経営 と経済 第
8 6
巻 第2
号2 0 06
年9
月《資 料≫
「 企業メセナ」と 「 アプレウ博士」
1 0 3
菅 家 正 瑞 佐 藤 正 治
1.はじめに
我 々は今年度 (平成
1 8
年度)か ら 「長崎大学経済学部企業 メセナ研究会」を組織 し,現在 まで
2
回の研究会 を行い, メセナの実践 を実験的に1
回行 っ た。今後 も研究会を続行 し企業 メセナの理論的研究を深める と共 に,企業の 協力を得なが ら企業 メセナの具体的実践を も研究 し,その成果 を著作の刊行, 公開講座の実施,授業な どで社会 に還元 してい く予定である。さて,我 々は企業 メセナの中で特 に企業 による音楽活動支援 に焦点を当て, 企業のいわゆる 「社会的貢献
」( p hi l a n t hr o p y)
の中で何故 に 「企業 メセナ」( me c 6 n a t )
が採 り上げ られるのか,そ して企業 メセナの中で何故に 「音楽支 援活動」が重視 されているのか, とい う根本的問題 に取 り組 まなければな ら ない。「音楽 と人間」
「音楽 と社会」あるいは 「音楽 と企業」 とい う企業 メセ ナの基礎理論を究明 しなければな らないのである(1)0この極めて困難な研究の基礎的資料 とな りうる活動がい くつか存在する。
その一つが ここで紹介する,ベネズエラの経済学者である と同時に音楽活動 家で もあるホセ ・アン トニオ ・アプレウ博士
( Dr .J o s eAn t o ni oAb r e u)
の 音楽活動である。彼の実践活動や思考 は我 々に,「音楽 とは何 か? 」
とい う 根本的問題 に極めて有益なヒン トを与 えて くれる と思われる。 ここに,企業メセナの基礎理論構築の資料 として示す所以である(2)。
(注)
(1)企業 とメセナの関連 についての経営学的考察については,次q)文献を参照 されたい.
菅家正瑞 『企業管理論の構造』千倉書房,平成
3
年,特 に第 1章および第6
章。同 『環境管理の成立』千倉書房,平成1
8
年,特 に第1
章および第7
章。( 2 )本資料 は主 として佐藤が メデアに執筆 した論考 と収集 した資料 を,菅家の視点か ら
ま とめた ものである。なお,佐藤は上記研究会の協力者の一人である。2 .ホセ ・アン トニオ ・アプレウ博士の紹介 と略歴
(1)アプ レウ博士の簡単な紹介
アプ レウ博士 とはいかな る人物 で どの ような活動 を しているのであろ う か。次の新聞のコラムは博士の簡単な紹介に最適 と思われるので, ここに掲 載す る。
① タイ トル :「アプレウ博士」
ベネズエラは石油 と美女の産地 と言われているが,また南米‑の犯罪多発 国で もある。国民の
8 0 %
を貧民層が占め,貧困か ら起 こる強盗や殺人が 日本 の数十倍 もの頻度で発生 している。「子供 を犯罪か ら救 い,善 良な市民 に育成 し社会の発展 に寄与す る」。 こ の 目的を達成するための最良の手段は音楽, しか もオーケス トラのクラシ ッ ク音楽である, との信念か ら子供 にオーケス トラを演奏 させ る活動 を
3 0
年前 か ら実践 しているのがホセ ・アン トニオ ・アプレウ博士だ。かねてか らその 思想 と実践 に共感 していた博士 に,昨年末ベネズエラで話を聞 くことがで き た。全国か ら2歳半以上の貧 しい子供たちを公募 し,楽器 と指導を無償 で与 え る。音が出るようになるとチ ャイコフスキーの名曲な どに挑戦す る。現在, 累計で
2 5
万人に達 した参加者 によるユースオーケス トラは全国3 00
ヶ所 に板「企業 メセナ」 と 「アプレウ博士」
1 0 5
付いている。
クラシ ック音楽に全 く疎い環境 に育 った子供たちは,我慢強い指導者の下 に練習 と演奏を重ねてい く中で,忍耐力,協調性, 自己表現力,感受性な ど を身につけ,人を傷 つける気持ちが失せ愛す る気持ちが膨 らんでい く。
「音楽 は不幸 を希望 に変 える」 と言 う博士は,参加者か ら, これまで犯罪 で逮捕 された ものが皆無であることに誇 りを持 っている。
日本で発生 している青少年の犯罪 に対 して,犯罪者は常 に存在する とい う 前提で防犯策が論 じられているが,犯罪者を作 らないための根本的な政策に 大 きな ヒン トを与 えて くれ るのがアプ レウ博士の実践であ るような気 がす
る。 (佐藤正治 ‑梶本音楽事務所取締役)(1)
(診 タイ トル
:
「再びアプレウ博士」この連載の初回に も取 り上げたが,今一度触れたい。ベネズエラにあるア プレウ博士が創設 したナシ ョナル ・ユースオーケス トラ
( NYO)である。
オーケス トラで貧民層の子供達 を善良な市民 に育成す る活動 を
3 0
年間実践 して きた博士は,彼等の才能を引 き出し質の高い音楽家に育成することにも 熱心だ。全国か らオーデ ィシ ョンを経て選ばれた子供達は首都 カラカスに移り,NYOの メンバー となる。ユースオーケス トラを運営す る財団 (国が大 半 を出資,年間予算約
1 0
億 円)が子供達の生活費を賄 う。1 4
歳 か ら2 3
歳までの団員で構成 されるNYO
はベル リン ・フィルやウィー ン ・フ ィルの団員達 か ら定期的な指導を受け,志の高い演奏家に育 ってい く。幾度か欧米の演奏旅行 を経験 し, ヨーロッパの国際 コンクールで優勝 した指 揮者やベル リン ・フ ィルに最年少で入団 した弦楽器奏者を輩出した。昨年 カ ラカスで この指揮者 によるラヴ ェルの難曲を聴 く機会があったが,実 に音楽 性の高い赦密な演奏 を していた。博士はユースオーケス トラの概念を大 き く 変 えた と思 う。
音楽関係者が博士 に注 目す るのは
,
「音楽は不幸 を希望 に変 える」 とい う彼の信条が国の援助で見事 に結実 されているか らだ と思 う。アバ ド,ラ トル, ドミンゴ ら,共演 した数多のスター も感激 を隠さない。アプレウ博士 をサポー トしてい るベネズエラは世界で最 も優れた音楽先進 国 と言 えるか もしれな い。音楽の犯罪抑止力に関心 を持つ私 も博士か ら多 くを学びたい。
最終 回にあた り,執筆の機会 を与 えて下 さった新聞社,助言を頂 いた読者 の皆様や友人達 ,慣れない仕事 を励 ま して くれた妻 ひろみに感謝 したい。
