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『三国遺事』「賢瑜珈海華厳」考

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(1)

『三国遺事』「賢瑜珈海華厳」考

著者 小林 純子

雑誌名 文化學年報

号 60

ページ 121‑149

発行年 2011‑03‑15

権利 同志社大学文化学会

URL http://doi.org/10.14988/00027664

(2)

『三国遺事』「賢瑜珈海華厳」考

著者 小林,純子

雑誌名 文化學年報

号 60

ページ 121‑149

発行年 2011‑03‑15

権利 同志社大学文化学会

URL http://doi.org/10.14988/00027664

(3)

﹃ 三 国 遺 事 ﹄

﹁ 賢 瑜 珈 海 華 厳 ﹂

小 林 純 子

は じ め に

﹃ 三国 遺事

﹄巻 第四 義解 第五 賢瑜 珈海 華厳 には 次の よう な説 話が 記さ れて いる

︒ 新 羅の 瑜 珈 の祖

・大 賢 が 弥勒 菩 薩 の 周り を 回 ると

︑弥 勒 菩 薩 も首 を 回 した

︒景 徳 王 天 宝 十 二 年 癸 已︵ 七 五 三 年

︶︑ 僧 大賢 が景 徳王 の命 によ り宮 中の 内殿 にま ねか れ

︑国 の 井戸 水 が 干上 が り 干 ばつ で 苦 しん で い るこ と を 知 る

︒大 賢が 香爐 を捧 げ持 って 黙っ てい ると たち まち 井戸 水が 出て きて

︑そ の高 さが 七丈 ほど にな った

!

︒ 本説 話は

︑韓 国慶 州に あっ たと され る茸 長寺 の弥 勒像 にま つわ る話 であ る︒ 本像 があ る南 山は

︑古 代新 羅時 代か ら 神 聖な 場所 とし て信 じら れて きた とこ ろで ある

"

︒そ の主 峰で ある 金鰲 山の 山 頂 付 近に

︑本 説 話 に語 ら れ てい る 丈 六 弥 勒菩 薩が 現在 も残 って いる

︒こ の石 仏の 様相 から 製作 年代 は八 世紀 ごろ とみ られ

︑説 話に 記述 され てい る年 代と ほ ぼ 同時 代で あり

︑景 徳王 十二 年に は弥 勒像 が既 にあ った と考 えら れる こと から 本説 話も その ころ には 語ら れて いた 可 能 性が 伺え る︒ 右記 のよ うな 新羅 時代 の弥 勒に 関す る説 話は

︑十 三世 紀末 に記 され たと され る朝 鮮半 島最 古の 史書

﹃三 国史 記﹄ に

― 121 ―

(4)

次 ぐ古 文献

﹃三 国遺 事﹄ に十 二例 記さ れて いる

︒そ の内 容か ら︑ 新羅 にお ける 弥勒 信仰 説話 は研 究史 にお いて 二大 別 さ れて きた

︒一 つは

﹃観 弥勒 菩薩 上生 兜率 天 経﹄ によ る 兜 率天 に 生 まれ る こ と を願 う 信 仰︵ 以後

︑上 生 信 仰 とす る

︶ の 説話 であ り︑ もう 一方 は﹃ 仏説 弥勒 下生 成仏 経﹄

﹃ 弥勒 大 成 仏経

﹄に よ る 弥勒 が 閻 浮 提と さ れ るこ の 世 に下 生 さ れ そ の姿 に値 遇し 説法 を聞 くこ とに より

︑こ の世 での 悟り をひ らく とす る弥 勒下 生信 仰︵ 以後

︑下 生信 仰と する

︶の 説 話 であ る︒ 上生 信仰 に分 類さ れた 説話 は︑ 巻第 三塔 像第 四南 月山

︑巻 第五 感通 第七 月 明 兜 率歌 な ど があ げ ら れる が!

︑亡 き 人 物 が兜 率天 に往 生し たと 明確 に上 生信 仰に 分類 され る根 拠と なる 信仰 理由 が記 述さ れて いる ため

︑先 行研 究に おい て も 一致 した 見解 が示 され てい るが

︑下 生信 仰と され る説 話に 関し ては

︑信 仰理 由が 明記 され てい ない ため 見解 がわ か れ てい る︒ 本説 話は 下生 信仰 の説 話に 分類 され てい るが

︑大 賢と いう 僧が 丈六 弥勒 菩薩 の周 りを 回る と首 を回 す︑ 大賢 が手 に し てい た爐 の霊 力に よっ て井 戸水 が湧 きあ がり

︑干 ばつ とい う国 家の 危機 を救 うと いう 二つ の霊 験譚 であ り︑ 下生 信 仰 説話 とは 大き く異 なる

︒よ って

︑本 説話 を﹃ 三国 遺事

﹄に おけ る新 羅弥 勒信 仰説 話の 従来 研究 史上 で分 類さ れて き た 信仰 とい う枠 組み では なく

︑弥 勒の 役割 で据 えな おし

︑本 説話 に記 され た丈 六弥 勒菩 薩の 意味 を考 察し たい

︒ 特に

︑本 説話 で語 られ てい る香 炉と され る爐 の記 述に 注目 し︑ 仏教 にお ける 香炉 と﹃ 三国 遺事

﹄記 載の 香炉 の役 割 の 違い から

︑僧 大賢 が手 にし てい た香 炉の 役割 を捉 え︑ そこ から 大賢 が仕 えて いた 弥勒 菩薩 の意 味を 考察 しよ うと い う もの であ る︒

『三国遺事』「賢瑜珈海華厳」考 ― 122 ―

(5)

﹃ 三 国遺 事

﹄ 弥勒 信 仰 説話 の 研 究史 と 問 題点 本

稿に お い て弥 勒 信 仰説 話 と は︑

﹁ 弥勒

﹂も し く は︑ 弥勒

Maitreya

︶の 漢 訳 で あ る

﹁慈 氏

﹂と い う 記 述 が 見 ら れ る 説 話 と範 囲 を 広げ て 定 義 し取 り 扱 うこ と と する

︒必 ず し も 弥勒 が 信 仰の 対 象 とし て 扱 わ れて い る もの だ け で は な い

﹃ ︒ 三国 遺事

﹄記 載の 弥勒 信仰 説話 に対 する 研究 は︑ 一九 七

〇 年に 八 百 谷孝 保 氏 が︑ 弥 勒経 典 に おけ る 分 類と 同 じ く 上 生 信 仰と 下 生 信仰 と に 大 別さ れ た︒ そ の上 で

︑﹁ 新 羅社 会 に お ける 弥 勒 信 仰 の 主 流 は﹃ 下 生 経﹄ に 基 づ く

﹂と し

︑ 下 生 信 仰が 新 羅 にお い て は 主流 で あ ると さ れ た"

︒ 八百 谷 氏 の 示さ れ た﹁ 下 生経

﹂に 説 か れた 弥 勒 信 仰と は

︑﹁ 弥 勒 が 下生 して く る 転輪 聖 王 の世 が 時 世安 楽 で あ り福 徳 人 が充 溢 で ある

# とい う 記 述 を根 拠 と され て お り︑ 弥勒 が 下 生 す る国 は福 に満 ち溢 れて おり その よう な理 想国 家の 形成 を願 う信 仰で ある と指 摘さ れて いる

︒し かし この 論述 に対 し 金

!

泰 氏は 十一 の説 話を 取り 上げ

︑﹁

﹃ 三国 遺事

﹄に 見ら れる 弥勒 信仰 の痕 跡は その よう な上

・下 生信 仰は 現れ てお ら ず

︑む しろ 新 し い独 特 な 新羅 的 信 仰思 想 を 示 して い る﹂$ と し︑ 経 典に お け る信 仰 形 態 が新 羅 に おい て 受 容さ れ た の で はな く︑ 新羅 的立 場か ら弥 勒思 想を 受容 し新 羅化 され た弥 勒信 仰と して 発展 し︑ その 特徴 が説 話に 現れ てい ると し た

︒そ の後

︑趙 愛姫 氏は

︑弥 勒信 仰を 上生 信仰 と下 生信 仰・ その 他説 話と 三分 類し

︑上 生信 仰と され てき た巻 第五 感 通 第七 月明 兜率 歌な どを その 他の 分類 に分 け︑ 経典 を元 にし た分 類と 新た な視 点の 分類 を示 唆し た︒ この よう に新 羅 弥 勒信 仰説 話の 分類 の見 解が 分か れる のは

︑そ の多 様性 によ ると 言わ ざる を得 ない

﹃ 三国 遺事

﹄に おけ る弥 勒に 関す る記 述は 添付 資 料

!

