ミャンマー社会におけるインターネット技術の導入と
「ウェパンイェネーペー」の再編
- 2009 年の医療ミス問題を巡って-
The re-formation of "Wepanye Nepe" and the introduction of the Internet technology in the Myanmar society
HTET HTET NU HTAY テッ テッ ヌ ティー
Based on the premise that the manifestation of the popular will, Wepanye Nepe, has existed in Myanmar society since the period of military dictatorship, this paper examines how the introduction of internet technology has effected a reorganization of Wepanye Nepe and what changes it has brought to Myanmar society. The paper looks into three measures of accessing Wepanye Nepe, namely, rumor, CMC(computer-mediated communication), and weekly newspapers. Whereas these three measures have their respective characteristics, they also have limits. It is supposed that the mutual interactions of people who used these three measures of accessing Wepanye Nepe will cause an information chain reaction and expand Wepanye Nepe. Through conducting an analysis and field survey on the debates in Wepanye Nepe over the medical malpractice that took place in Yangon in 2009, the paper gives a detailed discussion on changes in Myanmar society and the process of such change. A starting point for discussion is the usability of CMC as well as the measures of accessing Wepanye Nepe. The case studies are therefore focused on people who use new access measures such as CMC.
The introduction of the new means of access, CMC, effected a reorganization of Wepanye Nepe. This paper gives suggestions about how significant Wepanye Nepe was in Myanmar’s democratization process. Democratization is a very large study area. However, this paper focuses on the process of democratization at a general public level and bases the discussion on case study analysis. It provides a starting point for ongoing research into citizen-level democratization in the fields of media and social informatics.
Summary
はじめに
本論文の目的は、ミャンマー社会iにおいて軍事独 裁政権時代から民衆の意志表明を行う「ウェパンイェ ネーペー(wepanye nepe)」が存在していたことを前 提とした上で、その時代にインターネット技術の導入 が「ウェパンイェネーペー」をどのように再編させた のか、ひいてはミャンマー社会にそのような変化をも たらしたのかを検証することである。すなわち、2000 年代後半からミャンマーの都市部を中心に、徐々に浸 透していったインターネットが、コミュニケーション・
ツールとして、どのような可能性をもったのかという 点をデータ分析から明らかにする。
近年において、日本など民主主義国家ではイン ターネットを介したコミュニケーション(Computer- Mediated Communication、以降CMC)が世論形成に影 響を及ぼすようになっている点が社会情報研究の中で 指摘されている。例えば遠藤は、インターネット技術 が社会に新たな共在の<場>を出現させていると言う
[遠藤 2004]。こうした理論をもとに、本論文ではミャ ンマー社会におけるCMCの活用性と「ウェパンイェ ネーペー」に対するアクセス手段を考察することを出 発点とする。ミャンマーはネーワィン社会主義政権時 代以降、ほぼ50年にわたって、言論統制が非常に厳 しかった。こうした社会において、「ウェパンイェネー ペー」が存在したことを、先行研究をもとに指摘する。
その上で、こうした「ウェパンイェネーペー」に人々 がいかにアクセスしていたのか、また従来いかなる限 界があったかについて、先行研究等を基にして論じる。
その上で、軍事政権末期である2009年に起きた医 療ミス問題に着目し「ウェパンイェネーペー」の内部 で生じた議論を検討する。さらに、「ウェパンイェネー ペー」にアクセスした人々に着目し、その行為をハン ナ・アレントの公共性理論の観点から捉える。本論文 の最後で、ミャンマーの民主化プロセスにおいて「ウェ パンイェネーペー」がどのような意義を持つかを示唆 したい。
1.「ウェパンイェネーペー」の定義と 理論的枠組み
始めに、「ウェパンイェネーペー」という用語につ いて説明を行う。「ウェパンイェ」 は、現地で用いら れるビルマ語(ビルマ語wepanye)である。文芸批評 家のミャズィンによると、ミャンマーでは議論するこ と、自分の立場または自分の視点から主張することを ウェパンイェと述べており、それは日本語で「批評」
と訳せるものである。文学界では作家や文人、評論家 などが批評することを目的にして集まる空間を「サー ペーウェパンイェネーペー」という単語で表現してい た[Mya Zin 1986]。何かを目的としてさまざまな人 が集まる「空間」をビルマ語ではネーペー(nepe)と 目次
はじめに
1.「ウェパンイェネーペー」の定義と理論的枠組み 1−2 先行研究と問題の所在
2.本論文における「ウェパンイェネーペー」のアク セス手段
2−1 「ウェパンイェネーペー」の広がり 3.「ウェパンイェネーペー」にアクセスする人々 3−1 医療ミス問題の概要
3−2 三つの手段における分析対象
3−3 「ウェパンイェネーペー」内の情報の流れ
3−3−1 週刊新聞 3−3−2 噂 3−3−3 CMC
