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菅江真澄の見聞した祭り ― 付載 アイヌの祭りまたは芸能 ―

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(1)

1 はじめに

 菅江真澄の見聞した祭りにつき,その梗概お よび論点を,明らかにしてみる。祭りと芸能と は混同されやすいが,神輿を担ぐのは前者であ り,奥浄瑠璃を語るのは後者である,と分別し うる。とはいえ,祭りから芸能が生起したと は,先学の説明してきたところで[折口

1955

:

341],それゆえ両者が無関係であるともいいが たい。ならば,真澄遊覧記に描かれた民俗芸能 を理解するうえでも,民俗芸能のみならず祭り にも,配慮をする意義があるといえよう。

 ところで,民俗芸能研究の草創期に,祭りに 注目した人物として,中山太郎が挙げられる。

黙殺された研究者と評価されがちだが,実際に 母校たる早稲田大学でも,『早稲田大学百年史』

に若干の言及があるに留まっている[早稲大 学大学史編集所編

1981

:

270]。生前に中山太郎 は,取り組みたい10主題を提示し,これに祭礼 を含めていながら[中山

1934

:

2],祭礼研究は 大成しなかった。いっぽう,ほぼ同時代には,

柳田国男らによって真澄研究が躍進しているけ れど,これにも中山太郎は控え目であった。

これで想ひ出したのは先年奥州角館の図書館に,菅 江真澄翁(本年が百年忌に当る)の自筆本である

『真澄遊覧記』があると聞いたので,同地の友人に その写本のことを依頼すると,該地にはアノ本の崩 し文字の読める者がないからと謝絶され……[中山 1927: 4]

 この一節は,中山太郎の随筆「随分駄話」で ある。たしかに,真澄研究の当初には,写本を 閲覧しないと考覈できない,といった制約も あったろう。しかし,まもなく真澄遊覧記の翻 刻も活発化したはずだから,中山太郎が真澄研 究に控え目だったのは,別な理由によるとも考 えられる[星野

2013

b:

137]。ともあれ,中山 太郎が断念した,祭りという主題を,真澄遊覧 記という道具で,接近するのも無益ではないと 考えるところである。この実現のために,記事 を一覧する総説と,論点を例示する各説の,2 部構成を採る。なお,アイヌの祭りまたは芸能 に関しては,まとめて後述するものとしたい。

2 総 説

 真澄遊覧記に描かれた祭りにつき,全容を解 明する足掛かりとし,かつ後進に索引の便を図 るべく,不完全ながら記事を一覧にしてみる

*早稲田大学大学院社会科学研究科 2012年修士課程修了(指導教員 内藤 明)

論 文

菅江真澄の見聞した祭り

― 付載 アイヌの祭りまたは芸能 ―

星 野 岳 義

(2)

(表1)。作表にあたっては,まず行を,未来社 刊『菅江真澄全集』の巻数順に,実施場所ごと に抽出する。つぎに列として,当該場所の祭り にまつわる語彙,当該場所の真澄遊覧記の出 所,それに対する先行研究を付した。採用する か否かなどに関しては,以下の方針にしたがい たい。

 第一に,真澄遊覧記に収録の祭りについて。

真澄遊覧記とくに地誌には,祭りを連想させる 語彙が厖大にあるので,条件をつけて絞り込ま なければ,抽出するだけで一巻を要するだろ う。たとえば,祭日,秋祭,神事,法楽,夜篭 りなどが探し出せるが,これら普通名詞のみで あれば原則として採用しなかった。換言する と,これら普通名詞に神輿などの記述を付した り,葵祭のように固有名詞を有していたりした ら,採用するものとする。上述より,土祭[菅 江

1971

b:

17]や穂祭[菅江

1973

a:

253]は,

今回のところは割愛している。ただし例外とし て,諏訪の御柱のように,真澄遊覧記において 祭りと紹介していなくても,祭りとして看過し がたい事案は収載した。

 第二に,実施場所について。場所を特定でき るものは,文献を引用している件でも,採用す ることにした。すなわち,那珂通博『六郡祭事 記』[菅江

1979

:

188]や秋里籬島『和泉名所図 会』[菅江

1980

:

325]は,これに当たるものと する。ゆえに反対に,地震祭なる表記があって も,文中から場所を特定できなければ[菅江

1980

:

205],採用しなかった。

 第三に,祭りにまつわる語彙について。祭り は,採録時点で実施されていても廃止されてい ても,その区別なく掲載している。祭りの固有 名詞において,「祭」が音読みか訓読みかは,

判断しがたい場合があるので,送り仮名は一律 省略した。祭日など実施日が明示されていれ ば,丸括弧のなかに表記した。

 第四に,先行研究について。真澄遊覧記に描 かれた祭りを,完全に網羅した先行研究は,存 在しないようである。管窺のところ先行研究に は,通覧するものと,検討するものとの,2種 類がある。通覧するものには,菅江真澄研究会 編『真澄遊覧記総索引』や,稲雄次編『菅江真 澄民俗語彙』が挙げられる。これには,全体を 掌握できるところに長所があり,考察を重視 しにくいところに短所がある。検討するもの には,門屋光昭「菅江真澄と平泉の祭礼・芸 能」や田口昌樹『「菅江真澄」読本』が挙げら れる。これには,考察を重視するところに長所 があり,全体を掌握しがたいところに短所があ る。本稿では,こうした先行研究の短所を補う ため,記事の通覧と事例の検討を,併用するこ とにした。

3 各 説

3.1 心象としての祭り

 映画監督の新藤兼人は,第二次世界大戦のと きに召集され,100人編成の掃除部隊に配属さ れた。この任務を終えると,60人が陸戦隊に,

30人が潜水艦に,4人が海防艦に送られて,終 戦まで生存したのは,新藤兼人を含む6人だけ であったという[新藤

2007

:

6]。この実話を元 にしたのが,新藤兼人の遺作になった,2011年 封切りの映画『一枚のハガキ』になる。

今日はお祭りですが

あなたがいらっしゃらないので

何の風情もありません。友子[新藤 2011: 21-22]

(3)

表1 真澄遊覧記にみえる祭り

実施場所 祭りにまつわる語彙

(実施日) タイトル真 澄 遊 覧 記出  所 先行研究 信濃国伊那郡小野村

(小野神社) たのも祭(8月1日) 『伊』83/5/24条 菅江 1971a: 25 信濃国筑摩郡塩尻町村付近 風の祭(7月24日) 『伊』83/7/24条 菅江 1971a: 43 信濃国筑摩郡三之宮村