で 示し た 通 り十 二 例 を あげ る こ とが で き る︒ その う ち

︑上 生

― 123 ― 『三国遺事』「賢瑜珈海華厳」考

(6)

信 仰 の 特徴 が 現 れた 説 話 は︑ いず れ も 信 仰目 的 と して

﹁亡 き 人 の兜 率 天 往 生を 願 う﹂# と 記 述さ れ

︑経 典 の内 容 と 一 致 する ため 上生 信仰 説話 と位 置付 ける こと がで きる

︒し かし

︑下 生信 仰説 話と され てい るも のは

︑根 拠と すべ く記 述 も 見ら れな いた め︑ それ ゆえ 現在 に至 るま で見 解が 分か れて きて いる とも いえ る︒ さら に︑ 研究 者に よっ て下 生信 仰に 対す る見 解が 分か れて いる 点も 注意 すべ き点 であ る︒ 大き く二 つに 見解 が分 か れ てい るが

︑一 つは 弥勒 がこ の世 とさ れる 閻浮 提に 下生 する こと によ り福 徳に 満ち た世 界に なる とい う経 典に おけ る 記 述が 信仰 の根 底に あり

︑弥 勒が 下生 する こと によ り 理想 国 家 が形 成 さ れる も の で ある と い う見 解 と︑ も う 一つ は

︑ 弥 勒が この 世に 下生 しそ の説 法を 聞く こと によ り兜 率天 往生 でき ると いう 見解 であ る︒ 経典 には 両者 の記 述が みら れ る が︑ 前者 は経 典の 一部 の解 釈で あり

︑弥 勒下 生信 仰と は後 者を 示す ので ある

︒ 下生 信仰 に対 する 見解 も分 かれ てい るこ とか ら︑ 下生 信仰 の特 徴が 現れ た説 話か どう かを 検討 する に至 り︑ 弥勒 の 出 現の 記述 及び 信仰 目的 を経 典の 記述 と比 較す るこ とに よ り下 生 信 仰の 説 話 かど う か が 明ら か に なる と 考 え られ る

︒ 弥 勒下 生経 によ れば

︑弥 勒は 兜率 天か ら来 臨 する の で ある

︒で は

︑﹃ 三 国遺 事

﹄に 記 さ れた 弥 勒 説話 に お いて 弥 勒 は ど こか ら出 現し

︑ど のよ うな 存在 とし て記 され てい るの であ ろう か︒

﹃ 三国 遺事

﹄記 載の 弥勒 信仰 説話 を弥 勒の 現れ 方︑ 存在 の 意 味の 二 点 に注 目 し 添 付資 料

!

の 一 覧を も と にさ ら に 細 か く示 した

︒︵ 一 項に つき 一説 話と は限 らな い

︒︶

︿ 資料

"

﹀ 弥 勒の 出 現 及び 安 置 の 記述 は 七 例あ り

︑小 童 子も し く は 少 年に 化身 し出 現す るも の が二 例$

︑石 弥 勒 とし て の 記述 が 五 例%

あ る︒ 弥 勒が 小 童 子 およ び 少 年と い う 姿で 樹 下 に 出 現す ると いう 概念 は︑ 三品 彰英 によ って

﹁新 羅始 祖伝 説赫 居世 や金 閼智 など の始 祖伝 説に おけ る神 の来 臨が 小童 の 姿 で出 現す ると いう 古い 精神 の存 続﹂ と捉 えら れて いる

&

︒巻 第五 感通 第七 月明 兜 率 歌 にお け る 小童 に つ いて は 本 文 に

﹁天 の啓 示に よっ て 現れ た 印﹂' で あ り︑ ま た﹁ 天地 や 鬼 神さ え 感 動さ せ る ほ どの な み なら ぬ 存 在で あ る

( と 記 述

『三国遺事』「賢瑜珈海華厳」考 ― 124 ―

(7)

さ れて いる こと から も神 聖な 存在 とし て受 け止 めら れて いた こと が分 かり

︑首 肯す べき 見解 であ る︒ しか し︑ 本説 話は

︑石 弥勒 とし て記 述さ れた 事例 の五 例の 内の 一つ であ るが

︑先 行研 究に おい て︑ 石仏 の様 相な ど の 仏教 美術 から の研 究が 主流

!

であ り︑ 本説 話の 解釈 はほ とん どな され てい な い の が現 状 で ある

︒と く に 注目 す べ き 見 解 と して

︑こ の 弥 勒菩 薩 像 が 触地 降 魔 印を 結 ん でい る こ と にか ら

︑下 界 にあ る 魔 の侵 入 を 防 ごう と し た 意 識 が あ り

︑そ れは 仏教 以前 に発 する シャ ーマ ニズ ムと 仏教 信仰 との 融合 を表 した 形態 であ ると し︑ 下界 の魔 都は 東方 の倭 や 西 方の 唐︑ など と捉 え そ の 侵入 を 霊 的な 次 元 で防 ご う と した こ と の現 れ で ない か と い う鎌 田 茂 雄氏 の 見 解 があ る"

︒ し かし

︑説 話か らの 接近 法と して の代 表的 な見 解と して は次 の通 りで ある 金ナ ムユ ン氏 は︑ 弥勒 信仰 説話 を初

・中

・後 期に 三分 類さ れ︑ 本説 話を 中期 の弥 勒信 仰説 話と 位置 付け され た︒ さ ら に石 弥勒 を回 りな がら 弥勒 を信 仰し つつ も阿 弥陀 仏を 信仰 して いた と指 摘し 弥勒 と阿 弥陀 が同 一に 信仰 され たこ と は 極 楽 往生 す る と当 時 広 く 信仰 さ れ てい た か ら で あ り︑ 庶 民 の た め の 信 仰 で あ っ た と 指 摘 さ れ た#

︒ ま た 金

!

泰 氏 は

︑当 時の 現実 利世 的弥 勒信 仰が 流行 して おり

︑常 に身 の回 りに 離れ るこ とな く弥 勒が いた とい うこ とを 示す 象徴 的 な 説話 であ ると し$

︑ 当時 流行 して いた 弥勒 信仰 の一 種で ある とい う見 解を 示 さ れ た︒ しか し い ずれ も 統 一し た 見 解 が なく

︑本 説話 に説 かれ た弥 勒が 何を 意味 して いる のか

︑ま た何 のた めに 大賢 は弥 勒に 仕え てい たの かが 示さ れて い な い︒ そこ で︑ 今回 の論 述に おい ては

︑僧 大賢 が手 にし てい た爐 が何 を意 味し てい るの かと いう こと を考 察し

︑そ こか ら 丈 六弥 勒菩 薩の 意味 を紐 解い てい きた いと 考え るも ので ある

― 125 ― 『三国遺事』「賢瑜珈海華厳」考

(8)

﹃ 三 国遺 事

﹄ 巻第 四 義 解第 五

︑ 賢瑜 珈 海 華厳 の 構 成

﹃ 三国 遺事

﹄巻 第四 義解 第五

︑賢 瑜珈 海華 厳の 説話 構成 上か ら 弥 勒が ど の よう な 役 割 で語 ら れ てい る か をみ る た め に

︑簡 略に 事項 を取 り出 し説 話構 成を 捉え る︒ 本説

話は

︑右 に示 した 通り 二つ の話 で構 成さ れて いる

︒︵ 1

︶僧

・大 賢が 手に して いた 香炉 の霊 験と

︑︵ 2︶ 僧・ 法 海 の香 炉の 霊験 であ る︒ いず れも 香炉 の霊 験が 説話 の中 心と なっ てい る︒ また

︵1

!

