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16 

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(1)

新潟県朝日村における山菜の役割

著者

佐々木 博

雑誌名

筑波大学人文地理学研究

12

ページ

45- 59

発行年

1988- 03- 25

(2)

新ぬ県朝日村における山菜の役割

佐 々 木

I は じ め

E 新潟県の山菜採淑と相] 1 :1:村の位置づけ

血 朝 日 村 の 概 況 日f I-U菜の経済社会的意味

N -

)

三 回 集 落 の 事 例

N- 2 高恨集落の事官I1 V 森林資源の利用と

:

i

すの活性化

V- l 林 産 物 の 加 工

V - 2 森林のレクリエーション利用

V

I

おわり

I は じ め

111莱 の 生 産 量 の 把 握 は む つ か し く , 県 林 政 諜 がi l i l l l J i寸 に 依 頼 し て 推 定 し て も ら っ た 数 髄 が 県 統 計 に 崎載されている場合がある程度である. 多くの場合,

I

-U

菜 に 関 す る 統 計 は 掲 載 さ れ な い . ま し て そ の

iセセ N し か し , あ る 時 期 山 菜 は 山 村 の 経 済 ・ 社 会 に

重 要 な 役 割 を 演 じ て い た こ と は 確 か で あ る .

自然、食品ブームと戸外レクリエーション活動の普及によって山菜採取は従来とは別な形でホ

m

々と続

けられ,地方山村でt 士 山 菜 に 代 わ る 収 入 源 を 兼 業 ・ 観 光 業 な ど に よ っ て 埋 め 合 わ せ よ う と 努 力 し て い

Nセ ! ヨ村を{郊にとり, l-iJ菜 の 地 域 経 済 ・ 社 会 に

i

置け』る役割の変化と, IJJ菜 衰 退 後 の 新 し い 動

iセャャェ N

現 地 調 査 と 文 献 に よ る 調 査 で あ る が , 数 的 把 握 が7 官 庁 統 計 を 用 い る 研 究 に 比 し て 非 常 に 間 難 で あ

っすこ.

立 新 潟 県 の 山 菜 採 取 と 朝 日 村 の 位 置 づ け

新 潟 県 林 政 課 の 特j帯林産物生産量: によると, 1986年の

J

J

_ J 菜採取はわらび499. 3t ,ぜんまい126. 5t う わ さ び0. 7t で あ り , 他 の 特 用 林 産 物 の え の き だ け ( 2,643t ) ・ひらすこけ(1 ,267 t ) ・日本桐 (1,1 07 t ) ・生しいたけ( 1 ,078 t ) ・なめこ ( 962t ) に遠く及ばない. 10年前の1976年 に は わ ら び は75 6. 1 t で El 本 桐 (3,733t ) ・黒炭(1 ,439t ) ・生しいたけ ( 815t ) に 次 い で4 1立を占めていた.

1976年から1986年の10年 間 の 主 要 特 殊 林 産 物 の 増 加 率 を み る と , え の き だ け4 5 8 %,ひらたけ4 5 5 %, 菌沫なめこ3 1 8 %,乾しいたけ2 4 6 %などの噌力11率 が 大 き く , 逆 に わ ら び6 6 %,ぜんまL、9 1 %,わさび

7 %などは減少してきた.

1986年産

J

J

j

菜 の 市fllJ村民j生 産 量 は5,000k gとか40,000k gーなどとラウンドナンバーで表示されている と こ ろ を み て も , 全 く の 概 数 程 度 の 信 樹 度 し か な い が , 他 に 頼 る 数 字 が な い の で , そ れ に よ っ て 弱 日

(3)

松代町. ( 14 t ) ・牧村( 10t ) ・守門村 ( 9. 6t) ・入広瀬村 ( 8 t ) ・湯之谷村 ( 7. 5t ) ・上川村

( 6

t ) に 次 い で 第

8

位に過ぎない.

良質な tJJ菜 は 雪 の 深 い 東 北 日 本 に 成 育 す る と い わ れ , 新 潟 ・ 福 島 ・ 山 形 県 の111地 が 主 要 な 採 取 地 で ある1)

E 朝 日 村 の 概 況

〔村域〕

村i或は東西35. 8k m, 南 北2 4 . 9 k m, 面 積626. 40k m2県内最大, 日本第2の自治体であり,2 {立の 糸 魚 川 市 ( 467. 14km2) の1. 3倍 に も な っ て い る . 人 口 は13,831人( 1985) で、人口密度はわずか22. 1人

jk m2

に 過 ぎ な い . 西 端 は 村 上 市 街 に 近 い 三 国 )[171

i

J

積 低 地 の 海 抜1 2 mか ら , 東 端 の 山 形 県 境 の 酉 朝 日 岳の18日. 7 mにまで1 8 0 0 mの 比 高 が あ り , 平 均 勾 配 は5 0 m/ k mと 非 常 に 急 勾 配 で あ る . 南 西 端 の 三 国 川 と そ の 右 方 支 流 高 根}IIが合流する付近に狭い平野が開{ づ』るのみで,他はすべて! l J 地 で あ る . 総 雨 積

6 2 6 k m2の う ち 林 野 が5 6 9 k m2も 占 め , 林 野 率 は9 0 . 8 %に達している. I百は1 9 . 2 k m2で3. 1%, セュ

3 .4 k m2で0 .6 %,樹底地率は1. 6 k m2で0 .3 %に過ぎない.

〔人口〕

林 野 率9 0 %を 越 す111村 の た め , 人 口 は1955年の19,184人 を ピ ー ク に 人 口 セ ン サ ス の 度 毎 に 減 少 し て き, 1985年 に は13,579人になってしまった. 1954年 に 市!HJ村 合 併 促 進 法 に よ っ て 館 腰 ・ 三 部 ・ 高 根 ・ 猿沢・; 臨

l

i

l

手11I]の5カ 村 合 併 に よ っ て 朝 日 村 が 誕 生 し た が , 奇 し く も そ の 頃 が 人 口 の ピ ー ク で あ っ た .

1985年の 113村別でF人口規模が大きし、のは高根地区3,206で,以下館! 接地区2,911,塩野! l IJ地 区2,805,猿 沢 地 区2,650と 続 き , 最 も 小 さ い の は 三 面 地 区 の2,006である. 1980年 か ら85年の5年 間 で 最 も 大 き な 人 口 減 少 を 示 し た 集 落 は ダ ム に 水 没 す る た め 全 村 移 転 し た 三 国 の63人減を筆頭に,塩野I lI J - 55,岩崩

-3 3,大須戸- 3 0,蒲萄-2 9な ど 最 東 端 と 最 北 端 に 位 置 す る 平 地 が 狭 く て111域 の 広 い 集 落 で あ る . 1日村 を 構 成 す る 集 落 の う ち , 約 半 数 は 南 西 端 の 沖 積 平 野 の 水

m

地帯に位置している. 官i 1 iJJ要・三部・高根を

構成する集落の約半数は,水日うの少ない. IJJ間 に 位 置 し て お り , 山 域 に 依 存 す る 度 合 が 強 い 〔財政〕

村 の 予 算 規 模 は1986年 度39. 5億 円 , 歳 入 源 別 で は 地 方 交 付 税19. 3億 円 は 総 歳 入 額 の4 8 .8 %( 全国の 地 方 財 政 財 源 の 平 均 は18. 6%) と 最 大 で あ り , 次 い で 村 税5. 4億円, 1臼3. 8タ%ザ( 仏45. 5タ%ぎ的) い. 村{ 債

i

芸京:号14. 9億

F

門:コ司i守?

1

2. 4タ%ザ( 侶8. 4タ% ザの〉と続き,自主財源が小さく留の補助と地方債で支えられている典型的な僻地の歳入 パ タ ー ン を 示 し て い る . 歳 出 で は 教 育 費 ( 総 歳 出 額 の15. 7%) ・公債費 ( 14. 7%) ・民生費( 14 . 3 %)

・農林水産費 ( 13. 1%) ・土木費 ( 11. 3%) が主要なものである. 〔産業構造〕

産 業 別 就 業 者 を み る と , 第 エ 次 産 業2,867人 ( 1980) , 38. 6 % ( 全国は10. 9%) ,第2次 産 業2,536

人, 34. 1 % ( 33. 5 %) ,第3次 産 業2

032人, 2 7 .3 % ( 55. 3%) で, 第1次産業率が高く, 第3次 産 業 率 が 低 い ご と に 特 色 が あ る . 総 世 帯 数3,072 ( 1985) の6 8 .7 %,2,110戸が農家であり, 5 0 .7 %,

(4)

が な い の で 世 帯 を も っ て 考 え て み た . 林 家 率 が 約5割 強 を 占 め る と こ ろ に , 朝 日 村 の 産 業 構 造 の 特 色 がある.

