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経済学の基礎理論と経済循環構造の乖離 前編 : 中間財の扱い 利用統計を見る

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経済学の基礎理論と経済循環構造の乖離

前編:中間財の扱い

A Difference between Economic Theory and Structure of Economic Circulation : Part1

宇 多 賢治郎

Kenjiro UDA

キーワード:家政、全き家、経国済民、国益、貨殖 1.はじめに

 James Heckman2

Policy decisions must start from a foundation of facts, not emotional appeals and partisan wrangling.  筆者は、いわゆる「失われた二十年」と呼ばれる 1990 年以降の日本経済の構造変化を、産業連関表 を中心とするマクロ統計データを用いて分析することを、長期的な研究テーマとしてきた。これまでの 研究では、1990 年以降の多国籍化、新興国の経済発展、国際分業化といった我が国経済の国際的な構 造変化に対し、経済の語源である「経国済民」をもたらす、経済循環機能を弱まらせる構造変化が生じ ていたことを示してきた。つまり、短期的でミクロな行動原理に基づいた「利」を求める行動を続けた 結果、我が国の高かった生産誘発効果が失われ、経済循環という「益」つまり「人や世の中の役に立つ こと。ためになること。」が損なわれたことを示してきた3 。  その研究の一環として、本紀要第 15 巻に載せた論文「国際収支の経済波及効果の試算」では、通常 の産業連関分析ではされない、「国際収支統計」で示される貿易以外の通商が国内にもたらす経済波及 効果の試算を行った。しかし、その説明は掲載誌のページ数の制約から前後編に分かれ、かつ前提とな る理論の検証が不十分なものとなった4 。そこで本稿を前編とする二本の論文では、これまで長期的に 行ってきた研究の前提となる、現時点の我が国経済とそれを説明するはずの経済学の基礎理論の乖離の 内、経済循環を考える上で重要な、中間財と付加価値の二点を検証する。  前編にあたる本稿では、まず「経済」という言葉の意味が、経済構造の発展と共に変化してきたこと を確認する。次に、生産における中間財の投入、つまり原材料の存在がミクロ経済学、マクロ経済学の 両経済学の理論で軽視されてきたことを説明する。  なお、説明にあたり経済学が社会科学に属するものであることに留意する。つまり、自然科学と異な り、社会科学は人々が織り成す社会活動を説明するものであること、そのため分析対象である社会の前 提となる制度や法、慣習、常識などが異なる場合、またそれが変化した場合、法則や理論が適合性を失

山梨大学(教育人間科学部 准教授)kuda@yamanashi.ac.jp、研究紹介 Web サイト(http://www.geocities.jp/kenj_

uda/) 本稿の執筆の際、静岡産業大学の牧野好洋准教授、立正大学の石田孝造名誉教授から貴重なご意見をいただいた。 また、本学部皆川卓准教授には、貴重な文献を紹介していただくなど執筆の際、大変お世話になった。ここに記 して感謝申しあげる。なお本稿の文責は、全て筆者に帰す。 2 シカゴ大学教授。2000 年にアルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞を受賞。 3 三省堂『大辞林』の一番目の説明より。また、ドイツでは国際分業が進んだことで、日本とは逆に自国の生産誘 発を強まったことは、宇多(2012)で示したとおりである。つまり、国際分業構造に変化する過程で、自国に生 産誘発を引き込めるような構造に変化できたかが、日本とドイツの経済構造変化の違いである。 4 宇多(2014a)、宇多(2014b)。

