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新資料 紀州東照宮の服飾類 上―紀州東照宮服飾 類調査報告 一―

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新資料 紀州東照宮の服飾類 上―紀州東照宮服飾 類調査報告 一―

著者 神谷 榮子

雑誌名 美術研究

号 306

ページ 27‑37

発行年 1977‑03‑31

URL http://id.nii.ac.jp/1440/00006429/

Creative Commons : 表示 ‑ 非営利 ‑ 改変禁止

http://creativecommons.org/licenses/by‑nc‑nd/3.0/deed.ja

(2)

新資料

紀 州

.. 一 は じ め に 二 紀 州 東 照 宮 蔵 服 飾 類 の 伝 来 概 要 三 各 服 飾 品 の 概 観 伝来別グループ

A  B 

C (

以上本号

掲載)

むすぴ

はじめに

東 照 宮 の

B 反 飾 類

和歌山市和歌浦の紀州東照宮に所蔵される服飾類は︑これまでは殆ど

i

l 紀州東照宮服飾類調査報告

人に知られていなかった︒そのうちの一部が虫干しを兼ねて正月数日間

境内の建物内に展示される程度であったそうである︒

その巾の一領﹁葵紋付 小紋胴服(実際は小袖であ

ったどが︑曾って石

紀 州 東 照 宮 の 服

飾 類

λ 、 , : : '口'

川県美術館で開催された﹁家康と近世繁明展﹂に出陳されていたことを

後日知り︑昭和四十九年十月その調査の機を得て現地に赴いた︒その折

に︑他にも保存がよく仕立も当初のままの︑年代は江戸初頭を下らない

服飾品が多数蔵されていることを知ったのである︒宮司西川秀紀氏の御

厚意によって︑その後同年十一月︑昭和五十年四月 ︑昭和五十一年

三 月

の四回にわたってこれらの服飾品全部を概略調査させていただき︑撮影

も主要なものの約半数は行うことができた︒それぞれの服飾品に関する

精査︑撮影には以後相当数の回を重ねることが予想されるが︑昭和五十

年五月奈良に於ける第二十八回美術史学会全国大会の口頭発表に次い

で︑ここにその全貌を紹介したいと考える︒

紀州東照宮蔵服飾類の伝来概要

紀州東照宮は︑紀州藩祖の徳川頼宣︿徳川家康第十子︑議町長詳 J によって元和七年 QSC 南海道の総鎮護として創建された ︒ ここに蔵さ れる服飾類は伝来に五つの種類があるので︑それらを A ︑ B ︑ c ︑ D ︑

6 5  

二 七

(3)

a f 

μ h

'ι 74 e 

ワh

7 1 .  

r 、 、

T J

E

に 分 け て 概 要 を 述 べ る こ と と す る

徳川家康所川口仰を紀州初代藩主徳川頼宣が東照宮に寄附した(記 録年月不詳と台帳にある﹀と伝えられているもの︒黒砲︑

袖 地 羽

I I i  

唐草絞りて白小袖︿地羽二重﹀︑小袖ハ地羽二重︑葵紋付宝尽し小紋﹀︑

( 赤 地 絹 黄 縞 ) ︑

表 袴

冬裾︑夏単︑ 冬胴服(冬御相と附紙がある)︑夏半

︑ 冬 下 襲

︑ 冠

︑ 勿

︑ 石 帯

︑ 議

︑ 沓 以 上 十 六 点

B

徳 川 将 軍 家 よ り の 拝 領 品 を 明 治 四 年 五 月 に 紀 州 旧 藩 主 の 正 二 位 徳 川 保 釈

( A

M t

i 明一位九)が東照宮に寄附したと伝えられるもの

綾地絹葵紋付﹀︑能狩衣ハ朋黄縞子︑金糸にて葵紋付﹀︑半管ハ唐織﹀︑腰帯

︿白紗綾葵紋付)

以 上 四 点

な お

︑ 伝 来 は こ の B

に 属 す る も の で 茶 室 四 口 が あ る

︒ う ち 二 口 の 焼 は 唐 物

︑ 二 円 の 焼 は 朝 鮮 と い わ れ て お り

︑ そ れ ら 四 口 に は 何 れ に も 牡 汁 唐 草 文 の 金 華 山 で 仕 立 て た 口 覆 い が あ る

︒ この

金 華 山 の 裂 は 文 様 や 地 質 等 か ら 見 て 近 世 初 期 の 舶 載 品 と 見 倣 さ れ

︑ 格 調

高 い 優 口 問 で あ る ︒

た だ 本 題 が 服 飾 類 と し た も の で あ る た め に

︑ こ の

B の

項 で は 扱 わ ず

︑ 最 後 の

つ むすび

L

で染織品として紹介することにした︒

A ︑ B の服飾品名称と品質・形状の説明・順序は︑明治四十一年十二月

に︑県社東照宮社務所で記載されたことが表紙に明記してある﹁神社財産登

録台帳(本簿どに依った ︒

な お

︑ A ︑ B に属するものは︑束帯一式の中の冠︑勿︑沓は各々当初のも

のと思われる蒔絵等の箱に入れられて伝えられているが︑他の衣料はすでに

明治四十一年の時点で︑当初の衣料箱や比較的早い時期に作られたであろう

衣料箱︿挿図 1 ︑ 2 ﹀に適当に納められていたようである︒それは束帯の装

二八

束︑能装束︑小袖︑小袴が分類されることなく台帳に記載されており︑また

台帳の下段記入欄に記されている各々の納入箱名称からも窺われる ︒ C 

徳 川 家 康 か ら の 拝 領 品 と し て 藩 士 渥 美 家 に 伝 え ら れ て い た 甲 胃 類 ( 宵 黒塗六十四問 l 別称信家作 l ︑ 頬当鉄錆猿頬 l 国近作 l ︑

