 値 な 成 田 山 詣 で が 、 彼 の 「 か つ て 為 し た も の 」 の 原 点 で あ る と 言 え る 。

商 業 学 校

2

年 の 頃 か ら 渡 米 す る 決 心 を 固 め 、 ア メ リ カ に 行 く た め の 方 法 や 手 続 き 、 そ し て 渡 米 し て か ら の 生 活 な ど に つ い て 調 査 す る 傍 ら 、 米 国 に 行 っ て 生 計 を 立 て る 方 法 を 模 索 す る 中 で 日 本 独 特 の 文 化 技 芸 と し て 生 花 を 、 そ し て 身 体 を 鍛 え る 為 に 柔 道 を 習 っ た 。ま た 星 は こ の 頃 、英 語 習 得 の 為 神 田 三 崎 町 に あ る 夜 間 学 校 に も 通 っ て い た が 、 そ こ で 自 身 と 同 様 渡 米 を 志 す 安 田 作 也 と 知 り 合 っ て い る 。 彼 は 後 に 星 が 支 援 を 受 け る こ と に な る 政 治 活 動 家 、 杉 山 茂 丸 の 甥 だ っ た 。 星 は ア メ リ カ に 渡 る 前 に も 杉 山 と 会 っ て お り 、人 生 に 関 す る 様 々 な 教 訓 を 得 て い る 。特 に 未 知 の 物 に 対 す る 姿 勢 に つ い て は 、 杉 山 は 「 一 事 件 ず つ 精 細 に 深 く 考 慮 せ よ 、 考 慮 が 圓 熟 し た ら 、强度 の 忍 耐 と 實 行 の 力 と を 擧 げ て 、 善 悪 と な く 屹 度 遂 行 せ よ 」( 杉 山 ,

1926

p.114

) と 語 っ て い る 。 星 も 、 計 画 に つ い て 熟 考 し た 後 は 思 い 悩 ま ず 最 後 ま で や り 遂 げ る こ と の 大 切 さ に つ い て 認 識 し て お り 、 自 ら の 著 書 で 「 頭 腦 は 第 一 番 に 働 か ざ る べ か ら ず 、 手 足 を 動 か す 前 に 判 断 を 下 さ ざ る べ か ら ず 」( 星 ,

1923

p.26

)、「 事 を 半 分 に て 放 置 す る は 罪 悪 に し て 害 虫 と 等 し 」( 同 書 ,

p.23

) と 述 べ て い る 。

ま た 星 は 渡 米 前 、「 自 分 は 體 だ け が 資 本 で こ れ か ら ア メ リ カ に 行 き 、大 學 を 卒 業 す る つ も り だ か ら 、絶 對 に 病 氣 は 出 来 な い 」( 大 山 ,

1949

p.42

)と 思 い 、帰 国 す る ま で 病 気 に 罹 ら な い こ と を 誓 っ た 。そ し て そ の 誓 い を 守 る 為 、星 は

12

年 間 の 米 国 滞 在 中 、少 し で も 身 体 に 変 調 を 来 た す と 売 薬 を 服 用 し て 健 康 維 持 を 図 っ た 。 こ れ が 、 星 が 売 薬 お よ び 製 薬 業 界 に 注 目 す る き っ か け と な る 。

(12)

1894

( 明 治

27

)年 の

3

月 、私 立 東 京 商 業 学 校 を 卒 業 し た 星 は 、ア メ リ カ に 渡 る 前 に

自 国 の 文 化 に つ い て の 理 解 を 深 め て お か な け れ ば な ら な い と 思 い 立 っ た 。 新 た に 体 験 す る 文 化 と 、 以 前 か ら 慣 れ 親 し ん で き た 文 化 を 比 較 す る こ と で 、 よ り 多 く を 学 び 取 れ る と 考 え た か ら で あ る 。卒 業 し た ば か り の 星 の 手 元 に は

300

円 が あ っ た 。「 卒 業 前 か ら 郷 里 の 父 母 に は 度 々 渡 米 の 希 望 を 訴 え て 、 既 に 大 體 の 了 承 を 得 」( 大 山 ,

1949

p.28

) た 結 果 、 両 親 と 親 類 か ら 餞 別 金 が 送 ら れ て き た か ら で あ る 。 星 に 対 し 、 師 範 学 校 を 卒 業 さ せ て 郷 里 の 小 学 校 に 勤 務 さ せ 、 議 員 に 立 候 補 さ せ る と い う 明 確 な 方 針 を 持 っ て い た 、 父 喜 三 太 の 心 境 の 変 化 が 窺 え る 。

当 時 の

300

円 は 大 金 だ っ た が 、 そ の 大 半 は 渡 米 後 の 費 用 に 充 て ら れ な け れ ば な ら な い 。 そ こ で 、 星 は 「 全 國 を 古 本 の 行 商 を し 乍 ら 一 つ 見 學 し て み よ う 」( 大 山 ,

1949

p.29

)と 決 心 し た 。行 商 を 始 め る に あ た り 、神 田 の 古 書 店 で

1

5

厘 、

1

銭 、

2

銭 と い う 値 段 で 売 ら れ て い た 古 本 を

2

円 分 購 入 し 、 そ の 運 搬 と 移 動 の 為 の 中 古 自 転 車 を

3

50

銭 で 調 達 し 、 外 套 と 帽 子 を

1

75

銭 で 入 手 し た 後 、 残 っ た

292

75

銭 を 全 額 銀

行 に 預 金 し た 。 小 規 模 で は あ る が 、 こ れ が 星 の 立 案 し た 最 初 の 事 業 計 画 だ っ た 。 ま ず ア メ リ カ で 学 ぶ と い う 最 終 目 標 を 設 定 し 、 そ れ を 達 成 す る 為 に 日 本 の 文 化 を 学 び 直 す と い う 中 間 目 標 を 立 て 、 そ の 手 段 と し て 古 本 の 行 商 を 行 う こ と を 選 択 し 、 行 商 を 始 め る 為 の 費 用 を 見 積 も っ て 渡 米 に 影 響 し な い 範 囲 に 収 め た 。 こ こ に 、 星 の 企 業 家 と し て の 萌 芽 を 見 る こ と が 出 来 る 。

