イングランド地図の成立と歴史劇 : 『ウッドスト ック』、『リチャード二世』、『ヘンリー四世』二 部作
著者 勝山 貴之
雑誌名 同志社大学英語英文学研究
号 83
ページ [1]‑37
発行年 2008‑10
権利 同志社大学人文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000011492
イングランド地図の成立と歴史劇
―『ウッドストック』, 『リチャード二世』, 『ヘンリー四世』二部作
勝 山 貴 之
I.序
1579年に出版されたクリストファー・サクストン(Christopher Saxton)の 英国地図は,地図の歴史を語るうえで貴重な存在である。これ以前にもオル テウス(Ortelius)の世界地図(1570)などが出版され人々の注目を集めてい たが,イングランドとウェールズを詳細に描いたサクストンの地図の登場は,
その実用性にとどまらず英国の国家意識の形成という重要な意味を持つもの であった。リチャード・ヘルガーソン(Richard Helgerson)は,エリザベス 朝に製作されたサクストンの地図が王権と国家の結びつきを強調したもので あったのに対して,17世紀へと時代が移ると次第に地図上から王権の表象が 影を潜め,それに代わって国家への関心が前景化すると主張し,ここに国民 国家意識の萌芽を読み取ろうとしている。
In the minds of most Elizabethans, the land and the monarch were no doubt as closely bound to one another as Harrison’s Description was to Holinshed’s Chronicles. Ubiquitous urgings of service to “king and country” testify to this mentality. But in the seventeenth century the formula occurs more and more often without mention of the monarch. Service to the country alone – with all the ambiguous meaning the word country then had: kingdom, nation, country, locality, countryside – was displacing service to king and country.
(Helgerson 133)
しかしイングランド各地の測量に基づいたサクストンの地図の登場が,女 王による中央集権国家の成立を視覚的に訴えるものであったと同時に,正確 な測量により各地の領主に自分たちの領土を再確認させ,自分の所有する土 地の経済的価値を把握させることによって,自らのアイデンティティを意識 させる契機となったことも否めない。国中を管理する厳格な法制度や強大な 警察権力を持たないエリザベス政権にとって,国土の支配は地方豪族の王権 への忠誠心に頼るほかなく,基盤の脆弱な中央集権国家と地方豪族の力関係 は微妙な均衡を要するものであった。むしろサクストンの地図は,中央集権 国家樹立を目指す体制側の政治的圧力と,それに対する地方豪族の抵抗とい うイデオロギーの衝突の場であったことをまず確認しておきたい。
作者不明とされる『ウッドストック』(Woodstock),およびシェイクスピア の『リチャード二世』(Richard II),『ヘンリー四世・第一部』,『ヘンリー四 世・第二部』(King Henry IV, Parts 1 and 2) においても,こうした意味にお いて土地への言及や舞台上で使用される地図の存在は重要である。舞台上に 登場する地図の象徴性に注目することによって,『ウッドストック』および
『リチャード二世』の中に描かれた家父長的封建社会への愛惜と近代的中央集 権国家への反発,更には『ヘンリー四世』二部作においては,家父長的中央 集権国家支配への希求と,それを裏切るかのごとく近代的変質を遂げようと する国家に対する懐疑のまなざしを読み取っていきたい。
II. 土地測量士( surveyor )の登場と地図の流行
(1)土地と土地測量士
OEDによれば,動詞としての “survey” が “To determine the form, extent, and situation of the parts of (a tract of ground, or any portion of the earth’s surface) by linear and angular measurements, so as to construct a map, plan, or detailed description
of it”との意味で初めて使用されたのは1550年である。更に “surveyor” とい う語が特にその職に従事する者を指して,“One whose business it is to survey land. . . one who makes surveys, or practices surveying.” との意味で登場するの は1551年とされている。 実際には,それ以前にも “surveyor” という語は荘 園の管理職として存在していたが,16世紀から17世紀初頭にかけてこれら の語が,新しい測量法によって土地を正確に測量するという行為やそれを職 業とする者に対して使われるようになったことが窺える。このような職業が 成立することとなった背景には,修道院の解散による土地の放出をはじめ,
インフレや人口増加によって生じた土地の分配問題などが挙げられるであろ う。「土地測量士」(“surveyor”)ということばの登場は,土地というものの権 利や価値について敏感になり始めた人々の心性を物語っているのである。
「土地測量士」の登場は,借地人たちにとっては脅威であった。彼らは自分 たちが地主や領主から借りている土地について正確な測量が実施され,実際 の面積が公にされることによって,借地料が上ることを恐れたのである。当 然,借地人たちが土地測量士の介入に抵抗したのに対し,土地測量士たちは 自分たちの職務を全うしようとしたことから,両者の間には激しい摩擦が生 じた。1582年に出版されたエドワード・ウォーソップ(Edward Worsop)の
『土地の目測によって日常的に行われている様々な誤りや間違いの発見』(A Discoverie of sundrie errours and faults daily committed by Landemeaters)をはじ め,当時の土地測量士たちが出版した土地測量のための手引書には,出鱈目 な土地計測に基づいて自分たちの権利を主張する借地人たちに対する測量士 側からの反論が記されている。地主や領主に雇われ,主人の所有する土地を 測量することによって,借地人たちによる虚偽の申告を斥け,土地の価値を 正確に判断することこそが測量士たちの職務であった。そして土地を公的基 準に則って測量することは,アンドリュー・マックレイ(Andrew McRae)も 指摘するように,土地というものが市場経済において流通し交換可能な経済 単位となりうる商品へと変化したことを意味するのである。
Through the imposition of a national empirical standard, acceptance of local particularity gave way to a representation of land as a commodity easily accessible and transferable within a market economy. (McRae 186)
「土地測量士」たちの登場の背景には,封建社会における領主と借地人という 主従関係から脱却し,土地を売買し交換可能な資産としてみなすことを前提 とする資本主義経済の萌芽がそこにあった。そして土地の商品化は,領主と 借地人の関係を従来の伝統的主従関係と捉えることから,法律上の契約とみ なす貸借関係へと変化させる契機ともなった。1560年から1640年の間にお ける訴訟の増加に注目するC. W. ブルックス(C. W. Brooks)は,不動産を めぐる訴訟が地方の裁判所の判断で決着をつけることが難しくなり,ロンド ンの国立裁判所へと移管されることが多くなったことを指摘している(chs.
