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始原生業民俗論I - マス漁を中心にして -

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(1)始原生業 民俗論 ー. l マス 漁を 中 心 とし て. はじめに 岐阜県大野郡清見村は高山市の西南の山袈に散在する. 野 本 寛. を痛め、 家を離れられない状態にあり、 様々 な山の話を. 一 ッ森では田植後、 即ちサナプリが済んでから、 新暦. 聞かせてくれた。その―つにマスの話があった。. の六月に男達がグル ープを作ってムラの川(赤石 川)で. 集落を束 ねた山村で、 神通 川の一水 源地帯にも当る。 富 山湾までの距離は―10キロにも及ぶのであるが、 驚く. かっていても、一ッ森では七月 ・八 月 ・九 月は炭焼の仕. マス獲りをした。 箱ガラスを使い、ヤスで突いた。獲物. 事が忙しくてマス獲りはできなかった。九 月以降の産 卵. はグル ー プ内 で分 配 した。八 月マ ス が う ま い こ と は わ. 様々 な民俗を育んできたのであった。このことについて. 期のマスのことをここでは 「ソコベ」と呼び、 味が悪 い. でマス(鱒)が潮上し、人びとはそのマスを恵みとし、 は既に若干の報 告をし、その折、マスの潮上力と、山の. べきことに、かつては標高六六O\七二O財のこの地ま. 民とマスとのかかわりに注目すべきものがあることを強. と伝えている。産 卵期に、 オスのヤマメが群をなしてメ. スのマスにつくのだが、これを「クロソボ」と呼んだ。. ( 1). く心に刻んだ。 そして、昭 和六十三年十二月二十五日、 青森県西津軽. ギだったが、石 太 郎さんなどのマタギ組は、赤石 沢を潮. 大谷石 太 郎さん (明治 三十 四年 生まれ)はすぐれたマタ. 上し、 杉の沢をたどって稜 線を越え、 追良 瀬川の上流部. の民とのかかわりを本格的に勉強してみようと思い始め たのである。一ッ森在住 の大谷秀 教さん (昭 和二十三年. へ出た。 追良 瀬川支流の逆川より上は一ッ森の者も人っ. 郡鯵 ヶ沢町一ッ 森を尋 ねた際、マスと日本人、マスと山. 生まれ)は年齢的には働きざかりなのだが、山仕 事で体. - 43 -. 1 991. 3 2巻3号 文学・芸術・文化.

(2) で、以南は、中津軽郡西目屋村分となっていた。マタギ. 分 だ っ た。また 、 南北 の境 は、 赤石 川支 流の、 津軽 沢. てよいことになっていたが、逆川より下は深浦町の大山. ・ヤマメ ・イワナ ・ウ グイ ・カジカなどの他の魚種 につ. 細に記 録しようとするものであるが、その過 程で、サケ. 小稿では、マスにかかわる民俗 ・伝承 を可 能な限り詳. いても言及し、 併せて、狩猟・採 集・ 焼畑など他の生業. う全体 構 造の一中心として、生活•生業の総体 の中で、. 境 は、櫛石山々 頂で、以北を一ッ 森、以南を西目 屋とし. 有機的に見すえる必要 があるからである。 柳田国男は日. る。それは、マス及びマス漁 を、「始原 生業民俗 」 とい. ヘ片道約二0 キロの山道をたどり、一、二泊でマス獲り. 本民俗文化の生成 土壌を稲作農業に求め、 坪井洋文 は稲. と の か か わ り の 中 で マ ス 漁 獲 に つ いて 述 べ る 部 分 も あ. に出かけていたという。西目屋村の人びとは櫛石山を越. て きて お り、 マ ス 境 の 方 が 北 ま で 延 び て いた こ とに な. えて津軽 沢まで入り、塩を背 負ってきて捕えたマスを塩. 作単 一文化論に対して畑作を基盤にした文化要 素の存在. る。石 太 郎さんなど一ッ森のマタギは、 追良 瀬川上流部. 潰けにして背 負って掃った。西目屋は広く知られたマタ. を強く主 張した。筆者も、 稲作民俗文化に対置すべきも. 討)などを中心とした山地は、津軽平野を潤す岩木川、. 畑を営む人びとの民俗文化の中に、狩猟 ・採 集といった. あるが、その過 程で、農業の中でもより始原性の強い焼. ( 2). ギ のムラ で、岩 木 川水 系 にあ る 。 櫛石 山 (七六四 、四. のとして焼畑系 民俗文化の総体を発掘検 証してきたので. 日本海に注ぐ赤石 川 ・追良 瀬川の水源地であり、 豊かな. れてきた。農業以前からの伝統 を持つ生業 要素としては. 始原生業要 素との複合現象が強く見られることを知らさ. ( 3). 屈)、 天狗岳 (九 五七、 六計)、 向日 神岳 ( ―二四 三、0. ブナ林はクマやカモシカなどマタギのメルクマールを育. 狩猟·漁携・採 集などがある。狩猟については千葉徳 爾. ( 4). んだばかりでなく、マスの原郷でもあった。深く広い谷 を、一定の沢筋をめどとして割り、お互いにテリトリー. ても、 松山利 夫•渡 辺誠氏などの業績が注目される。ま. 氏•佐 久間 惇一氏等のすぐれた研究があり、採 集につい. た海洋漁揆については研究成 果が移しく、 枚挙に遁がな. ( 6). を守りながら人びとは「山のサチ」ともいうべきマスを マス漁獲の習俗こそ、マスを山のサチとして認 識すべき. い。 縄文文化を支えた食料 としてのサケ・マスの重 要性. ( 5). 漁獲してきたのであった。 右のような、 河川渕 上による ことを強く示 唆してくれたのであった。. - 44 -. 野本. 始原生業民俗論I.

(3) 文学・芸術・文化. 第1図. 2巻3号. マス漁の行われた津軽山地. - 45 -. 1991. 3. 国土地理院. 1 : 50, 000 X 90%.

(4) サケについては、地理学 的立 場から、 市川健 夫氏の研究. 資料については四 柳嘉 章氏の整 理・ 研究がある。また、. については山内 清男氏の発言 があり、サケ・マスの基礎. 自然のリズムに合わせて自らの暮らしを組み立ててきた. きてきた人びとは、自然の恵みを尊び、自然に感謝し、. ころともなるはずである。始原生業要 素を複合させて生. との乖 離の兆が著しい日本人の生き方を省 察するよりど. は、日本文化の正しい理解 にとって不可 欠であり、自然. 7) (. もある。しかし、マスを中心とした河 川漁揆やマスにか. 人びとだからである。. とを中心に、 日本人と深くかかわった魚であった。それ. カツ オは黒潮の恵みとしてわが国の照 葉樹林帯の人び. ( 8). かわる民俗の総合的な調 査研究はまだ見られない。サケ く、 河口に近い部分で漁獲しやすいサケの方が重きをな. に対して、サケマスは、 夏緑広葉 樹林帯、 即ちプナ帯の. ( 9). ・ マ ス と並 称 する時、 魚型 も 大きく 、 漁 獲量 も より多. 僻陳の山村・ 山間 部まで潮上することによって、山の民. 恵 み と も い う べ き 魚 で あ る。 し かも 、 冒頭 にふ れた通. す傾 向が強い。しかし、潮上力の勝 るマスは、 いわゆる と深くかかわり、狩猟・採 集という始原生業要 素と深く. り、マスの潮上力は偉大である。内 陸山地に深く潮人し. らかにカツ オ圏と民俗文化の 様相 を異にする。マスの民. 結びあった。よって、ここでいう「始原 生業」とは、農 心とした 河川漁揆をもふくむ総体を示すことになる。そ. っとして、 俗を中心とし、あるいは文化クラスター の 一. たマスを中心として、サケをも含むサケ・マス圏は、 明. れは、いわば 「縄文時代的生業要 素」なのであるか、そ. 文化論の構 築につながるはずあるが、始原生業民俗 は、. 始原生業民俗の総体を 追究することは、 新しい日本民俗. 耕以前から継承されたと思われる狩猟・ 採 集・ マスを中. 生成し、それが現在まで伝承 されている点を重視し、こ. 非サケマス圏にも存在 する。カツ オ圏・サケマス圏とい. うした生業要 素が、生菓を基点として 様々 な上層 民俗を こでは 「縄文」という言 葉 を避 け、「始 原 生業民俗」 と. の目やすである。もとより、その両者が交錯する地域も. うのは ―つの文 化地理学 的な仮 説であり、民俗文化研究. ある。ここでは、 将来、そうした全体像をよりたしかに. 生業・始原生活要 素が骨 太く生き続けているかを確かめ たい。これまで不 鮮明であった始原的民俗文化要 素を生. 描く 意味においても、まず、マスを中心として、サケマ. いう表現を用いることにした。民俗の中に、いかに始原. 業的側 面の中で有 機的 ・ 立 体的に 焙 り 出 し て ゆく こ と. - 46 -. 野本 始原生業民俗論l.