東 北 出 身 で あ る 星 は ま ず 西 を 目 指 し た が 、彼 の 立 て た 事 業 計 画 は 箱 根 を 越 え て 直 ぐ 、 移 動 手 段 で あ る 自 転 車 が 壊 れ た た め に 頓 挫 し た 。 し か し 星 は 諦 め ず 、 壊 れ た 自 転 車 を 友 人 達 に 連 絡 し て 処 分 し て 貰 い 、そ の 金 で 行 商 に 用 い る 商 品 を 送 っ て 貰 う よ う 依 頼 し 、 徒 歩 で 旅 を 続 け て そ の 日 暮 ら し で 西 を 目 指 し た 。 大 阪 に つ い た 後 は か つ て の 恩 師 で 、 当 時 大 阪 朝 日 新 聞 の 論 説 委 員 を 務 め て い た 高 橋 健 三 を 訪 問 し た 。 星 は 現 況 を 報 告 し 、 新 聞 売 り 子 で 当 座 の 生 活 費 と 旅 費 を 得 る た め 新 聞 を 貰 っ て 駅 構 内 で 販 売 し た 。 し か し 同 業 者 の 妨 害 に 遭 い 、 順 調 に は 進 ま な か っ た 。

一 方 で 、 星 の 巡 歴 と そ の 後 の 渡 米 計 画 に 感 銘 を 受 け た 高 橋 は 自 身 の 務 め る 大 阪 朝 日 新 聞 で 星 の 紹 介 記 事 を 掲 載 し た 。 こ の 記 事 を 読 ん だ 同 郷 の 人 々 は 星 を 賞 賛 し 、 彼 の 見 学 旅 行 と 、 そ の 為 の 行 商 を 円 滑 に す る 為 に 協 力 し た 。 ま た 鹿 児 島 の 東 北 人 会 の 会 合 に 出 席 し 、 参 加 し て い た 現 地 の 師 範 学 校 の 教 員 と 知 り 合 っ た 。 そ の 教 師 は 古 本 を 買 取 る と 言 っ て 星 を 学 校 に 招 き 、 生 徒 達 の 前 で 星 に 体 験 談 を 語 る よ う 求 め た 。 星 が 自 ら の 旅 程 を 話 し た と こ ろ 、「 若 い 生 徒 達 は 星 の 冒 険 談 に す つ か り 感 心 し 、星 を 後 援 す る た め だ と 、 四 圓 五 十 銭 の 金 を 集 め て 持 つ て 来 た 」( 大 山 ,

1949

p.38

)。 あ く ま で 自 身 は 行 商 人 で あ る か ら と 主 張 し た 星 は 本 を 売 る 形 で そ れ を 受 領 し た が 、 地 域 の 新 聞 が そ の こ と を 記 事 に し て 鹿 児 島 で の 知 名 度 が 上 が り 、 方 々 を 見 学 す る 際 の 助 け と な っ た 。 鹿 児 島 を 発 っ た 星 は 次 に 沖 縄 へ 渡 っ た 。 彼 は 大 阪 と 鹿 児 島 で メ デ ィ ア の 持 つ 影 響 力 を 認 識 し て お り 、 そ の 時 の 体 験 を も と に 現 地 の 新 聞 社 を 訪 ね て 自 身 の 計 画 や 抱 負 を 伝 え た と こ

(13)

ろ 、 ま た し て も 記 事 に な り 、 知 名 度 を 上 げ て 行 商 に 活 か し た 。 鹿 児 島 に 戻 っ て 長 崎 に や っ て き た 星 は 日 本 の み な ら ず ア ジ ア の 情 勢 も 見 学 し た い と い う 思 い で 上 海 行 き を 企 て た が 、

1894

7

月 に 勃 発 し た 日 清 戦 争 に よ り 渡 航 を 断 念 し た 。星 は 旅 行 を 終 え て 東 京 へ 戻 っ た が 、資 金 に 全 く 余 裕 の 無 か っ た 出 発 時 と 比 べ 、「 歸 り は 金 が 出 來 た の で 、汽 車 で 大 阪 に 行 き 高 橋 氏 を 訪 ね て 報 告 し 、 高 橋 夫 妻 の 激 勵 と 期 待 に お く ら れ て 、 大 阪 よ り 海 路 東 京 に 歸 つ た が 、 そ の 時尙残 金 が 五 圓 も あ つ た 」( 大 山 ,

1949

p.39

)。 な お 、 星 は 大 阪 で 高 橋 に 再 会 し た 際 、 当 時 の サ ン フ ラ ン シ ス コ 日 本 領 事 で 、 後 に 駐 米 全 権 公 使 と な る 珍 田 捨 巳 に 宛 て た 紹 介 状 を 託 さ れ た 。

こ の よ う に 、事 業 を 進 め る 上 で 多 く の 困 難 に 直 面 し た と 同 時 に 、努 力 を 評 価 し た 人 々 か ら 支 援 を 受 け ら れ た と い う 体 験 が 、星 製 薬 の 設 立 と 運 営 で 活 か さ れ た と 考 え ら れ る 。 そ し て 自 分 に つ い て 書 か れ た 新 聞 記 事 が 後 の 行 動 を 助 け た こ と 、 自 身 の 行 動 が 多 く の 人 々 に 感 銘 を 与 え 、 感 銘 を 受 け た 人 々 か ら の 援 助 を 得 た こ と が 、 メ デ ィ ア の 力 と 啓 蒙 教 育 活 動 に 注 目 す る き っ か け と な っ た と 推 測 さ れ る 。 ま た

3

ヶ 月 を 超 え る 旅 程 を 完 遂 し た こ と は 、 自 身 の 努 力 が 報 わ れ る と い う 認 識 を 星 に も た ら し た 。