4-5)。こうした訴訟に備えて,地主や領主も法学院出身者など法律の知識を 備えた者を使用人として雇用しようとする傾向が見られた。地主と借地人の 関係は,封建社会における主従関係から法律による契約に縛られた近代的貸 借関係へと移行しつつあったといえるだろう。
「土地測量士」による正確な測量を視覚化したものである地図は,領主や地 主にとって自分たちの所有物を一目瞭然に捉えることができる非常に便利な ものであった。領主や地主は,それぞれの借地人の耕している土地を現地に 赴いて実際に検分してまわる必要が軽減され,机上に置かれた地図を前に荘 園の経営に携わることができるようになったのである。こうした管理職とし ての地主や領主の職務の変化が,借地人との関係をも一層薄めることとなっ たとも考えられる。ジョン・ノードン(John Norden)の『土地測量士の対話』
(Surveiors Dialogue, 1607)には,土地を視察することをないがしろにし,地 図を眺めることで満足している地主に対する農民の不満が収録されている。
. . . we poore Country-men doe not think it good to have our Lands plotted out, and me thinks indeede it is to very small purpose: for is not the field it selfe a goodly Map for the Lord to looke upon, better then a painted paper?
(15)
ここにこめられた農民の不安は,地主が自分の土地の管理や借地人の生活に 積極的に関わることから身を引き,紙の上に描かれた土地の経済的価値にの み目を向けるようになることから生じたものである。事実,領主や地主は,
土地売買,借地料の値上げ,そして囲い込みなどの問題を考える際,以前の ように借地人に対する道徳的倫理観に縛られることなく,地図に描かれた土 地の商品価値のみを判断基準とする合理主義に頼って,自らの土地経営をす るようになりつつあった。地図の登場とともに,封建社会に見られたような 家父長的主従関係に代わって,資本主義経済に基づく個人主義や競争原理が 荘園経営に台頭してきたといえるであろう。
(2)女王の国土とサクストンの英国地図
地方の領主や地主の役割の変化を国家レベルで考えるなら,最大の地主は 言うまでもなく女王である。女王の歳入を増加させるひとつの方法は,とり もなおさず女王領の売買や領地の経営であった。窮乏する国家予算のたて直 しをはかるなかで,1552年に王室に提出された歳入増加案は女王領の統括的 な測量を提案していた。こうした一連の変化の中で登場してきたのが,クリ ストファー・サクストンによる英国地図(Atlas of England and Wales, 1579)
なのである(図1参照)。
当時,宮廷の要職を歴任していたトマス ・ セックフォード(T h o m a s
Seckford)は,1573年,若干30歳の土地測量士サクストンを雇い,全国の
地図製作にのりだした。セックフォードはこの大事業を推し進めるのに充分 な財力を有していたばかりか,そこにはバーリー卿ウイリィアム ・セシル
(William Cecil)の存在が後ろ盾にあったと思われる。サクストンは南部の ノーフォークを皮切りに全国各地を土地測量してまわり,34葉からなる地方 図を製作した(図2参照)。地図は出来上がったものから順次セシルのもとに 届けられ,彼の指示で修正が加えられたと思われる。地図上には女王の紋章 も挿入されており,エリザベスもまたこのセックフォードの地図製作を公認 していたことが知れる。1579年,イングランドとウェールズを描いた全図と 各地の地図が集められて一冊の書物の形で出版され,続いて1583年にイン グランドとウェールズを描いた壁掛け用大地図が完成した。サクストンの地 図は,王権と国土の結びつきを視覚化して見せるという意味において,エリ ザベス中央集権国家の成立を寿ぐものであった。地図は,政治的には中央集 権国家支配の確立と国民の国家意識の高揚という象徴的意味を持ち,国家財 政の面においては女王領と地方の領主たちの領地の確認という国庫の経済的 問題に起因する重大課題を念頭においていたのである。
サクストンの地図の出版以降,急速に地図の需要は高まり,エリザベス朝 の宮廷人や地方の有力者にとってもはや欠かせないものとなりつつあったこ とが,当時の記録から窺える。ロバート・ビール(Robert Beale)は,自ら 記した書物のなかに「野心を抱く政治家なら誰もがイングランドの地図を…
そして詳細なアイルランドの地図を携帯すべきである」と述べている
(Conyers Read 428-29)。またぺンブロークシャーの歴史家であったジョージ・
オーウェン(George Owen)も,サクストンの地図の流行に言及し,それが 貴族や紳士にとって,自分たちの領地を管理していく上である種の必需品で あったことを述べている。
(Saxton’s maps were) usual with all noblemen and gentlemen and daily perused by them for their better instruction of the estate of this realm touching the quantity, situation, forms and special places of note. (Charles 151-9)
更にジョン・ディー(John Dee)はユークリッド幾何学の翻訳『幾何学の要 素』(Elements of Geometrie)の序文の中で,身分の高い者たちの広間,応接 間,書斎などに地図を掛けることが流行したことを記しており,実際にウイ リィアム・セシルのテオボルドの屋敷が多くの地図で飾られていたことは周 知の事実であった。そればかりかエリザベスの肖像画にも地図や地球儀がし ばしば登場する。ジョージ・ガワー(George Gower)によって描かれた通称
「アルマダ・ポートレイト」(1588?)には,地球儀に右手をかける女王が描 かれており(図3参照),マーカス ・ ギアラーツ(Marcus Gheeraerts the Younger)の筆になる肖像画「ディッチリー・ポートレイト」では,豪華な 衣装に身を包み,イングランド全土の地図の上にたたずむエリザベスの姿が 描写されている(c.1592 図4参照)。諸州をその支配下に治め,王国全体を 統治する王権の存在を主張する彼女の姿は,他の多くの詩歌の中で繰り広げ られたエリザベス崇拝の伝統と共に,足元の地図に象徴されるごとく,中央 集権国家の成立を,また世界に君臨する帝国の理念を,観る者に語りかけて いるである。
しかし地図の登場が荘園経営に,かつての封建制度に見られたような家父 長的主従関係に代わって資本主義経済に基づく個人主義の導入を物語る象徴 的出来事であったように,女王の中央集権支配に対立する概念として自分た ちの個人資産という考えが,地方豪族の間に意識され始めたことも事実であ る。王権と各地の豪族の関係,更にはそれぞれの地方の地主と借地人の関係 は,国家のヒエラルキーの中で序列化されるという中央集権国家体制確立の 作業のなかで,様々な軋みを生じさせていたと思われる。まさに地図の持つ 意味とその流行は,当時の人々の心性を知る上で一考に値すべきものなので ある。
