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現代資本輸出論研究ノート(1)

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(1)

現代資本輸出論研究ノート(1)

著者 居城 弘

雑誌名 靜岡大学法経研究

巻 22

号 1

ページ 55‑66

発行年 1973‑09‑29

出版者 静岡大学人文学部

URL http://doi.org/10.14945/00005808

(2)

研究ノート

ノ ー ト ω

居 城

はじめに

 戦後の資本主義世界経済は︑数度の圃期を伴ないつつ大

きな構造変化を現出せしめている︒なかでも六十年代に入

って顕在化し︑いよいよその深刻さを加えつつある﹁国際

通貨危機﹂は・戦後世界経済の芳の編製磐なす・ド        ︵2︶ ルを基軸とするー・M・F体制の﹁崩壊﹂という現実に直

面しているかぎり︑その根本的再編を迫られているといえ

るであろう︒

 こうした再編の帰趨︒展望を見定めるためには︑国際通

     現代資本輪出論研究ノートω 貨の面に現われた危機的様相の根底にあって︑これに規定 的な作用を及ぼす世界経済の実体的側面の分析を不可欠の ものとすることは云うを倹たない︒その場合︑つまり世界 経済の動態的構造分析のさいに︑量界貿易とならんで資本 輸出の構造分析はその璽要な環をなすものと考えられる︒

﹁自由競争が完全に支配していた古い資本主義にとって

は︑商晶の輸出が典型であった︒だが︑独占が支配してい

る最薪の資本主義にとっては︑資本の輸出が典型的とな

︵3︶ る﹂段階において︑商晶の輸出がその意義を失なうという

のではもちろんなく︑独占の支配するもとでの膨大な資本

       五五

(3)

現代資本輸出論研究ノートω

の過剰が資本の輸出の動因として存在していること︑その

資本の輸出が︑独占と金融資本の支配する各国民経済の国

際的相互関係の紐帯としての位置をしめるものであること

のゆえに︑である︒いうまでもなくこれは︑レーニン﹁帝

国主義論﹂において示された資本輸出分析の重要性を再確

認することに他ならない︒しかしながら︑そこに示された

﹁論理体系﹂を機械的に現代に適用しうるか否か︑換言す

れば︑現段階の資本輸出もレーニン﹁帝国主義論﹂に示さ

れた諸連関のうちに位置づけてこれを行なうべきであるか

どうかという点に関しては︑検討を要するものとしなけれ

ばなるまい︒つまりレーニンの時代と合目の歴史段階との

発展段階のうえでの相違︑および歴史的条件の相違が充分

に考慮されなければならないであろう︒

 現代の資本輸出分析にさいしても︑古典的規定との関連

を念頭におくことはいうまでもなく不可欠のことである

が︑古典的規定が不断に新たな世界経済の構造変化にとも

なって内容的に豊窩化されることも必要とされよう︒した

がってわれわれにとっての問題は︑現代の資本主義分析に        五六 おいて資本輸出論のしめるべき位置づけ︑およびその意義 を問うと同蒔に︑その点の確認とか\わらしめて現段階の 資本輸出の諸特徴の性格規定を行なうことであろう︒  小稿は︑諸論者によって展開されている現代資本輸出論 の理論的枠組みを吟味・検討することによって問題点を整 理することにねらいがある︒当然︑筆春の積極的立論を展 開するには︑具体的な事実の分析をとおして行なうべきも のであり︑そのための予備作業として︑積極的展開のため の手懸りを得たいと考えている次第である︒

{2} (1)

工゜M・F︑ガット体制にしめされる戦後世界経済の編制基

軸は︑その理念と現実において大きな距離をもっていると思

われる︒一九三〇年代の為替切下げ競争・経済のブロック化

による世界経済の縮少化にたいする深刻な反省にもとついた

世界経済の自由化基調への転換が︑実際には圧倒的な経済的

優位にあったアメリカ資本主義の主導のもとに︑その世界支

配の企図によって強い影響を受けざるを得なかったことは疑

うことのなき現実であろうと思われる︒

﹁金︒ドル交換﹂の実質的停比がー・M・F体制の崩壊をい

みするかどうかは工・M・罫体制の本質理解にか︾わる︒す

(4)

