研 究 ノー ト
ドイツ民族主義宗教運動の 「 起源」
‑ヘ ツケルの優生思想 と一元論宗教一
宮 鴫 俊 一
1.は じめに
ドイツ ・ヴァイマール期 は文化的 ・思想的に 百花瞭乱 の時代 とされ 1、そ う した宗教 ・思想 状況 について も多 くの研究の蓄積が存在 してい る2。 とりわけ宗教状 況 に 目を向けるな ら、次 の ような特徴づけをなされることが多 い。まず、
伝統的なキ リス ト教教会 において様 々な動 きが あったことは確かであるにせ よ、全体 としてみ ればかつてに比べ制度的な教会 はその力 を弱め ていた。だが、それは 「宗教」その もの‑の関 心 が低 くなった とい うこ とで はない。む しろ 様 々な宗教運動 ・精神運動がキ リス ト教教会の 外部で盛 んな活動 を見せ、教会外 の運動 として 展 開 してい く。とりわけ民族主義的 (フェルキ ッ シュ) な運動 は、その後様 々な形でナチス政権 へ引 き継がれてい くこととなるが、そ うした潮 流 をやや遡 って捉 え直す ことも必要であろう。
深揮英隆によれば、 ドイツ語圏において民族 主義宗教運動、新 ゲルマ ン主義宗教運動、ある いは新異教主義運動 な どと総称 され る一連 の (思想)運動体が ドイツ語 圏 において輩 出 した のは19世紀の終盤か ら戦前期 にかけてである。
そ して この運動 は、20世紀 とい う時代 に、キ リ ス ト教 圏において非キ リス ト教的な宗教 的社会 統合 を目指 した3。本稿 では、こうした民族主義 的潮流の 「起源」ともされる、エル ンス ト・へ ツ ケル (ErnstHeinrichPhilippAugustHaeckel) を取 りあげてみたい。彼 は、1834年 ドイツのポ ツダムに生 まれ、1919年 にイエーナで没 した著 名 な生物学者 ・動物学者で、専 門領域 は放散虫 やクラゲなどの下等海産動物の形態学 ・分類学 ・
発生学であった。27歳でイエーナ大学の私講師 として採用 された後、31歳か ら75歳 までの間、
同大学の比較解剖学兼動物学の教授 として活動 した4。
イギ リスのダー ウィン進化論 を ドイツにおい ていち早 く受容 し、それを基礎 にして形態学 を 体系化 した 『有機体 の一般形 態学』5を著 し、
ダーウィンやハ クス リーか らもその成果 を認め られた。その後 よ り一般向けの啓蒙書 として『自 然 創 造 史』 6、 『宇 宙 の 謎』7、 『生 命 の 不 可 思 議』8な どの著作 を出 し、いず れ も当時 のベ ス
トセラー となった。
ヘ ツケルはい くつかの業績 において、今 日に おいて もその名 を歴 史 に とどめてい る。彼 は ダーウィンの進化論 に独 自の思想 を加 え 「一元 論 (Monismus)」とい う哲学思想へ と変容 させ、
それ を普及 させ た9。 また、「個体発 生 は系 統 発生 を繰 り返す」 とい うフ レーズで知 られ る
「反復発生説」 を提 唱 した10。 さ らにへ ツケ ル は 「エ コロギー」 という語の提唱者 として も知 られている。彼 は、「家計」 を表す ギ リシア語 の 「オイコス」 に学問を表す 「ロギー」 をつけ て、「エ コロギー」 とい う語 を作 り出 し、それ を生物 (有機体) とそれを取 り囲む外界 との関 係 を扱 う総合 的な学問 として定義 した11。ヘ ツ ケルによれば、当時 ドイツで用 い られていた「ビ オロギー」 とい う語 には、生物一般 を研究す る 学問 としての広義の生物学 とい う使 い方がある 一方で、生物の無機的 ・生物的環境 との関連 を 扱 う狭義の使い方 もあったため、混同による誤 解 を防 ぐため に、狭 義 の ビオ ロギー をエ コロ ギー、あるいはビオノミ‑ と呼ぶ ことを提案 し
た とされる12。
他方で、ヘ ツケルの社会 ダーウィニズム思想 は優生思想 を生むことともなった。そ してその 思想 は、ナチス ドイツの人種主義へ と繋がって い くこととなる。 この意味で、ヘ ツケルの思想 は今 日において批判 的 に捉 え られてい る13。 し か し優生学的思想 をただ批判す るだけでな く、
その思想が生 まれて きた文脈 を明 らかにす る作 業 は不可欠である14。ナチズムの思想 やその行 いが 「悪」 として批判 されることは今 日当然 と されているが、ただそれを 「悪」 として断罪す るだけでな く、そ うした思想 の生 まれて きた源 泉 をた どる必要があるのである。
そこで興味深いのが、ヘ ツケルが晩年に取 り 組 んだ一元論 同盟の運動である。ヘ ツケルは生 物学者 ・動物学者であっただけでな く、宗教家 ・ 思想家 としての顔 も持つ。生物学者 ・動物学者
としてのへ ツケル と哲学者 ・宗教思想家 として の彼 を切 り離 して考 えて しまうと、ヘ ツケルと い う人物の本質 を見誤 ることとなろう。 それ ら が涯然 と結 びついてい る ところに 「ヘ ツケル」
という人物の独 自性 を見 ることがで きるのであ る。 上述のごとく、彼の思想 は一元論 として特 徴づ け られ る ものであ るが、「一元論思想」は 様 々な二元論的対立 を止揚 してい くところにそ の特徴がある。 自然科学 と哲学 ・宗教の対立 も また彼 にとっては止揚すべ きものであった。 こ の一元論 「思想」 はまた同時 に一元論 「宗教」
で もあった。そ してへ ツケルは一元論同盟の運 動 を通 じてキ リス ト教教会 を厳 しく批判 し、一 元論宗教 をそれに代 わるもの として普及 させ よ うとした。世紀末か らワイマール期 にかけて、
既存 のキ リス ト教教会 はその力 を失い、それに 代 わ り教会外で様 々な宗教運動が展 開 したこと は既 に指摘 したが
1 5
、へ ツケルの一元論運動 も そ うした宗教運動のひとつ として捉 えることが で きるのである。本稿 では、まずへ ツケルの優生思想の内容 を、
次に一元論思想 を紹介 し、 さらに彼の一元論運 動 を当時の ドイツにおける宗教状況の中で考 え てい きたい。
2 .
