﹃後
拾
遺
集
﹄
の
雑
歌
を
め
ぐ
っ
て
山
之
内
恵
子
は じ め に ﹃ 後 拾 遺集 ﹄ の 雑 部 は 六巻 (雑 一 ∼雑 六 ) 、 三入 入 首 を 納 め て いる。 こ の六巻 の 雑 歌 と し て ま と めら れ た 巻 数 は、 八 代集 中 最 も 多 く の 巻 を 費 し て いる。 か ね て から 、 多 く の諸 先 学 の手 で勅 撰集 雑 歌 の歌群 配 列 な ど の 問 題 が考 究 さ れ た成 果 が あ る( 注 -)。 そ のよ う な 中 で特 に ﹃ 後 拾 遺 集 ﹄ の 雑 部 が、 古 代 詩 から 中 世 詩 へ の転 換 期 の諸 相 を 表 明 し て いる と し て 平 安 朝 和 歌 史 上 注 目 さ れ て いる。 そ れ は第 一 に雑 歌 が 歌 数 の面 から 集 全 歌 数 の四 分 の 一 を占 め 、 四 季 歌 、 恋 歌 に次 ぐ ウ エイ ト を占 め て いる点 が 掲 げ ら れ る。 ま た 形 態 面 で は雑 歌 が 、 ﹃ 後 拾 遺 集 ﹄ の巻 末 十 五巻 から 二十 巻 にま と め ら れ て い る 点 は、 三代 集 と異 な ってお り (古 今 十 七、 十 八巻 、 後 撰 十 五 、 十 六 、 十 七 、 十 入巻 、拾 遺 十 六、 十 七、 十 入、 十 九 ) 、 こ の 巻 末 と いう 位 置 は以 後 の 勅 撰 集 であ る ﹃ 金 葉 集 ﹄ 、 ﹃ 詞 花 集 ﹄ に継 承 さ れ て い る。 そ し て、雑 部 最 後 の二 十巻 に は、 神 祗 、 釈 教 、 誹 諧 と い う 小 項 目 が 独 立 し、 ﹃ 拾 遺 集 ﹄ 頃 から 萌 芽 さ れ 始 め て いた 政 教 性 の 強 い歌 が ﹃ 後 拾 遺 集 ﹄ に 至 って始 め て 集 合 さ れ て いる点 な どが 概 観 的 に注 目 さ れ ると こ ろ であ る 。 雑 歌 そ のも のは、 四季 、 恋 、 賀 、 離 別 、 羇 旅 、 物 名 、 哀 傷 の分 類 に は属 さ ず 、 し か し捨 て去 る のに し の び な い秀 歌 と いう こと に な る。従 って 雑 歌 はか な り 広 い 範 囲 に 渡 って い て、 内 容 も 多 岐 であ る。 し か し、 あ る面 で は、 そ のよ う な複 雑 な 種類 の歌 だ け に、 あ る種 の限 定 さ れ な い自 由 さ 、 新 しさ が 発 揮 さ れ る部 立 でも あ る の では な か ろう か。 撰 者 通 俊 は こう した 意 識 を 充 分 に 盛 り 込 ん だ も のと 思 わ れ る。 そ れ は各 巻 の雑 歌 を 読 ん でみ ても 明 確 であ る。 そ れ ぞ れ の 巻 は み な異 な っ た様 相 を 表 わ し、 そ れ が 歌 の主 題 や 歌 材 で 整 然 と ま と め ら れ、 配 列 さ れ て い る。 ﹃ 後 拾 遺 集 ﹄ の和 歌 は、 前 勅 撰 集 と 八 十年 間 と いう 長 い 期 間 を持 ち、 文 学 史 上 で は、 女 流 作 家 に よ る物 語 文学 の興隆 、 和 歌史 上 に も、 文 芸 性 を 重 視 した 歌 合 、 歌 会 の 増 加 、 そ れ に付 随 し て 起 こる ﹁ 題詠 ﹂ 歌 な ど の詠 歌 方 法 の変 化 な ど が あ る。 そ の よう な 時 代 に 和 歌 が 、 日 常 性 を しだ いに離 れ て、 一つの 文 学 作 品 と し て確 立 さ れ 始 め る。 しか し、 そ の 一 方 、 人 間 の 感 情 は時 代 と と も に種 々 の様 相 を お び 、 そ れ に よ って 起 こ る 複 雑 な かげ りを 写 し だ す 。 そ の かげ り が 如 実 に投 影 さ れ る のが 雑 歌 で はな か ろ う か。 そう い った意 味 で は、 雑 部 解 明 の意 義 は大 き いと 思 わ れ る。 そ こ で本 稿 で は、 ﹃ 後拾 遺 集 ﹄ 雑 部 の いく つ か の問 題 を考 察 し てみ 、 和 歌 史 に お け る屈 折 点 と し て の ﹃ 後 拾 遺 集 ﹄ の、 歌 風 及 び撰 集 意 識 や そ の革 新 性 、 保 守 性 を 探 る 一つの試 論 と した いと 思 う 。 (註1) 松田武夫氏﹁ 古 今 集 の 構 造 に 関 する研 究 ﹂ (昭和 四 十年刊) 同氏 ﹁ 詞花 集 の 研究﹂ (昭和三五 年 刊 ) 島田良 二 氏﹁ 入 代集 の 雑部 に 関 するノート ﹂ (﹁ 国語 と 国文学﹂昭和 三 九 年 一 月号)後拾遺集 の雑歌 をめ ぐって 一 、 雑 歌 に お け る 歌 群 排 列 に つ い て ﹃ 後 拾 遺 集 雑 歌 ﹄ の歌 群 排 列 に つい て は、 既 に島 田良 二氏 の御 論 考 (注 -)が 発 表 さ れ て い るが 、 そ れ に も とづ き な が ら、 な お幾 つか の私 見 を 加 え て雑 部 の概観 を 述 べ る こと に し た い 。 ﹃ 後 拾 遺 集 ﹄ の雑 部 の構 成 は、 三 代 集 の 雑 部 と 比較 す る と か な り苦 心 し た跡 が 見 ら れ 、 そ の歌 の内 容 も 、 非常 に多 様 化 し て いる。 ま た、 雑 部 全 体 を 概 観 す る と、 ﹁ は か な さ﹂ 、 ﹁ あ は れさ ﹂ が そ の 主 流 に あ り、 中 世 世 界 の近 さ を 感 じさ せ て い る。 そ こ で、雑 部 各 々 の 内 部 構 造 の 概 略 を述 べ な が ら、 そ の巻 の特 徴 を 考 え てみ た いと 思 う。 ﹁雑 一 ﹂ に収 め ら れ た雑 歌 は、 七 一 首 ( 入代 集 抄 本 に拠 る。 以 下 同 じ ) 、 作 者 は 五 十 七 人 (う ち 宀 よ み 人 し らず ﹂ の 三首 を みな 別 人 と み な し三 名 を 加 え た ) であ る。 まず 冒 頭 か ら 三 九首 も の ﹁ 月 ﹂ を 歌 材 に し て詠 ん だ 歌 が集 め ら れ てお り、 こ の 現 象 は、 覧前 勅 撰 集 の ﹃ 拾 遺 集 ﹄ ﹁雑 上 ﹂ の冒 頭 に = 首 の﹁ 月 ﹂ の歌 を排 し て いる構 成 に な ら って い るも の と思 わ れ る。 しか し、 こ の﹁ 月 ﹂ の歌 が雑 一 の全歌 数 七 一 首 の 半 数 以 上 であ る 五 五パ ー セ ン トを 占 め ると いう 実状 は 注 目 さ れ る 。 それ は、 勅 撰 集 に 見 ら れ る中 世 的 世 界 の気 運 を 大 いに 象 徴 し て いる も のと 思 わ れ る。 そ の証 拠 に、 月 の歌 は ﹃ 千 載集 ﹄ で は四 六 首 、 ﹃ 新 古 今集 ﹄ では 六 一 首 と、 増 加 す る結 果 に な っ て い る。 雑 歌 の冒 頭 に こ のよ う に多 く の月 の 歌 を配 し た と いう 撰 者 通 俊 の意 図 も 革 新 的 な も のと 言 え るだ ろ う。 続 いて、 沼、 池 、 浪 と い っ た水 に関 し て の歌 が 五 首 、 無 沙 汰 を 問 う た 歌 一 二首 、 悲 嘆 や、 故 人 に対 す る哀 傷 歌 、 身 の不 遇 を 嘆 いた 歌 な ど を集 め た 一 五首 と い う 排 列 に な っ て い る。 こ の巻 は、 雑 部 の導 入 部 分 と し て、重 要視 さ れう る巻 だ け に、 全 体 的 な色 調 は、 人 間 の ﹁ あ は れ﹂ の思想 が流 れ、 そ こに は宗 教 的 な気 風 を 認 め る こと が でき る。 こ のよ う な排 列 方 法 か ら、 雑 一 は概 し て、 伝 統 的 な雑 歌 の内 容 を 盛 り こん だ も のと思 わ れ る。 し か し、 そ の中 でも 冒 頭 に 三 九首 も の 月 の 歌 を 排 し、 そ の 歌 の 内 容 も徐 々に 人 間 の 内 省 的 な も の へ と深 化 す る と い った よ う な展 開 を見 せ て いる。 こ のよう な歌 群 が 、 相 互 に連 関 を 持 ち なが ら、 ﹃ 後 拾 遺 集 ﹄ の 雑 部 の世 界 を 作 り 上 げ て い る と い っ た、 繊 細 な編 纂 意 図 も感 じ と ら れ る。 次 の ﹁雑 二 ﹂ は 、他 の 雑 部 と 趣 が異 な り 、 六 入首 のす べ て が男 女 間 が か れ が れ に な っ た嘆 き や 怨 み の歌 で 構 成 さ れ て いる。 こ の 巻 の 歌 人 は 、 ほと ん ど が 女 流 歌 人 で、 六 八 首 のう ち 四 三 首 を占 め る。 