3−4 「ウェパンイェネーペー」から「意志表明空 間」へ
3−4−1 週刊新聞 3−4−2 CMC 3−4−3 噂
3−5 問題の終息とその後 4.社会における影響力 おわりに
呼ぶ。したがって本論文では、種々の分野、背景を持っ た人々が集まり、様々なことに対して批評する空間を
「ウェパンイェネーペー」と呼ぶものとする。
本論文において「ウェパンイェネーペー」を理論的 に位置付ける試みとしてハンナ・アレントの公共性理 論を取り上げたい。政治学者のハンナ・アレントは公 的領域においてコミュニケーション活動を通じて公論 が形成されると指摘していた。さらに、アレントは公 的領域を二元論的に述べており、それは「出現の空 間」iiと「 共 通 の 世 界 」 で あ る[ ア レ ン ト 2011、
Anrendt 1998]。そして、言論に伴う人間の行為を「活 動」と見なし、次のように述べている。
人々が活動と言論において、自分が誰であるかを 示し、そのユニークな人格的アイデンティティを 積極的に明らかにし、こうして人間世界にその姿 を現す。しかし、その人の肉体的アイデンティティ の方は、別にその人の活動がなくても、肉体のユ ニークな形と声の音声の中に現れる。〔省略〕ほ とんどの言葉と行為は、活動し語る行為者を暴露 すると同時にそれに加えて、世界のある客観的な リアリティに係わっているのである。〔省略〕人 格の不変のアイデンティティは、活動と言論の 中に現れるが、それは触知できないものである。
触知できるようになるのは、活動者=言論者の 生涯の物語においてのみである[アレント 2011、
Anrendt 1998]。
アレントによれば「出現の空間」において活動する ことを通して「言葉と行為の共有」が生じ、そこに「共 通の世界」が生成するのである。さらに、ギリシャ哲 学者のアリストテレスが述べていたポリスを想定して、
アレントは人々が言論と活動の様式をもって共生して いるところでは必ず「出現の空間」が生じると主張し ている。続いてアレントは下記のように述べている。
ポリスとはある一定の物理的場所を占める都市―
国家ではない。むしろ、それは、共に活動し、共
に語ることから生まれる人々の組織である。この ポリスの真の空間は、共に行動し、共に語るとい う目的のために共生する人びとの間に生まれるの であって、それらの人々が、たまたまどこにいる かということは無関係である。〔省略〕出現の空 間は公的領域や様々な統治形態、つまり、公的領 域が組織されるさまざまな形態が、形式的に構成 される以前に、共存するものである。この空間は、
人間の手の仕事が作り上げる空間と違って、この 空間を生み出している運動が続いている間だけし か存在しない[アレント 2011、Anrendt 1998]。
アレントによると「出現の空間」において、活動す ることを通してコミュニケーション権力が生じる。そ して、アレントは「出現の空間」から、活動によるリ アリティを得て「共通の世界」と展開し、集団的性格 が表れてやがて活動から革命へと繫がることを主張し ていた[アレント 2011、Anrendt 1998]。本論文では こうしたアレントの公共性理論を踏まえつつ、事例分 析を通じてミャンマー社会における「ウェパンイェ ネーペー」の意義を理論的に考察することを試みる。
1 - 2 先行研究と問題の所在
これまで軍事政権に関して批評をはじめとする、
ミャンマーの市民社会における言論活動を分析した、
いくつかの先行研究を取り上げる。まずは、軍事政権 時代における言論状況、メディア状況を明らかにし なければならない。ミャンマーで言論統制は1962年 から始まっていた。社会主義政権時代の1962年、情 報省が設立された。同省が印刷出版登録条例を試行し、
出版検閲委員会を組織した。国内発行のすべての出版 物は、出版前に5部コピーして出版検閲委員会に提出 され、検閲を受けて許可されたもののみが出版される ことになる[Allot 1994]。1988年以降の軍事政権時代 には、出版検閲委員会はさらに情報を厳しく統制する ようになった。国内での新聞、週刊新聞を含むあらゆ る書籍は、出版検閲委員会の審査を受けるようになり、
1988年以前に出版されて市場に出回っている政治関 連の書籍すら、古書店から回収された。加藤は当時の 状況を下記のように述べている。
現在のビルマにおいて、言論は厳しく統制されて いる。出版物も厳しい検閲を経ないと公にできな い。ビルマで雑誌を買うと、糊ではりつけてあっ たり塗料で塗りつぶされたりしていて、読めない 個所を見つけることがある。せっかく書いた本が 出版できないということもままある[加藤 1997:
223]。
一方、ミャンマー社会の特徴的な情報伝達方法につ いて、土佐は、テレビなどが国民に情報を与えられな い中、ミャンマー社会では口コミや噂など人々の間で の会話が情報伝達に重要な役割を果たしていたと言う
[土佐1997:216-222]。土佐によるとミャンマーでは
お茶を飲みながら語り合う「お茶の輪」習慣があり、
お茶を囲んで話すことでさらに親しみが増え、そうし た人間関係を通じて情報が行き来する。情報伝達に主 な拠点となるのは喫茶店や市場であり、そこから口コ ミや噂で情報が広がって行く。場合によっては口コミ と噂が国民の声として伝える内容に対して、政権がマ スメディアを使用して事態を収拾することもあると述 べている[土佐 1997:216-222]。
さらに、土佐は、主に1990年代の事例をもとに、ミャ ンマーにおける噂は、言論統制が厳しい中その当時、
「popular resistance(民衆の抵抗手段)」、と考えること が可能で、噂は民衆の声を伝える重要な方法として、
政治に抵抗する目的でも用いられると示唆した。ただ し、積徳などの仏教行為を呪術的行為であるとする噂 などは、絶対的権力を維持している軍事政権の仏教的 意義をはずす役割は果たすが、仏教イデオロギーその ものを壊すわけではなく、その意味でスコットらが使 う意味での「弱者の武器」であると述べている[Tosa 2005:154-171]。
さらに、インターネット技術とミャンマー社会の事 情を検討してみよう。インターネット技術が導入さ
れ、一般の人々がインターネット技術について関心を 持ち始めたのは2000年代からだと言われている。技 術が導入されたものの、インターネット回線工事に多 額の費用がかかることや、英語が主流であり、イン ターネット検索やコミュニケーション・ツールとして 活用するには言語的バリアがあった。さらに、2002 年にはエレトロニック通信に関する法令(2/2002)と 2004年にはエレトロニック通信に関する法律(2004)
が定められた。それら法律の内容に関して理解してい る者は非常に少ないのだが、民主化運動を行う人はそ の法律で処刑されることが多くあるためインターネッ トの使用には政権から監視されていると言う警戒感を もっていた。2005年にはゾージー(Zaw Gyi)と言う ビルマ語フォントが開発された。ゾージーフォントを ミャンマー国内の民営のソフトウェア開発社のAlpha
Info-Teachが開発し、国内から配信しているプラネッ
ト・ニュースサイト(Planet.com.mm)に使い始めた。
ゾージーフォントの特徴は、インターネットから配 信されたフォントをダウンロードするだけで、コン ピューター内の設定を自動的に行い、再起動すればコ ンピューター上でビルマ語フォントを表示できるよう になる。文字入力が簡単にでき、またネット上で文字 化けせずきれいに表示できる。検索エンジンである
Googleにも対応しており、検索やメール、チャット
