行政計画と行政法学のかかわり方について
見 上 崇 洋
は じ め に 本稿は,行政計画と行政法のかかわりのあり方,すなわち行政計画の行政法 体系における位置づけについて,若干の考察を行なおうとするものである。 工 行政計画と計画行政法論 〔1〕現代行政の最大の特徴は総合的な計画行政であるといわれる。すなわ ち, 「現代行政の提起する紛争は,……多面多岐に亘っているが,前段階と比 エ 押していえる特長は,行政における『計画』化ということができる。」そして このことは「複雑多様化しつつ肥大する現代行政の総合性・体系性と具体的妥 当性を確保するために,今日,行政上の計画方式があらゆる行政領域において 展開しつつあるという事実」に対応するものである。もちろん,行政計画,計 画行政の存在は古くからのものであるが,これが現代行政全体を特徴づけるに 至ったとされるのは,第二次大戦後のことである。そして今日においては, 「計画化の進行は,、行政国家、化現象の核心として,現代資本主義国家の憲 法規範構造を致命的に腐蝕しつつあると結論せざるをえない。憲法現実は今や 憲法規範から決定的に乖離し,後者の規範論理的展開の枠内に包摂されえなく なろうとしている。将来への展望としては,このままに推移せんか,現代憲法 の規範構造はその妥当の現実的根拠を喪うことによって漸次空洞化し,やがて 1)下山瑛二「行政裁判と人権」『公法研究』35号(有斐閣)1973年(同『人権と行政 救済法』三省堂 1979年所収 13頁。) 2)室井力「われわれにとって行政とは何か」室井力・塩野宏編『行政法を学ぶ』1 (有斐閣)!978年 6頁。76 ヨラ は全くの形骸となって終にその崩壊にまで至りかねない」という状況がある が,「計画化の大勢にただ逆らうだけでは問題は何ら解決しないことは,今日 無計画体制の帰結として急速に表面化してきた、公害、一つをとってみただけ の でも余りに明らかである」のであって,行政法学においても,行政計画の存在 が,法的にいかなる影響を与えるかについて,検討しなければならなくなった のである。そして,行政法学において,このような行政計画に関する本格的 な検討が行なわれるようになったのは,1970年代になってからであるというこ らう とができよう。 〔2〕 このような行政の実態における変化が,従来の行政法(学)に再検討 を迫るのは当然のことである。そして,この動向との関連では,遠藤教授の 「計画行政法論」を,まず,挙げなければならない。遠藤教授は, 「計画は行 政ならびに行政法の構造を変え,統治機構の基本に深刻な変革をもたらしたば 7) かりでなく,社会の統合過程そのものを変えつつある」との認識に基づいて, 法が,「政策の手段として変転する具体的状況に応じて用いられる道具とな お り」,このように政策体系の中に組み込まれるに至った法をもって,現代行政 法の特色とするのである。そしてこの特色をもつ法体系を構造的に把握したも の のが計画行政法とされるのである。現代行政法を計画行政法として捉えること 3)手島孝「現代憲法と国家計画」『法政研究』 (九大)39巻2・一4合併号 1972年 2!5頁。 4)同前 216頁。 5)下山瑛二「転回点に立つ現代の行政と法」『法律時報臨時増刊・昭和の法と法学』 (日本評論社)1978年 163頁。 6) 「かかる総合的な計画行政は,……『行政行為』概念を中心核とする従体の行政法 学では捉えきれる行政現象を呈示してくることになる。」同前167頁。そして,「行政 法(学)レベルでも,公計画と既往の行政法理との親和性如何が,……市民の権利保 護の観点から切実に問われなければならなくる。」手島孝「計画担保責任論」(1)『ジ ュリスト』637号(有斐閣)1977年 108頁。 7) 達藤博也『計画行政法』 (学陽書房)1976年 10頁。 8) 同前 18頁。 9) 同前 31頁以下。
は,伝統的行政法体系におけるあれこれの法理・理論の再検討を促すことにな る。この伝統的行政法体系の再検討については,すでに多くの指摘がなされて 10) おり,遠藤教授の計画行政法の提言も,この点について,従来の行政法の考え 方に発想の転換を誤るものであり,極めて興味深く受けとめられている。た だ,遠藤教授のいう計画行政法論は次のような特徴をもつことをも注意しなけ ればならない。すなわち,それは,必ずしも計画という行為形式の存在を前提 11) 12) とするものではなく,「永続的なプロセスとしての計画」を問題とし,現代行 政を社会管理作用と捉えたうえで,この社会管理作用のプロセスを法的に把握 しようとし,これの体系を計画行政法であるとする。 〔3〕 このような考え方に対しては次のような批判がある。 まず,原野教授は,第一に,遠藤教授が,現代行政法=計画行政法の考察に おいては,従来の行政法学の方法一規範論理的方法では不十分であり,行政 過程論を前提にして,動態的に,計画行政を過程として追求することが必要で あるとしつつ,「計画行政」の法的統制の為の解釈理論をなおも示していない 13) ことを,規範論理的方法が不可欠であるとの立場から,批判している。第二に, 計画の機能的特質は説明はされているものの,その構造的な把握,すなわち, 何故に現代行政において計画が重要な位置をしめ,法が政策の手段と化してい るのかについて,経済一国家一一法という視点からする分析・検討が,さら エの に今後必要とされるとの指摘をしている。そして,第三に,憲法の具体化法で あるべき行政法において,価値盲目的な技術過程として描き出された行政過程 論,ひいては「現代行政法=計画行政法=行政過程論による行政法体系」とい 10) とくに『公法研究』30号 1968年,同34号 1972年参照。さらに,室井力「行政法 学方法論議について」杉村敏正先生還暦記念『現代行政と法の支配』 (有斐閣)1978 年3頁以下参照。 11)遠藤・前掲書 16頁以下。 12) 同前 12頁。 13) 原野魑「書評・遠藤i博也『計画行政法』」『法の科学』5号(日本評論社)1977年 267頁。 14) 同前 267頁。
