P.ブルデューの文化的再生産論の到達点と課題
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(2) . 北海道教育大学紀要 (第1部C) 第4 1巻 第2号 lof Hokkaido Univers Jouma i i ty ofEducat ionI C) Vo t l on(Sec ‐41 ‐2 , No. 平成 3年3月 Mar ch ,199I. P。 ブルデューの文化的再生産論の到達点と課題. 小. 内. 透. 序 章 問題意識と課題. 第1章 第2章 第3章 終 章. 文化的再生産論の原点 文化的再生産論の理論的精撤化 文化的再生産論の再編 文化的再生産論の到達点と課題. 序 章 問題意識と課題 P‐ ブルデュ ー は, フランスのヨーロ ッ パ社会学センターを主宰する著名な社会学者である 彼 . の仕事はきわめて広範囲にわたり, 「超領域」 の仕事をしているといわれている( 1 ) 多方面にわたる . 彼の仕事のうち, 彼の仕事を貫く 中心的なテーマの一つになっ ているのが 文化的再生産 論の構築 , で あ る‐. ブルデューの文化的再生産 論は, 一般 的には次 のよう に理解されている . ブルデュ ーによれば,「人々 の文化的な好 みや親しんでいる文化 活動の内容 には大きな階層差があ る r …・支配的な階級の文化 は高く評価され 従属的な階級の文化は低く 評価されている こうし , . た文化的な差異 は家庭内で世代から世代へと伝達される そして身につけている文化 の優劣は教育 . 制度の作用を通じて学歴の差異 へと変換され こう して支配的な階級の出身者 は支配的な階級 に , , 従属的な階級の出身者 は従属的な階級に所属 するようになる傾向が生 じる ( ) 端的にいえば 文化 」2 . , 的再生産が教育システムを通じて階級・階層の社会的再生産 に寄与 しているということである . この考え方は, 「階級・階層と教育」 を問題 にする教育社会学 に大きなイ ンパクトを与え 多く の , 論者から高い評価を受けている たとえば ハーカーはブルデュ ーの文化的再生産論について 「彼 . , ,. の仕事は, 一世代から次世代へと社会的・文化的不平等を再生産していく上での学校の中心的な役 3 割についての数少ない一 貫した説明になっ ている」 { )と述べている その意味で ブルデュ ーの文化 . , 的再生産論 は, バ ーンステイ ンのコード理論とともに 教育社会学 の分野でクローズア プされて ッ , いる階級的不平等の再生産 の問題を, 文化論的な立場 から説明するものとして大 きな位置を占めて い る と い っ て よ い‐. わが国においても, ブルデューの文化的再生産論は 少なからぬ教育社会学者・社会学者によ っ , て紹介され, それに基づいた 実証研究も いくつか試みられている( 4 ) . しかし, ブルデューの文化的再生産論は 同時に 少なからぬ人々 から批判的な評価を受 けてい , , る. ブードンは,「教育機会不平等の発生メカ ニズムに関する適切な理論という のは 教育制度 の他 , のレベルで, しかも長期間にわたっ て観察されることを同時に説明できる理論 でなければならない だろう」 と指摘し, ブルデュ ーの文化 的再生産論について 「教育機会 の構造の安定性 を前提にし , 」 55.
(3) . 小. 内. 透. 5 ) また, コリンズも, 「ブルデューのモ デルでは, マクロ レ た静態的な理論であると批判 している( . 「 ベルの教育階層やその歴史的発展を説明する大規模なメカニ ズムが不明瞭であり」, 教育を基盤と した職業技能に関するテクノクラシー論的解釈や, もしく は階級的優位性に関する生物学的・遺伝 6 } 論的な解釈さえも, 実際には論破して いない」 と指摘している{ . いうまでもなく, 一 つの理 論に対して評価 が大きく分かれるこ と は, アッ プルの指摘するよう 7 ) むしろ一般的であり, 社会科学の場合とりわけそう した傾向 が強い. に( , しかし, ここで問題としなけれ ばならないことは, 文化的再生産論につ いての従来の評価 は, 肯 1 964年) および『再 定的なものであれ否定的なものであれ, パスロンとの共著 『遺産相続者たち』 ( 1 970年)を対象として論 じられたもの がほとん どであることである. これは, ブルデュ ーが, 生産』( 『 その後も, 文化的再 生産論にかかわる理論的深化の試みを続けていること, しかも, とりわけ ディ 1 979年)において, 従来の考え方 とは大きく異なる理論的な展開がみられること スタンクシオン』( ◎ を考えれ ば , 見逃す ことのできない問題である. その意味で, これまでの文化 的再生産論に対する 評価は, いわ ば初期の文化的再 生産論に対する評価であっ たといえる. したがっ て, ブルデューの. 文化的再生産論を検討する場合には, 初期の理論だけでなく, その理論的な変化の過程を含めて検. 討しなけれ ば十全なものになりえないといえる. 『 『 本稿は, こう した問題意識に基づいて, 主として 『遺産相続者たち』 , ディ スタ ンク , 再生産』 シオ ン』 をとりあげ, ブルデューの文化的再生産論の理論的な 深化の過程を検 討し, それをふまえ て, この理論の到達点 と課題を明らかに しようとするものである‐. 〔注〕 『 ( ) ブルデューの業績の全体像については, 福井憲彦 「ヨーロッパ社会学センターのめざましい 超領域研究』 の全 1 参照 『 8 6年 1 9 出版部 貌」 アクト』 No , . , .1, 日本エディタースクール ( ) 橋本健二「文化評価の構造 と文化の階層性」 『静岡大学教養部研究報告』 (人文・社会科学編)第24巻第2号, 1988 2 53頁. 年, 1 i 2 ) io l ” lofSoc on i i ioぜ,Br t o shjouma ≦w ofEducat ion tusandEducat t ,5 ,( eproduc ) Harker ( 3 ,Habi ,R.K. onr 1984 ‐ .17 ,p. 〈教育的な関係〉 の特質について」『東京大学教 ( 4 ) ブルデューの文化的再生産論を紹介したものとして, 秋永雄一 「 1月号, 福井憲彦・ 「 5年1 教育の構造 3年, 宮島橋 再生産論としての 」『現代思想』 育学部紀要』第23巻, 198 ,198 「 ブルデ P 井上正志 ューの 『文化資 『 部 1 9 8 6年 山本哲士編 アクト』 No . , ‐1, 日本エディタースクール出版 , 「 『 文化による支配 宮島橋 9 8 6年 1集 1 , 文化によ 本』 概念の社会的基礎と制度的位置」 教育社会学研究』 第4 , , 『身分』 と 「 現代における 『 秋永雄一 7年 会 1 9 8 る選抜一 見田宗介・宮島喬編 文化と現代社会』 東京大学出版 , , 『 「 987 8号 第2 社会学年誌 と文化資本 』 2集, 1987年, 佐藤富雄 文化的再生産論 」 ,1 教育」 『教育社会学研究』第4 「 女子高校生の進学 宮島喬・田中祐子 て 年などがある. また, ブルデューの理論をベースにした実証研究とし , 98 3年, 藤田英典他「文化の階層性と文化的再 希望と家族的諸条件」 『お茶の水女子大学文化資料館報』第5号, 1 「 ビ 87年, 黄順姫 ハ トゥスによる学校生活への適応過程」 『教育社会 生産」 『東京大学教育学部紀要』第27巻, 19 「 988年, 橋本健二 文化評価の構造と文化の階層性」 『静岡大学教養部研究報告』 {人文・社会 3集, 1 学研究』 第4 988年などがある. 4巻, 第2号, 1 科学編) 第2 7 98 3年, p ) プードン 『機会の不平等』 新曜社, 1 { 5 .6 . 984年, p 4 ( 6 ) コリンズ 『資格社会』 束信堂, 1 .1 . 6年‐ ( 7 ) アップル 『学校幻想とカリキュラム』 日本エ ディタースクール出版部, 198 ( 8 ) 杉山光信は, 『再生産』 と 『ディスタンクシオ ン』 の間に重要な理論的変化があることを, ブルデューの階級論に 『 30 .7 , おける中間層の位置づけに限って検討している (杉山光信 「文化の政治装置と中間層 (上・下)」 思想』 No No .733 , 1985 年).. 56.