などGoogleのアプリがビルマ語で使用できるように
なった。ゾージーフォントはネット上に開設している ゾージーのホームページから無料で簡単にダウンロー ドできるため、海外にいる人々も簡単に使用できる点 は国境を越えてCMCを促進させた大きな要因であっ たと言える。または2005年以降にヤンゴンを中心に 割安の値段でインターネットが使用できるネットカ フェが多くオープンしてきたこともCMCを人々の間 に浸透させたのである。
チョードリーは2007年に起きたサフラン革命の動 員や広がり方、ミャンマーのメディア事情などを分析 し、インターネットは「市民の民主的な行動を促進す る上での新しいマスメディアモデルの効果」であると 指摘している。サフラン革命後にインターネット技術
がもたらしたインパクトとして、民衆の間にインター ネット技術に対する活用性の認識、政府によるイン ターネット検閲の強化、さらに2008年のサイクロン ナルギスをきっかけとした市民記者の誕生を考察し、
インターネット技術が民衆の新たな抵抗手段になりう ると示唆した[Chowdhury 2008]。
さらに、サフラン革命の際に、ブログを通じて情報 交換したことが日本のテレビ局を含む国際メディアで 報道された。2010年に発表されたアマラ論文ではこ れに対して、サフラン革命当初とその後のブログの増 加状況を分析し、独裁政権の下に置かれているミャン マーでは、ブログなどネット上でしか政治的な議論が できる場がないと主張した。ネット上で政治の議論を 行うのは国外の人々が中心であり、革命を起こせる 段階になるまでは、国内にいる人々もネット上の政 治的議論の場に参加する必要性があると述べていた [Amara 2010]。チョードリーとアマラはインターネッ ト技術を議論できる<場>を形成する手段として取り 上げていると言えよう。
これまでの先行研究を集約すると、噂とインター ネット技術をコミュニケーション・ツールとして活用 することによって、抵抗手段として、または政権に対 して批評する手段として可能性があったことが確認で きた。ただし、それぞれの手段に限界があった。まず、
本節の最初に述べた噂による手段について限界を述べ る。社会学者のシブタニによると噂「流言」とは「あ いまいな状況にともに巻き込まれた人々が、自分たち の知識を寄せあつめることによって、その状況につい ての有意味な解釈を行なおうとするコミュニケーショ ン」であると述べ、情報不足の人々によって「即興的 につくられるニュース」なのであって、「集合的な問 題解決の一形態」としてとらえられるものである[シ ブタニ 1985]。さらに噂のダイナミックスについて工 藤は19世紀フランス農民世界を研究対象にして噂の 発生条件、噂の伝播過程、噂に対して公権力の対応を 考察した。工藤によると噂は語り手と聞き手の直接接 触によって行われるコミュニケーションであり、人々 が時事問題の展開について不完全な知識しか持ってい
ない場合、「偏見の専制や見識の欠如」が生じる[工 藤 2012]。噂はミャンマー社会に土着している情報 伝達手段でありながらも、政策において「透明性」が なかったゆえ、軍事政権の重鎮=政策決定者という認 識が民衆の間に強まる中、軍事政権に対する偏見が先 入し、「軍事政権に対する好き嫌い」といった感情的 な批判が流布し、物事の全体像が見えなくなる側面も 否定できない。
インターネット技術の限界について考えるとチョー ドリーとアマラはインターネット技術を議論の<場>
を形成する手段として取り上げていた。確かに、イン ターネット技術では匿名性を活用できるため、政権が 統制するには難しいから国内の人々にとっても有力な 抵抗手段であろう。ただし、インターネット技術と言っ た技術を伴うものにはDigital Divide(情報格差)とい う反面がある。発展途上国であるミャンマー国内にお いてはインターネットカフェが大都会を中心に増えて きたものの、全国におけるインターネット普及率は
0.8%であるiii。大衆において浸透していない状況とも
言えるインターネット技術のみでは、特殊な人々に限 定された議論の<場>になりかねない。そのような<
場>とミャンマー社会は接点が乏しく、社会に反映す るにはインターネット技術のみでは程遠いのである。
すなわち、先行研究では軍事政権に対する抵抗手段と 批判すること、議論を行うことに対する手段の可能性 を論じていたのが、現実社会で起きた問題に対して 人々を動員させた、社会に影響を及ぼしたなど実践に おける社会的効果については未だ明らかにされていな い。
先行研究では、アクセス手段をそれぞれ個別に取り 扱うか、あるいはそのうち二つの手段を関連づけて考 察している。例をあげると、土佐の論文では噂とマス メディアを合わせて考察を行い、チョードリーとアマ ラはインターネット技術を活用した参加型対話形式や 市民記者について考察を行っていた。だが、上に考察 した通り、それぞれの手段には限界があった。土佐の 論文では、噂を民衆の声を伝える重要な方法として、
政治に抵抗する目的で伝えられている、噂を取り消す
ため政権がマスメディアを使用したと述べていた。こ の議論をもとに、さらに筆者は発信者、受信者を特定 しにくい噂は、日常的なコミュニケーション・ツール として民衆の間に土着し、最も普遍的な手段として
「ウェパンイェネーペー」にアクセスしていると分析 している。
土佐の論文では、マスメディアとして国営新聞を取 り上げていたのだが、国営新聞は軍事政権の傘下に置 かれており、噂を取り消すための公権力として使用さ れていた。要するに、噂のようなあいまいな状況に よってできた人々のコミュニケーションでもなく、イ ンターネット技術を用いた限られた一部の人間でしか 議論できない<場>でもなく、一定の信憑性もつ情報 と幅広く浸透しうるメディア、アクセス手段がミャ ンマー社会には欠けていたと言えるだろう。そこに 2000年代以降のインターネットが果たす役割に注目 する必要がある。こうした問題意識から、本論文では 先行研究で取り上げられていた噂とCMC手段に加え て、活字メディアである週刊新聞を取り上げ、三つの 手段が絡み合うことによって「ウェパンイェネーペー」
が再編する、その過程に着目するものである。
2.本論文における「ウェパンイェネーペー」
のアクセス手段
ここで、筆者はミャンマー国内の状況を考察し、上 記の情報格差を補うメディア手段について、述べてお きたい。ミャンマー社会は、識字率が94.89%あり、
活字メディアである週刊新聞は、都市部を中心に、非 常によく読まれており、分析対象として有効であると いえる。2006年にWeekly Eleven週刊新聞が主催し、
ヤンゴン市内で若者と中年代の1,000人に活字メディ アの使用に関する調査を行った。その調査に基づけば、
週刊新聞を読む人は34%に対し国営新聞を読む人は
18%だった。iv週刊新聞は新聞よりサイズが大きく、
写真が多く掲載され、紙質も良い。2010年発表のデー タによるとミャンマー全国で出版している週刊新聞は 152紙であり、その中、国内、国際の社会、経済など
情報全般を記載する情報週刊新聞は41紙ある。ミャ ンマーでは国営新聞が3紙のみであるため、週刊新聞 が、他社会における新聞と匹敵する公共メディアとし ての役割を果たしていると言える。週刊新聞の発行許 可を得られるのは軍事政権と繫がりが強い者が多く、
一つの出版社が、スポーツ新聞、芸能新聞、情報新聞 など異なるジャンルの週刊新聞や雑誌を発行すること が多い。週刊新聞は基本的にマネプールの目的で発行 されているとメディア業界では言われており、軍事政 権と繫がりが強いものであるとマネプールのために発 行許可を出し、出版内容は編集長に任せることが多い。
