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シンポジウム総合討論

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著者 「新島研究」編集委員会

雑誌名 新島研究

号 108

ページ 30‑45

発行年 2017‑02‑28

権利 同志社大学同志社社史資料センター

URL http://doi.org/10.14988/pa.2018.0000000215

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新島襄受洗150年記念シンポジウム

シンポジウム総合討論

井上:ありがとうございました。大変厳しい現実 を数字でもってお示しになりましたが、私は同志 社に50年いまして、それほど悲観してはいない のです。司会者があんまり意見を述べるのはよろ しくありませんので、もし求められれば申し上げ たいと思いますが。

ただ今から、横井先生の現状分析も含めて、お 三人の先生に対するご質問、ご意見を自由にお出 しいただければ幸いでございます。

本井先生、北垣先生、先ほどちょっと触れましたが、何か言い足らなかっ たこと、あるいは横井先生がおっしゃいましたことに対するご意見も含め て、付け加えることがございましたら、手短によろしくお願いをいたしま す。まず最初にそれをお聞きしてからフロアに。

本井:じゃ、補足させていただきます。シーリー の可能性があるかどうか。私もゼロではないと思 います。ただ、状況的に少ないかなと。

と申しますのは、カレッジチャーチで洗礼を受 けていますから、神学校の教授が毎週交代で説教 したり、あるいは聖礼典でいろんな役割を持つ と。だから、アーモスト大学の先生に頼む必要な いわけですよね。よほどの理由がない限り。

しかも、12月30日に注目してください。大み そかの前の日に洗礼式やりますかね、日本で。まずしません。大掃除の前の 日ですからね。やるとしたら、この年の12月23日、クリスマス礼拝です。

1週間、前倒して。あるいは12月30日が駄目だったら、翌年の1月6日、

新年礼拝。このどっちかだろうと思いますね、日本だと。何で12月30日と

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いうあやふやな日にやったのかって、これはもう普通の礼拝ですよ。特別礼 拝ではありませんから、シーリー先生呼ぶだけの理由はまずなかったんじゃ ないかなと思います。

それから、カレッジチャーチに対して、オールドサウスチャーチ、町の教 会。新島は、これまではオールドサウスに行っていたというんですけども、

実はカレッジチャーチの方に軸足がなかったかなって疑いを、私、持ってい ます。というのは、フィリップスアカデミーの約束では、日曜日は聖書研究 会に出て、その後、礼拝に出ています。カレッジチャーチで礼拝守れとい う。日曜日の礼拝は、どっちか一つに限られますからね。新島が掛け持ちで 学校の礼拝と町の教会の礼拝に出るってことは不可能でしょう。

ただ、オールドサウスの方は日曜学校に出ていたと言われていますから ね。時間的な差があって、オールドサウスで礼拝して、その後、町の教会に 行って、P. F. マッキーンから指導を受けたと。時間差でもない限り、二つ の教会、渡り歩くということは無理だろうと。現に洗礼はオールドサウスじ ゃなくて、カレッジチャーチで受けていますから、普段からカレッジチャー チに行っている。高校生として。そういうふうに考えたいですね。

それから、シーリーの可能性が少ないって裏には、高校生の新島が知って いる牧師は、一番近いのはパーク先生でしょう。さっき紹介しましたよう に、プレゼントまで交換しておりますよね。シーリーとはしておりません。

それから、サイン帳に唯一、サインをしている教授はパークです。シーリー はしておりません。それから、新島がお父さん宛ての手紙で、J. L. テーラ ー校長と、それから聖学校の教師、この二人をはじめ、スタッフの先生、み んな親切やと。キャンパスで会ったら How are you? と言って、握手して くれるという。この聖学校の教師は、アンドーヴァー神学校の教授、すなわ ち二人一緒ですね。隣同士住んでいるパークじゃないかなと。わざわざ名前 を、高校生の彼が手紙で挙げているのは、パークとテーラーしかいません。