III. 『ウッドストック』および『リチャード二世』における 土地および地図の表象
スペインの無敵艦隊に対する大勝利による愛国心の高揚という表面的な華 やかさの陰で,1590年代初頭のイングランドは様々な経済問題を抱えてい た。戦費の調達はただでさえ潤沢とは言い難い国庫に大きな負担を負わせ,
その対策として政府のうちだした増税政策は国内に多くの不満の種を蒔くこ ととなった。これら国家予算の困窮に追討ちをかけるかのように,1594年か ら1597年にかけて凶作がイングランド農民を襲い,各地で叛乱が勃発した。
また度重なる疫病の蔓延,戦争によるインフレーションなどにより,貧富の 差が一層広がり,民衆の生活は決して楽なものではなかったといえるだろう。
そうしたなか14世紀のリチャード二世の治世に題材を採った芝居が数多 く登場した。1591年頃の作品と推定される『ジャック・ストローの生涯』(The Life and Death of Jack Straw)は,リチャード二世の治世下において重税にあ えぐ農民たちの叛乱を描いたものであり,ほぼ時期を同じくして執筆された と言われる『ウッドストック』もまた,リチャードの暴政に対する人々の抵 抗を主題とした劇である。これらの作品をとおして,暴君に対する反抗とい う主題に対する民衆の関心がいかに高いものであったかが窺われる。反体制 的な演劇が人気を集めるなか,土地や地図の表象は『ウッドストック』およ びその影響が指摘されているシェイクスピアの『リチャード二世』において も,重要な意味をなしている。舞台上に取り出される地図の存在や土地の貸 借関係への言及は,土地というものの価値に敏感になり始めていた人々の心 象風景を映し出しているように思われるのである。
(1)作品『ウッドストック』
作者不明とされる『ウッドストック』は批評家たちの間で,おおよそ1591 年から1594年の間に執筆されたと考えられている。ホリンシェッド(Holinshed)
やストウ(Stowe)の歴史書に登場するトマス・オブ・ウッドストックこと グロスター卿(Duke of Gloucester)は利己主義な野心家であるが,作者はそ うした歴史上の人物を大きく書き変え,民衆の窮状を理解し,彼らの生活を 守るべく行動する家父長的領主の央ともいうべき役柄をウッドストックに与 えている点は興味深い。『ウッドストック』のあらすじはおおよそ次のような ものである。
若き国王リチャードは派手な生活を好み,民衆を重税で苦しめている。リ チャードの政治を激しく非難するウッドストックであるが,王を守るため,
君主に対する叛乱は決して許されるものではないと説いて民衆たちの不満を 宥めようとする。他方,リチャードは,ウッドストックの忠告を聞き入れる どころか,その政治経験の浅さから側近の者たちに操られるままに権勢を振 い,やがてウッドストックから摂政という肩書きを取り上げて民衆を顧みる ことのない暴政を行なうようになる。地方の民衆たちは中央政府から派遣さ れた調査官によって所有地の地代や年収を調べられ,悪名高い税制であるブ ランク・チャーターの施行により法外な税金を課せられたあげく,すこしで も抵抗しようとする者はただちに官憲によって検挙されることとなる。それ ばかりかリチャードは王国を自ら分割分断し,土地貸借契約によってお気に 入りの側近たちに貸し出してしまうのである。やがて王の陰謀によりウッド ストックが暗殺されたことを知った大貴族たちが民衆とともに立ち上がり,
王に対する叛乱が巻き起ころうとする第五幕三場の途中までを描いてテキス トは中断する。現存する作品は原稿の最後の数ページが失われ,結末は知る 由もない。
劇の中で,ウッドストックをはじめとする大貴族たちは,地方民衆の側に 立ち,伝統的主従関係に基づいた封建社会の基盤を守ろうとする。王リ チャードを前に,ウッドストックは宮廷での華美な服装の流行が,森林の伐 採や領地の払い下げによって支えられているものであることを説いている
(“A hundred oaks upon these shoulders hang / To make me brave upon your wedding-
day, / And more than that: –To make my horse more tire, / Ten acres of good land are stitched up here.” 1. 3. 95-98)。 華美な服装への出費が地代の高騰を招き,借地 人を困窮させるばかりか,地方豪族に土地領地を売却させ金銭にかえること を余儀なくさせるという。土地を基盤に据えた封建社会における伝統的主従 関係崩壊の危機が,ウッドストックにより王リチャードに直訴される。
Should this fashion last I must raise new rents, Undo my poor tenants, turn away my servants, And guard myself with lace; nay, sell more land And lordships too, by th’rood. Hear me, King Richard:
If thus I jet in pride, I still shall lose;
But I’ll build castles in my tother hose. (1. 3. 104 -109)
地代を上げ,使用人を解雇し,更に土地領地を売却することは,代々に渡る 主従関係を破綻させ,封建社会の倫理観を根底から突き崩してしまうことに なりかねない。昔ながらの家父長的主従関係は,経済効率を優先させた近代 的主従関係に取って代わられることとなるのである。
しかしリチャードは,こうした大貴族の忠告に耳を傾けるどころか,ひた すら国庫を豊かにするため,国中の裕福な者たちをことごとく洗い出し,彼 らの経済状態を把握したうえで重税を課すという専制政治を断行しようとす る。何も記されていない羊皮紙に署名させることによって,収めるべき税額 を中央政府が自由に裁定できるというブランク・チャーターは,土地所有者,
自由保有権所有者,農場主,牧畜業者など,支払い能力のあるあらゆる人々 を課税対象として発案されたものである (“All landed men, freeholders, farmers, graziers, / Or any else that have ability.” 3. 1. 19-20)。人々の所有する土地の豊 かさ,地代,年収にいたるまであらゆる資産状況が調査され,中央政府への 納税が義務づけられることとなるのである(“Inquire what rents / What lands,
or what revenues they spend by th’year, / And let me straight receive intelligence.”
