日 韓 の 新 公 開 外 交 文 書 に 見 る 日 韓 会 談 と ア メ リ カ
︵ 三
︶
︱︱ 朴正 熙軍 事政 権の 成立 から
﹁大 平・ 金メ モ﹂ まで
︱︱
李
鍾 元
一 はじ めに
︱︱ 日韓 会談 関連 外交 文書 の公 開 二 朴正 熙軍 事政 権の 成立 と日 米の 対応
︱︱ 池田
・ケ ネデ ィ会 談︵ 一九 六一 年六 月︶ 三 ソウ ルか らの 期待 四 政治 決着 の前 史︱
︱張 勉政 権期 の日 韓折 衝と 請求 権問 題
︵以 上、 第七 六号
︶ 五 政治 決着 を急 ぐ韓 国軍 事政 権 六 日韓 会談 の再 開交 渉 七 金裕 澤特 使の 訪日 と請 求権 金額
︵以 上、 前号
︶ 八 二人 の大 使の
﹁側 面支 援﹂
︱︱ バー ガー とラ イシ ャワ ー 九 第六 次日 韓会 談の 開催 と首 席代 表人 選問 題 一〇
朴正 熙議 長の 訪日 と池 田・ 朴正 熙会 談 八
二人 の大 使の
﹁側 面支 援﹂
︱︱ バー ガー とラ イシ ャワ ー 朴正 熙軍 事政 権に よる 初の 日韓 の政 治折 衝で あっ た金 裕澤 特使 の訪 日に は、 ソウ ルと 東京 の米 国大 使館 が深 く関
わっ てい た。 政治 妥結 を急 ぐ韓 国政 府を 後押 しす べく
、バ ーガ ーと ライ シャ ワー の両 大使 は、 ソウ ルと 東京 を舞 台 に﹁ 側面 支援
﹂を 展開 した
。 とり わけ
、ソ ウル のバ ーガ ー大 使は 米国 政府 によ る直 接の 介入 を唱 え、 自ら も精 力的 に動 いた
。前 述し たよ う に、 一九 六一 年六 月末 の赴 任早 々か ら韓 国軍 事政 権の 指導 者を 対象 に、 日韓 妥結 を促 す説 得を 展開 する とと もに
、 ワシ ント ンに 対し て、 ケネ ディ 大統 領の 親書 など
、首 脳レ ベル の外 交的 関与 を上 申し た。 八月 三日 付の 本省 宛て の 電文 で、 バー ガー 大使 は、 日韓 会談 の再 開交 渉が 進め られ てい る状 況を 踏ま えて
、﹁ もし ライ シャ ワー 大使 もこ れ に同 意す るの であ れば
﹂、 ケネ ディ 大統 領が 日韓 両国 の首 脳に 親書 を送 り、
﹁最 も強 い言 葉で
、建 設的 かつ 持続 的な 基礎 の上 に韓 日関 係を 築く 作業 に取 り掛 かる こと を促 す﹂ よう 求
( )
めた
。
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バー ガー 大使 が強 調し たの は、 韓国 に軍 事政 権が 誕生 し、 日韓 交渉 が再 開さ れよ うと して いる タイ ミン グの 重要 性で あっ た。 バー ガー は、 ケネ ディ 大統 領の 親書 が﹁ 時宜 適切
﹂で ある と考 える 理由 とし て、
①再 開さ れる 日韓 会 談が ケネ ディ 大統 領の 就任 後、 初め ての 日韓 交渉 にな るこ と、
②韓 国の 軍事 政権 が日 韓会 談に 取り 組む 最初 の試 み であ り、
﹁軍 事政 権は 議会 やメ ディ アの 反対 に制 約さ れず
、迅 速か つ決 断力 を持 って 行動 する こと が可 能で ある
﹂ こと
、③
﹁池 田首 相は
、訪 米以 後、 国内 で威 信が 高ま り、 譲歩 しや すい 強い 立場 にあ る﹂ こと など を列 挙し た。 要 する に、 韓国 で日 韓関 係に 積極 的で 実行 力の ある 軍事 政権 が誕 生し
、ワ シン トン での 日米 首脳 会談 で池 田首 相か ら 直接
