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貨幣の概念について
一戦後の論争を中心に一
片
山
貞
雄
1 は し が き 近年,マネー・サプライが重視され,先進主要諸国ではそれが金融政策の指 標や標的として使用されていることは周知のところである。さらに,現金通貨 プラス商業銀行への当座性預金から構成される伝統的な貨幣(マネー・サプラ イ統計上のM[)以外に出現してきた近似貨幣(near monies)一商業銀行への 定期性預金や各種の金融仲介機関への預金等 を含む広義の貨幣(M2,畝な ど)が重視されつつある現状を考慮するとき,貨幣の概念や機能を改めて問い 直すことが必要であろう。 本小稿の目的は,貨幣概念をめぐる戦後の議論を吟味することによって貨幣 とは何かを再検討することである。貨幣はいわば社会的な産物であるので,そ の概念も抽象的な理論レベルだけでなく,現実の制度的な発展とも深く関わっ ている。本小稿では,先ず伝統的に扱われてきた貨幣の概念とそれに関連する 問題を扱い,ついで貨幣概念をめぐる代表的な論者の見解を2つの流れに分け て検討したい。なお,貨幣を理論的なレベルのみならず,実証的なレベルで捉 えようとする努力が見られることは戦後の論争の一つの特色であるが,このい わゆる貨幣性の測定問題は稿を改めて論ずることにしたい。 2 貨幣の概念と機能 ヒヅクス(J.R. Hicks)の指摘をまつまでもなく,貨幣とは何かを貨幣の機 D J.R. Hicks, Critical E∬αys i7z ITI40netary Theory,1967, p.1,江沢・鬼木訳『貨 幣理論』,!ページ。2 能によって論ずるのが伝統的にとられてきた方法である。そのばあい,次の3 者,つまり,(1)交換手段(medium of exchange;Tauschmittel)〔な:いしそれ より広い概念の支払手段(means of payment;Zahlungsmittel)〕(2)価値尺度 (measure of value;WertmaB)ないし計算単位(unit of accQunt)(3)価/直貯 蔵手段(store of value;Wertbewahrungsmittel)一を貨幣の基本的機能とし て挙げ,これらの機能をすべて果すものをもって貨幣と呼ぶのである。 貨幣の概念ないし本質は古くから論じられてきた問題であり,これら3つの 機能に集約されていて議論の余地はないように見える。しかし,この3つの機 能の中,㈲が(1)ないし(2)より派生したものであることについては異論はないが (1)と(2)の中どれを本質的なものと見なすかについては,戦前わが国において 華々しい論戦が展開され,金属主義的立場をとる論者(一般的にはマルクス経 済学者)は(2)を貨幣の本質的機能と見なし,一方名目主義的な立場をとる論者 (一般的には非マルクスないし近代経済学者)は(1)を本質的機能と見なした。 金属主義論者は価値尺度と計算単位〔厳密な用語では価格(の度量)標準(MaB− stab der Preise)〕を三三するが,名目主義論者はこれを区分せず,価格単位 (unit of va正ue),価格標準(standard of value;num6raire)さらに公分母(com− mon denominator)とも表現する。名目主義論者のいう価値尺度は金属主義論 者のいう価格標準に相当する内容であることは指摘するまでもないであろう。 戦後についていえば,金属主義の立場をとる故新庄博博士がその著『貨幣 論』 (岩波全書,1952年)において,上述の(1),(2)の機能の間に論理上の前後 関係は認められないとし,交換が等価交換の性質をもって行われる程度に成熟 した経済社会についていうかぎり,それ自ら価値尺度でない交換手段はなく, の逆に交換手段でない価値尺度は存在しえないことは明白であろう,とされたこ とが良く知られている。 α),②の中いずれを貨幣の本質的機能と見なすかについては,いうまでもな く名目主義,金属主義いずれの貨幣観をとるかによって分れるが,それぞれの 2)新庄博『貨幣論』,1952年,47ページ。ただし,博±:は貨幣本質論を必ずしもマル クスの価値論にまで立ち入って展開しているのではない.
貨幣の概念について 3 背後には近代経済学とマルクス経済学が対峙している。つまり,両者は世界観 方法論,分析目的や分析用具が異なり,貨幣本質観の差異のみを取り上げてい ずれを正しいか論ずるのは正鵠を得たものとはいえないかもしれない。ここで われわれは新庄説を採用し,(1),(2)に上下ないし前後関係は存在しないとした い。 第3の機能である価値貯蔵手段は既述のように(1)ないし(2)より派生したもの であるが,経済分析の上で貨幣のこの機能をきわめて重視したのがケインズで あった。彼によれば,「価値貯蔵手段として貨幣を保蔵しようとする欲求は将 来に関するわれわれ自身の予想と慣習とに対する不信の程度を示すバロメータ ヨラ ーであるということである。」それゆえ「貨幣はその重要な属性において,何 にもまさって現在と将来を結ぶ微妙な手段(subtle device)であって,貨幣が 存在しなければ変化して行く期待が経常的な〔経済〕活動に及ぼす影響の議論 の を開始することさえできない。」 このようにケインズでは不確実性の存在のた めに資産としての貨幣,つまり価値貯蔵手段たる貨幣が必要とされるが,この ような見解は確実性が支配する古典派の世界には存在しない。この問題につい ては後で論じたいQ の フレイツァー(W.J. Frazer)の指摘するように,ケインズの『一般理論』 の出版以来,上記の貨幣の3つの機能は貨幣保有の3つの動機(取引動機,予 の 備的動機,投機的動機)と関連させて論じられてきたが,ピックスによる対応 が良く知られている。彼はこれを2つの3角形(two triads)になぞらえる。 3) J. M. Keynes, “General Theory of Employment,” Quarter!y Jour. of Economics, Vo1.51(1937), rep. in S. E. Harris, NeTev Econono?r,ics,1947, p.187,日本銀行調 査局訳『新しい経済学』1[,285ページ。なおまた,cf. P. Davidson, Money and the Real Wor.id, 2nd ed., 1978, p. 141, p, 206, 4) J. M. Keynes, The General Theory of EmPloy?nent interest and Money, 1936, p. 294,塩野谷九十九訳『雇用,利子および貨幣の一般理論』,(!950年版)357ページ。 5)W.J. Frazer, Crisis i7z Economie Theorツ,1973, P.439.ただし,フレイツァーの 対応はピックスと異なる。 6)(]f,Hicks, op. cit., chs.1−3,前掲訳書,1−3章。