3. 1. 127-9)。すべての地方有力者の資産を国家が管理し,彼らの私財に中央
政府が課税することより,中央集権支配はあまねく地方へと広がっていく。
このような中央集権体制の中で,伝統的に地方に付与されてきた権利や慣 習はもはや顧みられることはない。作品の中でケント州の州長官は,かつて ウィリアム征服王(William I)がケントの住民たちに,地代や十五分の一税 をはじめ,あらゆる税から免除されるという特権を与えていたと直訴し,ブ ランク・チャーターに異論を唱える。
Shrieve of Kent. My Lord, I plead our ancient liberties Recorded and enrolled in the king’s Crown-office, Wherein the Men of Kent are clear discharged Of fines, fifteens, or any other taxes:
Forever given them by the Conqueror. (4. 3. 19-23)
しかし政府の高官トレシリアン(Tresilian)は,「臣民の富は王の意向に供せ られるものではないのか。何と心得る,陛下は臣民の命を自由にできても,
土地はできぬというのか」 (Is not the subject’s wealth at the king’s will? / What, is he lord of lives and not of lands? 4. 3. 30-31)とケント州長官を恫喝する。リ チャードの推し進める中央集権体制の前に,地方に与えられた伝統的自治権 は踏みにじられ,例外としての特権が認められる余地は一切残されていない のである。
土地財産への課税をめぐる官憲と民衆の攻防の後,第四幕一場において国 王リチャードが王国全土の地図を前に,寵臣たちに国土を四分割する場面は 重要な意味を持つように思われる。臣下の者に命じて運び込ませた地図を見 ながら,王は具体的に州名を挙げつつ39州から成るイングランド全土を,月 額7000ポンドの賃貸料によって四人の寵臣たちに分け与えていく。
. . . Reach me the map, we may allot their portions and part the realm amongst them equally. You four shall here by us divide yourselves into the thirty-nine shires and counties of my kingdom, parted thus. Come, stand by me and mark those shires assigned ye: (4. 1. 221-6)
地図に線を引くがごとく気安さで,国土をいともたやすく分割していく国王 の姿は,まさしく土地測量士の作成した地図を前に荘園経営を行おうとする 地主の姿に他ならない。そこでは地方の自治権が尊重されることはなく,土 地に生きる民衆の生活実態が考慮されることはない。州長官の訴えが一笑に 付されたように,地方の歴史や伝統は無視され,不動産としての土地の経済 的価値だけを念頭においた合理主義が幅を利かせているのである。当時の地 図の流行を考えるなら,舞台を観守る観客たちにとって,中央政府の地方自 治への介入と,地主の土地測量による借地の管理運営は,まさしく同等に感 受され理解されるべきものであったであろう。
この後,劇の中では王を「地主」(“landlord”)と称する科白が頻出する。リ チャード自身,自らを自嘲気味に,「世界に君臨する処女王としてかつては見 なされていたバビロンのごとく美しい国を,まるで取るに足らない農地であ るかのように」(“like a pelting farm / That erst was held as fair as Babylon, / The maiden conqueress to all the world.” 4. 1. 147-149)貸し出す「地主」(“landlord”
4.1.210)と喩える。幽閉されたウッドストックの前に現れたエドワード王
(Edward III)の霊は,リチャードを称して「王の称号の地主」(“a landlord to my kingly titles” 5. 1. 90)と呼び,ランカスター(Lancaster)もまた,リチャー ドに軽蔑をこめて「おまえは王ではない。今や地主になってしまった,か つてはキリスト教諸国を脅かしたこの偉大な国家の地主にな」(“And thou no
king, but landlord now become / To this great state that terrored Christendom.” 5. 3.
106-7)と言い放つ。
作品の中に繰り返し登場する「地主」という言葉が示すように,リチャー ドはもはや君主ではなく,賃貸契約によって庶民を縛り付け,地代を取りた てるだけの近代的な土地管理者に過ぎない。そこにはウッドストックに代表 されるような支配すると共に保護するという封建社会の家父長的責任を負っ た為政者の姿は影も形も存在せず,弾圧と搾取のみを繰り返す暴君の姿があ るばかりである。従来の地方行政の中に見られたような支配する者と支配さ れる者の間にあるべき信頼関係に代わって,顔の見えない支配者との契約が,
すなわち土地管理者との契約が存在するだけなのであり,それは紙の上だけ での土地行政を施行する近代的地主となった君主の象徴的姿なのである。
(2)シェイクスピアの『リチャード二世』
『ウッドストック』の影響が見られるとされるシェイクスピアの『リチャー ド二世』(1595)においても,この土地をめぐる主題は繰り返えされている。
リチャードは宮廷での華美な生活のせいで国庫が底をつき,アイルランド遠 征のための費用を賄うために王国の一時貸与を発案する。
We will ourself in person to this war, And for our coffers, with too great a court And liberal largess, are grown somewhat light, We are enforc’d to farm our royal realm, The revenue whereof shall furnish us For our affairs in hand. (1. 4. 42-47)
OEDも明示するように,ここで使われる “farm” という語が “to lease or let (land) to a tenant” の意味で使用されたのは『リチャード二世』のこの箇所が
初出であって,王国の所有者であり地主としてのリチャードの立場を明らか にしている。彼は王であるにもかかわらず,地代を稼ぐために自らの土地を 分割し賃貸する土地所有者なのである。
王の愚行に対して,イングランドを愛し,その美を讃えるゴーント(Gaunt)
は心中の無念を口にする。
This land of such dear souls, this dear dear land, Dear for her reputation through the world, Is now leased out – I die pronouncing it – Like to a tenenment or pelting farm.
England, bound in with the triumphant sea, Whose rocky shore beats back the envious siege Of wat’ry Neptune, is now bound in with shame,
With inky blots and rotten parchment bonds. (2. 1. 57-64)
母国イングランドがまさに「貧しい小作地」のように扱われているという ゴーントの科白からは,封建社会の伝統的な価値観から経済的な商品へと変 貌しつつあった土地に対する嘆きが聞かれる。従来の伝統的主従関係は変質 し,君主は経済的法則に則ることによって管理するだけの者と成り果てた。
ゴーントが指摘するように,王と臣下の者の関係は「腐った羊皮紙にインク の染みで記された」契約という名の書類に縛られた土地の賃貸契約に過ぎな いのである。
ゴーントは続けてリチャードを糾弾する。
Why, cousin, wert thou regent of the world, It were a shame to let this land by lease;
But for thy world enjoying but this land,
Is it not more than shame to shame it so?
