Ⓒ 2020 JSPSPE 1 追悼
追悼 浅田隆夫先生
1許 義 雄(国立台湾師範大学名誉教授)2
1 In memory of Dr. Takao Asada
2 I-hsiung HSU, Honorary Professor of National Taiwan Normal University 浅田先生がお亡くなりになったことを知っ たのは,2019 年 5 月の事でした.当時,私は 日本体育・スポーツ哲学会の公式サイトを見て, 浅田先生のお名前に故人と併記されていること に気が付き,すぐに会長畑孝幸先生にメールで 問い合わせたところ,ご家族が先生の遺言に 従って,親族の方を除いて訃報は発表されな かったことを知りました.浅田先生は常に人の ために力を尽くし,自分に厳しく他者に寛容で 実直な方でしたので,お亡くなりになった後に 手間をかけまいと気を使われました. 私が浅田先生と初めて知り合ったのは,1971 年 4 月,文部省(現:文部科学省)の国費留学 生として東京教育大学体育学部の浅田先生が担 当されていた体育学第 1 講座(体育原理と方法 論)の研究室に留学したことがきっかけで, 1974 年 3 月に修士課程を修了しました.在学中, 浅田先生と常に顔を合わせていましたので,先 生から謙虚になって,学問にしっかり取り組み, 身をもって規範を示すことを学びました.先生 は,学生個人の個性を重視して修士論文のテー マから学生個人の方向性まで全て学生に自ら決 めさせて,自分で責任を負うよう指導しました. 普段の学生との関係は良好で,研究室や合宿の ディベートは雰囲気が良く,和気藹々としてい ました. 1974 年 4 月,修士課程を修了して台湾へ帰 国する際,浅田先生ご自身の他,同期である佐 藤臣彦,遠藤卓郎,松原周信,FUKE(ブラジ ル)(敬称略,以下同じ)が全員揃い,羽田空 港まで見送りに付いて来てくださいました.さ らに,同じ研究室の後輩である杉山進さんが加 わった計 7 人がお土産を買ってプレゼントして くださいました.研究室における先生と学生の 絆を改めて実感しました.帰国前,浅田先生は いつも私に「教育の仕事はお金になかなかなら ないが,教え子が教育者にとっての宝だ」と励 ましてくださいました.今でもこれは私の物指 であり,手本であり,ずっと忘れることはあり ません. 1975 年から 1992 年にかけて,浅田先生は何 度も台湾へお越しになりました.プライベート な旅行のほか,日本女子バレーボールチームを 引き連れて台北で親善試合への参加をはじめ, 台湾主催の国際体育学術会議に出席,日本代表 団の団長,基調講演など精力的に活動されてい ました.先生を招待した団体・機関の中には, 文部省のような公的機関,台湾体育学会,全国 大学体育・スポーツ連合会などの民間の体育学 術団体がありました.1975 年 8 月,浅田先生は, アジア太平洋地域の体育・スポーツ健康とレク リエーションに関する国際シンポジウムに招か れ,「日本国民のための体育・スポーツ振興の 体育・スポーツ哲学研究 Vol. 42(2020),No. 1,p. 1-3 https://doi.org/10.9772/jpspe.42.1_1 001-004_追悼.indd 1 001-004_追悼.indd 1 2020/06/05 13:26:162020/06/05 13:26:16
22 基本原理」を発表されました.1977 年,当時 台湾文部省体育局長だった蔡長啟先生に招かれ て台湾の学校へお越しになり,台湾の社会体育 について講演されました.蔡局長は,1966 年 に台湾政府の公費で 1 年間日本へ留学し,東京 教育大学体育学第一講座の前川峰雄先生の指導 を受けました.浅田先生は師であり友でもあり, 常にお手紙でやり取りしていました.台湾文部 省は 1978 年から全国体育・スポーツ政策を積 極的に推進しており,浅田先生の人脈を通じて, 日本の専門家や学者を台湾に推薦し,体育・ス ポーツに関する講習会を開催しました. 1980 年,浅田先生は台湾に招かれ,FIEP の 国際会議に出席されました.同会議は圓山大飯 店で開催され,謝東閔副総統が開会の挨拶を行 いました.ヨーロッパ,アジア,アメリカ,ア フリカなどの国や地区から合計 50 か国 250 人 以上が出席しました.浅田先生は「80 年代に 求められる必要な資質の体育教授モデルについ て」をテーマに発表されました.閉会後,浅田 先生は感謝の言葉で次のように述べられまし た.「1923 年の第 1 回 FIEP 国際会議以来,こ れほどまでに準備を整え,巨額を投じ,出席者 全員に恩恵を与えた国は他にないと思います. そして,参加者はこの姿勢に深く感動しました. アジア諸国は民族,文化,領土,地理風土,考 え方が似ていることから,アジアからの出席者 である私たちが一致団結して,アジアの体育・ スポーツ文化の発展と交流のため,その組織設 立と運営に尽力していきたいと思っています.」 