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茅ヶ崎一里塚 ~ 藤沢宿 8km を歩く 月 23 日 ~25 日にかけて 茅ヶ崎をスタートして藤沢宿 戸塚宿 保土ヶ谷宿 神奈川宿を抜けて川崎まで歩きました 旅の計画を練るのも旅の楽しみ 久しぶりに東海道を歩くことにして 残る 59km を何回で歩くのがベターなのか計画

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Academic year: 2021

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2010.12.23

茅ヶ崎一里塚~藤沢宿

8km を歩く

12 月 23 日~25 日にかけて、茅ヶ崎をスタートして藤沢宿、戸塚宿、保 土ヶ谷宿、神奈川宿を抜けて川崎まで歩きました。

旅の計画を練るのも旅の楽しみ

久しぶりに東海道を歩くことにして、残る59km を何回で歩くのがベター なのか計画を練った。一泊二日の旅だと3 回行き来する必要があり、電車賃 も新幹線利用だと片道9.000 円~10.000 円ほどになる。そのため出した結論 が行きは青春 18 切符を利用する二泊三日と、往復新幹線利用の一泊二日の 2回で日本橋まで行くことにした。 このため2泊3日の旅は12月10日以降の年内に予定し、1泊2日の旅は ゆっくり決めることにした。旧東海道の完全踏破をした暁には、緒川城で生 まれた家康の母「於大」の眠る伝通寺をお参りしたいので、早めに日本橋に到 着できるように計画する。そして、天気予報を確認しながら19 日に次のよ うに決めた……. 23日~25日とし、初日は藤沢泊、二日目は保土ヶ谷ま で歩くもののコース近くに宿がないため横浜泊とする。宿の手配はいつもの ように「じゃらん」で5.000 円以下のホテルを確保、翌日に青春18切符を購 入した。この切符は 5 人が 1 日乗りのほうだいで 11.500 円のすぐれもの。 友夫婦と4 人なので 1 枚余るが、1 枚は友が引き取り結果 2 人 4.600 円でど こまでも行くことが可能。新幹線利用の約18.000 円との差額は 14.000 円ほ どにもなり、この魅力は捨てがたい。

久しぶりの東海道ウオーキング

東浦 6.27 の列車に乗り、大府から区間快速で浜松まで行く。これまでい つも乗った列車で、祭日だがよく混雑しているものの刈谷で大勢の人が降り る。在来線では浜松、熱海で乗り換えるとめざす茅ヶ崎には12.06 に到着す る。そのまま東京へ向かえば13.06 には到着するのだから思いのほか早い。 大井川を渡る時には今回も富士山が、雲ひとつないすばらしい雄姿を見せて

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くれて今回の旅も楽しいものになり そうだ。ここで一つ考えなくてはい けないのが、どこで昼食にするかで ある。電車を降りたらすぐにスター トしたいので、電車内で弁当を食べ たいのだが JR 東の電車はすべてロ ングシートなのでちょっと食べづら いのだ。でも先回茅ヶ崎駅前にはラ ンチを手軽に食べられるようなお店 は見当たらなかった。しかし、計画通りに歩くには電車内で弁当を食べるこ とが最善なので、浜松駅で助六を買って 8.38 の熱海行に乗り換えた。11.08 熱海に到着して東京行きに乗り換えると、車掌さんは女性でアナウンスのや さしいのが良い。電車はこれまでの3ドアタイプではなくて4ドアタイプだ った。このような電車は初めてだ、そのためドアとドアの間はボックス席で 他がロングシートになっていた。うまいことにドア横は2人がけ席で、さし 向いに座ることができた。ボックス席との境には区切りのつい立もあり、隣 の人に気兼ねすることなく食べることができてほっとした。電車は予定通り 12.06 茅ヶ崎駅に到着した。 茅ヶ崎のイベント「大岡越前祭」 駅から 100m 程行くと旧東海道(国道1号)に出る、その角に茅ヶ崎一里塚 跡がある。藤沢、平塚宿間の間の宿としてにぎわったこの地には南湖、四谷、 菱沼の三つの立て場がありました。南湖はすでに通り過ぎたが吉原とともに 「左富士」で知られる所、また良く知られるイベントに大岡越前祭がある。名 奉行大岡越前守忠相の菩提寺「浄見寺」での墓前まつりや、大名行列など様々 な催しが繰り広げられる。大正時代に始まった大岡越前守忠相を顕彰するま つりで、関東大震災で中断したが昭和31年に復活し、春のビックイベント として今も続いている。一里塚を過ぎると松並木が現れる、そのさき JR 相 模線を横切ると途絶えるが、少し行くと茅ヶ崎高校前にはさらに立派な松並 木が続いている。高校の向かいには大きな工場が現れる、「TOTO」の茅ヶ崎 工場で、東海地方のイナックスの強力なライバルである。 50分も歩くと汗をかいて暑くなってきた、見ると企業の広告塔についてい