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うことがあることを踏まえる。また、経済学を用いた主張は、当人の利害が非常に絡むものであること から、その理論構築の背景、分析の目的や結果の用い方に十分な注意を払う必要があることに留意する。 2.前提 経済という語と実態の変遷  まず「経済」という語句と経済構造の変遷を整理する。「経済」の英語にあたるEconomy の語源は紀 元前のギリシャ語のoikonomíā、日本語に訳すと「家政」になる。ただし、紀元前のギリシャの「家政」は、 家庭科や家計簿を連想させる現代日本語の家政よりも広い意味を持つ。また、日本語の「経済」は本来、 「国を治め、民の生活を安定させること」を意味する「経国済民」の略である。しかし、今日では「貨 殖」つまり金を増やすことと、節約により出費をおさえるという意味合いで用いられることが多く、本 来の「経国済民」や「家政」といった使われ方はされなくなっている。このような変化は、oikonomíā を行う「家」という集団の構成員が、社会構造の巨大化、複雑化、高度化に伴い分裂し、それぞれの行 動理念や利害に基づいて行動するようになった変化と密接な関係がある。  ブルンナー(1974)の説明によると、かつて「経済」とは「全き家」(まったきいえ)、つまり「家父」 と呼ばれた統率者を中心に、使用人なども含めた広い意味での「家族」が、半自足自給を行う社会形態 のことであった。それが社会の発展と共に、「家」に属する「家族」を養う手段であった「貨殖」つま り金儲けを目的とする「企業」が分離した5  また、ブルンナー(1974)の中では直接説明されていないが、社会構造の変化に伴い、「家」は様々 な規模と性質を持つようになる。その最小のものは、「家計」として説明される小規模の「家」であり、 継続性を考えれば核家族がその最小単位となろう。一方、最大のものは「国家」であり、その「家父」 の役割を担うのが「政府」ということになる。  このことから「政府」の役割は、「経済」の語源である「経国済民」、つまり国民の生活や安全、総じ てWelfare を保障することであることが確認できる。具体的には、集団内の生産や分配の管理、また「家 族」ではないという意味での「よそ者」との取引に必要な財の生産や「貨幣」つまりカネを増やす「貨 殖」、内部で生じる問題の調停、「よそ者」からの自衛といった職務と責任を担うことである6 。  なお、ポラニー(1975)が指摘したように、現代経済では不可欠な「貨幣」は、昔は「よそ者」との 取引に用いられるものであった。つまり、「家」内の分配は、その「家」の慣習、掟を踏まえ、裁量や 権力に基づいて行われるものであった。今日でも親子や親族間また友人等の仲間内のやり取りを、カネ を介して行うことは失礼とされる、儒教では「重義軽利」と説明される文化や習慣が残っている。  しかし「国家」に所属する人数が増え、経済活動が高度化、複雑化すればルールが法という形で体系 化また明文化され、その上で「家」の内部でも「貨幣」を通じた取引が行われるようになる。この取引 する概念的な場を「市場」と呼ぶ。ところが近代以降、「貨幣」の重要性が高まると、「貨幣」や貴金属 を増やし、貯める「貨殖」そのものが目的化し、蓄財が「国益」であるかのような錯覚が主張されるよ うになる。そのような行動をスミスは「重商主義」と批判し、国内生産の重要性を説いた7  また、本来は役割であった「経済主体」が分離し、それぞれが達成する目的に沿った行動原理を持つ ようになった。例えば、ミクロ経済学では、「企業」の目的は「利潤最大化」と説明されている。それ は本来、「企業」に属する「家族」、社員や国民のWelfare をもたらすための「手段」であったはずであ 5 ブルンナー(1974)では、今日の「企業」に「経営」という言葉をあてているが、本稿では「企業」に統一する。ブルンナー(1974)によると、ドイツ語の経済(Wirtschaft)の Wirt(主人)には、「財貨を計画的に生産し使用す る者」とPfleger(保護者)の意味を持ち、この Pfleger は「義務」、「誰かの面倒を見る」に由来するという。つまり、 「家父」は家とそれに属する土地の所有者である者のことを指す。 7 スミス(1789b)、p.76 ~ 114、「第四篇第一章 商業主義または重商主義の原理について」。当時の「家父」にあ たる王侯貴族や領主など地主の責務遂行に対する検証も、経済構造を説明する上で重要であろうが、本稿は現在 の我が国の経済循環構造を検証することを目的とするため扱わない。

