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公開研究会「新科目『公共』(仮称)を考える」報告

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2016(平成28)年1月30日,東京学芸大学附属 竹早小学校を会場として「新科目『公共』を考 える」公開研究会が開催された。新科目「公共」 (仮称)(以下,「公共」と略記)の具体的な中身 についての情報がさほど伝わってこない現状に おいて,学会として学術的な観点からの取り組 み・議論を進展させていく趣旨での開催であっ た。タイトな準備日程の中での開催であったが, 当日は70名近い参加者があり,その関心の高さ が窺われた。 当日の流れは次の通りである。 司会者 谷田部玲生(桐蔭横浜大学),磯山 恭子(静岡大学) ○新科目「公共(仮称)を考える」を巡って 坂井俊樹(東京学芸大学) ○問題提起 ・公民科教育の観点から「公共」について考 える 工藤文三(大阪体育大学) ・現代の若者の公共性を考える ─シャカイ圏と民主主義の関わり─ 中西新太郎(横浜市立大学名誉教授) ・教室から見た高校生の姿と「公共」 渡部純(福島県立福島商業高校) ○質疑応答 以下にそれぞれの報告概要を記していく。「公 共」に関する情報や議論の様子を会員の方々に 伝え,今後の議論を進展していくために,少々 長い報告概要となることをご容赦いただきたい。 1.坂井氏の報告 新科目「公共(仮称)を考える」 ・経緯と現状 「公共」設置の直接的な起点は,2010年頃か ら政治的なレベルでの道徳的な問題意識(規範 意識の低下や個人と社会との関係の希薄化)を 組み入れた政策提言に見いだせる。その後,18 歳選挙権の法制化(2014>6)や高校における政 治的教養の教育と生徒の政治参加等に関する文 部科学省通知(2014>10>29),そしていわゆる 「論点整理」(中央教育審議会教育課程特別部会) で「歴史総合」「地理総合」とともに「公共」の 設置が記されたという流れがある。 2015年11月から中教審教育課程部会の中に 「社会・地理歴史・公民ワーキンググループ」と 「高等学校の地歴・公民科科目の在り方に関する 特別チーム」(以下,「高校特別チーム」と略記) が編成された。だが,現時点で「公共」は「歴 史総合」や「地理総合」とは異なり,文科省研 究開発学校の施行及びその検証結果を踏まえな がらの議論がなされていない状況である。そう した状況に対して,日本学術会議では人間形成 の観点から議論するべきという危機感を持って, 2015年12月25日に「市民性の涵養という観点か ら高校の社会科教育を考える」委員会を発足し, 提言を作成し始めている。 ・3つの検討課題 漓公共それ自体に関する学術的な検討課題 公共それ自体の概念定義を明確化する必要が ある。そもそも公共,公共空間とは何か,かつ その社会的な機能あるいはその空間を支える 人々の協働「Coproduction」とは何かについて 解明する必要がある。

公開研究会「新科目『公共』

(仮称)を考える」報告

重 松 克 也

Report of “Open Workshop for New Subject, Tentatively Named Koukyo”