(4) . P. ブルデューの文化的再生産論の到達点と課題. 第ー章 文化的再生産論の原点 第ー節 『遺産相続者たち』 の論理 『遺産相続者 たち』 1 { )( 1964年) は, ブル デュ ーの文化的再生産 論の出発点 をなす パスロンとの , 共著である. そこには, これ以降精級化されていく ブルデュ ーの文化的再生産論の原点が示されて い る.. 『遺産相続者たち』は 大学生を対象と して 豊富なデータ に基づきながら , , , 教育上 の成功の階級 差が家庭 の文化= 「遺産」 のあり方に依存しているメカニズムを 明らかにしようとしたものである . それは, それまで流布 していた教育上 の成功が能力 の生物学的な遺伝もしく は出身家庭 の経済力に 依存しているという考え方を克服しようとする問題意識を背景にもっ ていた( 2 ) . こうした問題意識に基づいて, ブルデュ ーとパスロンは 階級的に異なる出身家庭 の文化が 教 , , 育上の成功 のあり方を規定するメカニズムを明 らかにしている . この点 について, まず, ブルデューとパスロ ンは 学校の基準 によっ て はかられる能力は 生ま , , れ つ き の 能力″ でなく むしろ階級の文化的習慣と教育システム の内部における成功 を定義する , 基準 の類似性に根ざしていることを指 摘する いわ ば 階級的に異なる家庭の文化と学校の文化 の . , ギャッ プが, 学業成績のあり方を規定 し 客観的な選抜 を生み出す基 準になるということ である , . 学校の文化となじみやすい家庭の文化 をもつ上流階級の子弟 は よい学業成績をおさめ 客観的な , , 選抜において教育上の成功をかち取るのに対し 学校の文化と はほど遠い家庭 の文化をもつ下層階 , 級の子弟 は,よい学 業成績をおさめることができず 客観的な選抜 において排除されてしまうとい , っ てもよい. なぜなら, それは, 下層階級の子弟にとっ て学校が伝達する伝統的な内容がリアリテ ィ 3 ) に 欠 けた も の に な る か ら で あ る{ .. しかし, 階級的に異なる家庭の文化 は 客観的な選抜 を生み出すだけではない ブルデ ーとパ ュ , . スロンは, 家庭の文化が主観的な選抜, いいかえれば自己選抜をもたらす点にも注 目している . それは,「もっ とも恵まれ ない階層にとっ て大学進学 の主観的な期待 は客観的なチャ ンス以上 に低 4 { )という指摘 にはっ きりと示されている ただし この自己選抜の過程は くなりがち である」 . , , 子ど もたちが自らの価値観に基づいて自由に進路 を選抜する過程と して理解して はならない なぜなら . 「教育システムは (注-学歴獲得競争という) ゲーム に参加する人々 に学校的な基準によっ てのみ争 わ れる競争 の諸原則を受け入れるように要求」し 「諸個人 は個人的なアス ピレーショ ンや素質とは , 独立に, 教育システムによっ てたかく価値づけられた学歴や競争に向 けて引 張られている から っ 」 5 ) したがっ て そこでは自己選抜は客観的な選抜を先取りしたも である( のにす ぎない. 自己選抜は . , 条件の恵まれていない階級の子 どもにとっ て より高い学歴を獲得しようとするアス ピレーシ ン , ョ を断念し, より低 い学歴で満足 するという新しいアス ピレーショ ンを形成することを意味している の で あ る.. しかも, こう した客 観的な選抜と自己選抜の階級的な差異は 女性 の場合 さらに著しい とされ , , る. すなわち,「社会的出目による教育機会 のこのような不平等な配分の内部においては 大まか に , いっ て, 男子学生と女 子学生 は同じ立場 にある しかし どちらかというと不利な 女性の立 場は, . , より低い 階級においてより明確 に特徴づけられる」 したがっ て 「一般 的な法則と して 限定的な . , , 選択は権威ある諸階級よりより低い諸 階級に当て はまり 男子学生よ り女子学生 に当て はまる , . し かも, 社会的出目がよ り低い場合 女性にとっ てより不利になることは明確である ということ , に 」 6 な る( ↓. 57.
(5) . 小 内. 透. こう して, 階級的に異 なる出身家庭の文 化のあり方 は, 学校の文 化との類似性の如何を通して, 教育上の成功のあり方を規 定している ことが明らかにされる. したがっ て, 人 は生まれた時点で教 が浮き彫 育上の将来が決定して しまうことになる. ここに, 文化的再 生産論のスタティックな側面 り に なる.. しかし, ブルデュ ーとパスロンはこう した考え方 が機械的決定論を意味するものではない として. い た こ とも 忘 れて は な ら な い.. 「無視され否定されているにもかかわらず, 社会的要因 は学生の環境に作用している. しかし, そ れは機械 的決定論という形においてで はない. ……もっ とも不利な立場にある階級出 身の者 は, 彼 らの社会的な運命の重さにもっ ともつぶされがちであるけれ ども, 彼らは同 時に, 例外的に, 過度 「 7 ( ) のハ ンディ キャッ プをそれに打ち勝つのに必要な刺 激に変える ことができる」 . したがっ て, これ 8 () らの例外的な運命を支配する 原因や理 由に関するより 詳細な研究をする必要 がある」 と指摘して い る.. 第2節 『遺産相続 者たち』 の意義と問題点 以上のよう な形で ブルデュ ーとパスロンは, 豊富な データに基 づきながら, 階級的に異 なる出身 家庭の文化のあり方が, 教育上の成功の あり方を規定しているメカ ニズムに焦点をあて, のちの文 化的再生産論の原点となる考 え方を示している. しかし, この段階において は, 文化的再生産論としてみた場合, いくつかの限界 があっ たことも 事実である. 第一に, ブルデュ ーの文化的再 生産論に固有の概念装置 が, ほとんど見られないからである. た とえ ば, 文化的再 生産, 社会的再生産, 文化資本, ハ ビトゥスな どのブルデュ ーの文化的再 生産論 にとっ て不可欠の諸概念が提示されて いない. それゆえ, この段階では, 文化的再生産論の 基本的 『 な考え方 が素朴な表現で示されているにす ぎない. その意味で, 遺産相続者たち』は, まさに文化 的再生産論の原点を示すものに他ならない といえる. 第二に, この段階で は文化的再 生産論の論理構成の一つの側面 しか議論されてい ないという問題 もある. つまり, ブルデュ ーの文化的再生産論は, 一般には, 文化的再生産, 社会的再 生産, この 両者を結 び付ける教育システ ムの位置と役割という少なく とも3つの側面か ら構成されている と考 えられる. しかし, ここでは教育 上の成功の規定要因として学校の文化と家庭の文化の ギャッ プが 議論されているにす ぎず, 文化そのもの が どのように再 生産されるのかという点, 教育上の成 功が 社会的再 生産に どのように結 びつ くのかという点につ いて は, 深く論じられていない. 階級的に異 なる文化が再生産されることや, 教育上の成功 が社会的再生産につながることは, あたかも, 自明 のも の と考 え ら れて い る と い っ て よ い‐. 第三に, 教育上の成功の規定要因 として学校の文化 と家庭の文化の類似性を論じている が, それ 自体, 課題を残している. それは, 家庭の文化と学 校の文化にギャッ プがあるとなぜ教育上の成功 が保証されないのかという点 が明確ではないことに端的に示されている‐ たしかに, ブルデュ ーと パスロンは, すでにみたよう に学 校の教育内容にリ アリティ がもてるか どうかという点で家庭の文 芸 化と学校の文化のギャッ プが意味を持つとして いる. この指摘は, 美術や音楽といっ たいわゆる 術系の教科について は容易に理解する ことができる. しかし, 数学や語学 といっ たいわゆる基本 的 な教科について は, リアリティ という観点 だけでは理解しえない問題 が残る. その意味で, 家庭の ば 文化と学校の文化の類似性によっ て教育上の成功が決まる という考え方 はさらに検討さ れなけれ ならない課題を含んでいるといえる. 58.