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国民の「福祉」では、本稿で重要視する「経国済民」によって国民が受ける金銭以外の広い意味を含む利益を十 分に説明できていないため、ここでは「Welfare」を用いる。「Welfare」の意味は、スミス(1789b)、p.75、「第四 篇序論経済学の目的は国民と主権者の両方を富ませることにある」で経済学の定義と共に説明されているものと する。 9 「構造統計」は特定の時点の性質を捉えるように作成されているため、時点比較には用いにくいという性質がある。 る8 。しかし、利潤を増やす「貨殖」そのものが目的化することで「家族」のWelfare や、会社という生 産手段の維持よりも、単年の企業会計の収支バランスや株主への配当を重視するようになる。  このような、生産手段を持つ者や、分配の権限を持つ者が私欲に駆られ、本来の目的や責務である「家 政」をないがしろにし、自身の「貨殖」に励んだことで「家族」のWelfare が損なわれることは、歴史 を見れば珍しいことではない。このことを踏まえれば、著名な社会科学者の打ちたてた経済理論には、 各時代の「家父」がその役割と責任である「経国済民」をないがしろにして、自身のための「貨殖」を行っ ていたことに対する批判が含まれていることが見えてくる。  例えば、スミスの『国富論』の背景には、王侯貴族、領主、地主といった既得権益の受益者に対する、 当時の新興勢力である資本家の反発がある。マルクスの『資本論』の背景には、資本家の貨殖、「搾取」 構造に対する労働者の立場からの不満がある。また、ケインズの『一般理論』は、「見えざる手」を拡 大解釈した市場放任に対し、その理論が想定する状況は当時の経済でも一般的でないこと、それ故に自 らの貨殖行為が制限された民主主義の「政府」による調整の必要性を説いたものである。 3.経済循環構造 3-1.経済循環の性質の例え話  このような、「貨殖」の追及が経済循環を損ね、国民のWelfare を害する結果を生むことがあること を説明できるようにするため、まず「経済循環」の捉え方を川の流れを例に説明する。ここでは川の水 量と、流れる地形の二つの特徴に注目する。川の流れを例に用いるのは、人が川の流れや水量を捉える ことは困難であり、調査が必要であるという性質が、マクロな経済の把握のために統計を集計する必要 があることに似ていることによる。  川に流れる水の量は、川の重要な性質であり、これを計って時系列的に把握できるようにしたもの を、「動態統計」という。国家の経済力を示し、その変化を見るために使われるGDP(Gross Domestic Products)はこの「動態統計」、例えるなら流れている水量を集計したものである。一方、川の流れは地 形に依存するものの、時間をかけてその地形を侵食し、川の流れを変える力を持つ。このようにして変 化する、ある時点の川の流れ方を把握するための統計を、「構造統計」という9 。つまり、GDP が生産 される産業や経済の構造であり、これは五年に一度作成される産業連関表で示される。  つまり、GDP という額面で国力を測り、その時系列的な増減で一喜一憂するには、川の流れ方にあ たる経済循環構造は変化しないという前提が必要である。しかし例えば、三角州に分岐して流れ肥沃な 土壌を作っていた河川を、水量を増やすという目的のため、一本の大河にまとめれば、これまで河川が 広がっていた多くの地域を砂漠化させることになり、「経国済民」的意味で損失をもたらすことになる。 そのため、流れ方にあたる経済の構造、またその変化を把握する分析が重要になる。 3-2.自然(じねん)な経済の不自然(しぜん)さ  次に、経済循環構造の変化が、国民経済に及ぼす影響を説明する。  まず、今日の経済循環構造が、不自然で不安定であるということを説明する。スミスは、人体に例え るなら経済は「自然の大きさ以上に人工的に膨張させられている大きな血管」であると説明してい