週刊新聞の発行部数は出版社の発表によると1万5千 部(Weekly Eleven週刊新聞の出版部数を参照)であ るが、本来はそれよりはるかに多く発行されていると 週刊新聞社に勤めているインフォーマントは言う。つ まり、資金プールの目的で、税収から逃れるために公 開する発行部数を本来の発行部数よりも少なく設定し ていると考えられる。週刊新聞には様々な情報を記載 できるが、これに関しても出版検閲委員会から厳しく 情報統制されている。
一方で、インターネット技術の導入が週刊新聞にお ける情報の取り扱い範囲を広めた。2008年に、下ビ ルマ(ミャンマー南部)を中心にサイクロンナルギス が直撃し、大きな被害が出たが、直撃の後に発行され た週刊新聞は、被害状況をいち早く取り上げていた。
ある週刊新聞の担当者の話によると災害によってビル の崩壊が起き検閲機関が一時休業することになったと 言う。そのため、週刊新聞は検閲機関に提出した原稿 に加え、被災状況についての記事を特別ページとして 設けて検閲機関に提出せずに発行していた。さらに、
災害時にインターネット上では被害状況や支援状況な どを書き込む人が多数出てきた。
インターネット上に市民記者の書き込みが先に行わ れ、国内の週刊新聞として報道できる内容が増え、報 道の枠が広まった事例と言えるだろう。その後も日常 的にインターネット空間へアクセスしている人が増え、
彼らがインターネット空間から得た情報が噂として国 内で広まる。週刊新聞はその情報を元にして記事を書
くような状況で一時的追い込まれたが、噂によって広 まった以上、週刊新聞が扱った報道に対して検閲機関 も処置(出版停止や、休業など)を行う、検閲機関に よる圧力と見られるようになった。結果的に、週刊新 聞が発行されないと民衆の間では不信感を持つように なり、発行停止は検閲機関による圧力だと批判するよ うになる。結果的に、検閲機関に対する批判が民衆の 間でさらに広くなり、言論統制に対する批判や軍事政 権に対する批判に展開する恐れがあるため、週刊新聞 に対しても検閲条件が緩和されるようになったと週刊 新聞社で勤めているインフォーマントたちが語ってく れた。週刊新聞側も、国外の読者を獲得する狙いと国 内でもメディアとしての存在感を高めるため、ネット 上にウェブサイトを次々と立ち上げ、週刊新聞の発行 日程に関係なく、インターネット内に情報を素早く発 信するようになった。筆者の調査では週刊新聞社がイ ンターネット上にウェブサイトを立ち上げる際には、
ウェブサイトの存在を出版検閲委員会に報告せずに、
ドメインやウェブサーバをシンガポールやタイなどか ら買うことにしたとのことであった。2009年の初め ごろから、いくつかの週刊新聞社によるウェブサイト 配信が始まりサイトのドメインは○○.comであるた め、国内からも、国外からも閲覧できるようになった。
軍事政権はそのような状態を抑えようとして、政治運 動に関わった人にエアレトロニック法によって、逮捕 するなどを通じて、人々に恐怖を感じさせ、インター ネットへのアクセスを自粛させる対策を試みた。だ が、ヤンゴンやマンダレーなどで数多く開かれている インターネットカフェ全店舗を監視することには限界 があり、さらに、あらゆる形でインターネット回線を 繋げている民間人の規模を把握することも不可能に近 かった。そのため、情報がインターネット空間と、週 間新聞、さらに噂で広まることには軍事政権は抑えよ うにも抑えられなかったのである。「ウェパンイェネー ペー」において、有力なアクセス手段として、筆者は、
以下の3点を想定した。
1.ミャンマー社会に存在する 「噂」 という手段
2.国境を越えてコミュニケーションが取れる、偽 名を活用して意志表明を行えるインターネット 技術を介したCMC手段
3.大衆社会に向けて情報を提供すると共に、民衆 の声を政権に届ける公共メディアである週刊新 聞による手段
こうした手段と人々の関わりとしては、筆者は、ミャ ンマー社会の人々はそれぞれの社会背景、年齢、職種、
個人的な事情などによって、個々に合った手段を活用 し「ウェパンイェネーペー」にアクセスしていると考 えた。三つの手段とも活用できる人もいれば、二つ、
または一つのみを活用している人もいると考えられる。
この三つの手段を活用して「ウェパンイェネーペー」
にアクセスした人々が相互作用を行うことによって情 報の連鎖反応が生じ「ウェパンイェネーペー」が広がっ て行くと想定できる。その過程を次節で具体的に論じ たい。
2-1「ウェパンイェネーペー」の広がり
前節では、「ウェパンイェネーペー」におけるアク セス手段を確認した。2005年、ビルマ語フォントが 開発されて以来、匿名性を活用して主に国外(ISPア ドレスを分析による)にいる人々は軍事政権に批判し て来た。すなわち、CMCを用いて「ウェパンイェネー ペー」にアクセスした人々の間では軍事政権に対する 批判が主流となって来たのである。2007年サフラン 革命の際には批判が非常に活発となり、1988年以降 の世代、すなわち、軍事政権時代に生まれ育ち、軍事 政権の教育を受けた10代、20代の若者も、CMCを 用いて、政権の武力的弾圧に対して、抵抗するよう になった。さらに、2008年5月4日のサイクロンナ ルギスの際にも国際社会の人的支援を断じて拒んだ 政権に対して、民衆が噂、週刊新聞、CMCなどあら ゆる手段で批判した。情報交換の速度、情報の共有、
情報のリアルタイム、グループメール、SNS(Social Networking Service)といったネットワーク機能などコ
ミュニティ形成における便利なコンテンツがインター ネットユーザーの間では急速に浸透したと言えよう。
サイクロンナルギスのような大災害に見舞われながら も、軍事政権が新憲法の草案を承認のための国民投票 を2008年5月10日に実地した。国内では新憲法の内 容対して、批評するどころか新憲法の原稿をみた国民 も非常にわずかな中、CMC手段を介した「ウェパン イェネーペー」においては新憲法に関する批評が活発 的に行われていた。しかし、国内においては言論統制 されていたために新憲法の内容に対する批評は多くな かったのだが政権強制的な投票実地の狙いについて噂 が多数出ており、政権のトップに対する侮辱が噂の主 流となっていた。
これまで人々が3つの手段をそれぞれ用いて「ウェ パンイェネーペー」にアクセスし、意志表明を行って いたのだが、意志表明として統一する段階には中々至 らなかった。その要因の一つは批評対象の、話題性で あり、もう一つは厳しい言論統制から生じた人々の批 評に対する自粛である。例えば、サフラン革命の際に は週刊新聞は厳しく検閲されていたため「ウェパン イェネーペー」におけるアクセス手段としてはほぼ機 能していなかった。一方新憲法草案の承認において は、政治の問題であるし、憲法内容を理解できない部 分が多くある一方、噂は批判から批難へと変わり、新 憲法そのものに対する批評に至らなかった。すなわ ち、これまでは「ウェパンイェネーペー」において噂、
CMC、週刊新聞が起こった出来事を基盤に、いかに 伝えるか、いかに批判するかと言う段階に留まり、ア クセスする人々の間で互いに刺激し合い場面が見られ なかった。そのため「ウェパンイェネーペー」の機能 は批評することに留まり、意志表明空間として政権に 影響を及ぼすことは見られなかった。
