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こぺる No.020(1994)

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日(毎月1回25日発行)ISSN凹194制3

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NO. 20

部落のいまを考える⑬ 大学における同和教育から 近藤祐昭 新しい差別論のための読書案内② 河合文化教育研究所編 とベる刊行会 『上野千鶴子著「マザコン少年の末路」の 記述をめぐって』 灘本昌久 第16回 『こぺる』合評会から

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部落のいまを考え − る ⑩

大学における同和教育から

一、はじめに 大学で﹁同和教育﹂を担当し、授業をとおして多くの 学生と出会ってきた。学生の中の差別や人権についての 認識は、実に多様である。また大学に入学する以前の同 和 教 育 の 取 り く み も 多 様 で あ る 。 繰り返し同和教育を受けてきた学生もいるし、全く受 けたことがなく、差別について考えたり学んだりしたこ とはほとんど無いという学生、また差別問題は自分には 関係ないと思つでいたという学生など、さまざまである。 おそらく現代の学校教育の中で、これほど学校によって 取りくみの格差のあるものは、他にはないように思う。 同和教育を受けたことがなかったという学生のレポー ト の 中 に は 、 次 の よ う な も の が あ っ た 。 ﹁ ﹃ 同 和 教 育 ﹂ っ て 何 な の か 。 私 が こ の 科 目 を 履 修 す る時に、この﹃同和﹂というのがわかりませんでし た。私は、大学に入るまで同和教育を受けた事があ りませんでした。私にとって差別、部落差別という ものには、まったく関心のなかった事であったので す 。 ﹂ ︵ 北 川 孝 治 ﹁ 部 落 差 別 に つ い て ﹂ ﹃ 同 和 教 育 レ ポ ー ト 集 ・ 第 三 集 ﹂ ︶ ﹁私は小学校・中学校・高校と愛知県の豊橋市で教 育を受けてきた。その間一度も﹃同和教育﹂という 言葉を聞いたことはなかった。大学に入って初めて 聞いたのだ。このレポートを読んで自分がいかに無 こベる 1

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知 で あ る か そ し て 何 の 意 見 、 意 士 山 も 持 た な い こ と に 気付いた。さまざまな差別という問題について一度 として真剣に考えたという記憶がない。﹂︵鈴木健吾 ﹁ 学 校 で の 朝 鮮 人 差 別 ﹂ ﹃ 同 和 教 育 レ ポ ー ト 集 ・ 第 八 集 ﹂ ︶ こうしたレポートとは対照的に、同和教育を受けてき た学生のレポートの中には次のようなものがあった。 ﹁同和教育は小学校・中学校を通じて徹底して行わ れていた。そのために私は差別について早くから考 える機会を与えられ、多くの事実について知らされ、 また、実際にその問題に直面することができた。だ から大学に入学して部落差別を全く知らない人がい ることを知って、正直言って、驚いた。 一 瞬 、 信 じ f ら れ な い と い う 気 さ え し た 。 ﹂ ︵ 堀 カ オ リ ﹁ 私 た ち の 中 の 差 別 意 識 ﹂ ﹃ 同 和 教 育 レ ポ ー ト 集 ・ 第 五 集 ﹄ ︶ ﹁私は、この大学にうかつて名古屋に来るまで岡山 県外で教育を受けたことがなく、同和問題について の時聞をとらない学校がある、という事に驚いた。 何処でも行われているものだと思っていた。という より行われていない所があるなど思ってもみなかっ た か ら で あ る 。 ﹂ ︵ 片 島 由 美 子 ﹁ 同 和 問 題 に つ い て ﹂ ﹃ 同 和 教 育 レ ポ ー ト 集 ・ 第 八 集 ﹄ ︶ ﹁ 同 和 ﹂ ﹁ 部 落 ﹂ と い う 言 葉 さ え も 、 今 ま で 聞 い た こ と がないという学生が、現在でも毎年しばしばいる。たと え﹁同和教育﹂の取りくみがなかったにしても、﹃日本 史﹂や﹃公民﹄﹃現代社会﹄といった教科をとおして、 多かれ少なかれ学んできたはずだと思うのだが、学んだ 記憶が全く無いという学生も見受けられる。これはおそ らく、教科書で取り上げられていても、担当の教員によ つてはほとんどふれられなかったり、またふれたにして も記憶に残らない程度であったということだと思う。 学生の中には部落出身の学生や在日韓国・朝鮮人の学 生、﹁障害﹂を持った学生など、さまざまに差別を受け た経験のある学生もいるし、また差別した経験のある学 生もいる。あるいは、親や友人の差別的言動に出合った 経 験 の あ る 学 生 も い る 。 毎年学生のレポートの中からいくつかを抽出して﹃レ ポート集﹄を作成してきたが、その中にはもちろん、部 落出身の学生や在日韓国・朝鮮人の学生のレポートもい くつか取り上げた。そうしたレポートを読んだ感想の中

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には、﹁閉じ大学生の中に、部落出身者がいることにび っくりしました﹂と述べている学生もいた。また、サー クルの先輩の国籍が韓国であることを本人から聞いたと いう学生は、﹁別に日本語がへたなわけじゃなく、字が 書けないわけじゃあなく、だから知ったときははっきり いってショックだった。﹂と述べている。こうした﹁び っくり﹂や﹁ショック﹂は、部落差別や在日韓国・朝鮮 人がほとんど見えていないことによると言えよう。 日本の社会には二パーセント前後の被差別部落の人々 一 対 1 セント近い在日韓国・朝鮮人︵日本国籍者も や 含めて︶がいる。したがって千名の学生がいれば、部落 出身の学生が二