農 家 数2,110戸のうち,工W:業 は わ ず か3 .2 %の67戸, 9 6 . 8 %が 兼 業 ( 第1種14. 6タザ,第2種82. 2%)

で あ る . 圧 倒 的 多 数 の 第2{ill兼業農家のうち,世帯主兼業でかつ兼業が主である1 ,416戸 の 兼 業 業 種 を み る と , 恒 常 的 勤 務 が6 4 .2 %,1::1J窪・臨時罷1 7 .4 %,出稼ぎ7 .6 %, 自 営 兼 業6 .9 %である,ちなみ に 全 国 の 専 業 農 家 率 は1 4 .8 % (1 985) ,兼業農家率は8 5 .2 %( 第1種1 5 .2 %,第2種70. 0%) で,朝

日村の農業は専業; 農家率が低く,第

2

種 兼 業 農 家 率 が 高 い こ と に 特 色 が あ る .

この第2種 兼 業 率 の 高 さ は 経 営 耕 地 面 積 の 零 細 性 か ら も 説 明 で き る . 平均経営耕地規模は1 . 15ha

で , 全 国 平 均 よ り も や や 小 さ い . 経 営 耕 地 規 模 別 階 層 で , 最 も 多 い の はO. UセQN@ OhaJ習で、全農家の28. 0

% を占めている. 0. 3ha未満! 習が1 2 .6 %,累積して0. 5ha未満層25. 3%, 1. Oha未満! 謹53. 3%, 1. 5 ha

未満層72. 4 %, 2. Oha未満j習84. 6 %である,

第2次産業人口2,536人の約半数を村内の工業で収容しており, 50工場,従業者数1,176を数えてい る. 50工 場 の う ち 最 も 多 い の は 木 材 工 場 で12, 次し、で、食料1171工 場7, 電 気 工 場6と続いているy し か し , 従 業 員 数 で は 電 気 が514,次いで木材147,家具126と続いており,林業関連工業に特色がある.

1914年,国鉄村上級( 新津一村上) が開通し, 1917年に! 日高根村南部の原野を買収した日本の石油

TVィ。 SRィ。 j A ャ ゥセN R QYUS

県営三百ダムが, 1957年に猿1 :13ダムが完成した. 1967年 の 羽 越 豪 雨 に よ っ て 計 画 水 位 を は る か にj

@

K

治 水 計 画 が 再 検 討 さ れ た . そ の 結 果 既 設 の 三 酉 ダ ム や 河 山 の 改 修 と あ わ せ て , 新 た に 奥 三 面 ダ ム

が計画され, 1985年, 42戸の三百五集落が「三面ここにありき」の碑文と住民の名前が刻み込まれた石

碑 を 残 し て , 全 村 移 住 し て 関 村 す る こ と に な っ た . 1971年 か ら 着 工 し て い た 山 形 県 の 朝 日 村 と 結 ぶ 朝 日 ス ー パ ー 林 道5 2 k m( 新潟県側3 7 .5 k m,山形県側1 4 . 6 k m,iil員4 . 6 m) が71. 8{: 意向の亘費を投 じて1983年 に 完 成 し 新 し い 観 光 地 の 刺 激 と な っ て い る .

N

山 菜 の 程 済 社 会 的 意 味

IJJ菜採取は夕刊ム工事などの公共事業,出稼ぎぅ観光地化などと並んで,山村人口の維持機能がある

といわれている. 平地稲作農村におけーる

i

壬! 植休暇にも棺当するゼンマイ休暇が6月 上 旬 に 小 中 学 校 で 設けられていた. し か し , 今 日 で は 拡 大 造 林 に よ る 山 菜 の 減 少 , 採 取 者 の 高 令 化 , 道 路 整 備 に よ る 部

会人の 111菜採り入 IJ- 1によるi J _ J 菜の濫獲などによて,山村における山菜の持つ経済社会的意味は減少し

てきた. 三部地区茎太小学校で? 土5月中旬, ワラビ採り大会と称して半日間全校でワラビ、採取に入山

し,支を決めたり,採取したi JJ菜は; 農協に

lil

荷 し て 泥 童 会 ・ 生 徒 会 の 費 用 に 充 て た り し て い た . 最 近 は 農 協 の 異 い 上 げ 価 格 が 低 い た め , 学 校 の 先 生 が 自 家 消 費 用 に 買 い 上 げ た り し て い る .

111菜 を 地 元 民 が 自 家 消 費 用 に 採 取 し て い た こ と は 容 易 に 想 像 で き , と く に 三 街 地 区 の 千 縄 ・ 茎 太 ・

猿 沢 地 区 猿 沢 で IJ- 1莱取りが盛んであったわ. 朝日村農協扱いの1986年4 ・5 ・6月3カ月の実績は, ゼンマイ337万円, ワラビ ( 2,272kg) 62万円,コゴミ ( 449kg) 59万 円 , そ の 他 の 山 菜24万円であっ

(5)

れ1 - 1 三 国 集 落 の 事 例

三百五集務は三百}

1

1

か ら 末 沢 川 が 分 岐 す る 地 点 の 三 国 )

1

1

右 岸 , 海 抜

1

8

0

"' -' 2

0

0

1

1

1

にある.

1926

年 小 国 か

ら 林 道 ( 車 道 ) が 開 設 さ れ , さ ら に

1936

年 米 坂 総 が 全 通 し

i

有の山形県小田IIIJJJi'戸 か ら 献Ihp

( 5

0

0

1

1

1

)

ノレートによりのアクセスが高まり,ゼンマイ・ナメコなどが米沢のIJJ下食品なとcへ出荷され,

1940

頃まで黄金時代を迎えた.

1940

年三国国有林開発事業が始まったが,戦時体制下で中! 析した3)

1962

年 , 小 田 ・ 三 国 間

27k

1

1

1

の林道が完工するとゼンマイ・ナメコ・架が高値で販売されるようになった.

さ ら に 林 道 完 工 の 翌

1963

年 , 国 鉄 パ ス が 小 国 か ら 乗 り 入 れ る よ う に な っ た が

4

年後の

1967

年廃止さ

れ て し ま い , 再 び 陸 の 孤 島 と 化 し た .

1955

年 猿 田 ダ ム 湛 水 に よ り , ゼ ン マ イ 採 取 の 良 い 自 生 地 を う し

な っ た . そ の 補 償 金 で 舟 を 購 入 し て , よ り 奥 地 で 採 取 す る よ う に な り ,

1955

年 以 降 の 山 菜 ブ ー ム で 安

定 し た 高 い 収 入 を 得 る よ う に な っ た .

1955

年 頃 の 三 国 の 現 金 収 入 は , ゼ ン マ イ

5

200k g

1

kg300

円として,

156

万 円 (

1

戸 平 均

5751

コ=J),

46

万円, ワ ラ ビ18万 門 , ナ メ コ ・ キ ノ コ 類

30

万 円 , 毛 皮 類 数 十 万 円 で あ っ た . あ る 農 家 の 収 入 割 合

は, 111 菜

6

,栗

2. 5

,ぉ: 1. U N ゥ QQ U iセ

の 飯 米 ・ 食 糧 を 購 入 し , 搬 入 し て お か な け れ ば な ら ず , そ の 資 金 の 多 く は , 翌 年 の ゼ ン マ イ 採 取 を 担

保 に 小 国 な ど の 仲 買 人 か ら 前 借 し て い た .

1985

1

1

月 , 奥 三 函 ダ ム 建 設 に と も な っ て 三 国 集 落

42

戸は全村移住した.