そういう意味で、シーリーとの関係がもしあれば、この後、すぐシーリーの こと、あるいは信仰的なことをどっかに記録しているか、シーリーと特別な 関係を持つとかということがあったと思うんですけども、高校生の段階では シーリーとの関係が薄かったので、洗礼授けてもらった可能性もその分、少

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ないかなというのが私の状況証拠なんです。

井上:北垣先生がお触れになったシーリーの可能性についての反論が出てま いりましたので、北垣先生、何か反論ございますか。

北垣:シーリーが新島に洗礼を授けたという可能 性は少ないと思いますが、当時、アーモストの教 授でありながら、アンドーヴァー神学校とビジタ ーということで関係していたということがありま すので、皆無ではないというふうに僕は思ってい ます。

僕は付け加えとして、なぜアンドーヴァーの、

フィリップスアカデミーに、アンドーヴァー神学 校があったかという、その辺のことを少しだけお 話ししてみたいと思います。普通は、高等学校のキャンパスに大学院課程で ある神学校があるということはないんですけれど、実はアンドーヴァー神学 校の場合は特殊な例でありまして、確かピアソンという名前の先生がハーバ ードの神学校におりまして、それでハーバードがユニテリアン化していくの に対して非常に困って、反対で、ユニテリアン化を防ごうとしたんですが、

防ぎきれなかったので、ハーバード神学校を辞めたんです。

そのピアソンがたまたま、フィリップスアカデミーをつくったフィリップ ス氏と友人関係にあったものですから、私のとこに来ないかということで、

アンドーヴァーで迎えられたんです。そのうちに、ハーバードで教えていた ほどの人ですから、その人も含めて、アンドーヴァーにハーバードのユニテ リアン化に対して、ニューイングランドの神学をしっかりとやる神学校をつ くりましょうということで、ピアソンも含めて、そういうことで、結局、ピ アソンはアンドーヴァーのフィリップスアカデミーで教えていたんですけれ ど、そういう学校をつくったフィリップス氏との関係で、いつの間にか神学 校ができるということになって、そういう関係でフィリップスアカデミーの キャンパスの中に神学校ができたわけです。

ですから、もともとフィリップスアカデミーの理事会が認めたから神学校 ができたわけで、アンドーヴァーの神学校の理事会は、フィリップスアカデ

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ミーの理事会と同じなんです。同一であったわけです。

それから、もう一つは、神学校というものは分かりにくい面がありまし て、というのは、さっきJ. L. テーラーをフィリップスはアンドーヴァー神 学校の学長というふうに本井先生は言われたんですが、それはたぶん、プレ ジデント・オブ・ザ・ファカルティーを学長というふうに訳されたんだと僕 は理解しています。学長というんだったら、神学校の責任者で、人事等に関 しても理事会に提案する。そして、その神学校のポリシーを決めることがで きるはずですけれども、アンドーヴァー神学校の場合はそうではなくて、教 授会、教授が5〜6人おるんですけれど、その教授会の代表が誰かというこ とは決めておくわけでして、J. L. テーラーがそれに当たったということだ と僕は理解しています。

Egbert Smythの話を講演の最後でしましたけれど、Egbert Smythがやはり このときの、1880年代後半のときのプレジデント・オブ・ザ・ファカルテ ィーであったわけです。ですから、彼はアンドーヴァー神学校がリベラル派 になったということで、非常にその代表者に祭り上げられて、非難を受けた のみならず、訴訟事件まで起こっているわけですね。僕はその訴訟事件のこ とを詳しく調べてはいませんけれど、そういう渦中にあった人です。

不思議なことに、このEgbert Smythは、アメリカンボードのプルーデン シャルコミッティーのメンバーでもありました。だから、アメリカンボード 自体がだんだんとリベラル化していっているという感じもします。

僕は、アンドーヴァー神学校の歴史を、ちょうど200年になるわけですか ら、アンドーヴァー・ニュートン神学校の歴史を今回、読んでみたんですけ れども、そこのところはどうもよく分かりません。つまり、プレジデントと 称する人がどういう権限があったかというようなこともよく分かりません。