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名くらい、また在日韓国・朝鮮人の学 生 が 一

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名くらいいて自然なのだと思う。いずれにして も、同じ大学の中に部落出身の学生や在日韓国・朝鮮人 の学生がいるのは自然なことであり、もしいないとすれ ばそのことの方が不自然である。しかしそのように受け とめられていないことが多い。 在日韓国・朝鮮入学生は、世代的には三世が主である r ように思う。日本で生まれ育ち、日本の一言葉や文化は日 本人と同じように身につけている。もっとも民族教育が 十分保障されていない中で、韓国・朝鮮の言葉や文化の 理解度については、個人差がかなりあるように思うが。 したがって、外国籍であれば日本語が不十分であると考 えてしまうのは、日本における外国籍の人々、特にその 多くを占めている旧植民地出身者の歴史と現実が見えて いないことによるのであろう。 いずれにしても差別問題を何か特別な問題として、身 近にはない問題のように受けとめているニとが多いよう に思う。しかし実際には差別は身近にさまざまに存在す るーさまざまな差別的課題をかかえさせられている人々 と直接・間接に関わりを持ちながら、私たちの生活はい と な ま れ て い る 。 また差別を支えている

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問観や社会観は、私の中に、 また私たちの中に複雑に入りこんでいる。 二、現代社会における部落差別 ﹃ 同 和 教 育 レ ポ ー ト 集 ﹄ で取り上げた部落出身学生の レポート︵レポートの中で部落出身であると書かれてい こぺる たもの︶は、今までに六つであった。そのうちの二人は、 3

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部落差別を受けたことがあり、今なお差別が厳しく存在 していることを指摘している。他の四名は、今まで差別 らしい差別を経験したことが無いと述べている。そして 部落出身であるけれど、部落差別がどうしてもピンとこ ない、本当にまだそういった差別があるのだろうか、と いった思いを持っていた学生も何人かいた。もっともそ う思っている学生でも、どこかで自分の出身のことに対 する不安ゃ、差別への恐れは持っていたが。 部落差別を受けたことがあるという学生のレポートの 中 で は 、 次 の よ う に 述 べ ら れ て い た 。 ﹁私自身、同和地区出身の人間であり、その差別の 実態、根深さをさまざまと知らされ、体験している 一人である。その中でも、私を同和地区出身者とは 知 ら ず ﹃ あ そ こ の 地 区 は 怖 い か ら 近 づ く な 。 ﹄ ﹃ 部 落 は 、 何 考 え と ん か 解 ら ん か ら 関 わ ら ん ほ う が え え 。 ﹂ な ど の 言 葉 を 私 は 何 度 と な く 聞 か さ れ て き た 。 ﹂ ︵ 沢 田栄作﹁根強く息づいている差別﹂﹃同和教育レ ポ ー ト 集 ・ 第 五 集 ﹄ ︶ ﹁被差別部落の人間の中でも特に部落解放運動に情 熱を傾けている入達が、差別に対する鋭い感覚︵差 別を見抜く、見逃さない、許さない等︶を身につけ ているのは、何よりも重い部落差別という体験を起 点としているからだと思います。自分も、そういう 体験を数多く、経験してきでいるので、よくわかり ま す 。 そ の 例 を 、 二 ・ 三 、 挙 げ る と 、 ﹃ あ そ こ の 地 区 ︵同和地区をさす︶へ行くとカマを持った人が、追 っかけてくる﹄とか、﹃ブタの首が、ころがってい る﹄とか、﹃あそこの地区へ一度入ると、生きて返 っ て こ れ な い ﹄ な ど 、 たくさんの差別をうけまし ﹁体験などを通して﹂﹃同和教育レ ポ ー ト 集 ・ 第 六 集 ﹄ ︶ 部落に対する﹁怖い﹂とか、﹁何考えとんか解らんか ら関わらんほうがええ﹂といった見方は、差別観の代表 的なものであるし、そうした差別観の中から、﹁カマを 持った人が追っかけてくる﹂とか、﹁ブタの首が、ころ がっている﹂といった、考えられないような偏見が生み た 。 ﹂ ︵

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・ Y 出 さ れ た り す る の で あ ろ う 。 こうしたひどい差別観も、なおも根強く存在している ように思うが、しかし露骨な形でこうした差別観が現わ れ る こ と は 大 変 少 な く な っ て き た よ う に 思 う 。

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特に部落の人と知っていて、本人の前で部落について の差別的な言動をするということは、ほとんど無くなっ てきたと思う。沢田さんのレポートでも、﹁私を同和地 区出身者と知らず﹂と書かれていたように。 しかし、部落の人がいないと思われるところで、部落 についての悪口や陰口が言われるということは、今なお しばしばあるように思う。学生のレポートの中には、次 のように書かれていたものがあった。 ﹁私たちの高校は、私立高校、だった為、いろいろな 地域から、通学してくるのですが、その中には、被 差別部落の人たちもたくさんいて必ずクラスの中に はこ!三人いたのです。そろいう人たちに対して、 私や、私の仲間は、普段は、普通のつきあいをして きました。しかし、部落の人たちがいない所では、 ﹃あいつは、部落だから、怒らせると恐いから気を つけろ。﹄などと言う様なこともたびたびよく仲間 同志集まった時には、部落に対する悪口やかげ口を 冗談まじりのように話すことがあります o ﹂ ︵ 山 口 敏 之﹁差別について﹂﹃同和教育レポート集・第二 集 ﹄ ︶ 差別とは、本人に対して直接に言葉や態度でさげすん だり、傷つけたりすることだけではない。したがって差 別問題とは、被差別者に対する言葉や行動に気をつける という問題ではないし、またそれは、被差別者の問題で あって被差別の側にいない者には関係ない問題というこ と で も な い 。 私たちにとって差別問題とは、差別|被差別のしくみ や意識が私たちの生活に何をもたらし、またそれが私た ちの中でどのように認識され受けとめられているのかと い う 問 題 で あ る よ う に 思 う 。 しかし、差別|被差別のしくみや意識は大変に見えに くい。特に少数者である被差別の側が見えていないこと が多いじ、そのことによって差別被差別のしくみや意 識が見失われていることが多いように思う。 次に、部落出身の学生のレポートで、今まで部落とい うことでの差別らしい差別を受けたことがないと述べて いたものに、次のようなものがあった。 ﹁自分が部落とよばれてた所に住むものということ は知っていたが、まったく気にせず、気にならない 中で育った。﹂︵河合武﹁部落差別の現実﹂﹃同和教 こぺる 5

