立命館白川靜記念東洋 亣 字 亣 硏究紀 第八號 二三
まえがき
本論を書くきっかけになったのは 、安也致 、徐海寧両氏の ﹁古代亀 卜文化の文字における表現について︱
甲骨文字 ﹃船﹄形偏旁の意味 の検討﹂ ﹃駒沢史学﹄ 52号 ︵駒沢史学会︶を読んだことである 。最初 はなるほどと思ったが 、何か違和感を抱き 、それを解決するために自 分の解釈を整理しながら両氏の論文に対する批判点を見つけていっ た 。当論文で ﹁ 務 ﹂符号について論じる際にも 、この論文を批判する ことから始めさせていただいた 。﹁ 務 ﹂のもつ意味について浮き彫り にできるからである 。安也致 、徐海寧両氏にはこの場を借りてお礼を 申し上げたい。 甲骨文 ﹁ 務 ﹂は従来 ﹁凡﹂と解されてきたが 、それ以外にも神の住 む天とこの世である地を媒介する祭祀的符号としての意味がある 。そ のため祭祀に関わるさまざまな文字に ﹁ 務 ﹂が使われている 。本稿で は、 ﹁ 務 ﹂がなぜ祭祀の符号として使われたのか 、その明確な意味を 探り出すとともに 、一方においてなぜ ﹁ 務 ﹂が ﹁風﹂の意味に使われ たのかを考察する。 さらに 、﹁ 鳳 ︵ 風︶ ﹂が楷書になるに及んで 、なぜ ﹁凡﹂なる漢字が 用いられたかについて考察する 。﹁風﹂は 、空気の移動によって起こ るもので 、もし ﹁風﹂という漢字を創作することを考えた場合 、﹁風﹂ が想起でき得るようななんらかの比喩が必要であると考えられるが 、 その比喩とははたして何であるのか 。また ﹁凡﹂と近似した意味とさ れる ﹁般﹂の意味を明らかにし 、これらの漢字を通じて貫通した古代 人の観想があることを明らかにしたい 。従来の ﹁ 務 ﹂符号についての 意味の捉え方は 、﹁ 務 ﹂を ﹁盤﹂ ﹁槃﹂と解釈するものが多いが 、本稿 ではその間違いを指摘し 、﹁ 務 ﹂符号の正確な意味を導き出したいと 考える。一
﹁古代亀卜文化における表現について
︱
甲骨文
字
﹃船﹄形偏旁の意味の検討﹂
︵安也致
、徐海寧
著︶に対する批判
﹁舟 ︵ ︶﹂なる記号の意味について 、亀卜に使う亀の甲羅の意と解甲骨文﹁
﹂符号の原義について
張
莉
甲骨文﹁ ﹂符号の原義について 二四 釈する安也致 、徐海寧両氏の見解があり 、それに対して資料批判をし たいと思う 。以下については論文 ﹁古代亀卜文化における表現につい て
︱
甲骨文字 ﹃船﹄形偏旁の意味の検討﹂ ︵安也致 、徐海寧著 ︵ 1︶ ︶に 基づく。 ﹃左伝﹄ 隠公十一年に ﹁滕公曰⋮⋮我、 周之卜正也 ︵滕公曰く⋮⋮我、 周の卜正なり︶ ﹂とあり 、滕公という人物が 、卜官の長であったこと が載せられている 。この ﹁滕﹂は小篆を ﹁ ﹂につくり 、甲骨文に は見えず、金文を﹁ ﹂につくる。小篆の﹁ ︵水︶ ﹂の部分が金文 では ﹁ ︵火︶ ﹂になっている 。これは ﹁朕﹂の金文 ﹁ ﹂の両手の 下に ﹁火﹂の符号を付けた形となる 。この字中の ﹁ ︵舟︶ ﹂は海川 に浮かぶ舟ではありえない 、と両氏はいう 。滕公の職業が卜正すなわ ち亀卜を司るものであり、 金文﹁ ﹂よりみた契柱︵金属の棒﹁ ﹂ ︶ を両手にもち火で炙る行為を重ね合わせれば 、﹁ ﹂は亀卜行事に使 う亀であると両氏は断定する。 ﹁朕﹂字について 、﹃説文﹄八下に ﹁我也 、闕 ︵我なり 、欠︶ ﹂とし ている 。﹁我﹂は代名詞であり 、仮借の用法であるから ﹁朕﹂の原義 ではありえず、 この字の義については未詳であると許慎は述べている。 その理由は 、小篆 ﹁ ﹂の ﹁ ﹂の意味するところが不鮮明だか らではないだろうか 。﹁朕﹂字の ﹁ ﹂は両氏が言うように海川に浮 かぶ舟の意ではあり得ず 、祭祀に関わる符号であろう 。﹁ ﹂字は現 在では海川に浮かぶ舟を意味するのでそのイメージが強いが 、甲骨文 を見ると舟の意味ではない使われ方をしているものが多く存する 。 例 えば、甲骨文に﹁ ﹂を含む文字に﹁服﹂ ・﹁前﹂ ・﹁受﹂がある。 ﹁服﹂ は甲骨文では ﹁ ﹂、 金文では ﹁ ﹂ につくる。両氏によると、 その意について ﹁﹃舟﹄は征兆を求める時に使った霊物つまり亀甲で あり 、拝跪している人物 ︵又は拝跪させられている人物︶は 、神霊の 予示に服従している事を表現しているのである﹂と述べている 。﹁前﹂ は甲骨文では ﹁ ﹂、金文では ﹁ ﹂につくる 。﹁ 前﹂の正字は ﹁ 臀 ﹂ で 、足跡の形を意味する ﹁止﹂と ﹁舟﹂よりなる 。﹁ 臀 ﹂は ﹃説文﹄ 二上に ﹁不行而進謂之 臀 、从止在舟上 ︵行かずして進む。之を 臀 という。 止の舟上に在るに従ふ︶ ﹂とあるが、甲骨文には﹁ ︵道を意味する︶ ﹂ が含まれており、 道上を舟で進むことはあり得ない。両氏によると ﹁実 は ﹃舟﹄ は亀卜の神霊を表し、 ﹃前﹄ という文字は神霊の加護によりずっ とたえずに速く道を歩けるという人類の認識を反映するものである﹂ と説く 。﹁ 受﹂は甲骨文 ・金文ともに ﹁ ﹂ ﹁ ﹂と書く 。この文字 中の ﹁ ﹂ ﹁ ﹂は亀卜の意を表すとし 、その意は 、自分の願望を神 霊に伝え吉兆の実現を期すものであるとする 。