我が国の臨済宗で現用されている日課経典の中にあって、その来歴が明らかでないものに「開甘露門(大施餓
鬼)」がある。孟蘭盆会や施餓鬼会に用いられる重要な存在であり、日常の朝課や先亡供養の際にも経典として
頻繁に楓調されている。日本曹洞宗においても、臨済からの影響で「大施餓鬼」として用いられており、「晋通
じゃじん憶うの上らし- 『若人欲了知』と云うて始める。地方により盆の棚経に読むお経なり」(『昭和訂補凹洞啓亦Ⅱ課経大金』、水田又昌燈・昭 和十五年)とされている。広く禅門で唱えられている重要な経典なのである。しかし、一見して分かる様に漢文と陀羅尼が入り混じって羅列されたものであり、単独のまとまった経典で
はない。また、典拠が明らかな偶句や陀羅尼が大部分を占めてはいるが、出拠が不明な文章も組み込まれており、
全体をそのまま纏まった一つの経典として扱うには疑問が存する。もちろん宋版・明版などの大蔵経の類にも
この経典は全く収載されていない。ただ、中国元代に普応国師こと中峰明本の名を冠した『幻住庵清規』が出されるが、この書に同名の「開甘露
「開甘露門」の源流
解説l『幻住庵清規』附録「開甘露門」・訳注I
(朝山一玄・徳砿寛道・並木優舩・野Ⅲ灘敬・淡川宗玄・欠多払聴(あいうえお噸))教学研究委員会編
野口善敬 59門」という文章が付録されている。今回は、この中峰撰「開甘露門」の訳注を通して、日本で使用されている「開
甘露門」の内容を考える足がかりとしたい。この解説並びに本文訳注を通読することによって、施餓鬼会もし
くは孟蘭盆会を行う意義を考えるきっかけとなるならば幸いである。「開甘露門」が附録されている『普応国師幻住庵清規』は、「延祐丁巳(四年.一一一一一七)冬幻住沙門書」の序文
を付して刊行された書物である。序文の撰者名が「明本」と明記されていないし、またこの序文は『天日中峰広録』
や『天目明本禅師雑録』に収載されていないため、中峰の向撰でない可能性が皆無とは言えないが、中峰在世
中の撰述であるし、「幻住」という号が他用されたとも考え難い。題目に「普応国師」と冠されていることからも、
中峰の撰著と見て問題はなかろう。同書の中国刊本は現存しない。『新纂禅籍目録』(駒沢大学図脊館編・昭和一・一十七年、ロ・田)に拠れば室町時代刊の五
山版が成箇堂文庫および大東急記念文庫に存するというが未見である。その他、寛永二十年(一六四一》京都鰹
田庄左術門刊の和刻本が駒沢大学等に存しており、大日本統蔵経所収本(Z』三)はこれを底本としている(但し、
統蔵本には誤植等があるので注意が必要である)。内容としては、『清規』部分は中峰門下の「一家之規」(国巨]・念⑦c)であり、「庵主」(七『の)や「副庵」(9コ。)な
どの項目が設けられていることからも分かるように、幻住庵を運営していくための諸規則をまとめたものであ
る。その中味は、①日資、②月進、③年規、④世範、⑤営弁、⑥家風、⑦名分、⑧履践、⑨摂養、⑩津送の十
章からなるが、このうち①日資の一部は『天目明本禅師雑録』巻上に「日資須知」(N一闇・額3座)として戦せられ、
、『幻住庵清規』について 60また⑥家風.⑦名分.⑧践履の三章については『西天目祖山志』巻六に「法語」「開示」「家訓」「偶頌」などと並
べてそれぞれ「家風」(四台~日四)・「名分」(日ウー9ヶ)・「履践」(膠す~笛っ、訓童行の部分は「家訓」(困匹)の中に編 入されている)とそれぞれ項目を立て、小目も含めて全てそのまま収載されている。中峰が住した幻住庵は、大徳三年〈二一九九)の冬に呉興(斯江省湖州)の下山(Ⅱ弁山)に営まれたものが最初
であるが、その他にも、翌年冬、平江藤州)胴蕩山に作られた幻住庵、及び結庵の時期は不明だが西天目山の
師子巌の東岡にあった幻住庵の存在が知られている。『清規』中、諸行事の疏文の中に「湖州城西下山幻住庵」
(盆胃(})の名称が用いられており、呉興下山の幻住庵のために作成されたものであったことが知られる。付録
ママの「開甘鰯門」についても、末尾の疏文に「大元国漸西道湖州路城北下山幻住禅庵沙門某叩」(、()⑤Pg)とあり、
同様に下山幻住庵での使用を前提としたものである。 呉興幻住庵は、「弁山(-下山)幻住庵記」(『中姉広録』巻一一二・sす~Bご)に拠れば、中峠が平江幻住庵に移って から朽ち果ててしまい、六年後の大徳九年(、一一○瓦)、精厳院の沙門森公を中心として、師禅上人・明然上人・ 珂月上人が協力して院山の麓に移し、延祐五年(二一八)に建て直して規模を大きくしたとされる。延祐万年と言えば『幻住庵清規』の序文が書かれた翌年であり、『清規』刊行は下山幻住庵経営のテコ入れの一環であっ
た可能性もある。庵の運営としては、明然・師禅・珂月・ロ浄の四人が三年おきに輪番で庵主となっていたが、
後に明然が正住、珂月が副住となったとされる。疏文の庵主名が中峰の名前となっておらず、「沙門某甲」とさ
れているのは、明然など中峰以外の僧侶が住持として使用することを配慮していたためであろう。 二、『清規』付録「開甘露門」について 61『幻住庵清規』附録の「開甘露門」は、中峰門下における施餓鬼会及び孟蘭盆会の法要の内容次第を示した儀 軌である。これが元代における一般的な施食法要の形態であるのか、それとも幻住派独自の特殊なものである のかは明らかでないが、中峰が奇を街って全てを独創したとは考えがたいし、多少の独自性はあるにしても、 当時の中国における一般的な行事内容を下敷きとしたものであろう。 施餓鬼会と孟蘭盆会の両方の法会には、重複する部分が多いものの、個別の部分があり、それを一つの文章 として続けて示してあるため、通読すると行事としての流れが分かりにくい。訳注の章分けに従って、それぞ れの行事の流れを示すと次のようになる。(《》は訳注の章分けの通番を示す。) 62 A 施食法要 ①《l》大悲呪 ②《2》啓白文 ③《3》奉請三宝 ④(4)焔口陀羅尼 ⑤《5》浄食加持偶 ⑥《6》施甘露水陀羅尼 ⑦《7》五如来 【施餓鬼会】 ①(1)大悲呪 ②(2)啓白文 ③(3)奉請三宝 ④《4》焔口陀羅尼 ⑤(5)浄食加持偶 ⑥(6)施甘露水陀羅尼 ⑦(7)五如来 【孟蘭盆会】
見ての通り、施餓鬼会の⑧~⑩と諒蘭盆会の⑧~⑪の部分が両法要の内容の大きな違いであり、訳注で言え
ば施餓鬼会の《8》~《、》が孟蘭盆会では《ロ》~《卯》に入れ替わり、更に孟蘭盆会では回向の後に《皿》
の宣疏が加えられる。孟蘭盆会における疏の付加は、日本の水和二年(一一二七六)に記された禅林寺本『榮山清 規』にも見えている(後述、尼崎氏論文一〕・二⑦参照)。全体の分耽としては施餓鬼会より孟蘭盆会の方が文章が長い 63 C B 疏 回向 受戒儀式 ⑮《応》心経・四句回向① ⑯《肥》四句回向② ⑭《u》発菩提心 ⑬《旧》四弘誓願 ⑫《巴》受戒 ⑪《、》帰依三宝 ⑱《、》宣疏(附録《封繊》) ⑰《応》四句回向② ⑯《応》心経・四句回向① ⑮《Ⅵ》発菩提心 ⑭《旧》四弘誓願 ⑬《尼》受戒 ⑫《u帰依三宝⑪《釦》慨悔