以上です。

井上:ありがとうございました。本井先生、何か反論ございますか。いいで すか。

それでは、フロアの方々からのご質問、ご意見をお出しいただきたいんで すが。ちょっとお待ちください。時間の関係で簡潔にお願いいたしますこと と共に、これ、活字になる場合には話し言葉とはがらっと変わりますから、

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短くさせていただく、編集委員会の方でさせていただくということのご了承 を最初にお願いをしておきたいと思っております。はい、それではどうぞ。

A:北垣先生、本井先生、ありがとうございました。北垣先生にお伺いした いんですが、蘇峰にも言及されまして、1935年の自伝で、若いときに中山 道の旅行をしたときに、毎晩、キリスト教の説教を聞かされて閉口したと。

それから1944年に『蘇翁感銘録』というのを出しているんですけど、その 中ではキリスト教について、私がキリスト教を深く信仰していたのは、新島 先生を信用、信仰していたと同様のものであると。新島先生を通じてキリス トを知り、そして、頑張ったものであるというふうに言っています。

それから前々回も質問させていただきましたけれども、1957年11月2日 に亡くなるときに、小崎弘道の子どもの道雄さんに霊南坂教会で葬式頼むと 言って、それを行っているのですね。

ということを見ると、その蘇峰の心の中には、若いときのキリスト教に対 する、新島先生を通じての思いというのが、地下水のように、生涯あったの ではないかというふうに私は思うのですけれども、そのあたり、北垣先生は どう思われますでしょうか。

北垣:ご質問、ありがとうございます。僕は誰の心の中に入ってみても、信 仰の状況はよく分からない。信仰の状況を映し出すレントゲン写真でもあれ ば、別ですけれど、それができないところがこの問題の難しさだと思いま す。

だから、結論としては、蘇峰が自伝にあんなことを書いているのは事実で す。だから、蘇峰には、新島先生を信じていたくせに、新島先生の言うこと を拒否しているわけですから、蘇峰というのは非常に矛盾した男だと僕は思 います。

井上:反論ありますか。

A:最後に葬式をキリスト教式でやってほしいというふうに頼んだあたり が、例えば前々回も私、ちょっと言いましたけれども、正宗白鳥は亡くなる ときにキリスト教に入るというふうに宣言をして死んでいったわけですけれ ども、それと逆のような形で、やはりキリスト教に戻っている部分が非常に あったのではないかと、表面的には私はそう思うんですけどね。以上です。

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北垣:たぶん、あったでしょう。しかし、蘇峰がキリスト教の教会生活をし ていたわけではありませんからね。教会生活をする、しないということをど う取るかの問題だと思います。隠れキリシタンはいっぱいいると思います。

A:これで終わりになりますけれども、明治13年に蘇峰は、卒業の間際1 カ月で、もう退学すると、東京に出ていくんですね。そのときに、新島先 生、一言だけ。「大人とならんと欲すれば、自ら大人と思うなかれ」という、

自分の写真の裏にそれを書いたんですね。それと共に、東京に行って、植村 正久に教会通いをしなさいというふうに言って、2〜3回行ったんですね。

つまらん男やという。それっきり、教会、日曜に行くのをやめたというふう に書いておりますけれども、そのあたりをちょっと思いましてね。

若いときの若気の至りという部分もあるでしょうけども、新島先生を通じ て、思いをずっと、94歳で亡くなるまで持っていて、最後、キリスト教の 葬式やってくれやと。小崎弘道さんとは生涯親しかったと思うので、そう頼 んだんじゃないかと私は思いまして、ちょっとそれを皆さんにも知っていた だこうと思って、発言させていただきました。

北垣:ありがとうございます。コメントはありません。

井上:それでは、他にご意見、ご質問の方、挙手をお願いいたします。は い、どうぞ。

B:キリスト教教育ということについて、思うんですけど、新島先生が自由 を求めてアメリカに行ったと。そこでシーリー教授から、自由というのはロ ーマ時代からあったけれども、それは特定の階級の者の自由であったと。万 民が自由になったのは、宗教改革によってであったということを教えられ て、それで、目からうろこが落ちたということを、本から、私、読んだよう な覚えがあります。