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る10 。この自然と人工的の意味を理解するには、自然(しぜん)と自然(じねん)の違いを区別する必 要がある。自然(しぜん)とは文明以前の野生、原始的な状態のことである。一方、自然(じねん)と は「おのずからそうである」という状態、つまり「当たり前」のことである。これを踏まえれば、上記 のスミスの説明にある「自然」が「しぜん」であり、「人工的に膨張させられている大きな血管」が示 す状態が、スミスやその時代に生きていた人にとっての「じねん」ということになる。  また、「膨張させられた血管」を説明するため、異なる時代の生産構造を比較する。まず原始時代つ まり自然(しぜん)に近い社会構造の自然(じねん)とは、「家族」規模で自給自足が採られている状 態のことになろう。この場合、食糧生産人口と消費人口はほぼ1対1で、「しぜん」と「じねん」が一 致していたことになる。これに対し、我が国の江戸時代の農民人口は8割程度、つまり人口の2割が農 業生産以外を生業することが、この時代に生きる人にとっての自然(じねん)であったことになる。  これに対し、2010 年頃には農業就業者は5%弱にまで減少する。これに、農林水産省の食糧自給率 がカロリーベースで約4割、金額ベースで約7割であることを踏まえれば、就業者の比率に限れば、我 が国は就業者の 10%前後が食糧生産に従事すれば、国内で必要な分をまかなえるだけの生産性を持っ ていることになる11 。  このことは、農業従事者以外は、農地という根源的(primary、第一次)な生産手段に拠らずに、派 生的(secondary、第二次)な工業、仲介する商業やその他(tertiary、第三次)の産業で、生活に必要な 糧を含む財を得るため稼がなければならないことを意味する。つまり、それだけの需給が成立し、維持 するだけの経済循環構造が成立していることが必要になる。このような「人工的に膨張」している状態 が成立するには、高い農業技術はもちろん、様々な社会的条件が不可欠である。つまり、国が抱える人 口を養うのに必要な経済循環を起きる社会構造が成立し、かつそれが維持され続けることで、その時代 に自然(じねん)とされる国民のWelfare を保障する最低条件が整うことになる。  しかし、「自然(しぜん)の大きさ以上」に不自然に膨張させているのだから、現代の自然(じねん) である経済循環構造は非常に不安定なものであり、国内外の天災、社会的変化などの影響でたやすく損 なわれる。例えば、敗戦直後の 1946 年の国民所得は空爆等の戦災により、インフレを除いた実質値で は 1935 年の6割まで縮小していた12 。このことから、損得勘定だけで動く私的な「貨殖」を行うためには、 安定した経済循環構造が維持されることが不可欠であり、それを損ねる「貨殖」がされれば本末転倒に なるはずであるが、ミクロな視点だけではそれを捉えることはできない。 3-3.マクロ、国民経済の付加価値と中間財  これを踏まえ、この経済循環構造で生じるGDP の意味を整理する。経済産業省は子供向けの説明で、 「GDP(国内総生産)とは、日本の国内で、1年間に新しく生みだされた生産物やサービスの金額の総 和のこと」と説明している13 。この「生産物やサービスの金額」は、厳密には「付加価値」を指す。「付 加価値」とは生産によって付け加わった「価値」であり、この「付加価値」の支出面、つまりそれを使っ て購入するものを最終財と言う。つまり、国内の生産に用いられる原材料等、中間財の生産額は、この 10 佐伯(2014a)、p.55。スミス(1789b)、p.368 ~ 372。 また、経済を血液循環に例え、その流れを統計にしたものに、フランスの宮廷医師でもあったケネーの『経済表』 がある。参考文献にある和訳は、諸論稿をまとめたものであり、発表年を定められないため、掲載された論稿の 発表期間と和訳年を記載した。 11 農地不足の問題など、他要因は無視して計算した場合の値である。なお、農林水産省の自給率のページには、長 期の自給率の変化が掲載されている。(http://www.maff.go.jp/j/zyukyu/zikyu_ritu/011.html)。なお、2010 年延長産 業連関表を用いた計算では、国内総需要(中間財を含む)、つまりミクロな視点で自分の損得だけで計算すれば 85%、生産工程を遡り包括的に計れば 71%となり、農林水産省の金額ベースの計算とほぼ一致する。なお、カロリー ベースが金額ベースより低いのは、価格は生産工程の後の方ほど費用が上乗せされるため、高くなるためと考え られる。 12 総理府統計局(1956)のデータより計算。 13 経済産業省キッズページ GDP とは?」より(http://www.meti.go.jp/intro/kids/economy/02.html)