にお いて

︑僧

・大 賢が 茸長 寺

(1)僧・大賢の香炉の霊験

!瑜 珈 の 祖

・ 大 賢 は 南 山 の 茸 長 寺 に 住 ん で い た

"

こ の 寺 の 丈 六 弥 勒 菩 薩 は 大 賢 を 追 っ て 首 を 回 す

#大 賢 は 法 相 宗 の 理 論 を 理 解 し て い た

$景 徳 王 一 二 年

︑ 日 照 り が 続 い た

%大 賢 は 王 命 に よ り 宮 中 で 金 光 経 を 講 じ

︑ 甘 雨 が 降 る の を 祈 る

&

供 者 が 斎 を 行 う と き 使 う 浄 水 が 枯 れ 遠 く に 取 り に 行 き 遅 れ た

︒ 'そ れ を 知 っ た 大 賢 は 香 炉 を 手 に し て 黙 っ て い る と

︑ 井 戸 水 が 湧 い た

︒ (そ の 井 戸 水 を 金 光 井 と い っ た

︒ )讃

(2)僧・法海の 香炉の霊験

*翌 年

︑ 王 が 僧

・ 法 海 を 呼 び 華 厳 経 を 講 じ さ せ 香 炉 を 焚 く

︒ +王 が 大 賢 の 香 炉 の 素 晴 ら し さ を 法 海 に 話 す

︒ ,法 海 が

︑ 香 炉 を 引 き よ せ 内 殿 を 水 で あ ふ れ さ せ る

︒ -王 は 法 海 を 信 じ た

︒ .讃

『三国遺事』「賢瑜珈海華厳」考 ― 126 ―

(9)

に 住ん でい るこ とを 述べ

︑さ らに

!

に おい て大 賢が 弥勒 の周 りを 回る と︑ 丈六 弥勒 菩薩 像も 大賢 を追 って 首を 回す と い う弥 勒の 霊験 から 語り 始め られ てい る︒ つま り︑ 本説 話に おい て︑ 大賢 が茸 長寺 の弥 勒に 仕え てお り︑ その 僧侶 が 手 に す る香 炉 の 霊験 を 説 く とい う 弥 勒と 香 炉 が重 要 な 関 連性 を 持 って 説 か れて い る と 言 え る︒ さ ら に︵ 2︶ に お い て

"

王が 大賢 の香 炉の 素晴 らし さを 法海 に話 し︑ 法海 の香 炉の 霊験 はい かほ どの もの かと 問う とい う記 述が 見ら れ る

︒つ まり

︑大 賢の 持っ てい た香 炉は それ ほど

︑霊 験あ らた かな もの であ り︑ 重要 性が 示さ れて いる ので ある

︒つ ま り

︑本 説話 では

︵1

︶の 大賢 の香 炉の 役割 が説 話の 中心 的位 置を 占め てい るの であ り︑ その 香炉 を手 にす る僧 大賢 が 弥 勒に 仕え てい ると いう 点を 勘案 すれ ば︑ 香炉 と 弥勒 の 関 連性 に つ いて 考 え な けれ ば な らな い の で ある

︒ま た

︵1

︵2

︶い ずれ も︑ 巫子 や霊 験師 が香 炉を 使用 して いる ので は な く︑ 僧侶 が 手 にし て い る とい う こ とか ら も 仏教 的 視 点 か ら香 炉を 捉え てい く必 要が ある

︒ よっ て︑ 本稿 では

︑ま ず仏 教に おけ る香 炉の 役割 を捉 える

︒そ して

﹃三 国遺 事﹄ にお ける 香炉 の記 述を すべ て取 り 上 げ︑ どの よう な役 割で 記述 され てい るか を考 察し

︑そ の記 述と 仏教 にお ける 香炉 の役 割を 比較 し︑ そこ から 本説 話 に 記述 され た香 炉の 意味 を捉 えた い︒ そし てそ の香 炉を 手に する 僧が 仕え る弥 勒が 何を 意味 して いる のか を考 察し て い くこ とと する

三 仏 教 にお け る 香炉 の 意 味

﹃ 三国 遺事

﹄に おけ る香 炉の 記述 を検 証す る前 に︑ 仏教 にお ける 香炉 につ いて 見て おき たい

︒ 香 とは

︑サ ン ス クリ ッ ト 語で

gandhah

と い い︑ 乾 陀・ 健 達・ 乾 陀 羅 耶 と 音 写 し︑ 香 気 に 富 ん だ 樹 脂

・木 片

・根

― 127 ― 『三国遺事』「賢瑜珈海華厳」考

(10)

・花 果等 で造 られ たも ので ある

︒イ ンド にお いて 発達 し︑ 心身 の清 浄を 保つ ため に使 われ てい たが

︑仏 教に おい て も 供養 のた めの 供物 とし て重 要な 位置 を占 める に至 った とさ れて いる

!

︒こ れを 焚 く こ とに よ り 悪気 を 去 り心 識 を 清 浄 に す るも の と され

︑仏 前 で 焚 く資 具 の 一つ と し て使 わ れ て いる と さ れて い る︒ 経 典に お い て も

︑﹃ 観 仏 三 昧 海 経

に おい ては

︑﹁ 願 わく は此 の華 香は 十方 界に 満ち て︑ 一切 の仏 と化 仏な ら び に菩 薩

︑無 数 の声 聞 衆 に供 養 せ ん﹂"

と あ り

︑仏 の供 養の ため に香 が使 われ てい たこ とが わか る︒ また 本説 話の 僧大 賢は 瑜伽 の祖 と仰 がれ た人 物で ある

︒さ ら に

﹁景 徳王 天寶 十二 年癸 已夏 大旱

︒詔 入内 殿︒ 講金 光経

︒以 祈甘 雨︒

﹂ と雨 を降 らせ るた めに

︑﹃ 金光 経﹄ を講 じた と あ るこ とか ら︑

﹃ 金光 明経

﹄に つい て熟 知し てい たこ とが 分か る︒ 本経 典は

︑曇 無識

︵三 八五

〜四 三三

︶訳

︑真 諦訳

︑ 闍 那崛 多︵ 五二 三〜 六〇

〇︶ 訳︑ 義浄 訳が 知ら れて おり

︑護 国経 典 と し て知 ら れ てい る#

︒そ の﹃ 金 光明 経

﹄巻 二 に は

︑ 是諸 人王 於説 法者 所坐 之處

︒爲 我等 故燒 種種 香供 養是 經︒ 是妙 香氣

︒於 一念

︒頃 即至 我等 諸天 宮殿

︒其 香即 時 變 成香 蓋︒ 其香 微妙 金色 晃耀 照我 等宮 釋宮 梵宮

$ と 香の 役割 を記 して いる

︒本 経典 にお いて

︑供 養に おけ る香 の功 徳が どれ ほど 素晴 らし いも のか を述 べて いる こと か ら も︑ 僧大 賢が 香は 仏菩 薩の 供養 のた めの もの であ るこ とを 認識 して いた こと が分 かる

︒更 に︑ 彼は 瑜伽 の祖 とし て 仰 がれ てい たこ とか ら︑ 密教 の﹃ 瑜伽 師地 論﹄ の内 容に つい て熟 知し てい たと 考え られ る︒ その 経典 には

︑ 或立 一種 香︒ 謂由 鼻所 行 義故

︒或 立 二 種︒ 謂内 及 外︒ 或 立三 種

︒謂 可 意 不可 意 及 處中

︒或 立 四 種︒ 謂 四大 香

︒ 一 沈香

︒二

%

堵 魯迦 香︒ 三龍 腦香

︒四 麝香

︒或 立五 種︒ 謂根 香莖 香葉 香花 香果 香︒ 或立 六種

︒謂 食香 飮香 衣香 莊 嚴 具香 乘香 宮室 香︒ 或立 七種

︒謂 皮香 葉 香素 泣 謎 羅香 栴 檀 香三 辛 香 熏 香末 香

︒或 立 八種

︒謂 倶 生 香︒ 非 倶生 香

︒ 恒 續香 非恒 續香

︒雜 香純 香︒ 猛香 非猛 香︒ 或立 九種

︒謂 過去 未來 現在 等如 前説

︒或 立十 種︒ 謂女 香男 香︒ 一指 香

『三国遺事』「賢瑜珈海華厳」考 ― 128 ―

(11)

二 指香

︒唾 香洟 香︒ 脂髓 膿血 香肉 香︒ 雜糅 香淤

&

"