この自由という、これがキリスト教主義教育の根底にあると思います。こ の自由ということについて、同志社中学、高校の校長をされた加藤延雄先生 が、自由、ただし、これは良心、良識のある自由でなければならないと。そ したら、その良心とか良識ということは、これは何か。それを考える判断力 を持てと。明快に、ことあるごとに強調されていました。これが同志社にと って一番大事なことやと思います。

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キリスト教、キリスト教というけれども、大正末期から昭和の初めにかけ て、同志社の教授陣はそうそうたる先生方がおられて、同志社アカデミーと 称せられたのです。それは決して何もクリスチャンの教授ばっかりではなか ったんです。しかし、クリスチャンでない教授でも、この良心、良識のある 自由、これは尊重しなければならないというふうに言われたと思います。

同志社教育の何では、私らの時代、昭和30年前後には、住谷悦治先生の 社会科学概論、田畑忍先生の憲法、岡本清一先生の政治学、この講義は日本 でトップ級の三大講義というふうにいわれていたんですけどね。しかし、三 人の先生方は、やはり折に触れては自由を尊重しろと。しかも、良心、良識 のある自由でなければならないということを強調されていたと思うんです。

それが現在ではどうでしょうか、同志社では。

井上:ありがとうございました。横井先生、いかがです?

横井:そのとおりだと思います。ただ、今、大変、われわれも苦労している ところですが、自由の意味をはき違えているとこ ろが大変多いと思いますので、今のようなお話も ぜひ教育の中に取り入れていきたいなというふう に思います。

井上:ありがとうございました。他にいかがでし ょうか。どうぞ。

C:すいません。お二人の先生のお話の中で、私 が非常に興味を持ったのは、先にしゃべられた本 井先生が新島襄はフリント夫妻によってキリスト 教に非常に目覚めたであろうという話を聞かせていただきました。

ちょっと話はずれていて、申し訳ないんですけど、北垣先生はここに「天 父」という言葉を見て、新島襄がいろいろと開眼したんではないかとおっし ゃられて。別にそれはどちらもが合っていると思うんですけど、そのことに ついて、また一言ずつでも教えていただけませんか。

北垣:「天父」という言葉を『真理易知』の中で発見して、それで、つまり 親に対する忠誠心に、儒教の影響で新島はずっと燃えていたわけですけれ ど、その親に対する忠誠心が自分を江戸の屋敷につなぎ留めていて、これか

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ら自分が本当の意味において活躍できる場に行きたかったんですけれども、

それは親、それは家を出なければいけないということまで来たわけですね。

そのときに、「天父」を発見することによって、「天父」に対する忠誠心が親 に対する忠誠心、つまり親孝行に先行するんだと。優先順位はあくまで「天 父」が先であるということを見つけて、それが新島の行動の決定的な要因に なったっていうことを言いたかったんです。

井上:何か付け加えられますことはございますか。いいですか。よろしいで すか。じゃあ、本井先生、どうぞ。

本井:フリントの補充でしょうか。

C:北垣先生のおっしゃったことからスタートして、アメリカに行って、そ れから本格的にキリスト教を求めようとしたんだと思うのですけれども、ど う言うんですか、以前から僕が聞いていたんでは、この「天父」、すなわち 中国語の聖書の抜粋を読んで、あるいはロビンソン・クルーソーを読んでと いう話が頭に残っているものですから、ここで改めて、今日、本井先生がお っしゃった、誰でしたっけ?