2 . 5 2 . 5 2 . 5

2 . 5 米 国 へ 米 国 へ 米 国 へ 米 国 へ

私 立 東 京 商 業 学 校 を 卒 業 し 、日 本 各 地 を 旅 行 し た 星 は

1894

10

月 に 米 国 サ ン フ ラ ン シ ス コ に 到 着 し 、現 地 の 福 音 会 に 身 を 寄 せ た 。福 音 会 と は

1877

10

月 、ア メ リ カ 在 住 の 日 本 人 ク リ ス チ ャ ン に よ っ て 組 織 さ れ た 団 体 で あ る 。 在 米 日 本 人 団 体 と し て 設 立 さ れ た 組 織 で 、 宗 教 活 動 だ け で な く 、 身 よ り の な い 在 米 日 本 人 苦 学 生 の 救 済 活 動 に 力 を 入 れ て い た 。 宿 泊 所 を 経 営 し て お り 、 宿 泊 の み で

10

セ ン ト 、食 事

3

食 で

30

セ ン ト で あ り 、

1

ヶ 月

9

ド ル で 生 活 出 来 た 。

紹 介 状 の 宛 先 で あ る 珍 田 捨 巳 は 星 と 入 れ 違 い の 形 で 帰 国 し て い た が 、 星 に は 渡 米 後 の 計 画 が あ っ た 。サ ン フ ラ ン シ ス コ 到 着 時 、彼 は 日 本 円 に し て

300

円 超 で あ る

115

ド ル を 持 っ て お り 、 こ の 資 金 で 3 、

4

ヶ 月 か け て 語 学 を 学 び 、 現 地 の 情 勢 を あ る 程 度 把 握 し て か ら 仕 事 を 始 め て 大 学 で 学 ぶ 費 用 を 賄 う つ も り だ っ た 。し か し 渡 米 後 間 も な く 、 サ ン フ ラ ン シ ス コ で 日 本 の 陶 器 を 扱 い 、 渡 米

1

年 足 ら ず で 店 舗 も 所 有 し て い た 日 本 人 男 性 に 、商 材 を 仕 入 れ る 為 だ と 頼 ま れ て 資 金 の 殆 ど を 貸 し た 。し か し

10

日 後 に 店 舗 へ 行 っ て み る と 、「 澤 山 の 人 が 集 ま つ て 、店 の 品 物 を 競 賣 し て い る 」( 大 山 ,

1949

p.45

) 状 況 に 遭 遇 し 、 そ の 男 性 が 事 業 に 失 敗 し た こ と を 知 っ た 。 こ れ に よ り

100

ド ル 以 上 、 つ ま り 福 音 会 で 生 活 し 続 け る と 仮 定 す れ ば

10

ヶ 月 分 以 上 の 貯 蓄 が 、約

2

週 間 で 喪 失 し た 。 当 初 の 予 定 が 完 全 に 狂 っ た 星 は 、 土 地 柄 も 言 語 も 覚 束 な い 中 、 急 遽 職 を 求 め る こ と と な っ た 。

生 活 資 金 と 大 学 の 学 資 の 為 、 星 は ス ク ー ル ・ ボ ー イ と し て 働 く こ と を 決 め た 。 ス ク ー ル ・ ボ ー イ と は 当 時 サ ン フ ラ ン シ ス コ に 存 在 し て い た 労 働 慣 習 で 、 朝 晩 の 家 事 の み の 為 に 雇 わ れ 、 日 中 は 学 校 に 通 う と い う も の で あ る 。 雇 い 主 は 主 と し て 、 英 語 に 堪 能

(14)

で な い 、 体 格 面 で も 優 れ て い な い 日 本 人 や 中 国 人 を 雇 用 し て で も 使 用 人 の 人 件 費 を 節 約 し た い 、 裕 福 で は な い が 貧 し く も な い 家 庭 だ っ た 。 し か し 当 初 、 星 の 語 学 力 は 充 分 で な く 、 サ ン フ ラ ン シ ス コ の 家 庭 環 境 も 把 握 し て お ら ず 、 家 事 手 伝 い そ の も の の 経 験 も 無 か っ た こ と か ら 失 敗 が 続 き 、「

Mr. O.D. Hoshi

」( 大 山 ,

1949

p.48

)、「 追 い 出 さ れ の 星 」( 星 薬 科 大 学 史 編 纂 委 員 会 編 ,

1991

p.9

) と あ だ 名 さ れ る ほ ど 仕 事 が 長 続 き し な か っ た 。 失 敗 の 原 因 は 殆 ど が ケ ア レ ス ミ ス と 思 い 違 い に よ る も の だ っ た 。 そ れ で も 星 は 米 国 の 大 学 で 学 ぶ と い う 当 初 の 計 画 を 諦 め ず 、 雇 わ れ て は す ぐ に 解 雇 さ れ る と い っ た こ と を

25

回 繰 り 返 し た 。こ の 状 況 を 受 け た 福 音 会 の 日 本 人 ス ク ー ル・ボ ー イ 達 は 、 失 敗 続 き の 星 の 存 在 は 彼 ら 全 体 の 信 用 に 関 わ り 、 日 本 人 は 役 に 立 た な い と い う 風 評 が 広 が っ て 自 分 達 の 雇 用 も 脅 か さ れ る と 考 え 、 星 を ス ク ー ル ・ ボ ー イ と し て 紹 介 し な い よ う に し よ う と 決 議 し た ほ ど だ っ た 。 し か し 日 本 人 苦 学 生 か ら の 糾 弾 の 中 で も 星 は ス ク ー ル ・ ボ ー イ を 続 け た 。

星 は 渡 米 し た 当 時 、サ ミ ュ エ ル・ス マ イ ル ズ の 著 し た『 自 助 論 』3)を 友 人 か ら 借 り て 読 ん だ 。 同 書 で は 多 様 な 成 功 者 お よ び 偉 人 の エ ピ ソ ー ド を 挙 げ 、 努 力 と 決 意 、 知 恵 や 理 解 力 の 重 要 性 、 教 育 の あ る べ き 姿 に つ い て 語 ら れ て お り 、 こ の 自 助 論 と 、 若 く し て 教 員 と な っ て 他 者 を 指 導 し た こ と が 、 そ の 後 教 育 事 業 へ 傾 注 し た 理 由 の

1

つ と 考 え ら れ る 。 ま た ア メ リ カ に 着 い て 間 も 無 く 購 入 し た 古 本 の 中 の 、「「 私 は 何 事 か を 為 す で あ ろ う , そ し て そ れ は 世 界 に 於 て の 或 る も の 」(

I will do something and something in the world.

