大村西崖宛 廉泉書簡 翻刻
著者 戦 暁梅
雑誌名 美術研究
号 425
ページ 55‑112
発行年 2018‑07‑02
URL http://doi.org/10.18953/00008938
Creative Commons : 表示 ‑ 非営利 ‑ 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by‑nc‑nd/3.0/deed.ja
大村西崖宛廉泉書簡翻刻五五
大村西崖宛 廉泉書簡 翻刻
凡例 ・本書簡は、
「大村西崖資料目録Ⅱ‐
A.書簡
(大村西崖宛((
((中国人
a.書簡
(廉泉と小万柳堂鑑蔵書画展覧会関係(」(『平成二一―二三年度科学研究費補助金基盤研究(
C(課題番号二一五二〇一一八研究成果報告書大村西崖の
研究』七〇~七四頁、研究代表者塩谷純、平成二十四年三月(の目録にある書簡(東京藝術大学美術学部教育資料編纂室所蔵(を、翻刻・翻訳したものである。書簡の掲載順序は同目録に準じているが、書簡の書かれた推定時期は題の横に記し、右掲書の記載と異なる場合は註で理由を述べた。翻刻は戦暁梅が行った。
・ 翻刻においては、
読みやすくするために筆者が句読点を付け加え、註記を施した。主な註記は以下の通りである。/…改行している箇所を示す。/[改頁]…便箋が変わる箇所を示す。[平出]…敬意により名前などの直前に改行して、前行と同じ高さでそれを書いていることを示す。[小書某]…本来の字の大きさより小さく書かれていることを示す。[添書某]…行の左右の傍らに書かれていることを示す。[割書某]…本来一行として書かれる幅に、二行で書かれていることを示す。[印刷文某]…封筒や葉書に一部混ざっている印刷文を示す。その他誤字など註記すべきことは、適宜((を施してそこに記すよう努めた。
・ 翻刻では、空格はそのまま空白としている。
・ 書簡本文の翻訳では、現代日本語として読みやすくするために適宜(
(を施し、省略されたと思われる表現や、人名をそこに記すよう努め、人名について説明が必要なものは註で述べた。
・ 書簡にある漢詩の部分は詩の本来の味わいを損なわないために漢文訓読体で翻訳をし、内容を理解する上で必
要な典故の説明は註で述べた。
・
図版はすべて東京藝術大学美術学部教育資料編纂室提供の原版(撮影者野久保雅嗣氏(を用いた。申し上げる。 述家・瀧本弘之先生、南湖研究会の劉恕先生より多くのご助言、ご協力をいただいた。ここに記して厚く御礼
・
本書簡の翻刻・翻訳にあたって、吉田千鶴子先生、東京藝術大学美術学部教育資料編纂室・大西純子先生、著美術研究四二五号
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五六
大村先生執事湖南さん(内藤湖南(が私に四度手紙を寄せ、京都、大阪に遊びに行くよう誘ってくださいました。(私は(近日中に宝物を携え京阪に赴き、両地の好古の士とともに鑑賞することにいたします。その後すぐに上海経由で燕京(現北京(に入り、我が国の政府に博物館設立の件について相談したく存じます。(したがって書画の(表慶館における陳列の期日を延長して私の帰国時期を滞らせることはできません。
(このことは(昨日すでに手紙で股野(琢(、今泉(雄作
((
((の両君にお知らせしました。旅館に居るのは退屈なので、詩を作って憂さを晴らしています。ここ数日、中洲先生(三島毅(との詩の唱和はとても楽しく、昨日は数首を選んで今泉君に送りました。彼のところに行って見せてもらうと良いでしょう。再びお目にかかるのが間に合わなさそうで、手紙に向かい、茫然たる思いをしております。謹んでご安寧をお祈り申し上げます。廉泉再拝五月三十一日(
((
股野琢は当時帝室博物館の館長、今泉雄作は同館の美術部長。同書簡に出た「中洲先生」とは当時高名な漢学者三島毅のことである。
大邨先生執事。湖南四次来書、約往游京 都、/大阪。不日擬載寶而去、与両地好 古之士相与欣賞。/即由滬入燕京、与我 政府商辦博物館之事。表/慶館陳列時間 不 能 延 長、 擱 我 帰 期。 昨 己 函 / 告 股 野、
今泉両君矣。旅館無聊、以詩遣懐。日内
/与 中洲先生唱和甚楽、昨録数首寄今
泉君/處、可 往索觀也。復會後時、臨
書悵惘、不盡
慺慺。/此頌 安和
廉泉再拜 五月卅一日
「大村西崖宛廉泉書簡」((一九一四年五月三十一日
(
大村西崖宛廉泉書簡翻刻五七
牛込區矢来町三番地舊殿第五十號/大邨西崖殿 [ 印 刷 文 東 京 麹 町 平 河 町 三 丁 目
特長五五五番]
{ [割 書 電 話 二 一 五 番 / 番 町
} ]/五月卅一日[印刷文 旅館 金生館]
封筒(表((裏(
美術研究四二五号
58
五八
過日お越しいただき、また『両部曼荼羅』を賜わり、かつてない喜びを感じております。謹んでこの宝物を国に持ち帰り、記念のために南湖の写経室に供えておきます。(このことを(昨日(家内(芝瑛にも(手
紙で(報告しましたが、彼女の喜ぶ姿は目に浮かぶようです。私は日頃公益事業が好きで、芝瑛も金銭を軽んじ、友情を重んじる人です。(彼女は(よく(友人のために(困窮や紛争を解決し、あえて人が憚ることを敢行し、私とも同じ志を抱いております。この度携えてきた宝物は宮氏の遺嘱を承って春雨草堂で譲り受けたもので、(辛亥(革命の際にまた麦美徳
((
((ルエラー・マイナー、
S. Luella Miner
(女史に保管を頼んだために、略奪の難を免れることができました。これは古人の英霊が守ってくださったおかげであり、人力ではなかなか為しえないことです。宮氏の遺児はこの世の移り変わりを経て今は困窮しており、頼る所がありません。麦女史に保管していただいたご好意にも、今三年経っても何をもって報えれば良いかわかりません。私は芝瑛と繰り返し相談し、(宮氏の遺児に(すこぶる同情の気持ちを抱いています。(したがって、(この古物をほかの良い方に譲り、得た資金を以て、未完の志を果たしたく存じます。大半の資金を北京公理会教会に寄付し、協和女書院の建築費に充てるほかに、宮氏の遺児を援助しようと考えております。私はそのうちの少しばかりを取って子供の学費に充て、子女を成人させたいだけです。近藤男爵(近藤廉平(は私の書画を購入する意志があり、何度も値段を明示するようにと仰いましたが、このようなことは骨董商の行うことで、私曩承/枉顧並拜両部曼荼羅之/賜、踊躍 歓喜、得未曾有。敬當載寶/以帰、供奉 於南湖写経室中、以誌/嘉
貺。昨己報告
[小書芝瑛]
、 喜 可 知 也。 泉 生 平 / 好 為
公 益 事、
[小書芝瑛]軽 金 銭 而 重 友 道、
能
(誤字圏点(排 / 難 解 紛、 能 為 人 所 不
敢 為。 亦 与
[小書泉]有 / 同 志。 此 次
携来珎品、承宮氏之遺嘱、得/之春雨草
堂、傳授革命之際。又頼/麦美徳女士之
保存、得倖免
刼灰。此/古人之英霊之不
泯 有 以 致 之、 非 人 力 / 也。 宮 氏 之 遺 孤、
経此世変、窮無以自存。/麦君保存之盛
心、 至 今 三 年、 不 知 所 / 以 為 報。
[小書泉]
与
[小書芝瑛]往 復 商 量、 頗 表
同/情。将此古物
另求賢主人、 使吾得價、