本井:フリントですか。

C:フリント夫妻によってという、その辺のことをもうちょっと私に勉強さ せてほしい。

本井:分かりました。さっき言いましたように、フリントに出会うまでは、

言うならば下地。江戸でも、それから函館でも、あるいは船の上でも。

神学生という、将来の牧師に当たるような人に初めて接触したわけでしょ う。そして、奥さんともども、本格的なというか、系統的な聖書、あるいは キリスト教の指導を受けて、これで頭の中に染み通るというか、順序よく入 るような。

とりわけ、今日、紹介したサイン帳にヨハネの1句が入っていますから ね。あれがフリントを通して新島にたたき込まれた、あれだけでもすごいな と思いますね。あれでもう受洗しようかとか、キリスト教の中核をつかんだ ような、そういう衝撃がたぶん、彼にあったと思いますね。何か一生を通じ るような、聖書の中核。聖書の中の太陽をHidden家で与えられたこと、こ れをもう少し評価していかなければ、というのが私の見解です。それ以前は

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助走です。

井上:他にいかがでしょうか。はい、どうぞ。

D:それと関連がありませんけど、朝から熱心な先生方のご研究報告を聞か せていただきましたが、一つショッキングなことは、やっぱり横井先生の学 生アンケート。最近の学生のアンケートの結果と照らし合わせていまして、

自由という問題についても、対象になるのが何かということをはっきり研究 者から提示をしないと、若者は何のことなのか、さっぱり分からんと私は思 います。

自由っていうのは何のための自由なんですかと。国家権力との対決関係に あって、自由というのが大事だということは分かるんですよ。権力と自由と の対抗関係でしゃべらないと、あるいは若者に説明しないと、いつまでたっ ても学生の目は覚めないんじゃないかというふうに私は思います。

何で来ないんですか。この新島研究会の一日研究会に。土曜日の午後でし ょう。土曜日の午後の最もリラックスできる時間、これはもう選ぼうと思っ たら、なんぼでも学生はここに来られるんですよ。何で来ないんですか。

私、いつも不思議なんです。

それは問題提起の仕方にあるんではないかと。あんたたち、自由、自由と 言っとるけど、勝手な振る舞いをしておるのが自由ではありませんよと。国 家権力が必ず、権力が強ければ強いほど、自由を制約しますよと。

新島襄は、函館から脱出したのは、徳川幕府の圧政やったと思うんですよ ね。だから、徳川幕府の圧政に対する、新島先生の自由への憧れ、反発なん ですよ。だから、対決するものが、怪物が何であったのかと。怪物は国家権 力ですよ。これを説明することは大事なんじゃないかと私は思うんです。ち ょっとせんえつな話で怒られるかもしれませんけど、そのように思うんです けど、いかがでしょうか。

井上:ありがとうございました。横井先生、いかがですか。

横井:そのとおりだと思います。今回の新しく作るリーフレットでも、なぜ 新島が脱国したのか、ちょうど出国した頃は、学生と同じ頃の年頃ですの で、そういったところから、説き起こすリーフレットにしたいというふうに 考えております。またお知恵をお貸しいただければと思います。

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井上:他にいかがですか。はい、どうぞ。

E:すいません。午前中の北垣先生から「新島襄のキリスト教」につきまし て、本井先生にもまた後でお尋ねしたいんですけど、絶妙なバランスという ことで、福音主義とリベラリズムのことを、新島襄のキリスト教を語るとき に一番目に挙げられていたのは、なるほどというか、私もそう思いました。

北垣先生も留学のときに、IVFとSCMのグループのお話をされて、どっち かっていうと、IVFの後を入っていったという話がありました。少しまとま りがなくて申し訳ないです。

私もちょっとキリスト教に関わっているもので、その辺で福音主義とリベ ラル、福音主義と自由主義という話の中でも、こう、それを新島襄という人 はいろいろな苦労というか、「天賦」のそういう才能というか、そういうの で絶妙なバランスのあった人だというふうにお聞きしたんですけど、なぜそ ういうことがまた、私自身も思いながら、両立というか、どっちかに傾いて しまうというのを思いました。

ちょっと感想みたいになるんですけど、またその弟子、新島襄の弟子の人 たちも、そのような絶妙なバランスというのは引き継ぐようなことは何か見 られなかったんでしょうか。ちょっと質問にならなくて申し訳ないですけ ど、その絶妙なバランスということにとても引かれたので、すいません。