(沙田神社) 御柱の神事(10月21日)『伊』83/10/21条 菅江 1971a: 48 田口 2002: 221-224 信濃国諏訪郡下原村

(諏訪神社下社春宮) 筒粥の祭(1月15日),

御柱の神事 『諏』84/1/15条

『月の出』仙16

『筆のまに』8巻

菅江 1971a: 113。菅 江 1979: 12,808図。

菅江 1974: 220

五来 1987: 192

信濃国諏訪郡神宮寺村

(諏訪神社上社本宮) 七十五膳の祭(3月酉

日),御柱の神事 『諏』84/3/6条

『月の出』仙16 菅江 1971a: 123- 124。菅江 1979: 12,

808図

五来 1987: 191-195

信濃国伊那郡笠原村付近

(六道原) 地蔵祭(7月7日) 『諏』84/3/27条 菅江 1971a: 132 信濃国水内郡戸隠山門前村

(九頭竜大権現) 柱祭(7月7日) 『く』84/7/26条 菅江 1971a: 176 信濃国諏訪郡御射山神戸村

(御射山神社) 御射山祭(7月27日) 『く』84/7/3,27条

『ひなの遊』年月日不詳

『雪の出』雄3

『月の出』仙16

『筆の山』22/3/8条

『雪の出』雄小

菅江 1971a: 158,178,

17 図。菅江 1973a:

179。菅江 1975: 181。

菅江 1979: 12。菅江 1980: 488,593 出羽国田川郡手向村

(羽黒山) 火祭(大晦日) 『秋』84/9/20条 菅江 1971a: 196 田口 2002: 225-228 出羽国雄勝郡湯沢村 カマクラ遊ぶ(11月),

童 『秋』84/11条

『粉』『凡国異』

菅江 1971a: 217。菅 江 1973b: 24図,76 図

薄葉 1960: 37。秋元 1977: 20。田口 1988: 157。稲 1990: 23-27。

稲編 1995: 29-30 出羽国雄勝郡湯沢村付近

(犬っこ祭り) 鳥 追 い( 1 月15日 ),

鳥追い菓子 『小』85/1/15条

『凡国異』 菅江 1975a: 238。菅

江 1973b: 116図 田 口 1988: 152。 稲 1990: 15-16。石橋 1995: 110。稲編 1995: 65。 石 橋 1998: 21。

田口 2002: 188-191 出羽国雄勝郡貝沢村

(水神社) 淵祭(4月9日) 『小』85/4/9条 菅江 1971a: 250 稲編1995: 83 陸奥国磐井郡平泉村

(医王山毛越寺) 摩多羅神祭(1月20日)『かすむ駒』86/1/20条

『雪の出』平3

『月の出』仙7 断簡69号

菅江 1971a: 335。菅 江 1976: 103。菅 江 1978: 258。菅江 1981: 171

北野,小寺,西角井 1932: 43。森口 1969: 39。本田 1971: 291。

秋元 1977: 60-61。門 屋 1999: 43-44,51- 55。 平 2004: 9。 松 尾 2005: 77-83。川村 2008: 120

陸奥国胆沢郡下衣川村

(花立山) 哭祭(4月) 『かすむ駒』86/1/20条 菅江 1971a: 342 門屋 1999: 50-51 陸奥国胆沢郡小山村

(徳岡集落) 祭(2月8日),疫病

の神 『かすむ駒』86/2/8条 菅江 1971a: 354 陸奥国江刺郡黒石村

(妙見山黒石寺) 蘇 民 祭( 1 月 8 日 ),

火を点ける,罵る,笑 う

『は』86/4/8条

『雪の出』平4 菅江 1971a: 370。菅

江 1976: 153-154 秋元 1977: 71。稲編 1995: 9。田口 2002: 239-241

尾張国丹羽郡寄木村

(天道宮) 天道祭 『は』86/4/8条

『雪の出』平4 菅江 1971a: 370。菅

江 1976: 153 稲編 1995: 9。長沢 1997: 36

陸奥国江刺郡三照村

(愛宕の祠) 湯祭(6月24日) 『岩』88/6/24条 菅江 1971a: 432 稲編 1995: 102

(東在村々)箱館村 七夕祭(7月6日) 『えぞ続』91/7/6条 菅江 1971b: 164 石黒 2011: 203

(4)

(海渡山阿吽寺)松前城下 奉る(2月27日),旗,

神輿 『千』92/2/27条 菅江 1971b: 194

陸奥国北郡大畑村 七夕祭(7月6日) 『牧』93/7/6条 菅江 1971b: 354 秋元 1977: 169。 稲 編 1995: 72 陸奥国北郡大畑村付近 農神の祭(3月16日) 『奥のて』94/3/16条 菅江 1971b: 457 菅江真澄研究会編

1946: 43。稲編 1995: 陸奥国津軽郡浪岡村 73

(浪岡八幡神社) 競馬(5月5日) 『す』96/5/6条 菅江 1972: 107 陸奥国津軽郡藤崎村

(奥法山興福寺) 五郎祭,六郎祭,多聞

天祭(6月3日) 『津軽のを』97/5/27条 菅江 1972: 243 出羽国秋田郡大滝村 湯の神祭(1月8日),

日待ち,賭博 『すす』03/1/7-8条 菅江 1972: 373 稲編 1995: 82 出羽国秋田郡大滝村 カマクラ焼き(1月14

日) 『すす』03/1/14条 菅江 1972: 374 田口 1988: 156-157。

稲 1990: 22。 稲 編 1995: 31。田口 2002: 195-196。後藤 2012: 出羽国秋田郡大滝村 水口祭(1月15日) 『すす』03/1/15条 菅江 1972: 374 61

出羽国秋田郡天王村

(東湖八坂神社) 牛祭(6月7日) 『男鹿の秋』04/8/15条

『男鹿の鈴』10/5条 菅江 1973a: 13-19,

226 田口 1988: 174-177。

稲編 1995: 16-17。

田口 2002: 165-172 出羽国秋田郡一日市村付近 木鎌祭 『ひなの遊』年月日不詳 菅江 1973a: 179

出羽国秋田郡大久保村付近 八郎祭(1月2日) 『氷』02条 菅江 1973a: 785 稲編 1995: 77 出羽国秋田郡北浦村 山王祭(6月14日) 『男鹿の鈴』10/5条 菅江 1973a: 226

出羽国秋田郡本山門前村

(日積寺永禅寺) 逆 柴 祭( 6 月15日 ),

七月祭 『男鹿の鈴』10/5条

『男鹿の島』10/7/17条 菅江 1973a: 226,

241,903図 稲編 1995: 42 出羽国秋田郡真山村

(光飯寺遍照院) 花幣祭(6月16日) 『男鹿の鈴』10/5条 菅江 1973a: 226

出羽国秋田郡宮沢村 舟霊祭(1月11日) 『男鹿の寒』11/1/11条 菅江 1973a: 259 田口 1988: 145-146。

稲編 1995: 83 出羽国秋田郡岩瀬村 萱草祭(3月18日) 『軒』11/3/18条 菅江 1973a: 266 稲編 1995: 31 出羽国秋田郡大久保村 波左巨祭 『軒』11/3/18条 菅江 1973a: 266 稲編 1995: 31 出羽国秋田郡八丁目村 茨株祭 『軒』11/3/18条 菅江 1973a: 266 稲編 1995: 31 出羽国秋田郡下刈村 朝原祭 『軒』11/3/18条 菅江 1973a: 266 稲編 1995: 31 出羽国秋田郡堀内村 汁種祭 『軒』11/3/18条 菅江 1973a: 266 稲編 1995: 31 出羽国秋田郡浦山村 牛尾菜祭 『軒』11/3/18条 菅江 1973a: 266 稲編 1995: 31 常陸国久慈郡上宮河内村