)」( 星 薬 科 大 学 史 編 纂 委 員 会 編 ,

1991

p.6

)、「「 死 は 来 た れ , 彼 女 は 私 が 既 に 準 備 が 出 来 て い る こ と を 見 出 す で あ ろ う 」(

Death may come, she will find me, I am all ready.

)」( 同 書 , 同 ペ ー ジ ) と い う

2

句 は 、 星 に と っ て 後 々 ま で の 指 針 と な っ

た 。

彼 は そ の 後 、 誰 も 行 き た が ら ず 、 勤 め た 者 が

1

人 と し て 長 続 き し な か っ た 、 相 場 よ り も 給 料 が 安 く 待 遇 の 悪 い 家 庭 を 友 人 か ら 紹 介 さ れ た 。 待 遇 と 給 料 に つ い て は 評 判 通 り の 家 だ っ た が 、 星 は 「 ど ん な こ と を 言 い つ け ら れ て も 実 行 し よ う 。 絶 対 に 口 応 え せ ず に 一 所 懸 命 働 こ う 」( 星 薬 科 大 学 史 編 纂 委 員 会 編 ,

1991

p.9

) と 決 意 し 、 ア メ リ カ に お い て 初 め て 雇 用 を 打 ち 切 ら れ ず 、 仕 事 を 評 価 さ れ て 給 料 を 受 け 取 っ た 。

1

週 間 分 の 給 料 は

1

ド ル

25

セ ン ト だ っ た 。彼 は そ の 家 庭 で 4 ヶ 月 間 勤 務 し て 付 近 の 小 学 校 に

4

年 生 と し て 入 学 し た 。 渡 米 後 、 星 が 学 ん で き た の は 家 事 全 般 の 雑 用 と 、 そ こ で 用 い ら れ る 最 低 限 の 英 語 の み だ っ た の で 、 大 学 で 学 ぶ 為 に 必 要 な 語 学 を 習 得 し よ う と 考 え た の で あ る 。 こ の 時 星 は

22

歳 だ っ た 。『 星 一 評 伝 』 に は 当 時 の 学 習 様 式 に つ い て の 記 述 が あ り 、「 歴 史 の 時 間 な ぞ は 、四 、五 頁 も あ る 教 科 書 の 要 領 を 百 字 に 縮 め て 書 か せ 、そ の 内 か ら 、 よ く 出 来 た も の を 、 先 生 が 読 み 乍 ら 、 教 え る と い う 式 で 、 教 え る と い う よ り も 、 研 究 が 主 で 、 生 徒 は 家 で 、 字 も 習 い 、 詩 も 書 き 、 數 學 も し て く る と い う 具 合 だ っ た 」( 大 山 ,

1949

p.50

)。 こ の 小 学 校 で の

3

ヶ 月 間 は 、 そ の 後 の 星 の 学 業 に 大 き く 貢 献 し た 。初 等 教 育 で は あ っ た も の の 、学 ぶ べ き 内 容 を 授 業 内 で 詰 め 込 む の で は な く 、

(15)

自 ら 探 し 求 め 、 考 え る こ と で 理 解 を 深 め る と い う 方 式 で あ っ た こ と が よ り 教 育 効 果 を 高 め た と 考 え ら れ る 。 星 が 教 育 の 在 り 方 に つ い て 「 私 は 学 問 販 売 所 で は な い “ ほ ん と う の 人 ”を 造 る 大 学 に し た い

.

“ 誠 の 人 間 ”を 造 る 大 学 に す る つ も り だ

.

学 校 設 立 の 目 的 は 人 の 必 要 を 感 じ た か ら で あ り ま す 」( 三 澤 ,

1989

p.115

) と 語 っ た の は 、 こ の 時 の 体 験 が 基 礎 と な っ て い る と 推 測 さ れ る 。 そ の 後 は 雇 い 主 の 信 頼 を 得 る よ う 努 め 、 特 に 星 を 高 く 評 価 し た ア ペ ン ジ ャ ー 家 か ら 学 資 を 援 助 す る の で サ ン フ ラ ン シ ス コ の 大 学 に 行 く よ う 勧 め ら れ る ほ ど に な っ た 。

こ の 、「 追 い 出 さ れ の 星 」か ら の 脱 却 は 、星 に と っ て 忍 耐 力 を 身 に つ け る 以 上 の 意 味 を 持 っ て い た 。ス ク ー ル・ボ ー イ と し て ア メ リ カ 西 海 岸 の 中 流 家 庭 を 経 験 し た こ と で 、 将 来 の 日 本 の 消 費 者 像 を イ メ ー ジ 出 来 た 。

ま た

2.4

で 述 べ た 通 り 、 滞 米 中 の 星 は 市 販 薬 の 服 用 で 健 康 維 持 を 図 っ た が 、 こ れ は 彼 独 特 の 習 慣 で は な か っ た 。 ア メ リ カ で は

1852

年 に ア メ リ カ 薬 剤 師 会 の フ ィ ラ デ ル フ ィ ア 大 会 で 不 良 薬 品 の 使 用 阻 止 が 議 題 と な り 、

1882

年 に は ア メ リ カ の 薬 局 方 で あ る

U.S. Pharmacopoeia

”が 公 布 さ れ 、同 年 に 全 米 薬 卸 協 会 が 設 立 さ れ て い る 。ま た

1906

年 に は 国 内 で 氾 濫 す る 医 薬 品 の 監 視 と 管 理 を 可 能 に す る ワ イ リ ー 法 が 議 会 を 通 過 し て い る 。 こ れ ら を 見 て も 分 か る 通 り 、 星 が 滞 在 し て い た 当 時 の ア メ リ カ の 家 庭 に は 多 様 な 市 販 薬 が 普 及 し て い た 。『 星 一 評 伝 』中 に も「 ア メ リ カ に は 當 時 頭 の 痛 い の が す ぐ 直 る 藥 や 、 風 邪 を ひ い た 時 に 熱 の す ぐ 下 る 藥 ( 今 の ア ス ピ リ ン 錠 ) が 相 當 大 衆 化 し て い た 」( 大 山 ,