(6) . P‐ ブルデューの文化的再生産論の到達点と課題. しかし, ここで注 目しておく必要があることは 文化的再生産 論にとっ て重要な論点 になるにも , かかわらず, ブルデュ ーの文化的再生産 論を論ずる場合 軽視されがちな豊かな考え方がこの段階 , において示されていた ことである. すなわち, 第一に, 主観的な期待, な, いしアス ピレー ショ ンに注 目していたという点である◎ た . しかに, それは, ポ」ル・ウィ リスのような 労働者階級 の子 どもたち が自ら の文化を望むがゆえに , 高い学歴を拒 否するという意 味での積極的な アス ピレー ショ ンを意味しているわ けではない回) む . しろ, すべての子 どもたちがより高い学歴を志向していながら 恵まれない 階級の子 どもたちがそ , れを断念し, それに代わる新しいアス ピレーショ ンを形成する ということを意 味している にもか . かわらず, 主観的な期待, ない しアス ピレーショ ンについて検 討していること は 教育上の不平等 , が存在しても, それを諸個人が納得せざるを得な い自己合理化 の過程を説明するも のとして重要な , 意 義 を も っ て い る と い える .. 第二に, 教育上の成功の階級差 は, その内部に男女格差を伴っ ているという 指摘である これは . , 社会生活上の男女格差がほとん どの先進国 において 未だに根強く存在 していることを考えれば , , 当然の指摘 である. しかし, こう した観点 は ブルデュ ーの文化的再生産 論を議論 する際に 十分 , , に注 目さ れて こなかっ たといっ てよ い .. 第三に, 教育上の成功の階級差は完壁な 鉄の法則″ ではないという 考え方が みられることであ る‐ それは, 教育上 の成功の階級差を機械的決定論として理解することをいましめ 例外として , , たとえ恵まれない階級の子 どもであっ ても高い学歴を身につけることがありう るという指摘 に端的 に示されている. しかも, そう した例外が生じるメカニズムを検 討していくことが重要であるとい う考え方も打ち出されていた たしかに それは 問題提起の域を脱 していないこ とも事実である . , , . しかし, こう した指摘 は, スタティ ックな側面 の強い文化的再生産論 を克服しよう とする志向性を 示しているという意味で注 目する必要がある . 以上のよう に, 『遺産相続者たち』は 文化的再生産 論として は 概念的にも 論理構成上からも不 , , 十分なものであっ た. しかし, 文化的再生産 論を完全なも のとするため に重要な意義をもつにもか かわらず, 従来の文化的再生産 論に注 目する人々 に軽視されてきた豊かな考 え方を含んでいたので あり, この点に 『遺産相続者たち』 に固有の意義があるといえる .. G主〕 ( 1 ) Bourdieu,P‐et i i seronJ.C t iant tud er s:l esき i setl ture acul i ,Pas ‐ )1964 t s ,Leshをr ,(Par , Minu . ただし ,本 稿では, 英語版, Ni R ( T t ) h l ce iver enter i s cago tyofCh i )1979 をテ キス ト ., e ml s cago Pres , . rans s ,(Chi ,Un と して 用 いる‐ ( 2 ) Bourdi eu i seron ter er s ,P‐ & Pas .C - ,j ,Thelml ‐22 . ,p ( ) lbid 3 2 2 . . ‐ ,p ( 4 ) lbid .5 - ‐ ,p ) lbid ( 5 ‐ .69 ‐ ,p ( 6 ) lbid . ‐6~7 ‐ ,pp ( 7 ) lbid - .25 ‐ ,p ( ) lbi 8 d ‐ .26 ‐ ,p. ( 9 ) 宮島喬もこの点に注目している (宮島喬 「再生産論としての教育論の構造 『現代思想 1 85年1 1月号) 」 』 9 . 回り ウィリス 『ハマータウンの野郎 ども』 筑摩書房 19 8 5年 , ‐. 59.
(7) . 小 内. 透. 第2章 文化的再生産論の理論的精級化 第ー節 『再生 産』 における 文化的再生産論の 論理 ブルデュー は 『遺産相続者たち』 に続いて, 文化的再生産論の体系化をめ ざして パスロンと とも 1970年) を著した. 『再生産』 は, 叙述形式の異 なる二つの部分か ら構成され, 第 に 『再生産』① ( 「 トルとなっ ている. 1部が 「象徴的暴力理論の基本要素」 , 第口部 が 秩序の維持」 というタイ このうち, 第1部では, 文化的再生産のメカニ ズムが, 教育的働きかけ, 教育的権威, 教育的労 働, 教育システ ムといっ た4つの側面 から論じられている. 教育的働きかけとは, 窓意的権力による文 化的懇意性の押し付けであり, それゆえ, 客観的にみ ると象徴 的暴力である. すなわち, 必ずしも本来的に正統であるとはいいきれない窓意的な権力に よっ て, 正統であるとはいいきることのできない窓意的な文化を押し付 けることにより, 文化的再 生産がなされる ということである. しかも, その 「教育的働きかけ は……自らが教え込んだ文化 的 懇意性を再生産する ことによっ て, 窓意的押しつ けの権力の基礎を築いている 力の諸関係を再 生産 することに寄与しているの」 であり, 「これが, 文化的再 生産における社会的再生産の機能 である」 2 ) しかし ここで問題にされているの は, 学校のような制度化された教育システムにおけ といえる( , . る教育的働 きかけ (教育的労働) だけではない. 教育的働きかけの機能 は, 家庭教育や社 会全体の 3 したがっ て ここで示さ れた考 中で展開される「拡散的な教育」の場合にもあて はまるとされる() , . 論理として 把 ともに説明しうる 化的再生産を え方は, 家庭における文化的再生産と学校における文 握する必要 がある.. 「 その場合, 教育的働きかけが効果的に行われる ためには, 窓意的な権力 と窓意的な文化 が 誤認」 により 正統的なものとして受け入れられなけれ ばならないとされる. そうでなけれ ば, 懇意的であ ることが露見してしまい, 教育的働きかけは受け入れられないからである. この誤認を可能にする 社会的条件 は, 教育的働きかけを行う行為者に教育的権威 が与えられることであり, 教育的働 きか けの遂行にあたる機関, すなわち制度化された教育シス テムが相対 的に自律して いることである. しかも, 正統的である と誤認された窓意的な文化を完全に押し付ける ためには, それがハ ビトゥス 「 となるまで一定の期間にわたる教育 的働きかけが必要となる‐ そして, ある一定の社会構成体にお けるある 一定の教育的働きかけの成功 は, (注-教育システムにおける)教育的働 きかけによっ て押 しつけられた文化的窓意性, すなわち社会的構成体における支配的な文 化的窓意性 と, ……養育の 4 ( ) もっ とも初期の段階に教えこまれた文 化的窓意性 との間にある 諸関係の体系の機能 である」 とさ れる. ここに, 家庭の文化と学校の文化との関係 のあり方 が教育上の成功の鍵 であるという認識 が 示 さ れる.. それでは, 家庭でどのような文化を身につけていれ ば, 学校でよい成績 をあ げることができるの. で あ ろう か.. 1部において, 言語ないし言 語資本を取り上 げ考 この点に関して, ブルデュ ーとパスロ ンは, 第1. 5 } な ぜ な ら 「言 語 は た ん にコ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン の 道 具 に と どま ら (ず) … …, 多 か 察 を 深 め て い る( .. れ少なかれ語葉やカテ ゴリーの複雑な体系を供給 するものであるため, 論理的なものであれ, 美的 なものであれ, 複雑な構造を解読したり操作 したりする 能力 は家族によっ て伝達される言 語の複雑 6 )か ら で あ る ( 性 に 依 存 す る」 .. しかし, 家族によっ て伝達される言語ないし言語資本 は家族のおか れた階級的な位置によっ て大 きく異なっ ている. 「ブルジョア ジーの言語」 は「抽象性, 形式主義, 理知主義, 遠回しの控えめな 60.