(佐藤正治 ‑梶本音楽事務所取締役)(2)
( 2 )
アプ レウ博士の略歴次 に,簡単 にアプレウ博士の経歴を紹介 しよう(3)0
博士 は
,1 9 3 9
年5
月7
日,アプレウ‑アンセル ミ家の嫡男 としてベネズエ ラ, トゥルヒ‑ ヨ州のヴ ァレラの町に生まれる。ララ州のパルキシメー ト市で音楽の勉強を始める
。1 9 5 7
年 にカラカスに移 り,ホセ ・アンへル ・ラマス高等音楽学校 に学ぶ。彼は,ベネズェラ人の名 教師に師事 してヴ ィセソテ ・エ ミリョ ・ソホに作 曲を,モ イセス ・モ レイロにピアノを,そ してエヴ ェン′シオ ・カステヤノスにオルガン とチ ェン′バ ロを 学んだ
。1 9 6 4
年 には助教授 とマスター作 曲家のタイ トル を授与 された。その後,マエス トロ,ゴソサ ロ ・カステヤノス ・ユマールの もとでオーケ ス トラの指揮法を学び,ベネズエラ国内の主要なオーケス トラか ら指揮者 と
して招かれる。
1 9 7 5
年 にホ ァソ ・ホセ ・ランデエタ ・ベネズエラ ・ナシ ョナル ・ユースオー ケス トラを創設 し,後 に現在のシモン ・ボ リバー ・シンフ ォニー ・ベネズエ ラ ・ユースオーケス トラ とい う世界が注 目す るオーケス トラに発展 させた。彼は 自らの人生を最 も勇敢 に挑戦 し, このオーケス トラを国立ベネズエラ青 少年 オーケス トラシステム財団
( FES NOJ I V)
に改組 し,その リー ダー と なる。彼 はオーケス トラを指揮 して クラシ ックや現代音楽 を演奏 しただけでな
「企業 メセナ」 と 「アプレウ博士」
1 0 7
く, この大 きな組織の社会的 ・音楽的ネ ットワー クを動かす中心的人物であ った 。
彼は音楽の道を歩みなが らも,同時にアン ドレス ・ベ ヨ ・カ トリック大学 を卒業 した後
,1 9 61
年ア メリカのペンシルバニア大学か ら石油経済学の博士 号を授与 され 経済学の教授活動 も行 った。経済学者 としての もう一つの使 命 を,国民経済会議( Na t i o na lEc o no mi cCo un
cil)の企画立案部長 お よび 顧問 として果た した。1 9 8 8
年 か ら1 9 9 4
年の間,文化大臣( Mi ni s t e ro fSt a t e f o rCul t ur e)
と国民文化会議( CONAC,Na t i o na lCul t ur a lCo un
cil)の会長を務め,大いなる成果 と影響力をもた らした。
この二つの道で芸術 と社会を掘 り下げ,国民的かつラテンアメリカの良心 を代表することが,敬慶 なカ トリック教徒であ るアプレウ博士の生 き方であ る。両親の寵愛を受けた彼は, 自らの人生をベネズエラの若者達 に捧げ,向 上を 目指 している国の建設ために尽力 している。
アプレウ博士は,
1 9 9 8
年ユネスコ平和大使,2 0 01
年 にスウ ェーデン政府 か らノーベル賞を補完するTheRi ghtLi ve l i ho od Awa r d
,2 0 0 2
年 イタ リア政府か らLi f ea ndMus i cAwa r d
,ボス トンニ ューイングラン ド音楽院か ら名誉博士号,2 0 0 5
年 ドイツ政府 か ら文化勲章,2 0 0 6
年 に世界文化賞な どを受章 している。(注)
(1)東京新聞夕刊 「放射線
1
」,2 0 0 6
年1
月1 0
日。( 2 )
東京新聞夕刊 「放射線2 4
」 (最終回),2 0 0 6
年6
月2 7
日。( 3 )Cf . ,Che f iBo r z a c c h i n i ,Ve ne z u e l aBu r s t i n gwi t hOr k e s t r a s ,Ba nc ode lCa r i b e2 0 0 5.
p p. 1 4 ‑1 5.
3 .7プレウ博士への Q &A
ここでは,アプレウ博士 の生の声を聴 くために同じく2節で参照 した文献 か ら
Q&A
の部分を引用する。なお, Q
は著者のCh e f iBo r z a c c h i n i
である(1)0(1)先祖か らの贈 り物
Q :
幼少の頃は どうで したか ?誰が音楽の道 に入 ることに影響 を与 えました か ?A :
私の母が生 まれた トゥル ヒ‑ ヨ州 にあるモソテ ・カル メロには,私の祖 先アンセル ミ ・ガルバ ッテ ィ家 もあ り,懐か しい衝です。Q :
あなたの祖先はイタ リアか らの移民だったのですか ?A :
ガルバ ッティ家はイタ リアのエルバ島か らベネズエラに移住 しました0 私の母方の祖父は私が生まれる前 に死んだので,彼の ことは覚えていま せんが,アン トニオ ・アンセル ミ ・ベルティとい う名前で,皆は彼を ド ン ・トニオ と呼んでいたそ うです。彼の妻が ドゥイリャ ・ガルバ ッテ ィ です。彼 らはエルバ 島で結婚 しましたが,島の反対側 には港町 リヴ ォルノがあ り,オペ ラハ ウスがある重要な町で した。そのオペ ラハウスに祖 母は定期的に通 っていました。彼女は音楽を愛する心の持ち主で した。
船で島に戻 る際に,音楽隊が宗教行事や祭 ご とや民衆の儀式で演奏す る ための楽器を持ち帰 った もので した。
祖父が どんな楽器 を演奏 したか定かではあ りませんが,音楽隊の こと をかな り詳 しく知 っていた ようで,私は彼が管弦楽作品を音楽隊のため に編 曲した作品の楽譜 を手元に保管 しています。
トゥル ヒ‑ ヨに新 しいバン ドを結成 し,それ らの楽器を使 って
4 6
人の 子供のバン ドが出来 ました。祖父が指導 したバン ドは今 日モソテ ・カル メロ ・フ ィルハーモニ ックバン ドと言 う名前で残 っています。 これは弦 楽器のないユースオーケス トで した。 このバン ドを率いて馬車で周辺の「企業 メセナ」 と 「アプレウ博士」
1 0 9
村を演奏旅行 しました。プログラムが残 ってお り,ヴ ェルデ ィやマスカー 二の編 曲楽譜 を後 に母 か らもらいました。
Q :
母方の祖父母の家に着いた ときは どんな印象で したか ?A :
完全に覚 えています。それは6
