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東アジア経済の動態―成長・循環と「アジア金融危機」―

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(1)

 わが国景気循環の実証分析に対して多大な貢献をしてこられた森一夫教授 が古稀を迎えられ,私にも一文をまとめて祝意を表わす機会が与えられた.

日頃教授から示唆をうける機会が多かった一人として喜びにたえない.ただ,

ここでは景気循環といっても,「東アジア経済の動態」という特殊なテーマを 取り上げ,その実証的な分析を中心とさせていただく.

 いまは中国経済の急成長がとくに注目されている.だが,それ以前には,

アジアNIEsやASEAN4の背伸びが目立つ時期があった.しかし,2003〜4

年までのデータが入手可能な現在は,東アジアのこれらの国々の成長と循環 のパフォーマンスを,あらためて総括的に回顧し,検討し直す良いチャンス かもしれない.

1 1

人当り実質

GDP

のトレンド―その国際比較

 国々の人口1人当り実質GDPの系列を導くことは比較的簡単である.しか し,それらの「レベルの国際差」をグラフのうえに同時に表現し,さらにそ れらの「実質的な成長テンポ」をも眼にみえる形にしたグラフを造ることが できれば一層便利である.第 1 図はそれを狙う.

 ところで,異なった国々の1人当りGDPは,「円」とか「ウォン」といっ た異なる通貨単位で表示されている.しかし,その換算のために用いられる

【論 説】 

東アジア経済の動態

―成長・循環と「アジア金融危機」―

  篠 原 三代平  

(2)

為替レートは諸国間の物価水準を必ずしも的確に反映しているとはいえない.

そこで,まず第1に,「世界銀行」推計による2003年のPPP(購買力平価)ベー スの1人当りGNI(国民総所得)を求める.これを別途導かれた国々の1人 当り実質GDPを手掛りとして,過去1980年まで延長推計する.しかし,基 準値のGNI(gross national income)の計数と,過去への引き延ばしに利用され るGDP系列との間には概念上の差が存在する.しかし,この差は僅少かつ

negligibleと考え,これを無視してこの延長推計を行った.

 第2に,描かれた国別の計数の「傾斜」の大小がそのまま成長テンポの高 低を的確に反映するよう,ここでは「半対数表」が使用される.

第 1 図 購買力平価タームにおける東アジアの1人当たり実質GDP

注:⑴ 2003年における世界銀行の購買力平価(PPP)のGNI(gross national income)の 推計値をベースにし,

  ⑵ 198003年間の人口1人当り実質GDP指数で,これを1980年まで延長推計し たもの.

  ⑶ ここでは,03年の世銀のPPP・GNIと,1人当り実質GDPの差は僅少であり、こ の差を無視した.

資料: World Bank, World Development Report 2005;国際東アジア研究センター「東アジア への視点」,特別報告「東アジア経済の趨勢と展望」など.

(3)

 図をみると,東アジア諸国では中国を除いて,「1人当りGDP」の成長率が 1984〜86年ごろと,「アジア金融危機」の生じた1997年ごろとで,二回に わたって大きく屈折し,ダウンしている国が多い.

 ただ中国は例外である.1995〜2003年間も依然9%前後の高いGDP成長 が続いているため,これをper capitaにしたとしても,年率7.4%の上昇が続 いているという結果が導かれるからである.いま仮にこのテンポが2020年ま で続くものと仮定すると,中国では2020年には,1人当りGDPがほぼ1980 年当時の日本の水準に到達するという観察が,この半対数図表の目察から導 かれる.

 さらに,マレーシア,タイについて97年以後の「アジア金融危機」による 成長屈折のため,今後は低目の4.4%の伸びが続くものと仮定した場合,どう やら2020年には同年次に中国が到達した水準とほぼ同一水準になるという判 断も導かれる.

 グラフをみると,韓国の1人当り実質GDPは2003年には,1980年ごろの 日本の水準にすでに到達していたことがわかる.そして,仮に「アジア金融 危機」以後の低目の成長テンポ(ここでは1997年と2003年を結ぶ線)が,その 後も続くものと仮定した場合には,韓国が2020年には2003年時の日本の1 人当り実質GDPに到達するという判断(A)も導かれる.

 だが,反対に今後はより高率の1997年以前の数ヵ年のテンポに復すると仮 定すれば,すでに韓国は2010年ごろに日本の2003年レベルに到達してしま うという結果(B)も導かれる.

 しかし,こうしたいくつかの目察による判断の基礎に対して,疑問を投げ かける人も当然出てこよう.たとえば,第 1 表には2003年時点について世銀 推計による1人当り総所得(為替レート換算値)とその購買力平価ベースでの 計数とが比較されている.同表では,中国の場合,為替レート換算値(A)を 購買力平価ベースの計数(B)に比べると,その比は僅か22%だという極端に 低い結果が示されている.だが,いかに中国の為替レートが「割安」なレベ

(4)

ルにあるとはいえ,22%とはひどすぎる.だから,こういう帰結をもたらす PPPベースの世銀推計値がもともと過大であろうから信頼できないという疑 念を抱く人も当然出てこよう.

為替レート換算 A

購買力平価ベース

B A / B

ドル ドル %

日本 34,510 28,620 120.6

香港 25,430 28,810 88.3

シンガポール 21,230 24,180 87.8

韓国 12,020 17,936 67.0

マレーシア 3,780 8,940 42.3

タイ 2,190 7,450 29.4

インドネシア 810 3,210 25.2

中国 1,100 4,990 22.0

ベトナム 480 2,490 19.3

第 1 表 1人当り総所得(2003年)―為替レート換算値とPPPベース―

資料:World Bank, World Development Report, 2005.