卜辞の中には ﹁受年 ︵年 を受く︶ ﹂の記述が多くあるのもその意味であるという 。両氏によ ると、 三字に共通する﹁ ﹂の意は卜に用いる亀甲ということになる。 両氏は ﹁﹃舟﹄は 、文字の最初の段階では木造船の意味として使わ れたが 、その後 ﹃亀﹄と仮借された 。宗教文化の複雑化及び亀卜文化 の発達に伴って 、数多くの ﹃舟﹄形を含め 、宗教活動を表す文字が多 量に出現した 。時代の推移に伴って 、商周時代の後に亀卜文化がだん だん衰微していくと、 造船技術の不断の発展とあいまって、 ﹃舟﹄ は ﹃亀﹄ の意を段々失っていく﹂と述べている 。両氏の ﹁ ﹂を亀甲だとした 考え方は以上のようである。立命館白川靜記念東洋 亣 字 亣 硏究紀 第八號 二五 しかしながら 、両氏はなぜ ﹁ ﹂が亀甲を意味するのかについては 単に意味上の仮借とし 、意味的関連を述べていない 。これについて段 玉裁﹃説文解字注﹄における﹁朕﹂の項に、 興味深い記述がある。 ﹁戴 先生曰 、舟之縫理曰朕 、故札續之縫亦謂之朕 、所以補許書之佚文也 。 本訓舟縫 、引伸爲凡縫之 䆑 。凡言朕兆 隅 、謂其幾甚微 、如舟之縫 、如 掟 之 䆯 也 ︵戴先生曰く 、﹃舟の縫 理 を朕と曰ふ 、故に札續の縫も亦た 之を朕と謂ふ﹄と、 許書の佚文を補ふ所以なり。本訓は舟の縫なりて、 引伸して凡そ縫の 䆑 となる 。凡そ朕を兆 と言ふ者は 、其の幾 甚だ微 か なるを謂ふ 。舟の縫の如く 、亀の 䆯 の如きなり︶ ﹂とある 。戴先生は 段玉裁の師戴震のこと 。舟の縫とは板と板との継ぎ目を言い 、札続の 縫は櫂の板の継ぎ目をいう 。段玉裁によると ﹁朕﹂は引伸して兆を意 味し 、それは亀の 䆯 ︵裂け目︶の如しと述べている 。この説について は 、舟の縫↓兆し↓亀の 䆯 との意味の拡張がやや飛躍に過ぎるとも見 られるが 、戴震の時代に ﹁朕﹂字内の ﹁ ﹂について 、亀甲占の兆 の意とする見識があったことは、一考に値する。 筆者は 、両氏の論考に興味を抱くが 、両氏が ﹁ ﹂の意味を亀甲と する論のすべての考証が成立したとは思っていない 。なぜなら 、金文 の﹁ ︵滕︶ ﹂字中の各々の符号が象形である中で 、どうして ﹁ ﹂ だけが仮借の ﹁舟﹂であるのか 、という疑問が残るからである 。した がって 、両氏の論文からは ﹁舟﹂が亀甲の仮借として使われたとする が、 ﹁ ﹂がなぜ亀甲を意味する符号として使われたのかは不可知の ままである。 海川に浮かぶ舟以外に使われた ﹁舟﹂ ・﹁ 聆 ﹂ の小篆 ﹁ ﹂ はすべて、 神霊と交流するための祭祀の符号の意と見てよいが 、それらすべての 祭祀に甲骨が介在するわけではない。 安也致、 徐海寧両氏がいう ﹁滕﹂ ・ ﹁朕﹂字における ﹁ ﹂は 、甲骨を指すものではなく 、おそらく海川 を行き交う舟から導かれ 、天地交流を意味するものとして祭祀を表す 漢字に付された象徴符号としての舟ではないだろうか。前述の ﹁服﹂ ・ ﹁前﹂ ・﹁受﹂における舟の記号を甲骨と解釈するのは 、その証拠とな るものがなく 、恣意的と解さざるを得ない 。それらを単に天地を行き 交う舟から導かれた ﹁ 天地を交流する祭祀を意味する符号﹂の意と解 する方がより自然である。
二
祭祀の符号﹁
﹂の意味について
上記に安也致、 徐海寧両氏の論考に対する批判を述べたが、 ではいっ たい ﹁ ﹂がどのような意味をもつのかについて述べたいと思う 。 こ こでは 、﹁ ﹂の祭祀の意味を炙り出すために 、古代の民俗における 船を考察してみたいと考える。 日本の葬礼のひとつである船形木棺は弥生時代の終末期にすでに見 られる 。京丹後市峰山町で発掘された 16基の木棺のうち 6基に登る船 形木棺が確認された 。残りの 10基の木棺は板を箱型に組み合わせたも のである 。また 、大阪市平野区の加美遺跡の弥生遺構では 、実用の船 の部材 ︵舷︶を切断して箱式木棺の部材に使用していた ︵ 2︶ 。また 、船 形木棺は埼玉稲荷山古墳や静岡県の若王子二号墳など古墳時代の陵墓 からも多く見られる 。松前健氏は ﹁太陽の船の信仰は 、主として巨石 古墳 、舟葬 、死者祭祀 、冥府などと多く結びついていることは注目す甲骨文﹁ ﹂符号の原義について 二六 べき点である 。恐らく太陽の日毎の大地からの出没の現象を 、地下の 冥府を通って旅するのだと考え 、しかもそれが水葬の風 、すなわち死 者の魂が海洋を越えて他界に往くという 、水辺民族に特有な信仰と結 びついて、こうした複合信仰となったものであろう ︵ 3︶ ﹂と述べる。 古墳時代後期の鳥船塚古墳 ︵ 4︶ や珍 敷塚 古墳 ︵福岡県うきは市 ︵ 5︶ ︶に描 かれた船の舳先に鳥を乗せて舟をこぐ人の装飾壁画は 、この墓に葬ら れた人が鳥に案内されてあの世に赴く様子を描いていると思われる 。 特に 、珍敷塚古墳の壁画には 、右の方にヒキガエルが描かれている 。 ヒキガエルはウサギとともに月に住むものとされ 、それ故にヒキガエ ルの前方にある円は月と見られる 。左の画面にある船上の同心円は太 陽であろう 。さらに 、中央に大きく描かれた渦巻状の蕨 手文 は呪術的 な文様とされている 。