29

戸は村上市南西部,

J

r A QQ ャセヲj Q VVPQQQR

いる. それ以外で、は豊栄市に5戸 , 新 潟 市2戸 , 新 発 問 市1戸 , 松 山 地

i

玄以外の村上市に移住した. 移 転 補 償 金 は

5

000

"' -' 1

.5

億 円 と い わ れ て い る . 村 上 移 住 に よ っ て 離 散 家 族 がl カ 所 に 集 合 で き た 家

も 多 い 反 面 , 転 職 が う ま く 行 か な い 悩 み を 抱 え て い る .

10

戸 は 朝 日 村 南 西 部 小

JI

I

付 近 に 水 田 の 代 替 地

を手に入れ,

2

戸 は 通 勤 耕 作 し て い る 外 は , 他 人 に 貸 し て

675P=J / I O

a

程の収入を得ーている, 代 替 地

は 区 長 高 揚 科

i

専で

70

a

の 水 田 を 得 た . 農 業 以 外 で は , 木 工 所 , 営 林 署

U

パー

t

ヰョ" 土方など,女子は甑瀕

i

担挺肢

i

主{

温泉のホテノルレ. 旅館に勤めてる人もちらほらいる. ] ゥ j Miセ [

ズンにはιJ山IJ_担J莱 取 り に 三 面 へ卦一

i

H

向いている人は多い. 1億 円 の 補 償 費 も 住 宅 建 設 ・ 生 活 費 ・ i伝業資金な どで

j

底をついてくると, RPセSP QPP

は多い.

29

戸の三部出身者ーだけが孤立した

i

立j tmに住んで、いる現実を,年配者は気心が失11れ て い て 快 適

NN iセェAェ N

三 国 集 落 全 村 移 住 直 前 の 調 査 が ニ つ あ る .

1985

2

月 の 農 業 セ ン サ ス と

10

1

日 の 国 勢 調 査 で あ

る . 役 場 の 資 料 で は

42

戸 全 村 移 住 と な っ て い る が , 廃 村

1

カ月前

10

1

日の人l =lセ ン サ ス で は

3

0

j

立帯

76

人おり,

1980

年 の 人 口 セ ン サ ス で は

49

世 帯

139

人( 男

34

,女

42)

で あ る か ら , す で に か な り の 世 帯 が 移

住 済 み で あ っ た . 人 口 は

1960

年の

230

から

1970

198

,に

1980

139

と一: 質して流出し,減少していた.

農 業 セ ン サ ス で は 農 家 数

29

1980

( 30

戸) ・

1975

( 32

戸) と比べそれ程減つてはいない. しかし農家

人 口 は

1975

年の

156

から

1980

112

1985

101

と 約 % に 減 少 し , と く に 男 子 は

1975

年の

69

から

1985

年 の

(6)

操 業 専 従 者 は 男 子8に 対 し て 女 子15,年令的には40' "' -' 59才 が % を 占 め て い る . 兼 業 の 種 類 と し て は 自 営 兼 業2セ RW ( うち恒常的勤務1に 対 し て 出 稼 ぎ ・ 日 雇 ・ 臨 時 雇26) で あ る . 専 業 は は0,1兼 が4戸 ( 13. 8%) ,2セ RU HXVNREIN Q UUNV a,

*133

率 は

7 7 .1 %, 耕 地 利 用 率 は9 3 .2 %で, ほぼ1毛作である. 農j産主物! 版坂莞売; 金額第1υ{位

5

Z

の苦部伊

i

日出i甘伊1 3

%的),雑誌没・いも類・豆類1戸 ( 3. 4%) であった.

U

JI

こ! 日にありながら馬区│ は国有林野が多いため, 家林家9 j=iの 保 有 山 林 面 積 は わ ず かl l ha, (うち0. 1,-___,1h a未満が6戸, 1,-.._,5h aが3戸 ) と 極 零 細 規 模 で あ る . し か も 保 有111林 面 積 は 1975年26ha,1980年23haから, 1985年 のl l haへ 半 減 し 逆 に 保 有111林 無 し が1975年の4戸, 1980年4戸から, 1985年20戸 へ , 移 転 が 予 想 さ れ た た め か , 三 面 集 落 保 有IJj林面積は減少してきた.

三国で!- Ij菜が経済的( 訪日値をもつようになったのは大正の初め頃であるがその関の事実について,こ

れまで、の文献の記述は正確さを欠いている.

r

朝1=1村 文 化 財 報 告 第2集

J

( 1977) には, I三 国 の 生

業に於し、てゼンマイ採取の比重が高くなったのは,大正初めごろに,三条森IIJJの渡辺林j哉という人に

よって,アオセ( アオボシ) という乾燥法が伝えられてからのことである. 彼は③治五右ヱ「う宅を宿

に し て 小 屋 を か け る と 同

n

寺 に , ゼ ン マ イ の 裂 い 付 け も 行 な っ た . そ れ 以 前 は ゼ ン マ イ 一 貫 目 が50' "' -' 60

っ た た め , ゼ ン マ イ 出 荷 を し て い た ム ラ 人 は

2

3

人だった. この13寺,アオセを学んだムラ人の

一人が,夫婦で小屋をかけーてゼンマイ採りを行ない20日間で、60円 分 の 収 穫 を あ げ た . 若 い 衆 の 伐 木 作 業 で 同 程 度 の 賃 金 し か 稼 げ な い 時 だ っ た か ら , 家 中 で で き て , 毎 年 安 定 し た 収 入 を 得 ら れ る ゼ ン マ イ

採 り は , ム ラ 中 の 注

I

J

を集めた.

なお,それ以後取引

{

illi

格 が ー 寅

1

3

3

P=

J50銭程度に怠tJJ悲 し た と い う . こ の よ う に し て ゼ ン マ イ 採 取 が 三

面部務の現金収入のうちで、大きなウェートを占めるようになった

. J

とある .

i

度辺茂蔵編著「羽越国

境の山jτ1- 奥三面3)

J

( 1979) には, I奥 三 百 の 生 業 に お い て ゼ ン マ イ の 比 重 が 高 く な っ た の は , 大

正のはじめに,新潟県稿! 軍部三条森IllJ五 百 川 の 渡 辺 林 蔵 氏 に よ っ て , ア オ ボ シ に よ る 乾 燥 法 が 伝 え ら れてからである

. J

とある. 三井! 日l )は こ の 件 に 関 し て は ノ ー タ ッ チ で あ る . 田 口4)は 1年 間 三 田 に 佐 ん で み て , 明 治31年( 1898) 生 れ の 小 池 ヨ り か ら の 聴 き 取 り を 次 の よ う に 書 い て あ る .

r

オレが16

の 年 , 三 条 ( 新 潟 県 清 原 郡 三 条 l句 ) の 渡 辺 林 蔵 っ て 人 き て な , ゼ ン マ イ 買 い て え な ん で い っ て , そ れ

か ら ゼ ン マ イ 採 る よ う に な っ た ん だ . ほ ん で オ レ の つ れ あ い ( 夫 の 故 小 池 甚 太 郎 ) が , オ レ , ゼ ン マ

イ 採 っ て 売 る な ん て い っ て な ー , そ の 頃 の 三 回 の 衆 な ん ぞ , 少 し は 採 っ て 食 べ る 衆 も あ っ た が な ? ゼ

ン マ イ な ん ぞ , ろ く に 採 ら な か っ た ぜ ぇ 一 . 採 ん の は ウ ド や ウ ノ レ イ ぐ れ え だ っ た な -

J

, ( ) は

出口の付けた注釈と忠われる.

三 つ の 文 献 に 出 て く る 渡 辺 林j誌の所在地はし、ずれも現存しない地名ばかりである. 田口は学者でな ので仕方ないとしても,他の二つの文献は学者が書いているにもかかわらず,文献を孫引きしたり,

伝 聞 を 批 判 的 ・ 科 学 的 分 析 を す る こ と も な く そ の ま ま 記 述 し , 地 図 や 行 政 資 料 で 検 討 し な か っ た た め

の 誤 っ た 記 述 を し た も の と 忠 わ れ る . そ も そ も 新 潟 県 に 大 正 時 代 に 蒲 j京 都 な る も の は 存 在 し な か っ

(7)

郡 は 明 治

19

. 1886

年 ま で は 福 島 県 の 管 轄 ) QR HQ XWYI ョ セセ iiijカ

置 か れ , 森IIJ]判‘ は南港J)京都の一つの村で,

1954

年の「市町村合併促進法によって,

illi

隣りの) 蒐111者村・

長沢村と合併して,

1955

1

1

日以降下町村の一部となっている.