⑩《旧》倒懸解脱の方便 ⑨《昭》六道 ⑧《Ⅳ》孟蘭盆ただ、疏の有無を除けば、両法要ともその構成は同じであり、大悲呪で始まるA「施食法要」、繊悔・帰依 三宝と続くB「受戒儀式」、心経を認調してのC「回向」の三つの部分からなっている。AとCとは餓鬼への供 お 養であり、Bは一ハ道の苦を脱するために戒を受け菩提心を発こさせるという法要参加者のための儀式である。 そもそも餓鬼に対する直接の施食を説いた経典は、同本異訳である『仏説救面然餓鬼陀羅尼神呪経』と『仏 説救抜畑口餓鬼陀羅尼経』の二つであるが、その主題は阿難尊者の「寿命延長」(『焔口餓鬼陀羅尼経』巨』上霞。) であり、その手段となるのが餓鬼への施食であった。しかも対象となる餓鬼は特定された存在ではなく、「そ の施しをなし終わったならば、その四方に数えきれない無数の餓鬼がいたとしても、…みんな腹一杯になり、 そのもろもろの餓鬼たちは、ことごとく餓鬼の身を捨てて天上〔世界〕に生まれることになる(於其四方有百千 那由佗恒河沙数餓鬼、…悉皆飽満、是諸鬼等、悉捨鬼身、生於天上)」(同上△gご)とあるように、世界すべての餓鬼の 救済を目指すものであった。これに対して孟蘭盆会の典拠である『仏説孟蘭盆経』は、餓鬼道に堕ちた「亡母」 (『孟蘭盆経』ゴ。・司・|))の救済を主題とし、「〔七月十五日の僧自窓の日に〕徳をそなえた世界中の僧侶に供養す るならば、…現在の父母も、七世の父母T七回生まれ変わってきた前世の父母)も、すべての親戚も、〔地獄・餓鬼・ 畜生という〕三塗の苦しみを抜け出せる(供養十方大徳衆僧、…現在父母、七世父母、六種親属得出三途之苦)」(同上. 。g)という、父母親族に対する追薦救済を目指すものであり、しかも経中に餓鬼への直接の施食法や陀羅尼 は説かれていない。そのため、施食に関する資料を網羅蒐集した南宋の宗暁編『施食通覧』(Z一○二にも、『面 然餓鬼陀羅尼神呪経』など前の二経は収載されているものの、『孟蘭盆経』は入れられていない。 ともあれ、『面然餓鬼陀羅尼神呪経』等にしろ『孟蘭盆経』にしろ、餓鬼の直接の施食救済もしくは追薦によ る救済が主題であり、そこに受戒が盛り込まれる必然性はないのである。よって、『幻住庵清規』附録「開甘露門」 ことになる。 64
上述のように、『幻住庵清規』附録の「開甘露門」は、施餓鬼会・孟蘭盆会の法要次第が記された儀軌であるが、
分量から見ると日本現用のそれとは大きく異なっている。日本現用の「開甘露門」は、いわば施餓鬼会・孟蘭
盆会の法要儀軌中の陀羅尼や偶句の部分だけを取り出して羅列したものであり、通読しても全く意味をなさな
い。あくまで儀式で用いる重要な部分だけを抽出した抜き書き的な存在なのである。また『幻住庵清規』附録「開
甘露門」では、施餓鬼会・孟蘭盆会を問わず、法要の中に受戒が大切な要素として盛り込まれているが、日本
現用の「開甘露門」はこれを欠いており、様相を異にしている。中峰が目指したものは、餓鬼の追薦供養と施
主自身の受戒・発菩提心の一一本立てであったのに対し、日本の施餓鬼会・孟蘭盆会は追薦供養に比重が偏って
いるのである。元代においては中峰の師である高峰原妙に特に顕著であり、高峰は「当時の修行者が戒で自らを律することが
における受戒部分は、中峰独自の創出であった可能性が存する。戒律の重視はもとより仏教の基礎ではあるが、
戒祁できないのを心配して、…毘尼を設けていた(今時学者不能以戒自律:・乃有毘尼之設薦)」〈『高峰原妙禅師語録』巻下付録・
明初撰行状、日田・函g色)とされ、「人に然指(Ⅱ指を焼く)して戒を受けさせていた(高峰和尚令人然指受戒)」(『中峰広録』
巻一一之中「山房夜話中」、和刻乎器越)と言われる。中峰自身も頂相に描かれた像では左手の小指が欠損しており(井
手誠之輔「中峰明本自賛像をめぐって」・『美術研究』一一一四一一一・一九八九)、自ら「戒は〔仏〕道の上にあり、〔仏〕道は戒の中
にある(戒即是道士と戒、道即是戒中之道)」(『天目明本禅師雑録』巻下・示円禅人、日田・麗蟹)と戒の重要性を説いている。
これによって中峰の「開甘露門」に受戒が採り入れられている理由の一端が窺えよう。
三、日本現用「開甘露門」との関係 65とはいえ、『幻住庵清規』附録の「開甘露門」と日本現用のものとには、使用されている陀羅尼・偶句にかな
りの類似点が見られ、両者の間には深い関わりがあったと考えられる。日本現用の「開甘露門」の成立につい
て尾崎正善氏は、その論文「施餓鬼会に関する一考察(1)l宗門施餓鬼会の変遷過程l」〈『曹洞宗宗学研究所紀要』
第八号二九九四)の中で、「『幻住庵清規』で規定された臨済流の施餓鬼儀礼が日本に渡り、京都五山において受
容される過程において更なる付加、独自性が盛り込まれたのである」(ご・一囚讐)と言っておられる。恐らくこの
指摘が正しいであろうことは、二つの「開甘露門」の比較によっても明らかに知ることができる。次に引くの
は日本現用の「開甘露門」を内容によって十三条に分け、便宜的に表題を付けたものであるが、○番号の上に
※が付された条は『幻住庵清規』附録「開甘露門」にも、該当する陀羅尼・偶句が重複して見えるものである。
(各条の末尾の《》の番号は、『幻住庵清規』附録「開Ⅱ露門」の訳注の章を示している。また、それぞれの条について、典拠が明
らかなものについては、原古志稽著『大施餓鬼集類分解』(禅文化研究所・江湖叢錘円・平成七年)などを参考にし、〔〕で付記した。)
※①破地獄偶若人欲了知三世一切仏応観法界性一切唯心造〔八○巻本『華厳経』巻一九(弓]?]g四~ワ)〕《8》
※②帰依三宝 ※④焔口陀羅尼 南無薩婆 ※③縁起衆南無十方仏南無十方法南無十方僧〔『菩薩善戒経』巻一(弓山?①①]四)、『法華一一一味徴儀』(旨?の認の)など〕《3》
南無本師釈迦牟尼仏南無大慈大悲救苦観世音菩薩南無啓教阿難尊者《3x4》
馳畷伽多嚇鷹枳帝嘘一一一摩曝三摩曝件〔『仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼経』(忌一・急留)、『仏説救
66※⑩四句回向① 汝等鬼神衆 ※⑨浄食加持偶(八句過 神呪加持浄飲食並 功徳無辺尽未来一 ※⑦七如来 ※⑤施甘露水陀羅尼 南無蘇噌婆耶 陥口軌儀経』(忌一 ⑧往生呪 ⑥施乳海陀羅尼 P
南無三愛多没駄哺梵〔『聡伽災要救阿難陀羅尼陥川軌儀経』(目一・s一ヶ)、『蜥雑王供行法次第』(『㈹一・四『ロ、)〕
南無阿弥陀婆耶峰馳伽多耶峰脈耶略阿弥刑都婆毘阿弥剛略悉耽婆毘阿弥卿吻毘伽蘭帝阿
弥刷畷毘伽蘭畷伽弥胤伽伽耶枳峰伽卿娑婆詞〔『抜一切業陣根本得化浄化神呪』(、『]陣凸の]の)、『仏説阿
弥陀経』附録(『三い・鷺②ウ)〕 Ⅱ七如来具7》(Ⅱ五如来)無阿弥陀如来〔『仏説救抜焔u餓鬼陀羅尼経』(目」・急g)Ⅱ四如来、『輸伽集要救阿難陀羅尼焔、軌儀経』(局]・合一塾)
南無宝勝如来南無多宝如来南無妙色身如来南無広博身如来南無離怖畏如来南無甘露王如来南