4 つまり,取引動機は交換手段,投機的動機および予備的動機は価値貯蔵手段と 対応し,価値尺度はいずれの動機とも対応する。さらにピックスの指摘した次 の点を挙げておこう。つまり,取引動機に基づく貨幣需要は大部分が自発的な ものでなく,一定量の財をある特定水準の価格で流通させるのに必要な貨幣で ア あって,投機的動機や予備的動機のばあいと異なり受動的なものである,と。 このようなピックスの見解に対してハリス(L.H:arris)は次のような批判を お 行った。まず2つの3角形の問題について,上述のようにヒックスでは取引 動機が交換手段および価値尺度と対応したが,このような部分貨幣(partial の money)の考えに対してである。ハリスの言うには,貨幣の存在は時間という 要因を離れては考えられないのであって,「本質的には貨幣は過去の取引と将 来の取引を行う権利の記録である。これは貨幣の機能を価値貯蔵手段および交 ユの 換手段と考える基礎である,」と。すなわち,取引動機にも他の2つの動機と同 様に価値貯蔵手段が対応し,結局:貨幣の3つの機能はケインズのいう3っの動 機のそれぞれと対応し,ピックスのいうような対応関係は消失するというので ある。次に取引動機に基づく貨幣需要が自発的でないというピックスの見解に 対するハリスの批判点である。つまり,取引はすべてコストがかかるのであ り,ピックスはこれを無視している。取引がコストを要するとすれぽ,取引の ための貨幣保有の限界効用のみならず限界費用を考慮せねばならず,そうとす れぽ取引動機に基づく貨幣需要は経済主体の選択を示すものであり,まったく 非自発的ないし受動的とはいえないことになる,というのである。しかし,こ 7)Hicks, op. ctt., pp.15一一6,前掲訳書21−22. 8) L. Harris, “Professor Hicks and the Foundation of Monetary Economics,” Eco− nomica, Vol. 26, No,2 (May, 1969) pp. 196−208. 9) ピックスによって使用された概念で,3つの機能を完全にもたない貨幣を意味す る。Hicks, op. cit., p.2,前掲訳書2ページ。 10)Harris, oψ.αオ., p.201.・・リスの言うには,ピックスの仮定せる日の概念で述べ ると!日の終りに貨幣残高がゼロになっても,その1日のうちでは貨幣は価値貯蔵手 段である,と。ibid.なおピックスに賛成の見解として, S. Rousseas, Monetay Theorbl, 1972,PP.12−14がある。
貨幣の概念について 5 のようなハリスの批判は必ずしもピックスの真意を捉えていないように思え る。第1点の批判の妥当性は貨幣の価値貯蔵手毅をいかに考えるかにかかって いるといえよう。つまり,時問を価値貯蔵手段のための必要十分条件と考える かによる。すなわち,それは時間の存在が不確実性を伴うかいなかにかかって おり,不確実性があって初めて価値貯蔵手段としての貨幣の意味があるのであ って,単なる時間の存在が貨幣の価値貯蔵手段のための必要十分条件とはいえ ないであろう。第2の批判点については次のように反論できるであろう。取引 動機に基づく貨幣需要は取引の大きさに応じて受動的に決まるというのがピッ クスの含意であって,取引動機に基づく貨幣保有のコストを無視しているとは いえず,それが考察対象となっていないというだけのことである。 ケインズによる貨幣の分類は個人の貨幣保有という経済主体の行動からのそ れであり,一方伝統的な定義は貨幣の本質的な機能の視点からの分類であり, ユ ピックスも認めるように,両者を完全に対応させること自体に無理があるとい えるかもしれない。しかし伝統的な定義にしても貨幣の機能を問題にするのは その使用者ないし保有者の視点(これは財・サービスー般に妥当するが)を考 慮していることは当然のことであろう。なお,ピックスがケインズの分類は特 定の貨幣組織(monetary system)の中で行動する個人に関するものであり, 伝統的な分類は貨幣組織自体さえ変化する可能性を認めたとき最も優れた洞察 ユヨ を与える可能性をもつ,という。たしかにケインズの想定する個人は当時のア メリカやイギリスなどの成熟資本主義国のそれを想定したものであり,その意 味で特定の貨幣組織(特定の経済発展段階というべきか)を仮定し,他方伝統 的な分類は3つの機能をすべては果さないような部分貨幣の流通した古い時代 にも適用できるという利点をもっているであろう。 しかしともあれ,2つの3角形の問題は貨幣に関するケインズの分類と伝統 的な分類の対応関係を改めて考察すべき注意を喚起した意義をもっているとい えよう。 11)(]f.Hicks,⑫cit., p.1,前掲訳書2ページ参照。 12)(ゲ.ibid., p.1,前掲訳書2ページ参照,
6 3 交換手段機能重視の立場 一その1一 前節で述べたように,貨幣の交換手段機能はケインズの取引動機に基づく貨 幣需要と対応するが,これを貨幣の本質的機能とするのは名目主義論者のみな らず古典学派以来の伝統的な貨幣観である。 戦後この延長線上にあって新しい視点を入れてユニークな貨幣概念を展開し た論者として第1に挙げられるのはペセック(B.Pesek)とセイビング(T. R. ユき Saving)である。 ペセック・セイビングは先ず貨幣が財およびサービスの交換を促進し,生産 を拡大する役割,つまり貨幣の交換手段としての機能を重視するが,彼らの見 解のユニークさは貨幣一金貨や銀貨のような商品貨幣はいうに及ばず,政府紙 ユの 幣や中央銀行券のような名目貨幣(fiat money),さらには当座性預金のよう な銀行貨幣であっても一はすべて発行者の創出した生産物であり,それゆえ, 純資産(net worth)ないし富であって,それらの保有者は発行者から売買と いう行為を通じて購入したものであるとする点である。ここで純資産とは,彼 らによれば保有者にとって正のサービス・フローを与えるが,それ以外の者に 負のサービス・フローを与えないものを意味する。したがって,商品貨幣が純 資産であることは言うまでもないであろう。名目貨幣はどうであろうか。商品 貨幣を名目貨幣に代替しても,機能的にはまったく変らず,名目貨幣の生産コ 13) B. P. Pesek and T. R. Saving, Monebl, Wealth, and Econemic Theory, 1967, esp. Part g一, The Foundation of Money and Banfeing, 1968, Chs. 5−7, なお,貨幣概念をめぐる論者の見解を批判・検討した文献を3点挙げておこう。 M. Friedman and A. J, Schwartz, Monetary Statzstics of the United States, 1970, Part !, D. G. Pierce and D. M. Shaw, Monetary Economics, 1974, Chap. 2, pp. 32 −or4, A. Broaddus, “Aggregating the Monetary Aggregates:Concepts and lssues,” Economie Review, Federal Reserve Bank of Richmond, Vol. 61 (Nov.IDec., 1975) pp.3−12.(ただし, Broaddusのはサーベイである。)これらから少なからぬ示唆を 受けたことに謝意を表したい。 14) これをdominant moneyとも呼ぶ。 15) Pesek and Saving, Money, V/Fealth, o?. cit., p.48, p.68, etc.