ま た、 本 巻 に は 三首 の ﹁ 詠 み 人 知 ら ず ﹂ 歌 を含 む が 、 そ の詞書 か ら推 測 す る と す べ てが 女 の詠 歌 でそ れ を 加 え ると 四 六 首 が 女 流 歌 人詠 と な る。 こ の よう な 現 象 は ﹃ 拾 遣 集 ﹄ の ﹁ 雑 恋 ﹂ が モチ ー フと な っ た も のと考 え ら れ るが 、 それ と 異 な る点 は ﹃ 拾 遺 集 ﹄ で は、 恋 を し、 そ れ が 破 れ 、相 手 を 怨 み、 そ の結 果 無 常 を 感 じ る と い っ た 過程 の 歌 が 多 く 見 ら れ る が、 そ れ のみ で は なく 、 も っと 広 い 意 味 で の 愛 の歌 を 入集 さ せ て い る。 ﹃ 後 拾 遣 隹 木 ﹄ は こ のよう に部 立 の構 想 の点 で は ﹃ 拾 遺 集 ﹄ の影響 を受 け て 編 纂 さ れ た も のと思 われ るが 、 ﹃ 後 拾 遺 集 ﹄ ﹁雑 二﹂ の歌 の ほ と ん ど が女 流 歌 人 であ る点 は ﹃ 拾 遺 集 ﹄ ﹁雑 恋 ﹂ と は相 違 す る。 以 上 のよ う に、 人間 の 感 情 表 現 の ﹁ あ は れ﹂ を 最 も 表 明 す る ﹁恋 歌 ﹂ も 、 恋 愛 を 成 就 さ せ る喜 び よ り も 、 男女 間 に生 じ たす き ま から の嘆 き や 恨 さ 、 悲 傷 な ど に ﹁ あ はれ ﹂ を強 く感 じ さ せ る。 当 時 の人 々 の 心 を 強 く 支 配 せ しめ た 恋 の、 そ れ も 特 に 破 れ た 恋 の ﹁ あ は れ﹂ を詠 ん だ歌 を 雑 部 の 二巻 目 に集 合 さ せた 撰 者 の試 み は、女 流 歌 人 の 増 大 と とも に、 革 新 的 なも の であ っ た と言 わざ るを 得 な い。 当 時 の 人間 の心 を 強 く 支 配 した も の は、 前 巻 の 恋 の ﹁ あ はれ ﹂ と も う 一 方 は栄 華 へ の夢 で あ る。 そ し て そ の夢 が 破 れ た と き 、 人 は 沈淪 か ら 生 じ る世 の 無 常 を感 じざ るを 得 な い。 ﹁雑 三﹂ で は、 そ のよ う な と き に
研 究紀要 第19集 際 し た 人間 の 無 常 の 歌 を 集 め て い る。 冒頭 か ら 一 一 首 が 、 司 腐 にも れ て の嘆 き の歌 、 引 き 続 き 無 官 の嘆 き を詠 ℃ た = 一首 が 存 し て い る。 更 に、 そ れ ら の 嘆 き の 後 、 七 首 の流 罪 を 嘆 いた詠 歌 、 世 の 無 常 一 八首 、 隠 棲 や 出 家 に関 し て の 二 三首 か ら 成 り 立 っ て いる。 こ の ﹁ 雑 三﹂ は、 全 体 的 に中 世 的 な 色 彩 の濃 い巻 と いう こ とが でき る。 特 に僧 侶 歌 の多 い のも こ の巻 であ る 。 そ の構 成 的 な 配 慮 も 、 司 召 にも れ た 嘆 き から 徐 々 に無 官 、 流 罪 の悲 しみ へ と 移行 し、 そ こ から 世 の無 常 を 感 じ、 ついに は 出 家 と いう極 限 迄 に 到達 す る と い っ た ス ト ー リ ー 性 を 展 開 さ せ て いる。 五 入首 から な る ﹁雑 四 ﹂ は 、細 か な 歌群 に よ っ て構 成 さ れ て い る。 巻 頭 より 松 十 首 、 み 山木 二首 、 池 一 首 、 浦 一 首 、 滝 四首 、 川 一 首 、 月 の桂 一 首 、 湯 一 首 、住 吉 九首 、 歌 枕 七 首 、 夕 だ す き 三首 、 木 の 丸 殿 三首 、 歌 集 に 関 した 歌 五 首 、 そ し て目常 の 贈 答 歌 一 〇首 と い っ た旦 ハ 合 であ る。前 巻 で強 調 さ れ 、 一 つ の 主 題 と さ れ た 人間 の無 常 観 や 厭 世 観 を 受 け て ﹁雑 四 ﹂ では、 永 久 不滅 で あ る 人間 の生 命 や 、 い た し かた のな い老 の 諦 念 を、 まず 冒頭 に ﹁ 松 ﹂ を 配 置 さ せ松 の変 わら な い長 寿 長 命 と を 対比 さ せ、 人間 の 感 情 の諸 相 を 描 き だ そう と して い る。前 巻 の 暗 いイ メ ー ジ と反 し て本 巻 は比 較 的 明 か る い色 調 で色 ど ら れ て いる 感 じ が す る。 ﹁ 雑 五﹂ は 六 一 首 を 納 め る。 こ の巻 は、 冒 頭 か ら 宮 中 、摂 関 に関 す る詠 歌 が 二 八首 存 す る。 特 に それ ら を 詠 じ、 入集 せ し め た歌 人も 道 長 、 出 羽 弁 、 大 弐 三位 、 選 子 内 親 王 、 上東 門 院 中 将 と 、道 長 の 栄 華 を共 に し た歌 人が 多 い の であ る。 こ の現 象 と 符 号 し、 こ の 巻 は ﹃ 栄 花 物 語 ﹄ と の 共 通 歌 一 〇 首 (注 2 )を 数 え る。 ﹃ 栄 花 物 語 ﹄ と の 共 通歌 は 、雑 部 に 二 七首 ( 二 十巻 中 六 入首 ) あ り 、 そ の最 も多 く を占 め る のが こ の 宮 中 や摂 関 に関 す る 歌 中 であ ると いう 現 象 は 充分 理解 さ れ る得 る と ころ であ ろ う 。 ﹃ 栄 花 物 語 ﹄ の 叙 述 と 、 ﹃ 後 拾 遣 集 ﹄ の 詞 書 と の 類 似 性 に 関 し て 撰 歌 、 被 撰 歌 の問 題 が あ るが 、 こ こ では ひと まず そ の 実 状 のみを 掲 げ て 置 く に と ど め る が、 お の ず と これ ら の 歌 に は、 か な り詳 細 で長 い 詠 歌事 情 を 記 し た 詞書 が付 さ れ て いる。 ㍗こ の 後 に は、 旅 の 中 で感 じ る憂 愁 嘆 き 、 無 常 を 詠 んだ 歌 一 四 首 が 続 い てい る。 そ し て、 次 に は、 詞 書 から 寺 、 山 階 、 山 階 寺 、 山 里 に ま か り て の 詠 が 入首 並 べら れ て い る。 こ の よう に山 や 山 里 に 関 す る歌 が 多 く な っ てく る の は、 ﹃ 後 拾 遺 集 ﹄ 頃 から で、 山 里 を 訪 れ る こ と で、 俗 世 から 逃 れ て 一 人 沈 魂 す ると い ρ た 中 世 の 隠 遁 者 的 な 思想 が、 和 歌 史 の上 から も こ の期 に摘 出 でき る の では な か ろ う か。 大 いに中 世 詩 と し て の気 風 を 感 じ さ せ ると ころ であ る。 巻 末 は、 目常 的 な雑 歌 十 一 首 で締 め く く って いる 。 こ のよ う に ﹁ 雑 五﹂ は か な り盛 り だ く さ ん な雑 歌 で構 成 さ れ て いる。 ﹁ 雑 六﹂ は前 述 し た よ う に、 内 部 を、 神 祗 、 釈 教 、 誹 諧 の部 に分 類 し て いる。 歌 数 の面 か ら い えば 、 そ れ ぞ れ 一 九首 、 二〇 首 、 二 一 首 と そ れ ほ ど多 く は な いが 、 以 後 の勅 撰 集 に至 っ て増 加 す る。 特 に、 神 祗 、 釈 教 の 新 設 の 意 義 は、 しば しば 言 わ れ る よう に画 期 的 な 所 為 であ る。 神 祗 部 は、 そ れ ら の主 題 に よ っ て分 類 し て み ると 、 託 宣 二首 、 そ し て、 有 名 な和 泉 式 部 の失 恋 の憂 悶 の身 を 、 貴 船 明 神 で鎮 魂 の祈 願 を し た歌 、 そ れ に 貴 船 明神 の 返 歌 が これ に 続 く 。 次 に は 、 神 祭 を 詠 じ た 歌 、 稲 荷 の神 を 詠 ん だ歌 、 そ し て住 吉 の松 、 ち はや ぶ る松 を そ れ ぞ れ 詠 じ た歌 と し て 並 列 さ れ て い る。 ま た 次 は 目 吉 の御 神 、 ち は や ぶ る 神 、 神 の こ こ ろ、 神 女 の天 く だり 、 はぐ く む神 、 神 心 と い っ た 具合 に 一 連 の神 の歌 で ま と めら れ て い る。 そ れ ら に 続 く のは 、住 吉 の 松 二 首 を 排 し、 貴 布 禰 、 春 目 祭 と い っ た 配 列 に な って いる。 ﹁神 祗 ﹂部 の 特 色 と し て、 巻 頭 、 巻 末 にそ れ ぞ れ 公 的 な 色 調 の強 い歌 を排 し た あ た り に、 撰 者 の意 識 が 窺 が われ る よう であ る。 ﹁釈 教 ﹂ で は、 前 述 した よ う に ﹂ そ の入集 歌 人 も 女 流 歌 人 、僧 侶 歌 人