面然餓鬼陀羅尼神呪経』(弓巴・急3)〕(4)我今施汝供此食週十方一切鬼神供〔『施食通覧』遵式撰「施食法式」(臼一三・四一mの)〕《旧》
馳多伽多耶 .←『庁)〕《6》普施恒沙衆鬼神願皆飽満捨樫心悉脱幽冥生善道帰依三宝発菩提
一切衆生同法食〔『施食通覧』遵式撰「施食法式」〈EC]・巴、っ)〕《5》
多姪馳蝿蘇噌蘇噌婆耶蘇噌婆耶蘇噌娑婆詞〔『職伽集要救阿難陀羅尼
究寛得成無上覚 67このうち、⑦の七如来は、『幻住庵清規』附録では五如来となっているし、その他の条についても陀羅尼の文
字の異同などの違いはあるが、実質的に十三章のうち九章までが重なっている。大筋において尾崎氏の指摘通
※⑫四句回向② 願以此功徳⑧「往生呪」は、もともとは説謝する本人に対して「阿弥陀仏が常にその頭の上にいて、日夜擁護してくれる罷
訓此呪者、阿弥陀仏淵住其頂、Ⅱ夜擁懇)」(『E・学、一s)という功徳をもたらすものであるが、日本においてこの呪が
葬儀の際に用いられていることを勘案するならば、追薦供養を補強する意味合いで後世付加された可能性が大
りと考えて良かろう。 き い ◎また、①「破地獄偶」は、『幻住庵清規』附録では「施餓鬼会」の部分だけに用いられており、「孟蘭盆会」の部
分には見えていないし、更には『幻住庵清規』附録で「孟蘭盆会」に用いられている《F》~《印》の部分には
日本常用の「開甘露門」と重なっている部分が全く存在しない。よって、日本常用の「開甘露門」は『幻住庵清規』
⑬普通回向 ⑪八句回向以此修行衆善根報答父熾助労徳存者福楽寿無窮亡者離苦生安養四恩三有諸含識二途八離苦衆生
倶蒙悔過洗暇疵尽出輪廻生浄士興拠不詳〕十万三世一切諸仏諸尊菩礁摩詞薩摩訶般若波羅蜜〔『禅宗決疑災』(亘、」三肯)、『勅修百丈清規』巻Ⅲ、巻
七(『一m.]国普、二岡、)〕普及於一切我等与衆生皆共成仏道〔『法華経』巻一一一「化城噛品第七」(『っ・瞳、)〕《応》
68その欠を補うものが⑪「八句回向」である。この八句は「その出所がつまびらかではない(八句者未詳其出処)」
くろう む (『大施餓鬼集類分解』・』睡四)とされ、経典等に典拠を見いだすことができないが、第一一句の「父母の釛労の徳に報答いる〈報答父母肋労迩」というのは明らかに『孟蘭盆経』の「父母の長養慈愛の恩に報いる(報父母長養慈愛之恩)」
(。@・ゴ①。)という内容を意識したものであり、この⑪の部分があればこそ、日本常用の「開甘露門」を父母追 薦の供養としての「孟蘭盆会」に使用する積極的な意味づけが可能なのである。 日本常用の「開甘露門」を解明するには、今後、更に新たな周辺資料の発掘と詳細な比較研究が必要だが、 それはまた別の機会を期したい。 (注)尾崎正蕃氏には、右嶋附録の「施餓鬼会」の部分だけに拠ったものであり、本来、「孟蘭盆会」に用いるには不適切なものということ
になる。 尾崎正灘氏には、右に引用した論文以外に「施餓鬼会に関する一考察(2)」(『印度学仏教学研究』第四二巻第 一号〔通巻第八五号〕)がある。これらの論文の存在、及び曹洞宗での「大施餓鬼」の使用については、東京・ 永見寺の葛西好雄師より御教示を賜った。 69諄~ 題 目 霊鐸 【訳注目次] 《l》大悲呪 (施餓鬼会l、孟蘭盆会I) (2)啓白文 (施餓鬼会2、孟蘭盆会且 (3)奉請三宝 (施餓鬼会3、孟蘭盆会3) 《4》焔口陀羅尼 〈施餓鬼会4、孟剛盆会4〉 (5)浄食加持偶 (施蝕鬼会5、澁鮒盆会5〉 《6》施甘露水陀羅尼(施餓鬼会6、孟剛盆会6) 《7》五如来 (施餓鬼会7、孟剛盆会7) (8)破地獄侭 (施餓鬼会8) (9)六道 (施餓鬼会8) 《、》繊悔 (施餓鬼会9) 《u》帰依三宝 (施餓鬼会、、孟蘭盆会哩 《肥》受戒 (施餓鬼会乢孟剛盆会旧) 《田》四弘誓願 (施餓鬼会胆、孟閲盆会U 《皿》発菩提心 (施餓鬼会喝、孟蘭盆会ご 《巧》心経・四句回向①施餓鬼会理、孟蘭盆会旧) 〈焔》四句回向② (施餓鬼会埠孟蘭盆会r) 〈Ⅳ》孟蘭盆 (孟閲盆会8) 〔訳注原稿担当者〕 職田宗玄 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 矢多弘範 〃 〃 徳重寛道 〃 並木優記 〃 〃 野口善散 〃 70
【訳注凡例]
○この訳注は『幻住庵清規』附録「開Ⅱ朧門」を、麹の部分T~皿と題H・吋織)に章分けし、それぞれの厳を「原
文」「校注」「書き下し文」「Ⅱ語訳」「語注」の順で*で区切って掲載した。
○底本には寛永二十年(エハ山.)京都澤川庄左衛門刊の和刻本(福岡市型編寺所蔵本)を用い、『人日本続蔵絲』
所収本(通Ⅱ第一.一)との間で校勘を行った。
○原文は当用漢字を用い、書き下し文は現代かな使いとした。
○現代語訳は直訳を心掛けたが、必要と思われる場合は〔〕で適宜ことばを補った。
○訳注作業に際しては段落分けを行い、担当者に割り当てて訳注の下書きを作成し、合同で討議を行った。そ
のため、気を付けたつもりではあるが、担当者により訳語・付注などに若干の差異が存している。
○注に引用した書籍については、その初出の箇所に版本等を明記した。また大正大蔵経・大日本続蔵経愈続蔵)
についてはそれぞれ「T」「Z」の略号を用いた。その他の略号は次の通り。
『中村』Ⅱ中村元『仏教語大辞典』(東京脅籍)
《封鍼》 《、》宣疏《釦》徴悔
《四》倒懸解脱の方便
《肥》六道 (孟蘭盆会9) (孟蘭盆会、) (孟蘭盆会U (孟蘭盆会旧) 朝山一玄 〃 〃 〃 〃 7普開 施甘 法砺 食門 文 (1) 錐曰く法食を施す文 開甘露門 《題目》 『広説』Ⅱ同『広説仏教語大辞典』同前) 『望月』Ⅱ望月信亭『仏教大辞典』匝界聖典刊行協会) 『禅学』Ⅱ駒沢大学『新版神学大辞典』天修飾謝瞳 『織田』Ⅱ織田得能『仏教大辞典』(大倉書店・大蔵出版) 『岩波』Ⅱ中村元等編『仏教辞典』(岩波書店) 『大漢和』Ⅱ諸橋轍次『大漢和辞典』天修館諜店)
〔付記〕原稿の読み合わせに際しては、担当者以外にオブザーバーとして玄侑宗久師にも参加頂き、貸重な意
見を頂戴した。 【訳注本文】 * 72《2》啓白文施餓鬼会2、孟蘭盆会2) 切以、神心不動、法性遍周。既無生滅之因、安有昇沈之跡。無上法王、坐宝蓮花、成等正覚、曽何一法之加。 議動含霊、入微塵国、変化死生、局有繊塵之損。由是、龍女証果於献珠之頃、広額成仏於放刃之間。何男女之 有分、豈善悪之能間。当其迷也、即宝糸網、威是鉄囲。及至悟時、惟剣刃山、倶成金地。故名教有言、生而無 たべ書もの 並曰く法食を施す〔法要に用いる〕文 開甘露門 大悲神呪三遍、麓浄水 《l》大悲呪施餓鬼会l、孟蘭盆会I) 『大悲神呪』を三遍調んで、浄水を注ぐ。 『大悲神呪』三遍、浄水を澱ぐ。 * (1)施法食I律に適った食物を施すこと。ここでは「施餓鬼」のこと。(『中村』己」四四四) * * * 73