筆者が考えるに 、ここに葬られた人物が 、太陽 の輝く陽の世界︵この世︶から、 月を支配する陰の世界︵あの世︶へ、 すなわち船で現世から来世へと旅立とうとする姿が表されているもの であろう 。なお 、珍敷塚古墳の被葬者は ﹃日本書紀﹄巻十七継体天皇 にでてくる ﹁目 煩 子 ﹂の可能性があるように思う 。朝鮮にすでに派遣 されていた毛野臣の失政を正すために遣わされた人である 。﹁ 目煩子﹂ は宇治谷孟訳 ﹃日本書紀﹄ 全現代語訳 ︵講談社1988.6︶ では ﹁メ ズラコ﹂であるが ﹁メズラシ﹂とも読めるし装飾古墳の時代としても 適合している 。1950年に古墳が発掘される以前に 、すでに ﹁珍敷 塚﹂の地名が存在した。 ヒキガエルが月を象徴する動物であることは 、江蘇 䉤 胎東陽の漢墓 より出土した木刻天象図 ︵ 6︶ に見られ 、古代中国において成立した観想 であることは疑いがない 。また 、 前漢代の長沙馬王堆 1号墓出土布 帛画 ︵ 7︶ や 3号墓出土布帛画 ︵ 8︶ にも 、墓に葬られた人が船に乗って旅する ところが描かれている 。また 、日本の古墳中に埋め込まれている船の 埴輪が 50例以上あるが、 これもまた、 墓に葬られた人の霊魂が船によっ てあの世に導かれるとする観想があったことを示している 。船形埴輪 は装飾古墳の壁画と同じ造形意思に貫かれているのは間違いが無い。 松前健氏は ﹁わが国に果たして舟葬があったかどうかは問題の存す る所であろうが 、古墳内に見られる船型の石棺や木棺の存在 、また棺 のことをフネ 、入棺をオフネイリなどという語 、また北史にわが上代 の葬送の風を録して ﹃屍を船上に置いて陸地之を牽く﹄という記事 、 ︵後略 ︵ 9︶ ︶﹂と述べ 、舟葬が日本で行われていたことを ﹁船型の石棺や 木棺﹂にその証拠を認めている 。上記から考えると 、古代の中国や日 本では船についてこの世とあの世を行きかう乗り物としての観念を抱 いていたようである 。日本の古語で海を天と同じく ﹁ あま﹂と訓ずる ように 、海と天は無限大の空間として無分別な使われ方をしており 、 ﹁舟﹂が天地を行き交うのは 、そのような考え方が根底にあるからと 思われる。 ﹁ ﹂符号は 、船の意味が拡張されて 、神の世界とこの世を媒介す るものとしての意味をもつようになる。 ﹁舟﹂ は甲骨文に ﹁庚申卜、 舟、 尞二牢﹂ ︵合集一二二一︶とあり 、牢は羊 ・牛などの犠牲を表し 、尞 は木を組んでこれを焚き 、天を祭る祭祀であるから 、この ﹁舟﹂は祭 祀名を表すものである 。ただしここからは 、﹁舟﹂がどのような祭祀 であったのか、詳しいことはわからない。
立命館白川靜記念東洋 亣 字 亣 硏究紀 第八號 二七 古代における ﹁舟﹂の観想を示したものに ﹁恒﹂の字があり 、以下 説明したいと思う。 ﹁恒︵旧字 恆 ︶﹂は小篆を﹁ ﹂につくり、金文を﹁ ﹂につく る 。﹃説文﹄十三下に ﹁常也 、从心从舟 、在二之間上下 、心以舟施恆 也 ︵常なり 。心に従い舟に従ふ 。︵ 舟は︶二の間に在り上下し 、舟を 以て心に施す 、恆なり﹂とある 。これについて ﹃段注﹄では ﹁謂往復 遥遠 、而心以舟運旋 、歴久不變 、恆之意也 ︵謂 ふに 、遥か遠くに往復 し 、而して舟を以て心を運旋するを謂ふ 。久しきを歴 て不変なり 、は 恆の意なり︶ ﹂と注している 。段玉裁は ﹃説文﹄の ﹁施﹂を ﹁運旋﹂ と解しており 、﹁舟﹂が ﹁二 ︵天と地︶ ﹂の間にあって上下し 、心が舟 によって運ばれるので ﹁恒﹂ ︵不変︶ であるということになる。舟によっ て運ばれる霊魂の不滅という観想から ﹁恒﹂の字義を述べたものであ ろう 。この観想は 、珍敷塚古墳の壁画に見るこの世からあの世に行く 霊魂の不変 ・不滅に通じるものがあると思われる 。﹁ ﹂符号は上記 のような観想から 、祭祀の際に天と地の交流のための象徴符号として 使われたものと思われる。
三
﹁
﹂を含んだ文字
﹁服﹂
﹁受﹂
﹁前﹂の原義につ
いて
ここでは、 安也致、 徐海寧両氏が述べた ﹁ ﹂ を含んだ文字 ﹁服﹂ ﹁受﹂ ﹁前﹂について 、文字符号としての ﹁ ﹂がどのような意味をもつの かを述べたいと思う。 ﹁ 務 ﹂と ﹁ ﹂は 、しばしば同一の符号として使われる 。﹁服﹂は金 文に ﹁ ︵毛公鼎 ︶ ﹂ ・ ﹁ ︵克鼎︶ ﹂ があり、 ﹁朕﹂ は金文に ﹁ ︵頌鼎︶ ﹂・ ﹁ ︵師 糂 鮎 ︶﹂ にその事例が見られる。これから考えると ﹁ 務 ﹂ と ﹁ ﹂ には 、共通の意味があると考えられる 。以下 、﹁ 服﹂ ﹁受﹂ ﹁ 前﹂の字 源について論じるが 、このことを前提に考察する 。﹁ 務 ︵凡︶ ﹂は帆字 に見られるように帆船を表す 。﹁舟﹂は ﹃説文﹄八下に ﹃舟也 、古者 共鼓貨 寳 刳木爲舟剡木爲楫以濟不通 ︵舟なり 、古は共 鼓 ・貨 寳 、木を 刳 りて舟と為し 、木を剡 りて楫 と為し 、以て通せざるを濟 すなり︶ ﹄ とある。 ﹁ 務 ﹂ と ﹁ ﹂ の原初的な差別化は、 ﹁ 務 ﹂ が帆船を意味し、 ﹁ ﹂ が丸木舟の象形からできた文字であるところにあると思われる 。