北垣:ありがとうございます。新島がアンドーヴァー神学校に留学したとき に、やっぱり神学の世界はいろんな問題が渦巻いていたわけですね。ニュー イングランドの神学で、一つのとんでもない問題はリバイバリズムだったと 思います。

リバイバルはニューイングランドに何度も起こりました。新島がアーモス ト大学に留学していた頃にも、アーモストの町でリバイバルが起こったとい うことです。同志社でもリバイバルが起こりましたし、熊本バンドも最初は リバイバルからスタートしているように私は思います。

そうすると、リバイバルは熱狂的に感情に走るわけですから、それでキリ ストの福音に忠実であるか、ということになると、やっぱり一歩下がって、

理性に基づいて、理性的に考えていって、納得できないと駄目だという。

つまり、キリスト教信仰には二面があるわけですね。霊の灯をともす、と

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いうことの重要さと、理性に基づいてものを考えるということの重要さと、

両方の面があります。それ、その辺の事情を新島襄はアンドーヴァー神学 校、あるいは留学中に上手につかんだというふうに私は理解しています。

井上:よろしいか。はい。他にいかがでしょうか。はい、どうぞ。

F:ありがとうございました。私はクリスチャンでもございませんので、ち ょっと基本的なご質問をさせていただきたいと思います。新島襄がこのアメ リカでの体験というのは、いろんなニューイングランドという非常に良質な キリスト環境があって、いろんないい先生方とのお付き合いというのか、そ ういうのもあって、だんだん素晴らしいクリスチャンになっていったんだろ うという理解をしておりますけれど、この受洗というのが、一つのクリスチ ャンの一つの成長段階で、どういう意味というのか、があるのか。受洗した いなと思うのは、これ、どういう気持ちからこう出てくるのか。それで、そ れは言ってみれば何年生ぐらいで、それからまだずっと成長していくわけで しょう? クリスチャンとしてどうなんですか。そこで終わりなんですか。

そんなことないと思うんですね。いろいろ勉強されたり、信仰をもっと深め るということがあろうかと思いますね。

ですから、その受洗という意味がよく分からない。その決意というのか、

ランキングというのか、一つの成長段階における位置というのか、その辺、

ちょっと教えていただきたい。

井上:本井先生、いかがですか。あるいは北垣先生、後ほどまた。

本井:一つのスタートですね。完成ではもちろんなくて、これから一生、ク リスチャンでいたいなという思いを公的に発現して、みんなから認めてもら って、公認の信徒になると。そうじゃないと、自分の思い込みで済む場合が ありますからね。

教会によっては、役員会で諮問会、諮問されるんですよ。卒論とか、修論 とか、博論の諮問に、昔だったら当たるでしょうね。新島時代は非常に厳し い質問が出て、何回も何回もそれに落ちたという人がいます。今だったら、

牧師、喜んで「ああ、どうぞ、どうぞ」となるのに、前は違いますよ。五 回、六回落ちた人もいるぐらいね。

だから、公に認めるという。そこが一つはポイントなんです。それを超え

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たら完成かっていうと、そこから始まる。そういうことだろうと私は思いま すね。

北垣:ご質問はまともであり、大変いい質問だったと私は思っています。と いうのは、受洗は、古き我に死んで、新しき我に生きるっていうことなんで す。教会の教えるところによれば。つまり、古い我を殺す儀式なんです。

現に、バプテスト派の方々の洗礼を見ますと、受洗の志願者は教会の中の プール、僕の目にはお風呂と違うかという気がしますけれど、そのプールに 牧師と共に入るわけです。受洗をする人は、白いガウンを着ています。牧師 は黒いガウンが普通です。そして「神と、キリストと、精霊の名によって、

