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宋代女性の死亡年齢と結婚年齢 : 墓誌銘の記載より

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宋代女性の死亡年齢と結婚年齢

 

墓誌銘の記載より

はじめに 本 稿 は 宋 代 の 女 性 墓 誌 銘 を つ か っ て 、 宋 代 女 性 の 平 均 的 な 死 亡 年 齢 と 結 婚 年 齢 に 対 し て 考 察 を 加 え る も の で あ る 。 こ れ ら 二 項 目 は 人 口 史 研 究 上 の 基 本 項 目 で あ る が 、 宋 代 女 性 の 実 相 の 解 明 と い う 筆 者 の 研 究 目 的 か ら も 基 本 的 な 関 心 事 項 で あ る 。 宋 代 女 性 の 平 均 寿 命 に つ い て は 陶 晉 生 氏 に よ る 研 究 が 既 に あ る 。 氏 は 歐 陽 脩 ﹃ 歐 陽 文 忠 公 集 ﹄、 司 馬 光 ﹃ 温 國 文 正 司 馬 公 集 ﹄、 范 祖 禹 ﹃ 范 太 史 集 ﹄ の 三 集 に 収 録 さ れ た 婦 女 一 一 二 人 の 墓 誌 銘 史 料 を も と に 平 均 死 亡 年 齢 を 三 七 歳 と 算 出 し 、 ま た こ れ と は 別 に 曾 鞏 ﹃ 曾 鞏 集 ﹄ 所 載 の 婦 女 二 四 人 の 墓 誌 銘 か ら 平 均 死 亡 年 齢 が 五 九 歳 で あ る と し て い る 1 。 上 記 三 集 と ﹃ 曾 鞏 集 ﹄ は 同 時 代 の 文 集 で あ る に も か か わ ら ず 、 三 集 と ﹃ 曾 鞏 集 ﹄ で は 平 均 死 亡 年 齢 に 二 二 歳 も 差 が 出 て い る の で あ る が 、 そ の 理 由 に つ い て 陶 氏 は 説 明 さ れ て い な い 。 陶 氏 は 三 集 一 一 二 人 と ﹃ 曾 鞏 集 ﹄ 二 四 人 と 併 せ て 一 三 六 人 の 女 性 の 事 例 を 以 て 、 宋 代 女 性 の 平 均 死 亡 年 齢 を 算 出 し

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て い る が 、 実 は 、 後 述 の よ う に 宋 代 の 墓 誌 銘 を 検 索 す る と 一 〇 八 四 人 の 女 性 墓 誌 銘 が 検 出 で き る 。 そ の 女 性 一 〇 八 四 人 を 北 宋 と 南 宋 に 分 け て 平 均 死 亡 年 齢 を 集 計 し た と こ ろ 、 北 宋 五 三 .〇 歳 、 南 宋 六 三 .八 歳 と な り 、 一 一 歳 も の 差 が 生 じ た の で あ る 。 陶 氏 の 研 究 で は 、 平 均 死 亡 年 齢 が 北 宋 ・ 南 宋 別 に 算 出 さ れ て い な い た め 、 当 然 こ の 差 に つ い て は 全 く 言 及 さ れ て い な い が 、 先 述 の 三 集 と ﹃ 曾 鞏 集 ﹄ と の 平 均 死 亡 年 齢 の 差 と と も に 、 見 過 す こ と の で き な い 問 題 と 言 わ な け れ ば な ら な い 。 こ れ ら の 問 題 を 解 明 す る こ と が 本 稿 の 主 要 目 的 で あ る 。 さ ら に 墓 誌 銘 に は 死 亡 年 齢 と と も に 結 婚 年 齢 も 記 さ れ て い る 。 先 行 文 献 に 見 え る 宋 代 女 性 の 結 婚 適 齢 は 、 一 三 歳 ・ 一 四 歳 ・ 一 五 歳 ∼ 二 〇 歳 と 指 摘 さ れ て い る が 2 、 墓 誌 銘 に 見 え る 結 婚 年 齢 か ら 宋 代 の 女 性 の 結 婚 年 齢 の 実 情 を 検 証 す る た め 、 こ の 点 も 本 稿 で 考 察 す る こ と に し た い 。 本 稿 で 考 察 の 対 象 と し た 一 〇 八 四 人 分 の 女 性 墓 誌 銘 は 、﹃ 宋 人 傳 記 索 引 ﹄ 3 か ら そ の 表 題 を 手 が か り に 検 出 し た も の で 、 そ の 内 訳 は 既 婚 女 性 が 一 〇 二 八 人 、 未 婚 女 性 が 五 六 人 で あ る 。 こ れ ら は 、 宋 朝 下 の 著 者 の 文 集 に 収 録 さ れ た 女 性 墓 誌 銘 が 殆 ど を 占 め る が 、 一 部 に 金 朝 下 で 作 成 さ れ た 文 集 に 掲 載 さ れ た 墓 誌 銘 も 含 む 。﹃ 宋 人 伝 記 索 引 ﹄ か ら 検 出 し た 一 〇 八 四 人 分 に つ い て は 、 四 庫 全 書 、 四 部 叢 刊 、 地 方 志 、 金 石 志 な ど の 文 集 か ら 当 該 女 性 墓 誌 銘 の 銘 文 と 銘 を 収 集 し た 。 本 稿 は 、 こ の よ う に し て 収 集 し た 一 〇 八 四 人 分 の 女 性 墓 誌 銘 の 銘 文 を 基 礎 資 料 と し て 、 宋 代 女 性 の 実 態 に つ い て 考 察 を 試 み た も の で あ る 。 た だ し 、 墓 誌 銘 を 基 本 史 料 と し て 使 用 す る に 当 た っ て 、 留 意 し な け れ ば な ら な い 点 も 多 い 。 例 え ば 墓 誌 銘 は 伝 記 資 料 と し て 多 く の す ぐ れ た 特 徴 を も つ 一 面 、 記 述 内 容 に は そ の ま ま 事 実 と す る こ と が で き な い も の も 含 ま れ て い る と い う 点 で あ る 。 墓 誌 銘 の 役 割 が 被 葬 者 の 生 涯 を 顕 彰 す る こ と に あ り 、 し ば し 誇 張 さ れ た 讃 辞 が 常 套 句 と し て 用 い ら れ て い る か ら で あ る 。 し か し 本 稿 の テ ー マ で あ る 宋 代 女 性 の 死 亡 年 齢 、 結 婚 年 齢 に 関 す る 情 報 に つ い て は 、 基 本 的 に 誇 張 や 改 ざ ん を 必 要 と し な い 故 、 こ の 情 報 は 信 頼 で き る と 考 え ら れ る 。 ま た 墓 誌 銘 か ら 復 元 さ れ た 宋 代 女 性 像 が 、 宋 代 女 性 全 体 を 代 表 さ せ る こ と が で き る か と い う 問 題 に 言 及 し て お か ね ば な る ま い 。 墓 誌 銘 を も つ 女 性 の 多 く が 宋 朝 か ら 授 与 さ れ た 封 号 を 有 し て い た こ と か ら も 、 一 定 の 社 会 的 地 位 を 有 し た 階 層 に 属 す る 女 性 で あ る か ら で あ る 4 。 し た が っ て 本 稿 に お け る 考 察 の 結 果 は 、 そ う し た 階 層 に 属 す る 女 性 に 関 す る 限 り 、 蓋 然 性 の た か い も の と 考 え る 。 第一章   死亡年齢 ︵一︶先行研究    近 代 的 セ ン サ ス が 行 わ れ る 以 前 の 中 国 社 会 に お け る 平 均 余 命 に つ い て 、 確 実 な 数 字 は 得 に く く 研 究 も 少 な い 。 袁 貽 瑾 氏 は 、 広 東 ・ 中 山 県 の 李 氏 家 譜 を 調 査 し 、 一 八 〇 〇 年 ∼ 一 八 四 九 年 、 李 氏 一 族 中 の 二 〇 歳 以 上 族 員 の 生 没 情 報 を 集 計 し 、 出 生 時 ︵ 〇 歳 時 ︶ 平 均 余 命 ︵ life ex pe cta nc y a t b irt h ︶ を 算 出 し た 。 そ れ に よ る と 男 子 三 三 .七 歳 、 女 子 三 六 .八 歳 で あ っ た 5 。 ま た ジ ォ ン ・ ロ ッ シ ン グ ・ バ ッ ク ︵ Jo hn L os sin g B uc k ︶ が 一 九 二 八 年 か ら 一 九 三 三 年 に 行 っ た 調 査 に よ れ ば 、 同 じ く 出 生 時 平 均 余 命 は 男 子 三 四 .八 五 歳 、 女 子 三 四 .六 三 歳 と な っ て い る 6 。 表 一 は 、 J ・ L ・ バ ッ ク の 調 査 を も と に 再 計 算 し て つ く っ た 生 命 表 で あ る 。 男 女 と も に 出 生 時 平 均 余 命 は 一 歳 余 低 く な っ て い る が 、 大 き な 違 い で は な い 。 ち な み に 同 時 代 の 日 本 が 男 四 三 .〇 六 歳 、 女 四 三 .二 〇 歳 、 ア メ リ カ が 男 五 九 .三 一 、 女 六 二 .八 三 歳 で あ っ た か ら 7 、 伝 統 中 国 社 会 は 他 の 社 会 と 比 べ て 平 均 余 命 は か な り 低 か っ た 。 宋 代 に つ い て は 、 出 生 時 平 均 余 命 で は な い が 、 先 述 の よ う に 陶 晉 生 氏 が 歐 陽 脩 ﹃ 歐 陽 文 忠 公 集 ﹄、 司 馬 光 ﹃ 温 國 文