Katsuya SHIGEMATU

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「高校特別チーム」12月21日配布資料で記さ れている「公共」についてのイメージは,市民 社会論的な視点からすると公共の意味するとこ ろが判然とせず,その点は教科設定の時には特 に重視される点である。また,同資料での「協 働」についても,多様な意見を持つ者たちが真 に対立した場合,それを社会科としてどのよう に位置づけていくのかという問題についても検 討を要する。 滷「自立した主体」に関する検討課題 「自立した主体として社会に参画し,他者と協 働するために」(既述の配布資料)では四領域の 主体について記述されている。「政治的主体にな ること」,「経済的な主体になること」(キャリア 教育の中核),「法的主体になること」「様々な情 報を発信・受信する知的主体となること」であ る。「自立した主体」の中身をそれら四領域のみ で捉えてもよいのか,例えば文化的な主体を組 み入れる必要があるのかないのかについて議論 が必要である。 澆「政治的指導」に関する検討課題 「多様な価値観や生活意識の人たちとの協働の 観点から,公正に判断し合意形成する力」に関 わって,当事者意識を育成する指導が必要では ないか。「公正」は例えば弱者に視点を当てる と,弱者ではない者にとって不公平となる場合 もある。そこでの合意形成について絶えず評価 し問い続ける主体を指導する具体的な営みが求 められる。(挿入:同資料の教育スタンスは-筆 者)「単に外側で社会認識を生むことではなく て,個ということを置きながら社会との接点を つなぐ」ことであり,そのためにも「社会の問 題を考えた時に外側からだけ考えるのではなく て内側に入った思考を要する」という当事者意 識の育成が必要である(「 」内は研究会当日の 報告記録からの引用)。また,政治教養教育に関 しては,子どもの権利条約第12条の「意見表明 権」を位置づけていく視点も必要である。 以上の検討課題を踏まえて,工藤氏には「公 共」が高校公民科の中に位置付けられた意味を, 中西氏に若者の意識を勘案する必要性から現代 の若者の「シャカイ圏」と公共性の関係性を, 渡部氏には「公共」を軸とした実践の実際と課 題について,発表していただく。 2.問題提起 以下,配布されたレジュメの項目ごとにその 概要を記する。 ○工藤氏の報告 「公民科教育の観点から『公 共』について考える」 教育課程の基準は学習指導の内容としてわか りやすく示す必要がある。例えば「幸福」,「正 義」,「公正」を理解概念とする教科書ではどの ような内容を扱えばそれが理解できるかが不明 確となり,教育現場も困惑する。アクティブ・ ラーニング等の学習活動は従来であれば内容の 取り扱い,指導計画作成等に書かれる事柄であ る。「公共」が目指す「自立した主体」も指導さ れるべき内容として明示される必要がある。そ の際には他教科や地歴科との関連性を踏まえた 履修単位数の設定等を含めて,検討されなけれ ばならない。 1 教育課程に関する政策決定過程 教育課程行政が担当する事柄はその前段とし て,次のような政策決定のアクターがある。ま ず関係する主要なアクターとして,ア 国会,政 権与党(自民党政務調査会,文部科学部会等), イ 地方行政機関:地方自治体の首長や教育長 等,ウ 学校教育関係団体:校長会・研究会・学 会・PTA 等,エ その他:教職員組合,経済団 体,業界,他省庁等がある。政治のプロセス過 程で様々な要求が政治過程の中に入ってきて, それがインプット関係に入り,教育課程にも入 ってくる。それを取捨選択する場面があって, 重要なものがフィルターを通って入ってくるの である。 教育課程行政は,そうした主要なアクター及 びそれぞれのフィルターを通して入ってきた課 題を対処する。ある所でのフィルターにかけて 大事なものは選択して,大事ではないものは何 らかのかたちで後回しにしたり,対応を考えた りするのである(他省庁間での要望書等の調整 がなされる場合もある。) 地理や歴史の学校教育関連団体は専門家と教

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育現場とのつながりが深く,そのフットワーク は軽いが,公民はそうではない。また,それは 公民についての認識の仕方・枠組み・方法があ る一定のまとまりを持ち得ていない課題がいつ も教科としての基盤を揺らされる要因としてあ り,学会の課題かもしれない。 2 [公共」をめぐる動き 「自民党政策集Jファイル2010」では「公共」 創設は「道徳教育」,「市民教育」,「消費者教育」 との推進を図るものとして位置づけられている。 また「同党文部科学部会プロジェクトチーム, 新科目「公共」の設置提言」(新聞報道でしか確 認できないが)では「高校の教育内容と実生活 で必要な基本的人権,態度」とある。同プロジ ェクトチームでは藤原和博(元杉並区立中学校 長)らへのヒアリングを開催しており,「よのな か」科的な教科を参考にしているかもしれない。 同提言が想定する「公共」は学習内容として 「防犯・防災,法や訴訟を含む規範意識,投資」 を挙げている。また「中教審への諮問(2014> 11>20)」では「教養と行動規範」,「主体的に社 会に参画し自立して社会生活を営むために必要 な力」が記されている。 いわゆる「論点整理」(2015>8)では,共通 必修科目というのが打ち出されているが,「現代 社会」,「倫理」,「政経」との関係については記 されていない。「現代社会」を廃止するのか,そ の際「現代社会」についての検討はなされたの か等についても,未だ情報がない。 「公共」が社会的職業的な自立に必要な力の育 成としてキャリア教育の中核とされていること に,違和感がある。キャリア教育は今回の平成 20年改訂の3年後ぐらいに中教審がキャリア教 育の汎用的能力を4つの汎用的能力にまとめて いる。公民科に関わらず全教科で扱うこととし, 研究指定校を設置して取り組んできた。そうし た動向とキャリア教育の中核としての「公共」 との関係性が判明せず,具体的な指導内容が明 示されていない。 3 高等学校の教育課程の特色 教育基本方針が決まって各科目が決まる。昭 和53年改訂で開設された「現代社会」では,共 通基礎科目がまず決まり,教科ごとの検討とさ れた。高1段階では共通履修科目という大前提 が設定され,社会科での検討となったという事 例が紹介された。なお,社会科の基礎科目を作 っていれば社会科は2つに分かれなかったかも しれない。 4 公民科(社会科における公民系科目)の内 容構成 公民科の内容構成理論は未だ明確ではなく, 私見に過ぎないが一つの内容構成を示す。「ア 政治,経済,社会,倫理,文化,青年」,「イ 原 理・理念,制度・機構,事情と動向,課題・問 題」,「ウ 国家,国際,地方」の組み合わせで内 容が構成されると考える。アの政治は意思決定 や資源配分等の機能を,経済は市場システムを 通じた資源,財産の配分という機能を内容とす る。イは例えば市場機構,法の支配,制度機構, 統治機構,国際関係等と事情・動向(日本経済 の再建にいかに取り組むか,政治の動向,政党 の動き等)である。ウは空間概念である。公民 の内容はア∼ウの組み合わせでおおむね構成さ れている。ただその組み合わせからすると,少 し異質な「倫理,文化,青年」が入っている。 近年の動向として見方・考え方が強調されて いるが,その研究は少なく,また地理や歴史と 比して研究蓄積がない。それが「公共」に関す る様々な議論に主軸を設定できない要因ではな いか。 5 [公共」をどうとらえるか (1)導入の手法について 「現代社会」の現状と課題について評価がなさ れたのかどうか,あるいは公民科教育の評価が なされたのか,今の高校生における社会参加の 意識に関するデータがあるのかどうか,それら の現状と課題について多角的にも検討されてい ないのではないか。 (2)科目の名称,位置づけ 「公共」の名称は地歴との関係でいうと,「公 民総合」あるいは「公民基礎」ではないか。ま た,「公共空間」における「公共」や「空間」と いう言葉で,「公共」の指導内容との関係を整理 していく課題がある。