生、法性湛然。無生而生、業果徽然。是調法無定相、随念変遷者也。 今則法筵大啓、妙供前陳、然五分之真香、請十方之至聖、散一器之甘露、済六道之同霊、宣密語以加持、運誠 心而撞抜。欲明至理、故白斯文。仏事円成、同販真際。執乎炉。 * おもんみ (1) (ワニ (3) いず (4) 切に以れぱ、神心は不動にして、法性は遍周す。既に生滅の因無し、安くんぞ昇沈の跡有らん。無上なる法 (|副) しゅんどうがんれい (6) へんげししよう 王、宝蓮花に坐し、等正覚を成ずるも、曾て何ぞ一法を加えん。議動含霊、微塵国に入って変化死生するも、 なん とき 合J) (月) 易ぞ繊塵の損有らん。是れに由りて、龍女、珠を献ずる頃に於いて証果し、広額、刃を放つ間に於いて成仏す。 (⑪) へだ 肥うしもう(川)ことごとてつも{Ⅱ) 何ぞ男女の分有らん、豈に善悪の能く間てんや。拭くの迷に当たるや、即ち宝糸網、威く是れ鉄囲たり。儒る時 けんにんざん(胆)ともこんじ{脚) (Ⅱ) 一町) に至るに及んで、惟だ剣刃山も、似に金地と成る。故に名教に一一一両える有り、「生じて無生なれば法性湛然たり、 (川) (両) (順) 無生にして雁ずれば業果倣然たり」と。是れ「法に定相無く、念に随って変遷す」と詔う者なり。 一脚} ひら つら だ (帥) (割) くうま則ち法筵大いに稗き、妙供前に陳ね、五分の真秀を然き、十方の至聖に紺い、一器の甘露を散じて、
六通の同霊を済い、密語を宣くて以て加持し、誠心を運らして樋放す。至理を明らめんと欲するが故に斯の文
すぐ の (郡} めぐ もう L}も かえ を日す。仏事円成して同に真際に版らんことを。手炉を執る。 * せかい つらつらと考えてみるに、〔元来〕雲巫妙なる心は不動であり、諸法の本性は〔法界に〕周適している。もとよ り生死の因となるものなど無いからには、どうして〔地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天上道の〕 さとり 六道を昇沈することなどあろうか。無上の法主たる仏は、宝蓮華の座にあって等正覚を得るが、〔それによっ どんなもの いざもの無数の世界 て〕一法も〔心に〕付け加わる訳ではない。議動含霊は、微塵国の中で姿を変えつつ生死を繰り返すが、〔それ わずかばかり によって〕どうして繊塵も〔心が〕損なわれることなどあろうか。だから、龍女は宝珠を〔仏に〕献上する時に 74悟り、広額屠児は屠刀を捨てた時に悟ったのだ。〔そこに〕どうして男女の差があろうか、どうして善悪の隔
焚しい糸で“んだ燗てがあろうか。迷っている時には、〔浄土を飾る〕宝糸網がそのまますべて鉄囲山となり、悟ると同時に〔地獄
瀞止 披此の〕剣山が金地となるのだ。だから名教に次の一一一百葉がある、「生じても無生であれば、諸法の本性が〔そのまま〕
.ゆったり湛然としているが、無生でありながら生じれば、善悪の行為によって生じた報いが厳然として存在する」と。こ
存椛れを「法に決まった姿はなく、想念に応じて変化する」と一一一一口うのだ。
お縦え ずこし ほとけ けい水今こうして法会を盛大に開き、妙供が前に並べられ、五分の香を焚いて、十方の大聖に願い、一杯の甘露水
ま なかま 秘街の汀災 祈満まごころ 救い洲を撒いて、一ハ道の同霊を助け〔ろために〕、密語を述べて加持し、誠心を尽くして極抜そうとしている。〔この
巾し述べ おわつ 法会を通して〕至〔上の道〕理を明らかにしたいから、この文を啓白る。仏事が無事円成て、〔どうかみな〕共 小米の境地に真際に到りますように。櫛蔬燥を執る。
*(-)神心Ⅱ「心神」ともいう。衆生の霊妙な心性。衆生の心は霊妙であるから、神という字を付け加えていう。(『中村』ご・「①『)
(2)法性Ⅱ諸法(諸存在・諸現象)の真実なる本性、万有の本体をいい、仏教の真理を示す語の一つで、真如・実相・法 界などの異名としてⅢいられる。(『中村』ご」⑱紐) (3)生滅因Ⅱ一切有為法における生と減のこと。有為法である以上、生ずれば減することは不可避である。ここでは、心性・ 法性共に本体としての真性があるにも拘わらず、何故に生滅があるのか、ということ。 (4)昇沈跡Ⅱ流転のこと。迷妄のために六道・凹生の間を生まれ変わり、迷いの世界をさすらうこと。 (5)宝蓮花Ⅱ仏の座。転じて宇宙の生起する根源をたとえていう。(『中村』己」四台) (6)微塵国Ⅱ「微塵」は非常に微細なことをいうが、転じて甚だ数の多いことをいう。無数の世界のこと。 (7)龍女証果於献珠と頃Ⅱ『法華経』巻十二「提婆達多品」に見える龍女成仏のこと。龍女は裟掲羅龍王の八歳の娘。 75幼くして行解共にすぐれ、不退転の境地を得て速やかに悟りに至った。舎利弗は、女人には五つの障りがあるにも拘 わらず、龍女が女人の身でありながら悟ることが出来るのかどうか不信に思った。しかし龍女は、一つの宝珠を仏に 呈し、仏がそれを忽ち受け取ったことによって、自らの成仏が、仏がその珠を受け取るよりも速やかであったことを そ げじぎ 表明して女身が転じて男子になり、仏の悟りを得るのである。「爾の時、龍女に一宝珠有り。価直一二千大千世界なり。 たてまつ 持して以て仏に上る。仏、即ち之を受く。龍女、智積菩薩、尊者舎利弗に請って一一一口わく、〈我れ宝珠を献じ、世尊納受す。 是の事、疾きや〉と。答えて言わく、〈甚だ疾し〉と。女、言わく、〈汝の神力を以て、我が成仏を観よ。復た此れよ りも速やかなり〉と。」(『①・患O) (8)広額成古於放刃之間Ⅱ『浬藥経』「梵行品」に見える広額屠児の話にもとづく。しかし、『浬盤経』では、無量の羊を 殺す日々を送っていた広額という名の屠児が、ある日、舎利弗と出会い、八戒を受けたことによって、屠児が命終の後、 北方の天正毘沙門の子となり、如来の弟子となって大功徳を得た([北本]曰」四・s①す、[南本]皀吋・崗皆)とす るのみで、ここで言われる即疾成仏に関する記述はない。広額屠児の話が即疾成仏に重点を置いて引用されるのは禅 家に於いてである。例えば大慧宗果は、広額屠児の話を、先に挙げた龍女成仏や、『華厳経』「入法界舶」の善財童子 の話と共に頻用する。「浬盤会上の広額屠児、屠刀を放下して便ち成仏す。」(『大慧語録』巻二六・弓合・@眉色) この点について無著道忠は次のように説く、「忠曰く、浬築の文、此くの如し。然るに『宗鏡録』十七に曰く、〈『浬盤経』 ひぴ お に云うが如きは、屠児広額、日、千羊を殺す。後に発心し巳わる。仏の一一一口わく、《腎劫の中に於いて成仏せん》と、云々〉・ い 『宗鏡』広額を以て歓喜の事に挫く回す。禅録に到って住々に道う、〈広額屠児、屠刀を放下して我が千仏の一数と称す〉 となり。其の経に違うこと此くの如し。」(『虚堂録翠耕』上、禅文化研究所本も」合四)。 (9)何男女之有分Ⅱ仏教では古来、女性は業が多く成仏出来ないものとされた。先に挙げた『法華経』にも女性には五臆 があるとされ、梵天王・帝釈・魔王・転輪聖王・仏身の、全てになることが出来ないとされる。しかし、禅家ではこ 76
(u)鉄ⅢⅡ「鉄朋山」のこと。「鉄輪附川」ともいう。仏教の世界観では須弥山を中心に几Ⅲ八海がこれをとりまくが、そ
