明 治 維 新 以 後 の 刑 法 制 定 史 と 未 遂 規 定
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(2) 明治維新以後の刑法制定史と未遂規定. 七八. 価値との間をさまようことになった︒ところで︑未遂犯は結果の発生を欠く場合であって︑結果の無価値ということ. に重点をおけば︑既遂犯に対して例外的に処罰されることになり︑少なくとも︑一定の結果の発生−具体的危険の発. 生を要するであろう︒他方︑行為無価値を重視する考え方からすれば︑むしろ犯罪は未遂形態が基本とされるであろ. うし︑その処罰の根拠としては︑行為の規範違反性︑法秩序に対する危険性にみとめられることになろう︒目的的行. 為論は行為を主観・客観の統一体として把握する︒したがって︑行為の無価値を判断するのに︑必然的にその主観化. をもたらす︒﹁客観面は違法に︑主観面は責任に﹂との原則は維持しえなくなったのである︒ところで︑未遂犯の間. 題︑例えば︑実行の着手時期︑不能犯︑または中止犯の問題などにおいて重要なのは︑いつ処罰するに足りる危険性. が生じ︑または存在し︑消滅するかということである︒これを判断するのには︑行為の主観面︑客観面のいずれを重. 視するかによって見解を異にせざるをえない︒このように︑未遂犯の諸問題の解決は︑違法本質論︑行為論等の理解. 如何にかかっているといえる︒したがって︑未遂犯に関する研究において得られた結論は︑右の間題において︑とる. べき立場を示す道案内人となるであろう︒ の さて︑我々は︑未遂犯研究の予備的作業として︑先に︑一般的未遂概念の成立過程を概観してきたのであるが︑本. 稿においても︑引き続いて予備的作業の一部として︑明治維新以後の刑法制定史をふりかえりながら︑そこにあらわ の れた未遂犯規定の流れ︑未遂犯概念の変遷をたどってみることにする︒刑法改正問題がやかましい今日︑静かに歴史 に眼を転ずるのも意義なしとしないであろう︒. それでは︑我々は︑まずその考察を︑明治初期の刑法の暫定的内容をなした公事方御定書と仮刑律からはじめよう︒.
(3) ① 拙稿﹁未遂犯の歴史的展開﹂早稲田大学大学院法研論集八号︵昭和四八年︶一五五頁以下︒. 暫定的立法と未遂規定. 旧刑法制定以前と未遂規定. 九巻一号︵昭和三四年︶一頁以下参照︒. ② 明治維新以前の事情につき︑西山富夫﹁日本刑法の歴史的変遷と末遂・不能犯−明治以前の法制についてi﹂名城法学. e. 明治維新以後の刑法の歴史は︑徳川幕府の刑罰法規を踏襲することからはじまった︒すなわち︑ 一八六七年. ① 総 説. ロ. ︵慶応三年︶十月十四日の大政奉還の直後︑同月十九日に︑慶喜が﹁刑法之儀は︑召之諸侯上京之上御取極可相成候. へ共︑夫迄之処は仕来通にて宜候哉﹂と伺い出たのに対し︑同月二十二日︑﹁召之諸侯上京之上︑規則被相立候得共︑ む 夫迄之処は是迄之通り可心得事﹂との指令が下された︒この指令によって︑旧幕府領には公事方御定書が︑各藩では の それぞれの藩刑法が尚効力あるものとされたのである︒かような措置は当時の状況からは止むを得ない暫定的なもの. であったろう︒しかし︑同時に︑以後他の法分野に先立って︑新政府が刑律の制定を企図していることが明らかにさ. れ︑明治元年の仮刑律の制定をはじめとして︑刑法典が編成されたのである︒かように︑刑法典が整備された理由. 七九. は︑第一に︑地方分権的な幕藩体制の崩壊後︑中央集権国家の成立を目指した新政府としては︑﹁基本的な国家権力 ぶ 秩序の維持・強化︑それを阻害するいっさいの社会的言動の予防・処罰のための法規範﹂としての刑法典の整備と強 明治維新以後の刑法制定史と未遂規定.
(4) 明治維新以後の刑法制定史と未遂規定. 八○. 行とによる国家刑罰権の中央集権化の確立を必要としたこと︑第二に︑﹁刑法は君の仁徳を施して民を教化するの用 の. 具﹂であるという東洋的な考え方が新政府の天皇親政の復活と結びついたということである︒ の 右の指令に基く暫定的措置は︑同年十月晦日の行政官布達によって成法上も確認された︒ここにおいて︑新政府 む は︑徳川の刑律を踏襲して︑すなわち︑公事方御定書によって刑罰法規の中央集権化を行なったのである︒もちろ. ん︑公事方御定書の規定は維新以後の社会状況に必ずしも適合するものではなかった︒そこで︑当時︑刑法官におけ ⑳ る執務準則として制定されていた仮刑律に準拠して用刑の心得方を示したのである︒さらに一歩進んで︑同年十一月. 十三日の太政官達が︑はじめて具体的な犯罪処刑方針を全国に指示したのであり︑この内容は大体において仮刑律殊 佃 にその修正後の量刑に準拠したものである︒このように︑公事方御定書を修正し︑新政府の﹁実刑主義﹂の実を挙げ. んとしたのである︒しかし︑﹁新しい権力が︑旧制度のそれとまったく異質的なものであった場合︑なにょりもさき 圃 にこの刑罰法規およびその適用の実際において︑注目すべき新発足がなされるのは︑当然でなければならない︒﹂の. に対し︑一部の修正を伴うとは言え︑基本的に徳川時代の刑罰法規を継承したこと︑及び︑継承された在来の刑律を ㈱ 擬して︑断罪の衝にあたったものは地方行政官庁で︑そこには旧態依然たる﹁お白州﹂が展開されていたことは︑そ. れが単なる﹃新律御布令迄﹄にせよ︑新政府の権力的性質が徳川時代のそれと同質であったことを示すと言えよう︒. すなわち︑﹁明治維新政府は︑封建的領有の統一的継承者としては︑封建的隷農制を持続・再編成することを自主存立. の必須要件となしたが故にその限りにおいては︑幕府・諸藩と基調を同じくする基本的諸政策を必要とし︑従って︑ 個 刑罰制度の領域においても︑徳川封建のそれと︑何等本質的な差異があるを得なかったのである︒﹂.
(5) 二. その際に︑各府県藩よりの擬律についての伺出に対する回答という形式. ⑯. 以上に概観してきたように︑明治維新直後から新律綱領の頒布に至る迄は︑徳川時代の刑律︑殊に公事方御定. 書を基本として︑刑政が運用されてきた︒. で︑叉︑前述の布達という形式で︑仮刑律が︑公事方御定書を修正して︑当時の社会状況に適合する刑法を形成する. 機能を果していたのである︒したがって︑漸次︑公事方御定書の適用される領域は減少したであろう︒しかし︑新律. 綱領の頒布迄︑並び行なわれた公事方御定書と仮刑律の実際の施行状況は明らかでない︒仮刑律も当時の社会状況に ⑯ とって︑十全なる刑法ではなかったことだけは確かである︒. 前掲・日本近代刑事法令集上一i二頁︑手塚・前掲論文三頁︒. 和三一年︶三 頁 ︒. 日本近代刑事法令集上へ司法資料別冊第十七号︹昭和二〇年︺︶一頁︑手塚豊﹁仮刑律の一考察﹂明治初期刑法史の研究︵昭. ω 明治維新以後の社会的・経済的状況については︑鈴木安蔵・法律史︵昭和三五年︶一頁以下︑二四頁以下参照︒ ② ③. ④石井良助・明治文化史2法制編︵昭和二九年︶二七〇頁︒公事方御定書については︑高柳真三・徳川時代刑法の概観︵司法. 制史論集第三巻︵昭和四六年︶上七二九頁以下など参照︒藩法については︑石井・日本法制史概説︵昭和三五年︶四八四頁︑. 資料別冊第九号︹昭和一七年︺︶︑仲節雄・日本古代刑法思想史考︵昭和一八年︶二三二頁以下︑中田董﹁徳川刑法の論評﹂法. 高柳・前掲書四頁註六︑細川亀市・日本法の制度と精神︵昭和一九年︶二八五頁以下参照︒資料として︑京都帝国大学法学部. 仮刑律については︑手塚・前掲論文の他︑石井・前掲書二七一頁以下︑夏目文雄﹁近代日本刑事立法史の研究︵一︶﹂法経論. 日本法制史研究室編刊・近世藩法資料集成︵昭和一七−八年︶︑藩法研究会編・藩法集︵昭和三四−四一年︶がある︒. 八一. 集二六号︵昭和三四年︶=一三頁以下︑岩崎二郎﹁明治初期刑法学の研究︵一︶i︵一五︶﹂商経法論叢一五巻二号︵昭和三九年︶. ㈲. 鈴木・前掲書七六頁︒. 一二頁以下−神奈川法学七巻二号︵昭和四六年︶六五頁以下など参照︒ ⑥. 明治維新以後の刑法制定史と未遂規定.