歳の時で,パルキシメー ト市 に両親 と一 緒に住んでいました.兄弟の一人が百 日ぜ きで隔離 された時に,母が彼 女の両親の家に連れて行 ったのです。そ こで最初に 目に留 まったのは裏 庭 に板張 りの舞台があ り,祖父の トニオがシ ェークスピア とカステ ィリ アの古典の作品を若い人 々を集めて演 じていたのです。そ こには衣装や カーテンや舞台装置が入 った トラン クが沢山置いてあ りました。すべて 彼の手作 りで,家 にはダンテ,ペ トラルカ,ボ ッカチオな どの胸像が飾ってあ りました。
モソテ ・カル メロの私の家 に戻 った ときに,玄関にガ リパルデ ィの旗 があ り,それが祖父の父親か ら相続 された もので した。当時の祖母のテー ブルクロスは世界の高級品で した。 また著者か ら献呈 された素晴 しい本 が沢山あ りました。
Q :
アー トや音楽 と初めて出合 ったわけですね。当時の トゥル ヒ‑ ヨ州の衝 は文化的には どんなで したか ?A :
農業中心の街で したが,文化的にも優れていま した。カル メン教会 には メリダ神学校 出身の優れた司祭がいました。その うちの一人がモソシニ ョ‑ル ・キソテーロ大司教です。 メリダ神学校ではグレゴ リア聖歌 を教 えてお り,モンテ ・カル メロの小 さな教会のオルガニス トは ここで学び ました。彼 が私の礼拝堂の先生で,私はこの村で音楽 と礼拝の歌 を愛 し 始めました。Q :
6歳の時のモンテ ・カル メロでの滞在 と祖母 と一緒に過 ごした ことは人 生に様 々な ものをもた らしましたね ?A :
はい,実に様 々な ものを。私の祖母は膨大な音楽作品を所蔵 してお り, リコルデ ィのオ リジナル台本 も含まれていました。彼女はヴ ェルデ ィとプ ッチーニのオペ ラをすべて暗唱 してお り,私 をそばに座 らせてオペラ のイタリア語をスペ イン語 に訳 して聞かせました。私達は何時間で も一 緒に過 ごし,祖母は歌 うと私がそれを覚えたのです。私の勉学欲がは じ まったの もここで した。私の母の姉ア リーデ伯母 さんが村の学校の校長 を していて,彼女か ら多 くを学んだのです。彼女はベネズェラを愛する ことを教 えました。 このあた りの学校では 自分の国の歴史を徐 々に教 え こんでいたのです。当時は通年 に文化的な夜会が行われ,そ こで詩の朗 読や歌,音楽 と演劇を愛する使命感が 目覚めたのです。子供の芸術的な 部分を助ける努力がなされました。 また算数,い うなれば合理的な知識
と芸術的創造的感性の間のバ ランスを学びま した。
Q :
そのあ と,画期的な旅があったのですね ?A :7
歳で この村を離れてパルキシメー トに戻 った ときには音楽の生活 と読 書の習慣 と舞台芸術 への情熱 にす っか り心を奪 われて しまっていま し た。それでパルキシメー トでは音楽を勉強する決心を して,父 メルポメ‑ネ ・アプ レウ ・メソデス と母アイ リー ・アンセル ミ ・ガルバ ッティは と もに私の願 いを勇気付けて くれま した。父はギ ターが とて も上手で, レ クイン トとい う
4
つのステ ィール弦のギ ター も巧みで した し,母は歌が 素晴 しかったのです。私は音楽的環境 に生 きていました。( 2)
パルキシメー ト:四面に囲まれた音楽Q :
いつか ら楽器を学び始め ようとしたのですか ?A :9
歳の ときです。パルキシメー トには ドラ リーサ ・デ ・メデ ィナ とい う 優れたピアノ教師がいました。父 に彼女の学校 に入 ることを頼んだので す。だか ら音楽的には好調なスター トを切 ったのです。彼女は直観力の ある素晴 しいピアニス トであ り,フランスの師匠達 に師事 し,ピアノを 合唱やほかの音楽的訓練 に楽 しく演奏で きるように導いて くれました。それ とは別 に,彼女は決 して無理な課題を押 し付 けませんで した。それ
「企業 メセナ」 と 「アプレウ博士」
u l i I
で子供 は 自分のペースで進めたのです。彼女は人気者で生徒 も沢山いま した。
Q :
この時点であなたの性格 に最 も影響を与 えたのはお母様ですか,それ と もお父様ですか ?A :
両方です。それぞれが違 った観点で私 に影響 を与 えま した。父は生活 と 仕事 における人間の基本的な価値 や良い行い,正直さそ して時間を厳守 することを教 えて くれました。彼は厳格な人で,同時に子供達 に愛情 を 注いで くれ,最高の見本を示 して くれました。私の母は とて も繊細で最 高の喜びはピアノを弾 くことで した。パルキシメー トで,彼女は家 に人 を招 く集ま りを持ちました。 この地域でピアノがあるのは我が家だけだ ったのです。Q: 1 9 4 5
年 か ら1 9 5 0
年 までの5
年間の様子を教 えて ください。A :
当時ララ国立音楽アカデ ミーがパルキシメー ト市 にあ りました。アカデ ミーの院長はラウル ・ナポレオン ・サンチ ェス ・ドゥケで,ベネズェラ 交響楽団で首席 フルー トを吹いていました。 この頃に有能な外国人音楽 家たちがやって きました。 とりわけオラフ ・イルス イソス とい うヴ ァイ オ リニス トに私はヴ ァイオ リンを学びました。当時12
歳の私は音楽アカ デ ミーのオーケス トラに加わ っていま した。その頃私はマエス トロ,ア ン トニオ ・カ リ‑ ヨの指導の もとにベネズェラの作曲家達の音楽を勉強 し始めました。カ リ‑ ヨは私 と家族の友人でマン ドリンの名手で優れた 五重奏団を組織 していました。私はまたララ ・フ ィルハーモニ ックオー ケス トラで も演奏す る機会を持 ってお り, このオーケス トラはマエス ト ロブラシ ド ・カサスが指揮 して尊敬を集めていました。 この ように私は4面 か ら音楽 に囲まれていたのです。マエス トロ,カ リ‑ ヨとは国民音 楽の演奏 と研究を, ドラ リーサ ・デ ・メデ ィナ とは古典音楽を,そ して 音楽アカデ ミーではチ ャイコフスキー,モーツァル ト,ベー トーヴ ェン の ような有名な音楽 を演奏 しま した。 ロシアか ら戻 ったベネズエラ人の
タオル ミナ ・ゲヴ ァラが主宰する立派なバ レエスクール もあ りました。
パルキシメー トの
4 0 0
