Title
それは最後の旗印なのか? : ヘーゲルにおける「近代世界 とプロテスタンティズム」という問題
Author(s)
深井, 智朗
Citation
聖学院大学総合研究所紀要, No.17, 2000.3 : 417-440
URL
http://serve.seigakuin-univ.ac.jp/reps/modules/xoonips/de tail.php?item_id=3456
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SEigakuin Repository for academic archiVEそれは最後の旗印なのか?
│ │ ヘ
1
ゲルにおける﹁近代世界と
プ ロ テ ス タ ン テ イ ズ ム
﹂ という問題││
深 井 智
口
u qtk p
問題設定
近代世界の成立に際してプロテスタンテイズムが果たした役割︑あるいはその意図せざる帰結についてはにエルンス
( 1 ) ( 2 ) ( 3 )
ト・トレルチやマックス・ヴェ 1 バーによって︑あるいは近年ではヴォルブハルト・パネンベルクやファルク・ヴァ l
( 4 ) ( 5 )
グナーによって指摘されてきたことである︒確かにその役割の評価ということになればさまざまな立場があり得るわけ
( 6)
だか︑﹁近代世界とプロテスタンテイズム﹂という問題設定は︑プロテスタント神学においてはこれまで既にさまざま
( 7)
さまざまな視点から論じられてきた主題のひとつである︒
な 仕
方 で
︑
ところでプロテスタント神学がこの種の議論を展開する際に
G・
W・
F・ へ
1 ゲルに注目することが少なかったこと
は不思議なことである︒それどころか今世紀の前半のプロテスタント神学はこの問題のみならず︑ へ 1
ゲルの思想全般
と意識的に無関係であることを自らの立場としてきたように思える︒今世紀最大のプロテスタント神学者と呼ばれたカ
それは最後の旗印なのか?
41
ア
ール・バルトはへ l ゲルのプロテスタント神学への影響を決して高くは評価せずに︑
﹁ な
ぜ へ
1 ゲルはプロテスタント
の世界に対して︑トマス・アクイナスがカトリックの世界に対してそうであったような仕方で評価されるような人物に
( 9)
はならなかったのだろうか﹂と述べているが︑それは典型的な例というべきであろう︒確かに今世紀の後半の神学界
418
は
﹁ へ
1 ゲル・ルネッサンス﹂とでも言うべき状況が生じたことは良く知られているが︑それによってプロテスタン
ト神学におけるへ l ゲルの位置が大きく変化したとは言いがたい︒
しかしそのようなプロテスタントの側の態度にもかかわらず︑ ヘ 1
ゲルにとって近代世界における宗教と国家の問
題︑あるいはプロテスタンテイズムと近代世界(あるいは国家)という問題は彼の思索の中心的な問題であった︒また
大方の一般的な印象にもかかわらずヘ l ゲルにとって宗教の問題はその若き時代から一貫していた主要テ!マであり︑
とりわけ彼の考えによれば近代世界の諸問題は宗教の問題を解決することなしには可能にならないようなものだったの
で あ
る ︒
それ故に本論では既に述べたようなプロテスタント神学の状況を踏まえて︑
(叩 )
イズムの意義について考えてみたい︒しかしヘ l ゲルがキリスト教︑とりわけプロテスタンテイズムについて言及して へ l ゲルの哲学におけるプロテスタンテ
いるテクストは無数にあり︑また初期の草稿から晩年の諸講義や諸論文に至るまで見解の発展も見られ︑取り扱いは容
易ではな凶)︒それ故に本論においてはへ
1ゲルのキリスト教︑とりわけプロテスタンテイズム理解を﹁近代世界﹂理解
ヂ ﹂ ︑ l
﹁ 自
由 ﹂
︑ あ
る い
は
そのような限定のもとにこの問題を取り扱う時
( ロ )
﹁自由の宗教としてのプロテスタンテイズム﹂という視点が与えられることになる︒ というもうひとつの視点との関係において考えてみることにしたい︒
既に述べた通りこのような視点がヘ l ゲルの思想において周辺的な問題であったということはできない︒ミユンヒェ
ンの哲学的神学者︑ヴォルフハルト・パネンベルクが指摘しているように︑ ﹁教会的なキリスト教と近代的な生の世界と
へ l ゲルの問題意識を特徴付けているも(伽)﹂だからである︒ の二元論こそ︑チュ
1ビンゲンでの神学研究の時代以来︑
その場合へ l ゲルが伝統的なキリスト教と啓蒙的な精神とを結び合わせることで︑正統的なキリスト教の保持や存続を
単純に考えていたとは言えないであろうし︑初期のへ 1 ゲルはもちろん︑晩年においてもそのようなことを彼が単純に
考えていたかどうかは疑問である︒しかしへ 1 ゲルが宗教的な問題こそが︑近代世界のさまざまな問題を解決するため
それはに不可欠であると考えていたことは明らかであ認︒そのような意味ではへ l ゲルにとってプロテス
の 鍵
で あ
り ︑
タンテイズムは重要な意味を持っていた︒本論においてはこの点に注目し︑﹁へ
1ゲルにおけるプロテスタンテイズム
と近代世界﹂という問題を考えてみたいと思う︒そして最後にそのようなへ 1 ゲルのプロテスタント理解の意義につい
ても合わせて考えてみたい︒それは今日﹁現代世界と宗教﹂という問題を考える場合にも有意義な視点を提供してくて
る は
ず で
あ る
︒
その際本論では︑主として﹃歴史哲学講義﹄と﹃宗教哲学講義﹄をテクストとして用いて考察することにした時︒し
か し
へ
1 ゲルの講義テクストを扱う場合にはその発展や展開︑あるいは編集に注意する必要があり︑その全てが整理出
その限定性にも他方で注意しなければならな吋︒それ 版されていない今日︑ それを十分に用いることができないので︑
故に本論においてはテクストの厳密な検討にもとづく発展史的研究ではなく︑今日利用できる講義録を検討するに留
(旬︑それを神学史との関係で分析する方法をとりたいと思う︒
自由の宗教としてのキリスト教の出現
へ 1 ゲルがその
﹁ 歴
史 哲
学 講
義 ﹂
の中で近代的な自由とはキリスト教と共に世界に登場したと考えたことは周知のこ
と で
あ る
︒
ヘ 1 ゲルはたとえばベルリンでの でもギリシア人もロ l マ人も人聞が人間と
﹁ 哲
学 史
講 義
﹂ (
一 八
二
O
年 )
それは最後の旗印なのか?