Landlord of England art thou now, not king,
Thy state of law is bond-slave to the law . . . (2. 1. 109-114)
「あなたは今やイングランドの地主になられたのだ,国王ではなく」との科白 が物語るように,王国に君臨するはずの王の地位は一介の土地所有者とかわ らぬ存在へと失墜した。王国を支配するのではなく,国土を所有するだけの 土地持ちとなったのである。言い方を変えるなら,封建社会の家父長的支配 は,近代的資本主義経済原理に基づく新たな支配関係へと移行しつつあった といえるであろう。
更に作品の中には,国王がその威厳を失い地位を追われた様子を,経済的 に困窮したひとりの人間として言及した科白がしばしば登場する。ウィルト シア伯(the Earl of Wiltshire)が歩合で王領を借りていることに言及するロ ス(Ross)に応えて,ウィロビー(Willoughby)は,「国王は破産されたのだ,
一文無しになられたようなものだ」(“The [King’s] grown bankrout, like a broken
man.” 2. 1. 257)と述べている。君主の権威もまたその私有財産の多寡によっ
て評価される時代になったことが,この科白からは理解されるのである。そ ればかりかこの “bankrout” という語は,王座を追われるリチャード自身の科 白の中でも繰り返されている。リチャードが,悲しみと屈辱にゆがむおのれ の顔を映し見るために鏡を持ってくるよう命ずる第四幕一場では,「王の威厳 の破産した様を見るためにな」(“Since it is bankrout of his majesty.” 4. 1. 267)
と,この経済にまつわる “bankrout” という語を繰り返すことによって,自ら の運命の残酷さを物語る。封建社会の伝統的主従関係が崩壊し,近代的な経 済を基盤とした契約関係に移行したように,君主の権威も金銭により生み出 され,また喪失されるものとして描き出されているである。
もちろん,王国が賃貸されるということは,その領地を借りた者が自由に 土地の利用を任されることを意味している。領地は,当然のことながら経済
効率を最優先に運用されるべく,それぞれの目的にかなった用途に使用され ることとなるのである。貸し出されたり,没収されたりした領地が,どのよ うな運命を辿るかは,ボリングブルック(Bolingbroke)の科白からも明らか であろう。「その間におまえたちはわが領地を食い物にし,わが狩猟地を取り 壊し,わが山林を乱伐した」(“Whilst you have fed upon my signories, / Disparked my parks and fell’d my forest woods,” 3. 1. 22-3)とリチャードの取り巻きたち を非難するボリングブルックのことばが示すように,土地はそこから生み出 される利益のみを念頭に使用され,森林は姿を消し,耕地や牧草地へと開墾 されていく。国土は本来の姿を変え,大地はかつての美しさを失っていくの である。ボリングブルックの領地が変貌したのと同じく,諸外国に堂々たる 威厳を誇っていたイングランドの風景は,経済効率を優先させる時代の波と ともにその自然の姿をも変えていったと考えられるであろう。
『ウッドストック』が暴君リチャードに対する貴族や民衆の叛乱を主題とし ているのに比して,シェイクスピアの『リチャード二世』が君主の座を追わ れる王の悲哀を作品の大きな主題のひとつとして描いている点は注目に値す る。シェイクスピアが体制側に対する民衆の不満を描くことを主眼にしてい るのではなく,政権交代における人間の内的葛藤に着目していることは重要 であろう。そしてここでも土地に関する比喩が使用されている点は興味深い。
第三幕二場において寵臣たちの処刑の報せを聞かされたリチャードは,自ら の敗北を覚悟し次のように述べている。
Our lands, our lives, and all are Bullingbrook’s, And nothing can we call our own but death, And that small model of the barren earth
Which serves as paste and cover to our bones. (3. 2. 151-154)
広大な王国全土を支配していたはずのリチャードであったが,「破産者」と
なった彼にとって,その身に残されたものは自らの躯を覆うわずかな土地だ けである。王の威厳は消滅し,社会の底辺に位置する無一文となった破産者 と同等に見做され,小さな墓だけが与えられる。更に,みすぼらしい墓地を めぐる比喩は繰り返され,ボリングブルックからの使者ノーサンバーランド
(Northumberland)を前にリチャードがすべてを放棄することを宣言する際の 科白にも現われる。
I’ll give my jewels for a set of beads, My gorgeous palace for a hermitage, My gay apparel for an almsman’s gown, My figur’d goblets for a dish of wood, My scepter for a palmer’s walking-staff, My subjects for a pair of carved saints, And my large kingdom for a little grave, A little little grave, an obscure grave?
Or I’ll be buried in the king’s high way, Some way of common trade, where subjects’feet
May hourly trample on their sovereign’s head; (3. 2. 147-157)
王国を小さな墓に代えることを,いや墓さえも許されず公道の地中に埋めら れ人々に踏みつけにされることをも覚悟するリチャードの姿に,かつてはす べての国土を支配していた王の悲哀が凝縮される。劇の中では,破滅するリ チャードのイメージが,亡骸を路傍にうち捨てられる乞食がごとき経済的破 綻者と重ねあわされているのである。王の地位にあり,国家の頂点に登りつ めた者が,一瞬にしてその地位を失い,資本主義社会のヒエラルキーの最下 層に転落することの悲劇性がここに描き出されている。
『ウッドストック』においては中央集権国家体制を確立しようとするリ
チャードの専制支配が,近代的資本主義のイデオロギーに則った地主がごと き横暴として描かれ,『リチャード二世』では,更にそのイメージを受け継ぎ ながら,君主であることを忘れ資本経済の敗残者となったひとりの人間の姿 が描かれている。しかし続く『ヘンリー四世・第一部,第二部』を眺めるな ら,シェイクスピアはリチャードに取って代わるボリングブルックの統治に おける中央集権国家の本当の恐ろしさもまた見つめているようにも思われる のである。
IV. 『ヘンリー四世・第一部・第二部』と 中央集権国家の近代的本質
(1)叛乱者たちの地図
『リチャード二世』の続編ともいえるシェイクスピアの『ヘンリー四世・第 一部』においても地図が舞台上に登場している。しかし『ウッドストック』
や『リチャード二世』では,地図が暴君リチャードの中央集権国家の圧制と いう象徴的な意味を持つものであったのに対して,『ヘンリー四世』において は王国を蹂躙する叛乱者たちの謀反の象徴となっている点に注目したい。そ して彼らに対峙し,王国を擁護する者として,また中央集権国家体制を再生 させる存在として,登場するのがハル王子その人なのである。
1590年代半ば,エリザベスの老齢化にともない王位継承問題に揺れるイン グランドでは,中央集権国家と地方豪族の力関係が一層深刻な問題となりつ つあった。1595年にアントワープで出版されイングランドでたちまち発禁処 分となったロバート・パーソンズ(Robert Parsons)の『次期英国王位継承を めぐる会議』(A Conference about the next succession to the crown of England)
においては,国内からの継承候補としてハートフォード伯の第二子あるいは,
ダービー伯爵夫人の子孫が候補として名を連ね,国外においてはスコットラ ンドのジェームズ六世の権利が俎上に載せられて,結論として最有力候補ス
ペイン王女インファンタの名が挙げられていた。この書の冒頭にエセックス 伯爵への献辞が含まれていたことから伯爵はエリザベスの逆鱗にふれ,また 密使の手によってこの書を届けられたジェームズは,自分の王位継承権をさ しおいてスペイン王女が次期王位継承者として推されていることに激怒した といわれている。そればかりかロンドンでは,ジェームズが自分の望みがか なえられない場合,武力行使に訴える準備を着々と進めているとの噂がまこ としやかにささやかれていた。スペインが新たなアルマダを組織し,デン マークとともにイングランドに侵攻することによって,武力でもってスコッ トランド王を次期王位につけようとしているとの風評が巷に流れ,説教壇か らはスペイン,スコットランド,そしてデンマークの魔の手からイングラン ドが救われるようにとの祈りが神に捧げられていたという。まさにイングラ ンド国民は内乱勃発の危機と外国からの侵略の不安に怯えていたことがこれ らの記録から理解される。そうした政情不安の中,エリザベス政権の中央集 権支配と地方の豪族たちとの緊張関係は,当時の多くの歴史劇のテーマとし て描かれている。一般に1596年から1597年初頭に創作されたとされる『ヘ ンリー四世・第一部』の中では,登場人物たちが地図を前にして王国分割に ついて会談する場が描かれていることにより,当時のロンドンを支配してい た,国家分裂と国土分割の危機という現実に直面した人々の不安を巧みに表 していたと考えられるのである。
シェイクスピアの『ヘンリー四世・第一部』第三幕一場に登場する地図は,
材源のホリンシェッド(Holinshed)の年代記には記述がなく,ホリンシェッ ドはこの箇所を単にパーシー卿(Percy)とマーチ卿(March),それにグレン ダワー(Glendower)が「自分たちの間で王国を分割し,三つの証文を作成さ せて,それぞれの印章で批准した」(“. . . devided the realme amongst them, causing a tripartite indenture to be made and sealed with their seals.” III. 22)との み記している。それに対してシェイクスピアは材源には登場しない地図を舞 台上に取り出させ,モーティマー(Mortimer)に「大執事が平等に三等分し
てくれた」(“The Archdeacon hath divided it / Into three limits very equally:” 3. 1.
