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江竜龍太郎先生を偲ぶ (江竜龍太郎教授追悼号)

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Academic year: 2021

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江畔龍太郎先生を偲ぶ

桑  田 幸  三

 本学経済短期大学部教授・主事江竜龍太郎先生は,去る昭和56年10月12日に 急逝されました。ここに謹んで哀悼の意を表します。  先生は大正8年に滋賀県醒ケ井の地に誕生され,県立彦根中学を経て昭和12 年東京外国語学校に入学,蒙古語・ロシア語・中国語を専攻されました。同校 卒業後,天理外国語学校に奉職されましたが,昭和18年には勇躍,大陸のハル ビン商工公会に勤め,専らロシア語の通訳・翻訳の経験をつまれました。19年 には善隣外事専門学校に勤務され,その傍ら東京逓信局の嘱託を受けて蒙古 語・中国語の事務を見られました。  戦後は,ロシア文学の大家,米川正夫教授の指導の下に,Pシア語・ロシア 文学の研究と翻訳に従事されましたが,昭和25年に本学に奉職され,以後31年 間の長きにわたり,経済学部・経済短期大学部の教官として研究と教育に専念 されたのであります。社会的にも,日本ロシア文学会,日ソ親善協会の役員と してご活躍,昭和46年にはモスクワ国立大学に招聰されました。この間,彦根 論叢等にロシア文学研究に関する多数の論文・訳業を発表されましたが,主著 rツルゲーネフ研究』は高い評価を受けております。  教育面でも倦まず弛まず,ロシア文学とロシア語の授業を担当されました。 先生は常々学生に対し課外活動への参加を奨励されましたが,自らも多くのス ポーツ・芸術などのクラブ・同好会の顧問として指導に当られたのでありま す。昭和49年以降は短大部主事の要職につかれ,経営学科の改組や入学選抜方 法の改善などに当られました。もともと短大部は経済学部を母体として昭和28 年に併設されたのでありますが,教育課程の充実・専攻課程の設置・学生およ び教官定員の増加など,着々と発展・整備された過程で,先生のご尽力に負う

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      303 所が少くないのであります。とくにその推進力としての教授会の自立性を重視 され,その確立・護持に心を砕かれたことは,深く銘記されるべき所でありま しよう。  先生の主著『ツルij“ 一一ネフ研究』を拝見しますと,   ツルゲーネフは死に至るまで純芸術的立場を守ることにのみ甘んぜず,芸術と現実と  は密接なつながりをもっという思想すなわち芸術家であると同時に,一個の人間であり  公民であることを希う心持  を捨てなかった。 とあり,また,   「愛は死よりも強し」という言葉で表現される生活肯定の思想。   ロシアという永遠に不調和な国の,あらゆるものが混沌としてたぶんに原始的な19世  紀の奔流のなかで,独特の甘美な線と色彩とを駆使し,スラヴ民族の憂愁をただよわせ  ながら,人生の寂しさ傍さを,小説をもって詩作した。 というようなくだりがありますが,江竜先生が示された生きざまには,ツルゲ ーネフの影響がそこはかとなく感じられるのであります。  奇しくも先生はツルゲーネフより約100年遅れて生を亨け,また,100年遅 れて同じようなご病気で世を去られましたが,これはそもそも天の命と言うべ きでありましょうか。  以上,甚だ簡単で意を尽しませんが,謹しんで追悼の言葉といたします。

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