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て い る が 、 実 は 、 後 述 の よ う に 宋 代 の 墓 誌 銘 を 検 索 す る と 一 〇 八 四 人 の 女 性 墓 誌 銘 が 検 出 で き る 。 そ の 女 性 一 〇 八 四 人 を 北 宋 と 南 宋 に 分 け て 平 均 死 亡 年 齢 を 集 計 し た と こ ろ 、 北 宋 五 三 .〇 歳 、 南 宋 六 三 .八 歳 と な り 、 一 一 歳 も の 差 が 生 じ た の で あ る 。 陶 氏 の 研 究 で は 、 平 均 死 亡 年 齢 が 北 宋 ・ 南 宋 別 に 算 出 さ れ て い な い た め 、 当 然 こ の 差 に つ い て は 全 く 言 及 さ れ て い な い が 、 先 述 の 三 集 と ﹃ 曾 鞏 集 ﹄ と の 平 均 死 亡 年 齢 の 差 と と も に 、 見 過 す こ と の で き な い 問 題 と 言 わ な け れ ば な ら な い 。 こ れ ら の 問 題 を 解 明 す る こ と が 本 稿 の 主 要 目 的 で あ る 。 さ ら に 墓 誌 銘 に は 死 亡 年 齢 と と も に 結 婚 年 齢 も 記 さ れ て い る 。 先 行 文 献 に 見 え る 宋 代 女 性 の 結 婚 適 齢 は 、 一 三 歳 ・ 一 四 歳 ・ 一 五 歳 ∼ 二 〇 歳 と 指 摘 さ れ て い る が 2 、 墓 誌 銘 に 見 え る 結 婚 年 齢 か ら 宋 代 の 女 性 の 結 婚 年 齢 の 実 情 を 検 証 す る た め 、 こ の 点 も 本 稿 で 考 察 す る こ と に し た い 。 本 稿 で 考 察 の 対 象 と し た 一 〇 八 四 人 分 の 女 性 墓 誌 銘 は 、﹃ 宋 人 傳 記 索 引 ﹄ 3 か ら そ の 表 題 を 手 が か り に 検 出 し た も の で 、 そ の 内 訳 は 既 婚 女 性 が 一 〇 二 八 人 、 未 婚 女 性 が 五 六 人 で あ る 。 こ れ ら は 、 宋 朝 下 の 著 者 の 文 集 に 収 録 さ れ た 女 性 墓 誌 銘 が 殆 ど を 占 め る が 、 一 部 に 金 朝 下 で 作 成 さ れ た 文 集 に 掲 載 さ れ た 墓 誌 銘 も 含 む 。﹃ 宋 人 伝 記 索 引 ﹄ か ら 検 出 し た 一 〇 八 四 人 分 に つ い て は 、 四 庫 全 書 、 四 部 叢 刊 、 地 方 志 、 金 石 志 な ど の 文 集 か ら 当 該 女 性 墓 誌 銘 の 銘 文 と 銘 を 収 集 し た 。 本 稿 は 、 こ の よ う に し て 収 集 し た 一 〇 八 四 人 分 の 女 性 墓 誌 銘 の 銘 文 を 基 礎 資 料 と し て 、 宋 代 女 性 の 実 態 に つ い て 考 察 を 試 み た も の で あ る 。 た だ し 、 墓 誌 銘 を 基 本 史 料 と し て 使 用 す る に 当 た っ て 、 留 意 し な け れ ば な ら な い 点 も 多 い 。 例 え ば 墓 誌 銘 は 伝 記 資 料 と し て 多 く の す ぐ れ た 特 徴 を も つ 一 面 、 記 述 内 容 に は そ の ま ま 事 実 と す る こ と が で き な い も の も 含 ま れ て い る と い う 点 で あ る 。 墓 誌 銘 の 役 割 が 被 葬 者 の 生 涯 を 顕 彰 す る こ と に あ り 、 し ば し 誇 張 さ れ た 讃 辞 が 常 套 句 と し て 用 い ら れ て い る か ら で あ る 。 し か し 本 稿 の テ ー マ で あ る 宋 代 女 性 の 死 亡 年 齢 、 結 婚 年 齢 に 関 す る 情 報 に つ い て は 、 基 本 的 に 誇 張 や 改 ざ ん を 必 要 と し な い 故 、 こ の 情 報 は 信 頼 で き る と 考 え ら れ る 。 ま た 墓 誌 銘 か ら 復 元 さ れ た 宋 代 女 性 像 が 、 宋 代 女 性 全 体 を 代 表 さ せ る こ と が で き る か と い う 問 題 に 言 及 し て お か ね ば な る ま い 。 墓 誌 銘 を も つ 女 性 の 多 く が 宋 朝 か ら 授 与 さ れ た 封 号 を 有 し て い た こ と か ら も 、 一 定 の 社 会 的 地 位 を 有 し た 階 層 に 属 す る 女 性 で あ る か ら で あ る 4 。 し た が っ て 本 稿 に お け る 考 察 の 結 果 は 、 そ う し た 階 層 に 属 す る 女 性 に 関 す る 限 り 、 蓋 然 性 の た か い も の と 考 え る 。 第一章   死亡年齢 ︵一︶先行研究    近 代 的 セ ン サ ス が 行 わ れ る 以 前 の 中 国 社 会 に お け る 平 均 余 命 に つ い て 、 確 実 な 数 字 は 得 に く く 研 究 も 少 な い 。 袁 貽 瑾 氏 は 、 広 東 ・ 中 山 県 の 李 氏 家 譜 を 調 査 し 、 一 八 〇 〇 年 ∼ 一 八 四 九 年 、 李 氏 一 族 中 の 二 〇 歳 以 上 族 員 の 生 没 情 報 を 集 計 し 、 出 生 時 ︵ 〇 歳 時 ︶ 平 均 余 命 ︵ life ex pe cta nc y a t b irt h ︶ を 算 出 し た 。 そ れ に よ る と 男 子 三 三 .七 歳 、 女 子 三 六 .八 歳 で あ っ た 5 。 ま た ジ ォ ン ・ ロ ッ シ ン グ ・ バ ッ ク ︵ Jo hn L os sin g B uc k ︶ が 一 九 二 八 年 か ら 一 九 三 三 年 に 行 っ た 調 査 に よ れ ば 、 同 じ く 出 生 時 平 均 余 命 は 男 子 三 四 .八 五 歳 、 女 子 三 四 .六 三 歳 と な っ て い る 6 。 表 一 は 、 J ・ L ・ バ ッ ク の 調 査 を も と に 再 計 算 し て つ く っ た 生 命 表 で あ る 。 男 女 と も に 出 生 時 平 均 余 命 は 一 歳 余 低 く な っ て い る が 、 大 き な 違 い で は な い 。 ち な み に 同 時 代 の 日 本 が 男 四 三 .〇 六 歳 、 女 四 三 .二 〇 歳 、 ア メ リ カ が 男 五 九 .三 一 、 女 六 二 .八 三 歳 で あ っ た か ら 7 、 伝 統 中 国 社 会 は 他 の 社 会 と 比 べ て 平 均 余 命 は か な り 低 か っ た 。 宋 代 に つ い て は 、 出 生 時 平 均 余 命 で は な い が 、 先 述 の よ う に 陶 晉 生 氏 が 歐 陽 脩 ﹃ 歐 陽 文 忠 公 集 ﹄、 司 馬 光 ﹃ 温 國 文

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正 司 馬 公 集 ﹄、 范 祖 禹 ﹃ 范 太 史 集 ﹄ の 三 集 に 収 録 さ れ た 一 一 二 人 の 墓 誌 銘 史 料 を も と に 平 均 死 亡 年 齢 を 三 七 歳 と 算 出 し 、 ま た こ れ と は 別 に 陶 氏 は 、 曾 鞏 ﹃ 曾 鞏 集 ﹄ 所 載 の 墓 誌 銘 二 四 人 の 平 均 死 亡 年 齢 が 五 九 歳 で あ る と し て い る 。 次 掲 の 表 二 は 、 前 記 三 集 及 び ﹃ 曾 鞏 集 ﹄ に 収 録 さ れ た 既 婚 女 性 墓 誌 銘 の 死 亡 年 齢 分 布 を 一 覧 に し た も の で あ る 。 陶 氏 は 三 集 及 び ﹃ 曾 鞏 集 ﹄ に 載 る 婦 女 、 即 ち 既 婚 女 性 を 対 象 と し て 集 計 し て い る た め 、 こ こ で は 既 婚 女 性 の み を 対 象 と し て 集 計 し た 。 筆 者 が こ の 作 業 を 行 っ た と こ ろ 、 前 記 の 三 集 に 収 録 さ れ た 女 性 墓 誌 銘 は 一 一 二 人 で は な く 一 一 七 人 ︵ う ち 死 亡 年 齢 不 明 三 人 ︶ で あ り 、 平 均 死 亡 年 齢 は 三 七 歳 で は な く 三 六 .三 歳 と な っ た 。﹃ 曾 鞏 集 ﹄ 二 四 人 ︵ う ち 死 亡 年 齢 不 明 一 人 ︶ の 平 均 死 亡 年 齢 は 五 九 .六 歳 で 陶 氏 と 一 致 す る 。 陶 氏 の 集 計 と 筆 者 の そ れ と で は 三 集 所 載 の 女 性 数 と そ の 平 均 死 亡 年 齢 に 若 干 の 差 が あ る が 、 こ れ ら は 集 計 上 の 単 純 間 違 い で 大 き な 問 題 で は な い 。 し か し 三 集 の 三 六 .〇 歳 と ﹃ 曾 鞏 集 ﹄ の 五 九 .六 歳 で は 二 〇 歳 以 上 の 差 が あ り 、 三 集 と ﹃ 曾 鞏 集 ﹄ の 平 均 値 の 違 い は 単 純 な 統 計 上 の 誤 差 の 範 囲 内 を 超 え て い る 。 ど ち ら の 数 字 が 実 態 に 近 い 数 字 な の で あ ろ う か 。 そ も そ も 多 く の 宋 人 の 表一 1929~1931 年 中国郷村平均余命表 年齢 男女 男 女 年齢 男女 男 女 0 33.30 33.38 33.13 35-39 29.89 29.42 30.22 1 38.59 38.85 38.22 40-44 26.60 25.93 27.16 2 41.63 41.95 41.18 45-49 23.32 22.59 23.95 3 44.14 44.20 43.97 50-54 19.85 19.20 20.39 4 45.47 45.83 44.98 55-59 16.56 15.91 17.06 5-9 46.17 46.67 45.53 60-64 13.89 13.37 14.26 10-14 45.38 45.76 44.87 65-69 11.37 10.92 11.64 15-19 42.35 42.84 41.69 70-74 9.33 8.53 9.87 20-24 39.50 39.72 39.11 75-79 7.58 7.14 7.79 25-29 36.53 36.57 36.34 80-84 5.66 5.15 5.86 30-34 33.41 33.28 33.36 80 以上 4.28 3.37 4.58 文 集 の な か か ら こ の 四 種 の 文 集 が 選 ば れ た 理 由 は な に か 、 な ぜ 三 集 と ﹃ 曾 鞏 集 ﹄ と が 分 け ら れ た の か 、 ど ち ら も 説 明 さ れ て い な い た め 、 集 計 結 果 に も 不 安 が 残 る 。 例 え ば 、 前 述 の 四 集 の 撰 者 である歐陽脩︵一〇〇七∼一〇七二︶ 、 司 馬 光 ︵ 一 〇 一 九 ∼ 一 〇 八 六 ︶、 曾 鞏 ︵ 一 〇 一 九 ∼ 一 〇 八 三 ︶、 范 祖 禹 ︵ 一 〇 四 一   ∼ 一 〇 九 八 ︶ の 生 存 年 は 一 〇 〇 七 年 か ら 一 〇 九 八 年 で あ り 、 こ の 間 に 偏 在 し た 四 集 か ら 得 ら れ た 数 値 を も っ て 宋 代 を 代 表 さ せ る に は 問 題 が 残 る 。 そ こ で 、 筆 者 の 検 出 し た 一 〇 八 四 人 の 事 例 に よ っ て 平 均 死 亡 年 齢 を 検 討 す る こ と に し よ う 。    ︵二︶墓誌銘事例の分析   こ こ で は 筆 者 が 検 出 し た 宋 代 の 女 性 表二 三集および『曾鞏集』所載既婚女性の死亡年齢分布 死亡年齢 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 人数合計 范太史集 1 1 1 1 89 人 歐陽集 1 1 22 人 司馬集 5 人 三集合計 1 1 1 1 1 1 116 人 曾鞏集 2 2 1 1 1 1 1 28 人 死亡年齢 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 范太史集 2 1 4 6 2 8 5 7 4 1 2 1 4 4 3 2 1 2 歐陽集 1 1 1 1 1 1 1 1 司馬集 1 三集合計 2 2 5 7 2 8 5 8 5 2 2 1 5 5 3 2 2 2 曾鞏集 1 2 1 1 1 1 死亡年齢 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 范太史集 1 3 2 1 1 1 2 3 1 1 歐陽集 1 3 1 1 司馬集 1 1 三集合計 2 6 2 1 2 1 2 1 4 1 1 1 曾鞏集 1 1 死亡年齢 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 范太史集 1 1 1 2 1 1 1 1 1 歐陽集 1 1 1 1 1 司馬集 1 三集合計 2 2 1 2 2 2 1 1 1 1 1 曾鞏集 1 1 2 1 平均死亡年齢 三集合計36.04 歳 『曾鞏集』59.65 歳