71-72)とわざわざ言わせているのである。モーティマーが “very equally” と 述べているように,叛乱首謀者たちから国家は単なる経済単位をなす土地と してみなされ,等分に分割されうるものであることが強調されている。続い て,地図上に記された領土境界線を前にして異議を唱えるホットスパー
(Hotspur)の科白も,観客の関心を国家ではなく土地そのものの価値へと向 けさせる。
Methinks my moi’ty, north from Burton here, In quantity equals not one of yours.
See how this river comes me cranking in, And cuts me from the best of all my land
A huge half-moon, a monstrous [cantle] out. (3. 1. 95-99)
ホットスパーは国土を “In quantity”, “the best of all my land” とまさに経済的 価値で判断し,河川の流れを変えることで自分の領土の商品価値を高めよう とする(“It shall not wind with such deep indent, / To rob me of so rich a bottom
here.” 103-4)。他方,ホットスパーに反論するモーティマーは,別の箇所で
は河川が蛇行して,同等の肥沃な土地を自分の領土から抉り取り,ホットス パーの領土に利していると譲らない(“. . . but / Mark how he bears his course and runs me up / With like advantage on the other side, / Gelding the opposed continent as much / As on the other side it takes from you.” 106-110 )。彼らにとって地図 上に描かれた領土は経済的な意味を持つ商品の単位でしかなく,国土の分割 はもとより人為的に河川の流れを変えることや国境線の書き換えにともなう 土地の交換はむしろ合理的判断に基づいた交渉事に他ならない (“bargain” 3.
1. 137) 。王国の統治は叛乱者たち独自の経済的価値判断によって決定され,
国土の分割に際してそこに土地を所有する者の権利など何の意味も持たない
のである。フォールスタッフ(Falstaff)が言うように,叛乱首謀者たちの横 暴によって,土地の持つ伝統的価値体系そのものが崩壊し「腐った鯖同然二 束三文の」(“as cheap as stinking mack’rel” 2. 4. 360)ものになる可能性も否 定できないであろう。
(2)家父長的中央集権国家への希求
舞台上に登場した地図を用いて行われる数量的国土分割を目の当たりにし た観客は,叛乱首謀者たちの目論む国土の分割に対して反発を感じるととも に,現実世界においても分断の危機に瀕する母国イングランドを想い起こし,
強大な中央集権国家樹立への希求をあらためて意識させられることとなるの である。そしてこの中央集権国家の頂点に立つべき人物こそは,近代的地主 のように経済効率と合理性のみを優先させる顔の見えない領主ではなく,臣 民を思い,彼らの生活実態を把握する,まさに家父長的君主像を体現する人 物でなくてはならないはずである。こうした観客の期待に応えるのがハル王 子の存在であることはいうまでもない。フォールスタッフをはじめイースト チープにたむろする下々の者とも交流を持とうとする王子は,社会の下層の 者たちをも包摂し,階級社会の階層を自由に往来する。時には官憲の追求を かわすことで下層の者たちを保護してやり(2. 4. 500-1),彼らの犯した罪を 弁済してやることでその窮地を救う(2. 4. 547-8)。 劇中のハルは,社会の底 辺に位置するイーストチープの若者たちの信頼と共感を勝ち取り,国家の危 機に際して階級社会をひとつにまとめあげる才を有する,まさに庶民の英雄 として描かれているのである(“. . . when I am King of England I shall command all the good lads in Eastcheap.” 2. 4. 13-4)。ひとたびハルが指揮を取れば,
フォールスタッフもまた政府軍の中に一歩兵団長としての地位を与えられ,
国家の階級支配というネットワークの中に組み込まれる(“I’ll procure this fat rogue a charge of foot. . .” 2. 4. 545-6)。王子の挙国一致の号令は,社会階層の 底辺に位置する者たちの隅々にまで浸透するのと同じく,観客の意識の中に
ある中央集権国家への希求とも共鳴し,劇は叛乱軍制圧に向けて,後半部の 劇的効果を盛り上げるよう構想されているのである。
従って第四幕一場のヴァーノン(Vernon)の報告は,「待たれていただけ に,一層の驚愕をもって迎えられるであろう」(“Being wanted, he may be more wond’red at” 1. 2. 201)とのハルの予言を耳にしていた観客の期待を見事に 満足させてくれるものである。
I saw young Harry with his beaver on, His cushes on his thighs, gallantly arm’d, Rise from the ground like feathered Mercury, And vaulted with such ease into his seat As if an angel [dropp’d] down from the clouds To turn and wind a fiery Pegasus
And witch the world with noble horsemanship. (4. 1. 104-10)
観客は,大地から立ち現われた軍神マルスのごとき,あるいは天空から舞い 降りた天使のごとき王子ハルを,劇世界ばかりか現実世界においても待望さ れる英雄とみなし,統一国家イングランド再興のため,挙国一致の家父長的 中央集権体制のイデオロギーをみずから進んで享受することとなる。劇 が,一面においてこうした封建社会の残滓ともいえる主従関係の倫理観に突 き動かされていくように描かれていることは疑う余地もない事実である。
(3)中央集権国家の本質
しかしシェイクスピアは,観客が期待する家父長的中央集権国家の裏に,
狡猾で残酷な近代国家の片鱗をも浮き彫りにしている点を見逃してはならな い。劇の冒頭,ヘンリー王は聖地奪回という目的を掲げ,異国の地での戦争 へ国民の目を向けることが,内乱を防ぎ国内に平安をもたらすこととなると
提案する。国内の「反駁しあう者同士も. . . . .隊列をなして同じ道をまっすぐ に進んでもらいたい」(“These opposed eyes . . . Shall now in mutual well- beseeming ranks March all one way. . . .” 1. 1. 9-15)という王の科白は,皮肉に もこの後の劇の展開のなかで描かれる中央集権国家の本質に潜む冷酷さを物 語る。