78 ユさ う論理と憲法の規定する諸価値の関係のあいまいさを批判する。 三下教授も,遠藤教授の方法論全般について論じる中で「計画」概念の「実 質的」把握による計画行政法論に対して疑問を呈しており,兼子教授も,法論 の 理構成をまず重視すべきであるとの批判を示しており,室井教授は,「現代行政 過程の独自性を強調する余り,行政法学方法論における憲法体系ないし憲法的 18) 価値基準があいまいとなってしまっている」点をも批判する。 〔4〕遠藤教授が計画行政法論を説くにあたって,アメリカ法とともに参考 にしたものと思われる西ドイツの議論における計画法=目的プログラム論につ いても,最近詳細な研究が発表され,伝統的な規範論理的構造に基づいた思考 方法を排除して計画法が従来の法規範の特微であった条件(仮定)プログラム ではなく目的プログラムであるとする説に対して,批判的な検討がなされてい 19) るQ 結局のところ指摘しうるのは,現代行政の特徴として行政計画の存在とそれ を軸とする計画行政の進展を挙げることができるとしても,また,それが行政 法の構造に対して大きな影響を与えているとしても,そのことからただちに計 画行政法一般の存在をいうことができるのではないし,計画をめぐる法理につ いての説明が十分に可能となるものでもない。また,「計画行政法」とt行政 計画の法理」はなおも論理的次元を異にする,ということであろう。行政法に 15) 同前 268頁。 16)永団子二「公法学の動向・世界と日本」『法律時報』1978年2月号 142頁。 17)兼子仁「現代行政法における行政行為の三区分」田中二郎先生古稀記念『公法の理 論』上(有斐閣)1976年302頁以下。 18)室井・前掲論文’i「行政法学方法論議について」)/6頁。 19) 村上博「ドイツ連邦共和国における計画法理論研究序説」 『法政論集』(名古屋大) 81号 1979年 112頁以下。芝池義一「計画裁量概念の一考察」 杉村敏正先生還暦記 念『現代行政と法の支配』1978年187頁以下。同「西ドイツ裁判例における計画裁量 の規制原理」『法学論叢』105巻5号 1979年 1頁以下。藤田宙靖「法現象の動態的 考察の要請と現代公法学」岡田与好・広中俊雄・樋口陽一編世良教授還暦記念論文 集下『社会科学と諸思想の展開』 (創文社)1977年(同『行政法学の思考形式』木鐸 社1978年所収360頁以下。)
限らず, 「現代法学が法的な規範論理や規範に結晶化された法的諸価値のみを 対象として営みうるものではなく,法を政策に還元して分析し,決定された政 策が法的諸技術を媒介にいかに貫徹されうるかという問題をも必然的に自らの 20) 課題対象へととり込まざるをえなくなっている」のであって,各法分野の一つ として行政法について,当面行なわれなければならない作業は,むしろ,法的 諸技術の一つすなわち各種の行為形式の一つとしての行政計画を法的に検討す ることであろうと思われる。 皿 行政計画をめぐる議論 〔1〕 行政計画について,わが国の行政法の教科書で説明が行なわれるよう 1) になったのは比較的最近のことである。それの特徴は,総じていえぼ,総論に おいては,行政行為や行政契約とならぶ行為類型の一として説明され,各論に おいては,いわゆる開発法制におけるある種の計画を中心に説明されることで ある。総論における行政計画の位置は,権力的手段たる行政行為と対置される 非権力的手段の一として,行政契約や行政指導とともに説明されたり,行政立 法と行政行為の中間にあるものとされ,その内容は,行政計画の意義・性質・ 存在理由・法的根拠・種類・策定手続・訴訟統制について概括的な説明を加え るものである。そこでは,一般に,たとえば,行政計画の法的性質については 行政立法でもなく行政処分でもない独自の法的性質をもつとしつつ,一定の権 利制限などの効果を生ずる場合に限り,それが立法行為の性質をもつとか,一 2) 般処分の性質をもつとかの議論をしてきた。このような議論の特徴として指摘 20)広渡清吾「現代法学の理論的課題」『法律時報臨時増刊・昭和の法と法学』1978年 目239頁。 21)下山・前掲論文(「転回点に立つ現代の行政と法」)165頁以下参照。 1)伝統的な教科書に「行政計画」の項はなかった。行政計画の項が登場したのは,成 田頼明・荒野・南博方・近藤昭三・外間寛『現代行政法』 (有斐閣)1968年,杉村敏 正編『行政法概説』総論(旧版) (有斐閣)1969年,成田頼明・南博方・園部逸夫編 「行政法講義』下(青林書院新社)1970年あたりからである。 2)成田ほか前掲書166頁。千葉勇夫「行政計画」『法学セミナー別冊・現代法学事典』 ! 日本評論社 !973年 252頁。
