業安定の両方に力を入れる。3)高等教育機関の卒業者の就業を促進する。4)特別就業研修計 画を早急に実施する。5)公共職業紹介サービス体系の整備に力を入れる。高等教育機関の出口 からの格差を回避であり、雇用面では大学卒業生の就職がとりわけ重視されるべきである。実 際就職について、学生がどんな指導を受けているのか、大学側はどのような就職支援をしてい るのか、企業はこの「指示」をどう受け止めているのか、社会的機関は具体的にどんな支援策 で運営しているのか、高等教育機関卒業生の就職問題は今後の研究テーマにも繋がる。 注: 注 1:中国では、人民の代表とされる「全人代」に全ての権力が集中している。全人代、正式には「全国人 民代表大会」という。代表の任期は5年で、解散はない。全人代は、立法権を独占しているほか、国家 主席の選出、首相に当たる国務院総理の任命、最高人民法院・最高人民検察院のメンバーの選出など、 大きな権限を持っている。 注2:「小康」は、“まずまずの生活”の意。その前段階は「温飽(衣食が足るぎりぎりの生活)」である。鄧 小平は 1979 年 12 月、大平正芳(当時首相)と会見したさいに、一人当りGNP四倍増計画を語り、250 ドルの現行水準を 1000 ドルまで引き上げることができれば、「小康の水準」になる、と指摘した。鄧小 平の提案をもとに 1982 年 9 月の第 12 回党大会の胡耀邦「政治報告」で、「小康の水準」を本世紀末まで の経済発展戦略目標にすることを、正式に決定し、これを国策とした。この戦略目標の達成状況を 1980 年の一人当りGNPを 100 とする指数でみると、1988 年=200、1997 年=406.7 となっており、2000 年 までに4倍にするという計画は3年繰り上げて達成されたことになる。国家統計局の「全国都市住民の 小康生活水準の基本指標」は、①経済発展水準、②物資生活水準、③人的指標、④精神生活水準を測定 しているが、1997 年に小康水準の 90%を達成したとしている。また、農村部でも 81.5%の達成度で中国 国民の 5 人のうち 4 人は小康水準の生活をおくっていると結論づけている。 注3:「先富論」(一部分人先富起来)一部の人がまず豊かになることをゆるす政策。鄧小平は 1985 年に「個 人経済の発展を認めよ、外国資本との合弁経営、外国資本の単独経営企業を認めよ」と主張した。ただ し、その条件は「社会主義の公有制を主体とすること」であった。経営の自由化によって、一部の地区 ・企業・個人が先に豊かになることによってのみ、国家・地方・集団の経済的実力をつけることができ る。その実力がつけば、遅れた地区・企業・個人を援助する物質的基礎が得られ、「共同富裕」の道を切 り開くことができるというのが鄧小平の考え方である。鄧小平のこの考えが、毛沢東時代の「平等主義」 が「平均主義」(=悪平等主義)に陥ったことを反省して生まれたものであることは、見やすい道理であ ろう。つまり、これは平均主義のアンチテーゼである。 注4:ベッカ(Becker 1964)とミンサー(J.Mincer 1962 1974)を嚆矢とする「人的資本論」では、「学歴間
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