年 を記念 してホア レス劇場が落成 し,グラン ド ・ ガラコンサー トをタオル ミナ ・ゲヴ ァラバ レエ とベネズエラ交響楽団が 出演 しました。Q :
オーケス トラの演奏 に取 り付かれた ようですね ?A :
はい,その通 りです。パス トラ ・ガニーパ という私 よりはるかに上手い ヴ ァイオ リニス トの隣に座 って弾いていました。彼女 と一緒に弾 くこと で譜面か ら音楽を読み取 ることが大いに助けにな りました。それか ら音 楽家になることは,オーケス トラの重要な団員になることだ と意識 し始 めたりです。Q :
音楽活動 と併行 して学校 に通 って勉強で きたのですか ?A :
完壁 にで きました。 しか も熱心に。いつも新 し くや りたいことを探 して いました し,自分が歩んでいる人生を愛 していました。は じめにラ ・サー ルスクール に学び,それか らコス ・タ リカ ・スクールグループに進学 し, そこには優れた数学の先生がいて,一見互換性がないように見 える数学 的科学 と音楽芸術 との関係が見事 に調和 していることを気付かせて くれ たのです。( 3 )1 9 5 7
年 :カラカスへの飛躍Q :
いつどうしてカラカスに移 ったのですか ?A :1 9 5 7
年 の暮 れに私はマエス トロ,ヴ ィソセソテ ・エ ミリョ ・ソホの もと で音楽の勉強 を続け るためにカラカスに来 るこ とに決めま した。マエ ス トロ,ホセ ・アンへル ・サ ウセがアンヘル ・ラマススクール に入学 さ せて くれ,そ こで高度な音楽の勉強を始めました。Q :
どうや って生計を立てたのですか ?当時は音楽で生活は出来なかったで しょう ?A :
田舎のバン ドやオーケス トラで演奏 した音楽家は音楽で生計を立て られ「企業 メセナ」 と 「アプレウ博士」
1 1 3
たのです。医者 ほ ど安定は していませんがね。 自分 自身で経済的な地位 を切 り開 くべ きだ とわかっていました。それ故私は大学 に進学 し,同時 に音楽の勉強 も続 けることに決めたのです。孤独ではあ りませんで した。
とい うの もカラカスには父方 と母方の親戚 がた くさんカラカスに住んで お り,最初の うちは大 きな助 け とな りました。
サン ・イグナシオスクール に入学 し, ここで高校を終 えました。高等 音楽学校でピアノ,クラヴ ィコー ドとオルガンを,そ して後 にオーケス トラクラス とオーケス トラ指揮の勉強を始めました。卒業する とピアノ, 鍵盤楽器 とオルガンの教授号 を,さらにその後作 曲家の称号を受けまし
た 。
アン ドレス ・ベ イ ヨ ・カ トリック大学 に通 っていた ときに得た最初句 仕事は外務省の経済政策部で した。大学の2年生の時には教職のアシス タン トの仕事を もらいました。大学を卒業する とベネズェラ中央銀行の 国家会計局で働 き始めました。音楽の勉強を終了 し
,1 9 6 1
年 には経済学 老 とな り,主 に会社経営学の分野の仕事を しました。 同時に私はベネズ エラ交響楽団を客演指揮 し, しば しばクラヴ ィコー ドとピアノの リサ イ タルにも出演 しま した。Q:
二つの世界にいたわけですね ?A :
そ うです。音楽は私の精神世界のための栄養であ り,経済学者 としての 職業は私 と家族を支 える手段 を与 えて くれました。Q :
あなたの人生のなかで私達が良 く知 らない部分があ ります。つま り国の 政治舞台に係わっていることです。 どの ようにして政治に係わったので すか ?またなぜですか ?A :
私の興味はアン ドレス ・ベ イ ヨ ・カ トリック大学 にいる間に始 ま りまし た。政治に惹 きつけ られたのには二つの理 由があ ります。一 つは 「信仰 と幸福
」( Fe
yAl e g r i a )
とい う活動 を創立 したホセ ・マ リア ・ヴ ェラス神父 とともにカティア村の貧 しい隣人達のために社会奉仕活動 をした私の人生経験 と信念か ら来た ものです。あの経験は この国の社 会的現実が無視で きないことを私に実感 させました。
もう一つの理 由は,私のキ ャリアが与 えたイデオロギーの形成です。 とい うの も経済的政治的な結びつ きが込み入 ってお り,今 日の対立す る経済的概 念は政治のモデル と関係 しているか らです。そのため人 を国の社会状況か ら 解放することは,当時不可能で した。それゆえに政治意識が生 まれましたが, 特定の派閥には加わ りませんで した。
Q :
活発 に政治活動 を行なったのはいつですか ?A :
特定 の政 党 に加入 していた とは思 い ませんが,アル トゥ一 口 ・ウス ラー ・ピエ トリが登場 して,1 9 6 1
年 の大統領選挙 に出馬す ることにな ってか らは,彼 を応援す るこ とにな ったのです。私 も彼の補佐官 に選 ばれ,5
年 間経済財政委員会の会長 を務 めま した。議会では1 9 6 5
年 ま で活動 し,それが国家 とその構造の仕組 みについて良 きア イデアを く れま した。Q :
あなたは 自分を活発な政治家だ と思いますか ?A :
政治家 としてはノーです。私のキ ャリアは,ベネズエラで理解 されてい るより政治への係わ りがはるかに少ないのです。自分の人格を経済学者, 政治家,音楽家 と分断で きるとは決 して思 って きませんで した。人間 とい うものは不溶解性の単位 なのです。私はしたい ことをして きました。
私の国の公務のキ ャリアを発展 させ る一方で,私の将来は教育で天職 を 尽 くす ことだか らです。私は人生を大学で教 えることに捧げ
,1 9
年間7
つの大学で教鞭 を とりま した。そのすべてで若い人 とのコンタク トがあ ったのです。
Q :
あなたは国内の様 々な経済の潮流や多国籍の組織や企業を操縦 する巧衣 な知識を幅広 く持 っている, と理解 しています。 この技は全てのあなた の経験か ら来た ものですか ?A :
もちろんです。私は経済のア ドヴ ァイザ‑で した。後 にプランナー とし「企業 メセナ」 と 「アプレウ博士」
1 1 5
て コ‑デ ィプラン (
Cor di pl a n)