﹁ 務 ﹂ と﹁ ﹂が置き換えて使われるのは 、どちらも舟一般としての意味を 担うものであろう。 まず﹁服﹂字について考察してみよう。 ﹁服﹂は甲骨文では ﹁ ﹂、金文では ﹁ ﹂につくる 。歴史家の原 田大六氏は﹁服﹂の甲骨文﹁ ﹂を挙げ、 その意味について﹁ ﹃服従﹄ する場合とか、 ﹃降服﹄ した場合に、 なぜ 〝舟 〟が必要であったのでしょ うか 。中央に書いてある 〝人 〟は何でしょう 。なぜそれに 〝手 〟が加 えてあるのでしょうか 。これは捕虜です 。戦争において捕まった捕虜 が 、船いっぱいに積み込まれて運ばれてくることなのであります 。捕 虜を捕らえてくること 、それが ﹃服﹄だったのであります 。﹂と述べ ている 。いかにも歴史家らしい解釈ではあるが 、甲骨文が神に対する 言問いのための文章であったことから考えれば 、氏の解釈は正しくな い 。﹁服﹂は 、やはり神への服従の意味だと思われる 。﹁ 務 ﹂符号は 、 帆船もしくは風を表す以外にはすべて天地交流の祭祀の意味を担って甲骨文﹁ ﹂符号の原義について 二八 いる 。﹁服﹂が衣服に使われるのは 、服喪の際に着る服から出ている と思われる 。古代中国では 、人が死ねば鬼となり 、鬼は神に包摂され た概念である 。鬼に対してであれ 、神に対してであれ 、服従すること からすべての祭祀が始まる。 次に﹁受﹂字について考察してみたいと思う。 ﹁受﹂は甲骨文を﹁ ﹂につくり、 ﹁ ﹂を中央に置き、 上下に﹁ 躁 ︵手︶ ﹂符号がある 。﹁受﹂は ﹃説文﹄四下に ﹁相付也从 喃 舟省聲 ︵相 付 すなり、 喃 に従ひ、 舟の省声︶ ﹂とある。同じく﹃説文﹄四下に﹁ 喃 ︵小篆 ︶﹂があって、 ﹁物落上下相付也从爪从又凡 喃 之 罪 皆从 喃 ︵物上から下に落ち相付 すなり 、爪に従ひ又に従ふ 、凡そ 喃 の属皆な 喃 に従ふ︶ ﹂ とある。 ﹁ ﹂ は恐らく爪ではなく手であり、 ﹁ 喃 ﹂ に ﹁ ﹂ を付したものが ﹁受﹂である 。そうすると ﹁受﹂の ﹁相付 す﹂の意味 は神から人へ託宣をわたす意 、人の側からすれば 、神から託宣を受け とる意である 。白川博士によると ﹁受は金文では 、授 ・受両義に用い [免 鮎 ]﹃ 王、 作 冊尹 に書を受 く﹄ [頌 鼎 ] ﹃ 尹 氏 、王に命書を受 く﹄と いい 、また [毛公鼎] ﹃大命を雁 受 す ︵ 10︶ ﹄のようにいう﹂とあり 、﹁受﹂ の原書の意に授 ・受両義があったことを述べている 。﹁受﹂の甲骨文 ﹁ ﹂中の﹁ ﹂は神の世と人の世を媒介する象徴符号である。 次に、 ﹁前﹂字について考察する。 ﹁前﹂ は甲骨文を ﹁ ﹂ につくり、 正字は ﹁ 臀 ﹂ である。 ﹁前﹂ は ﹃ 説 文﹄二上に ﹁不行而進謂之 臀 从止在舟上 ︵行かずして進む 、之を 臀 と 謂う 、止の舟上に在るに従ふ︶ ﹂とあるが 、﹁舟﹂は海川上に浮かぶ舟 の意ではない 。この舟もまた神の世と人の世を媒介する象徴符号であ ろうと思われる 。﹁止﹂は足を意味するから 、神の託宣を得て前へ一 歩踏み出すのが原意であろう。 ﹁服﹂ ﹁受﹂ ﹁ 前﹂に含まれる ﹁ 務 ﹂もしくは ﹁ ﹂は 、天の神と交 流するための象徴符号として使われたものと見られる 。先述したよう に 、この場合に使われる象徴符号は ﹁ 務 ﹂ ﹁ ﹂が無分別に使われて いるのが特徴的である。
四
﹁鳳﹂
︵甲骨文
︶字内の符号﹁
務
﹂について
﹁風﹂の字源を辿っていくと 、﹁鳳﹂になる 。では 、﹁鳳﹂字がどう して ﹁風﹂を意味するようになったのかは 、古代中国の古俗から類推 することが可能である。 原初の ﹁鳳﹂は人民に害を与える荒ぶる神である 。﹁鳳﹂の原型と なる鳥はイヌワシであった 。石家河文化 ︵紀元前約2500∼約 2000 ︶の遺物 ︵ 11︶ に 、イヌワシの図が見られる 。イヌワシは翼が開 いており 、爪が開いた形であるから 、空中から下降して獲物に襲いか かろうとしたところを描写したものである 。そこではイヌワシを獰猛 な鳥として認識し、 それを宗教的な意図をもって作成したものである。 二十八宿とは別区分の十二次というものがあり 、南方朱鳥の領域で は、 鶉 首・ 鶉 火 ・鶉 尾 などの名称がみられる ︵ 12︶ 。鶉は古くは ﹁鳥敦﹂ と書かれ 、﹁鳥敦﹂字は ﹃説文﹄四上に ﹁雕也﹂とあり 、今にいうウ ズラの意味ではなく ﹁雕 ﹂すなわち 、ワシのことをいう 。﹃爾雅﹄釈 天に ﹁ 䏋 謂之柳 、柳鶉火也 ︵ 䏋 は之を柳といい 、 柳は鶉火なり︶ ﹂と あり 、それについて郭 璞 は ﹁鶉鳥名 、火属南方 ︵鶉は鳥の名 、火は南立命館白川靜記念東洋 亣 字 亣 硏究紀 第八號 二九 方に属す︶ ﹂と注している 。つまり 、﹁鶉火﹂は五行の南方の火を受け て呼ばれた名称であるとしており 、イヌワシは太陽の象徴であったか ら、鶉が火と結び付くのもごく自然である。 ﹃山海経﹄西山経に崑崙山の鳥について 、﹁有鳥焉 、其名曰鶉鳥 、是 司帝之百服 ︵鳥有り 、其の名を鶉 鳥 と曰う 。是れ帝の百服を司る︶ ﹂ とある 。