419
して自由であるということを知らなかったのであり︑キリスト教は
(路 )
張をもって︑﹁自由を︑誕生︑身分︑教養等から独立させた﹂と述べている︒ ﹁神の前ではすべての人間が自由である﹂という主
420
確かに多くの研究者が指摘しているように︑この点で初期のへ
lゲルの見解と後のそれでの見解との間にある相違点
を指摘することもできるはずである︒というのはノ 1 ルによって
﹁ 国
民 宗
教 と
キ リ
ス ト
教 ﹂
と題された初期の手稿の中
では︑﹁偉大な思想を生み出しそれを育む国民精神は︑自由と手に手を携えて進む﹂と記されているが︑ それは既存の
キリスト教ではなく︑むしろギリシア宗教であり︑
(m m)
規範と考えていたからである︒ へ 1 ゲルは
﹁ 国
民 宗
教 ﹂
ということではむしろギリシア的な宗教を
しかし後年のへ 1 ゲルはこのような見方から転換して︑キリスト教と共に登場したこの自由を
(初 )
自由の原理﹂と呼ぶようになったのである︒なぜならへ!ゲルはギリシア的な自由が︑外的な事情︑すなわち出生の偶 ﹁神における絶対的な
然性や奴隷制︑あるいは奴隷状態の問題を排除した上に成り立っている自由である点に︑その自由の偏狭さを見るよう
になったからである︒彼はこのいわば限定された自由をキリスト教が解放したと見ているのである︒すなわちキリスト
教によって﹁神の前ではすべての人間が自由である﹂ ということ︑﹁すなわちキリストが人間を解放し︑神の前では等
(幻 )
しいのであり︑その意味で︑人間は自由へと解き放された﹂という見方が生じたというわけである︒そのような主張を
(但 )
展開する際にヘ 1 ゲルが特に注目したのは﹁受肉論﹂なのであるカ︑より一般的には彼が
( お )
歴史との結びつき﹂に注目していたということであろう︒ ﹁キリスト教の教義と自由の
そうであるなら問題はこのような転換はいつ頃へ 1 ゲルの中に生じたのか︑ ということである︒その変化は
W・ イ
ェ
神 現
象 学
﹄
シュケや
R・ マ
ウ ラ
l
の他の見解があるにもかかわらず︑
W・パネンベルクや
F・
W・グラ!フが見ているように﹃精
の中に見るのが妥当であろ鴻︒︒ハネンベルクはこの転換の最初の萌芽を﹃精神現象学﹄の中にあるいわゆる
﹁ 不
幸 な
意 識
﹂
についての章の中に見た︒この言葉は一般にはへ 1 ゲル左派によってなされたようにキリスト教批判の
標語である へ
1ゲル自身においては︑それはキリスト ﹁キリスト教の彼岸信仰﹂を指すものとして理解されているが︑
教とは結びつかないどころか︑キリスト教によって克服されたものなのである︒ へ
1ゲルはストア的な自由とスケプシ
スとしての自由がいかに抽象的であるかを知り︑自らの自由と真理とを世界の状況から切り離して考えることができな
いということを知っている﹁不幸な意識﹂について語ったわけであるが︑へ 1 ゲル左派はそれを宗教一般の定義に用い︑
﹁自分自身の本質を疎遠なものとして︑自分とは切り離して考えるものとして﹂ ﹁不幸の意識﹂について語ったので
の
と結びつけたのは実はキリスト教ではなく︑最初はモ!セの宗教と
してのユダヤ教であり︑後には帝制ロ
1マの時代精神であったのであ弱︒そしてそれはキリスト教によって既に克服さ ある︒しかしへ 1 ゲルがそのような﹁不幸の意識﹂
れたとへ l ゲルは考えたのである︒
それではなぜキリスト教はこの へ!ゲルによればそれはキリ ﹁不幸な意識﹂を克服することができたのであろうか︒
スト教の教義の中に﹁神的なものと人間的なものとを切り裂いたり︑分離したするのではなく︑神と人間との統一にお
( お )
いてこの対立を和解させる原理﹂が存在していたからである︒この
﹁ 和
解 ﹂
こ そ
へ
l ゲルによればこの意識の克服なの
﹁不幸に発し︑不幸のための宗教で
あって︑悦ばしき遊戯を望む幸福のための宗教ではなく︑厳格過ぎる神の故に:::不幸の宗教と呼ぶべきものである﹂︒ である︒それに対してたとえばモ 1 セの宗教としてのユダヤ教においては︑宗教は
﹁なぜなら不幸のうちではこの分離が現前しており︑われわれは自分を客体と感じ︑規定するものへと逃れざるを得な
( お )
いからである﹂︒しかしへ 1 ゲルによれば﹁幸福のうちではこの分離は解消する﹂のである︒
それにもかかわらず他方でへ 1 ゲルがこの ﹁不幸な意識﹂がキリスト教のある段階においてはなお完全に克服されて
はいなかったと見ていることもまた確かにである︒なぜそのような事態が生じたのかといえば︑キリスト教のある段階
においてはなお ﹁絶対的な宗教の単純な内容﹂ ﹁神的存在者の人間化﹂がなお普遍化していないかたちで︑す としての
なわちイエスの人格を特殊なものと見なすことはあったにしても︑なお個別化した形態としてしか認識していなかった
それは最後の旗印なのか?