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育 レ ポ ー ト 集 ・ 第 六 集 ﹄ ︶ ﹁恥ずかしい話ですが、私は高校二年ぐらいまで自 分の住んでいる地区がそのような地区であるという ことを知らなかったのです。というよりも、両親か らも知らされていませんでした。それに私自身、差 別やいじめにあったことがないのです。小学校・中 学校と同和教育の授業があったにもかかわらず、他 人事のように考えていました。:::そのことを知っ てからも別段変わりませんでした。:::劣等感のよ うなものを感じることもありませんでした。﹂︵野田 隆照﹁身近に感じた差別問題﹂﹁同和教育レポート 集 ・ 第 七 集 ﹂ ︶ ﹁実際私は、被差別部落出身なのですが、私自身そ れほどひどい差別を受けた覚えはありません。: 私の生れ育った地域は、現在は、、そんなに大きな差 別を受けることもなく、職業の選択についても、差 別を受けた話は聞いたことがありません。﹂︵川畑美 樹司部落差別について﹂﹃同和教育レポート集・第 八 集 ﹂ ︶ 露骨な差別が大変に少なくなってきた現代社会におい て、部落出身の人にとってもそうでない人にとっても、 部落差別が今なお存在するということが、どうしてもピ ンとこないという人は、かなり多くなってきているよう に思う。それでは部落出身の若い世代の人々の中では部 落差別は何でもない問題となったということだろうか、 部落差別はもう無くなったと言えるのか、というと、そ ういうことでもないように思う。 河合さんは同じレポートの中で次のように述べている。 ﹁私が高校の時である。ある友人との会話の中で、 ﹃ あ そ こ の 地 区 は 部 落 や ろ 。 ﹄ と 、 いいだした。その 地区は私の地区ではなかったのであるが、私はひど い シ ョ ッ ク を 受 け た 。 : : : 友 人 の 言 葉 に 、 部 落 と い う二百があっただけで、自分の中でふるえるものが あ っ た 。 ﹂ また川畑さんは部落出身であることをレポートに書く に あ た っ て 、 次 の よ 、 叫 ん に 述 べ て い る 。 ﹁私は自分の立場を明らかにすべきかどうかをかな り迷いました。:::実際に自分の立場を語る時にな ると、かくしたいという気持ちが働きました。﹂ 河合さんも川畑さんも、差別らしい差別を受けたこと

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はないと言うが、しかし両者にとっても、部落差別は何 でもない問題ということではない。また、すでに無くな っ た 差 別 に た だ お び え て い る 、 と い う こ と で も 一 な い と 思 う。露骨な差別は少なくなってきても、生活の中にさま ざまに差別はあるし、そうした差別にふれてきたからだ ︾ ﹂ 回 ? っ 。 川畑さんは、﹁私がその地域に生まれたというだけで ﹃ あ あ 、 やっぱりね﹄という見方をされたこともありま した。﹂と述べている。また野田さんは次のように述べ て い る 。 ﹁先にも述べたように私は差別ゃいじめにあったこ とはありませんが、私の兄は、中学校の時、一度だ けそういった経験をしたそうです。つきあっていた 女 の 子 が 、 ! 母 親 か ら ﹃ あ の 子 と は っ き あ っ た り し て はいけません﹄と言われた、と兄に話してくれたそ うです。その時、兄も何故なのか分からなかったそ うです。今にして思うと、自分の兄が:::やるせな い 気 持 ち で す 。 ﹂ 三、差別の回避 差別を受けるということはいやなことであり、屈辱的 なことであり、誰もが差別されたくはないと思う。現実 に差別がある社会にあって、その社会において差別の対 象とされることがらを、﹁かくす﹂ことによって差別か ら逃れようとすることがある。それは差別の解決にはな らないが、当面の差別を回避することはできる。差別を 解決する方向や見とおしが持てないとき、﹁かくす﹂と い う 方 法 が し ば し ば と ら れ て き た 。 Y −

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さんは次のよ う に 述 べ て い る 。 ﹁ 私 は 、 自 分 が ﹃ 被 差 別 部 落 ﹂ の 出 身 だ と い 、 つ こ と を知って以来、いつも心の片隅に不安と恐怖を持ち いつの頃からか、自分が﹁被 続 け て い た 。 そ し て 、 差別部落﹄出身であることを隠したいと思うように なり、隠してきた。何故、自分の出身地を隠さなけ ればならないのかという怒りよりも、私には周りの 人々に自分が﹃被差別部落﹄出身だということが知 れて、現在の自分を失うことの方が怖かったからで こ≪.る 7

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あ る 。 ﹂ ︵

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﹁ 差 別 ﹂ ﹃ 同 和 教 育 レ ポ ー ト 集 ・ 第 七 集 ﹄ ︶ 現実に差別がある社会の中にあっては、自己の大切な 一 部 分 で あ り 、 本 来 ﹁ か く す ﹂ 必 要 の な い は ず の も の を 、 ﹁かくそう﹂と思わせてしまうことがある。差別にきち っと向き合って生きることは、決して容易なことではな い。しかし差別を単に回避しているごとによっては、解 放へのあゆみは始まっていかない。たとえどんなにわず かであっても 1 解放に向かって踏み出していくことが大 切である。そして一歩踏み出していく中から、新しい世 界 が 聞 か れ て い く よ う に 思 う 。 また﹁かくそう﹂と思わせてしまう社会が現実にあり ながら、その社会を構成している人々の中でそのことが 課題とされていかなかったとすれば、その社会自体の解 放 は 始 ま っ て い か な い 。 現実に差別がある社会の中で、差別から目をそらそう としたり、﹁かくしたい﹂と思ったりすることは、部落 差別に限らず多くの差別に共通する問題である。視覚障 害のある杉本明香さんは、﹁今まで私は自分に障害があ ることをできるだけ知られたくない、他の人と同じよう に し て い た い と 思 っ て い た ﹂ ︵ ﹃ 同 和 教 育 レ ポ ー ト 集 ・ 第 九集﹄︶と述べているし、また小島幸子さんは次のよう に 述 べ て い る 。 ﹁私は片耳が全く聞こえません。普段の生活の中で は、人はわからないので、たまに聞き取れなかった り、無視じてしまったりすると、友達の中には冗談 の つ も り で ﹃ つ ん ぼ ﹄ と い う 子 も い ま し た 。 : : : そ のうち私は、耳が聞こえないことを無理に隠してい ることは卑怯だと思いました。ちゃんと話せば同情 などではなく、事実としてうけとめてくれる人がた くさんいることがわかりました。その頃から無理に 隠そうとは思わなくなりました。﹂︵﹃同和教育レ ポ ー ト 集 ・ 第 六 集 ﹂ ︶ 今野昌明さんも﹁子供の頃から障害者差別というもの を受けて﹂きたが、﹁差別問題について真剣に考えたこ とはなかった﹂という。彼は次のように述べている。 ﹁自分の心の中では、なるべく自分が障害者である ことに触れたくなかった部分があったと思うし、ま して反差別活動などすれば自己の現実を明確に理解 したうえに、自分自身というものを見直し、自分が