の肢も外側の鉄で出来た山をいい、さらにその外海中にあるのが、我々が住する側浮捉洲であるとする。また・一・千世 界の各々を一つの鉄囲山が鮒むとする税もある。(『中村』己・日の)(尼)剣刃山Ⅱ「剣樹刀山」のこと。十六小地獄の一つで、そこには剣を葉とした樹が無数に生えており、罪人がこの地獄
に入ると、大風が剣の葉を揺らし、罪人の身体に落ちて傷つけるという。(『中村』一〕・崖S
(旧)金地Ⅱ浄士の大地のこと。『阿弥陀経』に「彼仏国上T西方浄土)、常作天楽、黄金為地」とあるのを踏まえる。
(Ⅱ)名教Ⅱ型人の教え。仏教のこと。これは儒教の表現を肱川したものとされる。(『中村』で.届g)
(応)泌然Ⅱおちついて脈かなさま。(『人漢和』巻L・己・}田)
(町)漿果Ⅱ業の果報。韓恕の行為(業)によって招いた報い(果報)。(『中村』ロ・ぢの)
〈ロ)生而無生、法性湛然。無生Ⅲ生、業果厳然Ⅱ引用不詳。(旧)法無定相、随念変遷Ⅱそのままの語は見えない。似た表現として『宗鏡録』巻一》四に、「法無定相、回転由心」(弓盆.、呂四)
がある。総ての存在は縁起によって成り立っているのであり、常住不変の相を持たないということ。「定相」は、定まっ
た特質。定まった本質。(『中村』p『さ)(四)法筵Ⅱ法のむしろ。法のための集まりをいう。法座ともいう。経を識じたり、法話をしたりする席。(『中村』{)・-mg)
つPb(皿)宝糸網Ⅱ美しい糸で編んだ網。「林木池沼、皆な法立曰を演べ、光を交えて相い羅なること宝糸網の如し」(『首傍厳経』
巻六・自己・戸}(}、)。ここでは阿弥陀浄土の「七重羅網」(『阿弥陀経』)、「七重網」(『観無墜寿経』)を念頭に置いた
巻六・自己・』 表現であろう。 女性の嗣法者がいる。 のような思想は薄く、 唐代では腿居士の娘、霊照は諸々の禅者と対等に渡り合りあったとされ、大慈宗呆には多くの 77《3》奉請三宝(施餓鬼会3、孟蘭盆会3) 〈一) 戒香・定香・慧香・解脱香・解脱知見香、光明雲(口、偏周法界。 一心奉請。尽虚空、遍法界、微塵刹土中過・現・未来、常住仏陀耶衆・達磨耶衆・僧伽耶衆。 一心奉請。参随三宝、擁護一乗。光明会上、方等位中、外現威厳、内秘慈忍、諸天菩薩・八万金剛・十千天子。 積菩提因、受如来記、在在処処、厳浄法筵、引領群龍、無辺部従、不忘本願、来降道場。惟願普薫証常楽。法 蕊)加持Ⅱ祈祷のこと。祈祷は仏力を信者に加付し、信者にその仏力を受持させるから、祈祷をまた加持という。手に仏 の印契を結び(身密)、口に仏の真言を唱え(口密)、心も仏も心境になる(意密)と、すなわち仏の一一一密と衆生の二 業とが感応して成仏できると説く。したがってそれを実現するように祈るのである。その修法について加持供物や加 持香水などがあり、時には護摩もたく。民間で病人加持・井戸加持・帯加持(安産を祈る)などもっぱら現世利益の 祈祷として広まった。加持祈祷と並称する。〈『中村』{),一念参照) しつら (卯)十方至聖Ⅱあらゆる仏。施餓鬼法会では、設えた施餓鬼棚の正面に、「一二界万霊、十方至聖」と記された木牌を供える。「一一一 界万霊」とは、三界(欲界・色界・無色界)の、総ての霊のこと。迷界を指す。一方「十方至聖」とは、出世間の仏 を指し、この二句によって聖俗総てに対する供養を行なうことを表明する。 (皿)甘露Ⅱ菖貝国・目】②臼の漢訳。神々(諸天)の常用とする飲料。これを飲むと不老不死となるという。その味が蜜の ように甘いと言われることから甘露と言い、陶然とさせる美味なものに対しても用い、酒のこともいう。(『中村』己」閉) (型)六道Ⅱ衆生が作る業によって生死を繰り返す六つの世界。地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・犬道の六つ。(『小 村』で」台『参照} 78
たた 仏・法・榊 唯.の典叩 光り卸く
一心に讃えます、一一一宝に付き従い、一乗の教えを守・り、光明なる法会の中にあって、見かけでは厳粛な姿を
現わし、心中には慈悲と忍耐を隠し持った、諸天の菩薩、八万の金剛力士、一万の天子方を。悟りへの因を積
住である仏・法・僧を。 (N) 南無十方仏南無十方法南無十方僧南無大慈大悲観世音菩薩三遍。 * せかい戒香・定香・慧香・解脱香・解脱知見香を薫じ、光0,ソ輝く〔焚いた香の〕煙が法界に遍く広がる。〔その中で〕
ひたすらたた せかい一心に讃えます、虚空いつぱいに広がり、法界に週き、無数の国土の中の、過去・現在・未来〔の一一一世〕に常
微梱を鑑した●まえ。 びこんてら (3) 一心に奉請す、一二宝に参随して一乗を擁護し、光明なる会上、方等位の中、外に威厳を現じ、内に慈忍を秘 (9) (Ⅲ) どんじよう せし諸天の菩薩、八万の金剛、十千の天子を。華ロ提の因を積み、如来の記を受け、在在処処、法筵を厳浄して、 .(Ⅱ) (肥) 群龍・無辺部従を引領して本願を忘ぜず、道場に来降したまえ。惟だ願わくは並曰ねく薦じて常楽を証さんこと もう (卿〉を。法界人天Jい)亦た是くの如くならんことを。仰いで大慈悲父無上法王に啓す、無作の至慈を弘め、有情への
僧伽耶衆圭と。 そうぎゃやしゆう(7) 界人天亦如是。仰啓大慈悲父無上法王、弘無作之至慈、蕊有情之微梱。 南無十方仏南無十方法南無十方僧南無大慈大悲観世音菩薩一一週 〔校注〕〈二香Ⅱ続蔵本に無し。 * (1) (2) (和) 戒香・定香・慧香・解脱香・解脱知見香、光明なる雲ムロ、法界に偏周す。 ぶじよう(4) ぶつだやしゆうくこだろまやしゆう(6)一心に奉請す、虚空を尽くし、法界に遍く、微塵刹土中の過・現・未来、常住なる仏陀耶衆・達磨耶衆.
79Fi あちこも
み、如来の記を受け、在在処処で開かれる法会を清浄ならしめ、龍神の群れや無数のそのしJじべ達を引き連れて、
本願を忘れず、道場に降りて来られますように。どうか、普く香を蕪じて永遠で安楽なる浬樂の境地を証して
せかい下さい。法界の人々jbまたこのようでありますように。謹んで大慈悲の父であり無上の法王〔である釈迦如来〕
地き物かす土どころうつに申,し上げます。無為なる、この上ない慈悲を弘め、有情への微かな真心を照し出して下さい。
あらゆる あらゆる蚊え あらゆる例Ⅲ十方仏に帰依します十方法に帰依します十方僧に帰依します大慈大悲観世立曰菩薩に帰依します。
*(1)戒香・定評・斌呑・解脱香・解脱知見香Ⅱ血分法身の功徳を各々芥に楡苣える。「Ⅲ分法身」とは、止祀の八つの法〔徳性〕
を身体とする者。究極のさとりに達した聖者〔無学位の羅漢〕と仏が、この五つを具えているという。(『小村』己・弓、 (2)雲台Ⅱ光輝く雲。ここでは薫じた香の煙のこと。(3)戒香…偏周法界Ⅱ焼香、あるいは焚香は、兀来印度に於いて身の垢臭を除く為に始められたものであるが、その煙が
四散することから過至法界の鍵があるとされ、また仏聯を迎諭する行砺となすこともある。ここでは後背の義。(『望月』 (4)奉講Ⅱうやうやしく仏・替雌・諸神などを識ずること。(『中村』ご・]一臣) つぶさ 房」一」(5)仏陀耶衆Ⅱ仏の一」と。『大施餓鬼集類分解』に云わく、「〈仏〉というは、具には〈仏陀耶〉と云う。此には〈覚蒋〉と翻す、