郝 懿行 の箋疏に ﹁服事也 ︵服は事なり︶ ﹂とあって 、 鶉鳥が 天帝の百事を司っていると解釈される 。また 、彼は ﹁鶉鳥鳳也 ︵鶉鳥 は鳳なり︶ ﹂といい 、鶉鳥を天帝に仕える鳳のこととしている 。この ことは 、古代にイヌワシを空に飛翔する獰猛な鳥と捉え 、それをアニ ミズムの象徴とした段階から 、天帝に仕えて天空の百事を司る鳳へと 概念が神格化されたことを意味している。天帝に仕え風を起こす ﹁鳳﹂ は 、荒ぶる神としてのイヌワシである ﹁鳳﹂の発展形とみられる 。殷 代の青銅器に虎をモチーフとした饕 餮文 や 䆸 鳳 文 、それに 䆸 龍 文 な どが鋳込まれているのは 、魔を以て魔を制すとする考え方であるよう に思われる 。すなわち 、殷代の青銅器は 、饕 餮や鳳 、 龍といった荒ぶ る神を味方につけ 、他民族をその霊威によって従わしめる目的で作ら れたものと考えて差支えがない 。﹁鳳﹂は 、いつの頃からかその羽ば たきが ﹁風﹂を生じるものと信じられた 。その意味するところについ て以下考察してみたいと思う。 ﹁鳳﹂の甲骨文字は、 高明編﹃古文字類編﹄によると次の通りである ︵ 13︶ 。 ﹁ ﹂ 一期合一九五、 ﹁ ﹂ 一期人三〇三二、 ﹁ ﹂ 一期後上三一・一四、 ﹁ ﹂ 一期後下三九 ・ 一〇、 ﹁ ﹂ 一期後上一四 ・ 七 、﹁ ﹂ 一期京二九一五 ﹁ ﹂ 一期乙一八、 ﹁ ﹂ 三期京三八八七、 ﹁ ﹂ 三期前四・四二・六、 ﹁ ﹂ 三期粋八二六、 ﹁ ﹂ 三期粋八三一、 ﹁ ﹂ 三期粋八四四、 ﹁ ﹂ 三期續二 ・一五 ・三 、﹁ ﹂四期合集三四一三七 、﹁ ﹂五期前三 ・ 二八・四、 ﹁ ﹂五期前三・二九・二 この一覧より 、﹁鳳﹂の甲骨文字の特徴を考えると 、﹁鳳﹂の頭には ﹁ ﹂ ﹁ ﹂なる形のものが付いており、 これは白川博士によると﹁辛 字形の冠飾 ︵ 14︶ ﹂としている 。この符号は ﹁龍﹂の甲骨文 ﹁ ︵一期乙 三七九七︶ ﹂や﹁ ︵一期乙五四〇九︶ ﹂に見られる頭上の字形の符号 と同じであり 、﹁鳳﹂や ﹁龍﹂が古代中国人にとって神霊の類として 捉えられていた証となる。白川静博士によると、 ﹁辛︵甲骨文 ︶ ﹂ は文身 ・入墨に用いる針で 、 刑罰を表す字である 。﹁ 言 ︵甲骨文 ﹂は ﹁ ﹂に辛 ︵針︶をたて 、自己詛盟をおこない違約の時には 入墨の刑罰を受けることを意味する 。 このことから考えると 、﹁鳳﹂ の頭上にある辛字形の冠飾は 、﹁鳳﹂よりさらに上位の神霊である天 帝からの命を受けた霊獣としての意味をなす。 ﹁鳳﹂字の甲骨文には 、甲骨文三期から ﹁ 務 ﹂の符号が加えられた ものが出現し 、以後この記号が定着する 。﹁ 務 ﹂は ﹁凡﹂の甲骨文を 示し 、それが後の ﹁凡﹂と ﹁鳥﹂の合字である ﹁鳳﹂ 、後には ﹁凡﹂ と ﹁ 虫﹂の合字である ﹁風﹂の字を形成する一部となる 。﹁鳳﹂字が なぜ ﹁風﹂字に替えられたかは次に事情による 。戦国時代に起源を持 つとされる陰陽五行説では 、東の蒼龍 、西の白虎 、南の朱雀 、北の玄 武 ︵黒龍ともいう︶ 、中央の黄龍など 、龍に対する霊獣としての位置 付けには並々ならぬものがある 。龍は漢の建国以後 、皇帝のシンボル
甲骨文﹁ ﹂符号の原義について 三〇 として扱われるまでになる 。このようにして自然の動静を司る最たる 霊獣に対する人間の観想の主体が 、﹁鳳﹂から ﹁龍﹂へと移っていっ たものと思われる 。﹁ 風﹂字の ﹁虫﹂が ﹁鳳﹂から龍を意味する ﹁虫﹂ に転じたのはこういった歴史的背景によるものと考えられる。
五
﹁凡﹂
﹁般﹂字について
﹁ 務 ﹂ は後字の ﹁凡﹂ となるが、 ﹁凡﹂ がなぜ風を意味するようになっ たかを以下考察したい。 予曩は ﹁ ﹂なる字について風と雨の合文とみなした 。これにつ いて葉玉林は ﹁其左之 務 即卜辞 ︵風︶ 省。又卜辞云 ﹁貞不其 瓏 務 ﹂ ︵臓一二〇 . 二 ︶與 ﹁貞不其 瓏 雨﹂ ︵臓九 . 八 . 二︶辞為例同 。則 務 為 風字以可無疑 。︵ 其の左の 務 は卜辞 ︿風﹀の省である 。又卜辞に 云う ﹃貞不其 瓏 務 ﹄と ﹃貞不其 瓏 雨﹄は辞例が同じである 。則ち 務 が 風字為ることは疑いがない︶ ﹂と述べる 。ここから ﹁ 務 ﹂は風字であ ることは確実とみてよい。 ﹁凡﹂が一体何を意味する漢字かというと 、筆者は風を受けた帆船 を象るものと考える 。解字すると 、﹁ 騨 ﹂は帆船の象形 、﹁ 飲 ﹂は風を 表す指事記号であると考えたい 。もっとも 、﹁凡﹂の元字である ﹁ 務 ﹂ は単に帆船を意味したものと思われるが 、﹁ 務 ﹂が風の意を鮮明にす るに至って 、その風の意が ﹁凡﹂の指事記号 ﹁ 飲 ﹂に結実したものと 推測したわけである。したがって、 帆船が風を受けて進むところから、 ﹁ 務 ﹂が風を意味する甲骨文の ﹁鳳﹂字の一部として使われると考え られる 。私がこのように考えるにいたったのは 、﹁凡﹂が自然の事象 である風を意味したものであるとするなら 、抽象的な符号ではなく 、 比喩として直接的に風を表すものに相違ないと考えたからであった 。 ﹁凡﹂を符号として含む字は ﹁汎﹂ ﹁帆﹂ ﹁鳳﹂ ﹁風﹂などであるが 、こ れらの字の中で風を意味するのはひとえに ﹁凡﹂である 。また 、﹁帆﹂ の異体字に ﹁ 犒 ﹂があり 、帆船は風を意味する最適な比喩と考えられ る。 金文の図象に ﹁ ︵三巳錞于︶ ﹃小校經閣 ︵ 15︶ ﹄﹂があり 、帆の右側に 多く引かれた横線が風を示したものと思われる。また、金文の図象に 帆船を象った ﹁ ︵川大錞于 ︵ 16︶ ︶ ﹂ があって、 この文字の右上部分は ﹁鳳﹂ の甲骨文﹁ ︵一期菁五・一︶ ﹂と近似しており、 ﹁鳳﹂字と考えられ、 ﹁風﹂を意味するものと見て間違いはないであろう 。いずれも図象内 に帆船と風が配されており、 その中でも ﹁ ︵川大錞于︶ ﹂ が帆船と ﹁鳳 ︵風︶ ﹂を含んでいるのは﹁鳳﹂字の﹁ ﹂ の構成と同じであり、 ﹁凡﹂ が風を受けた帆船を意味するとする筆者の提唱する創案とも共通して いる。 ﹁凡﹂は ﹁般﹂と声と義が通じている 。殷十九代王の盤庚は甲骨文 で般庚 ﹁ ︵林二 、 八 、 一四︶ ﹂、あるいは般庚 ﹁ ︵粋二七五︶ ﹂と 書かれ 、また一方で凡庚 ﹁ ︵前一 、 一 六 、 四︶ ﹂とあるところから 、 ここでは ﹁般﹂と ﹁凡﹂は同意の字として使われていると見ることが できる。 ﹁般﹂は﹃説文﹄八下に﹁辟也、 象舟之旋、 从舟从殳、 殳所以旋也︵辟 なり 。舟の旋るに象る 。舟に従ひ 、殳に従ふ 。殳は旋る所以なり﹂と あり 、﹃段注﹄では ﹁辟也 、象舟之旋 、从舟从殳 、殳令舟旋者也 ︵辟立命館白川靜記念東洋 亣 字 亣 硏究紀 第八號 三一 なり 。舟の旋るに象る 。舟に従ひ 、殳に従ふ 。殳は舟をして旋らしむ る者なり︶ ﹂と解説され 、﹁殳﹂は撃 汰 ︵櫂で波を打つ 、舟をこぐ意︶ に見られるように、舟を漕ぐことによって旋回することをいう。 ﹁般﹂ の甲骨文・金文は ﹃古文字類編 ︵ 17︶ ﹄ より見れば、 次の通りである。 甲骨文 ﹁ ﹂︵一期乙九六二︶ ﹁ ﹂︵三期甲二三〇六︶ ﹁ ﹂ ︵四期甲五九〇︶ ﹁ ﹂︵五期前一、一五、四︶ 金文 ﹁ ﹂︵周中般 ︶ ﹁ ﹂︵周中頌 慎 ︶ ﹁ ﹂︵周晩兮甲 慎 ︶ ﹁ ﹂ ︵春秋斉候 誌 ︶ これらをみると 、﹁ 般﹂は甲骨文では概ね ﹁ 務 ︵凡︶ ﹂の符号よりな り 、 金文に至って ﹁ ﹂を用いたものがある 。したがって 、﹁般﹂は 原初的には ﹁凡﹂ と ﹁ 殳 ﹂ よりなると解釈してもよい。そうすると、 ﹁般﹂ の ﹁舟﹂は正確には ﹁ 務 ︵凡︶ ﹂であるから 、筆者の提唱する ﹁凡﹂ の意に従えば 、帆で風をあやつって舟を旋回する意味になる 。しから ば 、﹃説文﹄ ・﹃ 段注﹄の ﹁ 般﹂は筆者のいう ﹁凡﹂とほぼ近似した意 味になる 。また 、﹁凡﹂が ﹁凡 そ﹂の意味をもつのは ﹁風﹂に風土 ・ 風俗の意味があるように 、その土地のおおよその風気が風によって規 定されると古代人が考えたからであろう 。﹁般﹂には一般 ・万般の語 があり 、﹁凡 そ﹂と意味が相通じている 。そして ﹁ 務 ﹂は 、風を意味 する ﹁凡﹂とは別に 、あの世 ︵天︶とこの世を行き交う ﹁舟﹂として の意味 、そこから派生する祭祀の象徴符号としての意味を併せ持つも のと考えられる。
六
﹁凡︵
務
︶﹂についての従来の解釈
﹁凡﹂は ﹃説文﹄一三下に ﹁最括也 、从二二偶也从 廴廴 古 文 及︵ 最 括なり 、二に従ひ 廴 に従ふ 、二は二偶なり 、 廴 は古文の及なり︶ ﹂と ある 。字形を二と及に従う会意としている 。﹁最括﹂は ﹁凡そ﹂の意 であろうと思われるが 、それは原義から派生した意味であって 、原義 は甲骨文を見る限り帆船の意であろう。 ﹁ ︵凡︶ ﹂についての中国文字学者の解釈を ﹃甲骨文字詁林 ︵ 18︶ ﹄で 引いてみると次のようになる。 羅振玉 ﹁槃、 承槃也。 从木般聲。 古文作 讐 。 籀文作盤。 古金文作 葱 。︵槃、 承 槃なり 、木に従い槃の聲 、 古文は 讐 に作る 、籀文は盤に作る 、古金 文は 葱 に作る。 ︶※承槃は酒樽をのせる台。 王襄﹁古槃字,與般通︵古 の槃字、般と通ず︶ ﹂ 郭沫若 ﹁ 務 乃凡字 ,槃之初文也 ,象形 ,前片作 ,即後来之般字 , 字 胙 作 ,譌変而為从舟从 裙 。 ︵ 務 は乃 ち凡字 、槃の初文なり 、即 ち 後来の般字なり、字は 胙 に に作り,譌変して舟に従ひ 裙 に従ふ︶ ﹂ 陳夢家 ﹁凡字象側立之盤形 ,凡 、皿古是一字 ,即盤 ︵凡字は側立の盤 形に象る、凡、皿 古 は一字、即ち盤なり︶ ﹂ 饒宗頣﹁按 為盤字︵按ずるに は盤字為 り︶ 李孝定﹁契文象承槃之形︵契文は承槃の形に象る︶ ﹂ 姚孝遂﹁ ﹃凡﹄即﹃槃﹄之初形。 ︵﹃凡﹄は即ち﹃槃﹄の初形なり︶ ﹂ さらに、 ﹁ 務 ︵凡︶ ﹂は白川静﹃字統﹄では次のように記されている。 ﹁盤の形 。舟も盤の形であるから 、卜文 ・金文の形はときに舟の形で甲骨文﹁ ﹂符号の原義について 三二 釈されることがある 。⋮ ⋮すなわち凡に盤 旋の意があって 、他に波及 する意をもつものと思われる。ゆえに風の声符となる ︵ 19︶ 。 ﹂ 羅振玉・王襄・郭沫若・陳夢家・李孝定・姚孝遂は ﹁凡﹂ 字を ﹁槃﹂ の初文と解釈している 。