貨幣の概念について 7 ストが低いという意味で資源の節約をもたらし,節約した部分を他の生産に振 り向けることができるので社会的に見て純資産の増加をもたらすことは明らか である。この点はペセック・セイビングをまつまでもなくスミス以来指摘され てきた点である。彼らの見解の1つの特色は,名目貨幣自身について,それは 発行者の創出した生産物であり,それゆえ純資産と見なす点にある。ところが 名目貨幣の生産コストはきわめて低いので,参入に制限が存在しないばあい, きわめて多量が生産され,均衡においてはその1単位当りの価格が生産コスト と一致する,つまりゼロに近ずくまで生産されることになるが,これは完全競 争下における財およびサービスの生産のケースと同一である。しかし,競争に よる通常の財およびサービスの価格の低下と異なり,貨幣!単位当りの価格の 低下はそのサービスの低下を意味するので,一定取引を行うための名目貨幣の 数量をきわめて増加させなければならない。その結果, 「競争は商品貨幣の代 替物を商品貨幣(貨幣は印刷されている紙と同価値となるであろう)に転化さ せ,このようにして貨幣代替物の発明のもたらす経済的価値が破壊されること ユの になるであろう。」これはいうまでもなくインフレーションの激化を意味する。 それゆえ政府(ないし中央銀行)が名目貨幣(政府紙幣ないし中央銀行券)の 生産を独占することは経済的に価値がある。この名目貨幣のばあいも政府ない し中央銀行の生産物であり,純資産と見なすのである。 ペセックとセイビングは同様に銀行貨幣(当座性預金)も銀行の生産物であ り,純資産と見なす。この点に最も彼らの見解の特異性が現れている。つまり 銀行貨幣は商業銀行が生産したものであって,それを現金で売る(買手の立場 でいえば, 「預金した」ということになる)か,または信用で売る(銀行より ユアラ 「金を借りた」ということになる)。既述のように,ペセック・セイビングに よれば,名目貨幣は政府が独占的供給者となる,つまりその供給量を固定する (量的制限)ことによって経済的意義をもつが,一方銀行貨幣は,(1)即座の買 16) Pesek altd Saving, The Foundation, oP. eit., p. 66. !7) Pesek and Saving, Money, Wealth, op. cit., p. 93, P’ 72e , The Foundation, o?. . cit.,
8 戻し規定(instant repurchase clause)(名目貨幣でただちに預金を引き出せる) と(2)無利子規定(no−interest−payment clause)(当座性預金には金利をつけな ユ い)の導入,つまり供給価格の固定(質的制限)によって可能になる。この2 つの質的制限は銀行貨幣の均衡産出高と均衡価格(共にゼロより大)が存在す ユの るための必要十分条件である。しかし,通常,通貨当局は銀行貨幣の供給を質 的制限にゆだねるだけでなく,さらに支払準備制度や銀行設立の許可主義等に よる量的な制限も加えるのが一般的である。このようにペセック・セイビング は商品貨幣はいうまでもなく,名目貨幣と銀行貨幣もそれぞれ政府と銀行の生 の 産物であるとするのである。 これに反して,債券のように保有者にとって資産であるか発行者にとって負 債であるものは貨幣つまり純資産でなくて債務証書(debt−certificate)であっ て,その取得は売買行為によるのでなく貸借行為によるのである。そのばあ い,借手(発行者)は貸手(保有者)に利子を払わねばならないことから明ら かなように,貸手には正の所得をもたらすが,借手には同額の負の所得を課す, つまり正と負のサービス・フローを両者に与えるので純資産ではない。 ところで,ペセック・セイビングは銀行への定期性預金や金融仲介機関への 預金をどのように考えるのであろうか。彼らはそれを一部貨幣,一部債務つ まり貨幣と債務の結合生産物(joint product)であると見なし,具体的な判定 基準は結合生産物の提供する金利を市場金利と比較することによる。つまり, 「市場金利に比べ支払われた表面金利(nominal rate)の比率が当該資産の債 務たる程度を測定する。……そのばあい,明らかに1マイナス市場金利に対す 18) (ゲ.Pesek and Saving, Mone二y, VVealth, op. cit., PP.127, ff. and p.250. 19)質的制限の一方だけでは十分条件とはならない。つまり.(1)のみでは銀行貨幣の聞 接的な価格切下げを避けえないし,(2)のみでは銀行貨幣の直接の価格切下げを避ける ことができない。Pesek・and Saving, Monebl, IVeαlth, op. cit., P.130. 20)ペセック・セイビングは旅行小切手も貨幣に加えるが,特別の分析を行っていない し,貨幣に占めるウェートも小さいので省略する。なお,彼らは旅行小切手を銀行券 と当座性預金の雑種である,という。Pesek and Saving, The Foundations, Op cit・, p・ 71.
貨幣の概念について 9 る表面金利の比率が当該資産の貨幣たる程度を測定する。それゆえ,貨幣・債 務〔の結合生産物〕の表面金利がゼロであれば,それは完全に貨幣であり,逆 にその結合生産物の表面金利と市場金利が等しければ,それは完全に債務であ き る,」と。 しかし,この結合生産物の名目金利と市場金利はどのようなメカニズを通じ て一致するのであろうか。ペセック・セイビングの展開は必ずしも明快ではな いが,若干補足しつつ述べれば次のようになるであろう。 いま,名目貨幣と銀行貨幣が共に貨幣(交換手段)として使用されていると し,後者に利子がつくとしよう。つまり,この銀行貨幣は貨幣・債務の結合生 産物となるが,そのばあい人々はこのような銀行貨幣から2種のサービス(交 換手段と金利)を享受することになり,その価値が名目貨幣のサービス(交換 手段)の価値より大なる限り,銀行貨幣を選好するであろう。しかし,この2種 の の貨幣が限界代替率の逓減に従うかぎり,一方の貨幣のみしか使用されないと いうことはない。それゆえ名目貨幣と銀行貨幣(貨幣・債務の結合生産物であ って,それには一定の金利が支払われる)が使用されてしかも均衡が成立す るためには,両者の一単位(1ドル)のサービスの限界価値が等しくなければ ならない。いま,銀行業への自由参入が保証されるとすれば,銀行貨幣の金利 は上昇するであろう。その結果,結合生産物たる銀行貨幣の交換手段としての 価値は下落しなけれぼならない。銀行業への参入は超過収益がゼロとなるまで 続くが,銀行貨幣の生産コストがゼロであると仮定すれば,「生産側で均衡が成 立するには民間の貨幣・債務〔結合生産物たる銀行貨幣〕に支払れる金利は限 2!) Pesek and Saving, Moneン, U・”eal;h,砂. cit., p.!8!.また, cf. ibid., p,118. 22)ペセック・セイビング自身の用語では,等取引・時間線(iso−transaction−time locus) が原:点に対して凸一である。Pesek and Saving, ibid., p.117.これは受取・支払 いの時自差によって,あるばあいには銀行貨幣の方が,他のばあいには名目貨幣の方 が便利であることを意味していると解釈できょうが,本文の表現の方が適切と思える ので変更した。このばあいには,いずれか一方の貨幣のみで均衡は成立しない。彼ら はまた2種の貨幣がすべての用途において完全な代替物でないと仮定するから一方の 貨幣の使用がゼロにならないとも述べている。ibid.