我、汝に洗礼を施す」という牧師の宣言と共に、頭を押さえつけて、水の中 にどんと漬けるんです。つまり水に漬けるということは、殺すということで す。そして、すぐ頭を水の上に上げて、新しい命に生きるようになるとい う、そういう儀式なんですね。

だから、同志社なんかが踏んでいる伝統では、水をちょろちょろと頭の上 にかけるだけですけれど、それも元を正せば、古い自分に死ぬということの 意味なんです。よろしいでしょうか。

それで、洗礼を受けたから、それじゃあ、もう永遠にクリスチャンである か、ということになりますけれども、それですぐに教会から去っていく人、

あるいは教会に来なくなる人、キリスト教に興味を失う人、いっぱいいま す。本当にたくさんいます。でも、時々ですが、思い直して、自分は洗礼を 受けたということを思い出して、教会に来る人もいます。

内村鑑三の例を挙げますと、彼は嫌々ながら、先輩たちによって、例のイ エスを信じる者の盟約にサインさせられたんです。無理やりにサインさせら れたんです。そして、ハリスという函館の宣教師から洗礼を受けています。

でも、内村は、洗礼を受けても、本当の意味で救われている気はしなかった わけですね。

それで、アーモスト大学に留学したときに、シーリー学長から「君は何か 種を植えて、その植物に水をやって、どれぐらい成長したかを毎日引き上げ て見ているようなものだ。それでは植物は育たないよ」ということを言われ たわけですね。それで、はっとして、やっぱり自分の中に信仰の種をまかれ

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ている以上は、それが成長するのを待つ必要もあるんだということを感じ て、内村の改心はアーモスト大学時代に、それが二度目の改心であるという ふうにいわれています。

そのようにして、やっぱり人生長いですから、教会生活をして、福音の真 理から外れないようにしながら、本当は死んでいくのがクリスチャンとして 理想だろうと思いますけれど、そうなるとは限りません。

F:何となく分かりましたけど。取りあえず、私、新島の前でも何とか知識 としてクリスチャンが、キリスト教がいいなというようなことを思って。で すから、高校時代というんですか、あれぐらいで受洗をしたというようなこ と。それから、いろんな人との触れ合いがあって、だんだん本物のクリスチ ャンになっていくんではないかなと。

それでも私は最後の最後まで、聖書の物語を本当に信じたのかどうか、と いうこと、今でも疑問ですね。それで、信じられないことがたくさん、聖書 の中には書いてありますね。それを全部、信じているのがクリスチャンなん ですか。それとも、一つの聖句というのか、それに非常に感激をして、これ に賛成だからあれだと。総合的にはちょっと、ちょっと疑問のこともあるん だというような気もするんですけど、その辺はいかがですか。

北垣:難しい問題です。やっぱり自分が罪人であるということ、そういう意 識を持って、その罪から逃れるためにはどうしたらいいか、ということを考 えて、そして、上を向いて歩こうということでしょうね。イエスというナザ レの人が神の子として十字架に付けられて死んだのは、そういう人間の罪を 帳消しにするためである、ということを信じて、信じ込んでしまう。それが クリスチャンだろうと思い、私は想像しています。

井上:ありがとうございました。本井先生、どうですか。いいですか。横井 先生、ああいう質問に対して、先生はどうお答えになります?

横井:私も一応、信徒の一人ですが、私自身は同志社で教育をするというこ とが一つの、何て言うんでしょうか、一つの使命かなという思いもあります が。聖書の物語は、当時はまだ科学のレベルとかそういったものが発展して いなかったりしているので、当時の人にはそう見えたとか、そういうことも あるんじゃないかなというふうに思います。信じているつもりですけど、ど

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うでしょうか。

井上:他にいかがでしょうか。もうあと二人ぐらい。はい、どうぞ。

G:今、洗礼を受けているか、受けていないかがクリスチャンであるかどう かという目印になっているというお話ですけれども、キリスト教の中には洗 礼式をしない、いわゆるクエーカー、フレンド派という教派があります。フ レンド派というのは、洗礼を授ける人がいないから、洗礼を受けてないか ら、授けてくれた牧師とかその教派に属しなくてもいいわけです。

