巻 頭 エ ッ セ イ
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ヴォン・イゲルフェルド教授は,小説「ポルトガル語の不規則動詞」の主人公である。
イゲルフェルド教授は,ポルトガル語の不規則動詞を論理的に探求するのが生涯目標であ る。その小説の中で恋愛は,教授の一つの冒険であった。恋愛の相手は,歯科医。教授 は,自分が一番大事にしていた分厚い不規則動詞についての本をプレセントするが,彼女 には無意味な物としてしか受け取れなかった。彼女の患者として数回歯医者に通うが,教 授のプライベートの日常は地味そのものだった。
そこで,私はフィクションの世界に入り,イゲルフェルド教授に日本語の論理性につい て説明する。日本語の動詞の論理性を知ったらもっと楽しい研究生活ができるかも知れな いと思いながらまず日本語動詞の規則性を語る。
ポルトガル語の不規則動詞とは正反対の例として日本語の動詞の特徴について説明す る。日本語の動詞の語幹は変わらない。変わらない絶対的な動詞の基本形を知ってもらい たい。「行く」の動詞活用を一例として英語と比べてみる。
行く − 基本形 Iku (To go) 行かない Ikanai (I am not going) 行きます Ikimasu (I am going) 行くので Ikunode (Because I am going) 行けば Ikeba (If I go)
行くことに Ikukotoni (I have decided to go)
「行く」の基本形の「い」の語幹は変わらない。横に書いた英語訳を見ると,英語での 動詞の基本形はほとんど語幹に反映されない。日本語の動詞の語幹は固定され,そこから 活用が始まる。活用の中に「あいうえお」の音節がある。これは日本語の口語文法におけ る五段活用である。母音で終わる音節の妙味はイゲルフェルド教授を驚かせるだろう。
動詞の基本形は「う」母音で終わる。活用部分が,五十音図の「あいうえお」の五つの 段全部にわたって活用するものを五段活用という。「書く」をもう一つの例として挙げる。
書く Kaku (To write) 書かない Kakanai (I am not writing) 早稲田日本語教育実践研究 第 8 号
日 本 語 の 世 界
国際部長
リー・マージ
早稲田日本語教育実践研究 第 8 号/ 2020 / 1―4
2 書きます Kakimasu (I am writing) 書く時 Kakutoki (When I am writing) 書けば Kakeba (If I write)
書こうと Kakou (I plan to write)
日本語の動詞は,動詞の語尾がどのように変化するのかよって,一段動詞,五段動詞,
そしてそれ以外の不規則動詞に分類される。日本語の基本的な発音「あいうえお」からわ かる。
一段動詞は動詞の基本形が「る」で「教える」,「食べる」,「見る」の場合,「る」の前 の発音が「い」段,あるいは,「え」段である。五段動詞は動詞の基本形が「る」で終わ らない動詞のすべてである。「折る」,「始まる」,「売る」のように語尾が「る」で終わっ ても「い」段,「え」段ではなく「あ」段,「う」段,「お」段の場合には五段活用に入る。
五段活用に入らない「する」,「来る」は代表的な不規則動詞に入る。日本語での不規則動 詞の数はロマンス言語と比較すると少ないという事実が明らかになる。
ここで,日本語の形容詞の論理性について著名なイギリスの哲学者クワイン教授の「存 在論的相対性 Ontological Relativity」という論文を紹介したい。クワイン教授は,例外の 少ない日本語の「な」形容詞に感嘆し,「い」段に終わる形容詞に「な」を付けると本質 的に名詞を修飾すること,そして,「な」形容詞の活用規則はすべて同じであり,「な」形 容詞と名詞が続くことであるとしている。例えば,「きれい」は「な」形容詞で「な」を つけると名詞を修飾して名詞句の指示対象を限定する機能を持つ。
1.不思議 不思議な世界 a mysterious world 2.綺麗 綺麗な花 a beautiful flower