1949

p.118

) と の 記 述 が あ る 。 星 が 起 業 の 際 、 最 初 の 商 品 と し て 選 択 し た ア ン モ ニ ア 入 り の 湿 布 薬 も 一 般 的 に 用 い ら れ て い た 。 こ の 時 の 体 験 が 、 星 製 薬 設 立 に 大 き く 影 響 し た と 言 え る 。

ま た 星 は サ ン フ ラ ン シ ス コ の 福 音 会 で 安 田 作 也 と 再 会 し 、安 樂 榮 治 と 出 会 っ て い る 。 安 樂 と は 初 対 面 だ っ た が 彼 は 鹿 児 島 県 出 身 者 で あ り 、 日 本 に 居 た 頃 、 行 商 を し な が ら 西 日 本 を 見 学 す る 星 の 記 事 を 読 ん で い た 。 サ ン フ ラ ン シ ス コ の 煙 草 会 社 で 勤 務 し て い た 安 樂 は 星 と 交 流 を 深 め 、 星 が ニ ュ ー ヨ ー ク に 移 り 住 ん だ 後 に は 彼 と 共 に 新 聞 社 を 共 同 経 営 し 、後 に 星 製 薬 会 社 が 設 立 さ れ た 時 は 経 営 に 参 画 し て い る 。大 正

11

年 上 半 期 の 星 製 薬 株 式 会 社 営 業 報 告 書 に は 常 務 取 締 役 に 安 樂 の 名 が 記 載 さ れ て お り 、 星 が 同 社 に お い て 彼 の 役 割 を 重 視 し て い た こ と が 分 か る 。

安 田 は 星 に 呼 び 寄 せ ら れ る 形 で 渡 米 し 、 星 が ニ ュ ー ヨ ー ク へ 行 く 際 、 彼 を 信 頼 し て 学 費 の 援 助 を 申 し 出 た ア ペ ン ジ ャ ー 家 を 紹 介 さ れ て 熱 心 に 勤 務 し 星 同 様 信 頼 を 得 て い た が 、事 故 で 死 去 し た 。星 は 、後 に ニ ュ ー ヨ ー ク を 訪 れ た 杉 山 茂 丸 に 彼 の 死 を 伝 え た 。 ス ク ー ル ・ ボ ー イ の 仕 事 に 習 熟 し つ つ あ っ た 星 は 、 同 時 に 福 音 会 に 居 る 日 本 人 の 暮 ら し ぶ り に 危 機 感 を 覚 え て い た 。 ス ク ー ル ・ ボ ー イ と し て 働 い て い る 日 本 人 に は そ の 日 の 暮 ら し が 成 り 立 つ こ と で 満 足 し て し ま い 、向 上 心 を 喪 失 し た 者 が 見 ら れ た 。「 怠 惰 も 傳 染 性 を 有 す 、治 療 す べ し 」( 星 ,

1923

p.37

)と 記 し て い た 星 は そ の 治 療 法 と し て 、 か つ て 新 た な 文 化 を 学 ぶ 為 に 東 京 へ 遊 学 し た よ う に 、「 早 く 東 部 の ア メ リ カ 文 明 の 中 心

(16)

に 行 き 、 西 歐 文 明 の 眞 髄 に ふ れ て 見 度 い と 考 え る 様 に な っ た 」( 大 山 ,

1949

p.51

)。 星 は

1897

年 に ニ ュ ー ヨ ー ク に 到 着 し 、ブ ル ッ ク リ ン の 日 本 人 教 会 に 寄 宿 し た 。そ し て 大 学 の 費 用 を 賄 う 為 、 サ ン フ ラ ン シ ス コ を 発 つ 前 に 日 本 人 か ら 仕 入 れ て い た ド ロ ー イ ン グ ・ ワ ー ク 4)用 の 布 を 商 材 と し て 行 商 を 行 っ た 結 果 、 ス ク ー ル ・ ボ ー イ の 給 料 を 大 き く 上 回 る 収 入 を 得 た 。星 は こ の 体 験 を 元 に 、

1858

年 ニ ュ ー ヨ ー ク で 開 店 し た 百 貨 店 の メ イ シ ー ズ に 行 き 、 支 配 人 に 面 会 し て ド ロ ー イ ン グ ・ ワ ー ク 販 売 の 為 の ス ペ ー ス を 借 り 、 売 り 上 げ の 一 部 を テ ナ ン ト 料 と し て 支 払 う 提 案 を 行 っ た 。 支 配 人 は 星 の ア イ デ ア を 歓 迎 し た が 、 そ の 後 ド ロ ー イ ン グ ・ ワ ー ク の 仕 入 れ 値 が 当 初 の 予 想 以 上 に 高 額 で あ る こ と が 分 か っ た 。 結 局 供 給 面 で の 不 安 定 さ を 指 摘 さ れ 、 顧 客 に 対 す る 信 用 を 失 い か ね な い と い う 理 由 で 商 談 が 立 ち 消 え と な っ た 。 こ の 経 験 は 、 星 が 後 に 設 立 す る 製 薬 事 業 の 販 売 組 織 に お い て チ ェ ー ン ス ト ア 形 式 を 採 用 し 、 商 材 の 安 定 供 給 と い う 課 題 を 解 決 し た こ と に 繋 が っ て い る 。

そ の 後 星 は ニ ュ ー ヨ ー ク 大 学 を 受 験 し た が 、 ア メ リ カ の 地 理 に つ い て ほ ぼ 学 習 し て お ら ず 、 不 合 格 と な っ た 。 ド ロ ー イ ン グ ・ ワ ー ク の ビ ジ ネ ス が 実 現 し な か っ た の で 、 彼 は 再 び 使 用 人 と し て 職 を 得 る こ と と な っ た 。 約