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何をすればいいのかを考えなくてはならないのです。 それが自分のためであることはわかっているのです が、私はそれをすることが怖かったのです。だから、 ー同和問題や反差別活動などは、人ごとのように装つ ていたのだと思います OL ︵ ﹃ 同 和 教 育 レ ポ ー ト 集 第 五 集 ﹄ ︶ 彼は、自分が﹁障害﹂者であることに、触れたくなか ったし、また差別問題を人ごとのように装っていたとい う。彼は差別と出合い、差別の厳しさ、恐ろしきを感じ ていく中で︶差別を回避していこうとするようになった のだと思う。したがってそこにも、差別からの解放べの 深い願いが同時にあるように思う。もっとも差別は、 ﹁人ごとのように装い﹂、回避することによって解決でき ないじ、やはり無くすための努力が、それぞれのおかれ た現実の中でどんなに少しずつでも見出されていくこと が 大 切 で あ る と 思 う 。 四、世代聞の異なりと課題 学生の世代とその親の世代では、当然のことではある が現実の差別についての認識や受けとめ方に大きな聞き がある。差別が社会生活の中で形成されていくとすれば、 社会経験の質や量の違いが、そうしたことに大きな聞き を生み出すのは当然であるし、 いつの時代でもそうした 世代聞の聞きは、あった。しかし具体的な世代聞の聞きの 中身は、その時代社会によって異なる。現代社会におけ る具体的な世代聞の異なりについての検討も大切である と思う。もっとも世代聞の異なりも多様なものがあり、 一般化することはむつかしいが、いくつかの具体的な ケ l スについて見てみたい。河合武さんは、前に取り上 げたレポートの中で次のように述べている。 ﹁子どもの頃、私の父は部落解放運動にとても熱心 であるので、よく集会に出かけるのだが、それが不 思議であった。他人事であった部落差別という意味 が、さっぱりわからなかった。私は一度、父にたず ねた事がある。﹃なんで、住んでるところで差別さ れるんや。﹂﹃それはな、ずっとむかし、おさむらい さんの時、そういうふうにきめられたんや。﹂﹃おさ こぺる − む ら い さ ん の 時 い う た ら 、 ず う っ と む か し ゃ ん か 。 今は昭和やで、ほうりつも変わっとんやで、あほみ 9

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たい。﹂すると父は﹃そのあほみたいなことが、ま だ残っとんや。だからなくすんや。﹄それでも私は な ん で 、 な ん で を 続 け た 記 憶 が あ り ま す 。 ﹂ 河合さんと父親との一番大きな聞きはおそらく被差別 経験の異なりであるように思う。年齢の聞きによる異な りということだけでなく、父親が子どもの時に経験した 状況や差別と河合さんの子どもの時では大きく異なって いたと思う。世代聞の経験や意識の異なりを相互に理解 し合いながら、若い世代における課題を明確にしていく こ と が 大 切 で あ る と 思 う 。 こうした世代聞の異なりは、部落の例だけの問題でも ない。伊賀奈直子さんは次のように述べている。 ﹁私が一番不思議に思うのは、部落差別です。部落 の人のどこが差別の対象となるのか全く理解できま せん。たまたまそこの出身で彼らの名前も分からな いほど前の先祖の身分が、えた・非人であった。そ れがどうして差別の対象となるのか全く分かりませ ん 。 : : : そ こ で 私 は 母 に 質 問 し ま し た 。 ﹃ 私 が 部 落 の人と結婚したら困る?﹄私は当然

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つ 返 事 を 期 待 し て い ま し た が 一 母 の 返 事 は 意 外 に も 、 ﹃ 困 る わよ。親戚中困るわよ。﹄でした。私は本当にびっ ぐ り し ま し た 。 : : : ど こ か 知 ら な い 世 界 の 出 来 事 が 今まさに母の口から飛び出すなんて、とてつもない 反発心がおこりました。﹁どうしていけないの!﹄ ﹃だってそういう所の人って、何か普通の人と違う っておばあちゃんも言ってたよ。﹄母は父に同意を 求 め ま し た 。 ﹂ ︵ ﹃ 同 和 教 育 レ ポ ー ト 集 ・ 第 九 集 ﹄ ︶ 伊賀奈さんにとって、部落差別は信じられないパ不思 議な差別であったし、少なくとも自分の身近にそんな差 別的な考え方は無いと思っていた。しかし彼女にとって 大変身近な存在である母親の中に存在していた。母は部 落についてよく知っているということではなく、漠然と した認識だったようだが、しかし自分の子どもと部落の 人との結婚ということについては、明確に反対する考え を持っている。なぜいけないのかという彼女の質問に母 親は、﹁そういう所の人って、何か普通の人と違うって おばあちゃんも言ってたよ﹂と言う。母親が一番信頼し ていたその母親︵おばあちゃん︶などから、部落につい て聞いていたことによるのであろう。いずれに

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て も 母 親の中には、部落の人は﹁何か普通の人と違う﹂という