 しかし,中国だけではない.マレーシア,タイ,インドネシア,ベトナム もまた,この第1表では,両者の比A / Bが30%以下なのである.したがって,

どうやら世銀推計で,このA / B比率が低位にあるのは,「後発国一般」の共 通の現象とみなされているのかもしれない.そう思って,世銀推計のもたら す結果を,全世界の国々について細かにチェックすると後発諸国の大半が大 幅にA<Bの状態にあることが判明する.したがってA<Bの現象はけっし て中国や一部の東アジア諸国にかぎられた特殊の現象ではない点に思いを致 さねばならない.

2 投資循環と輸出循環

 封鎖的な経済モデルで循環現象を考える場合に,よく念頭におかれるのは

「資本ストック調整原理」である.一国の供給力に比べて,将来持続的な需要

(5)

超過が予想される場合には,この「供給力不足」の期待は,投資/ GDP比率 を押し上げる.しかし,逆にこれが行き過ぎて「供給力超過」の局面に移行 すれば,投資/ GDP比率は反対に低落に向うだろうという考え方がこれであ る.

 もちろん,1997年以降のタイに端を発して生じた「金融危機」を分析する 場合には,それ以前に「為替レート調整」が不十分だったのではないかとい うポイントも分析されねばならない.また,1997年以前に生じた海外からの 巨額の資金流入や,それに平行的に発生した急角度のマネーサプライの上昇 がバブル要因を大きく累積したという事実にも留意されねばならない.さら に,97年以降に発生した巨額の「海外流入資金の引揚げ」も,バブル崩壊に 拍車をかける追加的な役割を果したのかもしれない.しかし,これら諸要因 のほかに,「国内要因」がなかったかといえばそうではない.「資本ストック 調整要因」がこれである.ここではまず,この要因の強度を確認するために,

まず第 2 図を造り,1960〜2003年という43年間の総固定投資/ GDP比率の 搖れを,国別にチェックしてみよう.

 ところで,第2図に示された6ヵ国に共通した特異の現象は何か.まず 1980〜86年ごろには,タイ,インドネシアを除く4ヵ国では,総固定投資

/ GDP比率に大幅な低落が生じたという事実がこれである(韓国:7934.1%

→86年28.4%,台湾:80年30.6%→86年18.1%,マレーシア:82年36.3%→87年 23.0%,フィリピン:83年29.9%→86年16.0%).もちろん,タイ,インドネシア でも多少の投資比率の低落が生じてはいるが,この4ヵ国ほど大幅の低落が 生じたわけではない.しかし,このことから80年代前半には東アジア諸国で 注目すべき投資比率の低落が生じたという一般的帰結を導くことができる.

 しかし,90年代前半から2002〜03年にかけてもこれに匹敵する大きな 投 資 比 率 の 低 落 が 生 じ て い る( 韓 国:96年37.6% →2002年29.1%, 台 湾:95 年24.9%→2003年17.4%,マレーシア:95年43.6%→2003年23.0%,タイ:96年 41.1%→2002年22.9%,インドネシア:90年36.1%→2003年19.7%,フィリピン:

(6)

第 2 図 東アジアの総固定投資/ GDP比率―そのトレンドと中期循環―

注:1.マレーシア1963年以前は在庫投資を含む総投資/ GDP比率である.

  2.インドネシアは全部が在庫投資を含む総投資/ GDP比率によっている.

資料: IMF; International Financial Statistics;国際東アジア研究センター「東アジアの

視点」, 特別報告「東アジアの経済の趨勢と展望」; 台湾は「国民経済動向統

計季報」.

(7)

97年24.4%→2003年16.6%).

 しかも,仮に韓国・台湾をとるならば,前回の投資比率の谷(85年)から

今回の2002〜03年の谷まで,17〜18年という長い期間の投資循環が浮び上っ

てくる.しかし,その間単なる「資本ストック調整」の波が発生しただけだ と片付けてしまうこともできない.またこれは10年周期の「ジュグラーの波」

よりは長いから,ただ「建設の波」だろうと,はじめから割り切ってしまう 行き方も,単純すぎよう.何よりも1997年に発生した「アジア金融危機」が どのような爪跡を残したかを数量的に浮び上らせる必要があるからだ.「金融 危機」後の投資比率の低下の幅は通常の中期循環におけるそれをはるかに超 ゆるものがあったことも,われわれは銘記しておく必要がある.

 ただ,第2図では「政府公共投資」を含んだ「総」固定投資/ GDP比率が 示されている.そこで,これを除いた総「民間」固定投資/ GDP比率の動きを,

期間は短くても,韓国,タイ,マレーシアについて調べてみようとして描か れたのが第 3 図である.もちろん,ここでいう「民間」固定投資には,個人 住宅投資も含まれているから,日本でよく用いられる「民間設備投資」その ものとは同じではない.期間は1985年以降に限られるにせよ,この政府投資 を除いた投資/ GDP比率もまた,「危機」以後大幅に低落したことをはっきり と示す一表を形づくっているかと思われる.

 しかし,しばらくは,依然として総固定投資の計数を利用しながらも,ほ ぼ10年周期のその投資成長率の波(点線)が輸出成長率の波(実線)とどのよ うな係わりを示していたかを1970年以降について図示しておきたい(第 4 図).

ただ,ここでの投資循環(点線)は投資/ GDP比率の形ではなしに,名目総固 定投資の年々の成長率で示されている.他方「実線」は原則として,それぞ れの国の「通関統計」をベースにした名目輸出成長率を示し,自国通貨建て である.ただ,韓国では,1994年以降通関統計は「米ドル建て」表示に変更 されたので,対米為替レートによって,これをウォン表示に変換した.また 台湾の場合は,「自国通貨建て」の通関統計は入手できなかったので,国民所

(8)

得統計における「商品サービス輸出」からサービス分を差し引いて,これを 使用した.