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る温度計は17℃を表示している。事前の予報では最高気温15℃となって 茅ヶ崎一里塚跡 茅ヶ崎高校前の松並木 いたが、それを上回り温かいを通り越して暑いくらいだった。そこからすぐ に高野山真言宗「千手院」の立派な石柱を見て、その先の茅ヶ崎市域唯一の浄 土真宗寺院「上正寺」の門前までくると、東海道の56km ポストが現れた。 この辺りは小和田二丁目で、国道沿いには豪邸と呼ぶにふさわしい立派な家 が多く見られる。その先赤松町の松並木を過ぎた所にコンビニが見えたので 小休憩にして缶コーヒーを買い求めた。

市指定重要文化財の「庚申供養塔」

社みたいな所があったので腰をおろしてコーヒータイムにしたのだが、目 と鼻の先に説明板があったので確認すると…..「二ッ谷」とあった。江戸時代 に大山詣での信者たちが、帰りに江の島、鎌倉へ向かう時に休憩場(立て場) として2軒の茶屋があったことからと記されていた。 そして、腰をおろした隣には石柱で囲われた中に立派な石碑が建ち、説明板 もあった。藤沢市指定重要文化財「庚申供養塔」寛文10年(1670)とありこん な説明がされていた………...庚申信仰は十干.十二支の組み合わせによって、 60日に一度めぐってくる「庚申の日」に、その夜を眠らずに過ごして無病息 災.長寿を願う信仰である。この源流は「人の体内にいる三戸の虫が、庚申の 夜天に上ってその人の罪過を天帝に告げるため、生命を縮められる」とする 中国の道教の教えに由来する。江戸、万治、寛文の頃には仏教を背景に広く

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庶民に伝わり「庚申講」が結ばれて、庚申の夜は当番の家に集まり徹夜で酒食 歓談して過ごす庚申待の行事や、供養塔の造立が盛んになった。 庚申供養塔を出て2分も行くと一里塚跡の標識がポツンと立っている、少 し寂しいが標識のあるだけでも良しとしなければなるまい。その先の「羽島 交番前」の交差点角にGS があり、レギュラー133円/ℓの看板が目を引いた。 東浦より10円高いレベルだと思う、これが都会と田舎の違いなんだろう。 そして、東海道は交差点を渡ると直に国道を離れ右手に向かう。 庚申供養塔 メルシャンワインの工場

メルシャンワインの藤沢工場と白い塔

54km ポストを過ぎて羽鳥交差点を過ぎると緩やかな下り坂が続き、左側 に大きな工場が見えてくる。メルシャンワインの藤沢工場で、箱型の建物の 他に円筒缶のでかい構造物がいくつも並んでいるのが特徴だ。こうした所も 工場見学ができるとよいのだが、日程がピチッと組んであるのでゆっくりす るのは難しい。この地にワイン工場があるということはいい水があるという ことだろうか。そんなことを考えながらでかい建物を横目に見て進むと、前 方の小高い丘に白い塔が建っている。てっぺんと1/3くらいの高さに、2か 所赤い帯が入っていて美しい。展望台にしては人が乗るスペースがないし、 煙突と思うのだがそれにしてはきれいだが。おそらく環境に配慮して塗装さ れたゴミの焼却炉用の煙突だろう。