次は,日本語の動詞活用からテーマを変え日本語の多様な類別詞,あるいは,助数詞を 説明する。日本語には「本1冊」の冊,「万年筆1本」の本などと呼ばれる特定の助数詞 がある。数字に助数詞を加える。
1.五本の万年筆 2.五匹の犬 3.五人の会計士
特定の助数詞は生き物の助数詞とそうではない無生物助数詞と区別されることを紹介す る。
生き物
1.人/名:人々を数える時 2.頭:牛,鹿,クジラ類の動物 3.匹:犬,猫などの小さい動物
巻 頭 エ ッ セ イ リー・マージ/日本語の世界
3 4.羽:鳥,ウサギ,鶏
無生物
1.本:ペン,ボトル 2.冊:書籍,雑誌 3.部:新聞 4.杯:飲み物
ここで,ポルトガル語にはない日本語の主語の後につづく助詞「が」と「は」を紹介 し,「は」と「が」の違いを説明する。主語助詞の「は」と「が」こそが日本語の論理性 を証明する。これは大出晃教授の著名な本「日本語と論理」で述べられた内容でもある。
例1:東京は日本にある。― 主語として内容を強調する時
東京がオリンピック開催地に選ばれた。― 主語として東京に限った内容
例2:東京は地下鉄が便利である。
「は」と「が」が両方存在する時,主語の範囲が広いのは「は」,特定の主語は「が」に なる。イラストが好きなイゲルフェルド教授にベン図で補充説明する。
次 は ア メ リ カ の 科 学 史 家 の ト マ ス・ ク ー ン 教 授 が 構 築 し た「 共 約 不 可 能 性
incommensurability」の概念と日本語の語彙についてイゲルフェルド教授に語る。「共約不
可能」というのは異なるパラダイムに属する理論の間には比較できる共通の要素は存在し ないとする説である。つまり,ある文化にしか存在しない「文化語彙」は他の言語には不 在であることを示す。よって,「文化語彙」は翻訳不可能の面がある。
日本語には様々な「文化語彙」がある。特に美学に関連する語彙は他の言語に翻訳する ことは簡単ではない。日本語での「わび」,「さび」,「もののあはれ」を例として挙げる。
「わび」,「さび」は素朴で荒涼とした美しさを表している。「もののあはれ」は気づいてい ない,つかの間,様々な美しさ,形のない美しさを表現する。こうした美についての語彙 を通じて,日本語で現れる自然の美しさ,感覚を認識できる。
桜の美しい満開の花を見て,喜びを感じる。しかし,数日後,その桜がしおれたり,
地面に落ちたりしている可能性がある。「もののあはれ」とは文字やある状況から記憶が 蘇って,一瞬の感情,感覚が残るのを意味する。その一瞬の時間でしか感じることができ ない経験でもある。
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早稲田日本語教育実践研究 第 8 号/ 2020 / 1―4
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日本語固有の「文化語彙」の深さは日本語の世界を広げる。昨年のある秋の日だった。
ゼミ生の一人の留学生が自分が作った短歌を私に見せた。「閑さや,湖に入る,大隈講堂 の空」。詩的な創作を共有しながら,「早稲田大学の校歌の歌詞もとてもポエティックです よ」と尋ねた。
Waseda Vision 150を目指して,短期,正規交換留学生のために,約250の多彩な授業を
開講する予定である。すべての日本語教育研究センターの科目を期待に応えうる授業とし てお勧めしたい。特にイゲルフェルド教授にはテーマ科目の一つである「映画で学ぶ日本 社会・伊丹映画」の講座を推薦したい。「日本文学の名作にふれる」,「短編小説の謎を解 く」,「詩歌を作る・詠む」,「日本語で学ぶ国際関係論」などの科目は,学習者の立場から はとても魅力的なテーマである。日本語教育研究センターには海外の日本語学習者を受け 入れる「日本語教育プログラム」,韓国や中国の大学との拡充プログラムが用意されてお り,そして,現在,高い評価を受けているMOOC講座にも学生が参加できる機会が多く なる。今回の日本語教育についての学術ジャーナル『早稲田日本語教育実践研究』が,さ らに発展していくことを期待し,応援致します。
(りー・まーじ,早稲田大学国際学術院)