﹁言 質﹂ を取 った 余勢 を駆 って
、一 気に 日韓 会談 を妥 結に 持ち 込む べき とい う提 言で あっ た。 バー ガー の情 勢 認識 によ ると
、現 状の まま では
、日 韓会 談が 再開 され ても すぐ に膠 着状 態に 陥り
、そ の展 望は
﹁不 吉﹂︵ in au sp i- ci ou s︶ であ った
。時 間が 経つ につ れ、 会談 妥結 の可 能性 はよ り難 しく なる
。日 本国 内で 社会 党な どの 反対 運動 が 高ま り、
﹁時 間の 経過 とと もに
、日 本政 府は
、国 交の 完全 な正 常化 を進 める 意欲 が現 在よ り後 退す る可 能性 も考 え られ なく はな い﹂ から であ った
。﹁ こち らサ イド の見 解﹂ では
、会 談妥 結の カギ は日 本側 にあ り、 とり わけ 池田 首
相が 積極 姿勢 を取 るか 否か にか かっ てい た。 ケネ ディ 大統 領の 親書 も日 韓に 対し てそ れぞ れ異 なる 内容 のも のが 望 まし く、 池田 宛て のメ ッセ ージ では
、﹁ 彼の 訪米 と、 彼が 個人 的に 大統 領に 表明 した 妥結 への 意欲 の示 唆﹂ に言 及 する よう 求め た。 しか し、 バー ガー 大使 の建 議は
、国 務省 によ って 即座 に却 下さ れた
。翌 日の 八月 四日 付で ソウ ルに 宛て られ た電 文で
、国 務省 は、 日韓 の首 脳へ の大 統領 親書 案に つい て、
﹁現 時点 では 必要 ない
﹂と の判 断を 示
( )
した
。そ の理 由と
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して
、国 務省 は、
﹁三 国︵ 米日 韓: 引用 者註
︶に とっ て最 善の 利益 にな る何 か確 実か つ具 体的 なこ とを 成し 遂げ るこ とが でき ると いう 兆候 が、 今よ り良 い形 で得 られ るま では
、大 統領 の威 信を コミ ット させ るこ とは 避け るべ き﹂ と いう 点を 挙げ た。 大統 領の 親書 とい う切 り札 が空 振り に終 わる 外交 的リ スク への 懸念 であ った
。そ の代 わり
、﹁ 引 き続 きソ ウル およ び東 京の 大使 館に よる 確固 たる
、し かし
、忍 耐強 い説 得が
、現 段階 にお いて は、 会談 の再 開の た めに 有効 であ る﹂ とい う方 針が 示さ れた
。日 本政 府へ の直 接の 外交 的圧 力に 慎重 な国 務省 本省 の姿 勢の 表れ に他 な らな かっ た。 バー ガー 大使 の提 案に 対す る国 務省 の指 示電 文は
、東 京の ライ シャ ワー 大使 の見 解を 待た ずに 出さ れた よう であ る。 駐日 大使 館か ら電 文が 寄せ られ たの は、 国務 省の 指示 電文 の翌 日の 八月 五日 であ った
。ラ イシ ャワ ー大 使は
、 バー ガー とは 違っ て、 むし ろ韓 国情 勢の 不安 定さ や、 軍事 クー デタ ーな ど、 韓国 側の 事情 が障 害と なっ てい る点 を 指摘 し、 日本 政府 への 直接 の圧 力に は反 対の 立場 を明 らか にし た。
﹁ソ ウル から の見 解﹂ に基 づく バー ガー 大使 の 積極 論に 対し て、
﹁東 京か らの 視点
﹂で の慎 重論 とで もい うべ き構 図で あっ た。 ライ シャ ワー 大使 は、
﹁岸