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義経の伝説と古い紙問屋

引地川を渡り 52km ポストを過ぎて、小田急江ノ島線を渡ると「伝源義経 首洗井戸」がある。街道から少し入ったそこには、一本の紅葉がいまだ鮮や かな色あいを保っておりびっくりした、その下に石で組んだ井戸がある。 鎌倉幕府の「吾妻鏡」という記録によると、兄頼朝に追われた義経は奥州で亡 くなり、文治5年(1189)義経の首が鎌倉に送られてきた。義経の首は首実験 の後腰越の浜に捨てられました。それが潮に乗ってこの辺りに漂着したのを 里人がすくいあげ、洗い清めた井戸と伝えられます。ここから北へ40m の 辺りに義経首塚という遺跡もありました。井戸をのぞくと使用していないと 思われるのに水がありました。 ベンチもあったので腰をおろして小休止、持参したチョコを食べてエネルギ ーを補給してスタートしました。10分も歩くと蒔田本陣跡の標識のみが立 っていました。ここから左手奥には本陣職を務めた、蒔田家の墓がある日蓮 宗の妙善寺があります。 伝源義経首洗井戸 斎藤さんちのおばあちゃんと そこから5分も進むと、腰までなまこ壁の立派な蔵がありました。これはす ごい建物と写真を撮り、先へ進もうとしたところおばあちゃんが出てきて 「中を見ていってください」と声をかけてくれた。われわれの身なりから察し をつけてのことらしい、御厚意に甘えて蔵の中を見せていただく。今も紙の 卸をやっている「小田原製紙」の斎藤さんで本店は横浜市内にあって、ここは 支店で3人の従業員とおばあちゃんの住む離れが一緒になっていた。建物の

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中は蔵の部分と居間、仏間などが一直線に並ぶ配置になっており、昔はおじ いちゃんが居間にいても店の様子が分かるようになっていたという。太い大 黒柱が印象的でおばあちゃんの説明によると、関東大震災の時に並びの家が すべて倒壊したが、この蔵で連鎖倒壊を喰い止めたという。確かに見れば見 るほど立派な大黒柱で、通りに向けて庇の部分を支えるのは鉄骨製のアング ルが使用されていた。お年寄りなので少しすると同じことを3回も、4回も 話してくれるのでちょっと参った。でも通りを歩くだけでは分からない町の 歴史を知ることができた。帰る時におばあちゃんとかみさん二人の記念写真 を撮った。

遊行寺の門前町として栄えた藤沢宿

10分も歩くと51km ポストを過ぎて藤沢橋で宿場の中心に着く、ここ藤 沢宿は鎌倉時代から時宗総本山「遊行寺(正式には清浄光寺)」の門前町として 栄えており、江戸時代の慶長6年(1601)藤沢宿が置かれ人口は 6.000 人を数 えたという。門前町として栄えたばかりではなく、一里ほどしか離れていな い江の島や鎌倉参拝の拠点として、幕末期には70軒以上もの旅籠屋が立ち 並びました。この遊行寺というのは、踊念仏で知られる一遍上人を開祖とす る時宗の総本山ですが、知多地方には時宗のお寺さんはないようだが、岡崎 を歩いた時に時宗のお寺さんがあったと記憶する。 川を渡り東海道を直角に 左に曲がって進む、すぐ先 に遊行寺があり街道はだ らだらと上り坂が続いて いる。これは明日の朝の出 がけからきついぞと話し ながら行くと遊行寺の看 板がある。15.00 到着して 境内に入るととても大き なイチョウの木が迎えて くれる、かつては高さが 31m あったが昭和 57 年の

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台風で折れて今は21m になってしまった。昭和 46 年に市指定の天然記念物 になり、その時の調査では樹齢650 年~700 年という。イチョウは中国原産 で日本への渡来は早くて12 世紀以降のこと、遊行寺が創建されたのは正中 2 年( 1325)なのでこれをさかのぼることはない。それと、この木は雄株なので ギンナンはならないが、晩秋の黄葉はそれはみごとなものという。 本堂の前にて 時宗は浄土教の一派だが、浄土宗、浄土真宗とどう違うのか、もちろん宗教 はよく分からないのだが基本はこうらしい……… ①浄土宗…….阿弥陀さんを信じ念仏を唱える努力を重視する ②浄土真宗….阿弥陀さんを信ずることのみを重視する ③時宗……….阿弥陀さんの信.不信を問わず念仏を唱えれば往生できる と言われてもよく分からないのが本音だ。時宗で知られるのは念仏踊りがあ る、これは人々に時宗を広めるのに興行を行ったという。要は人々がとっつ きやすい工夫をしたわけで、これが今日の盆踊りになったとも言われている。 さらに、時宗といえば徳川家康の先祖松平家に関係があると言う。碧南市の 称名寺に時宗の僧の親子が訪れる、その子供の僧が連歌が縁で松平家に引き 取られて、この人物が松平家を起こしたというのだ…….。 このあと藤沢駅を越えた中心街まで歩きホテル「法華クラブ」に到着した。歩 数計は12.500 歩だった。

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TOTO の工場

時宗の開祖「一遍上人」像

参照

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