日 行

面 頬

l

一 口 同 義作

ー ︑胴黒 塗小 札花色 ス カケ威 l 信家作 │ ︑ 大袖黒塗小札花色糸威 │宗佳

作 ︑

1 1

輪同断!宗低作 l ︑ 小子左右南蛮鎖家地蝦夷錦│作者不詳︑ 側楯革小札家地蝦 夷錦 l 作者不詳 l ︑ マンチラ五星革裏地茶椴子服当中楯上ケ黒塗家地蝦夷錦│

作者不詳 l

﹀ と 共 に あ っ た 革 羽 織 一 領 で

︑ 明 治 二 十 年 四 月 に 渥

小 源 吾 が 県 社 南 龍 神 社 に 寄 附 し た

南龍神社は後に東照宮に合記されたので︑

こ れ ら は 東 照 宮 所 蔵 と な っ た

徳川頼出

n

一 所川の即'宵等(胃頭形県塗綴白柏

引廻シ

和糸後立物鍬形

熊 頬当猿頬黒塗 龍子左右織旧小手 家地黒縞子 スカケ花色糸 胴黒塗

矢筈頭縫延 花色糸成 侃楯朱塗菱縫花色来 家地黒縞子 臨当篠朱鍍黒塗

亀叩紫糸 家地黒天驚紙 一

M f 地紙金﹀と共に鈴植の中に一包にして紀州徳 T 川家に伝えられて来た戦陣則衣類︑即ち羽織二(赤地唐織︑高宮麻﹀︑下着

六(表論

f T

裏 紅

晒茶小紋葵ノ葉散シ︑ 晒腰ヨリ上ククシ葵紋散シ股ヨリ下薄

柿割菱散シ︑晒牡丹盾草小紋柿染︑附浅黄小紋︑晒浅黄襟稲子 ) ︑

ウ チ カ 井 紫 ク ン ケ ン 単

︑ 襟

巻三(自給子両面二︑緋紗綾ケシ縮緬一﹀

︑ 股 引

三(浅黄紗

綾縮緬︑高宮縞︑紅羽二重両面)︑頭巾(浅黄羽二重 )

︑ 上 帯

( 紗

絞 ﹀

︑ 忍 ノ 緒 ( 紗

綾﹀︑白袋九(紫地金摺込﹀の以上二十七点が明治九年三月︑

旧 議 主 の 徳 川 茂 承 よ り 鎧 橿 ご と 甲 胃 類 と 共 に 県 社 南 龍 神 社 に 寄 附 さ れ た

︒ C グルー プ

の も の と 同 様

︑ 南 龍 神 社 は 後 に 東 照 宮 に 合 配 さ れ た の で

(4)

らは東照宮の所蔵になった

︒ これら D グループは頼宣大坂仰所川口山と伝

えられている

c c ︑ D の服飾品等の名称と品質・形状の説明・順序は︑内科欄に明治四十

二年六月二日に記載が明記の︑表紙には﹁海草郡和歌浦町字凶ノ浜千三百壱番地

南龍神社﹂とあるつ神社財産登録申請書 L の本簿に依った ︒

県 社

つり

和歌祭祭離別舞楽荻束で︑

和歌祭は紀州点照宮建立の元利七年か ら今日に至るまで毎年五月十七

u

に行われており︑紀州束照宮政﹁来照

社縁起 ﹂

︿ 全 五 を

住と川広通筆﹀の第五巻にも和歌祭における舛楽関(三

O 八号図版︑抑凶掲棋予定﹀が見られる︒現にこれらの舞楽装束は和歌山京

に使用されており︑損傷部分に哀から当て裂して補修したもの︑損傷部 分を除いて︑同種類の二・三領を接ぎ合わせて一村山としたものなど︑実 川に供されて来た舞楽装束の活川の様子がん

f H

に伝えられている感が深

い c

勿 論

︑ 後世乃至は近年新調

・補充されたことの明らかなものが数

あ る

が ︑

少くとも文様等には古械が伝えられており︑

中には一冗和七年の

建立当初の装束や補填裂などが幾っか残っているのではないかと忠われ る資料が次のようにある

砲 左方(赤色)七領︑右方全日色﹀二領の計九領

下 襲

トぶ万(赤色)二領︑右方(青色﹀二領の計四領 ︒

半 管

左 万

戸 赤

色 ﹀

一鋭︑右万全日色)三鎖の計四鎖 ︒

工 b i 糸 L 靴

叩~;

t f i t   : ?

左 一 足

j

足 心

赤 色

一頭︑右方(青色﹀ 一頭の計二頭︒

紀 州 東 照 宮 の 服 飾 類

石帯

左 方

( 赤

色 ﹀

一条︑右方(古色﹀ 一条の計二条︒

総計二十三点

以 上

A

十 六

点 ︑

B

四 点

C

一 点 ︑

D

二 十

七 点

E

二十三点の総計七 十一点が︑伝来の目録及び舞楽装束を一回概観しただけで算出した数で

ある ︒

頼宣の戦陣川衣類包には端裂︑くけ紐の知も多々あり︑鮮烈装束 は更に同類の山現も可能と考えられ︑この七十一点はあくまでも概数で あることをことわっておく

さて︑このような伝来概要による紀州点照穴の服飾類は名グループ別 に次のような特色が認められる

A

グループは京帯の装束と小袖及び小袴であり︑それらの形態並びに 染織史的見地から何れも江戸初頭以前のものであることが観察され社伝 通り家康所川

n 仰と見倣され︑束帯の遺品資料にこの時代まで逆るものは 現存しないので貴重である

P また小紋の小袖(凶版 V ﹀︑縞縞子の小袴(図

版 E

b ) は中でも貴重な得難い資料である

B グループは能川公点の

三点と白絞小袖で

︑これらも形態及び

染織史的 見地から江戸初頭以前のものと見倣される

萄江錦の法被ハ台帳では半

皆とな っ て い る が ﹀ ( 図 版 I ︑

川いられている金補は︑

E )