(5) に目を凝らしてみようと思う。. ス圏の始原生業要 素を確かめ、始原生業文化 複合 の 様相. 行ってきた。田 植前は雪解けの大水で濁っているので投. 山 の人 び とは 季 節にそって、 様々 な方法 で 河川 漁 揆 を. 網を用いてのマス漁であるが、田植後は水が澄むので本. (・マタギ型共同漁揆. 格的なマス漁が行われる。. 小論は右の視点によるものではあるが、マスの潮上す 心となる。本格 的な分析は、さらに詳 細•広範 囲な調 査. マス獲り組を組織した。 追良 瀬川を潮上しながら漁を続. た 六月十日すぎ、大山 ·追良 瀬合同で二、 三十人ほどの. 大山のマス漁の特色は共同漁携にあった。田植が終っ. る川の流域にあるムラ での 聞き取り調 査の結果 報 告が中 結果 を加えての後に行う予定である。 追良 瀬川. け、 二、 三泊 し て も ど る こ と が多 かった。漁 榜 の指 揮. 1• 青森県西津軽 郡深浦町大山I. 運搬係をも兼 ねた。セコに当る者は、ヤス突きの へたな. 深浦町大山は追良 瀬川ぞ いの水田( -戸平均―町五反. 者で、 彼らは竹 籠を背 負い、その中に弁当 を入れた。弁. は、 マタギ のシ カ リ でも ある 前田 善 太 郎• 松沢 福松が. 田正 男さん(大正 四 年 生まれ)、前田秀 夫さん(昭 和十. 当 は、 一 番ワッ パ と呼 ば れる 曲 も の で、一升 飯が入 っ. 歩)で稲作を営み、かつては炭焼•狩猟などを複 合させ. 二年生まれ)の伝承 による。. た。 そ の五 人 分 を 一 人 の セ コ が 背 負う約 束 に な って い. 逃げた魚を捕える者、などからなっており、セコは魚の. •ウツギが咲くとマスがのぼる。. た。ヤスを使う者をなるぺく身軽 にし、 能率を高めるた. 当った。漁揆組織は、指 揮の他、 (突き手・② セコ ・③. •山グミが赤くなるとマスがホリ掘る (産卵する) 。. めであった。セコは、川を潮上する際、雪崩の跡で雪が. 六戸あったが現在は過 疎化が進みつつある。以下は、前. •雪 の多い年はマスが多 い。. 残っているところを見つけておいて、獲物がたまると、. て暮らしを立 ててきたムラである。昭 和三十年代には十. •秋アプが出るとサケが川 へ入る。. を、この地では「マスを休める」と称している。. そんな場所の雪 の中に一時的に入れておいた。このこと. •川アプ (トシペ)が盛りになると鮎 が一番うまい。. 川を潮る魚は季節のサイクル に従っており、それは人 びとの自然暦 によって右のように語りつがれてきた。 大. - 47 -. 1991. 3 2巻3号 文学・芸術・文化.

(6) いでたちは、アシナカ(四 、五足持参)・紺ももひき・ 行われた。. という。分配 は、ムラ ヘ帰って、シカ リの家の庭などで. シカリを中心として、 突き手 ・セコ ・トメ (逃した魚. 「 ガンゴ 」(箱メ ガネ )・「ナガヤ ス」(四 股 にて針長 十 八センチ ・幅十四 、五センチ ・柄三S四 財)・「テヤス」. するなど、当地の共同漁榜が、 冬季のマタギ狩猟の裏が. を捕える者)などの組織を作り、しかも泊りがけで出漁. えしとなり、マタギ組織の影 響下に行われてきたことは. (三股 にて針長二0 センチ ・幅七センチ ・柄一、五 屈、 スを 追うのであった。セコ の 一部は、 米•鍋•味噌を持. 特に注目すべきところである。. これはもぐり用)といったもので、セコ は石を投げてマ ち、野宿の場所は河原で、 燃料にする流木の多いところ が選ば れた。共同漁 揆のメ ル クマー ルはマスで、「本マ. 当地では毒流しによる漁法を「ナメ 流し」と呼んだ。. ② ・ナメ 流し. そして、ナメ流しの準 備は女の仕 事だとされていたので. - 48 -. ス」と呼ばれるものだった。共 同漁榜で若者が本マスを 突きそこなうと先 輩に叱 責 された。 そん な時、「今 のは. あった。ナメ流しの時期は盆前の渇 水期、ナメ流しの場. 苗代の虫殺 し、 便所のウジ殺 しにも用いた。二 又川の一. で、獲物は均等に分配した。当 地では、トコロを叩いて. カマスを踏んだ。 浮きあがる魚は、鮎 ・ヤマメ ・イワナ. 男達がもどると、カマスを川の中 へ並 べてムラ中でその. がら男達が炭を担いでムラにもどってくるのを待った。. 準 備を終えると女達は前祝いとして 河原で盆踊りをしな. 叩き、 灰をまぜて、一戸でひとカマス分ずつ用意した。. ロだった。前もって掘り採っておいたトコ ロを 河原石で. ろの一方を選んだ。この地で毒として使ったものはトコ. 所はムラ近くの河原で、 流れが二 又川になっているとこ. アメ マスだった。」と 言え ば叱 られなく て済ん だも のだ ▲写真① ナガヤスを持つ前田正男さん. 野本 始原生業民俗論l.

(7) 沿将 ・ 泄 弐 •済 { t. モ. ]ヵ. 一 ー 111 1 j9 111 11. l. 隣 3JjD. 2. 1991. 3. ナ ヤ. 二[. 1 ー ー 9 9 I T _ _ _ 1 1 1 1 9 1 1 1 1 ↓ _ 1 1 1 9 1 -f I I I I I. , '. 業. 99 99. 99 9 9 9 9 9 9. 農. 99 999. ' __. 9 99 -. ,. ,. J. 1 9 1 9 9 9 _1 9 ー 1 1 1. '9 9 9 ↓. 田. I. ’. , _ -. i. 99 9 9 9 9 ↓ 9 9 9 9 9 9 : 999999-. 999999. 河川 漁 榜. !. マ 」. ` り. ' _ _ _ 1 9 ↓ 9 9 9 9 I I T 1 9 9 9 9 ↓ -I j 9 9 1 9 → 999 99LII19 9 991 1 9999 -. '. 9よ. ,. 999 99↓99999. 99↓ 99 9:. ). ―. 99 9 9 99 T. 〗 猟. 4 9ー. ' '. : I ' '. ―. ' . ' ‘. 9999ー i_. _99 99. (. ー. アユ(トモヅリ・ アミ) '' '' '' '' ' ' 田の草 '' ' ' ''. ... , '' ' ' '' ,' ナワシロ, '' '' '. 一. [. ―. ' '5/ 20. 熊(有害) ' ' '' ' ' マス(投網) I '' , , '' , ’ ' ' ’' ' ' ’ ''' ’’ ’’ '. 4/ 20'. '. , 一 一 ー. — ヵ. 毛皮もの. ’ ’' ' ’’’ ’. 』. モ. J. ス(ヤス) '' '. ●,. キジ• 山為・兎 '' '' '' ''' '' ' 毛皮もの 狩. ,. 9月. 8月. I. 7月. 6月. 5月. 4月. 3月 2月. 1月. ↓. 1 2月. I 11月 10月. 第 1表 前田秀夫さん(昭和1 2年生まれ)昭和30年代の生業暦.

(8) で 勝 手 に ナ メ 流し を す る こ と は 許 さ れ な か っ た の で あ. はムラ共同である。ということは、その時以外に、個人. おいては、ナメ流しは、 盆前の一度だけで、しかもそれ. たいとなみであることはいうまでもない。また、大山に. もあるが、このことが、種 の保存、 資源の保全を意図し. ロを沢山準 備しなければならな かったからだという見方. 方だけでナメ流しを行ったということは、両方だとトコ. ケル代りにして山に入り、カモシカをこの鉤で叩いて獲. 字を刻むのである。 古くは、 三財の柄のついた鉤をピッ. を頭 部 へと逆にして熊の体に皮を掛ける。 次に心臓に十. を人れて皮を剥ぐ。皮を剥いだら、頭 部を尾 部 へ、尾部. れて下 へおろす。 次に右手、 左手、右足、 左足の顛に刃. 次の通りであった。熊を仰 位にし、まず月 の輪に刃を入. 1表の中には狩猟もある。当地の熊の捕獲儀 礼はおよそ. る方法があったという。 ①イイズシ. 桶の中にマスの切り身と飯を交互につめ. 山・マスの食法. り、ここに、 渓流魚の共同管理的な色あいを見ることが ③ •大山の生業暦. できるのである。. て重石をかける。飯は、 米粒が手 につかなくなるほどに. お く とよ い 味にな る。 十二 月 末 日に試 食し て み た とこ. 塩を混ぜるのか要 点である。こうして旧正月まで潰けて. 第 1表は前田 秀 夫さん昭 和一 二十年代の生業暦である。 人漁拐が多くなっていた。しかし、漁拷•狩猟•稲作を. ろ、既にチーズのように乾 燥し て美 味であった。 潰け桶. 秀 夫さんは共同漁揆の最後の世代であるが、現実には個 複合させる生業伝統 はかろうじてこの頃まで生きていた. は蔵の涼しいところ へ置くのがよいと言われる。. マス の切 り身 を糀 と塩で漬 け こん だも. マスに塩をまぶし加 えてコモに包んで重. ヒズ (頭 の軟 骨) をそいで酢 で殺. し、ネ ギを加 えて食べる。. ④ ヒズの酢 も の. 石をかけて保存する。. ③シ オマス. の。. ②キリ コミ. と言えよう。第 1表中の(父・カモシカ )は 、秀 夫さん の父の時代にはこの時期にカモシカ猟を行っていたとい う意 味である。サケ漁の中の「カギ」は、第 2図のよう. な も ので、このカギは、サケ の 「ホリ バ」(産 卵場所) のすぐ下手 に置き、 糸に触れる魚の感触をたよりにして ―― 柄を強く引き、鉤針にサケを掛ける方法である。鉤を一 連にするのはこの地の特 色 である(第 2図) 。なお、 第. 50. 野本 始原生業民俗論I.