 第4図では,まずタイ,マレーシア,韓国における投資の変化率が1998年 には,これも際立ったマイナス値を示していることを知る(タイ→−35.2%,

マレーシア→−37.5%,韓国→−16.0%).これは明らかに「1997年危機」から の強いインパクトである.しかし,台湾については,この金融危機からの影 響はみられないが,代ってアメリカ90年代の活発な投資ブームの崩壊からの 影響が顕著に現われている(2001年→−21.5%).

 大ざっぱにいって,第4図からは次の3つの観察が浮び上ってくる.

 ⑴「アジア金融危機」からのマイナスのインパクトは,1998年にはとりわ けシャープな形で表われているが,この1点を除けば,商品輸出の成長率循 環(実線)と総固定投資の成長率循環(点線)の間には,タイ,マレーシアの 場合,かなりきれいな対応関係が存在していることがわかる.さらに,輸出(実

第 3 図 「民間」固定投資/GDP比率―韓国,タイ,マレーシア―

資料:国際東アジア研究センター資料(第2図と同じ).

(9)

第 4 図 東アジアにおける投資循環と輸出循環 資料:IMF, International Financial Statistics; 国際東アジア研究セン    ター資料(第2図と同じ)など.

(10)

線)は投資(点線)に対して,両国とも1〜2年先行性を示している.しかも,

それがほぼ10年周期のジュグラー型を形成していることを知る.この場合,

タイ,マレーシアでは,輸出が投資にはっきりした先行性を示しているとい う事実は,両国の投資循環が取引相手国のジュグラー波の影響を強くうけて いる結果かもしれない.

 ⑵ただ台湾の場合には,10年周期のジュグラーの波が存在しているとはい えない.しかし,明瞭なことは,90年代半ばごろまでは,実線(輸出)が点 線(投資)に対して,伸び率が先行性を示し,その後は両者は共変関係に転じ たということである.ただ台湾の輸出の場合は,アメリカや中国の経済に大 きく依存しているから,このような結果が生じたことは不思議ではない.中 国は循環より成長トレンドが強いが,そうであれば,台湾の輸出にジュグラー 波の搖れが強く現われていないという一点は理解できよう.また対米関係で は,2001年の輸出成長率の低落(2000年18.0%→2001年−10.4%)に対応して 投資の伸びが6.7%から−21.5%と急落していることも,米台経済関係の緊密 さを示しているかに思われる.

 ⑶韓国の場合は,1970〜82年間は輸出の伸びが投資の伸びに1〜2年先 行していたことは明瞭である.しかし,その後は先行・遅行の関係は消滅し たといえるかもしれない.ただ,「トレンド」として観察すると,実線で示し た輸出の伸びの低下と点線で表わした投資の伸びの低下との間には,「傾向的」

には共変関係があったといえる.総じて台湾・韓国の場合は,10年前後の輸出・

投資の循環現象は必ずしも見出し難いが,タイ,マレーシアの場合はそれが はっきりと浮び上っているというのが,第4図から引き出される結論である.

 ところで,これまで投資/ GDP比率や投資の年変化率を計算する場合には,

第2図でも第4図でも原則として政府固定投資を含む「総」固定投資が用い られてきた.しかし,輸出に誘発されて動く投資はむしろ「民間」投資である.

そこで,一方政府固定投資を含む「総」固定投資と,他方民間に限定した「民 間」固定投資の「年々の変化率」を,限られた期間ではあるが,80年代半ば

(11)

以降について,第 2 表で対比しておきたい.両者の間には,多少の開きはあ るにしても,変化率の山と谷(○と▲)にかなりの対応性があることも,あら ためて確認可能である.

韓国 台湾 タイ マレーシア

「総」

固定投資

「民間」

固定投資

「総」

固定投資

「民間」

固定投資

「総」

固定投資

「民間」

固定投資

「総」

固定投資

「民間」

固定投資

1985 9.6 % % % % % %

1986 15.1 15.7 11.6 11.6 1.8 7.0 −18.4 1987 20.2 24.3 20.3 26.3 23.0 35.1 −3.1 1988 21.0 23.5 17.8 21.2 33.2 42.2 19.9 1989 20.8 22.8 18.5 14.0 34.4 37.1 37.1

1990 39.9 33.4 11.0 −5.1▲ ○37.2 36.2 24.7 % 1991 26.7 26.6 10.5 4.8 18.3 2.0 23.2 24.5 1992 7.5 4.9▲ ○20.8 31.7 6.5 15.6 19.5 3.7 1993 10.5 7.2 15.6 20.3 12.7 13.8 21.3 27.3 1994 15.9 22.4 6.7 9.8 15.7 13.0 17.5 26.1 1995 27.8 20.9 10.2 14.7 18.5 18.5 23.3 28.6 1996 13.0 14.9 −1.3 0.2 10.1 5.9 11.2 14.3 1997 4.0 −0.1 9.6 17.1 −15.5 −26.3 12.7 12.9 1998 −16.0 −37.4▲ ○10.8 15.0 −35.2 −43.8 −37.6 −51.9 1999 7.1 34.7 0.2 -1.7 -6.7 −9.1 −13.3 −29.7 2000 14.3 17.7 6.7 13.4 11.9 26.8 33.2 40.6 2001 2.2 −0.2 −21.5 −29.3 9.3 15.5 −5.0 −21.7 2002 −8.3 10.4 −2.5 2.0 5.6 10.3 −0.7 −15.0 2003 7.4 6.6 −0.7 −0.5 14.4 19.9 4.0 1.6 第 2 表 東アジアにおける「総」固定投資と「民間」固定投資―変化率の差―

資料: 主として国際東アジア研究センター「東アジアへの視点」,特別報告「東アジア経済の趨勢と 展望」によった.