/以了未竟之志。除捐助鉅款于北京公/
理会教堂為協和女書院建築費外、悉/以
周
䘏宮 氏 之 遺 孤。
[小書泉]只 取 少 数、
備児/女之学費、使得成立而己。近藤男
爵/有意留吾書画、一再敦嘱、使開明/
價値。 此事類骨董商之所為、 非
[小書泉]所/願。男爵不得己、擬請 正木校長公
断/價値、 為両方面信託之人、 成就此事。
「大村西崖宛廉泉書簡」((一九一四年七月六日
(
大村西崖宛廉泉書簡翻刻五九 [小書泉]
/ 己 許 可、 惟 希 世 珎 品、 如
王建章扇面、澄清堂祖帖、黄雀雲林両巻
[添書此等在敝国己無第二件]
、皆係/無
價之寶、不比尋常流行之贋本、有/時價
可估也。/公於南畫有真識、此次展覧之
事、/公對於
[小書鄙人]熱誠達極點、
則 此 定 價 一 事、 / 尚 望 /
[平出]公 与 正
木校長協同辦事
(誤字記し)[添書 理] 。
賛成
[小書泉]与/
[小書芝瑛]之志願、
並 以 慰 近 藤 男 爵 好 古 / 之 心。 三
(誤字記し)
一 擧 而 数 善 備。 想 /
[平出]公 与 校
長必楽成人之美、決不辞此/煩續也。往
年 麦 女 士 介 紹 該 国 博 物 /
[改頁]院、 欲
出 重 金 盡 収 吾 所 有。 當 時
[小書鄙意]只/許出典、 而不願絶賣、 以此未能定議。
今/感同文之雅誼、又因欲辦公益、不得
/ 己 而 棄。 此 非 授 諸 域 外 可 比。 則 價 値
/ 一 層、 只 望 /
[平出]公 与 校 長 一 言 決
定、
[小書泉]決 不 計 較 多 / 寡。 近 藤
正木両君前、
[小書泉]皆有書自明意見、
必能諒察泉非営利之徒、/与羅叔蘊李平
書諸君同觀也。捨/珎品而盡友道、/公
其許我乎敢布腹心。望/始終為先民遺澤
盡 力、 至 幸 至 幸。 / 酷 暑 維 /
[平出]起
が願うやり方ではありません。男爵はやむを得ず正木校長に仲介役を頼み、(コレクションの)値を決めてもらおうとしています。私はすでに賛同しましたが、ただ希世の珍品につきまして、たとえば王建章の扇面、澄清堂祖帖、黄雀雲林の二巻(これらは我が国ではすでにこれ以外は存在しない)などはみな値がつけられない宝物で、普通に流布している贋本のように参考となる価格があるものではありません。先生は南画において真の見識があり、この度の展覧会において、先生の小生に対する熱意や誠意もこの上ないものとして承っております。したがって、(コレクションの)値を決める一件に関しても、また先生に正木校長と相談して決めていただきたく存じます。私と芝瑛の志に賛同すると同時に、近藤男爵の好古の心にも満足させる、一挙数得の妙案を取り計らっていただきたくお願い申し上げます。先生と校長先生は必ずや人が事を成すのを喜び、(この件の)煩わしさを辞さないことと存じます。昔、麦女史はかの国(アメリカ)の博物院を紹介してくださったことがあり、その博物院は大金を出し、コレクションのすべてを購入しようとしました。当時私の考えは、コレクションを抵当に入れるだけならまだしも、売却はしたくありませんでした。そのため、話はまとまりませんでした。今や同文の誼みを感じ、また公益事業を起こす一心で、やむを得ずこれを手放そうとしています。これはただ海外に(コレクションを)手放すだけのことではありません。それゆえ、値付けに関しても、先生と校長先生の一存に任せることにいたしたく、私は決して値の多寡にこだわりません。近
美術研究四二五号
60
六〇
藤(廉平(、正木(直彦(両氏には私は自分の考えを書きました。(両氏は(きっと私が利益を追求する者ではなく、羅叔蘊(羅振玉(、李平書の諸君と同一視してくださらないことと存じます。宝物を手放し、友人の情誼に報いるために、私が本心を打ち明けたことをお許しください。先人の遺沢のために尽力することに終始できれば幸いです。酷暑が続いており、申し上げるまでもないのですが、どうぞお身体にご留意ください。廉泉再拝大村西崖殿甲寅七月六日(
((
麦美徳(ルエラー・マイナー、
S. Luella Miner
(は当時華北協和女子大学の校長。廉泉の妻呉芝瑛の友人で、アメリカ人宣教師、教育家。居 福 不 宣。 廉 泉 再 拜 / 大 邨 西 崖
殿/ 甲寅七月六日
大村西崖宛廉泉書簡翻刻六一
牛込區矢来町三番地舊殿五十号/大邨西崖殿/速達 東 京 麹 町 平 河 町 三 丁 目
{ 電
話 二 一 五 番 / 番 町 特 長 五 五 五 番
月六日 旅館 金生館
} /七
(表( 封筒(裏(
美術研究四二五号
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六二
江山此 かくの如し写さんと欲すれど難く蛟龍水を失ひ意先に寒し乾坤四顧すれど欝として語無く世事翻覆として波瀾に似る浮雲富貴は倘来の物争名争利もと一に非ず一日の名利能く人を殺す杯を引き剣を看て交密に論ず西城寒食平生を話 かたり
((
(
地老ひ天荒れ令名に足る懐抱君を思へば隔世の如く湖楼の棋局は尚ほ紛争す叮嗟 ああ乎明朝踏浪・掉歌し去らんか砧聲隠々として戍に帰さんと催するも上天誰か梯航借するを肯 うべなはん蛇珠自ずから酬恩の處有り君見ずや大功坊和尚誤てるや未だ郷に還らず
((
(
空しく一巻を餘 のこし功罪を論ず五百年来毀傷すること毋く六丁(道教の神(呵護の下将に取らば有るや無しや王氣霊堂に到る
再び寶刀歌と同じ韻で詩を作り、道衍和尚(姚廣孝(が中山王(徐達(のために作った山水巻の後ろに題する(つもりです
((
((。ここに抄録して知心居士に呈し、ご意見を伺いたく存じます。
岫雲山人
未定の草稿。(『支那絵画小史』の(中国語訳八百部はすでに一気に
江山如此欲写難、蛟龍失水意先寒。乾坤 /四顧欝無語、世事翻覆似波瀾。浮雲富 /貴
倘来物、争名争利原非一。一日名利
能/殺人、引杯看剣論交密。西城寒食話
平/生。地老天荒足令名、懐抱思君如隔
世。/湖楼棋局尚紛争。叮嗟乎、明朝踏
浪/掉歌去、砧聲隠々催帰戍。上天誰肯
/借梯航、蛇珠自有酬恩處。君不見、大
功/坊、和尚誤矣未還郷。空餘一巻論功
罪、 /五百年来毌毀傷。六丁呵護下取将、
有/無王氣到霊堂。/再疊寶刀歌韻、題
道衍為中山王所作/山水巻后、 録呈/
[平出]
知 心 居 士 商 是 / 岫 雲
山人未定草
譯本八百部己一散而盡北京知友来函索取
/者尚不絶 大箸
(著(之聲價可知矣
漢譯支那絵畫小史校勘記/
[割書一頁後面/第九行]
其 技 術 或 即
従支那而来
[小書脱従字][割書二頁後面/第五行]
其 用 途 亦 因
之而漸多
[小書途誤作度] 「大村西崖宛廉泉書簡」((一九一九年七月十三日
((
((
大村西崖宛廉泉書簡翻刻六三 [割書五頁後面/第四行]
更 為 竇 建 徳
及王世充所取
[小書及字誤在更字上][割書十頁前面/第十一行]
是 種 之 妙
手漸稀
[小書種之誤作種種][割書十四頁前面/第十二行]
夷嘗攷支
那立國最古
[小書嘗誤作當][割書二十頁後面/第二行]
名 望 高 於
一世
[小書一世誤作世一][割書二十頁後面/第三行]
此 派 之 技
法
[小書此派誤作派此]大 箸
(著(譯 本、 今 在 病 牀 校 讀 一 遍、 将
誤字記/出、以便再版改正。再改版時擬