(6) 嗣. 明治維新以後の刑法制定史と未遂規定. 八二. 県においては原則として実行されたとしても︑各藩においては︑旧来の藩法を採用する場合も多かったであろう︵石井・前掲. 7 小林好信﹁明治維新と刑法の撰定﹂法学論叢四八巻五号︵昭和一八年︶一一五頁︒ ︵ 法規分類大全第一編刑法門一至二︑二頁︑小林・前掲論文一二六頁︒ 8 ︵ ラ しかし︑新政府の意図とは別に現実にはどの程度までこの布達が実行されたかは疑問である︒旧幕府領を中心におかれた府 9 ︵. 津田茂磨・明治聖上と臣高行一〇四ー五頁︵小林・前掲論文一二三頁より引用︶参照︒. この回答を集録したものに仮刑律的例︵前掲・日本近代刑事法令集上三〇五頁以下︶がある︒. 小笠原・前掲論文六一頁︒. 小笠原欽明﹁刑法発達史についての一考察e﹂歴史科学四巻四号︵昭和一〇年︶六三頁︒. 鈴木・前掲 書 六 頁 ︒. 手塚・前掲論文﹁仮刑律の一考察﹂一六頁︑石井・前掲書二七四頁以下参照︒. 前掲・日本近代刑事法令集上三頁︒. 書二七三頁︑手塚﹁新律綱領の施行に関する一考察﹂明治初期刑法史の研究七八−九頁参照︶︒ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑳ ㈹. ⑮. 2 御定書百箇条と未遂規定 ② 御定書百箇条においては︑﹁古代の結果責任主義から将に近世の過罪責任主義に移らんとする︑過渡期の変遷. 鋤. 個々の犯罪を処罰する規定の中には︑未遂犯の取扱いについての法理をうかがわせるものがある︒以下この点. それが犯罪の成立にとって重要な要素となったにもかかわらず︑未遂犯についての一般的規定を欠いていた︒し. を示して居る﹂ のであった︒このことは未遂概念の成立過程からみても然りである︒すなわち︑故意概念が明確とな り︑. かし︑. 第一に︑御定書百箇条においては︑ 単なる悪意の表示を処罰した規定がある︒第六十三条の﹁一︑遺恨を以︑. について概観してみようQ. e.
(7) 火を可附旨︑張札叉ハ捨文致候もの︑死罪﹂の規定がこれである︒放火罪の場合︑後述するように︑その未遂・既遂. をとわず火罪に処しているのに反し︑単なる犯意の表示すなわち︑犯意実現の最初の段階を右の規定では火罪よりも. ︵第二十一条一項︑第六十六条一項など︶と明確に︑﹃ある. 次に︑犯意の表示の段階から進んで︑今日の意味での予備行為を処罰したものがある︒それには︑単に︑予備. 軽い死罪に処しているのである︒. ⇔ 行為を外形的に行為者の意図如何にかかわらず処罰したもの. 御定書百箇条においては︑明確に未遂を処罰する規定があった︒その中には︑既遂の場合と同一に処罰したも. 犯罪の予備﹄という関係に立つ予備行為を処罰したもの︵第五+六条五項︑六項︶とがある︒. ㊧. 未遂を既遂と同一に処罰する規定は放火︑窃盗および姦通を処罰するそれである︒. のと︑それよりも軽く処罰したものが見られる︒. ①. i放火罪については︑第七十条中に︑﹁一︑火を附候者︑火罪﹂との規定がある︒この規定には︑最初︑﹁但燃立不申. 候ハ︑引廻之上死罪﹂という但書があって︑未遂すなわち︑火をつけたが燃え立たない場合を軽く処罰していた︒と. ほ. ころが︑寛延二年に至って︑三奉行に対して︑﹁御定書之内︑火附御仕置燃立不申候者引廻之上死罪と有之候得共︑ カ 向後燃立不申候とも一同可為火罪候﹂という書付が与えられたので︑それに基いて︑宝暦四年に右の但書が削除され. たのである︒かような理由から︑右の規定は未遂︑既遂をとわずに処罰していると解されるのである︒. 八三. 11窃盗罪については︑延享四年老中酒井雅楽の﹁盗賊御仕置之事﹂についての三奉行に対する口上覚書の中に︑ ぱ ﹁一︑家之内江入盗未致内二召捕候ハ・忍入之無差別賊徒同前﹂との規定がある︒これは盗犯の未遂−場合によっ 明治維新以後の刑法制定史と未遂規定.
(8) 明治維新以後の刑法制定史と未遂規定. り ては予備的行為を含むーを既遂と同一に処罰する趣旨である︒. 八四. 次に︑殺人傷害︑毒殺︑贈賄等の未遂を処罰する規定においては︑未遂を既遂に比して軽く処罰している︒. ⁝m姦通罪については︑姦通の現行犯人の殺害の許容性を認めた規定︵第四+八条︶があり︑自己の妻に姦通を企て未 は だ遂げざる者に対して夫の殺害権を認めていた︒ここでは姦通未遂は既遂と同一に扱われているのである︒. ②. i殺人傷害については︑第七十一条の﹁人殺並疵附等御仕置之事﹂の中の諸規定がある◎そこでは︑主人︑古主︑. 主人之親類および親に対する殺人傷害について殺人傷害の結果を生じなくても︑ ﹁切りかかり︑打ちかかり﹂する行 ぶ 為が既遂の場合よりも軽く︑死罪︑遠島および重追放に処せられている︒これらの規定においては︑殺人・傷害・未 遂の段階に応じて刑罰に軽重の差が設けられている︒. に. 11毒殺については︑第七十一条中の︑﹁一︑毒飼いたし人を殺候もの︑獄門但毒飼いたし候得共不死二おゐてハ遠 ⑳ 島﹂の規定がある︒この規定は︑毒殺の未遂を既遂に比し軽く処罰する旨を明言した規定である︒ オ ⁝m以上の他に︑贈賄の未遂−今日の申込罪に該ると思われるものーや︑情死未遂を︑それぞれ既遂よりも軽く処罰 する規定︵第二十 六 ︑ 五 十 条 ︶ が ︑ 見 ら れ る ︒. 四 不能犯および中止犯については︑御定書百箇条には何ら言及するところがないので︑いかなる取扱いを受けて 圃 いたのかは遺憾ながら不明である︒中止犯については︑赦律第六条﹁重き悪事二同意いたし︑或ハ事を不遂もの之事﹂. の規定が︑中止犯に対する取扱いを示唆している︒すなわち︑同条は︑﹁一︑重き悪事︑発意又は右二同意および︑ ⑬ 事を不遂類︑事を遂候得ハ︑死刑難遁程之ものハ︑赦免︑難成事︑但︑自分と後悔︑悪事相止︑不遂をハ︑赦免︑可.
(9) 申付事﹂と規定し︑本文において︑未遂犯も既遂となれば死刑を免がれ難い種類のものであれば︑赦免を受けること ⑯ はできないことを明らかにすると同時に︑但書において︑中止犯は必ず赦免すべきことを明示している︒﹁自分と後. 悔悪事相止﹂た場合は︑可罰性は排除されないが︑通常の未遂犯に比して︑寛大な取扱いを受けていたのである︒. 二 以上概観したように︑御定書百箇条における未遂の取扱いは区々であった︒このことは︑御定書それ自身が編 ㈲ 纂当時の法令や先例を整理したもので︑抽象的理論的規定でなかったことにも由るが︑より基本的には未遂︑さらに. は︑i犯罪1についての理論的裏付がなかったことによると思われる︒しかし︑これを巨視的に見れば次の諸点. を指摘しうる︒第一に︑犯罪の実現過程すなわち︑犯意の表示︑予備︑未遂︑既遂の段階が明確に意識されていたこ. とである︒第二に︑未遂を処罰する規定には︑社会的危険性や反道義性の大なることを理由に予防的に既遂と同様に. 処罰するものと︑既遂に比して軽く処罰するものとがあった︒この未遂処罰規定においては︑多くの場合︑予備行為. は排除されていたものと思われる︒第三に︑不能犯については︑前述のように不明であるが︑中止犯については︑未. 遂犯に比して︑寛大な取扱いを受けていた︒第四に︑以上に述べた未遂を処罰する規定のない場合については明らか. でないが︑石井博士は放火罪についての第七十条に未遂を処罰する旨の但書が削除されたことに関連して︑未遂の場. 合に関する規定を除くことによって︑﹁未遂と既遂を同視することを示したのであるが︑これによって見ると未遂に関 ⑯ して特に規定のない場合には︑ これを既遂と同視するのが当時の常識だったように思われる︒﹂と述べられる︒しか. 八五. る時は︑死刑を免れ難い罪の未遂は既遂と全く同一に処罰され赦免がみとめられなかったが︑死刑よりも軽い刑に処 ㈲ せられるべき罪の未遂は︑前述の赦律第六条の反対解釈として︑赦免が許されたのである︒ 明治維新以後の刑法制定史と未遂規定.