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見方がつくられていたのであろう。そこでは︶何がどう 違うのかということが問題ではなく、﹁普通の人と違う﹂ ということが重要なのであろう。そしてその﹁違う﹂と いう中には、解かり合うことができないという見方があ るのだと思う。すなわち﹁部落﹂の人々は、解かり合う ことのできない、共に生きることのできない人々として 見ているのだと思う。こうした差別観は、沢田栄作さん や山口敏之さんのレポートなど、若い世代の中にも見る ことができるが、しかし伊賀奈さんのような見方は若い 世代の中でかなり多くなってきているように思う。 部落に対する偏見や差別は、現代の若い世代では大き く変わってきている面があると思うが、しかし親の世代 では根強い差別が存在することが少なくない。したがっ て結婚といった問題のときには、親や親族の蔵しい差別 に出合うことは多いし、本人がそうしたことにきちっと した認識と姿勢を持っていないと、引き裂かれてしまう 可 能 性 は 十 分 に あ る 。 また現在はあまり差別的な考え方を持っていない若い 世代の人々も、差別のある社会の中で生活をしていく中 で、差別的な考え方を強めていくということは十分に考 え ら れ る 。 回 ? っ 。 しかしそれらは、差別としてではなく、当然のこ一一 11

現代社会において、若い世代の多くが学校教育の中で さまざまな差別を経験している。学力による優劣の評価 が重視されていく中で、学力の低い者に対する劣等観や 蔑視はかなり一般的にあるように思う。 ﹁ い じ め ﹂ や ﹁障害﹂者に対する差別も日常的に存在しているように とのように受けとめられていることが多い。臼井克彦さ ん は 次 の よ う に 述 べ て い る 。 コ 差 別 す る な ん て : : : ﹄ と 強 く 思 っ て い た も の だ 。 しかし、この関心も表向きの偽りのものにすぎなか った。僕の通っていた中学校には特別クラスがあっ て一般の授業について行けない学生が三 l 四 人 そ の クラスにいた。このクラスは校舎の最上階の一番奥 の教室に半ば隔離状態で授業が行われてドた。同じ 学年からは女の子が二人そのクラスにえっていた。 一 人 は す ご く 太 っ て い て 、 こベる 一人はおばあさんの様な

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子だった。僕はその子がすごく嫌いだった。みんな もそうだつた。近くに寄って来ると、﹁気持ち悪い﹂ と 一 言 っ て 逃 げ て い た 。 : : : 先 生 に 何 度 と な く 注 意 さ れたが、以前と全く変わらない態度を取り続けた o p しかし、その反面で僕は、﹃差別はいけないんだ﹂ ﹁差別をなくさなきゃ﹂と考えていた。今考えれば 全く矛盾しているのだが、あの頃は彼女らにとった 行為は差別ではない、別なものなんだ、と考えてい た。どうしてそう思ったのかはわからない。けど、 悪いことではないと思い、又差別とは思っていなか っ た 。 ﹂ ︵ ﹃ 同 和 教 育 レ ポ ー ト 集 ・ 第 八 集 ﹂ ︶ 特別クラスの生徒に対する差別について書かれていた レポートはいくつかあった。白井さんは特別クラスの生 徒と人間的な触れ合いのないまま、嫌い、避けてきたの だと思う。彼は差別はいけないと考えてきたが、しかし 自分たちがしてきたことを差別とは考えていなかった。 すなわちそうしたことを差別とは考えない人間観を、彼 は身につけていたと言うことであろう。 おそらくそこには、一つには特定の価値規準に基づい て、優劣で価値評価をして人聞を見る人間観があるよう に思う。一人ひとりの人間の持つ絶対的な価値、すなわ ち他者との比較でとらえることのできない個別具体的な 人間とその輝きが見失われ、相対的な価値、比較可能な 形に抽象化され一般化された人間しか見えなくなってい ることによるように思う。人間における質的な面が見失 わ れ 、 量 一 的 な 面 し か 見 え て い な い こ と に よ る よ う に 思 う 。 人間はそれぞれに、質的・量的にさまざまな違いを持 って生きている。心身において、民族丈化において、社 会的地位において、能力資質において、:::。自分と似 た人々についてはそれなりに理解し受け入れても、自分 と異なる人々はなかなか見えてこないし、理解できない。 そこで避けたり排除したりすることがある。 人間はそれぞれに、質的・量的に様々な違いを持って 生きているが、しかしそうした違いを理解し合うことが できるのがまた人間なのだと思う。そして違いを理解し 合う力を身につけていくことが、人間としての豊かさで も あ る よ う に 思 う 。

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の 新 読 し 書 い 案 差 内 別 ② 論 の た め 河 合 文 化 教 育 研 究 所 編 山

﹃上野千鶴子著﹁マザコ

ン少年の末路﹂の記述を

4 灘本昌久︵京都産業大学︶ 上 野 千 鶴 子 が 差 別 問 題 に か ら ん で 何 か ﹁ や ら か し た ﹂ らしい。ちまたでは、そうした風説が流れている。事実 経過はこうである。一九九三年一月の終わり、大阪府立 高 槻 南 高 校 で 障 害 者 問 題 に 取 り 組 む 富 田 幸 子 教 諭 よ り 、 フェミニズムの旗手上野千鶴子および大手進学塾である 河合塾のもとへ、質問・抗議の葉書が寄せられた。一九 八六年に河合塾より発刊された上野千鶴子著﹁マザコン 少年の末路|男と女の未来﹄︵河合ブックレット 1 、 河 合文化教育研究所発行︶の中でなされている、グ自閉症 は母親の過干渉・過保護によって引き起こされる U と い 、 う記述は自閉症への誤解にもとづくものであり、差別を 助長するのではないかというのである︵本書は、一九八 五 年 に 河 合 塾 大 阪 校 で 行 な わ れ た 講 演 会 を も と に 編 集 ︶ 。 冨田氏の提起を受けて、こ月四日には両者の間で話し 合いが行なわれた。河合塾側からは河合文化教育研究所 で 編 集 を し て い る 加 藤 万 里 と 、 講 演 を 企 画 し ﹃ 末 路 ﹄ の 解 説 を 書 い た 河 合 塾 日 本 史 講 師 青 木 和 子 。 抗 議 側 か ら は 、 冨田氏および高槻自閉症児親の会関係者である梅田和 子 ・ 前 田 昌 江 、 大 槻 信 子 各 氏 が 出 席 し た 。 二 月 一 一 一 一 日 、 六 月 二 六 日 に は 上 野 氏 を 交 え て の こ ・ 三 度 目 の 話 し 合 い 、 一