に加わ り総合企画部長 とな り国民経済 会議のプランナーにな りま した。それは副大臣に相当するもので国家プ ランの立案の仕事を始めたりです。 これは とて も大切な経験で した, と い うの もラテンアメリカ中の非常に高度な経済のア ドヴ ァイザ‑たち と 知 り合 うことが出来たか らです。1 6
歳 か ら31
歳 まで2 0
年間政府のために 働 いたのです。 おかげでわた しは国際的な組織や中南米 自由貿易協会 と の コン タク トを通 じて新 しい中南米の経済発展の特質を知 ることになっ たのです。ベネズエラをALA
C (ラテンア メ リカ通商協会) に加入 さ せ る道をつけることに貢献 しました。私はアンデス協定( Ande a nPa c t )
と南米大陸の経済統合の創設 に参加 しました。同時 にこれ と平行 して南 米間の文化的統合の話 し合いが始 まったのです。
( 3 )真実の道
Q :
7 0
年代の話をお願 い します。A: 1 9 7 3年 に健康 に支障をきた し腹部の手術 を受けま した。手術後の回復が 長引 き1年 かか りました。その期間中にわた しはア メリカの大学院に通 いました。ついでに私は この国の芸術 に触れ,他国の音楽の発展やオー ケス トラや コーラスの活動, とりわけアメ リカの音楽教育の状況 を学ぶ ことがで きました。 これは音楽に関す るプロフ ェシ ョナルな基準を立て るために実に役 に立ちま した。
Q :
帰国 した後は どうなったのですか ?A :
私 が3 5
歳になる時で した。 この時 これまで行 って きた全ての仕事 を整理 し,私が係わって きた組織や音楽 と教育者の経験を一つに総合すること を決めたのです。新 しい組織 と大 きな企てを立ち上げる道具はすべて揃 っていました。Q : 1 9 7 4
年 と1 9 75
年 にはベネズエラにはた った2
つ しかオーケス トラはあ り ませんで した。ベネズェラ交響楽協会 とス イア交響楽 団です。 この年に新 し く多 くの文化的団体が生まれま した。た とえば現代美術館な ど。
そ してサン ドラ ・ロ ドリゲスやヴ ィンセン ト ・ネアラーダな どの重要な アーティス トがベネズエラに戻 って きま した。 これ らは影響を与 えまし たか ?
A :
全 く新 しい構造 をもったプロジ ェク トを立ち上げるにはいい風が吹いて ま した。組織的でなければな らないのです。オペ ラをシーズン中にやる とか,大学 に新 し くピアノ科 を新設する とかではだめなのです。ベネズ エラの新 しい音楽教育を新 しい提案で平穏 に組み立てることで した。楽 器の演奏の訓練 を受けた多 くの若者達がいましたが,職 にあ りつけなか った り,わずかに少数の既存の団体にしか入れなかったのです。ベネズ エラ交響楽団は若者をオーケス トラの練習に加入させ る実験的なオーケ ス トラを創設 しました。マエス トロ,ホセ ・アンへル ・サウセはホアン ・ ホセ ・ランダエテ音楽院の院長で したが,彼はオーケス トラの指揮科の 充実 に熱心で した。ベネズエラの どの市 にもシンフ ォニーオーケス トラとユースオーケス トラを創設する時で した。
Q :
この新 しい音楽教育のモデル に対 して既存の環境 にいた音楽団体や文化 団体か ら反対はなかったのですか ?A :
組織的な変化 には 自然の ことなが ら反発はあ ります し,それは良い こと なのです。 まさにこの反対層 がい るか らこそ, このプロジ ェク トの効果 が判定 されるのです。反対は付 き物で した。反対層のおかげで我 々の存 在 を証 明し,正 しい と認めさせ るための歴史的な機会を持てたのです。我 々は反発を歓迎 しました,なぜな らば反発 と対決す るためにそれを必 要 としたのです。
Q :
1 9 7 5
年2
月1 2
日にベネズエラ全国青少年 オーケス トラが誕生 した時のモ ッ トーは" To c a rY Luc h a r "
(プレイ ・アン ド ・フ ァイ ト)で したね。どうして この ような行動的で挑戦的な言葉なのですか ?
A :
最初の反対運動 が起 こったその時か ら,我 々はただ演奏 していることは「企業 メセナ」 と 「アプレウ博士」
i f ] i i
で きない, このプロジ ェク トの意義 に反対する勢力 との闘いか ら逃れる ことはで きない とわかっていました。 どうして ?我 々が正 しい ことを彼 らに証 明するためです。
Q :
このモ ッ トーはある程度ベネズエラ ・ナシ ョナル青少年オーケス トラシ ステムの性格 と気質を合体 した ものですね。それはまたあなたが創 り上 げた組織の存在の もっとも難 しい側面 を反映 してますね ?A :
その通 りです。まず第一 にこの組織 を全国に拡大す るために必要な教節 たち,教授たちそ して指揮者たちを訓練することが挑戦で した。それに は3 0
年 かか りました。 これがわれわれの基本的な挑戦で した。( 4 )ベネズエラの尭壁な新局面
Q :
ナシ ョナル ・ユースオーケス トラの創設者たちの証言 にある共通 した言 葉 があ ります。信念 とい うことばです。彼 らは こう言 っています:
「ホ セ ・アン トニオは巨大な記念碑の ような信念を持 っていた。夢は彼の頭 の中にだけあるものだ と考 えていた。」これにあなたは どう感 じました ?A :
良い と思いま した。単 に時間の問題で,我 々が正 しい道を歩んでいることを証明する時が来 ると考 えていま した。不信感を もたれる事 を気 にし ませんで した。む しろその ような不信感 を歓迎 したのです。なぜな ち最 初の不信が後 の信用 に変 わる と,その信用は2倍大 き くなるのです。そ の ことを私は決 して神経質 にな らず,我 々が しっか りとした地面 に立 っ ていることをはっきり確信 したのです。
Q :
スター トか らあなたのプロジ ェク トは愛国主義的で した。それは もう 1 つのベネズエラを活気づかせ るものです。民主的な理想,正義 と社会性 を包括 し,芸術で子供や若者を救 うこと,国民の感受性を増大 させること,集団生活や 自己達成のための仕事や教育, これ らが音楽を取 り入れ た国にもた らされた価値のい くつかです。我が国のオーケス トは,私達 が 日常生活を過 ごしているこの同じ国に徐 々に影響 を与 えていると思い
ます か ?