-1 モ ガ ワ

1987

1

1

22

日 , 下 田 村 南 五 百 川 の 国 道

289

南 側 に 沿 う 渡 辺 正 雄 〈 林j哉の孫, 金j践 の 子 ) 宅 を 訪 ね 金 蔵 〈 林 蔵 の 子 ) の 妻

( 8

0

才 ) か ら l聴 き 取 り が で き た . 彼 女 は 東 隣 り の 大 谷 地 の 出 身 で , 嫁 入 り 後

2

' "' --' 3

年 間 は 林 蔵 と 生 活 を 共 に し た . 林j哉の和) j ! i ; t 姿の写真があり,裏に「密門

i

完勝林入向 j舌士

J

,享

62

才, I昭和

9

9

2

5

1

ヨ , と あ る . そ れ に よ っ て 逆 算 す る と 渡 辺 林 蔵 は 明 治

5

年 ( 1

872)

年 生 れ3

三 面 ヘ ゼ ン マ イ を 買 い に 入 っ た と い う 大 正

3

年 ( 1

914)

に は 林 蔵

42

才 の 時 と な る . 林 蔵 は

1

3

3

r-

H

I

を 妾 や

怠子の金蔵にイ壬せて, 自 分 は 三 条 の 友 人 の 家 に 泊 っ て , ゼ ン マ イ な ど の 山 菜 を1週 間 ほ ど か け て 京 都 方 面 へ 持 参 し た り , 炭 ・ 潤 な ど を 商 い , 炭 を 他 人 に 焼 か せ る な ど し て , 前 貸 荷 人 的 役 割 を 演 じ た . 五

)

1

1

の 区 長 も や っ て い た . 当 時 ど の よ う な 交 通 手 段 で 三 条 や 三 国 ・ 京 都 へ 出 向 い て い た か は 定 か で 、 は

な い が , 多 分 徒 歩 と 列 車 で あ ろ う . 五 百 川 付 近 に も 山 菜 が た く さ ん 取 れ3 それらも商っていた.

前記小池リョの話しが正確なら, りヨ

16

才 の 年 と は

1914

年 〈 大 正

3

) である.

「山に生かされた日々

J5

)

の三面歴史年表には,

i

大正

2

(1

913)

小 池 リ ヨ , 新 潟 県 南 蒲 原 郡 森1I1

J

五 百)

'

l

の 住 人 , 渡 辺 林 蔵 に ゼ ン マ イ の 青 干 し 法 を 習 い , 出 荷 始 ま る . ( これより数年後ともいう. )

J

と あ る . こ こ に も 森IHJを行政上のI l lJ と 誤 解 し て お り , 正 確 に は 森 町 村 で あ る こ と は 言 う ま で も な い

し、ずれにせよ,渡辺林蔵が三面に入った正確な年は

1913

年 か

1914

年の大正初期としか現在ではし叫、ょ

うがない. 渡

y

! 度度長支: 辺林} 蔵歳が森11町i耳勾i可]

三条! 町立町町

J

カか、ら来た人と理解されても不! 思忍議はない. 三面でで、

l

自主分でで、も山莱を採取しているのでで、,

1

3

己採取

兼 集 荷 業 者 で あ っ た と 想 像 さ れ る .

渡 辺 林 蔵 の 教 え た ア オ セ 〔 ア オ ボ シ 〕 と は 伝 統 的 な 文 字 通 り 天 日 乾 燥 で あ る テ ン ポ シ に 対 す る も の

で , 小 屋 の 中 に

2

5

寸〔約

75c m

J

i

立の間隔で石を

2

列 に 積 み 上 げ て ( 高 さ

6 0 c m

,長さ

2

m

位)

fF

'

た ヒ ド コ の 上 に , ジ ン 竹 や ジ サ ノ キ で 編 ん だ 賛 を 置 き , そ の 上 に ゼ ン マ イ を 置 い て 下 か ら 火 を た い て

乾 燥 さ せ る 方 法 で あ る . ゼ ン マ イ を 手 で ひ っ く り 返 し な が ら

10

分 間 程 度 い ぶ し た も の を

l

番 乾 し と い

う. 数時間おきに

4

田 ほ ど く り 返 し て い く に つ れ

2

番11乏し,

3

番乾し, T N イセ しみるため, iセ N

間 に 多 量 の ゼ ン マ イ を 乾 燥 で き る の で , 最 盛 期 に は 半 数 位 の 農 家 が 行 な っ て い た . し か し , ア オ セ 処

理 ゼ ン マ イ の 需 要 が 低 下 し た た め , 雨 天 が 続 い た 時 以 外 は 行 な わ れ な く な っ た . テ ン ポ シ に す る と 生

QP Q iセi N

ン マ イ の 綿 を と り , 大 ・ 中 ・ 小 に 区 分 し て 束 ね , 釜 で ゆ で た . 綿 は 以 前 は 座 布 団 や 布 団 の 綿 に 混 ぜ て

利 用 し た . ゆ で た ゼ ン マ イ は 縫 に 広 げ て 干 し , 色 が ピ ン ク 色 に 変 わ っ て く る と か き 集 め て 手 で も ん

だ . も む こ と に よ っ て 水 分 が 抜 け や 易 く な っ , 柔 ら か く な る . 晴 天 な ら ば2'"'--' 3Iヨで、完成品となり, 女 ・ 子 供 が 主 に こ の も む 仕 事 に 従 事 し た .

(8)

植 と 重 な る た め 狛 の 手 を 借 り た い ほ ど の 忙 し さ で あ る . 1982年 の ゼ ン マ イ 採 敢 は5月8 自に始まり, 学 校 も5月9

I

:

!

か ら101

11号 ゼ ン マ イ 休 み と な っ て , 子 供 達 も ゼ ン マ イ 小 屋 に 治 ま り 込 ん だ り し て , 綿 取 り や , ゼ ン マ イ も み を 手 伝 っ た . ゼ ン マ イ は シ ダ 植 物 の た め 日 向 斜 面 に は な く , 湿 気 の 多 い 北 向 き

斜 面 や ガ レ 場 , 崖 な ど に 密 生 し て い る の で 採 取 に 当 っ て は 足 元 が あ ぶ な く , J底にスノミイクのついた地 下 足 袋 を は い た ( 第1

I

1

)

. 総で編んだテンゴとI l 子ばれる袋を背負い, JJ裂にはサゲ( J j 要) テンゴ( 小 箆 ) を つ け て 出 か け , サ ゲ テ ン ゴ に い っ ぱ い に な る と テ ン コ7こ移した. ゼンマイ小屋ーから採取に行く 場 合 に は , 午 前 , 午 後 各1 I!I I出かける. シーズン最盛期には, 男 は1 Q QU MN⦅⦅ RP iセi (約 56,-.__,75k g), 女 は8BMGQPZ iセi ( 30' -' __' 38kg) 採 る こ と が で き た . し か し , シ ー ズ ン も 終 り に 近 く な る と 男 で も 1日5

寅13 ( 20kg)位 し か と れ な い こ と も あ る . ゼ ン マ イ は 胞 子 で 増 殖 す る た め , 必 ず 何 本 か 残 し て お い て 翌 年 の 増 植 に 備 え て お く . し か し , 禁 猟 以 来 カ モ シ カ が 増 え て ゼ ン マ イ を 食 い 荒 ら す こ と が 多 く な っ た .

(9)

QYWP ァャ QP S SP iセi

1 :

1守 に 採 取 し て い た , 家 か ら 通 い で 採 取 し て い た の が9戸 , 他 の4戸 は 女 手 だ け で 取 っ て い た . 通 い で 採 る 場 合 は , 部 落 共 有 林 ( ム ラ11)) 内 で も 国 有 林 内 で も よ く , 良 い 場 所 を 確 保 す る た め に 夜 明 け 前 に

5 I

i

首 位 続 け て 同 じ 場 所 で 採 取 し て い る と 他 人 は 入 っ て 来 な い と い わ 家 を 出 な け れ ば な ら な か っ た .

れている.