、佐 藤、 吉田 らが 率い る保 守派 の影 響力 のあ る勢 力の 間で は、 過去 数か 月の 間に
、韓 国の 混乱 や共 産化 が日 本に 及ぼ す危 険、 また こう した 事態 を避 ける ため に、 日本 の対 韓支 援の 必要 性を 痛感 する よう にな って
﹂お り、
﹁池 田や 小坂 も こう した 見解 を共 有し てい る﹂ と述 べた
。し かし
、﹁ 日本 政府 の速 やか な交 渉妥 結を 妨げ る要 因﹂ は、
﹁︵ 韓国 の︶
最高 会議 の安 定性
、民 主主 義と 経済 安定 への 復帰 能力
、米 国の 支持 度へ の疑 問﹂
、﹁ 軍事 クー デタ ーに よる 日本 の世 論の 悪化
﹂な ど、 主と して 韓国 情勢 の不 安定 性か らく るも ので あっ た。 ライ シャ ワー は、
﹁こ うし た状 況下 では
、 提案 され たよ うな 三国 間の 外交 的申 し入 れ︵ di pl om at ic dé ma rc he
︶や 直接 的な 大統 領メ ッセ ージ は失 敗す るか
、時 期尚 早に なる であ ろう
﹂と 指摘 し、
﹁大 統領 親書 とい う重 火器
︵h ea vy ar ti ll er y︶ を決 定的
︵d ec is iv e︶ にな らな い可 能性 の高 い時 に使 用す るこ とは 遺憾 とい わざ るを えな い﹂ と主 張
( )
した
。
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ライ シャ ワー 大使 が強 調し たの は、 国務 省の 指示 と同 様に
、基 本的 に慎 重な アプ ロー チで あっ た。
﹁バ ーガ ー大 使と 本職 は、 公式 の調 停者
︵f or ma lm ed ia to r︶ では なく
、日 韓双 方の 正直 な友 人︵ ho ne st fr ie nd s︶ とパ ート ナー の 役割 に常 に細 心の 注意 を払 いつ つ、 日韓 の和 解を 促進 する ため
、両 サイ ドか ら持 続的 な圧 力︵ st ea dy pr es su re
︶を 加え るべ きで ある
﹂と いう 見解 を述 べつ つ、
﹁戦 略的 な時 期︵ st ra te gi ct im e︶ に、 両国 の最 高レ ベル で使 える
、日 韓の 和解 に関 する 憂慮 を含 んだ 大統 領の 個人 的な メッ セー ジを 与え られ るこ とは
、バ ーガ ー大 使と 本職 にと って 助 けと なろ う﹂ と付 け加 え、 大統 領親 書の 将来 的な 可能 性に つい ては 余韻 を残
( )
した
。
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ライ シャ ワー 自身 は、 再開 され る日 韓会 談に つい て、 バー ガー より は楽 観的 な展 望を 抱い てい たよ うで ある
。
﹁韓 国で
、現 在の よう な望 まし い傾 向や 状況 が続 けば
、日 韓妥 結は この 秋か 冬に でも 現実 の可 能性
︵r ea lp ro sp ec ts
︶ にな るか も知 れな い﹂ と述 べ、 韓国 の情 勢さ え安 定す れば
、日 本側 は妥 結に 踏み 込む 可能 性が ある とい う認 識を 示 した
。こ れは ケネ ディ 大統 領へ の池 田首 相の 説明 など に見 られ るよ うな
、日 韓会 談の 状況 に対 する 当時 の日 本側 の 認識 と説 明論 理を 基本 的に 受け 入れ たも のと 言っ てよ いだ ろう
。 ライ シャ ワー は、 また