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月二八日には四度めの話し合いがもたれ、問題提起の 冊 子 編 集 に つ い て 実 務 的 話 が 行 な わ れ た ︵ 上 野 氏 は 抜 き ︶ 。 こ う し て 、 四 度 の 話 し 合 い の 後 、 次 の よ う な ﹁ 処 理 ﹂ が 行 な わ れ た 。 ﹃ マ ザ コ ン 少 年 の 末 路 ﹂ は 絶 版 と せ ず 、 上野氏の筆になる﹁﹃マザコン少年の末路﹄の末路﹂と いう反省・総括文を付録として﹁増補版﹂を刊行する ︵ 増 補 版 は 一 九 九 四 年 二 月 刊 、 七

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円 ︶ 。 ま た 、 す で に ﹃末路﹄を購入した人には、付録の抜き刷りを希望者に 無 料 で 送 る 。 そ し て 、 話 し 合 い に 参 加 し た 七 人 に よ る 、 本問題に対する意見表明︵上野氏に関しては、 f ﹁ 付 録 ﹂ の再録︶の冊子を﹁河合おんぼろす﹂増刊号﹁上野千鶴 子 著 ﹃ マ 、 ザ コ ン 少 年 の 末 路 ﹄ の 記 述 を め ぐ っ て ﹂ と し て 刊 行 す る ︵ 一 九 九 四 年 四 月 、 河 合 文 化 教 育 研 究 所 発 行 ︶ 。 こうした一連の話し合い、﹁処理﹂の結果、抗議した 側 の 怒 り は 晴 れ た だ ろ う か 。 ノ ー で あ る 。 ﹁ 上 野 さ ん は 、 自閉症が﹃母親の過干渉過保護という育てかたによって 引き起こされる母子密着の病理だ﹄というのは、﹃根拠 こベる 13

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のない偏見﹄であるということは認められたが、そうし た﹃育て方によって引き起こされるというものではな い﹄ことは、明言されなかった

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− − − 残 念 な が ら 、 二 度 ト の 話 し 合 い の 後 も 、 上 野 さ ん に は 、 最 後 ま で 、 ﹃ 自 閉 症 ﹄ が﹃障害﹄であるという私たちの主張を理解していただ けなかった﹂︵冨田、四八頁︶。﹁上野さんの文章が、大 へん締麗にまとめ上っていて、一般的には、﹃やっぱり 上野さんは頭がいい﹄とか、﹃なんとなく納得させられ る達者な文章﹂などというレベルの受け取り方をしてし まい、上野さんにとっては、このことは、﹃処理済﹄な のかしら、と疑ってしまうわけです J この半年余り、私 にとって、どうだつたかと言えば、少し変ったたとえ方 をすると、何か沈澱している溶液を撹持して、その瞬間、 何かの変化が起こったかに見えながら、でも、すぐ元の 状 態 に 戻 っ て し ま っ た よ う な 、 そ ん な 感 じ で す ﹂ ︵ 梅 田 、 六五頁︶といった具合なのである。 手続き的には−両者の合意によりながら進められた話 し合いと事後処理の結果がこれである。第三者から見て も、暗い結果ではある。しかし、ここで紹介しようとし たのは、本事件が差別問題に多くの教訓を与えていると いう感想をもったからである。少ない字数で、この事件 をとうてい語り尽くせないが、私なりに感じたことをい ノ わせていただければ、以下のような点である。 ひとつは、第一回目の話し合いによ野氏が同席してい れば、もう少し抗議側を納得させられたのではないかと 思う。一回目の話し合いは、かなり激しい糾弾の様相を 呈 し て お り 、 ∼ ﹁ 私 ︵ 富 田 ︶ や 母 親 た ち が 口 々 に 怒 り を ぶ つ けるのを、青木さんや加藤さんは硬い表情で聞いてい た﹂という具合だった。そして、業を煮やした梅田氏が ﹁やっぱり河合塾ですね﹂と受験産業を冷笑したことに たいし、青木氏が﹁私も自分の講義が商品だということ は承知しています。それでも最低限、これだけは、という ところのものは売り渡してはいないつもりです。日本史 を教えていても、歴史は差別の歴史だということを、予備 校生に語っているつもりです。ただの金儲けだけだった ら、こんな講演会はしない。ギリギリのせめぎあいのと こで、やっているんです﹂と色をなして切り返した。 ﹁熱くなっていた話し合いは、青木さんの思わぬ切り返 しに、一瞬凍った。しかし、この言葉が不思議にこの場 を救った。﹃ギリギリのせめぎあい﹄は、そのまま私︵冨 田 ︶ の 実 感 で も あ る 。 : : : 話 し 合 う 中 で 、 風 穴 が 聞 き 、 共感が生まれると、言葉はよく響き通る。:::母親たち も 、 し み じ み と 我 が 子 を 語 り 、 母 親 の 歴 史 を 語 っ た ﹂ と い う、なかなかグツとくるシ

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ン が 展 開 さ れ た の で あ る 。

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しかし、二度めの話し合いからは、抗議側は﹁青木さん と加藤さんと私たちのあいだに生まれた共感から、上野 さんに対する期待が膨らんでいた。その期待から、上野 さんとはいたずらに対立することなく生産的なものを築 いていこうとするあまり、,腹蔵なく語ることができなか った。どこか言い尽くせない、伝えきれないものを残し たまま、あるもどかしさを残して、話し合いを終える結 果﹂となってじまったのである。もっとも、上野氏が一 回目に同席したとしても、俗世間の中から﹁正しい理 解﹂をする人が一人増えるに過ぎない訳ではあるが。 このことと関係するのだが、感想のふたつめとして、 抗議側の問題提起が、﹁自閉症﹂の枠内で考えることで しかありえなかったことに︵そして、そうでしかありえ ないとも思うのだがて差別解消のための行動のある種 の限界を感じざるを得なかった。つまり、抗議側の訴え るところに従おうとすれば、自閉症に直接関係のない人 も六