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最終財に含まれない。このGDP を含む「国民経済計算」の統計データは、内閣府により四半期ごとに 速報値が公表され、ほぼ1年遅れて確報値が公表されている14 。  このGDP と中間生産額、それらの合計である国内総生産額など各値の関係は、図1のようになる。  図1の「三面等価」の「分配」に注目してみると、「国民所得」の分配が「企業所得」、「財産所得」、「雇 用者所得」からなることが分かる。GDP はこれに「間接税マイナス補助金」、「固定資本減耗」が加わ る15。このことから、GDP の分配面が、既に説明した「企業」、「家計」、「政府」という「経済主体」へ の「付加価値」の分け方を示したものであることが確認できる。 4.中間生産物とその投入 4-1.ミクロ経済学における中間財の軽視  この図1の右上に小さく書かれている、「中間財」つまり生産のために用いられる原材料などの、経 済学における扱われ方を説明する。  まずミクロ経済学では、中間財は無視されることが多い。例えば、スミスは市場の需要と供給で決ま る均衡価格である「市場価格」とは異なる、「自然価格」という概念を示している。「自然価格」とは、 賃金、利潤、地代の「通常率」、社会の状況に応じて決まる値の合計であると説明されている16。つまり、 14 内閣府が発表している「国民経済計算」のデータには示されていない中間財を把握するためには、「産業連関表」 を見る必要がある。産業連関表は、総務省を中心に各省庁共同で5年ごとに作成され、ほぼ4年遅れで発表され るため、その遅さが批判されることがある。しかし、GDP でさえ確報値は1年遅れて発表されること、作成に各 種統計が揃うのは2年以上かかること、時系列的変化を捉える、速報性を重視する動態統計と、同一時点の構造 を詳細に示す構造統計は、性質や目的がまるで異なるものであることなどの性質の違いは考慮すべきであろう。 15 所得税や法人税などの直接税は、この分配後に徴収される。この徴収が再分配機能の一部を果たす。 16 スミス(1789a)、p.94 ~ 108、「第一篇第七章 商品の自然価格と市場価格について」。佐伯(2014a)、p.44。「自然価格」 は、当時の状況を踏まえて理論化した適正価格であり、「市場価格」と一致するとは限らないものである。 図1 国民所得の構成 注1:高校の教科書(第一出版、東京書籍)の説明を合わせ、筆者作成。 注2:68SNA の GNP は、93SNA では GNI と表現されている。