へ ツケルの優生思想まずへ ツケルの優 生思想 の内容 を見 てい こ う。上述 した通 り、ヘ ツケルはダーウィン進化 論、お よび社会 ダーウィニズムの啓蒙的書物 を 数多 く著 し、その多 くは当時の ドイツにおいて 人口に謄泉 していた。例 えばへ ツケルの啓蒙的 一元論哲学の書である 『宇宙の謎』 は、当時40 万部の売れ行 きを見せ、30を超 える言語 に翻訳
された とい う。 こうしたへ ツケルの著作の中か ら優生主義的な記述 を取 りあげてい こう16。
第‑ に、人種差別主義である17。ヘ ツケルは
『自然創造史』 のなかで、人種 を区別す るメル クマール として、頭髪の形状、肌の色、頭蓋骨 の形状 を提案 し、実際に頭髪の形状か ら現存人 種 を12種 類18に分 け て い る (NS738‑53)。そ してその中で、最 も進化 し、サルか ら最 も離れ た人種が、地中海人種 の中のイン ドゲルマ ン亜 属、つ ま りヨーロッパ系 の白色人種であると考 えた。進化論 に依拠 していたヘ ツケルにとって、
人種 間に生命の価値の相違があることは当然で あった。では、何が価値の差 を生み出すのか。
それは、「文化」であ り、 またそれ を生 じさせ るための高度 に発達 した 「理性」である (LW 449‑50.)。
第二 に新生児の選別である。ヘ ツケルは、人 為選択 (人工淘汰)の好例 として、古代スパル タ人の子殺 しのエ ピソー ドを挙 げている。人為 淘汰 とは、自然淘汰の対語である。つ ま り、ダー ウィンよれば、種 は自然環境‑の適応 における 生存競争の結果、最適者が残 ることによって進 化 して きた。 こうした 自然が選択す る仕組みに 対 して、人間が選択 を施すのが 「人為選択」で あって、家畜や栽培植物の品種改良で威力が発 揮 されて きた。 これを人間にも適用 しようと言 うのである
。
「人間の人為選択 のす ぼ らしい例 を古代スパルタ人たちが大規模 に提供 して くれ る。 古代スパルタ人たちは、ある特別 な法 に基 づ き、生 まれたばか りの嬰児 を注意深 く点検 し て選別 しなければな らなかった。病弱な子 ども や何 らかの身体的欠陥を持 った子供 は皆、殺 された。完全 に健康で力強い子 どもたちだけが生 き残 ることを許 され、彼 らだけが後 に子孫 を残 せたのである。それによって、スパルタ人種 は、
常 に卓越 した身体の力 と能力 を保 っていただけ でな く、世代 を経 るにつれて身体的な完全性 を 強めていった。スパルタの人々が まれに見 るよ うな男性 的力 と英雄 的力 強 さを持 っていたの は、確かに大部分が この人為 的選択のおかげな のである」(NS152‑3)。
さらに、 この ような人種改良的な言説 に向け られた非難 に対 して、以下の ように述べている。
「毎年生 まれ る数千 の不具者、聾唖者、 ク レチ ン病者 (白痴)、その他不治の遺伝 的素質 を負 っ た者たちが人為的に命 を長 らえ、成長 した とし て も、そこか ら人類 はどの ような利益 を得 るの だろうか。それに、 これ らの同情すべ き人々自 身 も、その生活か らどの ような利益 を得 るのだ ろうか。彼 ら自身及びその家族 にも惨 めな生涯 をもた らさざるをえない ような、 この不可避の 不幸 をその始めか ら即座 に断ち切 ることは、 は るか に理性 的で望 ま しい もので はないだ ろ う か」(LW 135‑6)。
第三 に、犯罪者の死刑確定である。 ヘ ツケル の考 えた 「文化 的生活」における人為選択の 「好 ましい影響例」 として興味深いのは、 この死刑 である
。
「確 か に、今 日なお、死刑廃止 は多 く の人々にとって 『自由主義的処置』 だ として賞 賛 され、誤 った 『ヒューマニズム』 とい う名 に おいて一連の きわめて馬鹿 らしい理由が通用 し ている。 しかるに死刑 は、数多 くの矯正不能な 犯罪者や無能者 に対す る正当な報復であるばか りか、人類 の よ り善良 な部分 をなす者 た ち に とっては大 きな善行 になることは真実である。これは、 よ く耕 された庭 で植物が繁茂す るよう 生 い茂 った雑草 を根絶 す る とい う行為 と同 じ く、 よい行いである。 念入 りに雑草 を抜 き去れ ば、光 と空気 と土地が高貴 な有益植物の もの と なるように、すべての矯正不能な犯罪者 を容赦 な く根絶や しにす ることによって、人類 の より よい部分 に属す る人 々に とっては 『生存 闘争』
がかな り軽減 されるだろうし、そればか りか、
この人為 的な選択 によって、多 くの利益が もた らされることになるであろう。 なぜ な らば、そ れによって、退化 した人間の くずか ら、遺伝 に よってその悪い性質が伝 えられる可能性が奪 わ れることになるか らである」(NS154‑5)0
第四に、精神病や不治の病人の安楽死である。
19世紀の科学の進歩 によ り、人間の個人的かつ 社会的生活が合理的に改善 されて きた反面で、
社会生活 における神経の消耗 と身体の過労など が招 く文 明病 (Kulturkrankheiten)が増加 し た とへ ツケルは言 う。 この場合の文明病 とは精 神 の病である
。