と 記さ れて いる

︒香 の種 類を 十種 類に 分類 され てお り︑ いず れも それ は釈 迦の 説法 の内 容を 香に よっ て比 喩的 に表 現 し たも ので あり

︑宗 教意 識を 内実 にあ らわ した もの と見 られ てい る#

︒ この よう に︑ 香は 釈迦 の説 法の 内容 を示 す︑ また は仏

・菩 薩の 供養 のた めに 使わ れる こと が経 典に おい て説 かれ て い たわ けで あり

︑僧 大賢 はこ のよ うな こと が記 され た経 典に 付い て熟 知し てい たこ とが 考え られ る︒ しか し︑ 本説 話で 説か れた 香炉 は釈 迦の 説法 や供 養の ため では なく

︑雨 を降 らせ て国 家を 守る とい う護 国の 為に 使 わ れて いる

︒新 羅に おい て香 炉が その よう な役 割で 捉え られ てい たの か を みる ため に︑ 新羅 にお いて 香炉 がど のよ うに 伝わ り︑ 使わ れて きた の か を﹃ 三国 遺事

﹄以 外の 資料 から 見て みる こと とす る︒ まず

︑香 炉の 形状 がど のよ うな もの であ った とい う史 料と して は︑ 三 国 時代 と統 一新 羅時 代の もの はほ とん ど残 って おら ず︑ 統一 新羅 前後 の 時 代 の もの と 思 われ る 物 が 描か れ た も の が い く つ か あ る の み で あ る$

そ のう ちの 一つ とし て︑ 磨崖 仏供 養像 が慶 州市 乾川 邑に ある 断石 山の 神 仙 寺に ある

︒下 写真 にお いて

︑供 養仏

︵国 宝一 九九 号︶ が手 にし てい る 物 が 柄 香炉 と さ れて い る

︵丸 印

%

︒さ ら に こ の 従 者 が 仕 え て い る 本 尊 は 弥勒 仏で ある

︒ また 新羅 第三 五代 王・ 景徳 王︵ 在位

七 四二

〜七 六五 年︶ が亡 くな っ た 自分 の父 親で ある 聖徳 大王

︵在 位

七〇 二〜 七三 七年

︶の ため に造 っ

写真!

― 129 ― 『三国遺事』「賢瑜珈海華厳」考

(12)

た とさ れる 鐘︑ 聖徳 大王 神鐘

︵国 宝第 二九 号・ 一九 七五 年に 慶州 博物 館に 移 さ れ る︶ の飛 天 像 が手 に し てい る 香 炉!

な どか ら八 世紀 ごろ には

︑亡 き人 を供 養す るた めに 香が 使わ れて いた こと がわ かる

︒つ まり

︑新 羅に おい て香 炉の 形 状 は柄 香炉 であ り︑ 亡き 人を 弔う ため に香 炉を 焚い てい たこ とが これ らの 仏教 美術 資料 から も分 かる ので ある

︒ また 八世 紀中 葉の

﹃白 紙墨 書華 厳経

﹄の

﹁写 経﹂ の 記録 に よ ると

︑写 経 の 紙を 作 る 時 に出 た 木 くず に 香 り をつ け

︑ 写 経法 会が 進行 する 間も 香を 焚く とあ る"

︒ この 写経 は︑ 新羅 景徳 王 十 三 年︵ 七五 四 年︶ に おい て

︑六 か 月に わ た り 行 われ その 願は

﹁法 界一 切衆 生皆 成仏 道﹂ とあ るこ とか ら︑ 成仏 を願 って の﹁ 写経

﹂で あり

︑そ の際 には 必需 品と し て 使わ れて いた こと がわ かる

︒本 説話 にお いて 大賢 が甘 雨を 降ら せる よう に祈 願し た年 も七 五三 年で あり

︑本 説話 と 同 時代 にお ける 他資 料に おい ては

︑香 はこ のよ うに 亡き 人の 供養 のた めに 使わ れて いた と記 され てい る︒ これ らの 資 料 が伝 えて いる こと を僧 大賢 は認 識し てい たこ とと 考え られ るで あろ う︒ この よう に︑ 新羅 にお いて は香 炉は 亡き 人 を 弔う ため に使 われ てお り︑ 明ら かに 仏教 儀礼 の一 つと して 受容 がな され てい た︒ しか し︑ 本説 話で はい ずれ も護 国 的 役割 に使 われ てい る︒ では

﹃三 国遺 事﹄ にお いて 香炉 はど のよ うに 受け 止め られ てい たの であ ろう か︒

﹃ 三国 遺事

﹄は 新羅 に限 って

︑始 祖赫 居世 から 金伝 大王 に 至 るま で 通 史的 に 編 ま れて い る︒ ま た巻 第 三 から 第 五 ま で は﹁ 興法

﹂﹁ 塔 像﹂

﹁感 通﹂ など の編 目か らも わか ると おり

︑仏 教色 の濃 い説 話が 見ら れる

︒本 説話 は︑ 巻第 四義 解 第 五に 収録 され てお り︑ 仏教 的潤 色が 強い 説話 であ るこ とが 考え られ る︒ しか し本 説話 にみ る香 炉は 仏教 的な 役割 で 記 され てい ると は考 えら れな いた め﹃ 三国 遺事

﹄に おい ては 香炉 はど のよ うに 記述 され てい るの かを 見て いく こと と す る︒

﹃ 三国 遺事

﹄に おけ る香 爐に 関す る記 述は

︑総 五例 み ら れ内

︑共 通 し たモ チ ー フ で描 か れ てい る も のと し て 次 の 四例 が挙 げら れる

︒そ れぞ れを 具体 的に 見て みる

『三国遺事』「賢瑜珈海華厳」考 ― 130 ―

(13)

﹃ 三 国遺 事

﹄ にお け る 香炉 の 記 述

︵一

︶巻 第三 興法 第三 阿道 基羅 新 羅に お い て仏 教 が 公認 さ れ た のは 法 興 王 十 四 年︵ 五 七 二 年

︶異 次 頓 の 殉 教 に よ る と さ れ て い る!

︒ し か し 初 伝 は

︑訥 祇 王︵ 四 一七

〜四 五 八 年︶ とも さ れ て おり

︑公 的 に 受容 さ れ る以 前 か ら 受容 さ れ つつ あ っ た 様 相 を 伝 え て い る

︒仏 教伝 来過 程に おい て香 も同 時に 伝え られ たと み られ る 記 述が あ る ため

︑そ れ ら の 諸伝 か ら 香の 役 割 を 見た い

﹃三 国遺 事﹄ にお いて 香の 初見 記述 は︑ 巻第 三興 法第 三 阿 道基 羅 で ある

︒ま た こ の 記述 で は︑ 仏 教の 伝 来 の様 相 も 伝 え てい る︒ 第十 九訥 祇王 代に おい て︑ 沙門 であ る︑ 墨胡 子が 高句 麗か ら新 羅の 一善 郡に やっ てき た︒ その ころ 梁が 使い を 派 遣し 衣服 や香 を賜 わる とい うこ とが あっ たが 誰も この 香の 使い 方を 知ら なか った が︑ 墨胡 子が これ をみ て焚 く と 香気 が立 ち込 め誠 の心 を神 聖に 通じ させ るこ とが でき ると いっ た︒ その 時︑ 王女 の病 気が 重か った が︑ この 香 を 焚き 誓願 する と病 は治 った

"

と いう もの であ る︒ 香は そも そも 新羅 にあ った もの では なく

︑梁

︵五

〇二

〜五 五七 年︶ から 伝え られ たも のと され て い る︒ ただ

︑梁 は訥 祇王 代︵ 四一 七〜 四五 八年

︶よ り後 の時 代の 国で ある た め こ の記 述 に は矛 盾 が あり

#

香 が い つ 頃 中国 から 伝わ った のか はわ から ない が︑ もと もと 新羅 にあ った もの では なく

︑中 国か ら伝 来し たも ので ある とい う こ とが わか る︒ また 香は

︑神 聖に 心︑ つま り願 いを 通じ させ る役 割と して 記述 され てい る︒ 朝鮮 半島 にお ける 現存 する 最古 の史 書で ある

﹃三 国史 記﹄ にも 同じ 記述 が見 られ る︒

― 131 ― 『三国遺事』「賢瑜珈海華厳」考

(14)