加圏點、於讀/者尤便也。寶刀歌韻、本
日 又 成 一 首 録 似
(以(/
[平出]教 正。
徐 大 総 統 為 中 山 王 徐 達 之 裔、 此 詩 已
(誤字消し([添書即]
寄 / 徐 氏、 故 多 哀 時
之語。粛候/
[平出]大邨先生起居 福
/ 七 月 十 三 日 世 外 人 状 【 印 】 岫 雲 山
人
配布し終わり、北京の知友が手紙を寄せてきて大著を求める人はまだ後を絶ちません。大著の価値は想像できるでしょう。中国語訳『支那絵画小史』校正記一頁後から第九行其技術或即従支那而来「従」字が脱落二頁後から第五行其用途亦因之而漸多「途」は誤って「度」になっている五頁後から第四行更為竇建徳及王世充所取「及」は誤って「更」の上になっている十頁前から第十一行是種之妙手漸稀「種」は誤って「種種」となっている十四頁前から第十二行夷嘗攷支那立國最古「嘗」は誤って「當」になっている二十頁後から第二行名望高於一世「一世」は誤って「世一」になっている二十頁後から第三行此派之技法「此派」は誤って「派此」となっている大著の中国語訳は、今病床にて一通り拝読し、再版の訂正のために誤字を記しておきました。再版の際、圏点をつけ加えるつもりです。読者のためにさらに便利になるでしょう。「寶刀歌」の韻で、本日もう一首詩を完成しましたのでここに録しておき、ご教示のほどよろしくお願い申し上げます。徐大総統(徐世昌(は中山王徐達の子孫であるため、この詩は徐氏に送ることにします。故に(詩に(時勢を感慨する表現が多く美術研究四二五号
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六四
あります。大村先生のご健康をお祈り申し上げます。七月十三日世外人(廉泉(拝。(
((
この書簡が書かれたのは「大村西崖資料目録Ⅱ―
A.書簡
(大村西崖宛((2(中国人
( を「大正三年」に読み間違えられた可能性はきわめて高い。 歴と合わせて考えると、封筒裏の消印がはっきりしていなかったために、「大正八年」 確認すると、この日の廉泉は東京に滞在した。さらに消印、書簡の内容と廉泉の経 の住所から出しており、廉泉の孫・廉仲氏の整理した『南湖東遊日記』(稿本(で なっており、その根拠は封筒裏の消印によるものと見られる。しかし、書簡は神戸 a.書簡(廉泉と小万柳堂鑑蔵書画展覧会関係(」で「大正三年七月十四日」と
( 士女飛彩索」の句に由来すると思われる。 ((「西城寒食」は、宋黄庭堅の詩「春思」の「閑尋西城道、倚杖俯墟落。村翁逢寒食、
( ができなかった逸話を指す。 孝は家族友人に冷遇され、姉に「和尚は道を過てり」と罵せられ、故郷に帰ること 文帝を廃し朱棣を永楽帝として即位させた。しかしこの帝位の略奪を主導した姚廣 師としてて燕王朱棣を補佐して「靖難の変」(一三九九~一四〇二(を起こし、建 ((「君不見大功坊和尚誤矣未還郷」の句、和尚は明の道衍和尚姚廣孝のこと。軍
((
廉泉は明の道衍和尚(姚廣孝(が中山王(徐達(のために描いた画巻を所蔵していた。姚廣孝も徐達も朱元璋を補佐して明王朝を立てるのに大きな功労を挙げた人物である。その数々の戦功を表彰するために、朱元璋は彼の故郷で「大功」と題字された牌坊まで建ててあげた。しかしその有能さと軍での高い人望で、疑心暗鬼になった朱元璋に次第に疎遠され、民間では、朱元璋に毒殺されたとの謂れもある。廉泉の友人、清末民国初年の政治家徐世昌は徐達の子孫で、清末に袁世凱の軍の参謀を務め、袁を補佐した。辛亥革命後しばらくは、袁世凱の皇帝就任に反対し、袁世凱政権で要職に就くのを拒んでいたが、袁世凱の相談役を務めた。袁世凱が逝去したあと、民国七年(一九一八(十月に第四代中華民国大総統に就任した。この書簡が書かれたのは徐世昌が着任した翌年で、徐の任期中に五・四運動が起ったあとだった。徐世昌と袁世凱の関係は朱元璋と徐達の関係に似ていることから廉泉はこの詩を書き、友人の徐世昌に送ろうとした。
東京牛込區矢来町三番地舊殿十二号/大邨西崖殿 七月十三日 神戸中山手通三丁目五五ノ四/廉南湖
封筒(表((裏(
美術研究四二五号
66
六六
拝啓私は明の呉彬がマユミノキで彫刻した文殊像を一つ所有しております。勝れて絶妙なものであり、撮影してお送りいたします。大著の彫刻史の中の資料として十分使えることと存じます。この手紙と同日で郵送いたします。届きましたら、どうぞお知らせください。
(また、(我が国の彫刻でもっとも古いものに、山東肥城縣の石刻漢画が五枚あります。(これは(泰安府肥城縣の孝堂山にあり、言い伝えによれば、孝子郭巨の墓だそうです。その画は武梁祠堂の画像と似ています。しかし、武梁祠堂の画像の拓本はよくありますが、肥城の漢画については、乾隆の丙午年間、黄易[字小松、號秋盦、浙江銭塘の人。運河同知の官吏を務め、金石文字を雅好としていた。山巌の幽絶した處に行っては、石刻を探し、すべて拓本を採ってきました。彼の取った拓本の多くは先人の書物に収録されなかったものです]が自らその地に行って始めて五枚の拓本を作り、翁方綱[字正三。號覃谿。晩年に蘇齋と號す。乾隆壬申年間の進士。内閣学士の官位についた。書は永興に
学び、金石の考證に長じる]に送ったそうです。翁氏が詳しく考証した上で、これに長文の歌を一首題しました。この拓本は世の中の孤本となり、今や小萬柳堂に所蔵しており、拱璧
((
(のように大切にしております。今度日本に渡る時、必ず黄氏の漢画拓本を持参して先生に鑑賞していただきたいと思います。大著の中でも、この拓本の画像を一番前に加えるべきです。翁氏の考証についても、撮影して掲載したほうが、十分この拓本の価値を増すことになるでしょう。(そうすれば(黄
敬 啓 者。
[小書敝]蔵 明 人 呉 彬 用 檀 木
彫刻文殊像一/尊。 勝妙殊絶。 撮影寄贈。
足 為 /
[平出]大 箸
(著(彫 刻 史 中 之 資
料。與此函仝日付郵。何/日収到。望/
[平出]
示知。
[小書敝]国彫刻之窮古者。
有山東肥城縣漢畫石/刻五枚。在泰安府
肥城縣孝堂山。相傳為孝子/郭巨墓。其
畫与武梁祠堂畫象相彷彿。然/武梁祠堂
拓本常有。 肥城漢畫。 乾隆丙午。 黄易/
[割書字小松、號秋盦、浙江銭塘人。官運河
同知。雅好金石文字。/所至山巌幽絶處。
皆窮捜摹拓。多前人所未著録。]
親 至 其 地。
[添書始]
手 拓 五 / 枚 寄 翁 方 綱。
[割書字正三。號覃谿。晩號蘇齋。乾隆壬申進士。
/官内閣学士。書学永興。長於考證金石。]
翁詳加考證。/并題長歌一篇。此拓係海
内孤本。 今蔵小萬柳/堂。 珎同拱璧。
[小書泉]
此 次 東 游。 必 将 黄 氏 漢 畫 拓 本。
/ 携 入 行 篋。 与 /
[平出]公 欣 賞 之。 /
大 箸
(著(中 宜 以 此 畫 像 冠 首。 至 翁 氏 之
考 證。 亦 宜 / 撮 影 刊 入。 足 為 此 拓 増 重。
蓋以黄拓翁題
[添書之]漢/
[改頁]畫。
海 内 無 第 二 本 也。 /
[平出]先 生 見 此 古
「大村西崖宛廉泉書簡」((一九一五年三月六日
(
大村西崖宛廉泉書簡翻刻六七
物。必驚嘆欲絶。惜冊子甚鉅。不易/郵 寄。 使 /
[平出]先 生 得 先 睹 為 快 也。 姚