「特 に、神経衰弱 と他 の神経 の 病気が毎年多 くの犠牲者 を出 している。精神病 の数 と規模 は毎年増加拡大す る。 疲れ切 った文 化人が悪疾か ら逃れて癒 され ようとす る療養所 が至 る所 に設立 されている。 これ らの悪疾の多 くは治癒の見込みのない もので、多 くの患者が 言語 に絶す る苦痛の もとで確実な死 を待つばか りである。 このような哀れな人たちの甚だ多数 が、悪疾か らの救済 を切望 してお り、苦痛 に満 ちた生命の終わることを望んでいる。 ここにお いて、われわれが同情ある人間 として、彼 らの 願いを叶え、痛みのない死 によって彼 らの苦痛 を短縮す ることが正当か どうか とい う重要な問 題が生 じるのである」(LW130‑1)0また不 治 の病 人 も含 めて以下 の ように述べ る
。
「数十万 の治癒す ることない患者、特 に精 神病者、 ライ病患者、がん患者 などは、われわ れの現代 の文明国にあって、人工的に生命 を維 持 され、絶 え間ない苦痛 を入念 に延長 されるが、それは自己 自身にとって も社会全体 にとって も なん ら有益 で はない」。 さ らに、治癒 の見込み のない精神病者 には一種 のモルヒネによって安 楽死 をもた らすべ きだと述べ るが、ただ し 「こ の同情的かつ理性的行為 はただ一人の医師の裁 量 に任せ て秘密裏 に行 われて はな らないので あって、信頼 に足 る良心的な医師たちの委員会 の決定 によってなされな くてはな らない」 とし ている。同様 にがんのような苦痛 を伴 う不治の 疾病の場合 は 「患者 自身がはっきりと自らの希 望 によることを示 し、場合 によっては希望 を法
律的な書類 に記録 した後 に、宣誓 した委員会の 手 によって」、無痛 の即効性 の毒薬 に よって安 楽死 させ るべ きであると述べている (ibid.)。
第五 に自殺の肯定である。 これは第四の安楽 死 と共通す る考 え方である。ヘ ツケルによれば、
自殺 は特 に宗教 的な理由か ら重大 な罪悪 とされ ているが、そ もそ も人間の生命 は 「神 よ りの賜 り物」な どではな く、卵細胞 と精子細胞の偶然 の出会いによって生 じた ものであ り、 この よう な偶然の結果生 まれた人が もし苦渋の人生 を余 儀 な くされた とした ら「人は任意の死 によって、
その ような苦痛 を終結 させ る権利 を有す る」の は当然 だ とされてい る (LW 124‑5)。後述す るようにへ ツケルはキ リス ト教思想 に対決す る 姿勢 を見せ るが、キ リス ト教 の教義か ら解放 さ れた個人は、 自分の身を自分の意志でいかに し て もよい とす る一方で、それはまたキ リス ト教 倫理において も 「救済」 として尊ばれるもので あるとす る。 従 って、 自己の決定 による故意の 死である自殺 とは「自己救済の一行為」であ り、
同情 に値す るものであって、軽蔑 されてはな ら ない行為 であるとへ ツケルは述べ る。
以上の5つの特徴 を踏 まえ、佐藤 はへ ツケル の優生思想 の共通項 として、1. ダー ウィンの 自然選択説 に基づ いた生存競争 の肯定、2.近 代文明の弊害 としての平等 と博愛の思想、そ し て 3.医学の発達が もた らした逆淘汰への批判 という3点 を挙 げているが、 ここでは第1の項 目について取 りあげてお きたい。
ヘ ツケルの優 生学 的言説 の根底 にあ るの は ダーウィンの 自然選択説であるが、 これは 「環 境の変化 に対 して生物の種が どの ように適応す るかの説明であって、それによれば新 しい環境 に最 もよ く適応 した個体が生 き残 って繁殖する 一方で、適応度の劣 る個体 は除去 され、 これが 何世代 にもわたって繰 り返 されると適応形質が 増大 して個体群 は新 しい種 になる
」
19とい う も のである。そ して 「ダーウィンの 自然選択が本 質的にランダムで無方向なものであ り、進化 は 無 目的的で全 く予言不可能な過程 とされる」の に対 し、へ ツケルの「生存闘争 による適者生存」
のルールはこれ とは大 きく異 なっている。つ ま り、ヘ ツケルの考 えでは、 自然界のあ らゆる生 物 の進化 の段 階の最先端 にい るの は人類 であ り、 ここに人類至上主義 に裏打 ちされた 目的論 的世界観が現れ出ている。それだけではな く、
同 じ人類であって も、そのなかには進化の遅れ た劣等 な人種 もあ り、そ うした人種 は生存 闘争 によって淘汰 される宿命 にある。 結果 として優 秀 な人種 のみが生 き残 り、 さらに進化の段 階を 進む。それはさらに、同 じ優秀人種 の中に存在 する劣等 な個人にも当てはまることになる。 こ こでの劣等の基準 は身体的な脆弱 さ、精神的能 力の遅れを意味 し、特 に脳 の発達度 を示す 「理 性」の段階を 「生命の価値」の段階 と連動 させ て考 えている、 よって理性の発達段階の遅れて いる人間は、生存闘争 によって 自然淘汰 されて い くもの とい う暗黙の前提があ り、それゆえに
「野蛮人」や犯罪者や精神 病者‑ の冷徹 な まな ざしが生 じることになるのである20。
3.へ ツケル と一元論思想