A :オー ケ ス トラシ ス テム はベ
ネ ズ エ ラ に と っ て ま さ に 正 し い 特 性 な の です。 私 は最 初 か らオー ケス
トラ が 国 を 1つ に ま とめ る最 も美 し い 表 現方 法 だ と見 て い ま した。 私
は 目標 を 達 成 す る た め の 意 思 とエ ネ ル ギ ーに満 ちた 力強 いベ ネ ズ エ ラ
を 見 ま した 。 疑 い も な く こ の オ ー ケ ス トラが地 域 社 会 や 町 や州 や家 族
の な か に 入 っ て きた こ とで , ベ ネ ズ エ ラ の社 会 を変 えて きま した。 重
要 な 事 は , も し芸 術 の ほ か の 分 野 が 同 じ事をす れば ,芸 術 全 体 が 国全
体 を 本 質 的 戦 略 的 か つ 革 命 的 に 変 え て い る手段 とな るだ ろ う とい うこ
とで す 。Q :この大 きな社会的文化 的事
業 の ア キ レス 腔 は 何 だ っ た の で し ょ う か ?A :どの長期 プ ロジ ェク トにあ
っ て も, ア キ レス腔 は短 期 間 で す 。 この プ ロジ ェク トは長 いプ ロジ ェク
トを位 置 づ け られ るべ きで す 。 ア キ レ ス腔 は発端 に出ます。長期 的な展
望 に現 れ る もの は 不 確 実 性 で あ り, 決 して 予想 で きな くそ して常 に危険
な もの で す 。Q :あなたのそばで仕 事 を して
い る人 々 は , 常 に あ る こ とを終 え る前 に次 のプ ログ ラムや コンサー トや
プ ロ ジ ェ ク トを 創 っ て い る わ け で す ね 0A :その通 りです。
Q :仲 間たち を押 し付 けず にあ
な た の 情 熱 を ど うや って 伝 え て い ま す か ?A :無尽蔵 のエネルギ ー は私 か
ら出 て い る の で は あ りま せ ん 。 不 滅 の 光 が プロジ ェク トの生 きてい る間
輝 い て い るの で す 。 これ は 幾 世 蘇己に も ま た がるプ ロジ ェク トな の です。
歴 史 的 な もの で す 。 そ の 光 は 自 らの エ ネ ルギー を放 ち,子供 や青少年
の 演 奏 者 た ち に 与 え る の で す 。 彼 らは 消 え ないエネルギー を吸収 し,輝
き, そ の エ ネ ル ギ ー を伝 達 し, そ れ を長 く保つのです。
サ イモ ン ・ラ トル が カラ
カ ス に到 着 した 2 日後 に , シ モ ン ・.ボ リバ ーオー ケス トラはエステヴ ェ
ス の ラ ・カ ン ター タ ・ク リオ ‑ ヤ を素 晴 し く演奏 しま した。カラボボオー
ケ ス トラ は 10周 年 を 迎 え ,ア マ ゾ ナ ス ・オ ー「企業 メセナ」 と 「アプ レウ博士」
1 1 9
ケス トラは打楽器を待 っていました し,アンソアテギ ・シンフ ォニーは 国内 と国外の演奏旅行 に集中 していました。 どのオーケス トラも目的 と 夢を持 っているのです。想像 して ください。サ イモン ・ラ トルに別れを 告げて空港か らカラカスに戻 る途中,私 はゼ ロに戻 った気が しました。
新 し く宿題 に取 り掛かる自分がいたのです。
Q :
サー ・サイモン ・ラ トル とい うベル リン ・フィルの指揮者の訪問はベネ ズエラ青少年オーケス トラシステムの30周年 と一致 します。 このシステ ムは これか らどこに行 くので しょうか ?A :
よ り多 くの子供や青少年 に今 日のベネズエラ青少年ナシ ョナルオーケス 十ラに参加 させ ること。全国の子供達が 自由に芸術 にアクセスで きるべ きです。 カラカスの近隣でスポー ツ施設 があ るどの町 に もコー ラス と オーケス トラがあることを想像 して くだ さい。それは ものすごい ことで す。 この国や中南米諸国やカ リブ人の全ての子供達 と若者達が芸術に自 由に触れることを想像 して ください。第三世界の偉大な歴史的な旗印 と して貢献するこのプログラムを想像 して ください。 これは先進諸 国にも 貢献するりです。 これ と似た例は1 8
世紀末 にヨーロッパは産業革命 によ って飛躍を遂げ今 日の世界の偉大な力を作 り上げま した。人間的かつ創 造的な偉大な芸術革命を通 して中南米諸 国 とカ リブ人 に奮起 させ る我 々の番 がやって きたのです。 我 々にはこの変化 を可能にで きるのです。
Q :
このあなたの信条 を世界中に根を張 らせ るには,またベネズエラで拡大 するためには何が必要ですか ?A :
国は これを教育 システムのための本質的なプロジ ェク トと受け入れなけ ればな りません。学校の体制が基本的なカ リキ ュラムに芸術 を2歳 か ら 大学生までの全員の生徒 に教 える日が来れば,我が国は別の国になるで し ょう。 これが起 こるためには, 目標 に向かって専念する教師をさらに 訓練 しなければな らないで しょう。それが次のステ ップです。オーケス トラシステムが学校で教 える必須科 目としてのアー トと音楽の正式な教青 に入 り込む ことです。
Q :
明 日のベネズェラを どう見てますか ?A :
ベネズエラは偉大な教育事業体 となるに違いあ りません。国が原則 と中 身 と目的を意識 した,賢明で進んだ深い教育システムを持てば, この国 は 自ら歩むべ き道を見つけるで しょう。( 4)
全てを探求 し学ぶQ :
あなたの音楽の好みを話 しましょう。 あなたが音楽で重 きを置いている のは計算ですか,知性ですかそれ とも感情ですか ?A :
音楽は全てにわたって私の感情,夢,ノスタルジー,空想そ してエネル ギーを 目覚めさせ るものです。音楽は行動 と献身を喚起 させます。それ は今 日も必要であ り,子供の ときか ら存在を発揮す るために必要な発電 機 であ り根本的なエネルギーであ ります。音楽な しには人生は不毛で耐え られない ものになるで しょう。
Q :
あなたが人生 の中でつ らかった時 ,音楽 は どうい う意味を持ち ま した か ?A :
音楽は不幸 を希望に変 えるのです。私の挑戦心を行動 に変 えます。夢を 現実 にさせ るために実行に移す起爆剤なのです。Q :
好 きな作曲家はだれですか ?誰 に親 しみを感 じますか ?A :
誰 で もです。人生で彼 らすべてか ら学んで きました。特定の作 曲家に餐 着 を覚えるのは一 日のスケジ ュールの特定の時間によって変わ って きま す。た とえば私が一 日の終わ りに とて も疲れていてハー ドワー クだった 時には,他 よ りひきつけ られる音楽があ ります。私が元気 に起床 して, 時間がた っぷ りあ って論文 の締め切 りに追 われていない時 にはアン ト ソ ・ブル ックナーのシンフ ォニーが理想的な音楽です。就寝前にはワー グナーやラヴ ェル, ドビュッシーの音楽 を聴 くのが好 きです。起 きた直 後 はバ ロックが好 きで,バ ッハは 目覚めを良 くしその 日のスター トを用「企業メセナ」 と 「アプレウ博士」
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意 させて くれます。ヴ ィヴ ァルデ ィの音楽 は生命力です。モーツ ァル ト は一 日の うちでいつで も聞 く事がで きます。新 しい本 に取 り掛かって書 物 に 目を通す時には衝撃的で辛妹な現代音楽を聴 くのが好 きです0