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また,履修方法はどうするか。「公共」が必修 になった場合には2単位で,倫理・政経はおそ らく残ると推測される。「現代社会」は4回ほど の改訂の都度,内容構成・方法原理が揺らいで いる。また「公共」プラス倫理,政経となった 場合に,並列科目のかあるいは系列的科目かと いう点も今後の課題である。 6 [公共」(「たたき台案*」)を手がかりに *教育課程部会社会・地理歴史・公民ワーキ ンググループ「公民科新設科目の方向性と して考えられる構成漓,滷(たたき台)」 1月28日配布資料-筆者。 「たたき台案」は審議途中であり,その担当者 は相当苦労されている段階だといえる。また同 案がそのまま学習指導要領の大項目となるかど うかも不明であるが,現段階での検討をしてい く。 同案では「(1)『公共』の扉」があり,続い て「(2)自立した主体として社会に参画し,他 者と協働するために」,「(3)持続可能な社会づ くりの主体となるために」という流れになって いる。「(1)『公共』の扉」と「(2)」との関 係はまだ整理されていないといえる。また, 「(1)『公共』の扉」の中に「(ア)公共的な空 間に生きる私たち」があるが,自分らしい生き 方をとりながら自らを成長させていくことの意 味することが読み取りにくい。 また具体的な指導内容や学習内容をイメージ できない。人間は社会的存在であるということ を認識し,対話を通して心を高め合う。それは 教育内容なのか,あるいは具体的に何を指導す ればいいのかが,分かりにくい。坂井報告にあ った「協働」も様々な場所で多様化されて使わ れており,分かりにくい。吟味し続けながら使 っていく必要がある。 「(1)『公共』の扉」の中に「イ 公共的空間 における人間としての在り方生き方」が位置付 けられているが,社会において公共的空間とは 何を意味しているかが不明確である。イの下に は「社会に参画し,他者と協同する倫理的主体 として個人が判断するための基準となる」基準 が記されている。判断基準はそれほど簡単なこ とではない。概念という言葉も同様である。幸 福,公正,正義も概念だとしても,概念を基準 として判断するというのはそう簡単なことでは ない。概念,基準,協同等の分かりにくい言葉 が同案には使われているという印象である。 ○中西氏の報告 「現代の若者の公共性を考える ─シャカイ圏と民主主義のかかわり」 1 公共/公共性(公共圏)の問題圏 議論の出発点として,公共や公共圏は一義的 に確定できないという点を踏まえる必要がある。 公共/公共性(公共圏)public, die Öffentlichkeit の観念は,ユルゲン・ハーバマスが論じたよう に,当の領域が歴史的に変容してきたものであ り,西欧近代のみならず,日本においても,一 義的に確定されるものではない。東島誠が日本 における公共という観念は一体あるのかないの かという問題関心から,明治期に「江湖」とい う言葉がいかに変容していったのかを分析し, 日本における公共圏というそもそもの問題設定 の難しさについて明らかにしている(東島『公 共圏の歴史的創造 江湖の思想へ』東大出版会 2000)。 また,国家と市民社会という対置図式におい て前者を〈公〉,後者を〈私〉と単純に規定しえ ないことはもちろん,近代の親密圏に関する検 討に示されるように,公共圏と私圏(親密圏) とは截然と区分されているわけではない(齋藤 純一『公共性』岩波書店2000)。 イギリスのシティズンシップの教育等ではマ ーシャルの市民権概念の拡張という20世紀初 めの議論をベースにしながら,おそらく civic education の中で市民権というカテゴリーを核 に据えながら,教育内容等を構想してきた歴史 がある。その場合にも,市民的公共性の内実は 一義的でも固定的でもなかった。 また公共/公共性(公共圏)のそのような可 変性・流動性は誰がこの圏域の「主体」に位置 づけられるか,さらには,そもそもそうした固 定した主体(たとえば市民的主体)を想定しう るかといった問題と不可分にかかわっている。 その主体のあり方を,現代の日本の若者のリ