香を 焚く とよ い香 りが たち こめ て︑ 人の 誠が 神に 通じ るよ うに なる

︒神 とは

︑三 寶を いい 第一 を仏 陀︑ 第二 を 達 磨︑ 第三 を僧 伽を いう

︒こ れを 焚い て願 えば 不思 議な 験が ある であ ろう

! この 記述 から は︑ 信仰 の対 象は 仏・ 法・ 僧の 三宝 であ り︑ それ に願 いを かけ るた めに 香を 焚き

︑そ して 霊験 を得 ら れ ると され てい る︒ しか し前 述し た﹃ 三 国遺 事

﹄の 記 述に お い て︑ 新羅 第 十 九 代王 訥 祗 王︵ 在位 四 一 七〜 四 五八 年

︶ は

︑そ のよ うに 受け 止め ず香 が王 女の 病を 治す とい う現 実的 な利 益を もた らす もの とし て受 け止 めて いる こと がわ か る

︒こ の 他﹃ 海 東高 僧 伝﹄"

に お いて

︑香 に よ り 仏を 供 養 する と い う記 述 が 伝 えら れ て いる こ と から 勘 案 し て も︑ い ず れも 香は 中国 から 伝わ った 時に 仏法 の一 つと して 伝え られ たと 考え られ る︒ しか し受 容側 であ る新 羅は

︑神 と仏 と を 混同 して おり

︑願 いを かけ るた めに 香を 使用 して おり

︑そ れは 現世 利益 的な 祈祷 の手 段の 一種 とし て受 容し てい た の であ る︒ 第二 十一 代

!

知麻 立干

︵在 位四 七九

〜五

〇〇

︶の 記述 には

︑宮 中で 香を 焚い て業 を修 める 僧で ある 梵修 僧 を 置く よう にま でに 至っ て お り#

︑ 王族 が 香 を 焚く と い うこ と を 積極 的 に 受 け入 れ て いる こ と がわ か る$

︒で は︑ 香 が この よう に伝 わる 以前 は︑ 一体 だれ が王 や王 女の 病を 治し てい たの であ ろう か︒ 次に 注目 すべ き記 述が 見ら れる

︒ 未雛 王三 年の 時︑ たま たま 成国 公主 が病 に侵 され

︑巫 子や 医者 によ るす べも 何も なら なか った ので

︑四 方に 医 僚 にあ たっ てく れる もの を探 し求 めさ せた

︒こ の とき 阿 道 師は だ し ぬけ に 宮 廷 を訪 ね

︑治 療 にあ た っ た とこ ろ

︑ そ の病 が治 った

︒王 は喜 び︑ 彼の 望み を聞 くと

︑仏 寺を 天境 林に 作り 仏教 を興 し︑ 奉仕 した いと いう こと であ っ た

︒そ の住 まい を興 輪寺 とな づけ た%

︒ 未雛 王三 年︵ 二六 四年

︶の 記述 であ るが 病を 治す 役割 は︑ 仏教 以前 は巫 子も しく は医 者が 行っ てい たと いう こと が わ かる

︒巫 子と は︑ 巫覡 を示 すの であ り︑ 在来 信仰 の一 つで あっ た&

︒ つま り巫 子 が 行 って き た 病気 治 療 方法 に 代 替 す るも のと して

︑香 を受 け入 れて いた ので ある

︒ま た︑ 病を 治す 方法 とし て受 け入 れら れた 香は

︑一 般に 受け 入れ ら

『三国遺事』「賢瑜珈海華厳」考 ― 132 ―

(15)

れ てい たの では なく

︑王 室に おい て使 われ てい たの であ り︑ 王女 の病 を治 すと いう 国家 の危 機を 香に よっ て救 おう と し てい たの であ る︒ つま り︑ 在来 信仰 儀礼 を基 盤と し︑ それ に仏 教儀 礼の ひと つで ある 香を 土着 信仰 の巫 俗に 代替 す る もの とし て信 仰し てい たの であ る!

︒ では その 後︑ 香は どの よう に受 け入 れ変 容さ れて いっ たの であ ろう か︒

﹃ 三国 遺事

﹄の 記述 を中 心に 見て みよ う︒

︵二

︶巻 第四 義解 第五

二 恵同 塵 僧の 恵空 は天 真公 の家 の雇 われ 老婆 の子 であ った

︒あ る日

︑公 が病 で危 篤で あっ た時

︑恵 空が 治し た︒ その こ と によ り公 に認 めら れた が︑ 霊感 が素 晴ら しく 町や 巷で 歌を 歌っ たり 舞っ たり して

︑寺 に住 んで いた

︒恵 空が 亡 く なっ た後 のあ る日

︑金 剛寺 を建 てて 落成 会を 催し たが

︑高 僧は やっ てき たが 恵空 が来 なか った ので 明朗 が香 を 焚 いて 虔ん で祈 った とこ ろ︑ 恵空 が現 れ大 雨が ふっ たが 公の 服は 濡れ てい なか った

︒こ のよ うに 恵空 の霊 異は 頗 る 多か った とい う︒"

恵空 は真 平王

︵在 位五 七九

〜六 三二 年︶ か ら善 徳 王︵ 在 位六 三 二〜 六 四七 年

︶の 間 に 活躍 し た 僧侶 と さ れ てい る

︒ 仏 教の 公伝 が五 七二 年で ある から

︑恵 空の 生存 して いた とさ れる 年代 との 隔た りが さほ どな いこ とか ら︑ 彼が 仏教 を 深 く理 解し てい たと は考 えに くい

︒恵 空に 関す る記 述は ここ に見 える のみ であ るが

︑興 輪寺 の金 堂に も祀 られ てい る こ とか ら︑ 新羅 仏教 に貢 献し た人 物で ある と思 われ る︒ この 記述 によ ると

︑恵 空は 霊異 のあ る僧 であ り︑ やは り彼 も 王 の病 を治 して いる

︒王 の病 を治 すと いう 霊力 を持 った 彼が 亡く なっ た後 に︑ この 世に 呼び 戻す ため に使 われ たの が 香 であ る︒ つま り恵 空を 呼び 戻し たい とい う願 い を天 に 通 じさ せ る ため に

︑香 が 使 われ た わ けで あ る︒ 依 然 とし て

︑ や はり 香は 仏教 儀式 の一 つと いう より は︑ 天に 至誠 を通 じさ せる とい う祈 祷の 一つ とし て用 いら れて いた 様相 を伝 え

― 133 ― 『三国遺事』「賢瑜珈海華厳」考

(16)

て いる ので ある

︵三

︶巻 第五 隠避 第八

包 山二 聖 観機 と道 成と いう 二人 の聖 がい たが

︑亡 くな った

︒こ のお 寺に 大平 興国 七年 壬午

︵九 八二

︶に 釈成 梵が 初め て や って 来て 住ん だが

︑不 思議 な瑞 兆が 現れ た︒ 信士 二十 人が 香木 を集 めて 寺に 納め た︒ 彼ら は山 に入 って 香を 採 取 し︑ それ を割 って 洗い 箔︵ すだ れ︶ の上 に置 いた

︒そ うす ると

︑木 は夜 にな って 光を 放ち

︑あ たか も燭

︵あ か り

︶の よう であ った

︒こ れに より 郡の 人た ちは 香木 を献 じる 人た ちに 布施 を与 え︑ 礼拝 をし た︒ すな わち

︑二 聖 の 霊感 によ るも ので

︑あ るい は岳 神の 助け によ るも ので ある とい う︒! 観 機 と 道 成 と い う 二 人 の 僧 に 関 す る 記 述 で あ る が︑ 彼 ら も こ の 条 の 記 述 の み で 詳 細 は 分 か ら な い︒ こ の 記 述 は

︵二

︶の 記述 に類 似す る点 が見 られ る︒ 香木 を焚 くこ とに よ っ て︑ 亡く な っ た聖 の 霊 感 を得 る こ とが で き ると い う こ と にな る︒ 香が 明か りの よう にな った のは

︑亡 くな った 二人 の聖 かも しく は︑ 岳神 の助 けに よる もの であ ると して い る

︒香 は天 にい る聖

︑も しく は神 と通 じる こと ので きる もの とし て記 され てい るの であ る︒ つま り︑ 天と この 世と を つ なぐ 一つ の手 段と して 香が 使わ れ至 誠を 伝え るた めに 用い られ てい る︒