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3 GDP

の成長率循環

 さて,ここまではもっぱら投資や輸出の成長率循環の実相を浮び上らせる ことに主力がそそがれてきた.しかし,こんどは両者を含むGDP全体の成長 率のうねりが,マレーシア,タイ,フィリピン,ならびに台湾・韓国でどの ような経過を辿ってきたかにフォーカスを当てよう.これまで投資や輸出を 名目値で処理してきたが,このGDP全体の成長率を問題にする場合には,「実 質値」を用いることにする.第 5 図の上部では,マレーシア,タイ,フィリ ピンの3ヵ国とも,やはりGDP成長率が1985年と1998年に予想外に大きな 低落を示していることを知る.この事実は,第4図の投資・輸出サイクルの 場合と全く同様である.

 すでに述べたように,この2ヵ年のダウンが桁はずれに大きかったことは,

資本ストック調整原理による中期的な投資調整以外に,何か大きな外生的 ショックが別に働いたという判断を棄てがたいものにする.すでに1997年の

「アジア金融危機」がもたらしたインパクトについては触れた.しかし,1985 年はどうか.1985年には,「プラザ合意」が成立し,ドルの大幅切り下げが 行われ,そのため他諸国の通貨も反対に大幅の引き上げが余儀なくされた年 次であった.ただこれがどのような経路で個々の国々に影響を与えたかは,

ここでは触れることができない.

 台湾・韓国(第5図下部)でも,この1985〜86年には,はっきりした谷を 示している(それぞれ▲2でこれを示す).しかし,それ以前に台湾では1982 年,韓国では1980年により大きな谷が発生している(これをそれぞれ▲1で示 した).当時は第2次石油ショックによって発生した大幅の原油価格の高騰が 影響して,1980〜83年にかけて先進諸国では3年にわたる長期不況が発生 したが,台湾・韓国もまた同様のインパクトをまともに受けた結果だと推察 される(▲1).したがって,この80年代には,こうした二つの外的ショック と経済内の投資調整過程,この二要因が混在して,強い影響を与えたものと

(13)

第 5 図 GDP成長率循環

資料:IMF, International Financial Statistics; 国際東アジア研究セン    ター資料(第2図と同じ)など.

Ⅱ台湾・韓国

Ⅰマレーシア・タイ・フィリピン

(14)

みることができよう.

4 資本ストック調整 vs

それ以外の要因

 1990年代後半,アジアNIEsやASEAN諸国に生じた顕著な投資の減退に対 して,いわゆる「資本ストック調整」が大きく働いていたことは否定しがた い.いま政府固定投資を除いて計算した総「民間」固定投資/ GDP比率をみ ると,1985→95年の投資上昇期には,韓国では,それが25.3%から33.0%

へ,タイでは18.5%から32.1%へ,そしてマレーシアでは15.8%から31.2% へと,顕著な急上昇が生じた.しかし,そのあとで,この投資比率は,韓国 では19.2%(98年の谷),タイでは11.6%(99年の谷),マレーシアでは7.0%(2003 年の谷)という低位に向けて,物凄く大きな下落を示した.こうした民間投資 比率の下方調整の背後には,もちろん過剰設備除去のための「ストック調整 原理」が当然働いていたはずである.これらの民間固定投資/ GDP比率の上 昇と下降の背後には,当然投資循環浮揚の行き過ぎに対する中期的な下方調 整要因が循環的に働いていたと考えられるからである.

 しかし,問題は90年代後半から2003年にかけて,これら数ヵ国では,下 降した投資比率のレベルが,先行する前回85年の谷の投資比率の数値をいず れも大きく下回るに至ったという事実にある.それゆえ,われわれはこの時 期の東アジア経済では「資本ストック調整」以外の要因も働いていたことを 意識し,それが何であったかを追及する必要に迫られる.

5 為替調整は本当に不充分だったか

 「アジア金融危機」をとり上げる場合,当初は東アジア諸国の「対米為替レー ト」の調整の不十分だけが論議の対象となる時期があった.たとえば,「危機」

以前には,タイのバーツが「経常収支赤字」の持続的上昇(85年15.4億ドル,

90年72.8億ドル,96年146.9億ドル)にかかわらず,「ドル・ペッグ」の状態に 据えおかれるままであったために,結局は国際投機筋のバーツ売りを呼び起

(15)

し,「危機」が発生したと論ぜられがちであった.

 たしかに,対米レートの固定性ないしドル・ペッグの存在は否定できない.

しかしながら,「危機」発生に先立って,「対日」為替レートは,1985年から 95年に至る10年間,アジアNIEs平均では実に49%という大きな切下げが 行われていた(韓国55.5%,台湾40.7%,香港60.3%,シンガポール38.8%のカッ ト).さらに,ASEAN4平均でも,この「対日」為替レートは平均してこの期 間68%も切り下げられた(タイ57.1%,マレーシア60.9%,フィリピン71.5%,イ ンドネシア81.0%).この事実は「対米」為替レートだけを観察対象とする分析 が不適切だったということを示している.もちろん,これは1985年プラザ合 意時の円の対米大幅切上げと,東アジア諸国の対米レートの固定性の結果と して発生した複合的現象であることはいうまでもない.

 そこで,東アジアから,いま香港,タイ,マレーシア,韓国の4ヵ国を選び,

第 6 図でそれぞれの対米為替レートと対日為替レートの経過を,1985年以降 について描いてみる.