421
ことによるのだとへ 1 ゲルは言うのである︒﹁このような状態においては精神はなお満足することも平安を見出すこと
(初 )
もできないのである﹂と彼は言うのである︒なぜならそこでは啓示宗教としてのキリスト教の内容は﹁部分的には既に
(出 )
現れ出ているものの﹂︑そこにおいてはなお﹁精神はまだ即時的に存在しているわけでもなければ︑自らの実体として
(認 )
自らの内容であるわけでもないからである﹂︒
422
しかしへ l ゲルが見ていたことは︑このような状態がひとつの歴史的な段階に過ぎなかったということであり︑彼は
﹁これに続く歴史的な展開によってこの克服が始めて具体的になった﹂ と見ていたのである︒そしてそれを彼は
﹁ 自
由
へ 1 ゲルによれば原始キリスト教のみならず中世のキリスト教においても
( お )
﹁無限な自由の光はまだ世俗的なものを遍く照らしてはいなかった﹂のであるが︑﹁人間の胸のうちに宿る宗教的な原理
(泊 )
は︑最終的には世俗的な自由としても取り出されることになった﹂のであり︑そのためにキリスト教の内部で生じた︑ の
実 現
化 ﹂
のプロセスと呼んだのである︒
﹁決定的な一歩が宗教改革だった﹂
と へ
l ゲルは見ているのである︒
この一歩によって﹁主体そのものが実体的な真理に対する自分の特殊な内容を放棄し︑この真理を自分のものにする
ことによって︑実体の主体となっ鳩﹂とへ 1 ゲルは考えたのである︒それは自らの特殊性と有限性との放棄によって︑
人聞が神に与るようになることであり︑それはこれまでイエスの特殊性とみなされていたことが︑キリストへの信仰に
よって普遍的なものになったということなのである︒それがルタ!の宗教改革における信仰義認という教義であり︑信
じる者は自らの義を完全に放棄することによって︑ただ信仰においてキリストに︑またキリストの義に︑それ故に神の
義に与ることになるという教えだというのである︒それ故にへ 1 ゲルはルタ!の ﹁信仰による義という教説と人間の自
由との関係﹂を完全に正しい仕方で理解していたと言うべきであろう︒モれ故にへ l ゲルはここに歴史の新しい︑そし
て最終的な段階の開始を見ることができたのである︒
プロテスタンテイズムと近代
このような歴史の見方の故にへ 1 ゲルはルタ l の宗教改革を︑あるいはプロテスタンテイズムを近代世界を規定する
原理の源泉と見なすことができた︒ へ 1 ゲルによれば﹁ルタ 1 は︑精神的な自由と具体的な和解を既に獲得してしまっ
た人物であり︑永遠の使命が何であるかを︑あるいはまたそれが彼自身において起こらなくてはならないということを︑
( お )
勝利のうちに確認したのである﹂︒﹁しかし彼のうちで起こらなくてはならないものについての︑またいかなる真理が彼
のうちにおいて生き生きとした形で生じなければならないかということについてのその内容は︑彼においては︑所与の
ものとして︑すなわち宗教における啓示として理解されていたのである︒この内容が現在的なものとして︑われわれも
それを内的に理解することができるということ︑そしてこの内的な根拠にこそ全ては基づかねばならないことがルタ
l(幻 )
の宗教改革によって生じたのであり︑この原理が今や打ちたてられた﹂とへ 1 ゲルは見ていたのである︒
へ 1 ゲルはたとえばこのことをルタ l がカトリックの免罪符の販売を批判したことの中に見ている︒あるいは宗教改
革全体の聖餐論というよりはルタ 1 派の聖餐論の中にこの原理の具体化を見ているのである︒それは精神の内面への立
へ l ゲルによれば﹁個人的な主観性は ちかえりであり︑宗教的な主観を客観的なものへと展開する原理なのである︒
:::信仰的な意味での主観的な真実を見ているに過ぎな凶)﹂という︒それ故にルタ 1 の宗教改革の精神が示しているよ
うに﹁主観性が自らを造りかえるときに︑精神の本当の姿を知ることができる﹂というのである︒それは具体的には
﹁主体がひとりよがりの個別性を放棄することによって︑主観的な精神が自由になり︑精神がこのような否定の中で真
の自分自身に到達す硲﹂ことによって可能となる︒別の言い方をすれば﹁主観的な確信︑すなわち真理についての主観
それは最後の旗印なのか?