廣孝畫巻。駐華美國/公使索観後。用西
文題記。昨己寄還。國務卿/徐世昌又属
樊 増 祥
[割書字樊/山]、 易 順 鼎
[割書字實甫別號哭盦/二公皆精鍳賞]
二/公、
各 題 長 歌 一 篇 於 巻 尾
[割書長歌己刊見新聞/附呈一瞥]
。 此 巻 為 / 秘 笈 中 驚 人 之
珎 品。 重 游 時 必 将 来 也。 明 清 /
[改頁]両朝名人書畫扇面目録。寄奉数冊。乞/
分送好古而有力者。為之介紹。能得高價
[添書價格在十萬金以上]
。 不 / 妨 割 愛。
[小書泉与芝瑛]
皆 欲 得 銭 辦 公 益 事。 幸
/ 先 生
[添書凡書畫古玩皆欲及身散盡因児女従事新學、皆不/好此]
賛 成 之。 専
此布臆。敬頌/鳴案百福。 廉泉
再拜/大邨西崖殿/乙卯三月六日
氏の拓本、翁氏の題詩がある漢画は、世の中でただ一つのものになるでしょう。先生がこの古物をご覧になると、きっと大いに驚嘆されることと存じます。残念ながら、この冊子は大変な大型で、郵送しにくく、早々に先生にお目にかけることはできません。姚廣孝の画巻については、米国の中国駐在公使が鑑賞したあと、欧文で題字され、現物を昨日還してくれました。國務卿の徐世昌氏はまた樊増祥氏 別號哭盦、二氏ともに書画の鑑賞に長じています]の二
[
字樊山]、易順鼎[字實甫((
(にそれぞれ長詩を一首巻尾に題するよう命じました[長詩はすでに新聞に掲載されたので、同封にてお目にか
けます]。この画巻は私の所蔵品の中でも驚くほどの珍しい品で、今度来日する時に必ず持参いたします。明清両朝名人書画扇面目録を、数冊お送り差し上げます。有力な好古者に差し上げ、紹介してくださるようお願い申し上げます。もし高値を付けることができれば(価格が十万金以上の場合(、割愛してもいいと存じます。私と家内はともにこれでできた資金を公益事業のために使いたく、およそ書画骨董の類は皆存命中に処分したく存じます。何故なら子供たちは西洋式の教育に従事しているため、皆これらには興味を持っていないからです。先生の賛同を得られて(まことに(幸いです。書面これにて失礼いたします。謹んでご健筆、ご多祥をお祈り申し上げます。廉泉再拝/大邨西崖殿/乙卯三月六日(
((
拱璧:古代の天子が天を祭祀する時に使われる大型の玉。(
((
樊増祥、易順鼎はともに清末民国初の詩人。
大村西崖宛廉泉書簡翻刻六九
美術研究四二五号
70
七〇
「大村西崖宛廉泉書簡」
((葉書
((一九一九年四月十六日
((
((
(表(
(裏(
市 内 牛 込 區 矢 来 町 三 番 地 字 舊 殿 第 十 二 号 / 大 邨 西 崖
殿/四月十六日/廉南湖
楼 臺 菴 畫 未 荒 寒、 腸 断 天 涯 欲 寫 難。 / 風 緊 日 斜 非 故
國、 黏 天 波 浪 一 憑 闌。
[割書春日丸中/作一首]/
総 為 情 多 軽 小 別、 毎 経 高 處 怕 回 頭、 三 山 / 立 馬 紅 如
海、 是 汝 郷 関 我 舊 遊。
[割書長崎寄姫/人春野一首]/ 知 心 居 士 笑 正 世 外 人 初 稿 / 昨 日 到 此。 生 年
所 愛 之 四 寶 及 一 切、 身 外 之 / 物。 有 人 勧 我 入 札 合 離
情、 想 不 能 自 決。 不 審 / 公 百 忙 中 得 与 世 外 聞 雲 一 談
風月否。粛頌/道綏
楼臺の菴畫いまだ荒寒ならず天涯に断腸し書かんと欲すれども難し風緊 せまり日斜めにして故國に非ず黏天の波浪ひとり闌 おばしまに憑る春日丸の中で一首作りました。総 つねに多情の為に小別を軽んじ高處を経る毎 たび回頭を恐る三山の立馬海の如く紅なり是れ汝が郷関我が舊遊長崎にて婦人春野に一首贈り、知心居士にご笑覧、ご訂正をお願い申し上げます。世外人初稿。昨日(無事(ここに着きました。生来大事にした四宝およびすべてが身外の物で、入札して離情に合うように((
(と勧められました。想うに自分で決めることができません。先生、お忙しい中ですが、私のような世捨て人と風流の談義をしてくださいませんか。謹んでご健勝をお祈り申し上げます。(
((
この葉書が書かれたのは「大村西崖資料目録Ⅱ―
A.書簡(大村西崖宛((
((中国人
( ると、これは大正八年の葉書だった可能性が大きい。 に東京に着いたことの報告があったことから推測す したのは六月からだった。葉書の内容に、その前日 月十六日」となっているが、大正四年、廉泉が来日 と小万柳堂鑑蔵書画展覧会関係(」で「大正四年四 a.書簡(廉泉
((
これまでの数年間、廉泉は日本と中国に交互に長期滞在し、常に家族への思念が強かった。「離情」とは家族が離れ離れに過ごすことへの想いを指していると考えられる。
大村西崖宛廉泉書簡翻刻七一 (
((
これは廉泉が日本語で書いた書簡である。六月六日に上海から山城丸に乗って神戸に向かって出発し、その後、京都に行く予定を伝える内容と見られる。 「大村西崖宛廉泉書簡」
((葉書
((一九一五年六月三日(
(表(
(裏(
東 京 市 上 野 公 園 / 美 術 学 校 / 大 村 西 厓 殿 / 於 上 海 /
廉泉
其 後 ハ 御 不 音 に 打 ち 過 ぎ 申 候。 / 扨 て 私 本 月 六 日 山
城 丸 に て / 当 地 出 立、 神 戸 へ 向 け 上 陸 / 致 し、 京 都
へ 参 り 候。 余 ハ 拝 / 目 之 上、 先 に 御 通 知迄
((
(
。 / 早 々
/六月三日
美術研究四二五号
72
七二
「大村西崖宛廉泉書簡」
((葉書
((一九一五年六月九日(
(表(
(裏(
東 京 市 牛 込 區 矢 来 町 三 番 地 / 舊 殿 第 五 十 号 / 大 村 西
崖殿/神戸海岸通四丁目/西村旅館寄
敬啓者。 六月九日辰到神戸、 寓/西村旅館。 暫憩塵勞、
便往京/都。 擬借嵐山本願寺別荘為養/疴避暑之所。
已 函 託 湖 南 博 士 介 / 紹 矣。 粛 候 / 大 村 西 崖 先 生 起 居
泉敬状/正木校長前乞致企頌 寒緑先生前致候
拝啓六月九日朝に神戸に着き、西村旅館に泊まることにしました。(ここで(しばらく休憩してすぐに京都に行き、嵐山にある本願寺の別荘をお借りして病気の療養と避暑の住まいにする予定です。すでに手紙で湖南博士(内藤湖南(に紹介してもらうようお願いしました。謹んで大村西崖先生にご挨拶申し上げます。廉泉敬状。正木校長にくれぐれもよろしくお伝えください。寒緑先生にもよろしくお伝えください。
大村西崖宛廉泉書簡翻刻七三 「大村西崖宛廉泉書簡」
((葉書
((一九一五年六月十一日(
(表(
(裏(
東 京 市 牛 込 區 矢 来 町 三 番 地 / 舊 殿 第 五 十 號 / 大 村 西
崖殿/神戸海岸通四丁目/西村旅館/廉泉
[小書僕明日或當赴京都]
/ 敬 啓 者。
[小書僕]到
神 戸 已 三 日 矣。 博 文 堂 主 人 / 昨 赴 京 都、 与 内 藤 博 士
商 定 書 画 展 覧 / 之 事、 並 為 我 覓 行 館。 所 携 劇 蹟、 多
希世/之珎、 嵐山只宜遊攬、 不宜久居也。大箸
(著(已 出 版 / 否。
[小書僕]久 病 神 思、 恭 然 題 詞 竟 無 以
報
命。 尚乞/察恕。 今携来黄易為翁方綱手拓之漢畫冊、