〔ゼンマイ小屋〕

多 い 家 で は3' "' -' 4カ所

1955年 頃 ま で は 総 戸 数 の7 0 %が ゼ ン マ イ 小 屋 で 宿 泊 し て ゼ ン マ イ を 採 取 し う

1960

年 墳 か ら 集 落 に 近 い ゼ ン マ イ 小 屋 か ら 姿 を 出 し ,

1970

年 代 半 に

その111をスノヤマと¥1 子ん

111に泊まることをスノといい, は 総 戸 数 の40%',17カ所に減ってしまった.

ス ノ ヤ マ は 集 落 か ら 歩 い て 片 道

1

' "' -' 6

時間,

3 ' "' -' 2

4

k

m

ま で の 距 離 の と こ ろ に あ り , ゼ ン マ イ 小 屋 だ.

1度建てると 5 ・6年 は

は付近の木や革を用いて建て, { 曲家と採取範囲が重ならない程度に分散し,

も っ た . し か し I年 に1 @利 用 す る だ け な の で 破 損 も は げ し く , 小 屋 入 り の 前 に 修 理 に 来 た り , 宿 泊 プ ロ パ ン ガ ス ボ ン ベ イ な ど を あ ら か じ め 運 ん で お か な け れ ば い け な か っ た . 小

|セ

4

it=三

3年 間 は 他J¥が入ることはしないが, そ の 持 主 が 採 取 に 来 る こ と も あ る の でy

屋を放棄しても,

1ゥ QQセQ

2

ゥセサ

ゼンマイ 白 か ら は 自 由 に 入 っ て よ い こ と に な っ て い た .

仁jコに炉が切ってあった. 猿日夕、、ムができてから 用 , 他 は 物 泣 き に 利 用 さ れ , 宿 泊 練 は4畳半ほどで,

は 船 外 機 付 き ボ ー ト で ダ ム 抑jを渡って小屋がけをし,小屋住みの問中, セセij

イ ・ イ タ ド リ ・ フ キ ノ ト ウ ・ ミ ズ ・ ヤ マ フ キ な ど 約30種類の山菜でまかない, )11で釣った魚、も食卓に

( 第

2

1

玄l ) . のほる

三面)11本 流

4

,末沢)11ヱjく系 3 で , 多

0

使

泥又川水系5,

ゼンマイ乾し場

小 屋 の 分 布 は

1970

年代半ばには猿日

3

川 水 系

5

一 .セ` "

血一一、¥一

』τ=ご-ニ-こ匂¥λ

一 一 干

、今

一 一

一一←

一一

一.

一 一 ー

(10)

くは沢口に位寵していた( 渡辺,

1

9

7

9

) .

ゼンマイを干すために日当りが良く, か つ 飲 料 水 の 得 や す

し、場所が選ばれた.

〔ゼソマイの出荷〕

乾燥ゼンマイは小│主

l

や 小 出 な ど の 商 人 に よ っ て 集 荷 さ れ た が , 農 協 で も 集 荷 を 始 め ,

1970

年 代 半 ば

頃は; 農協扱いが約半分を占めていた. 出荷先はテンポシは主に関東へ,アオセは主に関西方面である.

QYWP QRPセ QSP■セセ@ HQ QP QセQ

=

3

7

. 5kg)

のゼンマイが出荷され,

l 俵

2

0

万円

( 5000

円I kg) として,

2

400

"

_

_

_

_

2

600

p

,j=

1

戸 平 均 約

6

0

万 円 の 現 金 収 入 が あ っ た . ゼ ン マ イ 小 屋 で の 乾 燥 ゼ ン マ イ の 生 産 量 は

1

1

:

1

平 均

6

,.____

7

k g

, カ マ ス や 南 京 袋 に 入 れ て

40kg

( 1

俵)

に ま と め て 出 荷 さ れ る . 小 国 ・ 米 沢 な ど の 山 形 県 知IJの 業 者 , 新 発 田 ・ 三 条 な ど の 新 潟 県 側 業 者 は , 冬

季 用 飯 米 や 生 活 必 需1211をi I I

1

貸の形で、提供して,ゼンマイで決済させることが多かった.

4 k m

程 度 の 自家用を残して農家は出荷する. 太く,長く, あ じ が よ く , 柔 ら か な 三 国 ゼ ン マ イ は

5

000

円I k g以 上 で 売 れ

1

戸 平 均

6

0

万 円 , 中 に は

100

万円を越す者もいた. 乾燥ゼンマイは産地仲買人から,

3

,.____

4

人 の中

I

'M

'

業者を経,消費地で、生物にもどす加工業者によって

7

倍 の 重 量 の 加 工 ゼ ン マ イ に さ れ , ス ー パ

ー な ど の 小 売);1ミで販売される. 〔その他の山菜〕

iiヲセ cャSP ゥj⦅j ェ

始まった. その後ナメコの缶詰加工が始まり,

1966

年 に は ナ メ コ 組 合 ( 組 合 員 数 は 当 初

1

4

戸 , の ち

9

戸 ) が 発 足 し て 天 然 ナ メ コ の み な ら ず 人 工 栽 惰 ナ メ コ を 出 荷 す る よ う に な っ た . ホ ダ 木 は 組 合 と し て 営

林署ーから払い下げられる薪炭原木の中から利用した. 春 秋にホ夕、木にナメコ菌コマ打ちをやり,国

有 林 や 私 有 林 に 置 い て 秋 に 採 敬 し た .

1

0

月中・下旬には,缶詰加工が行なわれ, 4・6号 缶 で 箱 詰 出 荷 さ れ た . 出 荷 先 は 村 上 市 堀 ノ 内 の 業 者 , 農 協 な ど へ 出 荷 さ れ た . 組 合 出 荷 額 は

1970

年 代 半 ば で

600

円3 他人出荷額の合計ーはそれ以上で、あると推定されている. 9"' --' 11月のナメコ販売による現金収入は, そ れ だ け 出 稼 ぎ 期 間 を 短 縮 す る 効 果 を も っ て い た . ワ ラ ビ は

3

つの業者が三面集落から買い入れ,

2

000kg

入りの大楠やコンクリート槽に漬け込んで,新潟方面の業者や旅館・ホテノレなとやへ出持して

い た . 買 入

f

i

l

l

i

格 は 生 モ ノ で

1

0

0

I

I

J / kg

, 出 荷 量 は

1

0

t ほどであった.

ゼンマイ・ナメコの外には,

7

"- ' 9

月のキクラケ,

8

"

-'

9

月のトピタケ,

1

0

月 の マ イ タ ケ な ど が あ

ったが,商l忠Iと し て 出 荷 さ れ る の は ゼ ン マ イ ・ ワ ラ ビ ・ マ イ タ ケ ・ ナ メ コ く ら い で あ っ た . 栗 は 昭 和

3

0

年 代 半 ば に は 出 荷 し な く な っ た .

(111菜の経済社会的意味〕

「春先のEEIセiij ケ QQQ )11猟 と 仕 事 も 重 な る . 炭 焼 も ご く 小 規 模 に 行 な わ れ た . さ ら に , 冬 の 狩 猟7 ワ ラ 仕 事 と 山 林 特 有 の 生 業 が j喪関される.

1949

年の三国集落の収入割合は,

山菜

6

,架

2

. 5

,狛: 猟1 .

5

になるJ G) . ゼ ン マ イ を 主

m

l

l J とする山菜採取は短期高所得性のため,出獄ぎ・ 人 口 流 出 を 阻 止 す る 機 能 を も ち , 所 得 ・ 戸 数 ・ 人 仁i維 持 機 能 を も っ て き た . 山 菜 が 経 済 的 価 値 を も っ

以前の現金収入はスゲコ。ザ・カモシカの皮・熊の皮・熊の jj旦などであった.

d

:

;

'J

猟 は 全 員 が 参 加 で き る

(11)

l

三 面 で は ゼ ン マ イ 採 取 の は じ ま る 以 前 は

28

軒 し か な く , そ れ

tJ J

二に家が増えたらつぶれる家が出る

といわれ, ・・・・ゼンマイ採取のはじまった大正5年 か ら 末 頃 ま で の

1

'

1

司に,少くとも 5軒 の 分 家 が

1

: 1 止し、るのである. そのうち

2 I

I

汗は田知! をもらって分家している

3

j肝は

E

E

I1

1

1

1

な し の 分 家 で あ っ た

・・分家できる基盤をゼンマイがもたらした. ・ ・ ・ 三 国 は 山 中 に あ り な が ら も 平 場 と 同 程j克ーまで

セ[iセャ

e

J

.