(10) 明治維新以後の刑法制定史と未遂規定. 次に︑仮刑律の未遂規定の考察に移ろう︒. 仮刑律と未遂規定. 高柳・前掲書五二頁︒. 石井・前掲書四九三頁註4︒. 石井・前掲書四九六頁︒. 高柳・前掲書 五 二 頁 ︒. 前掲・日本近代刑事法令集上一=二頁︒. 西山・前掲論文一〇頁は︑不可罰であったとする︒. ちなみに︑情死の片割れを不粋にも重く処罰した理由につき︑仲・前掲書二四三頁参照︒. ︶ 中田・前掲書七四四頁︒ 1 ︵ ︶ 法文の引用は︑前掲・日本近代刑事法令集上二五頁以下による︒ 2 ︵ ラ 徳川禁令考後聚第三峡六二四頁︒ 3 ︵ 高柳・前掲書五〇頁︒ @ の 高柳・前掲書五〇頁︑石井・前掲書四九三頁註4参照︒ ︵ 徳川禁令考後聚第三快三六三頁︒なお︑高柳・前掲書五三頁註二参照︒ 6 ︵ ︶ 高柳・前掲書五〇頁参照︒ 7 ︵ ︶ 高柳・前掲書五一頁︑なお︑一二頁︒ 8 ︵ ラ 高柳・前掲書五一頁︒ ⑩ 高柳・前掲書五一i二頁︒. ⑩. ⑪ ⑫ ⑬. ⑳. ⑮. αカ. ㈹. ③. 八六. 一 仮刑律には︑現在の総則的規定に該る名例に︑ 未遂について何ら一般的に規定するところがない︒未遂を処罰.
(11) 一般的規定を設けず個別的・具体的規定を設ける律系統の刑法一般. する場合には︑各犯罪について個別的・具体的に規定が設けられているのである︒このように︑未遂を処罰する場合 が個々の規定に具体的に掲げられていることは︑. のカズイスティックな方法によったものであろうが︑より根本的には︑犯罪実現の段階の認識から進んで一般的に未. 第一に︑予備陰謀もそれだけで一定の場合には可罰的とされている︒賊盗律の﹃謀反大逆﹄の規定における﹁謀. 遂概念が形成されていなかったことによるのである︒. e. る﹂という文言は︑もと二人以上の通謀をいうのであるが︑しかし︑ 一人単独で計画した場合においても︑事すでに の 現われ︑犯意が明かになれば通謀と同じに扱われるのであって︑今日の予備陰謀にあたる観念である︒さらに︑この. 規定の後段の﹁若与り謀す﹂との文言は︑共に関与してはかりごとをめぐらすということであって︑陰謀にあたる︒. 第二に︑未遂を可罰的とする規定においても︑未遂を既遂と同一に処罰する規定と︑未遂を既遂に比して軽く. これらの謀反や大逆は国家にとって重大な犯罪であるから︑その予備・陰謀をも可罰的としたのであろう︒. @ 処罰する規定とがある︒. ω未遂を既遂と同一に処罰する規定には︑前段で述べた﹃謀反大逆﹄の他に︑﹃内府及び公解財物を盗﹄︑﹃劫囚﹄. および﹃槍奪﹄などである︒国家に対する重大な犯罪である﹃謀反大逆﹄や︑国家の司法作用を害する﹃劫囚﹄をは. じめとして︑﹃内府及び公癬財物を盗﹄や﹃槍奪﹄も単なる財物に対する犯罪でなく︑国家︑いわゆるお上に対する 犯罪とされている点で︑未遂・既遂が同一に処罰されているのである︒. 八七. ②未遂を既遂よりも軽く処罰する規定には次のものがある︒規定形式によって︑以下の三つに分けられる︒ 明治維新以後の刑法制定史と来遂規定.
(12) 明治維新以後の刑法制定史と未遂規定. 八八. i第一のグループに属するものは︑未遂・既遂という犯罪実現の段階に従って規定するものである︒﹃監守自盗﹄︑. ﹃常人官物を盗﹄︑﹃強盗﹄および﹃窃盗﹄がこれである︒これらの規定に共通する規定の文言は︑﹁既に行ひ︑︵未︶. ⁝⁝得ざるもの︑既に⁝⁝得るもの﹂というのであって︑そこには︑﹁実行に着手したが︑これを遂げなかった場合︑. ﹃劫囚﹄および﹃闘殴﹄の規定にもみられるところである︒. そして︑遂げた場合﹂と明確に未遂概念をみとめることができる︒このような例は︑規定の表現上多少の差異がある にしても︑. 11第二のグループに属するのは︑既遂について規定し︑それに対し︑未遂を規定するものである︒﹃強姦﹄︑および. ﹃放火﹄がこれである︒これらは︑いずれも既遂について規定し︑それに対して︑﹁未姦を遂げざる﹂や﹁若未燃揚﹂. として︑未遂を規定するのである︒前者には︑﹁未遂﹂という現在の法律用語を思わせるものがあり︑後者は︑放火. の既遂時期としては︑いわゆる独立燃焼説によっていたのであろう︒ちなみに︑かような表現が公事方御定書にもあ ったことは前述したとおりである︒. 価以上の他に︑次のような規定がみられる︒﹃妖書妖言を造る﹄︑﹃内府及び公癬財物を盗﹄︑および﹃謀殺﹄などで あるQ. これらは︑﹁未衆に及ざる﹂︑﹁盗得ざれば﹂︑﹁傷るとも︑未︑死せざれば﹂および︑﹁未︑傷けざれば﹂という文言. ﹃妖術毒薬を用人を殺﹄の規定がこれで. によって未遂を処罰する旨明らかにしたものである︒ あ 第三に︑中止犯および不能犯について︑仮刑律は何ら規定するところがないので︑その取扱いは不明である︒ただ︑. 不能犯については︑今日迷信犯と思われるものを処罰する規定がみられる︒.
(13) ある︒妖術とは︑. に. ﹁厭魅人﹂または﹁造符書﹂すなわち﹁厭勝鬼魅﹂の術をいうのであって︑今日からすればおよそ. 仮刑律においては︑未遂の取扱いは統一したものではなかった︒次のように要約しうるであろう︒. 人を殺す危険性のないものである︒. 二. 第一に︑一定の場合には︑予備・陰謀が可罰的とされていたこと︑第二に︑未遂犯について一般的規定を設けない. で︑個別的・具体的に未遂を処罰する規定を設けていたこと︑その規定の中には︑今日の未遂概念を思わせるものが. あったこと︑第三に︑未遂を処罰する場合︑多くは既遂に比して軽く処罰していたが︑重大な犯罪やいわゆるお上に. 対する犯罪の色彩の濃いものは︑既遂と同一に処罰されていたこと︑第四に︑中止犯および不能犯については規定を 欠いていたこと︑ で あ る ︒. ω 岩崎・前掲論文︵一四︶神奈川法学七巻一号︵昭和四六年︶七五頁︒法文の引用は︑前掲・日本近代刑事法令集上二二九頁 以下による︒. 法︵昭和三四年︶一二四頁︑岩崎・前掲論文︵一四︶七六頁︒. ②小野清一郎﹁唐律に於ける刑法総則的規定﹂刑罰の本質・その他︵昭和三〇年︶三三五頁︑仁井田陞.中国法制史研究.刑. ③ 養老律には不能犯処罰規定があったことにつき︑西山・前掲論文四頁︑滝川政次郎・日本法制史研究︵昭和一六年︶一四七. 岩崎・前掲論文︵一〇︶神奈川法学四巻二号五巻一号合併号︵昭和四四年︶一三六頁︑仁井田・前掲書二一五頁参照︒. 頁参照︒ ④. 新律綱領・改定律例と未遂規定. 八九. 中央集権国家の確立を目指す新政府にとって︑前段で考察した暫定的・過渡的立法では不十分であって︑早. ⇔ 一. 明治維新以後の刑法制定史と未遂規定.
(14) 明治維新以後の刑法制定史と未遂規定. 九〇. 晩︑本格的な刑法典の制定が実現されなければならなかった︒このような趣旨で制定されたのが︑新律綱領︵明治三. 新律綱領は︑仮刑律と違って︑頒布施行されたものであったが︑それは︑律令制におけるように︑人民一般では. お 年︶・改定律例︵同六年︶であった︒. e. なく︑官吏に対する頒布という形式をとり︑官吏の執務規程と考えられていた︒しかし︑実際には︑翌明治四年に︑. 書犀に売本を許し︑各国公使にも一部ずつ頒つことによって人民一般に周知されることになった︒. いま︑新律綱領を仮刑律と比較すると︑職制律と罵言律の二律が加わっている他︑賊盗律においては︑仮刑律に規. 定されていた謀反大逆および謀叛が︑そして︑名例律から八虐・六議の条が削除されたことなどの相違があるもの. の︑日本の伝統的法体系を基礎にする点では︑仮刑律と何ら変りはなかった︒このように新律綱領が支那法系の刑法 ゆ として律的色彩を多分に持っていたのは以下の理由による︒第一に︑新律綱領の編纂時期が︑明治二年五月の︑典型. マ. ほ. 的な律令制の復活とされる弾正台制度の設置や同年七月七日の職員令による太政官制の改革にみられるように︑律令. 的復古調の強いときであったこと︑第二に︑編纂に携わった人が水本成美を中心とする律令学者であったこと︑第三. に︑律令系の法制は︑随唐の中央集権的な政治的組織について発達した官僚主義的な法制である点から︑中央集権化 む を企だてた明治政府がこれを採り入れたことは当然のことであったこと︑などである︒. ⇔ 新律綱領は︑罪囚停滞を除去すると共に︑﹁仮刑律による刑罰を仁政の御趣旨によって寛和すべく︑一時の暫定法 ⑳ として編纂されたものであった︒そこで︑﹁昨春以来用刑の実地に就き綱領の未だ轟さざる処を敷術し︑或は制度の ⑳ 更革に因浴し︑律の権衡を改正﹂するために︑改定律例が制定されたのである︒したがって改定律例は︑その本質に.