(9) この他、この地では、マスの腹のことを 「ハラシ」と. 砂子瀬はマタギ 集落として知 られるところであり、マ. 固 •生態語 彙. 月に入ると忠勝 さん が「サ キ」(首 領)になって岩 木 川. エ子さん (明治四十四年生まれ)の伝承 による。 旧暦 六. あった故 鈴木忠勝 さん (明治四十年生まれ)及び妻 のチ. タギ は ま たマ スの共 同漁 揆 も 行った。 以下 は マ タ ギ で. 産 卵期にメスのマスにつくヤマメのことを 「クロツボ. 称し、ここが一番うまいと伝える。. ヤマメ」と呼ぶ。 全体に色 が黒く、このクロツボ かメス. 支流の暗 門川を潮り、櫛石 山 (七六 四、四 屈)を越え 、. 「サキ」というのは 、「シカ リ」 「ヤマサキ 」などと表. のマスにシラコをか ける。クロツボ の中には卵を食うも. 現される 同共狩猟のリー ダー のことで、特 に、「ヤ マサ. 三S 五 人 で マ タギ 組 を構 成する者 の場 合が多 か った。. に 味は悪いが出しのために獲りに行くことがある。 追良. キ」とは近い言葉 である。 旧暦 六月のマス獲りの山入り. 赤石 川上流部にマス獲りに出か けた。 グルー プの人 数は. 瀬川では、 戦前はサケが多く、昭 和二十年代はマスが多. い、産 卵後のマスのことを「ソコベマス」と呼ぶ。とも. くなった。そして、昭 和五十年代からはまたサケが増え. ヽ五 ヰ寸菩 ) 汁―. ー涼 誦芭汁 Eー. 73. 、 ‘. T. た。マス獲りのための山入りには、高さ二 尺、幅二 尺五. 具は三本刃の突きヤスと四本刃の投げヤスの両方を使っ. く、そのお陰 で山 の 中 へ入 っ てく るのだ。 」と語 る。漁. ば上り始める。雪 代の増水で上るので下流では獲りにく. は普通二泊三泊だった。忠勝さんは、マスは 雪が消えれ. の も あ る。 産 卵後 の サ ケ の こ と を「ホ ッ チャ レ」 と 言. 1. た。マスの方がうまいので、人びとは「サケほどマスが 」と語る。 のぼればよいが。. 図 2. 2 •青森県中津軽 郡西目屋村砂 子瀬| � 赤石川 ・. 岩 木川上 流部ー _. 瀕. -51-. 1991. 3 2巻3号 文学・芸術・ 文化.

(10) 寸、 厚さ 一尺の 蓋つ き の 箱をシ ョイ コ に つ けて 背 負っ. があ る 。. になるのであった。ここにも、 渓流魚の共同管 理の匂い. 中 村川. し、帰りの 荷運びのための食料がなくならないように 気. 降 ら れ ると、 小屋 や岩 か げで 寝て待 っ た 。 食料 を節約. 折、 古くは 家族単 位でマス漁をすることがあった。 ャス. で、七、八 月、 暑くて炭焼の仕 事がはか どらないような. とも「クロソコ」とも呼んだ。 白沢の生業の中心は炭焼. る (産 卵する) 」と 伝えた。 産 卵後のマス を「ソコ ベ」. この地では「ウ ドの実が 真黒になるとマ スがホリを 掘. である。. 以 下は 白沢の 豊沢 丑松さん (大正三年 生まれ)の 伝承. 3• 青森県西津軽郡鯵 ヶ沢 町 白沢. た。捕獲したマスを 運ぶためのもので、水が 漏らないよ うに入 念に作られていた。もとより、 米・味噌・キナコ などの食料 も持つ。さらに、捕 獲したマスにまぶすため に塩を持つ。マスは ハラワタを ぬいて塩 オシをし、 箱に. 入れ、 朴の葉をかぶせてか ら 蓋をする。 旧六月にマス獲. を配 った。マスの他にヤマメもたくさん獲れた。獲物 は. りに入って 一番 困るのは 雨に降 られることだった。 雨に. 塩 潰けにしたり、 旧暦 六月十日の稲 荷神社の 祭りに焼い. 和初年、 白沢は二 十一 戸だったが、中に、 豊沢 惣一 •佐. は、 各部落 ごとに 専門のマス漁 師がいることだった。昭. は 四 本と 三本と を 使 った。 中 村川流域 の マス 漁 の特 色. 包 丁で 細かく叩き、マスの頭を も 細かく叩いて 味噌 味で. て食べ たりした。 「 ミ ズタ タ キ」と称 し て山 菜のミ ズ を 食べ る 方 法 があった。 赤石 水 系 への マ ス 獲 り は こ の 他. ミキ アゲのためと称して、その 前日、ムラ中で毒流しを. この他、砂 子瀬には、 旧暦 六月十二 日の 稲 荷神社 の オ. にこうしたマス漁 師からマスを 買い求めたのであった。. ムラにマス漁 師が おり、ムラびと達は、 祭りや 来客の折. 淵 11 清野 貞一、 蓬平 11葛西 豊 一 二郎といったぐあいにムラ. 藤由太 郎 ・豊沢丑松の三人のマス漁 師がいた。他に、 滝. して、 ア ュ・ヤマメ ・マスなどを獲る 慣行があった。 山. マス は 岸の 岩壁の「トロの 穴」(瀞の ある 洞窟)の中 で. に、九 月の産 卵期に 出か けることもあった。. 椒の 皮とクルミの 薬とをまぜてナマで叩き、これを流す. ャスを用いて 突くという方法であった。. 中 村 川で は マ ス の 他 に ザッ コ と 呼 ば れる 「 ユゴ イ」. のである。もとより、 神に 供え る魚以外は各々に分配 し たのであった。マタギ組以外の 家々 ではこれが 祭りの魚. - 52 -. 野本 始原生業民俗論 I.

(11) 川内川. 川 内町畑は広く 知られたマタギ 集落であった。 狩猟の. 4•青森県下北郡川内 町畑. イがのぼる。」と言 われ、 新暦 四月中旬になると川 底が. 型)などを兼 ね、 さらに、コ ノミ ( 樵)・シダミ ( 楢). 他 に 山 林 労務• 河川 漁 拷 ・焼 畑 (ハタ ヤ キ 型・ア ラ キ. ( ウグイ )がよく 獲れた。「 ガサシ バの 花ざかりに ユゴ 黒く なるほど ウグイ がのぼった。「 ユゴ イは 落葉 のころ. なども採 集するいわば始原 生業要 素を色 濃く 残 したムラ. であった。以下は大沢 誠一さん. および伝 承による。畑は 陸 奥湾. (明 治 四十四年生まれ)の体 験. に 面した川内 の町から川内 川に. そ っ て 約十三キロ潮上 した山 中. のムラであるため海の魚が入り. にくく、それだけにサケ・マス. などの川魚を大切にした。. ①・マスセギカゴ. 川内川を 舞台と したマス漁に. は 数種 の方法があった が 、特 に. 注目すべきものは、畑の下 流三. キロの地点にある大 滝に おいて. 実 施さ れ て い た 「マ ス セ ギ カ. 滝の 途中に 籠を 吊り、 滝を 跳躍. ゴ 」の漁である。この漁法は、. -53 -. 」と して、 ユゴイを 串焼に した。 脂かのって うまい。. 川 内川の 大滝 ▲写真②. 1 99 1 . 3 2巻3号 文学・芸術 ・ 文化.

(12) 法である。マスの 跳躍潮 上は、 滝壷の深さに 比例すると. 渕上しようとするマスを そ の 籠の 中に 受けて捕獲する方. けられた。それが大正十年まで行われていたという。も. ぼり始める五月から、 最盛 期の 六月を 経て 八月まで仕 掛. る。 落 下する滝の両岸を基点としてまずその間 に 滝の前. ら、 マス セギ カゴ の 吊ら れ る 場 所 は 限 ら れ る こ と に な. 十五計、 高さは約 八計 ほどであるが、 右のようなことか. 深いところを選んでマスセギカゴ を 吊した。川幅は約二. るという。この地でも、こうした伝承をふまえ て 滝壷の. 場の 滝はマス ドメの 滝だと言われているが、このマス ド. 注ぐ田 老川支流田代川の、 馬場と 鍛冶 ヶ沢の境 にある 馬. りで 紹介されている。岩 手 県 宮古市山中を流れ、田 老に. 狩郷 杉 原村の 項にもそれが「一 之瀬仰 天網」とし て 絵入. 斐太後 風土 記』巻之十四 • 吉城郡 小 鷹 で は な かっ た 。 『. 滝にて 跳躍潮上を試 みるマスを捕獲する漁法は畑のみ. とより獲物は 公平に分配 されていたのであった。. 面途中を 横切る 形で 綱を 張り渡す。 綱は、山 プドウ の皮. ほどの木口をつ メの 滝に 信夫源蔵という漁師が 直径― ”Iv. 言われており、 滝壷が深ければ深いほど 跳躍高は 高くな. または シナの木の内皮を 絢いつけたもので、強度もあり. けた 網を仕掛け、 跳躍渕 上を試 みるマスを捕獲していた. られていた。大正十年頃の畑の戸 数は 三十戸で、それが. マスセギカゴは 滝壷の深い 位置に五 \六個 集めて仕 掛け. 0 センチ• 横九0 センチ ・深さ四五センチほどだった。. 成された組 単位で行われた。 弟子が 竿を 使って 淵やよど. は 突き手二 人に 弟子と呼ばれるセコ ニ\ 三人を以って構. さて、この地にはマスのヤス突き漁もあった。この漁. 尺五寸と定まっていた。柄の長さが川幅や水深と 連動す. ャスで突くという方法である。この地のヤスの柄は十六. ることはいうまでもない。大 滝の下にケ ドガ 淵という水. みを 叩き、そこにひそむマスを瀬に 追い 出し、 突き 手が. 回だと言われており、カゴ ア ゲには 朝の 跳躍か終ったこ. 深三0 尋ないし五 〇尋と伝えられる 淵があり、まだ 底ま. 当した。マスが潮上を試 み、 滝で 跳ぶ の は 夕刻と 朝の 一 ― ろ 出かけた。この地では、「柳の 芽が出るとマスがのぼ. 六組に分かれていた。マスセギカゴ の当番は組で 順に担. る」と言い伝えられており、マスセギカゴは、マスがの. - 54 -. (JO). 水にも強い。この 綱にマスセギカゴ を 吊るのであるが、. ② ・ヤス 突き漁. とい う 。. を通して 吊る 形をとった。マスセギカゴ は 粗目で、 縦六. カガリ」とよば れる鎧を二 \ 三個 付け、 鎧に 綱 カゴ に 「. 野本. あら め. 始原生業民俗論 I.