後拾遺集 の雑歌 をめぐって が 圧倒 的 に多 く、 男 性 歌 人 は 公任 のみ であ る。 ま た、 巻 頭 か ら 三首 が 、 僧 侶 詠 であ る。 岡 崎 知 子 氏 は、 ﹁ 釈 教 歌 考 ﹂ と 題 さ れ た論 文 ( ﹁仏 教 文 学 研 究 ﹂ O ) の中 で こ の釈 教 歌 に注 目 さ れ て、 入代 集 中 に お け る釈 教 歌 の 変 遷 と そ の文 芸 性 に つい て論 じ ら れ て い る。 そ の 中 で岡 崎 氏 は、 ﹃ 後 拾 遺 集 ﹄ の釈 教 歌 を そ の歌 の性 格 か ら 、 経 旨 歌 七首 (法 華 経 五、 維 摩 経 二) 、 法 縁 歌 六首 (法 華 経 供 養 三 、 涅 槃 講 二、 懺 法 一 ) 、教 理 歌 二首 月輪 観 、 三界 一 心) 、 述 懐 四 首 ( 涅 槃 会贈 答 三、 其 他 一 ) に分 類 さ れ て い る。 特 に、 注 目 され る の は、 経 旨 歌 が 本 集 で は じめ てあ ら わ れ 、 法華 経 二十 入品 の 各 品 を 詠 じ た題 品 歌 が あ ら われ た こと で、 こ の釈教 部 に お い ても 、 撰 者 は こ の よう な新 風 を 送 り こん だ も のと 考 え ら れ る。 岡 崎 氏 が 解 か れ る よう に まさ に、 後 拾 遺 集 期 から 、 和 歌 と 仏 道 が 結 び つ き 、 両 者 の 調 和 を は か るば かり でな く 、 積 極 的 に 和 歌 を も って 仏 道 に 資 す る、 つまり 自 己 の仏 教 的 な 願 い のた め 、 あ る いは自 他 のた め の 善 根 功 徳 と し て経 文 経 題 を 詠 むと いう こと が 行 な わ れ る よ う に な っ た よ う であ る。 以 後 、 釈 教 歌 を 詠 むと いえ ば 必 ず 二 十 入 品 和 歌 の題 品 歌 を詠 む と い った具 合 に、 中 世 に入 って著 し い流 行 を 見 せ る の であ る。 単 に新 設 さ れ た 意 義 の大 き さ のみ を こ の釈教 歌 に読 み取 る ので は な く 、 そ の 一 九 首 の内 部 も 著 名 な 歌 人 を排 し 、 か な り文 芸 性 の 高 い釈 教 歌 を 意 識 的 に、 排 列 さ せ た と 見 る こと が でき よ う。 そ のよう な意 味 か ら 雑 部 の最 終 巻 に も 、 ゆ き と ど いた撰 集 意 識 を感 じ さ せ て い る。 (註1) 島田良 二 氏前掲論文 りの む り り ム リリ (註2 ) ﹁雑 五﹂ の うち国歌大観 音 番号 で 記すと 101 01 01 01 11 11 11 21 21 2 の 十 -⊥ 11 ⊥ -よ 11 ⊥ -⊥ 1ー 工 11 首 で ある。 二 、 雑 歌 の 歌 人 に つ い て 三 入 入首 を数 え る ﹃ 後 拾 遺 集 ﹄ 雑 歌 に お い て、 名 を 顕 わ し て いる作 者 は 一 七 一 名 に及 ん でい る。 それ ら の作 者 の主 要 な メ ンバ ー を 知 るた め に 三首 以 上 入集 し て い る作 者 を 歌 数 の多 い順 にぬ き だ し てみ る と 次 のよう であ る。 22首 和 泉 式 部 13 首 赤 染 衛 門 10 首 相 模 、 伊 勢 大 輔 8 首 公 任 、 馬 内 侍 6 首 重 之 、 小 弁 、 5 首 頼 宗 、 範 永 、 元 輔 、 匡 衡 、輔 親 、 斎 宮 女 御 、 増 基 法 師 4 首 長 能 、 弁 乳 母 、道 綱 母 、 選 子 内親 王 、 道 命 法 師 3 首 道 長 、 頼 実 、 藤 原 義 孝 、 後 三 條 院 、 為 善 、経 信 、 小 大 君 、 小 式 部 、 江 侍 従 、 素 意 法 師 以 上 に よ っ ても 明 ら かな よう に、 必 ず しも ﹃ 後 拾 遺集 ﹄ が 当代 の歌 人 を重 要 視 し て は いず 、 ど ち ら かと 言 え ば ﹃ 拾 遺集 ﹄ (抄 ) が編 纂 さ れ た花 山院 ・ 公任 の 時 代 や 、 そ のあ と の能 因 や 和 歌 六 人 党 の 時 代 を主 流 に お い て そ の期 の歌 人 達 に かな り の 席 を 割 い て いる 通俊 の 撰 歌 方 針 が 認 めら れ る 。 