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正 司 馬 公 集 ﹄、 范 祖 禹 ﹃ 范 太 史 集 ﹄ の 三 集 に 収 録 さ れ た 一 一 二 人 の 墓 誌 銘 史 料 を も と に 平 均 死 亡 年 齢 を 三 七 歳 と 算 出 し 、 ま た こ れ と は 別 に 陶 氏 は 、 曾 鞏 ﹃ 曾 鞏 集 ﹄ 所 載 の 墓 誌 銘 二 四 人 の 平 均 死 亡 年 齢 が 五 九 歳 で あ る と し て い る 。 次 掲 の 表 二 は 、 前 記 三 集 及 び ﹃ 曾 鞏 集 ﹄ に 収 録 さ れ た 既 婚 女 性 墓 誌 銘 の 死 亡 年 齢 分 布 を 一 覧 に し た も の で あ る 。 陶 氏 は 三 集 及 び ﹃ 曾 鞏 集 ﹄ に 載 る 婦 女 、 即 ち 既 婚 女 性 を 対 象 と し て 集 計 し て い る た め 、 こ こ で は 既 婚 女 性 の み を 対 象 と し て 集 計 し た 。 筆 者 が こ の 作 業 を 行 っ た と こ ろ 、 前 記 の 三 集 に 収 録 さ れ た 女 性 墓 誌 銘 は 一 一 二 人 で は な く 一 一 七 人 ︵ う ち 死 亡 年 齢 不 明 三 人 ︶ で あ り 、 平 均 死 亡 年 齢 は 三 七 歳 で は な く 三 六 .三 歳 と な っ た 。﹃ 曾 鞏 集 ﹄ 二 四 人 ︵ う ち 死 亡 年 齢 不 明 一 人 ︶ の 平 均 死 亡 年 齢 は 五 九 .六 歳 で 陶 氏 と 一 致 す る 。 陶 氏 の 集 計 と 筆 者 の そ れ と で は 三 集 所 載 の 女 性 数 と そ の 平 均 死 亡 年 齢 に 若 干 の 差 が あ る が 、 こ れ ら は 集 計 上 の 単 純 間 違 い で 大 き な 問 題 で は な い 。 し か し 三 集 の 三 六 .〇 歳 と ﹃ 曾 鞏 集 ﹄ の 五 九 .六 歳 で は 二 〇 歳 以 上 の 差 が あ り 、 三 集 と ﹃ 曾 鞏 集 ﹄ の 平 均 値 の 違 い は 単 純 な 統 計 上 の 誤 差 の 範 囲 内 を 超 え て い る 。 ど ち ら の 数 字 が 実 態 に 近 い 数 字 な の で あ ろ う か 。 そ も そ も 多 く の 宋 人 の 表一 1929~1931 年 中国郷村平均余命表 年齢 男女 男 女 年齢 男女 男 女 0 33.30 33.38 33.13 35-39 29.89 29.42 30.22 1 38.59 38.85 38.22 40-44 26.60 25.93 27.16 2 41.63 41.95 41.18 45-49 23.32 22.59 23.95 3 44.14 44.20 43.97 50-54 19.85 19.20 20.39 4 45.47 45.83 44.98 55-59 16.56 15.91 17.06 5-9 46.17 46.67 45.53 60-64 13.89 13.37 14.26 10-14 45.38 45.76 44.87 65-69 11.37 10.92 11.64 15-19 42.35 42.84 41.69 70-74 9.33 8.53 9.87 20-24 39.50 39.72 39.11 75-79 7.58 7.14 7.79 25-29 36.53 36.57 36.34 80-84 5.66 5.15 5.86 30-34 33.41 33.28 33.36 80 以上 4.28 3.37 4.58 文 集 の な か か ら こ の 四 種 の 文 集 が 選 ば れ た 理 由 は な に か 、 な ぜ 三 集 と ﹃ 曾 鞏 集 ﹄ と が 分 け ら れ た の か 、 ど ち ら も 説 明 さ れ て い な い た め 、 集 計 結 果 に も 不 安 が 残 る 。 例 え ば 、 前 述 の 四 集 の 撰 者 である歐陽脩︵一〇〇七∼一〇七二︶ 、 司 馬 光 ︵ 一 〇 一 九 ∼ 一 〇 八 六 ︶、 曾 鞏 ︵ 一 〇 一 九 ∼ 一 〇 八 三 ︶、 范 祖 禹 ︵ 一 〇 四 一   ∼ 一 〇 九 八 ︶ の 生 存 年 は 一 〇 〇 七 年 か ら 一 〇 九 八 年 で あ り 、 こ の 間 に 偏 在 し た 四 集 か ら 得 ら れ た 数 値 を も っ て 宋 代 を 代 表 さ せ る に は 問 題 が 残 る 。 そ こ で 、 筆 者 の 検 出 し た 一 〇 八 四 人 の 事 例 に よ っ て 平 均 死 亡 年 齢 を 検 討 す る こ と に し よ う 。    ︵二︶墓誌銘事例の分析   こ こ で は 筆 者 が 検 出 し た 宋 代 の 女 性 表二 三集および『曾鞏集』所載既婚女性の死亡年齢分布 死亡年齢 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 人数合計 范太史集 1 1 1 1 89 人 歐陽集 1 1 22 人 司馬集 5 人 三集合計 1 1 1 1 1 1 116 人 曾鞏集 2 2 1 1 1 1 1 28 人 死亡年齢 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 范太史集 2 1 4 6 2 8 5 7 4 1 2 1 4 4 3 2 1 2 歐陽集 1 1 1 1 1 1 1 1 司馬集 1 三集合計 2 2 5 7 2 8 5 8 5 2 2 1 5 5 3 2 2 2 曾鞏集 1 2 1 1 1 1 死亡年齢 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 范太史集 1 3 2 1 1 1 2 3 1 1 歐陽集 1 3 1 1 司馬集 1 1 三集合計 2 6 2 1 2 1 2 1 4 1 1 1 曾鞏集 1 1 死亡年齢 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 范太史集 1 1 1 2 1 1 1 1 1 歐陽集 1 1 1 1 1 司馬集 1 三集合計 2 2 1 2 2 2 1 1 1 1 1 曾鞏集 1 1 2 1 平均死亡年齢 三集合計36.04 歳 『曾鞏集』59.65 歳

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表三 宋代女性の死亡年齢の年代分布 死亡年齢 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 小計 北宋 6 8 7 3 2 2 3 3 1 35 南宋 合計 6 8 7 3 2 2 3 3 1 35 死亡年齢 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 小計 北宋 2 3 1 1 3 3 3 9 12 4 41 南宋 1 2 1 3 7 合計 2 4 3 1 3 3 4 9 12 5 48 死亡年齢 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 小計 北宋 13 11 9 8 8 9 8 9 7 5 87 南宋 1 2 3 5 1 3 5 20 合計 14 13 9 11 8 9 13 10 10 10 107 死亡年齢 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 小計 北宋 5 7 6 5 7 5 9 5 4 53 南宋 3 3 4 2 4 4 3 5 2 30 合計 8 7 9 9 9 9 13 8 9 2 83 死亡年齢 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 小計 北宋 3 5 9 7 7 1 3 6 6 9 56 南宋 3 3 1 2 3 3 4 4 6 7 36 合計 6 8 10 9 10 4 7 10 12 16 92 死亡年齢 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 小計 北宋 5 5 6 7 5 8 10 9 7 6 68 南宋 11 5 6 7 13 9 5 9 13 6 84 合計 16 10 12 14 18 17 15 18 20 12 152 死亡年齢 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 小計 北宋 6 6 3 6 6 8 10 15 16 11 87 南宋 4 2 12 11 8 5 9 12 13 9 85 合計 10 8 15 17 14 13 19 27 29 20 172 死亡年齢 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 小計 北宋 6 18 7 10 8 8 15 6 10 7 95 南宋 10 8 7 9 15 14 12 18 14 9 116 合計 16 26 14 19 23 22 27 24 24 16 211 墓 誌 銘 一 〇 八 四 人 分 の う ち 、 生 卒 情 報 の な い も の を 除 く 、 一 〇 〇 四 人 の 墓 誌 銘 を 基 礎 資 料 と し て 使 用 し た 。 陶 氏 が 採 用 し た 北 宋 中 期 の 四 種 の 文 集 所 載 の 一 三 六 人 の 墓 誌 銘 か ら 推 定 さ れ た 数 値 と 比 べ る と 、 サ ン プ ル 数 が 多 い 分 、 時 代 的 偏 差 な ど の 資 料 に 由 来 す る バ イ ア ス は 軽 減 さ れ て い る と 言 え よ う 。 表 三 は 、 墓 誌 銘 か ら 生 卒 情 報 が あ る 一 〇 〇 四 人 を 北 宋 と 南 宋 に 分 け 、 死 亡 年 齢 の 分 布 を 表 し た も の で あ る 。 こ の 表 三 の 数 字 を も と に 平 均 死 亡 年 齢 を 計 算 す る と 、 北 宋 期 の 女 性 の 平 均 死 亡 年 齢 は 、 四 八 .九 歳 、 南 宋 期 は 六 三 .四 歳 、 両 宋 全 体 で は 五 五 .三 歳 と な る 。 ち な み に 前 掲 の 袁 貽 瑾 氏 と J ・ L ・ バ ッ ク の 調 査 に よ る 零 歳 平 均 余 命 と 比 較 す る と 、 北 宋 は 一 五 .六 歳 、 南 宋 は 三 〇 .一 歳 も 長 い 。 北 宋 か ら 南 宋 に か け て 、 こ れ ほ ど の 死 亡 年 齢 の 伸 長 を 可 能 に す る 食 生 活 の 向 上 や 、 衛 生 環 境 の 改 良 は 想 定 し が た い 。 同 様 の 問 題 は 陶 氏 が 言 及 し た 同 じ 北 宋 代 の 三 集 と ﹃ 曾 鞏 集 ﹄ と の 間 に も 存 在 し て い る 。 こ の 表 に つ い て は さ ら に も う 一 つ 問 題 が あ る 。 死 亡 年 齢 を 一 〇 歳 ご と に 区 切 っ て そ の 数 を 比 較 す る と 、 北 宋 は 七 一 ∼ 八 〇 歳 代 に 最 大 値 が 存 す る が 、 二 一 ∼ 三 〇 歳 代 に も う 一 つ の 山 が 存 す る こ と で あ る 。 南 宋 も 最 大 値 は 同 じ 七 一 ∼ 八 〇 歳 代 で あ る が 、 山 は 一 つ で 、 左 右 対 称 で は な い も の の 標 準 分 布 曲 線 に 近 い 。 ﹃ 曾 鞏 集 ﹄ の 平 均 死 亡 年 齢 が 五 九 .六 歳 で 南 宋 平 均 死 亡 年 齢 六 三 .四 歳 に 死亡年齢 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 小計 北宋 5 6 7 4 3 4 2 2 3 1 37 南宋 6 7 3 13 8 8 4 2 1 2 54 合計 11 13 10 17 11 12 6 4 4 3 91 死亡年齢 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 小計 北宋 2 2 南宋 2 3 1 3 1 10 合計 2 5 1 3 1 12 死亡年齢 101 102 103 104 105 106 小計 合計 平均死亡年齢 北宋 561 48.9 歳 南宋 1 1 443 63.4 歳 合計 1 1 1004 55.3 歳