(13) を し な がら大 滝まで渕 上する。 その間約 四キ ロ で あ る. 九 月で、 朝、まず 安倍城まで下ってそこで 川に入り、漁. 柄が必要 となってくるのである。 ャス突き漁は 五月から. で もぐった人はな いと言 わ れて いる。こうした 淵では長. う生態観察の 結果 生じた 河川漁榜の方法である。. び出しておくのである。ヤマメがマスの卵を食べると い. ある。マスの卵は ザル で 掬って 砂を 落とし、卵だけを選. 意してお いたマスの卵を 釣針に つ けて 釣ると いう方法で. 旧暦 六月 一日は、大 滝を 神体とする大 滝神社の 祭りで. ③ ・マスの 豊漁 祭. ある。その前 日、五 月三 十 一日にはムラ 中総 出でマス漁. う。長柄のヤス漁は技術の熟練を要した。 大沢さんが 弟. をした。漁獲物の 中で最大のマスを大 滝様に 供え 、 祭り. が、大 滝に 着くころには 夏で も体が 冷え きって いると い 子をして いたころ、ふとガラス 箱をのぞくとたくさんの. 当 日に使用する分をとっておき、その他は 均等に分配 し. た。 当日は大鍋でマス 汁を 煮、ムラ 中の者がぞんぶんに. が、 竿が ふ れて 全 然 だ め だっ た と いう。 こ の 地 に は 、 「 サケマスは 一瀬のぼる ごとにうまくなる」と いう言 い. 食べた。マス 汁は 味噌味で、 蕗を入 れた。その他、マス. マ ス が 見え た の で 、ヤ ス の 五 尺の 位 置を 持 っ て 狙った. 伝え が あ り 、大 滝あ た り の もの が一 番うま いと 伝 えて. 米・ 馬鈴薯の ドブロクをぞんぶんに 飲んだ。高 松敬吉氏. を焼 いて食べること もあったし、この日、ムラ 中の者は. 山ぶど この地にはマス の卵を使うヤマメ漁がある。 「. いる。. 先 にふれたマスセギ カ ゴ漁をはじめとしてヤス漁の水. 川漁につ いて l 特 に 鮭 .鱒の漁法を 中心にして ー の 「. あがりの場所となるなど、この大 滝がマス漁の重要 な ポ. うが赤 味を帯 びるころマスがホリをホル 」と いうのがこ. の卵を 口で 咽んで 吐きつけ砂 を混ぜる。砂の 中に、じ ゅ. イントであったことはまちが いな い。大 滝が 雨や水を恵. I」によると、大 滝様は、こ の地域の 雨乞 い •日乞 いの. うぶんマスの卵を 噛んだ ものを混ぜ終えたらその石を 岸. む 水 神と し て 崇められ、逆に、降り続き過ぎる 雨を 止め. 信仰を 集めて いたと いう。. に近 い、水 深 三0 セ ン チ ほど の と こ ろ に 沈める のであ. ころで、 径八 寸ほどの平石の上に砂を 盛り、そこにマス. る。こうしておくと、七、八0 財 下流からヤマメが 寄っ. る 水 神とし て 崇めら れたことは、 壮観と も いうべ き滝の. の地のマス産 卵の自然暦 である。マスのホリが終ったと. てくるのである。ヤマメが 寄ってくると、 あらかじめ用. - 55 -. 1991. 3 2巻3 号 文学・芸術・文化.

(14) 恵む 母神として 信仰されていたということである。それ. 景観から当 然のことと言えよう。それはそれとして、こ. だ。たとえば、上流でカナケイモなどをして水を 汚らす. 期中には注意して行 動し、そうしたこと は 禁 忌したもの. ひば、 跳 ァ止まる “といっ て各自が 厳守し、その鱒の漁. と、鱒は 滝に 向かって 跳ねなくなる。そのために、 芋の. こ で 新た に 考えておきたいことは、大 滝が、 河川の魚を は、 何といっても 旧暦 六月 一 日というマス渕 上の盛 りの. ある。 畑の人 び とが、 大 滝を 跳 躍渕 上 す る マス と 大 滝. 」 ||と 水 な どがとく によく ないので注 意したも のだ °. に、いかに心を使っていたかがわかる。 環境 問題が現今. ることによってわかるし、その前 日、 ムラ中総出でマス. のように 窮しくなかった時代、山の民は、 蛋白源として. 日、マスの 味が最も美 味になる日を 祭日として選んでい をメ ル ク マー ル と し た共 同漁 榜 を実 施し ている ことに. マス を得るために、 河川の水 質汚染を 厳しく 禁じていた. ことがよくわかる。 滝は、 例えば 那智大 滝の 例でわかる. けなどにして 保 存された。そして、最大のマスを大 滝様 に 供えるという点にも注目しなければならない。この日. 通 り 古来、重要な 信仰対象となってきたのであるが、畑. よってもわかる。 各戸に均等に分 配されたマスは、塩 潰. は、畑地 区のマスの 豊漁 祭であり、漁獲 祭であった。 大. 川の大 滝の場合、その 信仰は 観念の世 界にとどまること. 当地のマスの食法には先 にふれたマス 汁や、塩焼き、. なく、 常に実 質を 伴ったものなのであった。. 滝様は 、マスを生み出す 母川の 神にほかならなかったの である。なお、この地では、六月 一 日 以外、十二月 十二 日の山の 神祭りの 日にも、大 根•稲束の他に、サケまた. 五センチほどに 切ってシ オカラにする。 ② 「カンプチ 」. 、 の他に 次のものがあった。 ①マスの身を九センチ x―一. 先に、マスセギカゴについて述 べたのであるが、大 滝. と称して 燻製にする。 ③マスの 切り身•飯•山 椒の葉・. はマス を 姿のまま山の 神に 供える習 慣が あった。 におけるマスの 跳躍潮上とその捕獲について、高 松敬吉. う。「ホッチャ レはモッ コ フン ドシ(男のふん どし)の. 産 卵を 終 えたマスやサケのことを「ホッチャ レ」とい. 塩を合わせてスシ漬 けにする。. 向って 跳ねなくなる。そこで、 集落の人たちは、上流の. ようにひらひらとして、 真直に 泳ぐことができずに 途 中. 滝の カ シ ラ (上流)で、悪 い も の を 流せ ば、鱒 は 滝に. 氏は前 掲書の 中で注目 す べき伝承 を 紹介している。「大. 方で は ” ヤ バチ モ ノ( 汚物) 、サヤ イ ダ リ ( 騒いだり). - 56 -. 野本 始原生業民俗 論 l.

(15) に食わ せ る な。 」とい う 口誦がある。 十 二月五 日を「五. で 死ん で しまう。」と いう。 「サケマスのイチ ヒレは 嫁. をとる習 慣 が存在 したのであ った。. が、その基層 には 、ワラ ビの 根やカタクリの 根から 澱粉. 食 べなか った。 馬 鈴薯か ら 澱 粉を と る の が盛ん で あ る. 当地ではクマを捕獲 した場合 、クマの皮を 敷き 、その. 日 エビス」と称 し、この日 、タラのイチ ヒレを エビス 様 に 供え てからそれを 主人 が食 べた 。ここにイチ ヒレ重 視. を 祭 ったという。「ウカ ベト ナ エ」という 名称は 、こ の. 工」「 ヨマコ ト 」などと 呼ばれる 祭文 を 唱し てクマ の 霊. 儀 礼がクマの 霊をウカ ベ、山にもど す儀 礼であ ったこと. 上に 、膳にのせたクマの頭を 据え、猟 師が「ウカ ベトナ. ④・採 集と狩猟. を よ く 物 語 っている。 別に 、 「四 つ 熊 を 獲 る と 七 代 祟. の 習 慣 が見られる。特 に大きいサケマスのことを 「 オオ. 当地におい てもマスを中心と した 河川漁 揆と狩猟採 集. る」という言 い伝 えがある。この伝承には種 の保存の心. スケ」と 呼んだ。. ちミズナラ が重要 であ った。食法は 次の 通りである。 ①. 意 がこめられ てお り、クマ の 霊を浮か べて山にもど す儀. は セットにな っていた。採 集食物と し ては 「 シ ダミ」 即 シ ダミを 拾 ってきたら 一 旦茄でる ↓②天日で乾 燥させる. 礼とあいま って、自然から恵みをいただくという 古層の. 民俗 モラルを 読みとること ができる。なお 、当地の狩猟. ↓③臼で 提く ↓④カラとカスを 除く ↓⑤実を水 に 浸 す↓ ⑥ 「 ドウ 」と 呼ばれる 筒状 底な し籠を大鍋の中におき 、. 伝承につい ては 千葉徳 爾氏の報 告 がある。. 5 •青森県一 二戸郡三戸町 小中 島ー — 馬淵川. ( 12 ). 周囲にシ ダミを 入れる ↓⑦ 灰アクの水を 入れ て煮る ↓⑧ 黒くなれば食 べられる。こ う し てアク ヌキを終 えたもの. 馬 淵川に か か わ る 河 川漁 榜 等に つ い て工藤武治さん. ドウの中の水を 交換する ↓⑨アワ が白くな り、シ ダミ が に砂 糖を 入れ てつぶ し 、馬 鈴薯の 粉の 団子の 餡に した。. のは オゲー (ウグイ)と同じで 、柳の 芽につれ てのぼる. (大 正十 一年生まれ)の伝承 を 記す。マス が川にのぼる. とい った感じである。八 月になればサケ がくる。昭 和初. また 、飯にま ぜ て食 べることもあ った。プナの実のこと べた。こ の 地 で は 栃の木 を 素 材と し て ハン ジ ョー (木. 年には 、サケ七 割に対 し てマス が三割ほどだ った。マス. 「 を コ ノミ」と称 し、乾 燥させ ておい てオヤツと し て食. 鉢)、クル ワ( 蒸し セイ ロ)、臼などを作 った が栃の実は. - 57 -. 1 991. 3 2巻3号 文学 ・ 芸術 ・ 文化.