そ のう ち特 に摂 関 盛 時 の 女 流 歌 人溺 中 心 を 占 め、 そ れ に続 き 拾 遺 集 時 代 の男 性 歌 人 が これ に 次 い で い る。撰 者 時代 の 歌 人 は先 に 掲 げ た歌 人 の中 に は見 ら れ ず 、 わ ず か に康 資 王 母 が 五首 を 入集 す る の み であ る。 こ の よう に、 当 代 よ り も 過 去 、 特 に 一 条 朝 か ら後 冷 泉 朝 に 至 る摂 関 時 代 に視 点 を 置 い た 撰 歌 意 識 は ﹁ 雑 部 ﹂ に 限 らず ﹃ 後 拾 遺 集 ﹄ 全 体 の傾 向 であ り 、 ﹃ 拾 遺集 ﹄ 成 立 後 入 十年 間 と いう 長 い 前 史 の 空 白 期 を 内 包 し て い るだ け に そ の包 摂 さ れ た範 囲 は 広大 であ る。 そ こ で、 こ の摂 歌 さ れ た 作 者 の実 体 か ら ﹃ 後 拾 遺集 ﹄ の ﹁雑 部 ﹂ の 特 質 を 探 る鍵 と な り そう な いく つか の点 に つい て考 察 し てみ た いと 思 う。
研究紀要 第19集 2 3 1 雑 9μ 0 0 雑 雑 4 雑 5 雑 6 雑 20 錫 5 計 雑 部 の各 巻 に おけ る歌 人 構 成 に つい て は、 そ の部 立 意 識 に基 づ いた 方 針 で排 列 さ れ て い る よう に思 われ る。 右 に掲 げ た表 から も 明 確 な よう に、 そ の 現 象 は、 巻 の 特 徴 と 比 例 し、 ﹁ 雑 二﹂ に女 流 歌 人 の詠 歌 が 目 立 って多 い点 は( 注 -)、 ﹁ 雑 二﹂ が 恋 の 恨 み の 歌 を 集 め た特 殊 な色 調 を 有 す る点 と 一 致 す る。 雑 歌 中 でも 特 に 人間 の 抒 情 的 な陰 影 を 強 く 投 影 し て い る巻 だ け に当 代 及 び 女 流 歌 人 を多 く輩 出 し た時 期 の 歌 人達 の 詠 歌 を 集 合 さ せ て、 こ の﹁ 雑 二 ﹂ の よ う な特 徴 的 な 人 間 の ﹁ あ は れ﹂ を主 張 し た のは興 味 深 い こと であ る。 ま た、 ﹃ 後 拾 遺 集 ﹄ で注 目 さ れ る僧 侶 の 勅 撰 集 への 参 加 と、 入集 歌 の増 加 と いう 点 から 、 ﹁ 雑 三﹂ そ し て、 ﹁雑 六 ﹂ の ﹁神 祗、 釈 教 、 誹 諧 ﹂ に そ の現 状 を 見 る こと が でき る の であ る。 前 述 し た が ﹁雑 三﹂ は 島 田 氏 が 分 類 さ れ た よ う に (注 2 )司 召 に も れ た嘆 き の歌 一 二首 、 流 罪 の 悲 しみ 七 首 、 世 の無 常 一 八 首 、隠 棲 、 法 師 に 関 し て の歌 二 三 首 か ら構 成 さ れ る。 こ のう ち 特 に 僧 侶 歌 の多 い のは 世 の無 常 と 法師 に 関 し て の 歌 で、 そ れ ら は みな 無 常 観 や 厭 世 観 を 率 直 に吐 露 し て い るも のば か り であ る。 そ し て これ が 、 仏 教 思 想 と 結 び 付 い て、 ﹃ 後 拾 遺集 ﹄ で始 め て 部 立 と し て独 立 し た ﹁ 釈 教 ﹂ 歌 と し て発 展 継 承 さ れ てゆ く の では な いだ ろ う か。 特 に ﹃ 後 拾 遺 集 ﹄ で多 く の僧 侶 歌 人 を 起 用 した の は、単 に 宗 教 的 な中 世 詩 と し て の 和 歌 の 意 識 のみ で はな い。 僧 侶 の地 位 が 安 定 し、 お の ず と貴 族 や宮 廷 と の 交 渉 の 機 会 も ひ ら け、 歌 僧 と し て、 自 分 の身 辺 の 対象 に 対 し て じ っ と 目 を 見据 え る と い う 詠 歌 態 度 は、 鮮 明 な印 象 で迫 ってく るも のが あ る 。 撰 者 通俊 は、 こ う し た 人間 の 存 在 に対 す る内 省 的 な も のを 強 く 見 つめ てゆ こう と す る文学 性 の 豊 かな 僧 侶 歌 を 、 ﹃ 後 拾 遺 集 ﹄ の最 も 革新 的 な 部 立 であ る 雑 部 に多 く排 し た ので あ る。 ま た、 雑 六 の ﹁ 釈 教 ﹂ に は、 光 源 法 師 、 前 律 師 慶 暹 、 慶 範 法 師 、 僧 都 覚 超 の 僧 侶 歌 の他 、 伊 勢 大 輔 、 康 資 王母 、 赤 染 衛 門 二首 、 公任 二首 、 小 弁 、 弁 乳 母 、 遊 女 宮 木 一 首 ら が 入集 さ れ て い る 。 