(15) おいては新律綱領と変るものではなかった︒ただ︑頒布の形式上前諭に﹁臣僚其レ之ヲ遵守セヨ﹂とあるように︑律. 令的残津があるが︑全国に頒布して一般施行を命じた点で︑新律綱領よりも近代的性格を有するといえる︒さらに︑. 新律綱領・改定律例を制定したあとの政府内に︑次に来るべき刑法の性格に関し︑維新の﹃近代化﹄という面. 前諭に﹁各国ノ定律ヲ酌︑・・﹂とあるように︑条文形式をとったこと︑答杖徒流の刑名を懲役に代えたこと︑および第 圃 二六六条の難姦に関する規定などに︑わずかながらも西洋法の影響がみられるのである︒. ㊧. を重視し︑西洋法を模倣した近代的な刑法を作ろうという考え方と︑維新の﹃復古﹄という面を重視し︑東洋的・律 囲 令的な刑法を制定しようという考え方が対立していた︒相対立した二つの見解が政府部内に存在していたところに︑ 侮の ﹁半封建的資本主義の法規範的撞着がそのまま集中的に表現されている﹂のである︒. 前者の見解にしたがって刑法の制定事業を進めたのは司法省であった︒司法省は︑﹁五年四月江藤氏転シテ司法卿 面 ト為ル時二詞訟ノ外国二交渉スル者甚タ多シ是二於テ深ク治外法権の弊害ヲ悟トリ日夜苦慮﹂していたので︑近代的. 法典の必要性を痛感していたのであった︒そこで︑同省では︑改定律例の制定と相前後しつつ︑明治五年から六年に. かけて︑フランス刑法を模範とする編纂作業を進めていたのであるが︑司法卿江藤新平の失脚と左院が立法権を専管 ⑯ することになったために︑惜しくも中断してしまった︒しかし︑これは︑これから制定される刑法の方向を示したも 岡 ので︑高く評価されるべきであろう︒現に︑左院廃止後︵明治八年四月十四日︶再び法典編纂の権限が司法省に戻っ. 九一. てから後︑明治八年以後開始された本格的立法作業は右によって示された方針にそうものであった︒ ⑬ 以下に︑新律綱領・改定律例の未遂規定を概観しよう︒ 二. 明治維新以後の刑法制定史と未遂規定.
(16) e. 明治維新以後の刑法制定史と未遂規定. 九二. 予備・陰謀であるが︑改定律例﹁強盗條例﹂第百三十条︑同謀殺條例第百六十条が強盗︑殺人についてそれぞ. れ規定している︒仮刑律で予備・陰謀を処罰した謀反大逆の條が新律綱領・改定律例では削除されている︒. ⇔ 未遂を処罰する規定には︑未遂を既遂と同一に処罰するものと︑既遂に比して未遂を軽く処罰するものとがあ るQ. ① 未遂を既遂と同一に処罰するものは︑﹃持兇器強盗﹄︵新律綱領︶︑﹃強盗強姦﹄︵新律綱領.改定律例︶および﹃劫囚﹄. ﹃強盗強姦﹄. ︵新律綱領︶にみられる︒これらの規定は︑﹁財ヲ得スト難モ﹂または﹁成否ヲ論セス﹂との文言で未遂・既遂を同一. に処罰する旨明示したものである︒前二者はその犯罪の危険性や罪状の重さを考慮したものであろう︒. について︑﹁強盗ノ身ナレバ︒人二捕ヘラルルヲ恐ルベキニ︒伽ホ恐レズ︒人二姦通ヲ仕掛ルニヨリ︒成−就︒不− 四 成i就ニハカマハズ︒絞罪ニスルナリ﹂と説明されている︒後者は国家権力すなわちお上に対する抵抗という色彩を 持つからであろう︒. 以上の他に︑直接的に未遂を処罰する規定ではないが︑姦通の現行犯人の殺害を一定の要件の下に許容し︑姦通の. 未遂犯人が私的刑罰に服することを認める規定︵新律綱領﹃殺死二姦夫一﹄︑改定律例第百七+二条︶もこの部類に入るであ ろう︒. ②未遂を既遂に比して軽く処罰する規定は︑前段の場合よりも多数である︒規定形式によって次の二つに分けら れる︒. i犯罪実現の段階にしたがって︑未遂・既遂を規定するものに︑﹃強盗﹄︵新律綱領ー不持兇器強盗︑改定律例改正強盗. ︵.
(17) ⑳. 律第百二十七条︶︑﹃強盗傷人﹄︵新律綱領︑改定律例改正強盗律第百二十七条︶︑﹃窃盗﹄︵新律綱領︑改定律例窃盗條例︶があ. る︒これらの規定において共通するのは︑﹁強盗︵窃盗︶1得サル者ハー得ル︵者︶ハー﹂という文言である︒. 前述の仮刑律に比べて︑未遂概念の内容という点からみると幾分表現上の後退がみられるにせよ︑そこには︑﹁実行. に着手したが︑これを遂げなかった場合︑そして遂げた場合﹂と明確に犯罪実現の段階に応じて規定している︒そ. の他︑表現上の差異があるにせよ︑より明確に﹃闘殴﹄や﹃謀殺﹄にもみられる︒とくに後者においては︑﹁已二行 伽 フ者﹂とは︑﹁手ヲ下シテ︒未ダ傷モツケザル者﹂であって︑殺人の実行に着手したものである︒ この規定は︑未遂. の場合でも︑何らの結果も発生しなかった場合と︑既遂の結果より小なる結果が発生した場合とを分けて規定してい る︒これも結果に応じて別個の刑を定める律的なやり方によるものであろう︒. 11次に︑既遂を規定し︑それに対して未遂を規定するものに︑﹃強姦﹄︵新律綱領︑改定律例第二百六十条︶︑﹃放火﹄︵新. 四 律綱領︑改定律例第二百+八条︶がある︒いずれの場合にも︑﹁未タ成ラサル者︵強姦シトゲヌ者︶ハ﹂︑﹁未焼搬︵モエ. 四 アガルノ意味︶二至ラサル者ハ﹂という文言で︑未遂を明示し︑既遂よりも軽く処罰している︒とくにこれらの規定. で注目すべきは︑前者においては︑既遂の刑を減軽して未遂を処罰していることである︒これらの規定も︑仮刑律の それとほぼ同一であるといえるだろう︒. ㊧ 中止犯および不能犯については︑新律綱領︑改定律例とも仮刑律同様規定を設けていない︒ただ今日迷信犯と 図 思われる行為が処罰されていたのも仮刑律と同様である︒新律綱領の﹃魔魅人﹄の規定がこれである︒. 九三. ㊨ 新律綱領・改定律例においても︑未遂についての取扱いは仮刑律のそれと基本的に同じである︒未遂概念につ 明治維新以後の刑法制定史と未遂規定.
(18) 明治維新以後の刑法制定史と未遂規定. 九四. いて一般的規定を欠くこと︑個別的に未遂処罰規定を設けたこと︑および中止犯・不能犯について規定のないことな どである︒しかし︑仮刑律と異なる点も若干みられる︒. 第一に︑仮刑律で未遂を処罰していたのが︑新律綱領・改定律例で処罰しなくなっている場合があることである︒. これには二つの場合がある︒第一は︑仮刑律で未遂を処罰した﹃謀反大逆﹄および﹃妖書妖言を造る﹄︑﹃槍奪﹄に相. 当する規定が新律綱領・改定律例に存在しない場合で︑第二は︑仮刑律で未遂を既遂より軽く処罰していた規定が︑. 新律綱領・改定律例では既遂のみの処罰規定になっている場合である︒例えば︑仮刑律の﹃内府及び公癬財物を盗﹄. の後段︑および﹃監守自盗﹄は︑それぞれ︑新律綱領の﹃盗乗輿服御物﹄︑改定律例盗乗輿條例第百二十四条︑およ び新律綱領の同名の﹃監守自盗﹄に相当するが︑いずれにも未遂処罰規定が欠けている︒. 第二に︑仮刑律になく︑新律綱領・改定律例に新たに未遂処罰規定が設けられていることである︒例えば︑新律綱 領の﹃謀同死﹄︑改定律例の謀同死條例第百九十九条である︒. 第三に︑仮刑律において予備・陰謀を処罰した﹃謀反大逆﹄が新律綱領・改定律例では削除されたが︑新たに︑改. 定律例に予備・陰謀を処罰する規定が設けられたことである︒例えば︑殺人の予備・陰謀については︑謀殺條例第百 六十条に︑強盗の予備については︑強盗條例第百三十条にみられる︒. 第四に︑未遂概念の形成という観点からすると︑表現の点において新律綱領・改定律例は仮刑律より劣っているこ. これらの制定過程については︑小早川欣吾・続明治法制史叢考︵昭和一七年︶一頁以下︑同︒明治法制史論︵昭和一五年︶. とである︒. ω.