(16) ガ ラ ガ ケ」(三つ 釣) で 引 っ か け て バキ の とこ ろで 「. は雪 ど け 水 に乗ってくるので、発 電所の 残り 水の ドシャ. 二 十八 日から五月の末 日ごろまでが オゲーの産 卵期であ. みあげこれを 「ネ ドコ 」と称した。 水勢 によって卵が流. 間四方高さ二 尺ほど に魚道をあけながら積 の 水中 に約 一. る。この時期 に、ネ ドコの中 にガラガケ針をたらして オ. れ 去らな いような場所を人 工的 に設けるのである。四月. 流の沢 へつく。そこを 狙って ヤスで 突くのである。ガス. ゲーを引 っ掛けてあげるのである。「桜 オゲ ー」と いう. 釣った。この地 には「 日照りマス」と いう言葉がある。. カン テラを使って. の オスがつくわけだから、ガラガケ にかかるのは オスの. 言葉 があり、 桜のころが盛 りである。 一匹のメス に多く. 夏、川 の 水が 減り、 温度があがるとマスは水の 冷た い支. のマスの夜突きも. から 集めておくのであるが、 工藤さんはトラック 一台分. に置く。種 の保存 への配 慮である。ネ ドコ用の石は 平素. が、その際、 卵が産みつけられて いるものはそのまま 川. 度ネ ドコの石を 積みかえるのである 方が多 い。一日 に 一. 行った。サケは、 鉤 ャス • 投 網・ホリ ナ か バ カギなどで獲っ ス こ° マt. こうして獲った オゲーを 「ハタキ」 にして食べた。 欅. の 石を 買ったこともあった。. の木口を 台 にして、 舵の 背を用 いて叩くのである。その. 際、 胆嚢を入れると全体が 苦くなるので必ず 胆嚢は 除 い. チ ミ」 と 呼ん だ。 タタキ と いう 食法 は 古層 の 食法 で あ. こ れを 汁 に入れて食べたのである。この 汁のことを 「 ヒ. た。よく叩き、山 椒と 小麦粉と 鶏卵をまぜて 団子 にし、. り、 兎 •山 鳥・鰯などもタタキ にされたが、ウ グイのタ. た れ 当 地 には オゲー ゎ ウ グイ) に関す 使 ( 収 る特 殊な漁法 ・食 � 谷 習がある。 オゲー 雪 のホリバを人 工的 ④ 真 に作るのである。 写 ▲ マクラ石と称する. 径十五センチ 程の. タキは注目すべきものである。 寒ウ グイのことをこの地. ) 13 (. 流れの 早 いところ. 石を、分かれ川で. - 58 -. 野本. 始原生業民俗論 I.

(17) る。スガジャッ コに は よ く脂が 乗 ってい てうまい。田 楽. 切り、 網を 張 って、 処々 に 穴を あ け て追い こ む の で あ. で、 冬期、 馬 淵川に十 セン チ 以上の氷が張るころ、 氷を. ス ガ 」と は 氷の こ と で は 「ス ガ ジ ャ ッ コ」 と 呼 ぶ。 「. いう、若い 衆の共食行 事ともな った。 当地では 稗 •粟の. で叩い て捕獲する方法である。獲物 をも って共食すると. た。 五、 六人 で 兎を 追いまわし、 兎が 疲れたところを 棒. か ったが、若 い衆のころ、 冬期、五、 六人で 兎ボ イをし. 当地には昭 和十年代までサケマスがのぼ った。以 下は. 新井田川支流雪. 荒川 福太 郎さん (大 正十 三年 生ま れ) の 伝承 に よ る 。. 1. 栽培も盛 んであ ったが、こ れは 割愛する。. 6• 岩 手県九 戸郡軽 米町 駒木. にしたり、 ハタキにしたりし て食 べるのである。 ノボリ. ることもあ った。た くさんと れた時には焼い て、 弁慶に. ウグイはアライに し て山ウ ドとともに酢 味噌にし て食 べ. 四月 末日、 オゲー 獲りの最 初の日、川の中から 形の よ. 谷川. い 石を 拾いあげ て川 端に 据え、こ れを エビス 様とし て祭. 「 柳の 芽が出るとマスが くる」という 口誦があり、ま ず. さし て保存した。. り、その年の 河川漁 拷の豊漁を 祈 った。 エビス 様は川の. マスを獲 った。マス漁には、 ヤス漁とカギ漁があ った。. ャスには三本と四本があり ‘ 1 0 �ほど の紐をつけた投. 神だと伝え ている。十 二月五日は エビス 様の 祭りで、こ. げ ヤスと、四 料ほどの 柄をつ けた突き ヤスとを用いた。. 他に、 「 ホリ 」の マ ス を 狙うカ ギ漁があ った。 荒川さん. レを食 べた。 採 集食物 とし ては 栗があ った。 家の 前の畑の 中に 穴を. ④の通りで、長さ十七 センチ、先 端と背の幅 八、三 セン. は、父 親が使 ったというマスカギを保存し ていた。 写真. の日、 尾頭つきを エビス 様に 供え、 主人はタラのイチ ヒ. 杉の葉を 添 えた。また 別に、 栗を乾 燥させ、踏 み 臼で 棉. チ、 鉤は 付け 根から 二又に分か れ ており、 二本の鉤針の. 掘り、川砂 を 敷い て栗を砂 に埋める。ネ ズ ミ除けとし て き、 師にかけ て粉をとり、その 粉をそのまま食 ぺると い. 粉化し て汁に入 れ て食 ぺるという方法があ った。いかに. この地にはサケマスの ヒレや骨 を干し ておき、そ れを. ヵ ェシは内側 につい ている。 小型で 古 風な鉤である。. 積んでおい て、 洗 って実をと った。その実を 袋に入 れ て. う特色ある食法もあ った。二 百十日にはクル ミを採 り、. 保 存し、 クル ミ モチ に 使 った。 工藤さん は 猟 師で は な. -59 -. 1991. 3 2巻3号 文学 ・ 芸術 ・ 文化.

(18) で 粉化してから 湯で 練って食べるというも のであった。. してから皮をむき、 水にさらしてアク ぬきをする。水 車. 採 集食 物としてはシダミ (ミズナラ)がある。 よく 干. 師だと言え よう。以下は水野さん の体 験・並 びに伝承に. 年生まれ)は 豊かな漁携体 験を 積んだこ の川最後 の川漁. あったが、 乙茂に生まれ育った水野 義雄さん (大 正十三. あった。こ の川ではじつに多 く の川漁 師が活 躍した ので. 岩 泉町内 を流れ 小本 港に 注 ぐ 小本川は 川魚 の宝 庫で. 小本 川 ・. な お、 当 地. よるも のであり、第 2表はそ の漁揆活 動を 集約 的に 示し. 猿沢川. 7•岩手 県 下 閉伊郡 岩 泉町 乙茂. は、アラキ 起. たも のである。 乙茂は 河口から約 十 五キロほど潮上した. り、 味噌をつけて焼くという方法があった。. も山村らしい食習である。川ではこ の他、 寒ウグイを獲. 本場で、そ の. こし 型焼畑 の 詳 細な 技術が. 突き 当る ように南 の山中から流出する支 流、 猿沢川が合. 山々が両 岸に 迫っているからである。 左岸 の乙茂部落に. だけ な のに 山中 の印象 が強 い。 三0 0 屈\ 五O O 討 の. している点も、 乙茂が流域 随一 の川漁 師 のムラとなった. 伝承 されてい ついては稿を. 乙茂 の上流 宮 ノ沢 の上 から 下流では 支流 三田市川 の下 の. 要 因である。 水野さん の漁場は、 小本川 本流においては. るが、これに. ▲写真⑤ 猿沢川 カ マ淵の滝 と 地獄穴. 改める。. 間、約五キロで、 猿沢川は大 滝 の猫までだった。 (・マス漁. 乙茂で は、「ソ ナ イ 山 の雪 が 消 え る と マ ス が 猿沢 川. (小本川支 流)に のぼる」と言い伝え、ソナイ山 の雪 が. 消える のを待った。また、 旧暦 の三月 三日、潮 干狩 のこ. ろになると小本川 へのマス の潮上が増えた。こ の日、 乙. - 60 -. 野本 始原生業民俗論 I. ふ1.

(19) 川舟を出し、ガラス (箱メガネ )を使ってヤスでマスを. が 活発になる 。小本川 本流には 旧暦の一月から、 少しず. 出かけたのであっ た 。この日を過ぎるといよいよマス漁. 人 びとに対する 遠 慮もあって、この日だ け海 藻をとりに. た 。山や川の仕 事が忙しいということもあったが 小本の. り、 ワカ メ ・ マツボ ・ フノリ ・ ツ ノマ タ な ど を採 取し. 時間 半か けて 小 本の 海 岸に出た 。シ オ時 を 見て 海 に 入. 茂の人びとは 午前三 時 ごろこぞってムラを出発し、約 二. ンの 珠を作る アンツ ァの 木・ナラ・ モ エブトなど重くて. と も )でマス を 突く 。クグリヤスの柄は一間 で、ソ ロバ. をかけて 淵にもぐってクグリヤス (ツキ ャスともテヤス. もらってよいことになっていた 。五月から八 月はメガネ. ようなものである 。地 獄穴に入ったマスは見つけた人が. 穴に落ちこむので あ る 。青森県川 内川のマスセギカゴ の. しようと するマスが 跳ね 損じ て 右 (左岸)にそれ、この. る 。土地の人びとはこれを 「 地 獄穴」と呼ぶ 。滝を潮上. の 左 岸に 窪みがあり、そ こに 径 ―訂ほどの石の 囲みがあ. 堅い 木が選ばれた 。潜水する時、柄が 浮きあがるようで. つマスがのぼり始める 。 旧暦 の二月、 新暦 の 三月には、 突いた。片手 で 舟を 操り、口に 箱メガネ をくわ え、 片手. さらに、水中に 鎖を 垂らしてこれを引きずりながら 淵に. は 困るのである 。まず、漁をしようと思う 淵の上流に 舟. 向かう 。淵に入 っ たら舷で 鎖を 鳴ら すのである 。以 上に. でヤスを 扱うのである 。新暦 の四月になると、 猿沢川の 股のガラガケ針をつけ、その針の、 指四 本分下に 錘をつ. よって、 淵に 追いこまれたマスは、さら に 淵の中の穴や. をまわし、 瀬に石を投げてマスを下 流の 淵に 追いこ む 。. けた 。内径二 寸五分の 真竹の節を ぬいたもの に 鉛を 熔か. 岩のかげにひそむことになる 。淵の地 形を 熟知した川漁. カマ 淵や大 滝の 淵でマスのガラガケをした 。糸の先 に 三. き、水量 に合わせて 鉛の量 を 判定し、その場で 鉛を切っ. 師は 淵の中にもぐって 穴にひそむマスをヤスで突くので. して流しこんで作った 鉛棒とタガネ ・ ハン マーを持ち 歩 て 錘を 作 っ た の で あ る 。四 月には 、 川 舟で ナ ゲヤ ス を. までには上る 。潜水に際しては体 にナンバン の 粉を 塗っ. ある 。クグリは 午前中に行い、いくら 遅くとも午後三時. て 冷 えを 防ぐ 。さらには、 帰 宅後、マ ッシタ ブドー (蔓. 滝は高さ 三財ほどだがマスはそこを 跳躍潮上し た 。 「滝 の 上 で 育 っ た も の は 滝の 上 ま で の ぼ る 。 」 と い う 。ま. 草) ・ ヤマ オトコ などを 風 呂に入れて人 浴すると体 によ. 使ってマスを獲ることもあった 。猿沢川のカマ 淵の上の. た、 滝壷の深さだけは 跳躍できるともいう 。カマ 淵の 滝. - 61 -. 1991. 3 2巻3号 文学 ・ 芸術・ 文化.