なわちー︒M・F体制を金為替本位制とみるか︑あるいはそ

うではなく何らかのいみで金為替本位制に﹁擬制﹂されたも

のとみるかによる︒後者の見解からすればたんに﹁擬制﹂の

﹁崩壊﹂にすぎないということになろう︒

レーニン﹁帝国主義論﹂・困民文庫・80頁︑なお﹁典型的﹂

とはいかなることをいみするかについてのひとつの説明の例

として吉村正晴﹁現代の資本輸出﹂ ︵産業労働研究所報・第

46 ?j8〜9頁参照

 先づ︑はじめに︑第二次世界大戦後の資本輸出における

特徴を指摘しておきたい︒

 第一は︑戦後の資本輸出総額にしめるアメリカの比重が

圧倒的に高いということである︒レーニンの時代の資本輸

出が︑量質ともにイギリスの優位のもとに展開されたこ

と︑第一次大戦後になると︑アメリカの比重が増大するも

のの︑基本的にはイギリスの海外投資面における量的優位

性は維持されていたのにたいし︑第二次大戦後の世界経済

的関係の変化のなかで︑アメリカの優位が決定的なものと

     現代資本輸出論研究ノートω なったことが指摘される︒  第二に︑資本輸出の形態に関して︑その重点が証券投資 から直接投資へと移行したことがあげられる︒証券投資と       ︵−︶ 直接投資の区別が︑それぞれ﹁利子を生む資本の輸出﹂と

﹁利潤を生む資本の輸出﹂に近似的に対応すると考えるな

らば︑しばしば指摘されるように︑第一次大戦前のイギリ

スの海外投資の主要部分は︑証券投資形態においてなされ

ていたのであり︑その性格は︑基本的には﹁貸付資本の輸          ︵2︶ 出﹂に他ならなかった︒しかし第二次大戦後の民間資本輸

出においては︑アメリカの場合︑直接投資が民間長期資本

流出にしめる割合は六〇年代には七〇%強にまで達してい

る︒このような直接投資の急増はアメリカ経済自身にとっ

ても極めて重要な比重をしめるものであるが︑この傾向が

顕著になるのは五〇年代以降のことであり︑景気後退︒通

貨の交換性の回復・E・E・Cの結成以降︑本格化したも

のである証券投資に対する直接投資の急増という資本輸出          ︵3︶ の形態における変化をどう評価するかが論点となる︒

 第三の特徴は︑資本輸出が向けられる地域別︒産業別の

       五七

(5)

     現代資本輸出論研究ノートω

構成における変化である︒地域別では先進工業国向け︑と

くにE︒E︒C諸国向け投資の急増が顕著な事態となって

いる︒対先進工業国向けの直接投資の急増は︑戦後の資本

輸出にあらわれた変化のうちでも︑もっとも重要なものと

いえる︒直接投資がふえてきたといってもたとえばアメリ

カを例にとるならば︑五〇年代までは︑ラテンアメリヵやカ

ナダなどに対する石油採掘や鉱業など第一次産業に対する

直接投資が多いという︑両大戦間期にみられた対後進国向        ︵4︶ け投資のパターンをしめしていたのに対して︑五〇年代以

降はラテン・アメリヵ向け投資の絶対額は減少していない

にも拘らず︑その他の地域つまりE・E・Cを中心とする

対ヨーロッパ投資の急増により︑比率としては低下すると

いう事態がみられる︒極めてラフないいかたをすれば︑以

前の資本輸出の基本的なパターンは先進国から後進国・植

民地へという方向でなされ︑証券投資と直接投資の比率に

は変化がみられるものの︑そこでの直接投資は第︸次産業

での原料資源の獲得に重点が置かれていたといえるであろ

う︒それに対して戦後の資本輸出の場合には︑原料資源の       五八 獲得とならんで︑先進工業国の製造業部門への直接投資が 増加している点が産業部門別の構成に関して注鼠されてい る︒そしてこの直接投資の主体が巨大独占体であり︑しば

   マルチナシヨナル・瓢ンクーブライズ      ワールド・瓢ンクプ弾イ訳

しば﹁多国籍企業﹂ないし﹁世界企業﹂と称さ れていることは云うまでもない︒﹁多圏籍企業﹂︑﹁世界企 業﹂が海外に支店・子会社を設立したり︑既存企業との合       チイクのオコパコ 弁形態なり︑買収によって︑霞己の生産・販売の拠点を拡 大し︑進出先の国民経済に対してのみならず︑世界経済の 動向に対して無視しえない影響力を有するに蚕ったことに