ここまで佐藤の論敦 に依拠 しつつ、ヘ ツケル の優生思想の内容 についてまとめて きた。そ こ ではヘ ツケルが ダーウィンの進化論 を吸収 しな が らも、独 自の社会 ダーウィニズム論‑ と変容 させ ていた こ とが明 らか となった。社 会 ダー ウイニス トとしては英米系の思想家たちが有名 であるが、 ドイツにもその太い流れが存在 して お り、へ ツケルは ドイツにおける進化論啓蒙の 最大の功労者である。ただ し、ヘ ツケルの進化 論解釈 は独特の ものであった。ガスマ ンはヘ ツ ケルのダーウィニズムをヘ ツケル主義 として定 式化 しているが、それを特徴付 けるのがへ ツケ ルの一元論思 想である。次にこの一元論思想 に ついて見 てい きたい。
へ ツケルの一元論思想 はヘ ツケルのキリス ト 教批判 と深 く結びついている。彼 はキリス ト教
に代表 される二元論 を徹底的に批判 し、 自然科 学 に立脚 した一元論 によってそれを打ち破 ろう とした。哲学的な一元論 とは、「世界 に真 に実
在す るものはただ一つの ものである」 とい う立 場の考 え方であ り、西洋哲学史 においてはパル メニデスを晴夫 として、プロティノス、ベ‑メ、
ブルーノ、ホ ップス、ス ピノザ、 シェリング ら に継承 されていった。それでは、へ ツケルの一 元論 における「真 なる実在」とは何であろうか。
へ ツケルは一元論 を以下 の ように説 明 してい る
。
「われわれの一元論 は、全 自然 を統一的に 理解 しようとす る ものであ る。 (中略)われわ れは、すべての ものには精神が住 まい、認識で きるすべ ての世界 は、あ る共通 の基本原則 に 従 って存在 し、かつ進化 しているのだ と確信 し ている。そこで特 に強調 したいのは、無機界 と 有機界 は根本的に単一の ものであ り、有機界 は 無機界か ら進化 して きた とい うことだ。無機界 と有機界 にはほとん ど明確 な差がないの と同様 に、植物界 と動物界、 さらに動物界 と人間界の 間 に も絶対 的 な差異 はないので あ る」 (MB 9‑10)0
こうした発言か らわか ることは、ヘ ツケルの 一元論 における 「異 なる実在」 とは、無機界 と 有機界の区別 な く普遍的な法則 によって統一 さ れている自然 (宇宙)であ り、その普遍的な法 則、あるいは宇宙その ものがへ ツケルの考 える 神、あるいは霊魂である21。
ヘ ツケルはこの科学 に基づ く純粋 な統一的世 界観 を核 にして、キ リス ト教 に代 わって其 ・善 ・ 美 を追求す る 「一元論宗教」22、お よび利 己性
と利他性のバ ランスをとろうとす る本能に従 っ た 「一元論倫理学」 を打 ち立て、それを学校教 育 を通 じて普及 させ、調和 的で理想 的な文化社 会 を樹立す ることを主張 した。 こうした思想 は 19世紀末の 自然科学主義のひとつ と考 えること がで きる。 自然科学主義 とは、「人 間のふ るま いやその社会 までを含 む一切 の現象 を非擬人主 義的、否超 自然主義的、非 目的論的、 自然科学 的に統一的に解釈 しようとす る哲学的傾向のこ と」であ り、「具体 的 には、唯物論、一元論、
自然主義、実証主義、 自由思想、不可知論、合 理主義な どとよばれた ものの基本 に共通 して流 れる哲学的傾 向」であ り、「それ までのキ リス
ト教 的世界解釈 に対 す る一群 の経験論 的な代 案」23なのであ る。そ して この19世 紀 的 自然科 学主義のなかで も、 とりわけ優生学は 「超越論 的な世界解釈か ら離脱 し、その上で新興の自然 科学 によって人間が 自らその運命 を改良 しよう
とす る意図 を強 く持 っていた とい う意味で」、
「キ リス ト教 的救 済 史観 の世俗 化」で もあ っ た24。
なお、ホル トによれば、ヘ ツケルの一元論宗 教 には4つ の段 階がある とい う25。 第1の段 階 は、1860年代か ら1877年 にかけて、ヘ ツケルが ダーウィニズムの普及家 として 自らを確立 して いった時期である。 その時代 には一元論 につい ては直接の言及 はな く、あって も散発的であ り、
それは機械論、あるいはス ピノザやブルーノの 見解 に依拠 した汎神論、 さらに 「自然宗教」 と して描 き出されていた。第2段階は1878年か ら 1890年 にかけてである。 この段階ではへ ツケル が 自らの体系 に物活論 を導入 した こ とに よっ て、一元論の汎神論的性格が拡大 した。ヘ ツケ ルは観念論 と唯物論、精神 と物質 を統合す る、
新 たな 「非思弁的」 自然哲学 としての一元論 を 展 開 した。第3段 階は1890年か ら1904年 にかけ てであ り、一元論 は科学 と宗教 をつな ぐもの と して定義 された。 『宇宙 の謎』 では、あ らゆる 神性の代替物 として、実体の一元論的法則が導 入 された。最後の段階は、へ ツケルが1904年か らヘ ツケルの死、す なわち1919年 まであ り、一 元論 において神への言及が再 び増加 し、新たに 一元論宗教が形成 された。晩年 において、唯物 論、機械論、物活論、観念論、 さらには生気論 を混合 した一元論宗教が形成 されたのである。
4.へ ツケルの一元論同盟運動
最後 に一元論同盟の動 きを見てお きたい。一 元論同盟の成立 は1906年のことであるが、へ ツ ケルが一元論普 及のための組織 を思いついたの はもう少 し早 く、その2年前 にローマで開催 さ れた 「国際 自由思想会議」の席上でヘ ツケルは
「一元論のための30ヵ条」 とい う構想 を明 らか
に していた と言 う。 その後 も、へ ツケルは組織 設立のイニシアティブを握 ってお り、同盟の設 立集会 はイエーナ大学の動物学教室で開かれ、