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表三 宋代女性の死亡年齢の年代分布 死亡年齢 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 小計 北宋 6 8 7 3 2 2 3 3 1 35 南宋 合計 6 8 7 3 2 2 3 3 1 35 死亡年齢 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 小計 北宋 2 3 1 1 3 3 3 9 12 4 41 南宋 1 2 1 3 7 合計 2 4 3 1 3 3 4 9 12 5 48 死亡年齢 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 小計 北宋 13 11 9 8 8 9 8 9 7 5 87 南宋 1 2 3 5 1 3 5 20 合計 14 13 9 11 8 9 13 10 10 10 107 死亡年齢 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 小計 北宋 5 7 6 5 7 5 9 5 4 53 南宋 3 3 4 2 4 4 3 5 2 30 合計 8 7 9 9 9 9 13 8 9 2 83 死亡年齢 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 小計 北宋 3 5 9 7 7 1 3 6 6 9 56 南宋 3 3 1 2 3 3 4 4 6 7 36 合計 6 8 10 9 10 4 7 10 12 16 92 死亡年齢 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 小計 北宋 5 5 6 7 5 8 10 9 7 6 68 南宋 11 5 6 7 13 9 5 9 13 6 84 合計 16 10 12 14 18 17 15 18 20 12 152 死亡年齢 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 小計 北宋 6 6 3 6 6 8 10 15 16 11 87 南宋 4 2 12 11 8 5 9 12 13 9 85 合計 10 8 15 17 14 13 19 27 29 20 172 死亡年齢 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 小計 北宋 6 18 7 10 8 8 15 6 10 7 95 南宋 10 8 7 9 15 14 12 18 14 9 116 合計 16 26 14 19 23 22 27 24 24 16 211 墓 誌 銘 一 〇 八 四 人 分 の う ち 、 生 卒 情 報 の な い も の を 除 く 、 一 〇 〇 四 人 の 墓 誌 銘 を 基 礎 資 料 と し て 使 用 し た 。 陶 氏 が 採 用 し た 北 宋 中 期 の 四 種 の 文 集 所 載 の 一 三 六 人 の 墓 誌 銘 か ら 推 定 さ れ た 数 値 と 比 べ る と 、 サ ン プ ル 数 が 多 い 分 、 時 代 的 偏 差 な ど の 資 料 に 由 来 す る バ イ ア ス は 軽 減 さ れ て い る と 言 え よ う 。 表 三 は 、 墓 誌 銘 か ら 生 卒 情 報 が あ る 一 〇 〇 四 人 を 北 宋 と 南 宋 に 分 け 、 死 亡 年 齢 の 分 布 を 表 し た も の で あ る 。 こ の 表 三 の 数 字 を も と に 平 均 死 亡 年 齢 を 計 算 す る と 、 北 宋 期 の 女 性 の 平 均 死 亡 年 齢 は 、 四 八 .九 歳 、 南 宋 期 は 六 三 .四 歳 、 両 宋 全 体 で は 五 五 .三 歳 と な る 。 ち な み に 前 掲 の 袁 貽 瑾 氏 と J ・ L ・ バ ッ ク の 調 査 に よ る 零 歳 平 均 余 命 と 比 較 す る と 、 北 宋 は 一 五 .六 歳 、 南 宋 は 三 〇 .一 歳 も 長 い 。 北 宋 か ら 南 宋 に か け て 、 こ れ ほ ど の 死 亡 年 齢 の 伸 長 を 可 能 に す る 食 生 活 の 向 上 や 、 衛 生 環 境 の 改 良 は 想 定 し が た い 。 同 様 の 問 題 は 陶 氏 が 言 及 し た 同 じ 北 宋 代 の 三 集 と ﹃ 曾 鞏 集 ﹄ と の 間 に も 存 在 し て い る 。 こ の 表 に つ い て は さ ら に も う 一 つ 問 題 が あ る 。 死 亡 年 齢 を 一 〇 歳 ご と に 区 切 っ て そ の 数 を 比 較 す る と 、 北 宋 は 七 一 ∼ 八 〇 歳 代 に 最 大 値 が 存 す る が 、 二 一 ∼ 三 〇 歳 代 に も う 一 つ の 山 が 存 す る こ と で あ る 。 南 宋 も 最 大 値 は 同 じ 七 一 ∼ 八 〇 歳 代 で あ る が 、 山 は 一 つ で 、 左 右 対 称 で は な い も の の 標 準 分 布 曲 線 に 近 い 。 ﹃ 曾 鞏 集 ﹄ の 平 均 死 亡 年 齢 が 五 九 .六 歳 で 南 宋 平 均 死 亡 年 齢 六 三 .四 歳 に 死亡年齢 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 小計 北宋 5 6 7 4 3 4 2 2 3 1 37 南宋 6 7 3 13 8 8 4 2 1 2 54 合計 11 13 10 17 11 12 6 4 4 3 91 死亡年齢 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 小計 北宋 2 2 南宋 2 3 1 3 1 10 合計 2 5 1 3 1 12 死亡年齢 101 102 103 104 105 106 小計 合計 平均死亡年齢 北宋 561 48.9 歳 南宋 1 1 443 63.4 歳 合計 1 1 1004 55.3 歳

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近 い こ と か ら し て 、 両 宋 で 一 一 歳 の 差 が あ る 原 因 は 、 平 均 死 亡 年 齢 が 三 六 .三 歳 で あ る 三 集 に あ る と 予 想 で き る 。   ︵三︶北宋墓誌銘における宗室女性の存在 前 節 に お け る 推 測 に 基 づ き ﹃ 范 太 史 集 ﹄ 九 〇 人 、﹃ 歐 陽 文 忠 公 集 ﹄ 二 二 人 、﹃ 温 國 文 正 司 馬 公 集 ﹄ 五 人 、 合 わ せ て 一 一 七 人 の 既 婚 の 女 性 墓 誌 銘 の う ち 、 生 没 年 情 報 の あ る 一 一 四 人 に つ い て 再 調 査 し た と こ ろ 、 三 集 収 録 の 墓 誌 銘 に 一 つ の 共 通 点 を 見 出 し た 。 そ れ は 墓 誌 銘 の な か に 多 く の 宋 朝 宗 室 関 係 者 が 含 ま れ て い る と い う こ と で あ る 。 例 え ば 、 范 祖 禹 ﹃ 范 太 史 集 ﹄ 巻 四 十 五 ﹁ 皇 族 墓 誌 銘 ﹂ に は 宗 室 に 嫁 い だ 女 性 八 一 人 、 巻 五 十 三 ﹁ 皇 族 追 封 記 ﹂、 巻 五 十 四 ﹁ 皇 族 石 記 ﹂ に は 皇 女 す な わ ち 公 主 を は じ め と す る 未 婚 の 宗 室 女 性 三 二 人 が 記 さ れ て い る 。 こ の よ う な 宗 室 関 係 女 性 の 既 婚 女 性 は﹃ 范 太 史 集 ﹄に は 九 〇 人 中 八 一 人 、 ﹃ 歐 陽 文 忠 公 集 ﹄に は 二 二 人 中 一 〇 人 、﹃ 温 國 文 正 司 馬 公 集 ﹄ に は 五 人 中 一 人 を 数 え る 。 合 わ せ る と 一 一 七 人 の 墓 誌 銘 中 、 約 八 割 に 当 た る 九 二 人 の 墓 誌 銘 が 宗 室 関 係 の 女 性 な 表四 三集所載既婚女性の宗室・非宗室別死亡年齢分布 死亡年齢 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 宗室 2 1 4 7 2 8 5 8 5 2 2 1 5 5 3 非宗室 1 1 死亡年齢 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 宗室 2 2 2 2 3 2 1 1 1 2 非宗室 3 1 死亡年齢 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 宗室 3 1 1 1 2 1 非宗室 1 1 2 2 死亡年齢 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 宗室 1 1 1 1 非宗室 1 1 1 1 1 死亡年齢 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 92 合計 宗室 91 人 非宗室 1 1 1 1 1 1 23 人 の で あ る 。 そ こ で 三 集 所 載 の 女 性 に つ い て 、 宗 室 と 非 宗 室 に 分 け て 死 亡 年 齢 の 分 布 を 示 し た の が 表 四 で あ る 。 表 四 の 数 字 を も と に 宗 室 関 係 の 既 婚 女 性 と 非 宗 室 関 係 の 既 婚 女 性 の 平 均 死 亡 年 齢 を 比 較 す る と 、 宗 室 女 性 は 三 〇 .七 歳 で あ る の に 対 し 、 非 宗 室 女 性 は 六 〇 .三 歳 と な り 、﹃ 曾 鞏 集 ﹄ の 五 九 .六 歳 と ほ ぼ 同 年 齢 に な る 。 こ の こ と か ら 三 集 の 平 均 死 亡 年 齢 が 低 い の は 、 宗 室 女 性 を 含 む た め で あ る こ と が わ か る 。 さ ら に 陶 氏 は 平 均 寿 命 の 集 計 に は 入 れ て い な い が 、﹃ 范 太 史 集 ﹄ に は 既 婚 の 宗 室 女 性 八 一 人 の 他 に 、 前 述 の よ う に 巻 五 十 三 ﹁ 皇 族 追 封 記 ﹂、 巻 五 十 四 ﹁ 皇 族 石 記 ﹂ に は 皇 女 す な わ ち 公 主 を は じ め と す る 未 婚 の 宗 室 女 性 三 二 人 が 記 さ れ て い る 。 そ こ で 女 性 の 死 亡 年 齢 分 布 を 、 既 婚 ・ 未 婚 、 宗 室 ・ 非 宗 室 に 分 け て 示 し た の が 上 記 の 表 五 で あ る 。 な お 宗 室 関 係 者 は 南 宋 の 女 性 墓 誌 銘 に は 含 ま れ て い な い の で 、 表 五 の 集 計 対 象 は 北 宋 期 に 限 る 。 宗 室 関 係 の 既 婚 女 性 の 死 亡 年 齢 の 分 布 を み る と 、 他 の グ ル ー プ と く ら べ て 、 一 〇 ∼ 二 〇 歳 代 の 人 数 が 一 三 九 人 中 七 七 人 と 五 五 % を 占 め 、 明 ら か に 宗 室 関 係 グ ル ー プ が 平 均 死 亡 年 齢 を 押 し 下 げ て い る こ と が 分 か る 。 こ の 表 に よ る と 、 宗 室 関 係 の 女 性 は 非 宗 室 関 係 の 女 性 と く ら べ て 平 均 死 亡 年 齢 が 著 し く 短 く 、 両 者 で 三 三 歳 も の 差 が 存 在 す る の で あ る が 、 現 実 の 平 均 死 亡 年 齢 に そ れ ほ ど の 差 が あ っ た と は 考 え に く い 。 宗 室 女 性 の 衣 食 住 や 衛 生 環 境 が 非 宗 室 女 性 と く ら べ て 、 三 三 歳 も 短 命 に な る ほ ど 劣 悪 で あ っ た と は 考 表五 北宋女性の宗室・非宗室、未婚・既婚別の死亡年齢分布 死亡年齢 ~9 10~19 20~29 30~39 40~49 50~ 計 平均死亡年齢 北宋既婚 25 (5%) 83(16%) 58(11%) 47 (9%) 298(58%) 511 53.0 歳 北宋未婚 34(68%) 13(26%) 3 (6%) 50 7.2 歳 北宋全体 34(6%) 38 (7%) 86(15%) 58(10%) 47 (8%) 298(53%) 561 48.9 歳 宗室既婚 20(14%) 57(41%) 26(19%) 9 (6%) 27(19%) 139 33.3 歳 宗室未婚 31(69%) 12(27%) 2 (4%) 45 6.8 歳 宗室全体 31(17%) 32(17%) 59(32%) 26(14%) 9 (5%) 27(15%) 184 26.8 歳 非宗室既婚 5 (1%) 26 (7%) 32 (9%) 38(10%) 271(73%) 372 60.3 歳 非宗室未婚 4 (66%) 1 (17%) 1(17%) 6 9.0 歳 非宗室全体 4 ( 1%) 6 (1.5%) 27(7%) 32(8.5%) 38(10%) 271(72%) 378 59.4 歳