10 界では市場金利と等しくなければならない……。……そのばあい,需要側で均 衡せねばな:らないとすれば,この貨幣・債務〔の結合生産物たる銀行貨幣〕の交 換手段としての価値はゼロまで下落せねばならない。その結果,民間の貨幣・ 債務〔たる結合生産物〕は完全に債務となり,貨幣供給はふたたび名目貨幣の 供給に等しくなり,その結果,名目貨幣の価格は上昇するであろう。つまり, 一般物価は下落するであろう,」と。ペセック・セイビングは逆のばあいを直 接述べていないが,そこでは結合生産物は貨幣となり貨幣供給は増加するの で,他の条件が変らなければ一般物価水準は上昇することになる。 だが,ここである結合生産物の金利と比較すべき市場金利とは何かはペセッ ク・セイビングによって説明されていない。 以上のようなべセック・セイビングの見解に対し,伝統的見解に基づけば, 言うまでもなく名目貨幣,銀行貨幣は共に純資産でなく発行者の負債となる。 またガーレイ・ショウ(G.E. Gurley, E. W. Shaw)流の見解に立脚して内部 貨幣(inside money)と異なり外部貨幣(outside money)を純資産と見なすに しても,名目貨幣が発行者(政府)の債務であることを認めた上で,名目貨幣 の実質価値の変化が政府の支出に影響を与えないという意味でその債務として の側面を捨象し,保有者に対する富効果(wealth effect)のみを考慮する,つ まり純資産と見なすことになる。一方,内部貨幣,つまり民間部門に対する銀 行部門の貸付けによって創出される銀行貨幣では,その実質価値の変化は預金 者の資産と借手の負債双方に正反対の影響を与え,支出に対しては中立的な効 果しかもたないので純資産とは見なされないのである。この点,名目貨幣であ れ銀行貨幣であれ,それらが政府と銀行の生産物であるという意味で純資産と 見なすペセック・セイビングとは異なっていることに注意すべきであろう。 ペセック・セイビングの見解はユニークな内容を持つだけに多くの批判を受 けてきた。特に諸家の批判は貨幣と債務の結合生産物をめぐる問題に集中して む いるが,以下批判点を整理し,検討しよう。 23) Pesek and Saving, ibid., p. 118. 24)最も体系的な批判はフリードマン・シュヴォーツである。Friedman a4d Sghwartzi
貨幣の概念について 11 (1)伝統的な立場と異なった方法で名目貨幣の純資産たることを否定しよう の とした論者にアーマド(S.Ahmad)がある。彼によれば,ペセック・セイベ ンダは限界効用と全部効用を混同している。均衡では価値は全部効用でなく限 界効用によって決定される。詳言すれぽ,均衡では政府支出の限界効用はそれ をまかなうために必要とされる名目貨幣発行,国債発行,または増税の政府に 対する限界不効用に等しい。 (名目貨幣発行の政府に対する限界不効用とし て,たとえばインフレーションの懸念が挙げられる。)それゆえ,名目貨幣は それが保有者にとって正の純資産として限界効用をもたらすのと同じ大きさの 負の純資産である限界不効用を政府にもたらすことになり,相殺される。した がって均衡においては名目貨幣の総量はその社会の純資産を増加させるもので ない,と。さらに名目貨幣を生産物と見なすペセック・セイビングに立って も,名目貨幣の生産制限,つまり政府独占の仮定のみでは名目貨幣発行の政府 に対する限界不効用の存在は否定できないというのがアーマドの批判である。 この批判の妥当性は,純資産に関するペセック・セイビングの定義の後半部分 である「保有者以外に対する負のサービス・フロー」(前述)に具体的に何を 含めるかによって決まるといえよう。その意味でペセック・セイビングの定義 の不明確さは否定できない。 ② 貨幣・債務の結合生産物の金利と比較する市場金利とは具体的にいかな るものを指すのであろうか。同一の満期期限および同等の確実性または危険性 をもった債務との比較であろうか。アメリカでは元来,法律によって金利をつ けることが禁止されてきた当座性預金にしても,一定の預金残高のあるばあ い,小切手帳の作成や,小切手の収集・精算について手数料をとらないことが 多く,この残高が形式的にすぎないばあいは,実質的に金利が払われていると いえよう。 Monetary Statistics, oP. cit., pp. 110−!8.また,(]f. Shaw and Pierce, Monetary Economics, oP. cit., pp. 42−7. 2s) S. Ahmad, “ls Money Net Wealth?” Oeqf. Econ. PaPers, Vol. 22, No. 3 (Nov, 1970), pp. 357−6!.
12 (3)ペセック・セイビングによる結合生産物の視点には価格と数量,ないし 限界と平均の混同が存在する。この点を次の2つの側面から鋭く指摘するのは ヨ フリードマン(M.Friedman)とシュヴォーツ(A. J. Schwartz)である。既述 のように,ペセック・セイビングによれば貨幣と債務の結合生産物の金利が市 場金利と一致すれば,その結合生産物は債務に転化する。しかしながら,その ぼあい貨幣の機能を果す預金の交換手段サービスの価格(限界価値)はゼロで あっても,このことは貨幣たる機能をもつ預金の平均価格や数量がゼロである ことを意味しない,というのがフリードマン・シュヴォーツの批判の第1点で ある。それゆえ,結合生産物の金利が市場金利と一致しても,そのストック全 体の貨幣性が消失する,つまりストック全体が完全な債務に転化したとはいえ ないことになる。第2の批判点はこうである。ペセック・セイビングの結論を 具体的に述べれば,結合生産物の金利が市場金利の80パーセントであるとすれ ぽ1ドルの結合生産物は20セントの貨幣と80セントの債務から構成されること になる。しかし,これは貨幣性の使用料が無料ないしその価格がゼロ(自由 財)と解すべきであり,それゆえ1ドルの結合生産物は1ドルの貨幣と1ドル の債務を含むというのが正しく,貨幣性と利子支払性(interest−payingness)は 共に金額(ドル)で表示せざるをえないが異なった尺度であり加算できないも のである。このぼあい,貨幣性は利子支払性と結合して始めて存在しうるので ある。もし,ある金融資産が貨幣であるかないかの規準を純資産に求めるなら ば,結局貨幣は名目貨幣を内容とする基礎貨幣(base moneyまたはmonetary base)ないし高命貨幣(high powered皿oney)のみにならざるをえないとい うのがフリードマン・シュヴォーツの結論である。 かりにペセック・セイビングのように貨幣を生産物と見なしても貨幣のぼあ いはフロー(ストックの変化)がストックに比べてきわめて小さいことを考慮 すればフリードマン・シ=ヴォーツの第1の批判点は認めざるをえないであろ うし,また第2の批判点も説得的である。 26) Friedman and Schwartz, Monetary Statistics, esp. pp. 112−8.