Q :
ロ ックやポ ップス音楽は どう思いますか ?A :
当然の ことなが ら,それは私が深 く係わっている音楽のスタイルではあ りません。私はロ ックは聴 きません。若者のパーティーな どで演奏 され ている環境のなかで聞 こえて くるだけです。若者 と付 き合 うためにロッ クを聴 く必要はないのです。なぜな らば彼 らとの付 き合いを私は恒常的 に,スクー リングやオーケス トラやコーラスの練習の課程で行 っている か らです。本当の ことを言 えば この種の音楽 との私の係わ りは極小です。その反対はベネズエラの民族音楽で,私 はそれを愛 し本当に楽 しみま す。 しか もベネズエラのみな らず,中南米諸国や他の全ての民族音楽が 好 きです。私はユネスコの世界民族音楽 コレクシ ョンが大好 きです。 こ れは私の宝物の ようにしば しば聞いています。 また旅行中に古い レコー ドシ ョップに立ち寄 って
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世紀の有名なアーチス ト達のレコー ドを探 し 回 ります。Q :
現代音楽は どうですか ?A :
大好 きです。音楽はいつで も喜びなのです。新 しい音楽言語は新 しい挑 戦なのです。勉強するのに時間がかか りますが,作品を書 くのに使 われ た音楽表記の音階を研究するのです。それを大変楽 しみます。現代音楽 の音階や新 しい音効果やエレク トロニクスを通 して音の世界が発展 して い くことが特集 されている雑誌 に寄せ られ る論文 を読むのが好 きです。これは現代物理学 を探求するようで楽 しい世界です。
Q :
好 きな料理,好 きな文学作品は何ですか ?A :
食べ物 に関 しては 自国のベネズエラ料理 を愛 していますが,外国料理で はイタリア料理が好 きです。読み物は どれ も好 きです。私の仕事 を こな すための情報が必要だか らです。芸術や音楽の本だけを読むわけではありません。夜 は最近の経済動 向やプラニング,貿易 と国際関係 を併行 し て研究 します。会議やセ ミナーに参加 しな くてほな らないので。また衣 で も海外で も多 くの論文を書かな くてはな らないのです。それ とは別 に 我 々の若 い音楽家や専 門的な経験 を積 んだ学生の中に沢 山物知 りがい て,彼 らと交わると自分の知識を豊富 に し,同時に一緒に高度な知的理 解 を高めることがで きます。
( 5 )血の中にある信仰心 と共
にQ :
あなたは敬虞なカ トリック教徒を実践 していますね ?A :
私はキ リス トの教 えの謙虚な伝道者だ と思っています。キ リス トの教 え, つま りキ リス トが伝 える理想に人生 と自分の運命 を探 し,行動するか ら です。 どの哲学で もその 目的は人 に適応力をつけることのはずです。従って哲学 は魅 力的な世界です。 なぜな ら哲学 を通 してキ リス トの メッ セージを何度 も発見 し,それが現代の思想 によって再解釈 され,無限の 力を得 るのです。
Q :
マエス トロにタブーはあ りますか ?人生のなかで何 かがタブー とな りま せんで したか ?A :
知 りません。私の運命 にミステ リーを押 し付けた り,偏屈な判断は しま せん。Q :
あなたの人生の中で実に困った時に自分の運命 を誰 にそ して何 に託 しま した ?A :
神 にです。他に誰 もいません。神 こそが唯一の真実の保護であ り力です。Q :
精神分析の道 に入 りたい と思った ことは ?A :
決 してあ りません。Q :
どうしてですか ?A :
なぜな らば私は祈 りの力を信 じているか らです。ただ言葉 に出 した祈 り だけでな くどんな祈 りで もいいのです。私の仕事は祈 ることです。信念「企業 メセナ」 と 「アプレウ博士」
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と全ての努力 と能力を懐けた仕事 に自分を捧 げること,それが祈 ること なのです。真実の奉仕であるな らば,神 との関係は永久であ り遮 られな い ものです。そ うでなければ神への見せかけの奉仕 とな ります。神への 奉仕を 目的のない存在の無政府的な不規則性 に向けることは全 く意味の ないことです。人の献身は全的で正 し くなければな りません。それは奉 仕を神に帰依すること, 自己を神 と統合 しあ らゆる生活 と統合すること です。それによって思想が失われることはな く自己喪失 になった り社会 か ら疎外 されることはないのです。
Q :
独身でい らして家庭 を持たないのはなぜですか ?A :
私は 自分 を教師だ と考 え, 自分の学生 に責任があ り,それに私のエネル ギー と人生を捧げて きたのです。これが聖職者であ り続けている理 由で, 聖職者 としての生活があ り,何が起 こって も我 々は本質的 にイエス ・キリス トに深 く仕 える身なのです。 カソ リックを着 るのは重要ではあ りま せん。本質的な事は聖職者 として生活 して全面的な献身の精神で,聖職 者,イエス ・キ リス トの敬慶な召使でいることが光栄だ と思えることで
す。
Q :
あなたは神の使徒 と感 じますか ?A :
そ うは望みません。む しろ理想を求める高貴 なそ して不屈の精神を持 っ た神の召使を望みます。 この人生で最 も大 きな喜びは音楽家 として も生 きていることです。なぜな ら音楽の世界は神の本質に近 く,根本的な美 しい言葉 に尽 くせない方法で神を反映する芸術の魂の中で神を奉仕で き ることは,人生の幸福 なのです。Q :
今までの人生で失敗 を感 じた ことは ?A :
生 まれつ きの弱点,不完全,間違 いは誰 にも付 き物です。沢山の間違 い を犯 しています。Q :
何か上手 く行かない時や間違 いを犯 した ときは どうしますか ?A :
自分の誤 りを最初に気がつ くと,す ぐに改良 しようと決心 します。いつまで もです。
Q :
何が一番嫌いですか ?他人に我慢で きないのは何ですか ?A :
虚偽 と不誠実です。人が仕事中に見 えない ところで偽装や隠蔽をはた ら くと,本当の 自分を隠 している,そ して 自分の責任を果たそ うとしない と思います。 これは痛 ましいことです。Q :
あなたは生涯の任務 を果た した と思っていますか ?A :
「任務完了」 とい う言葉は決 して言 えないで し ょう。私 には生涯 にわた る使命 があ ります。だか ら私 には任務 は何 も完了 していません。私の 任務は永久に続 きます,神の意思が下 されるまで。Q :
あなたの将来を どう予想 してますか ?A :
私の将来は神の手 にあ ります。思い悩む ことはあ りません。Q :
死をもですか ?A :
もちろん,悩んでいません。(注)
(I
)Cf . , Che f iBo r z a c c hi ni ,Ve n e z u e l aBuy : s t i n gwi t hOr k e s t r a s ,Ba nc ode lCa r i be2 0 0 5
,p. 1 7 ,pp. 1 9 ‑ 2 3,p p. 2 5 ‑ 2 9 ・
5.