饒宗頣 ・白川博士は ﹁凡﹂字を ﹁盤﹂の初文 と解釈している 。﹁槃﹂ ・﹁盤﹂ともに ﹁般﹂を声符とする形声文字で あり意味的な共通もあるから、 この二つの論は同一と見てよい。また、 これらの字源解釈は多くの文字学者が唱えるところから 、ほとんど一 般的解釈として通用している 。白川博士は ﹁すなわち凡に盤 旋の意が あって 、他に波及する意をもつものと思われる 。ゆえに風の声符とな る﹂と述べ 、﹁凡﹂を ﹁盤﹂の形と解し 、﹁盤﹂から派生した盤旋の意 味があり 、その盤旋が風の意に通じているとする 。白川博士によると ﹁盤に乗せて運ぶこと 、それで移動することを盤旋 ・運搬のように いう ︵ 20︶ ﹂ と述べるが風の比喩としてのリアリティがない。おそらく ﹁凡﹂ 字を ﹁槃﹂ ・﹁ 盤﹂とみる説は 、それらを祭祀で使われる器と見て 、そ こから風と祭祀の関わりを類推したものと思われる 。また 、従来の文 字学者の多くは 、﹁般﹂と同義とされる ﹁ 凡﹂を ﹁槃﹂及び ﹁盤﹂と 解釈したため 、上記の ﹁般﹂の ﹃説文﹄及び ﹃段注﹄の記述がその解 釈とは合わないので 、誤った解釈として切り捨ててきたのであるが 、 筆者は逆に﹁般﹂の原義を伝えるものと解したのである。 ﹁盤﹂の字義を考察し 、﹁盤﹂が ﹁凡﹂の初文でないことを以下に述 べたいと思う。 ﹁般﹂ を文字要素として用いた同じ構造上の字に ﹁槃﹂ ﹁盤﹂ がある。 ﹁盤﹂ は食物を盛る平たい大皿をいう。 ﹃説文﹄ 六上の ﹁槃﹂ の項では、 ﹁ ︵盤︶ ﹂は槃の籀文で 、﹁ ︵ 鎜 ︶﹂ は槃の古文とある 。筆者はそ の基本的な字は ﹁盤﹂で 、﹁ 盤﹂を金属で作ったものが ﹁ 鎜 ﹂で 、木 で作ったものが ﹁槃﹂であると思う 。﹁盤﹂の ﹁般﹂は形声文字の声 符であり、 かつ﹁盤﹂が祭祀で使われるので﹁舟﹂符号の入った﹁般﹂ を使ったものであり 、そのことによって声符としての機能と祭祀の象 徴符号としての意を兼ねたものだと思う 。王襄が述べた ﹁古槃字 ,與 般通 ︵古 の槃字 、般と通ず︶ ﹂のように 、﹁ 槃﹂の初文が ﹁般﹂だとす る考え方は 、﹁般﹂と ﹁槃﹂に共通の意が見出せないので 、どうも納 得できない 。﹁般﹂が ﹁般 ぶ﹂の意をもつので 、そこから盤旋の意が 拡張されている 。すなわち 、﹁ 盤旋﹂は ﹁般﹂の意が ﹁ 盤﹂に加わっ たものであり 、﹁盤﹂が盤旋の意を有するからといって ﹁般﹂が ﹁盤﹂ の初文とは言えない。 日本の古代宗教に磐 座信仰があるが、 石 座が磐座と書かれる理由は、 磐 座の ﹁磐﹂は ﹁石﹂を神の憑 代と考え 、﹁舟﹂という祭祀の象徴符 号を含んだ ﹁磐﹂の字に替えたものと思われる 。すなわち 、﹁磐﹂字 中の ﹁般﹂は声符として 、また意味的には天地交流の象徴符号として の﹁舟﹂の意で使われているものと思われる。
七
﹁
務
﹂符号の総括的意味
先述で述べた ﹁ 務 ﹂符号について 、その意味するところをまとめて おきたいと思う。 筆者は ﹁ 務 ﹂ の原初の意味は帆船を象形化したものであると述べた。 中国の帆船がいつ頃からあったかは定かではないが 、﹃帆船史話 ︵ 21︶ ﹄に立命館白川靜記念東洋 亣 字 亣 硏究紀 第八號 三三 次のような記述がある 。﹁世界で一番古い帆船の記録は 、大英博物館 にある紀元前6000年頃のアンフォラ ︵酒壺︶の表面に彫られた絵 画だといわれる 。エジプト王の墳墓から発掘されたもので 、 1本マス ト 1枚横帆の簡単な帆装があるだけで、 詳細については知る由もない﹂ 船に帆を張ることは船の原初的な機能であるから 、おそらく殷代にも 行われており 、﹁ 務 ﹂が帆船を意味していたものと思われる 。﹁帆﹂字 は甲骨文 ・金文に見受けられないが 、﹁ 務 ﹂が帆船を意味し 、﹁ ﹂が 丸木舟を意味していたのであろう。 あの世とこの世をつなぐものとしての意味をもって祭祀に使われる 舟符号は、 ﹁ 務 ﹂ ﹁ ﹂ がどちらでも使われている。前述したように、 ﹁服﹂ は金文に ﹁ ︵毛公鼎 ︶ ﹂ ・ ﹁ ︵克鼎︶ ﹂ があり、 ﹁朕﹂ は金文に ﹁ ︵頌 鼎 ︶ ﹂ ・ ﹁ ︵師 糂 鮎 ︶﹂にその事例が見られ 、﹁ 務 ﹂ ﹁ ﹂は特に区別な く使われているようである 。﹁ 務 ﹂は狭義では帆船の意ながら 、広義 では﹁ ﹂と同様に舟の意を有するものと考えられる。 次に ﹁風﹂を意味する ﹁凡﹂について述べたい 。帆船が風を受けて 進むところから 、﹁ 務 ﹂から ﹁風﹂の意味が拡張された 。それが後起 の字である ﹁凡﹂となる 。﹁ 鳳﹂字の甲骨文が最初 ﹁ ﹂一期合 一 九 五 の よ う で あ っ た も の が 第 三 期 に な っ て ﹁ ﹂ 三 期 前 四 ・ 四二 ・六のように ﹁ 務 ﹂符号がつくようになるのは 、﹁鳳﹂字が風の 意を有するに至って 、帆船から意味が拡張されて風の意をもつ ﹁ 務 ︵凡︶ ﹂を付して風の意を明確にしたものと思われる 。そのことより 、 ﹁鳳﹂字は﹁凡﹂と﹁鳥﹂の合字となるのである。 ﹁ 務 ﹂符号は原初が帆船の意 、拡張義として ﹁風﹂を意味する ﹁凡﹂ の意 、更に祭祀において使われる神の世と人の世を媒介する象徴符号 としての舟の意がある 。そのように考えれば 、﹁ 凡﹂は ﹁盤﹂ ﹁槃﹂を 意味するものではないことは明らかであろう。