︵四

︶巻 第五 隠避 第八

大 城孝 二世 父母 神文 代 現世 と前 世の 親に 対し て孝 行を した 大城 とい う僧 がい た︒ 彼が 石仏 を彫 ろう とし てい たこ ろ︑ 大石 が三 つに さ け てし まっ た︒ 大城 は腹 立ち の余 り転 寝を して しま った が︑ 夜に 天神 が降 りて きて すっ かり 造り あげ た︒ 大城 は 起 き上 がる と南 嶺に 走っ て上 り香 木を 焚い て天 神に 捧げ た︒ その ため この 地は

︑香 嶺と 名付 けら れた

"

『三国遺事』「賢瑜珈海華厳」考 ― 134 ―

(17)

大城 は︑ 現世 と来 世の 父母 に対 して 仏国 寺︑ 石仏 寺を 創建 し︑ 神琳 と表 訓の 二僧 を招 き住 職と し住 まわ せた とい う 人 物で ある

︒こ のよ うな 善い 施し をし た人 物に 対す る霊 験と して

︑右 記の 霊験 譚が 語ら れて いる

︒や はり

︑こ こで も 香 は天 神に 至誠 を通 じさ せる ため に焚 かれ たも ので ある

︒大 城は 僧で はな いが

︑す ばら しい 人物 であ った こと は前 述 し たと おり であ る︒ 大城 は石 仏を 彫ろ うと して いた ので ある が︑ 石が さけ てし まい どう する こと もで きず 悩ん でい る と 天神 が降 りて きて 造り 上げ てく れた

︒石 仏を 作り 上げ てく れた こと に対 する 感謝 の意 を天 に捧 げる ため に香 を焚 い て いる

︒つ まり

︑天 に至 誠を 通じ させ るた めの 手段 とし て香 が使 われ てい るこ とが わか る︒ さら に︑ この 説話 にお い て は

︑天 神 と仏 教 信 仰の 融 合 は 見ら れ ず︑ 明 らか に 信 仰対 象 が 天 神で あ る こと が わ かる

︒ま た こ の 条 で 記 し た と お り

︑表 訓は 石仏 寺の 住職 とし て招 かれ た僧 侶で ある が︑ 生義 寺の 石弥 勒に 仕え てい た僧 侶で もあ った

︒彼 につ いて も 次 のよ うな 霊験 譚が ある

︒香 炉に つい てで はな いが

︑お 茶の 香り が並 はず れた もの であ り︑ その お茶 を献 じる 僧で あ る 表訓 が国 王の 命に よっ て︑ 安民 歌を 作る とい うも ので ある

$

︒つ まり お茶 とい う 香 り によ っ て 国民 を 安 らか に す る と いう 霊力 を持 った 僧と して 記述 され てい るの であ る︒ 今ま

で香 に関 する 説話 を四 例見 てき たが

︑い ずれ も共 通の モチ ーフ で語 られ てい る︒ それ は︑

!

香 りに より 天神 に 至 誠を 通じ させ るこ とが でき る︑

"

僧 侶や 神異 のあ る人 物が その 役割 を担 って いる

#

王女 の病 や寺 の造 建な ど国 に と って 重要 な出 来事 に際 し︑ 香を 焚き 神の 力を 借り て問 題を 解決 する とい うモ チー フで ある

︒つ まり 香は

︑天 神の 力 を 得る ため の一 つの 術法 とし て考 えら れて おり

︑そ の役 割を 担っ てい るの が僧 侶で あっ た︒ そし て︑ この 香は 国を 安寧 にし たり

︑王 女や 王の 病を 治し たり とい う国 家危 機に 際し て使 われ てお り︑ 現世 利益 的 な 要素

︑ま た護 国的 な術 法と して 受け 入れ られ てい た様 子が うか がえ る︒ また 巫俗 の上 に仏 教が なぞ らえ て受 け入 れ

― 135 ― 『三国遺事』「賢瑜珈海華厳」考

(18)

ら れた ため

︑仏 教と 巫俗 に対 する 信仰 が混 在し てい る様 相を 呈し てい る が!

︑香 が 伝え ら れ た当 初

︑神 と は仏 法 僧 で あ ると して いた にも 関わ らず

︑時 を経 ても その 信仰 対象 は仏 教に 対す る信 仰の みに はな らず 天神 に願 いを かけ る手 段 と し て も使 わ れ てい る

︒そ の 願 いは

︑現 世 的 なも の で あり

︑ま た 護 国 のた め の 願い

︑つ ま り 王女 や 王 の 病 を 治 し た り

︑国 家の 安寧 を願 うた めと して 考え られ てい たよ うで ある

﹃ 三国 史記

﹄に おい ても

︑香 が天 神に 至誠 を通 じさ せる 手 段 の一 つ と して 記 述 さ れて い る もの が 見 られ る

︒三 に お い て述 した 断石 山の 神仙 寺の 供養 仏が ある この 地は

︑三 国時 代中 岳と 呼ば れた 場所 であ った

︒弥 勒の 化身 とさ れる 花 郎 の金

&

"

が︑ 三韓 統一 を天 神に 願 う とい う 記 述 があ り#

︑そ の 時に 香 を 使っ て 山 神 に自 分 の 願い を 通 じさ せ よ う と して いる 記述 が見 られ る︒ つま り︑ 神仙 術の 一つ とし て︑ 神に 願い を通 じさ せる もの とし て香 が使 われ てい たの で あ り︑ また その よう に認 識さ れて いた ので ある

︒こ の記 述か らも わか るよ うに

︑香 は土 着の 宗教 と結 びつ きを 見せ て い るの であ り$

︑ この 特徴 は仏 教伝 来後 にお ける 統一 新羅 時代 の説 話の 記述 か ら も 読み 取 れ るの で あ る︒ 前述 し た 仏 教 美術 の資 料に おけ る観 点か らは

︑往 生を 願 うた め に 香が 使 わ れて い た が︑

﹃ 三国 遺 事﹄ に おけ る 香 の記 述 は

︑神 に 願 いを 通じ させ るも のと して 記述 され てい る︒

﹃ 三国 遺事

﹄に おい て香 の記 述は 五例 見ら れ︑ 内四 例は 共 通 した モ チ ーフ で 記 さ れて い る こと は わ かっ た

︒残 り の 一 例は

︑香 炉で はな いが 円光 法師 が亡 くな る時 の記 述に

﹁円 光法 師が 皇龍 寺で 臨終 にあ たり

︑寺 の東 北の 空中 に音 楽 が 満ち て 異 香が 院 内 に満 ち 漂 い︑ 僧侶 と 僧 で ない 人 々 が皆 悲 し み︑ 又そ の 霊 感 をめ で た いこ と と した

% とい う 条 が あ り︑ 往生 の際 の霊 験と して 香り が漂 っ たと い う 記述 が 見 られ る

︒し か し︑

﹃ 三国 遺 事﹄ に おい て 香 炉は

︑神 に 願 い を 伝え る手 段と して ほと んど 記述 され てい る︒ この よう な観 点か ら︑ 香炉 を手 にし てい た大 賢が 仕え てい た茸 長寺 の 弥 勒仏 の意 味を 考え てみ たい

『三国遺事』「賢瑜珈海華厳」考 ― 136 ―

(19)

五 茸 長 寺の 弥 勒 仏

慶州 南山 は主 峰金 鰲山 を中 心に 南北 約八 キロ

︑東 西三 キロ に及 び花 崗岩 の大 岩塊 を示 して いる

︒そ の主 峰金 鰲山 の 山 頂に 茸長 寺が あり

︑そ の主 尊が 丈六 弥勒 菩薩 であ る"

︒︵ 左写 真︶ この 丈六 弥勒 菩薩 に仕 えて いた 大賢 は︑ 瑜珈 の祖 とし て崇 めら れて いた こと は前 述し たが

︑彼 の著 述に は唯 識教 学 を 中心 とし た著 述が 数多 くあ り︑ 華厳 教学 の影 響を 受け た人 物で あっ た こ と も知 ら れ てい る#

︒つ ま り︑ 華厳 教 学 に 秀 でて いた とい うこ とか ら勘 案し ても

︑彼 は香 炉が 仏菩 薩の 供養 のた めに 使わ れた り︑ また 香が 釈迦 の説 法の 内容 を 示 して いる こと を知 って いた こと がこ れら の著 述か らも 分か るの であ る︒ その 彼が 景徳 王の 天宝 十二 年癸 已︵ 景徳 王十 二年

・七 五三 年

︶王 の命 によ り宮 中の 内殿 にま ねか れ︑ 国の 井戸 水が 干上 が り干 ばつ で苦 しん でい るこ とを 知り 香爐 を捧 げ持 って 黙っ て いる とた ちま ち井 戸水 が出 てき て︑ その 高さ が七 丈ほ どに な った とい うも ので ある

︒ しか し︑ 本説 話に おい て僧 大賢 が手 にし てい た香 爐は

︑仏 教 的 な 意味 で 記 され て い る ので は な く︑

﹃三 国 遺 事

﹄の 記 述 に ある 香爐 のモ チー フと 同じ モチ ーフ で記 述さ れて いる

︒つ ま り︑ 干ば つと いう 国家 の危 機に 際し て︑ 香爐 の霊 力に より

写真!