(西金砂神社) 小祭礼,大祭礼 『軒』11/5条

『筆のまに』8巻 菅江 1973a: 269。菅

江 1974: 226-227 稲編 1995: 29。星 野 2012: 198。星野 2013a: 136

出羽国秋田郡虻川村 夏祭(6月2日),昆

虫祓い 『軒』11/6/2条 菅江 1973a: 274 稲編 1995: 93 出羽国雄勝郡中山村

(田神の社) 御 叫 祭( 2 月 末 日 ),

田種祭,田植祭 『雪の出』雄1 菅江 1975: 80 出羽国雄勝郡中山村

(東鳥海山権現) 餅祭(9月19日) 『雪の出』雄1 菅江 1975: 83 出羽国秋田郡八橋村

(山王権現社) 日 吉 祭( 8 月15日 ),

統人 『雪の出』雄3

『雪の出』平13

『久』『雪の出』雄小

菅江 1975: 184。菅 江 1976: 513。菅江 1974: 417-418。菅江 1980: 595

出羽国雄勝郡根木村

(地蔵菩薩堂) 地 祭( 3 月24日 ), 湯

祭(4月24日) 『雪の出』雄4 菅江 1975: 227 出羽国仙北郡神宮寺村

(竜光明神) ケダニ祭 『雪の出』雄5 菅江 1975: 251 星野 2012: 194 出羽国秋田郡濁川村

(若宮八幡宮) 馬祭(5月5日) 『勝』秋2 菅江 1975: 142図 出羽国秋田郡藤倉村

(藤倉権現) 観音祭(3月17日) 『勝』秋3 菅江 1975: 164図 出羽国平鹿郡角間川村

(浮嶋明神) 浮嶋祭(4月19日) 『雪の出』平1 菅江 1976: 18

(5)

出羽国平鹿郡沼館村

(愛宕社) 鎮火祭(2月24日) 『雪の出』平2 菅江 1976: 46,49 出羽国平鹿郡沼館村

(白幡稲荷大明神社) 五 穀 祭( 2 月 初 午 ),

五穀成就報祭(9月9 日)

『雪の出』平2 菅江 1976: 46,49 出羽国平鹿郡沼館村

(木戸稲荷大明神社) 五 穀 祭( 2 月 初 午 ),

五穀成就報祭(9月9 日)

『雪の出』平2 菅江 1976: 47,49 出羽国平鹿郡今宿村 市 神 祭( 1 月 9 日 ),

昆虫祭(6月) 『雪の出』平2 菅江 1976: 52 出羽国平鹿郡今宿村

(神明宮) 鎮火祭(3月16日) 『雪の出』平2 菅江 1976: 52 出羽国平鹿郡東里村 昆虫祭(6月7日) 『雪の出』平2 菅江 1976: 53 出羽国平鹿郡南形村 昆虫祭(6月7日) 『雪の出』平2 菅江 1976: 53 出羽国平鹿郡造山村 昆虫祭(6月) 『雪の出』平2 菅江 1976: 53 出羽国平鹿郡沼館村

(沼館八幡神社) 納豆祭(8月14日) 『雪の出』平2 菅江 1976: 55 島田 1993: 19。稲編 1995: 67

出羽国平鹿郡猿田村

(諏訪明神社) 御射山祭(7月27日) 『雪の出』平3 菅江 1976: 104 出羽国平鹿郡八沢木村

(波宇志別神社) 的 射 祭( 3 月 3 日 ),

大祭,灌仏祭(4月8 日),端午祭(5月5日)

『雪の出』平4

『雪の出』弥 菅江 1976: 143-144。

菅江 1980: 616-617 陸奥国鹿角郡小豆沢村

(小豆沢大日堂) 揉み押し祭(正月) 『雪の出』平4 菅江 1976: 152-153 出羽国平鹿郡舟沼村

(天王明神社) 菊祭(9月9日) 『雪の出』平6 菅江 1976: 232 出羽国平鹿郡舟沼村

(両頭権現社) 卯の花祭(4月8日) 『雪の出』平6 菅江 1976: 234 出羽国平鹿郡浅舞村

(諏訪社) 御射山祭(7月27日) 『雪の出』平8 菅江 1976: 287 出羽国平鹿郡増田村

(月山社) 大 祭( 8 月15日 ), 神

輿 『雪の出』平10 菅江 1976: 352-353 出羽国平鹿郡明沢村

(明沢山) 御 焚 祭( 5 月18日 ),

山仕舞(9月29日) 『雪の出』平10 菅江 1976: 388 三河国額田郡滝村

(吉祥院羅尼山薬樹王院) 鬼祭 『雪の出』平11 菅江 1976: 413 長沢 1995: 23 出羽国平鹿郡下樋口村

(弁才天女社) 沼 祭( 3 月18日 ), 初

婿 『雪の出』平11 菅江 1976: 436図 田口 1988: 166-167。

稲編 1995: 71-72。

田口 2002: 182-184 出羽国平鹿郡横手前郷村

(上宮太子社) 横手大祭(4月6日),

御遷幸 『雪の出』平12,13 菅江 1976: 487,513 出羽国平鹿郡横手前郷村

(愛宕社) おたぎ祭(4月24日) 『雪の出』平12 菅江 1976: 487 出羽国平鹿郡横手前郷村

(大明神社) 春日祭(9月18日) 『雪の出』平12 菅江 1976: 488 出羽国桧山郡能代港町 能代祭 『雪の出』平13 菅江 1976: 513 出羽国平鹿郡横手城下

(明江山華厳院) 太子祭(4月6日) 『雪の出』平13 菅江 1976: 525 出羽国平鹿郡横手城下

(大乗院) 鎮火祭(壬辰日) 『雪の出』平13 菅江 1976: 536 出羽国仙北郡上淀川村

(神明社) 祭礼(6月1日),神酒,

神旗 『月の出』仙1 菅江 1978: 35 出羽国仙北郡中村

(諏訪明神社) 御射山祭(7月27日) 『月の出』仙1 菅江 1978: 39 出羽国仙北郡強首村

(十一面観音堂) 観音祭(7月17日) 『月の出』仙2 菅江 1978: 59 出羽国仙北郡東長野村

(水尺明神) 水尺明神祭(9月16日)『月の出』仙2下

『月の出』仙22 菅江 1978: 92。菅江 1979: 188

出羽国仙北郡刈和野村

(市神社) 綱 引 き の 業( 1 月15

日),修験者 『月の出』仙2下 菅江 1978: 96-97 田口 1988: 162。田 口 2002: 199-205

(6)