は極めて絡調の一向い仮

nm

で あ

り ︑

M 衣に ︐

註2

凶産の金欄としては現存最占の遺品であろう

C グループの革陣羽織ハ抑凶ロ)は︑写山一(でも比られるように︑出蛮 一以来の金唐草風な技法であろうか金一色に表面を塗って料かせた牛咋 に︑白い南方の植物繊維と忠われる白い総飾りをつけ︑形態は明らかに 曲線裁断の洋式であり︑縫製も洋式と南蛮様式の極めて波厚な︑すべて

67 

二 九

(5)

j

ミ 千貯

プJ

ノ、

が南蛮風に高度にまとめられた陣羽織である︒

D

グループは頼宣大坂陣出陣の折の所用品という社伝は︑服飾・染織 両面から考慮しても時代的に信溶性があり︑これらは何れも従来は遺品 資 料 が 背 無 乃 至 は 僅 少 と い っ た 種 類 の 戦 陣 用 服 飾 品 で ハ

三 O

八 号

図 版

挿 図

掲 載

予 定

﹀ ︑

今回このように多量に発見されたのは今後の研究が侠た

れる数々である︒

且つ極めて珍しい上︑高級品としても格調の高い裂地 で 作 ら れ て い る 紅 地 桃 宝 尽 し 文 様 陣 羽 織 (

三 O 八号凶版掲載 定﹀︑南蛮 F

風俗図等に屡と散見される西欧で十六世紀から十七世紀初頭にかけて盛 んに用いられた袋襟(英語でラ

72R

フランス語でフレーズ同 SZP 台帳

では襟巻となって い る ︒ )が遺品資料はロン ド

ンのヴィクトリア・アンド・

3 アルパ!ト博物館にこれまでのところ一点あるのみであったものが三領 もその中に見出されたことは驚異である

また紗綾の逃品資料はこれま では少かったところにこのグループの下着︑紐︑情等に多く凡られ︑且 つ︑従来はその裂幅のわかる遺品資料は皆無であった(片側に織耳があっ

ても片側が必ず裁自の遺品資料ばかりであった﹀

ところへ︑この絞模様が染 め出された紫紗綾帯は紗綾の裂幅一杯を川いた帯であることで紗綾の裂 一幅が判明した等︑著しい発見︑収穫の一包であった

E

グループは古い遺品資料は僅少な舞楽装束にあって︑

日光の輪王寺 に伝わる舞楽装束の年代にも匹適する遺品ではなかろうかとその貴重さ が想われる‑群である

各服飾品の概観

束帯の装束に入るもの

台帳記載順名称 il

黒 抱

︑ 表

袴 ︑

冬 裾

︑ 夏

山 午

︑ 丸

︑ 胴

服 (

冬 御

祖 の

附 紙

﹀ ︑

半皆︑冬下襲︑冠︑初︑石帯︑機︑沓││

A11

伝家康所用 黒抱(挿図 1 ﹀冬裾と共に桐製外箱︑黒漆葵紋付蒔絵内箱(挿図 1 ︑ 内箱の

大 き

さ 竪

七 八

セ ン

チ ︑

横 四

三 セ

ン チ

︑ 深

一 五

セ ン

チ ︑

葵 紋

外 径

0

・ 三

セ ン

1 一

の二重箱に納められている︒台帳にもこの二点は破損していて黒抱箱

に入組んである意が記載してあるので︑明治四十一年当時すでにこうして保

存しであ っ たようである ︒

朽損著しく拡げることは不可能︑茶色に槌色しており︑地は固地綾︑葵丸

紋と唐草が地紋に窺われる ︒ 裏は黒平絹でやはり茶色に変色している ︒ 表裂

は地は緯の三枚綾で / (右上りて文様は経の六枚綾で /

( 右

上 り

﹀ ︑

密 度

は 一

センチ聞に︑経糸は六五本前後︑緯糸は三二越前後 ︒ 裏裂の密度は一センチ

問に︑経糸は五 O 本前後︑緯糸は四八越前後 ︒

A

2 伝家康所用 黒半腎︿台帳では夏半皆﹀ 物に触れれば粉状に化す朽損状態で︑ 槌色して茶

色を呈しており︑襟や妊の剣先らしい縫目の部分が観察される ︒ 唐花七宝繋

ぎ文様の穀織(表側は経糸が浮いて文様構成﹀で︑文丈は七センチ前後︑案

間幅は七センチ︑密度は一センチ聞に︑経糸が五 O 本前後︑緯糸が一八越前

後 白

A 1 3 伝家

所用 冬下襲(図版町﹀ 白 地 唐 花 七 宝 文 田 地 綾 ( 文 丈 七 ・ 七 セ ン チ ︑

実 関

幅 八

・ 五

セ ン

チ ︑

地 は

経 の

枚 綾

/ ( 右

上 り ) ︑

文 は

緯 の

浮 織

︑ 密

度 は

一 セ

ン チ

聞 に

経 糸

は 六

四 本

前 後

︑ 緯

糸 は

O 越前後)の表裂でこれは被ハ挿図

3 V

と同文 ︒ 裏は紅平絹ハ紅

(6)

伝 家 康 所 用 の 黒 抱

(A ‑ l ) 

冬 裾

(A ‑ 4)

と納入内箱

え A

裾 j

/ ー 、

挿 伝 図 家

1

、ノ所 用 削

述 。

コ ょ っ

抱 と

J 百 し 挿図 1

伝 家康所用 能装束三点

(B ‑ l , , ‑ , 3)

納入内和

A

1 5

伝 家 康 所 用

組︿台帳では冬胴服﹀ の後染︑密度は

セ ン

チ 聞

に ︑

経糸は四六本

前後︑緯糸は三八越前後)の板引

丈 は 後 が一二三センチ(別に祉が 0

・ 五

セ ン

チ )

‑ ‑ H H H u e

︑ .