― 137 ― 『三国遺事』「賢瑜珈海華厳」考

(20)

水 を湧 きか えら せる とい う役 割を 果た す ので あ る︒ 景 徳王 十 二 年と 明 記 さ れて い る が︑

﹃三 国 史 記﹄ によ る と

︑景 徳 王 十二 年に は︑ 日本 の使 者が やっ てき たが 追い 返し たと いう 記述 しか 見 ら れ ない

!

︒し か し その 翌 年 十三 年 は

︑八 月 に 干ば つが おこ り"

︑ 十四 年に は 国 民が 餓 え た とあ り#

︑当 時︑ 実 際に 国 家 が干 ば つ に 苦し ん で いる 様 相 を伝 え て い る

︒そ のよ うな 状況 の元 で本 説話 が記 され てい るの は︑ やは り僧 大賢 が手 にし た香 炉が 霊力 を示 し︑ 井戸 水を 湧き 返 ら す こ とに よ り 国家 の 危 機 を救 っ た とい う こ とで あ り

︑護 国 的な 手 法 の一 つ と して 香 が 捉 えら れ て いる こ と が わ か る

︒ ま た︑ 大賢 は 甘 雨 を 降 ら す こ と を 祈 願 し て い た

︒甘 雨 は

﹃三 国 遺 事

﹄に お い て 他 に 次 の よ う な 記 述 が み ら れ る

﹁善 徳王 が貞 観十 七年

︵六 四三 年︶ に僧 慈蔵 を帰 国す るよ う に 願い 彼 を 芬皇 寺 に 住 まわ せ 講 演さ せ る と︑ 天が 甘 雨 を 降 ら せ た﹂$ と いう

︒こ の 例 から も 甘 雨と い う の は︑ 天か ら の 標で あ る こと が 分 か る︒ それ に 対 して 僧 大 賢が 祈 願 し て いる とい うこ とは

︑あ くま でも そこ には 仏教 的儀 式で はな く︑ 天と いう 神に 対し ての 祈願 を行 って いる こと がわ か る

︒ つま りそ の大 賢が 香炉 によ って 干ば つと いう 国家 の危 機を 救う とい うこ とは

︑や はり 香炉 は霊 力を もっ たも のと い う 認識 で記 述さ れて いる ので あり

︑神 に対 して 祈願 して いる ので ある

︒つ まり

︑新 羅に おけ る在 来信 仰の 名残 がそ こ に は依 然と して 根底 にあ り︑ 神に 至誠 を通 じさ せる 時に 使う 道具 の一 つと して 香が 使わ れ︑ それ を行 って いた のが 僧 の 大賢 であ った とい うこ とで ある

︒大 賢は

︑僧 侶で あり なが らも 護国 のた め の 祈祷 師%

のよ う な 役割 も 担 って い た こ と がわ かる

︒で は︑ その 大賢 が仕 えて いた 弥勒 菩薩 は何 を意 味し てい るの であ ろう か︒

『三国遺事』「賢瑜珈海華厳」考 ― 138 ―

(21)

六 茸 長 寺の 弥 勒 と香 炉 の 関わ り さて

︑こ の弥 勒菩 薩は 大賢 がこ の弥 勒像 の周 り を回 る と︑

﹁ 弥勒 像 も 首を 回 す

﹂と い う霊 験 譚 をも っ て 伝え ら れ て い る︒ それ と関 連し て香 炉が 井戸 水を 湧か すと いう 霊力 をも って 干ば つと いう 国家 の危 機を 救う ので ある

︒弥 勒菩 薩 を 回る とい うこ とは 何を 意味 して いる ので あろ うか

︒ 先ほ ども 述べ てき たが

︑神 に祈 願す るた めに 使う 道具 の一 つで ある 香炉 を手 にし てい た大 賢は

︑僧 侶で ある が霊 験 の ある 人物 であ る︒ その 彼が 仕え てい るの が︑ 丈六 の弥 勒菩 薩で ある

︒弥 勒菩 薩の 周り を回 ると 弥勒 も首 を回 すと い う モチ ーフ と類 似し た記 述が

﹃三 国遺 事﹄ の同 一説 話上 に二 例見 られ る︒ 新羅 の習 わし に毎 年二 月に なる たび にそ の八 日か ら一 五日 まで の間 に都 の男 女が きそ って 興輪 寺の 殿塔 をめ ぐ っ て福 会を 行っ てい た︒! 新羅 に昔 から 殿塔 の周 りを 回る とい う習 慣が あっ たと いう こと を伝 えて いる もの であ るが

︑興 輪寺 の主 尊は 弥勒 菩 薩 で あ る︒ その 周 り をま わ っ て 福を 得 る こと を 願 おう と し て いた と い うも の で ある

︒さ ら に こ の説 話 の 話 末 評 語 に は

︑ 人々 が寺 院を 回っ てい るの に感 動し

︑ま た天 が悪 を懲 らす 声を 聞く や自 ら身 代わ りと なっ て神 方︵ 不思 議な 治 療 法︶ を伝 えて 人を 救っ たこ とは

︑い たず らに 獣の 性が 情け 深い だけ では ない

︒大 聖は 物に 感応 し教 化す るの は 他 方面 にわ たっ てい る︒ 金現 公が よく 情を 尽く して 寺塔 を回 るの に感 応し て︑ 来世 の利 益に 報い よう とし たか ら で ある

︒そ の時 にあ たり

︑よ く福 を受 けた のは 当然 であ ろう

"

― 139 ― 『三国遺事』「賢瑜珈海華厳」考

(22)

これ は︑ 金現 公が 虎の 化身 と思 われ る女 性と 関係 を持 ち︑ 虎の 化身 であ る女 性が 身代 わり にな り金 現公 に福 を授 け る とい う説 話で ある

︒具 体的 な内 容は 省略 す るが

︑寺 を 回 ると い う こと に 感 動 した 大 聖︵ 仏︶ が 福を 授 け た とあ る

︒ 寺 の周 りを 回り なが ら︑ 誠の 心︑ 願い が天 に届 き!

そ れに 弥勒 仏が 感応 し福 を 授 け ると い う 記述 で あ る︒ これ ら の 事 例 から する と︑ 大賢 が丈 六弥 勒仏 をめ ぐっ たの は︑ 天神 に祈 願す るた めで ある と考 えら れる

︒つ まり

︑大 賢が 天神 に 至 誠 を 通じ さ せ るた め に 丈 六弥 勒 仏 をめ ぐ り︑ そ れに よ っ て 弥勒 仏 が 大賢 を 追 うか の よ う に首 を 回 した と い う こ と は

︑大 賢の 心に 感応 した とい うこ とで あろ う︒ つま り︑ 大賢 が手 にし てい た香 は︑ 国家 の危 機と もい える 干ば つと いう 被害 から 国を 守る ため に使 われ てい るの で あ り︑ それ を祈 願す る対 象と して 茸長 寺の 丈六 弥勒 菩薩 を回 った ので あり

︑そ の至 誠に 感応 し天 神が 甘雨 を降 らし て く れた と解 釈す るこ とが でき るの であ る︒ いい かえ れば

︑こ の弥 勒菩 薩も 現世 利益 をも たら す神 聖な 存在 とし て認 識 さ れて こと を示 して いる とい える

︒南 山は 前述 して きた 通り

︑始 祖神 も祀 られ てい るほ どの 神聖 な山 であ る︒ 特に 新 羅 憲康 王︵ 在位 八七 五〜 八八 六︶ の時 に︑ 南山 神が 王の 目の 前に 現れ た︒ この 神は 老人 の姿 であ り仙 人の 姿で あっ た と され る"