80 しうることは,それが,現実に存在している各種の行政計画を一つ一つ吟味し たうえのものではなく,行政計画を大枠で捉え,いわば一種の傾向的概念でそ れを把握して,それに説明を加えていることである。したがって,行政計画の法 的定義や法理がそこで論じられていなかったり,あるいは,不十分にしか論じ おう られていなかったりするのは,これについての蓄積がないこともあって,やむ をえないことであったとも思われる。そして,このことは,行政計画の存在お よびそれが行政と行政法に与えた影響を直視しつつも,なお内容の不明確な行 政計画一般を行政法体系に位置づけようとしたことの当然の帰結であるといっ てよい。 〔2〕近時の議論は上に述べたものとは少し異なってきているように思われ る。 原田教授は,現代の行政は「たんなる法の執行としてあらわれるものではな く,行政に属する本来の自由に基づいて展開されるものや,法律上に与えられ た広い行政裁量を駆使して実施されるものが,そのほとんどである。そこで, 行政庁は,こうした行政を実施する過程においては,法目的の実現に向けてこ れらの広い裁量の範囲を限界づけるために,計画を策定して行政活動の目標を 具体化」するとの認識により,「具体的な行政措置の前段階として行政が行う, こうした目標ないし基準設定行為」を「行政上の計画」および「行政立法・準 の 立法」であるとする。そして「いいかえれば,行政上の計画は,正しい現状認 識と現実に利用可能な行財政上の能力とを考慮して,一定の目標年次までに, らう努力すれば達成可能と考えられる行政目標を,具体的に設定するものである」 とする。 この説の特徴は,従来,非権力的行政手段の一として,行政契約や行政指導 3) 成田・南・園部編・前掲書214頁(荒秀執筆)は,計画の中には「将来の行政行為 の概念で理解しうると思われるもの,然らざるものもあり,その区別の基準ならびに 法的性質は未解明といってよい」とする。 4)原田尚彦『行政法要論』 (学陽書房)1977年 71頁,72頁。 5)同前 72頁,73頁。
と同じレベルで論じられてきた行政計画を,行政立法と同等ないしはそれに近 いものとしたこと,および,その機能の面から考察を加え,その裁量基準とし ての機能を重視したことであろう。同様の位置づけは,他の教科書にもみられ 6) る。 〔3〕ただ,これらの教科書その他をみても,なお,行政計画の法理が十分 に精緻なものになっているとはいいがたい。たとえば,「行政上の計画は,そ の現象形式ないし実施手段が行政規則などの他の作用に附随し,あるいは,こ れらの作用形式をまとっているために,これを明確に定義づけることは必ずし も容易ではない。しかし,一般に,行政上の計画は,行政が総合的視野のもと で将来の一定期限内に動達すべき目標を設定し,そのために必要な諸手段を調 わ 帯する作用であると解される。」「行政計画とは,行政機関が,将来を展望して, きう 一定の行政昌標を設定し,その達成のための方策を企画することである。」(行 政計画に) 「統一的な定義を与えることはむずかしいが,いちおう,将来にお ける行政秩序の積極的な形成を目的として,行政上の到達目標を思考上先取り する設計,ならびにその設計を完成するためのプロセスと総合的な手段を設定 して行政活動の指針を定める行為であるという点に,行政計画の共通の特色を 9) 求めることができよう」というようにである。 〔4〕 また,手島教授は「理論的に計画とは,xx国または公共団体が,将来 の一定期間にわたる一定範域における自らの活動につき,指針として,目標と 手段の総合的体系を可及的に観念先取りする機能,ないしその先取りの構想、 であり,そのような実質的意味での計画……のうち,外部へ、公表、されたも 6)南博方・原田尚彦・田村悦一編『行政法』(1>(有斐閣)1976年。なお,成田・南・ 園部編・前掲書も編別のみからすると同様に思われるが,その内容は前述したごとく のものであり,必ずしも,ここで論じられるべきものではないと思われる。 7) 南・原田・田村編・前掲書124頁(乙部哲郎執筆)。 8)神長勲「行政計画」杉村敏正・室井力編『行政法の基礎』 (青林書院新社)1977年 135頁。 9)千葉勇夫「行政計画」金子芳雄・広岡隆・1⊥【本徳栄編「行政法』上(法学書院)1974 年 197頁。
82 の,すなわち(1)法律(条例)・行政命令・告示・行政行為・契約など何らかの 伝統的法形式をとることによって,(2)もしくはその他一定の事実上の表示方法 で,関係人民へ周知されるに至ったものが初めて,対人民の関係で法的意義を ヱの 持つ計画,すなわち法的概念としての計画となる」とする(傍点見上)。 ここ では,機能と構想が同じ論理的レベルで捉えうるものか,また,事実上表示さ れたものがいかなる意味で法的意義をもつのかなどの点が,なお問題として残 るものと思われるが,それはさておき,手島教授は,この法的概念としての計 画につきさらに補足して,(a)理論的意味での計画の法的性格は,既成の法的範 瞬中xX訓令。xに最も近いこと,および(b)理論的意味での計画は,このように, その本体はあくまで国または公共団体内部の組織法次元の存在であることを示 し,この(a)(b)を,「およそ計画たるものの共通項」としている。そして,(c)計 ユの 画の法的効果の独自性は, 「計画の法的特質」に由来するとする。この計画の 法的特質は, 「その改廃に関する計画主体の広範な公益裁量e計画裁量。)」 と,計画の「実現はすぐれて一計画自体の合理的=科学的な権威篇説得性に ・ 。 ・ 。 ・ ・ … 。 12) 基づく一関係市民の自発的協力にかかる」(傍点手島)ことであるとされる。 そして,(a)(b)(c)が「公計画一般に共通の法的構造であり,これを基本に,個々 の計画の種類に応じて,関係の実定法規定によりそれぞれの場合にプラス・ア 13) ルファの法的効果が付加されることになる」と教授はいう。 この説明は,理念的には現実の計画の特徴をよく示しているように思われ, また,大部分の計画について妥当するものであるかもしれない。ただ,問題 は,すべての計画に共通のものでありうるかということであろう。たとえぽ, 全国総合開発計画は「訓令に最も近い」ものであるかもしれない。しかし,地 域地区制に関する都市計画が, 「訓令に最も近い」ものに拘束力的効果(とで もいうもの)がプラスされたものである,ということができるのであろうか。 10)手島・前掲論文(「計画担保責任論」)(5)『ジュリスト』643号 1977年 131頁。 11) 同前 131頁。 !2) 同前 132頁。 13) 同甫砿 131頁。