出羽国仙北郡刈和野村

(浮嶋神社) 浮 嶋 祭( 4 月 8 日 ),

市神祭,神輿 『月の出』仙2下

『椎』 菅江 1978: 97-98。

菅江 1980: 243 出羽国仙北郡堤村

(白山姫社) 花祭(3月3日) 『月の出』仙2下 菅江 1978: 108 出羽国仙北郡上野村

(諏訪明神社) 御射山祭(7月27日) 『月の出』仙2下 菅江 1978: 132,599 出羽国仙北郡北楢岡村 図

(竜蔵権現) 桃祭(3月3日),菊

祭(9月9日),小弓,

小袋

『月の出』仙4,5 菅江 1978: 141,194 稲編 1995: 97,102 出羽国仙北郡神宮寺村 市神祭(1月5日) 『月の出』仙5 菅江 1978: 181 稲編 1995: 8 出羽国仙北郡神宮寺村

(八幡宮) 綱引きの試し(1月15

日),八幡宮御神祭(8 月15日),御遷幸

『月の出』仙5

『月の出』仙6

『椎』

菅江 1978: 182,223。

菅江 1980: 244-245 田口 1988: 162。 稲 編 1995: 60。田口 2002: 200-201 出羽国仙北郡高関下郷村

(神明宮) 厄 神 祭( 2 月 1 日 ),

御田植祭(6月8日) 『月の出』仙7 菅江 1978: 243-244 出羽国葛野郡太秦門前村

(蜂岡山広隆寺) 牛祭 『月の出』仙7 菅江 1978: 258 出羽国仙北郡高寺村

(高寺山福王寺) 花祭(3月17日) 『月の出』仙8 菅江 1978: 276 出羽国仙北郡四ツ屋村

(雷公社) 霹靂祭 『月の出』仙8 菅江 1978: 293

出羽国仙北郡大曲村 七夕祭(7月6日) 『月の出』仙9 菅江 1978: 702図 稲編 1995: 73 出羽国仙北郡大曲村

(栄木神明宮) 夜 祭( 6 月14日 ), 紙

旗を焼く,童 『月の出』仙9 菅江 1978: 310 出羽国仙北郡大曲村

(大日如来社) 夜 祭( 4 月17日 ), 卯 の 花 祭( 4 月18日 ),

紙旗を焼く,童

『月の出』仙9 菅江 1978: 310,312 出羽国仙北郡大曲村

(八幡宮) 田植祭(5月15日) 『月の出』仙9 菅江 1978: 310 出羽国仙北郡熊堂村

(雷公社) 霹靂祭 『月の出』仙10 菅江 1978: 336 出羽国仙北郡六郷高野村

(熊野神社) 熊 野 祭( 6 月15日 ),

鎮火祭,祈年祭 『月の出』仙15 菅江 1978: 460 大和国吉野郡大峰村

(大峰山寺) 山口祭 『月の出』仙15 菅江 1978: 460 大和国吉野郡吉野山村

(金峯山寺) 蔵王金剛祭 『月の出』仙15 菅江 1978: 460 摂津国島上郡広瀬村 水無瀬祭 『月の出』仙15 菅江 1978: 460 山城国乙訓郡山崎村 天王祭,浴仏竜花会 『月の出』仙15 菅江 1978: 460 出羽国仙北郡六郷町

(神明宮) 市 神 祭( 1 月 9 日 ),

六郷神明祭(6月16日)『月の出』仙15

『椎』 菅江 1978: 465。菅 江 1980: 244 出羽国仙北郡六郷町

(諏訪神社) カマクラ焼き(1月8

日),御射山祭,諏訪 祭礼(7月27日)

『月の出』仙16

『椎』 菅江 1979: 14-16,

22-23,806図。菅江 1980: 244

薄葉 1960: 38。田口 1988: 153-155。 稲 1990: 16-20。 稲編 1995: 29-30。田口 2002: 205-210。後藤 2012: 62-63 出羽国仙北郡金沢中野村

(厨川弥陀堂) 祭( 7 月15日 ), 川 に

入れる,阿弥陀仏,童 『月の出』仙17 菅江 1979: 36 出羽国仙北郡金沢本町村

(金沢山八幡神社) 鎮火祭(2月),昆虫

祭(6月吉日) 『月の出』仙19 菅江 1979: 86 出羽国仙北郡千屋村

(小森山勝手大明神) 勝 手 祭( 4 月 9 日 ),

子守祭(12月17日) 『月の出』仙20 菅江 1979: 135 出羽国仙北郡東長野村

(光神社) 霹靂祭 『月の出』仙22 菅江 1979: 187 出羽国仙北郡小沼村

(小沼観音堂) 大祭,神輿 『月の出』仙23 菅江 1979: 210 出羽国仙北郡長野村 市神祭(1月12日,1

月26日,4月6日) 『月の出』仙24 菅江 1979: 227 出羽国仙北郡長野村

(蔵王権現社) 中山祭(4月申日) 『月の出』仙24 菅江 1979: 228

(7)

出羽国仙北郡鑓見内沖村

(星野宮) 星祭(毎月28日) 『月の出』仙24 菅江 1979: 251 出羽国仙北郡沖野郷村

(厳祇社) 霹靂祭 『月の出』仙24 菅江 1979: 256 出羽国秋田郡添川村

(熊野大権現社) 花祭(3月15日) 『花の出』松 菅江 1979: 340 出羽国河辺郡大野村

(広幡社) 祭( 9 月19日 ), 捧 げ

奉る 『月の出』河 菅江 1979: 390 出羽国秋田郡久保田城下 カ マ ク ラ 祭( 1 月14

日),紙旗,鎌倉大明神,

佐喜長

『筆のまに』1巻

『笹』23/1/14条

『椎』『無』

菅江 1974: 12-13,

413-414。菅江 1980: 239-240。菅江 92-93 図

薄葉 1960: 36-38。

田口 1988: 157-158。

稲 1990: 23-25。 稲 編 1995: 30-31。 田 口 2002: 196-198 河内国讃良郡蔀屋村付近

(牧岡郷) 卜田祭(1月) 『筆のまに』4巻 菅江 1974: 100 三河国加茂郡猿投村

(猿投神社) 卜田祭 『筆のまに』4巻 菅江 1974: 100 長沢 1995: 16 陸奥国白川郡

(都々古別神社) 筒粥の祭 『筆のまに』4巻 菅江 1974: 100 駿河国有渡郡三保村

(御穂神社) 筒粥の祭(1月15日) 『筆のまに』8巻 菅江 1974: 220 出羽国雄勝郡宇留院内村

(幡吹寒泉) 東鳥海の餅祭(9月9

日) 『花の真』 菅江 1974: 269 出羽国秋田郡寺内村

(亀甲山古四王神社) 大祭(4月8日),稚

児舞 『水』 菅江 1974: 339 星野 2012: 197 陸奥国宮城郡仙台城下

(仙台藩領) 仙台祭 『久』 菅江 1974: 418 肥前国佐賀郡川上村

(与止日女神社) 水神祭(3月5日) 『笹』23/2/11条 菅江 1974: 436-437 出羽国秋田郡久保田城下付

近 神変大菩薩祭(3月6

日) 『笹』23/3/6条 菅江 1974: 443 近江国坂田郡筑摩村

(筑摩神社) 筑摩の祭 『かた』前篇 菅江 1974: 472 出羽国平鹿郡寺中堀内村

(若宮八幡社) 祭(5月5日,8月15

日),競馬 『風』1 菅江 1980: 25 近江国滋賀郡上坂本村

(日吉大社) 日吉祭,田楽 『風』4 菅江 1980: 117 山城国愛宕郡下鴨村

(下鴨神社) 御 蔭 祭( 4 月 午 日 ),

葵祭(4月酉日) 『風』4

『月の出羽』仙強 菅江 1980: 139,551 出羽国仙北郡刈和野村 市神祭(1月15日) 『椎』 菅江 1980: 243 出羽国仙北郡今泉村 白山祭(3月3日) 『椎』 菅江 1980: 243 出羽国仙北郡院内村 大倉山観音祭(4月8