また本部 もそ こに置かれた。ただ し、ヘ ツケル は70歳 を過 ぎた高齢 のために会長 には就かず、
代 わってブ レーメ ンのプロテス タン ト牧師カル トホフが会長 とな り、その後会長職は頻繁 に交 代 した。
この一元論伺 盟 に対 しては、その後 のナチズ ム‑ と連なる神秘的、秘密結社的なオカル ト的 団体 とい う見方が されてい る26。 既 に指摘 した とお り、へ ツケルの主張の中には人種 の優劣や 霊魂の偏在 といった もの も含 まれてお り、 また 安楽死 を含 む人間の選別 な どに対 して も肯定的 な発言 をしている。
だがその ようなへ ツケル 自身の思想 だけでな く、その活動の参加者 にも注 目す る必要がある だろう。 一元論 同盟創 立参加者 には27、優 生学 者 ヴイルヘルム ・シャルマイヤー、 フェルキ ッ
シュ運動28団体 フリー ドリヒスハ ‑ゲ ン ・サー クルに属す るブルーノ・ヴイレとヴイルヘルム・
ベルシェ、雑誌 『ユーゲ ン ト』 の編集者ゲオル ク ・ヒル ト、青年運動 につながるヴイルヘルム ・ シュバーナー、やは り青年運動のルー トヴイッ ヒ ・グル リッ トらが名 を連ねている。 またへ ツ ケルの影響 を受けた者 として、優生学のルー ト ヴイッヒ ・ヴオル トマ ンもいる。 こうしたメン バーを見 るな ら、確 かにそ うした分析 も可能 と
なる。
さらには、 この一元論 同盟 には 『世界舞台』
紙の編集長であ り、急進民主主義者であったオ シエ ツキ、戦闘的女性解放論者へ レ‑ネ ・シュ テ ッカー、 さらに神智学か ら人智学 を創 出 した ル ドルフ ・シュタイナー らも参加 してい る29。
この ように見て くると、 この一元論同盟 は当 時の諸 々の宗教的運動の 「吹 き溜 ま り」的集団 であった。 もちろん、そ うした雑多 な人々の共 通項 を探 ってい くことはで きる。そのひとつは、
上述の 自然科学主義である。 すなわち、 自然科 学的、あるいは生物学的 ・進化論的な認識 をメ ンバーの多 くが共有 していた30。 そ してその結
采 として、一元論同盟がキリス ト教勢力 との闘 い とい うへ ツケルの意志 を継承 した反キリス ト 教運動団体であ り、国民 を教会か ら離脱 させ る
ことを中心的な行動 目標の一つ としていた とい う見方 もまた成立す るのである31。いずれ に し て も、一元論同盟の運動 はキl)ス ト教教会が力 を失 った中でのいわば宗教的空白状態 において 発生 した様 々な運動のいわば台風 の 目としての 役割 を果た していた。
だがそ うした雑多性の中にあって もへ ツケル は一元論 をより 「宗教」 らしく整 えようとして いた。例 えば、へ ツケルは太陽崇拝 を唱え、 ま たギ リシア神話の ミューズや天文学 を司 るウラ ニアを祭壇 に立て、さらに女神 の周囲に顕微鏡、
望遠鏡、プラネ タリウムな ど科学研 究器 具 を 祭 った神殿 を構想 している。そ して一元論典礼 を制定 し、洗礼、成人式、結婚式、葬儀 などを それに従 って行い、そのための一元論祭司 を任 命す る とい うことを主張 した32。 こうしたへ ツ ケルの主張 は参加者 た ちに論争 を巻 き起 こ し た。上述の構想 は結局実現 しなかった ものの、
冬至 と夏至 には田園に出かけ、 自然の再生 を祝 う祝祭が行われ、参加者たちは次の ような祈祷 を唱和 した。「われ らはお よそ太陽の子 な り。
その胎内 より地球 は生 まれいでた り。 自然の永 遠 なる法 は、われ らをしてその圏内にとどまら
しむ。広大無辺の宇宙は冷徹 にして無明な り。 わが輝 ける母 なる太陽は、われ らに実 りを与 え つつ、純然 にて真実の生命の元素 とて顕現せ り。
か くてわれ らが祖先 は、 これを知 りたるがため に、太陽が天かけるその勝利の軌道 を歩みたる を知 りて欣喜 した り。厳冬 の間、深 く閉ざされ し木々の緑 は今、ヴォーグンの神 に奉献 された りと知 りしため な り」33。 竹 中亨 は この ヴ ォー グンがゲルマ ン神話の主神 であ り、 またこの祭 儀が古ゲルマ ンの習俗 にな らっていることに注 目し、そこに一元論宗 教 のゲルマ ン異教化 とい う動 きを兄いだ している34。
5.結語
本稿 で確 認 して きた とお り、 ヘ ツケ ル の優 生 思想 は19世 紀 末 の 「自然 科 学 主 義 」 的 思想 潮 流 の 中 に禅 さす もの で あ り、 ダー ウ ィ ン進 化 論 を 摂 取 ・変 容 させ る こ とで生 まれ た社 会 ダー ウ ィ ニ ズ ム思 想 の ひ とつ と捉 え る こ とが で きる。 ま たへ ツケ ル の思想 が 一 元 論 思想 と して ま とめ ら れ て い く中 で、科 学 と宗教 が融 合 して い くこ と とな った。キ リス ト教 を厳 し く批 判 しなが ら も、