(19) 公法之部下巻九七九頁︑小林・前掲論文八二一頁以下︑前掲・日本近代刑事法令集上六頁以下︑石井・前掲書二七六頁以下︑. これは職員令の頒布に対応するものである︵石井・前掲書二七七頁︶︒. 第二巻︵昭和四二年︶一二八頁︑二一=頁註︵七︶参照︒. 小笠原・前掲論文六四頁︑石井・前掲書二七六頁︒なお︑西原春夫﹁刑法制定史にあらわれた明治維新の性格﹂刑事法研究. 五三頁以下︑夏目・前掲論文一二六頁以下︑中村吉三郎・明治法制史第二輯︵昭和三六年︶二六頁以下に詳しい︒. 手塚﹁新律綱領編纂関係者考﹂明治初期刑法史の研究︵昭和三一年︶三三頁以下︑同﹁新律綱領の施行に関する一考察﹂同書. ② ③. 西原・前掲論文一二八︑なお︑二一九ー二二〇頁参照︒. 石井・前掲書二七七頁︒. 夏目・前掲論文コ一一〇頁︑コ一二i二頁参照︒. @. ⑥. ㈲. の夏目・前掲論文二二〇頁︑弾正台については︑夏目・前掲論文=一四ー五頁︑職員令については︑鈴木・前掲書三五−六頁 手塚・前掲論文﹁新律綱領編纂関係者考﹂三七頁︒. 参照︒. ⑧. 前掲・日本近代刑事法令集上一四頁︑小林・前掲論文一二四頁︒. ⑨ 団藤重光﹁官僚主義と刑法﹂刑法の近代的展開︵昭和二七年︶五六頁︒ αo. 石井・前掲書二八三頁︑西原・前掲論文二二〇頁など︒. ⑪ 小林・前掲論文コ一五頁︑前掲・日本近代刑事法令集上一二頁︒. 平野義太郎・日本資本主義の機構と法律︵昭和二三年︶一二五頁︒. ⑱一西原・前掲論文二二二頁以下︒. ⑫. Qφ. ⑮ 中隠居士・解難︵明治二三年︶三頁︒. 九五. 正律例について﹂明治初期刑法史の研究︵昭和三一年︶八一頁以下︑前掲・日本近代刑事法令集中二九七頁以下に収録されて. ⑯ 新律綱領・改定律例の不均衡を是正し︑時代に即応させようとして︑左院で﹃校正律例﹄という稿本が編纂された︵手塚﹁校. 明治維新以後の刑法制定史と未遂規定.
(20) 明治維新以後の刑法制定史と未遂規定. 手塚・前掲論文﹁校正律例について﹂一〇六頁︒. いる︒ αり. 近藤圭造訓註・新律綱領改定律例合巻註釈︵明治七年︶巻五︒. ⑱ 法文の引用は︑前掲・日本近代刑事法令集上三八一頁以下︑中三頁以下による︒ ⑲. 九六. ⑳一興味深いのは第百三十九条の規定である︒これは︑盗品を窃かに投げ還す場合は直ちに原状回復がなされたことになり︑未. 遂と考えられたのであろう︒発生した具体的結果について個別的・具体的に法定刑を定める律の結果責任主義の反映であろう︒. 近藤・前掲 書 巻 五 ︒. 近藤・前掲書巻五︒. の 近藤・前掲書巻三︒. ㈲. 吻. なお︑前掲・日本近代刑事法令集上五三二ー三頁参照︒. 旧刑法の制定過程. ⑳. e. 近代的な刑法典の編纂事業が︑左院廃止後︑再び司法省において始められたことについてはすでに述べたとこ. 二 旧刑法の制定過程と未遂規定. 一. ろであるが︑これはよく言われるように︑ いまだ近代国家としての実質を備えていない日本が︑欧米列強の資本主 の 義国の圧力の中で︑不平等条約の改正および治外法権の撤廃という国際政治的課題を実現するためのものであった︒. このために︑日本は急速に西欧型の法治国家に移行すべき必要性に直面していたのである︒それには︑近代的な法典 とそれを運用する司法制度が存在しなければならない︒.
(21) 明治四年七月に司法省が設置され︑翌年四月二十七日に︑左院副議長江藤新平が司法卿に就任し︑同年五月二十二. 日に︑﹁第一条 本省ハ全国ノ裁判所ヲ総括シ諸般ノ事務ヲ掌ル但シ裁判ノ事二関係スル事ナシ﹂と定め︑これまで む 拡散的であった司法権を全国的に統一すると同時に︑司法行政と裁判の分離の方針を明らかにしたのであった︒次い の で︑明治八年になって大阪会議の結果︑同年四月十四日の﹁元老院大審院ヲ置クノ詔﹂によって大審院が創設され︑. その後の裁判所制度の整備と相侯って近代的な司法制度が形成されたのである︒他方︑裁判所制度を整備すると同時. に︑司法省では︑明治四年九月二十七日に明法寮を︑同九年三月五日に司法省法学校を設立し︑外国人教師を召聰し. て︑とくに仏法を中心として教授せしめ︑将来の法典編纂事業のため︑およびやがて制定される法典を運用しうる能 む 力をもった裁判官の養成にも意を注いでいた︒. 法典編纂事業は︑かように西欧型の法治国家の形成という観点から推進されたのであ⇔が︑当時においては︑いま. だ近代的体系的法典に対する学問的研究が乏しかったために︑必然的に︑外国法典の継受によらざるをえなかった︒ の その理由は明らかでないが︑早くから仏刑法の邦訳がなされ︑司法省系統の学校では主として仏法が仏人教師によっ む て教授されていたというようなことからして︑刑法典の編纂事業は自ら主として仏刑法典を基礎にすることになった のであるQ. 二 e明治六年十月二十五日︑二代目司法卿に就任した大木喬任は︑明治八年九月十五日に刑法草案取調掛を設. 九七. け︑鶴田皓を纂集長として︑平賀義質︑小原重哉︑藤田高之︑名村泰蔵︑福原芳山︑草野允素︑昌谷千里︑横山尚︑ の 渋谷文穀および浜口惟長の各員をしてこれに任命した︒大木司法卿︑当時司法大輔であった山田顕義と右の各員との 明治維新以後の刑法制定史と未遂規定.
(22) 明治維新以後の刑法制定史と未遂規定 ω 合議によって︑起案の大要としたところは以下のものであった︒. 九八. 第一に︑欧州︵大陸︶諸国の刑法をもって︑骨子とし︑日本の時勢の人情に参酌して編纂すること︑その際に︑欧. 州諸国の刑法の中で仏刑法が先に翻訳され︑各員が日頃それに親しんでいること︑及び仏国教師を雇い中であって︑. 質間に便利であることから便宜上まず仏刑法を基礎とし︑漸次その他の国々の刑法典に及ぶこと︒第二に︑文字の用. 法は従来慣行の律のそれによること︒第三に︑当時法律教師であったボアソナードに原案を出させ︑今般纂集の草案. とを比較して本格的な編纂事業の一助となすこと︒第四に︑ボアソナードをして仏刑法を講義させて纂集の一助とな すこと︑であった︒. 翌明治九年一月四日︑政治の際に︑大木司法卿は︑刑法改正起草の儀を奏し︑この結果編纂されたのが︑﹃日本帝 ⑳ 国刑法初案﹄であった︒これは一三章八ニケ条からなる名例すなわち今日の総則に該るものであるが︑先に述べた起. 一概に仏刑法に倣うことは. 案の大要からも明らかなごとく︑後述の日本刑法草案編纂に先立って仮に編纂するところのもので︑後にボアソナ! 働 ドより提出された原案たる﹃日本帝国刑法草案﹄とを比較して︑日本刑法草案編纂の一助となるべきものであった︒ ㈲ これは同年四月二十五日に上呈され︑五月十七日元老院の議定に付せられたが︑なお不完全であるとされた︒ 働 ⇔そこで︑司法省では︑明治九年大木司法卿を総裁とし︑司法大輔山田顕義を委員長とし︑ボアソナードをはじ ㈲ め︑鶴田皓︑名村泰蔵および昌谷千里などをもって刑法編纂委員を設けた︒かくて︑日本刑法草案の編纂作業は同年 ⑯ 五月に着手してから明治十年十一月に脱稿するまで続いたのである︒ボアソナードは草案の編纂の始めにあたって︑ 基礎とする仏刑法には規定する事項およびその順序に不適当な場合があり︑したがって︑.