日) 『椎』 菅江 1980: 243 出羽国仙北郡小杉山村 小杉山鎮守祭(4月8

日) 『椎』 菅江 1980: 243

出羽国仙北郡境村 唐松権現祭(4月8日)『椎』 菅江 1980: 243 出羽国仙北郡角館町 大威徳祭(4月8日) 『椎』 菅江 1980: 244 出羽国仙北郡角館町 角館神明祭(6月16日)『椎』 菅江 1980: 244 出羽国仙北郡南楢岡村 熊野祭(7月17日) 『椎』 菅江 1980: 244 出羽国仙北郡強首村 観音祭(7月17日) 『椎』

『月の出』仙強 菅江 1980: 244,546 出羽国仙北郡大曲村 諏訪祭(7月27日) 『椎』 菅江 1980: 244 出羽国仙北郡中淀川村 諏訪祭(7月27日) 『椎』

『月の出羽』仙上 菅江 1980: 244,525 越後国蒲原郡弥彦村

(弥彦神社) 玉串祭(3月27日) 『高志』 菅江 1980: 304 出羽国雄勝郡

(さかり藤大明神) 淵祭(11月丑日) 『混』 菅江 1980: 320 摂津国住吉郡住吉村

(住吉大社) 祭 式( 5 月28日 ), 御

田植神事 『つ』 菅江 1980: 325

(8)

 この葉書は,出征した森川定造に宛てて,妻 たる森川友子が書いたものである。戦時中は検 閲があり,寂しいとは記述できないから,抑制 した筆致によって,これを愬えたのである。こ の葉書は,戦争の悲劇を表わすのみならず,祭 りの性質を知るうえでも,有効といえる。けだ し,祭り自体が不変的であっても,祭りの参加 者によっては,可変的なものに受け止められる からである。換言すると祭りには,それ自体に 意味があるだけでなく,かかる雰囲気を提供し ている,との性質も確認できよう。

 たとえば,恋人で花火を鑑賞するとき,それ は雰囲気を共有したいのであって,土浦全国花 火競技大会のごとく作品を審査したいわけでは ない。翻って考えると,夜祭りが出会いの機会 を果たしたとか,夏祭りが同窓会の役割を果た すとか,といった話題を想起しうる。こうした 目的をもった参加者ならば,いかなる催事があ ろうと,いかなる露店があろうと,祭り自体に は興味を示さないだろう。たしかに,芸能史研 究では池田弥三郎によって,はやくから観客論 が提唱されてきた。しかし,これは芸能に観客

が参加する[池田

1975

:

42],という趣旨でこ そあれ,芸能が雰囲気を提供する,という趣旨 ではなかった。

 上述を踏まえ,『えみしのさへき』1789年5 月27日条を引用したい。菅江真澄が,江差へと 向かう途中,石碑を撫でながら,嘆き悲しんで いる老婆に出会った。石碑は,1741年に発生し た津波の供養碑であり,各地に建立されたのは 周知のところだが[羽鳥

1979

:

345],この生存 者に菅江真澄は接したことになる。

……夕やみより盆おどりにさゞめきあひて,暁月夜 いと涼しう海てるころまでうかれありくをりしも,

ものゝ音せり。こや,なへ(地震)のふるらんとお もふほどに,ふしたる人もみなさはぎたち,とに出 るほどもあらで,浪高う,さとうちあぐるに,こは,

つなみぞやと……[菅江 1971b: 58-59]

 楽しいはずであった盆踊りと,凄惨なものに なった天災が,老婆の脳裡に刻み込まれ,その 人生における徴表になったといえる。してみる と,祭りとは,本来は楽しいものであって,こ れが裏切られて寂しくなったとき,かえって鮮 明に印象づけられると指摘できる。

出羽国秋田郡富田村 霹靂祭 『雪の山』12/18条 菅江 1980: 440 出羽国秋田郡中津又村

(住吉神社) 田祭(半夏生) 『雪の山』12/19条 菅江 1980: 441 出羽国秋田郡和田妹川村

(諏訪明神社) 御射山祭 『雪の山』12/19条 菅江 1980: 69図 出羽国秋田郡 天神祭,山吹祭(3月)『筆の山』22/3/15,25条 菅江 1980: 491 出羽国仙北郡寺館尻引村 誕 生 釈 迦 如 来 石 像 祭

(4月8日) 『月の出』仙強 菅江 1980: 559 陸奥国栗原郡小迫村

(楽峯山勝大寺) 祭(1月7日),水行,

鬼やらい 『かすむ駒続』86/3/3条 菅江 1981: 29 村上 2002: 69 陸奥国磐井郡山目村

(配志和神社) 祭( 9 月19日 ), 花,

むろ焼 『は続』86/9/19条 菅江 1981: 80-81 村上 2002: 246-248 出羽国 祭( 毎 月24日 ), 季 忌

宮精進 『花の出』山裏書 菅江 1981: 119-120 加賀国石川郡三宮村

(白山比咩神社) 祭(4月6日),国司 『玉』1 菅江 1981: 268 山城国愛宕郡祇園村

(八坂神社) 祇園祭礼(6月7日),

山鉾,風流 『玉』6 菅江 1981: 303 山城国綴喜郡八幡

(石清水八幡宮) 石清水臨時祭(3月22

日) 『玉』8 菅江 1981: 312

(9)

 もっとも,この心象としての祭りには,課題 が少なくないと思われる。なぜならば,同一の 祭りで,甲と乙は楽しく,丙は寂しいとしたと き,この3人の仕組みを論証するのは,まこと に困難というほかない。とはいえ,祭り研究の みならず,たとえば法律学においても,人間 の内心に立ち入ることはありうる[田中

1953

:

117]。したがって,近代以降の学問において,

心象としての祭りを対象とするのも,見当違い とまではいえないと信じるところである。

3.2 山崎立朴と那珂通博と五十嵐蘭児と  史学において重視されるのは,手紙と日記で あって,ともに当日中に執筆するために,信頼 性を確保できるという。ところで,陸奥国津軽 郡に残る『永禄日記』は,日記と呼称しつつも,

当日中に執筆したものでない。これは,北畠氏 の末裔と伝える山崎氏が,書き続けてきた記録 を,山崎立朴の代になって改編したものであ る。津軽郡浪岡村にある浪岡八幡宮の競馬も,