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アリティに即して見ていくことで,逆にその公 共というもの,あるいは公共圏というものをど ういうふうに捉えるのかということのヒントに なればいいかなというのを,報告の趣旨とした い。 2 社会的排除と政治的社会化の課題 2-1 社会化 社会化にはおそらく3つの次元がある。キャ リア教育の話が出ていたが,これは経済的自立 とも言い換えられる。通常,世間では一人前に なるというのは自分で生活できるような職業的 自立を遂げるということとされている。また教 育や心理の世界で成長・発達という人格的自立 がある。そして政治的社会化,市民的自立とい われ,公共が最も密接に関わる社会化がある。 大衆社会段階以降の政治的社会化の中に,親密 圏におけるポリティクスも含まれる。 2-2 社会的排除の感覚 いわゆる「黒子のバスケ」襲撃脅迫事件の 被告は人間から排除されて,人間ではない存在 として生きてきたと述べている(「意見陳述書 2014>3>13」)。つまり社会の外に置かれた人間 であり,法律の外の存在であり,そういう点か ら無敵だと主張しているのである。これは社会 的排除の極端な例かもしれないが,秋葉原の無 差別殺傷事件の被告が犯行2週間前にはあるサ イトにおおよそ1日200通くらい集中的に投稿 したものにも,ほぼ同じ感覚が読み取れる。 2-3 社会的排除の日本的特質 socialize exclusion というカテゴリーは最初 に,1970年代初めにフランスで貧困の概念の拡 張の一環として出てきた。また1990年代に入っ てイギリスではブレア政権のもとで socialize exclusion をいかに克服するかという課題がシ ティズンシップ教育の中にも入ってきた。文科 省の「参画」は「社会的包摂」と言い換えられ る。 現代日本の若者の状況に即して社会的排除の 問題を考えた時,貧困のゆえにそもそももう社 会の一員として感じられないという状況が高校 生も含めて(全ての高校ではないが)あること はご存知の通りだと思われる。日本の場合,現 実の生活の中でまったく自分がいわば人間の 外・社会の外におかれているということを感覚 的にごく普通に感じているということが珍しく ない。犯罪を犯した人間だけではなく,そうい う状態がより広く存在している。「(挿入:社会 的引きこもりの若者をサポートする NPO に20 年近く関わっている経験からも-筆者)。日本の 場合には社会的排除,つまり社会の外に自分た ちはいるんだっていう,置かれているんだって いう感覚は一般的にいえば,場合によっては小 学校の高学年からそして中学生,高校生での間 ではごく普通の感覚として存在をしているとい うふうに言っていいのではないか。」(当日の報 告記録からの引用) 90年代まで若者は「漂流」という言葉で,バ ラバラになって社会との絆を失ってみんな漂流 して,新宿とかセンター街(渋谷)等で漂流し ている存在として捉えられてきた。しかし,こ れはフィクションである。私たちがイメージす る社会から排除されていることを通じて,自分 たちの社会を作り出しているのである。 社会的排除を与件として作り出される自分た ちを,例えば中学生や高校生は普通にウチらと 言う。このウチらが自前で作り出している社会 を,私はカタカナの「シャカイ」と呼んでおり、 またこのこのシャカイの圏域を「シャカイ圏」 と名づけている。そのシャカイ圏が見えないと, 子どもたちはみんなバラバラで,私的で,社会 的な関心を失った存在ととらえてしまう。それ はミス・リーディングである。 公共や公共圏の中に一人ひとりの子どもが位 置づいていくことを考える時に,シャカイ圏の 中にあるポリティクスをどのようにつかんでい くかについて考えないと,現実のところを見失 うのではないか。 3 シャカイ圏の形成とその特質 3-1 政治的社会化の欠如と代替的な社会化 ある研究者はほぼ90年代半ばくらいまでにお ける日本の企業を正社員体制と呼んでいる。そ こでは政治的関心を持ってはいけない,持って いても表に出してはいけないというのが職業社 会の一種の不文律としてあった。政治的関心を