ついてはほダ共通して認あられているといってよい︒さて

この先進国向けの製造業投資が一方向的なものではなくて

双方的・相互投資という形態において行なわれているこ

と︑たとえばアメリヵからE・C諸国へ︑逆にE・C諸国       ︵5︶ からアメリカへというふうに投資されていることの評価に

関しては︑当面の動向の中心がアメリカ独占体の進出とい

う点にあるか︑それとも相互投資という点にあるかについ

ては問題が残されるところである︒

 第四の特徴は︑民間資本輸出とは区別される借款・贈与

(6)

等の援助という﹁国家資本輸出﹂が戦後︑増加しその役割

が極めて大きいという点があげられる︒もっとも︑この項

目に含まれるものは厳密な意味で資本の輸出といえるや否

やについて議論のあるところだが︑その重要性について否

定される方はおられないであろう︒借款・贈与等が︑民間

資本輸出以上に政治的な姓格を持っているけれども︑経済

的に︑商品輸出との連関︒罠間資本輸出との連関を明らか

にすることが必要であろう︒

 以上に示した諸特徴については︑ほゴ大方の論者によっ

て認められることと思われるが︑さてその評価に関して︑

さらに積極的には現代世界経済の理論化にあたっては︑か

なりの見観の相違があらわれてくる︒

ω

(3) ②

通例この区別は企業の支配を目的とするか否かがメルクマー

ルとされる︒

遠藤湘嘗編﹁帝国主義下﹂東京大学出版会︑三五一頁︒

民間資本輸出の形態変化のなかで︑証券投資形態の資本輸出

の停滞は一九三〇年代以降に至って顕著となった事態であ

る︒中西市郎氏にょれば︑﹁アメリカを省るならば︑一九三

〇年代以降における対外証券投資の停滞は︑当然︑その金融

現代資本輸出論研究ノートω  機構の構造変化を背景におくものというべきであろう︒すな  わち︑一九二〇年代において︑証券投資が最盛を誇った際︑  それは︑投資銀行を頂点とする証券販売機構による公募を通  じて国民大衆の余裕資金をかき集めたものであった.対外直  接投資が︑主としてアメリカ独占企業の巨額にのぼる留保利  潤からまかなわれていたのと対照的である.ところで世界恐  慌によって大打撃を受けた後︑ニューディール下における金  融・証券関係の諸立法は︑認券投資の金融機構に重大な変化  を生ぜしめた︒また︑これを契機として︑アメリカの資本市  場では︑生命保険や各種の年金基金等のいわゆる機⁝関投資家  の比重が増大してくる︒さらに三〇年代から戦申︑戦後にか  けての︑巨額の公債発行は︑国民大衆の余裕資金を︑金融機  関の媒介を通じて吸収した︑アメリカにおける対外証券投資  の停滞は︑このような金融機構の変化を分析することによっ  て︑はじめて具体的な究明が可能になると思われる︒﹂﹁資本  輸出の理論と現実﹂︵﹁世界経済評論﹂八巻五号︶と過劇﹁資  金﹂の存在形態とそれが媒介される機構の分析の重要性を揚  摘される︒またM・B・ブラウンは︑ ﹁第一次大戦以前には   金利生活者が海外投資元本め大部分を供給していた︒今日で   は資本を供給しているのは巨大企業である︒﹂とのべている︒   竃.炉切目o譲P誤州富H同導や醇剛麟瀞ヨ繁昏︒①伊 ㈱ 中西市郎﹁現代国際投資論﹂に詳細な分析がなされている︒ ⑤ アメリカの対ヨーロッパ投資とヨーロッパの対米投資の相異

五九

(7)