また,たとえば,本質上,広範な公益裁量が許容されるものが計画であり,そ の計画の法的効果の独自性は広範な公益裁量の許容に(も)由来するとの説明 も,事実としての裁量の存在と,法的な意味における裁量の許容性との理論的 な識別があいまいなところをなおも残すように思われる点などにつき,行政法 体系と行政計画とのかかわりを問題とするとき,検討すべきところがあるであ ろう。 〔5〕 上の検討は,現時点においてぱ,行政計画一般として把握した場合, これ以上の定義をすることは不可能であることを示しているということもでき よう。行政計画が行政法体系上に位置づけられにくいのは,法的な分析を伝統 的な枠の中で行なうことの困難さに由来するのであるが,その意味では,行政 計画一般につき,法現象として説明しうる段階に未だ至っていないということ ができるかもしれない。現に,最近出された教科書においても,行政計画をな ユの おも総論上の項目にしていないものもある。 結局,行政現象における最大の現代的特色である行政計画の多様化(と多用 化)および行政の計画化(この両者は必ずしも同レベルで捉えるべきものでは ないであろう)についての行政法的検討は,その視点についてさえ,様々な課 題を残しているのである。 巫 開発計画をめぐる議論 〔1〕 行政計画一般についての教科書等の説明とは別に,比較的よく検討が すすんでいるのは,いわゆる国土開発計画・土地利用計画の分野についてであ る。国土開発計画とか土地利用計画とかのまとめをすることが可能か否かにっ つ いてはなおも検討の余地もあるであろうが,それが土地利用規制なり施設設置 などを通じて国民の権利・義務に関係する可能性の多いこと,この分野では実 14)今村成郡「行政法入門』 (新版) (有斐閣)1975年。金子芳雄『行政法講義』総論 (慶応通信)!978年。田中二郎『新版行政法』上(全訂第二版) (弘文堂)1974年。 1) 西谷剛「行政計画の分類と休系について]『自治研究』55巻3号(良書普及会) /979〈自三 40頁o
84 定法上の計画制度が多数存在していることなどから,複数の計画の相関的把握 が可能となり,それをめぐる法的検討も,行政計画一般につ恥てするよりも, やや詳細にすることが可能である。 〔2〕 まず,木村教授(荒教授)は次のように述べる。開発行政におけ’る 「計画とは,行政上の目的を遂行するために,行政機関により決定された行政 目標ないしはこれを達成するための手段をいう。すなわち,行政上の計画と は,行政上の目標を設定し,これを達成するための行政機関の手続きであると いえる。行政上の計画を手続きと解することは。開発行政の場合も同じであっ て,むしろ開発行政の対象が,公共施設を整備し環境を保全するという意義を 有するとすれば,開発行政における計画をこれらの目的を達成するための手続 きの一つと解することが,計画概念としてはより合理的であるといえる。また 住民の争訟手段の点からみても,行政機関の計画策定の方法からみても,計画 き コ の はこのように定義することが最も妥当である。」そして「行政法上計画の有す る意義は,行政機関のメリット,その手段の合理性,および地域住民の利益保 護にある。」「この二つのことからいえるのは開発行政計画がきわめて合理性に 基づく要請から生まれた,まさに現代の産物と評価することができて,法律 上,計画以上に有効な概念を定立することは,今後ともありえないように思え の る」というのである(傍点見上)。 ただ,このように解するとしても,計画によって,行政法上,行政機関がど のようなメリットをもつのか,その手段の合理性が行政法上いかなる意味で担 保されるのか,行政法上どのように地域住民の利益保護がはかられるかは,法 的観点からの説明がなく,必ずしも明らかではない。事実として行政機関が 何らかのメリットを得るとしても,それを法的に承認することは全く別問題で あるとも思われる。また,「法律上」の計画の「概念」がどのようなものかも 示されていない。このような点につき疑問の余地があるが,この見解で重要な 2)行政計画法令研究会編『行政計画手続効果便覧』(帝国地方行政学会)!974年参照。 3)荒秀『開発行政法』(ぎょうせい)1975年.木村実執筆部分 144頁,145頁。 4) 同前 !55頁。
のは,行政計画を手続とみる視点であるということができる。しかしながら, たとえば全国総合開発を手続であるとしても,ここでいう手続がいかなる(法 的)意味る有するのか,そしてまた,あらゆる計画(開発計画と分類されるも の)をすべて手続とめることができるのか,という問題が残るであろう。さら に,計画の「決定」とか「策定」が手続であるとするのか,策定された「計 画」が手続であるとするのかも明らかではない。同様に,この手続が,行政法 体系とどのような関係にあるのかも問題とされるのである。 ら 〔3〕次に,「国土開発計画」についての塩野教授の見解をみることとする。 教授は,行政計画について,未来性(予測又は目標設定)と複合的行為の提 示の二つの要素がその中核をなす点では,現在の学説がほぼ一致しているとし たうえで,国土開発計画について次のように論じる。すなわち,「国土開発に は,多くの計颪(法)が関係していることが指摘された。それらば,その計画 の対象を異にするが,直接私人の権利義務に関係するものではなく,国・地方 公共団体に計画の策定権限を与える(その場合は義務的であるときも単に権限 を与えるにとどまるときもある)ものであること,その計画の内容が主とし て,国・地方公共団体等の行政主体の行動の指針となるものであることに共通 性を有しており,その意味で,これらを指針的計画法と名づけることができ ア る。」