一一一党を術うろ故に。又たく智者〉と翻す、知らざること無きが故に」と。(|〕・た) 中N(6)達磨耶衆Ⅱ法のこと。『大施餓鬼集類分解』に云わく、「梵語には〈達磨耶〉、華には〈法〉と三mう。軌持を以て義と為す。
のつと たし 調く、物に軌って解を生ずるも、向性を任持つが故に」と。({)・台) 己・恩召参照) 参照) 三川繰り返す、’ 80《4》焔口陀羅尼施餓鬼会4、孟茜 阪命釈迦大慈父、無上宝印捻持顕 賜威光摂視佗、受施功徳皆成就。
(胆)常楽Ⅱ「常楽我浄」の上の句。「常楽我浄」とは、ニルヴァーナの四徳のこと。ニルヴァーナは永遠であり(常)、安楽
(Ⅱ)群龍無辺部従Ⅱ龍の群れとそのしもべたち。に満ち(楽)、絶対であり(我)、清浄である(浄)ためである。特に「浬盤経」に説く。(『中村』▽『里)
(旧)無作至慈Ⅱ作為の無い最上なる慈悲。無為なる慈悲。(皿)南無十方仏、南無十方法、南無十方僧Ⅱ「帰依三宝」という。仏・法・僧の三宝に帰依すろを以て、仏教徒たること
を表明する。(、)天子Ⅱ前世に中品下品の十善を修して人中に生じて国王となるもの。諸天に護持せらるれば天子と名く。(『織田』
(9)金剛Ⅱ金剛力士のこと。軌 守る力士。(『中村』ウー侭) ←』←」(7)僧伽耶衆叩Ⅱ僧のこ、と。『大施餓鬼集類分解』に云わく、「梵語には〈僧伽耶〉、略して〈僧〉と日う。此には〈衆和合〉
やく つど おさと翻す。四人己上合会い、聖法を御め、理事和合して、同じく修し同じく証するが故に」と。(ご・怠)
(8)方等位Ⅱ「方等」は、「方広」・「毘仏略」などともいい、広く法を説くことをいう。ここでは法会のこと。(『望月』で・お囚①
つ」山一①) 参照) 施餓鬼会4、孟蘭盆会4)無上宝印捻持門、取伝神呪観世音、起教阿難諸聖衆。我今依経調密語。変遊飯食済群生。願
執金剛・金剛夜叉などともいう。金剛杵を手にとって仏法を守る神。門の左右に立って寺を 81(1) 阪命す釈迦大慈父、 に依って密語を論し、 皆な成就せんことを。 ナムサポートトギャトーポリョキチーエンサンモラーサンモラーキン(4)
製謨薩噸但佗藥路嚇路枳帝崎一一一践曜一一一敗畷咋七通
*大慈の父なる釈迦牟尼仏、無上なる仏の教えを頂く陀羅尼、陀羅尼を伝持する観立曰菩薩、教えを起こした阿
難と諸々の聖者達に全てを捧げます。私は今、経に依って密語を唱え、この飯を〔たくさんの飯に〕変えて〔餓
鬼道に随ちた〕衆生を救おうとしています。どうか威光で照らして衆生を見守り、功徳を授け施していただき、
皆が〔悟りを〕成就致しますように。 ナムサポートトギャトーポリョキチーエンサンモラーサンモラーキン曇謨薩嚇但佗蕊践辮路枳帝蝿一一一敗畷一一一敬雌件七回繰り返す。
*(1)帰命Ⅱ叩いのちをささげて。心からのまことをささげる。たのみたてまつる。自己の身命をさし出して仏に帰趨すること。
(2)総持門Ⅱ総持の法門。「総持」とは、善を保持して失わないようにし、悪は起らないようにする意。諸仏の所説をよ
くたもって忘失しないこと。陀羅尼。(『中村』己・”3)(3)起教阿難Ⅱ『大施餓鬼集類分解』に云わく、「[南無啓教阿難尊者]〈啓教〉と言うは、如来の一代時教は、阿難の結集に因っ
て人天龍宮に流布す。阿難、過去空王仏の所に於いて、己に如来と同時に発心す。今日方便して伝法の人と為ること 帰依。帰順。(『中村』}〕・田切) 襲謨 薩噸但佗藥践騨路枳帝崎三蹴畷三敗畷畔七通. * (3)迦大慈父、無上なる宝印総持髄、神呪を取伝せし観世垂曰、教を起こせし阿難諸聖衆に。我れ今ま経
すぐ語を論し、蕊の飯食を変じて群生を済わんとす。願わくは威光を賜って佗を摂視し、功徳を受施し、
82〈Ⅱ) 道に生じ、一二宝に阪依し、錘 Lぽい 生と法食を同にせん一」とを。 徳無辺尽未来、一切衆生同法食。 神呪加持浄飲食、普施河沙衆鬼》 《5》浄食加持偶施餓鬼会5、孟爾 (4)曇謨薩噌但佗藥践卿路枳帝嘘三祓曜三敗曜咋Ⅱ焔口陀羅尼。この陀羅尼は、『仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼経』 では「無域威徳自在光明殊勝妙力陀羅尼」(弓巴・怠肯)、『仏説救面然餓鬼陀羅尼神呪経』では「一切徳光無鼠威力 陀羅尼」(弓囚」・急ぎ)と名づけられている。釈尊が前世バラモンであった時、観世音菩薩、及び世間自在威徳如来 の所で受けた陀羅尼であり、この陀羅尼を呪すれば、その功徳により、餓鬼はおろか、バラモンや仙人に到るまで、 無量の飲食を施与することが出来、更に彼らを天上または浄土に生れさせることが出来るとされる。意味は、「一切 の如来に剛られしものに(または、、切の如来と観〔脚在菩薩〕に)、帰命いたします。オーン、集めたまえ、染め たまえ(または、養いたまえ、養いたまえ)、フーン」。訳と詳細は、木村俊彦・竹中智泰『禅宗の陀羅尼』(大東出 版社・二○○三年.「)・’3‐-9)参照。 * (1) (2) (3)
神呪もて浄飲食を加持し、普く河沙衆鬼神に施す。願わくは皆な飽満して慢心を捨て、即ち幽冥を脱し、善
おこ に生じ、一二宝に阪依し、菩提を発して究寛じて無上覚を成ずるを得、功徳、尽未来に無辺にして、一切の衆 を示す。故 と。(己・巴) ひら 故に啓教と隅う。又た専ら施食の教法を啓く。故に『開甘露門』には「起教阿難」と称す。此れと同意な肌ソ」 施餓鬼会5、孟蘭盆会5) 普施河沙衆鬼神。願皆飽満捨樫心、即脱幽冥生善道、販依三宝発菩提、究寛得成無上覚。功 83* ダラーー 腕側 魚欧の鬼俳述 物伽しみ
神呪にて清らかな食物に加持し、広く河沙衆鬼神に施します。どうか皆が満腹になって、樫の心を捨て、す
飯処遡 稗い所ぐさま幽冥から脱して善趣に生まれ、一二宝に帰依し、菩提心を起こして無上の悟りを成ずることが出来ますよ
うに。〔そして、その〕功徳が未来永劫限りなく〔続き〕、一切の衆生と法食を共にしますように。
*(1)神呪加持浄飲食…Ⅱ以下の八句は遵式の「施食法式」〈『施食通覧』・ロ一○一・画]、ウ)に見える。
(2)樫心Ⅱ自分のものを他人に与えることを惜しむ心。ものおしみや貧りの煩悩が心を糧って、布施の実践を不可能にす
ることをいう。六蔽心の一つ。これをなおすためには、布施と無常などを念ずることを必要とする。(『中村』ロ・患、) (3)幽冥Ⅱくらやみ。暗黒。迷いの暗黒。無明をたとえていう。(『中村』で・己恩)ここでは、地獄や餓鬼道といった地下 (6)施甘露水陀羅尼施餓鬼会6、孟蘭盆会6)南無素噌幡耶恒佗掲多耶恒姪佗嘘素噌素噌幡嚥素噌幡聡素噌莎詞一七週
* ナムスリョポヤートトギャトヤートジトーエンスリョースリョーポヤスリョーポヤスリョーゾ(モラーT)南無素噌旙耶恒佗掲多耶恒姪佗崎素噌素噌蟠曝素噌幡曝素噌莎訶一七通.
* 十ムスリョポヤートトギャトヤートジトーエンスリョースリョーポヤスリョーポヤスリョーソ(そうI南無素噌幡耶但佗褐多耶恒姪佗嘘素噌素噌幡畷素噌幡嚥素噌莎訶一七回(Ⅱ七Ⅲ)繰り返す.