貨幣の概念について 13 (4)貨幣・債務の結合生産物が債務に転化したぼあい,貨幣供給が減少する ので物価水準が下落(逆のばあいは上昇)するというペセック・セイビングの ヨの 結論に対して批判したのはジョンソン(H.G. Johnson)とフリードマン・シ ユヴォーツである。 ジョンソンの批判によれば,この結論は貨幣の購買力で測った貨幣の価格と 機会費用(利子率)で測った貨幣の価格を混同していることによる誤ったもの である。ジョンソンの批判はペセック・セイビングの推論の過程と離れている 点もあるので,これを彼らの線に沿って述べれば次のようになるであろう。ペ セック・セイビングは金利との関係で貨幣の価格を問題にしているので当然機 会費用で表すべきものであり,一方貨幣の購買力は別個の次元の聞題である。 つまり,結合生産物の金利が市場金利に一致するまで上昇する,または逆に下 落するということは,ペセック・セイビングのいうように貨幣供給の滅少また は増加,それゆえ貨幣の購買力の上昇または下落,つまり一般物価水準の下落 または上昇となるのではなく,機会費用の減少または増加という意味で貨幣の 価格が下落また上昇するのであって,それは貨幣の購買力に対してではなく貨 幣残高に対する需要に影響を与えるのである。 ジョンソンの見解では,このようなペセック・セイビングの混乱は彼らの銀 行間の競争概念の不明確さによるのである。ジョンソンはペセック・セイビン グと異なり銀行間の競争を2つのケースに分ける。いま同じ条件,銀行業への 参入が自由であり,銀行貨幣(預金)創出のコストをE一 Ptとすれば,(1)銀行 は創出した銀行貨幣でもって正の収益資産が得られるかぎり,銀行貨幣がゼロ となるまで創出するであろうし,一方,(2)銀行貨幣の創出に量的制限が加え られれば,銀行はそれに対して金利をつけざるをえなくなり,銀行貨幣の購買 27) H. G. Johnson, “A Comment on Pesek and Saving’s Theory of Money and Wealth,” Joz{r. of Money, Credit and Banking, Vol. 1, No. 3 (Aug. 1969), pp. 535 −7, reprinted in his Further Essays in Monetary Economies, 1972, pp. 133−36. 彼はグラフを使って議論を展開しているが,ここではペセック・セイビングの見解と 直接対比さすためその方法はとらなかった。 28) Friedman and Schwartz, Monetary Statisties, oP. cit., pp. 114−5.
14 力がゼロになるまでに銀行貨幣残高の需要と供給の均衡は達成されるであろ う。 たしかに,ジョンソンの批判はべセック・セイビングの分析の盲点を突いた ものであり,また結合生産物という形態での分析を避けるメリットをもってい る。ただ,銀行間競争につけられた条件についてペセック・セイビングを必ず しも公平に扱っていない。たとえぽ,(1)の分析に関しては,ペセック・セイビ ングのいう「即座の払戻し規定」が発動して銀行貨幣の購買力がゼロとなるま で創出できないであろう。 一方,フリードマン・シュヴォーツはペセック・セイビングと逆の結論に達 するという。というのは,銀行業への参入の自由と当座性預金に対する金利支 払いの制限の撤廃は名目貨幣の魅力を減少させ,需要は減少するであろうか ら。ただし,フリードマン・シュヴォーツには新しい条件が加わっているので 批判は公平であるとはいえないが,かりに結合生産物の金利が市場金利と一致 しても,既述のようにそれは限界的なタームにすぎず,貨幣の機能を果す結合 生産物がゼロになったのではないから,一般物価水準が大幅に下落するとはい えないであろう。 以上のように,ペセック・セイビングの分析はきわめてユニークな内容をも つゆえ,多くの批判が加えられ,また問題点も散見された。最も批判点が集中 したのは貨幣・債務の結合生産物に対してであった。彼らは,アメリカではこ のような結合生産物を貨幣として使用することは少くとも現在(1967年)では う まったく稀でおそらく存在しないとさえ述べているが,近年アメリカで出現し き ているNOW勘定(Negotiable Order of Withdrawal accounts)1つをとつ 29) ただし,預金に「即座の買戻規定」の付いていることを条件とする。(Friedman and Schwartz, ibid., p.114 and fn.)預金が名目貨幣より魅力があるにもかかわら ずフリードマン・シュヴォーッはこの条件を付けるが,それは彼らがこの質的制限 (注19)を参照)を決定的条件と見なすためであろう。 30) Pesek and Saving, Money, Weagth, op. cit., p. 2s4. 31)貯蓄預金に対して一種の小切手の使用を認めるものであって,1970年代初め,東部 の相互貯蓄銀行(mutual savings bank)によって開設され,その後全国的に拡大しつ つある。
貨幣の概念について 15 てみても,そのように簡単に割り切ることはできないであろう。 しかしペセック・セイビングが上述のように貨幣を純資産と見なしてきた基 礎には,伝統的な価値の理論(限界分析)を貨幣に適用して何ら矛盾はなく, 貨幣を含めて統一できるという方法論に立脚して貨幣概念を展開したのであ ヨ り,貨幣概念の部分のみを取りだして云々するのは公平でないかもしれない。 お それはともかく,次のブキャナン(」.M. Buchanan)のべセック・セイビング に対する共鳴的な評価は注目して良いであろう。 いま,銀行預金にかぎっていえば,1万ドルの当座性預金はたしかに要求あ り次第引きだされる債務1万ドルである。だが,その引出しが現金準備1000ド ルにとどまるならばその預金債務の予想現在価値は1000ドルとなり,その差 9000ドルが純資産ともいえ,これがペセック・セイビングのモデルの特質であ る。別言すれば,その特質は資産・負債という形式で銀行貨幣(預金)を扱っ てきた伝統的な処理(ブキャナン自身の表現を使用すれば,「中心的な会計上の パラダイム(central accounting paradigm)」)に対する大回な攻撃である,と。 最後にペセック・セイビングの主張するように名目貨幣と銀行貨幣を純資産 としたばあい,これを貸借対照表形式で示しておこう。 1)企業が政府へ財貨(1000ドル)を売って名目貨幣(!000ドル)を受け取った。
企業 (単位;ドル) 政府
A L A L名目貨幣1000 非貨幣資産1000
糸屯 資 産 1000 条屯 資 産 1000 2) 家計が銀行に預金(1000ドル)した。 家 計 (単位;ドル) 銀 行 A L A L銀行貨幣1000 名目貨幣1000
純資産1000 純資産1000