それに対して、次節で取り上げる2009年起きた医 療ミス問題は国民の日常生活に直接関わっている問題 であるため、多くの人々がそれぞれ特有の手段を用い て「ウェパンイェネーペー」にアクセスし、批評を行 うことが可能であったと思われる。その結果、「ウェ パンイェネーペー」にアクセスする人々が、それぞれ
の視点から意見を主張するようになり、その主張が互 いを刺激しあう。そのうち、こうした 「批判」 を通じ て「ウェパンイェネーペー」が「意志表明空間として の機能」に繫がったと考えられる。すなわち、この医 療ミス問題が初めて公になり、政権が公式な解決策に 踏み込んだ問題として捉えられる。次節では、「ウェ パンイェネーペー」がいかに現実にも働きかけること が可能になったかを検証する。
3.「ウェパンイェネーペー」にアクセス する人々
3-1 医療ミス問題の概要
ここでは、分析対象とする医療ミス問題において事 件の経緯を述べる。2009年10月ヤンゴン都内の有名 な民営病院で15歳の女の子が死亡した。女の子は熱 を出したため、民営病院の有名な外科医に診察しても らったところ、盲腸炎と判断され手術を受けた。手術 後にも女の子の病状が悪化したが、手術を担当した医 者は手術後1回しか様子を見にこなかった。手術の二 日後に女の子は死亡した。2日間の入院手術で病院へ 支払った金額は110万チャット 以上だった。葬式が 終わった後、病院委員会の役員一人が遺族のもとへ訪 れ、女の子が亡くなったことに対し申し訳ないと話し た。だが、死因に関しては病院が医療ミスと認めたわ けではないが、病院側と話している際に話の流れから 遺族は医療ミスをしてしまったのではないかと疑いを 持った。
遺族側は、そのことを週刊新聞に訴えた。ミャンマー において、医者はやはり権威と学問の象徴であり、最 も尊敬される職業の一つと言える。それもあって、従 来医者に対して、批判をするということはミャンマー 社会においてありえなかった。週刊新聞が医療ミスに 関する記事を掲載したのは、これが初めてのケースで あった。その後SNSサイトやブログ、Planet Forumサ イトに、記事が転載された。記事をそのままコピーし てブログに載せる人や、転送メールで不特定多数の人 に流す人も多数いた。ブログや国内、海外のミャンマー
コミュニティSNSサイトでその記事が転載されコメ ントを多く寄せた。または医者の立場、国民(消費者)
としての立場、記者の立場など、その問題に対してそ れぞれの立場から自らの視点で意見を述べ、ブログに 掲載する人やSNSサイトに投稿する人が数多く出た。
さらには、投稿された内容が転送メールやグループ メールで再び不特定多数の人に回った。そのような連 鎖反応を得てこの問題が「ウェパンイェネーペー」に 浮上して来た。
3-2 三つの手段における分析対象
医療ミス問題について週刊新聞(プリントメディ ア)、CMC(ブログ、SNSサイト、Forward Mail)、噂 と言った三つの手段によって情報を巡る連鎖反応が起 きた。本節では医療ミス問題について、ヤンゴンを中 心としたミャンマー社会において単なる「情報の伝達」
から「議論」に変わっていくプロセスを詳細に分析す る。ミャンマーの最大都市であるヤンゴンで起きた事 例であるため、週刊新聞はごく手短に購入でき、イン ターネットカフェも非常に多いためCMC手段を活用 するためにも比較的簡単であった。さらに、市場や喫 茶店、会社、学校など人が日常的に集まる場所も多く あるため噂と言ったコミュニケーションも非常に盛ん である。そのため、考察が中心であり、それぞれの手 段を共有する人々に関する(職業、学歴、階層)など に関する調査は厳密に行えなかった。調査は当時ほと んどの週刊新聞がこの問題を掲載した。しかし、本稿 で分析の対象とする週刊新聞は、一番先にこのニュー スを拾ったSnap Shot紙を含め国内で売上の上位を占 める下記の4紙を主にしたい。
1.Snap Shot(毎週金曜日発行)
この週刊新聞は、医療ミス問題が週刊新聞の中 で一番先に掲載した。インターネット上でニュー スサイトを立ち上げ、週刊新聞の情報を同時に配 信している。コメント機能は設定されていない。
2000年代から発行し始めた週刊新聞で、当初芸
能ニュースを中心としたのだが2008年以降には 情報紙として徐々に人気が出ている。
2.Weekly Eleven(毎週月曜日発行)
Snap Shotの次にこのニュースを掲載した情報 週刊新聞である。インターネット上でニュースサ イトを立ち上げている。コメント機能も設置して おり会員登録してコメントを書き込みすることが できる。2000年代に発行し始めた週刊新聞で当 初から情報紙として経済情報を多く掲載していた。
ミャンマーで一番売れている週刊新聞と言われて いる。週刊新聞の発行者は軍事政権と繫がりがあ るという噂も出ているが確認できていない。鋭い 視点から情報を取り上げ国内の経済、教育、メディ ア状況などの情報を掲載している。
3.The Voice(毎週月曜日発行)
教育、経済などの情報を主に取り扱っている情 報週刊新聞であり、Living Colourという人気月刊 誌を発行している出版社が発行している。記事は 文学者や研究者、海外留学経験者が書くことが多 くあり知識層を中心に人気のある週刊新聞である。
4.The Myanmar Times(毎週木曜日発行)
ミャンマーで2000年代後半に始まった、外資 系の週刊新聞で英語でも発行している。編集にも 国外からの視点が入り、もっとも人気のある週刊 誌として読まれるものである。他の週刊新聞より 値段は高いし、透明の袋に入れて包装されている ため、他の週刊新聞のように書店で立ち読みする ことができない。
ここで週刊新聞の発行日程を述べているが週刊新聞 は、公式の発行日よりも二日ほど早まって発行される ことが多い。つまり、週刊新聞に書かれている発行日 は水曜日であっても、書店に並べて販売されるのは月 曜日の朝、場合によっては日曜日の夕方には販売され ている。表示発行日程より早く発売される原因につい ては、明確な情報は得られなかった。インターネット 上にウェブサイトを設けている週刊新聞の場合、ウェ ブサイト上で情報をタイムリーに配信していることも
あるし、週刊新聞が発行されてから情報をウェブサイ トに配信する週刊新聞社もある。
CMC手段を用いた「ウェパンイェネーペー」では、
様々なサイトで多数書き込みされていたが、分析の対 象としては、最も中心な下記の4つのブログやSNS サイトに絞って行うものとする。
1.プラネッフォーラム(Planet Forum)(サイトは http://www.planet.com.mm/forums/)
ミャンマー国内発信で政府による検閲がある最 大のウェブサイトで、様々な話題に対して情報交 換、意見交換がなされている。書き込みするため にはアカウントを会員登録する必要があり、書き 込みや意見交換をする内容はForumの管理人が 検閲しているため書き込みしても削除されること もある。
2.Weekly Eleven (サイトは http://www.news-eleven.com/)
Weekly Eleven週刊新聞のニュースサイトであ る。インターネット上でもニュースサイトを立ち 上げ、コメント欄を付けることで情報に対して読 者からフィードバックを受けている。
3.Ngoinmyanmar(サイトは、
http://health.ngoinmyanmar.org、ただし、2012年
12月現在、削除されている)
医療や福祉関係のことを会員登録して書き込み やコメントをすることができるSNSサイトであ る。会員登録をして書き込みをしているのは、国 内のNGOや国際機関で働いている人々、海外の 医療機関で働いている人々やその他の職業に就い ている人々、海外に亡命している人々である。