(20) 雪 ど け水に 乗って 下ると言われており、マスの 子は獲ら. は種 の保存 への配 慮が見られる。マスの 子は 、翌年の 春. ないようにして守った。ホリ カギ・ ナ ゲヤスによってホ. いと言われている。 「 栗が 落 ち始 めるとマ 「 シメ ジが出るとマスがホル 」. リのマス をとるのであるが、ホリ カギについては原 理的. マ にはサケ のものと 同じなのでサケ の箇所でふれる。 「. 度 彼岸の中 日ごろ始まる。サケは ぬるいところでホル が マスは流れが 早く、 水が 冷たいところでホル 。 水野さん. 」「ヤマメのクロゴが シロ コをかけた場合は 、半 増える。. オス)がたくさんいてメスにつく年はマスが スの カ ノ (. スがホル 」という口 誦があり 、マスのホリ (産 卵)は 丁. マスのホリ を見 つ けて も 三 晩は 獲 らない。」と語 は 、「. 分はヤマメになる。 」. → 十. ・ K 4 廿 (”. I. - 62 -. 産 卵で 、クロゴ (マスのメスにつくヤマメの オス) が 少. → →. +. +. -R ';). -R. る。 一晩目はホツボ (ホリ バ)作り 、二 晩目と三 晩目 は 「ホッ ツ ァレ」 に な る 前に獲る。ここに く なった 瞬間 、. T. T. +. T. → →. +. l. ― - _ ― ― _. →. +. +. +. i. ャ. II. -. W-. 安一 K↑g • 一 ぷ gg 溢 ) ―. ニo @ w -. ^ ` ^ ^. 生. ― ―三怜/[、 ー ― ― ― 園 三怜/ ヽ ト り卜+ ― ― ― 一 圏 ー 囮 ← ← ← 社/「こ 』 ー_―[吋 ― ― ― 0で華⑲一Kギ+(,­ ― ― ―. : 1 : 1 二 誓 ;三. 野本 始原生業民俗論 I.

(21) 2月. I. 水野義雄さんの漁業暦 ( 昭和 20年代 -40年代). l. ,. ' I ' I. I. @ ク グ リ ヤス ⑥ガラ ガケ ⑧小本川 (淵). I' ''' I. '. ,. I. I. I. :I. :. :I. ,. : I. ',:. II. : I. I. :. 1. 1. I I I I. I. I. I. リ. 届 _ ③:ヽ I. I. ·" I. : 小本J I [ I: : (岸 ) : :@ 夜 : :(£) 昼 :. I. 本. 9月. :⑧ホ リ カ ギ : :@ナ ゲヤ ス : I. 昼. ヅ. I". 1 0月. I. '. I. 8月. ⑥猿沢J 1 1 (滝壷). I ' I '. '' ' I ' ' '' '' '' ' I '' ' ''' ' '' ''' ''' ''. I. I. I. : ,1 (. I. I. ,. JI/. 蜘 <. :, ⑧ ウ ナギ カ ギ. ⑮石起 し ・ 網 オキバ リ : 小 本 川. :©. 鐙=昼 ・ ©=夜. : ヤ. I. 1 <'. I' I. : : : I : I. :. I. '. I. I. :. I. >1. I. : I. I. :. : I. :. I I. I '. I I. I. ,. : :. I. I I. I. I I. '. : : : I :. I. I I. ,. I. I , > I. >I >I. :I. 9 1 2月. : @ カ ギナ ガ シ ・ 舟 : I I : ⑥ホ リ カ ギ • 岸 i :© ボ リ カギ ・ 摩 I II I , I 小本川 : I I I ノ = 夜 }鐙 : I I , : ©= 昼 :. I. ナ : : 小本川 :. I. 11月. :I I. I. :I. I. I. I. I. I. I. : :. I. :. :. 199 1. 3. I. 7月. J. 池 3Jjn. '' ''' '. 6月. 2. I. I. I. ヽ モ一 lJ. '' 'I I ' ''I '' '' ' I '' ' 'I' ' '' ''' ''' ''. I. 5月. X柿 .鼎弐 ·済{ t. I 3月 4月 .. 以< >I ' ―• ' ' ・ ⑥ナゲヤス舟 ス : ツキヤ ' ' I : 舟・ ガ ラ ス :⑭ガラ ガケ : ' ' ' :I 小本川 '®小本川 ': : ' ':@猿沢川 I:' ' , 昼 昼 : : : ' ' I ' ' ' 'I ''. 卜. 時 間 帯. 9. ギ. 場. 9. ナ. 間 法 場 帯 間 具 法 間 期漁 漁 時 期 漁 漁. ウ. 漁. 9↓9. ー. ユ. 9. 場. 漁. ー. ケ. 63. ア. ↓. 具 法. |. 時 間 帯. 9 9 9. 間. 時 間 帯 期 漁 漁. サ. 法. 9 9_ _ _ _ _ ↓ _ _. ス. 具. 場. 漁. 漁. 間. 9 9 9 9. 期 漁. 一 99T. マ. ー. 魚刷 条件\月. 1月. 第2表.

(22) 「山 漆が 色 づく とサ ケが 来る。」と いう言 い伝 えがあ. ② ・サ ケ漁. を 巻く。 鉤が石に当った時サ ケを驚かす ような 音をた て. 柄に対する 付け根から 鉤 の湾曲 部 の頂まで の間に木 綿布. 近 づ いて行 う。ナガシカギ の鉤は 釣針 型 の形状で、 鉤 の. な いためである。柄は 楢 の木で、長さは一間 半である。. 霜が降りるとサ ケ のホリ が始まる」と いう口 誦が り、 「. ある。ホリバ(産 卵場) のことをこ の地では 「ホツ ボ」. 柄 の元にコプ を 付け て滑り 止めにする。 舟 の中から 水上. ホリにつくサ ケを捕獲 す る 鉤は 写真⑦ のよう. で 鉤をまわし てみ て、 鉤がホツ ボ の下 流二 尺 の. と呼ぶ。ナガシカギ漁は、 夜、 舟を使っ てこ のホツボに 水野義雄 さ ん が小本川 で使 っ た ノ ボ リ サ ケ 用 の鉤. の幅は二十 ニセ ンチ、 真中 の針 の長さは十九 、. なも ので、針が 三本である 。 鉤 の背と 鉤 の先と. たはムシロをかぶっ て待機する。. シカギ漁に際し てはコタツを 積みこみ、 毛布ま. 獲らな い。川 舟は幅 五尺、長さ 二間 半で、ナガ. カ ノをとることができる。そ の間 メスは 絶対に. る。こ うし て‘―つ のホツ ボで 五、六本 のツキ. ツキ カ ノを獲 る と、 ま た 別 のオス か や っ てく. にし て水中に 鉤を 流し て引っ掛ける のである。. とを 「ツキカ ノ」と呼び、こ のツキカ ノを標 的. 止まり、そ の直後に オスがつく。こ のオス のこ. かに イカリをおろす。ホツ ボ のすぐ下にメスが. 位置につくマスを掛けるに 都合 のよ い位置に 静. ▲写真⑥. 五セ ンチ、針と針と の間 は、 上から 1 .2 .3. - 64 -. 野本 始原生業民俗論I.