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自然は「じねん」と読むことが適切ということになる。この「自然価格」の定義に中間財が含まれなかっ たのは、当時の多数派である家内制手工業や工場制手工業のような生産形態では、他の企業から購入す る中間財はあっても素材や資源程度の単純な原材料であり、また分配時に生じる対立とは関係が少ない ことから、重要性を感じさせず、無視されたためと考えられる17 。  このような中間財を軽視する姿勢は、今日のミクロ経済学の理論の説明からも観察できる。例えば、 後編で扱うミクロ経済学の利潤関数でも中間財が定義されていない18。また、ミクロ経済学の理論を組 み合わせたワルラスの一般均衡、またそれを拡張して統計データを組み込み、数量分析を可能にした応 用一般均衡モデルでは、中間財は扱われていても重要視されていない19 。 4-2.マクロ経済学における中間財の軽視  中間財の理論上の軽視は、マクロ経済学にも存在する。その身近な例が、中間財の生産や消費を含ま ずに計上されるGDP であり、またそれを用いたケインズの乗数効果やマクロ計量モデルである。  産業連関表から全産業の付加価値合計と中間財合計から求まる比率は、2010 年の延長産業連関表で は 10 対9と近い額である20 。また近年盛んになっている付加価値貿易論は、国際分業化に伴う、中間 財貿易の増加を前提とした議論である。以上のことから、中間財の存在はスミスの時代と比べて高まっ ており、その存在は軽視できないはずである。  これに対し、マクロ経済学の「付加価値」の三面等価の説明では生産、分配、支出の三つの値を恒等 式でつないでいる。また、ケインズの乗数効果や中間財を想定しないマクロ計量モデルは、支出が同額 の付加価値の生産をもたらすという、国際分業の時代には考えにくい仮定を設けている。  支出がその同じ額の付加価値の生産を保障するかは経済循環構造に依存しており、生産波及つまり生 産の連鎖の構造を把握することが必要になる。つまり、GDP の三面等価は、国民経済が閉じていると扱っ ても差し支えない状況で保障されるものである。このことから、今日のグローバル経済では、その前提 は通用しにくいことになる。  このことを、関(1993)の定義した「フルセット型産業構造」から国際分業化に伴う中間財貿易の増 加が、国内経済に与える影響を比較することで示す。図2は、フルセット型の資源輸入、最終財輸出か 図2 産業連関と付加価値の流れの例 17 この定義から推察すると、有名なピンの製造を例にした分業の説明は、当時の工場内で行われていたものを想定 しており、国際分業はおろか企業間分業を想定した説明ですらないことになる。 18 そもそも費用の構成すら明示しない抽象的な概念であることも多い。ただし、生産性の議論をするために優先度 の低い変数を捨象した、という説明は可能である。筆者の説明は、このような理論の抽出に必要な手続きを否定 するものではない。その捨象によって導かれた条件付の解を、普遍の法則のように拡大解釈することを懸念する ものである。 19 例えば、ショーブン、ウォーリー(1992)のモデルでは、国産と輸入を分けない中間投入のデータを用いている。 一方、川崎(1999)のモデルでは、国産と輸入を選択することが「企業」の行動に含まれている。 20 非競争輸入型産業連関表から算出した、我が国内の生産に対する中間財供給の国産と輸入の比率は約9対1であ る。

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ら国際分業に移行したことが、国内経済に及ぼす影響を示したものである。  図2は、フルセット型産業構造と国際分業における国内の産業構造の比較をするため、車の生産を単 純化した例である。単純化のため「車」の生産は4行程、「フルセット型」では「資源」を輸入するの に対し、「国際分業」は「車」の生産に用いる「部品」を輸入するものとした。  この例の場合、「フルセット型」では国内生産は3産業であるのに対し、「国際分業」では国内生産 は1産業のみとなる。また図2では矢印の太さで額の大きさを示しており、「フルセット型」では「付 加価値」が積み上がっていくのに対し、「国際分業」では1産業の生産のみであるため積み上がらない。 また、生産を通じた分配も減ることになる。そのため当然、「内需」つまり国内での車の購入も「フル セット型」に比べて少なくなる。また、国際分業の場合、「付加価値」が生じても、国外の工場への投 資に用いられることになるため、国内での支出、つまり消費や投資に用いられる額は少なくなる。  これまでの説明を踏まえ、「付加価値」の三面等価と経済循環の関係をまとめたものが、図3である。  図3の下部が示すように、生産した「付加価値」をほぼ国内で分配、支出するのならば値は一致する はずである、というのが三面等価である。しかし図3の上部が示すように、支出(消費、投資)が生産 の連鎖を喚起し、全生産の一部が「付加価値」となるという流れは、支出と同程度の「付加価値」を生 じさせることを保障しない。このような、「付加価値」の支出面が生産面を保障するためには経済が閉 じていること、あるいは閉じていると見なせる程度の通商規模である場合に限られる。 図3 付加価値の三面等価と経済循環構造 注:稲作による米の生産と魚の養殖の例は、中村(2000)に依った。