4.Myanmar in Singapore (サイトは http://myanmarinsingapore.com/)
シンガポール在中のミャンマー・コミュニ ティーサイトで、様々な情報を瞬時に発信してい る。
3-3「ウェパンイェネーペー」内の 情報の流れ
本節で「ウェパンイェネーペー」内の動きについて、
それぞれの手段に着目し個々の手段における動きを詳 細に述べる。3つの手段を活用した人々の行動が、「情 報」から「情報に対する感想」、それから「批評」と なり、それを説明する形で「反論」が出て、それが「議 論」へと展開したのである。その展開する過程に関し て、最初に記事として記載された日(2009年11月20 日)から、国家健康保健委員会が判決を出して終息を 終えた日(2009年12月5日)までの16日間を、日 付順に分析する(日程は記事が記載された日程とイン ターネットページに書きこみされている日付順であ る)。
3-3-1 週刊新聞
2009年11月20日(金曜日)Snap Shot紙に掲載さ れていた記事の見出しは「ヤンゴン都内にある民営 病院で起こった一人の女の子の悲惨な出来事」であ る。死亡したのは10月27日であるが、記事として掲 載されたのは、その3週間後であった。亡くなった 子の母親が週刊新聞社へ手紙を送り、それを受けて
Snap Shot紙の記者が母親にインタビューをしたと思
われる。亡くなった子の母がSnap Shot新聞社に送っ たと思われる手紙も記事に掲載されていた。記事の内 容は死亡した女の子の母親の話を基にして書いてある。
「手術室から娘の悲鳴が聞こえていた」、「病院のサー ビスが悪い」、「おそらく手術した医者が医療ミスをし てしまったのではないか」、「娘は手術後も痛みを感じ ていた」など、感情的な話が生々しく記述され、さら に、亡くなった女の子は勉強がよくでき将来性がある 生徒であるとも書かれていた。そのほか、「医者のミ スで犠牲となった」、「医者としての義務をちゃんと果 たさず金銭目当てで不要な手術を行った」など、医者 と病院の責任であると思わせるような批判が含まれて いる。亡くなった女の子の個人情報(名前、学校の名
前、クラス、自宅の住所)と亡くなった女の子の写真 が9枚掲載されていた。週刊新聞宛に送った母親の手 紙と思われるのが掲載されており、文字が滲んでいる ことから書く際に涙を流していたのではないかという、
記者の感想も添えられている。写真は女の子の個人写 真や家族写真、友達との写真が掲載された。写真の中 で女の子の横顔写真がもっともインパクトがあった。
生前の少女の生きいきした横顔写真が掲載され、記事 の読者の同情を引いたと思われる。ただし、病院の名 前と医者の名前は掲載されていなかった[Snap Shot Journal(2009/11/30): 7]。
11月23日(月曜日)発行のWeekly Eleven紙に記 載された記事の見出しは「医師らは患者に対して時間 をかけた診察を行わず、大病院では医者のことだけ考 えているため、悲惨なことが発生」であった。母親の 話を基にして、「手術終了時から息絶えるまで女の子 は激しい痛みを感じていた」と書かれている。死亡診 断書のコピーも一緒に掲載され、「医者のミスのみな らず病院のミスでもある」と述べられている。「海外 の病院ではその病院の専属医師がいるが、ミャンマー では専属の医者がいない。国立病院では有名な医者は 時間帯で雇用されるため医者としても患者一人一人に 時間がかけられない」など一般の意見も掲載されてい る。ミャンマーで有名な外科医の意見も掲載され、「手 術時にしなければならない決められた段取りに従わず、
担当医一人の独断で手術したと思われる」とあり、さ らに、「患者の遺族側から、医者と病院を告訴するこ とはしないが、病院としては遺族に対して公的に謝罪 すべきである」とも書かれていた。この記事にも同じ く病院と医者の名前は述べられていなかった。記事の 最後には、週刊新聞を発行する会社の役員による意見 として次のように書かれている。
お金持ちだから民営病院へ行けたし、告発するこ とができるから今のように知ることができたので ある。貧困層で告発する力のない人々はどれほど 犠牲になってきたのだろう。国民の健康保険につ いて、他の国(他のASEAN国々)と同じように
使用する必要がある。健康保険と教育の面で採用 することは、発展途上国にとって無駄な経費の支 出を抑える投資である。この出来事の根本的な 原因を知っておく必要がある。国民の健康福祉 に対して力を入れるべきである[Weekly Eleven 2009/11/23]。
以上はビルマ語から直訳したものであり、ビルマ語 で書かれている記事の内容にも使用する必要があると 書いてあったが、誰が、どこで、何を使用するという 主語を示さずに曖昧な書き方で書かれている。そのよ うに、あいまいな書き方や主語が消えているのは、検 閲機関によって修正、削除されたためであると記者の 間で言われていた。当時、週刊新聞は発行の2週間前 に原稿を検閲機関に提出し、検閲を受ける決まりに なっていた。その記事は検閲機関によって修正され、
主語や文章を削除されたため、発行された週刊新聞で は曖昧な表現となっていた可能性があると同社に勤め るインフォーマントは言っている。
3-3-2 噂
噂の内容に対しては現地のインフォーマントとして 20代のジャーナリスト3名(女2、男1)、50代の公 務員5名(女3、男2)、30代の医者2名(女1、男1)、
20代の大学生3名(女2、男1)に聞き取り調査した ものをまとめて述べる。
2紙の週刊新聞には亡くなった女の子の個人情報が 詳しく記載されているため、その地区に住んでいる知 り合いに聞くなりして、国内では知り合いから知り合 いへと噂で病院の名前と医者の名前が徐々に漏れて いった。また、噂でそのニュースが広く知れわたり、
週刊新聞を買う人が増え、その号は売り切れとなり、
掲載記事のページのみをコピーして販売される。しか し、人々が週刊新聞に述べられていることを深く考え ず、週刊新聞に掲載されていた彼女の横顔がかわいい という点から主に同情していたとも考えられる。とい うのは、その週に発行されていた、多数の週刊新聞で
彼女の横顔の写真が表紙を飾っていたからである。当 時流れていた噂の内容に関して現地インフォーマント へのインタービュでは、22日の時点で「亡くなった 女の子はかわいい子で勉強もできる子である。医者は そのような子を死なせた。医者がちゃんとしないから このようなことになる」という医者と病院を一方的に 責める感情的な表現であったvi。
3-3-3 CMC
最初の記事が記載されていたのは金曜日(2009年 11月20日)であり、翌日の土曜日(2009年11月21日)
にはインターネット上のSnap Shot週刊新聞のニュー スウェブサイトに記載されていた。ウェブサイトは ゾージーフォントを使用していたため、土曜日と日曜 日には海外で暮らしているミャンマー人たちの間では、
記事に書かれている内容のまま、転送メールやグルー プメール、ブログなどによって流れ始めていた。同じ くインターネット上でウェブサイトを設置している
Weekly Elevenも、その記事をウェブサイトに同時に