当時のイングランドにおける人口増加は16世紀後半の60年間において130 万人,実に人口の35%増となっている。人口の急激な増加に加えて土地所有 形態の変化は恒常的に労働者の20%という失業率となり,季節はずれの時期 にはその数が50%へと上昇したと言われている。逆に労働賃金は1500-1620 年までの間に半分に落ち込み,多くの貧困層を生み出した。国内の治安にも 悪影響を及ぼしかねない余剰人口に対する政府の対策は,彼らを大陸の戦地 に赴かせるか,植民地の労働力として駆り出すことであった(Netzloff 93- 102)。こうした現実の社会情勢のもと,フォールスタッフの徴兵した兵士た ち(4. 2. 23-31)は,まさに当時の社会の余剰人口の代表であり,彼らを戦 地に送り込むことで国家がその負担を軽減できるというのは,劇世界を超え て現実世界の論理でもあった。中央集権国家の各階層に居場所を見つけられ ず,各地の牢獄を住処としていた彼らであるが,そうした輩ですらひとたび 戦地に赴けば,そこでは「槍先にかけられ,鉄砲玉の餌食になるぐらいの役 には立つ」(“. . . good enough to toss, food for powder” 4. 2. 65-6)とフォールス タッフは言う。その一方で,裕福な家庭の子弟はフォールスタッフに要求さ れるがままに賄賂を渡し,兵役を逃れて,自由と命を金銭で買うのである。
観客の待望する家父長的中央集権国家の実態は,資本主義経済原理により動 かされ,階級社会の底辺や周縁に位置する者たちに犠牲を強いる冷酷非情な 一面を有していることを劇は如実に描いている。
そればかりか劇は中央集権国家の頂点に立つ国王の実像をも暴いてみせる。
君主は国民との関係を築くにあたって,いかにして民衆の心を掴むかという 策略が,国王ヘンリーの口を通して,劇の前面に押し出されているのである。
王ヘンリーは,自らの国民操縦方法についてハルに説き聞かせている。
And then I stole all courtesy from heaven And dress’d myself in such humility
That I did pluck allegiance from men’s hearts, Loud shouts and salutations from their mouths, Even in the presence of the crowned King. (3. 2. 50-54)
外見を装い,演技をすることにより,如何にして民衆の忠誠心を取り付ける かを王みずからが語ることによって,国王と臣民の主従関係は嘘偽りの関係 であることが暴かれ,君主の脱神聖・脱神話化が前景化される。劇中,ホッ トスパーの発する「同情のみせかけで,上辺だけの正義面でもって,やつは すべての民衆の心を釣り上げたのだ」(“. . .by this face, This seeming brow of justice, did he win The hearts of all that he did angle for” 4. 3. 83-4)との科白は,
まさに王ヘンリーの科白を裏書するかのごとく,君主による民衆懐柔策の本 質を言い当てているといえるだろう。地図を前にした叛乱首謀者たちは,そ の地に生きる民衆の生活に思い巡らすこととてなかったが,かたや家父長的 中央集権国家の樹立を掲げるかにみえる王権側には,その理想の陰ではるか に狡猾な民衆操作と懐柔のための思惑が働いているのである。
劇の後半,国王の命令により赴いた戦場で,名誉の真の意味を問いかける フォールスタッフの科白(5. 1. 130-35)に秘められた空虚な響きはそのまま,
彼の部隊の悲惨な結末へと反響する。
I have led my ragamuffins where they are pepper’d; there’s not three of my hundred and fifty left alive, and they are for the town’s end, to beg during life. (5. 3. 35-38)
過酷な戦場をかろうじて生き延びた彼らは,たとえ戦争が終わり,平和が 戻っても,階級社会の底辺に留まり,中央集権国家の周縁で生きていくこと しか許されない。常々,民衆の側に立つものであることを装い続けてきた国 王ヘンリーも,下層民たちと親交を深めた王子ハルも,今や中央集権国家の 頂点に君臨し,その裾野にまで国家権力を行き渡らせることによって,すべ ての民衆を中央集権国家の権力構造に回収していったのである。作品は観客 が思い描いていたような家父長的主従関係の回復ではなく,民衆を巧みに操 る近代的国家権力のネットワークにすべての国民を組み込んでいく過程を描 きだすものであったことが理解される。
この主題は,『ヘンリー四世・第二部』になると一層鮮明に描かれている。
第四幕三場におけるシェリー酒の効用についてのフォールスタッフの演説は,
中央集権国家の姿を皮肉な形で浮かび上がらせる。酒は体の隅々の血を熱く し,ひとたび号令をかければ戦のために王国の隅々から民衆を招集できるか のごとく,体中の血液を沸き立たせると喩えられるが(4. 3. 106-113),その 実態はフォールスタッフの出鱈目な徴兵である。彼は自らの懐を肥やしてく れる賄賂によって若者を選別し,彼のやり方に口を挿もうとする者を恫喝す る(Will you tell me, Master Shallow, how to choose a man?” 3. 2. 257)。それば かりか土地を所有する地方有力者たちもまた,自分たちの財力にものをいわ せて,フォールスタッフを懐柔し,宮廷での地位を得ようとする(“At your return visit our house, let our old acquaintance be renew’d. Peradventure I will with ye to the court.” 3. 2. 293-5)。中央集権国家の実態は,封建社会における忠誠 心ではなく,資本主義社会における個人の資金力により支配される社会のヒ エラルキーの形成なのである。王権においても,もはや真の意味においての 大儀や信義が問われることはなく,狡猾な政治的策略が渦巻いていることは 劇中の多くの科白が示している。王子ジョン(Prince John of Lancaster)は大 司教との誓いをいとも容易く破り,無防備な叛乱軍を捕縛する(4. 2. 112- 115)。また国王ヘンリーは心変わりし易い臣下の者たちに謀反の暇を与えぬ
よう外征に従事させることを繰り返しハルに説いて,臣下の者たちをいかに 操作するかを王子に諭すのである(4. 5. 212-15)。
そうした意味において,劇の結末におけるハルの変身は重要な意味を有し ている。ハルが亡きヘンリー王の後を継いで王位についたことに大喜びする フォールスタッフに,新国王としてハルは語る。
Reply not to me with a fool-born jest, Presume not that I am the thing I was,
For God doth know, so shall the world perceive, That I have turn’d away my former self;
So will I those that kept me company.
When thou dost hear I am as I have been, Approach men and thou shalt be as thou wast, The tutor and the feeder of my riots.