翁 / 氏 考 證 極 詳。 大 箸
(著(中 不 可 無 此。
倘已 印
訖、 亦 宜 / 列 入 附 編。 惟
[小書僕]不 到 東 京 公
能 託 京 都 友 人 代 / 為 撮 影 否 貴 校 代 存 書 畫、 京 都 展
覧 有 期 即 / 派 人 来 取、 以 便 陳 列 公 能 来 觀 否。
[割書大村先生執事/廉泉頓首]
六月十一
私は明日おそらく京都に赴くことになるしょう。拝啓私は神戸に着いてすでに三日が経ちました。博文堂の社長が昨日京都に赴き、内藤博士(内藤湖南(と書画展覧のことについて相談し、また私のために住居を探してくれました。持参してきた所蔵品の多くは希世の宝です。嵐山は遊覧に向いており、長期滞在には向いていないそうです。大著は已に出版されましたか。僕は久しく気分が思わしくなく、謹んで題詞をさせていただきましたが((
(、ついにその御恩に報いるものもなく、どうかご寛恕くださいますようお願い申し上げます。今回黄易が翁方綱のために作った拓本の漢画冊を持参してきました。翁氏の考證はきわめて詳しく、大著にはこれが無くてはならないと存じます。もし(大
著が(すでに印刷済みでも、(これを(附編に入れるべきだと存じます。ただ私は東京に行くことはできません。先生が京都の友人に代わりに撮影を頼むことができますか。貴校に保管していただいている書画については、京都の展覧会の期日が決まれば、陳列のために人に取りに行かせます。先生が(京都まで(観にいらっしゃることはできますか。大村先生執事/廉泉頓首/六月十一日(
((
ここに言及している「大著」とは大村西崖『支那美術史彫塑篇』(仏書刊行会図像部、一九一五(のことで、本編の内表紙の題詞「大邨西崖著支那美術史彫塑篇」は廉泉の妻呉芝瑛によるものであった。
美術研究四二五号
74
七四
「大村西崖宛廉泉書簡」
(0(葉書
((一九一五年六月十四日(
(表(
(裏(
東 京 市 牛 込 區 矢 来 町 三 番 地 / 舊 殿 第 五 十 号 / 大 村 西
崖殿/京都亀利旅館寄/六月十四夜
即 刻 到 京 都 矣。 通 信 處 如 下 / 京 都 市 烏 丸 通 五 條 南 /
亀利旅館/廉○○
ただいま京都に着きました。連絡先は下記の通りです。京都市烏丸通五條南亀利旅館/廉○○
大村西崖宛廉泉書簡翻刻七五 「大村西崖宛廉泉書簡」
(((葉書
((一九一五年六月二十九日(
(表(
(裏(
東 京 市 牛 込 區 矢 来 町 三 番 地 舊 殿 / 第 五 十 號 / 大 村 西
崖 殿 / 京 都 烏 丸 通 五 條 南 亀 利 寄 /
[小書宋高宗御書徽宗文集序鮮于樞趙孟頫合書/千字文趙孟頫楷
書度人経/右墨跡三種内藤博士属博文堂速印[割書
謂世界有一/無二之奇珎也]]
[小書他日開会時乞/[平出]先生与正木校長枉臨鑒
/定惟扇面太多無一不/精只能陳列十/分之一耳]
大
箸
(著(美術史彫塑篇拜/
[平出]賜。驚嘆珎若球刀。
圖 冊 出 版、 尚 乞 / 恵 寄、 俾 成 全 璧、 感 謝 莫 名。 貴 校
寄 存 / 書 画、 今 晨 佐 藤 君 将 来、 正 木 校 長 及 北 / 浦 先
生 前 皆 乞 代 達 感 悰。 内 藤 富 岡 両 君 / 来 展 觀 扇 面。 見
惲 南 田 筆 有 六 十 四 枚 之 多、 / 無 一 枚 不 精、 両 君 驚 嘆
欲 絶、 欲 在 京 都 図 書 館 / 展 観 一 次、 会 期 尚 未 定。 専
此鳴謝、 即頌/大村先生萬福。 廉泉再拜。 六月廿九日。
(表(東京市牛込区矢来町三番地旧殿第五十号大村西崖殿京都烏丸通五條南亀利より宋高宗御書徽宗文集序、鮮于樞趙孟頫合書千字文、趙孟頫楷書度人経。右の墨跡三種について、内藤博士は博文堂に速やかに印刷するよう嘱しました。(これらは(世界で唯一無二の珍しい物であると仰っています。(裏(後日展覧会を開く時に、先生と正木先生にお越しいただき、鑑定をしてくださるようお願い申し上げます。ただ扇面が多すぎて、どれも素晴らしいのですが、十分の一しか陳列できません。大著の美術史彫塑篇を賜り、驚嘆して球刀(天球と赤刀。古代天子の宝物(のように大切にしております。図冊が出版されましたら、ぜひ一冊送付していただき、(これとあわせて(完璧を成してくださるようお願い申し上げます。深く感謝申し上げます。貴校に預けている書画は、今朝佐藤君が届けてくださいました。正木校長および北浦先生には、それぞれ感謝の意をよろしくお伝えください。内藤(湖南(富岡(謙蔵(の両君は扇面を鑑賞しにきてくれました。惲南田の作品が六十四点にものぼっていることと、一点として疎かなものがないことを見て、両氏は驚嘆絶賛し、京都図書館で一回展覧会を開きたい(とおっしゃいましたが(、会期はまだ決まっておりません。ここに感謝申し上げます。大村先生のご多幸をお祈り申し上げます。廉泉再拝六月廿九日美術研究四二五号
76
七六
わずかな暇があれば、時間を作って詩の朗詠に耽るべきでございます。悟りが開けるのでございます。ここにご厚誼に(感謝申し上げ(、謹んでご健筆をお祈り申し上げます。弟達頓首/帰翁道兄坐前/六月初七
有略晷須俟時耽誦、啓/茅塞也。爰申/ 厚誼、敬頌/著安。弟達頓首/帰翁道兄
坐前/六月初七
「大村西崖宛廉泉書簡」(((一九一五年七月十九日
((欠頁(
東京市牛込區矢来町三番地舊殿第五十号/大村西崖殿
京都烏丸通五條南/亀利旅館 (印 ( 廉泉之印/七月十九日
封筒(表((裏(
大村西崖宛廉泉書簡翻刻七七 「大村西崖宛廉泉書簡」
(((葉書
((一九一五年七月二十日(
(表(
(裏(
東 京 市 牛 込 區 矢 来 町 三 番 地 / 舊 殿 第 五 十 号 / 大 村 西
崖殿/京都烏丸通五條南/亀利旅館寄
[小書窪田先生亦宜来/此一觀、此難得之/機縁也]
昨 寄 一 書、 不 知 電 報 是 / 先 生 所 寄 否。 尚 不 明 白、 悵
惘。 此 次 所 / 携 扇 面、 真 海 内 劇 蹟。 自 到 京 都、 因 酷
/ 暑 謝 客。 惟 江 上 瓊 山 君 毎 日 必 来 展 觀 百 / 枚、 研 究
書 画、 踊 躍 歓 喜、 生 平 第 一 次 見 / 此 珎 品。 其 中 四 王
呉 惲 尤 為 小 萬 柳 堂 一 家 之 / 秘 蔵 也。
[小書除江上君外無第/二人全部展觀者]
先 生 与 正 木 校 長 能 / 枉 臨、
畫 一 日 之 力 展 觀 一 過、 亦 足 自 豪 矣。 此 上 / 大 村 西 崖
殿
廉泉 七月二十日
窪田先生もこちらへお出でになり、一度ご覧になるほうが宜しい。(実に(得難い機縁でございます。昨日は手紙一通を(先生宛に(出しました。電報は先生が出したものかどうか、わからずに悩んでおります。この度携えてきた扇面はまことに世に珍しいもので、京都に来てから、酷暑のため来客を断ってきたのですが、江上瓊山君だけは、毎日必ず書画を一〇〇枚ずつ鑑賞、研究しにきております。(彼は(歓喜雀躍して、こんな珍しいものは生まれて初めて目にすると仰います。中でも、四王呉惲(の作品(はとくに小萬柳堂一家の秘蔵であり、江上君以外に、全部展観した人はおりません。(もし(先生と正木校長がお越しくださり、一日かけて一度展観してくだされば、(私は(十分誇りに思えることでしょう。敬具大村西崖殿廉泉七月二十日美術研究四二五号