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年代から八

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年代にかけての学会における自閉症 の原因論の変遷を把握しておらねば話の中で自閉症に触 れることはできず︵﹁知らずに語ってほしくない﹂とい う気持ちはわか石が︶、友だちにかみついたり、学校の 植木鉢を残らず割ってしまった自閉症児をあるがまま受 けとめねばならない︵告発側は﹁ねばならない﹂とはい っていないが︶。社会における問題が、自閉症児だけな ら問題は簡単なのだが、世の中に被差別者の種類は、無 数にある。自分が被害者である事案について精通するの は困難ではあっても、不可能ではない。しかし、そこに もうひとつ違う差別問題への理解を加えるのは至難の技 である。そのことを私は、筒井康隆氏の断筆に端を発す る﹁てんかん﹂の問題で痛感した。あの事件における日 本てんかん協会の主張を理解するために、私は京都産業 大学・関西大学・京都府立総合資料館・志賀町立図書館 で 二

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冊を越える関係図書のほか、てんかん協会発行の 雑誌を読み、それなりの理解に達した。しかし、それは 私が差別問題を専業的に研究する大学教員であるから可 能だったわけで、一般の人には時間的・物理的に無理で ある。すると、差別問題を﹁正しく理解する﹂というこ とは不可能ということになる。なるべく努力することは 可能でも、誤った理解をなくすことは百年河清を侯つに 等しい。このあたりに、従来の啓蒙的差別論が置き去り にしてきた問題があるように思う。科学的に﹁正しい理 解﹂を世間に期待しないで、なお差別問題を改善する方 途はどこにあるのだろうか。 ※河合文化教育研究所名古屋市千種区今池二の一の 電話

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五二|七三五一七

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六 こぺる

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第 何 回 ﹃ こ ぺ る ﹄ 合 評 会 か ら 大賀・藤田対談は部落解放運動が 大きな転機を迎えようとする時期に もたれた。それ故、対談への反響は 各地の自治体からの掲載誌購入の依 頼 等 大 き く 、 合 評 会 へ の 参 ノ 加 者 も い つ に な く 多 数 を 数 え た 。 対談で解放同盟の理論的リーダー である大賀氏は﹁第三期の解放運動 を進めるうえでの課題﹂を、率直・ ひ れ き 大胆に披涯する。特に、﹁答申﹂後 各組織内で解放理論を深め、具体化 する作業の大幅な遅れが、結果とし て、部落解放の﹁手段﹂であるべき 対策が﹁目的﹂化する傾向を生み出 した。その改善策として同和対策事 業の﹁見直し﹂、スクラップアンド ピルドの必要性の提起、社会性を持 つ施策、同盟 H 部 落 民 か ら の 脱 皮 、 !それに同盟員の質的向上等々、組織 内のマイナス面についても忌惜なく 指摘する。内側からの指摘によって この対談は私には解放同盟と他の 人 々 と の 対 話 が 成 り 立 っ た め の 有 効 今 な 一 歩 で あ る よ う に 思 え る 。 合評会では、この時期での対談の 有効性を認めながらも、以下何点か に つ い て 意 見 ・ 疑 問 が 交 わ さ れ た 。 第一点は、大賀氏が組織の危機とし て 捉 え た 行 政 依 存 の 体 質 は ﹁ 答 申 ﹂ 以後の施策遂行を通じて、現状はは るかに強固で抜き差しならぬものと なっている。例えば、スクラップす べきゴキブリ駆除剤とあらたにピル ドすべき﹁留学奨学金制度﹂等との 聞にどれほど行政依存度に相違があ るのか。﹁国の責務﹂は決して打出 の 小 槌 で は な い 、 に も か か わ ら ず 、 未だに小槌を振り回す依存体質は変 わっていない。第二に、これまで実 施された同和対策事業は被差別部落 大衆に、どのような有効性をもたら したか、もたらさなかったかを部落 大衆の生活スタイル・意識に照らし て真撃に総括する必要が求められて いる。にもかかわらず、相変わらず 屋上屋を重ねる施策が実施されよう と す る 。 第三に、被差別大衆が部落差別に よって負わされた生活文化面の﹁低 位性・閉鎖性 H 弱 さ ﹂ ︵ 部 落 差 別 の 呪縛による︶を﹁弱さ﹂として受け とめそれと真正面から対時し、切開 する解放運動の構築なくして、部落 解放を展望する﹁共同の営み H ま ず 相 互 の 対 話 ﹂ は 組 織 で き な い 。 最後に、大賀氏がしきりに指摘す る部落解放運動に求められる﹁社会 性のある運動﹂の﹁社会性﹂とは何 か、と運動内部で聞い続ける意味は 大きいに違いない。︵住田一郎︶