L M口品川

M 一ノセンチ(別に枇が 0

・ 五

ン チ

) ︑

桁七四センチ(別に枕が

センチ﹀︑袖幅 六・五センチ(別に枇が

センチ﹀︑袖丈八 九・五センチ

重量は五二

0

グ ラ

ム ︒

て二重箱に収められている

板引の田市

(茶色に槌色)の面が朽損著しく︑自国地

綾の面は損傷はない

拡げることは不可 能である

自国地綾は臥蝶の丸紋ハ長径

六センチ︑短径一五 ・

ニセンチ﹀が地紋 で︑地は総の三枚綾

/

ハ右上りて文は経

の三枚綾

/

上 り て 密 度 は 一 セ ン チ 間 に︑経糸は六五本前後︑総糸は三五越前

板引の黒い方は断片が附着している

挿図

2

程度で︑裂地は黒の平絹︑密度は一セン チ間に︑経糸は五

O

本前後

︑緯糸は

三八

越 前 後

紅地花唐草鳳鼠文困地綾ハ文丈二一了五センチ︑実関幅九

りて密度は一センチ間に︑ セ ‑

五ン

チ)の表裂で︑地は緯の三枚綾/ハ右上りて文は経

の六枚綾

/ハ右上

経糸は六

O

本前後︑緯糸は三二

越 前 後

︑ 裏 は 紅 平 絹

(紅

染︑密度は一センチ聞に︑経糸は四二本前後︑緯糸は四 O

越前後︑経

糸︑緯糸の

さ は

ほ ぼ

同 じ

紀 州 東 照 宮 の 服 飾 類

の板引

丈は後が一三四センチ

︑ 前 が 一 二 八 セ ン

チ︑桁七

0 ・五センチ︑袖幅三四センチ(別に祉が 0 ・五センチ)︑袖丈九 O セ

ン チ

重量は六四

0 グラム

A

6

伝 家 康 所 用

車(台帳には夏単ゾ 紅地繁菱文困地綾(文丈五・五センチ︑案間幅八・二センチ︑

菱の長径六センチ︑短径三 ・ 三センチ︑地は緯の三枚綾︑文は経の六枚綾﹀ C

丈は後 が一三一センチ︑前が一一七センチ︑桁七四センチ︑袖幅三七・五センチ︑

袖丈九

0

センチ︑裂幅四

0 センチ

重量四二

0 グラム

A

7

伝 家 康 所 用

表 袴 ( 挿

図 4

﹀白地椿唐草文凶地綾(文丈三一センチ前後︑案間幅八センチ︑地

は経の三枚綾¥ハ左上りて文は粋の六枚綾¥ハ左上りて密度は一センチ聞に︑経糸は

六 O 本前後︑緯糸は二六越前後﹀の表裂で︑裏は紅平絹(紅の後染︑密度は一セン

チ間に︑経糸は四二本前後︑緯糸は三二越前後︑経糸の方が緯糸まり細い)の板引︑

丈 は 一 O 四センチ(紐付より下方︑別に祉が 0 ・九センチ)︑腰幅五二センチ︑重 量五

00

グ ラ ム ︒

A

8

伝 家 康 所 用

︿ 挿

3

﹀白地唐花七宝文固地綾ハ文丈七・五センチ︑実間幅八センチ︑地は

経の三枚綾

/

( 右

上 り

) ︑

文は締

の 浮 織 ︑密度は一センチ聞に︑

経糸は六四本前後︑緯糸は三 O

(A‑8) 越前後)の冬下襲

と同文の裂 で

︑ 表 裏 共 裂

︑ 即 ち 無 双 仕 立 て に な っ て い る

︒ 足 部 分

の長さ三 0 センチ︑深さ二八

伝 家 康 所 用

センチ︑重量は六四グラム︒

A19

伝 家 康 所 用

石 帯

︿ 挿 図 5 a b ﹀ ︑

挿図

3

石は潟

瑠 で

︑ 八 個 の う ち 四 個 ず つ

6 9  

(7)

f

研 究

ノ、

丸制と巡方になっており何れも無文︑写真で見られるように丸納四個が中に

並び巡々は二個ずつ両側に並んでいる ︒ 幅四・六センチハ一寸五分)︑長さ七

うわて

三 センチ︑上子は四・四センチ幅で長さが七七センチ︒豆単は四九 0

グ ラ

ム ︒

A

ω

伝家康所川

一 地

( 柿

凶 6 a b ︑ ︑

¥

里一無文の紗で織が添えてある ︒ 二重箱に納められてお

チ︑捌械を挿す俸︑それを受ける本体の穴は共に四・五センチの長さ ο 重量は

挿 図

5a

伝家康 所 用 の 石 帯

(A ‑9 ) ,

~;)

(A ‑l l )

,初の袋,内箱

a ~こ

|

バlじ

, イ パl i

は-:,i~Illi 

り︑内箱は梨/丁地戸に雁の時絵ハ押凶

6 a

b ︑ ︑

c )