「計画法令と通常いわれているものの中には,直接,私人の行為を規制す ることを目的とするものも含まれている。たとえぽ都市計画法がそれである お が,それは,法的には,ここでいう指針的計画とは性質を異にする」と。 このように,いわゆる拘束的計画とは異なる,いいかえれば,法的拘束力に ついては否定されておりそれゆえ法的検討が必ずしも十分ではなかった計画に ついて,指針的計画の概念をあてはめ,法的検討を行なおうとする。そして, その分析の視角たる「計画と法とのかかわりあいを焦点としたいくつかの問題 5) ここでの「国土開発」の定義についでは,塩野宏「国土開発」『未来社会と法』(筑 摩書房・現代法学全集54巻)1976年 121頁参照。 6) 同前220頁。 7) 同前 162頁。 8) 同前 !63頁註(1>。
86 点」として次のものを挙げる。すなわち,①計画の体系とその相互連関,②行 政過程(及びそれと結合した司法過程)一般論からみたその位置づけ,③計画 策定のプロセス(現段階では法解釈学的アプローチよりも,制度論・政策論が のより重要),の検討である。このうち,②は,従来のように,行政計画一般を, ア・プリオリに,非権力的手段の一として行政指導とともに説明するとか,あ るいは行政立法に類似するものとかいった立場をとらない点で,そして,一連 の行政過程における行政計画の機能を具体的にみるべきとする点で,最も重要 なものといえよう。そして,①および③の視点も,②の視点による検討をする ときに当然に必要とされるべきものであるといってよい。 〔4〕 さらに,行政過程において行政計画を捉えるべきことにつき,塩野教 授は次のように述べている。 まず, 「計画という手法が,行政過程に現実に登場したのは,必ずしも最近 の現象ではない。しかし,後にみるように,法的性格からみて,計画の中には 種々のものがあ,さらに,直接には,外部的に法的効果を持たないものがむし ろ通例である。従って,国土開発計画を含む行政計画を,行政過程に位置づ け,さらに,その法的性格を統一的に論ずることは甚だ困難であると同時に, 行政主体と私人の問の具体的権利変動を持たらす法的行為形式を中心として組 みたてられた行政法学にとっては,計画はそもそも,その対象とするになじま ないものであった。しかし,国土開発計画の果す(又は果すべき)現実的機能 に着目すると共に,行政と法に関する考察を単に具体的権利変動をもたらす最 終段階に限定せず,行政過程との関連でとらえるならば,ここには法律学の面 11) からも論ずべき,いくつかの問題点が存在している。」 そして,結局,「計画の拘束力には,種々の段階があり,その意味では,国 土開発計画に関してもその法的性格一般を規定することはできない。しかし, 9) 同前 223頁。 10) 塩野宏「行政作用法論」 『公法研究』34号(!972年)頁以下。なお,室井・前掲論 文(「行政法学の方法論義について」)17頁以下参照。 11) 塩野・前掲書(「国土開発」)230頁。
そのことから,直ちに,計画を,あるものは,既存の法概念(法規命令,一般 処分,個別処分)に解消せしめ,これ以外のものは,行政指導としてであれ, ガイドラインとしてであれ,法的考察の対象外においてしまうことは,妥当で はない。」「すなわち,計画が爾後の行動(行政機関であれ,私人であれ)の基 準となる程度,最:終的な行政目的(具体的な公共施設の設置,土地利用規制) との遠近には,極めて異なったものがある。しかし,いずれにせよ,計画は, 国土開発の実施過程における,行政機関の一つの意思決定であることにかわり はない。いいかえれば,それは,展関する行政過程の一段階として位置づけら 12)れる行政の行為類型の一種なのである」とする。 このようにみるならば,すでに論者の指摘する「腹雑な計画上の決定過程を できる限り,伝統的行政法学の道具概念で処理可能なように,個々の計画手続 段階に分解し,それぞれを,計画上の機能との関連で検討するなかで,伝統的 行政法学の不十分性が克服され,計画にふさわしい行政法理論がつくられてい ユ3) くのである」ということが注目されるのである。 W 行政計画の法的分析の視点 〔1〕 以上,多種多様な行政計画のそれぞれを,各個の行政過程において検 討すべきことが確認されたのであるが,究極的には,「行政法体系」と「行政 計画」のかかわりを問題とせざるをえず,この場合には行政計画の分類を考慮 ユうせざるをえないように思われる。 行政計画の分類についてぱ,従来の教科書において様々な分類が示されてい るが,そこでの問題は,「一体,行政計画のどのような点に論点を求めるかで あ」って,「その論点次第で,それにふさわしい分類が出てくるわけである。」 12)同前 232頁。 13)村上・前掲論文 186頁。 1)成田頼明「国土総合開発法案の問題点」『自治研究』49巻7号1973年159頁は, 「無数の計画立法と無秩序で雑多な計画を整理し,計画それ自体の計画化を図ること が……必要である」とさえ指摘する。