   現代資本輸出論研究ノートω

について野村昭夫氏は次の二点を挙げておられる︒

﹁まつ第一に在外資産・投資の内容を検討すると︑この両者

には根本的な梢違がある︒すなわちアメリカの在欧資産投資

(一

緕オ〇年末︶の八割強が直接投資であるのにくらべて︑

ヨーロッパの在米資産・投資は︑おなじく一九七〇年末に約

七割弱が株式・社債への投資すなわち証券投資となってお

り︑直接投資はわつかに三割弱を占めるにすぎない︒﹂﹁第二

の相異点は︑ヨーロッパの対米直接投資が広汎な諸部門にほ

穿均等に分散し︑しかも食料晶︑家庭用電気器具をはじめと

する︑あまり重要でない非戦略産業諸部門にむけられている

のにたいして︑アメリカの対欧直接投資は⁝製造業に集中し

ており︑しかも琵・C地域においてはその四分の三以上が化

学︑機械︑運輸設備の三大部門に集申的に投資されているこ

とである︒﹂同氏﹁﹃生産の国際化﹄をめぐる諸問題五﹂ ︵桃

山学院・﹁経済学論集﹂第澱巻3号52〜55頁

 現代の資本輸出や﹁多国籍企業﹂について︑独自の理論

的主張をされておられる佐藤定幸氏の議論の内容について

は︑既にいくつかの論評が加えられているところである

が︑われわれも先づ第一に佐藤砥の議論をとりあげ︑氏の 六〇

説くところを検討してみたいと思う︒それは︑茂の議論の

中にわれわれが考慮すべき重要な問題提起が含まれている

と考えられるからである︒       ハヨ   この問題にかんする佐藤氏の論稿はいくつかあるが︑こ

こでは氏の見解が集約されていると思われる﹁資本輸出あ

現代的形態と世界企業﹂にそって検討してみよう︒

 氏は先づ︑レーニン﹁・帝国主義論﹂における資本輸出論

について︑次のように述べておられる︒ ﹁レーエンの資本

輸出論は︑先進諸国における﹃過剰資本﹄の恒常的存在と

いう要因を根底にすえ︑その上で国民利潤率の差異・具体

的には後進諸国︑植民地における高利潤率により喚起され

た資本輸出︑という論理構成をとっている﹂こと︑そして

﹁レーニンが帝国主義段階において︑先進国では巨額の過

剰資本が生じた と述べたとき︑かれが念頭においていた

先進諸国とは実はイギリス・フランス︒ドイッであったこ

と﹂︑蜜た︑﹁レーニンがまずなによりもイギリスを︑そし

て付随的にフランスとドイツを取り上げて分析した︑帝国

主義成立期の資本輸出論は︑第二次大戦后︑アメリカが最

(8)

大の資本輸出国になったという条件のもとで再検討されね

ばならない︒﹂

 こうして佐藤氏は︑レーニンの古典的規定を今日におい

ても受けつぐべきものと︑情勢の新しい展開に応じて創造

的に発展させられるべきものとを明らかにすることが課題

であるとされる︒佐藤氏は︑レーニン資本輸出論の基本論

理を︑①先進国から後進国への資本輸出︑②この方向を規

定するものは︑先進国における過綱資本の恒常的存在H低

利潤率と︑後進国・植民地における高利潤率という︑国民

利潤率の差異であるとおさえられも︑

 これを基準として考えた場合︑戦後アメリカの資本輸出

の特徴的な変化は︑資本輸出の形態にかんして証券投資に

対する直接投資の増加︑産業別では採取産業︵石油等の︶

から製造工業へ︑地域別では中近東・中南米からヨーロッ

パへとその重点が移行したことだとされる︒

 さて佐藤氏によれば﹁アメリカの対外直接投資の急増

は︑たんなる量的変化にとど玄らず︑ひとつの重要な質的

変化を資本主義世界経済にもたらした︒﹂それはなにかとい

     現代資本輸出論研究ノートω うと︑ ﹁交通︐通信をはじめ国際経済生活の全般を規制す        ヘ  ヘ       ヘ  ヘ        ヘ  ヘ  ヘ      ヘ  ヘ  へ る技術の急発展とあいまった国際経済関係の密接化がそれ である︒﹂︵傍点は引用者︶この﹁国際経済関係の密接化﹂ は民の場合︑生産の社会化論と結びつけた形で理解されて いる︒アメリカ対外直接投資の急増︵及び他の先進諸国の 対外直接投資の急増︶←・国際経済関係の密接化は︑ ﹁生蔑 のもっとも全面的な社会化﹂への接近を一段と推進させ︑ 資本主義世界経済を事実上︑ひとつの﹁国内布場﹂に近い ものにした︑と云われるのである︒  アメリカ及び他の先進諸国も含めての︑対外直接投資の 急増によってもたらされ売もののいみするところは︑現代 の巨大独占体が蓄積の基盤を国内市場から国外市場にまで 拡大し︑それによって︑資本と労働の指揮・支配︑生産の 集中化がなされ︑そこに﹁生産の社会化のいっそうの進 展﹂をみることは正しいであろう︒しかし︑それに次いで 資本主義の世界市場を︑事実上︑単一国内市場に近いもの にまでしたと理解することの当否はやはり問題ではなかろ うか︒この点は氏の議論のうちでまつもって検討に値いす