この『永禄日記』に散見しえて,たとえば1571 年5月5日条には「八幡宮競馬,早朝ニ見物仕 候」[青森県文化財保護協会編

1956

:

5]とある。

 いっぽう,浪岡八幡宮の競馬を,菅江真澄も 把握していたことは,『すみかの山』1796年5 月6日条から明白である。

……きのふはこゝに競馬のありて,くろ,あかのそ の方こそわが手,村々のあら雄があら駒に荷鞍おき,

あるいは裸背に乗て,命もしらず飛めぐる,なかな かの見もの也といへり。こゝに賀茂の神籬をうつし 祭り,うべも,むかし北畠顕家卿の末葉にて,行岡 の御所とて,こゝに,門ひろう栄へ給ひたりし世ぞ しのばれたる。[菅江 1972: 107]

 菅江真澄は,『永禄日記』にも掲載されてい

る祭りに注目し,この祭りを北畠氏と結びつけ て解釈している。菅江真澄は,山崎立朴やその 子息たる山崎清朴と懇意にしており(表2),

菅江真澄が津軽藩採薬掛に就いたのも,山崎清 朴らの依頼とするのが定説となっている。けれ ども,津軽郡で執筆した未発見本『浪岡物語』

は,北畠氏の興亡を詮索したために没収され た,という推論もある[菅江

1967

:

357。なお,

菅江

1981

:

511]。この当否は措くにしても,山 崎立朴の編集と,菅江真澄の動向が,重複し がちだったのは間違いない。たとえば,津軽 郡亀ケ岡村出土の土器は,『永禄日記』1623年 1月2日条にみえ[中谷

1930

:

339],『外浜奇 勝』1796年7月2日条にもみえる[菅江

1972

:

146]。

 してみると,遊歴文人と地方名士とが,交流 を温める背景には,共通の関心をもつがゆえ に,軋轢も生起しやすかった,と理解できる。

菅江真澄に即するならば,山崎立朴のみならず 那珂通博とも,類似した問題を抱えていた。菅 江真澄と那珂通博には,『出羽国秋田領風俗問 状答』をめぐって,単純ならざる遣り取りが あったと推察されてきた[橋本

1989

:

28]。こ の付録と伝える,那珂通博『六郡祭事記』の欠 陥を衝いたのが,『月の出羽路』仙北郡2にな る。

一とせに四度の祭あり,そが中に六月十七日はこと に大祭にて,遠近の人うち群れ詣で山とよみて賑へ り。此高寺の四度の祭,みな六郡祭事記に漏れたり。

[菅江 1978: 81]

 これにより,菅江真澄は那珂通博に対して,

満腔の敬意を示さなかった,と看取できる。む ろん,菅江真澄の交友関係が,まったく非運

(10)

であったとも,断言できない。たとえば,『ひ なの遊び』において,神楽や盆踊りの挿画は,

蘭画家の五十嵐蘭児が手掛けている。序文に は,「あが友がき」[菅江

1973

a:

167]と紹介し ていて,ともに俳諧への造詣が深く,相性も良 かったと思われる。『月の出羽路』仙北郡1[菅 江

1978

:

19]や『筆のまにまに』4巻[菅江

1974

:

113]にも,五十嵐蘭児は登場するし,『男 鹿の秋風』1804年8月14日条では,五十嵐某と 款談したとある[菅江

1973

a:

12]。

3.3 沼館八幡神社の納豆祭り

 出羽国平鹿郡沼館村つまり秋田県横手市雄物 川町沼館の納豆祭りにつき,はじめに概要を整 理し,ついで現況を報告し,さいごに考察を付 記したい。沼館八幡神社の祭典は,納豆祭りと も納豆八幡とも八幡納豆とも呼び,以前は8月 15日に,現在は9月第2日曜日に,催行してい る。菅江真澄は,『雪の出羽路』平鹿郡2のう ち「豆豉祭」において,これを描写した。

……十四日の忌夜よりこゝらの商人,山なすばかり 糸曳納豆てふ物を売る也。これを詣人,手毎に買も て家々のつとにぞしける。[菅江 1976: 55]

 これに注目した先行研究として,島田亮三論 文[島田

1993

:

19]が挙げられる。もっとも,

なぜ宵宮祭に納豆を売るのか,菅江真澄も島田 亮三も,十二分なる解説をしていない。これは 止むを得ないことだったようで,須田春育『見 聞百物語』巻4第75にも,「又納豆ノ由来別当 ニ聞キシニ何レノ時ヨリト云フコト審ナラズ」

[須田

1972

:

171]と記録している。

 今日知られている,納豆祭りの由緒が,文章 として公知されるには,『雄物川町郷土史』を 待たねばならなかった。もちろん,これ以前に も紹介した記事はあって,たとえば宮川敏広

「沼館八幡神社」を挙げることができる。

由来は後三年の役でこゝに篭った清原氏のために,

寄手の八幡太郎が率いる官軍が寒気と飢餓のため 散々の苦戦に落入ったが,その時馬糧の豆が雪に 湿って一夜にして納豆と変りこれを食した軍兵の士 表2 真澄遊覧記にみえる山崎一族

記載場所 摘  要 真 澄 遊 覧 記

タイトル 出  所

陸奥国津軽郡館野越村 山崎宅に宿泊する 『津軽の奥』96/3/15条 菅江 1972: 75 陸奥国津軽郡高野村 山崎立朴と再会する 『外浜』96/6/11条 菅江 1972: 129 陸奥国三戸郡平内村 山崎清朴と再会する 『外浜』97夏条 菅江 1972: 157 陸奥国津軽郡外瀬村 山崎清朴と一緒にいる 『外浜』98/4/26条 菅江 1972: 162 陸奥国津軽郡弘前城下 山崎清朴と出発する 『外浜』98/5/12条 菅江 1972: 166 陸奥国津軽郡深浦村 山崎清朴と一緒にいる 『外浜』98/6/13条 菅江 1972: 183 陸奥国津軽郡深浦村付近

(六角沢)

山崎清朴と踏査する 『外浜』98/6/28条 菅江 1972: 184 陸奥国津軽郡館野越村 山崎宅に宿泊する。山崎清朴らの依頼

で津軽藩採薬掛になる

『津軽のを』97/5/30条

『錦の浜』1797年条

菅江 1972: 245,267 陸奥国津軽郡館野越村 山崎宅を出発する 『錦の』97/6/17条 菅江 1972: 267-268 陸奥国津軽郡大鰐村 山崎清朴と一緒にいる 『錦の』97/6/22条 菅江 1972: 270 陸奥国津軽郡弘前城下 山崎清朴と出発する 『錦の』98/7/22条 菅江 1972: 276 陸奥国津軽郡館野越村 山崎立朴と再会する 『錦の』98/7/22条 菅江 1972: 277 陸奥国津軽郡深浦村 山崎清朴と別れる 『雪の道』01/11/3条 菅江 1972: 295

(11)

気が大いに上ったと云う……[宮川 1964: 4]