(3)幽冥Ⅱくらやみ。塒 の暗い世界のこと。 (4)善道Ⅱ善い所。天‐ 天上・人界の二趣。天などの善趣。六道の中で、比較的に楽しみのある境界。(『中村』で.、巴) 84《7》五如来(施餓鬼会7、孟蘭盆会7) 南無多宝如来南無妙色身如来南無広博身如来南無離怖畏如来南無甘露王如来 雌識識鍵三婆卿鞭日朧解:一過人廠鳴尺一下。 * (1) 南無多宝如来南無妙色身如来南無広博身如来南無離怖畏如来南無甘露王如来 オンギャギャノーサバハーヴァジュラーホウ(2) (3) 崎識識曇一一一婆辮蝋日嘱餅三遍して座に入り.鴫尺すること|下す. * 多宝如来に帰依します妙色身如来に帰依します広博身如来に帰依します雛怖畏如来に帰依します 甘露王如来に帰依します * (1)南無素噌幡耶恒佗掲多耶但姪佗崎素噌素噌幡畷素噌幡畷素噌莎訶Ⅱ施甘露水陀羅尼。『輸伽集要 救阿難陀羅尼焔口軌儀経』(『巴・合Ce)の中に見える呪。ただし『焔口軌儀経』では、「嚢謨素噌播耶担他識畷野 但傭也他魔素噌素噌鉢曝素噌鉢曜素噌娑嚇賀」とする。この陀羅尼を呪すると、飲物・食物・水は 全て無職の乳、及び甘露水に変化し、また一切の餓鬼の喉を開き、彼らと餓鬼達に豊富に、しかも平等に喫せしめる とされる。意味は、「妙なる姿の如来(妙色身如来)に州命いたします。すなわち以下のごとし。オーン、流れ出で たまえ、流れ出でたまえ、さらに現われ出でたまえ、さらに現われ出でたまえ、スヴァーハー」」。(前掲『禅宗の陀 羅尼』己」g) 85
オンギャギャノーサパハーヴァジュラーホウ 雌識識鍵三婆卿鞭日畷餅:一M帆えて服に入り、尺を一唖鳴らす。 *
(1)南無多宝如来.:南無甘露王如来Ⅱ現在の禅宗では通常「七如来」(①宝勝如来.②多宝如来.③妙色身如来.|④広博
身如来。⑤雛怖畏如来。⑥甘露王如来.⑦阿弥陀如来)で構成されているが、ここでは②③④⑤⑥の五つを取る。『焔
口餓鬼経』では、②③の⑤の四つで「四如来」とするが、ここではそれに⑥を加えた「五如来」としている。しかし、
宝勝如来と多宝如来、甘露王如来と阿弥陀如来はそれぞれ同一異名の如来であるから、本来ならば五如来を説くだけ
*南無多宝如来Ⅱ「南無」は州命・帰敬・帰礼・敬礼・信従などと漢訳する。帰順して信じることの表明。「多宝如来」
は宝生(宝勝)如来のこと。なくなられた後に『法華経』[見宝塔品十]の説かれるべき在々処々に出現して、〈そ
のとおりだ〉(善哉)と唱えることによって、それを証明しようという本願をもつ仏のこと(『中村』Pmg)。真言密
教の金剛界曼陀羅は、大日如来を中心に周囲に四つの仏を配することによって構成され(五如来)、多宝(宝生・宝勝)
如来は、その南方に位慣する。『人施餓鬼集類分解』では、「此の名号を唱うれば、無数の餓鬼、之れを聞いて貧窮を
おしんみ ものおしみ枢じて福徳円満す」(ご・@m)と述べ、更に「夫れ以れば、過去に樫格の旧因を結んで、現世に貧窮の賎果を熟す。是
まさの故に水に向えば火と化し、食を得れば炭と成る。無福の餓鬼、無財の餓鬼、是れなり。今ま方に多宝如来の尊号を
隅うれば、困粁の業囚を脱して、常楽我浄の法味を受く」(同上)と述べて、財の功徳があるとする。
あ,)ゆく*南無妙色身如来Ⅱ「妙色身如来」は阿閑如来の一)と。五如来のうち、東方に位置する。『大施餓鬼集類分解』では、「此
のどの名号を唱うれば、咽は針の如く、腹は山の如くにして醜形飢渇する餓鬼、妙色身と転ずるなり」と述べ、更に、「夫
勵鬼せかい はえ }」し」 はしれ閑戻多の道は、身色土炭、頭髪蓬乱、臭毛の身に生ること針の如く、腹は太にして山の似く、手足は筋よりも細く、
じが唾ちあおじしわが飢渇の苦悩、自ら忍び難し。是に於いて如来の宝号を喝うれば、皆な妙色身と変ず。臂えば蝶の桑虫を祝って『似我
で1分であると言えよう。 宝勝如来と多宝如来、甘》 口餓鬼経』では、@局猯罵 86(2)嘘識識曇三婆噛鞭日曝解Ⅱ「虚空蔵真言」と呼ばれ、『大日如来剣印』(目、.こ『四)等に見える。意味は、「オーン。 虚空より生まれし者よ。金剛なるものよ・ホーホッ!」。因みに宋代の宏智正覚は、「降誕会」の上堂の末にこの真言 を唱えてk堂を終えている。(『宏智語録』巻四・弓盆・仁ご)施食とは直接無関係な陀羅尼であり、五如来の称名とセツ 〃
類我(我に似、我に類せよ)』と唱う》(『雌は、土大の錘鋤の類、《蝿に空飛の羽虫と成るが如し。況や如来の神呪、加
持の力をや」(|)・&)と述べて、餓鬼が第八地以上の菩薩に転ずる功徳があるとする。 *南無広博身如来Ⅱ「広博身如来」は、真言密教の教主である大日如来の異名。密教ではあらゆる仏菩薩の中で最高位 のどひ にあるIこされる。五如来のうち、中央に位置する。『大施餓鬼集類分解』では、「此の名号を唱うれば、餓鬼の咽喉広 る 博うして食を受けて飽満す」(ご・&)と述べて、食の功徳があるとする。 *南無離怖畏如来Ⅱ「離怖長如来」は、釈迦如来の異名。五如来のうち、北方に位置する。『大施餓鬼集類分解』では、「此 せめ おそれ の名号を喝うれば、餓鬼、刀杖の呵責を免れて一切の怖畏を雛ろ」(で・の『)と定義し、更に、「餓鬼道は但だ飢渇の苫 せま はな に逼迫らワ()るのみに非ず。致る所、恐怖多し。今、怖畏の念を離却れて安楽の妙境に証入せしむるは、即ち是れ如来 の功徳力なり」(▽g)と述べて、あらゆる責めや畏れから離れる功徳があるとする。 *南無甘露王如来Ⅱ「甘露王如来」は、阿弥陀如来の異名。五如来のうち、西方に位置する。『大施餓鬼集類分解』では、「此 の名号を隅うれば、無数の餓鬼、甘露の飲食を服するに非ざるも、如来上妙の法味を受くることを得て、甘露の飲食 蛾趾ごちそうたちどころ と成して、悉く將難を児る」(己.⑦の)と述べ、更に、「議し閉多道は、鮮膳の美食j⑩)処に士炭に変じ、消涼の冷水も火 と為り血と為る。皆な怒業の刀を以てなり。今、甘露王に州依すれば、臭悪の械食も八砿の上味と化し、七粒の心施 も七七剛と成る。猛火深垢の、澗涼の玉池と変ずることは、皆な仏力善業の力を以てなり」(同上)と述べて、飢え 卜であろうと思われる。 を免れる功徳があるとする。 87《8》破地獄偶(施餓鬼会8)
諸仏子等、若人欲了知三世一切仏、応観法界性一切惟心造。此一偶出華厳経。昔人対冥官諦之、見地獄相、皆
悉破懐。世伝為破地獄偶。蓋言其略也。使広言之、此偶不惟破地獄、至十法界悉皆能破。何則原夫一一一世無仏、
法界何性、依此一心、而皆建立。了知此心、無相無体、非色非空、不有而有、不無而無。以不有故、十法界収
帰毫末。以不無故、一一一世仏随処出生。所以云、青青翌竹尽真如、鯵騨黄花皆般若。審如是、則四生六道、令是
ふた(3)鳴尺Ⅱ「尺」は音声を発するための仏具の一種。主に授戒会に川いることから「戒尺」とも言う。無著道忠云わく、「晦刈
止幽さ津1脚色 l向き ややつの小木。一は仰一は術にして、仰の者は下に在りて、梢大な陰り。上なる者を把って下なる者に擬して、雛ちて之を
鳴らす。受戒に専ら之を用う。故に戒尺の称を得たり。余、古徳の受戒の具を得るに、其の戒尺の、下に在る者は、
長さ七寸六分、厚さ六分、闘さ一寸一分余り、下面の四辺に纏面有り。上に在る者は、長さ七寸四分、厚さ五分余り、
限っ手 取っ手闇さ一寸、上面の四辺に纏面有hソ。上木の正中に竪に木鉦を安ず。、鉦は長さ二寸五分、高さ七分。鉦を把って之を