88 「そして,行政計画は,現代行政の複雑多様性を反映して,極めて多くの論点 を内蔵しているから,たとえばその法的拘束力や対外処分性の問題だけがいわ ゆる法的論点であると決めつけることはできず,従来単に行政内部の行為であ るとして等閑視されがちであった行政過程や行政手続の側面を重要な論点とし て認識すれば,一見いわゆる法的論点とは結びつきが薄そうな計画期間による の分類や計画内容の広さによる分類なども有意義な分類となる可能性がある」と いうことになる。 それでは,行政法体系において行政計画を位置づけるためには,分類につい てのどのような論点をもてぽよいのであろうか。 木村教授は,従来の各種の分類の仕方を批判して「行政計画のこのような分 類に合理性があるとは思えない。行政計画は,法的拘束力の有無と住民の救済 手段の観点力、ら再考慮ナべきであろ乳とする。これに対して,西谷氏は,こ ののように「決めつけてしまうことにも問題がある」としている。 木村教授の論点は,「不動産行政」の活動方式としての行政計画について述 べられたものであり,「行政計画とは,都市計画,土地利用計画などをいう。 これら行政計画は,都市計画という行政上の達成すべき目標と土地利用制限な ど,この目的を達成するための行政上の手法ないしは手続という二つの要素か らなりたっている。行政計画の意義の一つは,行政計画がたんに行政上の目的 を示す責写真ではなく,この目標達成のための手続を示す概念であることを忘 らう れてはならない」としたうえで,分類のための論点として上述のものを示した のである。この木村教授の見解は西谷氏の見解と必ずしも対立するものでもな いように思われるが,ただ, 「拘束力の有無」と「救:済手段」の関係はどのよ うなものか,また,それらの観点での分類は,結局は,既存の法概念に包摂し うるもののみを対象とすることになるのではないか,という問題を残すように 2)西谷・前掲論文 37頁。 3)木村実「行政計画」荒秀・小高剛編『不動産法概説』(2)(有斐閣)1978年173頁。 4)西谷・前掲丁丁 38頁。 5) 木村・前掲論文 172頁。
6) 思われる。 〔2〕 ここで,従来行な:われてきた分類が行政計画の法的検討を行なうにつ いていかなる意味を有するかを考えてみる必要がある。 西谷氏の述べるところをそのまま借りるとすると,(1)計画の内容による分類 (経済計画,開発計画,教育計画,産業計画など),(2)計画期間による分類(長 期計画,中期計画,年度計画), (3)計画の対象地域の広さによる分類(全国計 画,圏域計画,県計画市町村計画など),(4)計画内容の広さによる分類(総 合計画,特定計画), ㈲計画相互の関係による分類(基本計画 実施計画, 上位計画一下位計画),(6)私人に対する法的拘束力の有無による分類(拘束 7) 的計画と非拘束的計画)などが従来一般に行なわれているのである。 これらのうち,(2)については,期間が法的意味をもつのは,計画の根拠法規 などがその期間になんらかの意味をもたせるためであって,たとえば,中期計 画とされること自体から当然になんらかの法効果が生じたりするのではない。 したがって,この(2>の分類は,原則として,事実上,その対象とする期間の長 さを示すにすぎないものといってよい。同様に,(1)∼(5)についても,その分類 の結果自体からは独自の帰結が導かれるわけでもなく,またその分類自体も相 対的なものであり,これらの分類は,たとえぽ,行政行為の分類におけるよう な排他的な分類ではない。㈲については,計画の相互の関係・上下関係におい て,「地方自治」が一つの大きな問題として理解されなければならない,とい うように,それぞれの分類にそれなりの特別の論点があるというだけのことで あろう。また,(4)と(5)((3)も)は実際には重なることが多いが,(5)は一定の領 域における計画体系,すなわち(1)の分類内部における計画の相関関係を理解す るための視点として有用なものであろう。 〔3〕 (6)の拘束的計画と非拘束的計画の分類は,行政計画の私人に対する行 6)ただ,木村教授の見解において,この分類の論点が,手続についていわれているの か手法についていわれているのか,それとも両者について同様の意味でいわれている のか明らかでない。なお84頁参照。「手続の法的拘束力」とは,手続違背が取消事由 になるというような意味であろうか。 7)西谷・前掲論文 37頁。
9Q 政計画の法的拘束力の有無によって決せられるとされるが,この分類も,その ことから,ただちに一定のそれ以上の効果を導くとされているものではない。 しかし,国民の権利義務に直接的にかかわることから,法的観点からすれば, もっとも重要な論点であることに変りはない。 ただ,拘束的計画は私権と直接の関係をもつものであるから計画作成手続に おいて権利保護の観点からの手続が用意されるはずだとの推察ができること, および,拘束的計画と非拘束的計画とでは可争性において違いがあること,を きう 指摘する説がある。しかし,前者については,各種手続が整備されることによ って,手続的権利が保障され,実体的権利の保護がはかられなければならない という現代行政法における一般的要請がそこではより強く働きやすいことが理 解されるにすぎない。拘束的計画とされることから手続の整備が論理必然的に の 導かれるものではないであろう。また,行政計画が,従来法的な検討がなされ ていなかったにもかかわらず,近時,その法的検討の必要性が認識され主張さ れるに至ったのは,前述したごとく,「現代行政の提起する紛争」が「行政に おける『計画』化という要素に直接問接に結びついている」ためであって,そ の計画に対する国民・住民からする統制としていわゆる住民参加などの手続的 権利の保障が要請されているといってよい。ここでも,手続の整備は拘束的計 画に限定されるわけではない。行政計画の可争性については,拘束的か否かと それの関連性は強いものと思われるが,ただ,問題として残るのは,処分性の 有無などを拘束的計画の属性とみることができるかである。この問題は,現在 の行政訴訟に関する議論からすれば,むしろ,個々の訴訟における処分性の有 エの 無の判断の問題ということになるように思われる。とすれば,私人に対する拘 8) 同前 44頁。 9)杉村敏正「行政手続法制定の今日的状況」「法律時報』52巻2号1980年14頁参照。 10)室井力「行政行為の概念について」「法学セミナー』180号(日本評論社)1971年 (同1『現代行政法の原理」動草書房 1973年所収,とくに!36頁)参照。芝池義一 「大分新産都市八号地埋立計画取消訴訟」『判例評論』252号(日本評論社)1980年154 頁は, 「計画に対する訴訟の必要性・許容性は,計画の目的や機能に対する認識にも とついてのみ,肯認されうるであろう。このことは,いわゆる非拘束的計画について