32) Cf. Pesek and Saving, !rUToney, IVealth, op. cit., esp. Ch. 9. 33) J. M. Buchanan, “An Outside Economist’s Defense of Pesek and Saving,” Jour. of Eeon. Literature, Vol. 7, No. 3 (Sept. 1969), pp. 812−/4. 34)ペセック・セイビングの例示を参考にした。Pesek and Saving, Money, Wealth, oP. cit., p. 143, p. 158.16 4 交換手段機能重視の立場 一その2一 交換手段機能を重視して貨幣概念の展開を試みるユニークな論者として第2 のグループに挙げるべきは二=・ 一一リン(W.T. Newlyn)とイーガー(L B. Yeager)であろう。両者に共通する視点は貨幣の特異性を経済に対する作用な いし機能に見いださんとするところにある。 先ずニューリンの見解をとり上げよう。彼の見解は時間と共に若干の変化を 示しているが,先ず『貨幣の理論』(Theory of M・ney, lst ed.,1962)の中で 貨幣を定義するにあたり,法律や慣習に基づく資産の地位(status)を重視す おの るのでなく,ある資産の機能の仕方に関する分析上の差異に注目する。結論的 に言えば,貨幣とは交換手段ないし支払手段であり,個人にとっては収入と支 出の差と共に自動的に増減するが,それによって全体としての総量は変化しな いし,また貸付市場(market for正oans)に対し影響を与えることもない。こ れを彼は中立性の規準(neutrality criterion)と呼ぶ。そしてイギリスでこの 規準を満たすものとして,まず現金通貨(名目貨幣)と当座性預金(銀行貨 幣)を挙げ,さらに定期i生預金をこれに加える。というのは,イギリスでは銀 行は準備慣習の点からこの2種の預金に重要な区分を設けていないからであ る。同著,初版での展開はこれだけにすぎないが,続く論文の中で,次のよう にこれを敷与している。ある資産が貨幣であるかないかの分岐点または貨幣 と準貨幣(近似貨幣)の区分はそれが交換手段として機能するか否かである。 このばあい重点は保有者の立場からする資産の地位ではなく,作用上の特質 (operational characteristics)という機能的規準にある。ニューリンは最も対 照的な現金通貨と債券を例にとって説明する。前者は支払いによって所有権が 移転してもそのこと自体が経済に対して何らの作用を与えるものでない。とこ 35)W.T. Newlyn, Theorンof Mo2zay, Ist ed.,1962, p.9,小泉明監修,山田・花輪 訳『貨幣の理論』,12ページ。 36) W. T. Newlyn, “The Supply of iMoney and its Control,” Economic Journal, Vol. 74, No, 2 (June 1964), esp. pp. 334−39.
貨幣の概念について 17 うが,後者は交換手段でないので債券市場で売却することにより始めて支払う ことができるのであって,そのぼあい貸付市場に対して影響を与えることにな る。近似貨幣である建築組合(building society)預金はどうなるであろうか。 その引出しは小切手(建築組合は支払準備を商業銀行への預金の形態で保有す るので,これに宛てて振りだされる)の形態をとる。建築組合は準備の減少を 補うため手持証券を売るか貸付金を回収する。この結果,商業銀行預金は全体 として変化しないが,貸付市場は影響を受けるので,建築組合預金は近似貨幣 37) であっても貨幣とはいえないQ 3a) これに対してフリードマンやシュヴォーツが批判するように,たとえば現金 を受けとってそのままの形態で保有せずに銀行や建築組合などの金融仲介機関 に預金すれば中立性の規準は損われ,逆に建築組合などの金融仲介機関から預 金を引きだして銀行でなく他の建築組合に預金すれば逆に中立性の規準が維持 できるといえるかもしれない。しかしこのような批判はニューリンの意図する ところを損うものであり,彼のいう中天性の規準の本質を変えるものではない 39) というニューリγの反論にも肯定できるものがある。 ともあれ,r貨幣の理論』の改訂版(第2版1971年,第3版!978年)では一 40) 般均衡の概念を使って次のように言う。貨幣とは商品市場また生産要素市場に 37) その他郵便貯蓄銀行(Post Office Savings BanlO預金や当座借越便宣も貸付市場 に影響を与えるので貨幣とはいえない。 38) Friedm.an and Schwartz, 111’onetary Statzstics, o/), ctt,, pp. 120−1 39) ニューリンぽフリードマン・シュヴォーソの批判をある程度認めつつも,「現金を 受けとった」り,「金融仲介機関預金を引き出した」りした後にどのような行為があ っても本質を変えるものではないと反論する。“The Definition of Money:Net Weal− th and Neutrality as Criteria,” a Reply by W. T. Newlyn, 」”ou.r. of 1140ney, C形疏and B磁んzフz島VQI.4, No.1(Feb. 1972), pp.1!8−20.なお, cf. W. T. Newlyn and R. P. Bootle, Tlzeory of Money, 3rd ed., 1978, p 32 40)W.T. Newlyn,丁物rツof frfoney,2nd ed・, P.4!,前掲訳書(第2版)5!ペーシ, 一and Bootle, oρ. ci9., p.32.なお,出版において次の表現も行っている。発達し た銀行組織において生じた金融取引が銀行の同一の準備慣習または銀行資金の内部市 場の存在によってゼμ和をもつということである.と。2nd ed., op. crt., P.37,前掲 訳書46ページ,3rd ed., oカ. cit. P.30,
18 おける超過需要をまかなうために使用されるが,それはかならず貸付市場にお いてゼロ効果になる資産から構成される,と。 たしかに貨幣は社会的産物であるゆえ,制度や慣行の変化と共に変るもので あろうが,ニューリンの中立性の規準が制度的な要因によって左右されるとこ ろが大きい(たとえばイギリスにおける当座性預金と定期性預金の準備率の同 一性)とすれば,時間的・空間的な普遍性の上から問題は残るであろう。 べの 次にイーガーの見解を聞こう。彼は貨幣に対する超過需要(ないし超過供 給)は近似貨幣を含む他の金融資産や財貨一般に対する超過需要ときわめて異 なった作用をもつ点を強調する。つまり,貨幣を除く金融資産や財貨の超過需 要はそれぞれの市場における価格ないし利回りの変化によって消滅する。とこ ろが貨幣には自らの市場はなく,それゆえ市場を清算する機能を果す自らの価 格をもたずあらゆる市場で取引されるので,貨幣の市場価値は他のすべてのも のの価格の平均値の逆数となり,貨幣の需給の不均衡はきわめて大きな影響を もつことになる。r貨幣の超過需要は他のものに対する需要の不足として現わ れる。なんとなれば,貨幣に対する需要は支出を抑制することによってのみ満 しうるからである。貨幣は価値貯蔵手段として多くの密接な代替物をもつとし ても,近似貨幣の中の最も近似的なものであっても,日常の交換と流通の単純 であるが重要な特色を貨幣と分ちあうことはない。」さらに貨幣に対する超過 需要は,イーガーの表現によれば,独特であるが不愉快な方法で消滅する。入 門は貨幣で所得を受けとり,一部をそのまま貨幣の形態で保有することにより 貨幣に対する超過需要を満たすことができる。しかし,これは価格の完全な伸 縮性がなければ市場の円滑な機能を損い生産と雇用を減ずることになる。これ に反して,いかに貨幣に類似の近似貨幣であっても,人々はそれで所得を受け とることもないし,貨幣のような影響を経済に対して与えることはない。イー ガーは論文執筆時(1968年)ではアメリカには幸い貨幣と非貨幣の境界線上の 41) L.B. Yeager,“Essential Properties of the Medium of Exchange,”Kblklos, Vol. 21,No.1(1968), pp.45−69. 42) Ibid., p.64.