一 元 論 同盟 とい う宗 教 運 動 へ と結 実 して い った の で あ る。19世 紀 末 か ら20世 紀 にか け て キ リス ト教 教 会 が そ の力 を弱 め て い ったが 、他 方 「宗 教 的 な る もの」 を希 求 す る人 々が教 会 外 で様 々 な宗 教 運 動 を起 こ して い った。 ヘ ツケ ル に よ り 生 まれ た一 元 論 同盟 は ま さに こ う した運 動 の一 つ で もあ り、 当時 の様 々 な宗 教 運 動 の潮 流 が こ の運 動 に「吹 き溜 まって」い た と言 え る。 だが 、 そ の宗 教 運 動 はゲ ルマ ン異教 的色彩 を帯 び、科 学 と宗 教 が 融 合 す る中 か ら生 まjtた優 生 思 想 と 結 びつ く形 で ナチ ズ ム‑ と吸 収 され て い った の で あ る。
*本稿 は医学 哲 学 ・倫 理 学会 関東 支 部 第190回総 合部会例会 (2010年5月8日、於 芝浦工業大学 豊 洲校 舎) の発 表 草稿 (『医学 哲 学 と倫 理』 第8号
〔2011年3月発 行 予 定〕 に掲 載) に大 幅 な加 筆 修 正 を行 った ものであ る。
注
1例 えばゲイ、 ピー ター (亀 島庸 一訳)『ワイマー ル文化』 みすず書房、1970年 を参照。
2 と りあ えず ここで は、生松 敬 三 『二 十世紀思想 渉猟』青土社、1981年、お よび上 山安敏 『神話 と 科学‑ ヨー ロ ッパ知識社 会 世紀 末〜20世紀』 岩 波書店、2001年 を挙 げてお く。
3深揮英 隆 『啓蒙 と霊性 近代 宗教 言説 の生成 と 変容』 岩波書店、2006年、240頁。
4 へ ツケ ル の 生 涯 につ い て は、KrauL3e, Erika,
ErnstHaeckel.2.Aufl.,TeubnerVerlag,1987が詳 しい。
5Haeckel,GenerelleMorPhologiederOrganis‑ men.Allgemeine Grundzdge der organischen
Formenu)issenschajt, mechanische begriindet durch die yon Chares Daru)in reformirte Descendenztheorie.2Bde"GeorgReimarVerlag,
1866.なお 同書 か らの引用 はGMの略号 を用 いて 記す。
6 Haeckel,Natii'rlicheSch励 ngsgeschichte.Ge‑ meinverstdndliche wissenschajuiche Vortrdge tiberdieEntwicklungslehreim allgemeinenund diejem'geDonDaru)in,GoetheundLamarckim besonderen.GeorgReimarVerlag,Berlin1868.* 稿 作 成 に は1909年 版 (ll.Åun) を用 い た。 同書 か らの引用 はNSの略号 を用 いて記す。
7Haeckel,DieWeltrdtshel.Gemeinverstdndliche Studien tiber monistische Philosophie.Alfred
K6rnerVerlag,1899.(田辺振太郎 ・山口潜訳 『宇 宙の謎』河 出書房新社、1961年、世界大 思想全 集 社 会 ・宗教 ・科学思想編所収。)
8Haeckel,DieLebensu)under.Gemeim'erstdnd‑
liche Studien tiber biologische PhilosoPhie. Ergdnzungsband zu dem Buche tiber die Weltrdtsel.AlfredK6rnerVerlag,1904.(後藤格 次訳 『生命 の不可思議』岩波文庫 上下巻、1928年。)
9Haeckel,DerMonismusalsBandzwischenRe‑ ligion und Wissenschajt. Glaubensbekenntnis einesNaturforschersvorgetragenam9.Oktober 1892inAltenburgbeim 75jdhrigenJubildum der NaturjTorschenden Gesellschaftdes Osterlandes. E.StraussVerlag,1892(AlfredK6merVerlag,
1908).本稿作成 には1908年版 を用 いた。 同書 か ら の引用 はMBの略号 を用 いて記す。
10「反復 発 生 説」 につ い て は、柴 山英樹 「ドイ ツ にお けるダー ウィニズ ム と教 育思想‑ エ ル ンス ト ・へ ツケ ルの反復 発 生 説 を中心 に‑
」
『教 育 学雑誌』 第39号、2004年105‑18頁 を参照。11佐藤恵子 「エ コロジーの誕生‑ 背景 と しての E・ヘ ツケルの学融合 的な思想
」
『東海大学文 明研 究所 紀 要』 第21号、2001年、57‑71頁、お よび拙 稿 「エ コロジー」
『生命倫理事典』太 陽出版、2010 年、128‑9頁 を参照。12GM18,LW 88。佐藤前掲論文61頁。
13へ ツケルの思想 とナチズ ム との結 びつ きを強調 した研 究 として、Gasman,Daniel,TheScientific OriginsofNationalSocialism.SocialDarwinism inErnstHaeckelandtheGermanMonistLeague,
Transaction Publischers,2007 (Originally pub‑
lished in 1971 by Macdonald and American EIsevier).