第 6 図 東アジアの対米為替レートと対日為替レート 資料:IMF, International Financial Statistics; 内閣府「海外経済データ」.

(16)

 まず「Ⅰ.香港」をみると,その「対米レート」はいわゆる「カレンシー・ボー ド制」の下で,その間殆ど固定され,ドル・ペッグの状態におかれていたこ とがはっきりする.しかし,その「対日レート」(円/ HKドル)の方は,85年 の30.62円から「アジア金融危機」直前の96年の14.07円まで,何と46%と いう低水準に向けて落ち込んでいた(切下げ率は54%!).したがって,その間 香港の対米レートが対米ペッグの状態にあったとしても,その他の取引相手 国との為替レートをも合成した「実効レート」が計算されたときには,けっ して不変であったとはいえない.

 「Ⅱ.タイ」の場合も,その対米レート(USドル/ 100バーツ)は85年の3.68 ドルから96年の3.95ドルまでは,大した変化を示してはいなかった.たし かに,経常収支の赤字はその間急テンポで増大傾向を辿った.だから,バー ツの対米ペッグに近い状況が「危機」発生を招いた重要な背景だという論議 も当然起りかねない状況下にあった.

 しかし,もし第6図の「Ⅱ.タイ」に図示されている「対日レート」の大 幅な下落をも含んで考えるならば,タイの場合数々の貿易相手国を含んだ総 合実効為替レートは,85〜96年間も不変どころか,かなりの低落を示した はずである.

 同じ分析は「Ⅲ.マレーシア」「Ⅳ.韓国」についても成立する.マレーシ ア,韓国とも対米レートそのものには大きな変化はなかった.しかし,この2ヵ 国とも,対日レートには「危機」以前顕著な低落傾向が存在したことは,第 6図の明示するところである.

 したがって,「危機」以前の東アジア諸国の対米ペッグを「危機」発生の主 要因と考える議論は,この一点の分析が不十分かつ薄弱だったと考えるほか ない.

6 中国の場合

 しかし,中国の場合には,すでにそれ以前に,対米,対日レート(公定)の

(17)

「両方とも」,驚くべきスケールで下落していた.ここでは,この一点にも,

関連した形で触れておく必要がある.対米レート(USドル/ 100元)は1980〜 95年の15年間に,66.8ドルから12.0ドルへと,実に82%も切下げられてい た.対日レート(円/元)に至っては何と93%という大幅の切下げ幅(151.4

→11.3円)が先行していた.しかも,中国のこの驚くべき切下げが,97年7 月のタイの「金融危機」発生以前の80〜95年の間に,すでに「先行的」に 発生していたという事実に気付かなかった論者が意外と多かったような気が する.

 ふつう,人民元の対米レートは,「元/ USドル」の形で表現される(2000年 以降の数字を使えば,1ドル=8.277元).しかし,これだと,その数値の上昇は 人民元の切下げを意味する.そこで,ここではもっぱら,その「逆数」(USド ル/ 100元)の形にし,100元当り12.1ドルといった形でこれを利用する.

 いま1980年からではなく,既出第6図に合わせて,「1985年以降」を考察 対象とすると,人民元は100元当りでは1985年は34.0ドル,95年は12.0ド ルとなるから,この1985〜95年の10年間でも,対米65%という大幅切下 げが行われていたことがストレートにわかる.しかし,対日レート(円/元)

に至っては,その間81.2円から11.3円へと切下げられたのだから,切下げ幅 は対米切下げ幅65%を遥かに上回る86%というスケールで行われたことが判 明する.

 再び1980年に遡る分析に戻ろう.たしかに人民元は,1995年以降は低位 だが安定している.しかし,いま「1980〜2004年」という四半世紀について,

中国の対米レートと対日レートを,半対数図表に図示してみよう(第 7 図).

そうすると,半対数図表であるから,1980〜95年間,対日レート(円/元)

が対米レート(USドル/ 100元)より大きな「傾斜」で低下し,ここでも対日レー トの引下げ率が対米レートのそれを大幅に上回っていたことがグラフの上で も明瞭になる.

(18)

 たしかに,1995年以降は中国では,対米レートと対日レートの両方とも比 較的安定しているが,この点だけをみて,人民元はさして割安ではないと判 断されたら,それは正しくはない.人民元はそれ以前の1980〜95年間にす でに途方もなく大きな切下げが行われていたことを,この第7図から引き出 すことができるからである.為替レートを論ずる場合,人はとかく「短期」

の動きの観察だけに終始しがちであるが,中国の場合その種の議論のために は,実は20年以上の過去に遡る計数を用いた先行的な長期的分析が不可欠で あったことが知らされる.そして,第7図はその必要を強く示唆している.

 主として,アジアNIEs,ASEAN4の為替レートを中心として,その固定性 いかんを分析することがこの論文の主題であった.しかし,中国ではその対 米レートさえもが,過去四半世紀の間驚くべき「下方可変性」を示し,その 後に発生した年率平均20%前後の高い輸出成長力を用意していたという一点 をここで付記し,強調しておかねばならない.

 もちろん,以上は中国の「公定為替レート」を中心とした分析である.た だ市場レート(swap rate)を含む分析は,すでに拙著『中国経済の巨大化と香港』

(勁草書房,2003年)で,行われているから,ここではその問題には立ち入らな 第 7 図 中国の対米為替レートと対日為替レート

資料:IMF, International Financial Statistics;内閣府「海外経済データ」.

(19)

いことにする.

7 投資収支と経常収支

 香港,シンガポール,台湾は別だが,ASEAN4では,「アジア金融危機」以 前例外なしに,「経常収支」赤字の拡大が続いていた.韓国の場合も,1986

〜89年と1993年の5ヵ年は黒字だったが,それ以外の年次は経常赤字の状 況を続けた.