423
の知は︑この内容に反する私的な主観性が放棄されることによって︑真実なものとなる﹂と彼は考えたのである︒その
時にひとは ﹁客観的な真理を自らの手にすること﹂ができるのであり︑ それがルタ!の ﹁信仰による義﹂という教えだ
424
と へ
l ゲルは言うのである︒すなわちそれは主観的な信仰ではなく︑ただキリストを信じる信仰によってのみ義なると
いうことであり︑それによって ﹁キリスト教的な自由の実現﹂が起こるのである︒
へ 1 ゲルはこの主観性の考えの転換に近代の特徴を見たのであり︑そこに﹁最後の新しい旗印が掲げられ︑ここに
人々が結集するのか)﹂と述べたのである︒その旗印とは﹁自由という旗印であり︑真実の精栴﹂という旗印である︒そ
( 必 )
﹁これこそが近代の精神であり︑これこそが近代という時代を特徴付けている﹂のであり︑﹁それ以後から今日に
し
て
至るまでの時代は︑この原理を現実へと浸透させ︑この原理に自由と普遍性という形式を与えるという仕事以外に何の
(川町)
仕事も持たなかったのである﹂︒具体的にはここにへ l ゲルにおける哲学の課題を見ているのであろうが︑ へ 1 ゲルは
その最重要課題を国家の形成という問題と啓蒙の正しい育成に見ていたことはその
﹁ 歴
史 哲
学 講
義 ﹂
の構成からも理解
することができる︒ここにへ l ゲルがプロテスタンテイズムと国家という問題︑あるいはプロテスタンテイズムと近代
世界との結びつきという問題︑そして近代世界における宗教の問題と取り組むことになる理由を見出すことができる︒
プロテスタント国家と啓蒙の問題
このように見るならばへ l ゲルが近代世界をキリスト教からの自律と見なしているのではないということ︑あるいは
それを世俗化というような観点からとらえているのではないこと︑むしろへ 1 ゲルは両者の結びつきにこそ関心を持つ
ていたのだということ︑そして両者の関連にこそ︑あるいは近代世界を生み出した源泉としてのプロテスタンテイズム
ということに注目しているのだということが明らかになる︒またキリスト教と近代世界︑あるいは宗教と世界との関係
付けがへ l ゲルの一貫した問題意識であったことも明らかになる︒しかしプロテスタンテイズムが近代世界の源泉であ
っ た
と し
て ︑
そしてキリスト教が発見した自由が世俗の領域にまで広がることをもってプロテスタンテイズムの近代世
界への貢献だと考える場合︑具体的にはへ 1 ゲルはそれをどのように考えていたのであろうか︒この点について彼の国
家観︑あるいは国家と宗教との関係の見方と彼の啓蒙についての考えを見ることでさらに考えてみる必要があるだろう︒
結論を先取りして言うのならばヘ 1 ゲルはプロテスタント的な自由の理念の世俗における普遍妥当性の問題を︑国家の
働きと哲学の働きの中に見ていたのである︒
①国家と宗教
﹁ 歴
史 哲
学 講
義 ﹂
の へ
1 ゲルの構想の第三期︑すなわちゲルマン世界は既に述べた通り宗教改革によって開始される︒
それが近代史の開始として位置付けられている︒この近代の歴史は宗教改革による近代精神を特徴付ける
﹁ 自
由 と
い う
旗印︑亘(実の精神という旗印﹂によって開始され︑それが宗教戦争の時代へと移行する︒それはプロテスタンテイズム
が世俗における位置を獲得するための時期であり︑また宗教的な自由と政治的な自由とが結びつく時代でもある︒そし
てその後に思想形成が続いたという見方である︒
ヘ l ゲルは宗教改革の帰結として生じた宗教戦争と教会分裂が世俗的な世界において果たした意味を認識していたと
言うべきであろう︒彼はこの自由がフランス革命の政治的な自由に与えた確信的な影響について知っていた︒カール・
ていたのに対して︑ その際へ 1 ゲルはもちろんルタ l においては自由がなお宗教的な権威と結びつい
フランス啓蒙主義がただ自らの洞察と確信のみに依存していたことを見逃してはいなかった︒しか レ l ヴィットが指摘しているように︑
それは最後の旗印なのか?
425
し へ
l ゲルはこの宗教改革的な自由の原理から啓蒙主義的な理性の自律への展開をむしろ必然的な展開として見ていた
のであり︑そのような展開から生じた政治的な自由においてこそ︑宗教改革の自由の思想の世俗的な世界における現実
426
化を見たのである︒
ヘ 1 ゲルはその線上で宗教改革の後に生じた宗教戦争と新しい国家形成を見ていたのである︒それ故にへ 1 ゲルは彼
の﹃法哲学﹄において教会の分裂もまたキリスト教的な自由の現実化のために避けては通れない出来事であったと述べ
ることができたのである︒すなわち﹁国家にとって教会の分裂は不幸であったとか︑それが現実には不幸であるという
考え方はきわめて的外れな見方である﹂︒﹁なぜなら国家は教会の分裂によってのみ︑自己の使命である自己意識的理性
性と人倫に達することができたのである﹂︒そのことは同時に﹁教会にとっては教会自身の自由と理性性のために︑ま
た思想的には思想の自由と理性性のために考えられ得る最善の幸福な事態であっか)﹂のである︒
へ 1 ゲルは
﹁ 歴
史 哲
学 講
義 ﹂
では︑このような分裂の現実化を宗教改革後の近代史の中に見ていた︒すなわちカトリ
シズムに留まったロマン系の国家とプロテスタンテイズムに移行したゲルマン系国家である︒それはより小規模な形で
はカトリックに留まった工スタ 1 ライヒとプロテスタントに移行したプロイセンに現れ出ているとヘ 1 ゲルは見ている
のである︒そしてプロイセンがエスタ 1 ライヒよりも安定していることの理由を宗教の問題に見ている︒またニ l ダ l
ランドの宗教戦争が同時に国制をめぐっての憲法闘争であったことに注目し︑ それは宗教からの解放であると同時に︑
抑圧からの政治的な解放であったという︒なぜなら﹁宗教的な自由は政治的な関係を変更することなしには実現できな