(8) . P‐ ブルデューの文化的再生産論の到達点と課題. 表現」 をその特徴としているのに対し 「労働者階級の言語 は 特殊なケースから特殊なケースへ , , , 実話からたとえ話 へ移動するという傾向 あるいはひやか し 粗暴さ 下品な冗談 客観的な表現 , , , , と主観的な 含蓄との断絶」といっ た特徴を持っ ている( 7 ) しかし 学校で要求さ れる言語的規範はブ . , ルジョ ア ジーの家庭で用 いられている言語と親和的であり 労働者階級 の家庭で用いられる言語と , 非親和的 である‐ そのため, 教育上 の成功に階級差が現われ 「異なる諸階級の教育機会と 学校の , , 異なる部門とタイ プに結びついているそれに続く成功 の機会との結合 は社会 的不平等 を { )も たら 」8 ‐ すのである. ここに, 出身階級→言語 (文化) →学歴→階級→言語 (文化) という循 環の図式が成 立する. しかし, こう した学校を通した文化的再生産と社会的再生産の結合 は けっ して完全なも のとし , て存在しているわけではない. むしろ, ブルデュ ーとパスロンは 「諸個人 の移動は 階級諸関係の , , 9 { )できるとしている こう した指摘 は すでにみたよう に 『遺産相続 構造の再生産と両立」 者たち』 . , においても明らか にされていた. しかし, ここでは 諸個人 の社会移動を 『遺産相続者たち のよ , 』 うに, 文化的再生産 論における検討すべき例外として把握していない点に大きな特徴がみられる . むしろ, それは, 社会的再生産 を維持する機能を持つものとして位 置づけられている( 1 0 ) なぜなら . ,. 本来であれば階級間の上昇移動が不可能な立場にある諸個人のうち 少数の例外的な成功者が生ま , れることによっ て, 社会的再生産 の構造がさらに安定的なものとなるからであるとさ れる それゆ . え, ここでは, この例外的な事態は積極的に解明すべきことがらではなく 安定的な社会的再生産 , にとっ て不可欠な当然 の事態としてみなされているとい える ここに 「秩序の維持 という第1 1部 」 . , のタイ トルの所以がある. 第2節 『再生産』 における文化的再生産論の問題 点 このよう に, 『再生産』は, 第1部 において 文化的再生産論に固有 の諸概念を用いながら 象徴 , , 的暴力理論と して文化的再生産 論の理論化を はかり 第1 1 部において 言語ないし言語 資本の概念 , , を中心として文化的再生産の現実的なあり方を示している . このうち, 第1部 は, 文化的再生産, 社会的再生産 この両者を結 び付ける教育システム の位置 , と役割という 文化的再生産 の全体像を 一 貫した論理で描 いているという 点で 文化的再生産 論の , , 一つの側面しか問題にしてい なかっ た 『遺産相続者 たち の課題を克服しているとい てよい い 』 っ . いかえれば, これは, 文化的再生産 論が理論的に体系化された ことを意味している また 第1 1部 , .. で示された言語ないし言語資本の概念を中心とした文化的再生産論の現実的なメカニズムの解明. も, 『遺産相 続者たち』にみられた家庭 の文化と学校の文化 の類似性を中 もとする分析の弱点を 乗 , り越える意味を持っ ている. 教育上 の成功の規定要因がよ り明確になっ ているからである これら . の点で, 『再生産』 は文化的再生産 論にとっ て 『遺産相続者たち』 に見られた理論的な問題を乗り , 越える, 大きな意義を有しているといえる ‐ しかし, 『再生産』 には, いくつかの点で問題にしな ければならない点があることも事実である ‐ まず, 第一に, 第1部と第江部の関連が理解しにくいという点 である 一般 的には 第1部が理 . , 論的な仮説であり, 第1 1部がそれにもとづく実証部分 に当たると考えら れる だが 第n部 は 第 . , , 1部で示された理論的な図式を実証すると いう形をとっ ていない( 1 1 ) つまり 第1部において は . , , 教育的働 きかけ, 教育的権威, 教育的労働 教育システムといっ た概念を中心 にして文化的再生産 , 論が展開されているのに対し, 第1 1部において は第1部ではほとん ど言及されていない言語ないし 言語資本という 概念を中心として学校における教育上の成功 のメカニズムが論 じられている 同じ ‐ 文化的再生産についての論述にもか かわらず その中心概 念が異なっ ている のである , . 61.
(9) . 小 内. 透. 第二に, 文化的再生産論の中心概念の一つである文化資本の概念 が, 明確になっ ていない という 点も問題となる. もちろん, 文化資本の概 念がまっ たく存在しないわけで はない‐ たとえ ば, 第1 部において,「黙示的な教育は必要な文化資本 を所有する者にそ れ自身を独占し続 けられるようにす 1 2 ) { ることによっ て,文化的再 生産に貢献しそれ を通して社会的再 生産に貢献する」 と述べられ,第江 部では, 教育システムの機能の一つとして,「文化資本の遺伝的な伝達を保証することによっ て, 階 1 3 ( )があることが指摘されている. しかし, 第1部, 第江部 級諸関係 を再生産するという社 会的機能」 ともに, 文化資本の概念はほとんど十分な説明がなされておらず, 論理展開において中心的な位置 1部において中心的な位置を占める 言語ないし言語資本の概念 が文化資本の概 も占めていない. 第1 1 4 ) ( 念を事実上代替 していると思われる が, この点についても厳 密には検討されてい ない . 第三に, 第江部において, 中心的な概念となっ ている言語資本の概念自体, 暖昧なものである と 「『 いう問題を含 んでいる. 宮島喬はこの点につ いて, 次のように述べている‐ 再生産』 のなかでの 言語資本の概念の規定は, じつ はかなりの暖昧さを残しているのである. ……テクストに即 して理 解しうるか ぎりでの 『言語資本』 とは, それ自体において具体的に指標化され測定されうるような ものではなく, 各社会階級の成員の言語行動をかれらの置かれた選別過程とかかわらせて矛盾なく 理解するために措かれた仮説的な説明概念, さらに消極的ないい方をすれ ば, ポジティ ブには定式 1 5 ) 言語資本の概念は, 実体概念として十分に説明 ( 化しがたい残余概念とでもいう べきものである」 ‐ されていない という批判である. たしかに,「言語使用の形式の諸指標(文法, アクセント, トーン, 1 ( 6 )という指摘はあるものの,その具体的な分析はなされていな いのが実状である. 話 しぶりな ど)」 『 第四に, 遺産相続者たち』にみられたいくつかの豊かな考え方 が後景に退けられているこ とであ る. すなわち, 『遺産相続者たち』においては, 客観的な選抜だけでなく, 自己選抜をもたらすアス ピレーショ ンにも注目し, 文化的再生産論における男女差の指摘がなされて いた‐ さらに, 文化的 再生産が 鉄の法則″ でなく, 必ず例外的な現 象があり, そのメカニ ズムについての研究の必 要性 について言及されていた. しかし, これらの考え方は, 『再生産』の第1部においては, まっ たくみ 1部においてもわずかな指摘 が散見されるにと どまっ ている. しかも, 文 られなくなっ ており, 第1 化的再生産の例外的な現象は, 積極的に解明す べき問題としてで はなく, むしろ文化的再生産を維 持する機能を果たすものとして位置 づけられるようになっ ている. その結果, この段階における文 化的再生産論はスタティックな側面 がより強く前面に現わ れるようになっ ている. 第五に, これらのことは, 『遺産相続者たち』の段階と比べ, 実証性が乏しくなっ ていることを意 1部がかみ合っ ていな 味している‐ それは, 象徴的暴力理論の諸命題 が展開されている第 1部と第1 1部 いという点に示されている だけではない‐ 文化資本の概念 が具体的な姿で示さ れておらず, 第1 「 において 中心的な概念 となっ ている言語資本の概念自体, 実証性の欠けた 仮説的な説明概 念」 と なっていることにも現わ れている. また, 第江部自体, 全体として, 十分なデータに裏付けられた 『 論述になっていない. この点で, 豊富なデータに基 づきながら論じられて いた 遺産相続者 たち』 とは大きく異なっ ている. このよう に, 『再生産』では, 文化的再生産論の理論的体系化が進められた が, 同時に, いくつか の大きな問題が新たに残さ れたといえる‐. 〔注〕 ig i teme dens ement e l ement l ion e du sys spourunetheor , ( 1 ) Bourdieu, P.et Passeron,IC ,E1 . ,Lareproduct S i i tyand inEducaton i e o c R d t ) i R ( o n N t 版 e r o u c 英 語 n s r a p 9 7 0 c e )1 本稿では M i i ただし , (Par i t . . s n u , , , , , ‐ ,. 62.