東回の有無は,行政計画の法的検討における重要な論点ではあっても,それに よる分類は実際には不明確なことが多く,それほど大きな意味を有しないよう 11) に思われる。まさに,西谷氏の指摘するように,「実は,私権に直接かかわる ものとそうでないものを明確に二分することはやや困難であって,むしろ『計 12) 画の私人に対するかかわりの程度および態様』という観点」から分析する必要 13)14) があるのである。 〔4〕以上の検討から,まず,いいうることは,それぞれの論点からする分 類はその論点に応じた意味をもつが,行政法の体系上,行政計画をどこに位置 づけるのか,あるいは,行政計画を法的にどのように把握すべきか,というこ とからすれば,なおもそれにふさわしい分類が確立していないということであ るQ しかし,行政計画の法的検討およびそれの行政法体系における位置づけは, 実質的法治主義の原則からして,究極的には不可欠である。この作業のために は,次のような順序で考えるべきではなかろうかと思われる。まず,行政計画 を一定のまとまりで認識するために,内容による分類を行なう必要がある。 300を超えるといわれる各種行政計画を正確に分類するのは極めて困難であ とくに妥当する」としている。さらに,南博方「行政計画と行政訴訟」『判例タイム ズ』385号(判例タイムズ社)1979年39頁以下は,「司法救済の要否の観点からみる 限り,その行為による権利侵害の可能性が抽象的なりや具体的なりやの区別によって 決するのが相当である」とする。 !1)西谷剛「行政計画の実効性について」『自治研究』5Q巻1号1974年 77頁以下は, 行政計画の「対内的実効性」と「対外的実効性」の区分による検討を行なっている。 拘束力は,この後者における一つの要素ということになろう。 12)西谷・前掲論文(「行政計画の分類と体系について」)44頁。 13)塩野教授は,「従来日本においては計画はあってもその行政・財政制度を通じての 実現のシステムが欠落していて,実はそのことが計画の法的拘束力が実務において十 分意識されてこなかった原因である」との指摘をしている。『公法研究』36号1974年 198頁・シンポジウム発言。 14) さらに,行政計画を「政策計画」と「狭義の行政計画」とに分けることもあるが, 政策の法への反映こそが現代法の特徴とされ,このことの分析が最大の課題である現 状においては,この分類もやはり相対的なものといえよう。成田頼明「空間形成計 画の意義と法律問題」『ジュリスト』523号 1973年22頁。
92 り,あるいは不可能であるかもしれないが,各種行政領域の相対的な区分に応 じて,それらを,そのある程度の相関性によって,ひとまとまりのものとして 把握することは可能である。この意味で,「法的行政計画」の大部分は開発計 画・土地利用計画と経済計画の二つの大分類で整理され,これに加えて,教育 計画,防衛計画などを「その他の計画」として整理し,県の総合計画などを, 右の分類のどれをも含む総合計画として整理する図式でもって,一応行政計画 の全体が概観できるとするのは,さらに細かい分類の問題が残るものの,興味 深い指摘であるということができよう。 ここで,個々の計画が,排他的にある分類にいれられるものではないことに 注意が必要である。すなわち,ある計画が複数の分類に重複していれられるこ ユの ともありうる。たとえば,全国総合開発計画が,上の分類では,開発計画・土 地利用計画にはいるのはいうまでもないことであろうが,経済計画と全く無関 エの 係とはいいきれないように思われるからである。 このように,内容的な一定の相関性でもって分類された行政計画の相互の関 係を分析し,その体係的な認識を一応得たとすると,それぞれの行政過程の各 段階における実際的機能を理解することができるようになるであろう。たとえ ば,私人に対する拘束力をもつ計画は,行政処分的な機能をも有し,当該行政 り 過程においてはより下方の段階にある,というような理解である。同様に考え れば,行政計画は,法律の制定を促すようなもの,法律の内容を詳細にするた めのもの,行政立法心機能を有するもの,行政内部における裁量基準として働 15) 西谷・前掲論文(「行政計画の分類と体系について」)42頁。なお,下山・前掲論文 (「転回点に立つ現代の行政と法」)参照。 16) 内容による分類に関連して,真砂泰輔「土地問題と行政法」『公法研究』36号1974 年113頁∼!ユ5頁参照。 !7) 手島孝「国家計画の法理一憲法学的考察」O『法政研究』38巻1号 1972年 62 頁参照。 18) ここでは.前述の(3×4)(5)などの分類もその内部において重要な意味を有するものと 思われる。 19)真砂・前掲論丈134頁。手島・前掲論文(「国家計画の法理」口」)78頁。