 ここでは,まず代表的にタイをとりあげて第 8 図を作成すると,1985年か ら96年までは,経常収支の赤字は拡大の一途を辿ってきたが,「資本収支」

の大半を占める「投資収支」の方は,96年まではその黒字幅を大きく拡大さ せていたことがわかる.しかも,96年になると,投資収支黒字は195億ドル となり,同年の経常収支赤字147億ドルを48億ドルも上回った.したがって,

海外からの直接投資,証券投資,銀行融資の大幅の流入はいうに経常収支赤 字をカバーして余りある状態となっていた.

第 8 図 タイの国際収支(1985〜2003年)

注: 「経常収支」に対比されるのは「資本収支」だが,ここでは「投資収支」(financial aucount)と「その他資本収支」の合計のうち,「その他資本収支」は少額かつゼロ の年も多いので,これを除いた「投資収支」をそのまま用いた.

資料:IMF, International Financial Statistics.

(20)

 この傾向は,「危機以後」は逆転する.「経常収支赤字」は「経常収支黒字」へ,

「投資収支黒字」は海外からの融資の引揚げによって「投資収支赤字」の状況 へと一変する.タイの場合は,1998〜2003年間の「投資収支」のトータルは,

一転して498億ドルの赤字となり,その間に発生した「経常収支黒字」の合 計額571億ドルを下回るという状況に変貌した.

 これと同じ傾向は第 3 表によって,タイを含むASEAN4の集計値について も確認される.ASEAN4を構成する国々も,「危機以前」は大幅の経常収支 赤字を投資収支黒字が穴埋めし,しかも若干の余裕を残していたからである.

しかし,「危機以後」は,それ以前に大きく流入した海外資金は一挙に引揚げ られ,投資収支は負の値に逆転する.ただ韓国の場合は,「プラザ合意後」の 86〜89年という数ヵ年だけ経常収支は黒字であった点が,ASEAN4とは異 なっている.

 総じていえば,経常収支が赤字になっても,投資収支が黒字となってそれ を十二分に穴埋めすることができれば,経常収支が赤字でも,為替レートが 切下げられる必要はなかったことが判明する.

 「1997年危機」が発生した当時,私は「国際決済銀行」(BIS)の発表してい る資料をここでの第 4 表の形にまとめて,一論を書いたことがある.これに よると,1993年12月から「危機」発生の97年6月までの3年半の間に主要 先進国からこの地域への融資残高トータルは2.12倍に増えていた.これに対 比すると,邦銀からの融資残高はその間1.70倍に増えただけだから,主要先 進国全体の中では邦銀融資の比重は39.6%から31.8%へと,むしろ減少した ことになる.そして,邦銀融資はこの地域全体として1.7倍に増えたにとど まる.しかし,いまこれを「タイ」に対する邦銀融資だけに限定すると,そ れはこの間161億ドルから377億ドルへと2.34倍も増えたことになる.しか も,主要先進国融資残高に占める邦銀の比重はタイでは93年55.3%,97年 54.3%と,日本の比重は殆ど変らなかったことがわかる.とはいえ,当時タ イ向け邦銀融資の比重(B / A)が50%以上であり,他の東アジア諸国の場合

(21)

よりも大であったという事実は動かない.「危機」の発火点がタイであっただ けに,この一点は注目を要するポイントかもしれない.

 しかし,それにもかかわらず,93〜97年の主要先進国全体の融資残高の

経常収支 投資収支

韓国 ASEAN 4 韓国 ASEAN 4

1980 −5.3 5.9

81 −4.6 −7.7 4.7 9.0

82 −2.6 −13.1 4.0 13.5 83 −1.5 −15.5 2.3 11.5

84 −1.3 −6.9 2.8 9.8

1985 −0.8 −4.1 1.7 5.6

86 4.7 −2.8 −4.1 5.3

87 10.1 −0.3 −10.2 3.3

88 14.5 −1.6 −4.7 4.6

89 5.3 −4.7 −2.6 12.2 1990 −2.0 −13.8 2.9 17.4

91 −8.4 −17.0 6.7 26.0 92 −4.1 −12.3 7.0 27.6 93 0.8 −14.5 3.2 30.2 94 −4.0 −18.3 10.7 22.4 1995 −8.6 −30.6 17.3 45.1 96 −23.1 −30.8 23.9 51.1 97 −8.3 −18.2 1.9 −4.0

98 40.4 29.5 −3.4 −25.8

99 24.5 38.0 2.4 −25.9

2000 12.3 32.1 12.7 −28.6

01 8.0 21.7 −2.7 −15.9

02 5.4 26.7 7.3 −9.5

03 12.0 32.2 15.3 −17.3

第 3 表 東アジアの経常収支赤字と投資収支黒字     (単位10億USドル)

資料:国際東アジア研究センター「東アジアへの視点」,特別報告「東アジア経済の趨勢と展望」.

(22)

伸びが,邦銀の融資残高の伸びよりかなり高かった(2.1倍対1.7倍)というこ とは,この地域のバブルの大型化が他地域からの融資の激増によって実現し たという事実を示唆している.現実にはヨーロッパからの短資の流入がとり わけ大きかったようである.しかも,このBIS統計には,銀行からの融資の ほか,投信,とりわけ「ヘッジ・ファンド」による短期資金の大量の国際間 移動も含まれている.当時「21世紀型金融危機」といわれたのは,このため である.この新型の「危機」が大型バブルの発生・崩壊と連係して実体経済 に与えた打撃は当時深刻なものがあったといわざるをえない.これが,投資 循環のストック調整要因につけ加わった金融的側面であり,97年の「危機」

後の打撃(投資比率の大幅の低下)を深刻にした追加的な背景となったといわね ばならない.