(10) . P‐ ブルデューの文化的再生産論の到達点 と課題 Cu l tur )1977 をテ キス トと して 用 い る e ,(London ,Sage .. ( 2 ) Bourdieu,P. & Passeron,J.C. i ion t i ty and Cu l onin Educat ture e ,Reproduc ,Soc ‐10 ‐ ,p ( 3 ) lbid . ‐5 ‐ ,p ( 4 ) lbid . ‐29~30 . ,pp. ( ) ブルデューとパスロンの言語ないし言語資本への注目は, バーンステイ ンの言語コード理論に影 5 拶響をうけたもの であると考えられる ( l b i 33参照) dっp バーン なお ンの言語コード ステイ 理論については ‐1 ‐ , , 拙稿 「B. バー ンステインのコード理論の展開過程と問題点 (上) (下)」 『北海道教育大学紀要』 (第1部C) 第40巻・第2号 , , 第4 1巻・第1号, 19 90年, 参照. ( 6 ) Bourdieu,P‐ & Passeron,j.C. ioni t i i l n Educat ty and Cu on Soc ture p 73 e ,Reproduc ,. ,‐ ‐. { 7 ) .bi dリpp .116~117 , ( 8 ) lbid . .158 ‐ ,p ( 9 ) lbid . -167 ‐ ,p Q ウ ーbid 。 . ‐167 ‐ ,p. QD この点について, ポットモアも 『再生産』 の英語版・序文の中で同様な指摘を行っている ( l b i d ) ‐ .va ,p ‐ 鰹) lbid ‐ ‐47 . ,P Q } lbid 3 . .199 ‐ ,p. 側 この点について, 蔀里茂は「文化的資本が主として言語コードをつうずる人文的教養に接合するもので代表され , 科学的論理に属するものの継受については, 出身階層と学校教育とがいかなる関連をもつかについての証明を欠 く」 としている (菱里茂 『現代フランスの社会構造』 東京大学出版会, 19 84年, 263頁) ‐ ( 1 ) 宮島喬 「再生産論としての教育論の構造」 『現代思想』19 5 8 5年1 1月号, pp 2~9 3 ‐9 ‐ Q ) Bourdieu,P‐& Passeron,J‐C‐ 6 i t ion i onin Educat ty and Cu l ture p e ,Reproduc ,Soc .118 . ,. 第3章 文化的再生産論の再編 第ー節 『ディ スタンクシオン』 と文化的再生産論 1 ブル デ ュ ー は, 1979 年 に 『ディ ス タ ンク シ オ ン』 { )を 単 独 で 公 刊 し た そ れ は 「趣 味 と 「階 級 」 」 . ,. の関連について論じた浩瀬な書物である. したがっ て, 文化的再生産論 を直接的に論じた 『遺産相 続者たち』 や 『再生産』 とは, その主題を異にしている . しかし, 『ディ スタンクシオン』は, ブルデュ ーの文化的再生産論 にとっ て重要な意義を持っ てい る. なぜなら, 『再生産』 公刊以降, 文化的再生産論 をより精微化するための諸論文が執筆され{ 2 ) , 3 } それらの成果がこの著書に反映しているからである( . 事実, それまでの文化的再生産論の中で, 概念規定が不明確であり必ずしも 中心的な位置を占め ていなかっ た文化資本 の概念が, 『ディ スタンクシオ ン』においてより明確なも のとなり きわめて , 重要な意義をもつものとして位置づ けられるよう になっ ている すなわち 文化資本 は諸個人 のう . . , ちに蓄積されたも ろもろの知識・教養・言語・技能・趣 味・感性な どの身体化された文化資本 書 , 物・絵画・道 具・機械のよう に物財として所有される客体化された文化資本 学歴資本や各種の資 , 格のようないわ ば制度 化された文化資本という三つの形態をもっと規定されている しかも この , .. 文化資本は,経済資本, 社会関係資本とならんで諸個人が所有する資本の一種として位置づけられ , よ り 広 い パ 」 ス ペ ク テ ィ プ の 中 で 把 握 さ れ る よ う に な っ て い る( 4 } ‐. しかし, より重要なこと は, 『ディ スタ ンクシオ ン』 において 『遺産相続者たち や 『再生産 』 , 』 で示された文 化的再生産論にはなかっ た新しい概念や 新しい考え方が示されるようにな ているこ っ とである. ①従来の文化的再生産論になかっ た新しい概 念や新 しい考え方 は まず 階級分類の試みの中に , , 63.
(11) . 小 内. 透. 集中的に現わ れている. すなわち, ブルデュー は, 階級を分類するにあたっ て, 資本の量, 資本の構造に注目する. 資本 の量, 資本の構造という 概念 はこれまでになかっ たものである. このうち, 資本の量とは, 「経済資本, 文化資本, それに社会関係資本も加えて, 実際に利用 しう る手段や力の総体」 であり, この多寡に応 じて, 「さまざまな階級 (そして階級内集団) は……経済 資本においても文化資本において も最も恵まれたものから, これら両方につ いて最も貧しいものに 5 ) こう して 支配階級, 中間階級, 庶民階級の三つの階 級が設定さ ( まで分かれてゆくことになる」 , . れる. これらの三つの階級 は, すでに 『遺産相続者たち』 や 『再生産』 においても ほぼ同様に示さ れていた. しかし, ここでは, これらの諸階級の分類の方法が明確にされたところに一つの重要な 意義がある. しかも, この段階において はこれらの諸階級内部の 階層の分類 がさらに問題とされる. その際, 資本の構造のあり 方が重要な意味を持っ てくる. 資本の構造 とは 「資本の総体 が各種の資本間で ど のような内訳になっ ているかという配分形式」 であり, これに基 づいて, 資本総量によっ て確定さ 6 ( ) たとえ ば 支配階 れた各階級の内部に「いくつかの階級 内集団へと下位区分 が設けられてゆく」 , . 級の中でも, 経済資本と文化資本 をともに多く所有 している自由業, 経済資本 は少ないが多くの文 化資本を所有 している教授, 経済資本を多く所有している ものの文化資本 が少ない経営者 は異なっ た階層として把握される.. しかし, これで, 階級分類 が完成するわけではない. 『ディ スタ ンクシオン』において は, 階級分 類を行う場合, さらに, 資本の量と構 造のあり方の変化を示す社会的軌道が問題とされる. この社. 会的軌道も従来の文化的再生産論にはみられない概念である. 社会的軌道とは出身階級と獲得され た階級の位置関係 を示す概念であり,それは集団的軌 道と個人的軌道の二つの側面を持つ とされる. 集団的軌道とは 「軌道の効果 がある階級や階級内集団の上に, すなわち共通して同 じ位置を占める 「 いる人々 が, その資本の量と構 造 場合でありJ , 個人的軌道 は ある時点で同じような位置を占めて 7 ( ) 念 である が時間の流れとともに変化 していくために生じる差異」 . ブルデュ ーは, 社会的軌道の概 8 ) しかし, 集団的軌道の概念で示される具 をいわゆる「社会移動」を示す概念ではないとしている( . 体的な内容 は, 「社会移動」における強制 移動の側面にほぼ対応し, 個人的軌道の概念で示される内 容は, 一貫して同じ階級であっ たか, それとも 「成り上 がり」 か, それとも 「落ちぶれ」 て現在の 階級になっ たかという 違い, いわ ば 「社会移動」 における純粋 移動に対応している と考えられる. こうした階級分類の試みは, 経済的な指標のみによっ て階級・階層区分を行おう とする従来の経 済一元論的なマルクス主義に対して, 非経済的な要素 を含めた階級設定 の重要性を示 すとともに, 所得, 職業, 学歴を指標にした操作的な社会成層概念が捉えている現 実を理論的に裏付けるものと して位置づけることができる. それゆえ, ここで示された考え方は現代社 会における階級論と して, 注目すべき内容を有しているといえる. ② 『ディ スタ ンクシオ ン』 では, 再生産の戦略 という新しい考え方も提示されている. 再生産の 戦略と は 「無意識的にせよ意識的にせよ, 現象的にきわ めて異なる多様 な慣習行動を通して 自分の 資産を保持 しあるいは増大さ せ, またそれと連関 して, 階級の関係構造における自 らの位置を維持 ノ慣習行動の総 体」 である. 「これらの戦略は将来に 関する性 向 ‐ しあるいは向上させよう とする…‐ ……を媒介として, まず第 一 に再 生産すべき資本の量と構造によっ て, すなわちその集団が所有し ている経済資 本・文化資本 ・社会関係資本の現在 量および潜在量と, 資産構造におけるこれら三者 の比重によっ て規定されて くる. そ して第二には, 制度化されているものであれい ないものであれ, それ自体 が諸階級間の関係の状態の関数である再 生産手段のシステムの状態……によっ て規定さ れ 64.