勅 撰 集 の釈 教 歌 に つい て は、 詳 し く は 岡 崎 氏 の 前 掲書 に譲 るが、 ﹃ 後 拾 遺 集 ﹄ で、 初 め て ﹁ 釈 教 ﹂ と いう 部 立 を 設 置 した 背景 に は、 勅 撰 集 で は ﹃ 拾 遺 集 ﹄ ﹁哀 傷 ﹂ 部 に 釈教 歌的 な内 容 を有 す る 歌 を 見 いだ せ る点 、 ま た、 私 家 集 では 釈 教 歌 を集 め る 選 子 内 親 王 の ﹃ 発 心 和 歌 集 ﹄ 、 ﹁ 釈 教 ﹂ の部 立 を 持 つ ﹃ 赤 染 衛 門 集 ﹄ 、 ﹃ 前 大 納 言 公 任 卿 集 ﹄ 、 ﹃ 和 泉 式 部 集 ﹄ に は釈 教 歌 を 含 む諸 家 集 が 存 在 す る。 こ の よう な釈 教 歌 の 萠 芽 が、 ﹃ 後 拾 遺集 ﹄ に 至 って 独 立 し、 集 合 さ れ た の であ る。
後拾遺集 の雑歌 をめ ぐって 前 述 し た歌 人 ら は とも に み な 釈教 歌 人 と し て は 第 一 線 の人 ば かり で、 赤 染 衛 門 、 公任 はも ち ろ ん伊 勢 大 輔 は ﹃ 後 拾 遺 集 ﹄ に 二 七首 も の 詠 歌 を 入集 、 ま た康 資 王母 は伊 勢 大 輔 の娘 であ る。 ま た、 先 に掲 げ た僧 侶 歌 人 の前 律 師 慶 暹 は ﹃ 後 拾 遺 集 ﹄ に四 首 ( 鵬 鶸 ㎜ ) を入 箏 る 歌 人で あ る( 注 3 )。その 遠縁 に あ たる 養 釜 三 覊 親 は伊 勢 大 輔 の実 父 で、 慶 暹 は伊 勢 大 輔 と は義 姉 妹 と いう こと に な る 。 慶 範 法 師 は (注 4 )、 祖 父 を 中 原 致 時 と し、 伊勢 守 を つと め 、 伊勢 の 祭 主輔 親 女 で あ る伊 勢 大 輔 は、 致 時 と共 に寛 弘 五年 の敦 成 親 王 誕 生 の儀 式 に 奉 仕 し て い る。 こ の よう な由 から 、 慶 範 の中原 家 と 伊 勢 大 輔 一 族 と の 交 流 は早 く か らあ り、 慶 範 が 伊 勢 大 輔 と 何 んら か の交 友 関 係 が存 した こ と も認 め ら れ る。 姻 戚 関 係 にあ った慶 暹 、 そ し て交 流 が 認 め ら れ た 慶 範 は、 とも に伊 勢 大 輔 の周 辺 の歌 人 と いう こと が でき る。 以 後 の和 歌 史 に大 き な影 響 を 及 ぼ した ﹁ 釈 教 ﹂ 歌 を 、著 名 な 歌 人達 と、 そ の周 辺 の僧 侶 歌 人 と に よ って集 合 さ せた 撰 者 通 俊 の﹁ 釈 教 ﹂ 部 へ の 配 慮 は大 い にう なづ け る と こ ろ であ る。 ま た、 ﹃ 後 拾 遺集 ﹄ の 特 徴 と し て ﹁ 題 し らず 、 詠 み 人 しら ず ﹂ の歌 が 減 少 し て、 わず か 雑 部 中 に 一 首 を占 め る だ け であ る (古 今 集 九 五首 、 後 撰集 二〇 首 、 拾遺 集 四 〇 首 ) 。 和 歌 が しだ いに 宗 教 性 を は ら み 、 そ れ が 一 つ の 特 徴 的 な 文学 性 を確 立 し て ゆ く中 世 詩 へ の画 期 的 な試 みと し て、 重 視 す べき であ ろ う と思 わ れ る。 以 上 の よう に、 雑 部 を 歌 人的 な 側 面 か ら、 そ の 特 色 を 考 察 し てみ た。 あ く ま でも 、 部 立 や 構 造 に関 し て の撰 者 の 意 識 は、 そ の部 立 に 応 じ て働 い たも の と思 わ れ る。 単 に歌 人 の問 題 から 分 析 し ても 、 そ の 雑 部 内 部 の色 調 とあ い ま っ て、 全 体 的 な特 徴 と し て掲 げ ら れ る 女 流 歌 人、 僧 侶 歌 人 の増 大 の意 味 す る も の が 、 革新 的 な 部 立 と し て注 目 さ れ る雑 部 にも 、 発 揮 さ れ た よう であ る。 (註 1) ﹃ 後 拾 遺 集 ﹄ 中 、 最 も 女 流 歌 人 詠 の多 い のが ﹁ 雑 二﹂ の 二五 ・ 九 。ハ セ ン ト、 そ し て、 ﹁ 哀 傷 ﹂ の五 一 ・ 五パ ー セ ン ト、 次 い で ﹁ 雑 一 ﹂ の 四 三 ・ 七パ ー セ ン ト、 ﹁ 恋 四﹂ の 四 三 ・ 六 パ r セ ン トと いう 結 果 であ る。 (註 2) 島 田 氏前 掲 論 文 (註 3) 拙 稿 ﹁ 後 拾 遺 和 歌 集 作 者 ノ ー トω ﹁ 慶 暹 項 ﹂ (﹁ 立 正 女 子 大 学 短 期 大 学 部 研 究 紀 要 ﹂ 第 十 三集 (昭 和 四 三年 、 一 二月 ) (註 4) 同 右 ﹁慶 範 ﹂項 お わ り に 以 上 に概 観 し てき た よう に、 ﹃ 後 拾 遺 集 ﹄ の 雑 歌 は、 そ の構成 配 列 は整 然 と し、 部 立 内 部 は秩 序 と 統 一 が 感 じら れ る。 全 六 巻 中 、前 三 巻 は全 体 に暗 い 色 調 が 漂 い、 後 半 の 三巻 、 は比 較 的 直 接 に人 事 的 な 部 分 に関 わら な い 雑 歌 が 集 めら れ てお り 、 前 三巻 と 較 べ ると 明 る い色 調 を 感 じ と る ことが でき る。 ﹃ 後 拾 遺 集 ﹄ 撰 者 通 俊 は、 こう した 歌 集 全 体 の組織 の創 造 と 編 纂 に 対 し て繊 細 な意 図 を 施 行 した も の であ ろう 。 そ れ が 、 特 に新 しさ の発 揮 さ れ る ﹁ 雑 部 ﹂ に働 い た こと は、 歌 群 排 列 に関 し てや 、 歌 人 構 成 な どを み ても 明 ら か であ る。 特 に、 歌 群 配 列 で は、 そ の多 岐 に渡 る内 容 の歌 を 、 六 巻 と いう 各 々 の 性 格 の 異 な っ た雑 部 に排 し、 それ ら を テ ー マ づ け よう と す るな ど 、 そ こに は苦 心 の 跡 が 見 受 け ら れ る。 ま た、 歌 人構 成 にも 、 そ の部 立 の特 性 に合 わ せた 配 慮 を 看 取 る こと が でき る。 ﹃ 後 拾 遺 集 ﹄ の歌 人 構 成 で注 目 せら れ た女 流 歌 人 、 僧 侶 歌 人 の 増 大 と、 詠 み 人 しら ず の減 少 は期 せず し て こ の雑 部 の特 色 に も 合 致 し 、 三代集 で は全 く 見 ら れ な か っ た現 象 であ る。 こ の詠 み人 しら ず 歌 の 減 少 は、 雑 部 で目 立 っ て おり 、 ﹃ 古 今 集 ﹄ の雑 部 の詠 み人 しら ず 歌 は = 二 〇首 、 ﹃ 後 撰 集 ﹄ 九 二首 、 ﹃ 拾 遺 集 ﹄ の 三 二首 と 較 べ ると ﹃ 後
研究紀要 第19集 拾 遺 集 ﹄ の 二 一 首 は著 しく 減 少 し て い る。 こ のよ う な 通俊 の 雑 歌 で の 詠 み 人 し らず 歌 減 少 の撰 集 意 識 は、雑 歌 が 他 の 部 立 よ り も 広 い 範 囲 の 詠 歌 を収 集 し て い る だけ に、 ﹁ 題 しら ず ﹂ を 極 力 少 な く し、 詠 歌 事 情 を でき る だ け詳 しく 記 そう と す る態 度 が捉 え ら れ るも のと思 わ れ る。 こ の よう な 点 か ら も 、 ﹃ 後 拾 遺 集 ﹄ が 、 雑 歌 の 保 守 的 な ﹁ 題 し ら ず 、 詠 み 人 しら ず ﹂ を さ け て、 でき るだ け作 者 を 明 ら か に し よう と し た点 な ど に は革 新 性 が 感 じら れ る。 平 安 朝 歌 人 達 が 持 っ た 作 歌 に対 す る 意 識 は、 物 語 の 興 隆 に対 し て、 一 人 の心 の抒 情 と し て そ のう ち な るも の の 詠 嘆 を満 た せば よ い 存 在 に な る。 お のず と和 歌 は自 己 の主 張 を 強 く持 ち 、自 己 の 感 動 に奥 深 く 入 っ て い こう とす る傾 向 を 持 つ 。 ﹃ 後 拾 遺集 ﹄ の 雑 歌 は 、 そ う し た和 歌 の あ り方 を 最 も 率 直 に とら え た も のと いえ るだ ろ う。 か っ て ﹃ 古 今 集 ﹄ ﹃ 後 撰 集 ﹄ や ﹃ 拾 遺 集 ﹄ で は みら れ な か っ た宗 教 的 な色 濃 い 無 常 歌 や述 懐 歌 、 そ し て、 一つの部 立 と し て独 立 した 釈教 歌 な ど、 中 世 的 な和 歌 の転 換 期 、 また は屈 折 点 と し て、 ﹃ 後 拾 遺 集 ﹄ の 雑 部 全 六巻 、 三 入 八首 の 雑 歌 は語 り か け てく る の であ る。