くいで,現在の

42

戸まで唱えた。7)_j

1960

年の人口

230

から

1970

年の

198

へ,

32

人減,人口減少率

13. 9%

は,全国

U

- I 村のそれの

2 4 %

と比べて

低かった. QYXU Q SS [カセセセ

3

人に比べて非常に少ない.

1970

年 の 全 国 山 村 平 均 所 得

121

万 に 対 し て , 三 国 は 平 地 農 村 の 平 均

144

万を若干上回っている.

r

子 供 は 金 づ か い が 荒 く , 小 学 生 で 月 に

3

0

0

0

1

9

の 小 遣 い 銭 を 使 い , 服 装 持

物 も 都 会 な み で あ る と い う . ・・・ 111菜以外の,農家における飯米の確保と余剰米の政府売渡し, 林署下メ1] , 森 林 伐 採 , ス ー パ ー 林 道 工 事 , 発 電 所 職 員 , 学 校 給 食 業 務 , 教 員 住 宅 炊 事 , 出 稼 ぎ な ど の

多様な賃金収入,さらには民宿, 1萄 な ど サ ー ビ ス 収 入 を 含 め8)

J

三回には多様な収入源があり, {lJ

f

l

j告 で あ り な が ら , 経 済 的 に は か な り 充 実 し , そ の 大 き な 柱 が 山 菜 で あ っ た .

1985

年 農 業 セ ン サ ン ス で

29

農 家 の う ち

21

戸 が 歩 行 型 動 力

i

針 転 機 , 農 用 ト ラ ク タ ー お よ び 動 力 防 除 機 を

所有していた, これは他の集落に比べて非常に高し、普及率であった.

]V

-

2

高 根 集 落 の 事 例

三面)

1

1

右方支流高根川流域が! 日高根村である. その最奥の海抜

1 0 0 m

に あ る の が 高 摂 集 落 で あ る .

1985

年 セ ン サ ス で 世 帯 数

189

,人仁

1920

1980

年 の そ れ は

194

世帯,

933

人で

5

年 間 に

51

止措,

13

人 の

減 少 で あ っ た . 農 家 数

140

, 専 業 は わ ず か

2

戸( 1

. 4%

)

,第l 種兼業も

8

( 5. 7

ヌダ) で,

130

(9

2

.

9

% ) が第

2

種 兼 業 で あ る , 兼 業 の 種 類 と し て は 出 稼 ぎ .

E

l

雇・

l

臨時雇

69

( 50%

)

, 恒 常 的 勤 務

57

(4

1.

3 %

)

, 自 営 兼 業

1

2

( 8. 7%

)

である. 約半分を占める! ヨ雇.

I

臨時雇の内容は山林労務である. 平 均 経 営 耕 地 面 積 は

55. 6 a

, 農 産 物 販 売 金 額 第l 位 部 門 は 稲 作 が

127

( 90. 7%

)

で , あ と は そ の

QセIZャゥ ャZ Q Q N XPE サ iMu セ↓

102ha

( うち人工林

9. 7ha)

平 均

O

. 9ha

と割合大きい方である.

2

0

' "' -' 5

0

h

a

クラス

1

戸,

5" - 20ha

グラス

2

戸,

1

"-

5

ha

クラス

14

戸 , 極 零 細 な

0. 1

r-..-l.

O

ha

未 満 ク ラ ス は 農 家 林 家 の

8

4

.

5 %

を 占 め て い る . 以 前 は 集

落 内 に

6

1

lF

F

U

- l 菜取扱い業者がいたが今日では遠山定吉1 となってしまった.

U

- I 莱の収穫量が減っ て も う か ら な く な っ た た め で 、 あ る . 遠 山 家 で は ゼ ン マ イ は 扱 わ ず , そ の 他 の 山 菜 を 塩 漬 け に し て 湯 之

谷 村 へ 出 荷 す る . 遠 山 家 と 採 取 者 の 関 係 は , 採 取 者 が 持 参 す る こ と も あ る し , 遠 山 家 が 取 り に 行 く こ

と も あ る . 湯 之 谷 村 の 場 合 はl匂 う か ら 車 で 取 り に 来 る . 三 部 地 区 石 住 に 朝 司 産 業 食 品 工 業 が あ り,l![ のない頃は荷1¥1で、高根の遠山家にi J - l 菜を集持に来ていた. 湯之谷との関係は,

10

年 ほ ど 前 高 根 生 産 森 林組合の視察で湯之谷に行ったi J 寺湯之谷

I

J

-

I

菜 加 工 農 業 協 同 組 合 が 広 く 原 料 山 菜 を 求 め て い る こ と を 知

っ て 出 荷 す る よ う に な っ た . 高 根 で 採 取 さ れ る

U

- l 菜のほほ半分が遠山家が扱っていると当人は考えて

おり, 他は{ 也の業者が扱っている

J

W

1

1978

年頃で,年々採取量は減少し, ピーク

I

1

寺の

2

割 程

(12)

善 事 業 に よ っ て な め こ かi工工業を建設し,

J

J

- I 莱 の 加 工 ・ 販 売 を 行 な う 向 村 最 大 規 模 の 企 業 で , 大 字 宇 津 野 に あ り , 資 本 金

6

2

7

0

F

コTj,

合 員 へ のj舵

5

配己当も行行‘ なつている9め)

1 -1 -1 菜採取量減少の理1 :

1

:

1

は 拡 大 造 林 に よ る 山 菜 ,

g

,生地の減少, 採 取 者 の 高 齢 化 ,

1985

年 に 入

U

-I料

( 1000

/

1

=

1

5

0

0

l=cJ / 半 日 ) を 取 っ て 他 所 者 の 山 菜 採 取 を 認 め た と こ ろ , 村 上 ・ 新 潟 な と か ら の 山 菜 採

取 の プlコ が 入 り 込 ん で 根 こ そ ぎ 取 りj乏 し て し ま っ た り し た こ と な ど が あ げ ら れ る . 遠 山 氏 は5月 初 旬

セQP H

て 湯 之 谷 へ 送 る が , 主 に は 森 林 組 合 の111林 労 務 に 携 わ る . 冬 は 近 く の 山 仕 事 : が あ れ ば や る が , 関 東 ・ 関 西 ・ 広 島 な ど へ 出 稼 に

li¥

ている.

天 然

d

- l 菜に代って

1978

年 第 二 次 林

1

イ糾寺認事業で、ナメコ工場を

6

4

1.

5 2 m

2, 鉄 骨

' 2

階建て,

4

2

6

1

万 円 を か け て 建 設 し た . お が く ず は

1968

年 に で き た 高 根 生 産 森 林 組 合 高 線 チ ッ プ 工 場 か ら 得 ,

5

人 ( 常 雇

3

人,

:

1

仙寺

2

人 ) が 栽 培 に 当 り , 年

5

1

豆! の回転で,

1960

年 度 は

1 7

t の 生 ナ メ コ を 生 産 し

1

075

万 円 の

売 上 げ , 缶 詰 と し て

1

1

262f b

3

.

8

t加工し,

356

万 合 せ て 1 ,

4

3

1

万 円 の 売 上 げ が あ っ た .

ヲセ U

る . 林 構 の 補 助 金

600

万 円 で 乾 燥 ・ 加 工 施 設 が 作 ら れ た . ナ メ コ ・ シ イ タ ケ の 製 品 の

2

割 は 国 道

7

ュセ X

V 森 林 資 源 の 手IJ 用 と 村 の 活 性 化

¥

1

- 1 林 産 物 の ) J I U

朝 日 村 の 工 業 事 業 所 の 中 で 最 も 多 い の は

1

2

(1

9

8

4

工 業 統 計 〉 を 数 え る 木 材 で ,

1

4

7

人を雇席し,

1

6

. 8

億 門 の 生 産 額 を あ げ た . R W RY Iセイ U ー ]ェ

.