︒ この よう な神 がい る山 の山 頂に 弥勒 菩薩 がい ると いう こと から 考 え て も︑ 茸長 寺 の 丈六 弥 勒 菩薩 は 神 聖 な 存在 とし てあ がめ られ

︑護 国と いう 国家 を守 るた めの 祈願 の対 象と され たと 理解 でき よう

︒ 現在 に至 るま での 茸長 寺の 丈六 弥勒 菩薩 に対 する 解釈 は︑ 石弥 勒を 回り なが ら弥 勒を 信仰 しつ つ極 楽浄 土を 願っ て い たと いう 見解 や︑ 当時 の現 実利 世的 弥勒 信仰 が流 行し てお り︑ 常に 身の 回り に離 れる こと なく 弥勒 がい たと いう こ と を示 す象 徴的 な説 話で ある とい う見 解で あっ たこ とは 前述 して きた

︒し かし 本説 話に おけ る香 炉の 記述 から 解釈 を 行 うと

︑弥 勒は 仏教 的な 信仰 対象

︑つ まり 弥勒 が下 生し その 説法 を聞 き往 生を 願う とい うた めの 信仰 の対 象と して 捉 え られ てい たの では なく

︑あ くま でも 国家 の危 機か ら救 うこ とを 祈願 する 為の 対象 とし て弥 勒仏 が位 置付 けら れて い

『三国遺事』「賢瑜珈海華厳」考 ― 140 ―

(23)

る ので あり

︑そ れは 現世 利益 的な 信仰 であ るこ とが 分か る︒ つま り護 国な どの 現世 利益 的な 願い を天 の神 に通 じさ せ る こと を祈 願す る対 象と して 信仰 され てい た弥 勒仏 が茸 長寺 の弥 勒仏 であ った と言 える

︒ 七

ま と め

﹃ 三国 遺事

﹄巻 第四 義解 第五 賢瑜 珈海 華厳 の記 述か ら︑ 僧大 賢 が 手に し て いた 香 炉 の 役割 が 何 を意 味 し てい る の か を 考察 して きた

︒そ こか ら︑ 大賢 が仕 えて いた 茸長 寺の 丈六 弥勒 菩薩 の意 味を 解釈 した

︒ま とめ ると 下記 のと おり で あ る︒

!

僧 大賢 が手 にし てい た香 炉は

︑天 神に 誠の 心を 伝わ らせ る手 段と して 使わ れて いる

"

香 は国 家の 危機 に際 して 国を 守る とい う護 国的 手段 とし て使 われ てい る︒

#

大 賢は 仏教 に対 する 見識 の深 い僧 侶で ある にも かか わら ず︑ 護国 のた めの 祈祷 師の よう な役 割を 担っ てい た︒

$

香 を手 にし てい た大 賢が 仕え てい た丈 六弥 勒菩 薩は 護国 を祈 願す る対 象と して 存在 して いた ので あり

︑つ まり 天 神 に至 誠を 通じ させ るた めの 信仰 対象 とし て捉 えら れて いる こと から

︑神 聖な 存在 とし て認 識さ れて いた とい え る

︒ 右記 に示 した 特徴 は︑

﹃ 三国 遺事

﹄の 記述 など から 考 察 して 得 た 結果 で あ る︒ 現 在に 至 る まで の

︑本 説 話に お け る 弥 勒に 対す る見 解は

︑仏 教信 仰の 一つ とい う枠 組み で捉 えら れて きた

︒そ れは

﹃下 生経

﹄の 記述 を元 にし た仏 教的 解 釈

︑つ まり 弥勒 を信 仰す るこ とに より 往生 を願 う︑ また は弥 勒が この 世に 現れ 常に 身の 周り に存 在し てい たと いう 見 解 で あ った

︒し か し︑ 香 炉と い う 記 述に 注 目 し検 討 を 加え る こ と によ り

︑別 の 見方 を 示 唆す る こ と が で き た︒ そ れ

― 141 ― 『三国遺事』「賢瑜珈海華厳」考

(24)

︑弥 勒仏 を信 仰の 対象 とし てい るも のの 仏教 的な 信仰 では なく

︑護 国の ため に天 神に 至誠 を通 じさ せる こと を祈 願 す る対 象と して 捉え られ てい たと いう こと であ る︒ それ は︑ 王女 など の病 を治 す祈 祷の 一種 に代 替す る形 で香 炉が 使 用 され てい った 過程 から も見 るこ とが でき る︒ つま り︑ 仏教 儀式 で用 いら れる べき

︑香 炉を 手に する 僧侶 が護 国の 祈 祷 師の よう な存 在と して えが かれ てい るの であ る︒ 大賢 が弥 勒仏 に対 して 仕え 雨を 降ら せる こと を願 った のは

︑天 神 に 至誠 を通 じさ せる ため の信 仰の 対象 とし て弥 勒仏 を捉 えて いた から であ る︒ つま り本 説話 から

︑弥 勒信 仰が 基層 信 仰 と融 合し つつ 受容 され てい った 過程 を見 るこ とが でき るの であ る︒

! 註

﹃ 三 国 遺 事

﹄ 巻 第 四 義 解 第 五 賢 瑜 珈 海 華 厳

﹁ 瑜 珈 祖 大 徳 大 賢 住 南 山 茸 長 寺

︒ 寺 有 慈 氏 石 彌 勒

︒ 賢 常 旋 繞

︒ 像 亦 隨 轉 面

︒ 賢 恵 辯 精 敏

︒︵ 中 略

︶ 景 徳 王 天 寶 十 二 年 癸 巳 夏 大 旱

︒ 詔 入 内 殿

︒ 講 金 光 経

︒ 以 祈 甘 一 日 齋 次

︒ 展 鉢 良 久

︒ 而 浄 水 献 遲

︒ 監 吏 詰 之

︒ 供 者 曰

︒ 宮 井 枯 涸

︒ 汲 遠 故 遲 爾

︒ 賢 聞 之 曰

︒ 何 不 早 云

︒ 及 晝 講 時

︒ 捧 爐 黙 然

︒ 斯! 井 水 湧 出

︒ 高 七 丈 許

︒ 與 刹 幢 齋

︒ 闔 宮 驚 駭

︒ 因 名 其 井 曰 金 光 井

︒ 賢 甞 自 號 青 丘 沙 門

︒﹂

"

新 羅 の 始 祖 の 赫 居 世 等 の 誕 生 の 地 な ど と な っ て い る

︒ 李 恵 燕

﹁ 韓 国 古 代 の 山 神 に つ い て

│﹃ 三 国 遺 事

﹄ を 中 心 と し て

﹂﹃ 東 北 学

﹄ 第 十 巻

︑ 東 北 文 化 研 究 セ ン タ ー

︑ 一 九 九 九 年 十 月

#

﹃ 三 国 遺 事

﹄ 巻 第 五 感 通 第 七 月 明 師 兜 率 歌 に は 二 つ の 説 話 が 記 述 さ れ て お り

︑ こ こ で 上 生 信 仰 と 指 摘 さ れ て い る の は

︑ 亡 き 妹 の た め に 追 善 供 養 を 行 っ た 後 半 の 話 の こ と で あ る

︒ 前 半 に 見 ら れ る

﹁ 二 日 並 現

﹂ を 鎮 め る 話 は 下 生 信 仰 と し て 分 類 さ れ て い る

︒ 岡 山 善 一 郎

﹁﹃ 兜 率 歌

﹄ と 歴 史 記 述

﹂﹃ 朝 鮮 学 報

﹄ 第 百 七 十 六

・ 百 七 十 七 輯

︑ 二

〇 年 十 月

$ 八 百 谷 孝 保

﹁ 新 羅 社 会 と 浄 土 教

﹂﹃ 史 潮

﹄ 第 七 年 第 四 号

︑ 一 九 三 七 年 十 二 月

%

﹁ 長 十 二 由 旬 廣 七 由 旬

︒端 嚴 殊 妙 莊 嚴 清 淨

︒ 福 徳 之 人 充 滿 其 中

︒ 以 福 徳 人 故 豐 樂 安 隱

︒﹂

﹃ 大 正 新 脩 大 蔵 経

﹄ 第 十 四 巻

︑ 大 正 一 切 経 刊 行 会

︑ 一 九 二 四 年

『三国遺事』「賢瑜珈海華厳」考 ― 142 ―

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