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㈹ 神奈川大学言語研究センター
KANAGAⅥIA
「この道ひと筋」 とい うこと
学問な り芸術 な り、何かひとつのことを生涯か けて脇 目も振 らず追及 して行 くことを 「この道 ひ と筋」 と言い、世間では立派 なことと考えている。
この言い方 には、凡人は意志が弱 くて途中で挫折 した り、あちこちに気 を散 らした りして、なかな か 「この道 ひと筋」 とい うわけにはいかない とい う意味合 いが込め られている。話 を学問の分野に 限るならば、ひとつの狭 い専 門分野の研 究 を生涯 続 けるのは偉 いことであるとい うことになる。 し か し本当にそ うなのか どうか、考 え直 してみる必 要 はないだろうか。
最近読 んだ水上勉 ・広 中平祐 (対 談 ) F素心 ・ 素願 に生 きる』(小学館 ライブラ リー) の中で 、 広 中氏 は次の ように言 っている。
「これ まで大勢の数学者 に会 いましたけれ ど、
その人たちの生 き方 をみて思 ったことは、数学 だけ徹底 して研 究 して こられた先生 というのは、
哀れだなあ と思います。」
六〇歳 を過 ぎて集中力がな くなると、研究の質 が落ちるが、それを自分で認め ようとしないため に、周囲 との間にいろいろ と摩擦 を起 こす とい う のである。ほかにやることが なければ、能力が落 ちて も数学 に しがみつか ざるをえない とい うわけ である。
私の大学時代の恩師、服部四郎先生 はい ま八〇 歳台中ばで、最近 は知的な活動 は一切やめてお ら れる。前か ら学問が趣味であると言 って、ほかの ことには何 も興味 を示 してこられなかった先生は、
い ま何 もす ることがな くなって しまったそ うであ る。最近伝 え聞いた ところによると、先生 は 「生 涯学問 しか してこなかったのは大失敗であった」
と述懐 してお られるとい う。何 にも興味を持つ こ とがで きないことか ら来 る心の空虚は、耐 えがた い ことであるに違いない。それ を聞いて、 「この
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国広 哲 弥
道ひと筋」 とい うのは考 え ものだ と思い始めたわ けである。今 まで学問以外 の ことにち ょいち ょい 気 を散 らす生涯 を送 って きた私 は、学問を十分 に 深めることはで きなかったけれ ども、あなが ち駄 目な生涯であった とは言 えないのではないか と思 い始めているわけである。
学問研究の分野で も似 たことが言 えるのではな いだろうか。あるひとつの狭 い専 門分野だけを守 ることが果 していいことと言 えるか どうか。一見 そ こか ら深い研究が生れて来 るように思 えるが、
盲 目的な暴走 に終 ることはないだろうか。む しろ 学問の他の分野ばか りか、学問 とは一見何 の関係 もないことに気 を散 らす ことによって、思いがけ ない独創的な着想 を得 る とい うことがあるのでは ないだろうか。凡人がそんな真似 をす ると、アブ ハチ取 らず に終 るとい う心配 をす る人 もあ り得 よ う。人 さまざまであるか ら、私 は自分 の考 えを人 さまに奨めるつ もりはないが、 自分ではこれか ら に備 えて、いままで通 りに遊びに も気 を散 らしな が ら研究 も進めることに したい と考 えている。そ う言 えば大前研一氏の遊びを奨める本 『遊び心j とい うのがあった。
「この道 ひと筋」的な考 え方 は、ある大学の昇 任人事の審査基準 にも見 える。つ ま り研究論文 は 同一分野の ものでなければな らない とい うのであ る。私の考 え方か らす ると、 これは視野 を狭 める ことを求めているように読める。大切 なのは個 々 の論文 の質であ り、諸論文が同一の分野 に集中 し ているか否か とい うことではない。同一分野 に集 中 しているとい うことは、裏か ら見 るとその分野 の もの しか書 けない とい うマイナスの意味 を持 っ ていることもあ り得 よう。基準 の適用 に当たって は、そこらの事情 を考 えて、柔軟 に処すのが よい のではなかろうか。