貨幣の概念について 19 資産は存在しないとしているが,前節で触れたようにアメリカの現状を考慮す れぽ正鵠をえたものではない。 以上のように,ニューリンとイーガーは共に貨幣の交換手段機能を重視し, 貨幣を保有者の視点からではなく交換手段として経済に対する機能ないし作用 を重視する点に共通性をもっている。イーガーはさらに進んで貨幣はそれで所 得が受けとられるが自らの市場も価格ももたない点を重視し,貨幣の不均衡 (特に超過需要)の解消は他の金融資産や財貨のように直接的でなく間接的で あり,それゆえ経済に対する作用も大きくしかも不愉快であるとした。しか し,ケインズは貨幣を保有者の視点から分析し,その価値貯蔵手段機能を重視 む したのであるが,経済に対する作用を重視した点ではイーガーと変りはない。 もっとも既に触れたように,貨幣は現在と将来を結ぶ連鎖,さらにはそれが不 確実性と結び付く視点がケインズのぼあいは重要なのである。 5 価値貯蔵手段重裡の立場 以上で貨幣の交換手段の機能を重視しかつユニークな見解をもつ代表的な論 者の考察を終りたい。 さて,このような見解と対立するのは貨幣の資産としての側面,特に価値貯 蔵手段の機能を重視する立場である。この見解を経済分析の観点から明確にし た最初の代表者はいうまでもなくケインズであり,この点についてはすでに論 及した。ケインズが最も重視した貨幣保有の動機は投機的動機であり,そのた めの必要条件は不確実性の存在である。これをケインズ自身の表現によると, 「……利子率に関する不確実性,つまり諸々の満期に対する諸々の利子率の複 合体(complex)についての不確実性の存在である。な:んとなれば,もし将来 43)Jbid., p.67..なおイーガーは旅行小切手は発行銀行へ還流すると支払いのため保有 資産を売却するので貸付市場を擁乱し,中立性規準は満たされないとする。ニューリ ソは旅行小切手の中立性規準には触れていない。Cf. Ibid., p.57. 44) イーガーもケインズの貨幣観に触れているが(Yeager, ibid., P.60),われわれ.の 視点と異なった方向でそれを考察している。
20 のある時点において支配する利子率が確実に予見できるならば,将来のすべて の利子率は満期を異にする諸々の債権(debts)に対する現在の利子率……から うラ 推定しうるであろう。」ただし周知のように,ケインズのいう不確実性は投機 家の判断が主観的確率に基づくものであり,その結果利子率の先行きについて 異なった判断を行う投機家(弱気筋と強気筋)が市場に存在する,つまり市場 の不確実性を意味した。このように投機的動機に基づく貨幣(遊休残高)は債 権(または債券)保有から生ずる資本損失を避けるためのもの(弱気の状態) であり,これこそ貨幣を価値貯蔵手段と見なす典型的見解である。 このように貨幣を支出ないし取引のために使用する側面でなく,資産として 保有する側面を重視するのがケインズの特色であるが,そこでの貨幣は貯蓄を いかなる形態で行うか,つまり貨幣,債権いずれの形態で保有するかの問題 であり,支出とは直接関係のない遊休残高としての貨幣が重視される。このよ うな資産としての,または価値貯蔵手段としての貨幣は伝統的な狭義の貨幣 (Mi)だけでなく,それより広義のM,さらにはM,の形態をとるであろう。 もし元金が保証されその上金利のつく近似貨幣や,さらには資本損失の可能性 が限定されしかもかなりの金利のつく金融資産であれば進んでその形態で貯蓄 ないし富が保有されるであろう。そのばあい,貨幣と非貨幣資産との問に明瞭 な境界線を引くことは困難であろうし,貨幣を価値貯蔵手段と見なすぼあいに はそうすることは不必要であろう。というのは支出をまかなうために一時的に 保有される貨幣は主としてM,の形態をとるであろうし,価値貯蔵手段として の貨幣は銀行への定期性預金,種々の金融仲介機関への預金を含むいわゆる近 似貨幣の形態をとるであろうから。 このように見ると資産ないし価値貯蔵手段としての機能を果す貨幣は近似貨 幣を主体としたものになるであろう。しかし,いうまでもなく価値貯蔵手段の 45)∫.M. Keynes, The General Theory, oP. cit., p.168,前掲訳書202ページ。 46) これをケインズのATreatise on Probability,1921の見解と結び付けた緻密な展 開は菱山泉「ケインズにおける不確定性の論理」『思想』4号,1967年.418−34ペー ジに見られる。なお,ミンスキーもこの点に注目している。H. P, Minsky, John Mαツnard Ke二ynes,1975, PP.64−7,
貨幣の概念について 21 機能を果す金融資産には貨幣や近似貨幣のみならず,短期・長期の公共債や社 債等も含まれる。資本損失の可能性の小さい短期政府証券や満期の接近した公 共債や社債のばあいは特にそうであろう。第2次大戦後アメリカやイギリスを 中心とする先進諸国で,銀行以外の各種の金融機関,いわゆる金融仲介機関の 創出する債務や種々の公共債が出現し,それらと貨幣や近似貨幣との間の代替 ユつ 性が問題とされるにいたり,これらの資産を一括して流動性という概念で包括 して呼ばれるようになってぎたQ 48) このような背景のもとに生れたのがかーレイとショウの見解である。彼らは 戦後アメリカで発展してきた相互貯蓄銀行や貯蓄貸付組合(savings and loan association)などの金融仲介機関の債務は商業銀行預金より拡大し,後者を含 む伝統的な貨幣の密接な代替物であると考える。そしてそのイギリス版ともい 49) えるラドタリフ報告(Radcliffe Report)は貨幣に代えて流動性概念を前面に押 しだしたのである。本報告によれば,金融政策とは溢出を行わんとする経済主 体の流動性状態を変えることによって総需要に作用することであって貨幣供給 自体は重要な要因でない(395節(d))。さらに同報告は,支出決意は広義の流動 性に依存し貨幣に直接接近することの難易に依存するものではないとし(390 節),また金融機関の貸出態度は貨幣量よりもむしろ経済の流動性(liquidity in the economy)の大きさに重要な関係をもつとした(392節)。ここでも流動性 の定義は与えられていないが,それは貨幣の代替物となる流動性の高い資産が 47) ケインズ自身流動性,流動性選好.流動性打歩という用語を使用したが,定義は与 えていない((況G.LS. Shackle, Keynesiαn Kaleidics,ユ974, p.63)。それは貨幣 と同義反覆的に使用されている。また貨幣のいくつかの特性を流動性という用語で 表わすばあいがある。これについては,T. Scitovsky, Money and the Balance of Payments,1969, p.9,山本・片山訳『貨幣と国際収麦の理論』,11ページを見よ。 48)G.S. Gurley and E. S. Shaw, Money in a Theory of Finance,1960,桜井欣一 郎訳『貨幣と金融』,一,“Financial Intermediaries and the Saving−lnvestment process,”Jour. of,Fznance, VoL 11, No.2(May,1956), pp.257一一76, etc. 4g)Co釦nittee on the Working of the Monetary System, Reクorち1959,大蔵省金融 問題研究会『ラドタリフ委員会報告』