 現況は,2013年9月7日から8日にかけての,

沼館における実見に基づく。7日は,参道の社 殿向かって右側で,納豆が販売される。かつて は,沼館の主婦らによって,手作りの藁入り納 豆が販売されていたが,諸般の事情によりこれ ができなくなった。このため現在は,沼館にあ る豆腐店が,納豆製造所から仕入れたものを,

販売している(図1)。容器入りのヒキワリは 120円,藁入りのツブは150円である。宵宮祭は 社殿にて,午後6時30分から30分かけて,祈祷 などが実施される。これを終えた参加者のなか には,参道で納豆を買い求めてから,帰宅する 姿もみられた。納豆の販売は,おおむね5時か ら9時であるが,この日のように雨天だと,8 時ころに閉店することもあるという。

 8日の神輿渡御祭は社殿にて,午前8時10分 から50分かけて,巫女神楽などが実施された。

9時10分に,小雨が降るなか,神輿が境内を出 発する。行列の順番は,獅子,囃子,旗,鉄砲,

矢,梵天,天狗,馬,神輿であり,筆者の数え

たところ総勢83人だった(図2)。このうち囃 子は,若干の変動があるものの,横笛5人,銅 拍子1人,締太鼓2人である。獅子は,交差点 などの15箇所ほどで舞うほか,祝儀に対し歯打 ちをしたりもする。なお,神輿渡御に関して は『雄物川町郷土資料館報告書』に[雄物川町 郷土資料館

1990

:

36],獅子舞に関しては『八 幡神社創建一千年祭』[宮川

1987

:

3丁表]に,

それぞれ詳述がある。午後12時30分に,神輿が 境内に到着し,さらに宮司一拝などを経て,12 時50分に終了した。

 考察したいのは,納豆の販売と,源義家の伝 承とが,いかに融合したか,という点になる。

納豆に着目すると,これは蝦蟇の油売りの口上 のごとく[八木

1984

:

94],商品の効能を説明 するために,発達したと捉えられる。ここから は,『雪の出羽路』平鹿郡12に,「……後三年の 戦の時は将軍義家朝臣に大豆を貢にせし……」

[菅江

1976

:

459]とあるように,局地的な変容 を想定しうる。いっぽう,源義家に着目する と,伝承を流布したであろう民間宗教者が,納 豆にも関与していたと捉えられる。たしかに,

図1 八幡納豆の包装紙(部分)

 (ふく屋,印刷工房DDG。2013年9月7日筆者購 入)

図2 沼館八幡神社祭典の行列

 (秋田県横手市雄物川町沼館,2013年9月8日筆者 撮影)

(12)

年刊であり,民俗芸術の会が1927年に結成され たばかりだったことを考え合わせると,時代を 先取りしていたと理解しうる。事実,真澄遊覧 記に描かれた祭りを,陰陽五行説と結びつけて 研究するようになるには,石橋健朗論文を待た ねばならなかった[石橋

1995

:

108]。してみる と,菅江真澄は素材という財産を,中山太郎は 方法という財産を,それぞれ後世に託したとい えるが,その真価を引き出せるかどうかは,各 人に課せられた宿題となるのだろう。

 ところで本稿では,記事を一覧にするにあた り,意図して採録しなかった事例が,2点ほど あった。第一点目として,琉球に関する事例 についてである。『風の落葉』2によると,い わゆる琉球使節が管弦をともなう[菅江

1980

:

63],とあり伝統音楽として看過しがたいもの の,詳論がないため保留した。第二点目とし て,アイヌに関する事例についてである。こ れは,祭りのみならず芸能を取り扱うさいに も,別稿を設けると言明してきたので[星野

2013

b:

132],杜撰ながら以下に果たしたい。

5 アイヌの祭りまたは芸能

 菅江真澄の見聞した,アイヌの祭りまたは芸 能につき,その梗概および論点を,明らかにし てみる。まずは,真澄遊覧記に描かれた,アイ ヌの祭りまたは芸能の記事を,不完全ながら一 覧にしておく(表3)。これを整理すると,祭 りとしてイヨマンテ,芸能としてユーカラと

「サルルン・リムセ(鶴の舞)」,伝統音楽とし てムックリとなっている。この一覧を踏まえ,

以下では,いかなる視点があるか,かつ課題を 残している視点はあるか,浮き彫りにしてみ る。

納豆の由来譚は,東北地方に集中しているから

[永山

1977

:

38],組織的な管理を想定できる。

いずれにしても,およそ200年前には存在した 慣習が,その意義を失わずに存続しているの は,きわめて貴重といえよう。

4 おわりに

 菅江真澄の見聞した祭りにつき,その梗概お よび論点を,明らかにしてみた。条件をつけて 絞り込んだものの,記事を一覧にしたり,論点 を例示したりして,従来にはなかった論文構成 を実現しえた。いっぽうで,真澄遊覧記に描か れた祭りは,名称が掲載されただけのものか ら,見解が付記されたものまで,その様態が多 岐に亘っている。こうした記録を総括したうえ で,普遍的な命題を提起していく,という道筋 を切り拓くまでには至らなかった。

 そうではあるものの,菅江真澄の見聞を大前 提としながら,中山太郎の論攷を小前提とし て,本稿の範囲を確定することはできた。中山 太郎は,祭礼研究を大成しえなかったものの,

『祭礼と風俗』という小冊子は上梓した。この

『祭礼と風俗』には,中山太郎自身も不満を残 していたらしく,以下のように締め括ってい る。

第一に祭礼と陰陽道との関係,第二に祭礼と仏教と の関係,第三に祭礼と儒教との関係を,更に代々の 物語,記録,随筆等に現はれた祭礼と風俗との箇々 の交渉に就いて,合点のゆくまで述べたかつたので ある。[中山 1929: 134]

 中山太郎は祭礼を,陰陽道や仏教などのなか で位置づけようとし,道半ばに終わったのだと 読み取れる。それでも,『祭礼と風俗』は1929

(13)

に,アイヌのユーカラにも,三河の花祭りにも,

三人称の語りがあると説く,本田安次論文[本 田

2000

:

343]を想起せしめるところである。

 三分したうち第二の視点は,近年になって進 捗しており,それゆえ課題も山積していると思 われる。旧来の学説は,シャモには在来の口琴 はなく,これが北方を経由して,もたらされた と推定してきた。この推定に基づくと,津軽海 峡を跨いだ地域で,口琵琶つまり口琴が使用さ れている[菅江

1971

b:

167図],と菅江真澄が 証言しているのに,注目せずにいられなかった と分かる。しかし,口琴が北方を経由したもの  一度に羅列すると混乱するので,ここではア

イヌとシャモとの係わり合いによって,便宜的 に三分して捉え直したい。第一に,アイヌなら ではの祭りまたは芸能である,という視点につ いて。第二に,アイヌとシャモとが交流するな かで,取り入れられた祭りまたは芸能である,

という視点について。第三に,実際の交流とは 直結しにくいものの,共通の性質をもつ芸能で ある,という視点について。第三を補足する と,真澄遊覧記にみえるアイヌの芸能は,月夜 つまり夜間に実施しており,シャモの芸能も,