(12) . P. ブルデューの文化的再生産論の到達点と課題. 9 { ) したがっ て こう した様々 な戦略は 階級闘争そ のものとして存在し てくる」 ているといいかえ . , , l o やきる( ) る こ とカミで .. このような再生産 の戦略の一環として,「ある種類 の資本を別種 の資本へと転換 する m)ことが行 一 われる. ブルデュ ーはこれを転換 の戦略と名付ける たとえば 今日の学歴社会において は 「支配 . , , 階級および中 間階級の最も経済資 本の豊かな層 ……が自分たちの集団の再生産 を確実なも のにする ために,教育制度 の利用をこれまでよ りも はるかに強化 する」 1 2 ( )ということが 経済資本を文化資本 , へ転換させる一つの重要な戦略になる . その場合, 転換の戦略は資本構造 の変化をもたらすので, いわゆる 「社会移動」 が生じやすくな る. しかし, それは無秩序な自由な過程として展開されるも のではなく 諸階級の再生産 の戦略に , そっ た過程 に他ならない. ここ に, すでにみた社会 的軌道という概念が意味を持っ てくる つまり . , 再生産の戦略, 転換 の戦略の結果が社会的軌道に反映さ れるのである 実際 フランスにおける諸 . , 階級のモデル化さ れた配置図の中にも, それぞれの階級の中に別 の階級出身の者が存在 している姿 1 3 ) その意味で この再生産 の戦略 転換の戦略という 考え方は が描かれている( . , , , 文化的再生産 論 を現実の社会 における階級・階層移動を説 明しうる理論へ再編 したものとして位置づけることがで きる・. 第2節 『ディ スタンクシオン』 における文化 的再生産論の意義と限界 以上のよう に, 『ディ スタ ンクシオ ン』の段階になると 従来の文化 的再生産論 の考え方とは異な , る認識が提示されるようになっ ている 文化的再生産 論の性格が大きく 変化しているとい てもい . っ いすぎではない. すなわち, ブルデュ ーの文化的再生産論は 『遺産相続者たち』 や 『再生産 の段階においては 』 , 再生産のスタ ティックな側面が強く前面に押し出さ れていた したがっ て ブルデュ ー自身も述 べ . , ているように, 文化的再生産論 に対して 学校制度 はシステマティックに再生産を行う一つの機械 , だ, 運命的な歯車 装置だとするいわ ば機械論 的・運命論 的な読み方や 学校制度 はブルジ アジー ョ , の手段だ, 陰謀だとするいわ ば目的論的な読 み方がされ それに基づいて多くの批判がなされてき , 1 4 ) も ち ろ ん ブ ル デ ュ ー は こ れ ら を 「誤 た 読 み 方 と して た( 批 判 し て い る. し か し, す で に 述 っ . , 」. べたよう に, 少なくとも 『遺産相続者たち』 や 『再生産』 の段階においては このような読まれ方 , をされて も仕方のない内容 を持っ ていたといっ てよい 宮島喬のよう に スタテ ィックな側面が強 . , 調されたこの段階の文化的再生産 論を 社会的現実 の総体を説明する理論ではなく その中の再生 , , 産が行わ れる側面について議論された理論と して受けとめ こう した理論化 の仕方をブルデ ーの ュ , 理論的な戦略だと解釈し, 文化的再生産 のスタティ ックな側面 に対して批判 している論者を理論観 1 5 ) だが その場合にも スタティックな側面が強 いことを認 の相違として断じている者もいる( め . , , ている点では多くの論者と共通している その意味 では ブルデュ ーのいう 『遺産相続 者たち や . , 』 『再生産』 の 「誤っ た読 み方 は ブルデ ーの文化的 再生産論を高く評価する人々 にも多かれ少な ュ 」 , かれ共通しているといっ てもよい そこでは 文化的再生産 論について 社会的現実 の一 つの側面 ‐ , , を説明する理論として理解するか それとも社会 的現実 の総体を説明する理論として理解するかと , いう点に評価 の分かれ目があっ たとい える . しかし, 『ディ スタンクシオ ン』になると 文化的再生産論はむしろ変動する社会のあり方を積極 , 的に取り込ん だものに変化 してきている 社会的軌道 の概念や再生産 の戦略という 概念が生 まれ, . いわゆる 「社会移動」 の現実を積極的に説明しようと しているから である いいかえれば 従来の . ,. 文化的再生産論を構造的な再生産論とすれば この段階の文化的再生産論は傾向としての再生産論 , 65.