撃つ(両小木。一仰一傭、仰者在下、梢大。把上者、擬下者撃而鳴之。受戒専用之。故得戒尺と称。余、得古徳受戒
と具。其戒尺在下者、長七寸六分、厚六分、闇一寸一分除、下面四辺有纏面。在上者、長七寸四分、厚五分除、闇.寸、
上面四辺有継耐。LL木正中、懸安木鉦、鉦長二寸五分、岡七分。把銃撃と)」。(中又出版社本『禅林象器愛』で。『患ご「『患色)
帰毫末。以不無故、三世仏陀 (▲) 自心。八難三途、元非佗得。〔校注〕(一)元Ⅱ原本・続蔵本ともに「元」に作るが、文意によるに「元」の間違いであろう。
* (1) た諾もろの仏子等よ、「若し人一二世一切の仏を了知せんと欲せば、応に法界の性は一切惟だ心の造りしものと
88(2)い 会が) 観ずべし」と。此の一褐は『華厳経』に出ず。錘曰人、冥官に対して之を諭し、地獄の相皆な悉く破懐すろを見 けだ 山} 先』 れぱ、世に伝えて「破地獄の侭」と為す。蓋し其の略を言うな貼り。使し広く之を言わば、此の偶惟だに地獄を (4) たず 破るのみにあらず、十法界に至るまで悉く皆な能く破す。何となれば則ち原ぬるに夫れ二一世に仏無くんば、法 (』①) 界何をか性とせん。此の一心に依恥りて皆な建立す。此の心を了知せぱ、相無く体無く、色に非ず空に非ず、有 ならずして有、無ならずして無なり。有ならざるを以ての故に、十法界、毫末に収帰し、無ならざるを以ての ニレニ」し]((b) 故に、一一一世の仏、随処に出生す。所以に云う、「青青たる翠竹は尽く真如、鯵鯵たる黄花は皆な般若なり」と。 JU 合r)(且」 (伽》 審し是くの如ければ、則ち四生六道、全く是れ白H心、八難一一一途、元より佗より得るに非ず。 * すべてはっきり》 せかい すべて もろjい)ろの仏弟子たちよ、「もし〔過去・現在・未来〕三世の一切の仏を了知h”たいならば、法界の本性は一切〔仏 こころつぐ み ことば の〕惟心で造られたJDのであると観なくてはならない」と。この一喝は『華厳経』に出てくる。むかしある人が とな ありさま 冥界の役人に向かってこ〔の偶〕を調えると、地獄の相がことごとく破壊されるのを見たので、〔後の〕世に「破 地獄の偶」として伝えられた。思うに、〔これは〕その〔内容を〕省略して言ったものだ。もし詳しく言うならば、 ぜんせかい この偶は地獄を破〔壊〕するだけではなく、十法界に至るまですべて破〔壊〕することができる。なぜかと〔そ せかい の理由を〕いうならば、〔過去・現在・未来の〕一二世に仏がいないならば、法界は何を本性と〔して成立〕する こころ なりたつ すがた かたち であろうか。一)の〔仏の〕一心によって建立ているのだ。〔この心は〕相もなく〔実〕体もなく、色もなく空っぽ ぜんせかい でjもなく、有るのではないが有り、無いのではないが無い。有るのではないから、十法界は毛先〔ほどのこま あらわれ かいところ〕に収まり、無いのではないから〔過去・現在・未来〕一一一世の仏はそれぞれの場所に応じて出生る みどり二とごと のだ。だから「青々とした翌の竹は尽く〔あるがままに〕真理その』粉)のであり、咲ききそう黄色い花は皆な〔さ ちえ とりの〕般若である」と言うのだ。もしそうであれば、このようにすべての生きjい)のや迷いの世界も、すべて 89
自らの心〔から生じたもの〕であって、〔仏法に出会うことが出来ない〕八種類の環境や〔地獄・餓鬼・畜生の〕 ほか 二一途ももとより〔自らの心の〕他からやってきたのではない。 * (1)法界Ⅱ事物の根源。法の根源。大乗仏教では、この全宇宙の存在を法、すなわち真理のあらわれとみて、これを真如 の同義語に使う。そしてこの法界は真理そのものとしてのブッダ、すなわち法身と同義である。また法界性とは法界 の本性。(『中村』己」いち、同で」山g) (2)錐厳経Ⅱ八○巻本『蕪厳経』巻一九(弓S・-局四~ウ)に見える。 (3)冥官Ⅱ冥北の役人。冥界の官僚。地獄の閻魔庁の役人。(『中村』己」g①) (4)十法界Ⅱ十の世界の意。十界に同じ。迷いとさとりの世界を十種に分けたもの。すなわち、地獄界・餓鬼界・畜生界・ 阿修羅界・人間界・天上界・声聞界・縁覚界・仏界。〈『中村』で・患]‐gい) (5二心Ⅱ究極の根底としての心。万有の実体真如をいう。|とは平素絶対の意。心は堅実性を表わす。あらゆる現象の 根源にある心。宇宙の事象の基本にある絶対的な真実。(『中村』▽g) (6)所以云、青行翠竹尽真如、繊櫻黄花皆般若Ⅱ『碧巌録』第九七則・本則評唱(岩波文叩本⑦.p巴、)にそのまま見える。 戯化は『新字源』に「菊の別狢」(ご・$eとある。 (7)四生Ⅱ四種類〈胎生・卵生・湿生・化生)のあらゆる生きもの。いのちあるもの。迷いの世界のあらゆる生きもの。 またその生きものをその生まれ方の相違によって四つに分類していう。(『中村』己・紹巴 (8)六道Ⅱ衆生が業によって生死を繰り返す六つの世界。迷いの世界。六趣に同じ。地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道. (9)八難Ⅱ仏を見ず、仏法を聞くことができない境界が八種あるのをいう。(『中村』□・巨巨) 天道をいう。(『中村』で』怠『) 90
《9》六道施餓鬼会9) 良由情存愛見、跡渉嘩 心根欲愛、識負聡明、 以之流伝。是謂人道。 欲愛兼順、而生勝見、 如是三類、雌具信根、 愛見人心、而生貧業、 欲貧不息、展伝成痴、 十習不断、六交続綴、 如是三類、既岡善因、 前三善類、後三悪倫、 身、身還造業。従心鈩 (⑪) 欲愛兼順、而生勝見、闘諏不息、狼戻愛亡。。有福天倫、無福鬼趣。是謂修羅道。 如是三類、雌具信根、全該有漏、随業廼昇、名三善道。 愛見人心、而生貧業、妄求不足、日夕懸情。如是貧業、在内則為渇為飢、在外則為風為焔。是為餓鬼道。 欲貧不息、展伝成痴、情想変動、逐業昇沈、鱗甲羽毛、態状千万。名畜生道。 十習不断、六交続綴、剣奔火山、鉄輪湯鍵、倒懸飛墜、執縛勘磨、八寒八熱、以至無間、名地獄道。 如是三類、既岡善因、復滋貧等、虚空有尽、此苦莫窮。名三悪道。 前三善類、後三悪倫、通名六道。如是流転、動経塵劫、或不回心向道、岡有出期。何以知之。古教謂、因業受 身、身還造業。従心起境、境復生心。故知、業‐田身造、境目心生。処処遷流、念念輪転、従生至死、自始至終、 如象溺泥、似蟻旋磨。是故吾仏大沙門、於無所見処、興大哀燗、以無作妙力、熱而為香則普璽、散而為花則遍 布、然而為灯則倶照、酒而為水則均沿、献而為果則無不荘厳、施而為食則皆獲充足、乃至諸法之財、随其所求 而倶獲。是謂七種妙供、一味真慈。於諸仏念念出生、在衆生各各具足。 〔校注〕(一)志Ⅱ続蔵本は「意」に作るが、原本は「忘」に作る。 * 今》(←』9戸」 ・F( (10) (扣〆』) 良に情、愛見を存し、跡、勝縁に渉るに由る。五戒之を以て奉持し、十善之を以て修進して、報縁会過せば、 (句⑪)』.←(0拍) 切利白H・り凹空に至る。是れを天道と名づく。 跡渉勝縁。五戒以之奉持、十善以之修進、報縁会遇、自切利而至四空。是名天道。 聡明、動不離於五常、居不忘乎百行。自三教九流、四民万姓、貧富貴賎、善悪賢愚、但循業輪、 91
欲貧、 名づく。 十習、 道と調う。 欲愛、帽 賎、善悪函 三悪道と名づく。 やや ふも かえ