Till then I banish thee, on pain of death, As I have done the rest of my misleaders, Not to come near our person by the mile.
For competence of life I will allow you, That lack of means enforce you not to evils, And as we hear you do reform yourselves, We will, according to your strengths and qualities, Give you advancement. (5. 5. 55-70)
ハルがフォールスタッフに追放処分と同時に,暮らしていけるだけの手当て を恵んでやることを語る時,この巨漢の悪党もまた新王ヘンリー五世のもと に確立されようとしている中央集権国家体制の裾野に組み込まれたことが確 認できる。ハルは階級社会の底辺へと身を沈め,そこに蠢く下々の者どもの
共感をも見事に勝ち得た後,あらためてヒエラルキーの頂点に君臨した際に は,彼らを支配の枠組みの中にみごとに絡めとったのである。民衆の側に 立った家父長的支配者を演じながら,その実,近代的中央集権支配体制へと 巧みに民衆を組み入れる,策略に長けた,より狡猾な支配者の実像がここに 浮かび上がるのである。
V.結び
ここに取り上げた四つの劇作品は,土地測量が導入され,地図という文化 の産物が登場した時代の空気を見事に捉えている。測量技術の発達により,
土地は市場経済において流通・交換可能な経済単位とみなされる「不動産」
という新たな意味を持ち始めた。同時に,地主と借地人の関係は従来の家父 長的主従関係から資本主義経済において法律上の契約によって縛られた貸借 関係へと変化したのである。『ウッドストック』では,リチャードの暴政が国 土を分割し側近の者たちに貸し出す様を描くことによって,賃貸契約による 国土の蹂躙と,国王の権威の失墜が描き出され,『リチャード二世』では,更 にその主題を展開することにより,国王自身に経済的破綻者の比喩が重ねて 使用されていることが確認できた。封建社会が資本主義経済社会に変貌して いく中で,国王もまたその変化を身をもって体験することを余儀なくされた のである。しかし『ヘンリー四世』二部作では,叛乱者側が国土を分割する 様子が描き出され,かたやハルを中心とする王権側は民衆の共感を集める家 父長的君主像を象徴するように見せかけている点は興味深い。シェイクスピ アは,この一見して家父長的中央集権の様相を示す国家体制が,実はその裏 に民衆を懐柔し操作しようとする狡猾な近代的君主像を隠蔽していることを 暴露しようとしているのである。家父長的中央集権国家への回帰による国家 の安定を希求する民衆の願望を成就させる一方で,中央集権国家が国の隅々 に,またあらゆる階級にまで,その政治的権力と経済的支配を行き渡らせ,
すべてを包括し飲み込もうとすることに対する警鐘を,そして中央集権政府 が近代国家へと変貌しつつあることに対する脅威を描き出している点を強調 したい。
同時に作品は,登場人物たちが名誉と権力を追い求め,領土支配を拡大し ていくことの空しさをも垣間見せていることを忘れてはならない。破滅を目 前にしたリチャードが王国を「小さな小さな墓」に代えようとしたのと同じ く,ホットスパーの亡骸を見つめるハル王子は「その身に魂の宿っていた時 には一王国といえども狭すぎた,しかし今やわずか二歩の広さの卑しい土地 でもあまりある」と述べている。(“When that this body did contain a spirit, / A kingdom for it was too small a bound, / But now two paces of the vilest earth / Is room enough.” 5. 4. 89-92)王国全土の支配へ向けて飽くなき執着と野望を抱 き続ける人間の儚さもそこには語られている点を忘れてはならないであろう。
封建社会が近代資本主義経済社会へと移行する時代の空気を捉え,そこに生 きる人々の心性を描き出しながら,同時に人間の本質に対する洞察をも失う ことのないシェイクスピアの才気が窺われる。
図1 イングランドとウェールズ全図
図2 ノーフォーク
図3
図4
参考文献目録
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Synopsis
The Development of the Map of England and the History Plays:
Woodstock, Richard II, and Henry IV.
Takayuki Katsuyama
The Oxford English Dictionary dates at 1551 the first use of the transitive verb, “survey,” with the meaning, “To determine the form, extent, and situation of the parts (a tract of ground, or any portion of the earth’s surface) by linear and angular measurements, so as to construct a map, plan, or detailed description of it.” The introduction of newly rationalistic standards of land measurement and estate planning led people to perceive land as a freely marketable commodity. At the same time, the change of conception in land quantification and valuation transformed the traditional relationships between landlord and tenant into a newly economic and legalistic connection. In the matter of the improvement of rents, revenues and profits, the feudal foundations for manorial community directed by the paternal figure of the landlord were increasingly subordinated to the emergence of a rationalist ideology that reduced land to a mere commodity and reduced tenants to economic agents.
With technical advances in land measurement and estate mapping, the patriarchal landlord–tenant bond in the feudal society came to be replaced by relationships of economic competition and individual improvement in a developing market economy.
These developments may be illustrated by considering the actions taken by the largest single landowner, the Crown. One of the best ways to increase its revenue was the sale and management of its lands. The revenue commission of 1552 first suggested a comprehensive survey of all royal lands and manors
to rectify its financial problems. A national survey was commissioned privately at the instigation of Lord Burghley, the Lord Treasurer, but subsequently was completed with royal encouragement. The outcome was Christopher Saxton’s Atlas of England and Wales, the first printed set of county maps and the first countrywide atlas, published in1579. Maps produced under the official auspices of Queen Elizabeth were representations which justified her assumption of power and rationalized the centralization of government within her realm. However, at the same time, it is an undeniable fact that the new practice of surveying subjected her realm to valuation in terms of its market price, rather than to more traditional criteria of usefulness.
In this essay, I reconsider the meaning of “land” and of “maps” in several historical plays which appeared in the 1590’s: the anonymous Woodstock, Shakespeare’s Richard II and Henry IV, Parts 1 &2. In Woodstock and Richard II, King Richard is disparagingly referred to as “no king, but landlord,” a characterization that bespeaks his renunciation of his duties and his reduction to the level of an exploitative landowner. His action of dividing his kingdom and leasing it out among his favorites can be compared to the proto-capitalist’s exploitation of land as against the maintenance of a paternalistic, land-based social order. The appearance of ideologies construing land as private property may be understood to pose a threat to traditional, paternalistic manorial customs that were gradually disappearing in early modern England. In Shakespeare’s Henry IV, Parts 1 &2, however, it is the rebel leaders that try to divide the realm among them and to regard land as a marketable commodity, while, by contrast, Prince Hal offers the Elizabethan audience a nostalgic dream-vision of the paternalistic feudal king. But Shakespeare’s true aim is to explore in the figure of seemingly ideal prince some of the more unsettling aspects of the exercise of art, politics, and commerce in a modern capitalistic state.