M

述 高 根 生 産 森 林 生 産 組 合 の ナ メ コ が そ れ の 一 つ で 、 あ る . 三 面 地 区 石 住 に あ る 朝 日 産 業 食 品 ( 従

業 員6名) は, IJ - I 菜 ・ 野 菜 ( ゼ ン マ イ ・ フ キ ・ タ ケ ノ コ ・ ワ ラ ビ ・ ウ ト ・ ミ ズ ナ ) の 加 工 を 年 間 行 な っており, 11(3和

5

7

年 度 新 潟 県 農 林 水 産 業 総 合 振 興 事 業 と し て , 朝 日 椎 茸 紹 合 に 刻 ー す る 補 助 と し て , 工

場 内 に 加 工 施 設 が 建 設 さ れ た . 原 料 の

4

割 は 郭

1

3

村 か ら

6

都は定1 c

1

賀 ・ 福 島 ・ 外 国 な ど か ら 調 達 し て

い る . と く に ゼ ン マ イ は 中 間 ・ ソ 速 か ら 大 手 商 社 を 通 し て 輸 入 し て い る . 野 菜 は 契 約 栽 培 に よ っ て 集

荷したり, ミ ョ ウ ガ ・ 大

1

、 良 ・ 野 沢 菜 ・ 大 豆 な ど は 農 協 ノ レ ー ト で 集 荷 し て い る . 朝 日 ス ー パ ー 林 道 へ 通

スA jセァ ゥ W

の 皇 」 の ブ ラ ン ド で 販 売 し て い る . 大 口 は ジ ャ ス コ , 豊 栄 子

i

l

カ ネ マ タ フ ー ズ , 岐 阜 県 ・ 富 山 県 ・ 静 岡

県 に 出 荷 し て い る . 多 量 に 使 用 す る 水 は 三

i

彊)

1

[ とその左方支流長津

)

1

1

の 扇 状 地 性 の 土 地 か ら 井 戸 水 と

し て 波 み 上 げ て い る

高 根 生 産 森 林 組 合 の 下 部 組 織 と し て 朝 日 工 芸 事 業 協 同 組 合 が あ り , 日 用 品 ( l 血 ・ 盆 ・ ビ ー ノ レ 袴 ・

ついしゅ

箱 ) ・ 茶 器 ・ 花 器 ・ 控lY;r. . 菓 子 器 な ど を み ど り の 盟 物 産 館 で 販 売 し て い る . 村 上 堆 朱 が 猿 沢 地 ! 玄 で 行 な わ れ て い る . 城 下 町 村 と と の 接 触 変 質 と み る こ と も で き る し , 材 料 の ホ オ ・ ト チ ・ カ ツ ラ な ど の 原 木

(13)

郎 兵 衛 ・ 沢 村 吉1z : 9郎が江戸で学んで来て広めたと言われている10) 天 然 木 の 木 地 に 彫 刻 を し , 朱 漆 を

った

IJit

朱j ,

2

1

2

漆 を 塗 っ た 黒

J

, 数 色 の 漆 を 塗 り 重 ね た 「 紅 花 緑 葉 〈 三 彩 彫 漆 ) 一 ! な ど が あ

{まりし ぬ し

N ェ S iセョ■ QS￯ャ○ R

人 は ほ と ん ど な し 分 業 で 、 行 な わ れ て い る . 花 器 ・ 茶 器 ・ 菓 子 器 ・ 箱 類 な ど と し て 製1111の

8

書IJはjjf-内

2

訓 が 県 外 へ 出 荷 さ れ て い る .

猿 沢 でJ{t 朱の漆器! 古を経営している鈴木太一郎は, 司,11寺に猿沢の

i

雪道7号 に 沿 う 猿 沢 農 産 物 加 工 施 設 の 経 営 者 で も あ る . 施 設 は 昭 和

61

年 度 新 潟 県 農 林 水 産 振 興 事 業 と し て ,

3

170

万 円 で 猿 沢 野 菜 生 産

加 工 組 合 ( 組 合 員6 ) に 対 し て 作 ら れ た も の で あ る . 地 元 産 の 農 産 物 の 加 工 を や り , 主 に ソ パ ・ モ ウ ソ ウ 竹 缶 詰 ・ メ ロ ン 粕 漬 な ど を 作 っ て 鉄 道 弘 済 会 , ス ー パ ー ウ オ ロ ク ( 新 発 田 市 ) , み ど り の 盟 等 へ

出 荷 し て い る . 111 菜 加 工 は 自 給 程 度 に し か や っ て い な い .

三面)11右 岸 , 県 道 村 上 一 岩 崩 線 沿 い に , 朝 日 キ ノ コ セ ン タ ー ( 布 部 字 木 ノ 平 ) が あ る . 村 上 子

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中心

部 の 食 品 取 扱 陪 広 大 滝 ( 株 式 会 社 ) が 近 く の チ ッ ア 。 を 原 料 に ナ メ コ ・ マ イ タ ケ ・ シ メ ジ ・ シ イ タ ケ を

栽 培 し て い る . 常 時5人 ( 男l 人 : 工 場 長 , 他4人 は 女 ) , 多 忙 時 は 千 組 の6人のノミートを雇ってい

る. QT QYWS ス[セセ ji

で , 製 品 は 村 上 市 内 な ど の 旅 館 ・ 料 理 屈 ・j苫なとおへ納める外,ヰI条 生 果 市 場 へ 出 荷 し た り , 秋 の シ ー ズ ン に は ス ー パ ー 林 道 経 由 の 観 光 客 に セ ン タ ー で 、 土 産 物 と し て 販 売 し て い る

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岩は溜13:1の),

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村 食 菌 や

宮 城 県 宮 城 町 の 東 北 椎 茸 な ど か ら 購 入 し て い る . 千 総 の 人

4

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人 が ゼ ン マ イ を シ ー ズ ン lfこ大量に採

取 し て も ち 込 む の を 購 入 し て い る . 大 滝 商j苫 は 以 前 は ゼ ソ マ イ な ど IJJ菜 集 荷 の た め , 村 上 か ら 小 間 経 由で1 f 時間

50

分 か け て 三 面 ま で 出 か け て い た . 今 日 は 岩 船 ・ 北 蒲 原 郡 な ど 下 越 地 方 の 約

100

の 集 落 か

ら 6月 半 ば か ら8月101ヨ に か け て , 富 山 の 持 鯨 や 越 後 の 笹 だ ん ご 用 の 笹 を 集 荷 し , 岩 船 郡 神 林 村LR

本 庄 の 工 場 で 乾 燥 し て 生 菜 資 材 業 者 ( 新 潟 市 な ど ) に 納 入 し て い る . 笹 の 採 取 は 主 に 農 家 の 老 人 で ゼ

ン マ イ │ 胃 様 に 造 林 に よ っ て 減 少 し て き て い る が3 達 人 に な る と 1夏 に

30

万円も稼くい人もいる. 大滝

酪j古は,きのこ類・

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- I 菜類の外,笹の葉・もち草・むきクノレミ,けい卵,食肉・冷凍珍味・青果物・

業 務 用 料 理 材 料 な ど を 生 産 ・ 販 売 す る ミ ニ 食 品

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商 社 と み る こ と が で き る .

Q iセi 林 精 の 補 助 金

3. 6

億を使い,

4

年 間 か け て 猿 沢 の 国 道

7

号 東 側 に

「朝iヨ 村 み ど り の 堅 物 産 会 館 」 が 建 設 さ れ た . 奥 三 商 の 民 家 を 「 ま た ぎ の 家 j と し て 移 築 し て 見 学 に 供 し て い る . 広 い 駐 車 ス ペ ー ス と 食 堂 が 完 備 し て い る . 村 内 で 採 取 ・ 加 工 さ れ た IJJ 莱 の 漬 物 ・ 缶

詰 , 木 工iEI, 襲 細 工 , 焼 物 な ど を 販 売 し て い る .

み ず 莱 (111 菜〉 ・笹だんご・さと芋・柿・メ! コンの粕漬なと、農ご林産物の都市住民への誼送販売を

目 的 と し た 「 ニ イ ガ タ 首 長 国 連 邦J ( 権 成 市 町 村 : 黒 川 村 ・ 笹 神 村 ・ 大 和IllJ ・ 津 南 町 ・ 牧 村 ・ 両 津 市 ・翠縫11訂・朝日村) ( 入会金

5

000

円,年会費1.