である ︒ 搬は川和に納めら

れ︑織の下 に 板が般かれ︑

そ の

下に ! 箱の底と板の間に

l

中火が五色の総椛

に な

っ た細長 い 裂があ っ

た (

挿 図

6 C 内 て 左 っ

端 ﹀

︒ 冠の頑凶の長径一六・五セ

ンチ︑短径(幅)一五センチ︑巾子の高さ一九センチ ︒ 綾は幅が元から四・

五センチ先よりのところが六センチ︑先端が八・三センチ︑長さは五一セン

本体だけで九七グラム ν 裂地は黒無文の紗で︑経糸二本片線れ︑密度は一セ

ンチ聞に︑経糸が一八本前後︑緯糸が七越前後 ︒ 不明の裂は︑幅が五・五セ

挿図

5b

ンチ︑長さが五三センチで︑両端が 0 ・三センチ幅の織耳のようになってい

る ︒ 黄︑緑︑黄の三色の絹系が経糸となり経五枚緒子 ︒ 中央に渡っている緯

糸(経糸との組織がない部分)は︑白︑赤茶︑濃加黄︑加茂の凶色の絹糸と平金

c  金 糸 入 制

糸の計五色︑竜なは凶 グラム である ︒

表袴

(A ー 7)

挿 図

6 a  b  c  f

.i家康所用

冠の内

f I i

,}ぱ

( A‑I 0 、 C は

nlrri),鰹,

伝家康所用 挿 図

4

(8)

冠の箱ハ挿図

6 b a ︑ ︑

c )

は梨子地に芦雁蒔絵の精円筒形である ︒ 蓋の内側に三

つ葉葵丸紋三個付︒身の高さ外法二 0

・ 五 セ ン

チ ︑ 蓋の高さ外法四センチ ︑

楕円は外法で長径二六・八センチ︑短径一八 ・八センチ ︒ 蓋内側の葵紋の径

は四・八センチ ︒ 内貼裂は雷文繋穆に牡丹文の黄椴︒箱には両側に紐を通す

ための録がつき︑長さ七三センチ(うち総九センチ)の紅紐がついている ︒ 重

量は七八五グラム ︒

A l

u

伝家康所用

勿(挿図

5 )

木勿で︑二重箱に納められており︑内箱は青貝螺銅の黒漆で(挿

図 5

︑ 大 き

さ は

幅 一

0

・ 五

セ ン

チ ︑

さ 四

八 セ

ン チ

︑ 高 さ 六

・ 五 セ ン チ ︑ 重 量 六 四 O

グラム﹀︑白平絹の袋ハ挿図

5 )

に入れて納められてある ︒

大きさは厚みが

O

‑ 七

! 0 ・八センチで幅が元が四・五センチ︑先が六・五センチ︑長さ四五

a b 

(A ‑1 2 ) , b

は 滑 り ど めのある沓底を見せる 挿 図

7ab 

伝家康所用 紀

州 京 照 宮 の 服 飾 煩

センチ ︑ 重量は九五グラム ︒

A

ー ロ 伝 家 康 所 用

沓(挿図

7 ﹀写真で見られるような革製の沓で︑南蛮風な形態が︑現存遺品資

料では唯一の極めて珍しく責重な資料である ︒ 茶色で ︑ 柔らかい牛革製︑鉄

色毛織(経糸が紫︑緯糸が渋い頑黄色)綾の裏が内側に貼つである ︒

甲 の と こ

ろで結んである紫なめし革は︑沓の中にある鼻緒ハ下駄や草履問機第一指と

第二指で挟むようになっている﹀の尖端が結びとめてあるのであ っ た D

こ の ような南蛮風な沓が束帯の装束に用いられていたことは不審にも忠われる

が︑伝来に従って束市一式として伝わり今日に残 っ ているものの部類に入れ

る D この沓の足の長さは二四・五センチ︑巾の幅は一 0 セ ン チ ( そ の 位 置

の 民

か ら 甲 を 廻 っ た 外 周 は 左 右 と も 二 九 セ ン チ ﹀

︑足

首どめは釦穴があけてあり︑直

径約七ミリの革製釦が蔽めるようになっている(足首どめ の

位 置 の 外 周 は

左 右

三 五

セ ン チヨ持底に滑りどめの凸状粒が加工してある(底革の表皮は 一 枚 が

紫 っ

て お

り ︑

中に版めこんだ粧状のものの部分の革が仲びて突き山ている ︒

そ の 杭 状 の 滑 り ど め は 右 が

三 二

個 ︑

左 が

二 九 個 )

︒ 重量は一足で二一 0 グラム ( 右

一 O 五

グ ラ

ム 強

左 が 一 O

四 グ ラ ム

縫い庁は 二 強 ) ミリ弱の極めて揃 た針目の返 っ 口 ︑

えし縫いになっている ︒

この沓は左右をそれ守れ半たく畳むようにし︑白平絹の中仕切りのある袋

に左右をそれぞれ分けて入れ︑更にそれを桐製 二

電箱ハ

二 竜 箱 の 外箱は薄く漆

が 塗

てある茶褐色﹀に納めて伝えられて来た ︒

束 帯 の 装 束 以 外 の も の

台帳記載順名称

1 1

小袖(地羽 1 二

重 ︑

山 田

絞 り

て 白 小 袖 ( 地 羽

二 重 )

︑ 小 袖

( 地

二 重

︑ 葵

紋 付

宝 尽

し 小

紋 )

︑ 小

山 門

( 卜

砂 地

利 黄

縞 ﹀

A l u

伝家康所用

浅 葱 地 宝 尽 し 小 紋 小 袖 ( 凶

版 台帳では宝尽し小紋小袖) V

設4

綿 入

れ で

丈 三 六

・ 五七センチハ別に祉が 0 ・ 五センチ) ︑桁六

一センチハ別に袖口枇

O

71 

(9)