(23) ㈲ できないこと︑および起草に当っての大要を述べ︑前述の﹃初案﹄について各位の精査討論を要求したのであった︒ 国 かくて︑先の﹃初案﹄は一一七条に増補改訂され︑同年六月三十日に開申されたが︑さらに同年十二月二十八日に 側 は︑これを第一編として︑全四編五⁝二条からなる草案が元老院に上呈された︒これは確定案ではなく︑条件つきで 凶 仮に上呈されたものであった︒この草案は﹃目本刑法草案第一稿﹄と呼ばれている︒翌明治十年一月より右の草案に 囲 ついて校正し︑同年六月校正頓了する所の草案が﹃日本刑法草案第二稿﹄といわれるが︑その間に︑司法省では︑同. 年一月十二日に局課分掌が定められ︑刑法編纂課が設けられ︑後にこれは同年五月二十一日には刑法編纂掛に変って. いる︒その後さらに︑前述の﹃第二稿﹄に校正が加えられ︑﹃確定稿﹄ができあがり︑同年十一月刑法編纂委員鶴田. 皓より大木司法卿に上呈されたのである︒同月二十八日に︑司法卿は刑法草案四編四七八条・四冊および各国刑法類. 纂七冊を太政官に上呈して︑先に上呈した﹃日本刑法草案第一稿﹄の却下を求めたのである︒この時上呈された草案 幽 は﹃日本刑法草案﹄と呼ばれる︒. ㊧そこで︑太政官では︑同年十二月二十五日︑同官中に刑法草案審査局を設け︑参議伊藤博文を総裁︵のち柳原前. 光︶に︑幹事陸奥宗光︑議官細川潤次郎︑同津田出︑同柳原前光︑大書記官井上毅︑司法大書記官鶴田皓︑少書記官. ㈲. ㈲. 村田保︑同山崎直胤等︑太政官︑元老院︑司法省の官吏から委員を任命して︑総裁に対しては︑開局後六箇月を期し 凶 て審査を卒業するように達した︒翌明治十一年一月十四日︑右審査局は元老院中に開設され︑途中の中断はあったも 図 のの︑逐条審議を行なって修正を加え︑﹃刑法審査修正第一・第二稿﹄を経て︑明治十二年六月二十五日に審査を完. 九九. 了し︑同年七月四日に︑総裁柳原前光より︑﹃刑法審査修正案﹄三冊四編四三〇条が上進された︒この﹃刑法審査修 明治維新以後の刑法制定史と未遂規定.
(24) ㈲. 明治維新以後の刑法制定史と未遂規定 鋤. 一〇〇. 正案﹄は︑﹃治罪法修正案﹄とともに︑同十三年三月一日︑元老院の議に付せられ元老院で若干の修正を受け︑同年 囲 四月十六日に上奏された︒太政官はこれを法制部に廻付し︑その意見を聞いた後︑同年七月十七日に︑太政官布告第. 三十六号刑法として︑治罪法と同時に公布し︑翌十四年七月八日太政官布告第三十六号により︑明治十五年一月一日 四 より治罪法と同時に施行することになった︒これが旧刑法である︒ 次に︑旧刑法制定過程にあらわれた草案の未遂規定を考察しよう︒. ⇔未遂規定 3㊤ ω 日本帝国刑法初案︵以後初案と略称する︶. 未遂を処罰する場合を個別的・具体的に規定していたこれまでの方法とことなって︑この初案においてはじめて︑. 総則的規定として未遂について規定を設けることになった︒すなわち︑この初案は第三章未遂犯罪と題して︑次の四 ケ条を規定する︒. 第三十四条重罪軽罪ヲ犯サントシテ未タ遂サル者ハ未遂犯罪ト為ス. 第三十五条 死刑徒刑二該ル重罪ヲ犯サントシテ未タ遂サル者ハ五年以下二年以上ノ懲役二処シ流刑禁獄二該ル重. 罪ヲ犯サントシテ未タ遂サル者ハ五年以下二年以上ノ禁鋼二処シ並二十年以下ノ剥権五年以下ノ監視ヲ附加ス. 犯罪ノ設備ヲ為スト錐モ未タ行ハス若クハ已二行フト難モ事意外二出テ遂サルニ非ス自ラ悔悟停止ス. 第三十六条 軽罪ヲ犯サントシテ未タ遂サル者ハ本条別二其罪ヲ掲ルノ外論スルコ勿レ. 第三十七条. ル者ハ未遂犯罪ノ限二在ラス.
(25) ①初案纂集の過程で︑未遂犯罪の意義につき︑﹁設備ノミニテ未タ着手二至ラスト難モ罪状顕然タル者﹂︑﹁既二着. 手シテ未タ公益ノ害トナラサル者﹂および﹁設備ノミハ未遂犯罪トシテ論セス着手以上既二公益ヲ害スルトモ未タ遂. ケサル者﹂の三つが主張されたのであったが︑結局︑初案は第三説を採用し︑未遂犯罪を﹁重罪軽罪ヲ犯サントシテ. 未タ遂サル者﹂︵第三+四条︶とし︑﹁犯罪ノ設備ヲ為スト難モ未タ行ハ﹂︵第三+七条︶ない場合を未遂犯罪から除外す. る︒法文の文言の上では明白でないが︑ここには明らかに﹃実行の着手﹄を概念要素とする近代的未遂概念が基礎と. されているのである︒後述するように︑日本刑法草案第一稿においては法文の上にも右の概念が明示されているので. 処罰する法文を別に規定することになっていたの ⑳. ある︒ここに︑仏人教師を媒介とした仏刑法の影響をよみとることができる︒ 予備については︑﹁罪ヲ犯サントスル証跡明白ナレハ其予備ヲ﹂. であるが︑名例には予備を罰する刑について何ら規定を設けなかったのである︒. ②犯罪を重罪︑軽罪および違警罪の三つに分けたことに応じて︑未遂を処罰する場合について︑重罪はすべての場. 合︵第三+五条︶︑軽罪は各本条で定める場合︵第三+六条︶に︑それらの未遂を処罰するのであり︑違警罪については. 何ら規定を設けなかったのであるが︑その未遂を不処罰とする趣旨と解せられる︒. 未遂の処罰について︑﹁罪ヲ犯シ未タ遂ケサル者ノ内既二公益ヲ害シタル仮令ハ人ヲ謀殺スルニ既二傷ヲ成ス以上. ハ遂ケタル者ト同シク重罪ヲ以テ論スヘクモ︵酌量減等スルハ論ヲ待タス︶未タ傷ヲ成スニ至ラス機ヲ失スルカ又ハ. 意外ノ障碍二依テ中止スル等未タ公益ノ害ヲ為ササル者ハ軽罪迄減降シテ如何仏国刑法ノ如ク重罪二入レ置クハ酷﹂. 一〇一. であるので︑﹁未タ公益ヲ害スルニ至ラサル者ハ五年ヨリニ年迄ノ軽罪二降減シ傷ヲ為ス以上ハ別条ヲ設ケ其刑ヲ掲 明治維新以後の刑法制定史と未遂規定.
(26) 明治維新以後の刑法制定史と未遂規定. 一〇ニ. ケン﹂と決定され︑初案においては︑未遂は既遂よりも必ず軽く処罰されることになったのである︵第三+五条︶︒た. だ︑﹁重罪ヲ犯サントシテ未タ遂ケサル者ハ︵中略︶原来重罪ヲ犯サント巧タル者﹂で︑その道徳的悪性にかんがみて︑. 剥権監視の附加刑を科することにしたのである︒. ③中止犯については︑﹁行テ未タ公益ヲ害スルニ至ラサル内本心ヨリ悔悟シテ中止スル者ハ無罪二置クヤ若シ既二. 公益ヲ害シタル以上本心ヨリ悔悟シテ中止スレハ其害トナリタル事ノミニ就キ他ノ刑二擬シ科断スルヤ﹂というのに. 対して︑﹁本心ヨリ中止スル時ハ既二公益ノ害ハ為ストモ罪ノ性質ハ異ナルニョリ他ノ刑二就テ罰スル■ヲ得レハナ. リ其未タ公益ノ害トナラサル者ハ罪ノ論スヘキナシ﹂と決定されたのに基いて︑中止犯は未遂犯罪から取り除く旨規. 定されたのである︵第三十七条︶︒これに反し︑初案は不能犯について何ら規定するところがない︒わずかに︑毒殺し. ようとして毒薬を進めたが効を奏しなかった場合や鉄砲で人を殺そうとしたが過て弾丸が込めてなかった場合など︑. いわゆる手段に関する相対的不能・絶対的不能の事例について︑たんに未遂犯罪として処罰すべきか否かが議論され たに止まったのである︒. ④以上に概観したように︑初案における未遂規定は仏刑法および仏人教師ボアソナード等の講義によって得た知識. に基いたものであった︒明治九年という時点で︑しかも他の法分野に先立って︑かような規定が日本人の手で設けら. れたことは︑法文の用語や纂集過程の議論の中に律的な残津が見られるにせよ︑高く評価しうるであろう︒ ③ 日本帝国刑法草案︵以後原案と略称する︶. この原案は︑明治九年五月より着手せられた刑法草案編纂にあたって︑編纂委員ボアソナードと同鶴田皓との間で.