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近 い こ と か ら し て 、 両 宋 で 一 一 歳 の 差 が あ る 原 因 は 、 平 均 死 亡 年 齢 が 三 六 .三 歳 で あ る 三 集 に あ る と 予 想 で き る 。   ︵三︶北宋墓誌銘における宗室女性の存在 前 節 に お け る 推 測 に 基 づ き ﹃ 范 太 史 集 ﹄ 九 〇 人 、﹃ 歐 陽 文 忠 公 集 ﹄ 二 二 人 、﹃ 温 國 文 正 司 馬 公 集 ﹄ 五 人 、 合 わ せ て 一 一 七 人 の 既 婚 の 女 性 墓 誌 銘 の う ち 、 生 没 年 情 報 の あ る 一 一 四 人 に つ い て 再 調 査 し た と こ ろ 、 三 集 収 録 の 墓 誌 銘 に 一 つ の 共 通 点 を 見 出 し た 。 そ れ は 墓 誌 銘 の な か に 多 く の 宋 朝 宗 室 関 係 者 が 含 ま れ て い る と い う こ と で あ る 。 例 え ば 、 范 祖 禹 ﹃ 范 太 史 集 ﹄ 巻 四 十 五 ﹁ 皇 族 墓 誌 銘 ﹂ に は 宗 室 に 嫁 い だ 女 性 八 一 人 、 巻 五 十 三 ﹁ 皇 族 追 封 記 ﹂、 巻 五 十 四 ﹁ 皇 族 石 記 ﹂ に は 皇 女 す な わ ち 公 主 を は じ め と す る 未 婚 の 宗 室 女 性 三 二 人 が 記 さ れ て い る 。 こ の よ う な 宗 室 関 係 女 性 の 既 婚 女 性 は﹃ 范 太 史 集 ﹄に は 九 〇 人 中 八 一 人 、 ﹃ 歐 陽 文 忠 公 集 ﹄に は 二 二 人 中 一 〇 人 、﹃ 温 國 文 正 司 馬 公 集 ﹄ に は 五 人 中 一 人 を 数 え る 。 合 わ せ る と 一 一 七 人 の 墓 誌 銘 中 、 約 八 割 に 当 た る 九 二 人 の 墓 誌 銘 が 宗 室 関 係 の 女 性 な 表四 三集所載既婚女性の宗室・非宗室別死亡年齢分布 死亡年齢 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 宗室 2 1 4 7 2 8 5 8 5 2 2 1 5 5 3 非宗室 1 1 死亡年齢 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 宗室 2 2 2 2 3 2 1 1 1 2 非宗室 3 1 死亡年齢 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 宗室 3 1 1 1 2 1 非宗室 1 1 2 2 死亡年齢 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 宗室 1 1 1 1 非宗室 1 1 1 1 1 死亡年齢 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 92 合計 宗室 91 人 非宗室 1 1 1 1 1 1 23 人 の で あ る 。 そ こ で 三 集 所 載 の 女 性 に つ い て 、 宗 室 と 非 宗 室 に 分 け て 死 亡 年 齢 の 分 布 を 示 し た の が 表 四 で あ る 。 表 四 の 数 字 を も と に 宗 室 関 係 の 既 婚 女 性 と 非 宗 室 関 係 の 既 婚 女 性 の 平 均 死 亡 年 齢 を 比 較 す る と 、 宗 室 女 性 は 三 〇 .七 歳 で あ る の に 対 し 、 非 宗 室 女 性 は 六 〇 .三 歳 と な り 、﹃ 曾 鞏 集 ﹄ の 五 九 .六 歳 と ほ ぼ 同 年 齢 に な る 。 こ の こ と か ら 三 集 の 平 均 死 亡 年 齢 が 低 い の は 、 宗 室 女 性 を 含 む た め で あ る こ と が わ か る 。 さ ら に 陶 氏 は 平 均 寿 命 の 集 計 に は 入 れ て い な い が 、﹃ 范 太 史 集 ﹄ に は 既 婚 の 宗 室 女 性 八 一 人 の 他 に 、 前 述 の よ う に 巻 五 十 三 ﹁ 皇 族 追 封 記 ﹂、 巻 五 十 四 ﹁ 皇 族 石 記 ﹂ に は 皇 女 す な わ ち 公 主 を は じ め と す る 未 婚 の 宗 室 女 性 三 二 人 が 記 さ れ て い る 。 そ こ で 女 性 の 死 亡 年 齢 分 布 を 、 既 婚 ・ 未 婚 、 宗 室 ・ 非 宗 室 に 分 け て 示 し た の が 上 記 の 表 五 で あ る 。 な お 宗 室 関 係 者 は 南 宋 の 女 性 墓 誌 銘 に は 含 ま れ て い な い の で 、 表 五 の 集 計 対 象 は 北 宋 期 に 限 る 。 宗 室 関 係 の 既 婚 女 性 の 死 亡 年 齢 の 分 布 を み る と 、 他 の グ ル ー プ と く ら べ て 、 一 〇 ∼ 二 〇 歳 代 の 人 数 が 一 三 九 人 中 七 七 人 と 五 五 % を 占 め 、 明 ら か に 宗 室 関 係 グ ル ー プ が 平 均 死 亡 年 齢 を 押 し 下 げ て い る こ と が 分 か る 。 こ の 表 に よ る と 、 宗 室 関 係 の 女 性 は 非 宗 室 関 係 の 女 性 と く ら べ て 平 均 死 亡 年 齢 が 著 し く 短 く 、 両 者 で 三 三 歳 も の 差 が 存 在 す る の で あ る が 、 現 実 の 平 均 死 亡 年 齢 に そ れ ほ ど の 差 が あ っ た と は 考 え に く い 。 宗 室 女 性 の 衣 食 住 や 衛 生 環 境 が 非 宗 室 女 性 と く ら べ て 、 三 三 歳 も 短 命 に な る ほ ど 劣 悪 で あ っ た と は 考 表五 北宋女性の宗室・非宗室、未婚・既婚別の死亡年齢分布 死亡年齢 ~9 10~19 20~29 30~39 40~49 50~ 計 平均死亡年齢 北宋既婚 25 (5%) 83(16%) 58(11%) 47 (9%) 298(58%) 511 53.0 歳 北宋未婚 34(68%) 13(26%) 3 (6%) 50 7.2 歳 北宋全体 34(6%) 38 (7%) 86(15%) 58(10%) 47 (8%) 298(53%) 561 48.9 歳 宗室既婚 20(14%) 57(41%) 26(19%) 9 (6%) 27(19%) 139 33.3 歳 宗室未婚 31(69%) 12(27%) 2 (4%) 45 6.8 歳 宗室全体 31(17%) 32(17%) 59(32%) 26(14%) 9 (5%) 27(15%) 184 26.8 歳 非宗室既婚 5 (1%) 26 (7%) 32 (9%) 38(10%) 271(73%) 372 60.3 歳 非宗室未婚 4 (66%) 1 (17%) 1(17%) 6 9.0 歳 非宗室全体 4 ( 1%) 6 (1.5%) 27(7%) 32(8.5%) 38(10%) 271(72%) 378 59.4 歳