14ドイ ツの優 生学史 の研 究動 向 につ いて は、鈴木 幸次 ・松 原洋子 ・坂 野徹 「展 望 優 生学 史研 究 の 動 向 (Ⅱ)
」
『科学 史研 究』第 Ⅱ期 第31巻 (No.182) 1992年、65‑70頁 を参照 の こと。また、米本 昌平 ・松 原洋子 ・横 島次郎 ・市 野川 容孝 『優 生学 と人 間 社 会 生命科 学 の世紀 は どこ‑ 向か うのか』 講 談 社、2000年 も参 照 。
15当時 の キ リス ト教教 会 の状 況 につ い て は野 田宣 雄 『教 養市民層 か らナチ ズ ム‑‑ 比 較宗 教社 会 史 の こころみ』 名古屋 大 学 出版会、1988年参 照。
また、 キ リス ト教 教会外 の様 々 な宗教 運動 につ い て は深揮 英 隆前 掲 書、185‑205頁 を参 照 の こ と。
なお、 同書 で も引用 されてい る 『偽装 宗教』は1924 年 に ドイ ツで 出版 され、 同時代 の 「宗教 的流 行 現 象 」 を皮 肉的 に措写 した書 物 だが、 そ こで言 及 さ れ てい る活動 を列挙 す る と、世界観 哲 学 (カイザ ー リ ング伯 、 シ ュペ ング ラー な ど)、 同性 愛 運 動 、 性 格 学 ・筆 跡 学、 数 秘 術 や 数 々 の 占 い、 『シ ェ イ クス ピア はベ ー コ ンで あ る』 運 動 、菜 食 主 義 と自 然 回帰 、 『フ ァウス ト』釈 義、 ドイ ツ偉 人 崇 拝、
反ユ ダヤ ・反 フ リー メー ソ ン主 義、 ゲ ルマ ン人種 主義、 フ ァシズ ム、 コ ミュニ ズ ム、表 現 主 義、青 年運動 、平和 運動、未 来 テ クノ ロ ジー信 仰 、 セ ク ソロジー、女性解放 運 動、精神 分析 とセ ラ ピー、
ス ピ リチ ュア リズ ム、予 言 、ノス トラダムス解釈 、 シュ タイナー の人智 学 、エ スペ ラ ン ト運動 、 リズ ム体 操 な ど、 まさに百花 瞭 乱 ぶ りを示 して い る。
Bry,CarlC.Verkabl)teReligion,(3.Aufl.),Leo‑ poldKlotzVerlag.1925、深揮 前掲 書189頁。
16佐藤 恵子 はへ ツケ ルの優 生 学 的 な言説 を 「人種 差 別 主 義」「新 生 児 の選 別」「犯 罪 者 の死 刑 肯 定」
「精神 病者 や不 治 の病 人 の安 楽 死
」
「自殺 肯 定」 と い う5つ の観 点か らま とめ てい るが、本稿 の既 述 もそ れ に よってい る。佐 藤 恵子 「ヘ ツケ ル の優 生 思想」
『東 海大学紀 要 開発 工 学部』第10号、2001 年、 1‑12頁 を参照 。17ヨー ロ ッパ の人種 主 義 の歴 史 にお け るへ ツケ ル の位 置づ け につ い て は、Mosse,GeorgeL.Die GeschichtedesRassismus in EuroPa,Fischer Verlag,1996,S.109‑ll.
18パ プア人種 、ホ ッテ ン トッ ト人種 、ニ グ ロ人種 、 カ フ ィル人種 、 マ レー シア人種 、 モ ンゴル人種 、 北極 人種 、 アメ リカ先 住 人種 、 オー ス トラ リア人 種 、 ドラヴ イダ人種 、 ヌ ビア人種 、 地 中海人種 。
19佐藤 前掲論 文、 8頁。 20同上、 8‑9頁。
21米本 昌平 『遺伝 子 管 理社 会』1989年、 弘 文 堂、
52‑3頁、 お よび佐 藤 恵子「DerDeutscheMonis‑ tenbundunddieKirchenaustrittsbewegung‑
ドイ ツ一 元 論 同盟 と教 会 離 脱 運 動
」
『津 田塾 大 学紀 要』 第31号、1999年、291‑309頁、特 に294頁 を参 照 。
22へ ツケ ルの一元論宗教 につ いて は、Holt,Niles R"ErnstHaeckersmonisticreligion.,in:Journal oftheHistoryofideas,1971Apr‑Jun:32(2):p.265
‑80を参 照。
23米本前 掲書、44頁。
24同上、46頁 。
25Holt,op.°it.,p.267‑8.