(27) 一人若シクハ数人共二重罪又ハ軽罪ヲ犯サント決定シタルコハ法律上正条アルニ非ラサレハ之ヲ処ス. 行なわれた﹃刑法草案総論略議﹄の中で﹁教師ヨリ今回差出サレタル草案﹂といわれているもので︑未遂について 幽 は︑第六章罪ヲ犯サント決定試謀誤機と題し︑第百十一条以下六ケ条の規定を設けている︒ 第百十一条 ルコヲ得ス. 重罪ヲ犯サントセシ端緒二於テ其犯状顕然ニシテ止タ犯人意外ノ景況ニョリ之ヲ中止シタル序ハ已二. 重罪軽罪ヲ犯サント単二設備ヲナシタル時モ亦同シ但シ附従ノ事二付第××条二記載セシマト抵触スルコ勿レ 第百十二条. 行フテ遂ケタル重罪二第××条二従ヒニ等ヲ減シ刑二処ス. 第百十三条犯サントセシ所行ヲ已二遂ルト錐モ犯人意外ノ景況ニョリ其目的タル重罪ヲ誤機シタルヰハ已二行フ テ遂ケタル重罪二第××条二従ヒ一等ヲ減シ刑二処ス. 第百十四条若シ本心ヨリ其犯サントセシ所行ヲ中止シ又犯サントセシ所行ハ已二遂ルト錐モ其目的タル重罪ヲ本 心ヨリ誤機スルヰハ現二犯シタル害ヲナシタル罪二非サレハ刑二処ス可カラス. 第百十五条 犯サントセシ所行アリト錐モ固有ノ性質叉ハ其施用シタル方法ノ性質二従ヒ更ラニ害ヲ為シ能ハス又. 仮令害ヲ為シ得ルモ犯人ノ企望シタル目的ヨリモ更ラニ至軽ノ害二非ラサレハ為シ能ハサル洋ハ犯人二刑ヲ加ヘス. 一〇三. 軽罪ヲ犯サントセシ所行又ハ之ヲ誤機シタル事ハ法律ヲ以テ特ホシタル軽罪二非ラサレハ前条二記載. 又ハ止タ現二成シ遂ケタル害ノミヲ罰ス. 第百十六条. セシ方法ト区別二従ヒ之ヲ罰ス可カラス 明治維新以 後 の 刑 法 制 定 史 と 未 遂 規 定.
(28) 明治維新以後の刑法制定史と未遂規定. 一〇四. 第百十七条 違警罪ヲ犯サントセシ所行ハ之ヲ罰セス 鰯 ①ボアソナードは︑その刑法学を︑フランスにおける新古典学派を代表するオルトランに負っており︑草案もその. 立場にしたがって︑すなわち︑第十九世紀初頭の社会功利主義と絶対主義とを調和せしめようとする折衷主義により︑ 餌 道徳的悪であり︑同時に︑社会的悪である行為のみを犯罪として処罰するという立場に立脚して起草したのである︒. この原案と前述の初案とを比較すると以下の主たる差異がみられる︒. 第一に︑原案は未遂について定義規定をもたないが︑初案にはそれがあったこと︵第三+四条︶︑第二に︑原案は︑. 予備・陰謀の原則的不可罰性について規定している︵第百+一条︶が︑初案は予備のみについて規定していること︵第. 三+七条前段︶︑第三に︑原案は重罪の未遂を着手未遂と実行未遂とに区別して別条に規定している︵第百+二条︑第百+. 三条︶が︑初案はこの区別をしていない︵第三+五条︶こと︑第四に︑したがって︑原案が中止犯について着手中止と. 実行中止を区別する︵第百+四条︶のに対し︑初案はその区別をしていない︵第三+七条後段︶こと︑第五に︑原案は不. 能犯規定を設けている︵第百+五条︶が︑初案にはそれが欠けていること︑である︒軽罪・違警罪の未遂についての. 取扱い︵軽罪について︑初案第三十六条︑原案第百十七条︑違警罪について︑原案第百+七条︶︑および未遂を既遂より軽く. 処罰することなどは両草案とも同じである︒. また︑この原案の未遂規定は︑ほとんど後のボアソナードの改正案︵以後改正案と略称する︶に引きつがれている︒. しかし︑両草案の作成された時期には約一〇年間の時の流れがあり︑その参考とした立法例にも多少の変化がみられ. る爾 ︒規定の表現においても︑かなりすっきりしたものになっている︒両草案は︑予備の原則的不可罰性を規定する原案.
(29) 第百十一条二項の︑予備の処罰につき附従について定めたこと︵原案第百九条参照︶と抵触してはならない旨の但書が︑. 改正案にはないこと︑および未遂の減軽の程度が︑改正案ではそれぞれ着手未遂と実行未遂とについて原案より一等. 軽くなっていることに差異があるにすぎない︒便宜上︑原案と改正案の両者をあわせて考察しよう︒. いま︑両草案の模範となったフランス法とその規定するところを比較してみると︑条文数のみでなく︑規定する内 岡. 闘. 容にも重要な差異がみとめられる︒それは︑両草案が単にフランス刑法だけでなく︑広く当時のフラソス刑法学を立 法化したと言われる所以である︒その重要なる差異は次の四点である︒. 第一は︑犯罪の単なる決意および予備が原則として処罰されないこと︵原案第百+一条︑改正案第百二+四条︶であ. る︒前者は﹁徳義上ノ罪悪二於テ⁝⁝大ナリト難モ未タ現在二於テ感覚ス可キ程ノ社会ノ害悪﹂とならないからであ. り︑後者は国の安寧に関する犯罪の予備を除いて︑﹁其徳義二背キ社会ヲ損害スル﹂ことは︑明らかであっても︑こ. の場合の所為は﹁人生通常ノ正当ナル行為ト混合シテ﹂区別することができないからである︒. 第二は︑未遂犯の処罰につき︑必要的減軽主義を採用したこと︵原案第百十二条︑百+三条︑改正案第百二+五条︑百二. +六条︶である︒未遂犯は︑道徳的悪の点では既遂犯と異ならないが︑社会的悪の点ではそれと異なるからである︒. フランスにおいては未遂と既遂を同一に処罰する旨規定され︑この規定は﹁最モ駁撃スヘキ﹂ものとされたが︑実際 幽. には減軽されていたのである︒. 第三は︑中止犯規定を設けたこと︵原案第百+四条︑改正案第百二十七条︶である︒それは︑﹁犯行ヲ中止シ又ハ犯罪. 一〇五. ノ効力ヲ敏キタル者ハ其悔悟ニョリテセルカ刑罰ヲ恐レテセルカヲ区別セス何レノ場合二於テモ法律ノ目的ハ既二其 明治維新以後の刑法制定史と未遂規定.
(30) 明治維新以後の刑法制定史と未遂規定. 一〇六. 幾分ヲ達シ社会ノ損害モ亦少ナク或ハ絶無ナルカ故二犯人二利益ヲ與へ﹂る趣旨からである︒その場合には﹁犯人ノ. 加ヘントシタル意思ノ害悪ハ措テ問ハス其実際加ヘタル害二従フテ之ヲ罰スル﹂のであり︑故殺に着手した場合に. も︑﹁人ヲ殺スノ意ハ之ヲ治療スルノ意二依テ︵幸二其効アレハ︶消滅スルカ故﹂に中止犯ならば不処罰となるので ある︒. 第四は︑不能犯規定を設けたこと︵原案第百十五条︑改正案第百二十八条︶である︒それは不能犯の問題を積極的に解. 決しようとするためである︒その不可罰の理由は︑﹁其徳義二背クコト大ニシテ犯罪ノ遂ケタルモノニ同シ然レトモ. 社会ノ害悪二至リテハ絶テ之レ無キナリ蓋シ其決意シタル害悪ハ発シ得サリシモノナレハ社会ノ危険﹂がないことで あって︑客観的立場︑それもフォイエルバッハに近いそれに立脚している︒. このように︑右の両草案は︑ボアソナードの︑犯罪の実現過程の緻密な分析を反映して︑まことにきめのこまかい. 規定をおいたが︑後述するように︑日本刑法草案ではほとんどその規定するところが引き継れたにもかかわらず︑刑. 法草案審査委員の審議の過程で大きな修正を受け︑結局︑旧刑法においてはわずかに三ケ条の規定を設けるにとどま ったのである︒. ③ 日本刑法草案 国 前述の両草案を基礎として作成された日本刑法草案は︑第一稿︑第二稿を経て︑確定稿は︑未遂について︑第九章. 未遂犯罪と題し七ケ条の規定を設けている︒いま︑日本刑法草案の各稿とさきの両草案とを比較してみよう︒. 第一に︑日本刑法草案は章名を未遂犯罪とし︑この点は初案にならっている︒第二に︑日本刑法草案は︑各稿とも.