78
七八
「大村西崖宛廉泉書簡」
(((葉書
((一九一五年七月二十三日(
(表(
東 京 市 牛 込 區 矢 来 町 / 三 番 地 舊 殿 第 五 十 号 / 大 村 西
崖殿/京都亀利寄/七月廿三日
手教敬悉。/公与正木校長将/入洛展觀書画、僕/甚歓迎。日夜翹企/以待。除扇面外可/觀者正多也。江上/瓊山翁毎日必冒暑/揮汗来見、觀扇面百/枚。謂於南画獲益/不浅、全部展觀者、/京都未有第二人也。/大村西崖殿/弟廉泉頓首/寒緑先生乞約同来佇望 お手紙で先生が正木校長と京都にいらっしゃって書画を展観してくださることを伺いました。僕は大いに歓迎いたします。日夜鶴首してお待ち申し上げております。扇面のほかにも、展観すべきものが実に多いです。江上瓊山氏は毎日必ず来て、暑さの中を、汗を拭きながら扇面を百枚ずつ展観し、南画において益するところ大であるとおっしゃいます。(扇面(を全部展観した者は、京都では氏しかおりません。大村西崖殿弟廉泉頓首寒緑先生もお誘いして一緒にご覧になることをお願い申し上げます。
(裏(裏面欠損
大村西崖宛廉泉書簡翻刻七九 「大村西崖宛廉泉書簡」
(((葉書
((一九一五年八月二十二日(
(表(
(裏(
東 京 市 牛 込 區 矢 来 町 / 三 番 地 舊 殿 第 五 十 号 / 大 村 西
崖殿/京都亀利寄
阿部房次郎/欲購扇面五十/三枚。謂尚有一/千枚、於全部無/傷云々。僕以扇/面目録既流傳/于世、一枚不得分/割拒之。此報/大村先生執事/南湖/八月廿二日
(廉泉写真 ( 南湖居士 廉泉
阿部房次郎氏が扇面五十三枚を購入しようとしておられます。(そうすれば、(まだ千枚あるので、(コレクション(の全体には影響がないなどとおっしゃいます。私は扇面の目録はすでに世に伝わっているので、一枚でも分割することができないと言って断りました。ここにご報告申し上げます。大村先生執事南湖八月廿二日美術研究四二五号
80
八〇
「大村西崖宛廉泉書簡」
(((葉書
((一九一五年八月十一日(
(表(
(裏( 東京市牛込區矢来町三番地/舊殿第五十号/大村西崖殿/京都亀利館寄
昨寄一書計當達/
[平出]覧扇面全部擬在京都編輯、
次 / 第 出 版。 月 刊 二 冊、 毎 冊 十 二 枚。 有 人 願 / 送 版
権 金、 承 辦 此 事、
[小書鄙意]又 欲 自 / 辦 月 刊、 与
文 明 書 局
[小書因上海印刷不精故在此再版]商 定、
即 日 出 / 版。 此 報 / 大 村 先 生 執 事 泉 再 拜 / 八 月 十
一日
昨日手紙一通を出しましたが、すでに届いていることと存じます。扇面は全部京都で編集し、逐次出版する運びになりました。(具体的には(月に二冊刊行し、一冊に十二枚(の扇面を掲載します(。版権の費用を出してこれを引き受けようとする人がおりますが、私はまた自分で月刊を創刊しよう(とも考えています(。文明書局と相談してすぐに出版しようと考えております。(上海の印刷は粗雑なため、ここで再版する予定です(。ここにご報告申し上げます。大村先生執事泉再拝八月十一日
大村西崖宛廉泉書簡翻刻八一 謹啓私は最近扇面大観を印刷し、同好の諸君に見てもらいたいのですが、小林製版は審美書院ほど作りが精良ではないため、遅々として予約券を発行するのを躊躇しておりました。今朝に葉書一枚を出してこの件を報告したばかりなのですが、午後に家内より手紙が届き、ここで扇面を印刷することに賛成してくれません。(家内が(謂うには、このことは、一、二年間の時間をかけなければ終えることができず、(私は(一人で異国に滞在し、言葉が通じなく、行動も不自由であるため、おそらくは一時の興に乗じたことでしょうから、時間が経つにつれ必ず後悔すると。また、私は商人ではないので、扇面の出版、販売もかなり難しいだろうと謂います。それよりも、上海に戻って、文明書局で数百部を印刷し、人に託してここで販売するほうが宜しいなどと妻が謂います。(妻の(その言葉もきわめて真摯な気持ちによるもので、私はこれで(本件を(じっくり時間をかけて考えたいと思います。ただ文明書局が印刷する扇面は、粗雑すぎて私は甚だこれを遺憾に思っている故、ここで印刷しなおしたいと存じます。三〇〇部を印刷すれば、貴国で販売するのは難しくないでしょう。言うまでもなく、この画帖の出版は、必ずや美術家たちに歓迎されるでしょう。また、妻の手紙では、書画(販売(依頼の件を早く解決してほしいと言っております。彼女は貴校の計画に賛成しております。もし十万金の値を付けることができれば、扇面以外の作品、たとえば王建章の作品全部、南唐澄清堂帖、明清の掛幅、董其昌の小楷史記等については、貴校に寄贈し、別に費用は受け取りません。
謹粛者。
[小書泉]近日擬印刷扇面大観。
以公同好。只因小林製版。不及/審美書
院之精美。以此遅々預約券未敢發表。今
晨尚寄一片/報告此事。不料午後接拙荊
来書。不以泉在此印刷扇面為然。/謂此
事非一二年不能了。 獨客異郷。 言語未通。
行動不能自由。 恐/一時高興。 久必自悔。
且謂我非賣買人。扇面出版、寄售亦頗不
易。不/如回上海。在文明書局印刷数百
部。託人在此寄售云々。其言亦出於至/
情。
[小書泉]可 藉 以 従 長 計 議。 惟 文
明 書 局 所 印 扇 面。 太 不 精 良。
[小書泉]甚 憾 / 之。 故 欲 在 此 重 印。 預 計 三 百 部。
貴邦不難銷售。此帖出版。必大為美/術
家 所 歓 迎。 不 待 言 也。 又
[小書拙荊]来書。欲速了書画付託之事。其意極賛/
成 貴校之計畫。謂能得十萬金。扇面以
外之劇蹟。如王建章全部。/南唐澄清堂
帖。明清之挂幅。董其昌小楷史記等。願
捐贈於/貴校。 不
叧取價。
[割書扇面全部。必須作價十萬金/其餘送贈。一銭不受。]
拙荊之意如此。用特直陳。乞/轉商 正
木校長。可否照辦。賜示為幸。 廉泉
「大村西崖宛廉泉書簡」(((一九一五年八月二十一日
(
美術研究四二五号
82
八二
東京市牛込區矢来町三番地舊殿第五十号/大村西崖殿
京都烏丸通五條南/亀利旅館 南湖/八月廿一日
封筒(表((裏(
再拜/大村西崖殿 八月廿一日
扇面全部、必ず十万金の値を付ければ、その他は寄贈し、一銭も受け取りません。妻はこのように考えております。(こうして私が(正直に申し上げます。正木校長とご相談なさるようお願い申し上げます。その通りにしていただけるかどうか、ご教示いただければ幸いです。廉泉再拝/大村西崖殿八月廿一日