掲載した。Weekly Elevenサイトはコメント欄を設置 しており、コメントに対して賛成、反対がクリック一 回で表明できる機能も搭載し、コメントに対して読者 の意見も述べられるように設定されている。ニュース が記載され、直ちにコメントの書き込みが見られたvii。 コメント書き込みの時間とニュースを記載した時間に は、時差があった。コメントの書き込みの時間表示は 記事の記載時間表示より約2時間早かったのである。
つまり最初にコメントを書き込んだ人物も2番目にコ メントをした人物も、記事の記載時間より時間的に早 くコメントを掲載している。記事の記載時間が8時と 書かれていると、このコメントの書き込み時刻は6時 と表示されている。一見記事がアップされる以前に、
コメントが書かれたかのように見える。もちろん、現 実にはそのようなことはありえない。実際には、コメ ントをした人間のコンピューターが、現地時間になっ ており、その場所がミャンマーより、2時間遅い場所 にいるところから、書き込みをしたということである。
すなわち、時差2時間のシンガポールからコメントを 書き込むと、こうした現象が生じる。従って、最初の コメントをつけた人間は、シンガポールなどの海外在 住者と考えられる。1番目のコメントの内容は「この 記事であなたが何を言いたいか僕はわかる。非常にあ りがたい」と英語で書かれていた。2番目にコメント をした人の内容は「健康保健制度に対してありのまま に批判して示してくれたWeekly Elevenの勇気ある行 動に感謝している」とビルマ語(ゾージーフォント)
で書かれていた。その記事に対するコメントは20件 であり、コメントを書く際に示されているアカウント 名から見て、一人一回のコメントが書かれていると判 断できる。ただし、同一人物が二つ以上のアカウント を持っている可能性もあり、その点は確認できなかっ た。
24日にNgoinmyanmarブログで、ある書き込みが話
題を呼んだ。書き込みは雑誌や週刊新聞の記事のよう な書き方で書かれており、書き込みをした人は「一部 のミャンマー情報メディアは規則違反をしている」と 題名をつけていた。彼は「週刊新聞で書かれている民 営病院で女の子が死んだという記事に対して、僕は法 律面と医学面から議論したい」と書いた。彼は法律に 先立って医者に責任があると思われるような週刊新聞 の言葉使いに対して批判し、現時点では医者に責任が ないと述べている。書き込みをした人はシンガポール 在中のミャンマー人医師だと思われる。その書き込み に対して2009年11月24日から2010年1月17日ま でコメントが書かれており、コメント数は374件で あったviii。25日はプラネッフォーラムサイトにSnap Shotに載せられていた記事が載せられており、その
後にNgoinmyanmarブログで書かれていたシンガポー
ル在住のミャンマー人医者の書き込みがそのままコ ピーして貼り付けられている。貼り付けされている文 章の前には「これはウェブからもらった。時間があれ ば読んで考えて下さい」と記され、最後には「誰かコ メントありませんか。これは面白いですよ!」と英語 で書かれていたix。投稿した(仮名)は2008年から会 員 登 録 を し、 ま れ に 書 き 込 み を し て い る。 一 方
Myanmar in Singaporeサイトでそのニュースを記載し ているページには、医者の名前と病院の名前を書き込 まれていた。医者の名前と病院の名前は、当初転送メー ルで流れていただけだったが、25日以降のインター ネットメディアでのコメントや書き込みされている記 事には医者の名前と病院の名前も記載されるように なってきたx。
26日Ngoinmyanmarに再度、医療ミス問題につい
て書き込みがあった。投稿者は、イギリス在住のミャ ンマー人女性で民主化運動をしている亡命者だと思わ れる。さらに彼女のプロフィールから検索してみる と、彼女はブログも書いており、イギリスの大学の博 士課程に所属する学生であることが分かる。書き込み は「公正とサービスに関する問題点」と題して、医療 ミス問題は国家福祉制度が整っていないからこそ起 こった悲惨な事故だと述べている。その書き込みには ミャンマーの教育、経済、福祉など国家制度の問題を 詳しく分析し、先進国や民主主義国家では国家機関が 介入して取り調べをして解決するのが通常である。こ うした問題を解決できなければ、それは現政権の問題 であると述べている。さらに、ミャンマー社会に対し ても、社会内で正面から批判することに抵抗し、自粛 する風潮があるから、今のようなことが起こる、だか らこそ軍事政権にも批判できず、独裁主義が20年以 上も続いているのだと述べた。文章の最後には「ミャ ンマー国民は、軍事政権に対して反乱を起こす気は本 当にあるのか」という問いかけで文章を閉じてあった。
25日、26日の書き込みには、国内や海外在住の医者が、
職業的立場から意見を多数寄せていた。または週刊新 聞の記事の内容や言葉使いについては、検閲が実施さ れている状況下でできる限りのことをしたと、記者の 視点からも意見が述べられていた。書き込みをする人 のアカウントとプロフィールからみると、ミャンマー 国内在住が3割、海外在住が7割であった。その7割 の中に、タイ、シンガポール、マレーシア、アメリカ、
カナダなどへ移住した人々も、数多く入っていると思 われる。書き込みには、給料が安く設備が整っていな いなど、医者の立場からミャンマーの医療現場につい
て述べるものが多数ある一方で、一般の市民(消費者)
から、医者に対する批判として、「医者は医者という 職業に安住して威張っており、患者には病名をきちん と説明しない」なども書かれるようになった。徐々に、
書き込みをしている人同士で議論になり、書き込みの 多くは今回の医療ミスに関する医者と患者の議論では なく、医療制度を批判する段階になってきた。その議 論はコピーされてそのままPlanet Forumに記載される 他、国外に拠点を持つ民主化運動団体のニュースサイ ト で あ るVOA、Irrawaddy、Mizzima、Moemakaな ど にも掲載されるようになり、政府の予算分配に問題が あるという批判が出てきた。
3-4 「ウェパンイェネーペー」から 「意志表明空間」へ
3-4-1 週刊新聞
11月26日発行のSnap Shot紙の速報に下記の内容
が発表された。
前回記載していた「民営病院で女の子が死亡した」
記事に関して、さまざまな人から問い合わせが殺 到している。しかし、本誌としては医者の名前と 病院の名前は、個人情報扱いであるため述べられ ません。その記事をコピーして病院の名前、また は医者の名前を書き加え、販売していることが見 られますが、それは本誌とは無関係です。それと 同様、いろいろなインターネットページ上で批判 している書き込みに関しても本紙は無関係である ことを知らせします[Snap Shot Journal 2009/11/
26]xi。
ほとんどの週刊新聞は、23日から28日までの一週 間以内に、医療ミスと病院に関する記事を掲載してい た。Myanmar Timesでもその問題を取り扱っており、
記事には病院の名前と医者の名前は記載されていな かったが、記事には「病院に聞き取りに行ったが、対 応してくれなかった」と記されたxii。The Voiceも同様
「病院側とミャンマー医師団体、国家保健委員会に問 い合わせしたが対応せず」と書かれていたxiii。 Weekly Elevenでは「インターネット上にある一つ の記事では、本誌の記事に対して、中立的な立場から ではなく医者を責める一方の、患者側から書かれたも のであると書かれていたが、それについては申し訳な いと思う。記者としてすべての情報を明らかにできな かったことは情けないことである」と書かれていたxiv。 一方では亡くなった女の子の家族にインタービュし、