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持たずに生きることの陶冶が,系統的に追求さ れていたと言える。 しかし政治的な社会化がなかったわけではな い。彼らは自分が排除されずに,ウチらの世界 の一員としてそこに居られるためにはどうした らいいかを相互に保障するためのしくみを作っ ている。それは非常に緻密に綿密に組み上げら れ,編み上げられていくというのがウチらのシ ャカイのシャカイ圏の特質である。 シャカイ圏のロジックを習得するのが始まる のは,最近では早くて小学校3<4年生ぐらいか らであるといえる。高学年の段階ではごく当た り前のようにシャカイ圏のロジックというもの を自分の身で身につけなければいけないという 陶冶が要求されている。中学,高校ではいかに それにこだわらずに,自分がそのシャカイ圏の 中でより自由になるかという問題にぶつかって いくというプロセスがある。 3-2 社会的排除を与件とし,その下で〈生 きられる場〉としてのシャカイ ネット社会というのは公共圏の問題からする と,非常に興味深い。従来の公共圏とウチらの シャカイを一つのベースにするような新しい括 弧がついた公共圏が二重に存在する状況になっ ている。そこでのシャカイ圏はウチらのシャカ イを超えた問題となってくる。例えばLINE で 読まないで既読でスルーしてしまう。これは友 だち関係の事柄ではない。LINE に関する調査 (ベネッセ)に関わったが,中学生は大体15か ら20くらいのグループをそれぞれ違うグループ として編成し,そのグループの使い分けをする ことが基本的なスキルとしている。LINE での 「既読スルー」は私的につまりこの人間関係がま ずいからではなくて,そのシャカイ圏の中での 公共の掟に反する行いとされても仕方ないので ある。 3-3 共感動員 お互いの関係を統御する仕組みの中で重要な のが,私が共感動員と呼んでいるシステムであ る。お互いに私たちはこのシャカイ圏の一員と していてもいいよねと一致して確認し合う強固 なシステムである。それは互いのテンションを 一致させて各人のそうでありたい自己へと向か う姿勢を承認し合うという関係づくりである。 高校生が5<6人で喋っている時,その話は 全く自分にとって面白くなくても,そこに居続 ける。一緒にいて話しているよねというお互い の関係を確認するために,そこにいる。仲良く いるよねという状態を保てない人間はこのシャ カイ圏の公共のルールに反するので,面白くな いからとそっぽを向いているのは良くない。そ れが共感動員の特徴的な姿である。 プリクラを撮る時も,テンションを一致させ, 同じテンションでそこにいるというのも同様で ある。それは排除の対象とされないためでもあ る。 共感動員の仕組みは民主主義とは関係がなく, またシティズンシップ教育の中では絶対に問題 とされないように思われる。しかし,それが私 を超えて,私と他の人との関係をどういうふう に社会的なかたちでとり結んでいくのかという 問題圏の中でとらえるならば,公共や公共圏と いう問題と接続していくこととなる。 3-4 シャカイ圏における排除の構造 共感動員のシステムから排除され,いわゆる 「ぼっち」とならないための基本的に陶冶されな ければならないスキルを身につけなければなら ない。シャカイ圏の中ではお互いの関係のリア リティに即した秩序や上下感覚がある。その秩 序や感覚と異なった民主主義的な平等は建前に しか映らない。何か意見を言うというのはいわ ば「上から目線」とみられる可能性があるので, 自分の意見をありのままに出すことはしないと いうのが,ウチらのシャカイでの常識となる。 4 シャカイ圏を社会へとつなぐ社会(構築) 構想 シャカイ圏の中には排除されることを防ぐス トッパーもある。そのリアリティを現実の公共 や公共圏で重視されるべき事柄といかにつない でいくか。その手かがりの一つとして,デモク ラシーに対して民主主義 democratism がある と考えている。 従来の民主主義は市民の自立を前提にして, 個々の人間が自立していて,自立している人間