(23) ノボリカギは、潮上してくるサケ を 狙うもので、 岸の. 待つ。 常時サワリ 糸に手 を ふれて いて、 糸にサケが触れ. 中でも、流れの中、 瀬を見わたすことかできるようなと. .4とし た場合、おのおのの 先端にお いて、 1と 2の間 間が 八、五センチと 巨大である。しかも、この鉤を 一竿. た感触があると間 髪を入 れず 竿を引くのである。. に 二個つけた二 連鉤もある。柄 竿は長 い場合には五間 に. こ ろでカギを仕掛けた。鉤は二本針で、 天地が二五、 五. が五、五センチ、 2と 3の間 が五、 八センチ、 3と 4の. も及んだと いう。 夜、サケのホツボにこれを仕 掛ける場. リ カギは 昼仕掛けるので一の針の 背方に赤 印をつけてお. 。 ノボ 九 、五 セン チ とこれも 巨大である (写真⑥) は 一. く。 ノボリ 鉤の針が二 本であるのに 対してホリカギの針. センチ、針の間 隔はおのおの十 一 、五センチ、針の長さ. に照準を当ててカギを 設置する。これを 「ホリ カギ 」な. が三本であるのは、ホリ の時期にはサケが 細身になるか. 元にかけて「サワリイト」を張った。ホツボ に寄るカ ノ. いしは 「オキカギ」と いう。カギを 設置する場合、あま. らだと いう。. - 65 -. 合には、サケの 動きを 探知するために鉤の頂から柄の手. に 注意する。 岸では 夜の 寒さを 防ぐために 俵をかぶって. りに流れが 早 いと こ ろは水圧でカギが 倒れるのでその点. つ. 持 ③ • 川での思 い を この地では ノボリ ウグイ の 鉤 の こ と を 「 オガ エ」「 オガ イ」 ヶ 山吹の 花が咲く サ ん と 呼 ん だ。 「 リ さ と オガイがホル」と称して、 ボ 野 ノ 水 岩や石を 起こしてカジカ の 卵. を採 り、 これを真綿に包んで. 餌として 釣った。食法はサシ. ミ ・味噌 煮 •大 根とともにナ. ▲写真⑧. 1 991. 3 2巻3号 文学・ 芸術・文化.

(24) のことを ハイ ザと称し、これは、 冬、 寒 ハイ ザとも呼ん. 後、 乙茂だけで も 専業の 川 漁 師が二 0人 いた と いう か. 物は主として 岩泉の 「タケヤ 」と いう魚屋に 売った。 戦. ら、こ の 川の 恵 み が いかに 豊か で あ っ た か が よ く わ か. マスにする、などであった。これに対して地つきウ グイ で 氷を 割って 巻き 網で獲った。. 「マス ノスケ」と呼 び、これか獲れた時は 売 らな いで、. サ ケ ノス ケ」 る。 特 別に 大 き いサ ケ ・ マ ス の こ と を 「. 漁 師仲間 を 招待して 宴会をして 祝った。この地の人 びと. 雪 どけの頃水 神様の 祭りをした。川漁 師が川に 集って 「帰って こ いよ。」と言 っ て 放流した。川 漁 師は 盆休 み. することがあった。「あそこのメ ス さつき カ ノがつ いて. はサケマスに 親しみ、人の 有様をサケマスの 生態で 比 喩. 酒を 流し、マスの 子を桶に入れてお いて 少し 酒を入れ、. に「川つくり」. -. 1. を 乎 りげた。十. で 音をたてても魚は 逃げな いような気がした。二 晩 •三. が、明日にしよう (産卵後に獲ろう)と 決意すると、 舟. り、 淵に も ぐ っ た。「サ ケ の ホ リ を 見 て いて 、 こ ち ら. 水 野さん は 、昭 和二 十四 年 か ら六 十年 ま で 川 舟を 操. 」 はホッツ ァレのようになったな ぁ。. あれ で 歩 いて いる。まだつき カ ノがつかな いようだ。」「. 」「あそこの 娘は 一人 いる。そろそろホリホル でな いか。. をした。サケ・ マスがホツボ を 作りやす いよう 舟 川 に大きな石を 除 ふ き、クマ手 で瀬. 一月二十 日の エ. 」と語る。 晩ホラせることもあった。今の人は待てな い。. 浮. 和. サケのホリホリを 眺めて いると、これが カラ フトまで 「. こ ' ヽ. 小 ビス 講には ハイ. 行ってきたのかと いう思 いが 浮かんできて道 具をおろせ. な いで帰ってきたことがあった。年 をとってか ら、そん. え、後に川に放. した。この日は. な 気持が強くなった。」と 語る。. ⑨ ザをどんぶりの 真 写 中に 入 れ て 供. 魚とりには行か. なかった。漁獲. - 66 -. 野本. 始原生業民俗論 I.

(25) 山・採 集の民俗モラ p、. 水 野さんの暮らしの中には採 集的要 素もあ った。シ ダ. 当地で は 山菜 ・キ ノコの採 取も盛んであるが、かつて. とな って いるのだと いう。. は、採 集の民俗モラルが 厳しく守られて いた。水 野さん. た。それは、他人が 残したものを採 っては いけな いと い. ミ (ミズナラ)は 、 拾 ってきて 一ヶ月 ほど干し、皮をむ. うことにもなり、他の カプを見つけて採らなければ いけ. 」 と 教え ら れ 二 番 初め に 出 た 、 大 き な も の を 残せ。. ナ 粉をつけて食べた。これを「シダミモチ」と呼んだ。. な いと いうことである。水 野さんは 今でもシメジ ・アミ. は、 キ ノコ 採 り に つ いて 、 父 親や 近 所 の 年 寄 達から 、. 栗は カマス五 杯分ほど 拾 い、生 栗•砂 栗•干し 栗 ・ツナ. いてアクタ レミズ に 浸す。アクタ レミズとは、 灰汁のこ. ギ 栗にした。干 し 栗は 臼で 揚き、飯に入れたり、 餡の代. コダケなど、そのように注意深く採 ってくる。 少年の こ. とで、こ れに 浸してから 煮て、 臼で 揚き、 団子に し て 黄. りにしたりした。 粒の良 いものを選んで 糸に通 して干し. た ら 残してくるもんだ。」と 教え られた言葉 が強く 心に. 「あと採りたか っ ろ、年 寄に 「 残してきたかタネ コを。」. ・ コ. 月十五日 一. 」と呼ぶ。. 残 って いる。「ウ ドは 根から採 らな い。 」「 ゼ ンマイ. ておき、 正月 に、 糸に通 したまま茄でて、一 ツラ ずつ子. 供に 与え た。これを「ツナギグリ. ゴミは 一株で 二本 残し、 しかも 途中か ら ち ぎる。」 ーー. の 小正月 に、 ヒ エ粉・ムギ 粉 ・ソバ 粉な ど で 栗• 粟穂・. 繭などの 形を作 ってミズキ の 枝に 挿して 飾 った。 小正月. 採 集にしろ、かつてはその習俗の 根底に、その地域で継. これもムラの伝承である。 河川漁揆にしろ、山の恵みの. 承され、 厳しく守りつがれた民俗モラルがあ った。それ. 当地 に は ト コ ロ の 食 習 が あ る。「 花 ドコ ロ は 苦く な. 飾りの中に 栗の実が入 って いることは注目される。 い。」と いう 口誦が あ り、 ト コ ロ の 花が よ く 咲 く と こ. 自然 への 畏敬の 念に根ざしたものであ った。かつて、そ. れらは共 同体の中にお いて、 様々 な 形で 教育されて いた. は「種 の保存」「 資源の 保 全」 を見つめたも のであり、. 掘 った。まず、 毛 (細根)が ぬけるまでよく 煮て 洗 い、. 衰退して いることをく り 返し 嘆 いて いた。 昔は「 ヒ ヨリ. のであ った。水 野さんは、現 今、そうした民俗モラル が. ろ、 即ち 陽あ た り の よ い場 所の トコ ロ は 苦く な いと し. さらに水をかえて 三回ほど 煮なおす。アク水を使う場合. て、 陽あたりのよ い場所のトコロを 春、 青葉の出る 前に. もある。それでも 苦味が残るが、その苦味が 嗜好の対象. ― - 67 -. 1991. 3 2巻3号 文学 ・ 芸術 ・ 文化.

(26) イなどが水の 冷い 川 岸に 寄ったものだが、今はそれもな. ザッコ」といって、 夏の 暑いと きイ ワナ ・ヤ マメ・ウ グ. 第 3表 は 祝沢口さんの生業暦 であるが、一部 割愛した 項. した人である。以 下は 祝沢口さんの体 験と伝承である。. m .マス漁. 目もある。. いるのである。. く、 妙に川の 水が 冷たいという。 生態系 に 変化が生じて. 祝沢口さん は 開 ロ一番 「 旧暦 二月正月の 年とりのため. 多い。 岩 泉町 年々 の 祝沢 口 良 雄さん ( 大正 十一 年生ま. とこ ろか ら名づけ られた 淵である。 茂井の人びとは、 旧. ラ が 樋のようになって 大水 が出るとコ プコ プと鳴り響く. てく れる。 」 と語った。コ プ 滝というのは、大 滝のカシ. れ)は、 河口 か ら約 五、五キロ潮った地 点にある 大滝周. 月 三十 日に 安家川の マスを獲ってその 晩その マスを 暦 一. に、 安家川の 大滝の、コ ブ滝まで 神様が マスをのぼ らせ. 辺で マスを. 食べる習 慣があった。漁法は、 オ ニグルミの マッカ ( 又. 8•岩 手県下 閉伊郡岩 泉町 年々 || 安家川. 中心とした. 木)を使っ て 径四 尺ほどの 網口を作り、それに真藤の皮. 年々部 落に. 四キロ潮 上. ロより約 十. 続け、同 河. の マスは群をなしてはいないが、 雪ど け水と 夏の出水の. 掬うのである。この時期は 雪どけ水ではない。この時期. の 脇の水が 泡立っている部分に マスがたまっているのを. どの柄をつけた大 型タモで 掬うというものであった。 滝. を使って深さ 五\六尺ほどの網を 絢いつけ、長さ一 二間 ほ. 際には マスが群をなしてのぼってくる。 柳の 芽につれて. した岩 泉 町 住んで狩猟. ャスで獲るかのどち らかであった。それは、水 が冷た <. 旧暦一月三十 日か ら二月、三 月はこの 網で獲るかナ ゲ. 春水に 乗ってのぼってくる。 畑など 始 原. ・採 集・焼. 生 業を体 験. - 68 -. 陸 中海 岸に 注ぐ 安家川は水量 豊かでサケ マスの潮 上も. 河川漁 揆を. :,. ▲写真⑩ 祝沢 口 さんが安家川で使 っ た マ ス用のヤス。 右 ナゲヤス ・ 左 突 き ヤス. 野本 始原生業民俗 論 I.