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鴨水記 マ彼岸花がいつものところ にいつものように赤い顔を 出し、重く垂れた稲穂も色 づいて、やっと秋の深まり が感ぜられるようになりま ? レ れ ∼ 。 彼岸花といえば子どもの 頃、あの花の姿に引かれた のか、手折る感触が心地よ かったせいか、畦道を走り まわって腕いっぱいに花を 抱えて家に駆け込んだとこ ろ、恐ろし気な顔をした母 親に一喝されたことを思い 出 す 。 ﹁ ︷ ゑ に 持 っ て か え る と家が火事になる﹂﹁茎か ら 出 る 汁 で 手 が 腐 る ﹂ : ・ と 。 いずれにしても﹁不吉の 花﹂だと教えられた。その 時 の 印 象 は 今 な お 深 い 。 マ 八 月 は 休 み ま し た が 、 こ ぺ る 合 評 会 も 九 月 よ り 始 動 。 二十四日には、連休の真ん 中にもかかわらず多数の方 の参加があり、報告にもあ りますように、感想も含め て諸々の議論が交わされま 7 れ ん 0 最近は、﹁こぺる﹂のメ イ ン テ l マによって、合評 会に出席される方々の顔触 れ も 少 し ず つ 変 わ り ま す 。 一 O 月の合評会には、 ﹁部落解放運動に、いま問 われているものは﹂を執筆 していただいた奈良の山下 力 さ ん も 出 席 さ れ ま す 。 時 々 、 ご 丁 寧 な お 電 話 で 、 ﹁合評会は誰でも参加でき るのでしょうか﹂とのお問 い 合 わ せ を い た だ き ま す が 、 こぺる合評会は誰でも自由 に参加できます。ぜひご参 加 下 さ い 。 ︵ 森 ︶ ﹃ こ ぺ る ﹄ 合 評 会 の お 知 ら せ 十 一 月 二 十 六 日 ︵ 土 ︶ 午後二時より十一月号 ‘ 京 都 府 部 落 解 放 セ ン タ ー − J 第二会議室 皿 O 七 五 l 四 一 五 l 一 O 三 一 O 編集・発行者 こべる刊行会(編集責任藤田敬一) 発行所京都市上京区寺町通今出川上ル四丁目鶴山町14 阿件社 Tel. 075 256 1364 Fax 075 211 4870 定価300円(税込)・年間4000円郵便振替 010107 6141 第20号 1994年11月25日発行

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﹃ 同 和 は こ わい考﹄の発刊以来八年 、 ともあれ ここに 、 差 別 ・ 被差別の両側から超えて、共同 の営み を 進めるた め の対話がなりたった : : : 感 性鋭く、怨像力豊 か に、人間と差別について、 広く語り合いたい 。 || | 編 者 被 差 別 部落民の H 陰 H の部分 は 、 これ まで彼らが 培ってきた H 光 “ の部分を強調するだけで克服で き る 課題ではない 。 ま ず 、 H 陰 Hの部分を H 陰 H −自覚し、克服に向け た真剣な取り組み を 通じて 、 H 光 H の 部 分 も 一 層 輝き を 増すのである 。 ー 住 田 一 郎 ﹁ 被 差 別 部 落 民 の 感 性 に つ い て の 覚 書 ﹂ よ り

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− 内 容 紹介 被差別の陰 の 貌 一 九 八六年 ︹ 座 談 会 ︺ 金時鍾+土方鉄+藤田敬一 在 日 の 歴 史 の も た ら し た も の / 解 体 す る 部 落 民 意 識 / 差 別 か ら 入 植 へ の 転 換 / 被 差 別 体 験 の 思 想 化 / 安 定 l 改 善 の 内 実 / 被 差 別 者 の 人 間 像 / 自 ら 名 乗 る こ と の 意 味 / 差 別 す る 立 場 の 問 題 に つ い て / 被 差 別 の 内 実 に つ い て / 顔 を も た な い 差 別 の 加 虐 / 固 有 の 文 化 の 正 と 負 / 関 係 総 体 の 変 革 に む け て それ か ら 一 九九四年 違 い の 確 認 金 時 鐘 在 日 朝 鮮 人 と 日 本 人 の 空 白 / 日 本 で 朝 鮮 人 と し て 生 き る と い う こ と / 文 化 の 総 和 H 言 葉 の 響 き / 朝 鮮 人 の 言 語 生 活 / 違 い の 確 認 四六判 226頁 1,960円 ことばの原風景試論 l i l i −−|大 沢敏郎 は じ め に / ひ ら が な 四 文 字 の こ と ぱ / 自 分 の こ と ば の 原 風 景 / 沈 黙 の こ と ば / 共 同 学 習 の 光 源 / お わ り に 被 差 別 部 落 民 の 感 性 に つ い て の 覚 書 1 住 回 一 郎 は じ め に / 部 落 差 別 の 傷 痕 と 部 落 に お け る 支 配 の 梅 造 / 部 落 差 別 に よ る 人 間 性 の ︿ 歪 み ﹀ / 被 差 別 部 落 民 の 感 性 の ︿ 鋭 き 、 優 し き ﹀ に つ い で / 二 つ の ﹃ 編 の な い 川 ﹄ 人間 と差別について考える|||藤田敬一 ||あとがきに代えて 二

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号 一 九九四年十 一 月 二 十五日発行︵毎月一回 二 十 五 日 発 行 ︶ 一 九九 三 年五月 二 十 七 日 第 一 一 一 種 郵 便 物 認 可 定価 三 百 円 ︵ 本 体ニ丸ニ円 ︶

同和はこわい考

藤 田 敬 一 一 著 定 値 八 二 四 円 発刊以来すでに八年。部落解放運動の存 在 線 拠 そ の も の を 、差別・被差 別 の 関 係 総 体 の 中 に 聞 い 直 し た 本 書 は 、 ﹁ 共 同 の 営 み ﹂ と し て の 運 動 の 創 出 を 強 く 訴 え る 。

同和はこわい考を

読む

之 ぺ る 編 集 部 編 定 価 一 七 二 O 円 ﹁ 批 判 の 拒 否 は 、 結 局 の と こ ろ 自 ら が H 裸 の 王 抽 少 に な る 道 し か 残 さ れ て い な い と 確信する・部落 民 で な い お 前 に 何 が わ か る か な ど と は 決 し て 言 う ま い ﹂ ︵ 本 書 よ り | | ︶

部落の過去・現在

: ・

こ ぺ る 編 集 部 編 定 価 三 六 O 円 い ま 、 大きく変貌を遂げつつある被差別 部 落 の 現 実 を 直 視 し 、 自 由 な 対 話 を 通 し て 、 既 成 の 理 論 や 思 想 の 枠 組 み そ の も の の 検 討 が 急 が れ ね ば な ら な い 。

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参照

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○齋藤部会長 ありがとうございました。..

学側からより、たくさんの情報 提供してほしいなあと感じて います。講議 まま に関して、うるさ すぎる学生、講議 まま

料金は,需給開始の日から適用いたします。ただし,あらかじめ需給契約