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え ら れ な い か ら で あ る 8 。 こ の 平 均 死 亡 年 齢 は 墓 誌 銘 の 記 載 に 基 づ い て 計 算 し た も の で あ る こ と か ら す れ ば 、 お そ ら く 宗 室 関 係 者 の 墓 誌 銘 の 作 成 過 程 の な か に 平 均 死 亡 年 齢 が 低 く な る 理 由 が 存 し て い る の で は な い だ ろ う か 。 そ こ で 、 宗 室 関 係 女 性 が 亡 く な っ た と き の 墓 誌 銘 作 成 手 順 に つ い て 見 て み よ う 。 基 本 的 に 宗 室 関 係 者 の 墓 誌 銘 は 墓 主 の 地 位 や 皇 帝 と の 関 係 の 親 疎 に し た が っ て 、 宋 朝 政 府 が 特 別 手 当 を 支 給 し て 学 士 や 舎 人 ら に 執 筆 を 命 じ て 作 成 さ れ た 。 例 え ば 、 北 宋 の 沈 括 ﹃ 長 興 集 ﹄ 巻 十 五 に 収 録 さ れ た 二 篇 の 墓 誌 銘 ﹁ 宗 室 故 深 州 防 禦 使 饒 陽 侯 克 巳 妻 長 寧 縣 君 武 氏 墓 誌 銘 ﹂﹁ 宗 室 右 龍 武 軍 大 將 軍 萊 州 團 練 使 克 懋 妻 安 壽 縣 君 武 氏 墓 誌 銘 ﹂ に は 、標 題 の 下 に は ﹁ 奉 勅 撰 ﹂ と 注 が つ い て い る 。 こ れ ら の 墓 誌 銘 は 勅 命 を 受 け て 執 筆 さ れ て い た 。 た と え ば 范 祖 禹 は 元 祐 九 年 二 月 に 、 同 三 年 七 月 に 三 三 歳 で 死 亡 し た 、 英 宗 の 第 四 子 魏 王 頵 の 墓 誌 銘 を 撰 し た 。 そ の 冒 頭 に ﹁ 元 祐 八 年 冬 十 月 庚 午 、 上 崇 政 殿 に 御 し 、 輔 臣 を 諭 し て 曰 く 故 魏 王 墓 、 未 だ 誌 有 ら ず 、 其 れ 史 臣 祖 禹 に 命 じ 以 て 銘 せ よ と 。 臣 太 史 を 承 乏 す 。 ⋮ ⋮ 9 ﹂ と 、 執 筆 の い き さ つ を 記 し て い る 。 こ れ に よ る と 、 哲 宗 は 視 朝 の 際 、 魏 王 廷 美 の 墓 誌 作 成 の 遅 れ を 叱 責 し た 。﹁ 奉 勅 撰 ﹂ と い う 形 式 で は 、 最 終 的 に 皇 帝 の 裁 可 が 必 要 で あ る と し て も 、 常 に 皇 帝 が 直 接 執 筆 者 を 指 名 す る の で は な く 、 ふ つ う は 予 め 事 務 方 に よ る 人 選 が お こ な わ れ 、 裁 可 を へ て 実 施 さ れ る も の で あ っ た か ら で あ ろ う 。 こ の 点 で 魏 王 墓 誌 銘 は 異 例 で あ っ た 。 そ の 影 響 か 異 例 な 事 態 が つ づ く 。 魏 王 の 子 の 懐 州 防 禦 使 趙 孝 詒 が 潤 筆 と し て 銀 二 百 両 、 絹 三 百 匹 を 送 る と 手 紙 で 知 ら せ て き た の で あ る 。 驚 い た 范 祖 禹 は 翌 日 付 で 政 府 に 箚 子 を 提 出 し 、送 金 を や め さ せ る よ う 趙 孝 詒 に 命 じ て ほ し い 旨 を 願 い 出 て い る 。 そ の 理 由 は 、 魏 王 墓 誌 銘 は 詔 を う け 公 務 の 一 環 と し て 撰 し た も の で 、 執 筆 料 を 受 け 取 る わ け に は い か な い と し て い る 10 。 民 間 人 の 墓 誌 銘 の 場 合 は 、 潤 筆 料 は 当 然 、 依 頼 者 が 支 払 う こ と に な る が 、 魏 王 ほ ど で は な い に し て も 、 多 額 の 出 費 が 必 要 で あ っ た 11 。 そ れ 故 三 集 な ど の 著 者 を 始 め と す る 有 名 な 文 章 家 へ の 墓 誌 銘 の 執 筆 依 頼 は 、 お の ず と 少 な く な ら ざ る を 得 な か っ た と 推 測 さ れ る 。 非 宗 室 で 特 に 未 婚 の 女 性 の 墓 誌 銘 が 、 本 稿 に お い て 調 査 し た 文 集 に ほ と ん ど 見 ら れ な か っ た の は そ の た め で あ ろ う 。 こ の こ と が 宋 朝 関 係 者 と 一 般 民 間 ︵ 非 皇 族 関 係 者 ︶ 女 性 の 、 平 均 死 亡 年 齢 の 集 計 結 果 の 格 差 に 影 響 を あ た え た と 考 え る の が 妥 当 で あ ろ う 。 す な わ ち 宗 室 関 係 者 を 除 い た 数 値 が 北 宋 女 性 の 平 均 死 亡 年 齢 と し て 蓋 然 性 の 高 い 数 値 と 考 え ら れ る 。 先 述 の よ う に 、 表 三 の 北 宋 に お け る 死 亡 年 齢 の 分 布 で は 、 七 〇 ∼ 七 九 歳 の ほ か に 二 〇 ∼ 二 九 歳 に も 山 が あ っ た 。 表 五 で は 宗 室 既 婚 女 性 一 三 九 人 の う ち 一 〇 代 ∼ 二 〇 歳 代 で の 死 亡 が 七 七 人 と 五 五 % を 占 め て お り 、 こ れ に 対 し て 非 宗 室 既 婚 女 性 は そ の 七 三 % が 五 〇 歳 以 上 で 死 亡 し て い る 。 こ の こ と か ら 、 表 2 の 二 〇 ∼ 二 九 歳 の 山 は 主 に 宗 室 既 婚 女 性 が 作 っ て お り 、 七 〇 歳 代 の 山 は 主 に 非 宗 室 既 婚 女 性 が 作 っ て い る こ と が わ か る 。 こ の よ う に 、 宗 室 関 係 の 既 婚 女 性 の 多 く は 一 〇 代 二 〇 代 で 亡 く な っ て い る の で あ る が 、 一 〇 代 二 〇 代 で の 死 亡 が 過 半 数 で あ る こ と か ら す れ ば 、 出 産 が 何 ら か の 原 因 と な っ て の 死 亡 で あ る こ と が 推 測 さ れ よ う 。 旧 中 国 で は 女 性 は 嫁 す る と 、 婚 家 の 祭 祀 を 継 ぐ た め に 男 児 を 出 産 す る と い う 大 き な 課 題 が あ っ た 。﹁ 七 出 ﹂ の 一 つ に ﹁ 子 な き は 去 る ﹂ と い う 項 目 が 挙 げ ら れ て い る が 12 、 そ れ は 男 児 を 出 産 で き な い 場 合 に 使 わ れ た 言 葉 で あ る 。 こ の よ う に 旧 中 国 の 父 系 社 会 に お い て は 、 男 児 の 出 生 は 家 に と っ て 必 要 不 可 欠 で あ っ た 。 と く に 家 の 存 続 を は か り 礼 法 を 遵 守 す る 宗 室 関 係 に お い て は 、 こ と の ほ か 男 児 が 望 ま れ 、 嫁 い だ 女 性 は 男 児 を 出 産 す る こ と が 大 き な 責 務 と な っ た で あ ろ う 。 宗 室 に 嫁 い だ 女 性 の 置 か れ た こ の よ う な 状 況 が 、 或 い は 、 宗 室 女 性 の 平 均 死 亡 年 が 非 宗 室 女 性 の そ れ に 比 べ て 際 立 っ て 若 い こ と の 要 因 に な っ て い る の で は な い だ ろ う か 。