3

ヶ 月 間 働 い て 入 学 金 を 貯 め た 後 、 コ ロ ン ビ ア 大 学 を 受 験 し た 。 当 時 の コ ロ ン ビ ア 大 学 は 専 門 学 校 の 卒 業 生 で あ れ ば ペ ー パ ー テ ス ト を 省 略 し て 入 学 で き る と い う 制 度 を 有 し て い た 。 そ こ で 、 星 は 自 ら の 卒 業 し た 私 立 東 京 商 業 学 校 の 授 業 内 容 や 学 科 の 科 目 を 説 明 し た 結 果 、 大 学 側 が 星 を 専 門 学 校 卒 業 生 と 認 め 、 入 学 が 許 可 さ れ た 。 当 時 の コ ロ ン ビ ア 大 学 の 授 業 料 は 年 間

150

ド ル で 、 星 の 経 済 力 で は 規 則 通 り に 学 費 を 納 入 す る こ と が 出 来 な か っ た 。 そ こ で 星 は 大 学 と 交 渉 し 、 年 間 に 受 講 で き る 講 義 を 通 常 の 半 分 と し 、 学 費 も 半 額 と す る こ と を 納 得 さ せ た 。

2 . 2 .

2 . 2 . 6 6 6 6 コ ロ ン ビ ア 大 学 時 代 コ ロ ン ビ ア 大 学 時 代 コ ロ ン ビ ア 大 学 時 代 コ ロ ン ビ ア 大 学 時 代

1897

( 明 治

30

) 年

10

月 、 コ ロ ン ビ ア 大 学 に 入 学 し た 星 は 、 政 治 経 済 科 で 政 治 学 、

経 済 学 、 統 計 学 、 歴 史 を 学 ん だ 。 特 に 統 計 学 と 経 済 学 か ら 得 た 知 識 は 、 星 製 薬 の 起 業 お よ び 成 長 の 原 動 力 と な っ た 。

4

年 在 学 し た 後 で マ ス タ ー オ ブ ア ー ツ を 取 得 し た 。 星 は 米 国 に つ い て 、「 合 衆 国 は 古 い ヨ ー ロ ッ パ と 新 し い 東 洋 と の 間 に 在 っ て ,学 校 殊 に コ ロ ン ビ ア 大 学 は , 自 由 , 進 歩 的 の 教 育 で あ り , 合 衆 国 民 の す べ て が 親 切 で , 楽 観 的 , 進 取 的 , 協 力 的 で あ っ て , 私 の 今 日 あ る は , ひ と え に ア メ リ カ の お か げ と 喜 び , 感 激 し て い る も の で あ る 」( 星 薬 科 大 学 史 編 纂 委 員 会 編 ,

1991

pp.5-6

) と 語 っ て い る 。

コ ロ ン ビ ア 大 学 在 学 中 、 星 は こ れ ま で 同 様 住 み 込 み の 使 用 人 と し て 生 計 を 立 て て 学 費 を 捻 出 し た 。し か し『 星 一 評 伝 』に は 、「 機 會 あ る 毎 に 至 る 處 で 、信 念 と强固 な 意 志 で 信 頼 を 築 き 、獨 特 の 境 地 を 開 拓 し て 行 っ た 」( 大 山 ,

1949

p.74

)と 、当 座 の 収 入 と 、 信 用 を 勝 ち 得 る こ と が 等 価 で あ る と 考 え て い た こ と を 窺 わ せ る 記 述 が あ る 。 例 を 挙 げ る と 、 彼 は フ ェ ア チ ャ イ ル ド と い う 銀 行 家 の 家 庭 で 勤 務 し て い た 時 、 来 客 か ら の チ ッ

(17)

プ を 断 り 、 そ の 理 由 を 訊 ね ら れ る と 、 毎 月 の 給 料 以 外 は 受 け 取 る 理 由 が な い と 答 え 、 チ ッ プ と い う ア メ リ カ の 慣 習 を 理 解 し な が ら も 、 自 ら の 信 条 で 行 動 す る 意 志 を ア ピ ー ル し て い た 。 星 は 後 述 す る 英 文 月 刊 誌 の 刊 行 で 行 き 詰 っ た 際 、 同 家 を 訪 ね て 資 金 繰 り に つ い て 相 談 し 、 結 果 と し て

300

ド ル の 融 資 を 得 ら れ た 。 他 者 に 感 銘 を 与 え 、 信 用 を 得 る と い う 行 為 が 実 利 に 結 び つ く と い う 体 験 が 、 後 の 啓 蒙 教 育 活 動 の 推 進 へ と 繋 が っ て い っ た と 考 え ら れ る 。

ま た コ ロ ン ビ ア 大 学 在 学

3

年 目 に 勤 め た ス テ キ ニ ー 家 で も 同 様 の 考 え 方 に 基 づ い て 行 動 し 、 一 家 の 信 用 と 敬 意 を 得 た 。 学 習 時 間 を 確 保 し よ う と 考 え た 星 は 、 自 身 の 置 か れ た 状 況 を 説 明 し た 後 、 住 み 込 み で 働 い て い る 自 分 の 給 料 を ゼ ロ と し 、 そ れ ま で 払 わ れ て い た 給 料 分 で 女 性 を 雇 用 し 労 働 を 分 担 す る こ と を 提 案 し た 。 当 時 、 男 性 と 女 性 の 給 与 額 に は 大 き な 差 が あ り 、 ス テ キ ニ ー 家 は 彼 の 提 案 に よ っ て 人 件 費 を 節 約 で き た 。 彼 は 自 ら の 目 標 と 現 状 を 説 明 し 、譲 歩 で き る 範 囲 内 で 相 互 に 利 益 の あ る 条 件 を 提 示 し 、 信 用 を 損 な わ な い ま ま 契 約 内 容 の 変 更 に 成 功 し た の で あ る 。 こ れ は 、 ス ク ー ル ・ ボ ー イ や 住 み 込 み の 使 用 人 と し て 勤 務 す る 間 に 星 が 体 得 し た ビ ジ ネ ス ス キ ル と 言 え る 。