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だから平等に相互に関わっていこうというのが 近代デモクラシーの出発点である。しかし,そ れはフィクションに過ぎない。 現実には子どもは大人とそのように関わって はいない。力も違うし,意見も全く違う。違う 人たちが同じ場所にいて,しかも同じ生,同じ 成員としてそこに居られるような条件をいかに 保障するかが,democratism の原理である。 今ここでは自分の言葉でしゃべれない,黙っ ているしかない人も含めてそういう人たちも一 緒に同じ公共圏の中にいる,この社会の中にい ることを保障する。その公共圏のあり方は何か ということを考える時には,民主主義をもう一 度問い直す。従来の公共圏の中だけではなくて 友だちの関係や恋人同士の関係や親子の関係も 含めて,それらを民主主義という枠の中で考え 直していくことが求められていることではない か。 ○渡部氏の報告 「教室から見た高校生の姿と 『公共』」 1 問題提起 学校は基本的には公共的空間ではなく,同質 性が支配しがちな共同体的な空間である。だと すると,学校や教室で公共性を育むとは果たし ていかなることか,それは可能なのか。 2 公共性とは ─「哲学カフェ」の実践から見 える「市民的公共性」─ 2-1 高校「社会科」で育てたい「公共」性とは 公共性を,斎藤純一の知見を援用して次のよ うにとらえている(斎藤前掲書)。 漓誰もがアクセスしうる空間であり,滷複数の 価値や意見の間に生成する空間で,澆何らかの アイデンティティが制覇する空間ではなく差異 を条件とする言説空間であって,空間概念であ る。 高校社会科で育てたいのは,価値の複数性・ 多元性を共存させられる市民的公共性(国家の 方からの公共性とは区別して),それを形成維持 発展できる市民としての資質であると考える。 つまりは「公共」性を能力概念としてとらえて いる。そのように考えるヒントは哲学カフェで の取り組みから来ている。 2-2 「哲学カフェ」とは 2011年5月から取り組んでいる哲学カフェで は,3つの基本的な活動内容がある。漓哲学の 専門知識は必要とせず,基本的にいつ来てもい いし,帰ってもいいという自由な形式で行って いる。哲学と名づけているシンプルなルールを 設定している。対等に話しましょう,他の人の 発言はしっかり聴きましょう,そして対話への 努力をしましょうである。活動内容の滷「当た り前のこと」をラディカルに問い直す。知識の 多い少ないではなく,それぞれの人の意見,判 断,経験の質や論議が問われている点を重視し ている。無論,知識を披露する場合には,参加 者にわかりやすく説明することは必要となる。 澆2つの「対話」の往復というのは,まず他者 との対話をし,基本的には自分自身との対話 (思考)をするというシンプルな営みをしていく 場として位置づけている。 2-3 公共空間としての「哲学カフェ」 参加者に「何を求めているのか」「何が得られ るのか」を書いてもらった。 漓 [私」という存在を他者に受けとめられる空間 「自分がどう思うか考えるかを掘り下げて考え ていけば,たどり着いた答えが何であろうが私 を肯定してくれる人達がいる。それは何にもま さる宝物だと思います」(「 」は参加者の感想を 示す。本節では以下同様)。 「議論という形式によっていろいろな大切なコ トバが踏みにじられてきたのではないか,そん なことも思う。哲学カフェという,どんな意見 にも耳を傾けてみるというスタイルが僕に気づ かせてくれたことだ」。 これはカウンセリングや自助グループの場と は異なる空間,公共的な空間を指し示している。 また,それは共感でもない。確かに共感される 場合もある。だが私ならこう見えるという,自 分とは違うことを示されることで,受け止めら れたと感じる方が多い。 滷 社会的役割から解放された空間 「本当の裸の自分。これを隠して生きることが どれほどのストレスを感じることか。この本当

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の裸の自分をありのままに受け入れてくれる空 間が,哲学カフェである」。 哲学カフェのルールには先述したように対等 性がある。上記の感想を記した方は政治の話等 様々な話がしたいが,友達とすると「野暮だか らできない」。家庭でも家族に「そんなの家です るなと」言われる。どこでも話せないことを語 れる場であると言われる方が多い。 澆 多様性があるがゆえに共有される世界 「私一人ではこの世界のすべてを体験すること はできないので,他の部分,私のポジション以 外の領域を他者が体験してくれる,そうした他 者がいて,その他者と交わることで世界は全体 図を露わにする」。全体が見えない中で,互いに 違う見方を示し合う。そうであるがゆえに,世 界を共有できることについて,この意見は示し ている。 2-4 哲学実践がもたらすもの 漓 目的それ自体となる対話的協働の深化 「異なる価値観どうしの『対話』には,そもそ もの前提から考え直し,合意形成を求めないこ とからうまれるより深いレベルでの『対話』が 可能ではないかと思います。」。 合意形成は社会科教育でも重要な学習として 位置づけられるが,合意形成を求めないから, 対話や思考が深まるという意見はかなり多い。 滷 思考を触発する他者 「一つのテーマに対して,実に多くの切り口が あり,多くの意見がある。決して共感できない とか,理解できないとかいうことはないのだけ れど,それにしてもこの違いはどこからくるの だろうと話を聞きながらつい考えてしまう。」。 これも多かった意見である。 澆 世界観の変容 「哲学カフェに参加して,他者の考えに触れる たびに自分が考えていたことは次々に変容する。 最終的に答えが出ないものも多いが,それでも 参加した前と後では世界が違って見える気がす る。」。 潺 思考の混乱,触発 「そもそも僕自身が,カフェが始まる前よりも ずっと混乱している。自分の意見が揺れ,自分 の論拠を疑うようになっている。心の中で反発 を覚えていた他の方の意見に,いつの間にか共 感していたりもする。不思議だ。でも,その混 乱の中,『(どこかが)開いた』,『(何かが)深ま った』,そういう感じが間違いなくある。だか ら,混乱は不快ではない。」。 哲学カフェに来て,すっきりして帰る人はほ とんどいない。最後のまとめもしないので,多 くの方々はもやもやして帰る。しかし,それが 「不快」ではないと言われる。 潸 思考の持続性,回帰性 「うまく整理できなくて,グチャグチャして て…数日数週間,数か月あるいは数年過ぎたあ る日,パタパタパタってドアが次々に開くみた いに解けるんです。」。 「その後も考え続けることが多い。運転中に思 いついた考えを,慌ててボイスメモに録音する こともある。そうすると,一つのテーマに対し て,かなり長い時間考え続けていることにもな る。それなのに,結論は出ないし正答もない。 でも,それでかまわない。ある物事に対して性 急に結論を出さず,じっくりと時間をかけて考 える機会がある。」。 2-5 民主主義の土台をつくる哲学実践の公共性 哲学カフェを共に開催している小野原雅夫 (福島大学)と共通しているのは,民主主義の土 台を作りたいという思いである。それが市民的 公共性とどのようにつながるか。 漓 「連考」としての対話的協働を形成する空間 「連考」とは佐藤和夫の知見であり,それは前 句の意を汲みながら後句に自分の個性を加えて いく「連歌」を手がかりとした対話方法である。 自分よりも前に言った方の意見や経験をつない で対話して,またつないでいく。それは相手の 意見や経験を潰すことではなく,共同の経験を 通じて,重要なのは「積極的に個人の特質を生 かし,自覚していくという」営みである。それ が市民的公共性のある種の理想なのではないか。 先ほどの中西報告を聞くと,現実的にはなかな か難しいが,楽しい場である。