γμ

~

究 都

i

‑七センチ﹀袖巾 二 二センチ ( 別に袖口枕 0 ・七センチ)︑袖丈五三センチ︑

重量九二 0 グラム ︒ 表裂は五つ紋付の雫尽し文様藍染平絹︑この平絹は羽二

重風であるが薄手で織目が粗く︑蜜度は一センチ問に︑経糸は三八本前後︑

緯糸は三八越前後 ︒ 裏裂は薄浅葱平絹の通し一果︑後染で密度はプセンチ間に︑

経は三四本前後︑緯は三二越前後︒仕立ては当初のままのうぶなもの︑袖帽

が狭く身幅が広い︑襟肩あきが狭い︑耗下りが少い︑立棲が短い︑粍幅が広

い︑後身幅と前身幅とが殆ど同寸法︑桁が短い︑袖口︑が狭い︑とい っ た形態

上の特徴も初期小袖に適合して︑日光東照宮の伝家康所用の小紋胴服(美術

研 究

三 一二号拙稿参照﹀と凡そ同じ時代か︑多少はこの小袖の方が時代が上る O

のではなかろうかとい っ たところである︒

この染色は︑先ず紋所五ケ所に︑剤ぃ紙を使って両面から糊置きをしてい

る︒この紋所の径は三・三センチから四センチまで不揃いで︑後述するが︑

これは幾度も藍に浸 っ

た為に防染糊の周聞がとけたことを意味する︒その

後︑薄藍に二浴から三浴させて薄浅葱に染め︑次に片面から宝尽し文様の型

紙(文様 の

一 か

え り

が 一

一 ・

三 セ

ン チ ︑

一 枚型)を用いて防染糊の型付を行 っ て

いる︒藍に浸染しているのでこの糊は両面から付けられているかと忠われた

が︑裂の破損例所から裏面を観察すると︑宝尽し文総の裏而からの型付は行

なわれていない ︒ 前述したように︑この表裂は薄手の比較的日の粗い平絹で

あるため︑表から付けた糊が裏にも或程度廻 っ て表の文総には支障を来さな

いだけの防染をしているようである ︒ 同様のことが薄手の・桝裂の特等の政染

5 めの小紋にも見 ら れる︒こうして片面糊置された裂は監に人 り ︑濃い監に 二

浴か三浴して

い る

と忠 わ れ る ︒ そ の 問︑糊がか ろ うじて保たれたと

い っ

た 体

子がこの遺品資料 の 防染部︑即ち文様部分と紋所部分から窺われて興深

い ︒

砥ぎすまされたような鋭 い 線など比事に表現出来る技術的に進んだ後川 の 監

染の中型の良さとまた異 っ た︑蝋防染のような風合さえあるとぼけた味の拡

染の小紋もまた親しみを感じてよいものである︒水洗で糊を落し︑乾かして

から︑白抜きにな っ ている紋所の部分に黄色で葵の葉の色挿しをし︑茶色で

線摘きを行っている ︒

72 

A l u

伝 家

康 所

用 濃 蔚 黄 地 鉄 線

唐 ι 絞り小袖(凶版官︑ 台帳では唐草絞り小袖)

綿 入 れ で

身丈

一 二

八センチ(別に枕 二 ・ノセンチ﹀︑桁五二センチ(別に袖口祉が 一 セ ン

チ ﹀ ︑袖幅二 0 センチ(別に袖口枇が 一 セ ン チ)︑袖丈四五センチ︑重量は六七

0 グラム ︒ 表裏ともきめの細かな羽二重で︑表裂は︑経糸は緯糸より細く︑

蜜度は 一 センチ問に︑経糸は四ノ本前後︑緯糸は四八越前後︒裏裂は後染の

水浅葱 一千絹で︑経糸は緯糸よりも幾分細目で︑密度は一センチ問に︑経は四

八本前後︑総は 三 六越前後︒仕立ては当初のままのうぶなもの︑日向袖口や襟

首回りに汚れが残 っ ている ︒ 身丈や桁が短く小ぶりである︒

匹田鹿の子の絞技法で鉄線唐草が散らしてあり︑水戸の徳川家に伝わる家

成所用小袖にこの小袖に形態や絞りの技法や模様の類似したのがあり今後の

調 査 が侠たれる ︒

A !

日伝家康所用 白小袖(挿図

8 ︑台帳でも白小袖﹀

綿 入 れ で

︑ 汚 れ は 多 い が 傷 ん で は い な

い︒身丈一一二・五セン

チ (

別 に

枕 が

0

・ 五

ン チ ﹀

白小 袖

(A ‑1 5 )

桁六五センチ(別に袖口枕

一 セ ン

チ ﹀

︑ 袖

二 五・五

センチ(別に袖 口 被 一 セ ン

チ﹀︑袖丈三九センチ ︒

伝家康所用

重量は四九 0 グラム ︒ 表

一 裂は共裂で︑比較的薄い

羽 二 重である ︒ 密度は

挿 図

8

センチ問に︑経糸は四六

本前後︑総糸は 三 八越前

(10)

A!

日伝家康所用

紅 黄 縞 緒 子 小 袴 ( 図

版 ︑台帳では小袴 Eb l

赤地絹黄縞

l ﹀

丈 六 九 セ ン チ

ン チ

︑ 深

さ 一

・ 五

ン チ

︑ 葵

紋 外

径 一

・七センチ﹀の二重箱

に 納 め ら れ て い

( 腰 の 紐 ︑ 裾 を く る ん で あ る 斜 め 裂 部 分 の 幅 を 除 く ︒ ﹀腰幅は前は四五センチ︑後

る ︒ る︒台帳にもこの三点がこの二重箱に納められていることが記峨されてい

は四二・五センチ︒重量は二九 0

グ ラ

ム ︒

表が萄江錦︑裏が紅地牡丹唐草紋紗の袷仕立の法被で︑身丈七七・五セン

チ ︑桁七 五センチ︑袖幅四五センチ ︑袖丈五六センチ ︒ 重 量 は 一 O 一 O グラ 名物裂の縞縞子を用いて作った南蛮風小袴で

︑ 縞

縞子は格調高い地質の

︑ 紅

註6

と黄の細い縦縞である︒紅は極めて高い純度のが用いてあり︑黄との対照が

美しい︒裂幅は四五センチから四七センチより広い幅があるようである︒茶

~Il 4. < .  