      六一

(9)

     現代資本輸出論研究ノートω

る第一の論点ではないかと考えるのである︒

 この特異な論理は佐藤民の場合︑現代の巨大独占体たる

多国籍会社11世界企業の運動形態を把握するために措定さ

れたものの如くである︒すなわちそれは︑多国籍会社とは

﹁世界市場をあたかもひとつの国内市場のごとくにみなし

て行動する企業﹂とされていることと照応する︒この︑国

内市場と世界市場との﹁同一視﹂は佐藤氏の場合︑あくま

で比喩的な意味において用いられていると解すべきなので

あろうか︒げんに﹁もちろん︑いかに国際経済関係が緊密

化しようと︑世界市場が完全に国内市場と同じになること

はないだろう︒まして︑現実の世界市場を単一の国内市場

と同一視することはできない︒﹂とされているわけであるか

ら︒しかし乍ら︑氏にあっては︑ ﹁世界市場を国内市場同

様にみなして行動する企業︑またそのために必要な管理形

態をとる企業﹂の存在じたいが︑ ﹁現実の世界布場が国内

市場へ著しく接近したことを物語﹂るとされる︒

 たしかに︑現代の世界的巨大企業が﹁世界市場を前提に

生産を行な﹂い︑ ﹁輸送費を含あてもっとも立地条件のよ       六こ い地域に工場が建設され︑その在外子会社が生産した製品 を供給する﹂ことが合理的なことであるとして︑現実にそ のような企業の意図が認められるとしても︑そのことは︑ 世界的巨大企業の指向する市場支配への欲求のあらわれな のであって︑かかる巨大独占体の指向する主観的意図を分 析の場においてそのまま承認することは︑本末転倒ではな いだろうか︒  第二次大戦後︑世界経済の場において氏のいわゆる﹁緊         密化﹂と称すべき事態が顕箸にみられることについては︑ 大方の承認をえられるものであろうと筆着も考える︒しか し問題はこの﹁緊密化﹂の内容と性格にか〜わる点にあ る︒たとえば﹁先進国間の経済協力﹂﹁金融的協調﹂︑﹁通 貨調整﹂︑﹁経済統合﹂︑﹁国際的経済協定﹂といった一連の 各国資本主義問の一定の協力関係が生じていることを承認 しうるとしても︵もっとも︑こうした事態を第∬次大戦後 に始めて生じたことと考える訳にはいかないであろうが︑ たゴその実質的な効果の点から︑飛躍的な役割を演じてい ることだけは事実であろう︶︑そこから世界経済の単一経済

(10)