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滷 ラディカルな思考の自由を促し,公共性に 自己を開いていく空間 例えば食べちゃいけないものはあるのかとい う話になると,人の肉は食べられる,それを人 前で言うとどうなるのかという問題が生じる。 しかし,哲学はそのようなラディカルな思考の 自由が一番面白く,実は自分もそう思っていた というのが他者とともに自分も公共性を開いて いくという場が大事ではないかと考える。 アーレントが危険な思考はなく,思考そのも のが危険なのだと言っている。考えることそれ 自体が社会にとって危ないものだと。しかし思 考がなくなった時に全体主義やアイヒマンとい う問題につながっていくのではないか。 問題はそれを共同体としての学校へ導入でき るかという点にある。 3 公民科「倫理」へ哲学実践を導入する 3-1 私の高校現場における教育課題 漓 中底辺層にある高校生の政治的無力感をど うするか? 生徒たちは「どうせ社会は変わらない」,「自 分たちに社会は変えられない」としている。 滷 「ことば」をもてない生徒たちの政治的協働 は可能か? 自分の私的な思いが実は他者にも開かれてい き,それが上記漓の課題を解消できるのではな いかと考える。 澆 均質的・表層的な「思考」をいかに変容さ せられるか? マスコミ等で言われていることを自分の意見 であるかのように言う生徒が本当に多い。 自分を媒介させずにイメージ化された「意見」 をどうしたら脱することができるのかという課 題である。 3-2 授業方法・実践例 3-3 [倫理」で何を学んだか ─生徒の授業 感想─ *上記の3-2>3-3は報告時間の関係で配布資 料についての説明が主だったので,紙数の関 係上割愛する。ただ,生徒の授業に対する感 想と哲学カフェでの感想とはほぼ同じもので あった,との見解が示されたことはここに記 しておく-筆者。 3-4 学校教育において哲学対話が育むもの 漓 「哲学対話の自由」は「腑に落ちる」ための 条件 思考の持続や反復を育むことが公共性と関わ ってくるのではないかと考える。 滷 「私」に固有なもの(経験・偏見)から公共 的な思考へ開いていく学び 個人的なもの,私の思いや経験は他者にとっ てつまらないとする生徒が相当多いが,それら は実はみんなにとって重要なんだということを 考えさせたい。それが公共性を開くことではな いか。 澆 従来の政治観(権力主義・能力主義・多数 決民主主義)の組み替え 権力を持っている人や能力が高い人が社会を 動かすという意識が高校生にはある。その意識 の組み替えを果たすには,思考が変わって自分 が変わり,自ずと世界が変わることと通じてい るにではないか。 3-5 授業実践上の課題─学校の共同(体) 性に公共性は実現できるか?─ 漓 閉じた教室空間において自由な哲学的対話 は可能か? 従順な生徒が少ない学校で自由な対話は成立 しにくいという課題がある。生徒たちにとって も対話の安全性がない中では,いじめとなる可 能性が十分にある。 また,原発の授業実践では「原発の話は聞き たくないので,保健室に行ってもいいですか」 という生徒もいた。公共性は自発的に集まって きて,自発的な市民が形成していく空間である が,強制的に学ばされるという問題がある。 滷 学校は哲学対話の自由をどこまで許容でき るか? 世界中の哲学教育で問題となっている課題で ある。東大の哲学教育のワークショップの中で 愛国心をテーマとする授業の研究協議で,愛国 心はいらないという結論になったらどうするか ということが問題となったと聞く。国家的な公 共性が学校の中で意識せざるをえないところが ある。また例えば授業では服装頭髪は人間の自