いも偽﹂だからなのである︒またイギリスも同じように宗教戦争と憲法闘争を経験しているが︑それは同じように
教的な自由を実現するためには政治的な変革も必要だっ的﹂からであると彼はいうのである︒
﹁ 由 一 小
それに対してロマン系の国家の改革と戦争には否定的な判断をへ 1 ゲルは下していると見るべきであろう︒良く知ら
れているようにへ!ゲルは有名な言葉であるが﹃エンツュクロペディ 1 ﹄の最後の版の中で︑その出来事の最中にある
フランス革命を見つめつつプロテスタンテイズムが見出した主観的な自由という基盤なくして︑この主観的な自由の実
﹁腐敗した人倫の体系と︑その人倫の国家体制およ
び立法とを︑宗教を変えることなく改変すること︑すなわち宗教改革なき改革を行なったことを近代の愚務﹂と呼んだ 現としての人倫国家にはなれないと考えたのである︒それ故に彼は
の で
あ っ
た ︒
このような分析を経て
﹁ 歴
史 哲
学 講
義 ﹂
へ l ゲルによれば近代の
の 最
後 で
は ︑
へ 1 ゲルは両者の比較を試みている︒
革命は暴力による国憲の改革であるが︑それは意志の自由に基づく︑思想の現実化であった︒その種の革命は彼によれ
ばフランスでも︑イタリアでも︑ そしてスペインでも生じたのであった︒それがロマン そしてナポリでもピエモント︑
系の諸国での革命である︒﹁それに対してプロテスタント的な自由がそれ以前に確立していた諸国においては︑状況は
(紛 )
違って︑安定を保っていた﹂と彼は言うのである︒その理由は何であろうか︒ へ
iゲルによればプロテスタントの国々
で
は ﹁宗教的な改革と同時に政治的な改革と変革を行なったからである﹂︒ ロマン系の諸国の革命はへ l ゲルによれば
(あの﹃エンチュクロペディ l ﹄で指摘されていたのと同じようにここでも)
(閃 )
政治的な革命だけが宗教の変革なしになされた﹂ことに大きな問題があったとへ l ゲルは言うのである︒
﹁ こ
こ で
は
単なる王権の入れ替えであり︑
それに対してプロテスタント系の諸国ではまず﹁宗教の変革が精神の自由の中でなし遂げられ︑促進された﹂ のであ
︑hHノ
﹁宗教の変革なしには真に政治的な変革︑すなわち革命は実現できな ヘ 1 ゲルの近代国家論の核になる主張である
( 日 )
いのである﹂という有名な命題がここでも繰返される︒
ヘ
l ゲルはこのような視点からプロテスタント国家︑とりわけプロイセンにおいては既に革命は過去のものとなった
の で
あ り
︑
そこでは国家と宗教との和解が ﹁洞察と普遍的な教養形成がそれに代わってなされた﹂ のであり︑安定を得
ていると言うのである︒
この点についてはへ l ゲルは最晩年まで見解を変えることがなかった︒典型的な例はへ 1 ゲルが一八三
O年六月二十
それは最後の旗印なのか?
42ア
五日に行なわれたルタ
1派の中心的な信条であるアウグスブルク信仰告白の記念式典で︑その信仰告白を高く評価した
晩年の講演の中に見出すことができるであろう︒その中で彼は同じような見解を繰返している︒すなわちルタ 1 の宗教
428
改革は国家の問題から言えば︑教会と国家との和解であると彼は見ている︒宗教改革が批判したことはカトリシズムの
非人倫的な態度であり︑それが取り除かれることによって和解の基が築かれたというのである︒ へ 1 ゲルはアウグスプ
﹁国家を神と和解させることによって︑人間の前には市民法と人倫的な錠が妥当性を持つ
(臼 )
が︑神の前ではまったく別なものが妥当するという矛盾を解消すること﹂であったと述べたのであった︒それ故にここ ルクに集まった諸侯の仕事は
で も
へ
l ゲルは ﹁真実の宗教の再興をなすことなしに︑国家の諸制度と法律の改革のみを遂行しようと考えた人々の愚
かさはどんなに厳しく批判しても十分ではないのである︒市民的な自由と正義の獲得は神における自由の唯一の果実な
のである︒この事柄の本質を見抜かなかった人々がいかに誤りであったかを︑あの歴史的な現実という教師がわれわれ
の時代に改めて明らかにしてくれたわけである﹂と述べているのである︒もちろんこの反面教師としての歴史的な現実
とはフランス革命のことである︒それに対してへ 1 ゲルによればプロテスタントであるプロイセンの国家形成がプロテ
スタント的な自由の世俗における普遍妥当性を実証しているということになるのである︒
②啓蒙の問題
既に述べた通り︑ へ 1 ゲルの歴史哲学においては宗教改革的な自由の思想から啓蒙主義の理性的︑かつ世俗的な自由
への移行は ﹁内的には必然的な歩み﹂ であった︒パネンベルクが指摘するように︑﹁ルタ l の宗教改革において発見さ
れた一切の人間的な権威に対する信仰における個人の自立という宗教改革の原理は︑啓蒙主義の理性的な自律へと通じ
ていた﹂のである︒しかしこの啓蒙という事態はへ 1 ゲルによれば今日理解されているように単に宗教的なものの否定
ではなかった︒すなわち宗教改革的な自由から啓蒙的な自由への移行は必然であったが︑断絶ではなかったということ になる︒そのことは彼が﹃精神現象学﹄の中で既に啓蒙主義的な精神的自由が信仰において確証される絶対的な内容と
は確かに信仰的なものを否定するが︑しかし依
(日 )
然として啓蒙主義的な自由を﹁まだ自分自身のものとして知っているわけではない﹂と考えていたことからも明らかで 依然として結びついていると考え︑啓蒙主義的ないわゆる﹁純粋透見﹂
点 り る ︒
それ故に啓蒙主義による信仰批判は︑宗教改革における認識と異なり︑人間の本質及び表象をただ有限との関係のみ
(民 )
で扱うことによって︑絶対的な本質が付与されない空虚なものになる︑とへ
l ゲルは考えたのである︒ つまりそこでは
た
だ ﹁ただ有限についてだけを知り︑この有限性を真だと考え︑
そして真なるものとしてこの有限性についての知を最 高のものとする﹂という根源的な矛盾に陥ることになると彼は見ていたのである︒そしてそれによって近代的な自由の 意識にもたらされるものこそ︑悟性が知を有限な対象に還元し︑信仰の神的な本質を有限な要素に解消してしまう︑あ