化を導びきだすことはやはり行き過ぎではないかと考え

るというのは︑現実の世界経済・世界市場における﹁協調﹂

は︑たとえそれが強いられた﹁協調﹂であれ︑あるいは

﹁恐怖の均衡﹂であれ︑諸国間の対立的側面をー実はこの

点は﹁不均等発展論﹂の位置づけにか\わるものであるが

ー除去しうるものとは考えられないからである︒

実はこのような論理は︑佐藤氏にとって次のような当面の

課題とのか︑わりの申で生まれたのであった︒つまり︑現

段階の資本輸出は︑たんにアメリカからの一方的流出とい

う形をとっている訳ではなく︑西欧諸国や日本などの他の

先進諸国による対米投資の急テムポでの増大というかたち

においても行なわれていること︑た穿し︑ ﹁諸外国からの

対米投資は証券投資の比率が高いなど︑この両者を全く同

一とみなすわけにはゆかない︒しかしながら︑諸外国から

の対米投資は例外的な現象として看過するには余りにも巨

大であることを認めない訳にはいかない︒現代の資本輸出

論は︑このような諸外国の対米投資の増大をも説明できる

ものでなければならない﹂という点がそれである︒そして

     現代資本輸出論研究ノートω 佐藤氏にょれば︑ここに示された︑先進諸国間の相互投資 現象は︑いわゆる﹁資本過剰論﹂によっては説明できない とされる︒ ﹁現代資本主義が﹃資本の過剰﹄から自由であ るとみなすわけにはゆかないが︑先進国相亙間の資本輸出 を﹃資本の過剰﹄によって説明できないことも自明であろ う﹂と︒  みられるように︑氏御自身︑現代資本主義を貫く構造的 特質ともいえる﹁資本の過剰﹂の存在を否定されている訳 でないが︑にもか\わらず︑現代の資本輸出を﹁資本の過 剰﹂によっては説明できないとされるのは︑何故であろう か︒        お   ﹁過剰﹂資本が︑利潤率の差異に触発されて海外に輸出 されるのはいうまでもないが︑国属的利潤率というものを 考えるとするとそれは諸国間において区々としていること は明らかであり︑利潤率の低い国から高い国へという流れ は理解できるとして︑高い国から低い国へと流れる事態を 想定することは非現実的であろう︒にもか︾わらず︑相互 に投資される事態をいかに説明するべきか︒これに対して

      六三

(11)

     現代資本輸出論研究ノートω

は︑国民的利潤率なるものは実は諸部門利潤率のいわば

﹁理想的平均﹂なのであって︑現実の諸部門利潤率は相互

に違いがあることから相互投資の説明がなされうることに

なろう︒しかし佐藤氏の念頭にあるのは︑おそらく﹁アメ

リカの石油資本はヨーロッパ市場のかなりの部分を支配し

ているが︑ヨーロッパの石油資本もアメリカ市場で一定の

比率をしめている︒このように相互に直接役資をしあう傾

向はとくに寡占的産業において顕著なことは興味深い﹂と

の指摘からうか穿われるように︑同一部門をめぐる相互投

資にあるように思われる︒その場合でも︑資本過劉論が有

効性を失なうことは考えにくいのであるが︑ ﹁それぞれ自

ら外国市場に進出するとともに他国資本の自国市場への進    ︵6︶ 出を容認﹂するという事態は﹁資本の過剰﹂からではなく︑

﹁世界市場における諸国資本闇の競争の視点﹂からとらえ

ねばならぬといわれる場合に︑ ﹁資本の過剰﹂と﹁諸国資

本間競争﹂がこんにちの段階でいかなるつながりを有して

いるかを説明することが必要になってくるのではあるまい

か︒それを︑両者を一応きりはなし︑諸国資本間競争を︑       六四 さきにのべた﹁国際経済関係の緊密化﹂の論理と結びつ け︑資本主義世界経済のか\る﹁段階的変化﹂を前提とし ないかぎり︑先進諸国間の相互直接投資は理解しえないと されるならば︑これはそのまま首肯することがいささか困 難となる様に思われるのである︒  しかし乍ら︑何れにせよ︑ ﹁資本過剰﹂論を現代の資本 輸出分析のなかにいかに位置づけ︑発展させるべまかとい う課題がわれわれ自身に対して提起されていることもまた 認めざるを得ない︒それは﹁資本過剰﹂論を︑抽象的に論 ずるだけでなく︑異体的事実を通じて理論を豊窩化するこ との必要性を物語っているのではないだろうか︒

⑰ (1)

たとえば池上惇編著﹁現代世界恐慌と資本輸出﹂に所収の

﹁あとがき﹂︵坂井昭夫氏執筆分︶︑皆村武一︑﹁資本輸出分

析の視角﹂︵﹁世界経済評論﹂︑ 一九七三年四月号︶︑北原勇

﹁独占資本主義の対外膨張と資本蓄積︑︵上︶︑︵﹁三田学会雑

誌﹂65巻8号︶等︒

佐藤定幸氏の論稿としては︑ ﹁現段階における﹃企業の国際

化肺について﹂︵﹁経済研究﹂︑18巻1号︶︑﹃国際資本戦争﹄︑

日本経営出版会︑一九六七年︑﹁多国籍企業の功罪﹂︵﹁朝日

(12)

(4)