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由として扱い,生徒指導ではそれを規制すると いうジレンマがある。 澆 学校教育に哲学対話/思考を測る尺度はあ るか? 皆さんと一緒に考えたい課題である。そもそ も思考過程を評価することは可能なのか。一時 間で目標達成を図る授業で,思考の成熟が可能 なのか。 ・結びにかえて─学校の共同性と市民的公共性 を結ぶために─ 学校・教室の共同性の中で公共性をどのよう にして育むのか,その可能性がないのかについ て本当に考える必要がある。それは身近な他者 の異質性とどのように出会わせるかという課題 である。また,共同体の中で不協和音を奏でら れることや奏でてもそこに耳を傾けられる空間 をどうやって保障できるかという課題がある。 そのためには,自分の経験や偏見を根っこから 考え抜いく,それで自分の中の複数性というも のを見ていくことでしか保障できないと考える。 【質疑応答】 報告者が補足説明をした後,質疑応答がなさ れた。 「若者のシャカイ圏と授業とをどのように結び つけるのか」という質問が出された。中西氏は 若者たちがシャカイ圏の中でお互いが気楽に対 等性を作り上げていることと,それに立脚して 従来の民主主義の言葉や公共圏を鍛え直し,両 者の回路を作り出す必要性について発言された。 「『公共』が必修となった時に,政経や倫理が 廃止されたりする可能性はないのか」という質 問に対して,工藤氏は情報が少ない現状の下で, 倫理,政経はそのまま残るのではないか,むし ろ問題は「公共」の中に倫理的な内容をどう位 置づけるのか等の発言をされた。 「『公共』という科目が必要と考えられるか。 必要であれば,どのような要望を出していけば よいのか」という質問に対して,渡部氏は『現 代社会』のように様々な事柄を融合して生徒が 主体的になるような形であれば,期待したい。 ただ工藤氏が報告されたようにいろいろなプロ セスが合わさって政策が決定されている視点で, 国家的な公共の意味合いを注視していきたいと いう趣旨の発言をされた。 「『公共』でのキャリア教育と自己実現として のキャリア教育とは結びつかないのではないか。 キャリア教育は『公共』の中でどう位置づくの か」という質問が出された。工藤氏は職業,雇 用,社会貢献という方向ではないか,渡部氏は 現実的に雇用してもらうためには生徒指導や進 路指導で社会適応しか指導しておらず,公共と いう問題は一教科を超えて捉える必要があるの ではないかとそれぞれ発言された。中西氏は次 のような発言をされた。キャリア教育そのもの を問い直す必要がある。転職を繰り返す中でも 生活を成り立ちやすい職業をどうやって選ぶの か等について必要な教養やスキルや知識がある。 それらを学校教育の中でどこが担うのか,何が 必要なのかという課題がある。 「指導観の転換という視点から『公共』の中で どのような指導が可能になるのか」という質問 がなされた。工藤氏は議論や対話の中でしか真 理が形成されえないとは考えない。知識の価値 はある。指導観の転換という視点だけでは問え ないという発言をなされた。 坂井俊樹氏より次のような発言がなされた。 「たたき台」資料には政治的主体になる等が記さ れており,これまでの社会科ではなかったこと である。「公共」が必修化して高校の中心教科と なれば,他の選択科目も小中学校の社会科もそ こに収斂していくこととなる。それは今までの 学力観をかなり変えていくことになる。様々な 学校種の先生方が議論をしていくことがその問 題解決になるのではないか。 続けて中西氏が次のような発言をされた。勝 田守一の学力に対して,態度的学力としての批 判があった。そうした議論を踏まえると,私は こんなふうに考えているや対話するというのは 従来のできる/できないという評価の物差しで測 れない。知識を問わないのではないし,その評 価の中身にも意味がある。問題は同じ形で評価 すること自身にある。従来の形では評価できな いけれども,それがなくてもよいというのでは

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なくて,どのような形でお互いにそれを共有し 蓄積するための評価が可能なのかについて,坂 井氏の発言のようにいろいろな現場でいろいろ な分野で真剣に共有して考える。そうした評価 があるかないかを今すぐ問うて,こうだとは言 えないのではないか。 研究会終了の挨拶として,森茂岳雄氏が地理 総合や歴史総合については研究大会の課題研究 で継続的に取り組んできた経緯があり,「公共」 の問題もこの場だけに留めないで議論をもっと 豊かにしていきたいと話された。 (2016年3月5日受理)

参照

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