22 うの 多量に存在する状態を指していると考えられる。ラドタリフ委員会の一員であ ったセイヤーズ(R.S. Sayers)も伝統的に使用されてきた貨幣の概念に代え て流動資産という広い概念を重視し,貨幣を含むこのような資産間の代替性を 重視したのである。 ここでガーレイ・ショウにせよ,ラドタリフ報告にせよ,貨幣に代替的な流 動資産のいかなる側面に注目しているのであろうか。ラドタリフ報告自体は支 ヨの 出決意に関連して流動性を重視するように見える。これは活動残高としての流 動性の把握であり,ケインズの重視した遊休残高としての把握は明確には示さ れていない。しかしこれは報告が当時インフレーションと国際収支不均衡に悩 むイギリス経済を対象とし,理論分析に重点が置かれていないからであろう。 セイヤーズは次のように言う。活動貨幣と遊休貨幣との分割は誤解を招くもの であり,どのような資産も取引の決済において所有権が移転されるぽあいを除 き遊休状態にあるが,いつでもそれが使用される形態で保有されている意味で らの は活動残高である,と。しかし,保有されている非貨幣資産は支出のためであ れ他の非貨幣資産の購入のためであれ,交換手段たる貨幣に換えることが必要 であり,その意味ではこのような非貨幣的流動資産は遊休残高と見なすことが できるであろう。セイヤーズも「金利の付かない購買力と購買力に影響を与え らの ない利付資産との間に明確な線は存在しない」というように,遊休残高と活動 残高を区分できないといっているのであって,貨幣を含むあらゆる流動資産が すべて支出に関連する,つまり活動残高としての保有のみを考慮しているので はないし,ラドタリフ報告も理論的には同様な立場をとっていると思われる。 ガーレイ・ショウは貨幣が支払手段としてのみならず資産として需要され,非貨 50)たとえば,Par.392, Report, op. cit., p.133,前掲訳書,105ページを参照。 51) R. S. Sayers, “Monetary Thought and Monetory Policy in England,” Economic Journal, Vol. 70, No. 280 (Dec. 1960) pp. 710−24. 52) たとえば,Pars,389,390. Report, op. cit, pp.132−33,前掲訳書,104ページを 見よ。 s3) R. S. Sayers, ‘CMonetary Thought and,” oP. cit., p. 7!2, 54) R. S. Sayers, ibid.
貨幣の概念について 23 幣的金融資産も同様な意図で保有されるとし,さらに「非貨幣的金融資産が取 ららう 引的,予備的,投機的残高の形態をとる……貨幣に代替すればするほど……,」 というように,貨幣さらにはそれと代替的な流動資産の遊休残高としての役割 を十分認めているのである。 一方,フリードマンに代表されるマネタリストの貨幣観は実証主義に基づく ので,本稿の直接考察対象外であるが,簡単に言えば,彼らは国民所得との間 に高い相関関係をもつ流動資産を選んで貨幣(彼のばあいにはM2)とし,貨 幣を購買力の「一時的すみか」(temporary abode of purchasing Power)と見 56) なした。このような機能を果す流動資産はM,に限定されずM,などの広義の マネー・サプライにまで拡大されるが,ケインズのタームで言えばそれはあく まで取引動機に基づく活動残高でありケインズ的な遊休残高は考慮の外にあっ たので,本質的には交換手段の機能を重視する古典学派貨幣の延長線上にある といえるであろう。 4 む す び われわれは先ず貨幣の概念に関する伝統的な接近を考察し,ピックスの2つ の3角形の意義を探らんとした。そこから出発して貨幣概念に関する戦後の理 論的な対立を2つの流れに分けてこれを考察した。その一方は交換手段の機能 を重視する伝統的な立場であり,そこでは活動残高のみが視界に入る。他方は 価値貯蔵手段の機能,つまり資産としての貨幣または遊休残高を重視するケイ ンズの立場に沿った見解である。ペセック・セイビングやニューリン・イーガ ーに見られるように,問題点は含みながらも交換手段機能を重視するグループ によってユニークな分析が行われた。この立場は貨幣を交換手段として考える Jrs) J, G. Gurley and E. S. Shaw, “Financial lntermediaries,” oP. cit., p. 261. 56) Friedman and Schwartz, IVIonetary Statzstics, op・cit・, Part工,一, A M’onetary History of the United States;1867−!960, 1963, Appendexes, Friedman, Dollars and D聯’αオ∫,1968,esp. pp.195−6.フリードマン・シュヴォーツ自身は「交換手段」が 購買力の一時的すみかという概念を含むと見なしうるともいう。Friedman and Sch− wartz, iVonetarrv Statistics, oP. eit., p. 107.
24 のでそれば一般的に狭義のもの(フリードマンとイギリスの制度的要因を考慮 するニューリンは例外として)となる。他方,価値貯蔵手段ないし資産として の貨幣を重視するケインズ的な立場では,広義の貨幣が重視された。戦後アメ リカの金融仲介機関の発展やイギリスで見られた大蔵省手形(TB)を始めと する多様な流動資産の存在をふまえて,ガーレイ・ショウやラドタリフ報告の 見解が出現し,彼らは貨幣に代替的な種々の流動資産の存在を重視した。ただ し,既述のように彼らの視点がケインズのそれと完全に一致しているとはいえ ない。 この2つの立場のうちの一方は貨幣の交換手段の機能を重視するが,他方は 資産としての貨幣の側面に注目すると同時にそのような機能を果す代替的な流 動資産の存在を重視する。前者の立場に立ってもM,のような広義の貨幣を重 視するフリードマンもある。さらに,ニューリンの見解を拡張し,もし金融仲 介機関の準備金保有方式や準備率そのものが銀行とまったく同一になれば中立 性の規準を満たす貨幣の範囲は拡大することになるであろう。さらにアメリカ で見られるように,NOW勘定やそれに類似の便宣は交換手段としての貨幣の 範囲を拡大するものである。もちろん,これはアメリカにおけるごく最近の制 度的革新ではあるが,それまでにも多種多様の流動資産が存在し,企業の財務 管理技術の発展やインフレーションの高進と共に企業や家計の金利変動に対す る感度の増大に応じて遊休残高のみならず活動残高も近似貨幣やその他の流動 資産で保有されるようになると上述の2つの立場の理論的な対立点も現象面か ら不明確になってきたといわざるをえないであろう。