大村西崖宛廉泉書簡翻刻八三 (この度将来した(書画をバラバラで売るなら、すべて売却することは難しくないと存じます。しかし私は(このような形で(軽々しく国宝を手放す勇気はございません。ゆえに値段の打診をする人がいれば、バラバラで売ることができないと断ってまいりました。私の微々たる苦心は、ただ先生と正木校長だけがわかってくださいます。二十二日のお手紙を拝読し、先生の真摯なお気持ちとお言葉に深く感激しております。私は(この頃(連日家から手紙が届き、妻芝瑛は長らく病気を患い、まだ治らないので、書画を譲る件を早く片付け、麦美徳女史の北京女子大學の建築費として寄付したいと考えております。(妻は(先生と正木校長の計画に大変賛同しており、私が遠い異国で扇面を印刷することに極力反対しています。このことを成就させるよう、引き続きご助力賜りたく存じます。ことがより速く進めば、なお有り難く存じます。妻の病状では女子学校の建築が完成するのを見られないのではないかと心配しております。(この件が(滞れば、私は果てしない哀痛を抱くことになるでしょう。手紙を見て、すぐに国に妻の病状を見に帰りたくなり、後日また東京に来て先生と(書画の(ことを相談したいと思ったのですが、本日また家からの手紙が届き、芝瑛はお二人のおっしゃる通りに決めようと申しております。貴校が前に相談した通りに進めてくだされば、正木校長と先生のご意思に従おうと(芝瑛が(申し、また公益事業を遅らせないためにも、私に値段にこだわることのないようにとも申しております。もし貴学におかれまして、この件が目的に達するのが難しいとご判断な
( 一 ( 書 画 若 零 星 出 售 篋 中 清 品 不 / 難 一
散而盡泉不敢軽棄国寶/故有問價者輒以
不 能 分 售 拒 之 / 區 々 苦 心 惟 /
[平出]先
生与正木校長能知之也
頌 奉 廿 二 日 /
[平出]恵 翰 情 真 語 摯、 感
激 涕 零。
[小書泉]連 日 接 / 家 書
[小書芝瑛]
因 久 病 未 愈、 欲 速 了 書 画 付 託 /
之事、助麦美徳北京女子大學之建築。/
頗 賛 成 /
[平出]先 生 与 正 木 校 長 之 計 畫
[添書極不以我遠適異國印刷扇面為然]
、
望始終玉成、/能速尤感。恐病體不能親
見 女 學 之 成、 / 一 遅 誤
[小書泉]即 抱
無 涯 之 戚 也。
[小書泉]接 此 信、 / 本
擬速帰、 看病氣如何再来東京与/
[改頁] 「大村西崖宛廉泉書簡」(((一九一五年八月二十三日
(
美術研究四二五号
84
八四
(二 ((写真 ( 寫東游草之藤田緑子
先 生 籌 商 此 事。 今 日 又 接 家 書、
[小書芝瑛]
顧 / 以 両 言 而 決 貴 校 能 照 前 議 辦
理 惟 /
[平出]正 木 校 長 与 /
[平出]先
生之命是聴。属泉勿争論價値、致/誤公
益。 若 貴校預料此事難達目/的、則
書画全部由泉直送北京、 捐贈麦/氏女學。
或留或賣、 聴伊自由。
[小書芝瑛]心願
/已了、雖死無憾云々。用特密陳。 即
頌/大村先生安和 廉泉再拜 八月廿
三夜
さるならば、書画のすべてを私が直接に北京に送り、麦氏の女子学校に寄贈し、保存するか、売却するかについては、彼女の自由に任せ、(そうすれば、(芝瑛の願いが果たされ、本人が死んでも悔いはないと言っております。このことをとくに内密に申し上げます。大村先生のご清祥をここにお祈り申し上げます。廉泉再拝八月廿三日夜(写真(東游草を写してくれた藤田緑子氏
大村西崖宛廉泉書簡翻刻八五
東京市牛込區矢来町三番地舊殿五十号/大村西崖殿 京都烏丸通五條南/亀利旅館 南湖/八月廿三 夜
封筒(表((裏(
美術研究四二五号
86
八六
「大村西崖宛廉泉書簡」
(((写真入り葉書
((一九一五年八月二十四日(
(表(
(裏( 東京市牛込區矢来町三番地舊殿第五十號/大村西崖殿/有馬暫止之客/八月廿四日十地聲音羯鼓催夕嵐生/處認銀臺足心酸澀無人/會又上懸崖蹋一回/委心物外容疎放潛察人/情釋愛蹎沓石懸流成獨/適浮雲一片是閑身/自題鼓瀧濯足圖二首/丙辰七月南湖(印刷(拜感/避暑有馬。坐我風泉/松壑間、不知今日所居/是何世界也。楞嚴曰、/暫止便去、善哉々々。/粛頌/萬福不宣泉再拜
南湖居士鼓瀧濯足圖
(写真( 拝啓(僕は(有馬にて避暑の日々を送っております。風や泉の流れ、松壑の間に座っていると、今やどんな世界にいるのかを忘れてしまいます。楞嚴経曰く、暫らく止まり、すぐ去っていくのも、善きかな善きかな。謹んでご多幸をお祈り申し上げます。泉再拝敬具
大村西崖宛廉泉書簡翻刻八七 ご教示いただきまして、喜びと感激の気持ちがこみ上げ、言葉にもなりません。先生が世外人(私(の真の知己でいらっしゃいます。書画について真の識見と愛好をお持ちなのもただ先生一人のみでございます。扇面のすべてが私の手に入ってから、これまでその全貌を目にしたのもただ先生と正木校長、江上瓊山の三人だけにすぎません。我が国においても、(書画が(廉氏の家宝であることはみな知っておりますが、これを全部目にした人はまだ一人もおりません。南北の時勢が惨澹としており、人の世の変化は計り知ることができませんし、私の子供はみな好古の考えを持っておりません。家宝を代々守るのはきわめて困難であり、政府にも託すことはできません。如何いたしましょうか。中村(不折(は未だ旅行から帰っておらず、寺崎(廣業(は病気のためことわってきましたが、青萍(末
松謙澄(、恬斎(近藤廉平(、白岩(龍平(の諸君は皆お見えになります。一酔を期待できましょう。/五月六日南湖再拝/知心居士閣下
辱教欣感交集、 不知所以為詞。/
[平出]先 生 為
[小書世外人]之 真 知 己。 於 書
画 有 / 真 識 与 真 好 者 亦 惟 /
[平出]先 生
一人而已。扇面全部自落吾/手、至今得
全 部 寓 目 者、 亦 只 /
[平出]先 生 与 正 木
校長、江上瓊山三人而/已。至[小書
敝 ] 國 中、 雖 人 々
[添書知]為 廉 氏 家
寶、/得全部寓目者、尚無一人。南北風
/雲惨淡、 世變不可知。吾
[小書児女]皆無好/古之思想。家寶萬難世守、政府
/又無可付託。 奈何。 中村旅行未/帰、
寺崎以病気辞。青萍、恬/斎、白岩諸賢
皆到可一酔也。/五月六日 南湖再拝/
知心居士閣下
「大村西崖宛廉泉書簡」(0(同封に滄州張繼の名刺
((一九一八年五月六日(
美術研究四二五号
88
八八
牛込區矢来町三番地字舊殿十二号/大邨西厓殿
東 京 小 石 川 區 下 町 六 十 五 番 地 / 美 術 扇 面 館( 印 刷 ( / 五 月 六 日 南湖
封筒(表((裏( 張繼/滄州 名刺
大村西崖宛廉泉書簡翻刻八九 拝啓春暖の候、ますますご健勝のことをお祈り申し上げます。私は療養のためにこちらに来て、あっという間に半年が経ちました。春に病床に臥すことになり、今は少し良くなりましたが、今月中にまた西へ(国に(帰ることになります。妻が小さな横額を郵送してきましたので、(そのうちの(一枚を謹んで先生に差し上げます。ご教示賜りますよう、お願い申し上げます。(すべての同好諸賢に一枚ずつ差し上げており、この四文
字は先生に一笑に付していただくにはもっとも宜しうござ
います(不尽馳依/三月三十日廉泉再拝/大邨先生執事
敬啓者。春暄日加、道履定安健。至/為 企 頌。
[小書泉]来 東 養 痾、 忽 々 半 載
/一春臥蓐今少々愈、 下月内又将/西帰。
[小書拙荊]
寄到小横額奉贈一/幅乞賜
教正
[添書凡同好諸賢皆分贈一枚為記念。此四字於先生為最宜一笑]
。 不 盡 馳 依 / 三
月三十日 廉泉再拝/大邨先生執事
「大村西崖宛廉泉書簡」(((一九一八年三月三十日
(
美術研究四二五号
90
九〇
市内牛込區矢来町三番地舊殿十二/大邨西崖殿
東京小石川區下町六十五番地/美術扇面館
(印刷(/廉泉
封筒(表((裏(