星 は 学 習 時 間 の 確 保 に 成 功 し た が 、 次 年 度 の 学 費 を 調 達 す る 必 要 に 迫 ら れ た 。 そ こ で 、 彼 は 住 み 込 み の 使 用 人 と し て 働 く 以 外 に 日 本 の 新 聞 や 雑 誌 を 英 訳 し て 出 版 社 に 販 売 す る こ と と し 、 ス テ キ ニ ー 家 の 家 人 も 星 の 活 動 に 協 力 し た 。 こ の 時 、 ス テ キ ニ ー 家 か ら は 星 に 対 し て 通 学 費 用 支 給 の 申 し 出 が あ っ た が 、 星 は こ れ を 辞 退 し 、 代 わ り に 自 分 が 翻 訳 し た 記 事 の 添 削 を 依 頼 し た 。 こ の 申 し 出 は 同 家 か ら の 信 頼 と 敬 意 を 増 す 結 果 と な り 、 星 に と っ て は 少 額 の 交 通 費 分 と 引 き 換 え に 相 手 の 頭 脳 労 働 を 得 る 交 渉 で あ っ た と 言 え る 。 仮 に 外 部 に 添 削 を 依 頼 す れ ば 、 交 通 費 を 遥 か に 超 え る 費 用 が 発 生 し た と 考 え ら れ る か ら で あ る 。 結 果 、 安 定 し て コ ロ ン ビ ア 大 学 の 学 費 を 納 入 で き る よ う に な っ た 。 ま た 同 家 で 勤 務 し て い る 時 、 天 長 節 を 祝 う 領 事 館 の 祝 賀 会 に お い て ス ピ ー チ を 依 頼 さ れ 、 こ れ を 成 功 さ せ た 。 こ の 時 も ス テ キ ニ ー 家 は 原 稿 の 添 削 や 発 表 の 指 導 で 星 を 援 助 し た 。 星 は 在 米 中 多 く の 著 名 な 日 本 人 と 知 り 合 っ て い る が 、 こ れ は こ の ス ピ ー チ が 好 評 を 博 し た こ と も 理 由 の

1

つ と 言 え る 。 こ の 事 実 も 、 星 に 自 分 の 考 え 方 が 正 し か っ た こ と を 実 感 さ せ た 。

英 訳 記 事 の 販 売 か ら ヒ ン ト を 得 た 星 は 、 日 本 語 の 新 聞 『 日 米 週 報 』 を 発 行 し た 。 新 聞 社 立 ち 上 げ に つ い て 、星 は「 日 米 文 化 の 為 に 尽 く す 所 あ ら ん と し た 」( 星 薬 科 大 学 史 編 纂 委 員 会 編 ,

1991

p.7

)と 語 っ て い る が 、そ れ に 加 え て 東 海 岸 に 居 住 す る 日 本 人 が 西 海 岸 と 比 較 し て 裕 福 で 社 会 的 地 位 も あ り 、 新 聞 の 購 読 者 と し て 期 待 で き る と い う 面 も あ っ た と 考 え ら れ る 。 こ の 『 日 米 週 報 』 が あ る 程 度 の 成 功 を 収 め た 後 、 星 は サ ン フ ラ ン シ ス コ で 出 会 っ た 安 樂 を ニ ュ ー ヨ ー ク に 呼 び 、 彼 を 社 の 共 同 経 営 者 と し た 。 こ の 事 業 は 天 長 節 で の ス ピ ー チ と 合 わ せ 、 星 の 存 在 を よ り 一 層 在 米 日 本 人 に 印 象 付 け る も の と な っ た 。 ま た 星 は

1899

( 明 治

32

) 年 、『 日 米 週 報 』 の 記 事 に 用 い る イ ン タ ビ ュ ー の 為 に 新 渡 戸 稲 造 と 交 流 し て い る ( 三 澤 、

2012

)。

(18)

1900

( 明 治

33

)年 、コ ロ ン ビ ア 大 学 在 学 中 だ っ た 星 は 、国 外 視 察 の 途 中 ニ ュ ー ヨ ー

ク を 訪 問 し た 、 衆 議 院 議 長 大 岡 育 造 の 要 請 を 受 け 、 米 国 の ト ラ ス ト お よ び 通 信 交 通 機 関 の 調 査 を 行 っ た 。 統 計 学 を 専 攻 し て い た 星 は 資 料 を 収 集 す る と 共 に 、 諸 官 庁 に 申 し 入 れ て 公 的 お よ び 私 的 通 信 、 交 通 機 関 の 見 学 、 案 内 を 務 め 、 逓 信 省 に 送 る 為 の 報 告 書 を 作 成 し た 。 星 の 卒 業 論 文 タ イ ト ル が 「 ア メ リ カ に お け る ト ラ ス ト 」 と な っ た の は 、 こ の 件 が き っ か け と な っ た と 考 え ら れ る 。

星 の 実 績 を 高 く 評 価 し た 大 岡 は 欧 州 視 察 へ の 同 行 を 強 く 要 請 し 、星 も こ れ に 応 じ た 。 大 岡 は 英 国 、 フ ラ ン ス で 各 種 調 査 を 行 っ た 後 、 帰 国 の 為 ド イ ツ へ 渡 っ た が 、 そ の 際 、

1900

年 に 開 催 さ れ た パ リ 万 国 博 覧 会 に お い て 、星 を 中 央 新 聞 の 特 派 員 と い う 扱 い で 滞

在 さ せ て い る 。 ま た 博 覧 会 開 催 を き っ か け と し て 、 同 地 で 万 国 新 聞 記 者 大 会 が 開 催 さ れ る こ と と な っ た 。 中 央 新 聞 の 特 派 員 だ っ た 星 は 此 処 に 参 加 し 、 パ リ で 再 会 し た 新 渡 戸 の 助 け を 得 て 「 日 本 の 新 聞 の 過 去 と 現 在 」 と い う タ イ ト ル で ス ピ ー チ を 行 い 、 好 評 を 博 し た 。 こ の 経 験 も ま た 、 星 に 広 告 宣 伝 活 動 の 重 要 性 を 認 識 さ せ た 。 ま た 、 ニ ュ ー ヨ ー ク で 杉 山 茂 丸 の 紹 介 に よ り 伊 藤 博 文 と 出 会 っ て 彼 の 私 設 秘 書 と な っ て い る 。更 に 、 星 は コ ロ ン ビ ア 大 学 を 卒 業 し た