ドキ ュメンタ リー番組におけるアプレウ博士の発言次に紹介するのは,テレビ番組で述べ られたアプ レウ博士の発言である。
(1)アメ リカ cBSテ レビ
「 6 0 mi n u t e s
」(1)音楽は子供たちが 自分を表現する手段なんです。
コミュニケーシ ョンの基本手段。
その価値は計 り知れません。
‑ オーケス トラは何人でスター トしたんですか ?
「企業 メセナ」 と 「アプレウ博士」
1 2 5
最初の リハーサルには11人 しかいませんで した。
2
度 目の リハーサルは2 5
人,3
度 目が4 6
人で4
度 目は7 5
人。‑ いまや11万人の子供 が参加 していますね ?(荏 :放送時点で11万人,
2 0 0 5
年末で2 5
万人)私たちの 目標 はずっ と大 きいんです よ,あ らゆる子供 に音楽 に接 して もら いたいんです。
オーケス トラの真髄は協調の精神にあ ります。
チームワーク と厳 しい訓練 を必要 とするものです。
そ うした要素が音楽だけ じゃな く,子供の成長 に もいい影響を与えるんで す よ。
‑ 目標は優秀な音楽家 を育てることですか ?それ ともよりよい市民を育 てることですか ?
両方です。良い音楽家を育てれば, よい市民にもな ります。
‑ あなたは よ く子供 を救 うといいますが,子供たちを何か ら救いたいん ですか ?
私は身体障害児や,孤児や,見捨て られた子供や,少年院に収容 された子 供たちを救いたいんです。
‑ オーケス トラは社会 を変 える手段だ とあなたはおっしゃいますが, こ の衝 (カラカス)は変わ りましたか ?
子供たちは 目標 に向かってがんば り,家族 も応援す るようにな りました。
このオーケス トラは町の魂,町の精神です。
世界の少年少女オーケス トラを作 ってみたいんです よ。
‑ 明 日は世界のオーケス トラを ? ええ,そ うです。
(2)ベネズエラAlberto Arvelo制作 "TocarY Luchar"
(
「演奏せよ,そ し て闘え」)(2)楽器を演奏 して音楽のハーモニーを生み出す ことで美を創造で きる者は本 質的なハーモニーが何 であ るかをつま り人間の調和 をわか りは じめ るので す。
啓示 とい うものが人間の精神の中か ら変化 し,昇華 し,発展するものであ ることを人 に伝 え られるのが音楽である。
オーケス トラ とは共 同体です。それ 自体の中に合意 とい う基本的な 目標 を 持 った本質的な唯一の特徴 がある共 同体なのです。それゆえにオーケス トラ
に従事する人は合意の経験 を持 って生 きてい きます。
合意の経験 を違 う言葉で言 うと,チームで実行することです。お互いに依 存 し合 うグループの行動 では,誰 もが他の人 々に対 して責任があ り,他の人
々は 自分 に責任があるのです。
何 に合意するのですか ?
美 しさを創造することにです。
明 らかに音楽は社会 を向上 させる構成要素 として高度な意味での社会発展 の代理人 として認識 されなければな りません。なぜな らオーケス トラは結束 の調和やお互 いへの思いや り,そ して社会全体が一緒 になって素暗 しい感情 を表現する能力 とい う最 も優れた社会的価値 を伝達するのです。
これが全ての中南米諸 国に伝達 し,ベネズエラはこの事業を大陸全体 と分 かち合 うのです。
我 々はこの大陸の社会の歴史を根本的に変えてい くのです。
ば らば らの集合体をま とまった国に変 えることがで きるのは,芸術文化で あ り,文学であ り,優れた哲学的思想であ り,宗教 と芸術を通 した精神性な のです。
だか ら我 々は未曾有の企てに直面 しているのです。
数回のコンサー トを提供するだけでは芸術的な発展を遂げ るプラン とは青
「企業 メセナ」 と 「アプレウ博士」
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えません。
オーケス トラは聞いている聴衆を変 えるだけではあ りません。聴衆を変 え る前にオーケス トラ自体が変わって しまうのです。
もともと芸術は少数の芸術家 による少数の人 々のためにあ ったが,それが 少数の芸術家 による多数の人 々のための ものにな りました。今,我 々は芸術 が多数の芸術家 による多数の人 々のための ものにする新 しい時代を作 り始め ています。
ハ イデ ッカーは こう言 っています。人生 とは海で泳 ぐ人が何 もない海で溺 れないために未来を掴み続 けるような ものだ, と。 この ようにすべての現在 はすでに来ている未来であ り,未来はそ こにあるのです。
リズム とは音楽の現象ではな く,精神の現象です。 リズムは魂の内部の鼓 動 であ り,音楽がやるこ とはそれを昇華 させるこ とです。
魂の中の鼓動を昇華 させ,それを調和 に満ちた繊細な方法, 目に見 えない 変わ り方で他の人間に表現することです。
様 々な気持ちを合意 させる芸術,魂,メッセージ と価値 を創 り上げ る精神, 子供 と若い大人の精神を深 く変 えてい く最高の価値 , これ らがオーケス トラ です。
オーケス トラは一つの啓示です。神は合理性だけでは説 明で きない もの, 直観力で しか浸透 で きない何 か言葉 で言 い表 されぬ ものを啓示 して くれ ま す。音楽の衝動 とオーケス トラの使命 に燃 えた若者は心理的な変化をは じめ ます。
音楽や造形芸術,文学,映画を通 して我 々を 1つにする芸術 に自らを満た されなければな りません。
芸術 を通 して 自己を本質的に認識 し始めなければな りません。芸術は存在 の真の啓示 を見つけ出す ことが出来 る唯一の世界なのです。本物の存在は美 の使い としての芸術を通 して明 らかになるのです。
将来のべ哀ズエラは どんな小 さな町にも合唱団 とオーケス トラがあ り,そ