(27) 文学 ・ 芸術 ・ 文化. ▲第3 図. 祝沢口 さんの生活圏. 2巻3号 1991. 3. ③ I. - 69 -. I は マスの主要漁場 国土地理院 1 : 50 . 000.

(28) 組、 半城子 11 三人 一 組、普代. 一 組、川 口 11 三人 一組、年 々 II 五人一組、 茂井 II 五人 一. 組、田 野 畑 II 三 人 一組、 こ の他、 他 村の 組 が 三S四 組. てとても水中に入ることができないので、水に入 らない で獲るということ を意 味していた 。ナ ゲヤスは 写真⑩の. 入 っ て い た 。組 漁 というのは 、 潜水し て マ ス を 突 く者. と、 石を投 げたり、なる べく葉の 大きな木の 枝を流して. 11 十人一組、 萩生 11 十人一. 五センチである。 柄は 三間で 、 ャスに結ぶ 紐は 麻、 紐の. ようなもので、四 本ヤス、針の 長さは十七センチ、幅十. もとは手 首に 結んだ。水メガネ をか け、ふんどし―つに. などの業 務分担によって成り立っていた。漁場は 大体、. 自分達の ムラに 隣接した範 囲だった。 新暦六月、組漁の. マス を追ったり、 突き手が 暖をとるため の 焚 火をしたり. 毎年四 月 の 雪 ど け水 に 入 っ. 盛 りになると水も 温くなるの で 夜明 けか ら夕方 ま で断続. になってか らであったが、祝 沢 口さんは、昭 和十年 か ら ーた。さすがにまだ 寒いので、. に つ れて 脂が 少くなる 」という 口誦がある。マスは川 を. ヰ 漁 が 多 か っ た。 祝 沢 口さ ん. で、 柄は ア ン ザの 木 で 五尺 鉤 だった。一 般の人びとのクグ ス 距 リ漁 は 五月か らで、しかも組. り、 彼岸の中日になるとマスがホリ をホル (産卵する). 川にもマスの 味が最もよ くなる場所があるのだと言う。. ばのものも必ずしもよ くないと言われる。川には、どの. ある。 脂が 乗って一 番うまい。「マス は 滝は 一 っは ねる. 的に水に人った。 旧暦五月の「 五月マス」という言葉が. 度ほど、 午前十時 か ら 々 週に 一 年 町 午後 三 時 の 間 に 間 をお い て 泉 岩 入った。ツキ ャスは三本ヤス. リ も、四 月は 一 人漁だったが、 ホ 五月か ら八 月までは 五人の組 図 4 漁 をした。昭 和十年代の 安家 第 水系におけるマスの漁榜組は. とも言う。ホリ ドキになる と 祝 沢 口さんはまた一人漁と. 「 彼岸 花が咲 くとマスがホリ をホル」という 口誦があ. のである。. 安家川ではその ポイン トが、先にふれたコ ブ滝だと言う. の 極点に 至るマスの 味はよ くないといい、また、海のそ. 潮るにつれて 細くなるともいう。したがって、 河川潮上. 三人 次の 通りだった。 元村 II. - 70 -. なって水中に入ってツキ ャスでマスを突くのは普 通五月. 疋. 分yイ ト. 1"6 ↓. )I 尺5寸 k. 野本 始原生業民俗論 I.

(29) 第 4図 )またはトアミ なり、 瀬につくマス をマスカギ ( で 狙った。カギは、 天地が 六寸、針先 と 頂の間も 六寸、. 漁獲したマスは、 腹 を裂い て内臓 を除き、 眼球と エラ. 様々 な伝承 を生んでいる。. に、 囲炉裏の上の 煙のの ぼるところ へ吊るし て焙 乾的に. を除い て腹に塩 を入れ、コケラ を逆モミし ながら塩 を入. 乾 燥させる。 真白に塩 を人れ ても 脂があるのでその 割に. しかも、その間 にもう 一 本カ エシのついた針が 出たも の. り、その感触によっ て鉤 を引いたのだった。マスのホリ. 塩カラく ない。産 卵 を終えたマス を「ホッ ツ ァレ」と呼. れる。 こ う し て、 土間 に 板 を敷き、 そ の 上 に マ ス を並. につい ては、マスのメスにマスの オスがつい てシロ コを. び、これ をナ ゲヤスで獲 り、やや塩 を少くし て煙で乾 燥. べ、さらに、そ の 上に 板を置いた状態で四 五日置く。 次. かけるものが五0 %、マスのメスに「クロゴ」と呼ばれ. バの 下 に 設置し、 中 針 か ら 手 元 へ「サ ワ リ イ ト」 を 張. るヤマメの オスが 集っ てシロ コをかけるものが五0 %ほ. させ てからコ プ巻きにする。マスが大量 に獲れた時は 安. であった (第 4図) 。柄 は三間 ほどあったという。ホ リ. どだという。また、この地には 次のよう な言い伝えがあ. 特大のサケ ・マスは、サケ ノスケ ・マス ノスケと呼ん. 家の 元村まで 売 りに行った。. 71 -. —-. る。「マスの ハラゴ 、 即ちス ジ コの一 本は マ ス に なる も. で 珍重した。また、サケマスのイチグシ(イチ ビ レ)は マ ス ツ キ ヤ ス を持. のであ り、 も う 一本はヤマメ に なるものである。」 マスのメスにヤマメの オスがつくという現象 は、 各地で. 主人が食べ、尾 ヒレを家の 中の 板羽目に 貼 り並 べ. る者もあった。 「雪 の多い年 は 春マスがたくさん. て、 桜の季節に オガ エがホリにつき、 半月 遅れ て. グイ を「 ハイ ザ」 と呼ん だ。「 桜 オガ エ」 と 称 し. 海からの ノボ リウグ イ を「 オガ エ」、 地 つ きウ. がある。. に なる。 豊作 の年 にはマス が 少い。 」 などの 口誦. 」「マスが 安家川にたくさんの ぼる年は不作 くる。. つ 祝沢 口 さ ん. ▲写 真⑪. 1 99 1. 3 2巻 3号 文学・芸術・文化.

(30) れる 程脂が 乗 っていた。投 網で 獲 ったり、イカの ハラワ. の 葉 の 下で冬 眠した。「腹に 脂がつ ま っている」と言 わ. にし、 煮つける時に酢を 入れた。 寒 ハイ ザは 淵の 岸の木. ハイ ザかホリについた。 オガ エは骨が 硬いので焼き 干し. 場の方 角などが 微妙に異 ってくる点が 注目される。折 壁. 虚により、出 発時刻、狩猟実働 時間 、猟場 への距離、猟. 西方 に 当る 甲子山(七 六六計)が猟場とな った。月の 盈. くなるので西 山を選び、 家を 午後十時すぎに出た。 家の. 七0 匹ほど 獲り、背い手 二人をともな ったというが、祝. •坂本の猟師達は 周辺の山が大きいので 一晩にムサ サ ビ. ② •狩猟. 一円だ ったというから、大きな 収入をあげ ていたことに. 沢 口さんの猟は 一晩に一 〇\ 一五匹だ った。 当時、 一匹. タを 干したものを 餌に、 氷を 割 って釣ることもあ った。. 祝沢 口さんの暮らしの中には狩猟要 素もあ った。昭 和. 十 一 日までの 夜間に猟に出た。 八日から十四日までは、. ふとんをか ぶせ ておい て山伏が熊 送りをしたところ、 座. 「熊の 送りが悪いの で 祟りが出 ている」と称し、 家族に. - 72 -. ― ―十 一 年 復員後から 一 ―十 三年 ま で は アオ シ シ(カ モ シ. なる。祝沢口さんがマス漁、狩猟を習 ったのは後に 舅と. 祝 沢と呼ばれる 家の近く や 東の山を猟場とした。 八日に. 敷か ら本物 の熊が出 て行 った。 そ の 熊 が 家の 向い側 に. キ」 (狩猟の 親方)とい う言 葉 が 残 っている。下屋 敷家. は 夕食後に出 て十時に帰 った。十 五、十 六、十七日は半. 右の伝承によれば、かつ てこの地で熊の 集 団狩猟が行. 行 った時、そ れを 撃 って、ここに 鳥 居を 建 て、そこを熊. われ ていたことがわかり、また、熊 野 修験系の 山伏がこ. 城子を越えたところのイタ コヤ シキまで出 向いた。片道. けにな った。帰 宅し て獲物の皮を 剥ぎ、 鉄砲の 掃除をし. 野 神社と し て今で も 下屋 敷家で 祭 っている。. ていると 寝る 暇はなか った。十 八日 以降 は 次第に月が 遅. 三 里あるので 午後二時に家を出 ても帰 ってくるのは 夜明. クマー ルはムササ ビだ った。猟は十月十 五日から四月十. カ )を捕 獲した。 戦後も、昭 和二十四年 以降は 禁猟が 厳. 修 験兼マ タ ギ の 関 口佐 与 吉に 祈 っても ら った とこ ろ、. に 祟りが出たので、先 祖が 秋田から 来たという 久慈の、. 獲り猟 師だ ったと言 われ、 こ の 地 に は 現 在 も 「ヤ マサ. 五日 ま でだ った が、 ムサ サ ビ繋ち は 月 の 盈虚に か か わ. な った 下屋 敷 彦蔵さんだ った。その 彦蔵 の 曾祖父はクマ. り、月 光をたよりにするため、 毎月、 旧暦 の 八日から二. しか ったが、終 戦直後は管 理がゆるみ、人びとはさかん. 野本. に アオ シシ猟をした。祝沢 口さんが 戦前力を 入れたメル. 始原生業民俗論 I.

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町の中心にある「田中 さん家」は、自分の家 のように、料理をした り、畑を作ったり、時 にはのんびり寝てみた

しかしながら、世の中には相当情報がはんらんしておりまして、中には怪しいような情 報もあります。先ほど芳住先生からお話があったのは

である水産動植物の種類の特定によってなされる︒但し︑第五種共同漁業を内容とする共同漁業権については水産動

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3 月 11 日、 お母さんとラーメン屋さんでラーメンを食べているときに地震が起こっ