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え ら れ な い か ら で あ る 8 。 こ の 平 均 死 亡 年 齢 は 墓 誌 銘 の 記 載 に 基 づ い て 計 算 し た も の で あ る こ と か ら す れ ば 、 お そ ら く 宗 室 関 係 者 の 墓 誌 銘 の 作 成 過 程 の な か に 平 均 死 亡 年 齢 が 低 く な る 理 由 が 存 し て い る の で は な い だ ろ う か 。 そ こ で 、 宗 室 関 係 女 性 が 亡 く な っ た と き の 墓 誌 銘 作 成 手 順 に つ い て 見 て み よ う 。 基 本 的 に 宗 室 関 係 者 の 墓 誌 銘 は 墓 主 の 地 位 や 皇 帝 と の 関 係 の 親 疎 に し た が っ て 、 宋 朝 政 府 が 特 別 手 当 を 支 給 し て 学 士 や 舎 人 ら に 執 筆 を 命 じ て 作 成 さ れ た 。 例 え ば 、 北 宋 の 沈 括 ﹃ 長 興 集 ﹄ 巻 十 五 に 収 録 さ れ た 二 篇 の 墓 誌 銘 ﹁ 宗 室 故 深 州 防 禦 使 饒 陽 侯 克 巳 妻 長 寧 縣 君 武 氏 墓 誌 銘 ﹂﹁ 宗 室 右 龍 武 軍 大 將 軍 萊 州 團 練 使 克 懋 妻 安 壽 縣 君 武 氏 墓 誌 銘 ﹂ に は 、標 題 の 下 に は ﹁ 奉 勅 撰 ﹂ と 注 が つ い て い る 。 こ れ ら の 墓 誌 銘 は 勅 命 を 受 け て 執 筆 さ れ て い た 。 た と え ば 范 祖 禹 は 元 祐 九 年 二 月 に 、 同 三 年 七 月 に 三 三 歳 で 死 亡 し た 、 英 宗 の 第 四 子 魏 王 頵 の 墓 誌 銘 を 撰 し た 。 そ の 冒 頭 に ﹁ 元 祐 八 年 冬 十 月 庚 午 、 上 崇 政 殿 に 御 し 、 輔 臣 を 諭 し て 曰 く 故 魏 王 墓 、 未 だ 誌 有 ら ず 、 其 れ 史 臣 祖 禹 に 命 じ 以 て 銘 せ よ と 。 臣 太 史 を 承 乏 す 。 ⋮ ⋮ 9 ﹂ と 、 執 筆 の い き さ つ を 記 し て い る 。 こ れ に よ る と 、 哲 宗 は 視 朝 の 際 、 魏 王 廷 美 の 墓 誌 作 成 の 遅 れ を 叱 責 し た 。﹁ 奉 勅 撰 ﹂ と い う 形 式 で は 、 最 終 的 に 皇 帝 の 裁 可 が 必 要 で あ る と し て も 、 常 に 皇 帝 が 直 接 執 筆 者 を 指 名 す る の で は な く 、 ふ つ う は 予 め 事 務 方 に よ る 人 選 が お こ な わ れ 、 裁 可 を へ て 実 施 さ れ る も の で あ っ た か ら で あ ろ う 。 こ の 点 で 魏 王 墓 誌 銘 は 異 例 で あ っ た 。 そ の 影 響 か 異 例 な 事 態 が つ づ く 。 魏 王 の 子 の 懐 州 防 禦 使 趙 孝 詒 が 潤 筆 と し て 銀 二 百 両 、 絹 三 百 匹 を 送 る と 手 紙 で 知 ら せ て き た の で あ る 。 驚 い た 范 祖 禹 は 翌 日 付 で 政 府 に 箚 子 を 提 出 し 、送 金 を や め さ せ る よ う 趙 孝 詒 に 命 じ て ほ し い 旨 を 願 い 出 て い る 。 そ の 理 由 は 、 魏 王 墓 誌 銘 は 詔 を う け 公 務 の 一 環 と し て 撰 し た も の で 、 執 筆 料 を 受 け 取 る わ け に は い か な い と し て い る 10 。 民 間 人 の 墓 誌 銘 の 場 合 は 、 潤 筆 料 は 当 然 、 依 頼 者 が 支 払 う こ と に な る が 、 魏 王 ほ ど で は な い に し て も 、 多 額 の 出 費 が 必 要 で あ っ た 11 。 そ れ 故 三 集 な ど の 著 者 を 始 め と す る 有 名 な 文 章 家 へ の 墓 誌 銘 の 執 筆 依 頼 は 、 お の ず と 少 な く な ら ざ る を 得 な か っ た と 推 測 さ れ る 。 非 宗 室 で 特 に 未 婚 の 女 性 の 墓 誌 銘 が 、 本 稿 に お い て 調 査 し た 文 集 に ほ と ん ど 見 ら れ な か っ た の は そ の た め で あ ろ う 。 こ の こ と が 宋 朝 関 係 者 と 一 般 民 間 ︵ 非 皇 族 関 係 者 ︶ 女 性 の 、 平 均 死 亡 年 齢 の 集 計 結 果 の 格 差 に 影 響 を あ た え た と 考 え る の が 妥 当 で あ ろ う 。 す な わ ち 宗 室 関 係 者 を 除 い た 数 値 が 北 宋 女 性 の 平 均 死 亡 年 齢 と し て 蓋 然 性 の 高 い 数 値 と 考 え ら れ る 。 先 述 の よ う に 、 表 三 の 北 宋 に お け る 死 亡 年 齢 の 分 布 で は 、 七 〇 ∼ 七 九 歳 の ほ か に 二 〇 ∼ 二 九 歳 に も 山 が あ っ た 。 表 五 で は 宗 室 既 婚 女 性 一 三 九 人 の う ち 一 〇 代 ∼ 二 〇 歳 代 で の 死 亡 が 七 七 人 と 五 五 % を 占 め て お り 、 こ れ に 対 し て 非 宗 室 既 婚 女 性 は そ の 七 三 % が 五 〇 歳 以 上 で 死 亡 し て い る 。 こ の こ と か ら 、 表 2 の 二 〇 ∼ 二 九 歳 の 山 は 主 に 宗 室 既 婚 女 性 が 作 っ て お り 、 七 〇 歳 代 の 山 は 主 に 非 宗 室 既 婚 女 性 が 作 っ て い る こ と が わ か る 。 こ の よ う に 、 宗 室 関 係 の 既 婚 女 性 の 多 く は 一 〇 代 二 〇 代 で 亡 く な っ て い る の で あ る が 、 一 〇 代 二 〇 代 で の 死 亡 が 過 半 数 で あ る こ と か ら す れ ば 、 出 産 が 何 ら か の 原 因 と な っ て の 死 亡 で あ る こ と が 推 測 さ れ よ う 。 旧 中 国 で は 女 性 は 嫁 す る と 、 婚 家 の 祭 祀 を 継 ぐ た め に 男 児 を 出 産 す る と い う 大 き な 課 題 が あ っ た 。﹁ 七 出 ﹂ の 一 つ に ﹁ 子 な き は 去 る ﹂ と い う 項 目 が 挙 げ ら れ て い る が 12 、 そ れ は 男 児 を 出 産 で き な い 場 合 に 使 わ れ た 言 葉 で あ る 。 こ の よ う に 旧 中 国 の 父 系 社 会 に お い て は 、 男 児 の 出 生 は 家 に と っ て 必 要 不 可 欠 で あ っ た 。 と く に 家 の 存 続 を は か り 礼 法 を 遵 守 す る 宗 室 関 係 に お い て は 、 こ と の ほ か 男 児 が 望 ま れ 、 嫁 い だ 女 性 は 男 児 を 出 産 す る こ と が 大 き な 責 務 と な っ た で あ ろ う 。 宗 室 に 嫁 い だ 女 性 の 置 か れ た こ の よ う な 状 況 が 、 或 い は 、 宗 室 女 性 の 平 均 死 亡 年 が 非 宗 室 女 性 の そ れ に 比 べ て 際 立 っ て 若 い こ と の 要 因 に な っ て い る の で は な い だ ろ う か 。

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第二章   結婚年齢 宋 代 女 性 の 墓 誌 銘 で 年 齢 が 明 記 さ れ て い る の は 、 死 亡 年 齢 と 結 婚 年 齢 で あ る 。 北 宋 女 性 五 九 八 人 の う ち 死 亡 年 齢 判 明 は 既 婚 五 一 一 人 ・ 未 婚 五 〇 人 の 五 六 一 人 、 結 婚 年 齢 判 明 は 二 九 三 人 、 南 宋 女 性 四 八 六 人 の う ち 死 亡 年 齢 判 明 は 既 婚 四 三 九 人 ・ 未 婚 四 人 の 四 四 三 人 、 結 婚 年 齢 判 明 は 一 八 一 人 で あ る 。 死 亡 年 齢 に 比 べ て 結 婚 年 齢 の 明 記 は 少 な い 。 し か し 結 婚 年 齢 に つ い て は 、  ﹃ 禮 記 ﹄ を は じ め 宋 代 の 家 礼 な ど で も 適 齢 が 記 さ れ て お り 、 こ れ ら 家 礼 の 規 定 と 墓 誌 銘 か ら う か が え る 実 態 と を 比 較 し て み る こ と で 、 家 礼 が 宋 代 士 大 夫 の 生 活 に ど れ く ら い 影 響 し て い た か を 考 え て み よ う 。 ︵一︶先行研究 結 婚 年 齢 の 昇 降 は 、 歴 史 人 口 学 で は 、 食 糧 の 需 給 や 穀 物 価 格 な ど 景 気 と 変 動 と 連 動 し 、 死 亡 率 と 同 じ く 人 口 の 増 減 に 影 響 を あ た え る 要 因 の 一 つ と さ れ て い る 。 た と え ば 一 五 世 紀 イ タ リ ア 中 部 ト ス カ ー ナ の 結 婚 年 齢 は 男 性 三 〇 歳 ・ 女 性 二 〇 歳 で あ っ た が 、 一 七 世 紀 に な る と 同 じ く 中 部 パ ル マ 司 教 区 で は 男 性 三 四 歳 ・ 女 性 三 〇 歳 に 上 昇 し 、 と く に 女 性 に お い て 晩 婚 化 傾 向 が 著 し か っ た 。 結 婚 年 齢 の 上 昇 傾 向 は ヨ ー ロ ッ パ 全 域 で 認 め ら れ 、 人 口 の 回 復 と 長 期 的 な 経 済 の 収 縮 に 対 応 す る も の と 説 明 さ れ て い る 13 。 も ち ろ ん 結 婚 は 女 性 の み で は な り た た な い 。 歴 史 人 口 学 の 論 点 と し て の 結 婚 年 齢 は 男 性 も 視 野 に 入 れ た も の で な け れ ば な ら な い が 、 男 性 も 含 め た 結 婚 年 齢 の 問 題 は 今 後 の 課 題 と し て 、 本 稿 で は 女 性 の 結 婚 年 齢 に 限 定 し て 考 察 を す す め る 。 宋 代 女 性 の 実 像 の 復 元 と い う 本 稿 の 目 的 か ら し て も 、 結 婚 は 一 生 を 画 す る 大 き な イ ベ ン ト の 一 つ で あ り 、 宋 代 女 性 の 平 均 的 な 結 婚 年 齢 が 何 歳 で あ っ た か は 、 宋 代 女 性 像 を 構 成 す る 重 要 な 要 素 で あ る か ら で あ る 。 た だ 歴 史 人 口 学 上 、 信 頼 で き る 数 値 が 得 ら れ る よ う に な る の は 、 二 〇 世 紀 以 降 に 実 施 さ れ た 近 代 的 統 計 調 査 を 待 た ね ば な ら な い 。 先 引 の J ・ L ・ バ ッ ク の 調 査 に よ れ ば 、 中 国 に お け る 平 均 結 婚 年 齢 は 男 二 〇 .五 歳 、 女 一 八 .二 歳 で 、 同 時 代 の オ ー ス ト ラ リ ア ︵ 男 二 九 歳 、 女 二 五 .二 歳 ︶、 イ ン グ ラ ン ド 及 び ウ ェ ー ル ズ ︵ 男 二 九 歳 、女 二 六 .五 歳 ︶、 ニ ュ ー ヨ ー ク 州 ︵ ニ ュ ー ヨ ー ク 市 を 除 く 、 男 二 八 .八 歳 、 女 二 五 .二 歳 ︶ と く ら べ て 七 歳 ∼ 九 歳 低 か っ た 。 二 〇 世 紀 前 半 の 伝 統 中 国 社 会 で は 早 婚 習 慣 が 濃 厚 に 残 っ て い た 14 。 表 六 は 、 J ・ L ・ バ ッ ク の 調 査 に 基 づ く 結 婚 年 齢 分 布 で あ る が 、 男 女 と も 最 頻 値 は 一 五 歳 ∼ 一 九 歳 の 間 に 存 し 、 一 九 歳 ま で に 女 性 の 八 割 以 上 が 結 婚 し て い た 。 ま た 中 国 に お け る 本 格 的 社 会 調 査 の 嚆 矢 と さ れ る 河 北 省 定 県 の 調 査 で も 結 婚 に 関 す る 諸 項 目 の 調 査 が 行 わ れ た 15 。 同 県 東 亭 郷 の 七 六 六 組 の 夫 婦 に つ い て 行 っ た 調 査 に よ れ ば 、 女 性 は 一 〇 ∼ 一 四 歳 で 結 婚 し た も の 五 九 人 ︵ 七 .七 % ︶、 一 五 ∼ 一 九 歳 で 結 婚 し た も の 五 二 八 人 ︵ 六 八 .九 % ︶、 二 〇 ∼ 二 四 歳 で 結 婚 し た も の が 一 六 七 人 ︵ 二 一 八 % ︶ で あ っ た 。 つ ま り 全 体 の 七 七 % の 女 性 が 一 九 歳 ま で に 結 婚 し て い た 。 一 方 男 性 は 一 〇 人 ︵ 一 .三 % ︶ が 一 〇 歳 未 満 で 、 三 〇 七 人 ︵ 四 〇 % ︶ が 一 〇 ∼ 一 四 歳 で 、 二 七 三 人 ︵ 三 五 .六 % ︶ が 一 五 ∼ 一 六 歳 で 、 八 八 人 ︵ 一 一 .五 % ︶ が 二 〇 ∼ 二 四 歳 で 結 婚 し て い た 。 男 性 の 場 合 も 一 九 歳 ま で に 七 六 % が 結 婚 し て い た 。 男 女 と も 早 婚 傾 向 は 同 じ だ が 、 男 性 の 約 四 〇 % が 一 〇 歳 か ら 一 四 歳 の 間 に 結 婚 し て お り 、 そ の 傾 向 が 強 か っ た 16 。 平 均 結 婚 年 齢 の 算 出 は な さ れ て い な い が 、 女 性 の 数 値 は 先 述 の バ ッ ク の 集 計 結 果 と 大 差 な い 。 た だ 夫 が 妻 よ り も 年 少 で あ る 夫 婦 が 全 体 の 七 割 を し め て い た こ と か ら も わ か る よ う に 、 定 県 で は 男 性 の 早 婚 傾 向 が 著 し か っ た 点 が 特 徴 と し て 指 摘 さ れ て い る 17 。 こ の よ う に 二 〇 世 紀 初 頭 の 伝 統 的 な 中 国 社 会 に お け る 女 性 の 平 均 結 婚 年 齢 は 、 早 婚 傾 向 が 指 摘 さ れ る 一 五 世 紀 ヨ ー ロ ッ パ に お け る 平 表六 結婚年齢別分布(1929‐1931 年) 15 歳未満 15~19 歳 20~24 歳 25~29 歳 30~34 歳 35~39 歳 40 歳以上 不明 計 男 117(7%) 744(46.5) 517(32%) 138(9%) 44(3%) 16(1%) 24(1.5%) 0 1600 女 159(9%) 1269(72%) 294(17%) 30(2%) 2(0.1%) 3(0.2%) 0 3(0.2%) 1760