浅田先生はこのような理念を掲げて 1982 年 には,辻野昭,高橋健夫,荘司正徳,藤田邦彦, 入口豊,梅野圭史ら日本代表団の中,小学校・ 高校体育教師 21 名を率いて,台湾・日本・韓 国で開催される東北アジア体育会議に参加され ました.1992 年には,台湾大学体育・スポー ツ連合会主催の「国際スポーツ科学会議」に, 日本スポーツ教育学会副会長の片岡暁夫先生を はじめとする 17 名の専門家・学者と共に出席 しました.1990 年 10 月には,浅田先生と福島 大学の森知高教授を招いて韓国で 1 週間の集中 講座を開講しましたが,これは体育に関する専 門知識の伝播であるだけではなく,アジアの体 育界の交流と発展にも大きな意義があったと私 は信じています. 1987 年の筑波国際会議開会の際,浅田先生 が同樣の理念で自ら前述の蔡局長に呼び掛け て,韓偉(陽明大学学長),謝孟雄(台北医学 大学学長),李叔佩(台湾師範大学健康センター 主任),呉萬福(国立台北教育大学体育学系主任) と筆者が会議に出席しました.台湾が国際的な 体育学の中になるきっかけになっただけでな く,国際協力や交流のプラットフォームとして, 健康レジャーとスポーツについての世界共通の ビジョンを打ち立て,またこのような会議を開 催してほしいと思いました.特に 1990 年 12 月 には,日本スポーツ教育学会発足 10 周年を記 念して,会長として国際体育・スポーツシンポ ジウムを開会しました.国際高等教育体育協会 (AIESEP)理事長のピエロン,中国から楊文軒, 林笑峰,そして,台湾から簡曜輝と筆者が出席 しました.情報交換の架け橋となって友好を深 め,非常に重要で意義深い会議となりました. 浅田先生は夫としての責任感が強く,ご家 族のへの面倒見が良いことで知られていまし た. 奥様がお亡くなりになると,奥様のため に遺稿を出版され,話題になりました.浅田先 生は,1992 年に台湾大学体育・スポーツ連合 会主催の国際スポーツ科学会議に特別に招待さ れ,自ら講演内容を準備され,自ら開会式に参 加して,論文発表を予定されていました.しか し,ご夫人が体調を壊され,とても自ら発表で きる状態ではなかったため,他の方に台本を読 んでもらうことになりました. 実際,浅田先生は 1992 年 6 月 17 日に私に 宛てられた手紙の中でこうおっしゃっていまし た.「家内が不調のため,家を空けることが出 体育・スポーツ哲学研究.42-1(2020) 001-004_追悼.indd 2 001-004_追悼.indd 2 2020/06/05 13:26:162020/06/05 13:26:16
3 来ず心肺機能をはじめ,胃腸の機能が衰え,一 寸動くと胸が苦しくなり,体全身に不快感が生 じ,いてもたってもおれない状態になります. その程度に応じて精神安定剤のような薬を何種 類が投与しています.精神安定剤を飲むと,そ の反作用が体に影響を及ぼし,不快感がさらに 高まるといった状態で,病名がはっきりとしな い……これまた食事がさっぱり進まない……全 く始末の悪い病気です…….栄養をとることが 最も大切なことですから,それだけに私も大変 です.私がいないと……その準備に苦労します …….」 先生が奥様と仲睦まじいこと,先生が奥様 の病状をずっと心配されていたこと,薬の影響, 食事すらできないということが手紙から十分伝 わりました.ご高齢の先生がさぞお辛い様子で あったことが手に取るようにわかりました.先 生は責任感が強い方でしたので,日本スポーツ 教育学会の会長が台北国際会議に出席すること も大切にされていました.責任感ゆえに,自ら 会議に出席できないと申し訳なく感じられ,6 月 29 日に欠席によって迷惑をかけるという内 容の手紙を大会主催者へ自ら送られ謝罪の気持 ちを伝えられていました. 浅田先生は体育・スポーツ哲学会と日本ス ポーツ教育学会を創設され,各分野の研究発展 へだけではなく,国際協力と交流の場を設ける ことにも尽力されました.先生の後継者である 片岡暁夫,佐藤臣彦,遠藤卓郎,舛本直文,畑 孝幸,滝沢文雄,近藤良享,関根正美,深澤浩 洋などの先生達が次々台湾へお越しになり,講 座の開催や学術交流活動の参加などをなされて いますが,台湾の体育・スポーツの評価は高い です.浅田先生が遺されたものは後継者に引き 継がれています.どうか安らかにご永眠されま すよう,心よりお祈りいたします. 受付 2020 年 5 月 6 日 許:追悼 浅田隆夫先生 001-004_追悼.indd 3 001-004_追悼.indd 3 2020/06/05 13:26:162020/06/05 13:26:16