の l ﹁不幸な意識﹂に限りなく近づくものになってしまうわけである︒それはへ
ゲルによれば﹁自らのこの確実性にお いて一切の本質が喪失するという意識︑すなわちまさに自分についてのこの知の喪失の意識︑実体および自己の喪失の
(硲 )
意識であり﹂︑それこそは﹁神は死んだ︑という過酷な言葉として表明されるような苦悩﹂なのである︒ つまりへ l ゲ
ルによれば﹁神の死﹂とは︑自由な洞察として自らを知る主観的な自由が︑キリスト教的な﹁神における自由﹂に基づ いているという自らの由来を捨て︑自律するという︑不幸な意識に近づくようなキリスト教一般に対する啓蒙主義的の
倍性的な批判の定式なのである︒
それ故に﹁神の死﹂
は へ
l ゲルによれば︑主観的な自由によってキリスト教を現実化するために不可欠な契機として
定式化されているのである︒というのはパネンベルクがそのように説明しているように︑まず主観的な自由とは一切の
( ω )
権威と伝承に対立するものとして登場するものだからである︒また
﹁ 神
の 死
﹂
は へ
l ゲルにおいては抽象的な彼岸と考
それは最後の旗印なのか?
429
えられていた神概念︑すなわち自己として措定されていない神的存在者という抽象概念の死である︒それは抽象的であ
る が
故 に
︑
430
そこでは受肉の教義の中に含まれていたような神と人間との統一や和解の思想は欠落しており︑神はただ人
間と世界に対立する不幸な意識のうちに存在するようなものなのであ弱︒
有限なものに単に対置される無限とい﹀
2一 元
論 の
克 服
で あ
認 ︒
つまりここでヘ l ゲルが考えていたことは︑
しかしへ 1 ゲルがこのような神の死の認識に留まっていたということは出来ないであろう︒ へ
1ゲルの理論を突き詰
めて行けば︑神の死は同時に自己意識や自己意識の主観的な自由の喪失へと至るからである︒そうではなく︑
へ1 ゲル
が考えていたことはその逆であり︑既に述べた通り︑近代的な意識の主観的な自由は神なしには存在し得ないというこ
とであり︑その認識によって啓蒙主義の宗教批判の一面性を批判することになったのである︒それはまた宗教改革的な
自由から啓蒙主義的な自由への移行の必然性をも意味している︒なぜならこのようなへ l ゲルの見方は有限に無限を対
置するという見方の間違えを指摘し︑宗教改革の発見である無限なものと有限なものとの統一を︑神の人間化︑あるい
は受肉という考え方によって︑すなわち主観的な自由の原理によって考えることを徹底化する時に︑その帰結として生
じるものである︒すなわちそれは啓蒙主義が宗教的な内容を取り戻すために必要な道だったのである︒
それ故に国家がキリスト教的な自由の理念の普遍妥当性のために担った役割とパラレルな役割を近代世界において哲
学が持つとへ l ゲルが考えていたと見てよいであろう︒すなわち哲学は近代以後の世界において︑啓蒙主義の宗教批判
によって没落してしまった神学が担っていた課題を実質的に担うことになったと彼は考えていた︒すなわちへ 1 ゲルは
同時代の神学が啓蒙主義的な悟性批判によって宗教の実質的な内容を感情の主観性へと退却させてしまったことを批判
し続けたのである︒すなわちへ l ゲルによれば﹁このようにして宗教は没認識的なものになってしまい︑しなびてしま
い︑単純な感情や精神的なものになってしまい︑しまいには永遠なものへの無内容な高揚になってしまい︑しかも永遠
については何も語れなくなってしまったのである﹂︒﹁なぜなら認識作用であるようなものは︑結局永遠を有限なものの
(臼 )
領域や関連へと引き戻してしまうからなのである﹂︒あるいはまたへ 1 ゲルによれば神学は
(m w)
教義の問題へと逃げ込み︑ごく小さな体系に還元されてしまった﹂というのである︒そして啓蒙主義の神学批判は
情や天︑あるいは認識する精神を空虚なものにしてしまい︑宗教はその内容を概念へと避難させることになっ鵠﹂とい ﹁結局後退を続け︑純粋に
うのである︒これらは有名なヘ 1 ゲルの神学批判であるが︑これをへ 1 ゲルのキリスト教批判︑あるいは神学嫌いと結
びつけるとしたら︑それは余りにも単純な発想であり︑神学史の文脈を無視した議論というべきであろう︒
(閃 )
﹁人倫的な世界における無神論﹂を生み出したのであり︑ へ!ゲルはこのような主観性への宗教の撤退が結局は
れは神学それ自身の中にキリスト教的な無神論が生じるという逆説的な状況の出現でもあったと考えるのである︒パネ
ンベルクや
F・
W・ グ
ラ
l
フはこれは神学が啓蒙主義的な悟性批判を逃れるために宗教の内容を放棄することを試みた
へ 1 ゲルはそれはまさに真の意味での神学なき啓蒙主義の帰結だと考えたというので ことによって生じたのであり︑
ある︒それに対してへ
1ゲル自身はプロテスタンテイズムによって開始されたキリスト教の近代的な展開の擁護者であ
ろうとしたのであり︑その意味ではパネンベルクやグラ
lフの視点はまさに正しいというべきである︒このように理解
﹁哲学ばかりではないが︑とりわけ哲学が今や本質的に正統的なのであり︑それ故にこれまで重
んじられてきたような諸命題︑すなわちキリスト教の根本真理はまさに哲学によってこそ保持され︑保存され(計)﹂と述 し
て こ
そ ︑
ヘ
lゲルが
べたことの真意を理解することができるはずである︒すなわちへ 1 ゲルは︑哲学は抽象的な悟性による思惟を克服する
ことによって︑啓蒙主義の批判から宗教を守ることができるし︑キリスト教の客観的な真理性を新しく定式化できると
考えたのである︒それ故に哲学は啓蒙主義に対してキリスト教の普遍妥当性を定式化し︑またその欠落を防︑ぐと言う役
割を与えられることになったのであ持︒
IUー「、
そ
それは最後の旗印なのか?