ジャーナル﹂⁝九七〇年三月二九矯︶︑﹁多国籍企業の行動と

論理﹂︑︵﹁経済研究﹂︑23巻3号︶︑﹁資本輸出の現代的形態と

世界企業﹂︑︵﹁新マルクス経済学講座﹂︑第3巻︑有斐閣を参

照︑以下の引用文はことわりなき限り最後の論稿からのもの

である︒ 資本輸出は︑なによりもまず利潤率にか〜わる問題である︒

また資本輸出が独占段階に至って急増することも事実であ

る︒そこから資本輸出を独占段階の特質をか︾わらしめて理

解しようとするものと︑資本輸出の一般理論化を主張する論

者とに分れる︒資本輸出を生ぜしめる一般的な説明として通

例あげられる︑國際間における利潤率・利子率の国民的相

異︑および資本過剰についての再検討の余地が残されてい

る︒以下の諸論稿を参照︒吉村正晴︑﹁資本の国際的移動と

国民的利潤率﹂︑︵﹁産業労働研究所報﹂創立一〇週年記念特

集号︶︑同︑﹁資本輸出の必然姓について﹂︵世界経済評論︶︑

一九五六年十二月号︑山田隆士︑﹁資本輸出論に関する覚え

書﹂︑︵中大﹁商学論纂﹂︑第五巻第一号︶︑村岡俊三︑﹁世界

市場における競争の二法則﹂︑︵西南学院大学﹁商学論集﹂︑第

十巻三号︶︑清水嘉治︑﹃現代資本主義と資本輸出繍︑第二部

第一章︑新評論社

前掲北原勇論文によれば︑﹁生産力の巨大な発展が︑﹃世界市

場の一体化を強力におし進めていることはたしかであろう︒

しかしながら︑この傾向がた冥ちに全般化するかのよう盗把

   現代資本輸出論研究ノートω

(6}

えるならば過大評価と言わねばならないし︑またすでに支配

的であるかのように把えるならば誤りと言わねばならない︐

それは︑将来にわたって︑多くの抵抗の中で前進と後退を繰

返しながら長期的にのみ進行するであろう﹂とし︑E・Cの

共通関税によるアメリカとの対立︑またアメリカの保護主義

的傾向などのうちに﹁﹃世界市場一体化﹄の限界をみること

は容易であろう﹂とされている.

アメリカの対欧直接投資と国内投資の収益の関係についての

C.レイトンの次のような興味深い鍍述を見よ︒﹁︵一九五〇

年代の︶ヨーロッパへのアメリカの直接投資の資本収益率は

本国︵アメリカ︶よりもかなり高かった︒しかし︑最近五年

間に大きな変化が生じた︒ヨーロッパにおけるブームの蒔代

の収益はもはや過去のものとなったようであり︑他方アメリ

カ自身の驚くべきブームの結果本国では記録的な利潤があげ

られている︒かくして︑ヨーロッパとアメリカの聞の利潤率

の格差はほとんどなくなった︒それでも依然としてヨーロッ

パへの投資意欲は衰えを見せていない︒というのは︑今や異

常な高利潤の魅力はなくなったが︑その代りにアメリヵでの

長いブームの期間に企業が蓄えた多額の資金の有利なはけ口

を見出そうという意欲がとって代った︒﹂︵C・レイトン・P

・ユーリ︑コ場代の国際投資﹂邦訳22〜23頁 岩波書店︶

これは︑いわゆる﹁産業組織論﹂︑﹁寡占間競争論﹂的な想定

と近似している︒S・ハイマ!とR・ローソンの相互浸透の

六五

(13)

環代資本輸出論研究ノートω 六六

寡占モデルを参照︵ステイ!プン・ハイマ!︑ロバート゜ロ

ーソン︑﹁多国籍企業と国際的寡占﹂ρ即器塾のぎαq窺

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お曵O邦訳キンドルバーガi編﹁多国籍企業﹂︑82頁

参照

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化し、次期の需給関係が逆転する。 宇野学派の 「労働力価値上昇による利潤率低下」

本研究成果は、9 月 14 日付の「 Journal of the American Chemical Society 」にオンライ ン掲載され、Supplementary Cover に選出された。.

本資料は、宮城県に所在する税関官署で輸出又は輸入された貨物を、品目別・地域(国)別に、数量・金額等を集計して作成したものです。従っ

本資料は、宮城県に所在する税関官署で輸出又は輸入された貨物を、品目別・地域(国)別に、数量・金額等を集計して作成したものです。従っ

 本資料は、宮城県に所在する税関官署で輸出通関又は輸入通関された貨物を、品目別・地域(国)別に、数量・金額等を集計して作成したもので

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 そこで、本研究では断面的にも考慮された空間づくりに