(13) . 小 内. 透. 理 に再編されたといえる‐ そこでは, すでに文化的再生産論 を社会的現実の一つの側面を説明する ばならな として 理解しなけれ . 論として把握する余地 はなくなり, 社会的現実の総体を解明する理論 く な っ て い る.. その意味では, この新しい段階における ブルデューの文化 的再生産論を改 めて評価 しなおす必要. が 生 じて い る と い わ ざ る を え な い.. 『遺 こうした観 点から, 『ディ スタンク シオ ン』 における文化的再 生産論を検討すると, たしかに 産相続者たち』 や 『再生産』 における 文化的再生産論とくらべ, 諸概念 が精激化され, 論理構成も がで 現実の社会変動を説明する射程を備 えたものになっ てきている という点で, 高く評価すること きる. しかも, 文化的再 生産の過程を自動 的に展開する安定的な過程ではなく, 階級闘争の一環と と しての再生産の戦略 が展開される過程 として描くようになっており, この点でも注目すべき理論 なっている. なぜなら, 階級社会の最高段階としての資本主義社会 は基本的に階級 間の矛盾を はら んでいるにもかかわら ず, それが根本的に解決さ れずに強固に維持され続けている現実を, 階級間 の矛盾が消滅したという考え ではなく, 階級闘争の-形態としての文化 的再生産とそ れを通じた社 会的再生産 が展開されている という考え方で説明しようとしている からである. そこには, 資本主 義社会は決 して無矛盾的 なものになっ ているわけで はなく, 階級間の社会的不平等はなくなっ てい ないという 正しい認識 が反映されている. その意味で, この点にこの段 階における 文化的再生 産論 の最大の意義がある と思われる. しかし, 『ディ スタ ンクシオ ン』における文化的再 生産論には, 大きな問題 が含まれているこ とも 忘れて はならない. それは, 第 一 に, この段階におい て, 傾向と しての再生産論の考え方 が登場した が, 構造として の再生産論の考え方も残存しているからである. たとえ ば, 社会的軌道の概念や再生産の戦 略, 転 『 わ ゆる 換 の 戦 略 と い う 概 念 に 代 表 さ れ る よ う に, た し か に, ディ ス タ ン ク シ オ ン』に お い て は, い. 「社会移動」の可能性 を示す考え方が現われている. しかし, 同時に, 再生産の戦 略は, まず再生産 すべき資本の量と構造によっ て規定されてくるという 指摘もなされている. したがっ て, そこでは,. 論理的にいえば, 再生産の戦略自体が基本的には階級のあり方に規定され, 構造的な再生産が生ず 生産 るという考え方 が導き出されるこ とになっ てしまう. その意味で, この段階における文化的再 論には, 傾向としての再生産論 と構造としての再生産論 が, 両者を媒 介する十分な論理を欠いたま ま, 同 居 して い る と い っ て よ い.. 第二に, 傾向としての再生産論として把握できる新しい考え方そのものも, さらに吟味されなけ れ ばならない点を含 んでいる. なぜなら, それは, 文化的再 生産論のメカ ニズムを十全 な形で明ら な かにしえていないからである. たとえば, どのよう にして 出身家庭の文化 が再生産されるのか, ぜ高い学歴を獲得 した者が社 会的に高い階級になるのか, な ぜ特定の文化をもつ子供 だけが教育 上 の成功 を獲得する ことができないのかという点が十分に説明されてい ない. このことは, 新しい再 生産論の考え方 が, これらの問題 を解明するという点ではなく, むしろ現 実に進展して いる階級・ 階層移動 を再生産論の枠内で説明する 点に力点をおいているこ とに由来しているとみなすこともで きる.. 『 第三に, 『遺産相続者たち』 にみられたいくつかの 豊かな考え方 が, 再生産』 と同様, 軽視され ている ことである. た しかに, 『再生産』 と異なり, 『遺産相続者たち』 で言及されていた文化的再 念 生産における例外のメカ ニズムの解明という点に関して は, 再生産の戦 略, 社会的軌 道という概 『 にお や考え方を導入することによっ て, 正面から答えて いる‐ しかし, 同じく 遺産相続者たち』 いて指摘されていた, 自己選抜をも たらすアス ピレーショ ンの問題 や文化的再生産論における男 女 66.
(14) . P. ブルデューの文化的再生産論の到達点と課題. 差の問題 について は, ほとん ど検討されていない ‐ 第四に, 『再生産』の場合と同様, 文化的再生産 にかかわる議論 の実証性が乏しいという問題もあ る. この指摘は本書 そのものが豊富 なデータ に基づいて展開されている ので奇異に感じられるかも しれない. しかし, 本書で示さ れたデータを詳細に検討してみると 文化資本としての学歴資本 の ,. 水準, 慣習行動に関するいくつかの指標, 経済資本の量や経済資本内部での資産構造などはデータ として示されているも のの, 学歴資本以 外の文化資本や社会関係資本を含めた資本 の量と構造を示 すデータ は見あたらない. しかも, 資本の量や構造を実証的 に把握する指標や基準自体も必ずしも 明確ではない. したがっ て, 実体としての階級・階層間の関係 いいかえれば階級構造 の総体もモ , デルとして提示された図式以上のものは示さ れていない その意味 で 文化的再生産 に関する新し . , い考え方は, 精撤に作り上 げられた 諸概念によっ て論理的に形づくられた きわめて抽象度の高い , 理論モデルにすぎないといっ ても過言ではない いわ ば 文化的再生産 論のグラ ンドセオリー化が . , 進 ん でいる といっ てもよ い .. もちろん, 『ディ スタ ンクシオ ン』は, すでに述べたように 必ずしも文化 的再生産論の理論化を , 直接の課題としたも のではない その意味では ここで述 べた問題もこの点に由来したものである . , という見方も可能である いいかえれば ここで示された問題 は 別の機会に本格 的に取り組まれ ‐ , ,. る べ き 課 題 で あ る と い う こ と も で きる .. この点 で, 『ディ スタ ンクシオ ン』 以降のいくつかの論文 に注目する必要が生ずる鰯) なぜなら . , その中で, 文化的再生産 論のさらなる精激化が試 みられているから である したが て 現段階に っ , . おける文化 的再生産論の特質を明らかにするため には これらの論文で示された新たな議論を吟味 , する必要がある. 事実, 第一に, 文化資本を含めた様々 な 「資本」 の量の概念を労働 時間を尺度 にして把握すると いう新しい考 え方が打ち出されている それは 次のような叙 述に端的に示されている . , ‐ 「エネルギー転換の法則と同等のものである法則に従 て っ ,ある領域 の利益 は必然的にもう一つの 領域の負担 によっ て償われている…… 普遍的に同等なもの すなわち あらゆる同等なも のを計 . , , る尺度 は, (もっ とも広い意 味での)労働時間以外のな にものでもない そして 各々 の場合におい . , て, もし資本という形で蓄積された労働時間と あるタイ プから別のタイ プへ社会のエネルギーを , 変形する必要のある労働 時間を考慮 するなら すべての転換を通した 社会のエネルギーの維持は証 , 明される r …・文化資本 のもっ とも良い尺度 は 疑いもなく それを獲 得するのに費やされた時間 , , { 1 7 } の 合 計 で あ る」 .. この叙述 は, 一 方で, 資本の概念 の精織化という点 で 『ディ スタ ンクシオ ン よりも一歩進 んだ , 』 内容をもっ ている. しかし, 他方で傾向としての再生産論 の考え方と構 造としての再生産論の考え 方の無媒介な 同居という 問題をさら に明確に浮き彫りにしているといえる なぜなら どのような . , 転換が行われても, 「社会のエネルギーの維持」 という法則が貫徹される としているからであ る. 第二に, 文化的再生産 における階級 の規定性をアロウ効果という概念 によ て示そうという 試み っ も見られる. アロウ効果とは 「絵画 モニュメ ント 機械 製作物 な ど文化財 の総体 とくに生 ま , , , , , れたときから身の周り にあっ たものすべてが その存在じた いによ て教育的効果を発揮するとい っ , 1 ( 8 } つまり アロウ効果と いう概念 は階級的 に異なる文化が う事実である」 家庭 で再生産されるメカ . , ニズムを示すものである こう した考え方 は 『ディ スタ ンクシオ ン の段階には見られな かっ たも . 』 のである. しかも, それは, どのよう にして出身家庭の文化が再生産されるのかという点 に一 つの 回答を与えていると考えることも可能 である しかし この概念 ではその問題 を実証的に解明する . , ことができないことも事実 である この概念 を提示する ことによ っ て どのようにして出身家 庭の . , 67.