画禅詞味/芝瑛
大村西崖宛廉泉書簡翻刻九一 謹啓四月廿四日午后五時謹んで御光臨をお待ちしております。廉泉拝訂席は中華第一楼に設けました。
謹啓 於四月廿四日午后五時、潔尊候/
[平出]
光 廉泉拜訂/席設中華第一楼
「大村西崖宛廉泉書簡」(((一九一八年四月二十二日
(
市内牛込區矢来町三番地字舊殿第十二号/大邨西厓殿
東 京 小 石 川 區 下 町 六 十 五 番 地 / 美 術 扇 面 館
(印刷(/ 四 月 廿 二 日/南湖居士
(印( 封筒(表((裏(
美術研究四二五号
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春江南に盡き柳枝を歌う關山戎馬羽書を馳せる浮雲西北重ねて回首し落々天地誰と語るを欲せん青燈韮を翦 きり吟魂を蕩 とろかし王謝の風流今尚存す邊愁酒杯に入ること莫く三山ただ一重の門を隔てるのみ毎 つねに同輩から詩客と称されるを慙 はじ却って機を忘れ、佛心に近づくことを喜ぶ極目滄桑して春又老け玉纎扶醉して一沈吟す勝日に壺觴を交わせば主賓を忘れ飄零たる白袷風塵を尚 たっとぶ酒闌けても頽唐の態をせず蠅頭の小字で洛神の賦を寫すこの度、青萍子の三教思想の研究を贈っていただき、知心居士もまた密教篇を刊行する予定です。謹んで五月六日午后六時に餞春の雅集を設けました。謹んでご光臨をお待ち申し上げます。喜んで絶句四首を作りました、これを奉呈申し上げ、ご教示いただきたく存じます。この日は歴朝書画名跡数点を持参し、来賓の皆さまを喜ばせ、諾否の鑑定をしていただきたく存じますが、如何でしょうか。お時間のある時にお答えくだされば幸いです。知心居士執事廉泉拝訂この日の席は麹町区三年町二番地、王鴻年氏の家に設けることにしました。この日の客は正木校長、近藤男(爵(、末松子(爵(、香
春盡江南唱柳枝、關山戎馬羽書馳。浮/ 雲西北重回首、落々乾坤欲語誰。/青燈 翦韮蕩吟魂、王謝風流今尚存。莫放邊/ 愁入杯酒、三山只隔一重門。/毎慙同輩 称詩客、 却喜忘機近佛心。
[割書青萍子此三教思想/研究見貺知心居士亦/将有
密教/篇之刊行]
/ 極 目 滄 桑 春 又 老、 玉
纎扶醉一沈吟。/勝日壺觴忘主賓、飄零
白袷尚風塵。酒闌不作頽唐/態、小字蠅
頭 寫 洛 神。 / 謹 詹 於 五 月 六 日 午 后 六 時、
餞春雅集、潔尊候/光臨。欣賦四絶奉呈
/粲正是日携歴朝書画名跡数點娯我/嘉
賓 伏 乞 /
[平出]審 定 諾 否、 如 何。 煩 零
簡回答。/知心居士執事 廉泉拜訂/是
日 席 設 麹 町 區 三 年 町 二 番 地 王 鴻 年 家 /
[小書是日座客為正木校長、近藤男、末
松子、/香國仙史、白岩子雲、山本二峯及
章公/使王鴻年秘書也。望/先生轉約校長
偕臨、慶幸何似。] 「大村西崖宛廉泉書簡」
(((一九一八年五月二日
(
大村西崖宛廉泉書簡翻刻九三
上野/東京美術學校/大村西崖殿/速達 東 京 小 石 川 區 下 町 六 十 五 番 地 / 美 術 扇 面 館( 印 刷 ( / 五 月 二 日 廉泉
封筒(表((裏( 國仙史、白岩子雲、山本二峯および章公使、王鴻年秘書であります。先生に(私の(代わりに(正木(校長をお誘いいただき、先生と一緒にお越しいただければこれ以上幸いなことはございません。
美術研究四二五号
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九四
私の手紙にあった翌日の晩餐会にご出席くだされば、嬉しく思います。末松、近藤、白岩の諸氏はみな必ず出席します。中村、寺崎の両画伯も、私が手紙でお招きしました。ただ、ご出席いただく時間があるかどうかわかりません。正木校長はこの日に用事があってご出席できないのはまことに残念であり、またの日にもう一度ご招待し、歓談しても良いと存じます。この真摯な気持ちを代わりにお伝えいただけますよう、お願い申し上げます。清の皇室所蔵の扇冊二点、書も画もきわめて素晴らしいものを、この日に王秘書の家に持参し、先生に鑑定していただき、またの日に(これを(正木校長にもご覧いただこうと思っております。石田(沈周(の青緑山水は、(ここ(数十年でこの一点しか見たことがありません。石田と同時代の姚雲東の画(のうち(で、扇帖はもっとも得難いものであります。(持参してきた(中に一点あり、(これも(また絶品です。八大山人の一点もまた絶妙です。上海新聞は僕の王将軍へのお返事の書簡および花見の詩を掲載してくれたので、同封し、ご笑覧いただければと存じます。僕の気持ちがおわかりでしょう。我が国の(今の(惨状を思えば、将軍も兵士も共倒れしているさまです。これ以上何を言おうか、これ以上何を言おうか。貴国は今や朝野ともに支那南北の戦乱を注目しており、(おそらく(扇面を展覧する件について話し合うような気持ちの余裕もないでしょう。私も外遊に疲れており、即時に扇面を携えて国に帰り、隠居することを計画しています。先生は私の知己であるゆえ、胸の内を明かしたのですが、他の人に語るには及びません。知心居士
辱手帖、翌日晩餐枉臨/欣感曷堪。末松 近藤白岩/諸賢皆必到。中邨寺崎両画/ 伯
[小書僕]曾 専 函 奉 約、 不 知 得 / 寸
暇偕臨否乎。 正木校長是/日有事、不
克枉臨、實為憾事。/他日再招飲一叙亦
可也。乞代致/惓々之意。前清皇室蔵扇
冊 / 二 枚 書 画 極 精 是 日 携 至 王 祕 / 書 家
乞 /
[平出]先 生 審 定。 他 日 當 再 呈 正 木
校 / 長 一 觀 也。 /
[割書石田青緑山水数十年中只見此一枚耳/与石田同時之姚雲
東画最難得扇帖/中有一枚亦絶品也/八大
山人一枚亦妙]
/ 上 海 新 聞 将
[小書僕]答
「大村西崖宛廉泉書簡」(((一九一八年五月五日
(
大村西崖宛廉泉書簡翻刻九五
王 将 軍 書 及 看 櫻 花 詩 掲 / 載、 附 上 一 笑。
[小書僕]
之 情 緒 可 / 知 矣。 懐 孔 棘 於
宗 邦、 猿
隺/ 蟲 沙 同 帰 於 盡、 尚 何 言 哉、
/尚何言哉。貴国朝野現方/注意支那南
北擾々情状亦/無閑情逸致再談扇面展/
覧 之 事、
[小書僕]亦 倦 遊、 擬 即 載 /
寶 而 帰、 為 入
[添書山]必 深 入 林 必 密
/ 之 計 畫。 先 生 為
[小書僕]之 知 己 /
故一吐胸臆、不足為外人道也。/知心居
士足下 世外人/戊午五月五日
足下世外人/戊午五月五日美術研究四二五号
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東京牛込區矢来町三番地字舊殿十二号/大邨西厓殿
(速達(翌 晩 特 備 紹 興 酒 可 相 与 痛 飲 / 三 十 年 前 之 酒 託 章 公 使 特 備 非 市 上 所 有 也 / 東 京 小 石 川 區 下 町 六 十 五 番 地 / 美 術 扇 面 館
(印刷(/ 五月五日 南湖
封筒(表((裏(
明晩は特別に紹興酒を用意しましたので、ご一緒に痛飲しましょう。(これは(三十年前のお酒で、章公使にお願いして特別にしつらえたもので、一般に出回っているものではありません。/東京小石川区下町六十五番地/美術扇面館(印刷(/五月五日南湖
大村西崖宛廉泉書簡翻刻九七