それで、昭和天皇が自分の今の天皇の家庭教師にしたヴァイニング夫人と いうのは、まさしくクエーカーの信者だったのです。だから、その家庭教師 を通して、どこかのキリスト教の教派に天皇家が属する、ということがなか ったけれども、いわゆる天皇家の中にはインターネットで調べると、いつか ら天皇家はキリスト教になったか、というのが出てくるくらい、キリスト教 に。美智子皇后ですか、あの方は事実、神父さんによって、れっきとしたカ トリックの洗礼受けておりますしね。

ですから、私は洗礼を受けるか受けないかというのが、クリスチャンであ るかどうかの目印になるかどうか、ということについては、大変疑問を持っ ております。

井上:ありがとうございました。時間の関係で、もうお一人だけ、いかがで しょう。ちょっと待って。他に新しい方、おられませんか。ありませんか。

女の方、いかがですか。

H:申し訳ありません。私も北垣先生のお話をずっと伺っておりまして、こ ちらの、若いときは学生時代にクリスチャンスクールで学びまして、それか らはいろんな人生経験とか、それから、いろんな書物を読む間に、だんだん 儒教の優しさとキリスト教の原罪という厳しさを、年を取ると何か優しさの 方に引かれていく自分があるんですね。

ですから、新島襄がもう少し長生きをして、80歳超えた頃に、キリスト 教と自分が生まれ育ったときに培ってきた儒教の教えとのバランスをどうい うふうに考えていたのかなと思っています。

北垣先生の最後に、新島の信仰内容についての考察というお話だったと思 いますが、新島がもう少し長生きをしたときに、どういうふうに宗教に対す

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る考察というのが変わってきたのか。そのまんま、貫き通されたのか、とい うことが、この年になると、私には一番の関心事なんですね。

質問になってないと思うんですけど、今、ご指名を受けたんで、ちょっと そんなことを聞いてみたくなったんですけど。

井上:先生方、何か感想、ご意見、ございますか。

北垣:今のご質問に対して「仮定の質問には答えられません」と振って逃げ る道があるんですが、私はそれはしないことにします。

H:でも、北垣先生のさっきのお話の締めくくりで、何か私、とてもどうい う。その後、どういう答えが出てくるのかな、というふうにすごく興味を持 って、そこで終わったもんですから、何かずっとそのことを、ずっと考えて いたもんで、今、ご指名を受けたんで、ちょっとそんなこと言ってしまいま した。

北垣:新島が47歳を前にして亡くなったってことは、新島にとって幸いで あった、という気が私はするんです。

というのは、実は熊本バンドの弟子たちとのコンフリクト、というのは非 常に深刻なものだったんです。

それから、1890年代は同志社がアメリカンボードと真正面から対立して、

決裂した10年間であったわけですね。それに新島は直面せずに終われたわ けですし、小崎と新島の関係がどうであったかは別として、小崎がやっぱり 新島の死の床にはべって、エフェソ書を読んでほしいと言ったら、堂々と第 3章を声を上げて読んだわけですね。そして、また小崎は、新島の葬儀のと きの説教も担当しています。本当は金森がすべきだったんですが、小崎が説 教を担当しています。そういうふうにして、一皮むいてみると、非常なコン フリクトに満ちた同志社であったわけです。

ですから、46歳11カ月かそこらで新島があそこで亡くなったとことは、

新島にとって何と幸いであったかっていうふうにすら私は思います。

井上:ありがとうございました。本日のシンポジウムは「新島襄受洗150 年」でございました。お二人の先生方から問題提起をしていただき、また、

横井先生からも厳しい現実を数字をもって示していただきましたが、いずれ も来年の2月には活字になって、次の新島研究に載るはずでございますの

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で、またそれをご覧になって、この問題を深めていただきたいと思っており ます。

時間が参りましたので、次の個別報告に移りたいと思っております。あり がとうございました。

(2016年8月6日開催/文責:編集委員会)

参照

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