たとえば盆踊りは,夜間に実施している。ほか 表3 真澄遊覧記にみえるアイヌの祭りまたは芸能

実施場所 アイヌの祭りまたは

芸能にまつわる語彙 タイトル真 澄 遊 覧 記出  所 先行研究

(西蝦夷地クドウ場所)クドウ ユーカラ,日暮れ 『えみ』89/5/2条

『かた』後篇 菅江 1971b: 36。菅

江 1974: 489 秋元 1977: 119。 小 林 1984: 153 ヤムクシナイ

(東蝦夷地ヤムクシナイ場 所)

イヨマンテ,セッツ,

シマフクロウ,熊送り 『えぞ』91/6/3条

『凡国奇』

『かた』後篇

菅江 1971b: 114,

156図。菅江 1973b:

146図。 菅江 1974: 486

内田 1950: 58。阿久 津 2001: 14。 菊 池 2010: 34。池田 2010: 57,62

ヲシヤマンベ

(東蝦夷地ヤムクシナイ場 所)

ユーカラ,夜更け 『えぞ』91/6/6条

『かた』後篇 菅江 1971b: 123-

124。菅江 1974: 489 内 田 1950: 59。 秋 元 1977: 147。浅野 1979: 95。 堺 1997: 172。 阿 久 津 2001: 16。石黒 2011: 111

(東蝦夷地アブタ場所)アブタ ムックリ,口琵琶,月

夜,磯部 『えぞ』91/6/7条

『筆のまに』3巻

『風』6『混』裏書

菅江 1971b: 127-128,

167図。菅江 1974: 71-72。菅江1980: 199。菅江 1981: 132

内 田 1950: 59。 秋 元 149。関根 1990: 23。直川 1994: 470,

474。 堺 1997: 161- 164。 阿 久 津 2001: 17。菊池 2010: 63。

山下 2011: 119。石 黒 2011: 125 陸奥国津軽郡館岡村 口琵琶 『えぞ』91/6/7条

『外浜』96/7/3条

『ひなの一』

『筆のまに』3巻

『混』裏書

菅江 1971b: 167図。

菅江 1972: 147。 菅 江 1973b: 329。菅江 1974: 71-72。菅江 1981: 132

秋 元 1977: 194。 関 根 1990: 23。直川 1994: 470,474。山下 2011: 119。菊池 2010: 66。星野 2012: 193

(東蝦夷地アブタ場所)アブタ イヨマンテ,セッツ,

熊送り 『えぞ』91/6/9条

『凡国奇』

『かた』後篇

菅江 1971b: 130- 131。菅江 1973b: 146 図。菅江 1974: 486

堺 1997: 299。 菊 池 2010: 36。池田 2010: 57,61。 石 黒 2011: ウス 133

(東蝦夷地ウス場所) 「サルルン・リムセ」,

月夜,浜辺 『えぞ』91/6/11条 菅江 1971b: 139 内田 1950: 57,60。

秋元 1977: 153。 堺 1 9 9 7: 1 5 8 。 石 黒 2011: 151

ヤムクシナイ

(東蝦夷地ヤムクシナイ場 所)

ユーカラ 『えぞ続』91/6/16条

『かた』後篇 菅江 1971b: 148-

149。菅江 1974: 489 石黒 2011: 165

(14)

と信じたゞけを,諸書に就き要約摘録した。[中山 1941: 4]

 この前文が評価できるのは,論旨が明快であ ることと,手順を追試しうることの,双方を充 足しているためである。これは,アイヌの祭 りまたは芸能の,第二の視点を考えるうえで も,有益な指針となろう。実際,シャモの芸能 のなかには,アイヌとの交流を説くものがあっ た[弘前大学民俗研究部編

1965

:

5]。これら芸 能が,実際に交流の産物といえるか,所作や囃 子や由緒などに亘って,個別具体的に吟味する 必要がある。この手続きを踏まずに,頭ごなし に否定したり,直感によって肯定したりするの は,あまりに目的論的で失当といわねばなるま い。

 なお,付言するまでもないが,アイヌ文化の 振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及 及び啓発に関する法律(以下,アイヌ文化振興 法という)が,施行されて久しい。アイヌ文化 振興法の第2条では,アイヌ文化が定義されて いて,そこでは舞踊を例示していた。真澄遊覧 記に描かれた,アイヌの祭りまたは芸能につい ても,現代語訳が既済であり,解説も豊富であ るから,いっそう踏み込んだ検証が不可欠とな る。参考までに,図書館学の日本十進分類法に おいて7類は,まず表現形式により分類し,さ らに様式や材料により分類する[もり編

1998

:

解説46]。この分類方法に基づくと,イギリス 人が日本画を作成しても,日本画と看做すのだ から,シャモがユーカラを演奏しても,アイヌ 文化と看做すのが自然といえる。

〔投稿受理日2013. 11. 15 /掲載決定日2014. 1. 23〕

のみであったか,熟考を要するといえよう。た とえば,山崎美成『海録』巻11には,「……薩 州にて吹物,神事に用……」[山崎

1915

:

319]

とみえ,九州地方を含めた概説は,山下正美論 文が試みてきた[山下

2011

:

120]。本稿では,

塵哉翁『巷街贅説』巻2を,検討に供したい。

○津軽笛,今茲文政甲申の秋,びやぼんと云鉄にて 造りたる笛を,童等専らに翫ぶ,其笛此頃初て作り 出したるにはあらず……[塵哉翁 1983: 132]

 この文面は,先述した『海録』に似通ってい るのだけれど,製作を開始したのが,文政甲申 すなわち1824年ではない,と断言しているとこ ろに個性がある。だから,在来の口琴は存在し なかったのか,存在しなかったとしても,それ が北方からのみの移入であったのか,慎重に取 り組むべきではなかろうか。

 かかるなかで,菅江真澄の証言が,注目され 続けるかは不確かながら,文化接触に留意した 着眼点は,尊重され続けると考える。こうし た着眼点は,かねて指摘のあったように[石 本

2000

:

195],ともすると民俗学をはじめとす る諸学の対象外になりやすく,容易に進展しな かった。むろん,留意すべしとする少数意見は 存在して,中山太郎『日本民俗学辞典』のうち,

「アイヌ」の項目の前文も,その一例といえる。

アイヌは我国籍にある民族ではあるが,我民族とは 全く種族を異にしてゐる。従つて彼等の民俗を此辞 典に加ふべきか否かに就ては考へねばならぬ。其結 果として此辞典からは除外することが学術的である と信じたが,併しアイヌは太古時代にあつては内地 の殆ど全部に居住して,永い歳月を経過したのであ るから,彼等の残した民俗が現に我等の民俗のうち 雑糅保存されてゐる。それ故に悉く除外することも 非学術的に考へたので,茲には彼我に交渉あるもの

(15)

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菅江真澄著; 内田武志,宮本常一編 1971a(1巻),

1971b(2巻),1972(3巻),1973a(4巻),1973b

(9巻),1974(10巻),1975(5巻),1976(6巻),

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(16)

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第2巻,早稲田大学出版部

参照

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