(15) . 小 内. 透. 文化が再生産されるのか という問題は実証 する必要のない,自明のことになっ てしまうか らである‐ その意味で, これはあくまで仮 説的な概念にすぎない といえる. こうして, 『ディ スタ ンクシオ ン』以降, 文化的再 生産論のさらなる 精撤化 が進められているにも かかわらず, 『ディ スタンク シオ ン』 に残さ れた問題は依然として克服されていない といっ てよい.. G主〕 石井 i )1979 t i i s i i t i edujugement inc al t t ‐ た だ し, 本稿 で は, on : Cr quesoc s ) Bourdieu,P. ,(Par ,Minu ( 1 ,La Di 『 0 1 1』藤原書店, 99 9年, 石井洋二郎訳 ディスタンクシオ ン 1 98 洋二郎訳『ディスタンクシオン 1』新評論, 1. 年をテキストとして用いる‐ ルゼーは, 『遺産相続者たち』 と 『再生産』 の間に執筆された論文を, 「最近のブルデューによる定 ) 力ラベルとハ ( 2 式化においては, 教育システムは, 教育の拡大の構造が社会的位置, 一一 その特殊な形態が支配階級によって従 い 属的な階級に押 しっけられる社会的位置をめぐる闘争の力学を反映する階級的葛藤の場になっ て いる」 と して る. i. iver k o f d Un sty ion l ),Powerand工deo o l きW in Educat eds sey ,(New Yor , x or (Karabel . . & Ha ,A.H‐( ,J. )‐ Pres )1977 s ‐453 .p. 一連の ( 3 ) ブルデュー自身, 「われわれは 『遺産相続者たち』 および 『再生産』 のなかで提示 した分析をその後さらに ぎていると おこないす がそれでもなお単純化を これらの分析 とも て少なく それによ て深め 仕事全体によっ っ , , 6頁) , 24 ‐ いう難点があることを認めてきた」 と述べている (前掲, 『ディスタンクシオン 1』 「 「 参照 場の力学 および4 変貌 」 ( ) 同上, 2 社会空間とその 4 」 ‐ 8~1 79頁‐ しかし, 実際には, この三つの資本のうち, 社会関係資本は階級設定の指標としては用いら 5 ( ) 同上,17 れて い な い.. 9頁‐ ) 同上, 17 ( 6 74~17 5頁‐ ( 7 ) 同上, 1 ( ) この指摘は, 従来の 「社会移動」 の概念がその背後に無秩序で自由な移動という認識論的前提をもっていること 8 「 を批判したものであると思われる‐ しかし, その認識論的前提を別にすれば, 社会的軌道も 社会移動」 の一つ といえる の側面である階級・階層移動を表わす概念である . ( ) 前 掲, 『ディ ス タ ンク シオ ン 9. 1』, 199 頁.. 4~2 58頁‐ ) 同上, 25 o Q 0頁. QD 同上, 19 02頁‐ Q 2 ) 同上, 2 93頁‐ 2~1 3 ( 1 ) 同上, 19 『世界』1 990年5月号)における ブルデュー ( の ブルデュー・堀尾輝久・加藤晴久「座談会 いま教育に何を求めるか」 ( 1 23頁) 1 2 1~1 の発言 ( ‐ 85年11月号, および宮島喬 「文化による支配, 文化に ( 1 ) 宮島喬 「再生産論としての教育論の構造」 『現代思想』19 5 『 87年, 参照. よる選抜一 見田宗介・宮島喬編 文化と現代社会』 東京大学出版会, 19 l ia iencesoc es l tesdel turer,Ac arechercheensc talcu ,30 ,1979 (福 井 q ) Bourdieu,P.“Lestroisetatsducapi 6. ” i l i 1 86年), Bourd eu ,P. Lecapta 憲 彦 訳 「文 化 資 本 の三つ の姿」 『ア ク ト』 No .1, 日本 エ ディ タ ース ク ー ル, 9 『 「 『 アクト とは何か ” 社会資本 』 98 0(福井憲彦訳 i i l 1 」 』 ences a s ia l, Actesdel oc e rcheensc areche soc ,3 ,1 l l tal kuluture hes Kapi tal es Kapi P. “○konomi i d ) B s c 1 年 9 8 6 r u , ス ク e ール タ o u ー No 1 エデ , 日 ィ 本 , , , . , ingen (G6t i t i ted’ le Ungl i ” i磁1 f e l Sonderhe t“Soz e c賊] W a i l t l R S Krecke e , l o z a e , i ta v o n al es Kapi g soz . , ‐ , , , ’in Ri ),Handbook ofTheo 1γ ed tar chardson )1983(“The FormsofCapi .( . t lag ot Uer to Schwar z & Co ,J , ) な ど参 照‐ )1985 s ion tpon,Conn i o ol . nthe soc ミ評 ofEducat ,Greenwood Pres and Researchi ,(Wes “ l,p ta ( 1 7 ) 前掲, Bourdieu,P.”The FomnsofCapi .253 ‐. Q 8 ) 前掲, ブルデュー 「文化資本の三つの姿」 『アクト』 No ‐1, 23頁.. 68.
(16) . P. ブルデューの文化的再生産論の到達点と課題. 終 章 文化的再生産論の到達点と課題 以上のよう に, 『遺産相続者たち』から始まっ たブルデュ ーの文化的再生産論 は その後大きく変 , 貌を遂 げてきている.. 『遺産相続者たち』を出発点にした文化的再生産論は現段階において 諸概念が精撤化 され, 論理 ,. 構成も体系的なも のとなっ てきている それは 文化的再生産論が構造的な文 化的再生産論から傾 . ,. 向としての文化的再生産論へ変化し, 文化資本, 経済資本 社会関係資本 文化的再生産 社会的 , , , 再生産, 社会的軌道, 再生産の戦略などの固有の諸概念を用いた 社会的現実の総体を把握しうる ,. 独自の理論的世界を構成するものとなっ ている その意味で ブルデュ ーの文化的再生産論 は パー . , , ソンズの構造-機能主義理論 に比肩しうる体系的な理論になりつつあるといえる . しかし, 同時に, こうした独自の理論的世界の構成 は 構造的な文化的再生産論として の考え方 , と傾向的な文化的再生産論の同居という理論的弱点を含みながら 文化的再生産 論のグランドセオ , リー化をもたらしている. その結果, 文化的再生産 にかかわる 現実のメカニズムを実証 するという 点では, 文化的再生産 論の初発の段階よ りむしろ後退してきているという ことも できる . これが, 本稿で明らかにしえた, 現段階における ブルデュ ーの文化的再生産 論の到達点であると い え る.. ところで, ここで指摘しておく必要があること は 現段階における文化 的再生産論の弱点の多く , は, その背後にあるブルデュ ーの理論的な基本視点そのも のの弱点に起因していると考えられるこ とである. そこで, 最後にこの点について述べておこう .. 第一に, 文化的再生産論では資本主義社会の階級的不平等の枠組みそれ自体の再生産 と ,. その内. 部における諸個人な いし諸集団の階級的位置の再生産 の区別と関連が厳密 に把握されていないとい う点が問題となる‐ つまり, 現段階の資本主義 社会において は 特定の諸個人や 特定の諸集団が転 , 換の戦略を展 開しその階級的地位を変化させることは 階級的不平等 の枠組みそのも のを自動的に , 変化され, 消滅させることにはつながらない なぜなら どんな に社会移動が開放的 になろうとも . , 資本主義社会 である限り, 階級的不平等 の枠組みそれ自体 は決して消滅 することはありえず その ,. 意味で階級的不平等は再生産され続けるからである それゆえ 階級的不平等の枠組みは社会移動 . ,. の開放性にも様々 な形で制約 をもたらすこと にもなる この点 に関する基本的な認識が軽視される . ことにより, すでにみたような, 傾向として の文化的再生産論と構造として の文化的再生産論が接 合しないまま 同居するという 理論的弱点が生ま れると考えられる . 第二に, それ以上に重要な ことは, 資本主義 社会の枠組みとして の階級的不平等 の再生産 は 同 , 時に社会の内部に様々 な矛盾を議成し それを克服するための社会的な力を増大させていくという , 点について の認識が弱いことである もちろん その過程は必ずしもス トレートな形 で展開されず . , , 狩余曲折をた どりながら展開されて いくものである したがっ て それ自体が現段階における階級 . , 闘争の一つの特質を示すも のでもある しかし やがて矛盾 は極限に達し それを克服する力も確 . , , 実に進歩していくことは否定 できない事実 である そのとき 全体としての階級的不平 等の再生産 . , の枠組み自体が乗 り越えられて いくにちがいない ここに 資本主義社会 における枠 組みとしての , . 文化的再生産自体が, その再生産の循環をたた れる事態が生ずる こう した点をふ まえれば 資本 . ,. 主義社会の階級的不平等の枠組み自体の再生産の環と その内部における諸個人ないし諸集団の階 , 級的位置の再生産 の環はともに崩れうろことが明ら かになる ブルデュ ーの文 化的再生産論はこう . した観点を十分にもっ ていないため, 再生産の循環性が理論の根底 に払拭しきれずに残 てしまう っ. 69.
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