のくもの,行政指導的なもの,などなどとして,事実および法的機能の面から, 一応,認識することができよう。そして,たとえば,「都市計画など私人に法的 拘束力を伴う計画決定過程」について,「この種の計画行政は指針的意義をも つのみならず,併せて,矛盾衝突する利害関係を調整し,私権と公共の福祉の 調和を図り,土地の合理的配分,秩序ある形成に障害となる行為の規制等をす るために,計画(計画の告示)自体が一種の法規として,土地の権利者に対し て拘束的性質をもったり,計画の実効性を担保するために強制力が付与された りする」とされる場合,さらに,その行政過程において,いかなる意味で「指 針的」であるのか,どのような形で「利害関係を調整する」のか(計画の存在に よってか計画の策定においてか),等々が検討されなければならないのである。 「計画は,形の上では一個の行為としてみることができる。しかし,実質か らみれば複数の行政手段の複合されたものである。現代行政は,行政手段の多 様化によって特色づけられる。伝統的な権力的手段のほか,法的拘束のゆるい 定型性の弱い非権力的手段(融資,協定,助言指導等)を数多く用いている。 ……アのように,行政手段を適当に組み合わせて新たなる行政機能を創り出す お ところに計画の存在理由がある」とすることができるとしても,それを,ア・ プリオリに法的に承認することはできないのである。そこでは,他の手段との 相互関連性を注視しつつ,それぞれの機能につき検討する以外にはないであろ う。 行政計画が多様な機能を兼ね備え,従来からの法的枠組では捉えきれない場 合も残るであろう。このようなものをこそ新しい概念たる行政計画として把握 20) 「国レベルの非拘束的な計画は,閣議決定で行われ,将来の法律体系とは別個の機 能をもつから,行政に対する立法的な統制という面をもつものとしての意義を認める べきであり・…・・」『公法研究』36号 !974年 198頁・小高教授のシンポジウム発言。 21)小高剛「計画行政と行政過程」『公法研究』36号 1974年 150頁。 22)遠藤博也「計画行政と行政計画」『ジュリスト』法学教室・第2期3号 1973年 7!頁。 23)今日の行政法学においては,伝統的な法的枠組,道具概念などの再検討が同時に行 なわれている状況があり,このことが問題を複雑なものにしていると思われる。工注
94 することができるのかもしれない。 要するに,行政計画には色々なものがあるのである。したがって,それらを 行政計画という通称が同一であるからといって,法的に検討する場合,それを ひとまとめに行政計画として捉え,まず概念を定義し,それに共通する性質を 24) 云々しなけれぽならないのであろうか,という問題も残るかもしれない。すな わち,行政行為の認可といわゆる内部行為たる認可との相違ほど極端でないと しても,行政計画という場合,先に述べたような様々な機能をもつものが混在 していると思われるのであり,それらを統一的に把握する必要があるのか,と いうことである。 ただ,このことについても,上述の視点からする分析でもって,少なくと も,問題を整理することはできるように思われる。そのなかでは,なぜ当該行 政計画が,その行政過程において,行政計画であるべきであって,他の行為形 の 式であってはならないのかが,当面中心的に,検討されなければならない。そ して,以上の検討と並行して,問題の所在を明確にし上のことの妥当性を検証 しうるものとして,個々の紛争状況を示す事例・判例の検討が行なわれなけれ ⑩の文献のほかに,遠藤博也「戦後三〇年における行政法理論の再検討」『公法研究』 40号 1978年 160頁以下・藤田・前掲書とくに108頁以下など参照。 24)たとえば,伝統的に確立した概念とみられてきた「警察許可」について,遠藤・前 掲論文(「戦後30年における行政法理論の再検討」)178頁参照。 25) この点について,次のような例が指摘されている。すなわち,国土利用計画法にお ける国土利用計画は,決定権者の裁量にその内容決定が委ねられるところが多く,法 律自体では当該計画の性格さえ明らかではないが,それは,この全国計画は,法律事 項にあらず,また,「専門的技術的判断を必要とする将来の予測およびそれに基づく 目標達成の諸手段の提示という内容をもつ国土計画に関し,法律上明確な内容規定す ること又は明/l崔な範囲を定めて政令以下の行政立法に委任することは技術的に困難で あり,かつ,事態の流動性に即応しない,という実質的考慮も働いていると思われ る」がJ法律の制定の経過をみれば,実際には.法律でそれを明記することも可能で あったのであり,「政令事項の専門技術性というよりは,むしろ,国会の審議時間の 湿縮がより大きな理由とも考えられるのであって,そうだとすると,政令への白紙委 任を実質的に正当化することは,困難である」というのである。塩野・前掲書235頁 ∼236頁および238頁注(1)(2)。
26)27) ぽならない。 まとめにかえて 以⊥,計画行政と行政計画をめぐる議論が多くなったにもかかわらず,行政 計画を行政法体系にどのように位置づけるのか,という問題は十分な検討が なされていないばかりか,そのための視点さえもはつぎりとは示されていない のではないか,ということから,行政計画をめぐる最近の議論について,私な りの整理を行なったわけである。そして,事実として行政計画が多数存在して いることから,当然にそれをあるべきものとして承認するのではなく,法的に それのあるべき姿を検討する必要があり,そのためには,まず,上記の視点か ら出発しなければならないのではないか,ということを述べたにすぎない。塩 野教授の「国土開発計画」の分析や下山教授の「経済計画」の分析(論稿の性 質上なお制約はあるが)は,この視点に沿ったものということができよう。今 後,さらに,これに即した具体的作業が必要であることはいうまでもない。 26)手島教授は,例外なしに妥当するような計画分類は,個々の計画についての検討例 の累積から帰納的にのみ見出されるとする。前掲論文(「計画担保責任論」(5))13!頁。 27)行政計画の、具体的な事例に関する分析について,芝池・前掲判例評釈 とくに153 頁。154頁参照。