主要先進国融資残高

(A)

うち邦銀融資残高

(B) B / A

1993.12 1997.6 1993.12 1997.6 1993.12 1997.6 中国 32.5(18.7%) 57.9(14.9%) 12.9(17.7%) 18.4(14.9%)39.7 % 31.8 % 韓国 40.3(22.0) 103.4(26.6) 12.0(16.5) 23.7(19.1) 29.8 22.9 台湾 15.2(8.3) 25.2(6.5) 4.1(5.6) 3.0(2.4) 27.0 11.9 タイ 29.1(15.9) 69.4(17.8) 16.1(22.1) 37.7(30.5) 55.3 54.3 フィリピン 5.6(3.1) 14.1(3.6) 0.9(1.2) 2.1(1.7) 16.1 14.9 マレーシア 12.6(6.9) 28.8(7.4) 5.2(7.2) 10.5(8.5) 41.3 36.5 インドネシア 29.9(16.3) 58.7(15.1) 16.4(22.6) 23.2(18.5) 54.8 39.5

「香港・シン ガ ポール 以 外 のアジア 計」

183.3(100.0)389.4(100.0) 72.7(100.0)123.8(100.0) 39.6 31.8

(100.0)→(212.2) (100.0)→(170.3)

第 4 表 アジア主要国向け融資残高―邦銀の比重―

注:「香港・シンガポール以外のアジア計」には上記以外の若干の国を含む.

資料: BIS, The Maturity, Sectoral and Nationality Distribution of International Banking Lending;篠原『長 期不況の謎をさぐる』(勁草書房,1999年).

(単位:10億ドル)

(23)

8 「97

年危機」とその金融的側面

 この「金融危機」はタイから始まった.いま第 5 表にIMF資料を利用して,

タイの国際収支データ(フロー・データ),預金銀行データ(残高データ)によって,

「危機」の1997年前後にどのような変貌が現われたかをチェックしてみよう.

〔国際収支統計〕(100万USドル) 〔預金銀行統計〕(10億バーツ)

対内 直接投資

a

対内 証券投資

b

その他の対内投資

〔政府・通貨当局関係を除く〕

c

対民間部門 信用残高

A

対外 債務残高

B

B / A

1990 2,444 −38 7,996 1,409 110 7.8 %

91 2,014 −81 9,633 1,697 124 7.3

92 2,113 924 7,091 2,045 168 8.2

93 1,804 5,455 7,203 2,537 352 13.9 94 1,366 2,486 10,544 3,304 780 23.6 1995 2,068 4,083 19,336 4,089 1,164 28.5

96 2,336 3,585 11,934 4,688 1,249 26.6 97 3,895 4,598 −12,819 5,730 1,904 33.2

98 7,315 338 −19,001 5,300 1,066 20.1 99 6,102 −109 −17,626 5,015 718 14.3 2000 3,366 −546 −11,050 4,212 566 13.4 2001 3,892 −525 −7,872 3,775 462 12.2 2002 953 −694 −10,254 4,405 413 9.4

2003 1,949 −851 −11,011 4,705 336 7.1

2004 1,412 61 −2,279 4,958 395 8.0

第 5 表 「危機」前後のタイの国際収支と金融構造

注: 「国際収支」データは年々のフローデータであるのに対して,「預金銀行」データは残高データ である.

資料:IMF, International Financial Statistics.

 いまその国際収支勘定における「投資収支」をとり上げ,その対外債務増 加額の中で,「対内直接投資」と「対内証券投資」をみると,「対内直接投資」

(a)は94年の13.7億ドルから98年の73.2億ドルへと急上昇したが,そのあ

(24)

と2004年の14.1億ドルへと大幅の縮小を示していることが判る.これから「危 機」の発生は,流入する直接投資の量にも大きな打撃を与えたことがわかる.

 他方,「対内証券投資」も90年代初頭のマイナスの状況から,97年の46 億ドルの規模に拡大したあと,1999〜2003年には負の値に転じている.し かし,そのほか対外債務の増減を示すものとして,「その他の対内投資」がある.

この中から政府・通貨当局関係をとり除いた金額を,いまc欄で示すと,こ の金額は92年の70.9億ドルから95年の193.4億ドルへと,2.7倍激増を示し たあと,2003年にはマイナスの110.1億ドルに向けて大幅の減少を示す.こ の「その他の対内投資」は,「対内直接投資」「対内証券投資」より絶対額も 変動の規模も大きい.おそらく,海外の銀行やヘッジ・ファンドを通ずる資 金の流出入がこのc欄の金額に現われたのであろう.

 他方,「預金銀行」(deposit bank)の統計から「対外債務残高」(B)を調べて みると,90年の1,100億バーツが97年には1.9兆バーツへと急上昇(17.3倍)

したあと,これが2003年には3,360億バーツへと急低下を示している.たし かにこれは「預金銀行」のデータであって,全金融機関の計数を示すもので はない.しかし,「危機」の以前から以後にかけて,預金銀行のもつ対外債務 残高がいかに巨額の激減を示したかを物語って余りあるデータである.いま この「対外債務」残高(B)を「対民間部門信用」(claims on private sector)残高(A)

と比較すると,このB / Aに当る比率は,91年の7.3%から,97年の33.2%に 大幅の上昇を示したあと,2003年には7.1%へと急角度の縮小を示している.

「危機」の前後で,民間銀行が示した対外活動の激変がどの程度のものであっ たかという事実はここに如実に示されている.