間損傷部分からその両織耳を確認することが出来 てわか った︒州 脇の縫代がそ 背 日 聞が背縫なしで一幅の裂がそのまま使用してあることが︑呉川試の

地桐菊紋綾の腰紐が前と後にそれぞれくけつけてあるが︑茶色染の鉄媒染の

ために朽損が甚だしく︑前はかろうじてその全容を保っているが︑後は残欠 れぞれ約一センチで︑背面の裾幅が五九・五センチであるから︑この燭江錦

の裂幅は六一・五センチである︒文丈一三・七センチ︑案問幅一五センチ︒ が少々附着しているに過ぎない︒西欧風な裁断の小符で今後の調査が侠たれ

る ︒

地は経の三枚綾で経糸︑緯糸共に濃加黄︑経緯共に一本が︑二本引き揃えの

太い絹糸である︒密度は一センチ問に︑経糸は四四本前後︑緯糸は二七越前

後︑地揚みである︒絵緯も二本ずつ引き揃えの太い糸で︑白︑自に近い銀鼠︑

B11 伝家康所用能装束

萄 江 錦 法 被 ( 図

︑台帳では半皆﹀ 版 I E ︑挿図 9 純度の高い紅染の牡丹唐草紋紗(挿図 9 ﹀で︑文丈一 裏裂 ︑

7 極薄紅︑黄︑薄蔚黄︑赤茶の六色である︒

狩衣︑帯と共に桐製外箱︑黒塗葵紋付蒔絵内箱(挿

図 2 ︑内箱の大きさは竪五五・三センチ︑横三九・五セ

伝家康所Jli能 装 束 萄 江 錦 法 被

(B  1)

の 哀 裂 紋 紗 挿 図

9

紀 州 東 照 宮 の 服 飾 類

狩 衣(

B‑ 2)と帯 (B ‑ 3)

六センチ︑案間幅一 0 ・五センチ︒経糸二本片綴れの紋紗で︑

密度は一センチ聞に経糸は三二本前後︑緯糸は三 O 越前後であ

る ︒

﹂うした裂地で作られた能装束の法被は凶版

IE

で見られる

ように︑まことに堂々として品よく格調が高い︒現存遺品資料

として︑能装束﹁法被しの立場からも︑明からの舶岐裂﹁濁江

束装

用所獅

B12

伝家康所用能装束

伝 崩 黄 地 葵 紋 散 し狩衣︿図版

Ea ︑挿図印︑台帳では能狩衣) 錦﹂の立場からも︑恐らくは阪高級の優品ということが出来るで あ

ろ う

挿 図

1 0

両袖付の綴ぢ糸が桁ちて双方とも袖は離れてしまい︑現在は身

頃と左右両袖の三つに分離している︒表は葵紋が金糸であらわ

7 3  

(11)

祁 ?

研 究

ノ、

円綾~~紋{、jソj、布11

( B ‑ 4 ) 

伝 家 康 所 用

挿 図

1 1 a 

されている蔚黄地金禰で裏は薄紫平絹の袷仕立の狩衣︑身丈二ハ一センチ︑

桁 一

O 二 ・ 五センチ︑袖幅八二センチ ︑袖丈七六センチ ︒重量は一四六 O グ

‑ フ ム ︒

表裂は外経一八・五センチの葵紋が平金糸であらわされている崩黄地の金

欄︑地は経の六枚綾で /

( 右

上 り

経糸はゆるい撚で ) ︑

︑ つ ま

っ て並んでいるの

で統のように光沢がある ︒ 金糸は約 0

・ 四 ミ リ 幅 で

一センチ間に二十本入

っ て い

る (

隙 聞

が な

い よ う に つ ま っ て 入 っ

ている)︒揚み糸は白茶色の糸で別揚

み︒葵紋が織り出されているから︑これは国産と考えてもよいであろう︒と

すると国

産 で

は最 古 の金欄ということになろう︒

B 1 3

伝家康所用

装束

帯︿挿図目︑台帳では腰帯﹀ ︒ 中央と両端に固い紙芯が入り(各 ニ

九 セ

ン チ

間 ﹀

その部分には両面に葵紋が各三個ずつ刺繍されている帯で前記蔚黄狩衣と組

に な

っ ているものであろう︒裂地は変り紗綾形に花の折枝模様の白紗綾︑文

丈が五センチ︑集問幅が四センチ︒地が平組織︑文が経の四枚綾である︒・密

度は一センチ間に︑経糸が五六本前後︑緯糸は三五越前後︒刺繍の葵紋は外

一 六

径が六 ・ 五センチ ︑内 径 五 ・ 五センチで︑肪黄の千糸で渡

し締によ っ て葵紋を表出︑白糸で愉邪をと っ ている ︒ 白地

の紗綾の色調や光沢と別抗︑山の 二 色の刺繍糸の分祉︑対

比が程よく合 っ て い て爽やかな品のよさである ︒ 市 は 一 幅 が

七・八センチ︑全長二

二 三

・ 五センチで ︑ 重量は一一 O

向 上 紋 所 部分

‑ フム

B 4

家成所川

自絞葵紋付小袖(持関口 a ︑ b 台帳では小袖﹀

綿 入 れ b 

で ︑身丈

一 三 五

・ 五

ン チ ︑ 桁 五 一 ・

五 セ

ン チ

︑ 袖

一 仙

O

センチ(別に袖口社 0 ・ 二

セ ン

チ )