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第二章   結婚年齢 宋 代 女 性 の 墓 誌 銘 で 年 齢 が 明 記 さ れ て い る の は 、 死 亡 年 齢 と 結 婚 年 齢 で あ る 。 北 宋 女 性 五 九 八 人 の う ち 死 亡 年 齢 判 明 は 既 婚 五 一 一 人 ・ 未 婚 五 〇 人 の 五 六 一 人 、 結 婚 年 齢 判 明 は 二 九 三 人 、 南 宋 女 性 四 八 六 人 の う ち 死 亡 年 齢 判 明 は 既 婚 四 三 九 人 ・ 未 婚 四 人 の 四 四 三 人 、 結 婚 年 齢 判 明 は 一 八 一 人 で あ る 。 死 亡 年 齢 に 比 べ て 結 婚 年 齢 の 明 記 は 少 な い 。 し か し 結 婚 年 齢 に つ い て は 、  ﹃ 禮 記 ﹄ を は じ め 宋 代 の 家 礼 な ど で も 適 齢 が 記 さ れ て お り 、 こ れ ら 家 礼 の 規 定 と 墓 誌 銘 か ら う か が え る 実 態 と を 比 較 し て み る こ と で 、 家 礼 が 宋 代 士 大 夫 の 生 活 に ど れ く ら い 影 響 し て い た か を 考 え て み よ う 。 ︵一︶先行研究 結 婚 年 齢 の 昇 降 は 、 歴 史 人 口 学 で は 、 食 糧 の 需 給 や 穀 物 価 格 な ど 景 気 と 変 動 と 連 動 し 、 死 亡 率 と 同 じ く 人 口 の 増 減 に 影 響 を あ た え る 要 因 の 一 つ と さ れ て い る 。 た と え ば 一 五 世 紀 イ タ リ ア 中 部 ト ス カ ー ナ の 結 婚 年 齢 は 男 性 三 〇 歳 ・ 女 性 二 〇 歳 で あ っ た が 、 一 七 世 紀 に な る と 同 じ く 中 部 パ ル マ 司 教 区 で は 男 性 三 四 歳 ・ 女 性 三 〇 歳 に 上 昇 し 、 と く に 女 性 に お い て 晩 婚 化 傾 向 が 著 し か っ た 。 結 婚 年 齢 の 上 昇 傾 向 は ヨ ー ロ ッ パ 全 域 で 認 め ら れ 、 人 口 の 回 復 と 長 期 的 な 経 済 の 収 縮 に 対 応 す る も の と 説 明 さ れ て い る 13 。 も ち ろ ん 結 婚 は 女 性 の み で は な り た た な い 。 歴 史 人 口 学 の 論 点 と し て の 結 婚 年 齢 は 男 性 も 視 野 に 入 れ た も の で な け れ ば な ら な い が 、 男 性 も 含 め た 結 婚 年 齢 の 問 題 は 今 後 の 課 題 と し て 、 本 稿 で は 女 性 の 結 婚 年 齢 に 限 定 し て 考 察 を す す め る 。 宋 代 女 性 の 実 像 の 復 元 と い う 本 稿 の 目 的 か ら し て も 、 結 婚 は 一 生 を 画 す る 大 き な イ ベ ン ト の 一 つ で あ り 、 宋 代 女 性 の 平 均 的 な 結 婚 年 齢 が 何 歳 で あ っ た か は 、 宋 代 女 性 像 を 構 成 す る 重 要 な 要 素 で あ る か ら で あ る 。 た だ 歴 史 人 口 学 上 、 信 頼 で き る 数 値 が 得 ら れ る よ う に な る の は 、 二 〇 世 紀 以 降 に 実 施 さ れ た 近 代 的 統 計 調 査 を 待 た ね ば な ら な い 。 先 引 の J ・ L ・ バ ッ ク の 調 査 に よ れ ば 、 中 国 に お け る 平 均 結 婚 年 齢 は 男 二 〇 .五 歳 、 女 一 八 .二 歳 で 、 同 時 代 の オ ー ス ト ラ リ ア ︵ 男 二 九 歳 、 女 二 五 .二 歳 ︶、 イ ン グ ラ ン ド 及 び ウ ェ ー ル ズ ︵ 男 二 九 歳 、女 二 六 .五 歳 ︶、 ニ ュ ー ヨ ー ク 州 ︵ ニ ュ ー ヨ ー ク 市 を 除 く 、 男 二 八 .八 歳 、 女 二 五 .二 歳 ︶ と く ら べ て 七 歳 ∼ 九 歳 低 か っ た 。 二 〇 世 紀 前 半 の 伝 統 中 国 社 会 で は 早 婚 習 慣 が 濃 厚 に 残 っ て い た 14 。 表 六 は 、 J ・ L ・ バ ッ ク の 調 査 に 基 づ く 結 婚 年 齢 分 布 で あ る が 、 男 女 と も 最 頻 値 は 一 五 歳 ∼ 一 九 歳 の 間 に 存 し 、 一 九 歳 ま で に 女 性 の 八 割 以 上 が 結 婚 し て い た 。 ま た 中 国 に お け る 本 格 的 社 会 調 査 の 嚆 矢 と さ れ る 河 北 省 定 県 の 調 査 で も 結 婚 に 関 す る 諸 項 目 の 調 査 が 行 わ れ た 15 。 同 県 東 亭 郷 の 七 六 六 組 の 夫 婦 に つ い て 行 っ た 調 査 に よ れ ば 、 女 性 は 一 〇 ∼ 一 四 歳 で 結 婚 し た も の 五 九 人 ︵ 七 .七 % ︶、 一 五 ∼ 一 九 歳 で 結 婚 し た も の 五 二 八 人 ︵ 六 八 .九 % ︶、 二 〇 ∼ 二 四 歳 で 結 婚 し た も の が 一 六 七 人 ︵ 二 一 八 % ︶ で あ っ た 。 つ ま り 全 体 の 七 七 % の 女 性 が 一 九 歳 ま で に 結 婚 し て い た 。 一 方 男 性 は 一 〇 人 ︵ 一 .三 % ︶ が 一 〇 歳 未 満 で 、 三 〇 七 人 ︵ 四 〇 % ︶ が 一 〇 ∼ 一 四 歳 で 、 二 七 三 人 ︵ 三 五 .六 % ︶ が 一 五 ∼ 一 六 歳 で 、 八 八 人 ︵ 一 一 .五 % ︶ が 二 〇 ∼ 二 四 歳 で 結 婚 し て い た 。 男 性 の 場 合 も 一 九 歳 ま で に 七 六 % が 結 婚 し て い た 。 男 女 と も 早 婚 傾 向 は 同 じ だ が 、 男 性 の 約 四 〇 % が 一 〇 歳 か ら 一 四 歳 の 間 に 結 婚 し て お り 、 そ の 傾 向 が 強 か っ た 16 。 平 均 結 婚 年 齢 の 算 出 は な さ れ て い な い が 、 女 性 の 数 値 は 先 述 の バ ッ ク の 集 計 結 果 と 大 差 な い 。 た だ 夫 が 妻 よ り も 年 少 で あ る 夫 婦 が 全 体 の 七 割 を し め て い た こ と か ら も わ か る よ う に 、 定 県 で は 男 性 の 早 婚 傾 向 が 著 し か っ た 点 が 特 徴 と し て 指 摘 さ れ て い る 17 。 こ の よ う に 二 〇 世 紀 初 頭 の 伝 統 的 な 中 国 社 会 に お け る 女 性 の 平 均 結 婚 年 齢 は 、 早 婚 傾 向 が 指 摘 さ れ る 一 五 世 紀 ヨ ー ロ ッ パ に お け る 平 表六 結婚年齢別分布(1929‐1931 年) 15 歳未満 15~19 歳 20~24 歳 25~29 歳 30~34 歳 35~39 歳 40 歳以上 不明 計 男 117(7%) 744(46.5) 517(32%) 138(9%) 44(3%) 16(1%) 24(1.5%) 0 1600 女 159(9%) 1269(72%) 294(17%) 30(2%) 2(0.1%) 3(0.2%) 0 3(0.2%) 1760

表 七 に あ る よ う に 宋 代 女 性 の 結 婚 年 齢 は ︑ 北 宋 女 性 が 一 八 . 一 歳 ︑ 南 宋 女 性 が 一 九 . 一 歳 で ︑ 北 宋 と 南 宋 と で は 結婚年齢に一歳の差がある︒そこで死亡年齢の項で試みたのと同じように︑表七で宗室関係者を抽出して集計したところ︑平均結婚年齢は一六.八歳となり︑ここでも宗室関係者が結婚年齢の低下に関与していることがわかった︒死亡年齢では︑若くして死亡した女性の場合︑宗室と一般人では文章家への墓誌銘執筆の依頼数が異なったことが ︑
表 七 に あ る よ う に 宋 代 女 性 の 結 婚 年 齢 は ︑ 北 宋 女 性 が 一 八 . 一 歳 ︑ 南 宋 女 性 が 一 九 . 一 歳 で ︑ 北 宋 と 南 宋 と で は 結婚年齢に一歳の差がある︒そこで死亡年齢の項で試みたのと同じように︑表七で宗室関係者を抽出して集計したところ︑平均結婚年齢は一六.八歳となり︑ここでも宗室関係者が結婚年齢の低下に関与していることがわかった︒死亡年齢では︑若くして死亡した女性の場合︑宗室と一般人では文章家への墓誌銘執筆の依頼数が異なったことが ︑

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