1901

( 明 治

34

)年 の

8

月 か ら

1904

7

月 ま で 農 商 務 省 の 海 外 実 業 練 習 生 と い う 扱 い に な っ て い る ( 農 商 務 省 商 工 局 ,

1914

p.24

)。

卒 業 後 は 英 語 の 月 刊 誌 『

Japan and America

』 を 発 行 し た が 、 経 営 は 大 変 困 難 な も の で あ り 、

1902

年 に 一 時 帰 国 し て 資 金 調 達 に 奔 走 し 、杉 山 茂 丸 の 紹 介 で 台 湾 総 督 府 民 政 局 長 で あ っ た 後 藤 新 平 か ら

5,000

円 を 借 り た り 、 米 国 農 商 務 省 か ら 年

900

円 の 補 助 金 を 支 給 さ れ た り し て 事 業 を 維 持 し た が 、 経 営 難 を 脱 す る こ と は 出 来 ず 、『 日 米 週 報 』 を 知 人 に 譲 渡 し て 帰 国 し た 。

3 3

3 3 星 一 の 企 業 家 活 動 星 一 の 企 業 家 活 動 星 一 の 企 業 家 活 動 星 一 の 企 業 家 活 動

3 3

3 3 . 1 . 1 . 1 . 1 企 業 家 を 志 す 企 業 家 を 志 す 企 業 家 を 志 す 企 業 家 を 志 す

星 は

1906

( 明 治

39

) 年 に 帰 国 し 、 事 業 を 行 う 為 の 資 金 を 調 達 す る た め に ア メ リ カ 貿 易 商 会 横 浜 支 店 に 勤 務 し 、 ま た 朝 鮮 総 監 と な っ た 伊 藤 博 文 に 随 伴 し て 朝 鮮 に 行 っ た 後 、 大 衆 性 の あ る 事 業 を 始 め よ う と 思 い 立 ち 、

1

ヶ 月 間 新 橋 か ら 上 野 ま で の 商 店 や 商 品 を 調 査 し た 。星 は 朝 の

7

時 に 新 橋 を 出 発 し て

1

1

軒 立 ち 寄 り 、

12

時 に 上 野 に 着 い た 後 、 来 た 道 を 引 き 返 し な が ら 通 り の 反 対 側 の 商 店 を 調 べ た 。 そ の 結 果 、

3

業 種 を 候 補 と し た 。

1

つ 目 は 外 出 に は 欠 か せ な い 消 耗 品 を 扱 う 下 駄 屋 で あ る 。

2

つ 目 は 同 じ く 生 活 必 需 品 を 扱 う 金 物 屋 で あ る 。 金 物 屋 に つ い て 、 星 は 米 国 滞 在 中 、 シ モ ン ズ ハ ー ト ウ ェ イ と い う 金 物 屋 の 販 売 制 度 を 研 究 し て い た 。そ し て

3

つ 目 が 薬 屋 で あ る 。

2.4

で 述 べ た 通 り 、 星 は 滞 米 中 、 身 体 に 異 変 を 感 じ る 度 に 薬 を 飲 ん だ 。 市 販 薬 は ア メ リ カ 、 日 本 共 に 一 般 家 庭 へ 普 及 し て お り 、 今 後 更 な る 需 要 増 が 見 込 ま れ て い た 。

そ し て 少 な い 資 本 で 始 め る 以 上 、 少 資 本 か つ 資 金 回 収 が 早 い 事 業 を 選 ぼ う と 考 え て い た 折 、 消 炎 、 殺 菌 剤 と し て 使 用 さ れ る イ ヒ チ オ ー ル を 湿 布 薬 と し て 用 い る 研 究 に 行

表 1 : 売 薬 業 界 推 移   年   売 薬 印 紙 税 額( 円 ) 売 薬 営 業 者 数   1 9 0 1   ( 明 治 3 4 )   1 , 2 1 1 , 6 3 0   N/A 1 9 0 2   ( 明 治 3 5 )   1 , 2 3 1 , 2 2 0   N/A 1 9 0 3   ( 明 治 3 6 )   1 , 2 3 6 , 1 5 8   N/A 1 9 0 4   ( 明 治 3 7 )   1 , 1 8 9 , 4 1 4   N/A 1 9 0 5
表 3 : 薬 種 商 試 験 合 格 率   出 所 : 星 薬 科 大 学 史 編 纂 委 員 会 ( 1991 ) 167 頁 表 3 に 星 薬 業 講 習 会 お よ び 星 製 薬 商 業 学 校 参 加 者 の 試 験 合 格 率 を 示 す 。 学 校 設 立 の 目 的 の 1 つ が 達 成 さ れ た 証 明 と 言 え る 。 星 製 薬 商 業 学 校 で は 製 造 か ら 販 売 に 至 る ま で の 薬 品 知 識 に 加 え 、 政 治 、 社 会 、 商 業 道 徳 に
表 4 に 星 製 薬 商 業 学 校 カ リ キ ュ ラ ム を 示 し た 。 星 製 薬 商 業 学 校 で は 講 習 会 同 様 、 専 門 家 を 招 い て 製 造 か ら 販 売 に 至 る ま で の 薬 品 知 識 に 加 え 、 政 治 、 社 会 、 商 業 道 徳 に つ い て の 講 義 が 行 わ れ た 。 ま た 修 身 と 共 に 「 星 氏 哲 理 」 と い う 科 目 が 置 か れ 、 星 に よ る 思 想 教 育 が 行 わ れ て い た 事 が 示 さ

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