︑ 袖

丈 凶

・ 五センチ

︑ 市 日

)

量 はノノ 0 グ ラ ム ︒

表裂は葵の五つ紋が織出しの白綾で ︑ 光沢のある統であ

る ︒ 地は 経の六枚絞で /

( 右

上り﹀︑紋所の部分は地の裏組織で緯の六枚綾 ¥

ハ 左 上り)︑丸紋は外経が竪が六・

二センチ︑横が六・五センチ︒裂

地の密 度は一センチ間に ︑経糸は

七 O 本前後︑緯糸は四二越前後 ︒

裏裂は白羽二重で︑密度は一セ

ン チ

聞 に

経糸は凶八本前後︑緯

草 陣 羽 織

(C ‑l ) 

糸は四四越前後 ︒

C

ー 伝 家 康 所 用

革陣羽織(挿図ロ︑台帳では革羽織 )

伝 家 康 所 用

後身丈七七センチ(総別 ﹀ ︑背 一 肘

幅四六センチ︑後裾幅一 二 O

セ ン

挿 図

1 2

チ︑前裾幅(片身)六 二 ・ 五セン

(12)

チ︑竜泣一一五 0

グラム︒

表 は 丙 欧 波 来 の 金 庇 革 の 技 法 で 行 な わ れ た と 思 わ れ る 金 泥

一喰の

大 き な 牛 革

で(背面が接ぎ目なしの大きな一枚の革

で出来ている)

裏には麻(附してない苧麻﹀

が 全 面 に 貼

て あ り

向 前 と 襟 裏 に は 更 に そ の 上 か ら ギ 菱 文 武 絞 が 置 い て あ

は f

ま 註

8

︒ 総 は

は じ め 白 熊 の 毛 か と 思

た が

純 物 性 で あ る よ う な の で 附した麻 か と 思

た が 麻 で も な い

︒ 南 ぷ あ た り か ら 舶 峨 さ れ た 珍 民 な 植 物 の 繊 維 の

よ註9

う で あ る

︒ 金 唐 草 を 用 い

完 全 に 洋 風 な ス タ イ ル の

羽 織 に 仕立ててある︒ 西 欧 文 物 の 隈 取

影 響 等

︑ 与 祭 す べ き 諸

題 の 多 い 資 料 で

今 後 の

訓査研究

が 期 待 さ れ る

註 紀 州 京 照 宮 の

﹁ 神 社 財 産 登 録 台 帳

﹂ も 雨 龍 村 社 の

﹁ 神 社 財 産 登 録 中 訪 計

﹂ も 共 に

﹁南紀徳川史第十六冊Lに掲載されている︒

金欄は

︑明様の織法が天正年間に堺に伝来し製織されるようになったのがわが凶で

は始めてて︑それが慶円以前後頃には西陣にも伝えられ製織されるようになった(佐々

木信三郎若﹁両陣史L│昭和七年︑一一文州堂

l

七六

頁﹀

し か し こ れ ま で に 国 産 の 初 期

の金欄てある

ことが明確な遺品

資料は皆無

であった︒徳川家の葵紋

が織り山されてい

るこ

の能装束狩衣の金欄は

︑家康晩

年のも

のとすれば︑すでに堺

や西陣では盛んに金

欄が製純されている時代のものであり︑わざわざ明に発注し織らせたものとは考えら れない︒従ってこの金制は国産金制の初期のものと想定され

現在のところ金欄遺品 資料中︑国産最古のものとなる

西洋服飾史研究家の丹野郁埼玉大教授にうかがったところによる︒

この中入制も真綿││絹綿ー

ーー

であ

る︒

当時の綿入れは殆どすべてが真綿で

︑実物

資料で円以古の木綿綿は毛利家に伝来する伝毛利秀就所川緋絹産衣の中入綿

(拙

稿の美

術研究二六七号一三頁参照)である︒

ド尾州徳川家に家康所川と伝えられる小紋の梓類が一具三領四股の計九点あり︑この

うち藍のけ以染と思われる

ものが大半であ

るが︑それらは裂の地質が薄く

ハ肩衣の方は 特に薄く︑透けている﹀︑防染糊は紋所部分だけが両面糊置で

他 は 片 面 糊 置 で

︑藍

の浸染がなされている(拙著﹁型染L││昭和五十年

芸州堂││図版

m l n

及び図 紀 州 東 照 宮 の 服 飾 類

版解説参照)

n b ・

d

紅︑染研究家鈴木字山氏に矧祭していただいたところによる︒

はぐまは白熊の字を当てるが

熊の毛ではなく

チベット高原やヒマラヤ地方原庄 のヤク

( JEW )

という牛の毛である

︒ヤクは毛牛とも翠ー牛ともいわ

れ ︑ 全体柔らか

F

ま ニ マ ま 長毛に覆われている︒このヤクの毛を内くしたのが山熊の巴︑黒く染めたのが黒熊の

毛︑赤く染めたのが赤熊のじである︒

現在でも出方諸島では程々な植物の内皮や葉から繊維を採

って純物や一刷物を行

って

おり︑ 中には極めて繊細な繊維を採取し

熟述した技術と時山を

かけて最高の則宝で

あり権威の諒徴物であるといった超高級品が作られたりしている

一九七五年沖縄出

洋博の西サモア室に出陳されていたイエシナ

Q g

m

スの一種ファ

E

ハイビスカ

ウ 樹 の内皮から採った繊維で作られた毛皮風編物布)はその一例で

当時そういった高級 円山が南方諸島でも作られていたであろうし︑また

︑わが川にも舶載され珍重されたで あろうことは想像に難くない

7 5  

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