26こ う した見 方 を示 した文 献 と して横 山茂 雄 『聖 別 された 肉体 オ カル ト人種 論 とナチ ズ ム』 書 韓 風 の菩蕨、1990年。
27以 下 に、創 立 時 の 参 加 者 氏 名 を 記 す。∫.D.
Alfken,教 見 Bremen.‑M.H.Baege,大学助 手, Friedrichshagen.‑C.A.Bermann,Mtlnchen.‑
Wilhelm B6lsche,Friedrichshagen.‑Dr.W.Bre‑ itenbach,Brackwede.‑RitterDr.Bartholomaus vonCarneri,Marburga.d.Drau,Steiermark.‑
ChristianCarstens,工場所 有者,Hamburg.‑Pro‑ fessorDr.ArnoldDodel,Lugano.‑C.Eberle,普 楽教 師,一元論読書会代 表,Neu‑Ulm.‑Professor Dr.AugustForel,Chignybe主Morges.‑R.H.
France, 在 野 研 究 者,Mtinchen. ‑ Dr. Karl Hauptmann,Schreiberhau.‑GustavHerold,彫刻 象 Frankfurta.M.‑Dr.GeorgHirth,雑誌 『ユ ー ゲ ン ト』 編 集者,Mtinchen.‑Dr.JohannJohann‑
sen,編 集者 Frankfurta.0.‑0ttoJuliusburger, 上級 医師,Steglitz.‑AugustKahl,Hamburg.‑Dr. Albert Kalthoff,聖 マ ル テ ィーニ教 会牧 師,Bre‑ men.‑FriedrichKaufmann,工場主,一元論協 会 代 表,Leipzig.‑Professor Dr.Konrad Keller, Ztirich.‑WaltherKeller,出版書籍 販売業 (フラ
ンク出版 書 籍 販 売),Stuttgart・ I.Dr・ Gustav Krauseneck,Triest.‑OskarMaurltZ,大 聖堂説教 柿,Bremen.‑Dr.H.Molenaar,雑誌 『実証 的世界 観』編 集者,Mtinchen.‑FritzFreiherrYonOstini, Mtinchen.‑Dr.OttoPlarre,Gera.‑ProfessorDr. LudwigPlate,Berlin.‑AntonPretzlik,ヘ ツケル
ーゲマ イ ンデ代 表,Salzburg.‑AlbrechtRau,作 衣,Mtlnchen.‑Dr.jur.PaulRottenburg,Glasgow.
‑Dr.Wilhelm Schallmayer,医 粗 Mtinchen.‑Dr. HeinrichSchmidt,Jena.‑KarlScholl,自由宗教 説 教 師,Mtinchen.‑Wilhelm Schwaner,雑誌 『民衆 先 導者』編 集者,Berlin.‑ProfessorDr.Richard Semon,Mtinchen.‑Dr.med.FriedrichSiebert, 開業 医,Mdnchen.lDr.AugustSpecht,Gotha.‑
FriedrichSteudel,聖 ラ ンベ ルテ ィ教 会牧 師,Bre‑ men.IProfessorFranzv.Stuck,Mtinchen.IHer‑ mannSudermann,Berlin,‑Rittmeistera.D.von Tepper‑Laski,Berlin.‑C.H.Thiele,在 野研 究者 Jena.‑Wilhelm Umrath,工場所有者 Prag.‑Dr. Johannes Unold,商業学校数 見 Mtlnchen.‑Dr. BrunoWille,Friedrichshagen.‑ProfessorDr.H. E. Ziegler, Jena. Schmidt, Heinrich: Die Grtindung desDeutschen Monistenbundes.In:
DasmonistischeJahrhundert.Heft22,1913,S.740
‑50,hierS.749.
287ェルキ ッシュ運動 につ いて はモ ッセ, ジ ョー ジ ・L. (植村和秀 ・城達也 ・大川清 丈 ・野村耕一 訳) 『フェルキ ッシュ革命‑ ドイ ツ民族 主 義 か ら 反ユ ダヤ主 義‑ (パ ルマ ケ イ ア叢 書
)
』柏 書 房、1998年 を参照。
29Gasmann,op.°it.,Chapter7.シュ タイナーへ の 影響 につ いて は、 ヨハ ネス ・ヘ ム レ‑ベ ン (河合 増太郎 ・走方昭夫訳) 『ル ドル フ ・シュ タイナー
』
工作社、1977年、79‑89頁、お よびル ドル フ ・シュ
タイナ ‑ (伊 東勉 ・中村 康 二 訳) 『シュ タイナ ー 自伝‑ わが人生 の歩み』人智学 出版社、1983年、
第 Ⅰ巻、219‑23頁 を参照。
30竹 中亨 『帰依す る世紀末 ドイ ツ近代 の原理主 義者群像』ミネルヴ ァ書房、2004年、263‑4頁。
31佐 藤 前 掲論文
(
「ドイ ツ一元 論1司盟 と教 会離 脱 運動」)参照。32竹 中前掲書273頁。
33Gasmann,op.°it.,p.68ff.
34竹 中前掲書274‑83頁。