431
432
暫定的な結び││いかなる自由なのか?
プロテスタンテイズムがこれまで見てきたようなへ l ゲルの試みを引きうけることなく︑むしろへ l ゲルが批判した
神学の形態を継承し︑プロテスタント的な自由の普遍妥当性の問題と取り組むよりは︑宗教の問題を啓蒙主義の批判か
( ω )
ら守り抜くことができるような場所を求め続けたことは奇妙なことである︒プロテスタンテイズムが自ら生み出した近
代的な自由に対して責任的であろうとする時にもういちどへ 1 ゲルの哲学は意味を持ってくるはずであ的︒
しかしこのようなプロテスタント神学におけるへ 1 ゲルの意義の再認識の必要性とは別に︑それとは異なった視点か
らからのへ!ゲル評価が可能であることもまた確かである︒それはへ l ゲルの意義を十分に認識した上での批判でもあ
る︒すなわち近代世界とプロテスタンテイズムの関係︑あるいは自由の問題を考えるときに︑ へ l ゲルの視点を単純に
支持できない理由も実はそこに存在しているのである︒
ヘ
1 ゲルがその ﹁歴史哲学講義﹂においてプロテスタント的な自由︑あるいはそれに基づく主観性の造り変え﹂を歴
史における ﹁最後の新しい旗印﹂と呼び︑ そこには ﹁人々が結集すべき自由という旗印︑真実の精神と言う旗印﹂が存
在しているのであり︑﹁これが近代の精神であり︑これが近代という時代を特徴付けている﹂と述べていることは既に
見た通りである︒そのような見方によれば近代は宗教改革的な自由を持って開始されたことになり︑近代世界の成立に
おけるプロテスタンテイズムの意義はルターによるキリスト者の自由の再発見にあるということになり︑そこに時代の
最後の段階を示す﹁旗印﹂が置かれていることになる︒そしてその自由の啓蒙主義的な自由への移行は必然的なもので
あったということになる︒
しかしプロテスタンテイズムの歴史を省みる時に見るときに︑このへ!ゲルの視点に欠落しているものはないのであ
ろ う
か ︒
へ 1 ゲルは宗教改革的な自由から啓蒙主義的な自由への移行を︑主観的な自由の世俗的な世界における普遍妥
当性の証明と考えたが︑彼が考えた線と平行して︑ ルタ!の宗教改革は啓蒙主義へと至るのではなく︑イギリスのピュ
ーリタニズムへと移行して行く線をも持っていたのである︒それはエルンスト・トレルチが見ていたような古プロテス
タンテイズムから区別される新プロテスタンテイズムという展開であり︑ミルトンによれば﹁宗教改革の改革﹂であり︑
(九 )
へ の 展 開 で あ る ︒
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サイスによれば﹁宗教改革の完成としてのピュ
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へ!ゲルは確かに晩年
イギリスの選挙法改正案に関心を持っていたが︑プロテスタンテイズムのアングロサクソン世界への展開への関心は希
薄であったと言わざるを得ない︒そこには自由がへ
1ゲルの言うような意味で世俗の領域に広がるのとは別な仕方で︑
自由が現実の勢力となり︑制度化されるという展開がなされたのであ認︒それはヘ 1 ゲルが見ていたような思想として
(花 )
の自由ではない︒それは人権概念をそこから生み出し︑近代の政治理論形成の核心となったような自由である︒もしこ
の自由こそがトレルチやフォ 1 サイスが言うように近代世界の形成に与って力のあったものであるとしたら︑
へ1 ゲル
のいう自由の展開ではない︑もうひとつの展開のモデルがそこに存在しているのであり︑そこにこそ近代世界という段
階における﹁最後の新しい旗印﹂があったということにならないだろうか︒それがへ!ゲルの問題設定にもかかわらず︑
プロテスタンテイズムがへ!ゲルの近代世界論を積極的に受け入れることができない理由でもある︒
しかしそれはへ!ゲルの立場をまったく否定するものではない︒なぜなら問題は宗教改革的︑あるいはルタ 1 的な信
仰の自由︑あるいは福音的自由が︑ いかにして権利としての自由へと展開したのかということであり︑大陸の宗教改革
とピュリタニズムを結びつける非連続の連続にこそあるからである︒ へ
1ゲルの視点はこの問題の前半部分との取り組
みを可能にする思想的な源泉であり︑依然として自由の宗教としてのプロテスタンテイズムは彼の敷いた線上において
踊ることが許されているのである︒
それは最後の旗印なのか?