5

万 円 ) の 一 員 に 朝 日 村 は 加 盟 し て い る . 連 邦 事 務 局 を新潟市に置き,共同で,

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を 行 な っ て い る . 朝 日 村 は そ れ と は 別 に , 清 瀬 市 と

1982

年 の 上 越 新 幹

線 開 通 を 機 に 姉 妹 都 市 関 係 を 結 びp 同 様 の 会 員 制 度 に よ る 農 林 産 物 の 直 送 販 売 を や っ て い る . 清 瀬 子15

(14)

な ら だ れ で 、 も 「 み ど り の ふ れ あ い ・ あ さ ひ 会 」 に 入 会 で き , 年

4

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名 が 会 員 と な っ て い る に はIJI菜 ・ メ ロ ン .

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・巻鮭・はらこのしもち3 などがある.

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森 林 の レ ク リ ェ ー シ ョ ン 利 用

森 林 は そ の ま ま で は レ ク リ ェ ー シ ョ ン 用 に 利 用 し に く く , 道 路 ・ 標 識 ・ 休 憩 施 設 な ど を 整 備 し て 、

初めて官l I i 値が出てくる. 約l 億 円 以 上 か け た プ ロ ジ ェ ク ト が 四 つ が あ る . 〔朝日スーパー林道〕

新 潟 県 ・ 山 形 県 の 二 つ の 朝 日 村 を 結 び 全 長

52. 1km

の 朝 日 林 道 が , 森 林 開 発 公 社 の 手 に よ っ て

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1971 '"

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年,

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年 の 歳 月 を か け て 完 成 し た . 第 ] 義 IYJ fこは林業のためで、あるが,同時に沿

道住民の生活道路で、もあり,観光道路でもある. 11

1

高員4 .6 mと広くはないが,新潟県イWJで は 猿 田 ダ ム ま で 舗 装 さ れ て い る

村 単 独 事 業 と し て

700

万 円 か け て 国 道

7

号 と の 分 岐 点 と , 沿 道 に 案 内 板 を 立 て て 住 民 や 観 光 客 の 便 宜

を 図 っ て い る

〔二子島森林公

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三 田 ダ ム j甚 水 に よ っ て 二 つ の 島 と な っ た と こ ろ を ボ ー ト ・ キ ャ ン プ ・ 休 憩 施 設 を 設 け て 村 営 公

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茎! と

し て い る . 二 次 に わ た る 林 檎 と 村 単 独 事 業 な ど で2億円をかけーている. 県下農村青年の親ぼく会など に 利 用 さ れ て い る .

[ 1St 田)I1野営場〕

文 部 省 が 猿133)11ダ ム に 教 育 施 設 と し て

1982

年 か ら

3

年間,

1

1: 意向をかけてつくったもので,管理枝 と テ ン ト 場 を 備 え て い る .

〔生活環境保全林グリーンパーク〕

0

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7

号の西側, E: i 本海との境をなす三額111

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)

南半部を,県営事業として,

1983

年 か ら

3

カ年かけて,道路をつけ, 台 ・ 休 憩 所 ・ 使 用 ? を つ け て , 近 隣 レ ク リ ェ ー ジ ョ ン 地 と し て 整 備 し

た . こ の 事 業 の 現 実 的 メ リ ッ 卜 は 朝 日 村 か ら , 日 本 海 へ の ア ク セ ス が 高 ま っ た こ と で あ る .

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お わ り

林 野 率

9 1 %

の草]r13 ま , 生 活 の 大 き な 部 分 を 林 野 に 依 存 し て き た . 111簡 に 位 置 す る 三 面 集 落 は 大 正 初 期 に ゼ ン マ イ が 商 品{il 日値を得て以来主要な現金収入源となってきた. とくに昭和

3

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年 代 以 降 の 山 菜

ブームにのって, - 11寺 は 山 菜 が さ 商 の 収 入 の6割 を 占 め た こ と も あ っ た . 学 校 で の ゼ ン マ イ 休 暇 , ゼ ン マ イ 小 屋 で の 生 活 , ゼ ン マ イ 干 し と 出 荷 な ど ゼ ン マ イ を 中 核 と す る111菜 は 山 村 の 経 済 ・ 社 会 生 活 を

規 定 し て き たe 高根にあっても,

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- l 菜採取は生活のリズムの一部をなしていた. 採る山菜から育てる

111菜 へ , ナ メ コ ・ シ イ タ ケ の 人 工 栽 培 を 始 め た . 山 菜 を 中 心 に 野 菜 な ど 、 食11111加 工 工 業 が 関 連 産 業 と し て芽生え,村の生産額向上に役立っている,

(15)

に1=1: う 観 光 施 設 の 建 設 に よ る 観 光 客 の 呼 び 込 み , グ リ 一 ン パ 一 ク 生 活 環 境 偶

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1

村寸Jよ上:二新潟ブ方

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からのノハ、イキンクグ占客客9を11呼l乎子び込んでいる. しかし, 観 光 化 が 村 の 経 済 に 及 ぼ す 影 響 は 土 産 物 を 買 っ て 帰 る だ け で , 宿 泊 所 も な く , 観 光 F !

3

の 事 業 費 を 導 入 し て 事 業 を 行 な っ て い る だ け で あ る . 事 業 の 中 心 は 道 路 の 新 設 で 、 あ る た め , 地 域 住 民 の 生 活 環 境 整 備 に 貢 献 し て き た こ と は 確 か で あ る が , せ っ か く の 投 資 を 村 の 活 性 化 に 生 か す に は , 外 来 者 に お 金 を 落 と さ せ る こ と も 考 え な け れ ば な ら な い だ ろ う . 清 瀬 市 な ど へ のI-U菜 , 農 水 産 物 の 直 送 販 売 シ ス テ ム な ど も , 今 流 行 の 村 ー の 活 性 化 の 一 つ の 方 法 で は あ る . し か し , ア イ デ ア ・ イ ヴ ェ ン ト を 長 続 き さ せ る の は む つ か し く ,

地 道 な 担 常 的 な 産 業 の 基 盤 整 備 が 最 も 大 切 で あ る .

第1!:glは小111奇!z.!:1虫)1技官に製顕していただし、た,記して誠意を表したい.

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の一部を( 使車) 丹用1司1した.

注・参考文献

1)三井E l 3 去右 ( 1969) : 11111村の人口維持機能』大明 8I hセISI

9I ie セェ

2 ) 羽田村教育委員会 ( 1977) ・F朝日付文化財報告書 し 村 長 が 大 統 領 と な っ て い る . 1981年度林構によ 第2集 朝 日 村 の 民 俗 ( 高 棋 ・j怠野IHJ地

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Jl. り1. Rゥ Hシ |V PU WIGI Q SUX T VYYセ

1 / 利引 iヨ村文化財報告書 円) をかけて. jJJ菜会簡を建設した. UJ菜の活用に

第3集 :jJiJ日村氏俗

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( 館I l要・三市i. j針尺地区),J よって安定した就労の場とするため,生産・加工 3) 渡辺茂l誌編著( 1979) : 1I::j;J越国境の山村 三雨』 販売の一体化1した建物をつくり,生産二i二院を見学で

山形地理談話会. きるようにしてある. 村が事業主体となり, 1973年

り i引 にi洋 美 ( 1983) :IJ.Iに 暮 ら す れ 々 一 一 新 潟 県 岩 設立の入広瀬村山菜生産組合103名が協業利用者と 船 郡i初出村三而一一¥あるくみるきく, 197, 近 殺 なっている。 原料iJ J菜の地元産はわずか8 %,l県内 日本ツーりスト 1:'1本観光文化研究所. 産1 8 %, 県外産1 3 %, 外 留 (1:¥1国が主) 6 1 %であ 5 )

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山に生かされたiヨ々」刊行委員会 ( 1984) : If'i-l.i る. 販売も地元は 1セゥヲャj 9割は

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別表経由で東京方

に生かされた日々新潟県朝日村奥三百iの生活誌j]. 部へ出荷もされている.

6) 前 掲3) . 10) 磯部利点・林正己・ 11111耐久紘 ( 1981) :11新潟県の

7) 前 掲4). 地

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散歩下越編j ] ,野島出版

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