 ところで,こうしたタイにおける対外債務の急増と急減の中で,マネー サプライがどのような変化を示したかを,第 6 表でみる.マネーサプライ は,1985年から97年までの間に7.3倍にふえた.これはその間における名目 GDPの増大倍率4.4倍を大幅に上回る.その結果,マネーサプライ/ GDP比 率は,その間56%から94%へと引上げられた.こうした動きは,タイ経済で

(25)

その間バブル要因がじわじわと積み上げられていたことを示している.そし て,それがストップしたとき,そのマイナスのインパクトが国内景気に深く 浸透し,強く残留する結果となった.

マネーサプライ a

GDP b

マネーサプライ/GDP a / b

1985 594(100) 1,056(100) 56.3 %

1990 1,529(257) 2,184(207) 70.0   1997 4,341(731) 4,609(436) 94.2   2000 5,190(874) 4,923(466) 105.4   2003 5,743(967) 5,930(562) 96.8  

第 6 表 タイのマネーサプライとGDP

注:ここでマネーサプライはIMF資料で money plus quasi-money とあるものを使用した.

資料: IMF, International Financial Statistics; 国際東アジア研究センター「東アジアへの視点」,特別 報告「東アジア経済の趨勢と展望」.

(単位10億バーツ)

 「97年危機」のあと,民間投資/ GDP比率が2000年以後も,タイその他東 アジア諸国で著しい低位に移行し,停滞状態を続けている背後には,中期循 環要因としての「ストック調整」のほかに,こうした国際金融市場の中で蓄 積された「バブル要因」の累積とその崩壊も大きな役割を演じたといわねば ならない.

 こうした諸要因の分析は,マレーシア,インドネシア,フィリピン,韓 国にも拡大できる.しかし,ここではとりあえず,第 7 表に簡易表を造り,

1985年=100として,これらの国々でマネーサプライがどの程度拡大したか,

またこのマネーサプライが対GDP比率(マーシャルのk)の形ではどの程度上 昇したかを計算してみた.参考として,日本の場合をその左端に掲げておい たが,注目すべきは,バブルが累積されたといわれる日本の1985〜90年間 のマネーサプライの上昇(1.64倍)よりは,一般に東アジア諸国では当時マネー サプライの上昇テンポが非常に高かったという事実にある.ただ「マーシャ ルのk」(M / GDP)が2003年時点ですでに130%を超えていた日本と,それが

(26)

1985年当時依然として40〜50%台にあったインドネシア,フィリピンとの 大きな差は,結局金融システムの成熟度の差を考えに入れることなしには説 明できない.

マネーサプライ

日本 マレーシア タイ フィリピン 韓国 インドネシア

1985 100 100 100 100 100 100

1990 164 157 257 229 240 365

1997 193 562 731 941 712 1,515

2000 213 712 874 1,291 1,444 3,222

2003 230 823 967 1,529 1,936 4,116

マネーサプライ/GDP

1985 91.3% 63.1% 56.3% 28.0% 34.0% 19.9%

1990 109.8 64.4 70.0 34.1 36.8 36.0

1997 109.3 97.6 94.2 62.0 41.4 51.0

2000 123.0 101.7 105.4 61.5 71.4 53.9 2003 136.5 102.1 96.8 56.9 76.8 40.8

第 7 表 インフレ要因としてのマネーサプライ

注: マネーサプライはIMF, IFSmoney plus quasi-moneyとあるもの.ただし,日本のみM2+CD を使用.

資料: IMF, International Financial Statistics; 国際東アジア研究センター「東アジアへの視点」;特別 報告「東アジア経済の趨勢と展望」;内閣府「四半世紀GDP速報」;日銀「金融経済統計月報」.

 しかし,ここでの問題は,これらの国々は,20年近くの間にマネーサプラ イの10倍ないし40倍といった大幅の上昇を伴った経済であり,結局テンポ のきわめて早い「インフレ的成長」の過程を辿ってきた経済であったという 事実にある.そのような経済ほど,内に「バブル要因」を大きく抱えこむこ とになるから,一端それが下方調整過程に入ると,正常の景気後退を超えて 不況が深刻化する可能性が出てくる.東アジアの国々でも,日本と同じよう に「不良債権処理」が大きな問題となったが,インフレによってバブルが一 挙にふくれ上った経済ほど,そのあとには「バランス・シート不況」ないし

debt deflation を余儀なくされる傾向が強められたためだといわねばなら

(27)

ない.

×   ×   ×

 要約すると,東アジア諸国では,「危機」以後も,⑴正常の「資本ストック調整」

のほかに,⑵為替レート調整を中心とした「通貨調整」の不十分(?),⑶ヘッジ・

ファンドなど,海外からの資金の流出入に伴う不安定化,そして⑷インフレ 的成長がもたらしたバブルの崩壊に伴って生じた debt deflation によって 不況が長引き,投資比率が大幅の下降を伴う過程が強められたと考えること ができよう.

(28)

The Doshisha University Economic Review Vol.57 No.3

Abstract

Miyohei SHINOHARA, The East Asian Economic Dynamics: Growth, Cycles and The Asian Financial Crisis

  It includes quantitative analyses of the growth and investment cycles of the East Asian Economies, covering the Asian NIEs and ASEAN4, in the past more than twenty years. Analytical emphases are particularly placed on the following factors; (1)capital stock adjustments, (2)changing processes of exchange rates, (3)unstable and massive fluctuations of overseas loans coming in and out, and (4)the accumulation and collapse of bubble factors accelerated by rapid inflationary processes in the past. It also covers the analyses of cyclical covariations of exports and domestic investments, and the dramatic ups and downs of the investment / GDP ratios, just before after the Asian financial Crisis of 1997.

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