家族の一員が亡くなった気持ちを中心に取り上げ、亡 くなった女の子を悲劇のヒロインとして書きあげる週 刊新聞も多数あり、週刊新聞の売り上げが4倍にも上 がったと言うxv。
3-4-2 CMC
インターネットページではNgoinmyanmarで議論さ れていることがコピーされてプラネッフォーラムの ページに張り付けられる、あるいはその他のサイトで 医療制度に対して議論されるようになった。書き込み の最後には政府への批判が多々みられ、「変える必要 がある、このままではまた新たな犠牲者が出る、政府 は国民のことに全く関心がなく国民を守ろうとしてい ない」などの内容であった。
3-4-3 噂
CMC活用者たちの間で議論されていることが、イ ンターネットを頻繁に使う人々、すなわちニュースサ イトやフォーラムなどを読む人や書き込みをする学 生や、会社員、NGO機関に働いている人々によって、
広く知られるようになった。インターネットページで 書き込まれている内容を読むために、インターネット カフェへ行く人や、書き込み内容をプリントして、コ ピーして知り合いに渡す人も多数いた。または商売の 目的でヤンゴンに来ている人達は、その情報を商売先 や喫茶店、市場内の会話などから情報を入手し、週刊 新聞を買って村落へ帰る人や、インターネットページ
をプリントアウトして持って帰る人も多数いたと言う。
インターネット上の書き込みは、医療制度を批判し ているため、それを読んで問題の根本原因が見えてき たと考えられる。そのため、国内の人々も、それぞれ の立場から「同感」でき医療制度を批判するように議 論を展開していったのではないだろうか。さらに人々 は会社や学校、高速バス停、喫茶店や市場などでの噂 から、医療制度に対する批判が多くなり、国家予算の 使い道に関して議論するようなった。「政府がなんと かして解決するべきである」という意見は、多くの人々 から出されるようになってきた。ただし、「政府がな んとかして解決するべきである」ということは同意が 得られたが、解決の方法ははっきりと示されていな かった。さらに、当時は医者の立場や責任に関する批 判もあったため、医学部生や研修医が現実社会では噂 や週刊新聞を活用して議論に入れなかったと考えられ るxvi。
3-5 問題の終息とその後
2009年12月2日に国家健康保健委員会が調査チー ムを設置し、調査を行った後に、判決が発表された。
判決には病院側から遺族に謝罪すること、手術の担当 医師は判断ミスと手術後の対応に不十分であったため、
医師免許を5年間取り消しにする処置と500万チャッ トの罰金を国家健康保健委員会に支払うこと、手術に 関わっていた麻酔師と助手に対する厳重注意が含まれ た。その情報は翌日発行の複数の週刊新聞に取り上げ られ、記事の内容としては以下のようなものがあっ たxvii。
国家健康保健委員会は以下の問題について11月 26日に特別調査チームを設置し、事故の発生し た病院側と医師、または手術に関わっていた看護 師、助手、麻酔師を調査した。その結果、病院の 対応に改善点が多数あることが判明した。死亡し た原因には医師による判断に問題があり、手術は 不要であったと思われる。または手術後に患者に
対して的確な治療を行わなかったことも原因とし てあげられる[Snap Shot Journal 2009/12/05]。
その後の週刊新聞では、病院側から遺族に謝罪に 行ったことや、病院側から遺族に慰謝料の1億チャッ トを支払ったことも続々と記載されていた。さらに、
遺族とのインタビュー記事には遺族としては医療ミス が判明できたことに対して週刊新聞に感謝していると 述べていた。また、2009年12月11日発行の国営新 聞に謝意の報告を出していた。謝意の報告内容には女 の子の死亡から一カ月の命日まで遺族をいろいろと支 援し、応援し、世話して下さった親戚や友人ら、週刊 新聞各社の編集者、ジャーナリスト、学校関係者や教 員ら、以前からの知り合いではないにもかかわらず、
電話、メール、ファックス、または個人で遺族のもと へ伺い理解して慰めくれた方々にも感謝すると述べて
いたxviii。
判決内容がインターネット上にも書き込みされ、判 決に対する議論が出されていた。内容には「判決 し、謝罪しただけで問題は終わらない、根本的に変革 の必要がある」、「お金持ちの子が医療ミスで死んだ ら莫大な慰謝料がもらえるが医療ミスで犠牲となっ た貧困層の人々は大勢いる」など、政府の今後の対 応を問いかける批判が多かった[myanmarinsingapore
とngoinmayanmarを参照]。さらに民主化運動団体の
ニュースサイトIrrawaddyで2009年12月8日に一つ の漫画が書き込みされていた。
漫画の題名は「ミャンマー国内の誤り」であり、一 人の軍人が銃で多数の人間を死なせたのに平気な顔で 威張っているのに対し、一人の医者が注射器で一人の 人間を死なせたことに悲しんで肩が狭くなり、気落ち しているのを比較して描いているのである。つまり、
軍人は多数の人間を殺しても問題がないのだが、医 者のせいで人が死ぬと大変な目に合うという意味で、
軍事政権への批判であった。2009年12月21日には 医療ミス事件に関して議論をしていたプラネット・
フォーラム(Planet Forum)にも漫画がコピーして貼 り付けられ、漫画の基となるサイトであるIrrawaddy
サイトの名前も書き込みされていた。当時はインター ネットによる検閲がありIrrawaddyサイトは国内から アクセスできないようになっていた。だが、この漫画 が国内発信のプラネット・フォーラムに書き込みされ ると言うことは国内からも検閲を擦りぬけてアクセス したと推測できる。さらに、国内では自由にアクセ スできる一方、書き込みを管理しているプラネット・
フォーラムサイトにこの漫画が書き込みされることは 国内でもこの問題の原因が医療制度にあることを良く 理解し、今回の判決に対しても不満が残っていたこと を表している。
2週間にわたりヤンゴンを中心に話題となった医療 ミス問題は、活字メディア(週刊新聞)などでは、こ れで解決したかのように書かれていた。それ以上の情 報が記載されないのは検閲機関から圧力かけられたと 言う情報も、ネット上では流れていたxix。ただし、ヤ ンゴン市内では、医療ミスの判決に関する噂が絶えず 続いていた。噂の内容はたとえば、多額の慰謝料を目 当てに仕組まれたものである、あるいは遺族は娘の死 を利益に変えたといったものであり、中には、遺族は 莫大なお金をもらったから普段の買い物でも無駄遣い をしているなどと遺族を非難するものもあった。その 後の国営新聞(The Mirror)の広告コラムで、遺族は 社会福祉に取り組んでいるボランティア団体、老人 ホーム、寺子屋教育機関、国営病院、お寺などに一件 10万チャットから最大で1,000万チャットまでの金額 を寄進したことを広告として出していたxx。また、遺 族は慰謝料の全額を亡くなった娘の来生のために様々 な団体に分配して寄進する予定であるという内容が、
Snap Shot紙でインタービュ記事として書かれていたxxi。
広告を出したことも、週刊新聞に慰謝料の使い道を述 べたのも、おそらく、慰謝料に関する噂を取り消すた めでもあると思われる。
その後、消費者の間では医者に対する信頼感が薄れ、
治療中に何かあったら医者側に要求するという方向に 向かうようになった。医療ミス問題は、利点を挙げれ ば、消費者にとってより良い医療を求められるという ことが挙げられようが、ミャンマーの現状ではそれだ