(31) ほとんど規定する事項に︑第一稿において不能犯規定の中に附加刑として監視の刑が規定されていた︵第一稿第百+五. 条二項︶ことを除いて︑原案と変りがない︒不能犯の場合は︑﹁道理上ヨリ見レハ大罪ナレモ利害上ヨリ考フレハ有無 ㈹ ノ間二﹂あるということによって︑その処罰は単に附加刑としての監視i一種の予防処分iに止まるのであるQ. 第三に︑第一稿には﹁巳二着手﹂との文言のあることである︵第一稿第百+二条︶︒これはその編纂過程が示すよう. に︑実行の着手を意味するものであって︑仏刑法に由来するものであろう︒初案の規定する未遂概念も実行の着手を. 概念内容とする未遂概念であったことについては前述した通りである︒従来︑未遂概念においては︑必ずしも予備と. 未遂の明確な区別はなされず︑両者を含めた企行という概念が中心であった︒しかし︑フランス革命暦四年九月二十. 二日法律︵一七九六年七月十日︶において実行の着手概念が規定されてから︑ 一八一〇年のナポレオン刑法典︑それ @ からプ・シア刑法典︑ドイッ刑法典へと受け継れたのである︒ちなみに︑第二稿︑確定稿の﹁其事ヲ行ヒ﹂との文言 も右と同一の意味をもつものであろう︒. @刑法審査修正案︵第一稿・第二稿・確定稿︶ 第一稿は︑第九章未遂犯罪と題し︑次の六ケ条の規定を置く︒. 第百十四条罪ヲ犯サンコヲ謀リ又ハ其予備ヲ為スト錐モ未タ其事ヲ行ハサル者ハ本條別二刑名ヲ掲クルニ非サレ. 一〇七. 重罪ヲ犯サントシテ已二其事ヲ行フト難モ本犯意外ノ障凝二因リ未タ遂ケサル時ハ已二遂ケタル者ノ. ハ其刑ヲ科セス. 第百十五条. 刑二一等叉ハニ等ヲ減ス 明治維新以後の刑法制定史と未遂規定.
(32) 一〇八. 重罪ヲ犯サントシテ已二其所為ヲ鑑スト錐モ事意外ノ舛錯二因リ其目的ヲ遂ケサル時ハ已二遂ケタル. 明治維新以後の刑法制定史と未遂規定. 第百十六条. 重罪ヲ犯サントスル所為アリト錐モ其事物ノ性質又ハ施用ノ方法二於テ害ヲ為スノ理ナク若クハ害ヲ. 者ノ刑一二等ヲ 減 ス. 第百十七条. 軽罪ヲ犯サントシテ未タ遂ケサル者ハ本條別二記載スルニ非サレハ其罪ヲ論スルコヲ得ス. 為スト錐モ本犯ノ目的ヲ遂ク可キ理ナキ時ハ止タ現二加ヘタル殿傷損害ノ罪ヲ論ス 第百十八条. 第百十九条 違警罪ヲ犯サントシテ未タ遂ケサル者ハ其罪ヲ論セス. 第二稿および確定稿は同一であって︑第九章未遂犯罪と題し︑三ケ条の規定を置く︒ 紛 審査修正案︵確定稿︶の未遂犯罪に関する規定は︑元老院でそのまま可決され︑旧刑法のそれとなったものであ. る︒今︑これを前述の日本刑法草案と比較してみると︑その差異は︑次の三点である︒第一に︑日本刑法草案および第. 一稿においては︑別の条文に規定されていた﹁意外ノ障擬﹂と﹁意外ノ舛錯﹂が確定稿においては一つの条文︵第百. 十二条︶に規定されていること︑第二に︑日本刑法草案第百二十七条に規定されていた中止未遂に関する規定が︑第. 一稿以来削除されていること︑第三に︑日本刑法草案第百二十八条に規定されていた不能未遂に関する規定が第二稿. 以来削除されていることの三点である︒以上の他︑若干の表現上の差異と未遂処罰の減軽の程度の違いを除けば基本 ㈲ 的に変りはない︒次に︑右の三つの差異について考察しよう︒. i﹃意外ノ障磯﹄とは︑﹁犯罪ノ半途二於テ意外ノ障凝二因リ其罪ヲ遂ケサル﹂場合であって︑例えば︑人を銃殺. しようとして銃を構えたが︑他人が傍らから銃を持つ手をおさえて発砲するに至らなかった場合であり︑﹃意外ノ舛.
(33) 錯﹄とは︑﹁已二其所為ヲ壷シタル後意外ノ舛錯二因テ其罪ヲ遂ケサル﹂場合であって︑例えば︑前述の銃殺の場合に. おいて︑発砲したが弾丸が当らなかった場合である︒しかし︑一度発砲したが当らなかった場合に︑さらに発砲しよ. うとしたところ︑他人に妨害されて発砲するに至らなかったときは︑﹃意外ノ障凝﹄か﹃意外ノ舛錯﹄の場合か必ず ㈲ しも明らかでない︒このように︑﹁犯罪ノ情状錯雑シテ判然意外ノ障磯及ヒ意外ノ舛錯ノニ類二区別シ難キヲ以テ本. したがって︑﹁判官罪ヲ判決スルニ臨メハ本條記載スル所ノ障磯. 條︵第百+二条−筆者註︶ハ司法省上申ノ法案︵日本刑法草案−筆者註︶ヲ廃シ各国刑法ノ成文二従ヒ障磯舛錯ノニ類ヲ一. 條二纏メ一等又ハニ等ヲ減スト定メタ﹂のである︒. ト謂フハ事実二於テ舛錯ヨリ一段軽キ者ト見傲シ一等二等ノ間二於テ犯状ヲ斜酌考量シテ科断スルヲ要ス﹂とされた のである︒. h中止犯に関する規定が削除されたのは︑﹁本條︵第百+二条−筆者註︶意外ノ障硬若クハ舛錯二因テ未タ遂ケサル. 序ハト記載スルニ於テハ其真心悔悟二因テ自ラ其犯罪ヲ遂ケサル者ハ未遂犯罪ノ性質二非サルユ言外二判然﹂として. いるからである︒したがって︑規定がなくても︑﹁其所為ノ更ラニ害ヲ遺サ・ル牛ハ其罪ヲ論セサルユ言ヲ待タス若. シ又害ヲ加ヘタル後悔悟シテ自カラ其罪ヲ遂ケサル者ハ其加ヘタル害二就キ各其刑名アル本條二依リ処分﹂するもの とされたのである︒. 揃不能犯に関する規定が削除されたのは︑﹁事物ノ性質施用ノ方法二於テ害ヲ為スノ理ナク若クハ害ヲ為スト錐モ本. 犯ノ目的ヲ遂ク可キ理ナキ序ハ止タ現二加ヘタル殿傷損害ノ罪ヲ論スト掲ケタリ︵日本刑法草案第百二十八条︑刑法審査. 一〇九. 修正案第一稿第百十七条−筆者註︶ト難モ例ヘハ舷二人アリ己レノ敵手ヲ毒殺セント欲シ毒物ト思ヒ間々錯テ蝕物ヲ服セ 明治維新以後の刑法制定史と未遂規定.
(34) 明治維新以後の刑法制定史と未遂規定. 一一〇. シメタリ因テ其敵手二於テハ更ラニ害ヲ受ケサリシ此レ即チ事物ノ性質二於テ害ヲ為スノ理ナシト錐モ若シ其犯人ヲ. 不問二置カントスル乎危険ノ甚シキ者ナリ又銃ヲ放テ人ヲ殺サントスルニ錯テ弾丸ヲ装セサルニョリ其敵手二害ヲ被. ラシメサリシ此レ即チ施用ノ方法二於テ害ヲ為スノ理ナシト錐モ叉其犯人ヲ不間二置クハ甚タ道理二適セサル者ナ. リ﹂とされたからである︒したがって︑実際にこのような事例が起った場合には︑﹁其事タル甚タ危険二渉ル者ナル. ヲ以テ未遂犯罪ト為シテ論シ酌量減等ヲ與フルノ外法律上他ノ恩典ヲ與ヘサル者トス﹂とされたのである︒. 刑法審査修正案と日本刑法草案との以上の三つの差異は︑さかのぼれば︑旧刑法と日本帝国刑法草案との差異でも. あった︒つまり︑それは︑ボアソナードの提案が採用されなかった部分であった︒旧刑法に不満を抱いたボアソナー. ω. 小笠原・前掲論文六九頁︑山本茂・条約改正史︵昭和一八年︶三〇四頁︑後掲・草案註釈書﹁緒論﹂五頁など︒. 小早川・明治法制史論︵昭和一五年︶公法之部下巻九九九頁以下︑石井・前掲書四五二頁以下などに詳しい︒. ドがその改正案には右の三点を復活させたことは後述するところである︒. ② 一〇一−二頁︒. ③ 中村・前掲書第三輯︵昭和四二年︶四九頁︑尾佐竹猛﹁司法権の独立と大審院の創設﹂法曹会雑誌一五巻一〇号︵昭和一二年︶. ω 明治法制経済史研究所編・元老院会議筆記前期第一巻︵昭和三九年︶一頁︒ 三三年︶九九頁以下参照︒. 六二二頁以下︑なお明治. ⑤鈴木・前掲書二九頁︵註︶参照︒なお︑明治初期の司法制度については︑染野義信﹁司法制度﹂日本近代法発達史2︵昭和. ㈲ 石田穣﹁スイス民法一条の法源イデオロギー︵五・完︶﹂法学協会雑誌八九巻六号︵昭和四六年︶. 明治二年︑司法卿江藤新平は︑箕作麟祥に邦訳させている︵穂積陳重・法窓夜話︵大正五年︶二一頁参照︶︒手塚﹁仏蘭西. 初期の法学教育について︑松尾章一﹁明治政府の法学教育﹂法学志林六四巻三・四号︵昭和四二年︶九九頁以下参照︒. ω.
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