あとがき
拙稿を書き終えて 、自分が甲骨文の原義を正すだけの能力があるの かどうか 、今も自問自答している 。しかしながら 、今解釈されている 甲骨文の多くは仮説であり 、それが正しいかどうかは更に検討すべき であり 、その研究は現在の文字学者に委ねられている 。だから 、勇気 をもって発表すべきであると思う。 筆者はこの論文で ﹁ 務 ﹂符号は帆船であると断じて 、もともと丸木 舟を意味する ﹁ ﹂符号との差別化を討論文で述べたが 、従来の文字 学者は恐らくその区別をしていなかったように思える 。そのために ﹁ 務 ﹂符号に対する意味が明確さを欠いたと思われるのである 。また 文字には本義と拡張義があって 、それらの分別を把握しておかなけれ ば、 ﹁ 務 ﹂符号を含む諸文字に貫通する意味を解することができない ように思われる 。その顕著な例が 、﹁ 務 ﹂を ﹁盤﹂の初文とする解釈 である 。そこでは ﹁凡﹂と ﹁般﹂と ﹁ 盤﹂がごっちゃになって解釈さ れているように思われるが 、各々にはすべて独立した意味がある 。そ れらを明確にしていくことが 、当論文の目的であった 。自分の考えた ことがきちんと伝えられたかどうかは自信の無いところであるが 、読 者の方々にはぜひ内容を検討していただきたい 。見解の相違 、また論 文の誤りがあれば、ご教示いただければ幸甚です。甲骨文﹁ ﹂符号の原義について 三四 注 ︵ 1︶ 安也致、 徐海寧 ﹁古代亀卜文化における表現について
︱
甲骨文字 ﹃船﹄ 形偏旁の意味の検討﹂ ﹃駒沢史学﹄五二号 駒沢史学会︵一九九九・一〇︶ ︵ 2︶辰巳和弘著﹃他界へ翔る船﹄新泉社︵二〇一一・三︶八八頁。 ︵ 3︶松前健﹃日本神話の新研究﹄南雲堂桜楓社︵一九六〇・八︶三頁。 ︵ 4︶ 図 版 1 辰巳和弘著 ﹃他界へ翔る船﹄ 新泉社 ︵二〇一一・三︶ 一一八頁。 ︵ 5︶図版 2 ﹃他界へ翔る船﹄一一五頁。 ︵ 6︶図 版 3 曽布川寛著 ﹃崑崙山への昇仙﹄中央公論社 ︵中公新書一九八一 ・ 一 二 ︶一一九頁︵模本︶ 。 ︵ 7︶図版 4 同上八二頁︵模本︶ 。 ︵ 8︶図版 5 同上八三頁︵模本︶ 。 ︵ 9︶松前健﹃日本神話の新研究﹄ ︵南雲堂桜楓社︶ ︵一九六〇・八︶三二頁。 ﹃北史﹄列伝八十二に倭についての記述があり 、その中に ﹁及葬 、置屍船上 、 陸地牽之 、或以小輿 ︵葬に及び 、屍を船上に置き 、陸地に之を牽く 、 或い は小さき輿 を以て︶ ﹂とある。 ︵ 10︶白川静 新訂﹃字統﹄平凡社︵二〇〇四・一二︶四一八頁。 ︵ 11︶図 版 6林巳奈夫 ﹃中国古代の神がみ﹄ 吉川弘文館 ︵二〇〇二・三︶ 八四 頁。 ︵ 12︶図版 7同上七一頁 。 12年で全天を一周する木星の位置によって 、十二 支で表示された方角に対応して 12等分され 、その年が十二支で示されるど の年に当たるかを知ることができる。 ︵ 13︶ 徐中舒 ﹃甲骨文字典﹄ 四川辞書出版社 ︵一九八九・五︶ 四二七∼四二八 頁。 ︵ 14︶白川静 新訂﹃字統﹄平凡社︵二〇〇四・一二︶八二一頁。 ︵ 15︶﹃小校經閣金文﹄拓本﹁三巳錞于﹂ ︵ 16︶ 四川大学博物館所蔵萬縣で発見された青銅器の錞于 ︵打楽器︶ ﹁川大錞于﹂ ﹃華西学報﹄ 5期︵一九三六︶徐中舒模写 ︵ 17︶高明編﹃古文字類編﹄中華書局︵一九八〇・一︶三三四頁。 ︵ 18︶于省吾主編 ﹃甲骨文字詁林﹄中華書局 ︵一九九五 ・五︶二八四三∼ 二八四九頁。 ︵ 19︶白川静 新訂﹃字統﹄平凡社︵二〇〇四・一二︶七二四頁。 ﹁凡﹂の項 ︵ 20︶白川静﹃字統﹄平凡社︵一九八四・八︶八〇八頁。 ︵ 21︶杉浦昭典﹃帆船史話﹄天然社︵一九二八・三︶ ︽参考文献︾ ・ 安也致、徐海寧著﹁古代亀卜文化の文字における表現について︱
甲骨文字 ﹃船﹄ 形偏旁の意味の検討﹂ ︵﹃駒沢史学﹄ 五二号 駒沢史学会 ︵一九九八・ 六︶ ・段玉裁﹃説文解字注﹄上海古籍出版社︵一九八一・一〇︶ ・林巳奈夫﹃中国古代の神々﹄吉川弘文館︵二〇〇二・三︶ ・于省吾主編﹃甲骨文字詁林﹄ ︵一九九六・五︶ ・辰巳和弘﹃他界へ翔る船﹄新泉社︵二〇一一・三︶ ・高明編﹃古文字類編﹄中華書局︵一九八〇・一一︶ ・許慎﹃説文解字﹄中華書局︵一九六三・一二︶ ・徐中舒﹃甲骨文字典﹄四川辞書出版社︵一九八九・五︶ ・白川静 新訂﹃字統﹄平凡社︵二〇〇四・一二︶ ・白川静﹃字統﹄平凡社︵一九八四・八︶ ︵京都大學國際高等敎育院非常講師︶ 図版一覧 図 1 鳥船塚古墳奥壁の壁画立命館白川靜記念東洋 亣 字 亣 硏究紀 第八號 三五 図 2 珍敷塚古墳奥壁の壁画 図 3 江蘇䉤䉦東陽漢墓出土木刻天象図(模本)前漢中晩期 長 188cm 図 4 長沙馬王堆 1 号墓出土帛画(模本) 図 5 長沙馬王堆 3 号墓出土帛画部分(模本) 図 6 イヌワシ・神面 玉斧 石家河文化 上海博物館 (筆者図) 図 7 二十八宿と十二次