433
434
注
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1ゲルからの引用については以下のような略記号を用いる︒
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は一巻を示し︑その後のアラビア数字は頁数とする)
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は一巻を示し︑その後のアラビア数字は頁数とする)
その他の版からの場合には版を明記することにした︒
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( 3 )
パネンベルクによるこの問題についての研究は拙編訳﹃近代世界とキリスト教﹄(聖学院大学出版会)に収録された諸論文
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( 5 )
この間題については拙論﹁近代世界とプロテスタンテイズム﹂﹃聖学院大学総合研究所紀要﹄第一六号(一九九九年)を参
照のこと︒また拙著﹃アポロゲティ
1クと終末論﹄(北樹出版)に収録した﹁絶対的な司括︒
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としての世俗化なの
か?││ハンス・ブル
lメンベルクの近代及びキリスト教理解について﹂一九三頁以下を参照のこと︒
( 6 )
この点についての暫定的な見取り図として拙論﹁日本の将来とラディカル・プロテスタンテイズム﹂﹃福音と世界﹄(一九
九九年一二月号︑二
0 0
年一月号︑三月号)を参照のこと︒ 0
( 7 )
この研究は著者の﹁ラディカル・プロテスタンテイズム﹂という視点からの近代理解についての研究の一部であり︑これ
までのプル
lメンベルクやトレルチ︑そしてパネンベルク研究に続くものである︒その意味でへ!ゲル哲学の研究という
よりは︑この視点からのへ
lゲル解釈というべきであろう︒
( 8 )
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( 9 )
それはバルトがへ
1ゲル的ではない︑と言う意味ではない︒バルトの啓示論︑あるいは二二論がへ
1ゲル的︑あるいはマ
1ルハイネッケ流に解釈されたへ
1ゲル的な立場にあるということはこれまで多くの神学者たちが指摘した点である︒ま
た一九六 0 年代における神学におけるへ
lゲル・ルネッサンス的な傾向があったことを見逃しているわけではない︒既に
述べた問題設定のような視点からのへ
lゲル理解はプロテスタント神学の中ではなされてこなかったという意味である︒
(叩)最近︑加藤尚武氏が雑誌﹃ちくま﹄に連載中の﹁へ
1ゲル入門﹂の第一二回で﹁心にもないほめ殺し││どうして無神論
に駆け込まないのか﹂というタイトルでへ
lゲルの宗教論を扱っている︒その中で加藤氏は次ぎのように述べている︒﹁へ
l
ゲルの宗教論のテクストを読んでいると﹃それならいっそ無神論に駆け込んだらいいじゃないの﹄と言いたくなること
がある﹂:::あるいは﹃それならいっそ宗教を捨てて哲学に駆け込んだらいいじゃないの﹄といいたくなる﹂(﹃ちくま﹄
一九九九年三月号・三三六号四二頁)︒加藤氏はへ
1ゲルがその後︑﹁一八 O 八年に三八歳でニュ
lルンベルクのギムナジ
ウムの校長に就任し︑さらに:::一八一六年四五歳でハイデルベルク大学に赴任するまでの期間﹂に﹁その気持ちが変わ
った﹂と述べ︑その変化は﹁キリスト教の社会的必要性は絶対に認める︒しかし相変わらずキリスト教の内容には不満が
ある︒しかし宗教の改革を叫んで﹃かくかるべし﹄という断定を突きつける空しさの底がへ
1ゲルには見え隠れしている﹂
ものだといい︑キリスト教に対して﹁へ
1ゲルの選んだ道は心にもないほめ殺しだった﹂(同四三頁)という︒確かにへ
1ゲルのキリスト教に対するアンヴィパレントな思いを否定することはできない︒しかしへ
lゲルがキリスト教のキリスト
教に対する態度は﹁キリスト教﹂という単純な処理の仕方によって理解できるものではない︒たとえばプロテスタンテイ
ズムとカトリシズム︑また原始キリスト教とルタ
1派等の違いをへ
lゲルは認識しており︑その違いの解釈の中に彼のキ
リスト教理解が現れ出ているように思われる︒他の点では加藤氏の研究には賛成するところが多いが︑このようなキリス
ト教理解には納得できないものがある︒
それは最後の旗印なのか?
435
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(日)とりわけ﹃歴史哲学講義﹄は資料的に限界がある︒それに対して﹃宗教哲学講義﹄は新しい編集の版を用いることがで
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(日)この点については最近出版された山埼純﹁歴史の始まりとしての近代││﹃世界史の哲学﹄講義にみられる近代認識の発展﹂
( 加 藤 尚 武 編
﹃ へ
1
ゲル哲学への新視角﹄創文社)と﹃神と国家ーーーへ
1ゲル宗教哲学﹄(創文社)から多くのことを教えら
れた︒おそらく邦語文献の中では他に例をみない成功した研究であろう︒ただし著者がいずれの結論部分でも展開してい
るプロテスタンテイズムの理解は神学を学んできた者には理解しにくいものである︒
(幻)たとえばいわゆる﹃歴史哲学講義﹄は一八二二 l 二三年から一八三 01 コ 二 年 ま で 五 回 行 な わ れ て い る が ︑ ︒ ・ 当 ・ 司 ・ 出 ︒
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二三年の講義録が十二巻に収録されているだけで
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研究などがあるが︑その全体像はなお未整理のままであると言わざるを得ないであろう︒その点﹃宗教哲学講義﹄は同講
義選集の三巻から五巻において一八一二年から一八三二年までの講義録が整理される仕方で編集されたことによってその
436