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 そもそもマクロ経済学の基礎理論は、輸出と輸入の差分である純輸出は、GDP 全体に比べたらわず かであるから、マクロ経済を論じる場合は軽視して、国内だけを見ていればよい、という前提で基礎部 分が作られている。確かに、昔は国民経済がほぼ閉じているとみなせる程度の通商規模、貿易額であっ たため、そのような前提で構築された理論で経済を説明することができた。しかし、このような仮定は、 グローバル化した、現代の経済では通用しないはずである。  特に、貿易の内容の変化は、生じる経済波及効果を大きく変える力を持つ。そもそも、輸出と輸入は 額面が同じでも、その構成やそれを製造するための分業構造が異なるのだから、それらによってもたら される経済波及効果も異なるはずである。このようなことから、生産における中間財投入を国産と輸入 に分けて分析を行うことが必要になる。 5.小括  本稿では、「経済」の意味の変遷を説明し、「家政」を三つの経済主体と捉えて理論が作られているこ とを確認した。また、それを踏まえグローバル化により経済循環の構造が変化したこと、これに対し基 礎的なマクロ経済学、ミクロ経済学では共に中間財を軽視し、基礎理論に組み込んでいないため、構造 変化の影響を捉えることはできないことを示した。後編では、「国家」の経済活動で生じる「付加価値」 と、「企業」の生産活動で生じる「利潤」の違いを示し、中間財の投入構造の説明と合わせ、今日の経 済と経済学の乖離を示す。 参考文献 アダム・スミス(1789a)『国富論Ⅰ』、大河内一男 監訳(1978)、中央公論新社。 アダム・スミス(1789b)『国富論Ⅱ』、大河内一男 監訳(1978)、中央公論新社。 アダム・スミス(1789c)『国富論Ⅲ』、大河内一男 監訳(1978)、中央公論新社。 宇多賢治郎(2012)「我が国経済の構造変化の比較分析」、『経済統計研究』、第 40 巻第1号、経済産業統計協会。 宇多賢治郎(2014a)「国際収支の経済波及効果の試算 前編:国際収支が国内経済に与える影響の整理」、『山梨大 学教育人間科学部紀要』、第 15 巻、山梨大学教育人間科学部。 宇多賢治郎(2014b)「国際収支の経済波及効果の試算 後編:国際収支が国内経済に与える波及効果の概算」、『山 梨大学教育人間科学部紀要』、第 15 巻、山梨大学 教育人間科学部。 オットー・ブルンナー(1974)「VI『全き家』と旧ヨーロッパの『家政学』」、『ヨーロッパ』、岩波書店。 カール・ポラニー(1975)『大転換 ―市場社会の形成と崩壊―』、東洋経済新報社。 川崎研一(1999)『応用一般均衡モデルの基礎と応用 経済構造改革のシミュレーション分析』、日本評論社。 佐伯啓思(2014a)『アダム・スミスの誤算 幻想のグローバル資本主義(上)』、中央公論新社。 佐伯啓思(2014b)『ケインズの予言 幻想のグローバル資本主義(下)』、中央公論新社。 ジョン・B・ショーブン、ジョン・ウォーリー(1992)『応用一般均衡分析 理論と実際』、小平裕 訳(1993)、東 洋経済新報社。 関満博(1993)『フルセット型産業構造を超えて 東アジア新時代のなかの日本産業』、中公新書。 総理府統計局(1956)『日本の統計 1956 年』、総理府統計局。 第一学習社(2014)『高等学校 政治・経済』、第一学習社。 竹内靖雄(2013)『経済思想の巨人たち』、新潮社。 東京書籍(2014)『政治・経済』、東京書籍。 中村愼一郎(2000)『Excel で学ぶ産業連関分析』、エコノミスト社。 フランソワ・ケネー(1758 ~ 1767)『経済表』、平田清明・井上泰夫 訳(2013)、岩波書店。

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