、再 開さ れる 日韓 会談 に臨 む日 本側 のス タン スに つい ての 情報 も寄 せた
。争 点の 請求 権金 額に つい ては
、﹁ 従来 の比 較的 少額 の請 求権 計画 の︵ おそ らく もう 少し 増額 され た︶ 変化 形、 五か 年で 二億 五〇
〇〇 万ド ルの 無償 経済 支援
、よ り大 きな 借款
、信 用、 投資 のプ ログ ラム
﹂が 提案 され る可 能性 があ ると いう こと であ っ
た。 同電 文は
、前 述の 七月 三〇 日付 のバ ーガ ー大 使の 電文 に関 する 東京 のコ メン トで もあ り、 この 部分 は、 バー ガ ー大 使が 伝え た﹁ 伊関 情報
﹂︵
﹁日 本は 今年 五〇
〇〇 万ド ルの
﹃返 済不 要の 借款
﹄と
、今 後五 年間 に合 計二 億五
〇〇
〇万 ド ルを 提供 する 用意 があ る﹂
︶を 確認 する もの とい える が、
﹁よ り大 きな 借款
、信 用、 投資 のプ ログ ラム
﹂が 追加 され てお り、 前述 の池 田・ ケネ ディ 会談 用の 米国 側ポ ジシ ョン ペー パー
︵一 九六 一年 六月 一六 日︶ が明 記し た﹁ 日本 側 の暫 定的 な考 え方
﹂︵
﹁請 求権 とし て最 大五
〇〇
〇万 ドル と、 無償 援助 とし て今 後五 年間 に二 億五
〇〇
〇万 ドル
、さ らに 未 確定 額の 長期 借款
﹂︶ に近 い形 にな って いる
。﹁ 信用
﹂や
﹁投 資﹂ の要 素が 新た に加 えら れて いる 点で は、 一九 六五 年の 請求 権に 関す る最 終的 な決 着の 枠組 み︵ 無償 供与 三億 ドル
、有 償借 款二 億ド ル、 民間 借款 三億 ドル 以上 に︶ 最も 類 似し てお り、 その 関連 性は 注目 に値 する
。 日韓 会談 を促 進す るた めの 外交 的な
﹁圧 力﹂ をめ ぐっ て、 米国 政府 内に も様 々な レベ ルに おい て、 見解 の違 いが 存在 した
。ワ シン トン では
、世 界的 な冷 戦戦 略上 の観 点か ら、 日韓 会談 への 積極 的な 介入 を唱 える ホワ イト ハウ ス と、 伝統 的な 外交 上の 考慮 を重 視し
、直 接の 圧力 には 慎重 な国 務省 との 間の 軋轢 があ った
。さ らに
、外 交の 現場 と もい える ソウ ルと 東京 の二 人の 米国 大使 の間 にも
、米 国政 府の 関与 の手 法や 程度 をめ ぐっ て、 意見 の相 違が 繰り 返 し見 られ た。 ライ シャ ワー 大使 は、 自伝 の中 で、
﹁新 しく 駐韓 大使 にな った サム
・バ ーガ ーと 夫人 のマ ージ はハ ル の古 い友 人で
、ワ シン トン との 往復 の途 中何 度も 東京 に立 ち寄 り、 日韓 関係 につ いて 長い 議論 を交 わし た﹂ が、
﹁バ ーガ ーは われ われ が日 本に 強い 圧力 をか け韓 国側 要求 を呑 ませ るべ きだ との 意見 だっ たが
、私 には 日本 政府 は 圧力 に屈 しな いこ とが 分か って いた
﹂と 述べ
、バ ーガ ー大 使と の間 で、 見解 の違 いが あっ たこ とを 率直 に語 って
( )
いる
。 外 135
交的 圧力 に対 する バー ガー とラ イシ ャワ ーの 対照 的な 考え 方は
、そ れぞ れ任 地︵ 韓・ 日︶ の利 害や 状況 の反 映 とい う構 造的 な要 因、 パー ソナ リテ ィや スタ イル
、外 交上 の経 験な ど、 様々 な要 因が 複合 的に 作用 した 結果 とい え